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2025年6月

2025/06/30

■節子への挽歌6421:今日は久しぶりの湯島

節子
ちょっと元気が戻ってきました。
昨日、畑に行ったのがよかったのかもしれません。

今日は久しぶりの湯島でした。
聖域が荒らされたような気分で湯島に行きましたが、何も変わったことはありませんでした。
まあ当然のことですが。
でも徐々に私の気配をなくしていこうという計画は挫折しました。
ここをどうするかはまた白紙に戻して考えようと思います。

私の体調不良とは関係なく、相変わらず周りではいろんなことが起こります。
人との付き合いはないと寂しいですが、あればあるとで面倒です。
ほかの人のことを心配する前に、まずは自分のことを心配した方がいいような状況ですが、なかなか生き方は変えられません。
いつもながら自分のことは先延ばしです。

今日は意外な人がサロンをしてもいいと連絡が入りました。
7月のサロンはほとんど何も企画していませんでしたが、私の主催するサロンもいくつか考えてみようと思います。
自分の主催サロンは報告も簡単ですし。

今年の夏は暑そうです。

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■7月オープンサロンのご案内

7月のオープンサロンは恒例の第2金曜日、7月11日です。
今回は、サンティアゴ巡礼者の鈴木章弘さん提供の、ブラジルの鈴木さんちのコーヒーを用意します。念のために言えば、ここでの2人の鈴木さんは全くの別人です。
コーヒーの苦手な人には今回は桑の葉茶もしくは新倉さん提供の枇杷の葉茶プラスを用意しています。
アイスコーヒーも用意しますが、作るのが面倒なのでこちらはペットボトルものです。

暑いですので、ご無理のありませんように。
いろいろなお話が出るのを楽しみにしています。

〇日時:2025年7月11日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。
事前申し込みも不要です。
何しろオープンサロンですので。

 

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2025/06/29

■節子への挽歌6420:畑が大変です

節子
この1週間、ちょっとダウンしていました。
と言っても、どこかが悪いわけではないのですが。

ようやく昨日から少しずつ気力と体力が戻ってきました。
そこで今朝、暑くなる前にと久しぶりに畑に行きました。
やはり1週間のブランクは、恐ろしいほど畑の様相を変えていました。
佃さんが植えてくださった野菜は元気ですが、私がその後、耕してタネをまいたところは完全な野草畑になっていました。

野草の生命力はともかくすごいです。
その生命力を少しいただこうと野草茶の材料に笹の葉と桑の葉を収穫しようと思いましたが、今日はその元気もありませんでした。
草刈りをし、野菜に声をかけて、30分ほどで今日は引き上げました。
のどが渇いたのでミニトマトを一つ食べさせてもらいました。
おいしかったです。

明日にでもまた野菜の苗かタネを買ってきて、再挑戦です。
道沿いに琉球朝顔は相変わらず元気です。

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■第2回ブックカフェサロン「私の最近のお勧めの本」のご案内

カフェサロンは、ちょっと長めのカフェサロンで、最初の2時間は勝手に読書、後半の2時間が話し合いです。最初の時間では、「CWSライブラリー」の書籍を読んでもらえるとうれしいですがそれにはこだわりません。好きな本の持ち込みも歓迎です。
まだ不定形ですが、徐々に形が生まれてくればと思っています。
CWSライブラリーの推薦図書は次のサイトをご覧ください。
現在20冊が登録されています。まもなくもう10冊が追加される予定です。
https://www.facebook.com/groups/3908195772765997

今回の話し合いのテーマは、「最近読んだお勧めの本」です。
原則として、今年度に出版された本に限ってのお勧めでお願いしたいと思います。
冊数は問いませんが、1冊につき10分以内で内容を簡単に紹介してください。
それを材料に自由な話し合いです。
特に推薦図書はないけれど、ほかの人の推薦図書の話を聞きたいというものありです。
私も2~3冊、お勧めしたいと思っています。

本好きなみなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2025年7月13日(日曜日)午前12時~午後4時
     話し合いは午後2時からです。それまでは勝手に読書、時に雑談
     正午からですので、軽食の持ち込みは可能です。
〇テーマ:「最近読んだお勧めの本」
〇話題提供者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2025/06/28

■第2回百姓一揆呼応サロン「川田龍平さんの農や食への取り組み」報告

令和の百姓一揆に呼応して立ち上げた百姓一揆呼応隊の第2回サロンは、国会議員の川田龍平さんにお願いしました。
川田さんのことは紹介するまでもないと思いますが、薬害エイズに巻き込まれた体験から、「目先の利益の為にいのちを切り捨てる構造を本気で変えなければならない」と、国政で活動している政治家です。
https://ryuheikawada.jp/

令和の百姓一揆にもパートナーの堤未果さんとご一緒に参加されていましたが、川田さんは、在来種のタネを守り、持続可能な地域の食システムの導入を目指す「ローカルフード法案」を提出するなど、農や食にも精力的に取り組んでいます。
「ローカルフード法案」は今国会にも提出されましたが、残念ながら今回も審議未了のまま廃案になってしまいました。実に残念です。
ぜひサイトをご覧ください。私たちももっと関心を持っていきたいと思います。
https://localfood.jp/

今回は、川田さんの農や食や医療(それらはすべて密接につながっています)に関する思いと取り組みをお聞きし、生活者としての私たちに何ができるかを考えていきたいと考えて企画しました。
川田さんは7月の参議院選挙という超多忙な時期にもかかわらず、サロンに来てくださり、これまでの取り組みなどをわかりやすく説明してくれました。

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川田さんは、「有機給食を全国に実現する議員連盟」を2年前に立ち上げましたが、それに関連して、千葉県のいすみ市や木更津市の取り組みから話しだしました。子どもたちの給食に、日本の農と食の問題が凝縮しています。
現場の話から始めるところに、私は川田さんの真摯で誠実な姿勢を感じました。そして、川田さんご自身の農業や食に対する考えも伝わってきました。

つづいて自分がなぜ政界に入ったのかの話へと移り、薬害エイズ事件と日本の薬害構造について、ざっくばらんに話してくれました。政治家特有の忖度など微塵も感じませんでした。 
薬害エイズ事件に関しては、今では知らない人もいるかもしれません。本来病気を治すための薬で,健康が奪われ、命が奪われ、しかも、そうした事実が政官業によって、隠蔽された事件です。私が医療行政に疑問を持つ契機になった事件です。私自身は、こうした構造はいまなお解消されていないと思っていますが、当時の記録が、川田龍平ヒストリーとしてyou tubeにアップされていますので、ぜひご覧ください。川田さんの原点です。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLA_g8gOAZfoOp-Hkt6T3jE-JWF4_MGc5r

日本の薬害構造を知った以上、放置しておくわけにはいかないと、川田さんは無所属で立候補し、政界に入っていきます。そこからさまざまな苦労を重ねていくわけですが、いのちを切り捨てる構造を変えようという信念はますます強まっているようです。

川田さんが体験してきた政治活動の経緯、とりわけ厚生労働行政や委員会活動の実態から、いまの政治の実態が伝わってきました。
体験者からの直接の話は、なまなましく、説得力もあります。

そこから次第に、農薬問題や食と健康の関係、有機農業推進の課題、大規模化農業の問題点、農薬規制・残留農薬問題と国際比較、種子法・種苗法の動き、さらには「医食同源」の観点から食の重要性などへと話は広がっていきました。
こうした話はいろいろと漏れ聞こえてきますが、私たち生活者には全体像がなかなか見えません。しかし、いろいろと組み合わせると新しい地平も見えてきます。最近の米不足や米価問題も、すべては実はこうした日本の農や食の構造につながっています。
さらにそれは思わぬ問題にもつながっているのです。たとえば、医療制度と薬問題にもつながっていますし、いささか微妙な問題ですが、発達障害児の増加とも無縁でないのかもしれません。いうまでもなく、少子化問題や国家の安全保障にもつながっています。

食は私たちの生命の基盤です。それにつながる農のあり方は、経済問題などではないのです。そこの意識を変えなくてはなりません。
目先の〈意図された米不足問題〉や米価問題に目を奪われてはいけません。その奥にはとんでもなく大きな闇がある。言い換えれば、大きな希望がある。

川田さんたちがいま取り組んでいる「ローカルフード法」は「食や農や医」、つまり私たちの安心した生き方につながっています。この法案の制定作業の実状や政界での調整に関しても少し話してくれましたが、残念ながら今国会でも審議未了で見送られてしまいました。
マスコミ報道からは見えてこないことがたくさんありますが、私たちができることもあるように思います。私たちの関心や思い、そして力を束ねる仕組みができれば、「ローカルフード法」も実現するはずです。

なお、今回審議未了で終わった「ローカルフード法案」についての第1回報告会が6月30日(月)の19時から20時、川田龍平渋谷事務所で行われます。オンライン参加も可能ですので是非お聴きください、詳しくは川田事務所にお問い合わせください、

医療制度と薬の現状についても話してくれました。今年初め、薬学部で学んだ学生の伊佐さんのサロンでも話題になりましたが、いまの日本の製薬行政もまた、危機的な問題を抱えています。これに関連して、川田さんは、医療費削減と食育・農業の連携の重要性も指摘しました。経済視点では縦割り行政は効果的ですが、命や暮らしの視点からは無駄が多い。
「農福連携」は湯島のサロンで長年取り組んでいるテーマですが、「経済」の視点ではなく「暮らし」の視点で考えると、これまでの発想とは違う展開が見えてきます。

いずれにしろ、医療と食と農はつながっています。しかしこれまで、それらをつなぐ視点は「経済」だった気がします。すべての根底には「経済優先の社会構造」がある。それでは事態は変わらない。川田さんもそうした現状に目を向けているのです。

報告したいことはたくさんありますが、川田さんのお話は密度が濃く、しかも広がりがあるので、簡単には報告できません。
それに概念的な話だけでなく、たとえば、グリホサートやネオニコチノイド系農薬の健康影響など具体的な話もありましたし、日米関係や日本の医療などに関して時にかなりドキッとするような指摘もありました。日本で売られたり使われたりしている薬に対しても、厳しい指摘がありました。ともかく書きたいことは山ほどありますが、中途半端に紹介して誤解されてもいけないので報告は差し控えます。

川田さんはこれまでに何冊も本を出されていますし、いろいろなところで講演もされています。ぜひそうしたものに触れてほしいです。最近も、『高齢者の予防接種は危ない』(飛鳥新社)を出版しています。よかったらぜひお読み下さい。できれば、パートナーの堤未果さんの本も併せて読まれることを奨めします。

サロンには、シードバンクに関心を持って活動している人や有機農業・自然農法関係者、あるいは食育活動に取り組んでいる人など、いろいろな実践活動家も参加していたので、話し合いも興味のあるものでした。ただ時間不足だったのが残念です。

こういう活動に接していつも思うのは、いろんな活動がうまくつながっていかないことです。慣行農業の問題点を克服しようと、いまさまざまな活動が展開されていますが、農法に限ってもそれぞれ農法別に活動が展開されていますし、ましてや、食や医療、育児や健康などとの総合的な連携はなかなか実現しません。また現場の実践活動と国家政策は本来密接につながっているべきですが、うまくつながらずに時に反対方向に動いています。
川田さんのような人に、それらをつなぐ要(かなめ)になってもらえればと思います「いのちを切り捨てる社会」から「いのちを守る社会」にしていくためには、実践者たちも「小異」を捨てて、大同団結していくことが必要です。川田さんは最近も、『高齢者の予防接種は危ない』(飛鳥新社)を出版しています。よかったらぜひお読み下さい。
ローカルフード法はその一歩になるかもしれない。そんな気がしました。

ところで来月は参議院銀選挙で、川田さんも立候補します。
サロンの最後では、少しだけその話もしてもらいました。
いまの日本の選挙には人手がともかくかかりますが、もし応援してもらえる人がいたら川田事務所に連絡してください。
湯島のサロンは、「不偏不党」を理念にしていますが、今回は川田さんを個人的に(政党を離れてです)応援することをお許しください。

百姓一揆呼応隊のサロンにもたくさんの課題をもらった気がします。
サロンでは、今回出されたさまざまな問題を学んでいくとともに、実践現場での農や食の動きとの接点を広げていければと思っています。
次回、どなたか問題提起したい方がいたらご連絡ください。

 

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2025/06/27

■節子への挽歌6418:兄とランチ

節子
今日も何もできませんでした。どうも気が戻ってきません。

お昼前に兄から電話。
兄はもう90を超えて明日が、元気です。と言ってもいろいろと抱えていますが、今春まで松戸の小学校にボランティアに通っていました。長かったので、卒業生も社会に出だして、時々あいさつに来てくれるそうです。正規の先生より人気があるようで、卒業生たちから贈られたメッセージ色紙がご自慢です。これは私も実にうらやましいです。さすがに90を超えてからは通うのも大変で辞めたのですが、いまは地域の囲碁クラブなどで楽しんでいます。
伴侶も元気で、今もダンスを教えたりしています。
ふたりともそういう活動があるので元気でいられるのでしょう。
矢張り社会活動は大事です。自分のためにも。

とはいえ、ふたりとも時々おかしくなり、娘たちが遠くに住んでいるので、ユカが狩りだされることもあります。それでそのお礼を兼ねて、時々、ランチをご馳走になるのですが、私はいつもそれにお相伴です。

私は正直あまり元気がなく、外食の気分ではなかったのですが、付き合いました。
今日は兄の伴侶はダンスを教えに出かけていて、一人だけ。
一人で食事をするのは嫌なので電話してきたのです。
その気持ちもよくわかる。

兄は私の体調を気遣ってくれましたが、90を超えた人に体調を心配されるようでは情けない。
元気を取り戻さなければいけません。

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2025/06/26

■節子への挽歌6417:軽いうつですね

節子

今日もどうも元気が戻ってきませんでした。
無為に過ごしてしまいました。
晴れたのに畑にも行けませんでした。
軽いうつ状況ですね。困ったものですが。

そんな時にはそんな話も届くのです。
友人の友人のパートナーが肺がんの第4ステージを告知されたそうです。
それで私にヒートマットや水素風呂などのことを訊いてきました。
がんの宣告を受けるとみんな情報を集め出す。
でも何をやったらいいかはわからない。
いまの私ならそれなりに選択基準がありますが、節子の時には全くなかった。
いまから思えば、本当に悔やまれます。
ともかくすべてを試せばよかった。
○か×ではなく、大切なのは、その取り入れ方なのです。

一番悔やまれるのは温泉療法です。
なぜあの時、温泉療法をもっと真剣に取り組もうとしなかったのか。
悔やんでも悔やみきれない。

相変わらず、気楽にこんなサロンをやってくれないと言ってくる人もいる。
サロンと言いながら誰かの話を聞きたいというのが多い。
サロンは聞くのではなく話すのが中心だと言っても、なかなか理解してくれない。
とくに有名な人の話を聞きたいという要請は一番不快。
有名な人の話など聞いて何になるのか。
気が落ち込んでいるときにそんな話が来ると蹴飛ばしたくなる。

でも何もせずに無為に過ごしていると、ますます気は滅入る。
この3日間、なにをしていたのだろうか。
明日はともかく何かを始めようと思います。

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2025/06/25

■湯島サロン「ようこそ日本へ、ヤシュカさん」報告

1週間前に来日したインドの若者ヤシュカさん(21歳)の、いわば歓迎オープンサロンでした。10人近くの人が参加しました。
実はヤシュカさんが湯島に来るのは3回目です。
1回目は昨年の暮れのオープンサロン。湯島のサロンの話を聞いて突然一人でやってきたのです。この時は私は参加していませんでしたが、参加した6人の多彩な人たちを魅了したようです。その時参加していた人も時間調整できなかった一人を除いて、みんな参加です。
2回目は1週間前。たまたま私だけしかいなかったので、私とだけしか会えませんでした。初対面で短時間でしたが、彼はすべてを見せる術を持っています。
そして今回が3回目。

ヤシュカさんはともかく人生を楽しんでいる若者です。まだ来日したばかりなのに、すでに日本の社会になじんでしまっているようです。

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一応、来春から大学で芸術関係の学びをすることになっていますが、実際にはこれまで通り、独学で学んでいくのがヤシュカさんのスタイルでしょう。
「学び方」が全く違うのです。
日本の大学が、彼にとって効果的な学びの場になるかどうか、とても興味があります。

ヤシュカさんはインドで、学びに恵まれた環境で育ったわけではありません。むしろ逆かもしれません。
5~6年前にインターネットが使える環境に出合って、彼は世界を一気に広げたのです。
そこから作曲に目覚め、文学に目覚めた。日本語も短期間の独学でマスター。
作曲はすでに映画音楽向けに作品が売れて、今回の日本への旅費などもそれで賄ったそうです。

