■国民のデモから市民のデモへ
国会前のデモが続いています。いや、国会前だけではなく、各地でデモが広がり続いています。
マスコミ報道は相変わらずあまり報道しませんが、しかし、少しずつ報道も増えています。今朝の朝日新聞は社会面に出ていました。どうして社会面なのか不思議ですが。
デモは広がっても、政治はなかなか変わりません。
なぜなのか。
その理由は明確です。日本では政治と生活の距離が遠すぎるのです。デモに実際に参加して、シュプレヒコールなどを聴いていて、それを実感します。もっとも私は、安保法制でも以来、国会前にはいっていませんので、最近は変わってきているかもしれません。でも、デモが目的化しているような気がしてなりません。
それはともかく、日本での市民デモの取り組みにどこか問題があるのです。
つまりデモさえもが、すでに体制に取り組まれているのではないか。
市民運動としての主体性の問題かもしれません。
スペインでは2011年に広がった市民デモが、15M運動へと名前がつくほどのまとまりになり、そこから市民政党ポデモスが生まれました。そして当時の二大政党による国政を大きく変えました。
ちなみに、党名のポデモスの意味は「私たちはできる」です。オバマ大統領が使った“I can”です。党名そのものが「市民が力を持ち、変革を起こせる」という政治的メッセージになっているのです。
せめて山本太郎さんが、行動を起こした時に、党名にもう少し気を使っていたら、日本の政治はもしかしたら変わっていたかもしれません。山本さんの言動に深く共感していた私でさえも、「れいわ新選組」と聞いたとき、気が殺がれてしまいました。
デモを材料に、あたらいい政治のグランドデザインをつくれないものか。
そうしたシンボリックスターはいないものか。
デモは、思いを発する場ではなく、思いをつなぐ育てる場にしていかないと政治は変わらないような気がします。
今回は、自分では汗をかかずに、思いだけを書いてしまいました。
お許しください。
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