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2025年3月

2025/03/31

■節子への挽歌6323:ばばさんの娘さんに出合いました

節子
昨日のデモの会場で、偶然に堤未果さんに会いました。
堤未果さんは、節子も知っているばばこういちさんの娘さんです。
成り行き上、会話までしてしまいました。
それに関しては時評編に書きました。

未果さんの両親とはいずれも交流がありました。
特に父親のばばこういちさんとは、長い付き合いでした。
ばばさんは再婚しています。
未果さんの母親とは節子は会っていませんが、再婚した人とは出会いがありました。

まあそんなことはいいのですが、堤未果さんは、2日前に父親のお墓参りに行ったそうです。
それで、父が引き合わせてくれたのだと言っていましたが、ばばさんがいまも元気だったら、違う形で未果さんとも会えたでしょう。
ばばさんは、がんになってしまい、節子を見送ってしばらく後に、逝ってしまいましたが、がんで入院した体験を、ばばさんのやっていたテレビで取り上げた時に、私も節子の体験をと引っ張り出されました。
その時何を話したか全く記憶がありませんが、ばばさんの思いには共感した記憶があります。

堤未果さんと会えたのは、ばばさんのお引き合わせだろうとは私も思います。
昨日は未果さんのほかにも、川田龍平さんにも会えました。
ばばさんがいたら、いまの政治に対してどう働きかけるでしょうか。

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■令和の百姓一揆デモに参加してきました

安保法制反対デモ以来、私はデモへの参加をやめました。
あの時のデモの雰囲気があまりに殺伐としていて、通っているうちに生理的に行けなくなってしまったのです。とても平和を望んでいる人たちのデモとは思えなくなってしまったのです。

でも今回は実際に百姓している人たちのデモですから、そうなるはずがありません。
生命と直に関わっている人は、みんな優しいですから、憎悪感など生まれません。
それに同行してくれるのが、金子友子さんと吉田太郎さんだと言うので、もう安心しての参加です。
いつものように、サンダルで手ぶらで、近くの図書館に行く感じで出かけました。
サンダル履きでぶらっと参加する、そんなデモが私の理想です。

待ち合わせは池袋のカフェ。
行くとすでに数名がいました。そのおひとりは20代前半(たぶん)の女性で長靴を履いています。聞けば、今日のトラクターデモのドライバー要員として広島からやってきたのだそうです。3年ほど前から農業に取り組みだしたそうです。広島でもトラクターデモがあるのですが、彼女は東京要員でやって来たそうです。
他にも農業ジャーナリストや農業に関わっている私の友人もいました。

軽食を終えて、みんなで会場の青山公園に向かいました。
乃木坂駅で、なぜか私たちの雰囲気がデモに向かうように見えたのか、知らない人が合流。一人は松葉づえの女性でした。このデモだけは参加したかったと松葉づえでやってきたのです。参加者の中で松葉づえ参加はこの人だけでしたが、話していたらこの人のことも少しわかりました。もしかしたらこれからご縁が続きそうです。

まあそんなこんなで会場に到着。
久しぶりのデモの雰囲気はなぜか違和感がない。なぜかと思っていたら、今回は組織の旗や日の丸や、関係ない組織のチラシ配りは禁止なのだそうです。
それだけでもこんなに雰囲気は違うのかと思いましたが、最近はこれがデファクトなのかもしれません。

いろいろと挨拶などあって、いよいよトラクター行進の出発。私はむしろそちらの方に行っていました。
なぜなら広島から来た、トラクターには似合わない女性を応援したかったからです。
でもなかなか出発しない。そのおかげで気がついたら写真を構えている人たちの前のほうに行っていました。
さらにその前に座って写真を構えている人の列がありましたが。

かなり待たされたうえで、トラクターが動き出しました。
ところが肝心の彼女のトラクターが見当たりません。
そしてトラクターはすべて出払ってしまいました。

トラクターがすべて出た後、前に座って写真を撮っている人が立ち上がり振り向きました。
どこかで見た顔の人だなと思ったら堤未果さんでした。
私は面識はありませんが、未果さんのご両親とは付き合いがありました。
そこで反射的に声をかけてしまいました。

未果さんは、一昨日父親のお墓参りに行ったそうです。父が引き合わせてくれたのだと言ってくれました。
父とは、ばばこういちさんで、以前、彼がやっているテレビに私も何回か駆り出されたことがありました。湯島にも何回か来ています。
話していると、未果さんのパートナーの川田龍平さんがやってきました。川田さんとも私は面識はないのですが、なぜか私の周りには川田さんのお世話になっている人が何人かいて、よく話題になるので、なんとなく知り合いのような気がしていました。ちょっとそんなことを話していたら、川田さんが3人で写真を撮ろうと言い出して、秘書の方に写真を撮らせていました。

手を出されたのでこれも反射的に握手をしてしまいました。
政治家と握手をするのは、私の趣味ではないのですが、彼の手は頼りがいのある手でした。

おふたりとは別れてまた会場に戻りました。
トラクター要員だった20代女性が戻ってきました。何かの手違いで、トラクターが1台届いていなかったようです。そういえば、30台のトラクターと司会の方が一度言ってから、30台近いと言い直していたのが気になっていましたが、その理由がわかりました。
せっかく広島から来たのに、彼女は残念そうでした。
それで彼女も加えてみんなでデモ行進に参加しました。

2時半スタートが少し遅れましたが、青山公園から代々木公園に向かいました。
沿道でれいわの山本太郎さんが応援していました。一緒に歩こうと声をかけたかったのですが、気づくのが遅くて声掛けしそこないました。ここはやはり一緒に歩くべきでしょう。短距離でもいいですから。

私がサンダルでデモに行くことを知った友人たちが転ばないようにとフェイスブックに数名が書き込んできました。考えようによっては、私が転ぶのを期待しているのでしょうが、その期待には応えるわけにはいきません。

一度躓きそうになったのですが、何とか転ばずに済みました。

しかし、これはサンダルのせいではなくて疲れのためです。
舗装道路での、ゆっくりした歩行は疲れます。
ちょっと疲れて、真ん中辺の表参道で離脱しました。

 久しぶりのデモは、疲れましたが、快適でした。

どうせ報道はないだろうと思っていましたが、朝日とTBSの取材が来ていました。
コメの値上げやコメ不足が連日報道されているのに、肝心のこうしたデモ活動による問題提起を無視する政府や報道機関や有識者の本性がよくわかります。

それに盲従する人たちには、もうげんなりです。もちろん反発するだけの人たちにも、ですが。
今回の一気の実行委員会の菅野さんのスピーチを聞いてほしいです。
チラシにもこう書いてあります。

 「令和の百姓一揆」は対立・対決を煽るためのものではない。人々の、いのちの危機を回避するための大連携への呼びかけだ。農と人々との確かなつながりを創り出す、大いなる変革への呼びかけなのだ。

農を「農業」から引っ張り出さないといけないと私は思っています。
今年は私もまた農に取り組むことにしました。

 

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■個人情報保護という発想への違和感

この数日、改めて人のつながりの面白さを実感しています。
数日前に40年程ぶりに、かつてあるプロジェクトの相談を受けていた人がやってきました。その頃、私はまだ企業関係の仕事もやっていましたので、その人も企業の人で、プロジェクトも企業がらみでした。
そのプロジェクトは残念ながら企画段階で終わってしまいました。もし実現していたらまさに今の時代にも大きくつながるおもしろい構想でしたが。

40年ぶりにやってきた人とは最近フェイスブックでつながったのです。
それで再会となったのですが、その人はビジネスマンだとばかり思っていましたが、画家であり演劇人でした。それで話していたら、意外なことがわかりました。
先日、演劇関係の講演会に友人に誘われて行った時に、偶然隣に座った人と話したら私と共通の友人がいたことをフェイスブックに書いたのですが、その宮城さんと知り合いだと言うのです。まあそれもあって今回、久しぶりに訪ねてきてくれたのかもしれません。
それだけではありません。
私が一度話してみたいなと思っている人とも、その画家の人は知り合いでした。
人の輪はどんどん広がっていく。

そんなことが最近よく起こっているのです。

昨日は令和の百姓一揆のデモに参加したのですが、以前、ピースウォークに参加した時に、定刻に誰も集まらず、2人だけで歩いた人がいますが、その人のこと思い出して昨日一緒に行った人に話したら、なんとその人とは活動を共にしたことがあるそうで、その人の伴侶とは学校の同級生だったと言います。まさかのまさかです。

こうやって話していくと、人はたぶんみんなつながっているのでしょう。
80億人というと、いかにも膨大な人数のような錯覚を持ちますが、兆単位でつながっている微生物に比べればわずかな数の集団です。
まさに「スモールワールド」で、みんな6~7人を介してつながっているのです。

にもかかわらずいまだに地球からは戦争がなくならない。
人のつながりがもっと可視化されれば、世界は変わるかもしれません。
だから、みんなもっと自らの世界を開いていけばいいなと思っています。
そして、私は思い切り自分のことを開示する生き方をしているのです。

個人情報保護という発想にも、私は違和感を持っているのです。

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2025/03/30

■節子への挽歌6322:デモの思い出

節子
久しぶりにデモに参加しました。
令和の百姓一揆デモです。
デモのことは時評編に書く予定ですので、それに任せますが、この雰囲気のデモならこれからも参加できそうです。


節子が初めてデモに参加したのは、小泉政権時代のイラク特措法反対デモでした。
防衛省前へのデモは人数は少なかったですが、かなり激しいデモで、でも初参加の節子は確かもみくちゃになって潰されそうになっていました。
ニュースに出るだろうと思っていましたが、新聞もテレビも報道背zに、節子は、新聞やテレビでは報道されないことがあることを実感したのです。

その後、もうデモにはいきませんでしたが、ピースウォークが始まってからは数回、家族で行きました。
あれはそれなりに楽しいデモでした。
でもその後は病気でデモとは無縁になりました。

いまから思えば、イラク特措法のデモはいい思い出です。
節子は、好奇心が強かったですから、新しい体験が好きでした。
政治的には知識はあまりなかったものの、感度は悪くありませんでした。
おかしなことにはしっかりと憤る感度は持っていました。
もしかしたらへんな知識がなかった分、素直だったのかもしれません。

デモに行くといつもあの防衛省前のもみくちゃデモのことを思い出します。
節子がいたらもっとデモに参加していたはずです。

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■節子への挽歌6321:疲れながらもなんとか前に進んでいます

節子
昨日は大忙しの日でした。
忙しいと気分が紛れます。「心を失う」とはよく言ったものです。

午前中は自治会の引継ぎ。終わり次第湯島に。湯島では私不在である打ち合わせが行われていました。私はその契機をつくっただけで、もう手離れしたのですが、メールで何時ころ来るかと問われたので、行くことにしました。打ち合わせは終わったけれど、私が行くまで待っているというのです。義理堅い話ですが、私には面倒な話でもあるのですが。
食事も抜きで12時に到着。その後、コミーの小宮山さんと食事。今回もまたごちそうになってしまいました。

2時からは森内さんのサロンなので、1時半に部屋に戻りました。
昨日のサロンは参加者も多く、初参加所も3人もいました。
サロンは森内さんに任せていたので、私はただ楽しむだけ。
ただ終了後、いろいろな人と話がありました。
気になる問題を抱えている人が何人もいるのです。
放っておけばいいのですが、気になるとどうしても声をかけてしまう。

結局、5時を過ぎてしまい、帰路につく頃はもうへとへとです。
帰宅するとまあまたまたいろんなことが起きていました。
義兄が入院だそうです。福井県にいるのでお見舞いにも行けません。

26日に書店に並ぶ本を書いた荻阪さんが、その前にとわざわざ届けてくれた本を読む暇がない。気になりながらも、またもう一人の人が本を届けてくれたりして、宿題はどんどん積もるばかりです。
でもなかなか読む気が起きない。
まだどこかで頭が落ち着かない。

今日は久しぶりにデモに参加します。
実は昨日は、もう行きたくなくなって、正直、雨になってほしかったのですが、晴れてしまった。
11時半集合なので、そろそろ出かけないといけません。
まあたぶん途中で抜け出す予定ですが、安保法制以来のデモ参加です。
あの時の体験で、もうデモには参加しないと決めたのですが、いままた居ても立っても居られない気分です。
どう考えてもおかしい方向に社会が向かっています。
いや向かっているのは、人間たちですが、どうも私の考える人間はどんどんづく無くなってきているようです。

そろそろお暇した社会になってきてしまいました。

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■湯島サロン「自賠責保険積立金未回収債権を取り戻す国民運動をはじめます」報告

はまなかさとみさん(請願権を実現する会代表)の呼びかけによる「自賠責保険積立金未回収債権を取り戻す国民運動をはじめます」の集まりは、問題があまりに具体的過ぎたためか、参加者が少なく、コアメンバーの事務局会議のような場になってしまいました。
最近は、いろんなテーマでの国民運動的なものが広がっていますが、このテーマはあまりに具体的過ぎるのかもしれません。
しかし、はまなかさんの話を聞いていると、私のように自動車免許を返してしまった者にとっても、無関係ではない問題なのです。はまなかさんは、そうしたことをもっと多くの人に知らせたいと孤軍奮闘しているのです。そして活動をしていると、どんどんと新しい事実が見えてくる。そのため、はまなかさんの具体的な活動は広がっていくために、体制作りがどうしても遅れてしまう。

今日、開催される「令和の百姓一揆」デモに参加して、「自賠責保険積立金未回収債権を取り戻す国民運動」を呼びかけてくるそうです。
私は残念ながら、今日はまさにその「令和の百姓一揆」デモに参加するのですが、はまなかさんの活動には参加できません。濱中さんは大きな横断幕を持って参加しているはずです。もし見かけたら、ぜひ声をかけてやってください。

この問題は、じっくりと取り組まないと問題の所在がなかなか見えてきません。
今回の事務局会議的サロンでいろいろと今後の展開に関して話し合いましたが、地道な勉強会的な会を始めることを検討しています。
関心のある方はぜひ仲間になってくれませんか。

関心のある人は私にご連絡ください。

 

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■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く⑧:「過去と未来の違いについて」のお誘い

遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの8回目は、前回につづいてカルロ・ロヴェッリを取り上げます。参照テキストは『時間は存在しない』(NHK出版)。

以下、遠山さんからのメッセージです。

まず、『時間は存在しない』からいくつかカルロの文章を引用します。

この世界には、物理法則なるものによって表わされる規則性があり、異なる時間の出来事を結んでいるが、それらは未来と過去で対称だ。
つまり、ミクロな記述では、いかなる意味でも過去と未来は違わない。

過去と未来が違うのは、ひとえにこの世界を見ているわたしたち自身の視界が曖昧だからである。

こうなると、時間に対するわたしたちの通常の理解の仕方は根底から覆されることになる。
そして、地球が動いていることを発見したときにも匹敵する不信が生じるわけだが、それでもその根拠は、地球の動きと同じように圧倒的だ。
時間の流れを特徴づけるすべての現象は、この世界の過去の「特別」な状況――その状況が「特別」なのは、わたしたちの視野が曖昧だから――に由来するものなのだ。

以上、お読みなってみなさんはどう感じるでしょうか。
初見では、まったく意味不明と思われるかもしれません。
しかし、これが最新科学の第一人者が、世に公表した私見なのです。

どうして、こう言えるのか。
そして、その意見はどれほど確からしいのか。
さらには自分はどう感じるか。
そういったところを、この本を題材に深掘りしてみたいと思います。

カルロはあるインタビューでこう語っています。
「わたしは物理学に取り組む際に、感情を退けず、むしろ解放する。物理学をするということは、考え、計算し、文献を読み、議論するということだが、それらを推し進めているのは感情だ」。

一見すると感情に反するような結論を導き出してしまったカルロは、本書をどのように締めくくるのか。哲学者としてはそこが一番の見どころですが、その点も紹介したいと思います。

さて遠山さんがどう読み解いていくか。
そして参加者のみなさんが、それにどう応じるか。
楽しみです。

遠山サロン初参加の方も大歓迎です。
むしろ遠山さんの読み解きを壊してくれる人、大歓迎です。
なにしろサロンですから、思い切り楽しんでほしいといつも思っています。

〇日時:2025年4月7日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:過去と未来の違いについて
〇書籍紹介者:遠山哲也さん(哲学を生きる哲学者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2025/03/29

■節子への挽歌6320:今回の自治会役員の活動は終了です

節子
今年度は自治会の会計監査でしたが、今日、会長と会計担当者から年度会計の詳しい報告を受けました。あとは新年度の総会で、会計監査報告をすれば、今回の4年にわたる自治会役員は完了です。

私が会長だった頃にも問題だったことを今期の会長はしっかりと対応してくれていました。ただ大きな問題はどうしても年度単位で変わる役員体制では難しいのです。
私が最初に自治会会長になったとき、少し変革したいと思いましたが、当時は自治会の顧問のような長老がいてあまり余計なことはしないようにとくぎを刺されたのをいまも覚えています。
そういわれるとますます何かやりたくなるのですが、あの時は途中で節子の病状が悪化し、会長役を同じ班の小酒さんにお願いしてしまい、結局、何もやらずに終わってしまいました。

それから13年して、4年前にまた会長役が回ってきましたが、今度はコロナもあって、動きが取れませんでした。
まあ本気でやろうと思えば、そんなことは理由にはならないのでしょうが、結局は私の本気がなかったからだともいえるでしょう。
でも単年度の会長制度では、やはり難しい。
ちなみに私の次の年度の会長役を引き受けた人は、自治会は最小限の市役所の末端業務をやるだけでいいという考え方でしたから、私が余計なことし始めていたら、迷惑をかけてしまったでしょう。

たとえば、社会福祉協議会や赤い羽根共同募金への募金も、自治会でまとめて納入という仕組みにはちょっと引っかかりますが、個別に自発的な寄付を求めていく方法ではかなりの負担が必要です。むしろそうした「負担」があればこそ、人のつながりや制度の主旨の浸透という面ではいいのでしょうが、昨今の忙しすぎる社会には現実的ではありません。
まちづくりや共同体にとっては、これはある意味、ジレンマかもしれません。

もしかしたら、ここにこそ、「まちづくり」と「まちそだち」の違いがあるのかもしれません。
まあそんなことを考えながら、引継ぎを終えました。
でも正直、ちょっとだけですが、ホッとしました。

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■節子への挽歌6319:封じていた過去が思い出されて、複雑な気分です

節子
佐々木さんに電話ができたので、ちょっと落ち着きましたが、その後、認知症予防ネットの平田さんが私のフェイスブックの記事にコメントを寄せてくれました。
それを読んでいろいろなことがわかってきました。
佐々木さんも平田さんも私を気遣ってくれていたのです。
いかにも佐々木さんらしいです。

であれば、すぐに電話すべきでした。
でも電話できなかった。

節子の闘病中にも佐々木夫妻はお見舞いに来てくれました。
おふたりとも、ともかく善意の塊のような人でした。
佐々木さんと会ったのは、企業の社会的責任をテーマにした研究会でした。
5人ほどの委員の一人として、それぞれ参加したのですが、なぜかそれが縁になって、佐々木さんとだけ交流が続き深まったのです。
当時、佐々木さんはまだ東京にも住処があり、典子さんは韓国中心、憲文さんは東京中心で活動していました。
その後、憲文さんが協同組合の仕事をするときに、また私を呼んでくれました。
当時の私は、自分から何かをするというよりも、ともかくいろんな話が来るので、自分が会面白いと思った者だけを選ぶというわがままな生き方をしていました。
だからいろんなテーマをただただ食い荒らしただけで、何も残らないような活動でしたが、そのおかけ偈、とてもいい「人のつながり」がたくさんできたのです。
その一つが佐々木さんご夫妻との関係でした。