彼の話は驚くばかりですが、何を質問しても、即座に答えが返ってくる。
みんなが一番感心したのは、ともかく回答が速くて明確なのです。
たとえば、作曲を学びに来たというので、それにつながる集まりを私は紹介したのですが、即座に「興味がない」という。せっかくの好意に対する配慮など微塵もない。しかしそれがまた全くの嫌味を感じさせず、むしろ心地良ささえ感じさせる。
私のほかにも、いろんな人が、ヤシュカさんのためにといろいろ提案しましたが、そのほとんどすべてへの答えが「興味がない」なのです。
念のために言えば、打算的な損得感は全くありません。ただただ彼は自らの好みで即決断できるのです。これほど迷いのない人との会話は私も初めてです。
生成AIに詳しい人も参加していましたが、ヤシュカさんの頭脳回路も生成AIに近いのかもしれません。ともかく一点の曇りさえない。

サロンが始まる前に、彼と話していて、気が向いたら自分の考えもサロンでみんなに話したいと言っていましたが、途中で気が向いたようで、ホワイトボードを使いながら話を始めました。
このあたりは生成AIとは違うようです。
今週私はちょっと疲労気味で、なんとなくぼーっと聞いていたのですが、参加者の一人の要約によれば、「私の心の中にある小さな"かけら"が自分にとっての真実と共鳴する」というような話だったそうです。だから何事に対してもすぐに答えが出るのでしょう。
ちなみに彼はインドが嫌いだそうですし、インド人という自己認識もあまりないようです。インド哲学にも関心なし。

途中で彼が作曲した曲も聴きました。演奏もパソコンを使って仕上げています。
日本で最初に買った大きな買い物はピアノだそうです。
ヤシュカさんが関心を持っているのは作曲だけではりません。
文学にも関心があり、今朝も3時間かけて谷崎潤一郎の『春琴抄』を読んできたそうです。日本語習得も兼ねているので、オーディオブックを聞きながら読むのだそうですが、オーディオブックを流す速度が2倍速どころではないのです。
文学は日本語習得のためだけではありません。それにその作品を読む価値があるかどうかもすぐわかるそうで、作品名は書きませんが、ある有名な作品は3頁読んで、これは読むに値しないとすぐやめたそうです。ここでも判断が速く、バッサリと決めてしまう潔さがある。
時空間を超えて幅広く書籍も読んでいますが、なぜかインドの作品には「興味がない」のだそうです。

さてこの超人的なヤシュカさんが、これからどう変化していくか。
興味があります。
秋にまた、ヤシュカさんのサロンをやってもらおうと思います。
彼が「興味がない」と言って、断らなければですが。

 

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■節子への挽歌6416:雨に閉じ込められています

節子
どうやら梅雨に入ったようで、そのうえ、台風まで接近で、今日は本格的に雨です。
また気になりながら畑に行けません。

昨日はゆっくりというか、徹底的に休みました。
しかしその間、たまっていたサロンの報告も2つ仕上げました。
出来は悪いですが、あまり長引かしてはいけません。
幸いに万葉集サロンの報告は、升田さんから面白かったというようなコメントをもらいました。たぶんほかの人にはあまりわかってはもらえないでしょうが。
細菌学の益田さんからは「私にとって升田さんの万葉集は量子力学とおなじように理解できません」とコメントが来ました。
益田さんには「私もなかなか理解できませんが、理解できないことを考えるのが学ぶことだと思っています。理解できる知識にはほとんど興味はないのです」と返信しておきました。

相変わらずいささか不快なメールも届きますが、そういうメールには少しだけ悪意を込めた返信をします。と言っても多分受け取り手はその悪意に気づかないかもしれません。第田において、不快なメールは私の書いたものや行動をきちんとは受け止めていないので内容がほとんどないのです。皮肉が理解できるほどの知恵がある人は他者をそう簡単には評価しないでしょう。そういう人との付き合いはなくしていきたいなと思うのですが、そういう人に限って消えないのです。困ったものですが。
たぶんここは私と益田さんの考え方の違いです。
私もなかなか理解できませんが、理解できないことを考えるのが学ぶことだと思っています。
理解できる知識にはほとんど興味はないのです。
身心はかなり回復したので、たまっている課題をこなそうと思っていたのですが、やはり天気が悪いとやる気も起きない。
図書館から借りてきたミハイル・バフチンのドストエフスキー論を読もうと思っているのですが、これもどうも食指が動かない。
と無駄に過ごして着たら、もうお昼です。
何もしなくても時間は早く過ぎます。

まあもう一日、休養日としましょう。

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■湯島サロンのアフォーダビリティ

最近、湯島のサロンの持つアフォーダビリティを実感しています。
「アフォーダビリティ」という言葉はあまり聞きなれないかもしれません。
たとえば、アメリカなどで「アフォーダビリティ」といえば、「購入できるか否かの値ごろ感」という意味でつかわれていますが、私が使う意味は全く違います。

もう20年以上も前になりますが、一応、企業の経営コンサルタント的な仕事をしていた時に、導入した私の勝手な言葉ですが、そのもの(存在)がもつ意味のような意味で使っていました。私の役割は、社会にとっても社員にとっても、その企業の存在がそれを豊かにしてくれるようにするにはどうしたらいいかを提案することでした。
残念ながらそうした私の思いや姿勢は、共感してもらえずに、仕事につながることはほとんどなく、結局、赤字続きの会社になってしまい、いまなお借金を抱えています。

湯島サロンのアフォーダビリティというのは、したがって、湯島サロンが引き起こすことにつながっています。ここで「サロン」とは空間の意味もあれば、そこで行われている話し合いのサロンという活動の意味もあります。

私が経営コンサルタントして企業に関わる場合は、その企業が引き起こす価値を高めることにありました。いうまでもなく、その価値は「マイナス価値」も考慮に入れての純粋の創出価値です。もちろん金銭価値ではありません。当時はキャッシュフローとしての価値が全盛の時代でしたから、それに抗う存在意義としての価値など、なかなか受け入れてもらえませんでした。

しかし、湯島のサロンは、活動としても空間としても、いろんな価値を引き起こすアフォーダビリティが育ってきた気がします。
湯島ではいろんなことが起こります。
なんでもない空間ですが、そこに来るとなぜかホッとして心を開いてしまうと言う人がいます。思ってもいなかったことも起こる。
私も今は、湯島のサロンのおかげで元気を維持しているのかもしれません。
湯島から始まった物語もあります。

ちなみに、私が「アフォーダビリティ」と言うことを勝手にい出したきっかけは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンの造語「アフォーダンス」に依拠しています。ギブソンは、動詞 afford(与える、もたらす)の名詞形として「アフォーダンス」という言葉を作り、環境が動物に対して与える「意味」あるいは「価値」を指す言葉として提唱したのです。

実は最近、この「アフォーダンス」が私の意図したことではない価値を引き起こすことを体験させられました。
価値とはまさに人によって真逆にもなるものなのです。
自分の視野の狭さを、まざまざと感じさせられて、この数日、いささか混乱していました。
幸いにその「事件」は大ごとにならずになんとか解決しましたが、学んだようで私は全く学んでいないことを思い知らされました。

湯島は閉じようかとさえ思ったのですが、やはり継続していこうと思います。

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■仮説実験授業体験講座とたのしい授業の会ご報告と次回7月17日のご案内

ここでも案内させてもらった「仮説実験授業体験講座」が6月19日に開催されましたが、その報告を主催した黒田さんがメーリングリストに投稿してくれました。
それをここでも紹介させてもらいます。

体験講座は継続していくことになりました。
ぜひみなさんも一度体験し、よかったら普及にご協力ください。

以下は黒田さんの報告です。

6月19日木曜日の暑い中参加者は12名でした。
仮説実験授業の会員が授業者を含めて5名,その他初めて仮説実験授業に出会った方が7名でした。

始めに簡単な自己紹介の後,<もしも原子がみえたなら>の体験講座になり少しの休憩を挟んで二時間余りの体験でした。目には見えない空気はどんな様子か予想して描いてみて,その後,お話を読みながら空気中の原子分子にぬりえしつつ授業は進みました。一億倍の水分子の模型も作りました。
授業後それぞれの参加者から感想お書きいただき話していただきました。
ほとんどの方は「とても楽しかった」ということで感想は子どものようにぬりえして楽しんだということでしたが,佐藤さんからは「原子は見えなかった」「大人の視点よりも子どもの自主性を中心とすべきではないか」とのご意見があり仮説実験授業研究会の会員からは<もしも原子がみえたなら>は初めて仮説実験授業に出会う人に適切だったか?という意見もありました。
後半に黒田礼子と一緒に会を企画した佐々木敏夫さんから雑誌「たのしい授業」の紹介と見本誌の提供があり,佐藤さんからは1回ではよくわからない事もあるから何回か続けてみたらどうかというご提案もありました。

そこで次回は仮説実験授業の形がよくわかると思う(問題→予想→討論→予想変更 →実験)のある<ふりこと振動>を予定することにしました。今回ご都合がつかなかった方や仮説実験授業を体験なさりたい方,学校には登校していないお子さん生徒さんなど広く皆様の参加をお待ちしています。

日時は7月17日木曜日1時から4時で会費は1000円です。
申し込みは黒田礼子です。
電話かショートメールでよろしくお願いします。

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■湯島サロン「私が今の社会になじめないわけ」報告

湯島のサロンにも時々参加してくれる“ひきこもり”体験者のSさんが自らの体験や心境を心を開いて語ってくれるサロンが実現しました。
Sさんに対して私がぶしつけな問いかけをしながら、参加者と一緒に「自分事」として、いまの社会にどう向き合っていくかを考えるサロンです。
参加者が少なかったのが残念ですが、しかしそのおかげでみんなそれぞれの体験も語りだしてくれて、とてもいい話し合いができた気がします。
思い切り自分を出してくれたSさんの勇気に感謝します。

最初はまず私がSさんに問いかける形でサロンを始めました。
参加者はほとんどが自ら引きこもり体験があるか、あるいは家族に引きこもりの人がいる方でした。体験のぶつけ合いは、リスキーですが、リアルです。

タイトルを「今の社会になじめないわけ」としたのは、Sさんが、「生きづらい」という表現はあいまいで内容がよくわからないというので、それに代わって社会になじめないというのを切り口にしたのです。
もっともSさんは、社会になじみたいとは思っていないというのです。
なぜなのか。そのあたりから話を始めました。

話の内容は、基本的にオフレコが条件ですので、報告はやめますが、話をしていていろいろな気づきがありました。ひきこもり当事者とその家族、その相談者やケアラー、それぞれがたぶん全くと言っていいほど、違った問題を立ているのを私はずっと感じてきていますが、改めてそのこともSさんから教えられました。
問題の立て方が違っていたら解決しようがないのです。
いや解決の先にあるものが、みんな違っているのかもしれません。

ちなみに私とSさんの関係は付き合うなかで大きく変わってきています。
もう付き合いだしてから数年経ちます。最初は全く受け入れてもらえませんでしたが、何回かサロンで共に時間を過ごす中でお互いに少しは理解し合えるようになってきました。だから、今回のサロンが実現したのです。
今回Sさんや参加者みんなと話していて、私自身いろんな気付きをもらいました。
Sさんも同じだと思います。
みんなの前に自らをさらけ出すと、自分にも見えていなかったことが見えてくることは、私は何回も体験してきていますが、Sさんもおそらくそれを体験したことでしょう。
これからのSさんの活動が楽しみです。

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ちなみに今回も参加してくれましたが、やはり自称“ひきこもり”体験者の原川さんが、今月から毎月、最終金曜日の午後に「生きづらサロン」を開催します。
さまざまな「生きづらさ」を抱える当事者が、情報や悩みを分かち合い、自己理解を深めるための交流の場を育てていきたいというのが原川さんの思いです。
特定のテーマは設けず、参加者同士の自由な対話を通じて、緩やかなつながりや気づきが生まれることを目指しているそうです。話すことが苦手な方や、聞くだけの参加も歓迎だそうです。
すでに案内は出ていますが、今月は6月27日(金曜日)の午後2時からです。

やはり体験者の言葉は示唆に富んでいます。
もうこの種のサロンは、私が参加しなくてもSさんや原川さんがやってくれるでしょう。
全国で広がっている家族会とは違った場が生まれだすことがとてもうれしいです。

当事者の方、ぜひ参加して、「生きづらサロン」を育てていってください。
私はまだ参加を許可されていませんが、いつか招待してくれるのを楽しみにしています。

 

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2025/06/24

■第40回万葉集サロン「〈わ〉の先にあるもの③ 万葉幻相 〈オノ〉と〈モノ(鬼)〉」報告

「〈わ〉の先にあるもの」のパート3は、〈オノ〉と〈モノ(鬼)〉を切り口に、意識の発生・発展とそれに伴って世界観が生まれてきたことを見ていこうというお話です。

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民俗学者の折口信夫は、「日本の古代の信仰の方面では、かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、ものとの4つが、代表的なものであった」と書いていますが、升田さんは、最初にその言葉を紹介してくれました。
「信仰の方面」というとわかりにくいですが、これを「意識の契機(淵源)」ととらえてもいいかもしれません。
個々人がまだ主体的には自覚されない混沌とした世界にあって、これまで見てきたように、〈た〉も〈な〉も〈わ〉も絡み合っていて、人称的な概念もない、不定称のなかで、その4つが絡み合いながら育ってきた。それが、相互の関係が整理されてくるとともに、神とのつながりからも解放されて、それぞれのなかに意識が芽生えてくる。その過程が、〈神〉〈鬼〉〈霊〉〈物〉という言葉あるいは歌に埋め込められて残っているのが万葉集の世界かもしれません。
言い換えれば、まだ言葉から自由に生きていた人たち(漢字文化で育った渡来人たちとは違って日本列島に以前から住んでいた人たち)のことが万葉集から垣間見えてくる。私の関心事は、そこにあります。

升田さんは、この4つが古代では、すべてが融即(融和)関係でつながり、そこに〈た〉〈な〉〈わ〉がゆるやかに共生していたと言います。
初期万葉集に出てくる歌においては、〈神の領域〉と〈人の領域〉との詞章が、〈序詞〉と呼ぶレトリックでつなげられ、こわごわと「意識」を語りだしていたのが、次第に〈な〉や〈わ〉が生まれてきて、生と死の概念が生まれるとともに、次第に「存在」が強調される「オノ」が創発し、そこから対照的に、かみ(神)、おに(鬼)、たま(霊)、もの(物)が見えてきて、「もの」概念でとらえられる時代に進んでいきます。

つまり、「もの」を霊的な世界(神とか死とか霊とか)として感相している世界観が育ってきたということです。
ものによって支配されている、あるいはものに満たされている「幻相」の世界は、「即物世界」とは真逆な世界なのです。「幻想」ではなく「幻相」という文字を升田さんがあえて使っているのはこのためです。

ちなみに、古代(万葉集)にあっては、「鬼」は「もの」と訓みました。「おに」と訓まれるようになるのは平安に入ってからです。「物(もの)」は直接言うことを避けなければならない超自然的な恐ろしい存在であるのに対し、「鬼(もの)」は本来形のないものを指したようですが、いずれにしろ現代の語感の「物(物質)」とは違い、「存在」そのものを指していたようです。そう考えれば、「神」「霊」ともつながっていることがすんなりと受け入れられます。

「鬼」は神であり霊であり始源を意味する。「鬼」を「もの」と読んだのはこの語に古代の世界観が包摂されていたからだと升田さんは言います。
そして、それぞれの例をいくつかの歌で読んでくれました。
そうした事例から、文字が新たな世界観を生み出していくこともわかります。
音で始まった歌が、次第に文字によって、変化していくわけですが、それは歌だけではなく、人々の意識や世界観さえをも変えていったでしょう。
当然、〈わ〉〈な〉〈た〉も変わっていく。〈おの〉が生まれ、人と人との関係も変わっていく。

升田さんはいくつかの歌を通して、「おの」(前回の〈横並びの方向性〉の世界観)と「もの」の繋がりは音韻に残っているとともに、意味の上で「おの」が「鬼」と幻相される霊的な力の背景を持っていたことに重なり、世界観が広がってくる、といいます。
そういわれてもなかなか消化できません。
必死に追いつこうと思っているうちに、升田さんはさらに進んで、「オノとモノの力」を示す例として、大伴家持の「為幸行芳野離宮之時、儲作歌一首〔并短歌〕」(巻18-4098)を読んでくれました。
大伴家持が、たとえば「もののふの  八十伴の緒も 己が負へる 己が名負ひて… かくしこそ 仕へ奉らめ」「もののふの… ますらをの 心を持ちて〉」と、一族の気概を意識にした言葉を歌に詠んでいる、と言います。
大伴家持も捨てたものではない。最近少し好きになりました。

今回はいつも以上に、材料が多すぎて、たぶんほかの参加者も消化不良だった気がします。升田さんもそれを感じていて、次回もう一度、「おの」「鬼」「もの」概念について取り上げてくれることになりました。
今回の報告は我ながら消化不良ですみません。

ところで今回、消化不良(時間不足)になったのは、提供された材料が多すぎたこともありますが、話し合いの話題がちょっと私の不勉強から本論から外れてしまったせいもあります。
外れてしまったのは、「万葉仮名」の問題です。
これに関しては、以前升田さんからきちんと解説を受けていたのですが、私がそれを忘れてしまい、話し合いを混乱させてしまったのです。

