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2025年4月

2025/04/30

■湯島サロン「農福連携からケアコミュニティへ」のご案内

「農」も「福祉」も実践しながら、長年、農福連携のあり方を実践的に研究している熊本の宮田喜代志さん(合同会社100年ボンド「農業+福祉コーディネーター」)のサロンを久しぶりに開催します。
昨年は開催できませんでしたので、2年ぶりの開催です。

この間、宮田さんの活動も広がり、農福連携の次の段階へと進んでいるようです。
そこで今回は、前回説明のあった、100年ボンドの市民協働型の展開状況のほか、天草下田南の廃校跡に出来たフリースクール(多様な教育)に関わって地域再生の支援活動や刑余者(高知刑務所に服役中)の青年との人生つくり直しの道程など、農福連携から広がってきている「ケア」と「コミュニティ」の話をしてもらいます。

そもそも私と宮田さんとの出会いは、25年ほど前の「コミュニティケア」活動でしたが、私も宮田さんも、その後、次第にコミュニティケアからケアコミュニティ活動へと向かっているような気がします。
と同時に、私と同じように、宮田さんご自身の人生も変わってきているように思いますが、いつもながら、ご自身の生き方につなげながらのケアとコミュニティの話をしてもらおうと思います。

気楽なサロンになると思いますので、気楽のご参加いただければうれしいです。

○日時:2025年5月23日(金曜日)午後2時~4時
○場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「農福連携からケアコミュニティへ」
○話題提供者:宮田喜代志さん(農業+福祉コーディネーター)
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2025/04/29

■遠山哲学サロン⑨「存在論の世界にちょっと触れてみませんか」のお誘い

小坂井敏晶さんの『社会心理学講義』を読み解くことから始まった遠山哲也さんのサロンは9回目を迎えました。これまでは、『社会心理学講義』が提起した「虚構」を大きなテーマとして取り組んできましたが、話題がどんどん広がっているので、これからは『社会心理学講義』に縛られることなく、話題をさらに広げていきたいと思います。
それでサロンの名称も、次回から「遠山哲学サロン」と称したいと思います。

「遠山哲学サロン」に改称した初回は、遠山さんの専門でもある「存在論」にちょっと触れておきたいと思います。
遠山さんはアリストテレスが大好きなのですが、アリストテレスは主著『形而上学』で「存在を存在として研究し、また、これに自体的(本質的)に属する事柄を研究する一つの学がある」と書いています。ここから、「存在論」と言われる分野が始まりました。
以来2400年と長い時間が過ぎましたが、「存在」の理解は進んだのか、なかでも一番身近であるはずの存在である「わたし」については、果たして分かってきたと言えるのか。
そんなところから、「存在論」とは何かを紹介したいと、遠山さんは考えています。

哲学者ハイデガーは、私たちは、「どこから来て、どこへ向かって行くのか」といった、根本的問いを自らの問題として引き受けることが必要であると言いました。
この問いは、いろいろなところで問われるようになっていて、いまや身近で親しみあるテーマになっていますが、哲学の伝統である存在論のど真ん中にある問いです。
今回はこの問いにも触れたいと遠山さんは考えています。

遠山さんの哲学サロンの再出発にあたり、哲学の本流ともいえる「存在論」を取り上げますが、「存在論」? なんだかとっつきにくいなと思われる方には、ぜひ見て頂きたいと遠山さんが次の動画を紹介してくれました。
世界の奇書をゆっくり解説 第20回 「ベティ・クロッカーのお料理ブック」
https://www.youtube.com/watch?v=UYaiKIpSwLw&t=61s

約60分と長いですが、「存在」についていろいろと考えさせられます。
お時間が許せば、ぜひご覧ください。
サロンでは、この動画を材料に、「存在論」の世界を楽しんでいただきたいと思います。

これを機会に、これまで参加したことのない人も、気楽に遊びに来てください。
「哲学」と言っても、なにしろサロンですから、思い切り楽しんでほしいといつも思っています。

〇日時:2025年5月16日(金月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:存在論の世界にちょっと触れてみませんか
〇書籍紹介者:遠山哲也さん(哲学を生きる哲学者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2025/04/28

■第39回万葉集サロン「〈おの〉-〈た〉からたち顕れてくる意識の〈わ〉」報告

前回の「〈わ〉の先にあるもの」のパート2です。
前回から登場した〈おの〉という言葉が今回もキーワードになりました。
自らを指す言葉(文字)として、〈わ〉や〈あ〉とはちがった〈おの〉が登場した背景が少しずつ明らかにされてきた気がします。
今回、私が気づかされたのは、時間軸の方向を逆転させると見えてくることがあるということです。つまり、どこから考えるかで、違った風景になるということです。

〈おの〉という言語と概念はどこから来たのか、升田さんは、その基底には深層古代があると考えています。
渡来人が主導した文字文化によって描き出された日本人の歴史の先に、日本列島で育っていた無文字文化があるはずだと私は思っていますが(それがあったからこそ渡来の文字文化とは違った独自の和文化が生まれたのだと思います)、その一端が、この〈おの〉という言葉に秘められているのかもしれないわけです。私がわくわくした原因はそこにありそうです。

しかも、今回のサロンで、升田さんはもう一つ驚きの仮説を少しだけ話してくれました。万葉集を撰集した大伴家持が「万葉集」に託した思いです。家持はもしかしたら「万葉集」を通して後世に伝えたことがあったのかもしれないと、控え目に語ってくれましたが、私には目からうろこの話でした。もしかしたら、それも文字文化が入ってくる前の無文字の日本列島の土着文化に関係しているかもしれません。
なぜあんなに東歌があるのか、そして今もまだ読み解けない歌があるのか。
当時の政争も謎が多いですが、もしかしたらそうした動きにもつながっているのかもしれないと思うと想像はどんどん広がってしまいます。
好きになれなかった大伴家持の印象も一変しました。

まあそんなこともあって、今回は勝手に想像を膨らませていたため、肝心の升田さんの話をきちんと消化できずにいます。
というわけで、今回も思い切り主観的な偏った報告になりますが、お許しください。

升田さんは、『植物で観る万葉の世界』から、なでしこ、おもひぐさ、つた、こなら、などの植物の写真を見せながら、それにまつわる3首の歌から話を始めました。
最初は植物(花など)からの呼びかけに応じて歌が詠まれていたが、次第に植物(花など)に呼びかけるようになっていった。つまり、植物とのやりとりの歌を通して、人の意識が育っていくのが読み取れる、というのです。おそらく植物に限らないでしょう。だから、風土を知ってこそ人間がわかる、と升田さんは言います。

そしてさらに、植物の育つ方向(「穂向き」)に類感する「いのちに向かふ」という意識が生まれてくる、というような話へと広がっていきました。これが今回の導入部で、そこから「生と死」や「意識の個別化=個性」といった話へと展開していきました。もちろんそれぞれに万葉集の歌を読みながら、です。

今回は読まれた歌も多く、話題も多いので、消化できていないのですが、たとえば、「各寺師人死為良思妹尒恋日異羸沼人丹不所知」(巻12-2928)の「おのがじし 人死にすらし」や前回読んだ田辺福麻呂の哀弟死去作歌一首并短歌に出てくる「這う蔦の おのが向き向き」という詞を手がかりとして、「おの」には「方向性」(特に横並び)を観相する意味があると、升田さんは言います。さらに、植物を読んだ歌によく登場する「穂向き」に注目し、そこに「いのちに向かう」といった意識を読み取ります。
ちなみに、升田さんがここでいう「方向性」は、「横並び」という言葉まで含意しているように、どうも一方向ではなく、往来的な、あるいは円環的な方向性まで意味しているようです。ここは冒頭に示唆された「時間性」を考えるうえで重要なポイントだと思いますが、深入りはやめましょう。

〈た〉の中の〈わ〉が対象を共同体 ・総体として融合していた状況においては、〈わ〉は時に〈な〉と一体化し、さらには〈た〉とさえ融合してしまっていましたが、次第に〈た〉や〈な〉とは分離された個としての〈わ(己)〉の意識が顕われてくる。それが〈おの〉という表現に現れていると升田さんは考えているようです。
「個の意識」「個性」といってもいいかもしれません。
そしてそのことは当然、〈わ〉に「死」の概念が生まれたということになります。〈た〉や〈な〉と切り離されていない限り、「死」は「生」とつながっています。

さらに、「いつへ・いづく・いづち」と言った、我が身や心の迷いや葛藤を嘆じる歌がたくさん紹介されましたが、この混迷する抽象性が〈わ〉から自己の意識を生む大事な要素であるととらえることができると升田さんは言います。
「迷い」「葛藤」「死」。まさに「おのが向き向き」。そうした「自己意識」に覚醒・生成していく姿を「おの」は見せてくれているのです。

升田さんはまた、今回、「横並びの関係」という表現を盛んに使いました。
〈おの〉とは〈た〉や〈な〉と切り離された独立の存在というように捉えれば、それぞれが対等に存在しますから、その関係は横並びとなるのでしょう。そうした横並びの関係が、柔軟で自由な発想を楽しむ「たおやかな」平安和歌を生み出していくわけです。

死に絡んで、死生観、黄泉の国との往還の話なども話題になりましたが、ほかにも興味深い話題がいろいろとありました。深入りしたい気分ですが、長くなるのでやめましょう。
〈おの〉に関連してか、「お」と「を」の違いの紹介もありました。実はこれだけでも1回のサロンに値するほどの内容なのですが、升田さんはともかくもどんどんと先へ先へと言ってしまうのでついていくのが大変です。
たぶん升田さん自身が、いろんなことの気づきを面白がっているのでしょう。あまりに知識が不足している私としては、その「面白さ」についていくのが難しく、報告もほんの一部を不正確にしか書けていないのが残念です。
〈おの〉に関しては、もっと知りたくなってきました。

ともかく今回も「アッと驚く万葉集!」でした。

ちなみに今回は、笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌や生死や恋を歌った歌など、たくさんの歌が紹介されました。
そして最後に升田さんは、参加していたプロのナレータからの要望で、大伴家持の「防人の別れを悲しぶる情を陳べたる歌一首并びに短歌」を読み上げてくれました。
やはり万葉集の歌は、文字で読むのではなく、耳で聴くのがいいです。

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2025/04/27

■湯島サロン「今度は岐阜で1年過ごすことにしました」のお誘い

大学生時代から湯島のサロンに参加し、その後、「学ぶとは何か」「生きるとは何か」「働くとは何か」などを考えるために、大学を休学して、いろんなフィールドで体験を重ねてきた川端修平さんが、昨春、ようやく大学を卒業。一時、就職したかと思ったら、3か月で退社。その後も模索を続け、人生探しのための旅行先での出会いから昨年末から今年初めまでの3か月、熊本で働いていました。

その3か月間の熊本での生活で、川端さんが何を考えたのか、3月のサロンで話してもらいましたが、4月に岐阜にまた転居しました。今度は1年の予定です。
最近の若者の生き方の柔軟さにはそれなりに慣れているつもりですが、川端さんの生き方は私にもなかなかついていけません。前回のサロンで聴いた3か月の熊本生活で得たものの大きさは理解できたのですが、だからと言って、今度は岐阜で1年? 
それでついつい、良識派の私としては、それで川端さんは20年後何をしているの?と訊いてしまいました。そうしたら川端さんは、前にも訊かれましたが、まだ言葉になりませんというのです。
目標を決めて生きる生き方はもう過去のものなのだと気づかされました。
社会はダイナミックに動いている。そうであれば、個人の生き方もダイナミックであってもいい。若者の生き方にこそ、未来は投影されているのかもしれません。

川端さんは月に1回、自宅に戻ってくるそうです。そこで、戻ってきた時にまたサロンをやってもらうことにしました。
というわけで、5月17日の土曜日に、岐阜に行って思ったことの気楽な報告会サロンを開催します。ただし経済的に余裕がない場合は、交通費がないので帰ってこられないそうですので、サロンは中止になります。

さてさてどうなりますか。

なお今回は開始時間がいつもより30分早い午後1時半からですので、ご注意ください。

〇日時:2025年5月17日(土曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:川端修平さん(20代の若者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■湯島サロン「向こう三軒両隣の精神は生きているのか」 のご案内

私のフェイスブックへの投稿「個人情報という発想への違和感」を読んで、吉本精樹さん(仲直り支援の会代表)が企画したサロンです。
吉本さんが一度、案内を出していますが、私からも案内させてもらいます。
私の投稿記事は案内の後に掲載していますので、少し長いですがお読みください。

吉本さんの提案は、私の投稿記事を元に「新・向こう三軒両隣」を考えるサロンを楽しもうということです。そして、友と交わる意味を改めて話し合ってみようということです。

以下、吉本さんからの案内です。

「とも」という漢字には様々あります。
共 智 友 供 伴 朋 鞆 艫 塘 基 巴 奉 …
それぞれの意味を考えると、多くの「とも」の源泉は「友」という気がします。
佐藤さんによると自分から発して6人にも伝われば、皆が何らかの「とも」なるものを共有しているのでは無いか、ということでしょうか。

昨日、ちょうど、面白い経験をしました。同じ郷里の方と一緒にドライブしながら、この佐藤さんの記事を紹介しました。するとご当人は年に一度だけ郷里に帰るそうですが、一族郎党の方々が今でも集い合い(全部で70名前後いらっしゃるそうです)飲み食いを楽しんでいらっしゃるといいます。 私自身は親が亡くなって以来、そうした事から離れていたので驚きました。
そして彼は言います。「一緒に遊んだり、過ごしたりしていれば必ず気の合わない、嫌いな奴が出て来るけど、「友」の意味は、嫌いであっても共に場を共有し、飲み食いしていれば、それ自体が生きていることに通じる。「塘」という字は、川や海と陸地の境を意味する塘だけど、異なる物質が交わる交差点に現れて塘となり、異質なモノ同士を繋ぐ堤(つつみ)になるんじゃないの」と。

長くなりました。このサロンでは「人と繋がれば人生楽しくなるか」また「向こう三軒両隣の精神は生きているのか」の2つのテーマを話し合いながら、楽しく場を分かち合いたいと思います。

私も参加しますが、よかったみなさんもご参加ください。

〇日時:2025年5月10日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「向こう三軒両隣の精神は生きているのか」
〇ナビゲーター:吉本精樹さん(仲直り支援の会代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔個人情報保護という発想への違和感〕(私のフェイスブック投稿記事)
この数日、改めて人のつながりの面白さを実感しています。
数日前に40年程ぶりに、かつてあるプロジェクトの相談を受けていた人がやってきました。その頃、私はまだ企業関係の仕事もやっていましたので、その人も企業の人で、プロジェクトも企業がらみでした。
そのプロジェクトは残念ながら企画段階で終わってしまいました。もし実現していたらまさに今の時代にも大きくつながるおもしろい構想でしたが。
40年ぶりにやってきた人とは最近フェイスブックでつながったのです。
それで再会となったのですが、その人はビジネスマンだとばかり思っていましたが、画家であり演劇人でした。それで話していたら、意外なことがわかりました。
先日、演劇関係の講演会に友人に誘われて行った時に、偶然隣に座った人と話したら私と共通の友人がいたことをフェイスブックに書いたのですが、その宮城さんと知り合いだと言うのです。まあそれもあって今回、久しぶりに訪ねてきてくれたのかもしれません。
それだけではありません。 私が一度話してみたいなと思っている人とも、その画家の人は知り合いでした。
人の輪はどんどん広がっていく。 そんなことが最近よく起こっているのです。

