« 2025年8月 | トップページ | 2025年10月 »

2025年9月

2025/09/30

■節子への挽歌6525:TOPSのチョコレートケーキ

節子
久しぶりにTOPSのチョコレートケーキを食べました。

ボストンの坂口さんが、8月からもう日本でも暮らし始めていて、今回、東京に出てきたのでサロンにやってきてくれたのです。
万葉集サロンにとても関心を持ってくれていて、これまでも帰国時に時々参加してくれているので、升田さんと一緒にサロンの前に会うことにしました。
そうしたら、みんなのお弁当に合わせて、TOPSのチョコレートケーキまで買ってきてくれたのです。
TOPSのチョコレートケーキとは、久しぶりです。

東レ時代、近くにTOPSのカフェがあり、当時女性の社員から誘われてよくいっていました。
ある時には、職場の女性ほぼ全員の10人近くにおだてられて連れていかれ、全員にご馳走したこと盛ります。
私はケーキなどにはほとんど興味がないのですが、その後、TOPSのチョコレートケーキは今でも有名なのを知りました。
残念ながら節子にはご馳走したことがないかもしれません。

わが家でも何かあればケーキでしたが、私はもちろん節子もブランドには興味のない人でしたから、近くのおいしいと評判の地味なケーキだったと思います。
娘たちもその文化を継いでいて、今も手作りケーキが多いです。
ですからそうしたブランド物のケーキは、我が家ではほとんど食べることはありません。

久しぶりにTOPSのチョコレートケーキはおいしかったです。
でも3人のつもりが次々と来客が来て、結局8等分にされてしまったのでわずかしか食べられませんでした。

お弁当は坂口さんごひいきの枡山のお弁当を今朝、わざわざ東京駅のデパ地下まで買いに行ってきてくれたそうです。
これも実においしかったですが3人分だったのが早目の来客がいて、5人でシェアしました。でもまあそれがまたますますおいしさを高めました。

それにしても、ふつうは遠来の客をおもてなすはずが、私の場合はいつも関係が逆になってしまいます。
それに違和感なく付き合っていますが、やはりこれはちょっとおかしい気もします。
いやはや困ったものです。

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「なんで戦争が起こるのだろう(第2回)」報告

「なんで戦争が起こるのだろう」を話し合うサロンは、2回目にもかかわらず10人を超す人が集まりました。関心の高さに改めて驚きました。
やはりみんな、どこかで不安を感じているのかもしれません。自分の考えを話してみんなの感想を聴きたいと言って、大事な用事までキャンセルして急遽参加してくれた方もいます。
200000

最初に参加者それぞれの思いを話してもらい、その後、自由に話し合いました。

とてもうまく現状を整理してくれた人がいます。
これまで平和憲法に守られて日本が戦争に巻き込まれなかったわけではなく、日米安保に守られて戦争に直接関わらないできただけではないのか。しかし、アメリカ政府の力や意識が変わってきて、最近は何か不安を感じる。それに万一、戦争が起こったりしたら、雰囲気に乗って自分が戦う先頭に立たないとも限らない。そうならないように、自分でできることを探したい。

戦争は避けられないのではないかという人も何人かいました。
人間は本来、生存のために「戦う本能」を持っている。いま人類は資源的にも環境的にも限界に近づいている中で、戦争は不可避ではないか。だから、自らが軍事力を高めて攻められないようにすることが必要だというのです。
しかし、本当に人間の「戦う本能」は、防衛を超えた攻撃性を持っているのでしょうか。
考古学や人類学の意見も一様ではありませんし、心理学者の意見は時代によってころころ変わりますので、絶対ではありません。
歴史は私たちの生き方で変えられるのではないかと私は思っています。

そういう大きな話の一方で、今回も個人としては周りの人(そして在留外国人)と仲良くしたり、自らの内心を見つめたりすることで心の平安を高めると、社会の見え方も変わってくるという話も多かった。そうしたことは、今日からでも誰にでも、できるはずです。
しかし、そうはいっても政治の影響は大きい。安保法制という名の、軍事化がどんどん進んでいますし、先の選挙では徴兵制までが取り上げられてきました。政治に無関心でいたら、ある日突然、「赤紙」(召集令状)が届いて、戦場に駆り出されるかもしれません。
外国人と仲良くなっても、突然にイスラエル建国時のように、敵味方に区分けされて殺戮し合う状況に追い込まれるかもしれません。いまでもそれを煽っている人がいますし、それに煽られている人もいる。
いや、だからこそ、いろんな人たちの問題を、自分の生活ともつながっているという想像力が大切なのです。分断は戦争につながりかねません。自分の世界を守ろうとして他者への関心を失えば、あのニーメラーのように後悔することにもなりかねません。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/4319380.pdf

どうすればいいか。
もっと私たちは、政治に関しての話し合う場をつくっていく必要がある。
その気になれば、そういう場はいくらでもできるはずだと、実際に地元でそういうことを心がけている人が呼びかけました。私も全く同感です。
幸いに最近は、「政治」の話が以前ほど「タブー」ではなくなってきました。
それにその気になれば、政治に働きかける仕組みも増えてきています。

あまり話は出ませんでしたが、近現代の歴史や世界情勢を学ぶことも大切です。そうした背景知識の有無が、事実を正しく理解するうえでとても大切です。
勝手な私見を言えば、たとえば、最近出た『新書昭和史』(講談社現代新書)くらいは読んでおくと政治の見え方も変わってきます。騙されにくくなる。

ほかにも、デジタル民主主義とか良心的兵役拒否とか、政治のパラダイム転換や1968年革命(5月革命)の話題も出ました。
データベースのエビデンスの話や戦争すると決める人と戦場で戦う人は違うという話など、他にもいろんな論点が出ました。

いずれにしろもう人類には未来がないのではないかという悲観的な話。もしそうなら一挙にすべてが消えてしまうような(たとえば惑星衝突のような)ことが起こってほしい、という話。そんな話も出ました。
ともかくにぎやかなサロンでした。

私の意見はかなり叩かれたので、とても疲れましたが、たくさんの気づきももらえました。
改めて、CWSコモンズ村としても、できることをもっとやっていこうと思いました。
「政治」に関するサロンをこれから増やしていこうと思いますし、CWSライブラリーでも「政治」の背景を知る本を紹介していきたいと思います。
しばらく休んでいた『茶色の朝』サロンも10月から再開します(22日開催の予定)。

参加された方、ぜひ足りない部分を補ってください。
なんだか肝心なことを書き忘れているような気がしてなりませんので。

| | コメント (0)

2025/09/29

■節子への挽歌6524:どうも気が出てこない

節子
今日から畑を再開しようと思っていましたが、やはり体調がいまひとつです。
正確には「身体的」というよりも「気持ち的」にというべきでしょう。
ともかく「気が出てこない」。

暑さのせいもありますが、たぶんそれだけではないでしょう。
それが何かはわかりませんが、ともかくそれが足を引っ張っているのです。
今日も畑に行こうと何回か思ったのですが、結局いけませんでした。
やはり体調がまだ戻ってきていないのかもしれません。

何処がおかしいというわけでもありません。
我ながら最近の怠惰さにはあきれていますが、そこを破る気が起きてこない。
困ったものです。

| | コメント (0)

■第8回中国現代文学サロン『埋葬』のお誘い

第8回中国現代文学サロンの案内です。
今回は残雪さんの『埋葬』(近藤直子訳)(「現代中国文学7号」所収)をとりあげます。
いつものように、参加される方は必ず読んでおいてください。

現代中国文学7号はネットでも購入できますが、もし購入ご希望の方がいたらご連絡ください。葉さんに頼んで購入してもらいます(郵送料別で1000円)。
サロンの当日、サロン開始前に湯島に早めについて読むことができるようにしたいと思いますので、希望者は事前にお申し出ください。

このサロンは中国現代小説を通して、中国人の理解を深めていこうというものです。
文学好きな方はもちろんですが、そうでない方もぜひ気楽に参加してください。

案内役は、いつものように中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。
参加者それぞれがこの作品から何を読み取ったか、そして葉さんがこの作品をどう読み解いてくれるか、も楽しみですが、この作品を通して葉さんが解説してくれる中国事情もいつもとても面白いです。
マスコミ情報や書籍などからのとはちょっと違った、中国や中国の人たちの理解が深まります。

どなたでも歓迎の、気楽な集まりですので、気楽にご参加ください。
中国の現代小説を読んだことのない人ももちろん大歓迎です。
ただ、参加ご希望の方は事前に連絡をください。

〇日時:2025年10月12日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇今回の作品:残雪『埋葬』(現代中国文学7号 ひつじ書房収載)
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

2025/09/28

■節子への挽歌6523:我孫子にキリギリス復活計画

節子
今日は午前中は我孫子で「あすあびサロン」。午後は湯島で「戦争はなぜ起こるのかサロン」というダブルヘッダーでした。

我孫子のサロンは最近参加者が少ないのですが、ともかく継続が大切だと思って、継続しています。
うれしいことに今回は、宮内さんがまた新しい人を連れてきてくれました。
そのうえ、自己紹介で宮内さんが私との出会いの最初の話で、節子の「献花台」の藩士をしてくれました。
そういえば宮内さんにはとても助けられました。
考えてみれば、節子がつなげてくれっと言ってもいいで法。

ところでサロンでは、我孫子にキリギリスを呼び戻したいという私の思いを発表させてもらいました。笑われるかと思きや、好意的に受け止めてもらえました。
理念はもう少し本格的に取り組もうと思います。

| | コメント (0)

■「ディオゲネスサロン」と「私のすきなコミックを語り合うサロン」のご案内

「CWSライブラリー」開設を契機に始まったブックカフェサロンの5回目は、10月17日(金曜日)に開催します。
今回は通常のサロンの前に「ディオゲネスタイム」を開催します。

まず、CWSライブラリーですが、蔵書が40冊になり、たぶん間もなく50冊になります。とりあえずの貸し出しルールもできました。
https://www.facebook.com/groups/3908195772765997

しかし、なかなか利用者は増えません。仕組みが悪いのでしょう。
そこで毎月1回、ともかく湯島でCWSライブラリーの本を読むサロンを始めることにしたのが、ブックカフェサロンです。サロンの前に読書時間をつくったのです。
しかしやはり人が集まると話してしまう。

そこで思いついたのが、イギリスの「ディオゲネスクラブ」です。
シャーロック・ホームズに出てきますが、しゃべってはいけないクラブです。それを模して、通常のサロンの前に「おしゃべり厳禁」のディオゲネスサロンを開催することにしました。初めての試みなので、今回は1時間ですが。
しかし、それだけだと息が詰まるかもしれないので、その後に、「おしゃべり歓迎」のサロンを開催します。
今回のテーマは、「コミックを語る」です。

一方だけの参加でももちろん歓迎ですが、できれば両方に出てほしいです。
「ディオゲネスサロン」では、私はコーヒー提供役ですが、私も本を読むつもりです。
ちなみに、この時間帯(午後1時~2時)はおしゃべり厳禁ですので、筆談でお願いします。

さてさてうまくいくでしょうか。
気が向いたらどうぞ。
途中からの参加も歓迎です。但し、ディオゲネス・タイムに来た人は、言葉を発しませんように。

〇日時:2025年10月17日(金曜日)午後1時~午後4時
  午後12時45分 開場
      午後1時~2時 ディオゲネス・サロン
      午後2時~4時 コミックを語り合うサロン
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

| | コメント (0)

2025/09/26

■節子への挽歌6521:引きこもりサロンに参加

節子
湯島のサロンには、引きこもり卒業生が何人か参加していますが、その一人のHさんが、引きこもり当事者のサロンをやりたいというので、始めています。
参加者は少ないですが、順調のようで、4回目の今回は、当事者以外にも門戸を広げてみるというので私にも参加要請がありました。
参加してみました。
むしろ「当事者」は少なく、興味を持った関係者が多かったのですが、今回は黙って聞いている予定がやはりいつもの感じで話してしまいました。