万葉集では「鬼」を「もの」と読むということですが、「万葉仮名」は一文字一音ではないのかという疑問をぶつけたのです。
それにそもそも「鬼」を「もの」と発音したということがなぜわかるのか。
升田サロンはこういう初歩的な質問がいつでも許されるのです。

「万葉仮名」は多くの場合、一文字一音ですが(つまり漢字を表音記号として使っている)、漢字の和訓で表記しているものもあるのです。だから「万葉仮名」という呼び方への異論もあるようです。要は漢字を利用しただけの話であり、万葉漢字と言った方が正確な気がします。

しかし無文字社会で歌われていた歌を表音記号としての漢字で記録しているうちに、漢字の和訓が生まれだし、それが後世の編集の過程で文字の置き換えがあったことは否定できません。
そこで、たとえば「鬼」の意味が変化した可能性はあります。「物」もそうでしょう。
無文字社会と文字社会の混淆によって、何が起こったのか。
「おの」「おに」「もの」の文字と言葉に、何が読み取れるのか。
日本列島住む人たちの意識がどういう方向に動き出したのか。
「(日本人の)〈わ〉の先にあるもの」。次回はそれがもう少し見えてくるかもしれません。

次回の万葉集サロンは8月の第3日曜日の8月17日です。
ぜひご予定ください。

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■第三次世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう

湯島のサロンのメーリングリストに昨夜、村上さんから「ひょっとしてですが・・・・第三次が始まっちゃうんでしょうか?」という投稿がありました。
その最後は、

やっぱ小生は戦後生まれなので平和が好きです。
アメリカも大好きです
キエフもインドも
ペルシアも大好きです。
やだなあ、第三次に突入なんて・・・
世界中の人々の心の中
「平和のとりで」ができますように
願いたいと思います。

それに応じてアナキストで平和主義者の竹形さんが、

視聴率・アクセス数が欲しいメディアは危機を煽るようなことを言いがちですが、陰謀論界隈では「イスラエル米国イランの間で既に手打ちは済んでいて表から見える攻撃は茶番では?」などと言っている人もいます(茶番にしてはすごい規模ですがw)
モハPチャンネルというYouTuberが面白いことを言っていて、「米国のイラン攻撃後、原油価格は一時的に高騰したがすぐに落ち着いているので、ホルムズ海峡封鎖まではいかないと市場関係者は見ているようだ」とかのようです。
実際にどうなるか分かりませんが。

とコメントしてくれています。
私も次のようなコメントを送りました。

村上さん

第三次の世界大戦は始まっていませんし、これからも起こらないでしょう。
私の心のなかは、いつも平和です。

すでに第三次世界大戦がはじまっているという「知識人」は少なくありません。
もうじき第三次世界大戦がはじまるぞという政治家や経済人も多いです。
そして第三次世界大戦を話題にし、危機感を煽るマスコミばかりです。

でも私のなかには「戦争」はありません。
戦争への不安もありませんし、そもそも私の心の中には敵がいません。
ですからユネスコ憲章が呼びかけるような「平和のとりで」などつくる気はさらさらありません。
「とりで」をつくるということは、すでに「戦争」を期待している。
そんな挑発には乗りたくはありません。
「戦争」を心の中に描いたとたんに、「戦争への道」が始まる。
敵の存在を前提とした「パックス○○」は、私には平和ではありません。

でも、ウクライナやガザやイスファハンで戦火が広がっているではないかと言うかもしれません。
私はそもそもマスコミの報道をうのみにはしませんが、攻撃や人の殺傷が起こっていることは疑いない事実です。でもそれが起こったのは、例えば、ウクライナで言えば、2022年の2月24日からではありません。
それに、この東京でも千葉でも、攻撃や人の殺傷は毎日起こっている。
そうした原因にもなっている「構造的暴力」は改善に向かうどころか深刻度を増しています。

私ができるのは、戦争の不安におののいて、心のなかに「とりで」をつくることではなく、身近にある大切なことを見失うことなく、身近な平和を目指すことです。
もちろん平和は、戦いだけではありません。
構造的な暴力こそが、私のなくしていきたいことです。
そのために、意図的な不安情報に踊らされることなく、まずは隣人を信じたい。

核兵器も抑止力より誘発力を持っているように、心のなかのとりでも、平和を遠いものにしている気がします。

顧客の創造が経営だと思っていたり、経済成長が発展だと思っている人たちの挑発に乗るのではなく、竹形さんがいうように、なぜそんな報道がなされるのかを考えたいです。少なくともそんな挑発に乗って軍事力を高めることに賛成するような愚かさには陥りたくない。「戦争の不安」を持つのではなく、平和に向けてできることを一つでも見つけたい。
平和は願って与えられるものではなく、自らで身の回りに築きあげていくものではないのか。
もちろん、だからといってガザが私と関係ないと言っているのではありません。すべてはつながっていますが、私にまずできるのは隣人を信じ、隣人を支えることです。

平和は、心のなかにとりでをつくることではなく、心のとりでを解体することからはじめたい。そして心のなかに、他者を誘い込みたい。
つくるもの、念ずることを間違ってはいけません。平和は断じて願うものではない。
まずは今日、道であった人にあいさつをすることから始めるのがいい。

ところで最近急逝したデヴィッド・グレーバーと言う人が残した『万物の黎明』という本があります。
そこに平和への道が説かれています。
といっても、近代世界が虚構した世界観に呪縛されずに、単に思考を広めよ、と言っているだけの本ではありますが。
この本を読むと元気が出ます。

 

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2025/06/23

■節子への挽歌6414:事件落着

節子
ハードな8日間を無事乗り越えられました。
最終日の今日は川田龍平さんのサロンだったので参加者も多かったのですが、逆に私は何もやらないでいいほど、みんなが段取ってくれました。
終わった後、湯島で少し休んで帰宅しました。

ところがです。
気が緩んだせいか、夜にのどがおかしいのです。風邪でしょうか。
と思っていたら8時過ぎに電話。いつもは出ないのですが、不吉な予感がして出たら、これがまた驚きの電話です。

升田さんが夜また湯島に行ってくれたのですが、なんとまた先日の男性が部屋にいたのだそうです。
特に気が合いを加えられたわけではないのですが、今回は風貌を少し確認できました。
幸いに危害を与えられそうな気配はなかったそうです。

しかし何かあると大変です。
升田さんがもう一度行ってみるというので、もし行くなら警察に連絡してお巡りさんと一緒に行くように伝えました。
それから升田さんの情報に基づいて、いったい誰なのか推理しました。
まずは湯島に電話してみました。しかし電話には出ない。

そういえば、と思って、ある人かもしれにと思いつきました。
その人の携帯に電話しましたが、電話に出ない。
でも念のためにと思い、また携帯に電話したら電話に出ました。
いまどこにいるのかと質問したら、答えない。電波状況が悪くてうまく聞き取れ名合などと言い訳をするので、これは間違いないと思い、単刀直入に湯島にいるのじゃないかと訊きました。

そういえば、彼にもカギのことを話していたのを思い出しました。彼を信頼していたのですが。
すぐに升田さんに電話して交番に行くのはやめてもらいました。
まあそれからいろいろとあったのですが、ともかく一件落着。
なんだかすっきりしませんが。

しかしその騒ぎのせいかどうか、のどの痛みは消えてしまいました。
なにが幸いするか、わからないものです。

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■何とか無事、1週間を超えられました

まだ確実ではないのですが、いろいろと詰まっていた1週間を越えられました。
身心不調なうえに、予期せぬ事件が起こり、みなさんにはご心配をかけました。
湯島には出かけないようにというアドバイスもしばしば受けましたが、1回だけは欠席させてもらいましたが、あとは何とか参加できました。
ただ参加者の一部からはサロンでの発言が少なかったとか、粗雑な発言が多かったとか、という指摘も受けましたが、まあ倒れずに1週間を超えられましたので許してください。
おかげさまで体調は何とか低調ながら回復し、まあ湯島に行く途中で倒れる可能性もかなり低くなりました。
今日もサロンですが、これを終えると空白の1週間を迎えられます。
この1週間で、リズムを取り戻し、いろいろと滞っていることを解消できると思います。
というわけで、もう1週間だけお待ちください。
きちんと動き出しますので。

 

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2025/06/22

■第10回あすあびサロン報告

■第10回あすあびサロン報告
第10回あすあびサロンは、暑さのせいか、参加者が少なく、5人しか集まりませんでしたが、具体的なプロジェクトの話もあり、かなり突っ込んだ話もできました。
テーマも絞り込まないゆったりした集まりを継続していくのは難しいですが、ともかく続けていくことを大事にしたいと思っています。
今回も、あすあびサロン初参加の方もいて、その方がいま取り組もうとしている話も、とても魅力的な話でした。
これからのあすあびサロンやまちづくり編集会議の進め方も話し合いが行われましたが、あまり形にこだわらずに、時にテーマを決めて、時に話し手(ゲスト)を決めて、時にテーマもゲストもいない自由な話し合いもありというような緩やかなあすあびサロンを継続していこうということが確認された気がします。
ともかく周辺からいろんなプロジェクトが立ち上がっていけばいいなと思います。
次回は7月12日の午前中、アビスタ開催です。
もしこんな呼びかけをしたいという方がいたらご連絡ください。
また月1回のあすあびサロンにこだわらず、前回の呼びかけフォーラムで提案されたプロジェクトなどを話し合う集まりなどをやりたい方は、あすあびサロンとしても全面的に協力していきたいと思いますので、ご希望があればご連絡ください。

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■節子への挽歌6413:「アスカ」の「アシュラ」のアシュカさん

節子
昨日はインドから来た若者アシュカさんと話しました。
インド出身なので、食に注意しないといけないのかと思きや、彼は全く意に介しません。
お寿司と揚げ物の組み合わせ。

そういえば、後で気づいたのですが、彼の名前は「アスカ」と「アシュラ」を思い出させる。
明日かはインドあたりにもある名前だった気がしますが、彼の雰囲気はアシュラにも通じています。
彼と話していて、一番快いのは、意見が明確です。それに大学に学びに来たというのに、大学には学ぶものなどないと明言する。これもいい。
彼にはいわゆる常識ではなく、私の生き方で付き合えそうです。
それにほっておいてもいいでしょう。

そのあと、彼を囲んでのサロンでした。
実に彼は雄弁でした。
参加者はみんな彼の魔力に取り込まれたようです。

あと2日。
どうやら乗り越えられそうです。
相変わらず問題は起こり続けているのですが。

アシュカさんを節子に合わせたかったです。

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2025/06/21

■節子への挽歌6412:不思議な朝

節子
昨日もまたうまく眠れずに、今朝は寝坊してしまいました。
太陽はもう上空で、良い天気ですが、暑さはちょっと収まった感じです。
でも朝の畑にはいくのは躊躇します。
どうも最近は体力にあまり自信が持てない。
湯島に行くのも精いっぱいという感じです。
底を打った気はしますが、体力はなかなか反転しない。
このままもう反転しないのかとさえ思ってしまう。

気になるのは、あすあびサロンへの反応がほとんどないことです。
最近連絡がなくて気になっていた横手さんからは、体調の関係で外出を控えているとメールが届いたものの、ほかのだれからも参加の連絡がない。
こんなことは初めてです。
かといって、だれかに参加を進める気力が出ない。

気が滅入っているとどんどん悪いことが重なっていく。
最近は何とかそういう「底に落ち込む」ことはなくなっていますが、朝起きた気分がどうも明るくなれない。
身体もですが、精神も反転させられずにいる。

先日心配してサロンに参加した永田さんが、みんなは気づいていなかったようだが、佐藤さんはいませんでしたね、とメールしてきました。
まあ詩人の直観力はだませない。
でも昨日のサロンはがんばったつもりですが、やはり空蝉の私だったかもしれません。

夕方気が付いたら、永田さんからまたメールが来ていました。
前に佐藤さんが言っていた言葉を思い出せと書いている。
「百姓はしたたかなのです」と私が前に書いたのだそうです。

人は、実際とは反対のことを口に出す。
口に出していると、それが現実になっていく。
「言霊」をもっと信じなければいけません。

今朝は大日様に、いつもと違って自分のことを祈りました。
もう8時近いのに、外はなぜか静かです。
鳥の声もしない。自動車の音もしない。
なぜか娘もまだ起きてこない。
不思議な朝です。

 

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2025/06/20

■節子への挽歌6411:今日も頑張ります

節子
昨日の衝撃的な事件にどう対処するか、まだわかりません。
ともかく思考が混乱しています。
もしかしたらとんでもない事件に発展していたかもしれません。
考えてみると実に恐ろしい事件でもあるのです。

まあしかし昨日は、仮説実験授業研究会の体験会を湯島で開催したので、それに参加しました。
まあ事件のこともあったためかもしれませんが、全く面白くない。
しかし関係者の思いや志には共感します。
でもどこかでやり方や進め方が、私の感覚では間違っているような気がしてなりません。
体験会終了後の感想では、私以外の人はみんな高評価で、私だけが低評価。
主催者はかなり傷ついたかもしれませんが、話しているうちに私の姿勢を理解してくれたようで、ひきつづき湯島で体験会を開催することになりました。

でも改めて思うのは、みんな小さな社会で生きているということです。
それでは社会はよくならない。
小さな社会で生きるのはいい。でも閉じてしまっていてはいけません。
開かれていなければ意味がない。
そうでなければ、みんなラ・ボエシの言う「自発的隷従生活」になってしまうからです。

暑さの中での私を心配して、永田さんや新倉さんが気遣ってくれていますが、今週はサロン続きです。
今日も「社会になぜなじめないのか」と言う引きこもりの人との対話型サロン。明日はインドの若者のサロン。さらに日曜日は、我孫子でのあすあびサロン。体力が持てばいいのですが。
ともかく問題をいろいろと背負い込んでしまった。
うまく抜け出せるといいのですが。

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2025/06/19

■節子への挽歌6411:衝撃的な事件

節子
衝撃的な事件が起きました。

昨夜、寝苦しくて深夜の零時過ぎについついスマホを開いてしまいました。
そこにとんでもない情報が届いていました。

昨日の午後9時ころ、近くに住んでいる升田さんが、湯島に洗ってくれていたタオルを届けによったのだそうです。
昨日は誰も使っていないはずなのですが、部屋に人が男女2人いたのだそうです。
しかも電気もつけずに。

ふつう、そこでたじろぎますが、升田さんはたじろぎもしません。
タオルを届けに来ましたと言ったのだそうです。
そうしたら男性のほうが、そこに置いておいてくださいと言う。
升田さんは、さらにたじろくことなく、家、きちんとしまっておきますと部屋に上がり込んだのだそうです。

そういうメールが私に届いたのです。
衝撃的でしょう。
湯島の部屋が乗っ取られていたのですから。

そういえば最近、机の上に残してきたお金が時々なくなります。
先日はかなりの金額がなくなっていました。
気のせいかなと思ったのですが、何回もあるので気になっていました。

まあしかし多少のお金など問題ではありません。
コモンズ空間づくり構想はやはり難しい。

ところでこの2人はいったいだれでしょうか。
升田さんは顔を見ていますが、升田さんの知り合いではないそうです。
女性のほうはさらによく見えなかったそうです。

湯島にはこれまで誰もがいざというときに入室できるように、カギを郵便受けに入れておきました。そのことを知っている人も少なくない。
でもそのために、あの部屋を悪用している人がいるとしたら大変です。

カギをかけないコモンズ空間構想はまた振出しに戻りました。

実に憂鬱です。
さてどう対処しましょうか。
升田さんに顔を見られた男性が申し出てきてくれるといいのですが。

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■6月オープンサロン報告

6月のオープンサロンの報告です。
なんと10人を超す参加者がありました。
しかも湯島のサロン発参加者が3人も。
予定では、前日来日したインドの若者ヤシュカさんも来る予定が、彼が到着したのはサロンが終わった後。私は彼と話せましたが、みなさんへのお披露目は20日になりました。
おもてなしは、インド土産のコーヒーと私のつくった笹の葉茶。
インドのコーヒーは、私にはちょっと苦みが効きすぎていましたが(ミルクを入れるとおいしそうです)、一部の人からは大好評でした。私の特性笹の葉茶も、意外と好評。なかには、これからは市販のペットボトルのお茶は焼けてこういう野草茶にしたらどうかと提案がありました。
以前からペットボトルは減らしたいと思ってはいましたが、迷うところです。

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サロン初参加の人が3人もいましたので、それぞれの自己紹介から始めました。
発参加者は最後にして、まずはサロンにやってきた人順に始めたのですが、オープンサロンは出入り自由で参加者も三三五五の参加です。自己紹介が終わりそうになると新たな参加者が来て、その人の話になる。というような感じで、結局、今回のオープンサロンは参加者の自己紹介で終わってしまいました。
しかし自己紹介と言っても、自己主張する人もいて、話はそこからいろいろと広がりました。
オープンサロンらしく話題はさまざまです。