昨日は令和の百姓一揆のデモに参加したのですが、以前、ピースウォークに参加した時に、定刻に誰も集まらず、2人だけで歩いた人がいますが、その人のこと思い出して昨日一緒に行った人に話したら、なんとその人とは活動を共にしたことがあるそうで、その人の伴侶とは学校の同級生だったと言います。まさかのまさかです。

こうやって話していくと、人はたぶんみんなつながっているのでしょう。
80億人というと、いかにも膨大な人数のような錯覚を持ちますが、兆単位でつながっている微生物に比べればわずかな数の集団です。まさに「スモールワールド」で、みんな6~7人を介してつながっているのです。
にもかかわらずいまだに地球からは戦争がなくならない。
人のつながりがもっと可視化されれば、世界は変わるかもしれません。
だから、みんなもっと自らの世界を開いていけばいいなと思っています。
そして、私は思い切り自分のことを開示する生き方をしているのです。
個人情報保護という発想にも、私は違和感を持っているのです。

 

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2025/04/24

■湯島サロン「3つのパブリックとクウキ」報告

「公共」の問題は、湯島のサロンの底流に置いている大きなテーマの一つです。
だからきっと多くの人が参加するかなと思っていましたが(そう思ったのは私だけではなかったようです)、意外にも参加者は7人。でもそのおかげでじっくりと話し合えた気がします。

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万仲豊さんがこのテーマに出合ったのは15年ほど前、アメリカのスタンフォード大学で学生と話した時です。
万仲さんが、「日本には“public”が足りないと思いませんか?」と学生に訊いたところ、「いいえ、日本には“public”が多すぎます」と言われたそうです。
そこで万仲さんは、“public”って人によって捉え方が違うことに気づいたのです。
万仲さんが考える“public”は「住人たちが、その興味・関心・困りごとをマナーをもって対話できる場」であるのに対して、その時の相手の学生が考えていた“public”は「公安警察/軍、抑圧型の学校/教育、派閥、町会/世間」だったのです。

そこから万仲さんは、どんなタイプの“public”(公共圏)があるのか考えました。
そして「3つの“public”」があることに気づいたのです。
ここでの“public”は、万仲さんは「公共圏」や「みんな」と同じような意味合いで使っています。参加者からは「価値観」のほうがわかりやすいという意見も出ましたが、同じ価値観を持った人たちが形成する公共圏を“public”、さらには「みんな」と万仲さんは捉えているようです。

そこで案内にも書いた〈3つの「みんな」仮説〉になっていきます。
第1の“public”は、クウキ/長いものに順応しわきまえる人たちがつくりだす「クウキを信じる公共圏」。
第2の“public”は、一つのプリンシプルを信じ、それで闘う人たちがつくりだす「一神教を信じる公共圏」。
そして、第3の“public”が、「なぜそう思うのですか?」と聞いてみる人たちがつくりだす「自立共生的な公共圏」。
そして、これら3つの“public”は分断されていて、お互いにほとんど話が通じないばかりか、対立関係にある、と万仲さんは言うのです。
以上のことを万仲さんは、添付した「3つの“public”」として図解してくれました。

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理論的には、3つの“public”を束ねる、上位の“public”が想定されますが、実際には多くの人はこのいずれかの“public”に内向化しがちで、その傾向はますます強まっている。そこに万仲さんは「現代の危機」を強く感じているのです。
誰もが「みんな」のために生きている。にもかかわらず、「みんな」の定義が違うために、逆に対立が生じてしまう。それでいいのか。それが万仲さんの問題意識です。
とても共感できます。

そういう状況を変えていくためには、クウキに身を任せたり、一つのプリンシプルに従うのではなく、それぞれが「なぜそう思うのですか?」と自分の考えで他者に向かっていかなければいけないのではないか。
万仲さんは、第3の“public”を広げていくことを目指しているのです。

万仲さんは、3つの“public”の違いを、どんな「オトナ」を目指すのか、で考えるとわかりやすいと話してくれました。
わきまえる「オトナ」たち(そうでない非国民で処分)がつくりだす“public”、同じものを信じる「オトナ」たち(異論を言う穀潰しは排除)がつくりだす“public”、「なぜそう思うのか?」と訊く「オトナ」たちがつくりだす“public”。
そして万仲さんは、目指すべき“public”は、自分で考え、納得できないことには「なぜ?」と問いかけるオトナたちがつくりだす“public”ではないか、と言います
私もそう思います。しかし、残念ながらいまの日本は、そうはなっていない。
子どものころは、「おかしいな。変だな」と思ったら、「なぜそうなの?」と訊けたのに、オトナになると訊けなくなる。いや深く問うことなく、「胎に収めてしまう」。
そうして、第1、第2の“public”が広がっていく。

そうした状況のなかで、私たちにできることは何なのか。
万仲さんは、杉並区の岸本聡子区長の提唱する「ミュニシパリズム」こそが第3の“public”を目指す動きだと紹介してくれました。

「ミュニシパリズム」に関しては時々、湯島のサロンでも話題になりますが、地域に住む人たちの生活を第一に考える発想です。
ミュニシパリズムは、一般に「地域主権主義」とか「住民主義」と訳されますが、万仲さんは「住人主義」と訳しました。「民」ではなく「人」を基本にしないと結局は第1、第2の“public”になってしまうのではないかというわけです。私も同感です。特に「国民」、つまり「国の民」などという言葉に慣れてしまっていると、ウクライナのような状況になってしまうのです。

私たちは、国や“public”の部品に甘んじることなく、主客転倒しなければいけません。そこで暮らしている人のためにこそ、国も“public”もあるのです。
いささか私見を書きすぎてしまい、万仲さんに叱られそうですが、万仲さんがこのサロンを通して参加者に考えてもらいたかったのは、そうしたことかもしれません。
これから大切な“public”は、3つめの「なぜと問い合う公共圏」なのではないか。それこそが、「ミュニパシリズム」における“public”なのではないか。

万仲さんは話し合いしやすいように、対話テーマのリストを作成し、参加者に配ってくれていました。それを切り口に、話し合いは多岐にわたり、とても興味深かったのですが、長くなったので、一つだけ紹介しておきます。

義務教育とクウキということで、万仲さんは小学校1年生用の道徳教科書にでている『かぼちゃのつる』の話をしてくれました。ご存じの方もいるかと思いますが、まさにこれこそ「クウキ」づくりの典型例でしょう。
内容は下記をご覧ください。
https://ima-coconi.net/2019/10/12/blog-61/
どうでしょうか。
評価はたぶん分かれるでしょうが、「みんな」はこうやってつくられていくのかもしれません。一度、これをテーマのサロンをやろうと思います。

ほかにもいろいろの話題が出ましたが、最後に万仲さんは、「モヤモヤしながら終わりましょう」と言いました。これもとても共感できます。
“public”とはそもそもモヤモヤしたものであり、すっきりしようなどと思ってはならないのです。
私にはこれが、今回のサロンで一番気づかされたことでした。

 

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2025/04/23

■CWSコモンズライブラリー第3回推薦図書

CWSコモンズライブラリーの推薦図書がまた5冊追加されました。
いずれも湯島で貸し出しています。
関心があったら是非お読みいただき、感想をお寄せいただければうれしいです。
湯島に貸出ノートがありますので、必ずそれに記帳して借り出してください。
貸出期間は最長で2週間です。
もし読んで、その本に関してブックサロンをやりたくなったら気楽にお呼びかけください。

ちなみに、この図書は基本的に湯島のサロンの仲間からの提供です。
期間限定のものもあります。
この本をみんなに読んでほしいという本で提供してもらえる本があればご連絡ください。
ただし提供期間は3か月以上にしていただき、貸し出しに伴うリスク(毀損・紛失)は覚悟してください。

なお最近サロンが多くて、ブックサロンが開催できずにいますが、5月中には一度開催したいと思っています。

第3期の推薦書は次の5冊です。
推薦文は書籍提供者によるものです。

〔第3回推薦書〕

■中村桂子『人類はどこで間違えたのか 土とヒトの生命誌』(中公新書ラクレ)〔升田淑子提供〕 
「生命誌」という著者独自の世界観を背景に、「『私たち生きもの』の中の私」という視点から、分析的な「科学」を超えた現代の危機の解決策を提唱。科学者の優しさを身に感じながら読める穏やかな文体で読みやすい本。

■ヨー・ライネン/アンドレアス・ブメル『世界議会 21世紀の統治と民主主義』〔原田雄一郎提供〕
「人類に22世紀はあるか?」。今、この問いに答えなければならない。例えば「核と気候変動」をコントロールできなければ人類社会に未来は無いだろう。本書は圧倒的な古今東西の文献、歴史的事例からこれに対する具体策とその道筋を示している。

■斎藤幸平+松本卓也編『コモンの「自治」論』(集英社)〔鷹取功提供〕
「コモンズ」と「ケア」をベースにした社会のビジョンと、そうした社会を実現していくための具体的実践策としての「自治」と「ミュニシパリズム」を具体例も入れながら、7人の論者がわかりやすく解説してくれています。

■内田樹『日本型コミューン主義の擁護と顕彰』(ケイアンドケイプレス)〔高野アズサ提供〕
なぜ天皇と一言いえば、極右の三島由紀夫と極左の過激派学生たちが共闘できるのか。それが理解できない限り、日本における政治革命は語ることはできない。内田樹らしい「既成観念でない実体観」から「腑に落ちる」まで思想した名著。

■日本子どもNPOセンター『子どもNPO白書2023』(鳴海出版)〔小木美代子提供〕
「子どもNPO白書」の最新刊。「こども家庭庁」と「コロナ禍の中での子ども・子育て最前線」を特集。実践編では、8つの領域に分けて、NPOの現場実態を担当者が報告。子どもたちの世界の全体像を実感できます。

 

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■闘論サロン「アメリカって私たちにとって何なのだろう」報告

闘論サロンの3回目は、村上千明さんの提案で「アメリカって私たちにとって何なのだろう」をテーマに選びました。
いつもと違って午前中の開催だったにもかかわらず7人が集まりました。
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最初に村上さんからのメッセージが改めてありました。
実は、案内に書いた村上さんの「アメリカって私たちにとって何なのだろう」に関してはサロンと別にいろんな方からメールをもらいました。
「これは冗談?」という意見もありましたが、トランプ大統領の言動に好意的な意見が多かったのが印象的です。しかも、「トランプのおかげでいろいろなことが見えてきた」とか「トランプのおかげで現体制の崩壊が早まったので感謝」というような「感謝」の意見もありました。「トランプトンデモ政権」的な報道が多いマスコミとは違っていましたが、しかし村上さんのように「アメリカに感謝しよう」という意見はありませんでした。

サロンでは村上さんの意見に真反対な意見もあり、まさに闘論になったところもありますが、大勢として村上さんに押し切られたような気がします。
私も何となく確かにそうだな、とうなずいてしまいました。
ほぼ例外なくみんなメリカに憧れていたはずですから。
もちろん、属国扱いされたり洗脳されたり市場化されたりして、アメリカに利用されたという意見や日本もいま同じ状況にあるのではないかという意見。「感謝」とか「恩」とかいうのはまさにアメリカの罠にはまっている証とかいう意見はたくさん出ましたが。

村上さんがサロンの後、当日の問題提起をスライドにしてくれました。
https://youtu.be/c8OQN0ezEDE
短いものですので、ぜひ見てください。

ちなみに、アメリカに感謝しようと言っている村上さんも、これからもずっとアメリカと一緒にやっていこうなどとは言っていません。感謝が未来を拘束するわけではありません。その点は誤解されませんように。

村上さんは、スライドの最後に2択の選択を問いかけていますが、当日の結果は3対4で、意見はほぼ半々に分かれました。
みなさんはいずれでしょうか。

考えさせられることの多いサロンでした。

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2025/04/22

■湯島サロン「黒澤組の2人が語る黒澤明監督からのメッセージ」報告

映画『乱』のメイキング作品『Life work of Akira-Kurosawa』(日本映画ペンクラブ賞2024年奨励賞受賞)を制作した河村光彦さんと映画『影武者』から『まあだだよ』までの黒澤映画に出演した俳優の櫻井勝さん。そのおふたりが黒澤明監督からのメッセージを話すサロンは申込者が多くて、最後には会場の関係でお断りするほどでした。
20人を超すサロンになったため、参加された方々には十分発言する機会も取れず、申し訳ありませんでした。
しかし、河村さんのご厚意で、参加者には『Life work of Akira-Kurosawa』のDVDやBDがお土産にもらえましたので、それをじっくりと見てもらえれば、と思います。

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サロンはまず映画『影武者』の冒頭のシーンの映写から始まりました。
そこに登場するのは、黒澤映画初出演の櫻井さん。大学生だった櫻井さんは『影武者』出演者のオーディションに応募して、この映画の冒頭出演になったのです。
櫻井さんはその時のエピソードにつづけて『影武者』撮影の時のエピソードから、黒澤明監督の人柄や映画づくりの姿勢などを生々しく伝えてくれました。
たとえば、『影武者』は当初、勝新太郎さん主役で撮影がスタートしましたが、途中で監督との折り合いの関係でか、主役が仲代達也さんに交代。そのおかげで、櫻井さんは主役のキャストが変われば、同じシナリオなのに全く真逆のシーンになるという体験をされたのです。まさに映画は、監督やキャストによって生み出されているわけです。
とまあ、こういう話を少ししたうえで、バトンは河村さんに渡されました。

河村さんの取り組みは案内でも書かせてもらったので、繰り返しませんが、『 Life work of Akira Kurosawa』制作を契機に、改めて黒澤映画をすべて見直し、そこに込められた黒澤監督からのメッセージを強く感じたそうです。
そこに流れているのは、一言でいえば、「贖罪」だと河村さんはいいます。ただし、過去を振り返って悔いるだけの贖罪ではありません。むしろ前に向かって進むための贖罪であり、言い換えれば、生き方を問い質し、道を開いてくれるような力を与えてくれるものなのです。贖罪とは、後悔することではなく、「これからどう生きるか」を問い直す勇気である、と河村さんは言います。

河村さんはこんな話もしてくれました。
ある時まで、黒澤さんは人の死に方を描くのにいろいろ工夫をしていました。有名なのは『椿三十郎』の最後の決闘場面で血が噴き出るシーン。私も鮮明に覚えています。ところがその後、これをまねた映画が続々登場し、黒澤監督自身も「俺が流行させてしまったんだ」と反省。以後、人が殺される場面を直接描くことがなくなったといいます。

映画制作を通して、黒澤監督自身、どんどんと変化していたわけです。
河村さんは、今回、改めて黒澤映画30本を見直し、黒澤監督の「罪と贖罪」の思いに触発されたようです。そして、人間とは何か、どう生きていくかを考えさせられ、そこからいまの社会を見たときに、自らの使命に気づいたと言います。

