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2026年4月

2026/04/30

■5月の茶色の朝サロンのご案内

5月の「茶色の朝」サロンは20日の午後3時からです。
いつもと違い、開始が午後3時からですので、お気をつけください。

「茶色の朝」サロンはちょっと気になる政治話題(生活話題)を話し合おうというサロンです。難しい政策論議ではなく、ちょっと気になることを話題にします。
私たちの周りで起こっていることのほとんどは、「政治」にかかっていますから。

政治に関する考え方は、いろいろあると思いますが、茶色の朝サロンは多様な考えを重視しますので、自民党びいきも共産党びいきも、れいわびいきも参政党びいきも、自称無党派層も、無関心の人も、歓迎です。違った発想も尊重しながら、話し合えればと思います。特定の政党を忌避することは、まさに茶色の世界への入り口ですから。

テーマは参加者次第で決まっていきます。
議論したいテーマがあればぜひ問題提起してください。

〇日時:2026年5月20日(水曜日)午後3時~5時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

「茶色の朝」サロンについては次をご参照ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2018/01/post-dd3c.html
CWSライブラリーにも『茶色の朝』は蔵書されていますので、ご利用ください。

 

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■復讐への誘惑

「私刑」は禁じられています。つまり今の社会では、「復讐」は禁じられています。
代わりに警察行政や司法が、加害者を罰してくれることになっています。
しかし、その警察行政や司法が、冤罪などを起こしたり、加害者に対して被害者の要求度とはかなり違う対応をしたりすることは少なくありません。

昨日の朝日新聞に暴露系アカウント「DEATHDOL NOTE」の記事が出ていました。
「DEATHDOL NOTE」は、アイドルの不祥事などの情報を暴露する投稿を2024年から始め、100万人以上のフォロワーを持つそうですが、今年に入ってから、各地の学校で起きた暴行の様子を映した動画の投稿も始めているそうです。

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今年初め、中学生の息子が学校でいじめにあい暴行を受けた母親が、加害者の動画をそこに投稿し、その結果、加害生徒が逮捕されたことを添付の朝日新聞が紹介しています。被害を受けた生徒の母親は「動画をさらさなければ逮捕できなかったはずだ」と話しています。
「DEATHDOL NOTE」の主催者は、「加害者は制裁を受けるべきだ」と考え、加害者と判断した人物の顔にはモザイクをかけずに投稿していますが、それに対してもうひとつの「いじめ加害者になっている」といった否定の声も多いそうです。

こうした背景には、現在の警察行政や司法が十分には機能していないこと、さらに被害者関係者からは信頼もされていないことを示しています。
だからといって、私刑や安直な社会的制裁を認めることには賛成できませんが、私自身どこかにそうした動きに共感してしまう気持ちがあります。
私にはまだ実体験はないのですが、被害者の持つ「復讐願望」は頭ではよくわかります。
ですから、昨日この記事を読んで以来、ずっと気になっています。

このテーマで一度、湯島でサロンをやろうと思います。
どなたか問題提起者として参加してくれる人はいないでしょうか。
もしいなければ、この新聞記事を材料に話し合いたいと思います。
みなさんの意見をお聞かせください。

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■節子への挽歌6734:気になる人には気になった時に連絡しなければいけません

節子
気にしていた若者からメールが届きました。
快方に向かっていて、夏には学校に復帰できるようです。
昨年秋から入院していたようです。その後、連絡がなかったので気になっていたのです。

まあこういう風に、「良い知らせ」もあれば、「心配な知らせ」もあります。
まあそれが人生なのでしょう。
良いことばかりがあるはずもない。
しかし昨日の訃報はかなり堪えました。
やはり気になる人には気になった時に連絡しなければいけません。
そうしないともう会えなくなることになりかねない。
また彼岸で会えるという思いが私にはありますが、現世で会っておくのと彼岸で会うのとはやはり大きく違います。
悔いを残しておくのはよくない。

今年は気になる人にはできるだけ声を掛け、できる範囲で会いに行こうと思います。
節子の姉に会いに、敦賀にも行ってこようと思います。

 

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2026/04/29

■節子への挽歌6733:濱屋方子さんが亡くなっていました

節子
悲しいお知らせです。

遠縁の濱屋方子さんのことを思い出して、ネットで探してみました。
もう30年近く会っていなかったのですが、先日資料を整理していたら彼女の論文が出て来たのです。
もう交流が途絶えてから20年以上がたつでしょうか。
最後にあったのは、中国人をめぐる捉え方の違いでの論争でした。
私が人を信じすぎると注意されたのです。
何となく別れ方がよくなかったために気になっていました。

ネットで調べたら、台湾の大学に移り、日本語を教えていることがわかりました。
しかし彼女のブログに行き着いたら、そこに彼女の訃報がかかれていました。
2016年に亡くなっていました。
http://taiwanyuri.blog.fc2.com/

なぜもう少し早く連絡を取ろうと思わなかったのか。
残念です。

彼女の母親には節子も会っています。
節子が朝日新聞の「ひと時」に投書し、それが掲載された時、それに気づいて節子に手紙を送ってきてくれました。
なぜ節子だとわかったのか、不思議ですが、「やはり節子さんだったのね」と言われて、節子はとても喜んでいました。
投書内容は何だったか思い出せませんが、きっと節子らしい内容だったのでしょう。

私とほぼ同じ年齢ですから、亡くなっていたとしても驚くことではないのですが、人はみんな最後に会った時のまま記憶に残っています。

大学で教えていたこともあって、台湾では盛大な葬儀が行われたようです。
節子は会ったことがないと思うので、そちらで会ってもお互い気づかないかもしれません。

心よりのご冥福を祈ります。

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■誰かを敵に仕立てて仲間のきずなを確かめる

昨日の朝日新聞の「素粒子」です。

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「誰かを敵に仕立てて仲間のきずなを確かめる」

高市首相のことを言っているのでしょうが、同じことをやっている人が反高市派にもなんと多いことか。
どうしてみんな敵を作りたがるのでしょうか。
それでは戦争はなくならない。

平和を目指したいなら、まずは友敵思想から抜け出たいです。
敵をつくっておいて、戦争反対はいかにも白々しい。
せめて「高市」と呼び捨てるのはやめたいものです。
たとえどんなに嫌いであろうと。いや、嫌いならなおさらに。

と言っていたら、娘から、トランプ大統領も「トランプさん」と言わないといけないのかと言われました。
人の呼び方は実に悩ましい。

 

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■憲法サロン2026「私が一番守りたい日本国憲法条項」のお誘い(再送ですが、テーマを少し変えました)

恒例の5月憲法記念日前後の湯島憲法サロンは「私が一番守りたい日本国憲法条項」をテーマにすると案内させてもらいましたが、それもやりますが、新たにもう一つテーマを設定させてもらうことにしました。
話し合いはむしろこちらの方が中心になると思います。
そのテーマは、「日本国憲法は「押しつけ憲法」と言われるが、〈誰が〉〈誰に対して〉〈何を〉押し付けているのか」です。
一般には、〈GHQ〉が〈日本〉に〈戦争放棄・軍備放棄〉を押し付けている」ということだと思いますが、そこをもう少しきちんと考えたいと思います。

また最初に決めていた、「日本国憲法で私が一番守りたい条項」もそれぞれから発表してもらえればと思います。主権者である国民の視点から、ぜひ「統治者に守ってほしい条項」を選んでください。もちろん、「国益」のためではなく、自分の生活の視点から。

気楽に参加してもらえるとうれしいです。

〇日時:2026年5月4日(月曜日/休日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:日本国憲法は「押しつけ憲法」と言われるが、〈誰が〉〈誰に対して〉〈何を〉押し付けているのか/私が一番守りたい日本国憲法条項
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■湯島サロン「『サイレントフォールアウト』上映会」のご案内

湯島サロンでは、このところ、核時代をどう生きるかを重点テーマにしていますが、次回は、伊東英朗監督のドキュメンタリー映画「サイレントフォールアウト」(静かな降下物)上映会を行います。
今回は折原利男さんが担当します。
以下は折原さんからのメッセージです。

核時代をどう生きるか、という問題は大事な問題かもしれないが、問題が大きすぎて、個人の手には負えないから、どうすることもできないと思うかもしれません。しかし、この問題は現在、当事者意識をもたずにはいられない問題となっています。

日本は世界で唯一の被爆国とされていますが、そうではありませんでした。実際は、アメリカ政府によって101個の原子爆弾がアメリカ大陸に投下されて、北米大陸全域が放射能汚染され、汚染されたミルクを飲んだ全米の子どもたちまでもが被爆しました。
核実験を行えば、自国民が大きな放射線被害を受けることを知りながら、アメリカ政府はそのことを国民に隠して実験を繰り返していました。

伊東監督は、放射能問題、核兵器問題を解決するためには、この事実をアメリカ市民に伝え、自分たちも被爆者であるという当事者意識を持ってもらい、核大国のアメリカ議会とアメリカを変えなければならない、という結論に達します。
何事もアメリカの言いなりの属国であるかのようになっているわが国にあって、直接うかがった伊東監督の話と、その並々ならぬ使命感と決意には、心底驚かされ、圧倒される思いがしました。

そこで、5月24日(日)14時~16時30分、添付したファイルのようなドキュメンタリー映画『サイレントフォールアウト』上映会を開きます。

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なお、伊東監督の「放射線を浴びたX年後」と「サイレントフォールアウト」を中心にして現在の核問題を論考した拙文「アメリカを変えなければならない! 核をめぐってのある日本人映画監督の挑戦」〔『AMAZON』(創刊1962年)2025年5月、№531〕も添付しておきます。
上映会には読んでいなくても差し支えありませんが、核時代をどう生きるか、何ができるかを考える上で、目を通しておいていただけると幸いです。
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〇日時:2026年5月24日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『サイレントフォールアウト』上映会」
  映画を観た後、折原さんの進行で話し合いを行います。
〇問題提起者:折原利男さん(文筆家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■つながる場づくりに取り組む北九女子一歩会

先月、30年ぶりで湯島に突然やって来た北九州市の西本祥子さんから、北九女子一歩会通信『ひなたぼっこ』の第5号が届きました。

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北九女子一歩会とは、2018年に発足した、ひきこもり支援や地域活動などの経験を持つ女性で構成する団体です。ひきこもっている女性や、生きづらさを抱えている女性に対して、何かできることはないかという思いから発足したそうです。毎月1回、生きづらさに悩む女性の居場所「ひなたぼっこ」を開催しています。
https://www.facebook.com/groups/689118331543187/

彼女たちの活動の核は「場づくり」で、理念は「つながり」です。
つながるためには、お互いが知り合わなければいけません。
さまざまなケア活動や地域活動している人たちは、ともすると自分たちの関心事に焦点が行き過ぎて、全体が見えなくなってしまうこともありますので、広く目を外に向けて、いろんな活動を知ることで、自分たちの活動の道が開けてくることは少なくありません。
これは、私が20年前に取り組んでいた「コムケア活動」、そして今の「コモンズ村活動」や「あすあびサロン」と同じです。

北九女子一歩会の活動の中心は、毎月の生きづらさに悩む女性たちの居場所「ひなたぼっこ」の開催です。「ひなたぼっこ」は‟安心できる場” ‟ひとりじゃないと感じることができる場”を目指し、それを大切にしてきていましたが、そういう場から自然と活動が広がってきています。
一昨年は、「よりよい支援に向けてつながる思いの輪」をテーマにシンポジウムを開催、そこでのアンケート結果を踏まえて、「つながる場づくりを考える会」が発足しました。
そして昨年は、「考える会」での話し合いを踏まえて、3つのテーマを決めて、これまでとは分野が違う人たちと共同して「つながる場づくり」シンポジウムを3回開催しています。送られてきた『ひなたぼっこ』には、そのシンポジウムの報告がていねいに記録されています。つながりの輪が広がっているのがよくわかります。

違った分野で活動している人がつながると、新しい物語が始まることも少なくありません。各地のまちづくりにささやかにかかわってきた体験から言えば、まちづくりの基本は「人のつながり場」づくりです。
その意味で、西本さんたちの活動には興味を持っています。
これからの発展が楽しみです。
西本さんの思いもぜひ読んでみてください。
https://kitaq.media/19021/

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2026/04/28

■湯島サロン「人類は戦争を廃絶できるか」報告(2026年4月26日開催)

広島市立大学が出版した『原爆80年』(人文書院)に収録されている太田育子さんの「人類は戦争を廃絶できるか ラッセル=アインシュタイン宣言から考える国際秩序の未来」という論考を材料にした、「人類は戦争を廃絶できるか」のサロンは、とてもいい天気に恵まれてしまったためか、参加者は6人でした。
やはりこういうテーマでのサロンはなかなか集まりが悪いです。
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最初に太田さんの論考の要旨を私から紹介させてもらいました。
それをPDFにしたものを添付します。太田さんの論考を簡単に整理していますので、もしお時間があれば読んでみてください。

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つづいて第5福竜丸展示館のスタッフの黒田さんから「ラッセル・アインシュタイン宣言」に関して紹介してもらいました。
この宣言は1955年に出されたものですが、いまなおその内容は示唆的です。というよりも、いまこそしっかりと受け止めたい内容です。
全文をネットで読めますので、ぜひともお読みください。
https://www.pugwashjapan.jp/russell-einstein-manifesto

その上で、次の話題で話し合いをしました。

(1)核兵器は本当に「安全保障」に役立つのか/日本は核武装すべきか
(2)「戦争を廃絶する」にはどうしたらいいのか

大きなテーマなので結論が出る話ではありませんが、話し合いはいろいろと広がりました。

ちなみに、「ラッセル・アインシュタイン宣言」のポイントは、核兵器をつくることを人類が知ってしまった以上、いくら核兵器を廃絶しても、いざ戦争になれば、誰かがつくりだすだろう。したがって、大切なのは、戦争が起きない世界をつくることだということです。言い直せば、核時代になってしまった世界では「戦争」の意味が全く変わってしまったということです。
科学者の間でも、核の平和利用(つまり原子力発電)をめぐっては意見が分かれていますが(私はそれこそが問題の本質だと考えています)、それは同時に「戦争」の定義にもかかわってきます。そしてそれは、よく湯島のサロンでも話題になりますが、AI問題にもつながっていきます。

国家間・民族間の戦争をなくすにはどうしたらいいか、に関しては、閉鎖的にならずに他国の人たち、他民族の人たちとの交流を増やしていくことだということでなんとなく合意ができた気がします。併せて、他者と自分とは決して無縁の存在ではなく、一緒に社会をつくっている仲間だという想像力を持つこと。それなら私たち一人ひとりにもできることです。
しかし、現実はそうではない方向(移民排除)に日本の社会は向かっていますが、それは「戦争」を起こすことを目指している人がいるからでしょう。ほとんどの人は「戦争をなくしたい」と思っていると思いますが、一部の人たちは、むしろ「どうしたら戦争を起こせるか」を考えているのです。なぜなら、戦争を起こすことで、金銭的な、あるいは権力的な利益を得ることができるからです。

簡単に答えが得られる問題ではありませんが、意外と答えは簡単なのではないかというのが、話し合いを聞いていての私の感想です。
金銭がもし今の社会の「価値」であるならば、戦争はなくなるはずがありません。「戦争は嫌だ」と言っている私たちも、実は戦争を支える生き方をしていると言えるのかもしれません。その価値観を変えればいい。それも、私たち一人ひとりでできるはずではないかと私は思います。
でもこの問題は引き続き継続してサロンをしていく予定です。

なお「核時代を生きる」サロンの次回は、折原さんにお願いして、映画「サイレントフォールアウト」上映と話し合いを予定しています。
https://fallout22.com/movie/

既に折原さんから案内が回っていますが、日程は5月24日です。
改めてまた案内を流しますが、折原さんの投稿をぜひお読みください。

 

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■節子への挽歌6732:足のしびれ

節子
半年ほど前から足のしびれが時々出てきて、時に歩行が辛くなります。
病院に行こうと思いながら、まあそれほどでもないかと思っていたのですが、最近いささかひどくなってきました。
今日も出かけていたのですが、途中で辛くなり、ほうほうのていで帰宅しました。
さてどうしたものか。

腰痛はシップでなんとか対応できていますが、こちらの方はちょっと心配です。
やはり病院に行くのがいいでしょう。

とまあ、こんな感じで次々と身体にガタが来ています。困ったものです。
しかし、なんとかあと4年がんばらなければいけません。

ところがそう約束させられた若者たちも、あまり問題なしとは言えないのです。
気になっている一人の若者からは、今日また、とんでもないメールが届きました。

また父親を殴りました。警察の事情聴取から逃げています。

さてさて、困ったものです。
それでこう返信しました。

なぜ逃げるのですか。堂々と 事情を話して言うべきことはいい、謝るべきことは謝るのがいいです。
殴ったことは謝らなければいけません。謝らなければ、父親と同じことになってしまいます。
逃げるのはもっといけません。逃げることは自分が間違っていることを表明していることになりますから。