インドの若者ヤシュカさんからは、いろんな手続きが遅れていて、なかなか油浸に行けないとの連絡が入り、結局、5時近くまでサロンを伸ばしていたのですが、次の用事もある人も多く、サロンを終了。後片付けも終わりみんなが帰った後に、ヤシュカさんが飛び込んできました。
私もヤシュカさんとは初対面。ヤシュカさんは日本語も堪能です。とはいえ日本には友人がほとんどいない。そこで6月20日に「ヤシュカさんを囲むオープンサロン」を開くことにしました。よかったら来てください。
オープンサロンは面白いです。
まあ今回も報告と言えるほど内容はないですが、サロンでの話し合いは内容はいろいろとあって楽しいです。

7月のオープンサロンは11日(金曜日)です。

 

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2025/06/18

■近藤サロン⑧「『サピエンス全史』と『万物の黎明』の世界観の違い」報告

「進化論」大好きな近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」8回目は、ハラリの『サピエンス全史』とグレーバーの『万物の黎明』の世界観の違いを話題にしました。
『サピエンス全史』も『万物の黎明』も、湯島の別のサロンで取り上げられていますが、今回は進化論も意識しながら、この2冊の大作をとり上げることになりました。
といっても、案内にも書いたように、近藤さんが両書を解説するのではなく、両書の背景にある「世界観の違い」を話し合うのが主旨です。テーマは「進化論」の是非。
ところが困ったもので、『万物の黎明』に挑戦したけれども途中で挫折したので、近藤さんの解説を聴いたら読まずにすむかもしれないとわざわざ新潟からやってきた不謹慎者もいまいた。それに、『サピエンス全史』はともかく、『万物の黎明』をきちんと読了した人は参加者にはいないようです。そもそも問題提起者の近藤さんも、実は自分も読了しておらず解説本のほうが面白かったなどという。
というわけで、あれだけ話題になった本なので、楽をして読んだ気になろうという不謹慎者のサロンになってしまいました。「進化論」はどこかに飛んでしまった。全く困ったものです。

ちなみに私は、両書をきちんと読了しています。しかし私の読書記憶力はとても悪くて、『サピエンス全史』は退屈だったという記憶しかなく、『万物の黎明』は面白かったという記憶しかないのです。なにしろ『万物の黎明』にしても読んだのは一昨年です。先日の山本さんのサロンで少しだけ思い出しましたが、解説などできようもない。だから、あまり偉そうなことは言えません。

さてサロンですが、いつものように、最初に近藤さんから両書の大きな違いのガイダンスがありました。両書を対比的に解説したチャートですが、そこに近藤さん好みの副読本が追加されていました。添付します。

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この解説を聞きながら話し合いに入りました。
近藤サロンはいつもそうですが、近藤さんの話に呪縛されることなく、参加者が自分の関心で話題を選ぶので、話し合いは面白いですが、まとめるのが難しい。
しかし、今回、話し合いの展開を聞きながら、もしかしたらこれって「グレーバー的」なのではないかと思いました。「グレーバー的」って何だと訊かれると困るのですが、

人類の歴史を一直線に「発展」や「進化」してきた目的論的進化論の物語として描くハラリやジャレド・ダイアモンドが私には退屈なのは、グレーバーが『万物の黎明』で書いているように、ヨーロッパ中心主義者の征服年代記を読んでいるような気にさせられるからです。文化人類学者のフィールドワークの作品も、どこかそういうにおいを私は感じます。
でもグレーバーは違う。彼はヨーロッパ人が好きなのではなく、人類がみんな好きなのです。だから、行きつ戻りつする歴史が書けるのです。そして、例えば私の人生が行きつ戻りつしているように、人類の歴史は一直線的に「進化」しているのではなく、可変性に満ちている。そう考えれば、大きな物語は終わったとか、資本主義は限界だなどという発想こそ、見直されなければいけません。いや、地球環境は危機に瀕しているという問題さえも書き換えられるかもしれません。
社会はいかようにも変わりうる。
ハラりの世界観とは全く違います。モモ・デウスなど生まれるはずもない。

と、報告のつもりが勝手な持論を書いてしまった。すみません。
これではいくらなんでも報告にならないので近藤さんに結局、一番言いたかったことはなんですか、といつものようにぶしつけな質問をしました。
近藤さんから帰ってきたのは次のメッセージです。

一言でいうならば、人に内在している支配や権力へ引き寄せられてしまう傾向を自覚的に「魔」と認識(「利己的遺伝子から見た」シリーズの言葉でいえばアンコンシャス・バイアスの自覚)して、自らを律すると同時に、それを社会の仕組みとして実装する知恵が、人類史の中に多く試みられていることから学ぶことが絶滅を避ける上でいちばん大きな(歴史から課せられた、人類への)試練・宿題だろうな、という感じでしょうか。

やはりあくまでも近藤さんは「進化論者」なのです。そして「学びの徒」です。
ちなみに、『万物の黎明』には、人類学者グレゴリー・ベイトソンの「分裂生成」概念が出てきます。グレーバーはこれに着目しています。分裂生成とは、「他者と自己を対立させながら自己を定義する」人間の傾向を指しますが、次回は近藤さんにベイトソンの「分裂生成」をとり上げてもらえればと思います。
そして次第に近藤サロンのメインテキストを『利己的な遺伝子』から『万物の黎明』に移していければと言う気さえします。これは近藤さんには内緒の話ですが。

おかしな報告になりました。
今日はとんでもない暑い日で、私は最近どうも心身不調ですので、こんな報告になってしまいました。このところ報告が書けずに気になっていました。
まあ「真夏の世の夢」と思って許してください。

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■節子への挽歌6410:畑がまたすごいことになっていました

節子
危険な暑さと言われていましたが、お目付け役のユカの同行で、5時に畑に行きました。
確かに暑い。朝からエアコンの効いた部屋にいたので、大したことはないと思っていましたが、確かに異常ですね。
さらに畑は数日来なかったので、すごいことになっていました。
ここも異常。

ユカから開墾作業は禁止されたので、地味な草むしり。娘は水やり。
せっかく佃さんが畑にしてくれたのに、これでは合わせる顔がない。
新たに開墾した畑に蒔いた野菜はすべて全滅。
少し整理し始めた道沿いの花壇部分はまた元の木阿弥に。
琉球朝顔がまた復活しだしています。

作戦を考えないといけません。
お天道様は、小作人に試練を与えてくれます。
めげてはいけません。
それにしても道路から畑に行く途中の草もあまりに元気です。
道もなくなってしまっています。

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■湯島サロン「さまざまな「呪縛」から自分を解放しましょう」のご案内

今回は「よく生きる」をテーマにした、ワークショップ型サロンのご案内です。
人はみんな、さまざまな呪縛のなかで生きています。できればそうした「呪縛」から解放されて、のびのびと生きたいと思っている人も多いでしょう。

湯島のサロンで、前にも「よく生きる」につながるサロンをしてくだった椎原澄さんは、長年、「さまざまな呪縛」から自分を解放する方法に取り組んでいます。
お会いしてから40年近く経ちますが、お会いした時からずっと、私にはなかなか理解しがたい世界を遊びながら、多くの人のサポートをしてきています。いわゆる元祖「コーチ」のような人です。しかもその視野は私のような凡人の時空間感覚を超えています。

お恥ずかしながら、私はこの歳になってもまだ、さまざまな呪縛から抜け出られずに、俗事を生きていますが、そういう私を救ってやろうと思ったのかどうか、湯島のサロンで、一度、「呪縛を解放する方法」のサロンをしてくださることになりました。
何よりもうれしいのは、湯島のサロンの「場の力」を踏まえての「さまざまな「呪縛」から自分を解放するプチ・レッスン」もしてくださるそうです。椎原さんなら、湯島の場の力をきちんと読み解いていてくれるでしょう。

本来は、椎原さんが代表を務める一般社団法人snug(スナグ)の正規のプログラムだと思うのですが、いつになっても悟れないで呪縛のど真ん中で足掻いている私を見て救いの手を差し伸べてくれたわけですが、せっかくなので、サロンで同じ思いを持つ人にも参加してもらうことにしました。私以上に呪縛されている人が多いですから。

今回は4つのワークを通して「自力・他力・場力」を手なづける力を学びます。
まずは現在の「セルフイメージ」を確認。つづいて「身体と仲良くする体操」「思考と感情を仲良くする方法」を学んだうえで、最後に「呪縛を解放する方法」のレッスンです。
参加する方は、できれば「新しいA4のノート」を一冊用意してお持ちください。このノートは「誰にも見せないノート」で、サロンの後、少なくとも1か月、面白くなったら3か月、ワークを続けていくためのノートです。ここで身に付くのは、「感覚投入」と「サードアンサー」の実感です。

この4つのレッスンは、「脳のメカニズム」と「脳の2つのタイプ」を根拠にしています。
脳は「臓器のひとつ」ですが、椎原さんたちは「装置」と呼んでいます。 脳に指令を出すのは自分自身。「身体」からの司令。「霊性」からの司令。 どちらも重要です。
「感情・思考・意志」の三位一体が、呪縛を解く鍵だと椎原さんは言います。

詳しくは当日のサロンでしっかりと教えてくださるはずです。
呪縛から解放されて、元気になれると思います。
参加される方は必ず事前に私宛申し込んでください。

なお、この案内文を椎原さんに確認してもらったら、コメントをもらいました。
日時などの案内の後ろに掲載しておきます。
椎原さんのことが伝わるコメントですのでよかったらお読みください。

〇日時:2025年7月6日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「さまざまな「呪縛」から自分を解放しましょう」
〇話題提供者:椎原澄さん(一般社団法人snug(スナグ)代表/コーチ)
https://www.facebook.com/snug7
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔椎原さんからのメッセージ〕

「呪縛解放の案内文」拝読いたしました。
佐藤節は大好きなのですが、あまりにも過分な表現がありましたので、ちょっとだけ「修正」を。

私もまだまだ呪縛に塗れた生き方をしております。キリはないです。
ただ、解放の仕方がわかったことで囚われからの解放をお伝えできたり、お役に立てるのは嬉しいことです。

佐藤さんからみて私が「わかりにくい人」だとしたら、それは多分「知識が後付け」だからだと思います。
1980年代の初めから、大脳生理学や人間の発達段階、深層心理やさまざまな分野に触れてきましたが、知識や理論は私にとっては「人体実験後の後付け」や「仮説の修正」だったように思います。

科学的な仮説自体、時代とともに「実証」されたり埋もれていったりしますが、だからこそ現在認識されているロジックで説明できるようにはしています。

さらには「救ってやろう」などという気は毛頭なく、社会に出て最初の仕事が「雑誌の編集」だったこともあって、ご要望に似合いそうな「プログラムの再編集」をするのが大好きなのです。

小学校の教員研修(1年間)、法律事務所のコンサル(5年〜)、その他B to B、B to Cの仕事も「クライアントのウォンツ」に沿ったオリジナルプログラム。
Snugの講座は「オリジナルの根拠に基づいたメニュー」になっています。

さて、その読みが当たっていますかどうか。
「自力・他力・場力」が活かせる時間にできればと思っております。

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2025/06/17

■第7回中国現代文学サロン「劉慶邦『月は遥かに』」報告

第7回中国現代文学サロンは、前回に引き続き、劉慶邦さんの作品『月は遥かに』(原題は『八月十五月児圓』)をとりあげました。

いつものように、中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんが、この作品を読むための背景情報やヒントを話してくれました。
翻訳に関する話がとても興味深かったので、まずはそこから報告します。

作品のタイトルですが、原題と日本語の表題とは、ある意味で真反対になっています。
原題の「八月十五月児圓」は、直訳すると「8月15日は月がまるい」という意味です。8月15日(旧暦)は中国では「中秋節」と言って、満月を愛でて月餅、梨などを食べ、家族円満の思いを込めて一家団欒する風習があるそうです。中秋節の月がまるい、まさにこの小説の主人公の願いが込められている題名です。
ところが、成就するはずの主人公の思いは、残念ながら裏切られてしまいます。そこに着目したのでしょうか、訳者(日本人)はこれを「月は遥かに」と変えました。この作品に出てくる家族は、円満になりそうで、円満を予想させない終わり方になっている。そこで主人公たちの「家族円満」の思い(立場によってその思いはかなり違います)は遥か遠くだなというような思いが、翻訳された題名には込められているようです。
しかし、月の丸さをイメージして読むか、遥かな月をイメージして読むかで、作品の読みようが全く違ってくるように思います。読みようによっては、家族円満の未来も考えられないわけではないようにも思います。
「翻訳」の仕方で、同じ作品の意味合いが真反対になることもあるのだということを気づかせてもらいました。

ちなみに、「八月十五月」とありますが、「八月十五 月児圓」と書いた方が私たちには正確に伝わります。中国では、八月の次に数字が来たら、それは日を指すに決まっているというように(私はそんなことはないと思いますが)、文脈から明らかにわかるような場合は「十五日」と書かずに単に「十五」と書くのだそうです。これはとても興味ある話です。

さらにちなみにですが、「月児圓」の「児」は、発音表記の接尾語で、前の音節重ねて発音され語尾が巻舌音化するのだそうです。これを「児化韻」、日本語では「アル化音」と言うそうです。これが付く場合と付かない場合を葉さんが発音してくれましたが、これが付くととてもきれいな発音に聞こえました。ただし私に発音できない音でしたが。

翻訳に関してもうひとつ面白かったのは「弟」の訳し方です。
母親が弟を呼ぶときに、原作では「弟弟」「小弟弟」「你弟弟」という3つの表現が使われています。
この姉弟は、実は母親が違うのですが、母親にとっては実子ではない子ども(夫が愛人に産ませた子ども)の呼び方が、状況や時間変化の中で変わっていくのです。
訳文では、「この子」と「弟」と2つの呼び方になっていますが、場合によっては「お坊っちゃん」と言うように訳してもおかしくないと葉さんは言います。
こうした文字の選び方で、お互いの心情や思いが表現されるのです。ここでも訳し方ひとつで文脈は変わってきます。
翻訳の面白さが少し伝わってきます。

ちなみに、「弟弟」という表現も気になりますが、パンダの名前で私たちにもなじみがあるように、同じ文字を重ねて使うのも、中国語の一つの表現形式です。これも興味ある話です。

ところで今回の作品です。えっ!! 今もこんなことがあるのというような内容です。
主人公の田桂花の夫、李春和は農村で石炭堀りをやって成功し、町に出ていき、さらに成功。仕送りはしてくるが4年も帰ってこなかったのですが、桂花の強い要請でようやく中秋節に帰ってきた、という、まさにその日の話です。
帰ってきたのはいいのですが、町での愛人に産ませた子供まで連れてきたのです。まるい月のはずが、はるか遠くになってしまったわけです。夫婦の話し合はかみ合いません。
夫は、町から「成功」して帰ってきた自分を妻がちやほやしてくれるはずだと思い込んでの帰宅でしたが、突如現れた愛人との子どもの出現に妻は戸惑、娘も戸惑ってしまう。家族4人のやりとりが、中国社会の現状を生々しく実感させてくれます。

町で女を囲い子供を産ませるのが当今の「流行現象」という夫に対して、妻は世間体も気にしながら戸惑います。
ちなみに、夫は村を捨ててしまったわけではなく、むしろ成功して故郷に帰ってきたという感覚のようです。夫は妻への悪気などなく、むしろ妻が時代に取り残されていると考えている風もあります。
農村と都会の生活ぶりは、いまの中国でも全く違うのでしょう。それがよくわかります。
こういう状況は、そう昔の話ではないようです。今も残っているようです。

中国では1949年以降、一夫一妻制と定められているそうです。それでも第三者、小三などの言い方が存在していることから、実際には今なお、愛人関係は実在し、1990年代以降、経済活動が盛んになり、都会に出稼ぎに行くケースが増えると、子供一人政策との関係もあって、今回の作品で描かれている状況が急増したとも言えるようです。

最近の日本の状況から考えると、いかにもひどい話のようにも感じますが、中国ではこういう状況が今も続いている。でも驚くことはない。日本でもそう昔の話ではないからです。いや、今なお続いているのかもしれません。
農村では「人のつながり」が基本にあるのに対して、都会ではお金が基本になっているという捉え方をすれば、日本でも今のこの風潮はむしろ進んでいる気さえします。

ところでこの作品は、妻が夫に別れ話を持ち出すところで終わります。
「後悔しないな」「後悔しないわ」
このやりとりで作品は終わっています。
訳者は解説で、主人公田桂花は毅然として輝いて見えるとあとがきで書いています。

葉さんは最後に参加者にこんな問いかけをしました。
この最後での夫婦2人のやりとりから何が読み取れますか?

