■湯島サロンのアフォーダビリティ
最近、湯島のサロンの持つアフォーダビリティを実感しています。
「アフォーダビリティ」という言葉はあまり聞きなれないかもしれません。
たとえば、アメリカなどで「アフォーダビリティ」といえば、「購入できるか否かの値ごろ感」という意味でつかわれていますが、私が使う意味は全く違います。
もう20年以上も前になりますが、一応、企業の経営コンサルタント的な仕事をしていた時に、導入した私の勝手な言葉ですが、そのもの(存在)がもつ意味のような意味で使っていました。私の役割は、社会にとっても社員にとっても、その企業の存在がそれを豊かにしてくれるようにするにはどうしたらいいかを提案することでした。
残念ながらそうした私の思いや姿勢は、共感してもらえずに、仕事につながることはほとんどなく、結局、赤字続きの会社になってしまい、いまなお借金を抱えています。
湯島サロンのアフォーダビリティというのは、したがって、湯島サロンが引き起こすことにつながっています。ここで「サロン」とは空間の意味もあれば、そこで行われている話し合いのサロンという活動の意味もあります。
私が経営コンサルタントして企業に関わる場合は、その企業が引き起こす価値を高めることにありました。いうまでもなく、その価値は「マイナス価値」も考慮に入れての純粋の創出価値です。もちろん金銭価値ではありません。当時はキャッシュフローとしての価値が全盛の時代でしたから、それに抗う存在意義としての価値など、なかなか受け入れてもらえませんでした。
しかし、湯島のサロンは、活動としても空間としても、いろんな価値を引き起こすアフォーダビリティが育ってきた気がします。
湯島ではいろんなことが起こります。
なんでもない空間ですが、そこに来るとなぜかホッとして心を開いてしまうと言う人がいます。思ってもいなかったことも起こる。
私も今は、湯島のサロンのおかげで元気を維持しているのかもしれません。
湯島から始まった物語もあります。
ちなみに、私が「アフォーダビリティ」と言うことを勝手にい出したきっかけは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンの造語「アフォーダンス」に依拠しています。ギブソンは、動詞 afford(与える、もたらす)の名詞形として「アフォーダンス」という言葉を作り、環境が動物に対して与える「意味」あるいは「価値」を指す言葉として提唱したのです。
実は最近、この「アフォーダンス」が私の意図したことではない価値を引き起こすことを体験させられました。
価値とはまさに人によって真逆にもなるものなのです。
自分の視野の狭さを、まざまざと感じさせられて、この数日、いささか混乱していました。
幸いにその「事件」は大ごとにならずになんとか解決しましたが、学んだようで私は全く学んでいないことを思い知らされました。
湯島は閉じようかとさえ思ったのですが、やはり継続していこうと思います。
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