「農と食」シリーズのサロン、今回はJA全中元専務理事の比嘉政浩さんに、農業を考える基本的な視点を整理してもらいながら、その先行きに関してみんなで話し合いました。
「農業」と一口に言ってしまうと、現実が見えてこなくなるということを、比嘉さんはわかりやすく話してくれました。

比嘉さんは、まず「食料自給率の低下」を取り上げ、「食料自給率」には2つあり、その2つの動きは乖離していることをデータで解説してくれました。ちなみに、「カロリーベース」の食料自給率は令和6年度で38%ですが、「生産額ベース」だと64%です。
さらに、生産額ベースを品目別に分解してみると面白いことがわかります。収益のあがる作目へのシフトが日本農業政策の作戦だったことがわかるのです。ここに、日本の農業政策の本質が象徴されているような気もします。
ここで「収益」という言葉が出てきますが、比嘉さんは、農業は2種類に分けて考えないといけないと言います。「土地利用型農業」と「非土地利用型農業」です。
「土地利用型農業」は面積当たりの収益が低く、収益を確保するには相当程度の広さの農地が不可欠な農業です。米、麦、大豆、綿花、甘味資源作物、多くの飼料作物などが含まれます。
それ以外の農業が「非土地利用型農業」です。相対的に土地条件の制約の小さい、園芸(野菜・果樹)、中小家畜(養豚、鶏肉、鶏卵)などが該当します。
国際競争力という視点にたてば、土地の面から前者は日本には競争力がありません。しかし後者にはハンディはない。日本農業にも明るい芽があるといって取り上げられる事例は、主として後者です。いわゆる「儲かる農業」です。
農業が話題になるときに、「どちらの話か」を踏まえて聞くと理解しやすいのではないかと比嘉さんは言います。確かに、同じ「農業」と言っても、「土地利用型農業」と「非土地利用型農業」とでは、全く違うものと言ってもいいでしょう。
ですから、「日本農業の未来」などと、一口でくくってしまうと、問題が見えなくなってしまうわけです。
つづいて比嘉さんは、消費者にとって優先すべき農業政策に話を進めます。
重要なのは、誰のための農業かということです。2種類の農業のどちらに重点を置くかで政策のあり方は全く変わってきます。
たとえば、政府は「スマート農業・農業DXによる成長産業化(令和4年度農業白書より)」などを強調し、予算もつけています。成長産業化は農業者にとっては重要で、経済成長を最重視する立場であれば理解できますが、消費者の立場から考えるとどうでしょうか、と比嘉さんは問いかけます。
日本の農業を支えている農業者を支えることが日本農業を支え、ひいては消費者のためになると普通は考えますが、そこで語られる「農業」が、「土地利用型農業」か「非土地利用型農業」によって、話は全く違ってきます。
たとえば、比嘉さんは「農業の成長産業化」の一例として、「稲作をやめ、農業用ハウスを建て、マンゴーを栽培し、一個数千円で売る」という話をしてくれました。農業の収益は上がり、経済成長には寄与するでしょうが、不耕作地は増え、米の生産は減少する。消費者にとっては、どうでしょうか、というわけです。
比嘉さんは言います。「かつて「食料安全保障」は、農業者が農業政策全般の必要性を主張する際に使われることが多かった。しかし、いまや消費者にこそ必要な時代になったのではないのか」。
そのことは、昨今のコメ騒動でも明らかになってきました。
農業は、ただ経済の問題ではないのです。私たち生活者が、ただただ「消費者」として「農業」の「顧客」でいればいい時代は終わったというべきでしょうか。
さらに、比嘉さんは最近話題のコメをめぐる話をしてくれましたが、長くなるのでこれは省略し、つづいて話してくれた「日本農業は「過剰」から「不足」の時代に」の話を少しだけ紹介します。
高度経済成長期以降、日本で「農業問題」というと「過剰」問題でした。米も牛乳もみかんも生産過剰だから生産を抑制すべきだ、と。それどころか、農業者が多すぎるとされ、農業者受難の時代がつづきました。私たちは、「消費者」として、その恩恵を受けていたと言ってもいいかもしれません。
でも、みかんの生産量は最盛期の1/5まで減り、他の多くの作目も「品薄の単価高」の時代になりました。ここにも、日本の農業政策の本質が現れています。