作品を読んでいない人には全く伝わらない話ですが、私はむしろハッピーエンドを読み取りました。同時に、やはり女性が最後は男性を制するのだろうなと思いました。
まあこれは私の勝手な読み方です。

次回(10月12日)は、残雪(著者のお名前です)の作品「埋葬」(近藤直子訳)を読む予定です。作品は今回と同じ「中国現代文学」第7号に掲載されています。
「中国現代文学」第7号ご希望の方は今月中に私の連絡してもらえれば、葉さんに頼んでまとめて購入してもらいます(郵送料別で1000円)。

このサロンは中国現代小説を通して、中国人の理解を深めていこうというものです。
文学好きな方はもちろんですが、そうでない方もぜひ気楽に参加してください。

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■湯島サロン「田んぼのめぐみ・森のめぐみ」のご案内

今年の重点テーマの一つが「農と食」ですが、それにつながるサロンが実現しました。
熊本の水俣市で活動している沢畑亨さん(愛林館館長)に、「田んぼのめぐみ・森のめぐみ」というテーマでお話してもらえることになりました。
http://airinkan.org/index.html

沢畑さんは、1994年、水俣市久木野ふるさとセンター愛林館館長に全国公募で選ばれ、以来、水俣で、美しい森と棚田を守りながら、住民たちと一緒に、農産物の加工・販売やレストラン運営、イベント開催など幅広い活動を展開しています。
私は、愛林館開設直後に水俣を訪問した時に愛林館を訪問しました。その時には確か会えなかった気がしますが、その後、東京でお会いできました。
以来、ずっと沢畑さんが発行しているメルマガは読ませてもらっています、

水俣市久木野は、森林と棚田に囲まれた地域で、石積みの棚田は日本の棚田百選にも選ばれています。そこで、「今後2000年間、この地に人が住み森と棚田を守っていくこと」を目標に、「エコロジー(風土・循環・自立)に基づく村おこし」に取り組んでいるのが沢畑さんです。

沢畑さんの発想は、私の勝手な見方ですが、とても公開型・共創型で、活動そのもののプロセスを大事にしているような気がします。
住人たちと一緒に地に足つけながら、でも世界に開かれた形で、持続可能な地域社会の実現に取り組んでいるという活動にはずっと関心を持っていましたが、なかなか接点を持てませんでした。
それが今回、ともかくもサロンが実現したのです。

テーマは沢畑さんのほうからの提案で、「田んぼのめぐみ・森のめぐみ(行政用語では多面的機能)にお金を出してもらえませんか?」といった感じで、たぶんとても実践的な話をうかがえるのではないかと思います。
田んぼや森は、私たち都会生活者にも深くつながっていますが、私たちはなかなかそれを実感できずにいます。それに気づくだけでも、たぶん私たちの生き方は変わっていくはずです。

平日の午前中と、いつもとは違った時間帯ですが、ちょっと無理をしても参加してもらえるとうれしいです。
百姓一揆に呼応して、私たち都会生活者も、何ができるかを考えるヒントも得られると思います。

百姓一揆呼応隊メンバーに限らず、広くみなさんの参加をお待ちします。

○日時:2025年7月15日(火曜日)午前10時~12時
○場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「田んぼのめぐみ・森のめぐみ」
○話題提供者:沢畑亨さん(水俣市久木野ふるさとセンター愛林館館長)
http://airinkan.org/index.html
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2025/06/16

■節子への挽歌6408:需要研究所を訪問しました

節子
先日、湯島でサロンをやってくださった山本眞人さんの需要研究所を訪問しました。
「需要研究」という名前が気になっていたのです。
その話を聞いたら、意外と山本さんと私は似た分野で活動していたこともわかりました。

しかも山本さんと私とは、意外と交友関係もつながっているのです。
長年会っていなかった人と、また山本さんのおかげで会えるかもしれません。

それはともかく今日はたくさんの刺激をもらいました。
先日の山本さんのサロンでは十分に話し合えなかったことのいくつかを質問させてもらいました。グレーバーの「万物の黎明」を切り口にした、スコットの脱国家の話やメキシコのサパティスタの話です。ミュニパシリズムや対話の話もありました。
たぶん私も山本さんも、ある危機感を共有しているのです。
あと10歳若かったら、山本さんとコラボできたかもしれません。

今日はしかし久しぶりに他者の仕事場を訪問。
なんだかまたちょっと私も仕事をしたくなってしまいました。と言うか、仕事場が欲しくなりました。

宿題に3冊の本を読む約束をしてしまいました。
スコットの「ゾミア」。八重洋一郎の「日毒」。
ここまではいいのですが、バフチンの「ドストエフスキー論」は気が重いです。
実はもう1冊奨められたのですが、翻訳が出ていない書物なので、それを口実に約束はしませんでした。
でも読みたい気がします。グレーバーの思想に影響を与えた人のようです。

デイヴィッド・グレーバーは、思考の幅を一挙に広げてくれました。
退屈な世界史や人類史が一気に見通しがよくなりましたが、知の世界はこれから大きく変わっていくでしょう。
ついていけないのが少し寂しいですが。

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■節子への挽歌6407:感動的な「書」を見せてもらいました

節子
30年ぶりくらいでしょうか、愛知県から「書家」がやってきました。
トヨタ自動車の若い世代の活動に関わった時に知り合った人ですが、その活動の中で飛びぬけて会社人らしからぬ人がいました。
それが市川明徳さん。当時のことはあまり覚えていませんが、市川さんのことは明確に覚えています。当時も書をやっていて、書に関する書物も出版していました。
私も送ってもらっていたので、今回会う前に読み直そうと思ったのですが、残念ながら見つかりませんでした。その話をしたら、当時、私から「内容のない本だね」と言う感想をもらっていたそうです。そんなはずはないと思うのですが、もしそうだとしたら私の人間性を疑いたくなるような話です。市川さんがそう記憶しているとしたら、まあそういう印象を与えるようなコメントをしたのでしょう。困ったものです。
でも今も私にはその書籍の記憶があり、そこに出てきた書のイメージもあります。だから「内容のない本」などとは思っていなかったはずですが、まあその頃から言葉遣いが身勝手だったのでしょう。困ったものです。

今回改めて市川さんの書の作品(写真ですが)をいくつか見せてもらいました。
感激して見入って作品が2つあります。
連作「空」と「百笑」です。この2つは見ていて飽きない。

実はそこから話はいろいろと展開。思ってもいなかった市川さんの「追っかけ趣味」を知りました。
ともかく楽しい時間でした。
書の魅力も改めて勧進したので、サロンをお願いすることにしました。

ところで市川さんは、逆さ文字を簡単に書けるのだそうです。
私も名前を書いてもらいました。
本当は「空」の文字もいくつか書いてほしかったのですが、さすがにそれは遠慮しました。しかし、連作「空」は実に面白い。

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2025/06/14

■仮説実験授業体験講座とたのしい授業の会のご案内

湯島のサロンの常連のおひとりの黒田礼子さんが、公開で「仮説実験授業体験講座とたのしい授業の会」を開催します。
直前のご案内ですが、まだ参加枠があるそうなので、ご案内させてもらいます。
仮説実験授業研究に関してはご存じの方もいるでしょうが、「科学上の最も基礎的な概念や原理・原則を教えることを意図した授業」で、科学史家の板倉聖宣さんが1963年(昭和38年)に提唱したもので、長年、それにかかわってきた黒田さんが、今回、湯島で開催してくれることになったのです。
仮説実験授業研究会に関しては、下記サイトをご覧ください。

今回は「もしも原子がみえたなら」を体験できるそうです。
いつものサロンよりも1時間早い午後1時からのスタートです。
私も参加させてもらいますが、ご関心のある方はぜひ黒田さんにご連絡ください。
私に連絡いただいても結構です。

〈仮説実験授業体験講座とたのしい授業の会〉
日時:6月19日木曜日1時~4時(いつものサロンより1時間早いです。)
会場:湯島のサロン
会費:1000円(資料代500円を含む)
申込み先:黒田礼子さん
電話;080-1282-9265
(メールは複雑ですので電話かショートメールでお願いします。)
受付:15名まで

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■節子への挽歌6405:インドの若者ヤシュカさん

節子
昨日の話です。
オープンサロンが終わり、参加者もみんな帰ったのでそろそろ帰ろうとしていたら、インドの若者ヤシュカさんが飛び込んできました。
一昨日夕方日本に到着、きのうは朝から行政手続きなどあって、なかなか湯島に来られなかったのです。
付いたときは残念ながらサロン終了でみんなも帰った後。
私も夕食を約束していたので、時間がなかったのですが、時間を少し遅らせてもらって少しだけヤシュカさんと話しました。

来春から日本の大学で芸術を学ぶ予定だそうです。
作曲が文学のようです。第一希望は作曲。

文学の話を少しだけしました。
源氏物語も読んでいるそうですが、関心はもっと広い。カフカもマルセル・プルーストも読みやすく面白かったという。
日本語は独学で学んで、漢字も書けます。

インドにはあまり興味がないようですが、ともかく生きている時間が速い感じです。

まだ日本には友達がいないので、できるだけ早く作りたいと言う。
そこで次の土曜日に彼を囲んでのオープンサロンをやることにしました。

それにしても勢いのある若者です。
これからが楽しみです。

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■湯島サロン「ようこそ日本へ、ヤシュカさん」へのお誘い

6月12日、インドから21歳の若者が日本に来ました。日本で作曲か文学を学ぶためです。来日した翌日、つまり昨日ですが、湯島のオープンサロンに参加したいと連絡がありました。私とは一度、画像電話で話しただけですが。

昨日のオープンサロンは、10人を超すにぎやかなサロンでした。
初参加の人が3人もいました。
でもなかなかヤシュカさんはやってきません。
午前中に区役所と銀行の手続きを終え、予定されている配達荷物を1時ぐらいに受け取ってからすぐ湯島に行きますと言っていたのですが、配達予定の荷物が届かないようです。

ヤシュカさんを待って、オープンサロンを少し伸ばしていたのですが、私はこの日、友人と夕食の約束があったため5時過ぎには湯島を出ないといけない。
何とか5時近くに後片付けを終えて、さて出ようと思ったら、息せき切ってヤシュカさんが飛び込んできました。荷物がなかなか届かなかったそうです。

次の約束の時間を少し遅らせてもらって、少しだけヤシュカさんと2人で話しました。
そして落ち着いたらヤシュカさんのサロンをお願いしますと言ったら、すぐにでもやりたいと言います。
ヤシュカさんにとって、まだ日本にはほとんど知り合いもいない、生活も不安でしょう。
それで、湯島が空いている一番早い次の土曜日の6月21日に、急遽、ヤシュカさんのサロンを開くことにしました。
テーマなどないので、今回は「ヤシュカさんを囲んでのオープンサロン」です。
こういうのもいいかもしれません。

というわけで、またまた思い付きサロンですが、ヤシュカさんはできるだけ早く多くの日本人と知り合いたいと思っています。
ヤシュカさんはここ数年、日本にいる予定です。
みなさん、ゆるやかな応援団になってやってくれませんか。
まずは21日のサロンに来てもらえるとうれしいです。

ちなみにヤシュカさんは、インド半島のど真ん中で生まれ育った21歳の若者です。
昨日ちょっとだけ話しただけですが、日本語も独学で学び、読み書きもできます。文学好きで、カフカやプルーストも軽々読んでいます。与謝野晶子訳の源氏物語も読んだそうです。

ほとんど知らない人のサロンをやるのもどうかとは思いますが、まあそもそも他者などわかりようがない。さてどんなサロンになるでしょうか。
ちなみに来週は1週間に5回のサロンです。身が持つでしょうか。
身が持たなくても21日のヤシュカさんのサロンには私は参加するつもりです。
ほかのサロンは場合によって休むかもしれませんがお許しください。

〇日時:2025年6月21日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ようこそ日本へ、ヤシュカさん」
〇話題提供者:yash pawarさん(インドの21歳の若者(くらいしか私は知りません))
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2025/06/13

■節子への挽歌6404:元気回復

節子

昨日は夕方にいろんなメッセージが届きました。
いつもは7時でネットは終えるのですが、豊島で大川さんと一緒に活動していた人の名乗りを待って終えられずにいました。気になるともうどうしようもない。
しかし残念ながら名乗ってくる人はまだいません。
FBをやっていない人かもしれません。

名乗りはないものの、別件のメールがいろいろと届きました。
それでついついパソコンから離れられずにいたら、午後8時に、インドの若者から、日本について今ようやくホテルに到着というメールが来て、明日のオープンサロンに参加すると連絡がありました。パスポート取得が遅れたのだそうです。

さらにサロンの提案や相談が続けて2人から届きました。いずれもとても魅力的です。単なるサロンではなく運動に発展していく可能性を持っている。

と、続いて、さらにうれしいメールが届きました。15年ほど前にあるフォーラムでお会いした人に、サロンをお願いしていたのですが、引き受けてもいいというメールです。
一度しか会ってない、しかも宮城県在住の企業経営者です。交通費も謝礼もなしでのサロン引き受けです。

今朝は太陽が見えるいい朝です。
午後のオープンサロンのために、畑に笹の葉を収穫に行って、サロンでは笹の葉茶をふるまいます。
よかったら湯島に来ませんか。
私も元気になっていて、笹の葉茶だけではなく、まえにインドの大学で学んでいるけいたさんからお土産でもらってインドのコーヒー(紅茶ではありません)もあります。
私も会ったことのない人も参加してくれると聞いています。
霜里農場の金子友子さんも来ます。

未解決課題がいくつか残っていますが、今日は忘れましょう。
いろいろとご心配をおかけしましたがもう大丈夫です。

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2025/06/12

■節子への挽歌6403:想起力の減退

節子
大学時代の友人の大川真郎さんからまた新著が届きました。
「よみがえる美しい島」です。
大規模産廃不法投棄によって汚染された島が、見事に美しい自然を取り戻した瀬戸内海の豊島の物語です。
この物語に関しては、大川さんは前にも一度出版していますし、私のホームページやブログでも紹介していますが、大川さんらしい、実直で誠実な対応があってこその物語だと思います。
私は司法界の人をほとんど信頼できませんが、大川さんは数少ない例外です。彼ほど信頼できる人はそうはいないでしょう。あまり深いお付き合いができてこなかったことがとても残念です。

まあそれはそれとして、実はその本を受け取ったときに、そういえば最近、豊島で大川さんと一緒に活動したという人に出合ったことを思い出しました。
ところがその名前が思い出せない。
新たにあった人か、旧知の人かさえ思い出せない。
困ったものです。
いやもしかしたら、この記憶さえ危ういかもしれません。
ともかく最近想起力が劣化している。
記憶力は以前から悪いのですが、想起力にはそれなりの自信があったのですが。

思い出せないとどうも気になって何も手につかない。
そこで思い切って、フェイスブックに「人探しです」と問いかけてみました。
残念ながらまだだれも手を挙げてこない。

見つかるといいのですが。

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2025/06/11

■節子への挽歌6402:疲れが抜けない

節子
今日は湯島で箸技ゲームのサロンです。
久しぶりの箸技サロンなので参加しようと思っていたのですが、どうも体調が思わしくありません。
今日も1日ゆっくりと在宅休養しようと思います。
天気も悪いですし。

しかし最近の身体の疲れ具合はいささか気になります。
どこが悪いということではないのですが、ともかく疲れが抜けません。
疲れが抜けないためか、気力が出ない。
それでリビングの椅子に座ったまま動かない。
そのため腰が痛くなってきて、ますます疲労感を感じます。
こうしてどんどん悪循環に入っていくわけです。
そんなことはわかっているのですが、散歩にもいく気が起きない。

動かないでいるとおなかが減ってくる。
ついついいろんなものを探して食べてしまう。
それもよくない。
おなかが太ってきて、ズボンがはけなくなってきている。
体重も目標を5キロも超えてしまっている。

甘いものもやはりやめられない。
一時期はかなり自制できていましたが、気力がないと、「まあいいか」ということになる。
こういう自堕落な生き方から抜けないといけない。
でも気力がないとこれも無理。
困ったものです。

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■湯島サロン「無頭体と決定論」報告

北京一さん(ん倶楽部/日本構想学会会員)による「無頭体と決定論」サロン(2025年6月1日開催)は、冒頭、「いまの日本国の頭といえば、どなただと思いますか?」という北さんからの問いかけで始まりました。
「えっ!?」
「想定外」の問いかけでした。「組織論」だと思い込んでいたのですが、どうも対象は「社会」のようです。社会はそもそも「無頭」だと私は思いこんでいたのです。

しかし、北さんの問いかけに始まる話は、実に示唆に富むものであり、多くの人に聞いてもらい、共に考えたかった問題です。私の思い込みで、狭義の組織論を示唆する案内をしてしまったことを反省しています。またサロンでも話をうまく深められませんでした。なにしろ不意を襲われて気分だったのです。申し訳ありません。

組織には大きく2つあるという捉え方があります。
コミュニティ論の原点となる不朽の古典『コミュニティ』で、社会学者マッキーヴァーは、アソシエーションとコミュニティを対比させています。
アソシエーションとは「共通の目的を達成するために作られた組織」、コミュニティとは「場所や文化で人がつながって生まれてくる組織」です。前者は「機能組織」、後者は「共同組織」、あるいは「つくる組織」と「生まれる組織」と言ってもいいでしょう。「つくられたコミュニティ」はアソシエーションです。

