■湯島サロン「例外状態と日常のあいだ」のご案内
日本構想学会との共催で開催した猪岡さんの「例外状態と日常のあいだ」は、時宜を得たテーマだと思ったのですが、テーマの難しさのせいか、参加者(7人)が意外と少なかったのが残念でした。ただいろいろな論点が見えた気がします。
猪岡さんは、さらに論を深め、「平常心を構想するの会」に取り組んでいくそうですので、引き続き、つながりを持っていきたいと考えています。
猪岡さんは、資料的なものも含めて、ていねいなレジメを用意してくれました。
そして、まずは「平常心」について、宮本武蔵の『五輪書』を引用しながら、解説してくれました。いかなる困難な場合にも状況に振り回されることなく、自分をしっかりと貫くことこそが、まずは「例外状態」に対する出発点になると猪岡さんは考えているようです。ここは私の「平常心」観とはかなり違いますが。
猪岡さんは、3.11東大震災の時、東京にいたそうですが、実家は被害を受け、そこで災害時の混乱した社会を経験したようです。当時の被災地においては、まさに「例外的状態」が出現していたわけですが、そこで何が起こったかは、ある意味で、政治的な意味での「例外状態」を考えるうえでも大きな示唆を含んでいます。
日常における「平常心」は、そうした状態でこそ実践的に考えることができますから、猪岡さんが構想する「平常心」は、実践的な体験を経たうえで構築されているはずです。今回は「平常心」そのものの議論はありませんでしたが。
つづいて「例外状態」に関する話に移りましたが、そこでカール・シュミットの「友敵理論」と「例外状態理論」を解説してくれました。その流れで、アガンベンやシャンタル・ムフの政治観、それと対照的な位置にあるハンス・ケルゼンの規範理論をベースにした政治観も紹介してくれました。
話し合いの中で、「友敵理論」との対比で、「友愛理論」の政治観も出ましたが、どの視点に立つかで、「例外状態」への対処の仕方は大きく変わってきます。
最後に猪岡さんは、ハーバーマスの「公共圏理論」にも少し言及しましたが、話し合いにまではいきませんでした。
最初に猪岡さんが紹介した自然大規模災害による「例外状態」においては、「災害ユートピア」という状況が現れるということが報告されています。
つまり無秩序となった状況の中から、自然とみんなが育てる自発的な秩序が発生するというのです。まさにそこには、格差や分断を超えて、みんなが支え合う社会(ユートピア)が出現するのです。しかも災害地内部だけではなく、その関係は外に広がっていきます。そしてそれぞれの役割分担も自然とできてくる。
3.11の後、現地に行った人たちで、こうした状況を体験した人も少なくないでしょう。それで人生を変えた人もいるはずです。
もちろんその反面で、空き巣などの犯罪も起こりますから、「ユートピア」がすべてを覆うわけではなく、また復旧につれて、ピラミッド型の秩序が必要になってくるのも事実です。しかし、そこに「例外状態」における社会のあり方のヒントが含意されていることもまた間違いない事実です。
この議論に関しては、国家全体が例外状態になるのと国家の一部地域が例外状態になるのとでは、問題は違うという意見もありました。確かに、両者は違いますが、グローバリゼーションが進んでいる中では、「サブシステム」の捉え方が難しくなっています。国家を超えたつながりが多層的に広がりだしているからです。
いずれにしろ、そこから学ぶべきことはあるのではないかと思います。
ところで、友敵理論に基づくシュミットの「例外状態」における政治は、法による統治をやめて、誰かに主権を委任する、簡単に言えば、「独裁」を認めます。通常の法律や制度は適用されず、主権を託された統治者が物事を決めていくことになります。
その典型は「戦時体制」です。戦時のような非常時においては、法に拘束されたり、議論を重ねていたら、対応できないことが多いですから、これは納得できる理由です。
しかし、問題は、「例外状態」であることをだれが決断するのか、またいつ例外状態を終えて日常に戻るかをだれが決断するのか、です。
決断する主権をだれが持つかで、事態は全く違ってくるはずです。そして、その人がどれほど現実の実相につながっているかも重要な要素です。
「例外状態」とされるのは、もちろん戦時下だけではありません。また明確に例外状態と宣言されないままに、ずるずるとそういう状況が進んでいくこともあります。
ちなみに、案内にも書きましたが、最近の日本も、もうすでに「例外状態」にあるのではないかと言う人もいます。憲法や法律が機能していないからです。
法学者の古関彰一さんは最近の著書『虚構の日米安保』でこう書いています。
実は私たちは1990年代以降、有事法制・安保法制という「戦後秩序の例外状態」を生きている。しかも、私たちはそれを「例外」と認識することなく、ナチス誕生前夜のドイツの人々のごとくに生きている。しかも最近の日本では、「例外だ」と言うことさえもなくなってきた。
つまり「例外状態」がもう「日常」になっているのではないかというのです。
そういう状況での「平常心」とは何か。
考えるべきことはたくさんあります。
猪岡さんの問題提起を受けて、さらに話し合いの機会を持ちたいと思います。
ちなみに、12月6日に日本構想学会の年次大会がありますが、そこで猪岡さんはこのテーマでラウンドテーブルを主催する予定です。
日本構想学会の年次大会は会員以外も参加可能です。よかったらご参加ください。
詳しくは私までお問合せわせください。
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