案内にも書きましたが、河村さんは、あるところでこう書いています。
黒澤監督が亡くなってからも世界の何処かで戦争は起きている。家族間のいさかいも絶えない。『乱』に込めた願いが届いていない事をあの世で憂いているに違いない。
「なぜ人間は仲良く良心的に生きていけないのか」というテーマを描きたくて作品を作り続けたと仰っていた黒澤監督の精神を伝えたい。

そのために、河村さんはいま、次の世代にメッセージするための本づくりに取り組みだしました。ただ出版だけが目的ではありません。その本を通して、改めて黒澤映画を多くの人に見直してもらいたい、自らの生き方や社会のあり方を考えてもらいたい、と考えています。そのためには、ある意味の運動にしていかなければいけません。

サロンではそうした呼びかけもありました。
今回のサロンの報告は、櫻井さんや河村さんの熱い思いのたけを文章では伝えられないため、報告がなかなか書けずにいたのですが、当日前園さんが録画してくれた動画の一部を紹介させてもらうことにしました。
ぜひ河村さんの熱いメッセージを聴いてください。
https://youtu.be/7LBFBlXMkA4

今回参加できなかった方も含めて、また湯島のサロンでも河村さんのサロンの機会を作ろうと思いますが、こうした河村さんの活動を応援していくやわらかなグループをスタートさせることにしました。
名称は河村さんの提案で「SUN10ROクラブ」。「さんじゅうろう」と読みます。
まずはフェイスブックグループを立ち上げ、そこで黒澤映画に関する感想や思いなどを自由に投稿してもらいながら、時にはSUN10ROサロンを開催。そして、映画『Life work of Akira-Kurosawa』上映会や河村さんの講演会、さらには河村さんの次の課題の書籍出版活動をいろんな意味で応援していければと思っています。
よかったら参加してください。

 

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2025/04/19

■湯島サロン「インドの近況とボクがインドを選んだワケ」のご案内

昨年11月に「アーユルベーダを学びながらインドで考えたこと」のサロンを開いてくれたかわさきけいたさんが、5月に一時帰国します。
けいたさんは、数年、インドで大学でアーユルベーダを学び続ける予定ですが、時々帰国するようなので、できる範囲で湯島でもサロンをお願いしようと思っています。
インドで暮らすけいたさんの考え方がどう変わっていくか、あるいは変わらないか、実感できる連続サロンになりそうで楽しみです。

その第1回は、改めて「インドの近況とボクがインドを選んだワケ」をけいたさんからお聞きして、あとはみんなで質疑応答や話し合ができればと思います。

前回のサロンからまだ半年経っていませんが、たぶん刺激的な生活を過ごしていることでしょう。
最近の生活ぶりをけいたさんのメールからちょっとだけご紹介します。

大学生活を通して、アーユルベーダは生半可な気持ちでは学べないことを痛感しています。何しろテキストはサンスクリット語で書かれてあり、テストも3時間、記述もサンスクリット語です
当然ながら、だから学年が上がるごとにクラスメイトの数は減っていきます。そのような意味では欧米の大学スタイルによく似ています。アメリカの大学に通っていた時のことを思い出しながら、勉強しています。
 
生活は、何をやるにも階級が幅を利かせています。
ボクは恵まれたことに、周囲には優しい方が住んでいる、治安の良い場所にアパートを借りることができ、さらに、バイクの免許も取得しました。
アパート探しは本当に大変です。インドには不動産屋さんがなくて、ほとんど、個人が副業としてアパートのオーナーからの業務委託で賃貸物件を扱っているようです。
契約は、日本の公証人役場のようなところに契約書を持って行って、サインをしてもらいます。インドのバイクの免許を取る時の様子もご紹介します。

その他、何か知りたいことなどありましたら、なんでもお訊きください。お答えできることはお答えします。
ただし、前回同様「アーユルベーダ」についての質問は、中途半端な情報になるといけないので、今回もお答えできません。

以上です。いかにもけいたさんらしいメールですが、マスコミ情報などではわからないインドの実状に、若い感性を通してちょっと触れられるかもしれません。
もちろんインドは広いので、インドのほんの一部でしょうが、これから毎年サロンをやってもらえるということなので、いろいろ変化も実感できるでしょう。

ぜひ多くの人に参加してほしいサロンです。

〇日時:2025年5月11日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「アーユルベーダを学びながらインドで考えたこと」
〇話題提供者:かわさきけいたさん(インドでアーユルベーダを学んでいる若者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/04/17

湯島サロン「なぜ生きるのか2回連続サロン」のご案内

■湯島サロン「なぜ生きるのか2回連続サロン」のご案内


「生きる意味」に関するサロンは、湯島でも毎年何回か行ってきていますが、今回は改めてそうした問題を深堀して話し合うサロンを2回連続で開催します。
問題提起とサロンのナビゲーターは、仏教思想にも造詣の深いデジタルクリエイターの加藤潤さんです。
参照テキストは1万年堂出版の「なぜ生きるか」です。
21世紀が幕を開けたころ、ラジオでこの本の朗読が放送されていたのでお聴きになっていた人もいるかと思いますが、親鸞の「歎異抄」などをベースにして、人生の目的を説いています。

今回はその前半の「なぜ生きる/苦しくとも生きねばならぬ理由は何か」から2つのテーマを選び、2回にわたってそれぞれを話し合っていこうという試みです。
加藤さんは、参加されたみなさんに、「なぜ生きる」、かを問うて本当に充実した人生の手がかりをつかんでいただきたいと言っています。
このテキストを選んだ加藤さんの個人的な「生きる哲学」も紹介されると思いますが、できれば思い切り参加者それぞれも自らを開いた話し合いができればと思います。

1回目は、同書の第1部第2章の「人命は地球より重いのか」を、2回目は第4章の「生きることの素晴らしさ」を選びました。
参加者はできれば「なぜ生きるか」(1万年堂出版)を事前に読んでおいてください。読んでいなくとも最初にその要旨をお伝えしますので、大丈夫ですが。

大型連休の最初と最後に当たりますが、「生きる意味」を問う連休にするのもいいかもしれません。
テーマは重いですが、ぜひ気楽にご参加いただければうれしいです。

〇日時:
第1回:2025年5月2日(金曜日)午後2時~4時
第2回:2025年5月6日(火曜日)午後2時~4時
○場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「なぜ生きるのか」
第1回:人命は地球より重いのか
第2回:生きることの素晴らしさ
〇問題提起者:加藤潤さん(仏教思想にも造詣の深いデジタルクリエイター)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■百姓一揆呼応隊を立ち上げました

2025年3月30日、全国各地で「令和の百姓一揆」デモが展開されました。
東京でも都心を約30台のトラクターがデモ行進しました。
時代の流れに対する大きなメッセージが含意された「一揆」でしたが、しばらくはマスコミでも少し話題になったものの、すぐに忘れられてしまいそうです。
そうなってはいけないと、長年、日本の農の問題に現場で取り組んできた霜里農場の金子友子さんがサロンを開催してくれました(2025年4月12日開催)。
デモに参加した人、しなかった人、9人が集まりました。
ゆるやかな話し合いでしたが、いろいろな示唆をもらえたサロンでした。
今回の「一揆」は、決して「打ちこわし」などを行うものではありませんが、米価高騰や米不足などといった表象的な状況に焦点を合わせたものではなく、根源的な問題提起をしているのだと思います。
つまり問題は農業関係者だけではなく、私たち日本列島で暮らしているすべての人にかかわる問題です。時給10円に追い込まれている生産者の問題ではありません。いざとなったら生産者は自分の食べる米だけ作ればいいだけの話です。でもそれでは「生産」を手放した私のような多くの人たちは飢えてしまう。
生産者とか消費者、あるいは経済や政治といった問題ではなく、私たちが生きていくための根本である「食」にかかわっているのです。その認識が欠けている。「パン食だから関係ない」という人がいたという話がサロンでも出ましたが、そういう話ではないのです。生産者の人たち(「百姓」)は、自分たちのためではなく、多くの「消費者」のために立ち上がってくれたのです。
その志に、応えなければいけません。
生産者の労働の「時給」の問題ではなく、日本国民の生活の「自給」の問題なのです。
最近、こうしたことを盛んに発言している鈴木宣弘さん(東大教授)は、日本の食料自給率が低下している背景には米国の影響力があると指摘しています。そしてそれはまさに日本の安全保障につながっているのです。私も最近は9条問題よりも、日米合同委員会よりも、こちらのほうにこそ関心があります。
鈴木さんが、ある雑誌のインタビュー(『月刊日本』2025年4月号)で話していることを、長いですが、引用させてもらいます。
戦後日本は米国に食料を依存しているからこそ、米国の属国になっているのです。対米従属の核心は米国農業への従属であり、対米依存の核心は対米食料依存なのです。だからこそ、食料自給こそが対米自立の第一歩であり、農業の独立こそが日本の独立につながるのです。食料自給とは、自分の食べるものを自分で作るということです。
(中略)
私たちにできることは沢山あります。今こそ国民の生命と国家の独立を守るために、みんなで力を合わせて日本の食料自給に取り組んでいきましょう。
共感します。
私は、食に関しては完全な「消費者」であることを、デモで歩きながら反省しました。デモに参加するだけでは意味がない。そう思ったのですが、何ができるかなかなかわからない。でも鈴木さんは、私たちにできることは沢山あると言っています。
そこで考えたのが、「百姓一揆呼応隊」の発足です。
https://www.facebook.com/groups/3527677107527652
生産者が立ち上がったのに、消費者が何もしないのでは、結局、事態は変わってはいかないでしょう。
百姓一揆に取り組んでいる「百姓」のみなさんに、どう呼応したらいいかまだわかりませんが、すぐに動き出さないと結局、何もしないままに終わりそうなので、ともかく動き出すことにしました。
そこでまずは、農や食に関心を持っている人たちのゆるやかなフェイスブックグループを開くことにしました。仮称ですが、名前は「百姓一揆呼応隊」と分かりやすくしました。
よかったらぜひ仲間になってください。
そして何ができるかを一緒に考えてください。
事務局作業を分担してくれる人がいたらご連絡ください。大歓迎です。
毎月、ゆるやかな話し合いの場もつくっていく予定です。
また案内していきます。
よかったらご参加ください。
思い付きで始めましたが、ゆっくりと進めていきたいと思います。

 

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2025/04/15

■憲法サロン2025「日本国憲法第1条を読む」のお誘い

湯島では毎年、5月の憲法記念日前後に、せめて1年に1度は日本国憲法を思い出す日にしたいと、憲法サロンを開催しています。今年はいろいろな憲法関連イベントが行われている3日は避けて、4日に開催します。

昨年は「憲法は誰のものか」をテーマにしました。そして「日本国憲法は私のもの」という視点で問題提起させてもらって話し合いをしました。私が冤罪で死刑にされないのは憲法のおかげです。時々、不幸な冤罪は起こりますが、憲法のおかげで冤罪を晴らす可能性が少なからずあるのです。
そうした「憲法のおかげ」を、私たちはもっと意識しなければいけないと思います。そのためには、せめて年1回くらいは、日本国憲法に目を向けたいわけです。
それが毎年、5月に1~2回、憲法関係のサロンをやる趣旨です。

今年は、何をテーマにしようか迷っていたのですが、これまで一度も触れてこなかった「第1章第1条 天皇」を取り上げたいと思います。
こんな条文です。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

少なくとも議論の対象となる文字が3つあります。
「象徴」「主権」「総意」
いずれも難解で、私にはなかなか説明できませんが、この三大噺を今年の憲法サロンのテーマにしようと思います。
といっても、サロンですから、だれかが講義や解説をするわけではありません。
みんなで話し合いながら、日本国憲法の理解を深めたいのです。
もっとも、もし解説したいという人がいたら、お願いしたいと思っています。もしいたらご連絡ください。だからと言って、「知識を学ぶ」のではサロンになりませんから、その人もぜひ学んでください。その姿勢がない人の解説はお断りです。

さてさてどうなりますか。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2025年5月4日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:日本国憲法第1条を読む
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■節子への挽歌6339:体力測定スタッフで働いてきました

節子
今日は久しぶりに対価をもらう労働に行ってきました。
大学生時代から知っている石井邦知さんがスポーツ関係の事業に取り組んでいるのは知っていましたが、どんな活動なのか気になっていました。
その石井さんから、取手のキリンビールの工場の社員体力測定の仕事を受けたので手伝ってくれる人を探してほしいと連絡が来ました。
石井さんは川口を拠点で活動しているので、取手界隈には知り合いはいないのでしょう。
それで友人に頼んで探してもらいました。

ところが直前になって、佐藤さんも半日でもいいから来ませんか、とお誘いがあったのです。私も行きたかったので、日程調整していくことにしました。
キリンの取手工場は初めてです。
久しぶりの工場の雰囲気にまずうれしくなりました。

石井さんが開発した健康診断と健康増進のための体力測定をつなげたシステムをキリンの取手工場が試験的に採用したのだそうです。
今回は、100人の社員が、健康診断測定に合わせて、5種目の体力測定をするという試みで、その測定をするというのがスタッフの役割です。
測定する際に社員の方と話すことになりますが、私はもちろん無駄話も含めて楽しく測定作業をさせてもらったのです。久しぶりに楽しい5~6時間でした。
工場で汗して働いている人はみんないい人です。久しぶりに大昔の工場でのことをいろいろと思い出しました。

ちなみに測定結果はすぐにスマホで各人に報告され、加えて体力増強のためのアドバイスなどが送られるのです。そのアドバイスも一工夫されているようです。
私もそれぞれの測定を試みましたが、惨憺たる結果でした。
これでは5月30日の筑波山登山は難しい。
明日から体力強化に取り組まなければいけません。

楽しい1日でしたが、1万円の報酬までもらってしまいました。
ウナギを食べに行こうかと思いましたが、それよりも農具の購入のほうがいいかもしれません。いや、久しぶりに本屋さんに行って思いつきの本を買ってくるか……。
何しろ20年ぶりの労働報酬なので、新入社員の初給料のような気分です。
貧しいものは幸せです。

しかし工場で働く若者たちとの会話は楽しいです。

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2025/04/14

■節子への挽歌6338:椎田のアサリが今年も届きました

節子

今年もまた福岡の藏田さんがアサリとタケノコを送ってきてくれました。
アサリは毎年、藏田さんご自身が自分で椎田浜に潮干狩りに行ってとってきてくれるのです。藏田さんのご自宅から10分足らずのところで潮干狩りができるそうです。
やはり地方の暮らしは豊かです。

今年は例年より40日遅れで、そのうえ、小粒だそうです。
アサリも年々少なくなってきているそうです。
それでもどっさり送ってきてくれました。

藏田さんは会社を定年で辞めた後、再就職などせずに、ご夫妻で郷里に帰り、自由な人生を楽しまれています。
節子が元気だったら、ふたりで藏田家を訪問できたのですが、それができなくなってしまったのが残念です。