岐阜にもお伺いして、典子さんが引き継いだお寺にも伺いました。
韓国にまで招いてもらい、元気づけてもらいました。

いろんなことが思い出されます。
長い人生は、良いこともありますが、思い出すのは苦手です。
早く吹っ切れて前を向きたい気もしますが、そうしたくない気もする。

それにしても思ってもいなかった衝撃に、相変わらず戸惑い続けています。
何とか今日もこなしていけるといいのですが。

 

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2025/03/28

■節子への挽歌6318:次に旅立つのは私であってほしい

節子
昨夜はあまり眠れず、今朝は早く起きだしました。
あまりにも優柔不断ですが、佐々木さんに電話する勇気が出てこないのです。

新倉さんの電話した方がいいという一言に押されて、電話をしました。
なかなか電話に出ません。出ないといいなと思っている自分に気づきながら、電話を切ろうと思ったら、佐々木さんが電話に出ました。
声の質は違いますが、いつも様な挨拶をお互いしてしまいました。

何を話したかよくわかりませんが、ちょっと肩の荷が下りました。
何で電話がかけられないのか不思議に思われるでしょうが、そして自分でも不思議なのですが、こんなに大変な思いをした電話は初めてです。

典子さんが亡くなったのは先月の20日頃ですが、私に佐々木さんから手紙が届いたのは1か月後でした。
それも少し不思議に感じていたのですが、その理由はフェイスブックの私の投稿に認知症予防ネットの平田さんが書き込んでくださったコメントで理由がわかりました。
平田さんと佐々木さんの私への心配りがあったのです。

混乱は依然続いていますが、少し心に平安が戻りました。
それにしても、若い友人の突然死は辛いです。
私の場合、これで4人目です。

生きることの大変さを改めて痛感します。

今日も私より若い人が相談に来ていたのですが、彼女も典子さんと同じく活動をどんどん広げていくタイプです。
典子さんのことを話して、あまり頑張らないように言ったのですが、もうこんなことは繰り返してほしくないです。
次に旅立つのは私であってほしいものです。

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■湯島サロン「日本構想学会・再起動の呼びかけ」報告

日本構想学会が、思いも新たに再起動をはじめました。
その呼びかけを湯島のサロンでもやってもらいました(3月23日開催)。
サロンでは日本構想学会事務局世話人の西京一さんが、すでに公開されている日本構想学会のホームページを使って、参加者の質疑や意見も受けながら、日本構想学会構想を紹介してくれました。
サロンには理事も2人ほど参加しましたが、この学会は会長も理事長も置かない方針で、当面は世話人の西さんが中心になって進めていく予定です。

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西さんの紹介した学会の内容は、サイトを見てください。
https://jssk.jp/
あまり明示的に書かれていないことで、私自身がとても共感していることを、一つだけ補足しておきます。

この学会は、コンヴィヴィアル(自立共生)な、しかもバタイユの提唱していたようなアセファル(無頭)な組織を目指すそうです。
これは私がこの半世紀、求め続けてきたことにつながります。新しい共同体社会でもあり、「アソシエーション」とも「コミュニティ」とも違った、組織優位ではなく個人優位な新しい組織論だと思います。
こうした組織がうまくいくためには、メンバー一人ひとりが、組織を意識しながらも自立的に動いていくことです。

私も入会しましたので、早速に動き出すことにしました。
日本構想学会理事の永田さんに働きかけて、「構想って何だろうか」をテーマにしたサロンを開催することにしました。案内は別途もう投稿していますが、4月6日(日曜日)に開催します。学会世話人の西さんにも参加してもらう予定です。
サロンではいろんな意見が飛び交いましたが、まだまだ十分ではなかった気がしますので、このサロンでさらに議論を広げ深めたいと思います。
構想学会に関心のある人はぜひご参加ください。

最後に、案内にも書きましたが、西さんの「日本構想学会・再起動の呼びかけ」を再掲いたします。ご関心のある方は、ぜひ学会のサイトから入会してください。

〔「日本構想学会・再起動の呼びかけ」〕
 今世紀の始まりの年、日本構想学会という学会が生まれました。新世紀を迎えるにあたりさまざまに描かれ、かたちになされていく構想という営み自体を対象にし、それを学び、研究、論究しあうことで構想そのものに磨きをかけ、そこにいわゆる構想力といわれる力があるのだとすれば、その性質にも迫ることによって、その力の涵養に資する機会形成もしていこう。そうした欲ばりな企図のもと、主として若い力と情熱を支えに成立した場であり、その活動を十年つづけました。 
 およそなんであれ十年という期間は再考をうながす節目といえましょう。構想学会でもその節を迎えたとき、さてこの先をどうするかという問いが生じました。そしてその問いがあらわれた以上、一旦、立ち止まる必要があると判断できました。その2010年という年は日米ともに民主党政権下でオバマ、鳩山-管と移行した年、大震災にみまわれる前年で、世の中には緩い空気が漂っていました。ときの首相が普天間を本土にもっていくと語り得たくらいに。 
 それから早15年が過ぎました。新世紀ということばはすでに古語となり、昭和世代にとって未来の標語でもあった21世紀はもう四半世紀が経過しました。つまりは日本構想学会の設立から25年が過ぎたことになります。かつて学会運営に積極的にかかわった若い力はそれぞれにわが子を育てる世代となり、その営みをつうじてこの世のゆく方を案じる段となりました。そしてもう一度、あの頃のこころを思い起こすときになりました。咢堂翁の「昨日までは人生の序幕、本舞台は常に将来」という喝声も聞こえてきます。「そうか、あの十年は序幕だった。これからが本舞台」。確かに今はこれまで以上に社会の諸相において確かな構想力とそれに依拠した構想が、かつて以上に要請されているように思われます。2025年、どうやら日本構想学会を再起動するときが来たようです。 
 ただし、これがかつての単なる再起動ではなく新生の意を宿すことを強調したく思います。かつて日本構想学会は構想を対象にしたわが国の学会というスタンスをとりました。しかし今般は時代の要請といえようこの日本を構想する学会というポジションも意識し、この名、日本構想学会を駆動させていきたく思っています。いかがですか、みなさん。この場にいらしてご一緒に諸構想をめぐり交わしませんか。

 

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2025/03/27

■節子への挽歌6317:まだどうしたらいいかわかりません

節子
佐々木典子さんの訃報のショックからなかなか立ち直れません。
どうしたらいいのでしょうか。

お線香かお花を送ろうかとも思いましたが、どうもぴんと来ない。
電話しようかと思いましたが、その勇気は出てこない。
手紙も書けない。
そんな時は別のことお考えようかとサロンの報告を書くことにしましたが、うまく書けない。

手紙によれば、典子さんが亡くなってからもう40日ほど経過しています。
私の記憶によれば(それが正確かどうかは自信はないのですが)、四十九日前後が一番きつかった。
花が届くのも逆効果で、仏花は見たくなくなっていました。
私と違いあまりにも突然の別れ。悲しみというよりも、たぶん「怒り」や「戸惑い」が強いでしょう。
たぶん状況がよく整理できていないはずです。
そうであればやはり電話するのが一番いいのかもしれません。

でもやはり今日も電話できませんでした。
その代わりやったのは、一年ぶりに畑に行って、笹薮と戦ってきました。
そういえば、節子との別れが苦しくて、泣きながら笹薮と戦ったこともあります。

ともかく節子とわが家の大日如来への祈りを繰り返しました。
向こうで節子に会えるといいのですが。

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■湯島サロン「海外から感じている日本社会」報告

湯島のサロンには、時々、東京に来た機会に参加してくださる人もいますが、その一人、坂口和子さんはアメリカのボストンに長らくお住まいです。
毎年、日本に帰国し、各地の友人たちなどを回っていますが、最近は、その滞在日程の中に湯島サロンへの参加を組み込んでくださっています。今年も2月中旬に帰国し各地を回っていましたが、東京に戻られたのでサロン(3月17日開催)を開いてもらいました。
テーマは「海外から感じている日本社会」としましたが、坂口さんを囲んでの気楽な話し合いの会という趣旨でした。しかし、このテーマのせいか予想を超えて大勢の方が参加してくださり、大盛況のサロンになりました。

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坂口さんは、まずは自己紹介ということで、なぜアメリカに渡ったのかから初めて、アメリカでの暮らしぶりや思いなどを話してくれました。
サロンでの個人情報の開示は基本的にはオフレコなので、詳しい報告は避けますが、渡米当時(1987年)と今では日本の立場も大きく違い、「日本人」の受け入れ方も変わってきているようですし、アメリカ社会も変わってきている。しかし同時に、日本とアメリカの違いのなかには、変わらないものもある。
坂口さんは必ずしも明言はされませんでしたが、長年の暮らしをベースにしたお話からはそんなことが体感的に伝わってきました。

個人的な話が書けないとしたら、どういう形でサロンを報告しようか迷って参加者の何人かに感想を聞いてみました。みんなそれぞれに自分の問題と重ねながら坂口さんのメッセージをしっかりと受け止めていました。毎回、サロンの報告を勝手に書いていますが、ほんの一部の報告にしかなっていないなと改めて気づかされました。
そこで今回は、参加者のみなさんの感想も含めて報告させてもらいます。

参加者の中には、坂口さんと同じように40年ほど、ヨーロッパ(ドイツ)で暮らしていたNさんが参加していました。Nさんは、アメリカとドイツとではかなり違うだろうとお考えだったそうですが、いくつかの点で共通するものを感じたと言います。
まず自然や古い建物、つまり景観を大切にしているということです。坂口さんがボストンの街並みや窓からの景観を話しているのを聞いて、Nさんはアメリカもそうなのだと知り、そこに欧米の文化とは違う、街並みや自然に対する日本の景観に対する姿勢を感じたようです。おふたりとも、日本は欧米に比べて、景観(したがって歴史や文化)を大切にしていないと感じているようです。
消費財的になっている日本の住宅の捉え方も影響しているようです。消費財的になっているのは、人の関係の面でも生じていることかもしれません。

公衆電話がすぐ壊されて利用できない、という坂口さんの話もNさんには印象的だったようです。ドイツも同じで、自動販売機もすぐ壊されるため駅構内以外にはほとんど置かれていないそうです。ところがその一方で、交通規則だとか他人に対する対応は日本とは比べ物にならないほど規律正しい。Nさんの体験では、ドイツのほうが公共の場でのあいさつや声かけも多いといいます。
しかし、ドイツでは鉢植えなどを玄関の外や家の周りに置いておくと盗まれることがしょっちゅうで、それに比べたら、日本の治安はよく、自転車を鍵もかけずに家の前に置いていても盗まれることはない。
それぞれの国の良いところ悪いところがちぐはぐなのが不思議というか面白いとNさんは言いますが、それこそがやはり「文化の違い」なのでしょう。いわゆる「公共心」に大きな差があるのかもしれません。言葉だけでわかった気になることに注意しなければいけません。
どこに焦点を当てるかで印象は全く違ってくる。これは短期間の滞在ではなかなかわからない。異郷の地で暮らしてこそわかることかもしれません。

坂口さんは、生活そのものは豊かで環境もよく暮らしやすいアメリカ生活に比べると、日本は街並みも汚く、ごちゃごちゃして自然の豊かさも少ないし、若者のファッションも落ち着かないと言います。日本中を旅しても、新幹線などから見える自然風景の中に人工物が入り込みすぎて、自然だけを切り取った写真もなかなか撮れない。この数年、帰国のたびに日本の風景が貧しくなっていると感じているようです。それは、文化が貧しくなってきているという寂しさに通じている。

これだけ聞くと、日本は貧しくなる一方で救いようがなく、アメリカで暮らす方が日本で暮らすよりも幸せだというようにも感じられますが、坂口さんの真意はそうではないようです。というのは、坂口さんは、でも自分は日本に戻ってきて骨を埋めたいと言います。日本の評価が厳しいのは、日本への思いや期待の強さの表れなのでしょう。
坂口さんがイメージしている日本の良さが消えてきている。それが感じられるので、日本に来るたびに寂しさが募るのかもしれません。

坂口さんは、成田に降り立った時にいつもホッとすると言います。でも日本からまたアメリカに戻った時にもホッとすると言う。それが「異郷に暮らす」ということなのでしょうか。2つの「ホッ」の違いは何なのか。興味があります。
いつかこれをテーマにしたサロンをやりたいです。

長い間アメリカに住み、アメリカ人と結婚し、近隣の人たちとも家に招き合う暮らしをしている坂口さんにとって、アメリカでの暮らしには何の不自由もないでしょう。しかし、日本に骨を埋めたいと言う。
そればかりではありません。坂口さんは、交流はいろいろとあっても、結局、アメリカ人の友だちはできなかったと言うのです。この言葉は、私もですが、多くの人には意外だったようで、みんな「友だちって何だろうか」と考えたようです。
これもいつか掘り下げたいテーマです。

中国から日本に来て、日本人と結婚したYさんの感想もまた興味深い。
坂口さんが30代半ばで、一念発起で渡米したことにたいへんな行動力を感じたと言います。そして、坂口さんが渡米した当初のことを細かく記憶され話してくれたことが強く印象に残ったと言います。もしかしたら、Yさんご自身もそうなのでしょう。
その一方で、坂口さんが帰国するたびに変わってしまう日本を嘆くことが気になったというのです。Yさんは所用があって途中で退席したため、坂口さんが最後に、でも自分は日本に骨を埋めたいというくだりは聞いていなかったのですが、坂口さんの感じている母国の変化は、もしかしたらYさんも持っている母国への思いと重なるのかもしれません。だからとても気になったのです。
異郷に暮らすことで、いろんなことが見えてくるのでしょう。

ほかにも人種問題の話もでました。ネイティブとは何かというような話もちょっとありました。書き出すとまた長くなるので、やめますが。

坂口さんの話は途切れることなく続きましたが、後半は坂口さんが最近詠んでいる歌を紹介してくれました。
坂口さんは数年前から、自らの思いを、7首から20首の57577の短歌形式の連作で歌い上げているのですが、7つのテーマに関する連作歌を紹介してくれました。
時間の関係で一首一首を読むことはできませんでしたが、そこに込めた坂口さんの思いを少し語ってもらいました。いや、少しと思ったのですが、ここでもやはり坂口さんは溜めていた思いがあふれ出てきて、止まりませんでした。
坂口さんの誠実な生き方の中に込められた強い思いを感じました。

タイトルをいくつか紹介すれば、「九十八歳の〈烈ブロガー〉」「コロンバス・デーまたは先住民の日」「トランプ狂騒曲」「ノーベル平和賞」「これぞ国葬」。タイトルからわかるように、坂口さんの歌には、時代への激しい怒りの念が感じられます。
坂口さんの歌を詠みたい人はご連絡いただければお送りいたします。

ちなみに、最初の一連の作品は「九十八歳の〈烈ブロガー〉〉という題で、副題に「敬愛する福永茂先生へ捧ぐる歌」とあります。
福永茂さんは、ご存じの方もいると思いますが、物理化学者ですが、時代の流れに対して鋭い評論をブログでいまも書き続けている方です。
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru

私も何冊か読ませてもらって、お名前だけは以前から存じ上げていましたが、坂口さんは著書とブログを読んで、藤永さんに直接連絡し交流をはじめられているのです。今回も高齢な福永さんと九州でお会いになって来たそうです。
その行動力は、ものしずかな普段の坂口さんからはなかなか感じられないのですが、Yさんではないですが、坂口さんの生き方には学ぶことが多いです。

サロンとは直接関係ないですが、藤永さんのブログや著作はぜひお薦めしたいです。西欧の植民地主義の暗い側面を描いた有名なジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』も訳されていますが、この本を読むと世界観が変わるかもしれません。

長くなってしまいましたが、来年の坂口さんのサロンに続けたいと思います。

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2025/03/26

■節子への挽歌6316:衝撃的な知らせ

節子
手紙が届きました。
岐阜の佐々木さんからです。佐々木さんはメールよりも手紙を使うことが多いので、何だろうかと思いながら封を切りました。

パートナーの典子さんの写真がまず目につきました。そして衝撃的な文字が跳び込んできました。

妻・典子が死去いたしました。
前日まで元気でしたが突然倒れ、救急車で病院に運んだ時には手の施す術のない状態でした。

信じられない話です。
まだお若いですし、韓国の大学で教える一方、日本ではお寺を預かったうえに、認知症予防活動にも取り組んでいました。
とにかく元気な人で、私が節子に先立たれて動けなくなっていたころに、当時は韓国にいたこともあって、韓国に招待してくれて案内をしてくれました。
そろそろお寺の仕事も辞めて、もう少しゆったりするとお聞きしていましたし、もしかしたら今年は久しぶりに会いに来てくれるかもしれないと思っていたのですが、まさかのまさかです。
頭が真っ白というのはこういう子tでしょうか。
手紙を読んで、全く頭が回らなくなってしまいました。
佐々木さんが、私が体験したあの辛さを体験すると思うと、どう佐々木さんに対応したらいいか、思いもつかないのです。

節子を見送って少ししてから、飯田史彦さんに会いたいと連絡したら、なぜか「今は会えません」と言われたことを思い出しました。もしかしたら、あの時、飯田さんもいまの私のような思いだったのかもしれないと気づきました。

さてどうするか。
すぐに電話するかどうか。
考えても知恵が出てきません。
それにしてもなんということでしょうか。
あの元気な典子さんが‥‥

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■節子への挽歌6315:つづけることの効用

節子
明日の我孫子を話し合う「あすあびサロン」も8回目になりました。
参加者は決して多くはなく、今回も8人でしたが、新たな参加者もありました。
その人も終わった後、メールで「予想以上に楽しい時間を過ごすことが出来ました」と書いてきました。
初参加の割にはいろいろと話していましたし。

サロンでは毎回、それぞれに自己紹介してもらいます。その自己紹介でその人の新しい一面が見えることがあります。
今回うれしかったのは、長いお付きあいの太田さんの発言でした。
太田さんはご自分でしっかりした活動をしていて、あすあびサロンに来なくてもやりたいことがやれる人なのですが、いつも来てくれます。
私自身は太田さんが呼びかけている集まりにほとんど行っていないにもかかわらずです。
ですからあすあびに参加してくれる太田さんには感謝していますが、要、太田さんが参加してくれる理由の一つがわかりました。
それが正しいのかどうかわかりませんが、ともかくうれしかったです。

長く続けているといろいろとうれしいことが起きるものです。
そんな時、ちょっとですが、報われた気がします。

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■第8回あすあびサロン報告

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子界隈住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第8回は、あすあびサロンの母体となった「我孫子まちづくり編集会議」が主催する「第4回我孫子でやりたいこと呼びかけフォーラム」での呼びかけプロジェクトを意識した話し合いを行いました。
参加者は8人と少なかったのですが、初参加の方もあったので改めてそれぞれの自己紹介を行いました。自己紹介をし合うと、すでに知っている人の新しい一面も感じられて、「つながり」がちょっと深められ感じがします。

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「第4回我孫子でやりたいこと呼びかけフォーラム」は、あすあびサロンとは別の我孫子まちづくり編集会議が主催しますが、日程は5月24日(土曜日)で決定し、そこでの発表プロジェクトを公募することになりました。
これに関しては、我孫子まちづくり編集会議事務局長の林さんから別途報告と呼びかけがあると思います。あすあびサロンも全面的に協力し、次回第9回のあすあびサロンは、大会での発表プロジェクトを議論する大会準備会に合同させてもらって、4月19日に開催する予定です。

