岐阜高山での生活も半年を超えた川端修平さんの2回目の「高山での生活報告」サロン、開催日が途中で変更になったことが十分に周知されていなかったため、日程を勘違いされた方もいて、参加者が少なかったのが残念でした。
変更日をしっかりとお伝えできなかったことをお詫びします。
参加者は少なかったのですが、その分、参加者それぞれの生き方も含めてじっくりとお話できました。参加者の多寡で、大きく様相が違うのもサロンの魅力の一つです。
川端さんは、前回とはかなり雰囲気が変わっていました。
やはり生き方や生活地は身体に現れるものです。
川端さんは今回、自分の生活状況を書き込んだ「修平高山地図11月版」をみんなに配って、最近の生活ぶりを話してくれました。これがとても面白い。
前回時と大きく変わったのは、生活時間の中心が、フリースクールでの活動からカフェでのバイトに移ったことです。特に地元の木工会社が運営しているギャラリー&カフェ“遊朴館”でのバイトが楽しいそうで、そこでのバイト料がいまは生活費の中心になっているようです。
今回、配布された修平高山地図には、川端さんの生活のほぼすべてが描かれているのですが、カフェが少なくありません。そのせいか、これまでは湯島のサロンではコーヒーは飲みませんでしたが、今回はコーヒーを飲みました。
もう一つの変化は、一人暮らしからハウスシェアメイトが2人できたことです。
それも川端さんが選んだ人ではなく、シェアハウスに入ってきた人たちです。
私的な空間も公共空間も大きく変化したというわけです。
ただ、高山を拠点に、金沢や関東などに整体の稽古に通っているスタイルは変わっていません。いやむしろ整体はますます大きな基軸になってきているように感じました。
なぜ高山まで行って整体なのかと、私は思ってしまうのですが、高山は各地の整体道場に行くのに好都合な立地だというのです。
いずれにしろ、高山に引きこもっているわけではないようです。
いまの生活は、ともかく楽しいそうです。
魅力的な出会いも多いようですし、自らが他者に役立っているという感じさえ持てるようになっている。たくさんの生活資源も育ってきている。ほどほどのストレスもある。
1年の予定だった高山生活ですが、その先をあまり考えていないように思えましたが、それだけいまの生活が充実し楽しいのでしょう。
でも身体は嘘をつけません。
楽しさの中に、なにか「足りないもの」を感じているような気配も感じました。
本人も話していましたが、接する情報がちょっと内に向いて、国の政治や世界政治の動向への関心が弱くなっているようです。高山から見る政治と埼玉から見る政治は違うという話もしてくれました。どう違うのか、とても興味ある話です。でもそこの話はあまり聞けませんでした。
質問すればよかったのですが、聞き損ないました。正確に言えば、問いかけを起こさせないような気配があったのです。なんとなくそうした世界から解き放たれている気がした、のかもしれません。
川端さん自身は、たぶん間違いなく充実した毎日を過ごしているのでしょう。
でもどこかに違和感がある。活動しきれていない「なにか」が伝わってくる。
勝手な感想を言えば、いまはまだ高山という土地から「お客様」扱いされているのではないか。
私の誤解かもしれませんが、川端さんは、そこに無意識のなかで満足していないような気がしたのです。そもそも彼が高山に移住したのは、楽しい生活をしたかったからではないはずです。
まあ、余計なお世話ですが、いままた局面が変わる時期に来ている、そんな気がしたのです。
こうして定期的に報告サロンをしてもらうと、そういう変化がよくわかる。
地域や仕事が人をどう変えるのか、人が仕事や地域をどう変えるのか。
いずれもとても面白い話です。
川端さんのそもそもの関心は「新しい経済のあり方」でした。
それを学ぼうと入学した東大では、それが十分に学べなかった。
それで休学して、いろいろなことを試してみたが、それも満足できずに、やはり復学して、今度はしっかりと学んで良い刺激を受け、昨年卒業。就職した会社を3か月で辞めて、熊本や高山での仕事と生活。以来、いろんな体験で、社会を、経済を、人付き合いを経験してきています。苦労していないわけではなく、いろいろな難事も体験していますが、まあ今は楽しいという。
でもその割には、生活報告がいささか単調すぎる。楽しそうすぎるのです。
そんな気がして、「新しい経済」についてはどうなっているのかと、少し突っ込んで聞いてみました。
出て来たのは意外な答えでした。
実践的に取り組んでいるというのです。そして、9月以来、スーパーやコンビニに行っていないという。つまり地域の人たちから食材などを提供されていて、お店に買い物に行かなくても生活が成り立っている。言い換えれば、「古い(現在の)経済成長」に全く貢献していないのです。
都会では考えられないことですが、お金を使わなくても日常の暮らしはできることを実証しています。
もうひとつ面白いと思ったのは、“遊朴館”で働く人やお客様に、なんとなく寄り添いながら、生きる元気を与えているような気がするというのです。「整体」でつくり上げている身心が、自然と働きかけているのかもしれません。
これもまた「新しい経済」、「新しい働き方」につながっている気がします。
わたし自身は、いわゆる「士業」や「師業」には否定的で、生きることが働く(傍楽)につながることこそを目指したいと思っています。
そういう意味では、川端さんは、高山で単なる「お客様生活」をしているわけではなさそうです。
次回はまた違った川端さんに会えるでしょう。
そんな動き出す前の川端さんに会ったような気がするサロンでした。
私の極めて主観的な感想だけを述べる報告になってしまいました。
すみません。
でも湯島サロンの一つの意味は、サロンの主役として話すことによって自分が変わる契機を得ることも目指しているのです。
もし変わりたい方がいたら、ぜひサロンを企画してください。
お待ちしています。
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