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2025/09/25

■湯島サロン「楽な生き方のすすめ」報告

私の「生き方」を話させてもらうサロンは、急な案内にもかかわらず10人を超す人が参加。私自身、たくさんの気づきをもらったサロンになりました。
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個人の生き方を題材にすると話しやすい気もします。
主役を替えて、「私の生き方」シリーズのサロンを継続するのもいいかもしれません。
次にやってくださる方がいたら、またやってみたいと思います。
話し手は、自分の生き方をさらけ出すわけですから、そう簡単ではないかもしれませんが、話してしまうととても楽になることは事実です。

さて、私の場合ですが、「楽な生き方のすすめ」とタイトルさせてもらいました。
誤解されそうなタイトルですが、私としてはそれなりに考えての命名です。
「誰でもできる生き方の呼びかけ」を意識したつもりです。
その気になれば、誰もが「楽に生きられる」のです。

最初に私の生き方をまとめたレジメ(添付しました)を配布し、20分ほど話させてもらいました。
Photo_20250925061601
私の「生きる上での原則」は、「すべてを信ずる」ということです。
信ずる対象は3つ。「人を信じ、自分を信じ、来世を信ずる」。

まず人ですが、すべての人はみんないい人で、悪い行為はあっても、悪い人はいないというのが私の人間観です。だから誰にでも必ず私が好きになり信頼できるところがあるはずです。それを見つければ、誰とでも良好な関係がつくれます。いささか身勝手ですが、そうやって私は、すべての人の「いいところ」とだけ付き合いますので、誰とでも仲良くなれます。つまり「八方美人」なのです。これはとっても楽な生き方です。なにしろみんな友だちなのですから。
したがって、私は(ここがどうも伝わりにくいようですが)、人を「ほめること」は基本的にしません。友として大切なことは、欠点を指摘することですから。それで縁を切られたこともありますが、それはまあ仕方がありません。
人を信じて、裏切られたらどうするのか、と問われそうですが、信じた以上、裏切られることはありません。なぜなら、信じた以上はどんな結果になっても、私の責任ですから。相手には、そうせざるを得ない事情があったのですから、相手もつらい思いをしているはずです。これもなかなか伝わらないですが、そう考えると楽になる。なにしろ裏切られることがないのですから。

こんな感じで書いていくと切りがありませんので止めますが、つづいて「自分を信ずる」そして「来世を信ずる」話をしました。レジメをみてください。

そして次に、「生きる姿勢」。
これは一言で言えば、「生を楽しむ」姿勢を大事にしています。どんなことも、まずは楽しもうと心がける。哀しいことや苦しいことを楽しもうとするのは難しいですが、映画やドラマでの主人公の窮状を楽しむことを思い出してもらえれば、私の思いが伝わるでしょうか。これはこれまで何回かサロンで話した「複数の私」につながっています。
また「生を楽しむ」ためには、知っていることは実行することが大切です。何かをやると必ず何かが始まる。その中には、楽しいことも必ずある。

そして最後に、人それぞれの生き方を決めるのは、その人にとっての「一番大切なこと」だと思うが、それはいったいなんでしょうか、とここは私の話はやめて問いかけさせてもらいました。

こう書いてきて気づいたのですが、書くと話すとでは情報量が全く違いますね。私のレジメに込めた思いは、話した時にはそれなりに話し切れた気がしますが、書いてみると全く足りません。レジメをみて、私の思いを受け止めてもらえるとうれしいです。

レジメに沿っての話のあと、参加者各人から、それぞれの生き方に関する話をしてもらいました。
各人からの「生き方」の話は(なかにはあんまり関係ない話もありましたが、それも含めて)、とても私には興味深かったです。気づかされたこともたくさんあります。
でも気づきはそれぞれで違うでしょうから、中途半端に紹介するのは控えます。

最後に私からの問いかけの「人生において一番大切なこと」を話し合いました。
最近の世相では「おカネ」が出てきてもおかしくないはずですが、「おカネ」は全くできませんでした。
出てきたのは、「人のつながり」「いのち(自分の命だけではありません)」「希望」「誠実」「愛」「平安な日々(今日)」などなど。そして、「大切なことを探し続けること」という答えも最後に出てきました。
「血縁(家族)か仲間か」という話もありました。「大切な人を気にし、守る」ということに関連してです。
このテーマは、私はこれまでも何回かのサロンでテーマにしてきたつもりですが、人によって全く違うのではないかと思います。
答を出すつもりはありません。私には答はありますが。

そういえば、「信ずる」ということに関して、「エビデンス」ということも話題になっていました。私は、データなどによるエビデンスは全くと言っていいほど信じていないのですが、「エビデンス」を生きる拠り所にしている人は少なくないのかもしれません。しかし、その「エビデンス」をだれが提示するかで、「真実」は反転することもあります。私が信ずるのは「エビデンス」ではなく、「人そのもの」なのです。

ところで突然話は変わりますが、最近、NHKで「母の待つ里」というドラマが放映されていました。
https://www.nhk.jp/p/ts/L66351K8RG/
登場人物は、嘘を付き合っていますが、同時に、誠実に真実を生きているのです。
集落全体が、嘘と真実が重なるようにして存在している。
最近、フェイクとかファクトとか言われていますが、私にとってはいずれも同じようなものです。これもまた私の生き方のかなり大切な面なのですが、私が子どもの時代には、そんな社会がまだ色濃くあった気がします。
もし機会があったら、このドラマを見てください。
私たちの今の生き方を問い直すヒントがたくさんなるように思います。

ちなみに、「フェイクニュース」という言葉がありますが、フェイクでなかったニュースなどあるはずがないというのが私の考えです。「ファクト」は人によって違うからです。いつかこのテーマのサロンもしたいですが、関連したサロンを近々スタートさせます。気づかれないように。

最後は脱線してしまいましたが、もし自分の生き方を題材にサロンをやりたい方がいたら、ご連絡ください。
「私の生き方」サロンの2回目を企画させてもらいます。

 

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