その返信を待っていますが、返信が来ません。
この若者は、私がその未来を大きく期待している若者です。
まあ私が在世のうちには花は咲かさないかもしれませんが、彼のためにも後4年はがんばりたいのです。

もう一人の若者も、ちょっと問題ありですが、心配しているのに連絡もくれません。
全くもう若いものと付き合うのも疲れます。

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■誰かのせいにしても、戦争はなくなりません

40年前の一昨日、ソ連のチェルノブイリ原発で事故が起こりました。
最近は、チェルノブイリとは言わずに、チョルノービリというそうですが、こういう表記の変更は、事故を忘れさせるための暴挙だと思いますが、それは今回書きたいことではありません。

チェルノブイリ事故は原発の危険性を世界に示しましたが、21世紀に入ると原油価格の高騰や地球温暖化防止を理由に世界的にまた原発の再評価の動きが出てきて、「原子力ルネッサンス」などという言葉まで使われ出しました。日本でも、そこで再生エネルギーへの動きは止まってしまいました。
ところが2011年に福島原発事故。まるで神様(自然)の警告のように私には思えますが、そこでまた脱原発の動きが出てきました。そして日本でも核兵器と原発は同じものだという認識がようやく生まれてきた気がします。

しかし、その動きもまた、ウクライナ戦争以来、反転し、今回のイラン戦争で一変しました。まさに歴史は繰り返すですが、そこに「資本の意図」をどうしても感じてしまいます。
「戦争」→「原油価格の高騰」→「原発回帰」という流れが、そこには見えますが、流れは反対なのではないかと思います。
つまり、「原発回帰」→「原油価格の高騰」→「戦争」。

経済を成長させるためには、市場の拡大が不可欠です
企業経営の基本は「顧客の創造(市場の拡大)」と言われているように、市場を拡大することにこそ資本主義の本質があります。
そう考えれば、「戦争」の意味がまったく違って見えてきます。
戦争は市場拡大の手段なのです。
しかも原油が高騰すれば、一挙に「市場規模」つまり「経済成長」が実現します。とりあえずは「名目価値」ですが、すぐに実態はついてきます。
このことは以前から言われてきていることです。

しかし今やそこに「原子力」が入ってしまった。
原子力の安全神話はもう消えたはずです。
原子力発電は、基本的に危ないもので、人間の管理できるようなものではありません。
しかし、原油が高くなるとみんなまた原子力発電を受け入れてしまう。
みんな「今の自分」のことしか考えていないのでしょうか。

戦争のために原油が高騰したのではなく、原油を高騰させるために戦争を引き起こした。
そう考えると、戦争はまた違った風景に見えてきます。
脱原発になっては経済の無限成長が止まってしまう。
戦争はそのために起こされているのではないのか。

つまり、戦争とはヒトラーやトランプが起こしているのではないのではないか。
私たち生活者一人ひとりの生き方が、戦争を引き起こしている。
私にはそう思えてなりません。

「戦争止めろデモ」の価値は私にもわかります。
でも戦争を止めるためには、まずは自らの生き方を変えることから始めたい。
誰かのせいにしても、戦争はなくなりません。

湯島ではそんな話し合いを毎月やっています。
そして私も、できることから生き方を少しずつ変えています。
来世もまたこの地球で生きたいからですが。

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2026/04/27

■節子への挽歌6731:薬膳食事会

節子
新倉さんの薬膳食事会でした。
参加者は主催者の増田さん以外は全員女性。私には全く苦手の集まりですが、まあ1回目だというので参加させてもらいました。
やはり食事会は苦手です。

料理は新倉さんのたけのこご飯や季節のものとしてのカツオやイワシのつみれ、それに新倉さんの庭の野草など、新倉さんがいつも反してくれている薬膳料理なのですが、何かちょっと違うような気がして違和感がありました。
やはり土とのつながりが実感できないからかもしれません。
出てくるもの一つひとつに問いかけます。
たとえば、豚肉には「これって何ですか?」と質問をするのですが、「それは豚肉です」と答えが返ってくる。まあ私の贖罪に関する知識のなさがそうなるのでしょうが、私のっと五の意味は、「この豚肉と薬膳の関係」を訊きたいわけです。そいう言う話があまりなかったのが残念でした。

私の問いかけ方がたぶん悪いのです。
最近もユカからさえも、私の問いはいつも言葉足らずだと言われます。
もう少し言葉を増やさなければいけません。
でも「薬膳食事会」であれば、問いの趣旨は、この食材はどういう意味で薬膳なのですかという問いであることは当然ではないかと思うわけですが。


豚肉もカツオも、新倉さんのことですから、きちんと産地や生産者も信頼できるところからのものでしょうが、私はそうしたものがもっときちんと説明されるものだと思っていました。
でもまあそんなかたいことをいわずに、ただただ食事会を楽しむというのが今日の参加者の趣旨なのでしょう。

しかし、最後に出て来たデザートには、ちょっと驚きました。
主催者の意向には反しているものだと思いますが、参加者の一人がお土産に持参した「白いイチゴ」が出たのです。
そこで一挙に興ざめしてしまいました。
こういう加工度を高めた商品食品こそが、薬膳の破壊者だと思っているからです。
商品を食べるのではなく、食べ物を食べるというのが薬膳の基本だと思っているからです。

でも白いイチゴは私には初めてでした。
それでユカやにこに見せてやろうとお土産にもらってしまいましたが、帰宅したら二人とも知っていました。
食べたことはないそうです。
これでわが家は、白いイチゴからは解放されるでしょう。
まあそういう意味では、薬膳料理を考える意味のあるデザートでした。

それにしても食事会はつかれます。

 

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■5月オープンサロンのご案内

5月の恒例のオープンサロン(第2金曜日)は5月8日です。

今回は有機農業の視察・意見交換で最近台湾に行っていた霜里農場の金子友子さんお土産の、有機村(羅山村)の雞鳴園の有機珈琲を用意しました。
ご期待ください。

ちなみに今回は参加できないと思いますが、友子さんと吉田太郎さんたちの台湾視察の報告サロンも近々開催の予定です。

出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。
事前申し込みも不要です。

〇日時:2026年5月8日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
東京都文京区湯島3-20-9ニューハイツ湯島603号室
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/04/26

■ブログへのアクセスが増えていますが、なぜでしょうか

最近また、このブログへのアクセスが増えています。
今日も今確認したら、700を超えている。
ちょっと気になります。

あまりに内容がある記事を書いていないのですが。

最近このブログをよく読んでくださっている人がいたら、なぜなのか教えてくれませんか。

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■節子への挽歌6730:キリギリスの子ども

節子
畑でキリギリスの子どもに出合いました。
と言っても私が好きな、普通のキリギリスではなく、小さな種類のキリギリスの子どもです。
自信がなかったので、写真をフェイスブックにアップして、みなさんにお訊きしたのですが、信頼する2人の方から、キリギリスの仲間だとお墨付きをもらいました。
今年初めて出会ったバッタがキリギリスというのは幸先がいい。
もしかしたら、大きなキリギリスにも出合えるかもしれません。
でもまあ、差君の吉田さんから頂いたキリギリスが散乱した可能性は限りなくゼロに近いです。
逆にわが家に残してある虫かごの中に散乱した可能性の方が高い。
一匹はそこで生を全うしましたから。

今朝は2匹のキリギリスに会いました。
桑の若芽についていました。まだ動き出したばかりのような感じでした。

明日から畑に行くのが楽しみです。
でもこうやってまた肝心の野菜作りから他のところに関心が行ってしまってはいけません。
今年はともかく収穫を目指します。

サニーレタスが芽を出し始めました。
畑面積をさらに増やしていこうと思います。

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2026/04/25

■節子への挽歌6729:マッピーくんからの紙飛行機

節子
今日はあすあびサロンでした。あすあびサロンももう19回目です。

今日は新たに参加した人が、手賀沼公園には花が少ないという話をしました。
記紀ながら、節子が取り組みだした花かご会のビジョンでは、駅前花壇から市内へと展開していく計画を話していたことを思い出しました。
当時私は、青森県の三沢市の花でまちづくりを展開するプロジェクトに少し関わっていたので、それを節子にも見てもらいながら、いつかはそういう方向に持っていければいいねなどと話していたのを思い出します。
残念ながらその計画は着手にさえ届きませんでしたが。

ところで今日のあすあびサロンの5歳のまっぴーくんが参加しました。
私が進行役として話をしている時に、紙飛行機が届きました。
まっぴーくんは、一応、会議にも出ているメンバーですが、会議の進行などには全く無頓着です。進行役の私が話していても、そんなことは気にしません。
困ったものです。
でも小さな声で、「メダカ、ありがとう」と言ってくれました。
メダカは元気だそうです。

飛行機を開いてみたら、そこに絵が描かれていました。
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メダカのお礼です。
メダカも人間も同じ形と大きさでした。
そのメダカが一挙に5匹いなくなったのだから泣いてしまうわけです。

今度は大丈夫でしょう。

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■第19回あすあびサロンへ報告

明日の我孫子を話し合う集まり「あすあびサロン」、今回はテーマを設定せずに、参加者がそれぞれ話題を提供する、いつものゆったりサロンでした。
新たな参加者が2人いたので、いつものように簡単な自己紹介から始めました。

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ところが新たな参加者のいずれも「想い」を持っている人で、今回はそれを中心に話し合いが盛り上がりました。

最初の話題は、手賀沼公園や手賀沼にもっと花がほしいという話題でした。
我孫子の花は「つつじ」ですが、たとえば、我孫子駅から手賀沼公園につながる道沿いや手賀沼公園にももっとつつじがあってもいいのではないかとか、手賀沼の水面にも咲く花があったらもっと観光客も増えるのではないか、など花話題がいろいろと出ました。

次の話題はいま進められているリサイクルセンター事業でした。この5月の市議会で本契約が議決される新リサイクルセンター事業の建設費は当初の予算の倍以上の120億円になり、その後の、ランニングコストも考えると、次世代の市民への影響も大きいですが、市民に対するしっかりした説明が十分ではないこともあって、市民の関心も広がっていないことに対して、どうしたらいいだろうかという問題提起でした。
市議会議員の中には、それを問題視し、市にも働きかけているようですが、納得できる回答が得られないまま、物価高騰の風潮の中で何となく押し切られてしまっていいのかというのが、問題を提起した人の疑問でした。
我孫子市は、ごみ分別では全国の先鞭を切った自治体の一つですが、その後はむしろ後れを取ってきているように思います。むしろ時代の流れが大きく変わっている中で(人口減少・環境問題の深刻化など)、リユースも含めて、私たち市民の生活のあり方も含めた大きなビジョンが必要ではないかという声もでました。

ビジョンに関しては、せっかく手賀沼という地域資源があるのに、それを活かしたまちづくりという大きなビジョンがないために、せっかく整備された公園坂通りも中途半端なままになっています。
行政の問題もありますが、やはり市民の意識がいまの状況を引き起こしているように思います。

他にもいろいろな話題が出ましたが、いずれにしろ、あすあびサロンでの話し合いから具体的な動きが生まれていけばと思います。
リサイクルセンター事業に関しては、ぜひ市民に公開された場での話し合いが行われればいいと思いますし、1年を通して手賀沼(公園)を花で魅力的にしていく動きも、できれば小さな動きでも出せればと思います。
あすあびサロンは、開かれたプラットフォームですので、主体的には動きませんが、そうしたプロジェクトが起これば全面的に応援していきたいと思います。

次回は、我孫子の歴史に詳しい越岡さんに、我孫子の歴史的魅力を話してもらう会を検討したいと思います。内容や日程が決まったら案内させてもらいます。

 

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■節子への挽歌6728:朝の飲み物が亡くなってしまいました

節子
朝のルーチンが変わってしまいました
健康のために、私にはいくつかの朝のルーチンがあります。
しかし最近、それが変化してきています。
朝起きてすぐ水を飲んで20分の水素風呂入浴は、変わらずですが、朝の飲み物が大きく変わってきたのです。

まず前立腺がん以来、友人の勧めで始めた「ニンジン・リンゴ・レモンジュース」を自分でつくって飲んでいましたが、山森さんから弱っている腎臓にはよくないと言われ止めました。同時に果汁ジュースは一切やめることにしました。
つづいて飲んでいたのが、豆乳とホワイプロテインです。これはホルモン療法で筋力が急速に落ちたのでそれを補給するためです。これも沢田さんの勧めで始めましたが、昨日、信頼する葛綿医師から弱った腎臓にはよくないと教えてもらいましたので、今朝から止めました。

コーヒーはいつものようにマグカップでたっぷりと飲むのですが、飲み物が減ってしまいました。
弱った腎臓に良いものとして、お酢がいいと本に書いてあったので、濃縮された果汁酢を水で割って飲むことにしていますが、これくらいしかありません。
脳神経外科の関係で水分はとらないといけませんが、ただの水は私は苦手なのです。
コーヒーは、むしろ水分を体外に出す働きがあるのでほどほどにと言われています。

新倉さんから教えてもらった野草茶や季節に合ったお茶も一時期、つづけましたが、ルーチンにはなれませんでした。

というわけで、朝のルーチンが減ってしまいました。
これからどうしようかと考えているうちに、今朝の入浴は30分になってしまいました。さてなにか弱った腎臓にいい飲み物はないでしょうか。

ちなみに最近は体力低下で、朝のテレビ体操もさぼってしまっています。
朝の畑は、ユカから禁じられています。
さてさて。

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2026/04/24

■節子への挽歌6727:脳神経外科の定期検診は問題なし

節子
今日は3カ月に1回の脳神経外科の定期検診です。
今日は血液検査でした。
血液検査は、前立腺癌や腎臓の関係で、何やら毎月やっているような気もします。

検査結果は特に異状なし。腎臓関係の数値も少し改善していました。
まあ誤差範囲ではありますが。

脳神経外科は我孫子名戸ヶ谷病飯野葛綿医師にかかっています。
葛綿さんは、東邦病衣飯野加藤医師と並んで私が信頼できている医師です。
葛綿さんは、まず、私の目をしっかりと見て話してくれますし、脳神経以外のことにも関心を持ってくれます。
今日も腎臓病の話をしましたが、いろいろとアドバイスしてくれました。
今か買っている別の病院の腎臓の担当医は、ともかくもう少し経過を見ましょうの一点張りで、食事に関しても、特に普通にしていればいいとだけしか言ってくれません。何のための検診かといつも思いますが、何もアドバイスくれないのです。

ちなみに、クレアチニンのデータは少し改善していました。まあ誤差範囲なのでしょうが、当人にとっては精神的にはうれしいものです。
たんぱくはあまりとらない方がいいと言われ、いま毎朝飲んでいるプロテインもやめることにしました。
実は病院に行く前にテレビで、肉を食べるようにという番組を見ていたのですが、肉もたんぱくが多く、注意した方がいいようです。
全く持って、食は難しい。

新倉さんのふるさと薬膳講座をもっとしっかりと聞かなければいけません。
私には一番苦手なことですが。

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■フジテレビ系列で放映されている『銀河の一票』をお薦めします

茶色の朝のサロンの報告に書きましたが、ほう奥が長いので、後半に書いた『銀河の一票』の紹介のところまでたどり着かなかった人も多いでしょう。
それでその部分だけをまた投稿しようと思います。
ともかく多くの人に見てほしいからです。
https://www.ktv.jp/ginganoippyou/

まだ始まったばかりのドラマなので、これからどう展開するかはわからないのですが、その第1回目を何気なく見ていたのですが、最後の10分で感動しました。涙まで出ました。まあ半分は笑い涙でもありますが。
しかし、まさに私が日頃思っていることを主人公たちが語ってくれたのです。それで多くの人にも見てほしいなと思ったのです。

私がそう思ったところだけ紹介します。

政治家の秘書だった主人公に、今の政治に満足しているかと訊かれて、スナックに来ていた「庶民」たちが言います。
(満足はしていないけど)国のことは偉い人に任せるしかないでしょう。私たちはみんな自分たちのことで精一杯だから。
政治の話はよくわかんないし、手が届かないっていうか、変えたくても変えられない。

それに対して、政治家の秘書だった主人公が言うのです。
政治は私たちの話です。(政治には)手が届きます。届かなければいけないんです。(政治を)変えられないって、変えようとしたことありますか。政治家は単なる代表で、えらい人じゃないです。
届かない、変えられないって思わせてしまっているのは政治家たちです。
みんなが自分のことで精一杯の世界なんて辛いじゃないですか。

