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2025/09/08

■湯島サロン「人間にとっての時間と空間を考える」報告

細菌学の視点を基軸に、生物と環境の関係を考え、そこから社会の様々な問題を捉え直そうという益田サロンが、久しぶりに開催されました(2025年9月6日)。
今回のテーマは「人間にとっての時間と空間を考える」。

案内に書いたように、益田さんの問いかけは、次の通りです。
時間は空間と違って具体的なイメージを作ることが出来ない。
人の脳は時間を環境としたとき、空間という楽園から追放され、与えられた不可知のものだったことに気がついた。実際自分とはどこに居るかを考えてもイメージの対象になるのは空間でしかない。つまり身体しか自分とは思えない。しかし、時間を環境にしたことで、空間には身の置き所がなくなった。これは逆説ですね。時間は不可知なものとすべきかもしれません。

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今回はこれまでの益田サロンに参加したことがなかった人も数名参加しました。
益田さんは、人間の脳が欲を環境としたことから、人間は第4の次元の「時間」に出合い、それまで環境としていた「臨場的な」空間世界から時間軸によって変化する「想像的な」時空間世界へと存在を替えることになった。
時間に気づくと空間は動き出す。自らの居場所も、現在から自由に離れられる。但し、身は空間に置いたまま、だが。

食欲あっての自分、体あっての食欲、体あっての自分、というように、主体と環境は空間世界でも重層的に、フラクタルな構造をつくりだしているが、どれが「本来の関係」かを押さえないと正しい関係は見えてこない。そこを間違うと、環境あっての主体である主体が環境を壊すようにみえてしまい、対応を間違ってしまう。
そこに「時間」が入り込んでくると、主体と環境の関係はさらに複雑になるが、同時に、関係づくりの選択肢は広がる。主体のイニシアティブが高まるとも言える。
「存在」が変わってしまうという言い方もできるかもしれません。

いずれにしろ、時間概念を取り込むことによって、次元を一つ上げた世界の視点を手に入れ、空間世界の見え方が変わってくる。見る自分(意識・魂)と見られる自分(身・魄)とが分かれ、それぞれの時空間環境が変わってくる。

こうして人間は一挙に世界を広げたが、それはある意味で、「安住の地を追われ」、個々それぞれが思考する多様で不可知な世界で共に生きることを余儀なくされることでもあった。それを益田さんは、「空間にしか身が置けないのに、空間には身の置き所がない逆説」というのでしょうか。
いずれにしろ、空間に身を置いていても、気はそこにはないような、魂魄分離の状況が起こり、臨場的な不安とは違う、深い不安に襲われることになる。

以上は、益田さんの話と参加者のやりとりを私なりにまとめたものですが、あくまでも私の解釈なので間違っているかもしれません。
いずれにしろこんなような話し合がいろいろと展開したのです。

益田サロン初参加の杉原さんは、益田さんの視点が自分とは違って面白いと話されましたが、今回はまだ視点の違いが絡み合って展開していくところにまで行きませんでした。
益田サロンをずっと聞いていた私は、相変わらずの劣等生で、消化不足でした。
とりわけ最後に、益田さんが、楽園を追われた不安に立ち向かうために「ものづくり」に取り組んでいると話をされましたが、その「不安」が理解できませんでした。
どちらかと言えば、私は「時間」を手に入れたおかげで、過去にも未来にも自由に往還でき、量子力学のように多様な場に同時に存在できる感覚を持っています。「ものづくり」にこだわることなく、生きていることが「もの(がたり)づくり」なのです。

ホメオスタシスとか次元論とか、身心二元論など、話はいろいろと出ましたが、以上が私の勝手なまとめ報告です。もしできたら参加した人のフォローをお願いします。

「時間と空間」の本筋から離れた話を一つだけ。
益田さんが言及した「細菌学者の問い方」の話です。私だけではなく、鈴木章弘さんも、面白かったと言っていましたので紹介しておきます。

ジフテリア菌が「なぜWhy」ジフテリアを起こすかと考えたとき、それはジフテリア菌が毒素を持っているからだと言うのが細菌学者の答えだそうです。これは、正確にはWhyの問いへの答えではなく、Howへの答えです。
人間同士の殺傷事件で、凶器を話題にしているようなものだ、と益田さんは言います。
つまり、多くの細菌学者は細菌が生物であると言うことを本当は考えていない。細菌を生物と考えなければWhyは出てこない。生物が環境によって存在しているという認識が抜けている。ジフテリア菌が、自らを支える環境である人間の身体を壊してしまうのはなぜか、という問いへの関心がない、というのです。問題の捉え方が間違っている。私もそう思います。それでは何も見えてこないのではないか。

この問いは、とても興味があります。
細菌や毒素というと、何やら「悪質」なものと捉えてしまいますが、人体には常在菌と言われる、むしろ人体を支えるたくさんの細菌がいます。にもかかわらす、ジフテリア菌のように病気を起こすことがあるのは「なぜWhy」という問いは、人間社会にも当てはまる問いです。
そうしたところか、益田さんは、自殺や引きこもり、あるいは自然破壊などの人間の問題にも強い関心をお持ちです。
一度思い切って、なぜ人は自らにとっての支えにもなっている環境や自分の身体を壊すのか、をテーマにしてみるにもいいかもしれません。

益田サロンは、参加者それぞれが考えるのが目的です。今回もいろいろな気づきをもらいましたが、モヤモヤ感がますます強まった気もします。
まあ益田さんも同じかもしれません。
続きがあるかもしれません。

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