電話で得お話ししましたが、ご夫妻ともいつものように、元気で明るい声で、話していてこちらも元気をもらえます。

夕食は、ユカに頼んでアサリ三昧でした。

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■緊急サロン「令和の百姓一揆に何かできるかことはないか」報告

2025年3月30日、全国各地で「令和の百姓一揆」デモが展開されました。
東京でも都心を約30台のトラクターがデモ行進しました。
それから2週間、残念ながらもう最近のマスコミは忘れてしまったかのようです。
そうならないようにと、霜里農場の金子友子さんがサロンを開催してくれました(4月12日開催)。デモに参加した人、しなかった人、9人が集まりました。

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ゆるやかな話し合いでしたが、いろいろな示唆をもらえたサロンでした。
今回は話し合いの報告ではなく、今後の取り組みについて私が思いついたことを勝手に報告させてもらうことにします。それぞれが行動を起こすことの大切さを、私はデモに参加して改めて痛感しましたので。
今回の「一揆」は、決して「打ちこわし」などを行うものではありませんが、米価高騰や米不足などといった表象的な状況に焦点を合わせたものではなく、根源的な問題提起をしているのだと思います。
つまり問題は農業関係者だけではなく、私たち日本列島で暮らしているすべての人にかかわる問題です。時給10円に追い込まれている生産者の問題ではありません。いざとなったら生産者は自分の食べる米だけ作ればいいだけの話です。でもそれでは「生産」を手放した私のような多くの人たちは飢えてしまう。
生産者とか消費者、あるいは経済や政治といった問題ではなく、私たちが生きていくための根本である「食」にかかわっているのです。その認識が欠けている。「パン食だから関係ない」という人がいたという話がサロンでも出ましたが、そういう話ではないのです。生産者の人たち(「百姓」)は、自分たちのためではなく、多くの「消費者」のために立ち上がってくれたのです。
その志に、応えなければいけません。
生産者の労働の「時給」の問題ではなく、日本国民の生活の「自給」の問題なのです。
最近、こうしたことを盛んに発言している鈴木宣弘さん(東大教授)は、日本の食料自給率が低下している背景には米国の影響力があると指摘しています。そしてそれはまさに日本の安全保障につながっているのです。私も最近は9条問題よりも、日米合同委員会よりも、こちらのほうにこそ関心があります。
鈴木さんが、ある雑誌のインタビュー(『月刊日本』2025年4月号)で話していることを、長いですが、引用させてもらいます。
戦後日本は米国に食料を依存しているからこそ、米国の属国になっているのです。対米従属の核心は米国農業への従属であり、対米依存の核心は対米食料依存なのです。だからこそ、食料自給こそが対米自立の第一歩であり、農業の独立こそが日本の独立につながるのです。食料自給とは、自分の食べるものを自分で作るということです。
(中略)
最も重要なのは、学校拾食です。米国の占領政策の主要ターゲットになった学校給食こそが、食料自給を取り戻す突破口になるのです。
私たちにできることは沢山あります。今こそ国民の生命と国家の独立を守るために、みんなで力を合わせて日本の食料自給に取り組んでいきましょう。
共感します。
私は、食に関しては完全な「消費者」であることを、デモで歩きながら、ちょっと反省しました。デモに参加するだけでは意味がない。そう思ったのですが、何ができるかなかなかわからない。
今回、友子さんの呼びかけで、このサロンに参加して、自分のできることを考えました。そして、湯島のサロンのひとつとして「百姓一揆呼応サロン」を毎月開催することにしました。
まずは日本の農や食の現状を知っていくサロンから始めようと思います。
その第1回は5月25日の予定です。
しばらくは生活者としての勉強家になる今話して募集中です。
どなたか話題提供もしくは問題提起をしてくれませんか。
また、農や食に関心を持っている人たちのゆるやかなフェイスブックグループを開くことにしました。仮称ですが、「百姓一揆呼応隊」。
https://www.facebook.com/groups/3527677107527652
まだきちんとできていませんが、よかったらぜひ仲間になってください。
そして何ができるかを一緒に考えてください。
事務局作業を分担してくれる人がいたらご連絡ください。大歓迎です。
百姓一揆に取り組んでいる「百姓」のみなさんに、どう呼応したらいいかわかりませんが、これから考えていきたいと思います。

 

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■我孫子まちづくり編集会議 やりたいこと呼びかけフォーラムへのお誘い

今年も、「我孫子まちづくり編集会議 やりたいこと 呼びかけフォーラム」を開催します。只今、提案者&参加者 絶賛、大募集中です!
何かやりたいと思っている方、ぜひ参加してみんなに呼び掛けてください。

  日時:524()1330分~16
    場所:水の館 3階研修室
      主 催:我孫子まちづくり編集会議
      参加費:無料 
      参加人数;先着50人(途中入場、退席可能です)

【我孫子まちづくり編集会議とは】我孫子・手賀沼周辺が大好きな気の良い人たちの集まりです。ひろく手賀沼周辺のまちづくりについて、新しい視点で考えています。プロジェクトの活動主体ではなく、各個人、団体のまちづくりプロジェクトを支え合う場を目指しています。

202505

 

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■第7回増田サロン「デヴィッド・グレーバーとポスト資本主義ガバナンス」のご案内

増田圭一郎さんと一緒に「地湧の思想」を考えていく連続サロンの第7回は、いつもとは趣向を変えて、ゲストを迎えての番外編です。
ゲストは横断的探求者の山本眞人さん。

山本さんは、『宇宙卵を抱くー 21世紀思考の可能性』『コモンズ思考をマッピングする』につづいて、いま三部作の3作目を執筆中ですが、それらを通して、これからの世界のあり方を探っています。

今回は、その山本さんをお招きして、デヴィッド・グレーバーとポスト資本主義ガバナンスというテーマで話しをします。文化人類学者のグレーバーはウォール・ストリートのオキュパイ運動で、有名な「私たちは99%だ(We are the 99%)」のスローガンを考え出した人です。活動家から、文化人類学者として現代の資本主義社会について、「ブルシットジョブ」など過激な言葉を生み出しながら、新しいコモンズについて提言をしてきました。

また、時間が許せば、次本で扱うデヴィッド・グレーバーが晩年言い尽くせなかった、「互いを理解し配慮するという人間一般の〈ケア的〉本性が共同体を可能にする」ということについて、増田さんと対話してもらい、おふたりのお話から、コモンズに向けて私たちに何ができるかをそれぞれ考えていければと思います。

山本さんからのメッセージは、日程などの案内の後ろに掲載していますので、ぜひお読みください。

なおサロンの開始時間がいつもとは違って、1時間遅い3時スタートですので、お気をつけください。

〇日時:2025年4月29日(火曜日)午後3時~5
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「 デヴィッド・グレーバーとポスト資本主義的ガバナンス」
〇話題提供者:増田圭一郎さん×山本眞人さん(横断的探求者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤

〔山本眞人さんからのメッセージ〕

テーマ:デヴィッド・グレーバーとポスト資本主義的ガバナンス(山本 眞人)

わたしがデヴィッド・グレーバーに強い関心をもつようになったのは、『コモンズ思考をマッピングする---ポスト資本主義的ガバナンスへ』の執筆が終盤にさしかかった頃でした。

1-6章までは、E.オストロム、D.ボリアーなどの仕事を踏まえて、生態的コモンズ、デジタル・コモンズ、都市コモンズをめぐる世界各地の社会運動の事例をとりあげ、それらの相互関連をマッピングする見取り図をつくる作業でした。

7 章は「ポスト資本主義的ガバナンスへ」となっています。この章で、別々の領域で生成した「コモンズ思考」の合流を描くことになりました。

2008 年の金融危機以降の時代に、世界の⺠衆運動の大転換が起きました。従来の前衛党が社会運動を導くという図式が否定されて、「合意に基づく直接⺠主主義」など、横並びの関係を中心にした運動が主流になっていきました。その過程で、さまざまな領域で別々に生成した「コモンズ思考」の相互触発が起きて、 そこから「ポスト資本主義的ガバンス」が芽生えつつあるように思えます。

グレーバーは 2011年「ウォール街占拠運動」のリーダーの一人だったのですが、その前段の 1990年代後半の反グローバリズム運動にも、アナーキスト・グループ DANのメンバーとして参加しています。反グローバリズム運動の要となった PGA(Peopleʼs Global Action)は、メキシコの先住⺠運動サパティスタの呼びかけでつくられています。

他方で「ウォール街占拠運動」と連動したポスト資本主義的な拠点づくりには、 スペインの CICやニュージーランドの Enspiralのように、デジタル・コモンズで育ったエンジニアがアナログな社会運動のリーダーにシフトした例も出てきています。つまり、グレーバーは、90 年代後半から 2010 年代の⺠衆運動の大転換の過程で、世界各地の異質な運動を結ぶ要としての役割を果たしているわけです。

グレーバーには、こうした優秀な活動家としての面と、文化人類学の著作家としての面がありますが、両方を結ぶキーワードとして、「対話性」「即興性」「遊び」「社会的創造性」をあげることができます。

現在、『コモンズ思考』の続編(グレーバー解読がテーマの一つ)の執筆の最終段階なのですが、この時点で、強く感じているのは、活動家として、著作家としてのグレーバーについて深く考えるには、カンターパートとして、サパティスタのリーダーであるマルコス副司令官の、90年代後半から 2010年代の⺠衆運動 の大転換の原点として役割をよく理解する必要があるという点です。

1994年のサパティスタ武装蜂起は、先住⺠コミュニティにおける討議と決定に基づくものでした。背景の一つとして、1992年がコロンブスの新大陸「発見」から 500年だったことがあります。500年間にわたって屈辱を味わされてきた 先住⺠が、先住⺠の思想的伝統をベースにして声をあげはじめた(ヨーロッパ由 来の宗教や思想の陰に隠れるのではなく)、という点で画期的でした。先住⺠の 「人間としての尊厳の回復」を掲げた蜂起でした。

マルコスは、先住⺠を組織化して革命を起こすつもりで、ラカンドンの森に入ってきたマルクス・レーニン主義者でしたが、先住⺠の文化と政治的伝統を理解 するとともに、前衛主義を捨てて、先住⺠運動と外の世界を媒介するスポークスマンとしての役割に転じるようになりました。

マルコスは文化人類学者ではありませんが、フィールドワークを通じて、それまで自分を束縛していたヨーロッパ中心的な思考に気づき、苦闘を経て、そこからの脱却をはかる、感度のいい文化人類学者(ex. T.インゴルド)と同じ経路をたどっています。

グレーバーにとっても、マルコスにとっても、壊すことが必要な「壁」は、近代社会の特権的な優越性(異質な社会は無視していい)という「北」の国の人たちの傲慢な思い込みです。

 

 

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2025/04/13

■節子への挽歌6337:「長い付き合いは無理です」

節子

長年、黒澤明監督が大好きな2人に今日は湯島でサロンをやってもらいました。
一人は監督の河村さん、もう一人は俳優の櫻井さんです。
2人とも学生の頃に黒澤さんの映画製作の世界に飛び込んだ人ですが、黒澤さんとも個人的な交流もあって、ともかく黒澤さんが大好きなようです。

サロンは参加者が多く、20人を超えたのでお断りするほどでした。4時間にもわたるロングランサロンでしたが、みんな河村さんや桜井さんの熱い思いに圧倒されてかと思います。
サロンの報告は時評編でまた書きますが、そのサロンの前に、川村さんの熱い思いを本にしようということで、増田圭一郎さんにも来てもらった4人で話しました。

最初はただ増田さんと引き合わせてと思っていたのですが、河村さんに会って、なんだか人間的な波長がぴったり合ってしまいました。
しかも櫻井さんも一緒なので、その人間的な魅力にはついつい引き込まれて、よせばいいのに私もいろいろと意見を話してしまいました。
そして、本づくりも含めて、黒澤映画のメッセージをしっかりと世に伝え、何かを起こしていくプロジェクトに私も関わりたくなってしまいました。
困ったものです。
だんだんと話は大きくなってきてしまいました。

サロンでは、その勢いもあって、みんなで新しい物語を始めようということになったのです。

ちなみに河村さんも櫻井さんも、どこか心を許せる感じがするのです。
増田さんは冷静なタイプですが、まあ4人集まればなんとかなるでしょう。

帰り際に河村さんが、これからは長いお付き合いでと握手を求めてきました。
握手には応じましたが、「長い付き合いは無理です」と応えてしまいました。

最近また次々と新しいプロジェクトを起こしたくなってきていますが、せめて10年若かったら、と思うとちょっと寂しい気もします。
でもまあそんなことなど考えずに、思いついたことは初めてしまおうという気になってきています。
誰かにきっと迷惑をかけることになるのでしょうね。
困ったものですが。

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■節子への挽歌6336:重荷って何だろう

節子
先日、病院に検査に行ったというYさんからの連絡がありません。
悪い結果だったのでしょうか。
気になりますが、質問のメールを出すのもNGでしょう。

そういえば最近気になる人が増えています。
毎朝の大日如来への祈りの際には、そういう人の顔を思い出すようにしているのですが、だんだん増えてきてしまっているのです。かといって確認する勇気はない。
どうしたものでしょうか。

先日ショックを受けた佐々木さんに対しても、実はその後、何もできていないのです。
落ち着いたころに訪問しようかなと思いながらも、今はまだ落ち着いては会いないはずだと思いながら行動を先延ばししています。
節子がいたらこんなことにはなっていないでしょう。
行動しなくては意味がない、と節子なら言うでしょう。
いやそれは節子と一緒にいたころの私の言葉かもしれません。
今も他社には時々そういう言葉を発していますが、自分には最近ずいぶんと甘くなってしまっています。
甘いというよりは、実際には「動けなくなっている」といった方が正しいのですが。

気になることがともかく増えてきた。
人はこうやって重荷に耐えているうちに、自己防衛的に認知症になっていくのかもしれません。
でも私の場合は、そういう人生ではなく、重荷に耐えかねて救いを求め、救われて幸せな終末かもしれません。
私の場合、幸いに救いの手を出してくれる人は多い気がしますが、それは同時に、重荷を与える人の多さと同じことかもしれません。

重荷って何だろうかと、また考え直さないといけません。

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2025/04/12

■節子への挽歌6335:またまた久しぶりの連絡

節子
またまた久しぶりの連絡が届きました。
これもまさかのまさかですが、
縁が切れていたと思っていたのは私だけのようで、その人は私が毎週のように投稿しているCWSコモンズ村のメーリングリストを読んでくれいたようです。
最近は仕事の関係で、イギリスに言っていたようで、それで連絡もなかったのかもしれません。
転勤で帰国したので、サロンに参加したいと言ってきてくれたのです。

私は最近ますます時間感覚が薄れていますので、交流している相手の年齢がよくわかりません。
先日も辞表を書いてきたという友人に、どうしてやめたかなと思って気になっていたのですが、60歳の定年だったのです。
まさかその人が60歳などとは思ってもいなかったので、私と同じように生き方を変えたのかなどと思ったのですが、そうではなかった。