今回、当事者も3人参加していましたが、みんなそれぞれに大きく変わっています。
湯島の空間はやはりある種のパワーを持っているのかもしれません。

もっともわたし自身は「ひきこもり」とそうでない人の違いはあまり意識していません。
今日も言いましたが、みんなどこかに引きこもっている。
そこから外に引きだす出入り口に湯島のサロンをしたいと思っているからです。

でもまあ今日のサロンはいつも以上に疲れました。
最後にみんなが感想を言い合ったのですが、私は「疲れました」とだけ言いました。

しかし「ひきこもり」ってなのでしょうか。
最近ますますわからなくなってきています。

| | コメント (0)

2025/09/25

■節子への挽歌6520:2人の若者からメッセージ

節子
朝起きたら、2人の若者からメッセージが届いていました。

一人はしばらく音信不通だった若者で、数日前からやりとりが始まっています。
彼からカミユのムルソーの名前が出てきました。
私もそれなりの影響を受けた、ムルソーの名前が出てきたのには驚きました。
彼はいま生き方を悩んでいますが、見え始めたようです。
ムルソーにはならないでしょう。

もう一人は、楽しく自分の道を歩いている若者です。
そろそろ連絡があってもいいなと思っていたら、メッセージが届きました。
先が見えだしているようです。まああんまり迷っていたわけでもないようですが。
先が見えだしたら、30年後をみようとするのがいいので、またノイズを入れてしまいました。

いずれにしろ若者たちは前を向いているのと自分で生きているのでいいです。
ですからやり取りしていて疲れない。むしろ元気をもらえます。

若者ではない世代からも2人、メッセージが届いていました。
自動詞より他動詞が多いので、付き合うのがつかれます。
なんとまあ独りよがりなといささか苛立ちますが、まあ仕方ありません。
対応しないわけにはいかない。
しかしやり取りしていると滅入るばかりです。

それはともかく、今日は実にさわやかな日です。
ドジョウもバッタも、やけに元気です。
彼らに負けずに、今日は元気で過ごしたいです。

体調は大分整ってきました。朝のテレビ体操も復活しました。
相変わらず腰の痛さは治りませんが。

| | コメント (0)

■湯島サロン「楽な生き方のすすめ」報告

私の「生き方」を話させてもらうサロンは、急な案内にもかかわらず10人を超す人が参加。私自身、たくさんの気づきをもらったサロンになりました。
0000000
個人の生き方を題材にすると話しやすい気もします。
主役を替えて、「私の生き方」シリーズのサロンを継続するのもいいかもしれません。
次にやってくださる方がいたら、またやってみたいと思います。
話し手は、自分の生き方をさらけ出すわけですから、そう簡単ではないかもしれませんが、話してしまうととても楽になることは事実です。

さて、私の場合ですが、「楽な生き方のすすめ」とタイトルさせてもらいました。
誤解されそうなタイトルですが、私としてはそれなりに考えての命名です。
「誰でもできる生き方の呼びかけ」を意識したつもりです。
その気になれば、誰もが「楽に生きられる」のです。

最初に私の生き方をまとめたレジメ(添付しました)を配布し、20分ほど話させてもらいました。
Photo_20250925061601
私の「生きる上での原則」は、「すべてを信ずる」ということです。
信ずる対象は3つ。「人を信じ、自分を信じ、来世を信ずる」。

まず人ですが、すべての人はみんないい人で、悪い行為はあっても、悪い人はいないというのが私の人間観です。だから誰にでも必ず私が好きになり信頼できるところがあるはずです。それを見つければ、誰とでも良好な関係がつくれます。いささか身勝手ですが、そうやって私は、すべての人の「いいところ」とだけ付き合いますので、誰とでも仲良くなれます。つまり「八方美人」なのです。これはとっても楽な生き方です。なにしろみんな友だちなのですから。
したがって、私は(ここがどうも伝わりにくいようですが)、人を「ほめること」は基本的にしません。友として大切なことは、欠点を指摘することですから。それで縁を切られたこともありますが、それはまあ仕方がありません。
人を信じて、裏切られたらどうするのか、と問われそうですが、信じた以上、裏切られることはありません。なぜなら、信じた以上はどんな結果になっても、私の責任ですから。相手には、そうせざるを得ない事情があったのですから、相手もつらい思いをしているはずです。これもなかなか伝わらないですが、そう考えると楽になる。なにしろ裏切られることがないのですから。

こんな感じで書いていくと切りがありませんので止めますが、つづいて「自分を信ずる」そして「来世を信ずる」話をしました。レジメをみてください。

そして次に、「生きる姿勢」。
これは一言で言えば、「生を楽しむ」姿勢を大事にしています。どんなことも、まずは楽しもうと心がける。哀しいことや苦しいことを楽しもうとするのは難しいですが、映画やドラマでの主人公の窮状を楽しむことを思い出してもらえれば、私の思いが伝わるでしょうか。これはこれまで何回かサロンで話した「複数の私」につながっています。
また「生を楽しむ」ためには、知っていることは実行することが大切です。何かをやると必ず何かが始まる。その中には、楽しいことも必ずある。

そして最後に、人それぞれの生き方を決めるのは、その人にとっての「一番大切なこと」だと思うが、それはいったいなんでしょうか、とここは私の話はやめて問いかけさせてもらいました。

こう書いてきて気づいたのですが、書くと話すとでは情報量が全く違いますね。私のレジメに込めた思いは、話した時にはそれなりに話し切れた気がしますが、書いてみると全く足りません。レジメをみて、私の思いを受け止めてもらえるとうれしいです。

レジメに沿っての話のあと、参加者各人から、それぞれの生き方に関する話をしてもらいました。
各人からの「生き方」の話は(なかにはあんまり関係ない話もありましたが、それも含めて)、とても私には興味深かったです。気づかされたこともたくさんあります。
でも気づきはそれぞれで違うでしょうから、中途半端に紹介するのは控えます。

最後に私からの問いかけの「人生において一番大切なこと」を話し合いました。
最近の世相では「おカネ」が出てきてもおかしくないはずですが、「おカネ」は全くできませんでした。
出てきたのは、「人のつながり」「いのち(自分の命だけではありません)」「希望」「誠実」「愛」「平安な日々(今日)」などなど。そして、「大切なことを探し続けること」という答えも最後に出てきました。
「血縁(家族)か仲間か」という話もありました。「大切な人を気にし、守る」ということに関連してです。
このテーマは、私はこれまでも何回かのサロンでテーマにしてきたつもりですが、人によって全く違うのではないかと思います。
答を出すつもりはありません。私には答はありますが。

そういえば、「信ずる」ということに関して、「エビデンス」ということも話題になっていました。私は、データなどによるエビデンスは全くと言っていいほど信じていないのですが、「エビデンス」を生きる拠り所にしている人は少なくないのかもしれません。しかし、その「エビデンス」をだれが提示するかで、「真実」は反転することもあります。私が信ずるのは「エビデンス」ではなく、「人そのもの」なのです。

ところで突然話は変わりますが、最近、NHKで「母の待つ里」というドラマが放映されていました。
https://www.nhk.jp/p/ts/L66351K8RG/
登場人物は、嘘を付き合っていますが、同時に、誠実に真実を生きているのです。
集落全体が、嘘と真実が重なるようにして存在している。
最近、フェイクとかファクトとか言われていますが、私にとってはいずれも同じようなものです。これもまた私の生き方のかなり大切な面なのですが、私が子どもの時代には、そんな社会がまだ色濃くあった気がします。
もし機会があったら、このドラマを見てください。
私たちの今の生き方を問い直すヒントがたくさんなるように思います。

ちなみに、「フェイクニュース」という言葉がありますが、フェイクでなかったニュースなどあるはずがないというのが私の考えです。「ファクト」は人によって違うからです。いつかこのテーマのサロンもしたいですが、関連したサロンを近々スタートさせます。気づかれないように。

最後は脱線してしまいましたが、もし自分の生き方を題材にサロンをやりたい方がいたら、ご連絡ください。
「私の生き方」サロンの2回目を企画させてもらいます。

 

| | コメント (0)

2025/09/24

■CWSライブラリーの推薦図書を新たに20冊増やしました

CWSライブラリーに新たに20冊を加えました。
貸し出しルールも少しずつ整理していますので、ご活用ください。
月に1回のブックカフェは、10月17日を予定しています。
サロンの前に読書タイムとして、会話禁止のディオゲネスサロンも開催します。

年内にはCWSライブラリーの中の1冊をとり上げてのサロンをスタートさせますのでよろしくお願います。
みんなに読んでほしい本があれば、ぜひご連絡ください。

021 『東京シューレ学園15周年記念誌』(学校法人東京シューレ学園〔木村沙織提供〕
022 『茶色の朝』(フランク・パヴロフ 大月書店)〔主原三栄提供〕
023 『有機農業ひとすじに』(金子美登・友子 創森社)〔金子友子提供〕
024 『花と機械とゲシタルト』(山野浩一 小鳥遊書房)〔岡和田晃提供〕
025 『伝えつづける被爆者の願い』(東友会)〔升田淑子提供〕
026 『想像力と構想力』(半田智久)〔半田智久提供〕
027 『第三の人生』(A.デーケン 南窓社)〔鈴木章弘提供〕
028 『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎 新潮文庫)
029 『よみがえる美しい島』(大川真郎 日本評論社)〔大川真郎提供〕
030 『創造論者vs無神論者』(岡本亮輔 講談社)〔菅沼喬提供〕

031 『プルラリティ』(オードリー・タン&E・グレン・ワイル サイボウズ)〔竹形誠司提供〕
032 『伽藍とバザール』(エリック・スティーブンス・レイモンド 光芒社)〔竹形誠司提供〕
033 『農はいのちをつなぐ』(宇根豊 岩波ジュニア新書)〔佐藤修提供〕
034 『死者とともに生きる』(一条真也 産経新聞出版)〔一条真也提供〕 
035 『月の裏側』(レヴィ=ストロース 中央公論新社)〔竹形誠司提供〕
036 『病原体から見た人間』(益田昭吾 ちくま新書)〔益田昭吾提供〕
037 『音のない記憶』(黒岩比佐子 講談社)〔黒岩比佐子提供〕
038 『脱原子力 明るい未来のエネルギー』(折原利男編著 新評論)〔折原利男提供〕
039 『民主主義』(文部省著 西田亮介編 幻冬舎新書)〔佐藤修提供〕
040 『日本は中国で何をしたか』(日本中国友好協会編)

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6519:朝、5時に起きました

節子
今朝は5時に起きました。

最近、生活リズムがいささか狂っていました。
社会に合わせて、私自身もどんどん崩れていくようでしたが、社会はともかくまずは自分の生活を質そうと昨日改めて思いました。
昨日のサロンに参加したある人が、体調不良に苦しんでいるが、まずは今日1日をしっかり生きることにしたと言ったのに諭された気がします。彼女は今日は湯島のサロンに行くことを目標にして、それを何とかクリアできたと言ってくれたのです。
最近、私の生き方は崩れていました。だから体調も悪く気力も出ないのかもしれません。
昨日はもう一人の友人から、私の投稿する文章は挑発的で、それを読んだ友人が、「この人、大丈夫?」というようなことを言っていると話してくれました。

生活の乱れは、身心を通して、言動にも、そして文章にも表れているのでしょう。いかに素直に生きることを信条にいているとはいえ、みっともない話です。
今日から一つひとつ、生活リズムを取り戻そうと思います。
今朝は5時起床。私の好きな朝やけをしばらく見ていました。
自然に従って、もっと素直に生きたいと思います。

昨日のサロンに参加してくださった皆さんに感謝します。
自分には見えないことがたくさんある。
それを気づかせてくれる友人たちには感謝です。
9日ぶりのサロンで、体調不良から抜け出せそうです。のどの痛みも無くなりました。

 

| | コメント (0)

2025/09/23

■みんなが「自然のままに」生きられる社会をめざしたい

私はすべての人は、自然にあれば、本来、邪気のない心やさしい存在だと確信しています。
しかし、残念ながら、人はなかなか「自然のままに」は生きていけない。
そのため、時に悪さをしたり、他者への心優しさを忘れたりしてしまうことがある。
私自身がそうですから、きっと他の人もそうだと思っています。