今回もまた、こんなことをやりたいという話がいくつか出てきましたが、19日にはそうしたプロジェクト候補やまだ妄想段階の「やりたいこと」も少し話し合える時間もあると思います。

ちなみに今回も、行政との関係とか既存のプロジェクトとの関係なども話題になりましたが、だれもがまちづくりの主役になるような状況づくりに向けて、ともかくこのあすあびサロンは地道に続けていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

というわけで、次回のあすあびサロンは、4月19日(土曜日)の午前9時半~11時半を予定していますので、よろしくお願いします。

なお、あすあびサロンのメーリングリストがありますので、ご希望の方はぜひ参加してください。

 

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■サロン「〈構想〉って何だろう」のご案内

日本構想学会とCWSコモンズ村の共催で、「〈構想〉って何だろう」を気楽に話し合う、サロンを開催します。

ご案内の通り、4月から日本構想学会が再起動しますが、その呼びかけのサロンを事務局世話人の西さんに開催してもらいました。
サロンの報告はまだ書けていませんが、日本構想学会のサイトはすでにできており、入会申し込みを受け付けています。私は早速入会させてもらいましたが、学会とはいえ、とても自由でカジュアルな組織なのでぜひ一度見てください。生き方を変える契機を得られるかもしれません。
https://jssk.jp/

そのサロンで、日本構想学会理事の永田徹さんが、「ところでみんな「構想」または「構想すること」をどう考えているのですか」というような問いかけをしました。
西さんからは、もちろん〈構想〉とは何かのお話はあったのですが、話し合いを聞いていると、みんなそれぞれ思い入れが強いせいか、意味合いが微妙に違います。
もちろん違っていてもいいのですが、むしろ様々な〈構想〉イメージを出し合って、かき回すのも意味があると私も思いました。〈構想〉って言葉は実に使い勝手がいい言葉なので、せっかくの機会なので、「構想談話」も面白そうです。

そこで永田さんに頼んで、〈構想〉をテーマに話し合うサロンをお願いしました。
永田さんは条件を付けてきました。
参加者に最初にまず、「〈構想〉とはなんだと思うかをキーワードでもイメージでもいいので簡単に話してほしい」そして「構想する力を構想力と考えた時、現代でも歴史上、構想力あると思う人物は誰かを、理由とともにあげてほしい」というのです。
つまり、永田さんは、〈構想〉とは何かを学ぶことも大切だが、まずみんなの考える〈構想〉イメージを出し合ってみようというのです。一人ひとりの身近で、主体的な問題意識をぶつけることによって、〈構想〉をテーマに集まることの意義をみんなで見つけようということかもしれません。

日本構想学会というとやはり「学会」ですので、どうしても敷居を感ずるかもしれませんが、そこに敷居のない湯島サロンがつながることで、入会の後押しができればと思います。
もしかしたら、〈構想〉とは縁がないなと思っている方もいるかもしれませんが、意外と〈構想〉は身近にあって、しかも〈構想〉の力に気づくと、人生が面白くなるかもしれません。少なくとも私はそうですので。

日本構想学会との共催ですが、参加者は広く公開ですので気楽にご参加ください。

〇日時:2025年4月6日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「〈構想〉って何だろう」
〇問題提起者:永田徹さん(日本構想学会理事)
〇会費:500円
〇企画:CWSコモンズ村+日本構想学会
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■日本構想学会が再起動します

15年ほど休んでいた「日本構想学会」が再起動し始めました。
湯島でも、その呼びかけのサロンを事務局世話人の西さんに開催してもらいました。
サロンの報告はまだ書けていませんが、日本構想学会のサイトはすでにできており、入会申し込みを受け付けています。
私は早速入会しましたが、学会とはいえ、とても自由でカジュアルな組織なのでぜひ一度見てください。生き方を変える契機が得られるかもしれません。
https://jssk.jp/

この学会は、コンヴィヴィアル(自立共生)な、しかもバタイユの提唱していたようなアセファル(無頭)な組織を目指すそうです。これは私がこの半世紀、求め続けてきたことにつながります。
どんな展開になるか楽しみです。

湯島でも日本構想学会がらみの集まりも企画していく予定です。
近々、その第1弾として「構想って何だろう」を話し合うサロンを開催する予定です。

 

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2025/03/25

■節子への挽歌6314:前のような話し合いをまたしたくなりました

節子
半田さんによる日本構想学会の再起動が動き出しました。
私も早速入会しました。
入会した以上は何かをしないと半田さんに失礼です。
そこで早速、理事になる永田さんに頼んで「構想って何だろう」というサロンを企画しました。
3人で話すだけでいいのですが、まあサロンにするのもいいでしょう。

話し合いは簡単なようですが、多くの場合、退屈でもあります。
サロンの場合、私はできるだけしゃしゃり出ないようにしているのですが、実際にはどうも出過ぎ、つまり発言しすぎな傾向が強まっています。
それを避けるために、サロンとは別な話し合いの場が必要なのかもしれません。
これからそうしたことに少し心がけようと思います。
サロンではない、じっくりした少人数での話し合いです。

話の相手にだれを選ぶかは、これもまた大切です。
じっくりした対話の会を少し企画してみようと思います。
さて最初にだれを選びましょうか。
簡単なようで難しい。
むかしなら、これはと思った人のところに出かけて行ったものですが、最近は湯島が話の場になってしまっていますから。

 

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2025/03/24

■湯島サロン「新著『シン・オーガニック』で伝えたかったこと 最新科学の知見と篤農家の叡智」報告

いま話題の『シン・オーガニック』(農文協)の著者、吉田太郎さんに、『シン・オーガニック』で伝えたかったことを改めてお話しいただくサロン(2025年3月9日開催)は15人を超える参加者で、みなさんの関心の高さを改めて実感しました。
お話をお聞きして、改めてこの本をもっと多くの人に読んでほしいと思いました。

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今回、吉田さんは主に「地球科学」の視点から、そこに最新科学の成果と篤農家の実践知を加えながら、土と農の話をしてくれました。
地球科学というと大げさに聞こえるかもしれませんが、『シン・オーガニック』の真骨頂の一つは、新しい地球科学や生物学の知見をベースに、農や食のあり方を問い直していることです。中村桂子さんが提唱している「生命誌的世界観」(生き物すべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る世界観)に通じています。
中村さんは、物理学や化学と違い、生物学と地学、つまり生きものと地球の科学は、この半世紀で激変したと言っていますが、たしかに私が若いころ学んだものとは全く違います。物理学の量子理論は私が学生のころからありましたし、その内容がそう変わったわけではありません。でも生きものと地球の科学は一変しています。
吉田さんは、そうしたことを踏まえて、新しい生きものと地球の科学をベースに、本書で農のことをわかりやすくダイジェストしてくれているのです。

吉田さんはこれまでのご自身の活動実践を紹介した後、昨年NHKのクローズアップ現代が採り上げた「有機給食で子どもも町も笑顔」という長野県松川町の話から話をはじめました。そこに昨今の「農と食」の現状が濃縮されているからです。
その話を皮切りに、「いまなぜ、シン・オーガニックか」、そして植物との対話などが語られるために、時に「オーガニックはスピリチュアリズム」と揶揄されがちな風潮にふれながら、有機農業・自然農業を「脱スピ」的に読み直すと、こうなるというように、篤農家の実践知を最新科学につなげながら解説してくれました。

ちなみに『シン・オーガニック』の本の帯には、経済学者の斎藤幸平さんが「無農薬・無肥料? 良さそうだけど無理じゃない? 持続可能性には大事だけれど、スピも怪しい、そんな疑念を持つあなたに捧げる必読の1冊」と推薦文を寄せています。
私自身は、スピリチュアリズムにこそ本質があると考えているので、「スピ系云々」という議論には違和感がありますが、吉田さんはそこをしっかりと繋いでくれています。

そうした基本を押さえたうえで、つづいて吉田さんは、地球科学からの「窒素固定」「リン肥料」「病害虫」といった視点から、「生きた土壌」をベースにした農業について、いろいろな理論や実践、事例をわかりやすく話してくれました。
脱無菌の思想と肥溜めの謎、あるいはローカルから農の再生を、という話もとても示唆に富む話でした。

その報告をすると長くなりますし正確度も欠くので、吉田さんの了解を得て、当日の動画を公開することにしました。理論的な話に加えて、「オーガニックぐんま」のような最新の動きも紹介されていますので、関心のある方は是非ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=4SCG-A4V_qY

ただし、あくまでも今回は「地球科学からの土壌」の話がメインでしたので、ぜひとも吉田さんの新著『シン・オーガニック』を読んでもらえればと思います。
なお併せて、吉田さんの著作『土が変わるとお腹も変わる―土壌微生物と有機農業』(築地書館)もお薦めします。

簡単に言えば、無肥料でできるのは、窒素固定菌と菌根菌とがコラボしているからで、窒素が過剰にならなければ、虫もやってこないから農薬もいらない。土壌はシステム全体として機能していて、土壌中に棲息するすべての生きものたちが支え合って協働しているのです。そして、そして、それでできた農作物は栄養価も高く美味しいし日持ちもいいのです。
さらに、植物を健康にする微生物は土壌からタネを介して親から子へと継承され、そうした健全な植物を食べる動物(もちろん人間も含まれます)も健康となる。東洋医学で言われてきた薬食同源や身土不二の科学的な根拠がゲノム解析技術の進歩でようやくわかってきたのです。

いずれにしろこうした「事実」をもっと多くの人が知ることで、状況は変わっていくかもしれません。価格だけではなく、コスト・パフォーマンスで考えれば、消費者の選択基準も変わるかもしれません。

私たちの生を支えてくれている食は、農によって支えられています。
私たちは、農への関心をもっと強く持ちたいと思います。
吉田さんには、ご無理を言ってまたサロンをお願いしたいと思っています。

ちなみに、吉田さんは毎日のようにフェイスブックで情報発信しています。
毎回、とても示唆に富んだ濃度の濃い、しかも生きた情報です。ぜひのぞいてみてください。
https://www.facebook.com/taro.yoshida.946

 

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■節子への挽歌6313:コンセプトショップの空気

節子
経営コンサルタントの荻阪さんが7年ぶりにやってきました。
久しぶりに慎重を出版したので、書店に並ぶ前に私に献呈したいというのです。

私は最近、企業経営にはまったくといっていいほど関心を失っています。
企業経営関係の書籍ももうほとんど処分しました。
昨今の日本の企業は私が目指していた企業とは全く違ったものになってしまいました。
もし私の意見を取り入れてくれたら、きっといい会社になったと思いますが、私の意見は誰もあまり受け入れてくれませんでした。
だからいまさら企業経営の本を読んでも、なにもアドバイスや論評はできないのですが、荻阪さんの熱い情熱の語りには勝てません。
荻阪さんはこう書いてきました。

小生、未だ未熟ながら、水一滴は成長させて頂いた姿で湯島へ伺えれば、有り難く。
佐藤さんの入れてくれるコーヒーの香り、飲む味わい、コンセプトショップの空気。
懐かしい時間です。
霊山にいらっしゃる節子さんにも、どうぞ宜しくお伝えください。

「コンセプトショップの空気」は、私と節子と一緒になってつくっていた。
それを思い出させてくれました。

お会いすることにしました。
荻阪さんは7年前と全く変わっていない。ますます元気です。
最近の活動のこともお聞きしました。
そこで何人かの訃報も知りました。最近はビジネス界の人との付き合いは途絶えているので、知らないでいたことが少なくありませんでした。

荻阪さんの持ってきた新著は『信頼されるリーダーになるための37の「やめる」』です。荻阪さんの本はいつも実践的であり、体験知に基づいています。だからわかりやすいし、実践に移しやすいのです。
荻阪さんは最近まで大学院でも教えていましたし、その関係もあって、いい実践の場にも出会えていたはずです。そんな話も少しだけお聞きしました。
彼のような情熱的なコンサルタントは、もう今では少ないのでしょう。

久しぶりに企業経営関係の本を読んでみる気になりました。
荻阪さんの話を聞いているうちに、実際の企業変革にもまた関わりたくなりました。
でもまあ変革に関わるには相当なエネルギーが必要です。
もう体力的に無理でしょう。

本に荻阪さんは「信頼されるリーダー 佐藤修様 志をこめて」と書いてくれました。
荻阪さんの義理堅さには、うれしい限りです。
気がついたら2時間を過ぎていました。
久しぶりの企業経営談義。楽しい時間になりました。

荻阪さんには一つ希望を出しました。
私が健在の間に、その報告があるといいのですが。
そうなるためにあと3年は元気でいたいと思います。

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■節子への挽歌6312:親子関係の難しさ

節子
家族は社会の基本単位とも言われますが、家族といえどもそれぞれ価値観や思いは別なので、その関係は難しいです。
昨日、書いたOYさん親子もそうですが、お互い解っているつもりで実は一番誤解しやすいのが家族かもしれません。
親子の思いのズレでの相談は、私のところにもよく来ます。
別に仕事にしているわけでもなく、相談の看板をあげているわけでもないのですが。

家族の場合の関係修復のアドバイスは簡単です。お互いに素直になって話し合えばいいだけです。しかしそれが一番難しい。実際には家族であればこそ、それができないのです。ただし、お互いから信頼された第三者が間に入ればそう難しい話でもありません。
何しろいずれも相手のことを愛しているからです。時に憎み合っているような見える場合もありますが、憎むこともまた愛することの表現の一つです。
しかし、それをビジネスにしてしまったらややこしくなる。カウンセラーがそうであるように、ビジネスにした途端に、問題解決は目標でなくなるからです。事業とは顧客の創造などというドラッカー命題に呪縛されたら、それこそ解決は遠い先に行ってしまう。

今日、遠方から相談に見えたのは、親子関係がちょっとだけずれてしまった娘さんのほうです。母親のほうは昨年、一度、相談にお見えになりました。
ですから問題の所在はほぼ見えています。

母親の時もそうですが、娘さんも話しだしたら涙が止まらない。
でもおそらくそうやって心を開いて話す場があまりないのでしょう。
いろいろとお話を聞いているうちに、表情が柔らかくなってきました。
後は急がないことです。

こういう相談を時々受けますが、相談を受けながら、一番、学ばせてもらっているのは私です。
今日もおかげさまで、少し世界が広くなりました。

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2025/03/23

■節子への挽歌6311:節子はいまも成長しているか?

節子
サロンに時々来るOYさんから、こんなメールが来ました。
OYさんのお父上(90歳)の話です。
ご本人の了解を得ていないので、匿名で一般論として紹介させてもらいます。

父が、今まで黙っていたけれど、お母さん(私の母)にいじめられていたと言うのです。結婚してから暴言を吐かれたり、大切にしていたステレオを壊されたりしたらしいのです。自分は長い間とてもつらい思いをしていた。そんな話を涙目で父が話すので、こちらは目が・・・になってしまいました。
父は、私や弟たちに母の血が入っていると思うと気になって仕方がなく、伴侶に嫌な思いをさせないよう死ぬ前に伝えたいと思ったそうです。

記憶の母はそれなりに優しく我慢強い人で、意地の悪い物言いをしていたようには思えないのです。
母が亡くなってから30年、自分の母が、私の思っていたような人物ではなかった???ともやもやした気持ちです。
父は年老いた人ですがユーモアもあり、ボケているとも思えません。
軽く流すべきなのかもしれませんが、何かミステリーのようで気になります。

佐藤さんはどう思われますか?

さてさてこれはまるで私の6年後の話なのではないか。まずそう思いました。
そしてこんな返事をしたのです。

お父上の件、6年後の私を思い出させます。
未来を過去形で話すのは私の癖なのでお許しください。

私の結論は「すべてが正しい」です。
母上は優しい方で、しかし父上はもっと大きな優しさに気づいたのかもしれません。
もしかしたら、この30年で妻との関係が逆転したのかもしれません。
過去はどんどん変質しますので。

私も妻を20年ほど前に亡くしました。
それから立ち直れたのはつい最近です。
その間、私の中での妻はどんどん成長・変化しているようです。
娘たちがそう言うのです。
しかし、私にとっての妻は、亡くなる前のままで、全く変わっていないのですが、娘に言わせると、どんどんと妻が「美化」されたり、夫婦の関係も変化しているというのです。

いま思うに、妻の一番の私への「いじめ」は私より早くなくなったことです。
これほどの「いじめ」はない。
その思いがいつの間にか、暴言やステレオ壊しに転化するかもしれません。

人の思いはまったくそれぞれです。
ですからOYさんの母親イメージは正しい。
そして父上の妻イメージも正しい。
そうとしかいえない。

父上はたぶんいまもなお奥様を深く愛している。
そもそも「暴言」や「ステレオ壊し」は、その表れではないか、そんな気がします。
私にはそう思えます。

中途半端な感想ですみません。
30年前に伴侶を亡くされた父上をどうぞ大切にしてください。
その哀しさは誰にもわからないほど深いでしょうから。

さて6年後、私がもし90歳を迎えることになるとしたら、その時の節子はどんな妻になっているでしょうか。

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■湯島サロン「バングラディシュのこと、ごぞんじですか?」報告

いろんな国の方のお話を聴くサロンの1回目(2025年3月16日開催)は、バングラディシュのモラ エムディ マスドさん家族にお願いしました。
マスドさんのことは案内でも書きましたが、35年前に日本にやってきて独力で日本語を習得。そのまま日本に住み、現在は川崎市で自動車関連の仕事をしています。今年はじめ、伴侶のルマさんと三男のスワードさん(11歳)を日本に呼ぶことができました。長年の働きかけが実ってようやく日本での在住許可がとれたのです。
今回はその3人でサロンに来てくれました。

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サロンが始まる前に、希望者を対象に、マスドさん手づくりのバングラディシュ・カレーを楽しみました。デザートに、大豆でつくった甘いお菓子付きです。

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ちょうどいまはイスラム教徒(ムスリム)の人たちにとってはラマダン(断食)期間のためマスドさんたちは、日の出から日没まで、食事はもちろん、水も飲めないのです。そのため、カレーはご一緒できませんでしたが、カレーもお菓子も好評でした。

ラマダンに関しては、以前、ムスリムをテーマにしたサロンで話題になったこともあります。期間はイスラム教社会で用いられている「ヒジュラ暦」に従って決まりますので、年々、少しずつずれています。今年のラマダンは2月28日から3月29日です。
ラマダンは、礼拝や巡礼などと並んでムスリムにとっては重要な宗教行事ですが、今回はテーマがバングラディシュなので深入りはしませんでした。

サロンは、マスドさんの活動を応援している須磨修一さん(世研話代表)によるクイズ形式で、まずはバングラディシュのことを知ることから始まりました。
バングラディシュは、1971年にパキスタンから独立した新しい国で、面積は日本の半分より小さいのですが、人口は日本より多い国です。
独立に際して日本が応援したこともあって、バングラディシュの人たちは日本が好きだそうです。国旗も日本の国旗と似ています。大地の豊かさを示す緑色を地にして、真ん中(正確には少し左寄りですが)に日本の国旗と同じく赤い円(太陽)が描かれています。

須磨さんのクイズのおかげで、バングラディシュのことがだいぶわかったところで、マスドさんの取り組んでいる活動に関して紹介がありました。
マスドさんは、父親の所有していた土地にいま学校を建設する活動に取り組んでいます。
バングラディシュでは子どもたちの教育環境はまだ整っていません。義務教育は5年間となっていますが、就学していない子供も多いそうです。
マスドさんは、日本に来て、子どもたちの学ぶ場を見て、故国バングラディシュにも子どもたちの学ぶ場をつくろうと決意し、活動を始めました。
マスドさんがつくりたい学びの場は、「子どもたちがいろんな話ができ楽しく学べて、勉強が嫌いな子どもも勉強が好きになるような場」だそうです。
いまはまだ地下と1階部分が完成しただけですが、目標は7階建ての学校です。すでに幼稚園児から小学生相当のフリースクールを展開しているそうです。