時間はやはりどんどん一方向的に流れているのでしょう。
なかなかついてはいけませんが。

でもまあ最近やけに久しく会っていない人からの連絡が増えています。
何か大きなことが起きそうな気がします。

ちなみに久しぶりに連絡があった人とはあす、会います。

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■4月オープンサロン報告

オープンサロンの常連が5人参加しました。
意外なことに話題は、今日開幕する大阪万博で盛り上がりました。
というのも、万博のオープニングで、「一万人の第九」を歌う鷹取さんが、先日のリハーサルの様子やテストランでの会場の様子など、話してくれたのです。
鷹取さんは、リハーサルのために数回会場にまで行っているのですが、当日着用するオリジナルポンチョやビニールリュックまで持参して、詳しく解説してくれました。
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ちなみにオープニングで第9を歌うメンバーは公募されたのですが、参加費は20000円強だそうです。しかもそのための練習にも参加しないといけないので、その数倍の費用がかかりますが、応募者は14000人だったそうです。その中から選ばれた1万人が歌うわけです。

当日は、会場内ウォータープラザと大屋根リングのステージで歌うそうですが、早朝の入場後コンサート終演までの3~4時間、着席せず立位での合唱なのだそうです。よほど健康でないと無理そうです。鷹取さんは、たぶんただ歌うだけではなく、いろんなことをやるでしょうか、かなりハードな1日になるでしょう。

オープンサロンの参加者の中にはおひとりだけ会期中に行くという人がいましたが、私を含め、ほかは全く関心のない人ばかりでした。しかし鷹取さんの話は実に面白く、しかも万博から見えてきたことなどへの言及もあり、オープンサロンは大阪万博サロンになってしまったわけです。

ちなみに鷹取さんの報告は、ユーチューブなどでも一部紹介されていますので、関心のある人はご連絡いただければそのユーチューブをご紹介します。
私は、日本最初の万博(1970年)には数回足を運び、とても好印象を持っているのですが、今回の万博には全く魅力を感じていません。どうしてクリエーターを称している人たちが何でこんな陳腐なイベントで満足しているのか不思議でなりません。
でも参加者の一人から、そうはいっても行ってみないとわからないでしょうと言われました。確かにそうです。
でもいかにも入場料が高い。ちょっと私には行けそうもないです。
行った人の土産話で我慢しなければいけなさそうです。

ちなみに、話題は大阪万博だけではなかったことはもちろんです。
「生きづらさ」を感じている人を対象にしたオープンサロンの企画の話も出ました。
一時期、そういうサロンもやっていたのですが、それを定例化したらどうかという話です。
これも大阪万博と同じで、企画次第で面白いものが構想できそうです。
だれか動き出すといいのですが。

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2025/04/11

■節子への挽歌6334:甘いものはやめなさい

節子
今日は脳神経外科の定期検査でした。
今回は血液検査だけでしたが、2つの点を指摘されました。
まずはまた脱水状況君なので水を飲むようにという注意を受けました。
一時期はかなり意識していたので改善していたのですが、最近また手を抜いていたので、指摘されるかなと思っていましたが、まさにその通りになりました。

もう一つは悪玉コレストロールが急増しているが、最近甘いものを食べていないかという指摘です。
まさに思い当たることです。

前立せんがんが見つかったころはかなり意識していましたが、最近は逆にアイスクリームやチョコレートや甘いお菓子をむやみに食べるようになってきています。
脳がつかれているのだから、まあ食べたいように食べようと言い聞かせていたのです。
そのうえ、最近はまたコーヒーに砂糖を入れる量が増えて、前に戻ってしまった感があります。
さすがに白い砂糖ではなく、茶色の砂糖にしたのですが、量はむしろ増えてしまっている。
困ったものです。

対策として3ヶ月後の次の検査の1ヶ月前から甘いものを控えるといいですかね、と医師の葛綿さんに言ったら、それではダメだと言われました。全く融通のきかない先生です。
というわけで今日から甘いものを控えることにしました。 脳の働きがダウンしなければいいのですが。

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2025/04/10

■湯島サロン「『社会心理学講義』を読み解く⑧:「過去と未来の違いについて」報告

遠山哲也さんの「『社会心理学講義』を読み解く」サロンの8回目は、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』を参照テキストにして、「時間」を取り上げました。
今回も参加者の一人(以前生成AIのサロンを開催してくれた菅野さん)が話し合いを録音し、生成AIを使ってまとめてくれました。
まずはGoogle Gemini 1.5 Proによる500字要約を紹介します。

サロンでは、エントロピーの増大と時間の一方向性の関連、現在の認識の曖昧性、過去と未来の非対称性などが取り上げられました。時間は連続的な流れではなく、認識上の構築物である可能性が示唆され、私たちの認識の限界によって時間は主観的に感じられることが指摘されました。
さらに、秩序と乱雑さの概念、未来の経験可能性、デカルトの合理主義と存在の認識についても話し合われました。秩序は視点によって相対的であり、未来は不確定ながらも経験できる可能性があること、そして時間は人間の生み出すものであるという視点が示されました。
講義全体を通して、時間は絶対的なものではなく、私たちの認識や解釈に依存する相対的なものであるという考え方が提示されました。この視点は、時間の捉え方を見直し、より柔軟な思考を促すものです。

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以上ですが、見事にまとめられています。でも実際にその場にいたものからすれば、やはりものたりません。
そこでいつもながらの主観的な報告を書くことにします。
ちなみに、菅野さんは有料の2つの生成AIを使っていろいろな条件でまとめてみてくれましたが、その2000字版に私が少し手を入れたものを、最後に載せておきます。お暇な方は、人間(といっても私ですが)と生成AIとの違いを感じ取ってもらうのも面白いです。私がなぜ生成AIに全く脅威を感じていないのかもわかってもらえるといいのですが。

さて私の、いつもながらの主観的な、きわめて不正確な報告です。
遠山さんはまず、時間は存在すると思うか、と参加者に問いかけました。この問いに素直に答えたら、まさに遠山さんの思うつぼで、存在とは何かと重ねて問われたら答えに窮します。と思いながらも、私は存在しないと答えました。なぜならまだ「時間」を見たことがないからです。
石川さんが、存在は「物質」について議論できることで、「概念」に関しての「存在」議論はそれとは全く違うものではないかと助け船を出してくれました。
そこで、そもそも本書の表題「時間は存在しない」というのはロヴェッリの表現かと気づきました。遠山さんは、これは翻訳者がつけたもので、原題は「L’ordine del tempo」。英語にすれば “The Order of Time”、「時間の秩序」というような意味だと教えてくれました。ロヴェッリは、「存在しない」などとは言っていないのです。それを知っていて、問いかけてくるとは遠山さんも人が悪い。
言葉は便利ですが、ごまかされやすいので気をつけないといけません。
でも、もし書名が「時間の秩序」だったら、私はたぶんこの本を読まなかったでしょう。翻訳者に感謝しなければいけません。

そこから遠山さんはロヴェッリの時間論を、参加者の話し合いを引き出しながら、紹介してくれました。
時間は「存在」しているというより「機能」していると捉えたほうがいいという話からはじまって、時間をどう認識するかなど、さまざまな論点が出されました。
エントロピー概念で時間を説明できるし、それによれば時間の一方向性や「過去」と「未来」の連続性も説明できるという話もありました。エントロピーに関連して、秩序と乱雑さの話もありました。秩序、さらには空間はまさに時間とつながっています。そして、デジャブや未来の記憶の話、そして未来を体験する映画『インターステラ』の話、さらにはデカルトの合理主義批判まで話は広がりました。

こうした話し合いを通して、遠山さんは、時間は人間が生み出した概念であり、私たちの認識や解釈によって初めて機能するものであり、個々の認識によって異なる主観的なもので、絶対的なものではない、と説明してくれました。だからこそ、たとえば充実した一日は短く感じられ、何もない日は長く感じられるように、時間の感じ方は個人の行動や充実度に大きく影響されるのです。
みんな同じ時間を過ごして言わけではないのです。

要は、時間もまた「虚構」なのです。しかも、時計で時間を共有できるようにすれば、他社との関係性も維持しやすい。
「虚構」を手に入れたことによって人類は進化してきた、と前々回の遠山サロンで話題になりましたが、時間もまた「虚構」なのです。とても使い勝手の良い「虚構」。

遠山さんはサロンの最後に、テキストの文章を読み上げました。
「わたしたちが見ている現実のありようは、わたしたちが組織した譫妄であり、それが進化して、結果としてはかなりよく機能し、わたしたちをここまで連れてきた。この譫妄と折り合いをつけて対処するためにわたしたちが見つけた道具は多岐にわたっており、なかでも最良の道具の一つが理性であることはすでに立証されている。理性は貴いものなのだ」(同書205頁)。
時間は、そうした理性の産物なのです。

なんだか肝心のことがやはり伝えられない気がします。過去と未来と現在の関係に関する話し合いも面白かったですし、なぜかまた仏教の話もちょっと出てきたりしていました。そうしたちょっとした「ノイズ」的な話や「話し合い」に至らないつぶやきのような発言にこそ、もしかしたら意義を感ずる人もいるでしょう。
私による報告は、私の関心事によって選択編集されていますが、生成AIによる報告の選択・編集基準は誰のものなのでしょうかね。

いつも以上に長くなってしまいました。
最後に、冒頭に予告した生成AIによる報告2000字版です。
関心のある方はどうぞ。

〔Chat GPT 4oによるサロンの要約〕

今回のサロンでは、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』を題材に、時間の存在とその機能について話し合いました。
サロンの冒頭、遠山さんは、時間の物理的な存在について、現時点では明確な結論が出ていないことが本書で主張されていること、むしろ時間という概念は、私たちの認識や解釈によって初めて機能するものであり、主観的な側面が強いということを強調されました。例えば、エントロピーの増大と時間の一方向性の関連が取り上げられましたが、これはあくまでも時間の流れを説明する仮説の一つに過ぎません。エントロピーが増大する方向に時間が流れるという考え方は、過去と未来の非対称性を説明する上で有力な説ではありますが、時間の存在そのものを証明するものではありません。

さらに、「現在」という概念の曖昧性についても話題になりました。私たちは、時間を連続的な流れとして捉えがちですが、実際には「今」というのは瞬間であり、明確に捉えることは不可能です。時間は連続的な流れではなく、私たちの認識によって構築された不連続な瞬間の連続である可能性があります。
秩序と乱雑さについても、興味深い議論が交わされました。秩序とは、客観的に存在するものではなく、見る者の視点によって相対的に変化するものであり、ある種の虚構であるという考え方が提示されました。例えば、整理整頓された部屋は、ある人にとっては秩序立って見えるかもしれませんが、別の人にとっては窮屈で息苦しく感じるかもしれません。このように、秩序とは主観的な解釈に依存するものであり、絶対的な基準は存在しない。エントロピーは絶対的な基準になるのか。そもそもエントロピーは生命体のように、ある限られた範囲では減少する世界もあるが、そういう世界では時間はどう進むのか。

未来に関しても、決定論的に決まっているものではなく、不確定ながらも経験できる可能性があることが議論されました。
量子力学の不確定性原理を例に挙げ、未来は様々な可能性を秘めたものであり、私たちの選択や行動によって変化しうるという考え方が示されました。
デカルトの合理主義と存在の認識についても触れられ、時間という概念も人間の精神が生み出したものであるという視点が示唆されました。時間に対する私たちの認識は、生まれ育った文化や個々の経験によって大きく影響を受けます。例えば、ある文化圏では時間を円環的に捉え、別の文化圏では直線的に捉えるといったように、時間に対する認識は多様であり、絶対的な尺度で測ることはできないのです。
GPSの精度限界や光の速度と時間の関係、映画『インターステラー』における時間の描写、さらには生物学的な時間の捉え方など、具体的な例も多数挙げられました。これらの例は、時間に対する私たちの理解がいかに限定的であり、相対的なものであるかを改めて認識させてくれます。

こうした話し合いから得られた最も重要な教訓は、時間という概念は固定的なものではなく、私たちの認識や解釈によって柔軟に変化しうるということです。時間は客観的に存在する絶対的なものではなく、主観的な要素が多分に含まれる相対的な概念であることを認識することで、時間に対する捉え方が大きく変わり、より柔軟な思考が可能になります。
また、この講義は、「今」という瞬間を大切に生きることの重要性も教えてくれます。時間は連続的な流れではなく、不連続な瞬間の連続であるという認識を持つことで、「今」という瞬間の貴重さを改めて認識し、より充実した人生を送るための指針となるでしょう。
さらに、物事を多角的に捉えることの重要性も強調されています。秩序や乱雑さ、さらには未来といった概念も、私たちの主観的な解釈によって大きく変化します。物事を一つの視点からだけで判断するのではなく、様々な角度から考察することで、より深い理解へと繋がるのです。

 

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2025/04/09

■今朝の新聞で出合った2つのことば

休日は増えるだろう。が、休息は増えないのである。

今朝の朝日新聞の「折々のことば」で、鷲田清一さんが紹介している半世紀前の森本哲郎さんの言葉です。出典は『ゆたかさへの旅』。私が大切にしている書籍の1冊です。
私は35年ほど前に、この言葉とは逆に「休日は増えないが休息は増える人生」に切り替えるために会社を辞めました。
ちなみに、この『ゆたかさへの旅』は、湯島のCWSコモンズライブラリーの最初の推薦図書です。湯島にありますので、ぜひ読みに来てください。

実はもう一つ、今朝の朝日新聞で、私がいつも思っているのと同じ言葉に出合いました。

年を取って自分がバカであるということは大分とわかってきた。

これは作家の町田康さんが寄稿している文相の一部です。
私もかなりわかってきた。
とともに、自分のバカさ加減がわからない利口な人の多いのもわかってきた。
そしてだんだんバカと利口が、なんだか逆転してしまい、ホントの利口者とはバカな人のことを言うのかな、などと思ってきたりしています。
でもまだ私自身、小賢しさがかなり残っていて、ホントにバカだなどと自慢できるほどには至ってはいないので、もう少し精進しなければいけません。

休日をとる暇もないほどに休息し、アホではない素直なバカで楽しく生きる人生を、もう少し続けたいと思っています。

 

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■節子への挽歌6332:今年の畑作業もどきがスタート


節子
今年の畑作業もどきがスタートしました。
今年は一応、収穫を目指します。

昨日、笹薮を少し刈り取りましたが、そこを今日は耕して4列の畝を作りました。
簡単だろうと思うでしょうが、この作業に1時間半かかりました。
なにしろ本来畑ではないところの開墾作業ですので。
もしかしたら今夜は雨のようなので、1列にニンジンを蒔きました。
今回は収穫を目指しているので、間隔を置いて蒔きました。
開墾作業は疲れますが、休憩時には手賀沼沿いの桜も見えます。
この気分が何とも言えない幸せなのです。
ここに節子がいたら最高でしょうね。
でも節子はもういない。

今年の畑の土にはミミズがいません。
と言うか、虫が少ない。
バッタには時々会うのですが、まだ土が寝ている感じです。

1時間半の畑作業もどき。
いい汗をかきました。

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■サロン「〈構想〉って何だろう」報告

日本構想学会とCWSコモンズ村の共催で、「〈構想〉って何だろう」を気楽に話し合う、サロンを開催しました(4月6日)。日本構想学会理事の永田さんが問題提起し、話し合いを進行してくれました。

