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2026/02/14

■第9回中国現代文学サロン「残雪『よそ者』」報告(2026年2月8日開催)

前回に引き続き、中国のカフカとも言われる残雪の作品をとりあげました。
作品は『よそ者』(近藤直子訳)。
著者の残雪については、前回のサロンで葉さんが詳しく紹介してくれましたので、前回の報告をご覧ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2025/10/post-db98fd.html

「新実験小説」とも言われている残雪の作品は、難解のものが多いですが、今回も参加者全員、開口一番、難しすぎるという感想でした。まさにみんな残雪の意図につかまってしまった ようです。

そんな戸惑いを踏まえて、葉紅さんはいつものように作品を読み解くカギや、作品から中国社会を理解するヒントを整理してくれました。
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まずは題名の「よそ者」。原題は「外地人」です。
「外地」とは日本でも様々な使い方がされる多義的な言葉ですが、中国でも同じように使われているようです。ある辞書には第一に「原籍以外の地」と出ているそうです。「原籍」は、日本の本籍と同じ意味ですが、日本と違いまだ固定的で簡単には動かせないようです。また、北京では北京以外の中国国内のすべての地方の人を「外地人」と呼ぶそうです。こういう小さなところに、相互理解を深める大きなヒントがあるのではないかと私は思っています。

問題は、この作品の「よそ者(外地人)」とは誰なのか。「よそ者」は一体何を描こうとしているのか。これこそが、この作品の最大の謎だと、葉さんは言います。
そして、それに関していくつかのヒントを与えてくれましたが、葉さん自身、確答があるわけではありません。さらに謎は、それ以外にもたくさんあり、読み終えてもその答えは見つからない。この作品はそういう作品なのです。

葉さんは、残雪の作品を読んでいていつも戸惑ってしまうが、その戸惑いの理由を知りたい、と話してくれました。そして、そのために、この作品を読み解くいくつかの仮説を提示し、話し合いに入りました。

参加者からは様々な意見が出てきました。
戸惑っているわりには、いや戸惑ったからこそ、というべきでしょうが、さまざまな意見が堰を切ったように出てきました。残雪の意図はまさに成功しています。
そのいずれもが、とても示唆に富むもので、作品を読み解くヒントが含まれているのですが、いろいろな解釈を聞けば聞くほど、混乱します。でも間違いなく世界は広がります。同じ記述も、人によって解釈が大きく違うこともある。
後で、葉さんが、今回はとても話が盛り上がってよかった。いつもながら、いろんな読み方があるのね、と改めて思いました、と言ってきたほどです。

作品を読んだ人でさえ、わからないのですから、作品を読んでいない人には話し合いの内容を紹介しても意味がないですね。
それで、話し合いから外れますが、残雪の作品について勝手な私見を少しだけ紹介します。関心を持ってもらえたらぜひ読んでほしいと思います。

前にも書きましたが、残雪は「中国のカフカ」といわれています。
たしかに、論理の飛躍や不条理な展開など、類似点もあります。そしておそらくカフカも残雪も、読者に受動的に作品を読むのではなく、読者自身に作品を読むことで自らの物語を創造してほしいと考えているように思います。残雪は、カフカに関する論考の中で、「カフカを「読む」とは、書き手の「共謀者」として意味の創造に参与していくこと」と書いていますが、残雪もまた読者に同じことを期待しているように思います。
しかし私にとっては決定的な相違点があります。それは作品全体に含意されているメッセージが向いている先がまったく違うことです。
カフカの作品は、社会に向いているのに対し、残雪のそれは読者の心に向いている気がします。実際に残雪は、自らの作品を「魂の探求」と呼んでいます。その違いのために、私はどうも残雪の作品が苦手なのです。
これは、中国社会の置かれている現状にも大きく影響されているのでしょう。

そのためもあって、私はこの作品がどうも好きになれませんでしたが、ただ、「論理的な思考を捨て、もっと根源的な感覚(無意識)で世界を捉え直せ」という残雪のメッセージには、共感できます。残雪ほどではないのですが、私自身そういう姿勢を大事にしていますので。

こう書いてきてしまうと、この作品への興味を持ってもらえないかもしれません。
しかし、この作品に挑戦してみるのも面白いです。カフカの作品ほど長くないので、ある意味では挑戦しやすいですし、自分を問い質すのにはいい作品かもしれません。
たとえばこの作品には、多くの生物が出てきます。それらが何を象徴するのかを考えるだけでも面白いかもしれません。
ともかく「途方に暮れる作品」ですので、一度、挑戦してみるのも面白いです。

しかし、こんなにも読者を途方に暮れさせるにもかかわらず、世界的によく読まれ、ノーベル賞候補にもよくなるのはなぜなのか。
そこにも興味があってか、葉さんは、残雪の作品をこれからも取り上げたいと言います。ただし、つづけてだと疲れますので、次回は違う作品を取り上げ、また少し間をおいて読むことになりました。
次回(6月14日)は、裘山山の作品「道聴塗説」をとりあげます。
今回の作品と同じ「中国現代文学」11号(ひつじ出版)に収録しています。
同誌ご希望の方はご連絡ください。葉さんにお願いして取り寄せますので。

読者会的なサロンの報告は難しいです。
やはり参加するのが一番です。
中国を理解するためのちょっとした話もいろいろと伺えます。
文学好きな方に限らず、ぜひ気楽に参加してほしいと思います。

蛇足ですが、せっかく、中国現代文学翻訳会のみなさんと出版社ひつじ書房が、定期的に中国文学を紹介してくださっています。
もっと多くの人の目に触れて、各地で読書会が広がっていかないものかと思います。
なにかいい方法はないものでしょうか。

 

 

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