そして続けます。
でも手放さないでください。幸福追求の権利を。世界全体幸せにならないと個人の幸せはありえないのです。

そこからドラマが思わぬ方向に展開していくのですが、どうなるかは来週放映の第2話以降を見なければわかりません。私は録画予約をしました。みなさんもぜひ。

主人公が言うように、国民一人ひとりが政治を考えないといけない。人任せにしていたら、批判もできない。政治とは私たちの生活に関わることなのです。

湯島では毎月、そうしたことを気楽に話し合う「茶色の朝」サロンをやっています。
この主人公の発言に共感した人にはぜひ参加してほしいです。
誰でも歓迎の気楽なサロンですので。

このドラマには、もう一つ共感できるセリフがありました。
自殺(誤解なのですが)しようとした主人公が、止めてくれたもう一人の主人公に、どうして私のことをそんなに心配してくれるのかと訊くのですが、それに対してもう一人の主人公が、こう答えるのです。
あなただって世界の一部でしょう。私が幸せでいるためにあなたにも幸せでいてもらわないといけない。

世界から戦争をなくすのは簡単なのです。みんなが「世界全体幸せにならないと個人の幸せはありえない」に気づけばいいのです。

湯島では4月26日の午後、「戦争は廃絶できるか」をテーマにしたサロンを開催します。
お時間が許せばぜひご参加ください。
テーマは重いですが、誰でも歓迎の気楽なサロンですので。

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2026/04/23

■節子への挽歌6726:敦賀からのタケノコが届きました

節子
敦賀に住んでいる節子の姉から恒例のタケノコが届きました。
義姉と節子はとても仲良しでした。
節子が私と結婚する時には、姉はまだ独身でしたから、それがけっこいう大変だったのです。
姉より先に結婚することに関して節子は抵抗があったのです。
でも当時の私は、そうした「常識」を壊すことに価値を見出していましたから、節子のそんな気持ちをほとんど考慮しませんでした。

節子の両親もそれを気にしていましたし、何よりもいわゆる「本家」が異を唱えたのです。ですから私の評判は当初は極めて悪かったのです。

もっとも本人の義姉はともかく素直な良い人ですから、たぶん私たちを祝福してくれました。義姉より先に結婚したためか、節子は義姉より先に逝ってしまいました。

義姉の伴侶は、義姉と同じように良い人です。
とても仲のいい夫婦です。
でもふたりとも高齢で今はいろいろと身体的にも大変のようです。
そんな中、義兄はタケノコを掘って送ってくれたのです。
しばらく私も敦賀には行っていません。
今年は行こうと思います。
ユカがつき合ってくれるといいのですが。

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■4月の茶色の朝サロン報告(2026年4月20日開催)

日本の社会の「茶色度」が増すなかで、今回は前日に、「見せられている世界」と「見たい世界」ではなく、「ありのままの世界」に触れて、自分でその意味を考える「自分の世界」に生きることが大切ではないかというようなことを書いて、改めての案内をさせてもらいました。
そのおかげもあって、いつも以上ににぎやかなサロンになりました。メンバーの入れ替えもあったりして、時間も3時間を超えても終わらないほどでした。
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最近の状況では、ふとしたきっかけで戦争が起こり、日本が巻き込まれていくことも十分にあるにもかかわらず、なぜかこの数日のマスコミは、京都の児童行方不明事件ばかりで、イランやウクライナの動きがなかなか見えてこないことに、不安を感じている人もいました。マスコミ報道は、情報を提供するのではなく、情報を隠蔽してしまう働きもできる。いずれにしろ、私たちの関心は、目先のマスコミ報道で大きく影響されてしまう。それこそが、「茶色の朝」を迎える始まりかもしれません。目先の事件に気を取られているうちに、私たちの生活を縛る法律や制度ができてしまうかもしれません。
いや、もうすでにそうした動きが着々と進んでいるのかもしれません。

しかし、その一方で、最近の国会前をはじめとした「戦争反対デモ」への参加者は着実に広がっています。それも一人で自発的に参加する若者が増えているようです。高市さんのおかげで、政治に目覚めた人もいる。そこで新しい「つながり」が生まれる人もいる。家庭や仕事に引きこもらずに、そういう場に出かける人が増えている。
今回のサロンにも、そうしたデモに参加している人も参加しました。

いままさに、日本の政治は大きな岐路にあるような気がします。
高市政権は憲法9条を変え、武器輸出も認め、戦争にまっしぐらのようにも見えますが、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」。政治が反転する道を開いているのかもしれません。そのためにも、私たち一人ひとりの生き方が、ますます大切になってきています。政治がまさに私たちの生活に直結していることに気づけば、いまの若者たちは、他人事のような政治談議で満足するはずがない。みんな真剣に考えだすはずです。
政治は、政治家が仕切っているわけではなく、政治家を選ぶ私たちの生き方で方向を変えていきます。まさに糾(あざな)える縄のごとし、です。

サロンでの話し合いは、いつものように活発で、話し合いに入っていくのが難しいほどでした。みんな話したいことをたくさん持っているのです。しかし、気楽に話せる場は、まだ多くはない。

最近の高市政権の支持率に関してもいろんな意見が出ました。
高市政権を支持した若者たちの政治観への否定的な意見もありましたが、これを契機に政治への関心を高めていく流れになれば、という期待の声もありました。自分の尺度で見てしまうと現実は見えなくなってくるのが、大きな変革期の特徴です。私はやはり、若い世代を信じたい。

戦争反対デモの話もいろいろな見方がありました。最近のデモは、フェスみたいだという意見もありました。しかし、そこにも時代を変える大きなヒントがあるような気がします。これまでの「政治概念」「デモ概念」に縛られていては、何も変わっていかない。

自分が生活している自治体の政治への関心も話題になりました。
政治というと、多くの人は国政を考えがちですが、生活の身の回りのことを扱う自治体の政治は、国政を支え、国政を生活につなげる、まさに「政治の場」です。
今は残念ながら、国政から自治体政治へとベクトルが向いていますが、そのベクトルを反転させなければいけない。政治は国家のためにあるのではなく、国民のためにある。そのために、主権者たる国民は政治家に政治を託しているのです。その理念から言えば生活の場の政治、自治体政治から国政へと政治のベクトルを変えなければいけません。
そういう政治であれば、生活者である私たちにもできることはたくさんある。

たとえば、茶色の朝のサロンでよく話題になるように、身近で起こったおかしいことに声をあげていくこと。自治体行政の施策に関心を持っていくこと。自治体議員を通して、国政に働きかけていくこと。もちろん戦争反対デモに行くのもいい。
しかし、日常生活こそが政治の起点であることを忘れてはいけません。
そして、誰かのための政治や経済ではなく、みんなのための政治や経済、そして社会を目指していきたい。それこそが「茶色の朝」の社会になっていくことを防ぐことです。
サロンでのみなさんの話し合いを聞いていて、改めてそう思いました。
実際に、そういう生き方をしている人もサロンに参加していました。

サロンの日(4月20日月曜日)の夜から始まったテレビドラマがあります。
フジテレビ系列で放映されている『銀河の一票』です。
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/ginganoippyou/index.html
まだ始まったばかりのドラマですが、私はサロンで疲れてぼーっと観ていましたが、最後の10分で感動しました。涙まで出ました。まあ半分は笑い涙でもありますが。
しかし、まさに私が日頃思っていることを主人公たちが語ってくれたのです。それは、茶色の朝サロンの理念でもあります。
サロンの報告とは違いますが、ドラマでのやり取りを引用させてもらいます。

政治家の秘書だった主人公に、今の政治に満足しているかと訊かれて、スナックに来ていた「庶民」たちが言います。
(満足はしていないけど)国のことは偉い人に任せるしかないでしょう。私たちはみんな自分たちのことで精一杯だから。
政治の話はよくわかんないし、手が届かないっていうか、変えたくても変えられない。

それに対して、政治家の秘書だった主人公が言うのです。
政治は私たちの話です。(政治には)手が届きます。届かなければいけないんです。(政治を)変えられないって、変えようとしたことありますか。政治家は単なる代表で、えらい人じゃないです。
届かない、変えられないって思わせてしまっているのは政治家たちです。
みんなが自分のことで精一杯の世界なんて辛いじゃないですか。

そして続けます。
でも手放さないでください。幸福追求の権利を。世界全体幸せにならないと個人の幸せはありえないのです。

そこからドラマが思わぬ方向に展開していくのですが、どうなるかは来週放映の第2話以降を見なければわかりません。私は録画予約をしました。みなさんもぜひ。

主人公が言うように、国民一人ひとりが政治を考えないといけない。人任せにしていたら、批判もできない。政治とは私たちの生活に関わることなのです。

そのドラマには、もう一つ共感できるセリフがありました。
自殺(誤解なのですが)しようとした主人公が、止めてくれたもう一人の主人公に、どうして私のことをそんなに心配してくれるのかと訊くのですが、それに対してもう一人の主人公が、こう答えるのです。
あなただって世界の一部でしょう。私が幸せでいるためにあなたにも幸せでいてもらわないといけない。

世界から戦争をなくすのは簡単なのです。みんなが「世界全体幸せにならないと個人の幸せはありえない」に気づけばいいのです。

ともかくこのドラマをみんなに見てほしいです。見られない人には初回のドラマのその部分を次の茶色の朝サロンで上映しようと思いますので、ぜひ見に来てください。

ちょっとサロンの報告とは関係のない内容になってしまいましたが、お許しください。


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2026/04/22

■節子への挽歌6725:マッピーくんがメダカを受け取りに来ました

節子
マッピーくんがメダカを受け取りに来ました。
とてもうれしそうで、喜んでくれました。
しかしどうして私に電話してくれたのかまだ理由がわかりませんが。

わが家にも湯島のメダカを数匹連れてきました。わが家では、メダカとドジョウが同居しています。メダカとドジョウは相性がいいのだそうです。ドジョウは一匹しかいないので、いつかもう一匹引き入れたいのですが、なかなかドジョウには会えません。

今わが家にはメダカとドジョウしかいません。
昨年、吉田さんからもらったキリギリスが産卵していて、卵が孵化するといいのですが、残念ながらその可能性は低いでしょう。

昔は何とかサワガニを庭の池に放し飼いしたいと頑張ったのですが、結局成功しませんでした。今はその池も埋められてしまいました。
2階のベランダで放し飼いする方策がありますが、いまのところ、チャレンジする元気がありません。
まあしばらくはメダカとドジョウで満足しておかないといけません。

自然と日常的に生活を共にするのは簡単ではありません。

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■第45回万葉集サロン「穂積皇子の歌4首」報告(2026年4月19日開催)

今回は穂積皇子の歌を通して、「〈た〉から遊離する孤影〈わ〉」を探るのがテーマでした。難しそうなテーマですが、簡単に言えば、個人としての意識(個性)が生まれてきたという話です。言葉を使う主体性が育ってきた。歌の主役が言葉から人の心へと移ってきたといえるかもしれません。
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穂積皇子と言われても、ほとんどの人はどういう人かわからないでしょう。そこで升田さんはまず、時代背景も含めて、穂積皇子のことを説明し、その上で、穂積皇子の歌4首を読んでくれました。
穂積皇子の歌は4首しか残っていないのです。しかし、4首とはいえ、その言葉づかいには特徴がある。升田さんは、穂積皇子の歌には、言葉の呪力に呪縛されながらも、そこからちょっと離れた「心の反応」や「個人意識の芽生え」が読みとれるといいます。穂積皇子の言葉づかいは、人々がみんなで歌った民謡やほかの歌人の歌とはちょっと違う。そこに升田さんは、人としての穂積皇子を感じ、会ってみたい人だと言います。

穂積皇子は天武天皇の第5皇子で、母は蘇我赤兄の娘です。文武天皇時代には藤原不比等と共に政治の中枢にいましたが、その一方で、残された歌から恋多き風流人とも言われていました。それも、歌からもわかるように、ちょっと危険な恋もあったようです。
最初の歌、巻2–203「降る雪は あはにな降りそ よなばりの 猪養の岡の 寒からまくに」(雪よ、そんなに降らないでくれ。あの岡が寒くなるだろうから)は、但馬皇女の墓を望んで詠んだ挽歌ですが、そこから但馬皇女との禁断の恋が推測されます。

猪養の岡とは、但馬皇女の墓のある岡です。
但馬皇女は、壬申の乱後の天武政権の中心にいた高市皇子の妃とも言われている人ですが、但馬皇女の穂積皇子を思う歌も数首あるのです。そのため、2人の「禁断の恋」が話題になるのです。
しかし、今回の升田さんの関心はそこではありません。升田さんは、あくまでも穂積皇子の言葉から、個人意識の誕生を読み取ろうというわけです。
但馬皇女の墓が「寒いだろう」と感じることで、他者の身体感覚を自分の心につなげる。そこに、個人の感情の深い思いが感じられる。万葉初期の挽歌とはちょっと違うのです。

つづく巻8–1513「今朝のあさけ 雁が鳴聞きつ 春日山 もみちにけらし 吾が心痛し」では、「心痛し」に注目します。たとえば、当時の民謡などでは「心乱れて」という自然現象に通ずる言葉が使われたそうですが、穂積皇子は「心痛し」という表現している。ここにも「個人意識」の芽を感ずるわけです。

3首目は 巻8–1514「秋萩は 咲くべくあらし 吾が屋戸の 浅茅之花の 散りぬる見れば」(萩は咲こうとしているのに、庭の茅の花は散っていく)。そして4首目巻16–3816「家にありし 櫃(ひつ)に鍵さし をさめてし 恋の奴(やつこ)の つかみかかりて」(「恋なんてものは、櫃に鍵をかけてしまっておいたはずなのに、また“恋のやつ”がつかみかかってきた」。というように、4首をていねいに読んでくれました。

ちなみに、4首とも、升田さんは万葉仮名の表記で読んでくれましたが、ここでは読みやすいように読み下し表現にしています。

話し合いの中でも質問が出ましたが、この4首は実際に詠まれた順番のようです。となれば、悲恋と深い悲傷、自然の変化に心が動く感受性、恋を「奴」と呼ぶ心の余裕というように、穂積皇子の心の物語をそこに読み取ることもできます。そこに、個人の内面を自覚し、言葉として形にしようとする個人意識(〈た〉から遊離した〈わ〉の芽生え」を升田さんは読み取るのです。
共同体的・儀礼的な歌から、個人の心のドラマへと移行する兆しと言ってもいい。歌の意味が変わっていく。人も変わってくる。

こうした穂積皇子の歌に、升田さんは、「国」の成立・形成に伴って氏(一族・家)の力の歴史が顕現し、人の生き方に深く関与する時代に入ってきたことを読み取ります。そして、古代史では有名な有間皇子事件を取り上げ、史書に書かれている事件の概要を説明した後、万葉集歌人たちによる「結び松」への哀傷歌を紹介してくれました。
この哀傷歌は人々の共感を得て、この事件は広く語り継がれていたのでしょうが、そうしたことが穂積皇子に大きな陰を落としたはずだと升田さんは考えています。ちなみに有間皇子事件が起きた頃、穂積皇子は、まだ生まれていなかったかもしれません。しかし有間皇子事件には穂積皇子の祖父の蘇我赤兄が深く関与しており、穂積皇子の心に大きな影響を与えていたと升田さんは考えているようです。それが皇子の個性を形成し万葉集に特異な歌を残す結果をもたらしたのだと。
穂積皇子の「わ」は「た」から遊離し、「国」の成立と共に顕出する「氏(一族・家)」の歴史が大きく身に関わってきたために、内面的であり、諧謔的でもある穂積皇子の心が育ってきた、と升田さんは言います。
そこに、升田さんは純正な人の傷ついた姿を見るのですが、もしかしたら升田さんは穂積皇子に惚れているのかもしれません。確かにそれだけの魅力はある。

ここででてくる「氏」は、「た」と「わ」を介在するものとして、それこそが日本の国形や日本人の意識の基本を形成していく上で、大きな役割を果たした存在です。
しかもこの時代は、「氏」も「国」も「人」も大きく変化した時代であり、いまにつながる国の基礎ができた時代です。
このテーマはあまりに大きいのですが、万葉集から見えてくる話なのです。

さらに升田さんは、但馬皇女と穂積皇子の近くにいたと思われる語り部的人物かもしれない児部女王の「嗤ふ歌」(巻16-3821)や皇子の孫の広河女王の歌も紹介してくれました。4首しか歌は残していませんが、穂積皇子の世界は、広いのです。