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永田さんはまずこう切り出しました。
今夜の夕食をオムライスにするかカツカレーにするかを考える、これもまさに構想の問題である。「構想」は遠くにあるようだが身近なもの。だれもがそれぞれ意識の有無にかかわらず、生きていれば「構想」と無縁ではない、ということでしょうか。
だから頭だけで難しく考えずに、まずは気楽に構想論議をしようというわけです。いかにも永田さんらしい発想です。
そして、3つの課題を出しました。
「構想(力)とは何か」「構想力をもっていた人物は誰か」「自らの構想体験」

最初に「構想」という言葉に惹かれて参加したという人が話しだしました。
自分は独身なので、病気になったり困ったときにみんなが支え合う生活環境を育てようと子ども食堂をやったりお茶会をやったり、いろいろとやっているが、なかなかうまくいかない。もしかしたら「構想」が不足しているのではないかと思う。
これは、私が考える「構想」と全く同じだと思ったので、続けて私も発言しました。
私も同じ考えで活動しているが、私の言葉でいえば、「大きな物語」を生み出すための小さな物語をつないだものが「構想」ではないだろうか。「構想」は「行為」「実践」とつながっている。

というような感じで、次々とそれぞれが考える「構想」が発表されたのです。
20年ほど前に大学で初めて「構想」という言葉を聞いた時と、その後卒業して社会で活動してきた今とでは「構想」の捉え方はかなり違うという人もいました。20年前に理解した「構想」は“イニシアティブ”、いまは“ロールプレイ”だといいます。
ここはもう少し説明しないとわかりにくいと思いますが、説明すると長くなるので省略。しかしとても示唆に富む問題を含んでいます。
大きな抱負を形にしていくためには構想が必要というような話も出ました。しかし一人でやっているとなかなか構想は形になっていかない。いろんな人とそれぞれの構想をぶつけ合っていくことで、それぞれの構想が整ってくるのではないかというような話もありました。ここにも「構想」の持つ本質的な問題があるような気がします。

構想とは「想(思い)」を「構える」と書くが、構えるだけでいいのか。それは現実を変革していく突破力のようなダイナミズムが込められているのではないのか、という議論もありました。
絵に描いた餅のような構想は、「構想」ではないのではないか。言い換えれば、「良い構想」とは生きていて動き出す。つまり「構想を描く」とは「構想を実現する」と不可分なのではないか、という議論はなかったような気がしますが、私はそんなことを感じながら話し合いを聞いていました。

一時期に比べて、企業経営の世界では「構想」という言葉があまり使われなくなったという発言もありました。言葉が消えたのは、むしろ「構想」という発想が定着したともいえるでしょう。アカデミズムの世界ではむしろ「構想」という言葉は増えているようです。どちらがより「構想発想」が強いのかは一概には言えないような気もします。

ともかくいろんな話が出ましたが、たぶん切り取り方によって、いろんな受け取り方ができるような話し合いでしたから、以上はあくまでも私の受け取った理解です。誤解している面もあるかもしれません。なにしろ話は永田さんの意図通り、広がり動きましたので。

構想力を持った人に関しては、あまり具体的な名前は出てきませんでした。
永田さんは、たぶんもっといろんな人の名前が出てくるだろうと思っていたはずですが、構想者と改めて問われるとそう簡単に繋げられないのです。
それにそもそも「構想力」とは何かという問題もある。大きな変革を起こした人、新しい世界を切り開いた人がもし「構想者」であるのであれば、歴史上の偉人はすべて構想者になるでしょうが、イエスが構想者なのかパウロが構想者なのかと問われると、迷ってしまいます。
しかし、これも「構想」をどうとらえるかで全く変わってきそうです。

最後の問いの構想体験に関していえば、時間不足であまり話し合いができませんでしたが、私がいま取り組んでいることを少し話したら、「構想倒れ」になった事例を問われました。そこで私の場合は、ほぼすべてが「構想倒れ」だったと答えましたが、そこで気づいたのは「失敗した構想」もまた「構想」であり、失敗したにもかかわらず、それまでなかった何かを生み出すことが多いということです。「挫折」もまた「構想」の実現の一つの姿かもしれません。
と同時に、私の構想は一見全く違ったことのように感じられても、それらはみんな続いている。ですから、構想倒れは「小さな物語」の挫折という成果で、大きな物語である構想は、それによって進化しているともいえるのです。

報告のつもりが、私がサロンで感じたことの報告になってしまっていますね。
それではあまりに主観的なので、進行役だった永田さんの感想を聞いてみました。

概略こんな話をしてくれました。

構想の定義がはっきりしたら、構想できるかといえばこれは違う、そのことの理解のほうが鋭く重要です。
構想には大構想も小さな構想も、失敗した、構想倒れの構想もあるでしょうが、必ず行為的な傾斜があるはずです。
歴史上、ないし現代に、構想力があると思う人、その理由はと問いましたが、みんなそう思った理由を考えたら良い。

大切なのは、なんにでも驚こう。なんでも楽しもう。なんでも身体動かしてやってみよう。そうして自分で考えよう。そのほうが、しないよりいいんじゃないか。
構想は、各人が抱くエートスに発して、描いて行くものでしょう。しかし、日常にあることに発見や驚き、問題意識、工夫がない人に、突然大構想が訪れるとは思えないのです。

そして永田さんはこう締めくくりました。
行動者であることを信じる人たちに対して、言葉はどこまで有効であるか、これを確かめたかった。この2時間(実際には3時間でしたが)、言葉は言葉を呼び、構想をめぐってこの空間に言霊は舞ったのです。
それぞれの人が、世界に構想を投げかけ、構想を通じて働きかけて、何かをカタチにしていただきたい。

いかにも「詩人」(ちなみにこの表現は私の勝手な思いで永田さんは「詩人」という自己認識はないようです)らしい表現ですが、「構想」に関する捉え方のさまざまな視点は出されたと思います。
こんな感じで、日本構想学会にとっての一つのサブストリームのサロンは今後も続けていこうと思います。
次回は、「それぞれの構想(の卵)を出し合ってみよう」にしようかと思っています。どなたか進行役をされませんか。
私の構想を聞いてくれというサロンでも歓迎です。

 

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2025/04/08

■節子への挽歌6331:40年ぶりの会社時代の先輩からのメール


節子
意外な人からメールが届きました。
それこそ40年ぶりでしょう。
東レ時代の先輩の前田さんからです。
といっても節子は知らないでしょう。
私も時に一緒に仕事はしたことはなかったのですが、なぜか記憶に残っている先輩の一人です。

なぜ突然のメールが届いたか。

メールにはこう書かれていました。

サイクリスト友だちの藤田妙子さんから今週サロンで佐藤様にお会いになるとのLINEをもらいましたそして 佐藤様が今このような活動されていると教えてくれました。

藤田さんとも私は親しいわけではありません。
ある人の紹介で一度、サロンに来てくださったのですが、以来、サロンのメーリングリストで案内を出しているので、それを読んでまたサロンに来てくれるとの連絡をつい最近もらったところです。

こうやって人の輪は広がっていくのでしょう。
そういえば、前田さんはこうも書いてきてくれていました。

辻宏さんにもお知らせしました。

辻さんは節子もよく知っています。
同じ社宅に数年いましたから。
私も辻さんとは親しくさせてもらっていました。
でも退社時は、きちんと挨拶もせずに辞めましたので(ほとんどの人に挨拶しませんでした)気になっていた一人です。
また辻さんとも会えるかもしれません。

さらに前田さんはこんなことも書いていました。

こちら 定年退職後 シルクロード 及び キルギスの自転車旅行をやってきました。

キルギス?
数年前のキルギスのプロジェクトを思い出しました。
あのプロジェクトはその後、どうなっているでしょうか。

というわけで、今日はまた世界が少し広がりました。

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■4月オープンサロンのご案内

4月のオープンサロンは11日です。
前に予告したとおり、これから毎月第2金曜日がオープンサロンです。
案内を忘れることがあるかもしれませんが、私が行かないとしてもこの日はオープンサロンです。

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
いつもとても盛り上がり、思わぬ面白い話の展開になることもあります。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。
事前申し込みも不要です。

〇日時:2025年4月11日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2025/04/07

■節子への挽歌6330:胆嚢手術の入院記録のブログ記事


節子
しばらく連絡がなかった山下さんからメールが来ました。
何事かと思ってメールを読んだら、
先生は肝臓・胆嚢・胆管等に異常があったのですか?
その辺りのブログを送って頂けませんでしょうか?

先生というのは私のことです。山下さんは私よりも年長で、それこそ「先生」なので須賀、なぜか山下さんは私を「先生」と呼ぶ。山下さんにも、その呼び方をやめてほしいといったのですが、断られてしまいました。年上の人の以降は大切にしないといけません。
さて、何事かと思いながらも、昨年書いた、胆嚢手術の入院記録のブログ記事を送りました。

その返事に驚きました。
胆管癌・膵臓癌の怖れでありで病院から余命幾ばくもないと脅されています、と書いてあります。
そしてこう続けられていました。

先生の闘病記録を思い出し、お尋ねしたところ、早速に御回示を頂き有り難う御座いました。先生の強さ改めて知る事が出来て良かったです。

ちょっとは山下さんの元気の素になれたでしょうか。
その後いろいろとやりとりがあって、大分状況もわかりました。
山下さんのことですから、乗り越えてまた湯島に来てくれるでしょう。

久しぶりに山下さんとのやりとりは、うれしい限りです。

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2025/04/06

■第9回あすあびサロンへのお誘い

我孫子をどんなまちにしたいかを、我孫子界隈住民が中心になって、自由に話し合う「我孫子の明日を話し合う」サロン(“あすあびサロン”)の第9回のご案内です。

すでに前回ご案内のように、“あすあびサロン”の母体になった「我孫子まちづくり編集会議」では、5月24日(土曜日)に、「我孫子でやりたいこと 呼びかけフォーラム」を開催する予定です。
そこで今回は、その準備も兼ねて、呼びかけフォーラムで発表するプロジェクトを決定したいと思います。いつものように、こんなことをやりたいという意見も歓迎ですが、中心は呼びかけフォーラムの準備会的な内容になると思いますので、ご了解ください。

ちなみに「呼びかけフォーラム」は秋にも開催を予定しています。

毎回説明させてもらっていますが、このサロンでは、年齢や立場に関係なく、みんな同じ我孫子・柏界隈住民の一人として参加してもらっています。
また問題や不平を話すのではなく、自分たちの住んでいるまちをさらに住みよいまちにするために、自分ができること/取り組みたいことを探していくこと、そして仲間を見つけていくことを基本にしたいと思っています。
その趣旨を踏まえていただければ、どなたでも参加歓迎です。我孫子市民にもこだわっていません。

参加ご希望の方は、できるだけ下記申込先までメールでお申し込みください。当日、急に来られなくなったりしても、いずれも事務局は気にしませんので、気楽にお考え下さい。何しろ気楽な「サロン」ですから。
またこのサロンへの参加者を対象にした案内や報告のメーリングリストがありますので、参加ご希望の方は事務局にご連絡ください。
 申込先:準備会事務局佐藤修(qzy00757@nifty.com)

〔第9回あすあびサロン〕
〇日 時:2025年4月19日(土曜日)午前9時半~11時半(9時15分開場)
〇会 場:アビスタ第5学習室(いつもと違うのでご注意ください)
〇テーマ:「我孫子でやりたいこと 呼びかけフォーラム」での発表プロジェクト
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇主催者:“あすあびサロン”準備会(事務局佐藤修 qzy00757@nifty.com)

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■節子への挽歌6329:意外なほどのだらしない私にがっかりです

節子
あたたかくなりました。
朝もとても気持ちがいい。

しばらくサボっていた朝のテレビ体操を今週から再開しています。
それも在宅の時には1日2回です。
3か月ほどサボっていたのですが、そのせいか、身体がうまく動きません。
身体がほぐれて気持ちいいというのが、以前の感じでしたが、今は反対に10分間のテレビ体操でもうへとへとです。
できればやめたいという気持ちさえ出てきます。
身体の劣化は思っている以上に速く進むようです。
こんな状況では5月30日に筑波山登りは心配です。

それにしても人間は実に怠惰です。
自分の生活を見ていてつくづくそう感じます。
ユカによれば、散歩にもいかないし、動くのはパソコンの時のイスト食事の時の椅子の移動だけではないかというのです。
しかも今は、食卓でパソコンをやっているので、2つの椅子を横滑りで移動するだけなのです。
困ったものです。

衣替えとか寝室の整理とか書類の片づけとか、やるべきことは山のようにあります。
でもいつも「明日こそ」と思いながら、いつになっても「明日」は来ない。
もう限界なのですが、気持ちは出てこない。

でももう春です。
「明日」はやめて「明後日」にこそ、生活の整理を始めようと思います。
さてうまくいくでしょうか。

私ももう少ししっかりしていると思っていたのですが、意外なほどのだらしなさに、最近は少し愛想をつかしています。
そろそろ進退を乗り換える時期なのでしょうか。

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2025/04/05

■闘論サロン②「アメリカって私たちにとって何なのだろう」のご案内

いつもと違って午前中開催のサロンです。

私のフェイスブックに、長いコメントを書いてくれた人がいます。
タイトルは、「トランプ君の関税措置について、ちょっと考えてみました/我々は、忘れていたことがあるような気がします」。
長いコメントですが、日程などの案内の後にそのまま掲載していますので、読んでみてください。

トランプ大統領、そしてトランプ政策に関しては、評価が全く分かれています。
「トンデモ政権」説もあれば、現状を打開してくれる「救世主」のような意見もある。
いずれもかなり極端な偏った意見で、日本人が大好きな○×二択でみんな考えているようです。
しかし、トランプ政権が、これまで見えていなかったことを顕在化させてくれていることは明らかです。

今回、コメントをくださった方は、日本にとって、そして世界にとって、アメリカとは何なのかを問いかけています。
親米や反米で、政治の姿勢や評価は全く変わりますが、その前に、そもそも「アメリカ」って何だと問うている。
正直、私はハッとさせられました。
確かに何か大切なことを私は忘れていたのではないか、と。

そこで、そんなテーマでの闘論サロンをお願いすることにしました。
このコメントに対する異論反論の人はもちろん、賛成の人も歓迎です。
このサロンは、「対話」ではなく「議論」スタイルですが、そこからそれぞれの気づきが得られればと思っています。
進行役は私が務めさせてもらいます。極力、私見を抑えて。
ちなみに、闘論ですが、武器の持ち込みは禁止します。

〇日時:2025年4月18日(金曜日)午前10時~12時
  *いつもと違って午前中の開催ですのでご注意ください。
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「アメリカって私たちにとって何なのだろう」
〇問いかけ者:村上千明さん(私のFBにコメントしてくれた人)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔私のフェイスブックに書き込まれたコメント〕
~ トランプ君の関税措置について、ちょっと考えてみました。~
⇒ 我々は、忘れていたことがあるような気がします。
戦後80年、日本はアメリカにたくさんのことをしてもらいました
民主主義を教えてもらい
コカ・コーラもマクドナルドもWINDOWS-95も
みんなアメリカからの贈り物でした。
そのうえ
日本自国の軍事面も任せっきりで
クルマもたくさん買ってもらい
いい映画や音楽もたくさん教えてくれました。
これほどたくさんのことをしてくれた国は
他にあるでしょうか?
みんな忘れてたんじゃないでしょうか?
アメリカがそんな、たくさんのことを
今の日本の繁栄やシアワセは
すべてアメリカがくれたものだってことを・・・・
そして、
私たちに、そんな多くのことをしてくれた国
あのアメリカが
いま
こんなにたいへんになってるんですね。
私は知りませんでした。
トランプ君が教えてくれました。
アメリカが、今やばいんですね!
なんとかしなくちゃ!です。
ここまで
80年に渡ってアメリカが我々にしてくれたことに対して
いまこそ感謝すべき時が来たのではと思います。
日本だけじゃないですよね
ヨーロッパも、韓国も、台湾も、
世界中が
アメリカの作ったルールや仕組みに助けられて
ここまでやってきました。
アメリカにオンブにダッコで成り立ってたのが
ここ80年の「世界秩序」ってやつですよね。
そんなアメリカが今悲鳴を上げているのです。
世界のみなが協力して
いまこそアメリカを助けなくてはならないのでは?
戦後80年の今こそ恩返しをする時が来ました。
アメリカに感謝しましょう
ありがとうアメリカ!
世界の人々よ
共に手を取り合い
苦しんでいるアメリカを救おうではありませんか!
環境問題なんて、へんてこなことに首ったけになってる暇はありません。
SAVE The USA!
頑張れアメリカ! ガンバレトランプ! 頑張れUSA!
そしてもう一度、私たちの輝けるアメリカとなってくれ!
何だってしましょう
アメリカのためなら。
いま立ち上がろうではありませんか。
共に
Together!