問題は、「自然のままに生きる」ことが、簡単ではないということです。
一人ではできないし、自然に支えられないと難しい。
でも、おそらくみんな、自然に生きたいと思っている。
つまりみんな本当は、心やさしく生きていきたいと思っている。
そう考えています。

NHKのドラマ「母の待つ里」を観て、その考えを改めて確信しました。
https://www.nhk.jp/p/ts/L66351K8RG/
そして、本来の「自然の生き方」は、実はそう難しいことではないのではないかと気づきました。
自然に生きるには、自分に素直になって、自分を思い切り他者や自然に委ねれればいい。
それだけなのではないのか。
小賢しい主体性など持たなくても、自然になれば主体性は自然と出てくる。
これは、妻を見送った後に、私が行き着いた生き方です。10年以上かかりましたが。

昨日は時間がたっぷりあったので、録画していたこのドラマの最終回をまた見てしまいました。
最後の演出意図はあまり理解できませんでしたが、なんだか「彼岸での生活」をみているような気がしました。あったかい。
きっとまた見たくなりそうなので、録画は残しておくことにしました。

このドラマを見た人、もし気が向いたら湯島に話に来ませんか。
今日のサロンでも参加者に声をかけてみようと思います。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6518:秋に向けての決意

節子
最近、リズムが壊れてしまっています。
生活の私なりの健康法も、ほぼすべてが止まっています。
残っているのは朝のニンジン・リンゴジュースくらいです。
体調の悪さはそのせいでしょうか。

今日もまた寝坊してしまいました。
起きたら7時。
畑はおろか、入浴もできない。
テレビ体操も終わっている。
困ったものです。

バッタとドジョウ、メダカは元気です。
まずは彼らに挨拶。
いや、その前に、もちろん節子への挨拶と大日如来との約束の確認は忘れてはいませんが。

毎朝、大日如来に向かって、世界中の人たちの幸せを願っています。
その時に、いろいろな人の課を思い出します。
毎朝、10人近い人の顔を思い出しますが、なかにはこの数か月、連絡が取れない人もいる。
節子が知っている人もいます。大日さんに頼んでも、その安否は教えてくれません。
私と同世代であれば、いずれまた近いうちに会えると思うのでいいのですが、中には若い人もいる。
祈りが届くといいのですが。

さすがに秋らしくなってきました。
節子は秋と春が好きでした。
闘病中は、よくバス旅行につき合わされました。
新緑と紅葉が好きだったからです。
箱根にもよくつき合わされた。
節子がいなくなったからバス旅行はやめましたし、箱根もめったに行きません。
私が行けるのは、ユカとの奈良・京都だけになってしまいました。
それも冬です。

さてこの秋はなにをしましょうか。
その前に、生活のリズムを取り戻し、体調を整えなければいけません。

お彼岸なので、いつもはお墓に行くのですが、今年はまだ行けていません。
時間はたっぷりあったのですが、どうも行く気がしない。
そういう時には、気分に素直に従うのがわつぃの生き方です。

今日は久しぶりの湯島です。
8日ぶりです。
サロンの前に人と会うので、10時には着いていないといけません。
明日からはまた早寝早起きに戻します。
健康法も少しずつ取り戻します。
なにしろ、後4年、在世で生きていくことにしましたから。

| | コメント (0)

2025/09/22

■節子への挽歌6517:畑作業療法

節子
どうもすっきりしません。
もう一度、畑作業療法に行こうと思いながら、どうも行く元気がでない。
なにしろ畑の状況がよくなく、居場所がないのです。
琉球朝顔が畑を覆ってしまっている。

結局、午前中はうじうじと部屋でテレビを見たり本を読んだりドジョウを見たりして過ごしました。
午後なんとか出かけました。
一昨日蒔いたニンジンはまだ芽が出ていません。
それよりもそこに何やら動物の足跡があるのです。
犬や猫は入っては来ないでしょう。
ハクビシンでしょうか。

畑には行ったものの、やはり居心地が悪く、30分で帰ってきました。
体調を整えて、来週から畑作業復活にしようと思います。

| | コメント (0)

■映画『ひろしま』を観る会報告その2

映画『ひろしま』を観て、話し合うサロンの報告の続きです。
昨日、話し合いの内容には触れない報告を投稿しましたが、やはり話し合いのことを少し報告したいと思います。ちょっと元気が戻ってきましたので。

映像に描かれた被爆後の惨状に関しての全体的な印象としては、よくここまで描いたという感想と同時に、原爆投下のすさまじさは描かれてないという声もありました。
当時はまだ、被爆の意味や情報があまりわかっていなかったでしょうし、米国からの制約もあったでしょう。にもかかわらず、9万人近い広島市民が出演したというのも驚きです。思い出したくなかったでしょうに。
しかし、人間が実際に演じながら描くことには限界があったはずです。
だからこそ、丸木夫妻の「原爆の図」が描かれたのです。

この映画のもとは、子どもたちの手記集です。大人たちが忖度し隠蔽するなかで、子どもたちは身心で事実を示してくれ、それが映画制作の大きな力になったのではないかと推察しますが、サロンでは福島原発事故後の子どもたちの甲状腺がんの話題もちょっと出ました。それを聞いて、学校も先生も、そして社会も変わってしまったのかな、とつい思ってしまいました。

第五福竜丸展示館でボランティア活動をしている黒田さんが、制作の背景を少し話してくれました。制作費は4,000万円(今の5億円余り)だったそうですが、その半分以上は制作主体になった日教組の組合員(学校の先生たち)のカンパだったそうです。残りは全国からの寄付。経済的にはまだ貧しかった時代によく集まったものです。子どもたちと接している先生たちの思いが、社会を動かしたのでしょう。

この映画が公開された翌年に、第五福竜丸被曝事件が起こり、それを契機に、杉並区の女性たちが中心になって、水爆実験に反対する原水爆禁止署名運動が始まります。
黒田さんからも紹介がありましたが、1955年にはアインシュタインや湯川秀樹など世界の科学者が、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表。原水爆への関心が世界的に高まっていきます。

こうした状況にもかかわらず、なぜかこの映画は大きな動きを起こさなかったのです。
核兵器反対への動きは広がっていきますが、一つのうねりにはなりませんでした。これに関しては、先日のSUN10ROサロンで話題になった黒澤明の映画「生きものの記録」に関しても言えることです。
せっかく被爆者を含む9万人近い広島の人たちと全国の子どもたちと接点を持つ先生たちが思いを込めて取り組んだのに、流れは変えられませんでした。
たぶんそこに「政治」が入ってきたのでしょう。さらにまた、広島の市民ほどには、他の地域の人たちには「自分の問題」とは思えなかったのでしょう。余裕がなかったのかもしれません。

そして、1955年には原子力基本法が成立し、原子力の平和利用へと動き出すのです。
核兵器と原子力発電とは英語ではいずれも“nuclear”が使われますが、日本語では別々の言葉が使われるため、なかなかつながりません。しかし、福島の原発事故で明らかになったように、両者は本来同じものです。「平和利用」という表現がありますが、原爆投下もアメリカでは「平和(戦争終結)のため」とされていました。
言葉に騙されてはいけない。そんな話もサロンでは出ました。

いろんな話の後、この映画を観て私たちには何ができるだろうかという話になりました。
湯島のサロンでは、知識を得るのではなく、行動につなげていくことを大切にしています。知識は行動に移さなければ意味がありません。「知った者の責任」もある。

被爆体験の事実を多くの人に知ってもらうこと、そしてそれに関して、思いをぶつけ合うことが大切ではないか。何ができるかをそれぞれが考え、自分のできることを身近なところから始めるのがいいという話もありました。
たとえば、この映画の存在を友人知人に知らせるだけでもいいでしょう。それならだれにでもできる。できることはいろいろある。

0000_20250922175401

最近は、核兵器で安全保障や平和を手に入れようとか、経済成長のために原発を増設しようなどという意見の人が増えてきています。ヒロシマもナガサキも、フクシマも、第五福竜丸も、みんな忘れてしまったのでしょうか。

ぜひみなさんにもこの映画を観てほしいと思います。
そして周りの人と話してみてほしいです。
話す人がいなかったら湯島に話に来てください。
もしみんなで、核兵器や原発に関して話し合いたいという人がいたら、サロンを企画しますのでご連絡ください。

映画『ひろしま』は下記のサイトで自由(無料)に見られます。
まだの方はぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=O66BcBeoSj8

 

| | コメント (0)

2025/09/21

■節子への挽歌6516:念ずれば実現

節子

最近、高くなったので果物が食卓から消えたと書いたら、急に果物が増えました。
シャインマスカットやメロンが登場したのです。
まさに念ずれば実現する、です。

シャインマスカットはユカが買ってきてくれました。
メロンはジュンがもらったもののお裾分けです。
そして昨日、思ってもいなかった人からナシが届きました。

もちろん私が果物が欲しいと書いたからではありません。
みんなそれとは関係なく、起こったことです。

念ずれば実現。これはこれまでも何回も体験しています。
実に不思議なのですが、思っているとなぜか実現する。
そういう体験は少なくありません。

もちろん実現しないことの方が多いことも間違いありません。
節子に奇跡は起きませんでしたし、3000万円欲しいと思いながら宝くじは当たりません。
にもかかわらず、時に実現するのです。

節子のおかげでしょうか。

| | コメント (0)

■映画『ひろしま』を観る会報告

広島市民が中心になって制作した映画『ひろしま』を観て、話し合うサロンは、満員の盛況でした。
やはりこの映画を観た人は少なかったようです。
00000_20250921142901

案内でも書きましたが、この映画は、広島で被爆した子供たちの手記集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』を原作として、昭和28年に日本教職員組合(日教組)が中心になって制作・公開された映画で、広島市民約8万8,000人がエキストラとして参加して作られました。
当時の状況を考えれば、この映画が制作されたこと自体が驚きですが、アメリカの圧力もあったのだと思いますが、一般の公開は行われずに、核兵器反対運動にもあまりつながっていかなかったのが残念です。

今回はあえてみんなで一緒に観るというスタイルをとりましたが、この映画はyou tubeで自由(無料)に見られますので、もしまだ観ていない方は、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=O66BcBeoSj8

映画をみんなで観た後、話し合いました。
いろんな話題が出ました。

そうした話し合の内容をきちんと報告したいと思っていたのですが、どうもうまく書けません。参加したほかの人にも感想を聞いたりして、何とか書こうと思ったのですが、やはり書けません。書こうと思うと、どうしても心が波立ってくるのです。

原発を再稼働させ、核兵器保有まで受け入れようとしている最近の世論には心穏やかにはいられません。それとこの映画とどう関係あるのかといわれそうですが、今の世情を見ると、こうした先人の努力は何の役にも立っていないのではないかとむなしくなるのです。
そして、映画を観ての思いの話し合いも、結局は無駄になるのかという思いから抜けられません。文字にしてしまうと、それで終わってしまうような気がするのです。
しかし、報告を書けないままにずるずる伸ばすのはよくないので、報告が書けないことを報告することで許してください。

しかし、我田引水ですが、うれしいこともありました。
初めて参加してくださった方が、こういう、思ったこと感じたことを何でも自由に話せる場所があることは大切なことだと言ってくれたことです。
また、別の人は、湯島に来ると「知る」ことでわかってくることがあるので、ここは貴重な場所だ、と言ってくれました。
サロンを続ける支えになります。

報告は書けませんでしたが、もしお時間が許せば、ぜひ映画『ひろしま』を観てください。そして話したくなったら湯島に来てください。
さらに、もしできれば、この春出版された古関彰一さんの『虚構の日米安保』(筑摩選書)を読んでください。

おかしな報告ですみません。
この夏は疲れました。暑さのせいだけではありません。
次回からまた元に戻します。

| | コメント (0)

2025/09/20

■節子への挽歌6515:畑にニンジンのタネを蒔いてきました

節子
昨日から急に涼しくなりました。
畑に行かないといけないのですが、どうも体調がいま一つです。 
喉の痛さは治らず、身体も気のせいかだるい。でも熱はない。
相変わらず今日もどことなく元気が出ない。

