■節子への挽歌6665:うれしいメールが届きました(2026年3月2日)
節子
とてもうれしいメールが届きました。
もう20年以上前に、湯島にも時々来てくれた佐世保市の廣山さんからの、思ってもいないメールです。
こんな内容です。
佐藤さん、長いご無沙汰です。
数日前、本当に久方ぶりに「湯島サロン」を拝見しました。
ほんとうを言うと、まだ「湯島」はあるのだろうか、と思いつつ、辿りつけました、現役の「湯島」に。あ~、続けられている!多彩に多様に。黒岩比佐子さんがいらした頃です。わたしが何度かおうかがいしたのは。
仕事を辞めて12年、77歳の冬です。
77歳の冬に詩集を編みました。もちろん少部数の私家版です。数少ない友人知人に
勝手に差し上げています。佐藤さんにも勝手に謹呈します。(明日、発送します)
あの廣山さんも、77歳。
私と付き合い行政職員はみんなちょっと一味違う人ばかりでしたが、廣山さんもそうでした。しかし詩集を出すとはうれしい話です。
実は最近、湯島に来ている人と西海市の話が時々出ています。
その人も西海市に関わったことがあり、そこに孫の名前を冠したミカンの木を育ててもらっているのだそうです。
そしてそこでできたミカンを戴きました。
とてもおいしいミカンでしたが、その時に、実は廣山さんを思い出していたのです。
まさにシンクロニシティ。
そういえば、佐世保で活動している人が、いまも私のフェイスブックをよく読んでくださっています。
廣山さんも知っている人です。
佐世保にもまた行きたいと思いますが、多分もう行く機会はないでしょう。
でも近いうちに廣山さんの詩集が届くでしょう。
佐世保は一度、節子も行ったことがあります。
その時にもしかしたら廣山さんにお会いしているかもしれません。
少なくとも湯島では会っていると思いますが、覚えているでしょうか。
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コメント
2000年前後だろうと思います。出張のおりに湯島サロンに立ち寄り始めたのは。黒岩比佐子さんに会ったのが湯島でした。黒岩さんのデビュー作「音のない記憶」が出版されたのが奥付をみると1999年12月。残念ながら早すぎる死を迎えられました。何度かサロンに立ち寄ると、いつも知らない人たちが難しい話をされていました。端っこで聞いていたのを覚えています。佐藤さんはどっしりと座りながら物腰やわらくという感じで、節子夫人はすっと座ったり立ったりとなんとなく部屋の雰囲気を浄化されていたような感じがかすかに残っています。佐世保では多分お会いしていません。あるいは忘れているにのかもしれません。
投稿: hiroyama | 2026/03/07 23:06
廣山さん
ありがとうございます。最近は、このブログにコメントしてくれる人もなく、とてもうれしいです。二重に感謝ですね。
佐世保に行った時には、もしかしたら蓮田さんに会ったのかもしれません。
廣山さんが一時期、よく湯島のサロンに来てくれたことは記憶にはっきり残っています。
佐世保には確か2~3年通った気がします。
いまも私のフェイスブックをよく見ていて「いいね」を教えてくれる人がいます。懐かしいです。
佐世保にはいろいろな思いでもあります。
とりわけ三河内焼のw会窯元たちとのプロジェクトは楽しかったです。
もうみんなそれぞれ「名人」になっているのでしょうね。
またお会いしたいですね。もし東京のほうに来る機会があれば声をかけてください。
投稿: 佐藤修 | 2026/03/08 07:37