しかし、多くの農産物価格の水準は、特に土地利用型農業においては、いまでも「再生産不可能」な状況です。にもかかわらず、なんとか生産が続けられているのは、投資(購入)済みの農業機械、水路などを含めた整備済の農地、過去に育成した果樹などのおかげだと比嘉さんは言います。農機具が使えなくなり、農地の整備が不十分になり、果樹が老木になっていけば、とても今の価格では継続できない。このままだと、今後、米も牛乳も果樹も、現在の価格では購入できないことは確実だと言います。
儲かる農業を目指す「非土地利用型農業」はいいとしても、私たちの生活を支えてくれるのは、主食のコメなどを生産する「土地利用型農業」です。しかし、そこに次世代の農業者が就農するには、あまりにリスクが大きい。生産者もいなくなっていく。先行きが心配です。
こうした状況を変えていくためには、消費者の私たちが、農業にもっと関心を持つことが必要だと比嘉さんは言います。言い換えれば、私たちの生活を支えるという意味での日本の農業を支えていくカギは、私たち「消費者」が握っている。
と、比嘉さんは、消費者である私たち参加者に問いかけて、話し合いが始まりました。
農業を、「土地利用型農業」と「非土地利用型農業」に分けて考えることの意味は極めて大きいと思います。
話し合いでも、「食べ物が食品という商品になってしまっている」という話が出ましたが、「食べもの」づくりや「環境保全」に取り組んでいた「土地利用型農業」と「儲かる農業」を目指す産業としての「非土地利用型農業」とは、考え方がまったく違うのです。産業発想をするのであれば、農林水産省ではなく、経済産業省の世界でしょう。
「土地利用型農業」と「非土地利用型農業」の違いをもっと際立たせるために、たとえば、「社会基盤型農業」と「収益事業型農業」というような表現にすると問題の所在が見えてくるように思います。
それにも関連して、農福連携の話も出ました。「農福連携」も多分、いまだに産業発想で考えているので、私には何も新しい価値を生んでいないような気がします。
これはまた別のサロンで話題にしてきたテーマですが。
アルメニアやウクライナで生活したことのある参加者が、そこでは都会に住んでいる人たちも週末には郊外に行って農業に触れる生活をしていたという話をしてくれました。「農業」はただの産業ではなく、生活にとっての大切な一部として位置づけられているのです。
日本でも以前、ロシアの「ダーチャ(郊外の菜園付き別荘)」をモデルにしたグリーンツーリズムが話題になったことがあります。いまもその名残が一部に残っていますが、ダーチャ的な「滞在しながら耕す・食べる・暮らす」自給的生活体験によって、農と生活がつながっていけば、「消費者」の意識も変わっていくでしょう。そして、比嘉さんが期待する「消費者」の関心も高まり、行動が起こるかもしれません。
ただ私としては、そもそも「消費者」などという表現に呪縛されているかぎり、事態は変わらないような気がします。少しでもいいので、「耕し、食べて、暮らす」自給的生活体験をして、「消費者」ならぬ「生活者」として、農を考えていけないかと思います。
サロンでも、いま一坪家庭菜園に取り組んでいる人の話がありましたが、一人でも多くの人が、週末農業に取り組むだけでも、日本の農業の先行きは変わっていくような気がします。
長くなってしまいました。まだまだ報告したいことはありますが、比嘉さんにはまたサロンで話し合いを呼びかけてもらいたいと思っています。
なにしろ、農業は私たちの未来を大きく方向づけていくものですから。
最後に、私の勝手な感想を一つだけ書かせてもらいます。
これは比嘉さんのお考えとは無関係で、私の私見です。
比嘉さんが、そのど真ん中にいた「農協」は、「公と私と共」という湯島サロンでよく私が話させてもらっている社会の3つのセクターということで言えば、「公」ではなく「共/コモンズ」です。そのおかげで、「民営化」を回避できたのだと思います。
国鉄や郵便・電話は事業主体が「公」だったがゆえに、「民営化」という言葉で「私企業化」され、世界の金融資本に取り込まれつつあります。もし農協が国営だったら、「民営化」されて、今頃は穀物メジャーに吸収されていたかもしれません。
そう思うと、比嘉さんたちが頑張って、農協を株式会社化しなかったことに感謝しないといけません。
しかし、これから日本の農業を守るのは、比嘉さんが問いかけたように、私たちみんなかもしれません。
私たちに何ができるのか。またぜひこのテーマのサロンを続けていきたいと、改めて思いました。
最近のコメント