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2025/10/03

■第5回SUN10ROサロン『醜聞』報告

第5回SUN10ROサロンは、黒澤監督の『醜聞』をとり上げました。
『醜聞』は、1950年公開の作品で、戦後の世相が主役の最後の作品と言われています。

戦前戦中の長い抑圧の反動で、戦後、せきを切ったように自由が主張され、無責任なスキャンダラスな記事を売り物にしたマスコミが氾濫していきます。そうしたマスメディアの無責任な報道は、一歩間違えば、“言論の暴力”になってしまい、逆に言論の自由を踏みにじっていくのではないか、と黒澤監督は憤りと共に不安を感じます。この激しい怒りから『醜聞(スキャンダル)』の制作は始まったと言います。
しかし、この作品は、マスメディアによる言論の暴力というよりは、悪徳弁護士の改俊の物語といった内容です。そして、この後の作品、『羅生門』や『生きる』といった、〈人間存在〉を主題にした作品へと移っていくわけです。

今回、何人かの人は涙が出て仕方がなかったと言いましたが、描かれているのは「醜聞」(スキャンダル)ではなく、星が生まれるという感動的な話なのです。
この映画のクライマックスは、まさに「星の誕生」です。
人はすべて、きれいに輝く星を秘めているという、黒澤監督の人間観を感じます。
河村さんが黒澤監督に魅了されているのも納得できます。

もっとも私が感激したのは、そうした「星の誕生」ではありません。
映画では裁判の場面が多いのですが、証人として呼び出された3人の木樵(きこり)たちに、私は星よりも美しい本来の人間を見ました。疑うことを知らない、醜聞とは無縁な、無垢な人間です。
その短いシーンに、地方の集落で自然のなかに生きている人たちと近代化された制度のなかで生きている都会人との違いが描かれていました。当時まさに、そういう2種類の人たちがいたのでしょう。そして多くの人たちは、後者の生き方へと「教育」され「洗脳」されたのです。そうしなければ、経済成長は実現できなかったと言えますが、何か大きなものを失ったような気がします。
この作品では、前者はわずかなシーンにしか登場しないのですが、私にはそのシーンが一番印象的でした。星の誕生よりも、私は感動しました。

悪徳弁護士の改悛物語と書きましたが、その弁護士は主役ではありません。
主役は、たまたま宿屋で一緒になった山口淑子演じる歌姫とのツーショット写真を撮られたために、マスメディアの餌食になってしまった三船敏郎演じる青年画家です。2人のツーショットから『恋はオートバイに乗って』という愛欲秘話がでっちあげられ、それに対して青年画家が世評を気にせずに訴えるという話です。
2人は山で偶然出会うのですが、バスがないために青年のオートバイに2人乗りして宿屋に向かいます。そのシーンがほぼ冒頭に描かれます。この場面は、この映画のポスターなどにも使われた有名なシーンです。

案の定、このオートバイのシーンが気になった参加者が数名いました。
ウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』のオードリ・ヘプバーンとグレゴリー・ペックがローマ市内をオートバイに2人乗りで暴走するシーンは有名です。また、デヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』の冒頭シーンを思い出した人もいました。ピーター・オトゥール演ずるロレンスが、オートバイで走っていくシーンからこの映画ははじまります。
『アラビアのロレンス』はもちろんですが、『ローマの休日』も制作は『醜聞』の数年後です。
となると、ウィリアム・ワイラーもデヴィッド・リーンも、黒澤作品から影響を受けている可能性が大きいと言っていいでしょう。映画界の2大巨匠に影響を与えたとは、やはり黒澤監督の制作面での先駆性はすごいものがあります。

ところで悪徳弁護士ですが、演ずるのは志村喬です。
「悪徳」という表現はふさわしくないかもしれません。時代の変化にうまく対応できなかっただけかもしれません。
彼の一人娘は、まさに「星」そのもののような明るく美しい心をもっています。彼女の存在は、醜悪に流れる現実を食い止める精神的な核となり、正義をまっすぐ生きている青年画家と醜悪に流れがちな悪徳弁護士をつなげるとともに、悪徳弁護士の改悛の扉を開く役割を果たすのですが、こうしたこともまさに時代を象徴しています。
その少女は結局、結核で死んでしまうのですが、こうした「愛の存在」や「無垢な童心の世界」は黒澤映画の重要な要素でもあります。
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映画鑑賞後、河村さんから簡単な作品関連情報をお聞きした後、参加者それぞれの感想をお聞きしました。参加者の評判はよく、この作品は知らなかったけれど観てよかったという人が多かったです。
河村さんも、もっとこの作品は多くの人に見てもらいたいと言っています。
この作品のDVDが、河村さんから湯島のCWSライブラリーに寄贈されています。
もし観たいという人がいたら貸出可能ですのでご利用ください。

河村さんは、映画は一人で観るのもいいが、みんなで一緒に観るのもいいという話をしてくれました。それぞれの感動や思いが、それとなく全体の空気を生み出し、それにまた影響されることで、作品の理解は深まるということでしょうか。
たしかにこのSUN10ROサロンでは、みんなで映画を一緒に観て話し合いをしますが、一人で観た時とは違った気持を味わえます。
SUN10ROサロンでは、このスタイルを大切にしたいと思います。

次回のSUN10ROサロン(10月30日開催)は、河村さんが制作した『映画の中の黒澤明 Filming Akira Kurosawa』を上映、それをみんなで鑑賞した後、河村さんのお話をお聞きしようと思います。
参加者が好きな黒澤作品の感想なども、紹介してもらえればと思います。
ぜひご予定ください。

また河村さんの電子出版の紹介もありました。
すでに5冊が上市されていますが、そのペーパーバック版(1500円)は湯島でも購入できます。ご希望の方はご連絡ください。

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