第4回SUN10ROサロン(8月30日)は、『生きものの記録』をとり上げました。
核兵器の下で人間は生活していけるものだろうか、という、現代の人間の生きる条件について問いかけた1955年公開の映画です。
話題提供はSUN10ROクラブメンバーでもある折原利男さん(ペンネーム:森沢周行)。折原さんは長年、核(核兵器・原発)廃絶活動に取り組んでいますが、最近、同人誌に「黒沢映画の今日性 核を射抜いた『生きものの記録』と『夢』」を発表しています。あらかじめ参加者にはお配りしていましたが、映画を観た後、それに関して少しお話してもらいました。

折原さんの話は、同人誌に発表した論考を読んでもらえればと思いますが(ご連絡いただければデータで送らせてもらいます)、折原さんはそれに加えて、最近参加した『「サイレント フォールアウト」&「放射線を浴びたX年後」 伊東英朗監督 映画2作品上映/トークショー』の話と黒澤監督の映画『夢』(1990年公開)の話をしてくれました。
黒澤監督の映画『夢』には、原発爆発事故や放射能汚染された世界の話が登場します。
折原さんは最後に、NEWSWEEK日本版8月15日号に、「パキスタン陸軍参謀長が「我々は核保有国だ。国家存亡の危機に直面すれば、世界の半分を道連れにする」と演説したと報じられていることを紹介し、この映画の主人公の「不安」が、いよいよ現実のものになってきているのではないかと指摘しました。当時以上に危機は高まっているのです。
折原さんの話の後、河村さんが、折原さんの話への感想も含めて、『生きものの記録』にまつわるエピソードなどを話してくれました。
この作品は興行的には不人気だったのですが、黒澤監督は「一番好きな作品」だといっていたそうです。それに折原さんも書いていますが、ともかく黒澤監督にとっては、閻魔様にも胸を張れるような作品だったのです。
河村さんは、制作面でも、たとえば3台のカメラで同時に撮影する方式を採用したり、ドラマの進行中は音楽を使わず、物語が終わった後、真黒な画面のまま早坂さんの遺作の音楽をずっと流すなどの新機軸があったことを話してくれました。エンディングの音楽は実に不思議でしたが、あそこからいまのスタイルが始まったのかと、改めて黒澤監督の影響力を知りました。また、キャスティングでも30代の三船敏郎に70代の老人を演じさせた理由など、いつものように興味深い話も聞かせてくれました。
話し合いもいろいろ広がりました。
核時代の生き方に長年問題意識を置いて活動している本間さんからは、社会の認識はいまなお変わっていないどころか、みんな事実を見ないようにしているではないかという問いかけがありました。確かにいま私たちは、核に対する感覚を麻痺させているのかもしれません。
第五福竜丸展示館のボランティアをしている黒田さんは、なぜこの映画が当時立ち上がっていた核兵器反対の運動につながらなかったのか不思議だと発言しました。本当にそう思います。やはり黒澤監督の意識が飛びすぎていたのでしょうか。
いずれにしろ、今こそ黒澤さんのメッセージを受け止めて、みんな「事実」に目を向けないといけないというのが折原さんや本間さん、黒田さんの考えです。事実を知ればみんなもっと動き出すはずだというのです。
でも実際には多くの人は、そこから目を背けています。というよりも、受け入れやすい事実の方に目を向け、核兵器さえ受け入れだしている気がします。
最近、被爆や被曝の事実がたくさん出始めていますが、そうしたことへの接し方が間違っているのかもしれません。お話を聞いていて、そんな気がしました。
この映画は、しかし「核兵器の恐怖」だけを語っているわけではありません。
話し合いでも話題に出ましたが、見る人によっては、核兵器問題よりも主人公の言動にこそ「恐ろしさ」を感じたかもしれません。
主人公は、明治時代を思わせる独裁的な家父長的父親、今様の言葉を使えば「毒親」や「女性蔑視」の身勝手な人物です。
なぜこうした主人公に設定したのか、私には理解できませんが、たぶんまだこの映画がつくられた時代には、このタイプの父親が社会に許容されていたのでしょう。
ある意味では、この独裁的家族構造を基本にする社会は、核兵器の論理につながっています。黒澤監督がそこまで考えたかどうかはわかりませんが、核兵器はこの映画の主人公のような人にとって意味のある存在ですし、こうした人がいるからこそ、いつになっても廃棄できないのではないかと私は思います。
折原さんが紹介したパキスタン陸軍参謀長もそうした人の一人でしょう。
もうひとつは、正気と狂気の問題です。
主人公は最後は精神病院に入ってしまい、「平和」な生活を取り戻しますが、結局は彼が嘆いていた核兵器に不安を感じない多くの人の仲間になってしまったわけです。
映画の中にこんなシーンがあります。
精神病院に入った主人公の担当医が見舞いに来た人にこんな発言をするのです。
この患者を診ていると、なんだか正気でいるつもりの自分が妙に不安になるのです。狂っているのはあの患者なのか、こんな時世に正気でいられる我々がおかしのか。
サロンでも話題になりましたが、この発言は私たちにとっても決して他人事ではないでしょう。
もう一つ、私が感じたのは、知性と動物的直感の話です。知性を発達させることで人間は動物的直観を失いだしているのではないかというメッセージです。
この映画がつくられた時期にはまだ「核兵器」のことはあまり知らされていませんでした。実際に被爆した経験がありながら、日本人の多くもまた、被爆の現実に関する知識がありませんでした。
しかし今は違います。被爆者が語りだし、被爆後の写真も公表され出しています。福島の原発事故さえ起こっている。核兵器に関するいろいろな事実が見えてきているのです。
しかしにもかかわらず核兵器保有論までが語られ始め、選挙ではそういう主張が受け入れられ、原発は再稼働・増設へと動き出している。
つまり、ここでは知識や知性が、動物的直観を抑え込んで、狂気を正気に転じていると言えないでしょうか。
いまの私たちの言動とこの映画の主人公の言動と、どちらが狂気なのか。悩ましい問題です。
話を聞いていて、やはりもう一度、広島・長崎の被爆事実にきちんと向き合わなければいけないと思いました。
そこで、広島市民たちがつくった映画『ひろしま』を観る会を企画することにしました。
SUN10ROサロンからスピンアウトしたサロンです。また案内をさせてもらいます。
SUN10ROサロンの次回は、『醜聞(スキャンダル)』をとり上げます。
ジャーナリズムの問題を取り上げた作品で、まさに今の世相に問いかけている作品です。
開催日は言うまでもなく9月30日。ぜひご参加ください。
なおフェイスブックのSUN10ROクラブには、河村さんが精力的に記事をアップしてくださっています。ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/groups/1312667559794431
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