マスドさんは日本で働きながら、資金集め活動もしていますが、須磨さんは、その活動を応援しているのです。
須磨さんの思いは、まずは多くの人にバングラディシュのことを知ってほしいということで、いろんな場でバングラクイズやマスドさん手づくりのカレーパーティを開催しています。もしみなさんの中で、そんな集まりを企画したいという方がいたらぜひ須磨さんにご連絡ください。

ルマさんは、バングラディシュにいるときから日本語を学んでいましたので、少しですが、日本語も話せます。ルマさんも早く日本になじみたいと言っています。
スワードさんは日本の小学校に転入しました。日本語も急速に学んでいくでしょう。
今回、参加者の要望に応えて、最後にスワードさんはバングラディシュの歌を歌ってくれました。透き通るような声でした。
1年後にはルマさんやスワードさんにサロンをお願いできるかなと楽しみにしています。

サロンには、バングラディシュとの仕事に関わっている人も何人か参加しました。
マスドさんや須磨さんの活動を応援したいという人もいました。
なにかが始まるといいのですが。
マスドさんの活動を応援したい方がいたら、ぜひご連絡ください。
いつかマスド大学ができることを楽しみにしています。

ところでこんな感じで、私たちがあまり知らない国の人の話を聞くサロンを続けられればと思っています。
どなたか湯島に来て話してくださる異国の人に友人がいたらご紹介ください。

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2025/03/22

■節子への挽歌6310:3度目の下血

節子
たぶん最近の気が戻らないこととは関係ないことだと思いますが、また2日続いて、下血がありました。
前回、旅行中に2日連続で下血だったので、病院で腸の内視鏡検査をしましたが、結果は、昨年の陽子線津力の会いに、直腸を損傷した結果だと診断されました。
残念ながら今のところ治療策はないそうなので、様子を見ることになりましたが、また2回連続の下血です。

といっても前回よりは少なく、下着を汚しただけですが、また2日もつづいたのでちょっと気になっていましたが2日で止まりました。
加藤医師にもう少し詳しく聞けばよかったのですが、まあこの程度であれば、このまま様子を見ることにしようと思います。
しかし、いつ下血するかわからないのでいささか憂鬱ではあります。

こういう感じで、人の身体は壊れていくのでしょう。
いま一番「壊れ」が気になっているのは、目と耳です。
耳はテレビの音量設定でわかるのですが、難聴傾向が出てきています。
そうならないようにテレビの音量は変えていませんが、確かに聞きにくくなっている。
一番不便なのは目です。
白内障の手術をした方がいいと思うのですが、ともかく読書が困難になってきています。
右眼がよく見えません。
しかし、耳も目も、いまのところは何とか「想像力」で対処しています。

腰の痛さも問題です。
ほぼ毎日、ロキソニンテープのお世話になっていますが、状況はなかなかよくならない。
まあ悪化しないだけでも良しとしなければいけないのかもしれません。

こうして身体の劣化は実感できますが、おそらくこれと同じように、精神や知性の劣化も進んでいるのでしょう。
たぶん記憶力も判断力も大きく劣化しているはずです。
それが実感できるといいのですが。

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■近藤サロン⑥「神との歴史:史上最大のリアリティドラマ」報告

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」の6回目は、「神」をとりあげました(2025年3月14日開催)。そのせいか、参加者がいつもより多く、10人を超えるサロンになりました。信ずるかどうかは別にして、やはり「神」は気になる存在なのかもしれません。

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近藤さんは、「進化パラダイムから眺める神概念」について、いつものように添付のチャートを示しながら自論を概説してくれました。
要約すれば、「神と共に生きる」という無意識の認知バイアスを神概念の実相と捉え、それこそが、ホモ・サピエンスにとっての生存と繁栄に有利な仮説だったと言うのです。そしてなぜそう思うかを、解説してくれました。
ダウンロード - konndou206.pdf

暗闇の中の水を張ったバケツの中に放り込まれたネズミも、遠くに小さな明かりが見えると、それがない暗闇の中よりも生きようと頑張る、という実験結果から、ネズミもヒトも、諦めず、飽くなき挑戦を続け、生きようとする(できる)ためには、強い信念や励ましが役に立つと考えられます。
近藤さんの「進化論的世界観」からいえば、そうした自分を護り励ます後ろだてを信じる傾向の人が危険に際して生き残る可能性が高く、子孫を多く残すことになり、世代を重ねるごとに多数派を形成して、社会の大半が「後ろだて」を信じる傾向を持つ人で満ちることになるのです。
そして、「後ろだて」が具体的なイメージとして容易に想起され得るようになれば、より明確・強固な信念が保持できるため、共通の強いシンボルとして「神」が生まれたと言うのです。そういう意味では、「神」こそがまさに、ホモ・サピエンスをここまで育ててきたと言ってもいいでしょう。

「生存と繁殖の適応度を高める=進化の駆動原理」によって、動物の生存繁殖本能から発して、ヒト社会が共有する神概念までが(遺伝子gene進化から文化meme進化までシームレスに)一連の連鎖展開で創発されていく。
実在するか否かには関係なく、とにかく使い勝手のいい「役立つ虚構概念」として、神の観念(心像)が創り出されてきたというわけです。
そこからさらに一神教が広がり、それが“ネイション”(民族)につながり、国家へとなっていくという話になっていきます。

こうして動物的本能から(一神教的な)唯一神観念(文化)まで神概念は具象化(観念世界の中でリアライズ)され、「虚(構)の実在感」を強く感じさせるオブジェクトとしてヒトの意識世界にインスパイアされた心的ダイナミズムこそが「神(概念)の発展史」であり、ヒトが神と共に生きてきたヒストリーである、と近藤さんは言います。
なにやら難しい言葉がたくさん出てきますが、要するに、「神概念」を「発明」することで、人類は厳しい生存と繁殖競争に勝ち抜き、世界を広げてきたのです。

しかし、最初は「遠くの小さな明かり」だったものが、次第に膨らんで、いつしか逆に人を呪縛し支配する存在へと変質してきました。「神概念」は「悪魔概念」にもつながっているのです。
近代に至ると、人類は神の呪縛から抜け出します。自我意識が強まり、「科学」による世界把握が進み、それとともに神々は沈黙しだし、「神の死」さえが言われだす。神概念に依拠しなくとも生きていけるようになったと言ってもいいでしょう。
しかしこれもまた、どうも行き過ぎだしている気がします。振り子はいつも、大きく揺れすぎるのです。

いまではかつての「神」は、力を失いつつありますが、しかしだからといって、神概念が不要になったわけではありません。新しい神の出現もいろいろと取り沙汰されています。

そうした状況を踏まえて、近藤さんは、右脳・左脳の話へと進めます。
農耕以前の狩猟採集生活に適応した状態を保っている右脳は今も神を信じている一方で、認知革命によって、左脳は神からの自由を獲得するとともに、逆に自らの神を創出しだした、というのです。
しかし、そうして創り出した「神」は、私たちにとっての「明かり」なのか。
近藤さんが今回参照テキストとして取り上げた『奇跡の脳』で、著者のJ・B・テイラーは「左脳マインドはわたしを、いずれ死にいたる一人の脆弱な人間だと見ています。右脳マインドは、わたしの存在の真髄は、永遠だと実感しています」と書いていますが、私はここに神の本質を感じています。
残念ながらホモ・サピエンスは、神概念がなくても生きていけるほどの強さはまだ獲得できていないのかもしれません。

つまり私たちは、いまだ神によって守られている右脳(無意識)と神を離脱した自立した左脳(意識)の2つの自分に支えられている。そして、神と自分との関係が逆転し始めているともいえるかもしれません。

こうした話をいろいろとしたうえで、「神は実在する」と盲信するのはいろいろ問題を起こすこともあるが、死に直面した人が神を信じると言うのを否定するのは愚かであるように、右脳が(不死や輪廻や奇跡や)神の実在を信じるのを、無神論の左脳はやさしく見守る、というのが、神概念との程好い付き合い方ではないかと、近藤さんはまとめてくれました。

私の勝手な解釈も入ったため、近藤さんのメッセージが正しく伝わったかどうか心配ですが、添付のチャートをじっくりと読んで、近藤さんの真意を汲み取ってもらえればと思います。

ちなみの今回はもう1冊、『気流の鳴る音』が参照テキストになっていました。これに関しても少し触れてくれましたが、中途半端に紹介するにはあまりに難しい。改めてしっかりと取り上げてもらいたいと思います。

話し合いも、多彩の参加者のおかげで盛り上がりました。
毎月、虚構をテーマにサロンをしている遠山さんも参加しました。遠山さんのサロンでの話し合いと近藤さんのサロンでの話し合いがつながったのです。
いささか粗い言い方ですが、神が虚構であると同時に、虚構は神なのかもしれません。

一神教の話から、日本社会も一神教かどうかという話し合いもありました。一般には日本やアジアは多神教と言われていますが、中国の「黄帝信仰」や日本の「お天道様信仰」など、一神教ともみなせないことはありません。
シッダルタやイエスなどの教祖と教祖を基に構築された宗教集団とは別物という話もでました。神と宗教とは、必ずしもつながっていないのかもしれません。

神を信ずるかどうか、途中で参加者に訊いてみましたが、半々でした。しかし問題は、「神」をどう捉えるか、「信ずる」とはどういう意味か、です。簡単に神がいるかどうかという問いかけはあまり意味がないでしょう。みなさんの話を聞いていたら、もしかしたら、無神論と有神論はコインの裏表なのでないかという気もしてきました。

いずれにしろ、もし神概念が、使い勝手のいい「役立つ虚構概念」なのであれば、「神概念との程好い付き合い方」をもう少し考えていきたいと思います。
今回の議論をさらに深めていければと思います。
近藤さんが賛成してくれればの話です。

次回の開催日は4月25日(金曜日)ですので、ぜひご予定ください。

 

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2025/03/21

■節子への挽歌6309:お墓参りに今年はいきませんでした

節子

今日はお彼岸。いつもならお墓参りに行き、仏壇の花もきれいにするのですが、今年はどうもその気が起きません。
この数日、というかもう少し前から、どうも気が戻ってこないのです。
生活のリズムが取り戻せないばかりか、何かをやる気が起きてこない。

特に体調がおかしいわけではないのですが、ともかく気が戻ってこない。
困ったものです。

やらなければいけないことがまたどんどん山積みされていますが、部屋に書類や衣服が山積みされているように、それを解消していく気分にならないのです。
もう少しあたたかくなれば、動きだせるでしょうか。

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2025/03/19

■節子への挽歌6308:我孫子も今日は雪でした

節子

我孫子も今日は雪でした。
それも午前中はかなりの雪で、積もるかと思ったのですが、お昼近くには雪はやんだうえに陽射しが強く、雪は残りませんでした。
しかし雪景色をちょっとだけ味わえました。

雪を見ているといろんなことが思い出されます。
そのせいか、今日は1日中、なにもできずにちょっと思いにふけってしまっていました。

 

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2025/03/18

■マイホカードの拾得電話に気をつけましょう

昨日、私は「マイホカード」を落としたそうで、我孫子の警察者の落し物が借りの安田さんから電話がかかってきました。私は留守だったので留守電に入っていました。

「マイホカード」というのを私は知りませんが、パソコンをやっているうちにどこでどう間違ってクリックしてしまったのか、時々、なんで送られてきたなのかなあと思うようなカードが届きます。
しかしそうしたカードを持ちあるくことはないので落とすはずはありません。
でもまあ最近の警察は親切で、落としていないものも拾ってくれるのかなあという気にもなります。そう思わせるほど、電話の主は、とても「いい人」らしさのある声でした。

みなさんのところには、安田さんから電話はないでしょうか。
もちろんこれは「詐欺電話」です。
最近こうした電話が多いです。
そのためわが家の固定電話は常に留守電になっています。
そろそろもう固定電話はなくしたいのですが、Wi-Fiを使いたいので、なくせません。

みなさんも「マイホカード」拾得の知らせにはお気を付けください。

 

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■節子への挽歌6307:2回の転倒

節子
最近、2回も転倒してしまいました。
幸いにいずれも大ごとになりませんでしたが、一歩間違えれば大変なことになりかねません。
注意しなければいけません。

1回目の転倒は京都旅行中、朝の清水寺の大舞台での転倒です。
ちょっとした段差でつまずいてしまい大きく転倒。観光客が多かったこともあり、いささか恥ずかしい思いをしましたが、大事にならずによかったです。

2回目は先日国分寺に鈴木忠志さんの講演を聴きに行った帰路です。
同行した半田さんと一緒でしたが、話に夢中になってしまい、交差点前の出っ張りに躓いてしまい、転倒。幸いに道路はじにあった鉄の支えに手を置けて膝をついただけで持ちこたえましたが、もう少しずれて逆にその鉄の支えに頭をぶつけたら大ごとでした。

いずれも同行者がいたので、何とかとりつくろえましたが、まあみっともない醜態でした。
気をつけなければいけません。
たかが転倒なのではなく、一歩間違えば大けがにもなりかねません。

それにしても最近は、いわゆる「体幹」がしっかりしていないのが自分でもよくわかります。
一時期、筋トレ体操をしていたのですが、最近は全くやめてしまっています。
そのせいか、普通に歩いていてもどうも安定しない。身体が揺らぐことがある。

また筋トレ運動をはじめないといけません。

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2025/03/17

■節子への挽歌6306:坂口さんからおでんをごちそうになりました

節子
ボストン在住の坂口さんが1年ぶりの日本を周遊し東京に戻ってきました。
帰国前に湯島でサロンをお願いしたのですが、それに関しては時評編でまた別途報告します。

サロン終了後、坂口さんのお誘いで、万葉集サロンの主催者升田さんと坂口さんのサロンの常連の近藤さんと4人で、お茶の水のおでん屋さん「こなから」に行きました。
坂口さんが以前から気に行っているお店で、帰国すると必ず行っているようです。
今回は坂口さんの招待でした。

話はいろいろでしたが、サロンでの坂口さんの、「結局、アメリカではアメリカ人の友人ができなかった」という発言が気になって、ついついその話を蒸し返してしまいました。
人は一度会ったらみんな友だちという私との発想とはあまりに違ったからです。

私は夜は苦手なので、8時過ぎるともう眠くなるのですが、話は尽きず、9時近くなってしまいました。
こんなに遅くなるのは久しぶりです。

「こなから」のおでんはおいしかったですが、いまの私には贅沢過ぎるほどの値段でした。どうも最近、いろんな意味で社会から脱落してきていますが、むかしはこういう食事が普通だったと思うと、とても恥ずかしい気がします。
それにしても最近の外食やスイーツの値段はいかにも高すぎる。
私の金銭感覚もまた社会から大きく脱落してしまっているようです。

節子がもし健在だったら、坂口さんをわが家に招待できたはずです。
それが出来なかったのがちょっと残念です。

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■節子への挽歌6305:大家族や近隣の相互扶助の仕組みの大切さ

節子
毎朝の祈りが長くなってきています。
私は節子がいなくなっても娘たちが身近にいますので、いいのですが、そうでない場合は大変です。

Kさんご夫妻はKさんがいま車いす生活になっていますが、奥様が救急車で病院にいき、いま集中治療室にいるそうですが、車いすのKさんは簡単には病院にも行けません。息子さんは遠いところにいるのですが、ちょうど子どもの入学準備などでそう簡単には規制できません。息子さんは最近伴侶を見送ったので、大変なのです。
Oさんも今ちょっと大変そうです。でも頼みの綱の娘さんが出産間近かで応援を頼めません。息子さんも娘さんも、親のことが気になりながらも、次世代のこともきちんと対応しなければいけません。
改めて大家族や近隣の相互扶助の仕組みの意味を考えさせられます。

Oさんはいつも前向きですが、Kさんは最近ちょっと気弱です。
昨日も、一人でいると「自殺したくなる」という弱音を口にしました。
Kさんはかつて私が取り組んでいた「自殺のない社会づくりネットワーク」にも参加してくれていて、自分の住んでいるところで、そうした活動にも取り組んでく北方です。その方が、「自殺」を口にする。
情況儚い切迫しているのでしょう。
近くならすぐにもお見舞いに行きたいのですが、Kさんは遠くに住んでいます。
また佐藤さんの声を聞きたくなったら電話してもいいですか、という問いに、いつでもと応えることくらいしかできないのです。

こういう話が増えてきていますが、やはり元気なうちに人のつながりをしっかりとつくっておくことが大切です。
湯島のサロンが、そう言う人のつながりづくりの場になっていくといいのですが、今もままでは難しい。
なにかもう一工夫が必要です。

それを考えていこうと思います。

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■湯島サロン「自賠責保険積立金未回収債権を取り戻す国民運動をはじめます」のご案内

昨年サロンで呼びかけさせてもらった「みんなの請願支援センター」設立を目指す請願権を実現する会は、代表のはまなかさんを中心に実際の問題に関わりながら活動をしてきています。
そのはまなかさんが、「おかしいことはおかしいと言える国民運動」を始めます。そしてその第1弾として、「自賠責保険積立金流用問題」に取り組むことになり、5800人参加を目指すデモを企画しています。

そこで、その問題をシェアし、デモに向けてのアイデアなどを話し合うサロンを開催することになりました。
はまなかさんは、まずはあまりにもひどい実態を、できるだけ多くの人に知ってほしいと言っています。ぜひ多くの人にご参加いただければと思います。

はまなかさんの思いを、日程などの後ろに詳しく載せていますので、お読みいただければと思います。

〇日時:2025年3月28日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「自賠責保険積立金未回収債権を取り戻す国民運動をはじめます」
〇話題提起者:はまなかさとみさん(請願権を実現する会代表)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

〔「おかしいことはおかしいと言える国民運動」をはじめます〕

私は、昨年、第21回静岡県知事選立候補時に政党政治資金団体以外の政治団体「請願権を実現する会」を立ち上げました。代表者はまなかさとみ、こと榎土都己で活動を始めました。制度設計の不備の改正には請願権の拡充が必要です。目的は、納税者の権利利益の救済です。

その一環として「おかしいことはおかしいと言える国民運動」シリーズ、そしてその第1弾公金流出問題の具体例として(財務省解体運動デモでも多く言及される)自賠責保険積立金流用問題を詳細に分析して提示し、流出公金の回収を目指したいと考えました。

未回収債権を取戻す国民運動。その第1弾は、自賠責保険積立金繰戻問題です。
公金が投入されている強制保険である自賠責保険積立金が違法な財務行為を行う大臣間で権限もないのに、交通事故被害者らのための基金を目的外に流用。
一般会計に回して現在も隠れ借金は残債5800億円も返されていません。平成30年には全額返済を約束した覚書を先送りして、遅延延滞金も一般会計から出されていることにも触れてもいません。隠蔽されています。

今回のサロンでのテーマは、なぜ国民(納税者)が財務省の隠れ借金の延滞金を支払わなくてはいけないのか? です。
国土交通省、財務省、金融庁、厚労省の黒い関係。これは無関心ではいられません。

私の著書、世にも恐ろしい損保犯罪の話第6章で、「自賠責保険積立金繰戻問題」「保険会社と日弁連の覚書」「交通事故に係る第三者行為による傷病等の提出に関する覚書」【3つの覚書の効力(法的拘束力)はどうなっているのか】を検証しています。
この3つの覚書は政府の組織ぐるみの詐取、官僚らと企業の天下り先による癒着の構造を証明する材料となります。

「財務行為の適法性の確保」として納税者の権利利益の救済のための勉強会を定期に開催していきます。
今回のサロンでは上記問題を不正行為告発書として上梓した著書「世にも恐ろしい損保犯罪の話」を参考資料として具体事例を指摘しつつ司法行政立法を観点に検討したいと思います。

〔抗議デモ実施に向けて〕
抗議デモに参加しよう! めざせ!5800人集会。
次に、デモ活動では、「未回収債権を取戻す国民運動」として【めざせ!5800人集会】を財務省前で一括債権回収を訴えます。
なぜ、5800人かと言えば、1人1億円を一括返金を訴え、5800億円回収運動を繰り返すことで財務省にごまかされている巨額な債務を可視化する。国民はもっと怒りを訴えるべきです!