ネットなどでは、国家は「コミュニティ」と書かれていることがありますが、マッキーヴァーは『コミュニティ』で、「国家はアソシエーションの特殊な種類」と書いています。私もそれを読んだときには違和感を持ったのですが、それは「国家」をどの視点からとらえるかで変わってきます。それに気づいてから、私は「国家」と「政府」とを峻別しています。だから軽々に「アメリカは…」とか「ロシアは…」とかいう発言には、いつもサロンでは異議を唱えさせてもらっています。
国家を政府視点でとらえればアソシエーション、でも住民視点でとらえればコミュニティ。同じく「国家」と訳されても、Stateとnationも大きく違います。

ちなみに国家と政府も混同されがちです。
国家は構造(行為主体が相互に織りなす複雑な社会関係から創発した実在)であり、行為主体は政府を代表とした公的機関やそれらに所属する職員たちです。
国家は対外的には主体的に言動し、対内的には国民を統治しますが、その行為主体は、実際には政府なのです。国家は行為主体には本来なりえません。もちろん、日本国憲法が国民主権を求めていたとしても、主権者たる国民も実際には行為主体者にはなれません。にもかかわらず、言葉のあいまいさから問題はすり替えられ、責任は問われずに終わることが少なくありません。言葉を正確に使わなければ、問題は設定できない。つまり解答は見つかりようがないのです。

というわけで、北さんの問い「いまの日本国の頭は誰だ?」は、「いまの日本という国家を動かしている行為主体は誰だ?」ということになります。
参加者の答えは3つになりました。
総理大臣、天皇、大企業(例えば今ならトヨタ、かつては財界天皇という言葉もありました)。
憲法で規定されている主権者たる国民は出てきませんでした。かわりにその総意を象徴する天皇が出てきたわけですが。

この問いが参加者にとって意外だったのはしかし、案内文に書かれている北さんの問題提起をきちんと読んでいなかったからです。案内文に添付されていた北さんの問題提起に、こう書かれていました。
長いですが、再掲させていただきます。

無頭とはいささかグロテスクな表現ですが、海鮮売り場で見かける海老のことではなく、人間がつくる組織のことだといえば、G.バタイユのことを想起される方もいるでしょう。彼の場合は、時代情況もあって端的にはファシズム独裁への対抗精神がそこにありました。
 しかし本日、そのアセファル組織についてわたし北が、わざわざ話題にしたいのは、第一に、これがわが日本国に住む人たちの集合心性にとって実に相性よく、親しみ深くもある観念である可能性について考えてみたいためです。
 第二には、その証左のひとつでもありますが、時あたかも関西万博開催の最中にその会場をすこし遠方から眺めている70年大阪万博・太陽の塔という実存性に照らして、これが半世紀を耐え立ち続けたゆえんを、そのアセファルのトーテム性に求め、われら太陽族霊の呪力が支える「自分の頭を無にして考えない」という民力総意について自覚するとともに、その主権者たちの決定論的将来の選択について、みなさんと考えてみたいためです。あらたな何かがみつかることを期待して。

これを読み直せば、今回の北さんの問いかけに始まる話は、しっかりと予告されていたのです。最近サロンが増えて、私がきちんと対応していなかっただけの話です。意外な問いだと思った参加者もまた、同じです。案内をきちんと読んでいない。書いた本人さえもが読んでいない。困ったものです。
北さんには申し訳ないことをしてしまいました。

参加者の回答を得たうえで、北さんは問題提起の話を始めました。
バタイユの無頭の共同体を意識した岡本太郎の1970年大阪万博「太陽の塔」の話は、新鮮で刺激的です。紹介は長くなるので止めますが、幸いに日本構想学会の機関誌「構想」の最新号に北さんが寄稿しているので、ぜひお読みください。
https://jssk.jp/pdf/k11-1.pdf

北さんは冒頭の問いを入り口に、日本国憲法を引き合いに出し解説。そこから日本は事実上の無頭状況、いや1億2000万余りの頭を持った超キングギドラ状況だと言います。日本国民の統合の象徴についても詳しく解説するとともに、現状の「天皇と総理大臣」、あるいは主権者と政府の関係をいろいろと解説してくれました。
三木清の「構想力の論理」などの話もあって(いま日本構想学会ではこの研究会を始めています)、とても示唆に富む内容なのですが、中途半端な紹介は誤解を生みそうなので止めますが、きっとまたいつか北さんの話を聞く機会はあるでしょう。

最後に北さんはもう一度参加者に問いかけます。
こうした状況の中で、「主権者」であるあなたはどういう行動原理をとりますか?
人は「みずから生きる」と「おのずから生きる」の2軸の間を生きている、と北さんはわかりやすく図解してくれ、主権者としてどう生きるかを問いかけたのです。
北さんは、行動原理を考えるうえでのマップを示してくれました。
みなさんも添付のマップを見て、自らの行動原理を考えてみてください。
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そこで話し合いが始まりますが、北さんの問題提起文に、「自分の頭を無にして考えない」という民力総意について自覚せよとあるように、北さんはそもそも「無頭」なのは組織ではなく、私たちの生き方を指し、そういう「無頭」な生き方をやめようと呼びかけているのかもしれません。
サロンでの話の時には、そこまで考えが至りませんでした。
私もやはり「無頭」族の一人のようです。
反省しなければいけません。

せっかくの北さんの問題提起に的確に応えられませんでした。
社会や組織、あるいは「無頭の共同体」の共通理解が不十分だったような気もしますので、そうしたことをしっかりと確認したうえで改めて北さんの問いに答えていきたい気がします。
いずれにしろ、無頭の共同体を成立させる条件は、メンバーそれぞれがしっかりした頭を持つこと、つまりコンヴィヴィアル(自立共生)な関係が成立することだと思っています。「無頭」の意味も問い直す必要があるでしょう。
北さんと相談して、できればパート2を企画したいと思います。

なお、マッキーヴァーのアソシエーションとコミュニティに関しても、別の形で一度、サロンを企画しようと思います。そもそもアソシエーションとコミュニティを並置する発想がたぶん間違っているのです。そして社会や国家がそもそも組織なのかどうかも考えてみる必要があります。

いつも以上に長くなってしまいました。すみません。
報告が遅くなったことと併せてお詫びします。

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2025/06/10

■節子への挽歌6401:またダウンしています

節子
今日は太陽が見えないこともあって、ダウンしてしまいました。
この頃、またダウン回数が増えています。

昨日はサロンでしたが、その前に3人の母親たちがやってきました。
全員、息子や娘が引きこもっているという悩みを抱えています。
それで引きこもりの子供たちの「居場所」を作るために、あることを計画しているのですが、その相談に来たのです。
相談を受けるつもりが、なぜか3人がそれぞれ自分の親子関係の話をはじめました。
湯島は不思議な空間で、みんな勝手にカミングアウトしだすのです。
みんなとても苦労しています。でも私から考えれば、たいした問題ではありません。
むしろ「ひきこもっている」のは親のほうだといつも思うからです。
それに、そもそも「ひきこもること」が何でいけないのか。
お金を稼ぐ生活ができないのは何でいけないのか。

その一方で、引きこもりで働けない人のための生活保障の制度は目いっぱい使っていると言います。これにも違和感がある。その発想こそがすべての原因だと思っているからです。
しかも、それではお金を稼がなくてもいいようにしているようにも思えるからです。
こういう矛盾というか、違和感に私はいつもついていけないのです。

でもその3人はとても誠実に取り組んでいます。居場所づくりにです。
なにができるかまだ分かりませんが、応援しないわけにはいきません。

以前はこんな相談を、多い時には1日、3~4件受けていました。
それで心身が時々ボロボロになっていました。
別に相談事業をしているわけではないのですが、どうして私のようなもののところに相談に来るのでしょうか。これは「大きな福祉」を目指す「コムケア活動」に取り組んだためなのですが。どんな相談も断らないのです。
しかし、あんまり有効なアドバイスができているとは思えません。
なぜなら私の回答はすべての場合において同じだからです。
「お金の呪縛」から自らを解放すれば解決しますと言うのが、私の回答なのです。
でもそれで解決した試しはありません。
なぜなら相談に来る人のほとんどは、根底にお金の呪縛があるからです。
そしてその呪縛がない人は、相談などには来るはずもありません。

幸いに最近はそう相談者が多いわけではありません。
でも1件でも、最近は疲れるようになってしまいました。

サロンの疲れもあって、今日は朝からまた何もできずに過ごしていました。
サロンの報告がたまっていますが、書けずにいます。
やりたいサロンがあるのですが、企画する元気がありません。
プロテインと栄養剤を飲んで、頑張ろうと思っているのですが、一向に元気が出ない。
困ったものです。

早く太陽が戻ってきてほしいです。

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2025/06/08

■第2回百姓一揆呼応サロン「川田龍平さんの農や食への取り組み」のご案内

令和の百姓一揆に呼応して立ち上げた百姓一揆呼応隊の第2回サロンは、国会議員の川田龍平さんにお願いしました。

川田さんのことは紹介するまでもないと思いますが、薬害エイズに巻き込まれた体験から、「目先の利益の為にいのちを切り捨てる構造を本気で変えなければならない」と、国政で活動している政治家です。
https://ryuheikawada.jp/

令和の百姓一揆にもパートナーの堤未果さんとご一緒に参加されていましたが、川田さんは、在来種のタネを守り、持続可能な地域の食システムの導入を目指す「ローカルフード法案」づくりにも取り組んでいるように、農や食にも精力的に取り組んでいます。
5年ほどの検討を踏まえて、この6月5日に「ローカルフード法案」は国会に(再)提出されました。
ぜひサイトをご覧ください。私たちももっと関心を持っていきたいと思います。
https://localfood.jp/

今回は、川田さんの農や食や医療(それらはすべて密接につながっています)に関する思いと取り組みをしっかりとお聞きし、生活者としての私たちに何ができるかを考えていければと思います。
講演会ではなくサロンですので、話し合いの時間もしっかりとりたいと思います。

なお川田さんは最近、「高齢者の予防接種は危ない 私は薬害を黙っていられない」(飛鳥新社)から出版されました。今回はそれがメインテーマではありませんが、それに関しても言及してもらえると思います。

今回は百姓一揆呼応サロンですので、百姓一揆呼応隊のメンバーを優先させてもらいますが、せっかくの機会ですので、特に参加を強くご希望の方は事務局まで連絡ください。
これを機会に、百姓一揆呼応隊に参加してもらえるとうれしいです。
https://www.facebook.com/groups/3527677107527652

〇日時:2025年6月23日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「川田龍平さんの農や食への取り組み」
〇話題提供者:川田龍平さん(国会議員)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)
  *今回は参加を受理させてもらった方だけに限定させてもらいます。

 

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2025/06/07

■節子への挽歌6398:永遠の命を獲得したようです

節子
最近また30年ほど前のように、次々と新しいプロジェクトを起こしています。
と言っても、以前のようにしっかりしたものではなく、思い付き的にではありますが。

そうした動きを見た高校時代の友人から、こんなメールが来ました。

佐藤さんは時間を無限に生み出す秘訣を持っておられるのですね。
要するに永遠の命を獲得されているのだと思います。

そう見えてしまうようです。
実際には、「生きるだけで疲れる」と毎日ぼやきながら動いているのですが。

しかし彼が書いてくれた「永遠の命」と言うのは少しだけ納得できるのです。
というのも、物理的な生命は限りがありますが、社会の中に自らを埋め込んでいけば、その生命は次々と継承されていく気がするからです。
私の中では、節子はまだ存在しています。
娘たちの中にも存在している。私も娘も生命を終わるでしょうが、それと同じような感じで、他者に継承されていく。
その他者が、社会であれば、たぶん社会が続く限り、生命は続いていく。

そう考えていけば、人はみな、「永遠の命」を本来持っているのかもしれません。

 

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2025/06/06

■湯島サロン「言霊の道のなかの神代の扉」報告

“むすひのひめみこナビ”の橘美花さんの「言霊の道のなかの神代の扉」のサロン(2025年5月28日開催)は、案内文にも書きましたが、言霊をキーワードに、興味と好奇心から面白さを感じて、個人的に探求して行くうちに、、、知らずに知らずに光の扉に吸い込まれて、いつしか、未知なる不思議な世界へ入ってしまった、という橘さんの体験をシェアしようというサロンです。
ですから、そもそも報告などできるはずはないのですが、頑張って書いてみました。

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サロンは、石笛の響きを背景に、石笛にまつわる橘さんの不思議な体験談から始まりました。
石笛とは、太古の昔から日本に存在していたと言われる、自然が作り上げた石の笛です。橘さんがある海岸でふと気づいたら足元に複数の石笛があったそうで、その実物も持ってきてくれました。今回のサロンの直前に、石笛の演奏のCDをこれまた偶然に入手し、これはもうサロンで流さなければと思って、石笛と一緒にCDも持ち込んでくれたのです。これはほんの一例ですが、橘さんはいろいろの偶然で思っていたことが次々と実現するという体験をつづけているのです。

高橋留美子さんの漫画に「犬夜叉」という作品があります。あらゆる願いを叶えるという宝玉・四魂(荒魂・和魂・奇魂・幸魂)の玉をめぐる人間と妖怪の争いの話です。
橘さんは、これまた偶然に、出雲大社や伊勢神宮でこの四魂に出合うのです。
さらに古神道における神様の働きや古い言葉の力にふれることが多くなり、ホツマツタヱに出てくる「あわのうた」やホツマ文字にも引き寄せられるように出合っていくのです。まさに、「古史古伝」や「神代文字」の世界に引き込まれているようです。
橘美花さんが、自らを“むすひのひめみこナビ”と位置づけるのがなんとなくうなずけます。 

今回は、しかし、「古史古伝」や「神代文字」の話が中心ではなく、いわばその入り口、神代の扉編です。この世界は「言霊」がこもっているので、そう軽々に話はできない、と橘さんは考えています。ですから私もそう軽々に報告するわけにもいきません。
一霊四魂や四十八神、「ス神」信仰、さらに「ホツマツタヱ」の話など、いろいろと興味あるお話があったのですが、この辺りの話は中途半端には紹介できないので、報告はやめて、ちょっと気になった話だけを紹介します。

まずはタイトルにもある「言霊」の話です。
橘さんは、この「言霊」をかなり広義にとらえているようです。「カタカムナ」に登場する「数霊」や「形霊」も含意しているようです。
「言霊」と言えば、私は文字のない社会でこそ発達した文化だと思い込んでいました。つまり、文字のある社会は “文字の辛(さき)わう国”となったが、文字のなかった日本は“言霊の幸わう国”になった。だから古代の日本には、文字文化と音声文化が並存していたが、文字文化が席捲してしまった。しかし、「万葉集」からはそのいずれもが見えてくる、と思っているのです。
しかし、橘さんは文字にも「言霊」が込められていると捉えているようです。だとしたら、音声文化が文字文化を席巻したともいえるのではないか。つまり文字に生命を与えたのです。
なんだか独りよがりの文章になっていますね。すみません。

「あわの歌」の話に関連して、参加者からの「霊と呼吸の関係」についての質問に答えて、橘さんは「ス神」の話をしてくれました。橘さんは、“スー”という音が発声の始まりと述べ、そこから四十八神(よとやしん)の話へと展開、日本語の48音すべてに神が宿っている。そしてそれを見事に表したのが「いろは歌」であり「ひふみ祝詞」だといいます。
ちなみに、ホツマツタヱに出てくる「あわの歌」も同じ構造です。つまり、日本語47音をそれぞれ1回だけ使って、最後に「ん」を入れて48音とした1文です。

そこから「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」の紹介をしてくれました。
「いろは・ひふみ合気呼吸書法」は、「いろは歌」や「ひふみ祝詞」を声に出して唱えながら、筆を運んでいく書法で、言霊と呼吸の共振を起こす「長呼気・腹式呼吸書法」です。いろは歌やひふみ祝詞を一気に書き上げるのだそうです。
言霊と呼吸法を融合させて揮毫した文字からは、宇宙エネルギーが満ち満ちた無限の光が放たれ、書いた本人や周囲はもちろん、地球全体を浄化し、覚醒を促し、和合へと導くといいます。
「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」の創家山本光輝さんは、合氣道と書道、2つの「道」を究めていて、その書は実際に光を発するそうです。

最後はいま話題になっている「風の時代」の話になりましたが、これまた書き出すときりがないのと、私が書くとどうしても不正確(主観的)になるので、橘さんに迷惑をかけてしまうといけないので自粛します。

ちなみに、ひふみ祝詞とは日月神示にも出てくる神秘の力を秘めた祝詞のことです。
いずれにしろ、いろは歌、ひふみ祝詞、アワの歌の3つは言霊の力を意識して使う祝詞だとされていて、大きな力を持っていると言われているのだそうです。
このあたりは、陰謀論論議でも時々話題になる題材ですが。