そこで二択問題です。
「医者に行く」か「畑に行く」か。
畑に行くと治るか症状が悪化するか、いずれにしろ変化が起こるでしょう。
お医者さんでは、暗示にかかるだけで、変化は起こりにくい。
それで畑を選びました。といっても決断力も無くなっていて、行ったのは午後2時。
目的はニンジンのタネまきです。ニンジンのタネは蒔いたあとに雨が降らないといけないというアドバイスを思い出したのです。
それにキリギリスへの声がけとバッタを2,3匹連行することにしたのです。

ところが畑に向かいだすと、もう雨が降り出した。
まあったく困ったものです。
でもまあ大したことはないので決行。
まずは何とかニンジンのタネを蒔くところをつくり、面倒なので適当にタネをばらまいてしまいました。

それからバッタ探しですが、驚いたことにバッタがいないのです。
キリギリスの気配はありませんし、放したのはメスなので鳴きはしませんから、わかりようがない。会いに来るのを期待するしかない。
いつもは草を分けてはいるとバッタが飛び跳ねますが、今日はそれがない。
急に寒くなったのでみんなダウンしてしまったのでしょうか。

何とかショウミョウバッタの子どもを3匹連行しましたが、自然は実に見事に反応します。
また暑くなるでしょうが、そうしたら鳴く虫を探しに行こうと思います。
部屋に生き物がいないとさびしいです。

家に着いたら雨が本格的に振り出しました。
身体からの汗も噴き出した。
さて、明日は治るでしょうか倒れるでしょうか。

| | コメント (0)

2025/09/19

■節子への挽歌6514:心を少し入れ替えます

節子
今日は秋の涼しさです。
陽射しが恋しいほどです。
こういう日は本当は畑作業日なのでしょうが、私の場合はいく気がしません。

ところで今日、気づいたのですが、昨日からこのブログへのアクセスがまた急増しています。理由はわかりません。まあ時々起こる現象です。
このブログも、以前は時評編に挽歌編にしろ、それなりのメッセージ性を目指していましたが、今では気楽な書き流し状況になっています。
そのためアクセス数も少なくなってしまいましたが、それでもこのブログに価値を見出してくれている人が2人います。
何とかしてこのブログ記事を残したいと言ってくれているのです。
そういわれると、もう少し真面目に書かないといけないと思うのですが、そう思うのは2、3日で、すぐまた気楽な書き流しスタイルになってしまいます。
困ったものですが。

時評編は、この頃はほとんど書いていませんが、正直、最近は社会の動きについていけなくなっているのです。
というか、マスコミ情報からはほとんど何の情報もえられない。正確に言えば、私の心身がほとんど反応しないのです。
たとえば今、自民党の総裁選挙が話題になっていますが、そこに何一つ、事実を感じないのです。今話題の人が、総裁になるなどというのは、冗談にしか思えない。
そんな感じなので、時評編も書けないのです。

しかし、私のブログを読んでくださる人がいるのであれば、こういう投げやりの姿勢はよくない。
ブログに対する姿勢も変えなければいけません。

暑さにかまけての怠惰な生き方は、変えようと思います。

| | コメント (0)

■『虚構の日米安保』(筑摩選書)をお薦めします

10年前の今日、参議院本会議において、安保法案が採決されました。
安保法制に関しては、反対のための国会前の集会にも多くの人が集まりました。
私も何回か通いましたが、あれから10年、日本はますます立憲主義から外れてきている気がします。

日本には、実質的な意味での憲法はないとか、日本は立憲主義国家ではないという議論は、以前から広がっています。湯島のサロンでもよく話題になります。

古関彰一さんの『虚構の日米安保』(筑摩選書)を読みました。
「安全保障」と「憲法9条」と「日米安保条約」を一体のものとして論考している本です。「安全保障」に対する考え方がずれたまま、日本政府とアメリカ政府が構築してきた「日米安保の虚構」に気づかされました。

日本は立憲主義に立つ主権国家ではないという思いは、「統治行為論」を知った時以来、持っていましたが、そういう考えさえもが、騙されていた気がします。
考えさせられることの多い本です。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思い、紹介させてもらいます。

もし読後、話し合いたい人がいたらご連絡ください。
読んだ人を中心にしたサロンを開催したいと思います。

| | コメント (0)

2025/09/18

■節子への挽歌6513:ちょっとその気になると世界は動き出す

節子
この数日、のどに違和感があります。
最近のコロナはのどに来ると言われているので注意しなければいけません。
寝不足の上に、最近の暑さ続きで、身体の調子は正直あまりよくありません。

まあそんなこんなで、活動量は激減しています。
サロンも企画する気が起きませんし、地元でのあすあびサロンもどうも気乗りがしない。
今月はパスしようかなと思ったりしていて、案内もまだ出さずにいました。
あまりに無責任なので、コアメンバーに開催しようかどうか打診しました。
ふたりから、参加できるかどうかわからないができるだけ参加するのでという返信が来ました。
それに押されて、早速に案内を出しました。

サロンも報告も企画もさぼっていましたが、杉原さんが「人生の指針になるような話をしてほしい」と冗談で言ってきたのを真に受けることにしました。
それで、「楽な生き方のすすめ」をタイトルにしたサロンを来週やることにして、案内を出しました。
驚くことに案内を出した直後に3人から参加すると言ってきました。

そのうえ、さらにとんでもないメールも来ました。
講演依頼です。
まあこれは断るつもりですが、なんだか、ちょっとその気になると世界は動き出す。
そんな感じです。

のどの痛みは気になりますが、この数日、変化はありません。
しかし、発熱するわけでもない。
さてさてコロナ風邪でないとすると、何でしょうかあ。
発熱しないとむしろ心配です。
困ったものですが。

 

| | コメント (0)

■9月オープンサロン報告

報告が遅れました。最近の暑さでちょっとダウン気味です。

9月12日開催のオープンサロンは、なんと10人以上の人が参加。しかも、オープンサロン初参加という人も数名いました。
Opensalon2025090000000

オープンサロンは、いつもはテーマもなく散発的な話し合いで気楽に終わるのですが、今回は最初から最後まで「教育問題」で盛り上がっていました。
あんまり盛り上がっていたので、内容はもう忘れてしまったのですが、定刻を過ぎても1時間以上も話し合いは終わりませんでしたので、きっといろんな話題があったのでしょう。あんまり覚えていないのですが、私も挑発に乗せられてまた言わずもがなのことを言ってしまった気がします。

今なお「いい学校・いい会社」信仰が残っているような話もありましたが、そもそも、その「いい」ということの意味が大きく変わってきているのに、どうして大人世代は気がつかないのでしょうか。
「いい学校・いい会社」と言っている人は、たぶん自分では何も考えていないのでしょうね。「いい人生」、それも当人にとっての「いい人生」こそが大切なのに、「いい学校・いい会社」に所属すれば「いい人生」が得られると思っているとしたら、もう最初から結果はみえています。
いつもこういう話し合いは、肝心の最後まで行きません。
一度、「いい」とは何かを徹底的に話し合うのもいいですね。

今回もまた及川さんが、ある人?が間違って大量に買ってしまった「歯間ブラシ」をたくさん持ってきてくれました。まだ湯島に残っていますので、欲しい人がいたらお申し出ください。

来月のオープンサロンは10月10日(毎月第2金曜日)です。

| | コメント (0)

■湯島サロン「楽な生き方のすすめ」のご案内

急にサロンを開催することにしました。
それも私が少し話題提供して話し合うサロンです。
実はある人から、「人生の指針になるような話をしてほしい」と頼まれたのです。
以前は、毎年、年末に1回、私の私見を話すサロンを開催していましたが、どうも退屈そうなので止めていましたが、たまには私の考えを話すサロンがあってもいいかと思ったのです。
そういえば、今月は、サロンをあまり企画していないので、ちょうど来週はサロンがありません。そこで急遽、思い立ってのサロンなのです。

テーマは「楽な生き方のすすめ」です。
あまり人生の指針になるような話ではありませんが、私の最近の生き方を紹介し、みなさんに叩かれようと思います。
「楽に生きる」というと、不真面目な、と叱られそうですが、私の生き方はたぶん戦争のない社会につながるはずです。
佐藤さんだからできると言われそうですが、誰でもできる生き方です。
保証します。但しその結果の責任は負いかねますが。

楽な生き方をしている者が企画したサロンなので、内容はあまりないかもしれません。
冒頭に、私が大切にしている「信条」を3つほど話して、後はみんなでの話し合いです。
できれば参加者のみなさんからも、自分が大切にしている「信条」を紹介してもらえるとうれしいです。

お時間が許せば、遊びに来てください。
思い付きに付き合わせてすみません。

〇日時:2025年9月23日(火曜日/秋分の日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:楽な生き方のすすめ
〇話題提供者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

2025/09/17

■節子への挽歌6512:日本は立憲主権国家か

節子
久しぶりに本にはまってしまいました。
古関彰一さんの『虚構の日米安保』(筑摩選書)です。
「憲法9条」と「日米安保条約」を一体として論考したものです。
とても示唆に富むもので、私自身の見識の狭さと浅さを思い知らされました。

日本は立憲主権国家ではないと思っていますが、ある意味では、したたかな「立憲主権国家」として日本政府は動いてきたのかもしれません。
この本を読んだら、もっと戦後の歴史を知りたくなってきました。
読みたい本が次々に出てきます。

困ったものです。

 

| | コメント (0)

2025/09/16

■節子への挽歌6511:秋なのに果物がない

節子
最近わが家には果物がありません。
朝食後、ユカに今日は果物がないのかと訊くと、果物は高いので買えませんということが多くなってきています。
果物だけではありません。
夏にはトマトかキュウリは、毎朝、食べたいですが、これもあまり出てこない。
どうもこれも高いからのようです。
わが家の食生活はどんどん貧しくなっている。

食べものが高くなるのはいい面もあります。
私は駄菓子が好きなのですが、最近はこれも高くなって来て早々買えません。
依然はふんだんにあった駄菓子も最近は自宅にはほとんどない。
だから間食が減ってきたのです。
これはいいことです。

そういえばコーヒーも急激に値上がりです。
この1か月で倍になっている。
そのうち、コーヒーも飲めなくなるかもしれません。

テレビでよくやっている食関係の番組を見ていると、我が家の食生活がいかに貧しいかがわかります。
でもまあ、貧しいことはいいことです。時々食べる果物がとてもおいしい。
昨日はサンマを焼いてもらいましたが、サンマさえもがおいしい。
キュウリ一本の丸かじりが幸せをくれます。

明日は果物があるでしょうか。

| | コメント (0)

2025/09/15

■節子への挽歌6510:「力は不知にあり」

節子
今日は湯島で、映画『ひろしま』を観る会を開催しました。
やはりまだ見たことのない人が多く、暑い日にもかかわらず15人ほどの人が集まりました。
女性が多かったのも印象的です。

その報告は時評編でまた書きますが、そこでの話し合いを聞いていて、こういう場があまりないという人が多いのに驚きます。
今回も初参加の方がいましたが、盛んにこういう場がないのが問題だと言っていました。
その人は大学の教授ですのでその気になれば簡単に作れるはずですが、なぜかつくらない。

私がこういう場をつくろうとした原点は、もしかしたら節子との会話にあったかもしれません。
節子は好奇心が強く、結婚した頃も政治や経済に関していろいろと話しあいをしてきたのです。
そして節子と話していると、私も単なる「書籍上の知識」だけでは節子を説得できないことを知りました。専門知識が歩かないかで問いかけ方違ってきますが、知識があればあるほど、問いかけが知識的で無意味になっていくことも節子との話し合いで気づかされたことかもしれません。
節子と会うまでは、「知は力なり」と確信していましたが、「力は不知にあり」と考えるようになったのです。

知識は得れば得るほど、不知の世界が広がっていく。
読書意欲がまた戻ってきました。
秋が近づいているのかもしれません。

| | コメント (0)

