■節子への挽歌6411:今日も頑張ります
節子
昨日の衝撃的な事件にどう対処するか、まだわかりません。
ともかく思考が混乱しています。
もしかしたらとんでもない事件に発展していたかもしれません。
考えてみると実に恐ろしい事件でもあるのです。
まあしかし昨日は、仮説実験授業研究会の体験会を湯島で開催したので、それに参加しました。
まあ事件のこともあったためかもしれませんが、全く面白くない。
しかし関係者の思いや志には共感します。
でもどこかでやり方や進め方が、私の感覚では間違っているような気がしてなりません。
体験会終了後の感想では、私以外の人はみんな高評価で、私だけが低評価。
主催者はかなり傷ついたかもしれませんが、話しているうちに私の姿勢を理解してくれたようで、ひきつづき湯島で体験会を開催することになりました。
でも改めて思うのは、みんな小さな社会で生きているということです。
それでは社会はよくならない。
小さな社会で生きるのはいい。でも閉じてしまっていてはいけません。
開かれていなければ意味がない。
そうでなければ、みんなラ・ボエシの言う「自発的隷従生活」になってしまうからです。
暑さの中での私を心配して、永田さんや新倉さんが気遣ってくれていますが、今週はサロン続きです。
今日も「社会になぜなじめないのか」と言う引きこもりの人との対話型サロン。明日はインドの若者のサロン。さらに日曜日は、我孫子でのあすあびサロン。体力が持てばいいのですが。
ともかく問題をいろいろと背負い込んでしまった。
うまく抜け出せるといいのですが。
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