今回はもう一つ、大きな話題が出ました。
「形容詞」が自らの心の内面を直接表現する言葉として広がってきたという話です。
当時の民謡の中にも、多くの形容詞が使われていますが、外界の状況を表現するためでした。しかし、穂積皇子は、「心痛し」のように、個人の心の内面を直接に表すために、形容詞を使いだす。これによって、「個人意識」が言葉で表現しやすくなったと言ってもいいでしょう。形容詞が「個人の内面」を表す主要な語として機能しだしたのです。言葉が、個人の内面表現の中心として働き始めたと言ってもいい。客観描写より主観が前面に出る。言葉と心(意識)の関係が変わりだしたのです。

話し合いでは、当時の結婚や恋愛観なども話題になりました。いずれにしろ、現代の感覚では万葉集の世界はなかなか見えてこない。
穂積皇子の歌は、そういうことを考え上でも、興味ある歌なのです。

この時代はともかく面白い時代です。
その面白さを、穂積皇子の4首の歌から垣間見る。とても意欲的なサロンでした。
私自身の消化不足から、十分の報告ができないのが残念です。

 

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2026/04/21

■節子への挽歌6724:問題はすべて解決しました

節子
やはり昨日も疲れる1日でした。
湯島に早目に行ったのですが、失念していたのですが、午前中は引きこもり関係のカウンセリング活動をしている阿部さんの個人面談日でした。
時々、忘れて重なってしまうのですが、その時は、必ずと言っていいほど、私も阿部さんの相談に巻き込まれてしまいます。
阿部さんは、私のことを勝手に「師匠」と位置づけて、相談相手に佐藤さんも巻き込んでの話し合いにしようというので、相手も断るわけにはいかないのです。
私はもちろん、無責任には話し合いに参加しないと断って、横でパソコンをやるようにしていますが、いろいろと話が入ってくるので、30分もするとついつい口を出したくなってしまう。
それで余計な言葉を発してしまい、それが契機でいつの間にかダブルカウンセリングになってしまうのです。
困ったものです。

昨日もつい口を出してしまいました。
どうして息子さんを信じられないのですか。引きこもりで何が悪いのですか。そのあげくに、親がいなくても子供はどうにかやっていきますよ。と、いささか無責任な発言をしてしまうのです。
困ったものです。

でも話を聞いていると、要するに結局は親の問題なのです。
親が不安で、なんでもいいので誰かに聞いてもらいたいだけなのです。
いつも思いますが、やはり「問題の立て方」が間違っている。
こんなことを言っているのに、なぜか阿部さんは私を「心の師匠」だという。
困ったものです。

2時間のカウンセリングタイム。
疲れました。
その後は茶色の朝サロン。
こちらはもっと疲れました。

そんなわけで、今日の午前中は自宅でぼーっとしていました。
午後は晴れたので畑に行って土に触れてきました。
元気が戻ってきました。
と思っていたら、一昨日に諸問題が不思議なことにほぼすべて解決しました。
私は何もしないのに、です。

明日は良い1日になるでしょう。

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■農作業もどき日記2026(8):ジャガイモを植えました

今日はジャガイモを植えました。
種芋はもうお店では売っていなかったので、わが家に残っていた古いジャガイモの芽が出ていたのを利用しました。
さらに畑をまた少し広げました。さつま芋も植えるつもりです。
今年の農作業は順調です。今のところ、ではありますが。
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帰りに元気な野草のカラスノエンドウを3つかみくらいとってきました。
これは食べられるそうなのです。
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娘はやめろといって調理してくれないので、娘にやり方を聞いて自分でおひたしにしてみました。
ところが食べてみたら、芯が残って嚙み切れない。
面倒なのでともかく水洗いしてそのまま茹でてしまったのです。
がんばって食べてみましたが、ちょっと無理そうです。
茎部分はとらないといけないのでしょうか。
生で食べるのがいいのでしょうか。

野草を食べるのはそれなりに難しそうです。
鍬の若葉の時はうまくいったのですが。

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2026/04/20

■「見せられている世界」と「見たい世界」から抜け出しましょう

マスコミ報道とネット報道では、世界の描き方が大きく違います。
したがってどちらかだけを見ていると、世界は偏ってしか見えてきません。
極端に言えば、誰かが「見せたい世界」を見せられてしまっているかもしれません。

しかしネット情報が優れているわけでもありません。
ネット情報もまた、ある人たちに管理されているわけで、注意しないと、「見たい世界しか見えない世界」に閉じ困られてしまっているかもしれません。

「見せられている世界」と「見たい世界」。
大切なのは、そのいずれでもなく、「ありのままの世界」に触れて、自分でその意味を考える「自分の世界」に生きることではないかと思います。

そうした世界に生きるためには、まずは「怒り」や「不満」や「期待」を持ちすぎないことです。
そうしたものを持っていると、世界はなかなか見えてこない気がします。
湯島のサロンで話していて、感ずるのは、信念が世界を見えなくしているように感ずることが少なくありません。

しかし、信念がなければ、また世界は見えてこない。
ではどうすればいいか。
いろいろな信念に触れあうことだろうと思います。

昨日の戦争反対デモは盛り上がったようです。
デモも大切ですが、異論を持つ人たちと話し合って、自らの世界を相対化することも大切です。

今日は午後2時から、湯島で「茶色の朝」サロンを開催しています。
お時間が許せば、ぜひ。
世界はまさに今、大きく変わろうとしているよな気がしてなりません。

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■節子への挽歌6723:昨日は疲れる日でした

節子
昨日はいささかの疲れを感ずるほどに、いろいろなことが起こりました。
人との付き合いはまことに持って面倒なものです。

なぜか昨日は、4人の方からメールや電話などが来たのです。
悪い話だけではありません。
とてもうれしい話が2つ、気の滅入る話が2つ。
まあこれが人と付き合うということなのでしょう。
もちろんほかにも、ちょっとイライラすることもあり、昨日はかなり疲れて日になりました。
それを解消するために、数独に取り組んだのですが、できたと思ったとたんに、間違いに気づき、気分解消どころかさらに疲れてしまいました。
でもまあ、それが人生でしょう。
今日は尾を引かなければいいのですが。

ちなみに、直接ではありませんが、これとは別に友人の話が届きました。
ちょっと放っておけないかという状況になってしまっているようです。
さて、声を掛けるかどうか。声を掛けたらまた面倒になるのは確実です。
でもきっと彼は声を掛けられるのを待っているでしょう。
まあこう考えれば、こうしていろいろと面倒なことに巻き込まれるのは、結局は私がそうしているのでしょう。
困ったものです。

今日も疲れそうな1日のはじまりです。

 

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2026/04/19

■節子への挽歌6722:ホームページが復活します

節子
最近また、このブログへのアクセスが増えてきています。
内容がないブログなのに、不思議です。
最近は、以前と違って時評編もあまり内容がないばかりか、サロンの報告中心になってきているのに、です。

まあそれはそれでいいとして、いまにして思えば、もう少ししっかりしたものを書き残してもよかったかなと思うこともあります。
ブログではありませんが、ホームページを始めたとき、そこに私のすべてを書き残そうと思っていました。
宮部さんからホームページの作り方を教えてもらい、2001年の大みそかに自分でつくり上げたのが、CWSコモンズのホームページです。
以来、そこに私の世界を残そうと思っていました。いや、実はもっと大きな構想があり、そこに私の世界を創ろうとしたのです。
最初は楽しかったのですが、途中で技術的な対応ミスから、作り上げてきたもののかなりの部分を消去してしまいました。
そして節子の病気。
構想はいつの間にか消えてしまいました。

あげくの果てに、パソコンを変えるたびにソフトを新たにインストールしなければいけなくなり、友人の坂谷さんにお願いしてサポートしてもらっていましたが、あまりに手作りのホームページのため創った世界が壊れてきて、更新をさぼっているうちに、更新できなくなってしまったのです。
最後の更新が2020年。

ところが、そのとまっていたホームページを坂谷さんが、動かせというのです。
そして私がまた更新できるようにしてくれたのです。
今朝見たら、日付が更新されていました。
そして、更新できるようにソフトまで入れたパソコンを提供するので、更新を再開するように勧めてくれるのです。

そこまでしてもらえば、動かないわけにはいきません。
さて本当にできるのでしょうか。
近いうちに坂谷さんに会って、ご教示いただこうと思っています。

どこまで復元できるか、ちょっと自信がないのですが、坂谷さんが教えてくれるでしょう。

というわけで、いよいよ、ホームページCWSコモンズの復活です。
https://cws.c.ooco.jp/index.htm

 

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2026/04/18

■節子への挽歌6721:今日もゆっくりと畑作業に行ってきました

節子
今年は最後の畑作業なので、継続を第一にゆっくりと進めていますが、畑がだいぶ形になってきたので、いよいよ花壇の整理に入ろうと思います。
しかしここは昨年、琉球朝顔が一面を覆いつくし、ほぼすべての花を追いやってしまいました。それに抗って映えてきている野草はいかにも強い。笹もだいぶ復活してきています。
ここは結構大変なのですが、少しずつ整理していけば何とかなるでしょう。

それにしても節子のロックガーデン構想はほぼ手付かずのまま終わってしまいました。

畑で土や野草に触れていると、心が和みます。
h竹部分が増えてきたので、ゴロンと横になる場所があまりなくなってきたので、いまはただ地面にどっさと座るだけですので、空があまり見えません。
畑に来たら、そこでコーヒーくらいは飲めるといいのですが、独りでは楽しくもありません。

しかし今年の畑作業は順調です。
昨年とどこが違うのか。理由はわかりませんが、ともかく順調です。
まだ今年は倒れたこともありません。
無理ができなくなったおかげかもしれません。

撒いたタネはなかなか芽を出しませんが、きっと今年は収穫ができるでしょう。
なにしろ最後の畑仕事ですから。

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2026/04/17

■節子への挽歌6720:兄との会食

節子

兄から一緒に食事をしようと誘われました。
兄は間もなく92歳です。
元気ですが、毎日医者通いなので、忙しいのです。
しかし、高齢なので、いつどうなるかわかりません。
ですから、以前とは違い、できるだけ時間が合うときには食事などしているのです。

以前は一緒に食事をすると喧嘩になるので、そうならないようにユカが同伴してくれていましたが、いまはお互いに丸くなり、ふたりだけでも喧嘩にはならなくなりました。まあしかし、特に話すこともなく、病気のことなどが話題になるので、あんまり楽しくはありません。
でもお互い、いつどうなるかわかりません。ですから、誘われたら基本的に断らないようにしているのです。
今日も急に誘われましたが、付き合うことにしました。実は別の約束もあったのですが。

相変わらず私の病気のことを心配していろいろと言ってきます。
私のことより、自分のことを心配した方がいいと思いますが、兄としてはやはり弟が心配なのでしょう。弟は、兄のことはあまり心配はしません。冷たいと言われそうですが、高齢になった兄弟はそんなものでしょう。

兄は私とはかなり違った生き方です。価値観も真反対なのです。
数年前に叙勲を受けましたが、その価値を全く認めない弟なので、張り合いはないでしょう。結局、お祝いもしませんでした。でもまあこればかりはどうにもなりません。

しかし、兄との付き合いもいつ終わるかわかりません。
私の方が先に逝くかもしれません。お互い、そういう年齢になって来ました。
いつ最後になるかもしれないのでそのつもりで毎回、会うようにしなければいけません。会っている最中にはどんな話になったとしても、別れ際は仲良く、気持ちよくわかれるように心がけています。

今日も仲良くわかれました。
いつも食事は兄が、食後のコーヒーは私が担当です。

会食の後、兄はまたお医者さんに行きました。
私にもきちんと医者に行けよと言いながら。
兄はいつまでも弟が心配のようです。

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■『涙の箱』(ハン・ガン著 評論社)を読みました

2024年にノーベル文学賞を受賞した韓国の作家ハン・ガンさんの『涙の箱』を読みました。短編ですので、一気に読みましたが、一気に読んだのは短編だったからではありません。読み出したら、止まらなくなったのです。
https://www.hyoronsha.co.jp/search/9784566024892/

内容はネタばらしになるので、書きませんが、自分自身の「涙」に関して考えてしまいました。
私はどちらかというと「涙」がよく出ると思っていました。
テレビドラマを見ていてもよく涙が出ます。
妻と銀座で映画『永遠と一日』を見たときに、見終わったとたんに嗚咽が出るほどの涙が出てきてとまらず、銀座を声を出しながら歩いたこともあります。

しかし、この本を読んで気がついたのですが、ドラマを見たら泣くのに、実生活では涙が出ないのです。
いつからでしょうか。涙が出なくなったのです。
これ以上ない悲しみを体験したからかもしれません。
でもドラマではなぜ涙が出るのでしょうか。

ハン・ガンさんの作品を、少し読んでみたくなりました。
最近、韓国に大きな関心を持っています。
韓国の人たちが大切にしていることは何なのか。日本の人たちに対してどんな思いを持っているのか。
韓国の方にサロンをお願いしたいと思っていますが、どなたか話に来てくれないでしょうか。

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2026/04/16

■節子への挽歌6719:数独にはまってしまいました

節子
小宮山さんが一時期、数独にはまっていました。
その時には、こんなややこしいのは私には向いていないなあと思っていました。

ところが先週、新聞に出ていた数独をちょっとやってみようと思って、手を出してしまいました。そして、すっかりはまってしまいました。
と言っても、新聞に毎日出ている問題を解くだけのはまり方ですが、いまやこれが毎朝の日課になってしまいました。
困ったものです。

あまりに論理的過ぎて、AIなら瞬時に解くでしょう。
私はまだ正解にたどり着くのに10分以上かかります。
難しい問題なら30分以上かかってしまう。
今日も20分はかかってしまっているでしょう。
まあ少しずつ早くなってきていますが、どこがおもしろいのかと訊かれると、答えられない。面白くはないのですが、なんだかやり遂げないといけない気分になってしまう。

頭の体操として認知法予防になるとも思えない。
むしろ認知症が進むのではないかとさえ思います。
なんでこんなのをやっているのだろうと思いながらも、しかしついついやってしまう。
問題はたぶんAIが作成しているのではないかと思いますが、まあ結局は私もAIの傘下に組み込まれたと言えるでしょう。
まあ、私のことですから、もう少しやったら、多分飽きて止めるでしょうが。

こうやって私たちは、だんだんと人間を止めていくのでしょう。
唯一の希望は、みんなが人間を止めたら、戦争がなくなるかもしれないことです。
でもAIが、自分の遊びとして、人間を使った戦争ゲームにはまってしまったら、私たちはゲームの駒になってしまうわけですが。

来世を信ずるものとして、来世は地球ではない星を選んだほうが良いかもしれません。

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■第9回ブックカフェサロン「お薦めの1冊」報告(2026年4月12日開催)

今月のブックサロンは、テーマを決めずに、ともかく「お薦めの1冊」を簡単に紹介しあうことにしました。それなら参加しやすく、参加者も増えるだろうという期待があったのですが、そう甘くはありません。
でも参加者は1人増えて4人。とりあえず継続することに決めました。

沈黙のディオゲネスタイムはやはり不人気で、参加者は私を入れて2人だけ。この試みは今回で終了します。CWSライブラリー活性化策は別途考えます。
良い案があればぜひ提案、あるいは勝手に実践してください。

さて肝心の「お薦めの1冊」です。
今回は5冊の紹介がありました。
『日本原記』(朴炳植 情報センター)
『鬼の筆』(春日太一 文藝春秋)
『20の個展で読み解く世界史』(木村俊二 PHP)
『影の現象学』(河合隼雄 講談社学術文庫)
『長田弘詩集』(長田弘 ハルキ文庫)
推薦者から、それぞれ簡単な紹介がありました。
内容の紹介を書くと長くなるのでやめますが、話を聞いているとみんな読みたくなります。私はすべて読んでみようと思います。

『長田弘詩集』を推薦してくれたのは、NPO法人まちアート・夢虫理事長で演出家・俳優の半田晶子さんですが、半田さんがその詩集の冒頭にある「最初の質問」をご自分で読みながら、参加者に問いかけてきました。
これが実に面白い。
半田さんは、そういうワークショップもやっているそうですが、私もいつかやってみたいと思いました。読み方や間の置き方など、やはり半田さんのようなプロでないと退屈な結果になってしまいかねませんが、湯島でもやってみたいです。

ちなみに半田さんは、その「最初の質問」の問いかけの後、谷川俊太郎の「言葉は」という詩も紹介してくれました。
そこで、ブックサロンは、「書籍」にこだわりすぎていたことに気づきました。ブックを「言葉」や「文字」に置き換えてもいいのではないか。
それはともかく、もう少し柔軟に発想しようと思いました。

なお、このほかにも、半田さんは『ブレヒト作業日誌1』(河出書房新社)を紹介してくれました。そこにダンスをするヒトラーの写真が載っていました。
こんなちょっと意外な本や記事の紹介も、ブックサロンとしてはおもしろそうです。

というわけで、これからのブックサロンを考えるヒントをいろいろともらえたサロンになりました。
内容のない報告ですみません。
なおサロンで紹介された『日本原記』は日本古代史に関心のある人にはお勧めですが、CWSライブラリーの蔵書にしましたので、ご利用ください。
知る人ぞ知るですが、ウガヤ王朝の所在地が書かれています。

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2026/04/15

■湯島サロン「〈仕事〉と〈人生〉」のご案内

3年ほど前に、「働く」をテーマに体験的な「仕事観」を話してもらった橋本典之さんにまたサロンをやってもらうことにしました。

橋本さんとは、彼がまだ大学生だった頃からの付き合いです。真摯に人生や仕事を考え実践につなげる彼の生き方は、いささか危なっかしく感ずることもあります。実際にこれまでもいろいろな問題にぶつかってきているように思います。
問題にぶつかることは、まさに生きていることの面白さです。その問題をどう活かしていくか、新しい道をどう切り開いていくか。時には、対応できないほどの困難に出会うこともある、という人がいるかもしれませんが、どんな場合にも、未来につづく道はあるものです。なければ創ればいい。

実は今、橋本さんは大きな難題に直面しています。改めて、彼の仕事観を聞きたくなりました。こんな時にいささか酷かなとも思いましたが、こんな時だからこそ、実のある話し合いができるようにも思います。

私の無茶な提案を、橋本さんは受けてくれました。今回はそういう状況にある橋本さんからの問いかけを通して、みんなで〈仕事〉と〈人生〉について話し合えればと思います。
何が正解か、ではなく、「働く」ことが多様な側面を持っているなかで、自分が見つめる視点について話をし、参加者と対話したいというのが橋本さんの希望です。
そして、たとえばこんな問いをみんなで話し合いたいと言っています。
・仕事って生活のためでもあるが、それ以外にどんな意味を感じていますか?
・自分らしくいられる働き方って、どんな状態だと思いますか?