2025/09/14

■節子への挽歌6509:むさしの森珈琲のパンケーキ

節子
ユカがにことパンケーキを食べに行くと言います。
どうも前からの約束だったようです。
ちょうどお昼になったので、お昼もついでに食べてくるそうです。
お昼だと付き合わないと私は昼食を食べ損ないかねません。
そこで一緒に行くことにしました。

守谷のむさしの森珈琲のパンケーキです。
着いたら、あまりにも混んでいるので驚きました。
6組も待っているのです。
ユカと2人だけなら、帰ろうと言うのですが、今日はにこも一緒で、私はくっついてき
我慢して待つことにしました。
それにしても、どうしてこんなに混んでいるのでしょうか。
パンケーキが2,000円? 私には考えられませんが。

パンケーキはやめて、デザートにしました。
メインはハンバーガーを食べました。
パンケーキは柔らかすぎて 私好みではありませんでした。

食事が終わったら、にこが、このカードを持ってきたと言って、「いつでもなんでもプレゼント券」を出しました。前にあげたものです。
547441474_10214306833740612_596708101892
それで何が欲しいのかと訊きました。
ともかく「なんでも」ですから、欲しいものはなんでも受けなければいけません。
金額は無制限なのです。
ちょっと心配しましたが、でてきたのは「シールが欲しい」というのです。
それもあるお店のシールという。
ところがそのお店の名前がわからない。
しかし「なんでも」ですから、探さなければいけない。
いろいろと考えてにこがやっと思い出しました。
東我孫子のシャンブルというお店のシールだそうです。
方向が全く逆。むさしの森珈琲から車で30分。いやはや。

途中で卸してほしかったのですが、結局、付き合うことにしました。
所が欲しいシールが決まらないばかりか、お店の探索が長い。
私は車で寝ていました。

とまあこんな感じで、今日は朝から4時ころまでにこのお付き合いです。
疲れ切りました。

孫と付き合うのは大変です。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6508:小中学校科学作品展

節子
我孫子市の小中学校科学作品展が開催されているので、見に行きました。
にこがまた夏休みの宿題の科学工作で県の展覧会に出品されることになったそうです。
3年連続です。

にこは、私には教えないようにとジュンに言っていたそうですが、ジュンが説得居て、昨夜教えてくれました。それで今日、みんなで見に行くことにしました。

今年もまた磁石を使ったようです。
動きがあるのが評価されたのでしょう。
テーマは宇宙飛行でした。

2025_20250914201001

今日の作品展には、科学工作のほか、「標本」の部と「論文」の部があります。
その作品も見てきましたが、興味深いものもありました。

「標本」の部を見ていて、生物がどんどん少なくなっているのを実感しました。
私も子供の頃、蝶と蜂の標本づくりをしていました。
あのころと比べる、どうも昆虫の種類が激減しているのではないかと思います。
昆虫に代わって、カニや講渕の標本が多かったのが印象的です。

「論文」は感心しました。
タイトルだけしか見ていませんが、なかなか面白い。
論文の発表会をやったら面白いのにと思いました。
写真をふんだんに使いながら、見事なレポートに仕上げています。
私の時代は手書きがすべてでした。
人でにぎわっていましたが、知り合いには一人も出合いませんでした。

にこは工作がどうも好きで、標本や論文はあまり興味が内容です。

| | コメント (0)

2025/09/13

■節子への挽歌6507:『プルラリティ』読了

節子
ユカに頼んで、セカンドというリサイクルショップに行ってきました。
15日のサロンで外付けのスピーカーが必要になったからです。
驚いたのは、たくさんの商品が並んでいることです。
スピーカーはなんと990円で売っていました。
これで明後日の映画『ひろしま』をみんなで観る会は大丈夫でしょう。

ユカがついでに作業ズボンを見たらどうかというので、2階の衣料関係の売り場に行きました。広いうえにたくさんの商品があるのにまたまた驚きましたが、それ以上にお客様の多さに驚きました。
作業ズボンはあまりにたくさんあったのとサイズ表示がよくわからないので結局、購入はやめましたが、500円のものまでありました。
日本も、シェアエコノミーが広がっているようです。
もうじき、おカネがなくても生活できるような社会が実現しそうです。

今日はセカンドに買い物にくるまで、オードリー・タンの「PLURARITY」を読んでいました。なんとか完読しました。ちょっと期待外れでした。それにどうも彼らの理念である「プルラリティ」という概念がよく理解できませんでした。あまりにも当然のこと過ぎて。それに著者たちはやはり技術しこが強く、テクノクラシーと結局は同じではないかと思ったりしました。たぶん私の理解が浅いからでしょう。

しかし、この数日、少し根をつめての読書でした。
いささか疲れましたが、なんだか読後の満足感がありません。

| | コメント (0)

2025/09/12

■節子への挽歌6506:ギフトになれる生活を目指したいです

節子
升田さんが薬膳弁当を買ってきてくれました。
最近、いろんな人が湯島での私の昼食を用意してくれます。
薬膳サロンをやってくれている新倉さんは、サロンの日は毎回、手作りの薬膳食を持ってきてくれます。食材の産地も分かっている、ふるさと薬膳食です。
鈴木さんは、時々、むすび権米衛のおいしい鬼木路を持ってきてくれます。これが実においしい。近くなら私も買いに行きたいのですが、御茶ノ水駅か本郷三丁目の交差点にお店があるのでわざわざは面倒です。
霜里農場の金子友子さんは来るときには必ず霜里のお米のおにぎりと地元の若者がつくっているパンを持ってきてくれます。

そして今日は増田さんの薬膳弁当。
いろんな人からご馳走になっていながら、私はお返しをしていません。
昔は、私もいろんな人にご馳走しましたが、お返しなどしてほしくなかったからです。
でもやはりご馳走になってばかりいると、何かやはり気になってくる。
まだまだ布施生活に成りきれていない。

でもいろんな人がギフトしてくれる。
ギフトに慣れなければいけません。

| | コメント (0)

2025/09/11

■節子への挽歌6505:キリギリスを畑もどき野原に放しました

節子
生物の不幸が続いています。
福島からの子キリギリスの大きい方が死んでしまいました。
せっかく連れてきてくれた岳史さんに合わせる顔がありません。

吉田さんからの雌のキリギリスにもまあん一のことがるといけないので、今朝、畑もどきの野原に放してきました。
その野原の写真を見て、吉田さんが話すにはいい場所だと言ってくださったからです。
いずれにしろ今回のキリギリス騒ぎは、飼いたいからではなく、我孫子に復活させたかったからです。しばらく自宅のケースで飼育し、野に放すつもりでした。
吉田さんがこのメスのキリギリスは受精しているはずなので、卵を産むと言っていたので、しばらく家の容器で飼い、もしかしたらそこに産卵したら、それもいいと思っていたのです。
もう散乱したかどうかは和かいませんが、ともかく不幸続きのわが家に置いておくのはリスクが大きいので、今朝、放しに行ってきました。

さて来年は、家のケースか畑か、いずれかでキリギリスに出合えるでしょうか。
楽しみです。

今日は機嫌を直して、本を読みます。
明日までに読んでおかなければいけない本が2冊もあるのです。
しかも1冊は500頁以上の厚い本です。
半分ほどはもう読んでいるのですが、完読は難しい。
でもまあチャレンジです。
なにしろ昨日までは本を読む余裕などありませんでしたから。

| | コメント (0)

2025/09/10

■節子への挽歌6504:不機嫌がますます不機嫌になりました

節子
この数日、不幸?続きです。

そんな中、今日は病院です。
先日の前立せんがんの定期検査の時の血液検査で、クレアチニンの数値が高いので内科の診察を受けるように主治医から言われました。そして今日はその予約日でしたので、予約時間の保全10時前に病院に行きました。
ところがいつも以上の超満員。立っている人さえいます。
幸いに座れましたが、こんなこんでいるのは初めてです。

ところがそこから全く何の連絡もない。
1時間半経過したところで、あまりの退屈さから隣の人と話すことにしました。
その人は私よりも1時間前から来ているそうです。
一緒に来た伴侶(夫)はあまりに待たされるので、今はちょっとどこかに行っているそうです。
いろいろと話が弾んでいたら、伴侶が戻ってきました。さらに話は弾みました。
弾んだ話は、病気の話です。
みんな同じような病状なのです。
とても参考になる。

退屈はまぎれましたが、呼ばれない。
さらに1時間近くが経過。ようやくその人が呼ばれました。
そこで夫は付き添いで行くのではなく、私との話のほうを選ら浴びました。
その人も前立腺で苦労したようで、病院を転々としてここにたどり着いたそうです。
3時間ほど待ったのに検査はわずか数分。
戻ってきた後、また3人で話が盛り上がってしまいました。
でも私は呼ばれない。

さすがにそのご夫妻は帰りましたが、そこからまたしばらく待たされて、ようやく呼ばれました。
もう12時を過ぎている。
入っていくと私を見た医師が、「若いですね」という。
そしてパソコンに向かってなにかやっていたのですが、もう一度、きちんと検査をやらさせてください、10月はどうですか、という。
今年は猛暑だったので、前回の血液検査は異常値かもしれないというのです。
私もそう思っていたのですが、だからきょう再検査なのかと思ってきていましたが、2時間以上、待ったうえで、再検査の日を決めましょうと言われて、いささか唖然としました。同じ病院のなのに、医師の連携ができていない。
最近、いろいろあってあまり機嫌がよくないので、また余計なことを言ってはいけないと思い、素直に再検査日を決めましたが、内心、キャンセルしようと決めました。
それに血液検査は他の病院でもやっています。
まあ腎臓はもともと要注意と言われているので、気にすることはないでしょう。

それにしても今日の2時間半は何だったのか。

そのうちに2時間半経過
待合室で隣の夫婦との長話はいろいろ参考になりましたが、医師の話は全く内容がない。
病院は患者同士の情報・体験交流のばあにしたらいいなと改めて思ったほどです。

さて、今日はそれだけではありません。
その後また不機嫌になることがありました。
でもまあそれも不機嫌を外に出すのではなく、自制できました。
いや外に出す元気もないほど、不機嫌だったというべきでしょうか。」
ともかくキリギリスが戻ってこなかったのはショックです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「『伽藍とバザール』デジタル民主主義の源流」のご案内

以前から湯島のサロンでも、新しい経済や政治のあり方に関して具体的な提案をされている竹形さんから、『伽藍とバザール』のテキストを読んで、デジタル民主主義に関して話し合いたいという要請がありました。

『伽藍とバザール』。お聞きになっている方もあるでしょうが、ソフトウエア開発に関する2つのアプローチのスタイルを「伽藍」と「バザール」に対置しているのです。
簡単に言えば、マイクロソフト社に代表される、綿密に計画され管理された開発のやり方(伽藍方式)とリナックスの開発に代表される、みんながよってたかって自発的に作っていくというアプローチ(バザール方式)のことです。

1998年に発表された、エリックス・レイモンドの『伽藍とバザール』と題する短い論考が、その原点です。
どこかで聞いた言葉だと思って調べてみたら、当時、コミュニティ問題に関しても、この2つの方式が話題になっていたのを思い出しましたが、竹形さんも、この考えのなかにデジタル民主主義の源流を見るのです。
たとえば、台湾のオードリー・タンさんのデジタル民主主義や先の選挙で話題になったチームみらいの安野さんの主張も、その原点に「バザール方式」がある。

そこで一度、その原点ともいうべき『伽藍とバザール』をみんなで読んで、デジタル民主主義とは決して技術やシステムの問題ではないことを話し合えればと思います。
こう書くと何やら難しそうですが、要は、これからますます話題になっていくだろう「デジタル民主主義」について基本を学んでおこうという話です。

『伽藍とバザール』は今はネットで公開されているので、誰も無料で読めます。まさにバザール方式の基本でもあるオープンソースになっているのです。
次の青空文庫のリンクからフリーでダウンロードできます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000029/card227.html
短い論考ですので、ぜひ読んでからご参加ください。

竹形さんはこの論考に民主主義のエッセンスが詰まっていると考えているようです。決してソフトウエア開発だけの話ではなく、生き方や働き方、あるいは組織やコミュニティの作り方・育て方にもつながっています。
できればこれを入り口にして、竹形さんに「デジタル民主主義」をテーマに、勉強会的なサロンをお願いできればと思っています。

なお、「伽藍とバザール」、それにオードリー・タンさんの「プルラリティ 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来」の2冊は、竹形さんの提供で、CWSライブラリーに収められました。お読みになりたい方はご連絡ください。

〇日時:2025年10月11日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:『伽藍とバザール』デジタル民主主義の源流
〇話題提供者:竹形誠司さん(株式会社ヴェルテック代表/地域活動家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

2025/09/09

■節子への挽歌6503:キリギリス逃走

節子
またまた大変なことが起こりました。
メダカに続いて、今度はキリギリスです。

昨日の夕方、キリギリスに餌をあげようと蓋を開けたら、福島から来た子キリギリスがかごから取り出し、一瞬にして見えなくなってしまったのです。
まあよくあることなので、すぐに見つかると思っていたのですが、なぜか見つからない。
すぐに出てくると高をくくっていたのですが、でてこない。
まるで亜空間に飛び込んでいったみたいです。

しかし逃げたのは室内なので、楽観視していました。
しかし夜になっても出てこない。
夜、虫かごがある部屋に、キリギリス向けの餌を置いて、そこをスタンドで照らし続けるという作戦をとりました。
夜中に4回ほど、見に来ましたが、いない。

感が手見ると、本当にかごから飛び出したかどうかも危なくなってきた。
なにしろ飛び出したキリギリスを見ていないのです。
でもその後、かごの中にはいませんでした。
ちょっと大き目の兄キリギリスが食べたわけでもないでしょう。
となると、また亜空間?