神代文字の話も、「アキル文字」や「ホツマ文字」など、いくつか話題に出ました。
いつかこれをテーマにまたサロンをしたいと思いますが、神代文字の多くは、賀茂真淵の“五十音”神授説ともいえる、五十音図の影響を色濃く感じます。ですから私は、実際に作られたのはそう昔の話ではないと思いますが、そのことが逆に、日本列島固有の文字のない世界が、漢字が導入された後も、ずっと残っていたと思えるのです。
神代文字は、そうしたことを物語っているように思います。
同時に、50音図によって整理される前の、もとになった文字があるような気がします。
いずれにしろ、文字言語と音声言語は、同じ「言葉」とはいえ、全く異質なものです。余計なことを追加すれば、今回、橘さんが話してくれたように、48の文字(ひらがな)の一つひとつに神が宿り意味があると言うならば、ひらがなは表音文字ではなく表意文字ということになります。
表音文字と表意文字という捉え方も見直さなければいけません。

また私の勝手な解説になってしまいました。すみません。
しかし当日の話し合いもまた、様々に広がっていました。
48文字がDNAにスイッチを入れると太古の記憶が蘇るとか、一音一音をしっかり発音することが教育においても重要だとか、「いろは」は天から降ろされた言葉、「ひふみ」は神様に祈る言葉であるとか、身心を健全にするには住宅を癒し地(イヤシロチ)にすることが重要だとか、悪行を働くと、直霊は曲霊(まがひ)となり、四魂の働きは邪悪に転ぶとか…。量子力学の波動と粒子の関係を例に、言霊の概念を説明する人もいました。
それどころか、幽霊や金縛りの際の対処法、鈴や祝詞の効果、マコモの利用なども話題になっていました。橘さんが神代の扉を少しあけたためでしょうか、ともかく参加者からも面白い話がたくさん出ました。あまりにもたくさん出たため、私はついていけませんでしたが。

というわけで、報告記録係泣かせのサロンでしたが、どうも最近、こういうサロンが増えてきました。困ったものです。が、面白い。
言葉のみならず、単なる表音記号だと思っていた「ひらがな」一文字一文字にも「霊」が宿っているという話は、私の世界を広げてくれました。
円も三角形も、確かにあること(時に思想まで)を想起させます。発声の仕方で、同じ文字もまったく違った意味をあらわすことにもなりえます。

「文字」とはいったい何なのか?
これまで考えてもいなかった大きな問いに気づかされたサロンでした。
またわけのわからない報告になってしまいましたが、この問いにつながるサロンをまた企画したくなりました。
誰か助けてくれませんか。

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■節子への挽歌6397:身体機能とともに知力の劣化も急速です

節子
衰えてきているのは身体だけではありません。
精神も知力もです。
特に記憶力の減退ははなはだしい。

昨日はなにもやる気が出ずに、自宅で録画していたテレビドラマを見ていました。
中国ドラマの「三国志 ~司馬懿 軍師連盟~
は、4回分も一気に見てしまいました。
ところがこのドラマは前にも見ているのです。
登場人物の課はみんな記憶しています。
ところが筋書きを覚えていないのです。
見るとああ見た記憶があるなと気づくのですが、見る前は思い出せない。
おかげで一度見たドラマを2回目もしっかりと楽しめるのです。

これはこのドラマに限りません。
先月まではもう一つの三国志ドラマ「三国志 秘密の皇帝」を見ていましたが、これも同じでした。

まあこれは記憶力の低下ですが、それ以上に実感するのは、思っていることをうまく話せなくなっていることです。
この現象が起きたのは4.5年前ですが、話していて明らかにうまく言えていないのです。
ユカからは、最近の言葉づかいはめちゃくちゃだと時々指摘されますが、自分でもわかっているのです。
おそらくみんなも気づいているでしょうが、あきらかに知能神経は劣化しています。

そのうえ、身体の劣化。
耳が悪くなり、目が悪くなり、困ったものです。

あと5年。身体の維持も難題ですが、知能面も心配です。

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2025/06/05

■身体の劣化を先延ばしする方法を教えてください

今朝は太陽は感じますが、空一面の薄い雲です。
天候に影響されやすい私を気遣って、昨日は「曇天でめげている佐藤修くんを励ます会」に招かれて、江藤前農水相でも食べられないであろうおいしいおにぎりをご馳走になりました。
おいしいお米ご飯は、おかずなどなくても食べられます。そのうえ、きのうは私の好物のお漬物も満載でした。

しかしだからと言って、別に励まされることはありませんでした。
なぜなら私は、めげてなどいないからです。
これを企画した友人は、いつも勝手に、私のことを過剰に心配していろんなことを考える。困ったものです。

めげてはいませんが、身体の衰えはますます加速しています。
昨日もそう話したら、40年来の交流がある、敬愛する友人は、それにしても佐藤さんは「遅い」というのです。体力の衰え、つまり老化が遅いと言うのです。
老化をもう少し急いだほうがいいという意味でしょうか。
この友人は、昔から宇宙人のように思える人なのですが、その宇宙人にも老化はあるようです。地球という環境が「老化」を引き起こすのかもしれません。いや、地球との関係をきちんと作っておかないとそうなるのかもしれません。

私は地球との関係もそれなりに気遣っています。
しかし私を気遣ってくれている若い友人は、佐藤さんには畑仕事は無理だから、無理するなと言います。これまた全くわかっていない。畑(もどき)作業から私は元気をもらっているのです。私が鍬を振り上げて土を耕している写真を見て、私を過剰に気遣う友人は笑いこけたという。そう聞くと、彼はどうも私を気遣うよりは、楽しんでいるのかもしれません。困ったものだ。

余計なこと書いているうちに、肝心のことにまで届かないうちに長くなってしまいました。
今日、書こうと思ったのは、ともかく疲労感が抜けないので、どうしたものかということをみなさんに訊こうと思ったのです。
何かいい方法はないでしょうか。
ホエイプロテイン、水素風呂、重曹水、1日5000歩、ニンジンジュース、黒にんにく、野草茶…とまあいろんな人から勧められたものは一応チャレンジしていますが、どもまだ決め手がない。
でも後5年、現世滞在を決めた以上、体力低下はできるだけ避けたい。。
もう一つ二つ、メニューを加えたいと思いますが、いい案はないでしょうか。

太陽の気配が朝より後退してしまいました。
今日は元気が出るといいのですが。

 

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■湯島サロン「私が今の社会になじめないわけ」へのお誘い

湯島のサロンで最近、「生きづらさ」がよく話題になります。
といっても、「生きづらさ」って何だと訊かれると答えるのは結構難しい。
人によってその意味は違うでしょうし、生きづらさをどう評価するのも難しい。
生きづらさに悩んでいる人もいれば、生きづらさをむしろ楽しんでいる人もいる。

この問題はいろんな視点で取り組んでいきたいと思いますが、問いを少し変えて、今の社会になじめますかと聞かれたらどうでしょうか。
少なくとも私はなじめません。
でもここでも、なじめないからどうするかということになると人さまざまです。
私は、なじめないからこそ、社会に抗う形で関わっていきたいと思いますが、なじめないので関わりたくないという人もいる。そして「引きこもる生き方」を選ぶ人もいる。
しかし、私の思いでは引きこもっている人ほど、実は社会に出たがっているのではないかと思います。それを邪魔しているのはいったい何なのか。

湯島のサロンに時々参加しているSさんは自称「引きこもり体験者」です。
社会に対しても強い拒否感を持っているのを感じます。
最初、私も彼からかなり批判されました。私のように"事実上、社会の諸々に乗れてきた層"(Sさんの表現です)の人には自分の考えはわかるはずがない、と言うのです。私も決して社会に乗れたり、なじんだりなどしていないのですが。

いずれも社会になじめないにもかかわらず私とSさんとでは生き方が違います。なぜそうなるのか。もしかしたら「生きづらさ」と同じで、私とSさんとでは「なじめない」という内容が違うのかもしれません。

そこで私とSさんとで、いまの社会のどこがなじめないのか、そもそも今の社会をどう見ているのかを話し合いながら、参加者のみなさんと一緒に、いまの社会の問題点や良いところを考えていければと思います。

最初にいまの社会を私たちふたりがどう見ているかを簡単に話し、どこが「なじみにくい」のかから話し合いを始め、徐々に参加者のみなさんにも話し合いに参加してもらおうと思います。
初めての試みなので、どんなサロンになるかわかりませんが、多くの人に参加してほしいサロンです。

〇日時:2025年6月20日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「私が今の社会になじめないわけ」
〇話題提供者:Sさん(“ひきこもり”体験者)+佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌6396:まだまだ役割がたくさんあります

節子
今日はなぜかとても不調です。
なんだか身体が自分のものではないような気がするのです。
昨夜はあまり眠れなかったこともありますが、ともかく最近の気温の上下にはついていけません。
この数日、畑に行けていないので、今日は畑に行こうと思っていました。
それに今日は絶好の「畑日和」なのです。
畑に行って、野草の上に大の字で寝ころんだら元気が出るだろうなと思っていました。

ところが、なんとなく身体が動かない。
腰の痛さもありますが、「行こう!」という気にならない。

そういえば、昨日もまた川辺さんが心配して、メールを送ってきました。

ともかく佐藤さん、若くないのですからくれぐれもご自愛ください。
まだまだ役割がたくさんありますので。 

昨日も同じようなメールをもらったので、

私の農作業ですが、これは素人の遊び程度のものですが、土や野草に触れていると元気をもらえるのです。野草の上に大の字で寝ると実に気持ちがいい。座っているだけでも、ですが。

と返したのですが。

ところで、川辺さんは「まだまだ役割がたくさんありますので」と書いてきてくれました。
確かに「やりたいこと」はたくさんある。
でもそれが果たして「役割」なのかどうかはわからない。 
でもまだあまり邪魔にはされずに生きている。
川辺さんに限らず、そう言ってくださる方がいることに幸せを感じます。

これも節子のおかげでしょうか。
いい生き方を選べているようです。

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■CWSライブラリー開設記念第1回ブックカフェサロン報告

第1回ブックカフェサロンは、期待に反して参加者は3人でした。平日にしたのが敗因でした。
でもたっぷり話し合えて(6時間!)、ブックカフェサロンの進め方もだいぶ見えてきました。

CWSライブラリーもともかくスタートすることにしました。
中途半端なライブラリーよりも最近の充実した図書館のほうがいいという見方もありますが、人のふれあいも重視しながら、ともかくCWSライブラリーを進めていくことにします。

CWSライブラリーの簡単な方針を別紙のように提案、あんまり議論されませんでしたが、否定もされなかったので、当面これで行きます。

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なお、これを機に、もう10冊をライブラリー蔵書に加えます。

フランク・パヴロフ『茶色の朝』(大月書店)〔主原三栄提供〕
金子美登・友子『有機農業ひとすじに』(創森社)〔金子友子提供〕
山野浩一『花と機械とゲシタルト』(小鳥遊書房)〔岡和田晃提供〕
杉原白秋『考えない論』(アルマット)〔杉原学提供〕
ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)〔佐藤修提供〕
佐藤忠男『見ることと見られること』(ちくま学芸文庫)〔佐藤修提供〕
深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』(青灯社)〔佐藤修提供〕
田辺英蔵『統率のパラドックス』(ダイヤモンド社)〔佐藤修提供〕
守田志郎『農法』(農山漁村文化協会)〔佐藤修提供〕
坂本龍一+河邑厚徳編著『エンデの警鐘』(NHK出版)〔佐藤修提供〕
  
当面、100冊を目指すことにしました。
みなさんからもどんどん本の提供もお願いしたいです。
ただ最初の100冊までは、私のわがままで推薦図書を決めせてもらいます。

ブックサロンの日以外も、本が読めるようにしていければと思います。
目指すは毎日、オープンにしたいのですが、私が別の場所に住んでいるので、それが難しいのが残念です。

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■「できない理由」探しではなく、「できるための条件」探しを

先日からちょっと身近な地域の問題に巻き込まれています。
問題は至って簡単なことで、道路の側溝の蓋がないので危険なので蓋をしてほしいと近くの人が市役所に相談に行ったのです。
担当課の職員は、検討して返事をすると対応してくれたそうですが、後で電話がかかってきて、あそこは行政では蓋ができない、近隣の人たちが自発的に蓋をするのは止めませんが、というような回答だったそうです。
そして「できない理由」も教えてくれたそうです。

そこで彼は私のところにやってきて、おかしいでしょうと言うのです。
そこで私も関係者に連絡してお訊きしたら、やはり蓋はできないと言うのです。
そして蓋が「できない理由」を私にも教えてくれました。

そこで、「できない理由」ではなく、どうしたら蓋ができるかの「できるための方法」を教えてくださいと再度、問い合せ中です。

「できない理由があるからできない」という答えは、私にはいつも納得できません。
多くの問題は、「できない理由」があるから発生しているのです。
大切なのは、「できない理由」さがしではなく、「できるための方法」さがしです。

これは国際政治から個人の生き方にまで、関わっています。
残念ながら最近はみんな「できない理由」さがしが好きです。
私はそういう生き方をしたくはありません。

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2025/06/04

■節子への挽歌6395:多彩な活動に目が回っています

節子
今朝は久しぶりに陽光に包まれた朝です。
こういう朝は元気が出ます。
でも朝。畑に行く元気は出てきません。

ホルモン療法対策で、沢田さんから勧められた「ホエイプロテイン」と豆乳を毎朝飲むようにしましたが、大きな改善はまだ見られません。
というよりも、疲労感はますます高まっています。
今朝もテレビ体操をし終わったら、もうへとへとです。

そのうえ、夜頻繁に目が覚めてしまう傾向は一向に改善されません。
昨夜も5回目が覚めました。
そのため、どうも熟睡感がなく、日中も眠くて仕方がありません。

そういうことのせいか、朝日を見ても以前のような爽快感が得えられません。
そのうえ、昨日からどうも頭がおかしい。
なんとなくモヤモヤ感があります。
脳梗塞の予兆ではないかという気もしますが、そもそも脳梗塞とはどんな症状なのかもよくわかりません。

というわけで、今日もまたなんかすっきりできずにいます。

今日は湯島で6時間のブックカフェサロンです。
CWSライブラリーをいよいよスタートです。

益田さんが、多彩な活動に目が回っています、とメールをくれました。
確かにちょっとやりすぎでしょう。
困ったものです。

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■第1回SUN10ROサロン報告(2025年5月30日開催)


SUN10RO(さんじゅうろう)クラブは、「なぜ人間は仲良く良心的に生きていけないのか」というテーマを描きたくて映画を作りつづけたという黒澤明監督の精神に共感し、黒澤映画からのメッセージを読み解きながら、社会に広げていこうとしている河村光彦監督の活動のゆるやかな応援団です。
https://www.facebook.com/groups/1312667559794431

まだ活動を開始した段階ですが、当面は、メンバーのつながりを深めながら、メンバーそれぞれが主体的に動きながら、徐々に組織としての活動を生み出していくという方針で活動していきたいと思います。
ただ、毎月、30日に湯島でサロンを開催することにしました。それがSUN10ROサロンです。このサロンは、SUN10ROクラブのメンバーに限定することなく、広く公開で開催されます。SUN10ROクラブの仲間を増やしていく入り口にも位置付けています。

その第1回目を5月30日に開催しました。
今回は、河村光彦さんから改めて「黒澤映画から学んだこと」を話してもらいました。
河村さんが黒澤監督とかかわることになった経緯も詳しく話してくれました。
参加者の中には黒澤映画をまだ1本も見ていない人もいましたが、その人は黒澤映画より、河村さんの生き方に興味を持ったそうです。実は私もその一人です。しかしそれもまた河村さんによれば、黒澤映画とは無縁ではない。黒澤映画が河村さんの生き方に大きな影響を与えているからです。

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前回の河村さんのサロンは参加希望者が多すぎて、最後はお断りするほどだったのですが、前回参加できなかった方も数名参加されました。
いま撮影監督を目指して活動している若い世代も参加してくれました。彼もまた、河村さんの話で黒澤監督や黒澤映画への理解を一段と深めたようです。
こんな感じで、河村さんの思いを基本に置きながらも、「みんなが仲良く良心的に生きていける社会」を目指した活動が広がっていけば、と思います。
もちろん、黒澤映画を楽しむことも、そうした活動につながっていくはずです。

今回、河村さんは、最近の活動に関しても話をしてくれました。
まさにホットなニュースなのですが、映画『羅生門』の真相を解明した『藪の中の光』を英語版と日本版で電子出版(紙版もあります)したのです。
挿絵は1回目に参加した黒澤映画にも出演していた俳優の櫻井勝さんが担当です。

その本への河村さんの思いも、今回話してくれました。
黒澤明監督の映画『羅生門』は、芥川龍之介の短編『藪の中』に着想を得ていますが、当然のことながら、両者はそれぞれに微妙に違います。
そして河村さんは、2つの傑作が交差する場所に、人間の語り、沈黙、赦し、そして再生への希望が見えてくる、と言います。そして「語られぬ倫理」というテーマを軸に、文学・映画・宗教・文化の境界を超えて、私たちが今なお直面する「真実とは何か」「赦しは可能か」という問いに挑んだのが、この『藪の中の光』です。
河村さんの思いのエッセンスが込められています。