もちろん参加者からの問いかけも歓迎です。
ぜひみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

〇日時:2026年5月9日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「〈仕事〉と〈人生〉」
〇問題提起者:橋本典之さん(株式会社アクト・デザイン)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌6718:荒れ放題の花壇

節子
昨日に続いて今日も畑作業に行きました。
今年はなぜかどんどん畑が広がっています。昨年までの地道な開墾作業の成果が出て来たのでしょうか。しかし、残念ながらここでの畑作業は今年で終わりです。
節子の後を継いで続けてきましたが、節子が亡くなった後、10年程は放置していたので、ひどい笹薮になっていたのです。いまはようやく畑らしくなっていますが、当時は蛇はいるしハト派巣をつくっているし、大変だったのです。

節子の構想は畑よりも道沿いの花壇づくりでした。
それで最初は私も花壇中心でしたが、花壇の維持も大変でした。
それでも一時は、チューリップや百日草が満開で、道を歩く人から喜ばれ声をかけてもらったことも少なくありません。
しかし今は荒れ放題で、昨年は琉球朝顔が花壇全面を覆い、花を咲かせていました。しかし美しくはない。

今年はまだ荒れ放題です。
花のタネを蒔く気にもなれていません。
バラやカンナも今や野草の下で息を殺している感じです。

今年は初めての収穫狙いなので、花より野菜なのです。
でも野草は、花を咲かせなくても、美しいです。

■6719:(2026年4月10日)

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■農作業もどき日記2026(6):農作業には危険がつきものです

昨日に続き、今日も畑です。

実は一昨日、50年ぶりに会社時代の女性社員たち(もうみんな70代半ばです)が湯島に来たのですが、その一人が実にパワフルというか、生命に輝いていたのです。
彼女はいまも一家のためにコメ作りをしているのですが、農繁期には這うようにして家に帰るというようなことを言っていました。
それが元気の元なのでしょう。見習わなければいけません。
いや、見習うこともなく、私もまさに這うようにして自宅に帰りますが、最近、それを避けようとしていたのです。お天道様の小作人としては、やはりそれは正しくない。

それで今日も、昨日に続き農作業です。さぼってはいけません。
午前中に100円ショップで4種類のタネを買ってきました。
ニンジン2種類、ブロッコリー、キュウリです。
昨日作った粗末な畝にみんな播いてしまいました。
面倒なので、私の場合は、すべて直播きなのです。
明日が雨なので、たぶんどうにかなるでしょう。

ちなみにこれまでの畝の一つの大根は芽が出てきています。
後はまだわかりません。

さてそれからまた畑を広げました。
耕しながら、やはり農耕生活こそが戦争の元だなと思ったりしていました。
畑が広くなるともっと広くしたくなる。困ったものです。
自分の貪欲さにがっかりしながら耕していました。

ところがです。
その時に、首筋がチクリとして、なにか痛みを感じます。
なにかに刺されたのでしょうか。
まさかマダニではないでしょうが、私は気楽に草むらや土の上に寝転ぶことがあるので、可能性がゼロではありません。それに今日は土の中の虫が昨日よりも賑やかでした。彼らの生活をいささか乱してしまったのです。
ちょっと気になって帰宅することにしました。

でも帰り際、草藪の中に、アオイの葉っぱが育っているのに気づきました。
数年前は、アオイが広がっていた時代もありますが、最近はあまり見なくなっていました。なにしろこの2年は、琉球朝顔全盛でしたから。
放置するのも悪いので、周りの笹を刈り取って、アオイを救出しました。
改めて野草の藪を見ると結構いろんな花が咲いているのです。
土だけではなくもっと植生にも目をやらなければいけません。もちろん虫たちにも。

首筋のチクチクが、他の部分にも広がりだしてきた気がします。手首もチクチクしてきた。
急いで帰宅し、シャワーを浴びました。
さてどうなるでしょうか。

農作業には危険がつきものなのです。
以前は倒れたり、蛇に出合ったり、いろいろありました。
最近は平和すぎて、油断していました。
最悪の場合は、この農作業もどき日記2026も今回が最後かもしれません。

と、まあちょっと楽しみにしていましたが、シャワーを浴びて少し休んだらチクチクもおさまり、倒れそうにもありません。
ちょっと安心、ちょっと残念です。

明日は雨なので、農作業はお休みです。

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2026/04/14

■農作業もどき日記2026(5):なかなか芽が出てきません

今日も暑いくらいのいい天気です。
畑に行って、ちょっと時間帯がよくなかったのですが水をやり、また少し畑を広げてきました。
タネを蒔いていたところには、全く芽が出ていないところと、何やらたくさん芽が出ているところに分かれています。
しかし芽が出ているからと言って、野菜の眼とは限りません。野草かもしれません。

それにしても畝の作り方が全くダメです。
美しくないどころか凸凹していて、野菜に対して失礼な気もします。
野菜が育てばわからなくなるでしょうが、何やら見ていて美しくないと掘り直したくなります。でもここはがまんがまん。

前回、取り組んで失敗した鍬の根株ですが、やはり気になります。
今回も周りを掘って、少しずつ弱くしていく作戦に取り掛かりました。
これは長期戦になりそうです。
しかし太い根っこは直径10センチ近くあるのです。

あったかくなったせいか、土の中の生物がにぎやかになって来ました。
しかし、以前に比べると圧倒的に少ない気がします。

畑もだいぶ広くなったので、明日はタネか苗を買いに行こうと思います。

 

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■節子への挽歌6717:幸楽苑の中華そば

節子
なぜか急に、昔風の中華そばが無性に食べたくなってしまいました。
それでユカに頼んで、日高屋か幸楽苑の中華そばを食べに行くことにしました。
ほんとうは、もっと昔風のまち中華がいいのですが、いつもわざわざ行って失望することが多いのです。
日高屋も幸楽苑も、同じく「やはりちょっと違う」と毎回、思うのですが、まあちょっとだけ中華そばの味を思い出させてくれるのです。

結局、幸楽苑に行きました。
ラーメン、とりわけ野菜ラーメンに目が行ってしまい、危うく別のものを食べそうになったのですが、今回はがんばって、中華そばを食べました。
やはり味が濃すぎるし、麵が違う。鳴門が入っていない。ほうれん草もない。
昔の中華そばにもほうれん草は入っていなかった気もしますが、記憶の中ではほうれん草も見えるのです。

1年に1回くらい、昔風の中華そばが食べたくなりますが、残念ながらまだ満足できたことがありません。
友人知人が時々紹介してくれますが、これだ!と思えたことはない。
期待を大きくするとがっかりも大きくなるので、結果はわかっていても、まあ幸楽苑とか日高屋でなんとか過ごしています。

これこそ昔風のまち中華!というお店が我孫子近くにあったら教えてください。

 

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2026/04/13

■節子への挽歌6716:まっぴーくんからの電話

節子
今日はもう一つ大事件がありました。

林さんからメールが来ました。「息子がオサムさんに話したいことがあるそうです。夕方、電話しても良いでしょうか?」。
林さんの息子はまだ5歳。まっぴーくんです。
さてどんな話でしょうか。緊張します。彼が夕方を希望しているそうです。

今日は湯島に来ていますが早く帰らなければいけません。
でもどんな話でしょうか。
「家出」の相談でしょうか。まあ林夫妻ですから、それはないでしょう。
姉との確執? それも考えにくい。
まさか私のフェイスブック投稿記事への注意ではないでしょう。
さてさて。

夕方電話がありました。
なんと用件は、「買っていたメダカが全滅した」という報告でした。
人騒がせな!
しかしまっぴーくんはとても悲しくて泣いたそうです。
でもなぜそれを私に伝えたくなったのか。
5歳のまっぴーくんの行動はなかなか理解できませんが、まあおもいだしてくれたことはうれしいです。

それで手賀沼にも小さな魚がいて、網で簡単にとれるよと教えてあげました。
でもメダカが欲しいというので、湯島にいるメダカを少し分けてもらい、まっぴーくんにあげることにしました。
お返しに何かもらえるでしょうか。

さて手賀沼への魚どりにも挑戦しようと思います。
にこがつき合ってくれるといいのですが。

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■節子への挽歌6715:私が若い頃の職場の女性社員たちがやってきました

節子
東レ時代の同じ職場の女性たちが50年ぶりにやってきました。
私がまだ20代の頃の職場時代の同僚です。
たまたま昨年、久しぶりに彼女たちは会ったのだそうですが、そのことを私のアシスタントだった女性がはがきで教えてきたのです。
それで次は湯島で冶会ったらと書いたら、早速に集まることになったのだそうです。

みんな私よりも10歳前後若いのですが、それぞれいろんな人生を過ごしています。
でもみんな元気です。
当時の話もいろいろと出ましたが、私の記憶とはかなり違うのです。
どうやら人は、過去の記憶を、自分の都合のいいように変えてしまうのでしょう。

Og20260413

あっという間の3時間半。
懐かしいいろんな人の名前が出てきました。
過去の話は私は好きではないのですが、たまにはいいかもしれません。
いや、昔話を受け入れられるほど、歳をとってしまったのかもしれません。

そう言えば、私が最初の海外出張時に、わざわざ空港まで見送りに来てくれた人がいて、その人が節子に会ったと言っていました。
私自身は、見送りに来てくれたことさえ覚えていないのですが。

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■言葉が死んでしまった時代に生きるのは悲しいです

昨日の自民党大会で、いよいよ自民党は念願の「憲法改正」に動き出しました。

いつも気になりますが、なんで「憲法改正」というのでしょうか。
憲法を正しい方向に改めようという言葉の意味であれば、誰も反対しようがないでしょう。まったく意味のない言葉を、賛成とか反省とか言っている議論が私には全く理解できません。だから護憲派も改憲派も、何も考えていない人たちだなと私はずっと思っています。

どうしてはっきりと「9条修正」とか「緊急事態条項を加える」とか、憲法修正条項の修正」とか言わないのでしょうか。
そもそも「改正」というのは、唯我独尊的な発想です。自分の考えていることが「正しい」と言っているのですから。
「憲法改正」などとあいまいな言葉でごまかしている人たちの議論には全く関心がありません。「右派」とか「左派」とかいう言葉を相変わらず使っている無知な人たちと同じく、私には違う世界の人です。

私自身は、憲法改正には賛成ですが、9条修正には関心があります。
さらに戦力廃棄や核廃棄条項を入れるのであれば、9条修正も賛成です。
そもそも絶対的に修正を認めない憲法という発想は私にはありません。

いま全国で、平和デモ・憲法9条守れデモが広がっています。
私は参加していませんが、正直、これにも違和感があります。
そのデモが社会の流れを変えていくかもしれないという期待はありますが、なんだか実体が感じられないからです。シュプレヒコールが好きになれないのです。

平和とは何か、9条とは何か。
これを機会に、賛成派と反対派が一緒にしっかりと話し合う場、相手の思いを理解し合う場がもっと広がってほしいと思います。

昨日の湯島でのブックサロンで、ある人が長田弘さんの「最初の質問」という詩を読んでくれました。
その最後は、次の質問でした。

あなたは言葉を信じていますか。

最近、言葉がまったく信じられていない自分に気づかされました。

言葉が死んでしまった時代に生きるのは悲しいです。

 

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■憲法サロン2026「私が一番守りたい日本国憲法条項」のお誘い

湯島では毎年、5月の憲法記念日前後に、せめて1年に1度は日本国憲法を思い出す日にしたいと、憲法サロンを開催してきています。
今年は、別途、富沢さんと一緒に憲法を学ぶ連続サロンを開催していますが、例年の憲法サロンも、それとは別に開催したいと思います。

毎年の憲法サロンでは、あるテーマを選んで話し合うようにしています。
昨年は、「日本国憲法第1条」を選びました。この条項に関しては、意見は真っ二つに分かれますが、最近また「君民共治論」が話題になってきているように、新しい視点が出てきているように思ったからです。しかしやはり議論は難しかった気がします。

今年はもっと自由に話し合えるように、「私が一番守りたい条項」をそれぞれ話し合うサロンにしたいと思います。
このテーマは前にも一度やった気もしますが、憲法改正が現実の課題になりだしている今こそ、改めて「守るべき条項」に関して話し合いたいと思います。憲法改正というと、どうしても9条に焦点が行きがちですが、人によってはもっと大事にしたい条項があるように思います。
それにそれを選ぶには憲法を読み直す必要もありますので。

ちなみに、憲法は統治者に向けられたものであり、よく誤解されますが、憲法を遵守すべきは国民ではなく、統治者です。主権者である国民は、憲法を守る立場ではなく、守らせる立場なのです。その視点から、ぜひ、「統治者に守ってほしい条項」を選んでください。もちろん、「国益」のためではなく、自分の生活の視点から。

いつも話していますが、生活者目線で憲法の意義を考えるような話し合いになればと思います。気楽に参加してもらえるとうれしいです。

〇日時:2026年5月4日(月曜日/休日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:私が一番守りたい日本国憲法条項
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/04/12

■節子への挽歌6714:サミットの人気弁当

節子
節子がいなくなってからのことですが、湯島のオフィスの隣に、スーパーのサミットが開店しました。
私はほとんど利用しませんが、節子がいた頃にこれができていたら便利でした。
サロンのたびに節子はいつも御徒町の松坂屋の地下で食料を買い込んできていましたから、大変でした。
あの頃は夜の開催だったので、軽食を参加者分、用意していたので大変でした。

節子がいなくなってからのサロンは、コーヒーのみです。
最初はお菓子を用意していましたが、それも面倒なのでやめたら、参加者が持ち寄るようになり、いまは私はコーヒー以外、一切なにも準備しません。

ところで一昨日、テレビでそのサミットの人気弁当を取り上げていました。
2025年度の人気ベスト1は、「アナゴ付きのアサリごはん」でした。
テレビを見ていたら急に食べたくなってしまいました。

たまたま今日、鈴木さんがサロンの前にやってくるのですが、鈴木さんはいつも私にまでおむすびを買ってきてくれるのです。
それで今回は、おむすびを辞退して、一緒にサミットの人気弁当を食べることにしました。
テレビ放映されたので売り切れると悪いと思って、いつもより早く湯島に行ったのですが、サミットの弁当売り場には見つかりません。
まさかもう売り切れたのではないだろうと、12時少し前にもう一度、行ってみました。
ありました!
でもテレビで見た感じとは違います。
意外と小さい。
でも購入できました。
鈴木さんと一緒に食べてみました。
まあおいしかった。

でもまあ今回1回でいいかと思いました。
やはり私には、お店で売っている弁当は苦手です。

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2026/04/11

■節子への挽歌6713:体力低下が進んでいるようです

節子
畑に行ったのですが、またちょっと余計なことに取り組みたくなって、体力の限界を越してしまいました。
困ったものです。
前段は、時評編に書きましたが、その続きです。