今日は1日、行方不明になったキリギリス探しに追われました。
運良く、ベランダに逃げてくれていればいいのですが。

ところが、夕方、さらに事件です。
今度は消えてはいなかったのですが、メダカとは別の容器に入れていたドジョウが1匹を残して死んでしまっていました。
砂を入れて隠れやすくしていたのですが、ちょっと油断してしまいました。
メダカとキリギリスに気が向いていて、あまり声をかけていなかったのが原因でしょうか。

生きものと付き合うのは、気を抜いてはいけません。
昨日から気が動転していて、何をやってもうまくいきません。

| | コメント (0)

■第4回ブックカフェサロン「読書会の呼びかけ」報告

第4回ブックカフェサロン(9月7日)は、3人の方から読書会の提案がありました。

400000

まずは原川さんからはトマス・ゴードンの『ゴードン博士の人間関係をよくする本」をテキストにした、特に親子関係に焦点を当てたコミュニケーション力を高める読書会の提案です。主に親子関係に悩む人たちを対象に、3~6回ほどの連続。毎回、テキストの一部を材料に、できるだけ実例を出し合って話し合うスタイルを考えているよです。

原川さんはいま毎月、引きこもり当事者のサロン(毎月第4金曜日)をやっていますが、次回のそのサロンで話題にして、それも参考にしてスタートするそうです。
その話を聞いて、会社勤めをしていた男性シニアの地域社会の人たちとのコミュニケーションにも応用できるかもしれないという話もでました。

次は、仲谷さんからのハラリの『NEXUS 情報の人類史(上巻)』の読書会の提案です。
情報のあり方がいま大きな問題になっていますが、そういう状況にしっかり対処するために、情報(メディア・技術)の歴史を学びながら、情報への理解を深め、インターネットやデジタル機器の普及がもたらした功罪に注意を向けていきたいと仲谷さんは考えています。そのためにハラリの『NEXUS』は話の共通基盤をつくるのに適しているというのが、このテキストを選んだ理由だそうです。
9月か10月に、湯島では日本構想学会の西さんか半田さんに「情報の歴史」を概説してもらうサロンを予定していますが、その後でスタートすることになりました。

3番目は竹形さんからのデジタル民主主義関係の読書会の提案です。
これは早速に始めることになり、まずはデジタル民主主義の源流につながっているという「伽藍とバザール」を読むことになりました。
10月11日に開催します。

というわけで今回提案のあった3つの読書会サロンはすべてスタートする予定です。
しかし、CWSライブラリーの本はなかなか読んでもらえません。
仕組みを少し考えないといけません。
SUN10ROクラブの河村さんのおかげで、黒澤映画のDVDライブラリーもそろいだしています。場合によっては、ブックカフェサロンの前にDVD鑑賞会も今後考えたいと思っています。
来月のブックカフェサロンは10月17日(金曜日)を予定していますが、決まり次第ご案内させてもらいます。

| | コメント (0)

■漫画講座サロン「私のコミック遍歴史」のご案内

前から要望があったのになかなか実現できなかった漫画講座サロンが実現しました。
最近、湯島サロンに来てくださるイシモトタネオさん(スタジオDIG 代表取締役)が引き受けてくださいました。

イシモトさんは、コミックの編集にたずさわって30年以上。その後独立し、コミック編集プロダクションを経営。電子書籍の編集やドキュメンタリー映像など、今は幅広い活動に取り組んでいます。

そのイシモトさんに、「“まんがを読むとバカになる”から半世紀、今や文化とまで言わしめている漫画の面白さ、変遷・多様性を紐解く」と題して、イシモトサンの漫画遍歴人生をお話ししていただこうと思います。

イシモトさんによれば、漫画といっても多義にわたり、膨大な作品、作家等々、とてつもない大きな海原なのでどこまでご紹介できるのかわからないが、ひとつの切り口として、子供の頃から夢中になって読んだ漫画作品、作家ふくめ、時代性なども絡めて、紹介することを通して、漫画の面白さ、変遷と進化、多様性などを紹介したいと言ってくださっています。
イシモトさんは、漫画以外の活字の仕事もやっているので、漫画業界の特殊性・ガラパゴス性も感じたりしているそうですが、そんな話も出てくるかもしれません。

また、表現されたもの、創作物はビジュアルなので、言葉だけでなく、原則的に読んでもらう、観てもらわないと話にならないということで、手元にある原画やコミックも現物を持参し、披露していただけるかもしれません。

あまりに内容が多いので、1回のサロンの枠内に収まるかどうか心配ですが、まあともかく一度やってもらおうと思います。
私もかつてはそれなりに漫画を読んでいましたので、とても楽しみです。

〇日時:2025年10月4日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:私のコミック遍歴史 (“まんがを読むとバカになる”から半世紀、今や文化とまで言わしめている漫画の面白さ、変遷・多様性を紐解く)
〇問題提起者:イシモトタネオさん(スタジオDIG 代表取締役)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

2025/09/08

■湯島サロン「人間にとっての時間と空間を考える」報告

細菌学の視点を基軸に、生物と環境の関係を考え、そこから社会の様々な問題を捉え直そうという益田サロンが、久しぶりに開催されました(2025年9月6日)。
今回のテーマは「人間にとっての時間と空間を考える」。

案内に書いたように、益田さんの問いかけは、次の通りです。
時間は空間と違って具体的なイメージを作ることが出来ない。
人の脳は時間を環境としたとき、空間という楽園から追放され、与えられた不可知のものだったことに気がついた。実際自分とはどこに居るかを考えてもイメージの対象になるのは空間でしかない。つまり身体しか自分とは思えない。しかし、時間を環境にしたことで、空間には身の置き所がなくなった。これは逆説ですね。時間は不可知なものとすべきかもしれません。

0000_20250908194701

今回はこれまでの益田サロンに参加したことがなかった人も数名参加しました。
益田さんは、人間の脳が欲を環境としたことから、人間は第4の次元の「時間」に出合い、それまで環境としていた「臨場的な」空間世界から時間軸によって変化する「想像的な」時空間世界へと存在を替えることになった。
時間に気づくと空間は動き出す。自らの居場所も、現在から自由に離れられる。但し、身は空間に置いたまま、だが。

食欲あっての自分、体あっての食欲、体あっての自分、というように、主体と環境は空間世界でも重層的に、フラクタルな構造をつくりだしているが、どれが「本来の関係」かを押さえないと正しい関係は見えてこない。そこを間違うと、環境あっての主体である主体が環境を壊すようにみえてしまい、対応を間違ってしまう。
そこに「時間」が入り込んでくると、主体と環境の関係はさらに複雑になるが、同時に、関係づくりの選択肢は広がる。主体のイニシアティブが高まるとも言える。
「存在」が変わってしまうという言い方もできるかもしれません。

いずれにしろ、時間概念を取り込むことによって、次元を一つ上げた世界の視点を手に入れ、空間世界の見え方が変わってくる。見る自分(意識・魂)と見られる自分(身・魄)とが分かれ、それぞれの時空間環境が変わってくる。

こうして人間は一挙に世界を広げたが、それはある意味で、「安住の地を追われ」、個々それぞれが思考する多様で不可知な世界で共に生きることを余儀なくされることでもあった。それを益田さんは、「空間にしか身が置けないのに、空間には身の置き所がない逆説」というのでしょうか。
いずれにしろ、空間に身を置いていても、気はそこにはないような、魂魄分離の状況が起こり、臨場的な不安とは違う、深い不安に襲われることになる。

以上は、益田さんの話と参加者のやりとりを私なりにまとめたものですが、あくまでも私の解釈なので間違っているかもしれません。
いずれにしろこんなような話し合がいろいろと展開したのです。

益田サロン初参加の杉原さんは、益田さんの視点が自分とは違って面白いと話されましたが、今回はまだ視点の違いが絡み合って展開していくところにまで行きませんでした。
益田サロンをずっと聞いていた私は、相変わらずの劣等生で、消化不足でした。
とりわけ最後に、益田さんが、楽園を追われた不安に立ち向かうために「ものづくり」に取り組んでいると話をされましたが、その「不安」が理解できませんでした。
どちらかと言えば、私は「時間」を手に入れたおかげで、過去にも未来にも自由に往還でき、量子力学のように多様な場に同時に存在できる感覚を持っています。「ものづくり」にこだわることなく、生きていることが「もの(がたり)づくり」なのです。

ホメオスタシスとか次元論とか、身心二元論など、話はいろいろと出ましたが、以上が私の勝手なまとめ報告です。もしできたら参加した人のフォローをお願いします。

「時間と空間」の本筋から離れた話を一つだけ。
益田さんが言及した「細菌学者の問い方」の話です。私だけではなく、鈴木章弘さんも、面白かったと言っていましたので紹介しておきます。

ジフテリア菌が「なぜWhy」ジフテリアを起こすかと考えたとき、それはジフテリア菌が毒素を持っているからだと言うのが細菌学者の答えだそうです。これは、正確にはWhyの問いへの答えではなく、Howへの答えです。
人間同士の殺傷事件で、凶器を話題にしているようなものだ、と益田さんは言います。
つまり、多くの細菌学者は細菌が生物であると言うことを本当は考えていない。細菌を生物と考えなければWhyは出てこない。生物が環境によって存在しているという認識が抜けている。ジフテリア菌が、自らを支える環境である人間の身体を壊してしまうのはなぜか、という問いへの関心がない、というのです。問題の捉え方が間違っている。私もそう思います。それでは何も見えてこないのではないか。

この問いは、とても興味があります。
細菌や毒素というと、何やら「悪質」なものと捉えてしまいますが、人体には常在菌と言われる、むしろ人体を支えるたくさんの細菌がいます。にもかかわらす、ジフテリア菌のように病気を起こすことがあるのは「なぜWhy」という問いは、人間社会にも当てはまる問いです。
そうしたところか、益田さんは、自殺や引きこもり、あるいは自然破壊などの人間の問題にも強い関心をお持ちです。
一度思い切って、なぜ人は自らにとっての支えにもなっている環境や自分の身体を壊すのか、をテーマにしてみるにもいいかもしれません。

益田サロンは、参加者それぞれが考えるのが目的です。今回もいろいろな気づきをもらいましたが、モヤモヤ感がますます強まった気もします。
まあ益田さんも同じかもしれません。
続きがあるかもしれません。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6502:メダカが消えた

節子

大変です。
水槽の3匹のメダカがいないのです。
昨日まで泳いでいたのに、お昼ごろ気が付いたら1匹もいない。
しかも遺体がない!