憲法21条に定められた表現の自由に基づく知る権利。
なぜデモ行進が行われるのでしょうか?
それは憲法21条に定められた「表現の自由に基づく行為」であり、民主主義の根幹に関わることだからです。殆どの人は情報を取る方法はテレビのニュースや新聞、雑誌、インターネットなどマスメディアからでしょう。

例えば選挙の時、多くのマスメディアの情報をもとに誰に投票するかを決めることになります。もし、都合の悪い情報が隠されていたとしたら、正しい判断はできません。
そこで「知る権利の一環として、誰もが国の行政機関などに対して情報公開を求めることができるのですが、これも「表現の自由」と結びついています。

マスコミに対して紙面や番組などに自分の意見を採用してもらえば、多くの人々に自分の考えを伝えることができるでしょう。
ただマスコミにも編集の自由があるので、簡単に取り上げてくれるわけではありません、そこで、マスメディアで取り上げてもらえない人々に残された主張の場が、街頭でのビラ配りや演説、デモ行進です。
憲法で保障されているということは、その主張に賛成か反対かは別として、自由で民主的な国家に暮らしていることの証です。
おかしいことはおかしいと言える国民運動では、「表現の自由に基づく行為」として、財務省解体を宣言します。
我々「未回収債権を取戻す国民運動」は、国土交通省保障制度参事官室に対し、早々に全額返還請求の実行を要求します!

抗議デモに参加しよう! めざせ!5800人集会
主催:請願権を実現する会

 

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2025/03/16

■節子への挽歌6304:バングラデシュのマスドさん

節子
湯島のサロンにバングラデシュ生まれのマスド家族がやってきました。
バングラデシュのことを多くの人に知ってもらおうというサロンの前に、マスドさん手づくりのカレーを食べるランチミーティングを開催したのです。
マスドさん自身はもう日本には長いのですが、今年になってようやく家族の一部を呼べたのです。

カレーランチミーティングには7人が参加しました。
マスド家族はラマダン、つまり断食の期間なので水も含めて一切口にできません。
今回ようやくマスドさんの伴侶と三男が来日できたのですが、10歳の三男も今日は断食のため全く何も口にできないのです。
その前で、みんなでカレーを食べるのも私の趣味ではないのですが、そもそもこのランチミーティングを企画したのは私ではないのです。しかもその企画者はなぜか参加しませんでした。
困ったものですが、その人がだんだん「社会化」してきていたので応援していたのですが、もう応援するのをやめたくなりました。
まあサロンをやっているとこういう不快なことは少なくないのです。

サロンの報告はまた別途時評編で行いますが、ここでは少しバングラの思い出を書いておこうと思います。
バングラデシュがパキスタンから独立したのは1971年です。
1970年代は、歴史が大きく動いた10年でしたが、私もバングラ独立をささやかに応援していました。バングラデシュを支援するNGOシャプラニールにも参加していました。
当時私は、収入の1%を社会活動に寄付する1%クラブに登録していました。
バングラデシュのほかにも、たとえばアメリカで拡がっていたブラックパンサーにもささやかな寄付をしていた記憶があります。
そんな関係で、マスコミとは違ったいろんなニュースレタ-が届いていました。
どちらかといえば、社会のメインストリームからは外れたものが多かったと思いますが。
たぶんそうしたことが私の世界を少し広げてくれていたのでしょう。

そうした資料も数年前にすべて廃棄してしまいました。
今から思うと残しておけばよかったとつくづく思います。

シャプラニールがらみだったと思いますが、そこで田中雅子さん、そして定松さんと知り合いました。あの路線をもう少し深めておけば、私の世界ももう少し海外に広がっていたでしょう。
でもやはり私の関心はどうしても国内、というか、身近な世界で、結局、海外への関心は広がらないままにいまに至っています。

今年は少し意識して世界に目を向けていきたいと思っています。もう海外に実際に旅行することはないでしょうが。

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■節子への挽歌6303:清水建宇さんが新聞に大きく出ていました

節子
時々、交流が途絶えた人のその後の消息を思わぬところで目にしたり耳にしたりすることがあります。
昨日の朝日新聞の夕刊(実は夕刊はほとんど読みませんが、昨日はたまたまじっくりと目を通しました)に、清水建宇さんのことが大きく取り上げられていました。
なんとスペインのバルセロナで豆腐屋を開いているそうです。
お元気なそうな、というよりも、それらしい元気そうな清水さんの写真が載っていました。しかし記事を読んだら、だいぶ前の写真でした。

それよりも驚いたのは、奥様を亡くされたことでした。
それもあっていまはまた日本に戻ってきているそうです。
何か急に会いたくなりました。

清水さんとはさほど交流があったわけではありません。
経済広報センターの協力を得てシニアネットワークをつくろうとしたときのコアメンバーとして経済広報センターから紹介されて、一緒にネットワークの立ち上げにかかわったのです。
その時は、確か朝日新聞社が出版していた雑誌「論座」の編集長でした。
記事によれば、その時すでにバルセロナ移住を考えていたようです。

シニアネットワークは好調な滑り出しで、私も東京亜大阪での活動に関わりましたが、経済広報センターというか、経団連の方針が変わってしまい、突然の活動中止になっていまいました。
組織と一緒に活動するとこういうことが起こるので、以来、私は活動は既存組織に依存するのを一切やめています。というか、ますます世間から脱落してきているというべきかもしれません。

清水さんとはその関係で何回かお会いしていますが、私が知っている新聞記者とはちょっと違っていました。その違和感が謎がようやく解けた感じです。

交流が途絶えていた人のその後の話に出合うとなぜかうれしくなります。
私自身の過去を思い出せるからかもしれません。
過去を話題にするのが嫌いだった私も、加齢とともに変わってきました。
未来がもうなくなってきているからでしょうか。

そういえば、今朝、未来を失いつつある友人から電話が来ました。
自殺しそうだという深刻な電話です。
さてさてどうするか。
困ったものです。

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■米不足問題への取り組み方はまったくピント外れのような気がします

米価の上昇が問題になっていたと思ったら、今度は米不足が顕在化してきています。
備蓄米の放出が話題になっていますが、たぶんこれは何の解決にもならないでしょう。
ただただある人たちに不当利益をもたらす結果で終わりかねません。
コロナワクチンの時に、顕在化してきたことと同じ構造がここにあります。
私は事情通ではないので、単なる論理演算での話なのですが。

問題は消費者にとっての価格問題ではなく、生産者にとっての価格問題です。
先日サロンの報告も書きましたが、薬価と米価はまさに同じ構造にあります。
制度で不当利益(金銭的および権力的)をあげている人にとっては、問題が解決していしまったら困るのです。そして不当利益を生じさせるのが制度の本質なのです。いいかえればそうした不当利益や不当権力を生じさせないように制度設計するのが大切ですが、最近はむしろそうした不当を創出する方向へと制度設計思想が変わってきているような気がします。
米価が高騰しているその利益がどこに行っているかをきちんと調べたら、誰が捜査しているかがわかりますが、誰もそれをしようとはしません。その気になれば、難しい分析ではないと思うのですが。
最近の会計検査院の行動を見ていると、若干の期待は持てないわけではありませんが。

備蓄米の放出の利益は、生産者にも消費者にも回ってこないでしょう。
そこに管理価格の問題があるはずです。

問題を解決するためには、生産者が米作りをするモティベーションをあげればいいだけの話です。消費者価格の値上げ分すべてが生産者に届けば、2~3年で米価は適正な価格に落ち着くでしょう。それがもし今の価格より高いとしても、その構造が可視化されれば消費者は納得するでしょう。
しかし日本の米の価格はいずれにしろ安すぎます。
それに気づかない私たちの生き方に問題があるのかもしれません。

ともかく価格設定のルールがおかしくなっているのです。
需給で価格が決まっていくというルールは考え直さないといけません。ばかげているでしょう。価格は価値でこそ決めるべきです。少なくとも、もっとシンプルなフルコスト原則に戻らないと、社会はますますおかしくなるでしょう。
経済学者の責任は大きいです。

3月30日の令和の百姓一揆に、久しぶりに参加しようと思っています。
生産者の視点に目を向けなければ、米問題は解決しません。
みなさんも参加されませんか。
安保法制デモ以来の参加です。

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■湯島サロン「対話の素人が集まってテキトーな対話しちゃおう」のご案内

湯島のサロンでは毎回、「対話」を重視していますが、果たして「対話」できているかどうかいささか心もとない気もします。そう感じている人もいるでしょう。
私も30年ほど前にある雑誌に「対話の時代」という連載をしていたことがありますが、対話はただ話せばいいということでもありません。
そこで「対話」をテーマにしたサロンを検討していたのですが、タイミングよく、森内真也さんから「対話の素人が集まって本題逸れ逸れのテキトーな対話しちゃおうの会」をやりたいという申し出がありました。
森内さんに任せたら、「対話」を楽しみながら体得できるサロンになると思い、お願いすることにしました。

でも「テキトー」にと言っても難しいので、次のようなテーマを選びながら、テーマ逸れ逸れのテキトーな対話を森内さんのファシリテーションでやってみようというサロンです。

・対話とはなにか/対話の反対は?
・対話の必要性
・対話と幸福
・情報の非対称性と対話
・対話を妨げるもの
・対話のない社会とSNSの衝突
・対話のない社会の未来
・対話の促進法、対話のできる"場"の設定
・日本における対話と、偏差値教育
・対話と“マウント”、対話と上下関係
・真偽不明なことの扱いと、対話
・関西の対話文化と東京の対話文化の違い
などなど、参加者の関心も踏まえながら、対話を楽しめればと思います。当日は沢山のトピックを用意して、その中から参加者が特に選んだものから対話を楽しみたいと森内さんは述べておられます。楽しい対話の時間はあっという間に終わってしまうでしょう。

森内さんは、自分がなぜ、湯島のサロンには参加したくなるか? も話し合いたいと言っています。対話を超えて、サロンとは何かも話し合えるかもしれません。

「対話の素人」と森内さんは呼びかけていますが、対話の苦手の人も歓迎です。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2025年3月29日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「対話の素人が集まってテキトーな対話しちゃおう」
〇問題提起者:森内真也さん(未来新聞(株)代表取締役/パフォーマンストレーナー/弁理士)
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/03/15

■節子への挽歌6302:変わった正常な人

節子

半田さんと別れた後、半田さんからメールが届きました。

佐藤さんは、やっぱりおかしな方でした。

困ったものです。半田さんは人を見る目がない。      

と思って、すぐに「私ほど正常な人はいないと自負しているのですが」と返信したら、「はい、そうでもあります」と返ってきました。
前言撤回です。半田さんはよくわかっている。

つまり、私が「変わっていて」しかも「正常」ということは、世の中すべての人が正常でないということです。
たぶん鈴木さんも「変わった正常な人」なのでしょう。
いや、演劇人は、みんな正常でおかしいのでしょう。

私ももしかしたら、ちょっとは演劇人基質があるのかもしれません。
でも演劇ワークショップは生理的にダメでしょうが。

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■節子への挽歌6301:久しぶりに講演を聴きに行きました

節子
今日は船橋で芸術活動を切り口にしたまちづくり活動に取り組んでいるNPOまちアート・夢虫代表の半田晶子さんがなぜか、鈴木忠志さんの講演会があるのでと誘ってくださいました。
タイトルは「演劇と社会事業の接点をめぐって」です。

鈴木さんといえば、世界でも有名な日本を代表する演出家です。富山県利賀村に合掌造りの劇場をつくり活動しているということくらいは、演劇にはほとんど関心のない私でも知っています。
でもなぜ半田さんが私を誘ってくれたのか最初は理解できませんでした。
それでなんで誘ってくれたのですか、と失礼な質問をさせてもらいました。
そうしたら、「湯島サロンも利賀の芸術村も同じようなにおいがします。社会を考え、人間を考え、変革しようとしている場であり、佐藤さんも鈴木さんもそういうところでは似ている」と返信がありました。setuko
私は、会社の変革プロジェクトで見事に失敗して以来(それが会社を辞める契機でした)、「変革しよう」という発想を捨てましたので、似ているはずはないのですが。
それに私は講演を聞いたりすることが苦手ですし、特に有名な人の話にはほとんど興味がないのです。国分寺まで出かけるのも面倒なので迷ったのですが、半田さんがなぜ似ていると感じたのかをもう少し知りたくなってお付き合いさせてもらうことにしました。
会場は国分寺の東京経済大学。ここでは日本広報学会を立ち上げた時に、最初の大会で基調講演させてもらった記憶があります。懐かしい場所です。

鈴木さんのめったに聴けない講演ということで、全国から演劇関係者らしき人が集まっていました。半田さんはさすがに友人が多く、いろんな人とあいさつをしたり話したりしていましたが、私は誰一人知り合いには出合えませんでした。
やはり私には縁のない世界なのでしょう。

ところが、またおかしなことが起こりました。
自由席なので、半田さんが選んだ隣の席に座ったのですが、私の隣は空席でした。
少ししてそこに座った人がいます。と、その人が偶然にも半田さんの知人だったのです。
そのおかげで、私も名刺をもらいました。名刺を見ると、静岡県舞台芸術センターの芸術総監督と書いています。お名前は宮城さん。どこかで聞いた名前です。
名前もそうですが、静岡県舞台芸術センターにも聞き覚えがあります。
そういえば、確かここの特別イベントの立派な写真集を写真家の橋本さんから送ってもらったことがありました。それでその話をしたら、宮城さんは橋本さんをご存じでした。
こんなこともあるのです。

早速、橋本さんに連絡しようと思いますが、あの写真集、一昨年の書庫整理で廃棄していなければいいのですが、何しろ書庫をなくしたために、書籍の半分以上を処分してしまいましたので、最近、読み直したくなった書籍がなくなっているのにがっかりすることが多いのです。あの頃は、そろそろ人生を辞めようと思っていましたから、あまり考えずに処分してしまっていました。

実は15年ほど前に、会社関係の仕事を辞めようと思い、企業経営関係の書籍を一括処分した後、ある会社に関わることになり、後悔したことがあるのですが、同じ後悔を最近またしています。
困ったものです。

ところで今日、鈴木さんの講演を聴いて、半田さんが私を誘った意味がなんとなくわかりました。
鈴木さんと私は、取り組む活動や姿勢は真反対かもしれませんが、文化こそが政治だと思っている点でつながっているような気がしました。

久しぶりに講演を聴いて、いろいろな示唆をもらいました。
途中の半田さんとの話も、いろいろと昔を思い出させられて、ちょっと昔の気分を味わえました。
でも疲れました。
サンダルではなく靴だったせいかもしれません。

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■商品券10万円問題には驚きました

商品券10万円問題には驚きました.
とても残念なのですが、石破さんは完全に終わってしまいました。
もちろん私のなかでの話ですが。

政策の是非は本質的な失格にはつながりませんが(考え方が様々あるのが政治ですから)、商品券10万円問題は、彼の世界観を露呈してしまいました。
私の世界観には存在の余地がない。
原発再稼働や核武装論より、私には受け入れがたい話です。
期待していただけに残念です。

やはり人の本性は、山の上に立つと出てしまうものです。
前原さんも同じでした。

これで政権はさらにまた劣化の方向に向かいかねません。

 

 

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2025/03/14

■節子への挽歌6300:また小宮山さんから教えられました

節子
今日はいささか不快なことが起こりました。

小宮山さんから先週、会いたいと電話があり、今日お会いすることにしていました。
ところがその後、別の人からメールが来て、その日に小宮山さんと仕事の打ち合わせをすることになったというのです。
そもそもその仕事は私がきっかけになったこともあり、仕方がないかと思い、その日には私は脇役参加するつもりでした。

まあ私は主役ではないので、少し遅れてもいいかと思い、約束時間の10分前に着くようにしました。
湯島に着いたら小宮山さんたちは来ていましたが、肝心の連絡のあった人は見えません。
遅れてますねと話し合いながら雑談していたのですが、なかなか見えません。
そこで電話してもらったら、なんと彼は忘れていたようです。
横浜なのでこれから来てもお昼ごろになる。
そこで私の苦手のZOOMミーティングになりました。
まあ私はわき役で聴いていればいいなと思ったのです。

ところがなかなか話し合いが始まらない。
仕事のきっかけをつくった私が何か言わないといけないのかなと思い、ついついまた話してしまいました。
とまあ、それだけの話なのですが、なんだか実に割り切れないものが残りました。

その後、小宮山さんと2人で昼食をしました。
こんなことがあっても、小宮山さんは全く動じない。怒らないのです。
見習わなければいけません。
小宮山さんと話していて、私の不快感も消えてしまいました。

まあ人は忘れるものですから。
でもなんだか私はみんなに振り回されているのではないかという気がしてしまいました。良かれと思って仕事を紹介したのですが、もしかしたら彼にとっては迷惑だったのかもしれません。
でもこんなことは前にもあったなあ、という気がしてきました。
安直に仕事を人に紹介してはいけないのかもしれません。

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2025/03/13

■節子への挽歌6299:私のおかげで節子は「素敵な方」になりました

節子

今日はちょっと自慢っぽいことを書きます。
私のおかげで節子は「素敵な方」になりました。

毎回、湯島のサロンの報告をブログやFBに投稿していますが、それを読んだある人からこんなメールが来ました。
節子を知らない人です。

佐藤さんの探求心と即総括して、文章化してしまえる能力は、このところ、連続して驚きです。そこに皆さんが魅かれてしまうのでしょう。
奥様は素敵な方だったのでしょう。佐藤さんの表現からそう思えてきて、佳人薄命、じゃない、薄命ではない佳人になってくださいね。

もう一つこんなコメントもFBに寄せられました。
この人は節子は一度だけ会っているかもしれません。
私の小学校の同級生です。

いつもながら感心するのは,主催者の貴方が,メモも取らず,記憶だけでこれだけのことを書くこと

実はメモを取らないからこそ自由に書けるのですが、みんなそれがわかっていない。

今日はちょっと自慢話でした。

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■湯島サロン「熊本で働いて感じたこと」報告

20代の川端修平さんの3か月の熊本体験の話は、10人もの参加者がありました。川端さんと面識のない人も数名参加してくれました。いまどきの都会育ちの若者が、初めての地方で3か月間、どう暮らしてきたか、そしてそこでどう感じたか、はだれにも興味のあることのようです。

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川端さんはまず、自分がどういう経緯で、3か月間熊本で働くことになったのか、そして場所はどこか、から話しだしました。
川端さんは昨年3月に大学を卒業し、某研究所に入所。しかしその後、いろいろと個人的な事件(たとえば18年一緒に暮らしていた愛犬との死別など)が重なって、研究所も退社。ともかく居ても立っても居られないような状況に陥ったため、夏の終わりに10日間ほど、熊本と鹿児島に出かけたそうです。九州を選んだのはそれまで気になっていた熊本の坂口恭平美術館や鹿児島の障害者支援センターしょうぶ学園などに行きたかったからだそうです。