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■節子への挽歌6328:パソコンセットで1日過ごしてしまいました

節子
手元のパソコンがほぼすべて全滅です。
湯島用に不要なパソコンがあれば寄付をとお願いしたら、半田さんからは大型のMACが、柿内さんからはわざわざ購入してWindowsが届きました。
MACは半田さんが基本的なセットをしてくれましたが、Windowsは自分でできるだろうと放置していました。
しかしそろそろ作動させないといけないので、今日、セットし始めました。
何とか基本的なセットはできたのですが、なんとプリンターやスキャナーのOCRソフトがうまくインストールできません。
メールもなかなかうまくいかない。
仕方なくメールはとりあえずniftyで対応しましたが、Outlookでのデータが移せないで苦戦しました。
2時間近く取り組んでいましたが、ダメでした。
そもそもパスワードが思い出せない。
困ったものです。

自分用のパソコンも更新しなければいけませんが、こんなに大変だと思ってもいませんでした。ちょっと憂鬱になってきました。
もう目がショショボです。

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■『信頼されるリーダーになるための37の「やめる」』(ぱる出版)の紹介

先週、久しぶりにチェンジ・アーティスト代表の荻阪哲雄さんが湯島に来ました。
新著を出すので、店頭に並ぶ前に読んでほしいとわざわざ持ってきてくれたのです。
すぐに読もうと思っていたのですが、思ってもいないことが起こり、10日ほど気力を失っていました。ようやく気が戻ってきたので、読ませてもらいました。
さすがに実践の場を大事にしている荻阪さんだけあって、わかりやすいです。
企業やNPO、行政組織で活動している人たちだけでなく、社会で活動しているすべての人たちにお勧めです。信頼される存在になることは誰にとっても大切なことですから。

荻阪さんとの付き合いは長いです。私がまだ企業経営の変革に期待を持っていたころ、企業変革に取り組んでいた人たちとの付き合いはそれなりにありました。私の考えは、かなり主流とは違っていましたが、荻阪さんは「違い」ではなく「共通するところ」に焦点を当てて付き合ってくれていた気がします。

「共通するところ」とは、「社員一人ひとりを主役にするという視点」です。その視点に立てば、会社組織の原理も組織経営の理念もいまのような形とは全く違ってくるでしょう。「働くこと」の意味も、事業の意味も変わってくる。しかし、日本の企業は21世紀に入って、その道を放棄したような気がします。私が企業経営に関わるのをやめたのは、そういう思いが強まったからです。

荻阪さんは「組織開発」の専門家ですが、独自に開発した「バインディング・アプローチ」(トップダウンとボトムアップを「バインディング」つまり「結束」させる手法)をベースに実際の企業経営に関わってきています。その目線はいつも社員一人ひとりの気持ちに向けられているのです。理屈でそう言う人は多いですが、荻阪さんの場合は、理屈ではなく実践からの主張なので、地に足がついています。実際の企業経営現場に関わりながらも、大学でも教鞭をとってきたからこそなのでしょう。現場での実践・体験知が論理的にしっかりと整理されています。

荻阪さんは「社員参謀」という発想もお持ちです。「社員参謀」は荻阪さんの造語ですが、これからは、経営者にとっての参謀と同じく、社員にとっても参謀が必要だというのです。社員一人ひとりの力を引き出し、組み合わせていく上では、個人を起点にした参謀役が効果的だというわけです。

今度出版した『信頼されるリーダーになるための37の「やめる」』は、『社員参謀』『リーダーの言葉が届かない10の理由』につづく、荻阪さんの「組織開発」三部作の完結編です。
前作からちょっと間がありましたが、その分、荻阪さんの思いが深まり、わかりやすい実践語で書かれています。

完結編の本書は、表題からわかるように、リーダーがやりがちな37の悪習慣を「やめる」ことを提案しています。
信頼されるリーダーは、「やること」の前に「やめること」を決めている、と荻阪さんは言います。リーダーが「やめること」を自己決定すると、組織の優先基準が示され、メンバーが「やること」に集中できるようになる。つまり、信頼されるリーダーは、先に「やめること」を決め、仲間と一緒により良い道を築いていくというわけです。
リーダーの「アクション(やめる)」が、各自が自発的に動くという「リアクション(反応)」を促す。そういう象徴的なアクションを、「部下が安心して働くための環境づくり」「部下が楽に話せるため動作づくり」「部下が遠慮なく聞けるための傾聴づくり」「部下が相談しやすくなるための相談づくり」「部下と一緒に変わるための変化づくり」という5つの柱に分けて実践的に示してくれています。その気になればすぐにでもできる提案ばかりですが、意外とハッと気づかされることが多いはずです。

詳しい内容は出版案内をご参照ください。そして是非お読みください。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784827215007
私はもう組織活動はあまりしていませんが、生き方を問い直すヒントをいくつかもらいました。
そういう意味では、だれにもきっと気づかされることのある本だろうと思います。

もし本書を読んでもう少し議論を深めたいという方が複数いらっしゃったら、荻阪さんもお呼びして、読書会的サロンを企画したいと思います。テーマは「信頼」。
本を読まれて、関心を持たれた方は私にご連絡ください。

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■第39回万葉集サロン「〈おの〉-〈た〉からたち顕れてくる意識の〈わ〉」のご案内

前回の「〈わ〉の先にあるもの」のパート2です。
テーマは「〈おの〉-〈た〉からたち顕れてくる意識の〈わ〉」。
なにやらテーマがだんだん難しくなってきましたが、要は万葉の歌から日本人の意識の芽生えを読み解いていこうという話です。それが平安時代の国風文化や物語文化を花開かせていくわけです。
「神の歌」から「人間の歌」への変化。意識の誕生の痕跡を見つけるというのが今回の升田さんの意図のようです。〈わ〉や〈あ〉とはちがった〈おの〉。当然、それに伴って、〈な〉や〈た〉も変わってくる。歌もまた変わってくる。

専門的に書くとこうなります。

前回は、田辺福麿(9-1804)や作者不明(12-2928)の歌から「生と死」を並列に置く観想を見ました。
表現の「這ふ蔦の おのが向き向き」は「おの」の本質を起想させ、「穂向き」にも通じる内面からの表現形式といえます。これらは「いづく・いづへ・いづち〈何処〉」に敷衍して行き、意識の「方向性・空間性」(意識を拡げる上に大切な哲理だと考えられる)を「た」の中に広げて個としての「わ」の魂の彷徨をもたらします。
そして、「わが背子はいづく行くらむおきつもの隠(なばり)の山を今日か超ゆらむ」(1-43)、「霞居る富士の山辺に我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ」(14-3357)、「かなし妹を何処行かめとやますげの背向(そがひ)に寝しく今し悔しも」(14-3577挽歌)のような歌が生まれる。

うう……ん。よくわからない。
でも大丈夫です。サロンに参加するとこの辺りがすっきりするでしょう。すっきりしなければ気楽に質問すればいい。「講座」ではなく「サロン」ですから。
それに、「「た」の中に広げて個としての「わ」の魂の彷徨」って、なんだか楽しそうではありませんか。
升田万葉集サロンの世界はさらに広がり深まるようです。

サロンですから、いつものように気楽な集まりです。気楽に参加し、気楽に話し合いたいと思います。ぜひ一度、万葉集サロンにも参加して、全く違った風に当たってみるのも面白いという気がします。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇テーマ:「〈おの〉-〈た〉からたち顕れてくる意識の〈わ〉」
〇日時:2025年4月20日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2025/04/04

■節子への挽歌6327:食事をしないと生きていけないというのは実に不便です

節子
今日は昼間は誰もおらず、私は在宅だったので、ユカが昼食の準備をして出かけてくれました。
といっても、配膳したわけではなく、ご飯は炊き立てがあり、おかずは肉じゃがが冷蔵庫にあると言っていました。みそ汁は私でも作れるのです。

午前中は、パソコンをやったり、読書したり、録画しているテレビドラマを観ていました。ドラマは中国ドラマの「三国志」です。2回目ですが、これはなかなか面白いです。
読書は里見龍樹さんの『入門講義 現代人類学の冒険』(平凡社新書)。昨日から読み出しましたが、これはなかなか面白い。

気づいたら12時近くになっていました。
さて食事をどうするか
肉じゃがを小分けして電子レンジで温めて、冷蔵庫の中にある残り物のおかず類を探して、お味噌汁はワカメでつくって、お漬物を出して、ご飯をよそって……と思ったのですが、やはり面倒になってきてしまい、お餅を焼いて食べることにしました。
これなら海苔をまくだけでいい。

というわけで、今日の昼食はお餅の磯辺巻とバナナと昆布茶とコーヒーとヨーグルトで済ませました。
どうも私は調理が全く苦手です。
誰もいない時には、食事は抜くことが多い。

調理も苦手ですが、一人での外食も苦手です。
ですから湯島もお昼が一人の時にはだいたい抜いてしまう。
そのため、サロンでお菓子を食べるのはできればやめたいのですが(私はサロンでお菓子を食べるのは好まないのです)、ついつい手を出してしまう。困ったものです。

夕方娘が帰ってきたので何かお土産はと訊きましたが何も買ってきていない。
困ったものだ。
で早目の夕食にしてもらいました。

食事をしないと生きていけないというのは実に不便です。

でも今日はおかげで、『入門講義 現代人類学の冒険』を読了しました。
とても面白く、共感できることの多い本でした。

 

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■湯島サロン「3つのパブリックとクウキ」のご案内

「公共」の問題は、湯島のサロンの底流に置いている大きなテーマの一つですが、今回はまた改めて正面から「パブリック」の問題を取り上げたいと思います。

ナビゲーターは「時代のアーキテクト」を目指す万仲(まんちゅう)豊さんです。
万仲さんは、こういいます。
みんなのことを考える、いわゆる「公共圏」で話をしていても、「みんな」の定義がそれぞれ違っているために、話がかみ合わないことがある。
「みんな」って、いったい誰のことなのでしょうか。

そこから、万仲さんは〈3つの「みんな」仮説〉を整理しました。
簡単にいうと、「クウキを信じる公共圏」「一神教(キリスト教、お金(効率)、法など、明文化されているもの)を信じる公共圏」「なぜ、そう思うのですか?と問うことを信じる公共圏」。
この3つの公共圏(パブリック)は、それぞれの価値観と規範とを持っているため、お互いにほとんど話が通じない、と万仲さんは言います。

さらに万仲さんは、この仮説〈3つの「みんな」仮説〉を思い付いてから、「クウキ」に気をつけるようになったそうです。そしてこの「クウキ」パブリックが、日本に住む私たちのパブリック(公共)意識を構成しているのではないか。
でも、これからの〈みんな〉って、違うのではないか。
これから大切な〈パブリック〉って、3つめの「なぜと問い合う公共圏」なのではないか。それこそが、湯島のサロンでも時々話題になる「ミュニパシリズム」における〈パブリック〉なのではないか。

なんだかワクワクするような話です。
万仲さんのナビゲートで、どんな話に広がっていくか楽しみです。
社会のあり方や、自らの生き方を、ちょっと問い直したい方にはぜひ参加してほしいサロンです。
〈みんな〉という極めて多義的な言葉で、私たちがいかに迷路に迷い込んでいるか。
万仲さんが、それを解きほぐしてくれるかもしれません。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2025年4月19日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「3つの公共圏とクウキ」
〇ナビゲーター:万仲豊さん(時代のアーキテクト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/04/03

■節子への挽歌6326:にこのディールパワー

節子
良いことを思いつきました。
にこを100円ショップに連れて行って、なんでもいいから10個買ってやるというのです。きっと孫は喜んでついてくるでしょう。

というわけで声をかけてみました。
案の定、行こうということになりました。ここまではうまくいきました。

ところが100円ショップに行っても、あまりほしいものがないという。
なかなか買うものが決まりません。
誘い水に私が2つほど買い物かごに入れました。もちろん私の買い物ですが。
それでにこは買うものを決めません。
迷っているようなものはありそうですが 買わないのです。
ようやく2つほどを選びましたが、どっちにしょうか迷っている。
それで2つとも買い物かごに入れたら、と言いましたが、にこはどっちかでいいと納得せず、迷った上にひとつを返しました。
どうしてかと訊いたら使わないものは買わない、と言われてしまいました。
全くしっかりした孫です。

結局 10個は達成せず一つで終わりました。
よく聞いたら、この100円ショップには欲しいものがないというので、別の100円ショップに行くことになりました。

ところが 途中でお腹が減ったと言い出したので、仕方がなくMANNAというお店に寄って、タピオカドリンクを飲むことにしました。前から飲みたかったのだそうです。
その上、買いたい本があるというので本屋さんに行きましたが、どうも 私の趣味には合わない本になってしまいました。
孫とは付き合いにくいです。

さてこのあと、もう一つの 100円ショップに行きましたが、結局、全部で5つでした。
にこが迷っているうちに、私も3つほど買ってしまいました。

実は、いまどきの子どもがどんなものを買うかに興味があったのですか、その期待は裏切られました。しかもタピオカまで付き合わされてしまいました。本も、私の推薦はすべて無視されて、散々でした。

