■“我々はどこから来たのか、どこへ行くのか”
昨夜からダン・ブラウンの『オリジン』を読んでいました。娘が読んでいたので、急に私も読みたくなって、借りたのです。
来月また新作が出るのだそうです。ダン・ブラウンの作品は『インフェルノ』までは読んでいたのですが、10年ほど前から小説が読めなくなって、年にせいぜい数冊という状況になってしまい、ダン・ブラウンはリストから外れてしまっていたのです。
それにまあ少し飽きてきてもいたのですが。
久しぶりのダン・ブラウンはやはり面白く一気に読み終えました。映画化された作品は、それぞれ数回観ていますので、そのおかげで、この小説も映像を観ているような感じで速読ができます。
文庫本では3冊に分かれていますが、上巻と中巻は一気に読めました。しかし、下巻の半分ほどまできたとたんにそうした映像的な読み方はできなくなってしまいました。なにやら文字を追わないとわからなくなってしまったのです。
でもまあ何とか読み終えました。
ただ謎解きは見事に失敗しました。関心が、別のところに行ってしまっていたためです。終わり近くなってようやく、その「問い」を思い出しました。問いがわかれば答はすぐに出てきます。しかし正直あまりに退屈な答えで、正直、ちょっとがっかりでした。どうせなら、もう少しひねってほしかった気がします。
でもまあ、ダン・ブラウンの作品はいつもこうなのです。肩透かしにあった感じですが、その先の肝心の「物語」は、読者それぞれに考えさせるのがダン・ブラウンなのでしょう。その意味では、いつも「壮大なプロローグ」なのです。
『オリジン』のテーマは、科学と宗教、言い換えれば、AIと人間の問題です。具体的には、有名な「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」の答えが、物語を引っ張っていきます。舞台はスペイン。
「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」はよく問われる問いです。この問いのために、私は謎解きをすっかり忘れてしまったのですが、その答えに、いささか期待しすぎたようです。こちらも退屈。私の理解不足かもしれませんが。
ちなみに私は、むしろ「我々はどこにいるのか」の問いこそが大切だと、以前から話したり、ブログに書いたりしています。湯島のサロンの根本にあるテーマも、「我々はどこにいるのか」なのです。久しぶりに、このテーマのサロンをやるのも面白いかもしれません。
ダン・ブラウンの作品では「デセプション・ポイント」が好きなのですが、この作品は映画化されていません。『ロスト・シンボル』はテレビドラマ化されていますが、私には退屈でした。
『オリジン』はなぜ映画化されなかったのでしょうか。
小説ではなく、映像で観たい作品です。
今日は、ダン・ブラウンで1日終わりました。
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