その10日間は、ともかく「めちゃくちゃ面白かった」、いや、面白いだけではなく、いろんな人や事にも出合えたようです。
そしてそれが縁になって、これまたある偶然から、一般社団法人solのフリースペース“フレデリック”のスタッフが3か月休職するので、その間、働かないかということになったのだそうです。地方にはこんな組織があるというのを多くの人に知ってほしくてその組織のサイトを書いておきます。
https://www.sol-momo.com/

場所はまさに阿蘇のカルデラの中にある高森町。熊本市街まで車で1時間ほどの自然の中に立地しています。
関係者の紹介で、民家1軒を賃借し、そこで都会育ちの川端さんが3か月、一人暮らしをしていたわけです。と言っても、集落の人たちはみんな親切で、食材も届けば、いろんな誘いも多く、さびしくはなかったようです。
しかも、仕事のない土日は、仕事で使っていた車を借りて、九州各地を回っていたようで、かなり密度の高い3か月だったようです。

いろんな体験が山のようにあったのでしょう。川端さんの話は途切れることなく、2時間、次々といろんなエピソードがつづきました。
出会いも多かったようです。地元の人やミャンマーから働きに来ている人との交流もありましたが、湯島サロンの仲間の友人との偶然の出会いもあったそうです。15年ほど連絡が途絶えていた私の友人との出会いもあり、そのおかげで私はその友人との交流が復活しました。まあ人のつながりは実に面白い。

ともかくあまりに多くの出会い・出合いがあったおかげで、頭が整理できなくなったようで、それが今回、湯島でサロンをする理由になったのだと思いますが、2時間も話したのに、まだ話したりなかったようです。おそらくいろんなことが山のように身心に溜まっていたのでしょう。

案内文でも紹介しましたが、ともかく「おもしろい出会い」に、たくさん巻き込まれて、生きることがおもしろくって仕方なかった。戻ってきて、友人たちと話してみると、そこで話されていることが「どうでもいいこと」のように思えてしまったそうです。
ただ人や事に出合っていただけではなく、自然も彼に大きな影響を与えていたようです。熊本での生活は土と木に支えられていて、身体的にものびのびしていたのに、戻ったら「都会はつるつるした感じ」がするそうです。
川端さんが繰り返し言っていたのは、ともかく舗装されない土の上を歩くことの良さです。身体にこだわりながら整体に取り組んでいる川端さんにとって、凸凹の地面が心身に適度のリズムを与えてくれたのでしょう。私も最近同じような体験をしたところなのでとてもよくわかります。
見える世界も全く違ったはずです。
都会で生きるのとはまた違った「生きる」がそこにある。

川端さんは久しぶりに夜の怖さを実感したと言います。
私は、星のすばらしさを感じたという話が出るかなと思っていましたが、出てきたのは「夜の怖さ」。障害児療育の仕事にもかかわったようですが、その感想も意外なものでした。面白いことだけではなかったのです。
言い換えれば、お客様としてただ平安に過ごした3か月ではなかったようです。川端さんが全身で誠実に現場に触れていた、つまり「生きていた」ことが伝わってきます。
案内文でも川端さんは書いていましたが、「日々おもしろさだけで成立しているのかと言うと、そうではなくて、むしろ瞬間瞬間つっかえながら、しょっちゅうささくれ立っていた」のです。
過去の出来事からも解放されてはいなかったのでしょう。過去はそう簡単に忘却の彼方には去ってくれません。むしろ過去の痛みがあればこそ、前に進めることもある。
それが「生きる」ということですから。

川端さんの大学の卒論のテーマは「生きること 働くこと」です。副題に「自分だけでは生きられない自分の生の「働き」から「労働」を問い直す」とありました。
川端さんはたぶん熊本の3か月で、このテーマを改めて問い直していただろうと思います。これは私の勝手な想像ですが、「生きること」と「働くこと」の意味も関係も変わったのではないかと思います。「生きる」ことこそが「働く」ことなのだという思いを持ったかもしれません。お金がなくても十分に生きていけることを実感したかもしれない。問い直すべきは「労働」ではないと思ったかもしれません。
都会で生きることと、自然と人間関係の豊かな地域社会で生きるのとでは、「生きる」意味も全く違うと思ったかもしれません。

いまの心境やこれからどうするのか、そんなことを訊かれてだったと思いますが、川端さんから「エッジに乗っている」という言葉が出ました。「エッジに乗る」ことで見えないことが見え、気づかないことに気づき、また自然と動き出していく。自分の意志だけではなく、もっと大きな意思に動かされているような気分なのかもしれません。
ともかく今回の熊本での経験が、次の展開を照らす切り口になる、と川端さんは感じているようです。

川端さんの様々なエピソードからはいろいろな示唆をもらいましたが、私だけではなかったようです。熊本がらみで気楽に参加した人が、川端さんの話を聞いてよかったと喜んでくれました。実践知の多いその人がそう言ってくれたのがうれしかったです。
サロンをやっていると気づきますが、若者からは学ぶことが多いのです。いや、気づかされることが多いというべきでしょうか。

川端さんもいろいろ話すことで気づいたことがあるでしょう。
人は話すことで考えますから。
とてもいいサロンだったと思います。
先週の伊佐さんにつづき、若者に話してもらうサロンは今年2回目ですが、これからも時々やりたいと思います。

話したい20歳前後の若者のみなさん、いかがでしょうか。
いつでも歓迎します。

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2025/03/12

■節子への挽歌6298:3日ぶりのリンゴ・ニンジンジュース

節子
大腸のカメラ検査のため、2日間、リンゴ・ニンジンジュースを飲めませんでした。
3日ぶりのジュースです。

4日ほど前に、平山さんの「食と農」関係のクラウドファンディングにささやかな応援をした返礼として、ニンジンがどっさり届いていましたので、それを使っての久しぶり、と言っても3日ぶりのジュースです。
ニンジンは、千葉県の染谷農園の自然栽培の“笑顔ニンジン”。自然農法ですから、皮ごと食べられます。
残念ながら稟議はなかったので、規制のリンゴジュースをベースにニンジンとレモンを投入した、ジュースをつくりました。
やはり手づくりリンゴ・ニンジンジュースはおいしい。いつもの倍を飲んでしまいました。

それで元気が出て、サロンの報告も一つ仕上げ、頼まれていたサロンの案内文を起案したり、宿題を消化しました。
溜まっていた録画ドラマもかなり見ましたが。
しかし、まだまだ積み残しの宿題がある。
明日もまた1日、在宅して積み残しをすべて消化しようと思います。

体調はかなりいいです。

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■湯島サロン「世界は「関係」でできている、のか?」報告

ブックサロンからスピンオフした遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの7回目は、カルロ・ロヴェッリの『世界は「関係」でできている』を取り上げ、自然科学の視点から「虚構」問題を話し合いました。多彩な参加者があって、話し合いもにぎやかでした。
最後は、諸法無我の仏教の思想にたどり着きました。
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カルロ・ロヴェッリはイタリアの物理学者ですが、『世界は「関係」でできている』という書名の通り、「存在」ではなく「関係」から世界はできていると言います。
そもそも「存在とは何か」の問いがミスリードだと考えている遠山さんは、この問いを解体するのがこの本の目的だと考えているようです。現象の向こう側に本体・真実があるという大前提で見る、という近代西洋のパラダイムに対してロヴェッリは異論を立てているのです。その背景にあるのはロヴェッリが提唱したループ量子重力理論です。
量子重力理論の結論は、仏教思想(「空」の思想)につながる関係論ですが、遠山さんは、西洋哲学が暗黙のうちに前提にしてしまっているかもしれない、確固とした実体である「私」が先ずあって、その「私」が世界を認識しているという見方を問い質そうとしているのです。

遠山さんは、「虚構」とは何だと思うか、と今回も最初にみんなに問いかけてきました。
何人かがそれに答えて、それぞれの「虚構」観を語りましたが、聴いていて、いずれも否定的なとらえ方ではなく、肯定的に捉えているのが印象的でした。
かつて、社会学者の大沢真幸さんが、日本の社会は「理想の時代」から「虚構の時代」を経て「不可能性の時代」へと移行したと分析されましたが、「虚構」ということが今や多くの人にとって、手段的概念になってきているのかもしれません。

参加者の一人が、本書で気になったこととして「エンタングルメント」の話を出しました。いわゆる「量子もつれ」と言われる話ですが、自由に飛び交う量子は、遠隔の場所にいてもつながっているというのです。言い換えれば、すべての事物はおおもとのところで互いに依存し合っている。この現象を「エンタングルメント」というのですが、量子はすべてつながっているのかという気にもさせる現象です。
ロヴェッリは同書の中で、「エンタングル状態にある」とは、まるで、遠く離れていても互いの考えがわかる恋人のようだ、と書いていますが、そうした現象は、実験室できちんと確認されているそうです。
世界が関係でできているとは、したがって、世界はすべてつながっていると言ってもいいような気がします。私にはとてもしっくりするのですが、でも、これもまた「虚構」なわけです。

ロヴェッリは、別の著書『すごい物理学講義』で、「科学が信用に値するのは、科学が「確実な答え」を教えてくれるからではなく、「現時点における最良の答え」を教えてくれるからである」と書いていますが、科学の知見も「真実」ではなく「虚構」(私は「仮説」と言っていますが)なのです。前提や範囲が変われば、「科学の真実」は変わります。いわゆる「パラダイム」転換です。トマス・クーンが提唱した「パラダイム」概念はいまでは科学の分野を超えて、さまざまな分野で使われるようになっていますが、まさに「世界を形成する枠組み」と捉えられ、パラダイムごとに「真実」が仮定されると言ってもいいでしょう。つまり、「真実」は、あるパラダイムにおいての「真実」、あるいは「虚構」とも言えるわけです。

世界の基礎を形づくる実体は、空間のなかや時間のなかに存在しているわけではなく、それら自身が互いに関係を築きながら、空間と時間を織り成しているというのがロヴェッリの世界観ですが、それは読みようによっては、仏教の「空の思想」につながります。
実際にロヴェッリは、同書で大乗仏教の中観派の祖師ナーガールジュナ(龍樹)にも触れています。いや触れるどころか、ロヴェッリはナーガールジュナの「空の思想」が量子の世界のことを考えやすくしてくれると明言しているのです。
今回参加した加藤さんが、仏教思想を学んでいたこともあり、後半は仏教思想から「存在とは何か」が話題になり、因縁と因果、さらには「諸法無我」「成住壊空」「三界唯一心」「心外無別法」と、話はどんどん広がりました。

長くなりますので、報告はこの辺りで終わりますが、仏教思想に関しては改めて加藤さんにお願いすることにしました。
ただ最後あたりに出てきた「善悪論」や「無縁論」も興味深いものがあり、いつか遠山さんのサロンでも取り上げてほしいと思います。

最後に遠山さんはこんなふうにまとめてくれました。
関係を土台とした存在論は、虚構につながる。量子力学の世界まで厳密に観れば、確固とした実体は存在しない。しかしあると見てしまう、あるものとして振る舞っている。たとえば、「日本民族」「オリンピックの熱狂」はそうしたものの一つ。
ロヴェッリの主張と小坂井さんの主張は重なるところがある。
小坂井さんの「社会心理学講義」では、私たちの生に不可欠な要素を「虚構」というワードで語り、その働きをネガティブに受け取ってしまうと生きる希望を無くすほどに深刻だが、良い方向に受け取ればどれだけでも豊穣な果実を享受する生が開けることを示唆している。
そして、遠山さんは、この「虚構サロン」で伝えたいことは、「人生は思い通りに変えられる」「望むような「面白い」生き方が誰にでもできる」ということだと話してくれました。
遠山さんは、虚構は、「かたちづくるもの」ではなく、それぞれが「みなす働き」ではないか。みなす主体が、みなす働きによって成立しているのが虚構。だとすれば、虚構を活用することで、より楽しい人生が開けるのではないか。であれば、ぜひ活用してみてはいかが、と提案するわけです。

私にはとても共感できる提案ですが、とはいえ、そう簡単なことではないのかもしれません。私たちは、「認知バイアス」でしか社会を「みなすこと」ができなくなっているため、そうした「常識」をもっと壊さないといけないのかもしれません。
そこでもう少しロヴェッリの量子論世界をテーマにしていくことになりました。
次回は、同じロヴェッリの「時間は存在しない」(NHK出版)をテキストにしたいと思います。
日程は未定ですが、決まり次第ご案内させてもらいます。

遠山さんのサロンは、難しい禅問答のような時もありますが、いろんなことを考える契機を与えてくれます。頭の体操にも、生き方の振り返りにもいい場です。
みなさんも一度体験されるといいです。
こんな人もいるのだと、遠山さんを知るだけでも意味があるかもしれません。

 

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2025/03/11

■節子への挽歌6297:初めての腸内視鏡検査

節子
午前中は腸内をきれいにするために2リットルの内服薬とその半分の水を2時間かけて飲まなければならず、苦痛の2時間でしたが、幸いに1リットル強飲んだところで、腸がきれいになり、内服薬は1リットル少しで大丈夫でした。
しかしその間、トイレとの往復で疲れました。

検査は午後からで、ユカに同行してもらいました。
大腸カメラ検査は初めてですが、前回の胃カメラの時はよく効いた睡眠薬が、今回は全く効かずねむれませんでした。でもまあ大したことはありませんでした。

結果は幸か不幸か、ポリープはなし。ただ 直腸の表現がかなり 荒れていました。これは前立腺がんの量子線治療の副作用です。残念ながら 治療方法はいまだなし。出血が続くようであれば表面を焼くくらいしか 方策はないようです。ちょっと憂鬱です。でもまあ加藤医師に会えるのでいいでしょう。

検査は無事終わり、結果もまあまあ予想通りでしたが、疲れました。
でもまあこれでまた次に進めます。

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2025/03/10

■節子への挽歌6296:久しぶりの空腹の辛さ

節子
明日、人生初めての大腸内視鏡検査を受けます。
まあ下血がつづいたので、先週、加藤医師のとこに行ったのです。

検査も、その後も、私が信頼している加藤医師なので、何の心配もないのですが、検査前日、つまり今日なのですが、決められたものしか口にしてはいけないのです。
朝食はレトルトパックのお粥とみそ汁だけです。
恒例のニンジン・リンゴジュースも禁止です。
ともかく水とお茶以外はすべて禁止されています。

お昼近くなったらあまりの空腹に歩けないほどです。
こんな空腹感を味わうのは久しぶりです。
普段いかに過食しているかです。そてに、お腹が減るとつい間食してしまう。
それができずに、レトルトのお粥さえ、つくる元気が出ません。
こんな空腹感は久しぶりです。

説明書を読んだら、10時に水を200リットル以上飲むことになっていました。忘れてました。急いで飲んだら空腹感は少し和らぎました。

お昼のお粥とおすましだけ。
2時半になったら、またあの空腹感が襲ってきました。
不思議です。
いつもはお昼を抜いても何ということはないのですが、なんでこんなにつらいのか。
お粥に何か入っていたのではないかと疑いたくなるほどです。

説明書をよく読んだら3時にはソフトクッキーの間食と粉末ジュースがついていました。
説明書はきちんと読まないといけません。
そういうのがきちんとできないのが私の大きな欠点です。
困ったものです。

全く美味しくないジュースのような飲み物と軽いチョコレートクッキーをゆっくりと間食。でも空腹感は全く解消せずに、身体に力が入らない。
一体どうなっているのか。

サロンの報告を書こうと思っていたのですが、全くその気が起こりません。
どうも知力が動き出す空腹と知力が萎えてしまう空腹があるようです。
夕食まで果たして私の身心は持つでしょうか。

以前、毎週1回の断食をやろうと試みたことがありますが、その時も1日で挫折しました。
情けない話です。

さてさて夕食までまだ3時間。どうやって過ごしましょうか。
やるべきことはいろいろとありますが、その気が起きない。
ともかく許されているお茶を飲もうと思います。
大腸内視鏡検査がこんなに大変なものだと知りませんでした。

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■湯島サロン「日本構想学会・再起動の呼びかけ」のご案内

湯島サロンで何回かサロンをしてくださっている西京一さんが、20年ほど前に活動していた日本構想学会の再起動に取り組んでいます。
日本構想学会は、当時宮城大学の教授だった半田智久さんが学生たちと一緒に立ちあげた、まったく新しい学会で、私も参加させてもらっていましたが、半田さんの構想に従って、活動10年にして第1期の活動を停止していました。
この度、その半田さんの遺志を継いだ半田さんの仲間の西さんが、かつての構想学会のメンバーと一緒に、思いも新たに日本構想学会の再起動に取り組んでいます。
そこで湯島サロンでも、一度、西さんの思いをお話しいただき、共感した人にはぜひ再起動にもかかわってもらいたいと思います。日本構想学会第1期を展開していた半田さんも参加する予定です。

日本の未来に不安を感じている方、何かに取り組みたいと思っている方はもちろん、いろいろな立場の人たちに西さんの思いを聞いていただき、新しい日本構想学会の再起動に協力できればと思っています。
再起動にかけた西さんの思いを案内の次にありますので、ぜひお読みください。

〇日時:2025年3月23日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本構想学会・再起動の呼びかけ」
〇呼びかけ者:日本構想学会事務局世話人・西 京一 a.k.a. N'da Ha Satomohi
https://jssk.jp/index.php
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔日本構想学会・再起動の呼びかけ〕
 今世紀の始まりの年、日本構想学会という学会が生まれました。新世紀を迎えるにあたりさまざまに描かれ、かたちになされていく構想という営み自体を対象にし、それを学び、研究、論究しあうことで構想そのものに磨きをかけ、そこにいわゆる構想力といわれる力があるのだとすれば、その性質にも迫ることによって、その力の涵養に資する機会形成もしていこう。そうした欲ばりな企図のもと、主として若い力と情熱を支えに成立した場であり、その活動を十年つづけました。 
 およそなんであれ十年という期間は再考をうながす節目といえましょう。構想学会でもその節を迎えたとき、さてこの先をどうするかという問いが生じました。そしてその問いがあらわれた以上、一旦、立ち止まる必要があると判断できました。その2010年という年は日米ともに民主党政権下でオバマ、鳩山-管と移行した年、大震災にみまわれる前年で、世の中には緩い空気が漂っていました。ときの首相が普天間を本土にもっていくと語り得たくらいに。 
 それから早15年が過ぎました。新世紀ということばはすでに古語となり、昭和世代にとって未来の標語でもあった21世紀はもう四半世紀が経過しました。つまりは日本構想学会の設立から25年が過ぎたことになります。かつて学会運営に積極的にかかわった若い力はそれぞれにわが子を育てる世代となり、その営みをつうじてこの世のゆく方を案じる段となりました。そしてもう一度、あの頃のこころを思い起こすときになりました。咢堂翁の「昨日までは人生の序幕、本舞台は常に将来」という喝声も聞こえてきます。「そうか、あの十年は序幕だった。これからが本舞台」。確かに今はこれまで以上に社会の諸相において確かな構想力とそれに依拠した構想が、かつて以上に要請されているように思われます。2025年、どうやら日本構想学会を再起動するときが来たようです。 
 ただし、これがかつての単なる再起動ではなく新生の意を宿すことを強調したく思います。かつて日本構想学会は構想を対象にしたわが国の学会というスタンスをとりました。しかし今般は時代の要請といえようこの日本を構想する学会というポジションも意識し、この名、日本構想学会を駆動させていきたく思っています。いかがですか、みなさん。この場にいらしてご一緒に諸構想をめぐり交わしませんか。

