■節子への挽歌6681:「人生でやることやった人」
節子
またうれしいメールが届きました。
私に以前、「長生きしろよ、ジジイ」といってきた若者です。
どうやら働く気になったようで、いや、働くことができるようになったというべきでしょうか、目指すべき目標も考えだしたようです。
ともかく前に向かって進み出せれば、才能豊かな若者なので大丈夫でしょう。
加えてこんなことまで書いてきました。
60年整体をやってて県外からもよく客が来る人の雰囲気が佐藤さんに似てましたよ。
若い頃は酒タバコ女と娯楽を楽しみ尽くして執着があまりないようで、人生でやることやった人特有の雰囲気みたいなのがある気がしました。
「人生でやることやった人特有の雰囲気」が私にもあるというのです。
私は「人生でやることやった人」では全くなく、むしろ「やりたいことをあきらめてしまった人」ですので、同じ雰囲気を感じてくれたとは、とても光栄なことです。
それに彼が、私の雰囲気を実感してくれていることがうれしいです。
しかし、改めて「やりたいことがまったくできなかったこと」の悔いが浮かんできます。
節子のせいにしてしまいがちですが、最初からたぶんやり方が間違っていたのです。
その負け戦に節子を巻き込んでしまったことが最大の反省です。
次の人生では間違わないようにしなければいけません。
| 固定リンク
「妻への挽歌23」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌6855:孫は飛行機嫌いのようです(2026.08.19)
- ■節子への挽歌6854:香典返し(2026.08.18)
- ■節子への挽歌6853:鳩サブレ(2026.08.17)
- ■悦子への挽歌6852:送り火でお寺に行きました(2026.08.16)
- ■節子への挽歌6851:挽歌のはじまりのところを読んでみました(2026.08.15)

コメント
「やりたいことがまったくできなかったこと」の悔い」 これだけのことを持続してこられ、また持続し続けている人の感慨。佐藤さんの深い寂寥の一端が滲みます。私は別のことで「悔い」を連れています。終える時まで、悔いたままでと思っています。
「負け戦」。人の一生に勝ち負けがあるのかという愚問は置いときます。勝ち負けは一人の気持ちの中にだけ、あるのだと思っていますが、勝ち戦をした人は負けた人だと確信しています。負け戦をするためにこの世に出てきた、それが私の理想です。
投稿: hiroyama | 2026/03/16 22:35
廣山さん
ありがとうございます。
>勝ち戦をした人は負けた人だと確信しています。負け戦をするためにこの世に出てきた、それが私の理想です。
共感します。私もほぼ同じ思いです。
それに、「負け戦」が大好きです。
正確に言えば、負け戦を生き抜くことを目指したい。
成功の確率が高いことは、誰かがやるでしょうし、やる必要もない。放っておいてもそうなりますから。
私も廣山さんと同じ思いで生きてきたのかもしれません。
問題は、しかし、そういう思いがありながらも、途中で降りてしまったのです。
それが最近悔いに感じてしまうのです。
でもまあ、悔いのない人生など退屈ですよね。
悔いあればこその人生。
来世また取り組めばいいだけの話かもしれません。
そういえば、川上さんから、「みんな元気でやっています」とメールが来ました。
佐世保のみなさんともっと楽しめばよかった。
これも悔いですね。
投稿: 佐藤修 | 2026/03/17 06:53