被爆80年の昨年、東京の被爆者団体である東友会と東京都生協連が協同して核兵器廃絶を東京から発信するために「被爆80年東京ピースプロジェクト実行委員会」を立ち上げ、その活動の一環として、「広島・長崎ピースツアー」を呼びかけました。そこに参加した東友会の升田さんによる報告サロンを昨年開催しましたが、今回改めて生協連の参加メンバーからの報告サロンを開催しました。
前回の升田さんのサロンの報告は下記にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2025/12/post-b3453f.html
サロンに入る前に、いつものように参加者全員から一言ずつ参加した理由などを話してもらったのですが、みんな話したいことがたくさんあるようで、いつもとは違い、それだけでもだいぶ時間がとられました。
やはりこの問題には、みんなの関心も高いようです。
それを踏まえて、長崎ツアーに参加した生活クラブ生活協同組合東京副理事長の守本香さん(組合員)と生活協同組合パルシステム東京の小林竜大さんに報告してもらいました。
守本さんは3日間の訪問先を、感想をまじえながら紹介してくれました。小林さんもツアーの感想とそれによって自分が変わったことを話してくれました。
私の印象に残った点をいくつか報告させてもらいます。
ツアーでは、被爆遺構を残す2つの小学校を訪ねたそうですが、それぞれの小学校の中には慰霊碑や独自の資料展示があり、今も先生方や生徒たちの活動で守り継がれているそうです。小学校の門の正面にある平和の像に、そこを通る在校生の子どもたちが必ず立ち止まって一礼してから門を出入りしていたことが、とても印象的だったと守本さんは話されました。学校生活のなかに地元の歴史を通じた平和学習が日常的に根付いていることを感じたそうです。
小林さんも、小学校で犠牲になった教職員や子どもたちの写真展示に強い印象を受けたそうです。いまなお写真が展示されているのです。東京の小学校はどうでしょうか。東京大空襲の写真を展示している小学校などあるでしょうか。いや東京に限りません。戦争の記憶を思い出させるようなものを残している学校が広島・長崎(と沖縄)以外にあるでしょうか。
そんなこともあって、小林さんは、戦争の歴史は決して長崎とか広島だけではなくて、自分が住んでいる町にもある、それをしっかり語っていかなければいけないと思ったそうです。そして実際に企画に取り組みだしています。
長崎市民の被爆体験との関係や長崎の小中学校での平和学習に関しては、以前、長崎出身の鐘ヶ江さんがサロンをやってくれました。鐘ヶ江さんは東京に転居して、被爆日の生活が長崎と東京では全く違うことに驚いたといいます。年に一度思い出すのと日常生活の中に埋め込まれている記憶とでは意味合いがまったく違います。広島・長崎では今なお被爆は生活の中にあるのに対して、それ以外の人たちには「思い出すべき記憶」になっているのです。
守本さんは、資料館の展示からも改めて原爆の凄まじさを感じたそうですが、特に印象的だったのは、展示の中にあった現在まで続く核実験などの年表だそうです。原爆の凄まじさを知りながらもまだ核実験を続けている人間の愚かさに打ちひしがれるような気持になったと言います。
しかしこれはもしかしたら、核実験だけの話ではありません。原発事故を体験しながらもなお、原発に依存しようとしている私たちそのものかもしれません。
放射線影響研究所では、原爆がまさに「壮大な人体実験」であることの一端のようにも感じでやるせなさを覚えたといいます。これはまさに先日の白石さんの「被ばく封じ込めサロン」で話題になったことです。
最後に守本さんは、こう話しました。
原爆のことはもちろん知識としては知っていたし、本や映画、演劇などを通じても触れてきており、ある程度分かっているつもりだった。しかし、現地を訪れてその爪痕を生々しく残す遺構や、そこから立ち上がって平和を願う人たちの思いで作られた様々な施設などを実際に見ることで感じるものは迫力があった。
やはり「現場・現物・現実」の持つ力は大きいのです。
そこから話し合いに入りました。
話し合いでも紹介したい話はたくさんありますが、長くなると読んでもらえそうもありませんので、3つだけお伝えしたいと思います。
ひとつは「語り伝え」「体験継承」の話です。
時間が経過するとともに、体験者も少なくなり、被爆の事実をどう伝えていくかは大きな課題です。若い世代が継承しようとしていますが、果たして「伝えていく」だけでいいのか。しかも「特別な事実」として語っていくだけでいいのか。
これまでもいろいろと伝えてきたのに、むしろ最近では核兵器保有を望む人が増えてきているのはなぜなのか。「伝えること」があまりに目的化してしまっているのではないか、という気もします。
これに関して、参加者の一人が、被爆体験に限らず、戦争体験を私たちは自分の子どもにしてきただろうかと発言されました。とても示唆に富む指摘だと思いました。
語り伝えるべきは被爆体験だけではないのです。
もう一つは3年間にわたって東京の小学校で平和学習のプログラムに取り組んでいる学校の先生からの話です。
その活動の中で、広島の中学生と交流した時に、「東京にはどんな被害があったか教えてもらえますか?」と訊かれたそうです。生徒たちも東京大空襲とかはちょっと勉強していたけれど、やっぱり自分たちの関心が広島に向いていて、広島にだけ被害があったって思うようなところがちょっとあった。自分たちの住んでいる地域について意外と知らないことに生徒たちが気づいたそうです。そして、もっと東京大空襲も調べてみようということになった。生徒たちからは、日本のどこにいても、みんな戦争経験者だっていうことに気づいたという感想もあったといいます。
これはとても大切な指摘だと思います。
さらに加害者体験の話も出ました。戦争では日本も満州やフィリピンなどでいろいろと残虐なことをしたりしている。被害とともに、加害の事実も忘れてはいけない。
戦争は被爆被害にだけ悲惨さがあるわけではありません。「平和学習」というと、つい「広島・長崎」に思いが行ってしまいますが、なにか他から目をそらさせるような意図を感ずるのは思い過ごしでしょうか。
これも大切な指摘だと思います。
3つ目は、にもかかわらず広島・長崎の体験学習には特別の意味があるということです。そこには、「戦争の悲惨さ」と同時に「核の恐ろしさ」があるからです。
これもよく話題になりますが、「広島・長崎」の情報はある意味でかなり管理されてきました。それは、単なる戦争被害ではなく、核が絡んでいるからです。
私たちが知らされているのは、ほんとうの事実なのか。
「戦争」とか「平和」の視点からだけではなく、「核」の視点からも、広島・長崎の事実はもっと広がっていってほしいと思います。
隠され続けている核の恐ろしさがもっと多くの人の知るところになれば、核に対する世論も変わるかもしれません。
ちなみに、「平和とは何か」も話題になりました。これに関してもとても示唆に富む意見がいろいろと出ましたが、いつか改めて話題にしていこうと思います。
長い割には書きたいことのほんの一部しか書けていません。
参加された方、ぜひともフォローしてください。
「核時代にどう生きるか」のサロンは、継続していきます。
ぜひ多くの人に参加してほしいです。
話題提供・問題提起したい人、ぜひご連絡ください。サロンを企画しますので。
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