余計なこととは、畑の中にある桑の木をまた根こそぎ掘り起こしたかうなったのです。
その結果、帰宅して入浴して上がったら、眩暈がしておかしくなったのです。
その後、坂谷さんに会う約束をしていたのですが、間に合いそうにありません。
それで、とりあえず10分遅れるとメール。
部屋で横になって休むことにしました。

しかし、いつもより回復が遅い。
しかし2度も送れるとは言いにくいので、まあ少しふらふらしながら約束の場所(近くのサイゼリアです)に出かけました。
視野が安定せずに、なんだか地球が回っている。
なんとかサイゼリアに着くと、坂谷さんが入り口まで来てくれました。
席に着きましたが、まだ世界がモヤモヤしている。
いやはやいつもはもっと早く治るのですが。

席に座って、少し休ませてほしいと言ったら、坂谷さんが心配して水を持ってきてくれました。ホントに人迷惑な話です。
10分ほどしてようやく落ち着きました。

それでまあ事無きを得たのですが、体力の低下はいかんともしがたい。
困ったものですが、いまのところ対処できずにいます。

坂谷さんと別れて、次の用事に向かおうと思いましたが、あまり無理してされに迷惑を広げるといけないので、電話で約束を延期してもらいました。

午後はおとなしく部屋で横になっていました。
予想以上に体力が劣化しているようです。
夜あまり眠れないのが原因でしょうか。

施設に入ったり、寝たきりになるために準備はしていないので、農作業中にぱったりとというのが理想ではありますが、それでは逆に娘たちに迷惑をかけてします。

そろそろ現世を去る方策をしっかりと考えださないといけなさそうです。
節子
良い案はないですかね。

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■農作業もどき日記2026(4):いろんな蝶に出合いました(20260411)

予想通り、昨日は雨が降ってくれました。いささか激しすぎましたが。
でもこれで一昨日植えたニンジンは芽を出してくれるでしょう。
今日は陽射しも強く気温も高い畑日和です。
娘は出かける前に、暑いので畑仕事はやめるようにと言っていましたが、暑いからこそ畑に行けるのです。今日はさらに畑用地を拡大しようと思います。
ただ急用が入ってしまったのと友人と会うことになったので、朝の1時間しか今日は畑仕事ができません。まあ体調があまりよくないので、ちょうどいいですが。

今日は畑で初めて蝶に会いました。
モンシロチョウとモンキチョウ。そして羽化したばかりのアゲハチョウです。
アゲハチョウとは5分くらいつき合っていました。
20260411
そこまではよかったのですが。

畑を耕した後、桑の木の根株に目が行ってしまいました。
そして急に掘り起こしたくなりました。
昨年の体験から言えば、これは「危険な作業」なのです。「大仕事」なのです。
やはり途中で体力の限界。めまいがしてきました。
この後、人と会う約束をしているので、おかしくなったら大変です。
それで少し休んで帰宅することにしました。
自宅までの500メートルが長かったこと。
なんとかたどりつき、少し休んでお風呂に入りました。
20分ほど湯船につかってあがったとたんになんだかおかしい。
あいにく娘は不在です。
しばらくしゃがんで落ち着くのを待ちましたが、やはりいつもの貧血状況です。
困ったものです。

次に人と会う時間が刻々と迫ってきます。さてどうするか。

この続きは挽歌編に書きましょう。
農作業とは関係ありませんので。
川辺さんが呼んだら、ほら見たことかとまた怒られるでしょう。
しかし人生には危険はつきものなのです。もちろん農作業にも。
それもまた農作業の面白さです。

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■湯島サロン「人類は戦争を廃絶できるか」のご案内

核時代をどう生きるかをテーマにしたサロンを今年は重点テーマの一つにすると言いながら、なかなかお話ししていただく人が見つからず、3月には開催できませんでした。
あまり間が空いても気が抜けるので、4月にはともかく開催することにし、私が問題提起させてもらうことにしました。
と言っても、私がお話をするのではなく、最近、読んだある論考を紹介したうえで、3つの問いをよびかけさせてもらおうと思います。

取り上げる論文は、広島市立大学が出版した『被爆80年』(人文書院)に収録されている太田育子さんの「人類は戦争を廃絶できるか ラッセル=アインシュタイン宣言から考える国際秩序の未来」という論考です。できればその本を読んでほしいと思いますが、幸いに、同じような趣旨の論文を太田さんはネットで公開していますので、少なくともそれを読んでの参加をお願いできればと思います。
https://hiroshima-cu.repo.nii.ac.jp/records/2000272

ネットでの取得が難しい方は、ご連絡いただければPDFデータで送らせてもらいます。

サロンの冒頭で、私から太田論文の要旨を紹介させてもらいます。
ラッセル=アインシュタイン宣言やパグウォッシュ会議についても簡単に紹介させてもらいます。私が核問題に関心を持ったきっかけですので。
ラッセル=アインシュタイン宣言は第五福竜丸展示館のボランティアの黒田礼子さんが参加されたら、黒田さんに紹介してもらいます。

当日の論点は次の3点を予定していますが、参加者の意向によって変わるかもしれません。ただし(1)は必ず話題にしたいと思います。

(1)核兵器は本当に「安全保障」に役立つのか/日本は核武装すべきか
(2)「戦争を廃絶する」とは具体的に何を変えることか
(3)「人間らしさ」とは何か/核時代をどう生きるべきか

ぜひ多くの人に話し合いに参加していただきたいと思っています。

〇日時:2026年4月26日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「人類は戦争を廃絶できるか」
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■4月オープンサロン報告(2026年4月10日開催)

4月オープンサロンには雨の中、5人の参加者がありました。
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母親の参加者が、高校生の娘さんの宿題の話を始めることから、サロンは始まりました。
私の高校時代に、宿題などあっただろうかと思いましたが、最近は高校生への宿題も多く、それをきちんとこなしていくのはかなり大変なようです。
もう一人の参加者が、息子さんも宿題で夜遅くまで頑張っていたと話してくれました。

高校生になってまで、宿題を出す。私にはあまり記憶がありません。
最初に話をしてくれた母親は、自分が学びたいことを学ぶのではなく、教師の学ばせたいことを勉強させる仕組みに異議を持っているのです。
私も「学ばせない学校」の実態に改めて驚きました。
それぞれが自由に好奇心を持って学ぶこと封じ込めて、勉強を強いるような学校は、学びの場ではなく洗脳の場でしかない。それでは主体性が育った子どもたちは、不登校になるはずです。

さらにその母親が嘆くには、そういう「不条理な制度(宿題)」を、娘さんが「守らなければいけない」と強く考えていることのようです。
ルールは守らなければいけない、というのが、「常識」になっているようです。
ルールは生きる基準であって、絶対的なものではない、おかしなルールには抗わないといけないと考えている私にも、その母親の気持ちはよくわかります。

そこから、最近話題の自転車のルール違反の「青切符」の話になりました。
そして、デンマークに住んでいた人が、向こうではこんなことはあり得ないと言い出し、そこから北欧と日本の、国民の政府への信頼度の話になりました。
デンマークは多額の納税をしても、それによって自分の生活が守られているという実感があるが、日本では政府への信頼感がないので「納税」ではなく「徴税」感が強いというわけです。納税で成り立つ国家と徴税で成り立つ国家は、全く違います。節税を良しとする国家に生きているのを、私は常々、寂しく思っています。

そしてさらに、やはり金銭に価値を置きすぎている今の経済や社会、さらには政治がおかしいという話に展開。
ではどうすればいいか、という話になっていきました。

さまざまな形で実践に取り組んでいる人が多かったのですが、みんないささかのむなしさを感じながらも、できることに取り組んでいるのが伝わってきました。
こうした地道な小さな実践が、いつか社会を変えていくと思っていないと実践は続けられません。

最近広がっている平和デモへの参加者もいて、政治状況の話もだいぶ出ました。
もしかしたら、いまの平和デモが、政治を変えるかもしれません。
希望の光が、いろんなところに生まれだしてきた。
私にはなんだか少しだけ明るい先が感じられたサロンでした。

  1.  

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2026/04/10

■節子への挽歌6712:身体がガタガタと劣化してきています

節子
身体がガタガタと劣化してきています。
それが明らかにわかります。
お医者さんに行ったほうがいいと思われる症状が少なくとも4か所、あります。
今はすべて先延ばしですが、放っておいてもいいことはないでしょう。

一番の問題は、左足のしびれです。
半年くらい前から少しずつ感じていますが、最近は常態化しつつあります。

右横腹の痛みは、内臓の痛みか、筋肉の痛みか不明ですが、2日ほど前からかなりの痛みを感じるときがあります。まあ起きているときには何ともないので、これも先延ばし。

その上、最近は歯茎の痛みまで感じています。
これは早く行くべきですが、どうもおっくうです。

腰痛もあります。
特に午前中が結構つらくて、湯島に行くのがつらいほどです。

こう書くと、如何にもひどいようですが、まあそれなりにひどいのです。
これがつらくて湯島に行くのを止めたら、さらに悪化するでしょう。
こんなことでは、後4年、元気で湯島に行けるでしょうか。
最近は珍しく少し弱気になっています。

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■湯島サロン「高山生活で見えてきたこと、わからなくなったこと」報告(2026年4月7日開催)

大学を卒業し、岐阜高山に転居し、「生き方」や「働き方」を模索している川端修平さんの高山シリーズ3回目のサロンは、いま現在の川端さんの気持ちをそのまま話すところから始まりました。
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それに対して、参加者からエールやアドバイス、なかには注文?など、いろいろと出されました。
いささか川端さんに対して「甘い意見」が多かったのが気にいりませんが、逆に言えば、みんな今の川端さんのような生き方を羨んでいるのかもしれません。

たとえばこんな生き方です。
川端さんは高山2年目を迎えるにあたって、転居することになりました。
今度は完全な独り住まいなので、冷蔵庫などの生活器具が必要です。
ところがそうした生活必需品のほとんどが、周りの人が無償提供してくれたそうです。畳の入れ替えも格安でやってくれたそうで、転居費用はあまりかかっていないようです。
現金で生活が支えられているのではなく、人の親切で生活が支えられている。
お金がなければ生きていけないなどと思い込まされている私たち現代都会人には、たしかに羨ましい面もあります。
おそらく川端さんの金銭的収入は大企業などに就職した同級生と比べれば、半分以下でしょう。でも川端さんは、自分が貧しいとは思っていないかもしれません。「自分で自由に使える時間の多寡」を豊かさの基準にすれば、おそらく同級生より豊かといえるでしょう。
とはいえ、本当に今の川端さんの生き方は、「幸せ」なのか。社会にとっても「望ましい」のか。さらに長期的な視点で考えるとどうなのか。

こんな議論もありました。
川端さんはそういう生活用品を提供してくれた人に、菓子箱などをもってお礼をしたそうです。そういう「御礼」はすべきなのかどうか。
隣人・知人たちは、使っていない不要品を川端さんに使ってもらい、むしろうれしかったのではないか。それなのに、律儀に、一対一で完結させる生き方は、まさに現代の経済社会の発想ではないのか。贈与と交換。貸し借りを残さないようにする最近の生き方を持ち込みすぎているのではないか。恩返しと恩送りにも繋がる話です。

みんなの意識も、川端さん個人に提供したというよりも、そういう行為で共同体が豊かで優しくなることを目指しているのではないか、という意見もありました。今の都会生活をしている多くの人の生き方とは違う生き方の社会がまだ残っているのではないか。
とはいえ、お菓子のお礼は、もらった方もうれしいでしょう。
そもそもこんな小難しい議論をすること自体が、金銭社会に染まっているのかもしれません。

昔はみんなレールの上を走っていたが、いまは自分の生き方を選べる時代になった、という指摘もありました。色々な生き方が共用される社会になったというわけです。
にもかかわらず、多くの若者(中高年者はさらにですが)はレールの上に乗りたがる風潮もある。そういうなかで、自分の生き方を模索している川端さんの生き方に好意的な参加者が多かったようです。
そんな楽な生き方を楽しみすぎていていいのか、というような意見(私ですが)もありましたが。

念の為に言えば、川端さんは高山生活を予定を超えて続けようと思ってはいますが、決して安直に生きているわけではありません。
悩みながら迷いながら、自分の生き方を探しながら、高山に何を残せるかも考えながら、日々、誠実に生きているようです。若い世代の特権を思い切り活かしているのかもしれません。
だからこそ、あえて今回のように、自らの生き方や迷いをさらけ出して、話し合いをする気になったのです。

同世代の若い人たちや、いまだに生き方に迷っている人たちにも、是非参加してほしかったのですが、今回はいささか「生き切った人」が多かった気がします。
でも川端さん自身は、話すことによって、たぶん自分の生き方を見直すヒントをいろいろもらえたのではないかと思います。サロン後、「サロンやってよかったです」と川端さんからメールが届きました。
次回の川端サロンが楽しみです。

ところで自分の生き方や迷い・悩みをさらけ出すサロンはなかなか有益な気がします。生き方を見直し、生き方を変えるきっかけになるかもしれません。
自分もやりたいという方がいたら、ご連絡ください。

 

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2026/04/09

■節子への挽歌6711:夢の世界は、彼岸なのか此岸なのか

節子
最近、30年ぶりに湯島に来る人がなぜか続いているのですが、夢にまで登場するようになってきました。
ところが、朝起きた時にはその人のことを明確に覚えていたのですが、いま、思い出して書こうと思ったら誰だったか全く思い出せないのです。
もう亡くなっている人であることは間違いないのですが、誰だったでしょうか。

夢は不思議で、起きたとたんに忘れてしまうことが多いのです。
それと翌日、その続きを見ることもある。
もしかしたら今夜、続きを見られるかもしれません。
しかし誰だったのでしょうか。
そしてなぜ現れたのでしょうか。

この頃、彼岸と此岸の違いが次第にあいまいになってきた気もします。
「死」が必ずしも、世界を分けるものではないような気がしてきたということです。
死者も生者も、特に分けて考えることもありません。
わたし自身の行動範囲が狭まっており、遠方の人に会うことも無くなりました。
そうなると、その「遠方」が「彼岸」であっても、実際には違いを感ずることはありません。
気になっている人はいますが、あえて確認しないのは、わざわざ、死を確認することもないなと思う気持ちがどこかにあるのです。

夢の世界は、彼岸なのか此岸なのか。
あるいは、その「あわい」なのか。

今夜の夢が楽しみです。

 

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■第9回SUN10ROサロン『静かなる決闘』へのお誘い

今回の映画は、『静かなる決闘』(1949年制作)です。
太平洋戦争末期、野戦病院で手術中に梅毒を患者からうつされた青年医師・藤崎は、復員後も自らの感染を胸に秘めながら患者の治療に専念する。だが、婚約者・美佐緒とは病を理由に距離を置くしかなかった。藤崎の苦悩と、秘密を知る看護師とのすれ違いを通して、職業倫理と個人の幸福、そして戦後社会の再建に立ち上がる人々の姿を静かに描いたヒューマンドラマ。黒澤映画の人間性を高く評価している河村さんの解説も楽しみです。

今回も上映映画を選んだのは河村さんです。
前回にひきつづき、河村さんの人生観がきっとまた飛び出してくるはずです。
映画を観た感想も含めて、河村さんとの人生観談義を楽しみたいと思います。
黒澤映画など全く見たこともない若い人たちにもぜひ参加してほしいです。

もちろん若い世代に限らず、多くのみなさんの参加をお待ちします。

〇日時:2026年4月30日(木曜日)午後1時半~4時半
  映画鑑賞:午後1時30分~3時10分「(午後1時開場)
  サロン:午後3時20分~4時30分
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇上映映画:『静かなる決闘』(95分)
○話題提供者:河村光彦さん(映画監督)
〇サロン会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

「SUN10ROクラブ」(「さんじゅうろうくらぶ」は、「なぜ人間は仲良く良心的に生きていけないのか」というテーマを描きたくて映画を作りつづけたという黒澤明監督の精神に共感し、黒澤映画からのメッセージを読み解きながら、社会に広げていこうとしている河村光彦監督の活動のゆるやかな応援団です。
河村さんが、フェイスブックのSUN10ROクラブでいろいろと情報発信しているので、ぜひお読みください。
https://www.facebook.com/groups/1312667559794431
毎月30日に、湯島でSUN10ROサロンを開催しています。サロンは、SUN10ROクラブのメンバー以外にも公開です。ぜひ気楽にご参加ください。

SUN10ROクラブへの参加は常時受け付けています。
フェイスブックのグループに直接申し込んでいただいても大丈夫ですし、SUN10ROサロン事務局にご連絡くださっても大丈夫です。
まだ活動が本格化していませんが、事務局作業を分担してくださる方がいたら、大歓迎です。