 3月23日(日)の湯島サロンではこの春に再起動する日本構想学会のご紹介をさせていただくとともに、皆さんからその展開についてアイデアやご意見をたくさん頂戴できれば幸いと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
 
日本構想学会事務局世話人・西 京一 a.k.a. N'da Ha Satomohi

 

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■世界はみんなつながっていることの実感

この3日間、また湯島で3日連続のサロンでした。
テーマも話し手も全く違いますが、すべてを通して参加した私には、あまりにも見事につながっていました。サロンの報告はまた別途行いますが、そのつながり感が消えないうちに書き残しておこうと思います。

初日は、哲学者の遠山さんによるカルロ・ロヴェッリの量子重力理論の話題、2日目は20代の若者川端さんの3か月熊本で暮らしてきた体験談、そして最後は吉田さんの「シン・オーガニック」、有機農業や土壌の話です。
話し手は、たぶん相互には会ったこともないでしょう。テーマも一見、つながりがない。
でもそこで話し合われていたのは、「つながりでできている世界」の話でした。

ロヴェッリはまた時間は存在しないと言っていますが、川端さんが体験してきた熊本の高森には、たぶんまだ時計で計るような時間とは違う「時(とき)」が残っているような気がしました。
私には量子理論の世界の具体的な事例が、川端さんの体験談であり吉田さんの「シン・オーガニック」の話でした。

驚くことに、サロンが終わった後、吉田さんと雑談していたら、吉田さんが「コンヴィヴィアル」という言葉を出したのです。これはまさに、私の生きる姿勢の基本の理念なのですが、吉田さんからその言葉が出てきたのも驚きでした。
私にとっては、コンヴィヴィアルな自立共生社会こそが民主主義であって、多数決原理を軸にした社会は民主主義社会ではなく民主制社会なのですが、5月にこうした問題のサロンを企画しようと思います。
私がコミュニティという言葉をあまり使わずに、あえて「コモンズ」などと言う言葉をずっと使っているのは、コミュニティにはコンヴィヴィアルな理念がないように関するからなのです。主客を転倒させなければいけません。

最後の日には菌根菌ネットワークの話題が出ましたが、量子重力理論によれば、植物のみならず動物も自然も量子によって構成されている同じ世界がまもなく可視化されているような気がします。まさに私には量子世界の一部なのです。
自分も菌根菌ネットワークにつながっていると思うと、なぜか安心できます。

話し手の3人に共通点がないわけではありません。
3人とも、「知らないこと」を軸に世界を見ていることです。
これは私の主観的感想でしかありませんが、みんな「知っていること」を話しているようで、実は「知らないこと」を話してくれているような気がします。言い換えれば、みんな前に進んでいる。
そういう人の話を聞いていると、最近いささか立ち止まり気味の私も、前に進みたくなる。
それが実に心地よい。

3日間の連続サロンは疲れましたが、とてもいい刺激をもらえました。

 

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2025/03/08

■節子への挽歌6294:新しい出会い

節子
また新しい出会いがありました。加藤さんと言います。
大学では仏教を学び、その後、アメリカにわたりITを学んだという変わり種です。
普通は反対のはずなのですが。

哲学者の遠山さんの友人ですが、いまは北海道に住んでいます。
前にも遠山さんのサロンに一度やってきましたが、出張の途中だったということで途中で抜けたので、ほとんど何も話しませんでした。今回も急に、遠山さんのサロンに突然現れたのです。サロンの合間に口をはさんだのですが、それが実に印象的でした。
因縁や因果の話、さらには成住壊空など、仏教用語が飛び出るのです。

今回のサロンのテーマは量子力学でしたが、量子力学は仏教思想につながっています。
今回テキストになったカルロ・ロヴェッリの本の内容は、まさに仏教思想そのもののように思います。ある意味では私が大学生のころ初めて知った量子論の世界にまた戻ったようで、加藤さんの話が実にすんなりと入ってきました。

それで何となく昔からの知己のような気になってしまいました。
それで一度サロンをやってもらうことにしました。
でも彼は北海道に住んでいます。
でもまあ何とかなるでしょう。

さて加藤さんの出会いから何が始まるでしょうか。
いくつになっても、新しい出会いはあるものです。


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2025/03/07

■節子への挽歌6293:世界はすべてつながっている

節子
今日からまた3日間、湯島でサロンです。
それも全くタイプの違いサロンです。
今日は哲学サロン。アリストテレスが大好きな事象哲学者の遠山さんのサロンです。
今日採り上げるのは、カロル・ロヴェッリの量子理論の話です。
サロンに先立ってロヴェッリの本を3冊読みましたが、面白かったのですが、もう1週間もたつと内容を忘れてしまう。困ったものです。

ロヴェッリは、世界は「関係」でできていると言っているのですが、そんなことは当たり前の話で退屈ですが、そこに時空間を超えて自由に動き回っている粒子が遍く存在しているという話になると話は違ってきます。
実に面白い。
といっても、私がロヴェッリを理解できているわけではありません。

粒子を通して世界中、いや宇宙中のすべてがつながっていて、そのつながりの関係の中で、いろんな事象や存在が形になっていく、つまり現実存在になっていくと考えれば、なんだか世界すべてが自分のようにも思えてくる。
だとしたら、思いきり自分を無にして開いていくのがいい。
そんな気がするのです。

今日もいい天気になりそうです。
強い朝陽を浴びていると、世界はすべてつながっていることをなんとなく実感できます。

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2025/03/06

■湯島サロン「頼れますか?その薬~医療のサプライチェーンは崩壊の危機~」報告

大学生の伊佐龍馬さんのサロンは知識ばかりではなく、元気をもらえるサロンでした。
伊佐さんは東京薬科大学の生命科学部で学ぶ学生ですが、この3月卒業し、4月から医療関係の会社に就職する予定です。
卒業の前にサロンをお願いしたら、選んだテーマが「医療のサプライチェーンは崩壊の危機」でした。まさかのテーマでしたが、若い世代がこうした社会問題に関心を持っていること自体に大きな関心がありお願いしました。その主張の真っすぐさと視野の広さに感心しました。10人の参加がありましたが、もっと多くの人に聴いてほしかったです。それで伊佐さんの話を中心に報告します。

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伊佐さんは、日本の最近の流行病の罹患者数が増加傾向にあることをデータで示し、そのため鎮咳剤、総合感冒剤、去痰剤、解熱鎮痛剤などへの需要が増加し、この5年ほど、医薬が品薄状態にあることを、まず概説してくれました。
医薬品薄の発生の発端は、2020年12月に発覚したジェネリック(後発医薬品)メーカーの品質問題でした。水虫の薬の中に、同じ会社で扱っていた睡眠薬の成分が混入してしまったため死亡事件まで起きてしまったのです。それが契機になって、各社の実態の調査が始まり、ほかのメーカーからも製造上の不正が次々と明るみにでて、業務停止などの行政処分が続発したのです。つまり問題は一企業の問題ではなく、構造的な原因があったということです。
それに重なるように、新型コロナやインフルエンザの流行で医薬需要が増えたことで、かつてない規模での医薬品不足が起こってしまったのです。

こうした状況が続いているのに、なぜ事態は改善されないのか。
伊佐さんは2つの問題に整理してくれました。「安全性」と「安定性」です。
いずれも日本の医薬産業の構造が関連していると伊佐さんは言います。薬価制度などの医療(産業)政策が大きく影響していると言えるでしょう。

日本の製薬メーカーは、大きく3つに分かれます。
新薬メーカーとジェネリック医薬品メーカー、そして大衆薬品メーカーです。医薬品不足が問題になっているのは、前2者の問題ですが、特に問題なのはジェネリック医薬品メーカーです。
ジェネリック医薬品は、先発医薬品(新薬)の特許が切れた後に製造・販売される、先発医薬品と同じ有効成分で効果も同じと認められた医薬品です。先発医薬品に比べて薬の値段が安いため、個人の負担を減らすばかりか、国民医療費の抑制にもつながるとして政府が推奨しています。
しかしここに大きな落とし穴があるようです。

政府はジェネリック医薬品を増やそうとしていますが、なぜこんなに不正が起きていたのか。伊佐さんは3つの理由が考えられると言います。
第1は、政府主導の促進策によるシェア率の急拡大です。2003年には3割程度だったジェネリック医薬品はいまでは8割近くになっています。生産が急増しているわけですが、それに人員育成がついていけずに、過密スケジュールなどによる管理の不行き届きが起こっていると思われます。
第2に、薬の価格(薬価)による採算性悪化の問題があります。薬の価格は薬価制度のなかで政府によって決められます。医療費削減のために薬価は先発品に比べて安いうえに、薬価改定のたびに切り下げられて、コストダウン圧力が強いのです。
第3は、特許切れの医薬品なので、競合が多数参入していて競争が激しいことです。

実際に、大手のジェネリック医薬品メーカーは、多品目の薬を製造し、過密スケジュールの中で、どうしても管理不十分になりがちで、不正行為などが発生しやすいのです。これは一企業の問題と言うよりも、政策に縛られた医薬産業全体の問題と言っていいでしょう。簡単に言えば、安全性よりもコストが優先されてしまいがちな構造にあるのです。
建前としては、ジェネリック医薬も先発医薬品と同じだとされていますが、安全性よりもコストが優先されてしまいがちな状況にある限り、「安全性」の問題にはやはり不安は残ります。

それに加えて、供給安定性の問題もあります。
製薬には、その材料となる原薬がありますが、実はジェネリック医薬品の原薬の6割が海外からの輸入なのです。しかも、現在では中国(24%)、インド(14%)、韓国(6%)の上位3か国で全体の約半分が占められています。もし日中関係の悪化で原薬が入りにくくなれば、ジェネリック医薬品は大打撃を受けることになります。
この原薬の海外依存は先発医薬品においてもそう状況は変わらないそうですが、コストをかけられないジェネリックスの場合は極めて足元が危ういと言うことです。

ということで、伊佐さんは、後発医薬品は「安全性」と「安定供給」の2つの側面で懸念事項があると言います。しかもそれはここの企業の経営努力で克服するには限界があるというのです。
そう考えると、医薬不足は少なくとももこの5年はあまり大きくは改善されないのではないかと言うのです。

とまあ、こういう話を伊佐さんはとてもわかりやすく話してくれました。
あと5年は薬不足は改善されないという見通しにはいささかがっかりしましたが、逆にそのことが問題の本当の所在を示してくれているように思います。
所詮は財政問題、つまり医療費削減の問題なのかもしれません。
一方で、この数年のコロナ対策に浪費された膨大な予算投入を思う時、とても割り切れないものを感じますが、それもこれもおそらく私たち国民があまりに医療政策に無頓着だったことの結果なのではないかと思わずにはいられません。

伊佐さんの話はまだまだ示唆に富むメッセージがあり、医療制度の在り方や病院での医療体制の在り方にも、いくつか示唆に富むお話がありました。
こういう広い視野としっかりした理念を持った若者が、医療関係の企業に入社していくことに、私は大きな期待を感じました。
できれば入社後、1~2年経過した段階で、伊佐さんの話をぜひ聞きたいと思います。

話し合いもいろいろと示唆に富むものでしたが、最後の話し合いでは、医薬問題に限らず、医療問題、さらには未来に向けての明るい話題もいくつか出ました。
たとえば、バイオテクノロジー(遺伝子)で将来の病気が予測できるかもという話は、明るいというべきか暗いというべきかわかりませんが、医療科学の進歩はものすごく、癌さえもが克服されつつあるようです。

私自身は、こうした状況を変えていくためには、いろいろとやれることがあると思っています。いつかまた改めて「医療のあり方」のサロンをしたいと思います。

余計なことを付け加えれば、医薬不足もコメ不足も、同じ問題かもしれません。

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■節子への挽歌6292:人はどんどん保守的になっていく

節子
スマホをコンクリート面に落としてしまい、一部破損してしまいました。
機能的には異常はないのでまだ使用できるのですが、新しい機種に変えることにしました。
現在のよりもどうしても画面が大きなものになってしまいますが、仕方ありません。
しかし、こうした時にひとりでいってもよくわからない。
すべてユカ任せで、私はついていくだけです。
今回もすべてユカにやってもらいました。
おかげで新しい機種に今日から変更です。

しかしやはり使いづらい。
やはり慣れたものが一番です。
新しいものを好む過去の間な会かは、年齢のある段階で反転するのかもしれません。

実はパソコンもどうしようもなくなってきています。
それで買い替えようかどうか迷っているのですが、これもやはり慣れが関係しています。
以前は、ちょっとおかしくなると新しいパソコンに切り替えていました。
しかし、10年ほど前からはおかしくなったら直してもらうようになり、いまはおかしくなっても我慢して使うという感じです。
もちろん金銭的な負担能能力が激減していることも無縁ではないのですが、それ以上にたぶん「気分」の問題が大きいような気がします。

人はどんどん保守的になっていく。それを身をもって体験しています。
新しいスマホに早くなれるといいのですが。

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■節子への挽歌6291:また古い友人からの連絡がありました

節子さん

フェイスブックの面白さは、突然むかしの友人に出会えることです。
昨日、飯嶋さんから友だちリクエストが届きました。
飯嶋さんとはもう20年以上お会いしていないでしょう。いやもっとかもしれなません。
私が東京都の職員研修の仕事を頼まれたときに、先方のスタッフの一人です。私の出生地の大田区の職員だったこともあり記憶に特に残っているのです。
リクエストを承認し、メッセージを送ったら、早速に返信が来ました。
定年で役所は退職し、いまは大田区の観光協会の仕事をしているようです。
お元気そうですが、最近、フェイスブックを始めたのでしょうか。

一度、湯島に来てくれるそうです。
再会が楽しみです。

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■3月オープンサロン報告

 3月のオープンサロンは3月4日でした。
夕方からの降雪も予報されていたので、参加者は少ないかなと思っていましたが、7人の参加者がありました。しかも久しぶりの人や初めての人もいて、話はにぎやかでした。
テーマサロンよりもオープンサロンが参加しやすいという人も多いので、4月からは定例開催(原則として第2金曜日)することにしました。

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初めてきた人は大学生。いま大学で「まちづくり」を学んでいるそうです。
しかも家はわが家のすぐ近く(現在は大学に通学するため埼玉に下宿)、我孫子での活動にスカウトすることにしました。
昨年は山形県の大井沢という限界集落で4か月暮らしたそうですが、今度は和光市と文京区もフィールドなのだそうです。そうした行動的な若者が最近増えているような気がします。その体験報告もいつかしてもらえればと思っています。

面白かったのは、神代文字や超古代史が話題になったことです。まるで神の導きのように。というのは、ある人にサロンを頼もうと思っていたのですが、その人不在で話が盛り上がっていたら、実にタイミングよく、その人が到着したのです。
万葉集サロンの升田さんも参加していましたが、正統的なアカデミアの人と在野の研究者の対話も面白かったです。
そんな神の御業のような偶然の一致のおかげで、そのサロンも引き受けてもらえることになりました。
私も一時、カタカムナの「相似象」を購読していましたし、超古代史には一時期かなりはまっていたことがあるので楽しみです。

「音読の大切さ」も話題になりました。
ともかく「声を発すること」が大切だと思っている私としては、とても共感できる話でした。学校での音読授業を広げる運動はその後、どうなっているでしょうか。

女性が多かったせいか、マリア信仰の話もでました。
何しろオープンサロンですから、いろんな話が飛び交う。
雪が気になって早く終わりたかったのですが、結局、終わって外に出たのが5時過ぎ。

4月から第2金曜日を定例のオープンサロンにしようと思います。
私が参加できない場合も開催の予定です。

 

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2025/03/05

■節子への挽歌6290:加藤外科医との再会

節子
今日はまた我孫子東邦病院の加藤外科医のところに行きました。
また会いたいなとは思っていたのですが、まさかこんなに早く再開の機会が来るとは思ってもいませんでした。
再会と言っても、要するに診察を受けに行ったという話なのですが。

1か月ほど前に、気づかなかったのですが、入浴時に下着に下血していることに気づきました。
まあその時は放置していたのですが、今回の旅行中に、毎日、同じような下血が見られたのです。まあ、1カ月ほど前に比べると送料も多くなかったので、気になりながらも放置していました。
しかしユカがともかく病院に行くようにと言うのです。

帰宅後下血はないのですが、便に赤いものが混じっていることが2回、ありました、
それで私もちょっと気になって、病院に行くことにしたのです。

久しぶりの加藤医師はやはり実に的確です。
結局、可能性は2つ。私が予想していた通りです。
大腸のポリープか陽子線治療で直腸を傷つけたかです。
来週、大腸にカメラを入れることにしました。
さてさてどうなりますか。
大腸カメラは初めてですが、ちょっと大変そうです。

また新しい病院通いが始まりそうです。
困ったものです。

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■トランプ大統領への評価は真っ二つですね

私にもいろんな人からメールやネット情報が届きます。
とりわけトランプが大統領就任前後から多くなってきます。
テレビや新聞のマスコミ情報とはかなり違います。

何しろ長いメールやたくさんのX紹介などがあるので、すべてを読めるわけではないのですが、ともかく人によって、トランプの評価は真反対です。
たとえばゼレンスキーとトランプの対談も、評価は別れます。
私もあの対談に関してはゼレンスキー大統領の言動に身勝手さを感じます。あれはないでしょう。トランプに好意を感じました。バンスの発言でさえ、私は共感します。
また今日のトランプの大統領就任演説に関しては、たとえば、「ヤバいほどカッコいいですね! まさにヒーロー」と言う人もいます。私はそうは思いませんが、マスコミ報道にも違和感を持ちます。

しかし私も含めてですが、みんな自分の思いを持ってトランプやプーチンやゼレンスキーを見ているのでしょうね。そしていわゆる認知バイアスで、自分の考えに都合の良いように理解していく。嫌いな人はますます嫌いに、好きな人はますます好きに。しかし、これは実に危険です。

ウクライナ戦争もロシアの侵略から始まったという見方が圧倒的に日本では多いようですが、私は最初からそう思っていなかったので、むしろ戦争を始めたのはゼレンスキーだと思い込んでいました。その認知バイアスでプーチンにも私はかなり好意的です。

念のために言えば、だからと言ってプーチンを支援しているわけではありません。
プーチンもゼレンスキーも同じような存在だと思っているのです。ただ、ビジョンを持っているという点では、プーチンのほうを評価します。
一番悪いのはアメリカの、いわゆる金融資本家たちだと思っているのです。
日本のマスコミやテレビに登場する多くの論者たちは、まあその金融資本家たちに乗っているだけにしか思えない。

それにして昨今の情報と言うのは一体何なのでしょうか。
ポスト・トゥルース時代と言うのは、自分の制作した台本を演じて生きることなのかもしれません。情報は、その自分のドラマのシナリオをつくる材料でしかないのでしょうか。

でも私の周りには、トランプやプーチンの悪口を言う人が多いのがうんざりです。
会ったこともない人の悪口を言うのは私には信じがたいことなのですが。
という私も、誰かの悪口を言ってしまうことがある。
注意しなければいけません。悪口からは何も生まれませんから。

 

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■湯島サロン「黒澤組の2人が語る黒澤明監督からのメッセージ」のご案内