河村さんは、「光は語られぬ場所にも差し込む」。本書は、人間の弱さと希望に寄り添う、静かなる倫理の書だと言います。
お読みいただければと思います。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0FBHPPRLW/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3SQLZ3IV6IG48&dib=eyJ2IjoiMSJ9.w4vtOovEF0HThVLl1xwN79CQgsshlXWbfhEmTKzqggM.zullnFYLLjO_xCmQ7p_QR_0OpoXXY0uSzYVfS19_Su4&dib_tag=se&keywords=%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%85%89&qid=1748645509&sprefix=%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%85%89%2Caps%2C182&sr=8-1&fbclid=IwY2xjawKrYAxleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFWVXNXWW01UUdOeDRSb3pMAR4HjeFqXz5J9-3vTX8pLiTPW3UIdUuMt6NjDYnHvjCK8i9iCMNkNjhFTWQs-A_aem_7L5kXDi1HbU7Lkdt7GPugw

さらに現在、河村さんは、黒澤映画30作品からのメッセージを受けて、「人なぜ生きるのか」という問いに答える「救いの書」の執筆を進めています。
この本はいわば河村さんの人生と思索の集大成ともいうべき作品になるでしょうが、SUN10ROクラブの活動のバイブルにもなりうる本だろうと思います。
そしてできればこの本を活かしながら、SUN10ROクラブの活動も広げていければと思っています。

今回は河村さんの熱弁が止まらず、この活動をどう展開していくかの話し合いがあまりできませんでしたが、黒澤監督の作品も消化しながら、少しずつ進めていければと思います。

次回のSUN10ROサロンは6月30日(月曜日)です。テーマなどはまだ決まっていませんが、こんな話をしたいという方がいたらぜひご連絡ください。
黒澤作品の鑑賞会というスタイルも、時にはいいかもしれません。
内容が決まったらまたご案内させてもらいます。

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2025/06/03

■節子への挽歌6394:500枚の名刺も残り半分ほどになりました

節子
今日も寒いうえに雨です。
畑の野菜が心配です。

インドの若者ヤシュアさんからメールが来ました。
いよいよ来週の11日に来日するそうです。
13日に予定されている湯島のサロンに参加したいと言ってきました。
ようやく会えそうです。

この日はもう一人、私がまだあったことのない人が来ます。
鈴木章弘さんがサンティアゴ巡礼であった人です。
まあこんな感じで湯島のサロン仲間も少しずつ増えている。つまり私の世界もまだ広がっているのです。

一昨年だったと思いますが、名刺を新たに500枚作りました。
この名刺がなくなったら社会から引っ込もうと決めているのですが、幸いにまだなくなっていません。昔は1年に1000枚ほどの名刺がなくなっていましたから、当時に比べれば新しい人との出会い頻度も減っていますが、それでも少しずつ名刺はなくなってきています。今残りは半分くらいでしょうか。5年間生きながらえるには少し名刺を渡す頻度を減らさないといけないかもしれません。

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2025/06/02

■節子への挽歌6393:佐藤さんは「遅い」

節子
昨日は半田さんのサロンでした。
その話は時評編でまた報告しますが、その時に私が最近体力の衰えを感じているという話をしたら、半田さんが「佐藤さんは遅い」というのです。
最初は何を言っているのか戸惑ったのですが、どうも体力の衰え、つまり老化が遅いと言うことのようです。
老化をもう少し急いだほうがいいという意味でしょうか。
半田さんらしい意味深長な発言ですが、その半田さんも最近は体力の低下を感じているようです。

彼の知能の成長は私よりも数倍も早いですが、身体の成長も速いのでしょうか。
それはともかく、みんなどんどん歳を取っていく。
まあ当然のことですが、にもかかわらず、お互いの相対関係は変わりませんので、どうも勘違いしてしまうのですが、永田さんや半田さんは逆に以前よりも私との年齢的な距離を感じているのかもしれません。

半田さんはサロンの後、私の病院通いというか、病気のことを気遣ってくれました。
そんなに病院に入っていないと言うと安心してくれましたが、半田さんや永田さんのためにも病気のことはあまり話さないようにしようと思います。
自分では大したこととは思っていなくても、やはり80代の病気は心配させてしまうのでしょう。

半田さんや永田さんの心遣いに改めて感謝です。
少なくとも私のことを気遣っている人が1人ならず2人いる。
感謝しなければいけません。

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■第1回百姓一揆呼応サロン報告

2025年3月30日、全国各地で「令和の百姓一揆」デモが展開されました。
日本の食と農の先行きに危機感を持った「百姓」たちが立ち上がったのです。
掲げたスローガンで少し誤解を与えたと思いますが、決して自分たちだけのためにではありません。農の恩恵を受けている生活者への強いメッセージでもあったのです。
しかし、それに呼応して立ち上がった消費者の動きはあまり聞こえてきません。
それに、農業政策や食料自給化方針もあまり変化が感じられません。
むしろ米価は上昇するばかり。令和の百姓一揆は、そのために利用されたなどとは言いませんが、どこか腑に落ちません。

そこで、とりあえず、「百姓」たちの志にきちんと応えるために、霜里農場で長らく農の問題に取り組んでいる金子友子さんの賛同を得て、「百姓一揆呼応隊」というのを立ち上げました。そして毎月、湯島で「農と食を考えるサロン」を開催することにしました。
あまりにも大きなテーマなので何をしたらいいかわかりませんが、ともかくは百姓一揆に応えたいという思いを表明したかったのです。

その第1回のサロンを2025年5月25日に開催しました。
趣旨もよく説明していないのに10人を超す参加者がありました。しかも農に取り組む人も参加してくれました。
第1回目ですので、参加者各自、思うことを自由に話す気楽なサロンのスタイルをとりましたが、これからの活動として、2つだけなんとなく合意されました。
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一つは、生活者が「農」に関わる機会を広げていこうということです。
たとえば、不耕作地を利用して、みんなで開墾し直し、そこで「お百姓さん」の指導を受けながら、生活者がみんなで「農」を行い、収穫物をみんなで配分するというプロジェクトです。
たまたまいま、私が関わっているグループの仲間たちが進めている「さつま芋山分けプロジェクト」を紹介したのですが、今回の参加者の中にも参加希望者が数名いました。
この「さつま芋山分けプロジェクト」は、場所は茨城県の坂東市ですが、さつま芋に続いて、大豆味噌作りプロジェクト、玉ねぎ山分けプロジェクトなどと計画されています。
それをモデルとして、そうした不耕作地活用プロジェクトを広げていければと思っています。(このプロジェクトに関心のある人はご連絡いただければ繋げます)
そこまでいかなくても、「援農活動」の紹介などもできればと思います。
具体的にどう進めるかは、これからみんなで検討していきたいです。

もう一つは「食のあり方を問い直すサロン」の展開です。
「農業の現場」を知れば、食に関しても考える気になるかもしれません。という意味で、「農業」(「農」ではありません)の現状をもっと知っていこうということです。同時に「食」についても考え直していこうということです。
現在、湯島では定期的に「ふるさと薬膳」をテーマにしたサロンを東方健美研究所の新倉久美子さんが開催してくださっていますが、それを軸にして、「農業」や「食生活」「子どもたちの給食」などへの視野を広げていければと思っています。

とまあ、気楽に書いていますが、いずれも実際に進めていくためにはそれなりの事務局が必要です。当面は多くの人のわずかな時間を集めていければと思っています。事務局活動に参加してもいいという方がいたらぜひご連絡ください。
月に1~2回のミーティング(リモートも活用)で話し合い、それぞれできる範囲でワークもしていければと思っています。
やってもいいという方がいたら、私宛ご連絡ください。
qzy00757@nifty.com

「百姓一揆呼応隊」はフェイスブックのグループができています。
https://www.facebook.com/groups/3527677107527652
できたらぜひご登録ください。
またこのグループページでは、援農の募集や「農」に関するイベント情報など、どんどん投稿していただければと思います。
なにしろまだ事務局スタッフもいないので、ゆっくりした歩みになると思いますが、よろしくお願いいたします。

 

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■6月オープンサロンのご案内

6月のオープンサロンは恒例の第2金曜日、6月13日です。
今回は、いまインドでアーユルベーダを学んでいるけいたさんが、先月のサロンの時に持ってきてくれたインド土産のコーヒーを用意しています。
私もまだ飲んだことのないインドのコーヒーです。
コーヒーが苦手な方には、今回は私の手作りの「笹の葉茶」を用意します。

〇日時:2025年6月13日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。
事前申し込みも不要です。
何しろオープンサロンですので。

 

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2025/06/01

■節子への挽歌6392:曇天でめげている佐藤修くんを励ます会

節子
永田さんが私の状況を心配して、「曇天でめげている佐藤修くんを励ます会」うぃらいてくれました。と言っても、参加者はもう一人、新倉さんだけですが。
新倉さんは、市販されていない珍しいお米をつかって、おにぎりを作ってきてくれました。
おいしいお米ご飯は、おかずなどなくても食べられます。そのうえ、私の好物のお漬物も満載でした。改めて日本の食の素晴らしを感じます。いま壊れつつありますが。

もっとも私は別にめげているわけではありません。
ただ最近は、身体的な疲労感が大きくて、身体の衰えがますます加速しているのです。
そうしたことも隠すことなく、公言していますし、実際に私がへとへとになっている姿もさらけ出しています。
ですから、みんなも私のことを心配してくれているわけです。

農福連携に取り組んでいる川辺さんは、私の農作業の写真を見て、佐藤さんには畑仕事は無理だから、無理するなと心配して繰り返し行ってくる。そんな状況だから、私がちょっと元気がないと、今回のような「励ます会」が開催されてしまうわけです。

実際に最近は疲労感が抜けない。サロンに行った日は、もう帰宅したらなにもやる気が起きなし。
ホエイプロテイン、水素風呂、重曹水、1日5000歩、ニンジンジュース、黒にんにく、野草茶…とまあいろんな人から勧められたものは一応チャレンジしていますが、どうもまだ決め手がない。
でも後5年、現世滞在を決めた以上、体力低下はできるだけ避けたい。
そこで改めてフェイスブックで、身体の衰えに抗うメニューを公募しようと思います。
いいアイデアが届くといいのですが。

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■近藤サロン⑧「『サピエンス全史』と『万物の黎明』の世界観の違い」のご案内

近藤和央さんの「『利己的な遺伝子』論から眺める人間論」も8回目になりました。
今回は思い切り壮大なテーマでの話し合いです。
題して「『サピエンス全史』と『万物の黎明』の世界観の違い」。
『サピエンス全史』も『万物の黎明』も、湯島の別のサロンで取り上げられていますが、今回は進化論も意識しながら、この2冊の大作の「世界観の違い」をとり上げようということです。

『サピエンス全史』と『万物の黎明』を参照テキストにしますが、両書について話し合うのではなく、両書のベースとなっている世界観を参照しながら、世界観や歴史観、そして「進化」の意味について話し合うサロンです。
『万物の黎明』の解説などは期待しないでください。
むしろテーマは「進化とは何か」です。

いつものように、自由に話し合えればと思います。
思考の遊びを楽しむつもりで、ぜひ気楽にご参加ください。
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2025年6月9日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『サピエンス全史』と『万物の黎明』の世界観の違い」
〇話題提供者:近藤和央さん(進化論ファンのneo studier)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■湯島サロン「農福連携からケアコミュニティへ」報告

「農」も「福祉」も実践しながら、長年、農福連携のあり方を実践的に研究している熊本の宮田喜代志さん(合同会社100年ボンド「農業+福祉コーディネーター」)のサロンを久しぶりに開催しました。
宮田さんの活動は、農福連携の次の段階、まさに「ケアコミュニティ」づくりへと進んでいるようです。

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宮田さんは、日本農福連携協会の皆川会長の発言の紹介から話を始めました。
皆川さんによると、3,000か所の目標に対し全国5,800か所で農福連携が取り組まれているが、まだまだ「農業政策の枠の中で評価できる」範囲に収まっていて、実質的にはようやく「地域的な連携」の実践が始まっている段階。特に、農福連携の大事な柱である「福の広がり」も、福祉サイドから見ると「農福連携もまだ緒に就いたばかり」の感を拭えないというのです。
私も、農福連携はまだ「連携」(手段)の段階から大きくは進んでおらず、そこから生まれるはずの新しい価値がなかなか見えてこないのが気になっています。要するにまだ農と福の足し算で止まっていて、掛け算になっていないような気がするのです。
宮田さんは、「福」の基軸を置きながら農福連携に取り組んでいますので、その動向に関心を持っています。

そうした現実認識の上で、宮田さんは今回、次の3点を中心に話をしてくれました。
1.農福連携は、国民運動か? 単なる農業生産力か?
2.地域共生社会ビジョンの推進と農福連携
3.地域課題の多様化とわれわれの歴史的役割

「農福連携は国民運動か、単なる農業生産力か」に関して言えば、農福連携は単なる農業生産力ではなく、「地域共生社会」の担い手、つまり「地域課題解決の主体」と位置づけられており、その役割への期待が高まっていることを具体的な事例にも言及しながら解説してくれました。そしてさまざまな類型的な広がりが起こっていると紹介。その事例を集めてハンドブックを参加者に配布してくれました。

農福連携の類型の一つとして、宮田さんは自らも目指している「里マチ(共生市民活動)」の類型を少し詳しく話してくれました。
地域住民とのつながりを重視したCSA(Community Supported Agriculture)という取り組みがあります。CSAは「地域支援型農業」とも表現されており、「農家が消費者である地域住民と支え合いながら営農する新しい農業経営の手法」ですが、宮田さんは「里マチ(共生市民活動)」型の農福連携は、もっと広く「〇〇市民活動」の範疇に入る動きだと捉えています。それは、21世紀に入り、第3セクターの次の世代的段階として登場してきた、広範な市民による『世直し活動』と言うべきものだと宮田さんは言います。
その視点から農福連携をとらえると、農福連携は地域リハビリテーションであり、農福連携の本質は小規模事業者の協働、そして農福連携は、地域共生社会づくりの主体となりうる、という宮田さんの持論につながっていきます。
そしてさらに、「地域共生社会」論が登場し、介護保険など高齢者福祉で経験された「包括的支援体制」に加え、さらに「生活困窮者」という対象概念が生まれて「重層的支援体制」が構想されるようになっていること。国は現在、「地域住民の複雑化・複合化した支援ニーズに対応する市町村の包括的な支援体制の構築の支援」と「社会福祉(小規模事業者)の連携を推進する仕組みづくり」を始めようとしていることなどを解説してくれました。

そして、そこからいつもの宮田さんの持論へと話は進みます。
農福連携が行っている活動は、「地域組織化」(岡村重夫)であり、福祉的な専門性に裏打ちされて「福祉組織化」となっていく。言い換えると、農福連携の実践は、一般的地域コミュニティが、「福祉的な関心を持った人々」と「福祉対象者」と「サービス提供者」の三者が有機的につながって、計画的、積極的な福祉活動を行う「福祉コミュニティ」へと成長していくプロセスだ、というわけです。
そのわかりやすい事例として、「天草下田こざとこ学園」(フリースクール)の紹介もしてくれました。
https://www.klsc.jp/

そして、地域コミュニティの《チカラ》は、「ほっとけないと思う人」と「困りごとを抱えた当事者」と「課題解決のノウハウを身に付けた専門家」の三者の協働である、と強調。話はさらに、地元学や全国各地で広がってきている『新たな支え合い』をつくる活動へと展開していきました。

実際には具体的な事例なども含めて、農福連携の目的と限界なども話してくれましたし、宮田さんたちが取り組んでいる“コミュニティの学校100年ボンド(生活訓練事業所)”の紹介もありました。
長くなるので、ここでは紹介しませんが、当日宮田さんが使ったパワーポイントに簡潔にまとめられているので、もしご関心のある方はご連絡いただければ、宮田さんのパワーポイント資料をデータでお送りします。

なお、“コミュニティの学校100年ボンド”に関しては、ぜひサイトをご覧ください。宮田さんの話が、体験も踏まえての話であることが実感できると思います。
https://www.100nenbond.com/

宮田さんは「人間は、自然に触れながら、気の合う仲間とゆっくり対話することで、自分の内面を見つめ、自分を探り当てることが出来る。言い換えれば、本当の豊かさを感じられる」と言います。
宮田さんの話を聞いていると、農福連携が、「農福共創」へと一段と深化し、まさにケアコミュニティが生まれつつあるという期待を持てます。

なお、全国の農福連携実践事例は、次のノウフク・マッチング・ハンドブックを参照してください。いろんな事例に触れられます。
https://www.notosoken.jp/
湯島ライブラリーにも1冊、置いてありますので、関心のある方は湯島に来た時にご覧ください。

私はいまの農福連携の動きには物足りなさを感じているのですが、宮田さんの話を聞くと、いつもちょっと元気が出ます。

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