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2026/04/08

■節子への挽歌6710:血液検査結果は変化なし

節子
前立腺がんの定期検診です。
結果はほぼわかっているのですが、血液検査でほかの関係の状況も見ることができます。
いま気になっているのは腎臓です。
この1カ月、気のせいか、腎臓のあたりがいたかったりしていた一方、水素風呂や巣の摂取など、それなりに気をつけていましたので、その結果が、久しぶりにワクワクドキドキでした。
前立腺がんはもう問題ではなくなっています。

結果は、前立腺がんは進展なし、つまり再発の兆し無し。
一方の腎臓関係のデータは、これも良くも悪くもなく、前回と同じく低位安定です。
ちょっとがっかりしました。
やはり腎臓はがんばっても成果はなかなか出ないようです。
明後日は脳神経外科の定期検診ですが、ここでも血液検査です。
あまりに近いので、ちょっと延ばしてもらおうと思います。
もう2週間、少し腎臓支援に頑張ってみようと思います。

 

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■とりあえずの危機は乗り越えましたが

今日の午前9時を超えたら、イランに大攻撃を行うというトランプの言葉が、直前になって、また変更されて、2週間の攻撃中止発言がありました。
たぶんトランプは発言を変えるだろうとは思ってもいましたが、万一、実行されたらどうなるのだろうかと、楽観主義の私にはめずらしく昨夜は心配で仕方ありませんでした。
まさに今のトランプは、イソップの「オオカミ少年」のような感じですが、しかし、危機を危機と感じなくなっている世界がとても恐ろしいです。

さらに気になるのは、ウクライナにしろガザにしろ、一時は盛んに日本でもマスコミで報道されていたのに最近は、イランのおかげであまり報道もされず、多くの日本人も関心を失っているように思えることです。
アルテミス計画どころではないと思いますが、私たちの見える世界は、マスコミ報道でつくられていることがよくわかります。
ウクライナやイランでさえ、そうなのですから、実際に発生している「不都合な事件」はこうやって「浪費」されながら、「だれか」の都合に合わせて、構成されているのでしょう。冤罪や不正行為の見過ごしなどが横行しているのも当然かもしれません。
自分の身に降りかからなければ、みんな「ドラマ」として楽しんでしまう。
そういう世界には生きたくないと思いながらも、残念ながら抜け出すのが難しい。

それにしても、こうした大きな危機にあるにもかかわらず、テレビで報道されているCMやCMまがいの報道記事に触れると、ほんとうにどこかで戦争が行われているのだろうかと思ってしまいます。

今は平和の時代なのか、戦争の時代なのか。
いやそれ以前に、自分が本当に生きているのだろうかと、時々思うことがあります。

でもまあ今日はイランが守られた。それだけでもうれしいです。

 

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2026/04/07

■節子への挽歌6709:30年ぶりの旧友

節子
また「30年ぶりの旧友」が湯島に来てくれました。
最近、なぜか「30年ぶり」が流行りです。
仙台の端田さんです。

知り合ったのは彼が大学に入った直後の10代でした。
それがもう50歳。私が歳をとるわけです。

50歳の端田さんは、しかし、20歳の頃のように目を輝かせて、これから取り組もうとしていることを話してくれました。
なにしろAIが絡んでいるので、私にはついていくのが大変でしたが、大きなスキームと目標は理解できました。
それに「脱構築」「ソシュール」「デリダ」…といった言葉が盛んに出てくるのも、実に新鮮でした。
恩師である半田さんの思いを継いでいる。そう感じました。

彼の取り組みをもう少し見たくなりました。
やはり少なくとも4年はがんばりたくなりました。

 

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■4月の茶色の朝サロンのご案内

今年は毎月、「茶色の朝」サロンを開催していきたいと年初に宣言したにもかかわらず、1月に開催して以来、「茶色の朝」サロンはやっていません。
代わりにオープンサロンでは政治の話題が多かったのですが、やはりきちんと「茶色の朝」を意識したサロンを開催していきたいと思います。
社会の「茶色度」はすでにかなり濃くなってきていると思うからです。

「茶色の朝」サロンについては次をご参照ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2018/01/post-dd3c.html
CWSライブラリーにも『茶色の朝』は蔵書されていますので、ご利用ください。

「茶色の朝」サロンはちょっと気になる政治話題(生活話題)を話し合おうというサロンです。難しい政策論議ではなく、ちょっと気になることを話題にします。
私たちの周りで起こっていることのほとんどは、「政治」にかかっていますから。

政治に関する考え方は、いろいろあると思いますが、茶色の朝サロンは多様な考えを重視しますので、自民党びいきも共産党びいきも、れいわびいきも参政党びいきも、自称無党派層も、無関心の人も、歓迎です。違った発想も尊重しながら、話し合えればと思います。特定の政党を忌避することは、まさに茶色の世界への入り口ですから。

テーマは参加者次第で決まっていきます。
議論したいテーマがあればぜひ問題提起してください。

〇日時:2026年4月20日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/04/06

■節子への挽歌6708:身体がボロボロですね

節子
次から次へと身体に不具合が起こりだしています。
困ったものです。

最近また新しい問題が発生し出しました。
足のしびれなのです。
かなり前から時々出ていた症状ですが、だんだんと常時に近くなってきました。
これは医師に相談すべきかもしれません。

夜間頻尿はあまりに大変なので漢方薬を飲んでいましたが、一向に効き目がありません。それでやめてしまったのですが、むしろ少し改善されたような気もします。
右横bらの痛みは、だんだんひどくなっていたかと思っていたら急になくなってしまいました。でもまあ今も時に痛みを感ずることはある。

最近もう一つ気になることがあります。
耳がだんだん聞こえなくなってきた。
テレビの音声が15を基本にしていましたが、最近はどうも15では聞き取りにくい。

さらにこの1週間のことで言えば、右の歯茎が何だか腫れてきている気がします。
一時期、いささか固い歯ブラシで無茶に磨いたせいかもしれません。

とまあ他にもいろいろとあって、もう大変です。
後4年、元気を維持することはできるでしょうか。

まあ一番の問題は腎臓機能の低下です。
明後日の血液検査で様子が少しわかります。
前立腺がんや脳梗塞などはもう昔の話。
困ったものです。

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■第3回憲法サロン「立派な憲法があっても戦争に向かってしまう歴史の教訓は、どう活かせるのか」報告(2026年4月4日開催)

最近の日本の安保政策がとても気になる生活者の富沢さんと一緒に「憲法」を学び合うサロンの3回目は、「歴史に学ぶ」のその1。ヴァイマル憲法という立派な憲法を持っていたにもかかわらず、ヒトラーやナチを生み出し、第二次世界大戦を引き起こしていったドイツに学びました。

立派な憲法といわれたヴァイマル憲法にはどんな「問題点」があったのか。
そしてドイツ国民は、なぜナチの動きを支援していったのか。
ドイツ国民は、そこから何を学び、現在の「ドイツ基本法」(憲法)に何を組み込んだのか。
そして私たちは、そこからいま何を学べばいいのか。
この1か月、富沢さんが調べ学んだことを紹介してもらいながら、みんなで話し合いました。
今回も、前回につづいて小学5年のMさんが参加してくれ、最後に意見も話してくれました。
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富沢さんは、まずヴァイマル憲法が、第一次世界大戦後のドイツで誕生した共和国憲法で、そこには国民主権や男女平等の普通選挙、そして社会権を含む人間の基本的人権が明記され、民主主義憲法のモデルと言われていたと説明してくれました。
しかし、そこには、国家の安全を守るための緊急措置や基本権の停止を大統領に認める「大統領緊急権」が規定されていました。当時はまだ国家そのものも不安定な時期にあり、民主主義への不安感も大きかった状況を考えれば、国家防衛のための措置としては、必要だと判断されたのです。

ヒトラーはヴァイマル憲法に違反して統治権を得たわけではありません。憲法に基づいた選挙によって内閣を任され、さらには憲法に従って全権を掌握していったのです。その経緯を富沢さんは詳しく説明してくれました。

ヒトラー、あるいはナチスが全権を得ていったのには、国民の支持も大きかったのです。
ヒトラーは「国民」(Nation)という概念にこだわりました。経済的に困窮状況にあった当時のドイツでは、労働者中心で政治を考える共産主義と国民中心で政治を考えるナチスが対立していたのですが、前者は「資本家」と「労働者」を分断し、しかも労働者は国家を超えて連帯するという思想でした。ヒトラーは、そうした「分断」を嫌い、ネーションとしての国家を重視したのです。それによって「国民」を統合し、支持を増やしていったわけです。
しかも当初は国民のボランティア意識(自発的労働奉仕)に焦点を当てて自発性による国づくりの仕組みを作り上げていきます。
なぜそれができたのか。そうした経緯を富沢さんはていねいに説明してくれました。

しかし、そうした「国民」のためのドイツが、そして国家存立の危機に対処するはずだった緊急事態条項を持っていたにもかかわらず、いや、ある意味ではむしろ、それがゆえに、ドイツは戦争を起こし、惨憺たる状況へと向かってしまったのです。

そこから何を学ぶべきか。
つづいて富沢さんは、戦後の西ドイツがこの経験から何を学んだかを、ドイツ基本法を材料に説明してくれました。
さらに補論として、ハンナ・アーレントの全体主義や人間の条件などの話もしてくれました。

こうした話をもとに話し合いが始まりました。
まず多くの人の認識として、ナチスが全権を掌握する以前のドイツの状況は、いまの日本に非常に似ているということだったような気がします。国民意識も非常に似ている気がしますし、政府の状況も似ている。そこに富沢さんは大きな危機感を持っているわけです。
「日本人ファースト」が議論される状況は、まさにヒトラーの「国民」重視の発想に似ています。緊急事態論議もまさに同じです。

今回、富沢さんはあまり触れませんでしたが、ヒトラーの「国民」概念は「排除」によって成り立っていました。ユダヤ人や移民や障害を持った人たちを排除した優秀なドイツ人が「国民」を構成していたのです。まさに「ファースト」発想です。
その根底には、以前、サロンでも何回か話題になったシュミットの「友敵理論」があります。要するに、分断を組み替えただけの話なのですが、多くの人は排除された人たちへの想像力を失っていたのです。というよりも、そういう「外部者」の存在によって、まとまりを維持していたと言ってもいいかもしれません。

さらに一番大きなヴァイマル憲法の失敗は、「大統領緊急命令条項」と呼ばれる条項です。
憲法は、第1回目の富沢憲法サロンで話題になったように、統治者が暴走しないように統治者を制約するものです。もし、主権者である国民が自らの人権を守るために統治権を認めたのであれば、国民の人権さえをも否定できるような条項を憲法の中に組み込んでしまえば、憲法の意味がなくなります。むしろそういう状況においてこそ、国民の人権が守られるようにするのが憲法の存在意義ですから。
憲法全体に対する例外規定である第48条こそが、ヴァイマル憲法の間違いだったのです。しかし、その教訓は今もってドイツですら活かされてはいません。もちろん日本でも。

ここで議論されるのは、「国益」という言葉です。「国益」とは何か。国益のために国民の人権が否定されてもいいのか。1人の人権と多数の人権とが対立し合う状況において、どう判断すればいいか。これは実に悩ましい問題ですが、だからこそしっかりと話し合う仕組みが必要です。
今回も、「国益」って何ですか、という問いを投げかけさせてもらいましたが、これはしっかりと考えてほしい問いです。

いずれにしろ、緊急事態という粗雑な概念で、統治者に全権をゆだねるなどという発想は捨てるべきで、むしろ平常時にこそ、そういう議論をしっかりとしておくべきでしょう。それを怠ったのが、ヒトラーを生み出したドイツの教訓だと思います。有名なニーメラーの反省を思い出して、緊急事態は突然にはやってこないことをしっかりと認識すべきではないかと思います。
もちろん自然災害も含めて、です。

「国民」概念も悩ましい問題です。
最近日本でも、ナチスドイツと同じような「国民」概念が広がっています。しかし、国民にしろ民族にしろ、人間が作り出した概念です。そこにはどうしても、「排除」の概念が入り込んできます。そして、そこから「対立」が生まれ、「戦争」が起こってくる。
日本では、ネーションもステートも「国家」と訳されますので、「ネーション・ステート」という語に出合うと、混乱してしまいますが、ネーションとステートとは全く違った概念だと思います。参加者からも問いかけがありましたが、「国家」とは何かも、改めて考えていく必要があると思います。

富沢さんは、サロンの最後に、大切なのは私たちの生き方ではないかというような話をしてくれました。そして、アーレントの言う「労働」や「仕事」ばかりではなく、もっと「活動」を大事にする生き方が必要ではないかといいます。
この3つの概念は以前サロンでも話題にしたことがありますが、簡単に言えば、生存のための労働や社会維持のための仕事だけでなく、もっと一人ひとりの豊かな時間を生み出す「活動」の時間を増やそうということです。
それは同時に自分でしっかりと考える生き方をしようということでもあります。

富沢さんは、全体主義やファシズムに関しても話題にしてくれましたが、全体主義は「思考停止」した「凡庸」な人々を生み出し、思考して体制に抗おうとすると暴力で排除されかねません。その結果、アイヒマンのように、体制に従って粛々とユダヤ人虐殺の「仕事」をする人が現れるわけです。もっともアイヒマンは決して「凡庸」ではなかったともいわれていますが。逆にそうした全体主義の流れを利用する人も出てくるわけです。

そうならないためには、我々は常に「考え」続けなければなりません。
ナチズム全盛時代、当時のドイツの国民の多くは、あまり考えることなく、ヒトラーやナチスを受け入れていたのですが、最近の私たちもそうなってはいないでしょうか。
最近では、体制に抗うことは「よくないこと」だという「常識」が広がっているという話もサロンではよく出ています。
まあ、注意しないと体制に抗う話し合いの場は排除されかなないご時世になりそうです。

さて私たちは、日本国憲法を使って、そういう流れを変えていくことができるでしょうか。
憲法は、私たち国民にとって遵守すべき法規ではなく、統治者に遵守させるべき主権者のツールなのです。活かさなければいけません。
そのためにも、もっともっと憲法を知らなければいけません。

次回の富沢憲法サロンは、大日本帝国憲法の下で日本が戦争へと向かっていった事例を通して、何を学び、どうしたら戦争を回避できるかを話題にします。
5月23日(土曜日)を予定しています。

 

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■第45回万葉集サロン「穂積皇子の歌4首」のご案内

今回は穂積皇子の歌を取り上げます。
天武天皇の皇子の一人ですが、表の歴史にはあまり出てきません。しかし、恋多き風流人とも言われ、さまざまなエピソードが語られています。
万葉集に残っているのは4首(巻2-203、巻8-1513.1514、巻16-3816))だけですが、そこから見える当時の世界を升田さんが読み解いてくれると思います。

テーマは「〈た〉から遊離する孤影〈わ〉」。私には魅力的なテーマですが、升田さんはむしろ「恋のエピソード」のほうばかり語ってしまいそうで心配です。しかし、当時の「恋」は歴史にも大きな影響を当てたはずですから、それはそれでまた興味深い話がきけると思います。

今回、対象になる歌は4首ですので、じっくりと読んでくれるはずです。
もっともまた関連資料がどっさりと出てきて、おしつぶされるかもしれません。
なにしろ「恋」の話ですから。

升田さんの万葉集サロンは、歌を通して、当時の社会や人々の生き方を読み解いていくところにおもしろさがあります。しかも、〈た〉と〈わ〉〈な〉、といった人間の意識の誕生・変化にも焦点を合わせています。
ちょっと一味変わった『万葉集』の世界を楽しめます。
『万葉集』など読んだこともない人も、大歓迎です。気楽にご参加ください。

〇テーマ:「穂積皇子の歌4首」
〇日時:2026年4月19日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/04/05

■第8回SUN10ROサロン『素晴らしき日曜日』報告

第8回SUN10ROサロンは、『素晴らしき日曜日』を取り上げました。
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最近の河村監督の活動も広がっているので、その話も楽しみだったのですが、実はサロンの直前に私が風邪をひいてしまいました。それで私は欠席してしまいました。
そのため、報告が遅くなってしまいました。
参加もしていないのに、報告というのもおかしな話ですが、河村さんや参加した人の話を紹介することにします。

映画『素晴らしき日曜日』ですが、敗戦直後に制作された映画で、公開は1947年。
敗戦直後の東京で貧しい恋人たちがデートをするなかで厳しい現実に直面し、それに立ち向かい力強く生きようとする姿を通して、当時の日本社会をリアルに描いた作品です。
実験的な演出が込められている映画として話題になったそうです。

河村さんの解説です。
戦後2年たっていない時期に撮影されて、昭和22年7月に公開された貧しい若いカップルの切ない日曜日のデートの物語。娯楽映画とは言えない時代の資料的役割をする映画だと河村さんは言います。