一昨年公開された映画『 Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク』はご存じでしょうか。1985年に公開された黒澤明監督『乱』のメイキング映像をもとにしたドキュメンタリーです。監督は、『乱』撮影現場にメイキング撮影班として参加した河村光彦さんです。
『乱』製作当時、大学生だった河村さんはメイキング撮影班として現場に参加し、約150時間に及ぶ映像素材を記録したそうですが、さまざまな事情が重なり、撮影後15年にわたり失われていました。それが1998年、黒澤監督没後に発見されましたが、旧式の業務用アナログビデオで撮影された素材だったため内容の確認手段がなく、長らく保管されていたそうです。それを黒澤監督が大好きな河村さんが私費を投じてデジタル化し、それをもとに制作したのが、この映画です。

その後、さらに30時間のテープが発見されたため、河村さんをそれも組み込んだハリウッド版を作ることで黒澤明監督の生き様を世界と後世に残そうと昨年、クラウドファンディングを立ち上げました。
そうした河村さんに共感して、応援ビデオを作ったのが俳優の櫻井勝さんです。櫻井さんは、これまた大学生の時に、映画『影武者』のオーディションに応募し出演。以来、黒澤組の一員として、黒澤作品に出演しています。黒澤監督亡きあとも、映画出演は続けていて、最近公開された映画『雪の花』にも出演し、冒頭に登場しています。

私は櫻井さんから教えてもらい、河村さんの活動にささやかな応援をさせてもらったのですが、それが縁で、今度、河村さんと櫻井さんが湯島でサロンをやってくださることになりました。
映画『乱』のメイキング作品『Life work of Akira-Kurosawa』を制作した河村さんが思う黒澤明。そして、映画『影武者』から『まあだだよ』まで出演した櫻井さんが思う黒澤明。そんな語りを聞きながら、映画『羅生門』に隠された贖罪の物語。『七人の侍』が抱いた罪の意識。戦国武将が忘れていた罪を思い出させる物語『乱』。許されざる者の最後は?『蜘蛛巣城』。親が犯した罪を子が償う物語『悪い奴ほど良く眠る』など、黒澤作品の解説もしてもらえると思います。

問題はおふたりとも思いが強いので、2時間では収まり切れるかどうかです。『 Life work of Akira-Kurosawa』は30分のダイジェスト版を上映し実際の黒澤明の現場演出をご覧頂こうと思います。そんな事で今回はいつもより1時間長い3時間のサロンにさせてもらいました。それでもいささか心配ですが。

最後に少し当日の話につながることを付け加えさせてもらいます。
河村さんが、なぜこの映画をつくろうと思ったかに関する話です。
河村さんは、あるところでこう書いています。
黒澤監督が亡くなってからも世界の何処かで戦争は起きている。
家族間の諍いも絶えない。
『乱』に込めた願いが届いていない事をあの世で憂いているに違いない。
「なぜ人間は仲良く良心的に生きていけないのか」というテーマを描きたくて作品を作り続けたと仰っていた黒澤監督の精神を伝えたい。

もう一つ付け加えさせてもらいます。河村さんの言葉です。

2020年、私は癌になりました。
自身の命に限りがあることに改めて気付かされたとき、残された自分の時間でできること、すべきことは何かと自問自答したときに出てきたのがこのテープの存在。
私の人生を大きく狂わせ、そして人生の指針をくださった『黒澤明監督の生き様、人との向き合い方』を後世に伝えたい。こうして作られたのが、私の全てをかけた作品『Life work of Akira Kurosawa黒澤明のライフワーク』です。

櫻井さんが応援ビデオをつくったお気持ちもよくわかります。
でもこれ以上書くと、河村さんと櫻井さんに叱られそうですので止めます。
河村さんがこの映画で何を伝えたかったのか。櫻井さんがなぜそれを応援したのか。
それは当日、おふたりから直接お聞きください。

参加ご希望の方は、事前にお申し込みください。
会場の関係で定員を超えたら勝手ながら閉め切らせてもらいます。
いつもより始まりが30分早いのでお気を付けください。

〇日時:2025年4月13日(日曜日)午後1時半~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「黒澤組の2人が語る黒澤明監督からのメッセージ」
〇話題提供者:河村光彦さん(映画監督)と櫻井勝さん(俳優)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2025/03/04

■節子への挽歌6289:我孫子のあすあびサロンの代表候補が見つかりました

節子
雪は積もりませんでしたが、今夜また降雪が予想されています。
今日も寒い朝です。
今日はオープンサロンでした。
常連のメンバーは今日は参加できないというので、あまり参加者はいないと思っていたのですが、新しい参加者もあって、にぎやかなサロンになりました。
うれしかったのは、久しぶりに竹形さんが参加したことです。
竹形さんは文京区で私が考えているようなまちづくり活動をしてきていますが、経済的になかなか難しく、しばらくサロンに来ていなかったのです。
フェイスブックでその活動はその後も見ていますが、気になりながら私は何もできずに、と言うか、しないで過ごしていました。
その竹形さんが、大学生を連れてきてくれたのです。
その人はいま、大学で「まちづくり」を学んでいるそうですが、家が我孫子なのだそうです。
聞けばわが家のすぐ近くです。
まちづくりと我孫子で、竹形さんがそれならと言って、今日はわざわざ湯島のサロンに連れてきてくれたのです。
話してみると、研究型ではなく実践型です。昨年はフィールド研究で、山形の大井沢で一人暮らししていたそうです。
探しあぐねていた我孫子のあすあびサロンの代表候補に最適です。

話が弾んでしまったのですが、続いて、次々と参加者がやってきました。
テーマサロンはどうも敷居が高いと言うメンバーが多い。
やはりオープンサロンを定例化しようと思います。

サロンの報告は時評編に譲りますが、みんな私の健康を気遣ってくれました。
富良野のニンジンジュースを持ってきてくれた人います。
健康にはやはり気をつけないといけない。
明日は病院に行こうと思います。

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■CWSコモンズライブラリー第2回推薦書

CWSコモンズライブラリーの推薦図書がまた5冊追加されました。
いずれも湯島で貸し出しています。
関心があったら是非お読みいただき、感想をお寄せいただければうれしいです。
湯島に貸出ノートがありますので、必ずそれに記帳して借り出してください。
貸出期間は最長で2週間です。
もし読んで、その本に関してブックサロンをやりたくなったら気楽にお呼びかけください。

ちなみに、この図書は基本的に湯島のサロンの仲間からの提供です。
期間限定のものもあります。
この本をみんなに読んでほしいという本で提供してもらえる本があればご連絡ください。
ただし提供期間は3か月以上にしていただき、貸し出しに伴うリスク(毀損・紛失)は覚悟してください。

第2期の推薦書は次の5冊です。
推薦文は書籍提供者によるものです。

〔第2回推薦書〕

■トルストイ『人はなんで生きるか』岩波文庫(鈴木章弘提供)
文豪トルストイが民話を素材に執筆した珠玉の短編集。10分、20分もあれば読める短い物語に人間の善意や美しさが描かれています。なかでもおすすめは「愛のあるところに神あり」という作品。心が洗われます。

■瀬木比呂志「現代日本人の法意識」(講談社現代文書)〔近藤和央提供〕 
法律というよりも、公共意識や「のり」という観点から日本人の対他者、対社会への規範・行動のオモテウラ意識を描いています。現在の世相の地下水脈を透視するためのヒントが露頭しているこの本をお勧めします。

■法頂「無所有」(東方出版)〔佐藤修提供〕
 所有発想からいかに抜けられるか、少輔概念から自由になると世界はどう拡がるかを、とても具体的な分かりやすい文章で教えてくれます。私の生き方に大きな影響を与えた1冊をぜひ多くの人に読んでほしいと思います。

■ミシェル・ワールドロップ「複雑系」(新潮社)〔永田徹提供〕
生命現象から政治・経済、社会変動などを統合する21世紀のパラダイム、「複雑性の科学」の発祥地サンタフェ研究所の物語。カオス、自己組織化、創発など、「要素還元主義」の限界を超えるヒントが得られます。

■萩尾望都・光瀬龍「百億の昼と千億の夜」(秋田文庫)〔佐藤修提供〕
 天地創造から地球の終焉へとつづく壮大な物語。光瀬龍の同名のSF小説を萩尾望都がコミックにした作品ですが、小説とは別の魅力を持っています。ハリウッドが映画化してくれるのを期待しています。小説もあります。

 

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■第38回万葉集サロン「〈わ〉の先にあるもの」報告

今回の万葉集サロンは、「〈わ〉の先にあるもの」がテーマでした。
とりあげた歌は、巻9-1804「哀弟死去作歌一首 并短歌」、田邉福麻呂の歌。私は名前さえ聞いたことのない人ですが、「万葉集」には44首もの歌が採録されており、当時、「田辺福麻呂歌集」もあった歌人でした。

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まず升田さんは、「哀弟死去作歌一首并短歌」を読みあげてくれました。そこに「延(は)ふ蔦(つた)の、各(おの)が向き向き、天雲の、別れし行けば」という言葉が出てきます。この「オノ(各)ガムキムキ」に、今回のテーマが凝縮されているようです。

ちなみに万葉集では、この意味での「オノ」の表記は、各のほか、己、自、於能、意乃があるそうです。
升田さんはそこから、今回のテーマの「〈わ〉の先にあるもの」を読み解いてくれたのですが、あまりに盛りだくさんの話題が紹介されたため、私にはうまく消化できず、いつも以上に主観的に偏った報告になりそうですが、お許しください。

サロンの冒頭で、升田さんは二分心にも触れて、一方的に神から言葉が降りてくる古代ギリシアの『イリアス』の世界と、言葉の力を借りて神と対峙する日本との違いに触れてくれました。古代日本では言葉が力を持っていて、その言葉を使うことで人からも神に話しかけられ、さらには「言」が「事」になる。そしてそれによって、等質で平等な人の中に、違いや間の感覚を生み出し、「ワ」よりも強い主体性を持つ「オノ」という感覚が生まれ、「命」や「死」に対峙する意識が生まれ、物語への道が開かれてきた、という大きな流れを俯瞰してくれました。
「言葉」「意識」「物語」の関係を考える重要な示唆が込められているような気がします。

つづいて、「オノ」という「言」を、万葉集や記紀、さらには祝詞を使いながら詳しく解説し、「な」や「た」とあいまいにつながっている「わ」よりも強い「個の意識」を持つ言葉だと説明してくれました。

今様に言えば、「わ」や「あ」は一人称、「な」は二人称、「た」は三人称と言えますが、実際にはこれまでのサロンでも繰り返し話題になったように、当時はそもそも「人称」という概念はなく、すべてがあいまいにつながっていたと言えますが、「オノ」という言葉は、「オノガムキムキ」というように、「他に対峙する個」が感じられます。その言葉に当てられた文字、各、己、自、於能、意乃もそれを裏付けているような気さえします。あいまいな存在だった「わ」「あ」とはちがって、能や意がつながり、まさに「一人称」の誕生が感じられます。
升田さんは、「オノ」には物語性があると言いましたが、『イリアス』のような神々の物語はともかく、人の物語は「一人称」が起点になります。

『万葉集』には「わ」はたくさん登場しますが、「オノ」はあまり多くは登場しません。しかし、『万葉集』以来、次第に「わ」は減少し、「オノ」が増えていくそうです。
外の世界に対峙する(向く)意識が強まっていくと言ってもいいでしょう。物語が生まれてくるのは間違いありません。
「オノ」意識から物語が生まれやすくなっていく。「オノ」には物語が内在していると言っていいかもしれません。

なにやらとても大きなメッセージをもらったような気がするのですが、いざ報告をまとめようとするとうまくまとまりません。ここまでのところでさえ、かなり主観的で独りよがりの解釈です。升田さんに叱られるかもしれません。
しかもそもそも、「あ」や「な」や「た」の平和の世界から、どういう契機で「おの」という「ことば」がうまれたのかが、わからない。「お」はなんとなく理解できますが、そこに「の」がなぜついたのか。実はこれについても少し説明があったのですが、私には十分消化できませんでしたので、中途半端な報告は控えます。

そこで、今回のサロンで伝えたかったことを簡潔にまとめてほしいと升田さんに頼んだら次の文章が届きました。

「おの」は、稲穂の傾き(生育)などに感応の古原点を持ち、「生と死」などをあたかもメタファーのように歌いながら「対向」の関係を気づかせている。「相対する」「向かい合う(並び合う)」対向(等質並列)の意識は、「己」の意識が独自性を持って発展していくことにも大きな関わりを持っていく。「言葉」は「命」と等質にこれらに絡んでくる。
原点にあるのは「鬼(モノ)」であろう。

「原点にあるのは「鬼(モノ)」」?
古原点は「稲穂の生育」?
ますますわからなくなってきた。
悩んでいたら、升田さんから追伸が届きました。

「おの」は神の領域を顕す言葉で、やがて人間の意識の自立を促す?ものなのかもしれません。思いきって大想像を働かせて(報告を)書いてください。

と言われても、どう想像すればいいというのか!?
困ったものだ。

しかし、お許しが出たので、思い切った素人論議を書くことにしました。
したがって、ここから先は読む価値はありません。
升田さんに頼んで、今回の消化不良を補うために、次回もこのつづき、つまり「オノとオニ」でお願いしようと思いますので、次回以降、「オノ」の意味も、少しずつ明らかになっていくでしょうから。
以下は全くの知識のない者の独りよがり感想です。

私は、「オウ」が言葉の始まりだと思っています。
伊勢神宮の遷宮神事でも神官が「オウ」と声を発しながら行列していましたが、この発声(警蹕:けいひつ)が言葉の起源であるという説を聞いたことがあります。私はさらに、警蹕が歌の起源、意識の起源でもあると思っています。
升田さんは、「おの」は神の領域を顕す言葉だったと言いますが、私は神の領域とつながる、いわば「開けゴマ!」の呪文なのではないかと思います。神とのつながりが「オウ」という音になって発声された。ということで、私は「オ」は「右脳にある神の私」だと思っています。
ところが実際にやってみるとわかるのですが、大声で「オウ」と叫び続けて息をつくと、自然と口が緩んで、「わ」とか「あ」という音が出る。
つまり、「お」の派生語で「わ」「あ」が出てきた。神に対峙する「左脳の個人の私」です。でもまだ左脳は目覚めていない。
しかし、「わ」「あ」を発しているうちに、「な」や「た」との緩やかなつながり(ひろがり)が生じ、そのやりとりの中で、左脳が目覚めて「意識」が生まれ、違い(自己)に気づきだした。
升田さんがいうように、「おの」が右脳から離れて左脳へと移り、「おのれ」へと成長した。「右脳に対峙する意識を持った私」です。
神にとっては一人称も二人称も、いや三人称さえないでしょう。何しろ神とつながっているのですから。しかし左脳に基軸を置けば、事態は全く変わってきます。すべてを包み込む神に、個として対峙するという風にベクトルが反転するので、「オノガムキムキ」になって、「た」がばらけていく。そして「意識」が生じてくる。

「オニ」の話はさらに飛躍しそうなのでやめますが、「鬼」もまた右脳の世界の存在でしょう。鬼は「モノ」と発音されていましたが、そこには神が宿っていた。山川草木悉皆仏性は日本本来の思想だったのです。仏と鬼(神)の違いだけです。
また升田さんは「言葉にすることの意味」(言霊)についてもちょっと言及されましたが、これはとても大きなテーマなので、一度きちんと取り上げたいと思います。

いずれにしろ、今回予告的に俯瞰された「〈わ〉の先にあるもの」が見えてくるのは、もう少し先になりそうです。
次回は4月の第3日曜日(4月20日)開催の予定です。

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2025/03/03

■節子への挽歌6288:我孫子は午後から雪でした

節子
我孫子は午後から雪でした。
昨日は小春日和だったのに、今日は雪。
最近の気候に付き合うのは疲れます。
寒いとあまりなにもやる気が出てこなくて、今日は病院に行こうかどうか迷ったのですが、結局、行きませんでした。

3日続けて毎日2万歩以上も歩く旅行と知って、元気だねと言ってくる人が意外と多いのですが、ユカに言わせると当然でしょうと言います。
たしかにみんなから心配されてもおかしくない年齢なのでしょう。
でもその感覚が全くないのです。
困ったものです。

とはいえ、活動量が激減しているのは自覚しています。
おそらく読書にしてもパソコン作業にしても、あるいはその他諸々の生活行動にしても、以前に比べれば、半減どころではないでしょう。そもそも何もやらないでボーっと過ごす時間も少なくない。
時間間隔は全く違っています。

物理学者のカルロ・ロヴェッリではないですが、私も誰にも共通の時間などあるとは思っていませんし、時間の長さは自分でかなり操作可能だと思っています。
最近の私の時間は、動きが速くなっていますが、主観的にはむしろ遅くなっている。こうした矛盾した感覚はうまく説明できませんが、時間の意味があまりなくなってきているような気さえします。
そのため、以前ほど、時間を大切に使用などとも思わなくなっています。
「時は金なり」などという諺にはもうだまされはしませんが、私なりの時間の使い方はまだうまくできていません。
でもまあいまではもう時間など気にならなくなってきたと言ってもいいでしょうか。

今日は寒いながらも、のんびりしたいい日でした。

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2025/03/02

■節子への挽歌6287:いつもの朝が戻ってきました

節子
いつもの朝が戻ってきました。
昨日は頑張って、旅行中に描けなかった挽歌を書きました。
話題が多いので小出しにして10余りの挽歌を書きました。
と言っても、最近は挽歌ではなく日記になってしまっていますが。
でもまあ、書くときは必ず節子を思い出しながら書いているので、許してください。

旅行中の3日間は、毎日、2万歩以上歩いていましたが、そのせいか、一昨日はサロンで湯島に行くのに足がふらつくほどでした。
少しは休めないといけないと言われ、昨日は孫からの誘いも断って自宅でゆっくりしていたのです。
そのおかげで足の疲れは消えました。
今日もまた湯島でサロンですが、たぶん足は大丈夫でしょう。

今日は6時に起きて入浴。
いつものように、パソコンチェックをした後、ニンジン・リンゴジュースをつくろうとしたのですが、材料のニンジンとりんごがありません。
しかたなく既成のリンゴジュースを飲みましたが、やはりニンジンが入っていないと美味しくありません。
日の出は見損ないましたが、朝日の陽光は浴びました。
今日もいい天気になりそうです。
いい日になるといいのですが。

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2025/03/01

■節子への挽歌6286:次の心配

節子
3日間の旅行は無事おわりました、その途中、ちょっと気になることが発生しました。
2日続きで、いずれも夕方入浴前に気づいたのですが、下血し下着が汚れていたのです。
さほどひどいわけではありませんが、軽いわけでもありません。

実は1か月ほど前にも一度あったのです。
もしかしたら陽子線治療の副作用かとも疑ったのですが、ユカから大腸ガンかもしれないと指摘されました。確かに私はその種の検査は全くしていないので、可能性はゼロではありません。前立腺がんの前例もありますし。
ユカはすぐに医者に行くように言うのですが、まあそんなに慌てることはない。
しかし、またあの東邦病院の加藤医師に会えるのはうれしいことです。
水曜日は加藤医師の診察日なので、行ってみようと思います。

しかし、まあ、この歳になるといろいろとあります。

今日は午後、自宅でゆっくりしていたのですが、新潟の金田さんから電話がありました。
金田さんもいまも入院中なのです。
いつもこの時期にチューリップを送ってきてくれるのですが、入院中で送れないという電話でした。
金田さんも90です。

今日は自宅でゆっくりしました。
昨日はサロンで湯島に行ったのですが、足がふらつく感じで、駅ではちょっと怖いほどでしたが、今日一日ゆっくりしたおかげで、疲れはほとんど取れた気がします。
明日はまた湯島ですが、戻っているといいのですが。

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