お年玉でご馳走してもらう約束もまだ果たしてくれません。 困ったものです。
今日、改めて相談したら、ごちそうするのは、10個が買えてからということになりました。完全に孫が主導権を握っている。
にこのディールパワーはトランプ並みです。
先が思いやられます。

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■湯島サロン「海外生活から戻ってきて感ずる日本社会」のご案内

ボストン在住の坂口さんの「海外から感じている日本社会」をテーマにしたサロンは参加者が多かったのに驚きましたが、そこでの話し合いを聞いていて、みんな日本の社会のありようになんとなく不安を感じているような気がしてきました。
そうしたことに関して、マスコミやネット、あるいは書籍などで盛んに語られていますが、生活感覚では果たしてどうなのか、みんな確信が持てないでいるのかもしれません。
だから、ちょっと違った社会で暮らしていた人が、いまの日本社会をどう感じているのかに興味があるのではないか。

そこで、そのサロンにも出ていた野瀬栄子さんに同じような趣旨でサロンをお願いしました。
野瀬さんは40年ほど、ドイツに暮らし、10年近く前に帰国しました。
帰国してもう10年近く経ちますが、今もどうも日本の文化や習わし、日本人の言動に違和感を持つこともあるようで、暮らしにくさを感じているようです。
ちなみにドイツで生まれた野瀬さんの息子さんは、一度日本で暮らしてはみたものの、日本はやはり暮らしにくいと言って、ドイツに戻ってしまっています。野瀬さんによれば、息子さんは幼稚園から大学までドイツで教育を受け育ったとは思えないくらい日本語もうまく感覚も日本人的だそうです

野瀬さんが感じていることの一つは、組織における人のあり方です。日本に戻ってきて組織で活動して、違和感を持ったようです。いまの日本人は、あまりに組織中心で動いていて、個人がなくなっているのではないかと感ずることもあるようです。
野瀬さんがドイツに行く前の日本との違いは、どう感じられているかも興味があります。
私のように、ずっと日本で住んでいるものにも、日本の社会や人の付き合い方は大きく変わっているような気がしますが、数十年、間をおいて日本に戻ってきた人たちはどう感じているのか、日本人は変わってしまったのか、国際的にみると日本人は特殊なのか、個人の暮らしの体験から実感していることを話してもらいながら、みんなで話し合えればと思います。

野瀬さんにはもう一つ関心があります。
野瀬さんの伴侶は日本人ですが、子育てにおいては夫婦の考え方が異なり、野瀬さんは日本語を教え日本の文化を伝えていくことを大事にしましたが、伴侶はドイツで生きていくのだからドイツ語で全てやるべきだという考えで、よく議論したそうです。
その地域の言語で子育てをすべきか、生まれ故郷の言語で子育てをすべきか。言語は子育てにどう影響するのか、そんなこともみんなで話したいそうです。

野瀬さんから話を聞くだけではなく、野瀬さんの体験談を材料にして、私たちの生き方や社会のありように関して、みんなで考えてみるサロンになればと思っています。
基本的にオフレコのサロンですので、みなさんの体験や思いなどもぜひ話していただければと思います。

みなさんの気楽なご参加をお待ちしています。

〇日時:2025年4月28日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「海外生活から戻ってきて感ずる日本社会」
〇問題提起者:野瀬栄子さん(40年のドイツ生活からの帰国者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/04/02

■節子への挽歌6325:寒いと怠惰になります

節子
金子友子さんから、先日の令和の百姓一揆をテーマにサロンをしようと提案がありました。確かにこのままだとなんだか変わったデモがあったなで終わりかねません。
そうなってはいけない。
それで急なのですが、ともかく呼びかけてみようということにしました。
これで向江具はサロン回数が10回を超えそうです。

今日も寒くて、しかも雨。
にこたちを誘って、近くの回転寿司に行きました。
春休みににこを連れて上野公園に行きたかったのですが、天気にも恵まれず、日程も合わず、何よりもにこが私と行くのをジュンがあまり望んでいないのです。まあいつ倒れてしまうかわからない高齢者と一緒に幼子を電車に載せるのは不安なのでしょう。
それににこも私との2人行はあんまり歓迎していないのです。
困ったものです。

寒いとどうもなにもやる気が出ない。
朝からコーヒー3杯、紅茶2杯、昆布茶1杯、ともうあったかい飲み物ばかり飲んでいます。
本も、手こずっていた「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」を何とか読了しました。古代ローマの詩人ルクレティウスの『物の本質について』が発見され、それが世界を変えたという話です。
最近、読書のペースが落ちたので、なかなか消化できずに、読みかけの本が6冊もあります。それに荻原さんや高野さんからもらった本も何とか読んで感想を書かなければいけません。
むかしは著書をもらったら、2,3日以内の読んでホームページで紹介していたのですが、最近は怠惰になってしまいました。

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■節子への挽歌6325:寒いと怠惰になります

節子
金子友子さんから、先日の令和の百姓一揆をテーマにサロンをしようと提案がありました。確かにこのままだとなんだか変わったデモがあったなで終わりかねません。
そうなってはいけない。
それで急なのですが、ともかく呼びかけてみようということにしました。
これで向江具はサロン回数が10回を超えそうです。

今日も寒くて、しかも雨。
にこたちを誘って、近くの回転寿司に行きました。
春休みににこを連れて上野公園に行きたかったのですが、天気にも恵まれず、日程も合わず、何よりもにこが私と行くのをジュンがあまり望んでいないのです。まあいつ倒れてしまうかわからない高齢者と一緒に幼子を電車に載せるのは不安なのでしょう。
それににこも私との2人行はあんまり歓迎していないのです。
困ったものです。

寒いとどうもなにもやる気が出ない。
朝からコーヒー3杯、紅茶2杯、昆布茶1杯、ともうあったかい飲み物ばかり飲んでいます。
本も、手こずっていた「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」を何とか読了しました。古代ローマの詩人ルクレティウスの『物の本質について』が発見され、それが世界を変えたという話です。
最近、読書のペースが落ちたので、なかなか消化できずに、読みかけの本が6冊もあります。それに荻原さんや高野さんからもらった本も何とか読んで感想を書かなければいけません。
むかしは著書をもらったら、2,3日以内の読んでホームページで紹介していたのですが、最近は怠惰になってしまいました。

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■緊急サロン「令和の百姓一揆に何かできるかことはないか」のご案内

2025年3月30日、全国各地で「令和の百姓一揆」デモが展開されました。
東京でも都心を約30台のトラクターがデモ行進しました。
湯島のサロンに参加している人も10人ほどが参加していますが、デモの様子をテレビやネットで見た人も多いでしょう。

「一揆」とはいえ、決して「打ちこわし」などを行うのではありません。
私も参加しましたが、とてもおだやかであたたかく、知的で前向きの活動です。
令和の百姓一揆実行委員会の申し合わせ事項として、次の2項が確認されています。
・農業と食を守ることを目的とし、多様な農業、人を尊重し、他の団体、農法、人への批判を行いません。
・反社会的な行為や、暴力行為、破壊行為などは行いません。

なぜ今、「百姓一揆」が起こったか。
最近、米価高騰や米不足など「消費の状況」はマスコミで話題になっていますが、その背景である米の「生産の状況」はほとんど伝わってきません。「問題の捉え方」が間違っていては、何も解決しません。
それに、米価が高騰しても米の生産者が楽になるわけではありません。
米や野菜の価格高騰は、百姓にとっても死活問題なのです。そして言うまでもなく、それはすべての日本で住んでいる人にとっての死活問題につながっています。
でも何かがそれを見えなくしている、としか思えません。

令和の百姓一揆はちょっと話題になりましたが、このままだと、都会の消費者にはすぐに忘れられてしまうでしょう。それでは全国で「一揆」を起こした人たちは報われません。いや、日本の農と食が守られないかもしれません。まわりまわって、それは消費者に影響してきます。単に価格の問題ではないのです。

そこで霜里農場で長年、日本の食に関わってきた金子友子さんとその仲間が、この百姓一揆の背景をもっと多くの人に知ってもらい、消費者としてできることを話し合いたいと言ってきました。

そこでまずは湯島サロンでも、サロンをやりたいと思います。
急なお誘いですが、ぜひ参加してください。
当日は、百姓一揆に参加した人たちから、いまの日本の農の現状の一部を話してもらい、これから何かできることはないかをみんなで話し合えればと思います。

〇日時:2025年4月12日(土曜日)午後2時~5時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「令和の百姓一揆に何かできるかことはないか」
〇呼びかけ人:金子友子さん
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/04/01

■節子への挽歌6324:またいろいろとサロンがやりたくなってきました

節子
4月になったのに、今日はまた寒い1日でした。
令和の百姓一揆のデモ参加者から、次の展開に向けて何かやりたいのだがという連絡がなぜか私のところにまで届いています。
関わろうと思うものもあれば、またかと思うようなものもありますが、全く何もしないのも残念です。
少し考えようと思います。

しかし寒いと活動量は一気に激減です。
寒いのでいくつかのサロンを企画することくらいしかできません。
企画しだすとやりたいサロンがどんどん出てくる。
困ったものです。
そんなにやったらみんなに呆れられるでしょう。
でも取り上げたいテーマは際限なくある。

ますますサロン人生になってしまいそうです。
何処かで抜け出さないと抜けられなくなりそうです。

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■湯島サロン「対話の素人が集まってテキトーな対話しちゃおう」報告

森内真也さんの「対話の素人が集まって本題逸れ逸れのテキトーな対話しちゃおうの会」(3月29日開催)は、大人気で、15人を超える申し込みがありました。
「対話」するには多すぎる人数でしたが、「対話」テーマの対話会なので、森内さんの巧みな手綱さばきで話題も話し手も変えながらの楽しい展開になりました。

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森内さんは参加者に、対話に関するテーマ集を配布。最初に、その冒頭にある「対話とはなにか」を取り上げました。と言っても、森内さんが「対話とはなにか」について解説したのではありません。
森内さんは「対話が成立するのに必要なのはなにか」、そして「対話の反対はなにか」を、答えの例を示して参加者みんなに問いかけたのです。そこでおのずと「対話」が始まるわけです。質疑応答ではありません。もちろん問いに対する正解を出すわけでもありません。参加者みんなに対話を呼びかけたのです。
森内さんは、「対話」のモデルを示してくれたわけです。それぞれが外に向けての他者との対話と内なる自分との対話思考が行われたように思います。

モデルを体験させた後、森内さんは、配布したテーマ集から参加者が好きなテーマを選んで「対話」しましょうと、呼びかけました。
テーマ集はただテーマが並べられただけではなく、話しやすいように、テーマに関する具体的な切り口やキーワードが並べられています。しかもかなり広義に展開されているので、だれでもがどこかにひっかかるように工夫されています。
まるで対話エンサイクロペディアの目次のようですが、「テキトーな対話」をめざす工夫が込められています。極めて具体的なテーマもあれば、大きなテーマ、たとえば「AIとの対話」というのもあります。最後には、「佐藤さんのサロンに来たくなるような理由」という、誰でもがその気になれば切り出せるものもある。
要するになんでも話し出していいよと誘いかけているのです。
正面から「対話とはなにか」を対話するのではなく、それは冒頭でさりげなく通過して、対話そのものに入るという森内さんの巧妙な仕掛けです。

というわけで、この後、対話が楽しく広がっていきました。個々の対話や話し合いの内容を報告してもあまり意味がないので止めますが、私の印象に残ったことを主観的に2、3報告させてもらいます。ちなみに、人によって印象に残ったことはそれぞれ違うでしょう。なにしろ「テキトーな対話しちゃおう会」ですから。

「対話成立のための要件」として、森内さんは「対等」「双方的」「根拠」「リスペクト」を例示しましたが、そうしたことの前提として、「複数の主体」が大事だと思いました。
つまり語るべき自分の考えを持った人同士でないと対話は成り立たないのではないか、と思います。借り物の知識や言葉だけでのやりとりは、一見、対話に見えて何も生み出さない。
最近、対話がなくなってきたと感ずるのはみんな自分で考えなくなってきたからではないか。言葉のやりとりは決して少なくはないのですが、対話と実感することは少なくなってきている気がします。

「対話の効用」も少しだけ対話されましたが、私は「新しい価値が創出されるのが対話」だと思っています。ですから対話の主体は同質ではない方がいい。異質な考えが対等に双方向的絡み合いをすることによって、新しい何かが「創発」されるのがいい対話ではないかと思います。同質の仲間同士で話していても「対話」にはなりにくい。

しかし、対話のためには異質な主体が必要であるとして、全くの異質でいいのか。異質の双方をつなぐ共通の情報基盤は必要ではないか。そこでアニメが話題になりましたが、コミックやアニメになじんでいる人とそうでない人の対話は一見成り立っているようで成り立っていないこともある。言語の違いとも関連していますが、対話は異質でも共通の基盤が必要なような気がします。それがどうも最近は失われてきているのではないか。

AIとの対話も問題になりましたが、これはとても興味あります。私自身は人や自然といった「生命ある存在」(主体)との対話と、人工物のAI(手段)との対話は、まったく別のものと捉えていますが、昨今はむしろ人との対話よりもAIとの対話が増えてきているような気がします。だからこそ「対話とはなにか」ということが大切なのかもしれません。

他にもいろいろ示唆を受けましたが、私にとっては、良い対話を楽しめたサロンでした。
おそらくそれぞれの人がいろんな示唆を得たはずです。
「対話」は単なる技法の問題ではなく、身心での体験知かもしれません。

ところで、森内さんは今回、面白い実験もしてくれました。
サロンのやりとりを録音し、AIに整理させるという試みをやってくれたのです。
その結果、こんな感じでAIは要約してくれました。

本会議では、対話の本質と様々な形態について深い議論が行われました。冒頭で、森口氏は対話の成立要件として、対等性、総合性、根拠の必要性、相互リスペクトの4つを提示しました。佐藤氏は、対話には主体性が不可欠であり、単なる知識の交換では真の対話にならないと指摘しました。二宮氏は、インドでの経験を共有し、一方的な知識の披露は真の対話を阻害する要因となることを説明しました。仲谷氏は、相手の話を聞き、理解しようとする姿勢の重要性を強調しました。富山氏は、企業における対話の実践について言及し、エンゲージメントを高めるための手段として対話が活用されている現状を説明しました。しかし、形式的な対話では効果が限定的であり、本質的な信頼関係の構築が重要であることが指摘されました。世代間対話については、アニメや漫画が世代間のコミュニケーションツールとして機能している可能性が議論されました。また、絶対的文化と相対的文化における対話の違いについても検討が行われました。……

まあ、こんな感じなのですが、ここからさらに「対話の成立要件」「本質的な課題」「対話の反対事例」「企業における対話の実践」「世代間対話とメディアの役割」「行動項目」といったように、内容を分類もしてくれるのです。

どうでしょうか。
AIによる要約報告のほうがたぶん私の報告よりは正確でしょう。
でも私はやはり、AIとは「対話」はしたくないし、AIに報告を頼もうとは思いません。

やはり「対話」は人間にとっての贅沢の一つではないか。そんな気がしたサロンでした。
また「テキトーな対話」がしたくなったら、湯島のサロンにどうぞ。

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