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2026/03/21

■6689:節子の寝顔を見た私以外の唯一の男性

節子

昨日の半田さんのお別れ会で私が話したことを採録しておきます。
節子のお見舞いに半田さんが来たことも話しました。
以下のようなことを話しました。

半田さんには、ンダハさん、西さんなど、私が知っているだけでも6つの名前があります。6人の半田さんがいた。
ですから、今日も、もしかしたらそのうちの誰かが来ているのではないかと期待していました。残念ながら、誰の姿も見えない。
でもまだいつかどこかから、ひょこっと7人目の半田さんが登場してくるかもしれない。半田さんは、そんなおちゃめな冗談も好きでしたから。
いささか不謹慎な話をしてしまいましたが、そんなことを考えてしまうほど、突然の、信じられない訃報でした。正直、まだ実感が持てないでいます。

半田さんとの最初の出会いは、半田さんがまだ大学院の学生だったころです。といっても、既にITを活用したインテルフォースという会社を起業していました。
当時、私は会社に勤務していて、あるプロジェクトに取り組んでいました。それに関連して、半田さんにある調査を依頼したのが最初の接点でした。
その結果報告はITを駆使した見事な内容でした。
しかし、なぜか私には不満でした。それで翌日、半田さんのところにおしかけて、2時間ほど話をしました。その内容は思い出せないのですが、ただ私がかなり厳しく不満を述べた気がします。身勝手なクライアントの苦情と非難を半田さんは、反論もせずに聞いていました。
本来であれば、そこでふたりの関係は終わったはずです。
しかし終わらなかった。むしろ、そこから私たちの交流が始まったと言っていい。

その後、私は会社を辞めました。そして、湯島に小さなオフィスを開きました。
そこになぜか半田さんは時々来るようになったのです。もちろん仕事とは関係ありません。半田さんが取り組みたいことなど、いろいろと話し合った気がします。
彼の関心は「知能環境論」、「知」のあり方の問い直しでした。そこで言う「知」は人間の脳にある「知」ではなく、今でいうAIと人間の知能が組み合わさった「知」、半田さんは「超知能」と言っていました。時代を大きく先取りしていたのです。

そのうちに半田さんはビジネスの世界からアカデミズムの世界に重点を移すことになり、自分の会社は休眠させるので、しばらく所在地を湯島にしてくれないかと言ってきました。そして半田さんは宮城大学へと赴任し、仙台に転居しました。

宮城大学では半田さんは自らのビジョン・構想の実現に取り組みだしました。
ネオ・アレクサンドリア構想、新しい学びの場づくりです。
そして私にも声をかけてくれたのです。そこから私の宮城大学通いが始まりました。
一つは宮城大学創立記念としての連続公開シンポジウム。もう一つは日本構想学会。いずれも実に魅力的でわくわくするようなプロジェクトでした。
これらに関しては、今日参加している端田さんや大村さんのほうが詳しく語れるでしょうから、私からはただただ面白かったとだけお話ししておきます。

その後も、いろいろなプロジェクトの話がありました。
できればそうした半田さんのプロジェクトにも関わらせてもらいたかったのですが、実は私の妻が進行性の胃がんになってしまいました。
それで私は仕事を一切やめて、妻につき合うことにしました。
そのため、残念ながら半田さんとの交流も、途切れてしまったのです。

妻は、国立がんセンターの病院に入院していました。
ある日、私が病室に行ったら、花が枕元に飾られていました。お見舞いは断っていたのですが、誰かが来てくれたようです。
妻に聞いたら、寝ていたので気づかなかったが、半田さんが来てくれたらしいというのです。なぜ半田さんと思ったのかも今は思いだせませんが、半田さんがメモなどを置いていくはずがない。それで、半田さんに確認したら、やはりそうでした。確認しなければわからずじまいでした。これもいかにも半田さんらしい。
というわけで、半田さんは私の妻の寝顔を見た、私以外のただ一人の男性です。

妻が亡くなって暫くしてからまた半田さんとの交流が始まり、半田さんが湯島にも来るようになりました。
昨年の11月だったかと思いますが、湯島に来ていた半田さんが帰り際に、がんセンターの病院で診てもらうにはどうしたらいいか、と突然訊くのです。どうしたのと訊くと、最近どうも食欲がない、というのです。つまり自分のことのようでした。でもそれ以上のことは話してくれませんでした。
半田さんは、言うべきことは言いますが、話さないことはいくら質問しても話してくれない人ですから、私もそれ以上は訊きませんでした。でも、きちんとした検査をして、その結果がわかったら教えてと頼みました。
私自身も最近、癌の宣告を受けていたので少しは役に立てると思っていたのです。

次に会った時には、しっかりした病院で精密検査をするというので、正直、気になりながらも安堵しました。
そして、年が明けた頃、入院の連絡を受けました。てっきり検査入院だとばかり思っていました。しかし、その後、連絡がない。
気になって電話をしようと思っていた矢先に、突然の訃報。
最初はまさに冗談だとしか思えませんでした。とても悔しいです。

半田さんとは決着をつけなければいけない争点がいくつかありましたし、何よりも、私の考えの一部を継承してくれると言ってくれていたのに、その話もしないうちに、先に逝ってしまった。残念でなりません。

年上の私を置いて逝ってしまったのは、半田さんの本意ではないはずです。
先を越されて遺された高齢者にとってはとても辛い。間もなく私は半田さんに会えるでしょうから、その時には、最初と同じように、思う存分文句をぶつけたいと思っています。
でもやはり、現世でもう一度、ゆっくり話し合いたかったです。
まだまだ時間があると油断してしまっていました。
いまはただ思いにふけることしかできないのが、無念でなりません。

心よりのご冥福を祈っています。

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