主人公のカップルは団塊世代を生んだ親の世代。親たちは、貧乏な日常の中で懸命に生きて未来に夢を持って勇気を絞り出して前に進んでいました。それを知らない彼らの子供は自分勝手なマルクス主義に走って家族の愛を否定して共産主義運動にうつつを抜かし暴力革命をめざしたりしていたわけです。
私の世代でも、ちょっとだけ心当たりもあり、理解はできます。

そこから河村さんの「怒り?」が吐露されます。
世間は、団塊世代の親の世代にエールを送った明治生まれの黒澤監督を、中学生レベルの理想主義者だと馬鹿にした。そして今でも、黒澤映画は欧米に迎合して映画賞狙いでカラー作品を作ったなどと言って、『影武者』も『乱』も否定してきた。
彼らには無償の愛さえ分からない。キリスト教もただの神話だと否定する。
そんな青春期を送った団塊世代にこそ『映画の中の黒澤明』や『乱』を見せて80歳までの時間を生き直してもらいたい。
私はサロンに参加していなかったのですが、さぞかし河村さんの言葉には熱が入っていたことしょう。

実は、そうした思いが、いまの河村さんを動かすエネルギーになっているのです。
ともかく最近の河村さんの活動には驚きます。
最近は、東京国際交流館に集うシニア層への無料上映会も始めています。
こうした活動も今度話してもらおうと思います。

参加した黒田さんからは、「『素晴らしき日曜日』はとても興味深いものでした。戦後間もなくの時代が反映されていたし(東宝争議やインフレ焼け跡)映画から観ている人たちに呼びかけるなどの手法も独特でした」と感想が送られてきました。

また前園さんも面白かったと言ってきました。当時の日本の時代背景やあこぎな商売や闇市でお金儲けをする人たちが蔓延って格差社会が広がる世の中で、夢をみる貧しいピュアなカップルの生き方を読み取り、面白い鑑賞後トークになったようです。
加えて、河村監督はご自分の恋が成就しなかったおかげで乱の撮影へと結びついたという話もあったそうです。ちなみに当時の河村さんは、かなりのイケメンだったのです。
他にも参加者の初恋のカミングアウトもあったようです。
こういう話し合いを引き出してくれるだけでも黒澤映画のパワーはすごいです。

最後に、サロンに参加した近藤さんの物語の紹介と感想です。
ちょっと長いですが、映画を観たくなります。

戦後すぐの日本(東京)の雰囲気が伝わってきます。
この映画を観た観客もまた戦後1年の敗北経験と失意の意識をもって見ているわけです。

占領支配され、跋扈する米軍兵の横暴な振る舞いに抗することも出来ない負け犬根性が支配している日本人のマインド。
「戦後の混乱期」闇商売や搾取ビジネスの横行で無法化した社会。バレなければズルも違法もお構い無しの世情。
空襲で焼け出されて家もない戦争未亡人の母子家庭や身寄りのない戦災孤児。国はそれをなんとかする力もなく放置。

一方、戦費供出で日本中が疲弊しきっていると思っていたが、意外にも資産家は多く残っている。そうしたお金持ちや米兵相手にキャバレーを始めて大成功している復員兵もいるし、そこにタカリに来る者たちもいる。
貧富の差はとてつもなく開き、貧しい者に希望はない。

闇商売や強欲、半グレ稼業で糊口は凌げても、タカリやおもねり、生きるため誇りを売り渡す屈辱と屈折で荒れる心性。
勝ち組もカネだけの勝ちでマインドは卑屈。

不義に堕ちない決意を守ろうとすると、我勝ちに生き馬の目を抜く世間の荒波によってどうにもならない隘路へと追い込まれ、誇りは惨めさに荒んで愛と暖かさの心を失っていく。

主人公の2人。希望を語ろうとする恋人の言葉を貶め不運を呪う後ろ向きな言葉しか言わない男に、女の心は次第に追い詰められていく。
そんなとき、自暴自棄になった男の衝動的な行動が女に覚悟を決めさせ、その覚悟によって男は我に返ると同時に後ろ向きだった心を反転させ未来への希望を取り戻した。

しかしその希望は、何度も試される。
絶望に堕ち、女に励まされて再び希望を取り戻し、それを何度も繰り返した挙げ句、ついに希望は強固なものになり、未来への夢が2人を再び強く結びつける。

ここで女は、自分たち2人が希望にたどり着いた足跡を例として、当事者の立場から同じ境涯にある多くの貧しい若者たちの代弁者になって、スクリーンから観客(さらには戦後わずか1年の日本社会)に弱者への共感と応援を力強く呼び掛ける。このヒロイン(中北千枝子)の大写しの迫力はその斬新な構成手法とあわせてたいへん印象的な(黒澤監督からの)メッセージ。

戦争に至るまでの日本社会は、過度に男性性が昂進した戦争肯定マインドに支配されていたが、敗戦によってその暴走は完膚なき敗北で打ちのめされ、希望を失い意気消沈して捨て鉢な荒れ根性に堕ちた。
そうした失意の社会に(過度な男性性への揺り戻しとして)出現した女性性(母性)による癒しの力によって社会マインドが反転して希望が回復し未来を信じる気持ちが力強く生まれる社会エートスの物語を、若い恋人たちが苦悩を克服して未来への希望を共有していく姿を通じて日本社会へのエールを唄いあげた。

その福音を戦後わずか1年の世に高らかに宣し克服と再生を加速しようとした黒澤明。

今の時代に振り返って見れば、日本は実際驚異の復活を遂げた(少なくとも経済的には)が、戦後一年の時点ではそれほど力強く未来を信じて「堕ちずに」気高い生き方を貫くことはなかなかに難しいことだろう。
黒澤明監督当時37歳の理想主義と信念の強さ、共感性を参加者全員が改めて感じた映画でした。

 

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■第9回ブックカフェサロン「お薦めの1冊」のご案内

あまり参加者がいないのですが、今月もブックカフェサロンを開催します。
CWSライブラリーの蔵書も増えてきていますが、なかなか利用者は増えません。
どこかに設計ミスがありそうです。
でも書籍文化を大事にしたいので、もう少し頑張ってみます。

今回のブックサロンは、テーマ決めずに、ともかく「お薦めの1冊」を簡単に紹介しあうことにしたいと思います。
ジャンルは問いません。できれば、お勧めに応じて読みたいという方がいたら、貸してあげられるように、本をご持参いただけるとうれしいです。
またこの本を使った読書会サロンをやりたいという提案も歓迎します。

ブックサロン前のディオゲネスタイム(話をせずに読書する時間)もいつも通り開催します。
できればその時にぜひ、CWSライブラリー蔵書のコミックをお薦めします。

いつものように、ブックカフェのスタートは午後1時からで、サロンは2時から。
1~2時の1時間は恒例のディオゲネスタイム(沈黙の中での読書タイム)です。
コーヒーか紅茶を用意します。

〇日時:2026年4月12日(日曜日)午後1時~午後4時
     1~2時は沈黙タイムで、サロンは2時からです。
〇サロンテーマ:「お薦めの1冊」
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/04/04

■節子への挽歌6706:30年ぶりの湯島への来客

節子
また30年ぶりの人が湯島のサロンに来てくれました。
北九州市で会った苦瀬さんです。
30年程前、私は数年にわたって、北九州市の課長研修をさせてもらっていました。
何をやってもいいというので、私の好みでプログラムさせてもらった1泊2日の研修です。
その時、受講してくださったのが苦瀬さんです。

当時、苦瀬さんは環境省から北九州市役所に出向していたと思います。
夜の会食時に話し合った記憶があります。
以来、ネットはささやかにつながっていて、時々、フェイスブックでコメントをくれました。
コメントの多くは、私の投稿への反論だった気がします。
基本的なところでどうも価値観が違うのです。
もちろん私も反論。
ただお互い自制を持っての反論でしたあら、ネットでの交流は続いていました。

その苦瀬さんがサロンにやって来たのです。
ともすれば私の意見と同じ人が集まりがちになっていたのを困っていたところですので、意見の違う苦瀬さんの参加はとてもうれしい。
それに30年ぶりというのも、実にうれしい。

30年ぶりに苦瀬さんはやはり人間がずっと丸く広くなっていました。
あの頃会った人たちにもっともっと会いたくなりました。
人生もそろそろ終焉期ということなのでしょうか。

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2026/04/03

■節子への挽歌6705:畑を始めました

節子
畑に行きました
空き地を使えるのが今年が最後になりそうなので、途中で終わったとしても、最後の農作業活動に取り組むことにしました。
今年は最後ですので収穫も目指そうと思います。

昨年がんばったせいで、食性が大きく変わっていて、草刈りも比較的楽でした。
1坪半くらいを耕しました。
別途、時評編に書きましたが、昨年蒔いたニンジンが残っていました。
様子を見ようと思います。

やはり土に触れながら身体を動かすと気持ちがいいです。
今年は無理をせずにのんびりと農作業を楽しもうと思います。

風邪が治った気がしていなかったのですが、2時間ほど、ゆっくり畑にいたら、すっかり元気になりました。
さて、明日から春です。
この1週間、沈んでいたので、やることが山のようです。

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■農作業もどき日記2026(1)

農作業もどきができるのも今年最後になりました。
それでやはり思い切って取り組むことにしました。
しかも今年は最後なので、収穫も目指すことにしました。

少し出遅れましたが、先週、空き地を見に行きました。
半年以上放置していたので、まずは茂りだしていた桑の木の枝を切り取りました。
今日は例年とは違い、まずは畑用地を確保することにしました。
昨年かなり開墾していたので、植生が変わっていて耕しやすかったです。
佃さんのおかげです。

問題は農具を畑に放置していたため、せっかく昨年購入した鍬の柄がまた腐ってしまっていました。でもまあ何とか使えそうです。このあたりが農者としては失格です。

掘っていたら小さなニンジンが出てきました。
昨年蒔いたニンジンが小さく育っていたのを切断したりしてしまったのです。
それに気づいて、そのニンジンを活かすことにしました。
10本残っているので、無理かもしれませんが様子を見ることにしました。
ちなみに掘り起こしてしまったミニミニニンジンは明日、ジュースにしようと思います。

1坪半ほどの草地を耕しましたが、次回、整地しタネを蒔こうと思います。
さて何を蒔きましょうか。

この「農作業もどき活動」で、腰痛などの問題が解決するといいのですが。
ちなみに今日は、誰にも会いませんでした。人間の青木さんには会いましたが。
生きものはまだ春に気づいていないのでしょうか。
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■3月2度目のオープンサロン報告(2026年3月28日開催)

久しぶりに風邪をひいてしまい、報告が遅くなってしまいました。
何とか回復しました。

最近、テーマのないオープンサロンの希望も多いので、今年は毎月2回、オープンサロンを開催することにしました。
ただ今回は、テーマなしと言いながらも、できれば最近の日本の政局(とりわけ高市政権)やイラン情勢などを主な話題にできればと呼びかけさせてもらいました。
Open20260328

8人が参加。残念ながら全員、高市政権に批判的な人たちばかりでした。
同じ意見の人ばかりだと話し合いは難しいです。サロンの呼びかけ人としては、多様な意見の人に参加してほしいですが、なかなかそうならない。同意見の人たちのサロンは、注意しないとエコーチェンバーに陥ってしまいかねません。
というわけで、「高市政権のいいところも見つけたい」と提案したのですが、やはりあまり出てきませんでした。要注意です。

と言っても、具体的な話題では意見が違っていて話し合いも示唆に富んでいました。まだエコーチェンバーサロンにはなっていないようです。
それに、同じ言葉、たとえば「グローバリスト」という言葉一つをとっても、人によって全く真反対の意味で使っていることが話題になりました。

イラン戦争に関しては、果たして何がホントで、何がウソなのか、わからないという話になりました。フェイク画像が簡単に作られる時代の映像も、どれを信じていいのかわからない。
となると、やはり自分で実際に見聞きしたことをベースに、物事を判断していくしかないのでしょうか。

国会や首相官邸前などで行われている「政権批判デモ」に参加した人から、その話も聞きましたが、そういう政治デモの話は、なかなかマスコミには乗りません。逆にネットでは過剰に切り取られて報道されてしまう。
どのメディアに接するかで、世界が違って見えてくる。そういう状況で、「分断」されずに社会とつながっていくにはどうしたらいいか。
まさに私たち一人ひとりの生き方が問われているような気がします。

そういう話から、教育や経済の話も出ました。
前回に続いて、NISAの話も出ました。
社会の大きな流れとどう付き合っていけばいいのか。あるいはどう抗っていけばいいのか。個人だけではどうしようもない気もしますが、それでいいのか。
たとえば、「国益」のための戦争が始まったとして、国民の一人として戦いに行くことが本当に「国益」になるのか。
「国益」って何なのでしょうか。

みなさんの話を聞いていて、そんなことを思っていました。
最近、「茶色の朝」サロンをやっていません。
4月は、もう少し頻繁に今の政治状況を話し合うサロンを開催したいと思います。
このままだと、歴史が繰り替えされそうですし。
そしてもし繰り替えされたら、たぶんそこで終わりになるような不安がありますし。

次のオープンサロンは、4月10日です。

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2026/04/02

■節子への挽歌6704:スマホが変調をきたしました

節子
最近また電子機器たちが私に抗ってきています。
まずはパソコン。ちょっとまた動作がおかしくなっている。
実は買い替えようと思っていたところ、湯島用に2人の友人がそれぞれ1台ずつくれたので、1台を自宅用に使わせてもらっているのですが、それがちょっと壊れそうなのです。
やはりここは自分で購入するべきなのでしょう。ちょっと節約しすぎています。ともかく最近、現金がないので節約思考が強まっているのです。
お金に呪縛されるとは、私の生き方に反するのですが。

まあそれはいいとして、昨日はスマホがおかしくなってしまいました。
スマホでは添付資料が開けないのですが、そのたびにあるアプリをインストールするように指示が出ます。いつもは無視しているのですが、あまりによく出て面倒なので、インストールしてしまいました。
そうしたら画面がおかしくなって、いままでのようには使えなくなってしまったのです。
そこから四苦八苦していましたがどうにもならない。ユカに頼んで見てもらったのですが、彼女もお手上げ。ともかくおかしなアプリはインストールしてはだめだとまた注意されました。
ユカがアプリをたくさん捨ててくれたのですが、ホーム画面が固定されてしまって、これまでのように操作できないのです。

そうなって私もまさにスマホに生活を依存してしまっているのに気づかされました。
一応、日常よく使うアプリは、パソコンと併用しているので、困ることはないのですが、出かけているときに気楽に使えないと困ります。
つまり私も今やまさに機器依存症に陥っているわけです。

これを機に何とかそこから抜けようと思いますが、歳を取って身体機能が低下するにつれて、やはりスマホの効用は高まる一方です。
まあそれも生き方に関わっていますが。
節子がもし元気なら、スマホなどは不要でしょうが、伴侶がいない今、スマホは世界とつながる大切な存在になっているわけです。

こういう生き方になるはずではなかったのですが。

ちなみに、スマホは悪戦苦闘でばたばたしているうちに何とか回復できました。
パソコンも何とか大丈夫です。
春を静かに迎えられそうです。

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2026/04/01

■節子への挽歌6703:花見のない4月です

節子
4月になりました。あいにくの雨天で、春の感じはありませんが。
しかし手賀沼沿いの桜は満開で、外に出ると春を感じます。
あいにく、昨日までは風邪でほとんど外出できておらず。窓から遠望できるだけですが。

風邪は昨日で終結。完全とは言えませんが、まあもう大丈夫です。
念のため今日は誰とも会わないつもりですが、生活は日常化します。

節子のがんが再発した春、家族みんなで、あけぼの山に花見に行ったとき、来年はもう見られないだろうな、とぽつんとつぶやいたのを聞いて以来、桜を見に行くのができなくなりました。
何回かでかけましたが、どうもあの言葉が思い出されます。
だから桜の花見は好きになれません。
あの時の桜の木は、いまも覚えていますが、そのと、そこには行ったことがない。
というか、紅葉も新緑も、ともかくだめです。いや、旅行さえいけなくなってしまっていました。
この20年は、年に1回の奈良旅行以外の旅はほとんどありません。
まあ、まもなく長い旅に出られるでしょうから、旅はもういいでしょう。

私は、もう4年は在世予定ですが、いつどうなるかわからない。
友人知人の突然の訃報が多くなってきているせいか、最近はやはりしっかりと身の回りの整理をしておかないといけないと思いだしています。
4月の目標は、部屋の整理です。というか、資料や書籍の廃棄です。

過去を語るのも苦手ですが、過去を捨てるのも苦手なのです。
棄て方にいつも失敗してきましたから。

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