先週、にこのお土産の小さな川魚を1匹、メダカに同居させたのですが、それは元気です。
まさかこの小魚がメダカを食べてしまったわけはない。
メダカとほぼ同じ大きさですから。

不思議で仕方がない。
岩の陰にあるのかと思い、水をすべて出して確かめましたが、何もそれらしきものはない。
キツネにつままれたようで、頭が混乱してしまいました。
そういえば、以前も一度こんなことがあったような気がします。あるべきものが突然になくなった、以後、出てこなかったのです。

水槽のメダカは、私がいつもパソコンをしているところから見える場所にあります。
ですから時々、眺めては癒されていました。
それが突然消えてしまったわけです。

これも異常気象のせいでしょうか。
何かすっきりしないです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「なんで戦争が起こるのだろう(第2回)」のご案内

湯島サロンで、「戦争」が何回も取り上げられましたが、まだ開催を望む声があり、また開催することにしました。
できれば、しばらく休会している『茶色の朝』サロンへとつなげていければと思います。私には「戦争」が近づいているような気がしてならないからです。

できればきちんと過去の分析を行い過去に学びたいのですが、それよりも先に(常識とは逆ですが)みんなの気持ちの中にある「もやもや」を出し合いながら、まずはそれぞれの意識を自覚的なものにしていければと思っています。
そのために、参加者それぞれの「戦争観」や「戦争への姿勢」などを自由に話してもらい、そこから話し合いに持っていきたいと思います。

〇日時:2025年9月28日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「なんで戦争が起こるのだろう」(自由な話し合い)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2025/09/07

■節子への挽歌6501:4匹のキリギリスがやってきました

節子
キリギリスが4匹やってきました。

2匹は八王子から、吉田さんが連れてきてくれました。
吉田さんはお孫さんとよく虫取りに行くのですが、私のキリギリス願望を知ってから、わざわざキリギリス探しにいろいろと行ってくれているようです。
前回のキリギリスも吉田さんからの贈り物です。
今回は大きなメスが2匹。もしかしたらもう受精しているので、野原に放すと卵を産むかもしれないそうで、できるだけ早く私の畑もどきの草原に放す予定です。

もう2匹はなんと福島の大熊町から、やってきました。
3.11の後、ふつうは福島から避難しましたが、福島に応援ボランティアに行ったのを機に福島に移住した佐藤岳史さん(峰行の兄)が帰省すると聞いたので、もしいたらキリギリスを連れてくるように頼んだのです。
いつもはよくいるのだそうですが、あいにくの台風で、1匹しか見つからなかったそうです。ところが、実家に車で向かう途中、車中になぜかもう1匹乗っているのに気づいたそうです。つまりこのキリギリスは自分の意志でやってきたとも考えられます。まあそう考えましょう。
この2匹はまだ小さいので、私にはキリギリスかどうかも見分けられないのですが、バッタ類の成長は早いので、すぐにキリギリスらしくなるでしょう。

一緒にすると共食いになりかねないので、今は2つのケースに分けています。
大きなメス2匹は、それでも近づくと喧嘩しそうになります。
吉田さんはわざわざ2匹を別のケースで保管してくれていたのですが、ともかくみんな、今日はゆっくり休んでもらい、あすからどうするかを決めようと思います。

それにしても今年はキリギリスに恵まれました。
やはり「願いは口に出してみる」ものです。誰かが実現してくれる。

来年はもっと広範に呼びかけて、我孫子の野原にキリギリスを放していこうと思います。
よろしくお願いします。
キリギリスの鳴き声が我孫子に戻ってきたら、最高ですね。

 

| | コメント (0)

2025/09/06

■節子への挽歌6500:台風一過後のおだやかな朝

節子

台風通過の翌日と積雪の翌日の朝が、大好きです。
すべての邪悪なものがなくなって、世界が一変したような気がするからです。

1_20250906064301 2_20250906064301

新聞やテレビのニュースを見るまでのしばらくの間の平安を、今日はいつもより少し長目に取りました。
大日如来にも、いつもより少し長目に祈りを上げました。
いつもとは違い、今朝はわたし自身のこともお願いしました。
なにしろもう少し現世で生きることにしましたので、足の痛みとしびれを直してもらいたくなりました。わが家の大日如来に自分のことを祈るのは、何回目でしょうか。
大日さんは、きっとかなえてくれるでしょう。
そう思えるほど、静かで穏やかで、あったかな朝です。
まるで世界中すべての人が幸せな朝のように。

この気持ちを大切にしようと思います。

| | コメント (0)

2025/09/05

■節子への挽歌6499:台風のおかげで空気が変わりました

節子
台風です。
外は激しい雨です。
しかし、久しぶりの雨に自然が甦りそうです。
夕方には雨も上がり、おだやかな夕焼けでした。
たぶん明日から風景が変わるでしょう。
000000000

私は最近、足腰の痛さが続いています。
毎朝のテレビ体操も、毎日の筋力体操もやめてしまったこともあり、悪循環に入っています。さすがに整体か整形外科に行こうかとも思いますが、行ったら習慣化してしまうでしょうから、今のところは早く気力を取り戻してテレビ体操を始めたいと思っています。
新しい年の始まりを契機にするつもりでしたが、気が乗らず、まだ始めていません。

でも明日からは行けそうです・
空気が変わりましたから。

| | コメント (0)

■映画『ひろしま』を観る会のご案内

最近の湯島では「戦争」を話題にするサロンが何回か開かれています。
そのサロンでの話し合いを聞いていて、私たちはまだ核兵器について、あまりに共通基盤を持っていないのではないかと思い出しました。多くの人は、私もそうですが、言語知識でしか被爆の実態も原発被曝の実態も知りません。

みなさんは広島市民が中心になって制作した映画『ひろしま』をご存じでしょうか。
広島で被爆した子供たちの手記集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』を原作として、昭和28年に日本教職員組合(日教組)が中心になって制作・公開された映画です。広島市民約8万8,000人がエキストラとして参加して作られました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%BE

あまりに生々しいため、私は一度観ただけで、もう見たくないどころか思い出したくない映画です。
でも、最近湯島で広島や長崎、あるいは原爆の話が出るたびに、みんなこの映画をどう思っているのだろうかと気になってきました。

そこでこの映画を観る会を湯島で開催します。
長いので観るだけで疲れると思いますが、がんばってその後、少しサロンしたいと思います。
いつもとはちょっと違ったサロンになると思いますが、よかったらご参加ください。

〇日時:2025年9月15日(月曜日/敬老の日)午後1時~4時半
   *いつもより1時間早いです。12時半開場です。
    サロンは午後3時過ぎから始まりますので、映画をすでに見ている方は3時過ぎに参加してください。
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:映画『ひろしま』を見て話し合う
〇サロン会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2025/09/04

■節子への挽歌6498:2人からのメッセージ

節子
昨日届いたメッセージの一つは、北九州市の上野さんです。
直接節子は話したことはないかもしれませんが、何回か湯島に来ているので一度くらいは会っているのではないかと思います。

もう20年以上前になりますが、北九州市に毎年行っていました。
新任課長研修の仕事です。
その何年目かの担当が上野さんでした。
上野さんは物静かな、しかし好奇心旺盛な人でした。
彼とは意見が一致することも多く、いろいろなことを話しました。
いまではもうあまり覚えていないのですが、記憶に残っている一人です。

もう一人、私のフェイスブックにコメントをくれたのが田辺大さんです。
日本のNPOにあり方にいささかの違和感を持っていた私が、住友生命から頼まれて、NPO支援プロジェクトの事務局をやることになりました。
その時に支援してくれた若手のNPO研究者の一人です。
いま彼はい飯田市に移住して、やはり市民k津堂支援の活動をしています。
その田辺さんが、私が「妻の命日にお墓参りに行った」という書き込みにコメントをくれたのです。
転載させてもらいます。

2007年の旅立ち以来のお気持ちを私も感じ続けている一人です。
ご夫婦で二人三脚でコムケアを生み出され、そのご恩が私も常に胸にあります。
なお4月に創設しました夢投資財団では賛助会員の会場投票制度があり、2003年のコムケアフォーラムの会場投票の光景がお手本となっています。
私たち民衆の知恵と良心を信じたいです。
遠く長野の飯田に今の私はおりますが、ご夫妻のお気持ちが各地に受け継がれていく一端を担えたらと、勝手に願ってございます。

以上です。いささか過大評価ですが、でもこういう思いを持ってくれている人がいることがとてもうれしいです。
あのコムケア活動も全くの無駄ではなかったと、ちょっと思えるからです。

北九州市との出合いもコムケア活動は、私の人生を変えました。
いろいろな人が支援してくれましたが、もう一度会いたい人もたくさんいます。
懐かしい思い出もたくさんある。
みんなに会いたくなっています。
ac

| | コメント (0)

■節子への挽歌6497:新しい年が始まります

節子
昨夜はやはり我孫子には雨がきませんでした。
相変わらずの寝苦しい夜でしたが、朝起きたら、もうすっかり秋です。
風が変わっていました。
精神的に喪に服す3日間が終わり、新しい年が始まる私には、実にすがすがしい朝です。

わが家には猫の額ほどの屋上空間があるのですが、久しぶりにそこでしばらく過ごしました。実に気持ちがいい。セミの声も鳥の声もしない。

昨日もまた20年ぶりに懐かしい友人2人からメッセージが届きました。
2人も多分節子も会っているはずです。
そうしたメッセージに出合うといろいろなことが思いだされる。
気持ちを変えて、今年は少し前に進もうと思います。

それにしても今朝は静かです。
まるで私のための朝のようです。

さて感傷にふけるのはやめて、動き出しましょう。
来週からまた湯島に通い出します。

| | コメント (0)

■第4回SUN10ROサロン『生きものの記録』報告

第4回SUN10ROサロン(8月30日)は、『生きものの記録』をとり上げました。
核兵器の下で人間は生活していけるものだろうか、という、現代の人間の生きる条件について問いかけた1955年公開の映画です。
話題提供はSUN10ROクラブメンバーでもある折原利男さん(ペンネーム:森沢周行)。折原さんは長年、核(核兵器・原発)廃絶活動に取り組んでいますが、最近、同人誌に「黒沢映画の今日性 核を射抜いた『生きものの記録』と『夢』」を発表しています。あらかじめ参加者にはお配りしていましたが、映画を観た後、それに関して少しお話してもらいました。
Sun10ro202508000000

折原さんの話は、同人誌に発表した論考を読んでもらえればと思いますが(ご連絡いただければデータで送らせてもらいます)、折原さんはそれに加えて、最近参加した『「サイレント フォールアウト」&「放射線を浴びたX年後」 伊東英朗監督 映画2作品上映/トークショー』の話と黒澤監督の映画『夢』(1990年公開)の話をしてくれました。
黒澤監督の映画『夢』には、原発爆発事故や放射能汚染された世界の話が登場します。

折原さんは最後に、NEWSWEEK日本版8月15日号に、「パキスタン陸軍参謀長が「我々は核保有国だ。国家存亡の危機に直面すれば、世界の半分を道連れにする」と演説したと報じられていることを紹介し、この映画の主人公の「不安」が、いよいよ現実のものになってきているのではないかと指摘しました。当時以上に危機は高まっているのです。

折原さんの話の後、河村さんが、折原さんの話への感想も含めて、『生きものの記録』にまつわるエピソードなどを話してくれました。
この作品は興行的には不人気だったのですが、黒澤監督は「一番好きな作品」だといっていたそうです。それに折原さんも書いていますが、ともかく黒澤監督にとっては、閻魔様にも胸を張れるような作品だったのです。
河村さんは、制作面でも、たとえば3台のカメラで同時に撮影する方式を採用したり、ドラマの進行中は音楽を使わず、物語が終わった後、真黒な画面のまま早坂さんの遺作の音楽をずっと流すなどの新機軸があったことを話してくれました。エンディングの音楽は実に不思議でしたが、あそこからいまのスタイルが始まったのかと、改めて黒澤監督の影響力を知りました。また、キャスティングでも30代の三船敏郎に70代の老人を演じさせた理由など、いつものように興味深い話も聞かせてくれました。

