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2026/03/12

■3.11で想いだすのは津波か原発事故か

東日本大震災から15年が経ちました。
午後2時46分。ひとりで黙禱しました。そしていろいろ考えました。
気がついたら3時を過ぎていました。
思うことがあまりにも多い。

新聞もテレビも大きく報道しています。
でもなぜか原発事故のことはあまり取り上げられていない気がします。
もちろん社説や論考記事では取り上げられていますが、多くの人は読まないでしょう。

一般記事やテレビでは、私の気のせいか、自然災害のことばかりが目立ちます。
原発事故は言及されてはいますが、原発事故の悲惨さはほとんど書かれていません。
たしかに地震や津波などの自然災害は恐ろしい。
でも、私にはもっと恐ろしいのが原発です。
原発事故は回避できるにもかかわらず、放置している人間が恐ろしいのです。
自然災害と原発災害は、違う災害です。

原発事故が回避できるというのは、事故が起きないように運転するという意味ではありません。そんなことができるはずはありません。
私が回避できるという意味は、原発を無くするという意味です。
自然災害と原発事故は、違うものです。

フクシマの事故を起こした原発周辺の住民調査によれば、いまなお「暮らしが回復していない」と答えた人が4割だそうです。
この数値を見て、なぜみんな恐れないのでしょうか。

原発再開を決めて野田政権以来、原発はまた動き出しています。
そして今やむしろ原発への期待は高まっています。
どうして人は懲りないのでしょうか。

フクシマのことを私たちはもっと知らなければならない。
それこそが、3.11の被災者への追悼になると、改めてそう思います。

 

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