話し合いもいろいろ広がりました。
核時代の生き方に長年問題意識を置いて活動している本間さんからは、社会の認識はいまなお変わっていないどころか、みんな事実を見ないようにしているではないかという問いかけがありました。確かにいま私たちは、核に対する感覚を麻痺させているのかもしれません。

第五福竜丸展示館のボランティアをしている黒田さんは、なぜこの映画が当時立ち上がっていた核兵器反対の運動につながらなかったのか不思議だと発言しました。本当にそう思います。やはり黒澤監督の意識が飛びすぎていたのでしょうか。

いずれにしろ、今こそ黒澤さんのメッセージを受け止めて、みんな「事実」に目を向けないといけないというのが折原さんや本間さん、黒田さんの考えです。事実を知ればみんなもっと動き出すはずだというのです。
でも実際には多くの人は、そこから目を背けています。というよりも、受け入れやすい事実の方に目を向け、核兵器さえ受け入れだしている気がします。
最近、被爆や被曝の事実がたくさん出始めていますが、そうしたことへの接し方が間違っているのかもしれません。お話を聞いていて、そんな気がしました。

この映画は、しかし「核兵器の恐怖」だけを語っているわけではありません。
話し合いでも話題に出ましたが、見る人によっては、核兵器問題よりも主人公の言動にこそ「恐ろしさ」を感じたかもしれません。
主人公は、明治時代を思わせる独裁的な家父長的父親、今様の言葉を使えば「毒親」や「女性蔑視」の身勝手な人物です。
なぜこうした主人公に設定したのか、私には理解できませんが、たぶんまだこの映画がつくられた時代には、このタイプの父親が社会に許容されていたのでしょう。
ある意味では、この独裁的家族構造を基本にする社会は、核兵器の論理につながっています。黒澤監督がそこまで考えたかどうかはわかりませんが、核兵器はこの映画の主人公のような人にとって意味のある存在ですし、こうした人がいるからこそ、いつになっても廃棄できないのではないかと私は思います。
折原さんが紹介したパキスタン陸軍参謀長もそうした人の一人でしょう。

もうひとつは、正気と狂気の問題です。
主人公は最後は精神病院に入ってしまい、「平和」な生活を取り戻しますが、結局は彼が嘆いていた核兵器に不安を感じない多くの人の仲間になってしまったわけです。

映画の中にこんなシーンがあります。
精神病院に入った主人公の担当医が見舞いに来た人にこんな発言をするのです。

この患者を診ていると、なんだか正気でいるつもりの自分が妙に不安になるのです。狂っているのはあの患者なのか、こんな時世に正気でいられる我々がおかしのか。

サロンでも話題になりましたが、この発言は私たちにとっても決して他人事ではないでしょう。

もう一つ、私が感じたのは、知性と動物的直感の話です。知性を発達させることで人間は動物的直観を失いだしているのではないかというメッセージです。
この映画がつくられた時期にはまだ「核兵器」のことはあまり知らされていませんでした。実際に被爆した経験がありながら、日本人の多くもまた、被爆の現実に関する知識がありませんでした。
しかし今は違います。被爆者が語りだし、被爆後の写真も公表され出しています。福島の原発事故さえ起こっている。核兵器に関するいろいろな事実が見えてきているのです。
しかしにもかかわらず核兵器保有論までが語られ始め、選挙ではそういう主張が受け入れられ、原発は再稼働・増設へと動き出している。
つまり、ここでは知識や知性が、動物的直観を抑え込んで、狂気を正気に転じていると言えないでしょうか。
いまの私たちの言動とこの映画の主人公の言動と、どちらが狂気なのか。悩ましい問題です。

話を聞いていて、やはりもう一度、広島・長崎の被爆事実にきちんと向き合わなければいけないと思いました。
そこで、広島市民たちがつくった映画『ひろしま』を観る会を企画することにしました。
SUN10ROサロンからスピンアウトしたサロンです。また案内をさせてもらいます。

SUN10ROサロンの次回は、『醜聞(スキャンダル)』をとり上げます。
ジャーナリズムの問題を取り上げた作品で、まさに今の世相に問いかけている作品です。
開催日は言うまでもなく9月30日。ぜひご参加ください。

なおフェイスブックのSUN10ROクラブには、河村さんが精力的に記事をアップしてくださっています。ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/groups/1312667559794431

| | コメント (0)

2025/09/03

■節子への挽歌6496:お墓参り

節子
娘たちと3人でお墓に行きました。

命日には毎年家族でお墓に行きます。
今回は娘たちだけでしたが。

お墓で般若心経を唱え、本堂にお参りしました。
今日は誰もいません。

お墓は近くの宝蔵院です。
真言宗豊山派のお寺です。昔の久寺家城跡に建っています。
先代がもうなくなったので、若い世代が継いでいますが、檀家がしっかりしていて、経営は盤石のようで、お世話になっている者としてはとてもありがたいです。

昔はこの近くに住んでいたので、大みそかには除夜の鐘をつきに来ました。
いまはちょっと遠くなったので、来られません。
ここに来ると、何か落ち着きます。

お寺はちょっとした高台にあり、下に続く道があります。普段は誰も使いません。
ここにキリギリスのつがいを話すのがいいかもしれません。
ここなら除草剤もまかれず、草刈りもあまりないでしょう。
成功すれば、私も将来、毎年、キリギリスの鳴き声を聞くことができるかもしれません。

節子にはもう4年ほど、在世期間を延ばしたことを伝えましたが、彼岸には時間がないでしょうから、問題はないでしょう。

また新しい1年が始まります。

| | コメント (0)

■節子への挽歌6495:あれから18年が経ちました

節子
あれから18年が経過しました。
18年前の今朝の0時に、節子は旅立ちました。
その日から、この挽歌を書き続けてきました。
しかし、最近どうも書き忘れたり、書けなかったりで、毎日書くという約束は破ってしまっています。でも毎朝の節子へのあいさつは忘れてことはありません。

お墓参りも、毎月行こうと思いながらも、今は年数回です。
まあ節子は許してくれるでしょう。
いつどんな時も、節子は私を許してくれましたから。
同じように、私もいつどんな時も、結局は節子を許してきたと思います。

順序が逆で、もし私が先に逝っていたら、どうだったでしょうか。
まあたぶん同じようなものでしょう。
いや節子のほうが、私よりも回復力が強かったかもしれません。

今日も暑い一日になりそうです。
あの日も暑い日だった気がします。
そちらは暑さも寒さもあまりないと聞いています。
私はもう少し在世することにしましたので、体験できるのはも少し先になりました。
もう少しだけ待っていてください。

今朝はでも、風がとても気持ちいいです。

 

| | コメント (0)

2025/09/02

■節子への挽歌6494:毎日をただただ生きています

節子
19回忌の会食に関連して、私の思いを少しだけフェイスブックに書きました。
たくさんの人が読んでくれたようですが、おふたりからていねいなコメントをもらいました。それを節子にも読んでほしいと思います。ちょっと長いですが、ほぼそのままに引用します。

まずは滋賀県の廣瀬さんです。

佐藤さん 廣瀬です。
私は先月の8月8日で妻が亡くなって丸2年になりました。
佐藤さんが書かれていた、生きる意味を見失ってしまったこと、そのあとも心ここにあらず、に深く共感します。

いま唯一、週末に行う里山保全活動で仲間とチカラを合わせて作業をしているときには、何もかも忘れで没頭しています。
また、たまに行うとても危険な作業でも、常に怪我や安全に気を配っており、自分の命は無論、仲間の命をとても大切に思います。

それ以外のとき(平日の仕事も含めて)は、ほぼ生きているという実感が乏しく、このままスッと消えてしまってもよいなぁ〜と思ってしまいます。またあの世で会えると良いのですが。

佐藤さんが生きる意味を再び見いだされたことをお聞きして、それが自分にとっては何に当たるのだろうと想い返しています。
それはこれから見つかるのかもしれません。あるいは最後まで見つからないかもしれません。

毎日をただただ生きては、妻の遺影に「今日も生きていたわ」とつぶやいています。
そして毎日、妻に「おはよう、おやすみ、行ってきます、ただいま」と声をかけています。

以上が廣瀬さんからのメッセージです。
18年前を思い出します。
まったく同じような気がします。
もう一人は、李洋憲さんです。
もうお会いしてから20年ほどのご無沙汰かもしれません。
最近、時々、フェイスブックでコメントしてくださいます。

佐藤修先生には、現実の世界で生きるように引っ張り戻してくださる、佐藤先生らしい御友人がなん方もいらっしゃったんですね。
佐藤先生の御人徳ですね。
天国にいらっしゃるご夫人と再会できるまで、この世での生活を存分にお楽しみください。

李さんは中国の人です。まだ日本国籍はお持ちでないようです。
李さんが書いてくださったように、私は本当に友人に恵まれています。
李さんももちろんそのお一人ですが。

 

| | コメント (0)

2025/09/01

■節子への挽歌6493:19回忌会食は木曽路で

節子
19回忌の会食は家族だけで、木曽路でのランチです。

ふがいない話ですが、節子を見送った後、私は生きる意味を失った感じで、自宅に引きこもってしまいました。それまで描いていた人生計画は終わり、できればこれで人生を終わりたいと思っていました。そうした状況から引き出してくれたのは、それまで関わっていたNPOの友人たちでした。

最初のきっかけは、東尋坊で見回り活動をしている茂幸雄さんです。
一緒に「自殺のない社会づくり活動」を立ち上げる協力をさせてもらいました。
そこで私よりも生きにくさに直面している人たちに出合いました。
生きる気力を失っていた自分が、情けなく感じました。

もう一人、私を引っ張り出してくれた人たちがいます。
韓国で活動していた佐々木夫妻です。私を勧告に招待してくれたのです。正直、私は行きたくなかったのですが、主体的に判断する気力さえなく、出かけていきました。抜け殻のような私に、佐々木夫妻はとまどったことでしょう。

他にもいろいろな人が支えてくれましたが、そのおかげでなんとか惰性で元気に生きられるようになりました。
他者から見たら、それなりに主体的に活動しているように見えたでしょうが、わたし自身はいつも「心ここにあらず」でした。自分を生きていたとはとても言えないくらい、流れに任せる生き方だった気がします。
ですからそこでいろんなトラブルにも巻き込まれ、節子が残した貯金も失ってしまい、借金までしてしまいました。でもそれによって何人かの人は救えたかもしれません。

再び「生きる意味」を見つけたのは、前にも書きましたが、つい最近です。
あと4年は生きようと思っています。うまくいけば、5年後には節子に会えるでしょう。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌6492:死者たちの平安を祈ります

節子
朝、パソコンを開いたら、思ってもいない記事に出合いました
妻が急逝したと柿内さんがフェイスブックに書いているのです。
50年、連れ沿った伴侶の突然の死。交通事故だったようですが、それを読んで身心が固まってしまいました。
コメントを書こうとしたのですが、何を書いていいかわからない。
5分ほど、思いがまとまらずなにも書けずにいました。

柿内さんは、きわめて冷静に報告記事を書いていますが、たぶん今はまだ実感できないでいるのでしょう。
19年前を思い出します。
柿内さんが心配です。

実は数日目に、やはり妻を突然見送った佐々木さんから艇が身をもらいました。
もう半年ほど経ちますが、いまなお混乱しているようです。というよりも、私の体験から言えば、ますます悲しみが募っているかもしれません。
この手紙にもすぐには返信しなければいけないのですが、なぜか返事が書けずにいます。

伴侶の死は人生を変えます。
私の場合は、10年ほどは自らも幽界をさまよっている気分で、生を実感できずにいました。19年目の今、ようやく、自分の生を実感できるようになったほどです。

佐々木さん、柿内さん、それぞれの伴侶のご冥福を祈ります。
彼岸では、死者たちは会うのでしょうか。

明後日、節子の19回忌です。
この時期はいつも複雑な気持ちになります。
今日は家族で19回忌の会食の予定です。

あの年のように、今年も暑い。
死者たちの平安を祈ります。

| | コメント (0)

« 2025年8月 | トップページ | 2025年10月 »