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2026年8月

2026/08/31

■節子への挽歌6870:五色ご飯(2026年8月31日)

節子
おにぎり話が2日、続いたので、今日も食事の話を書きます。
先日、食の話題がサロンで出て、そこで「5色食事」に気を配っているというMさんから、5色の食材を教えてくれるメールが届いたのです。
Mさんは難病で、治療薬がなく、でも元気で湯島のサロンにも最近また来るようになったのです。
先日のサロンで5色食事が話題になったのですが、その後、ご自分が相談にのってもらっている統合医療の先生から聞いた話を送ってきてくれたのです。
こうした体験知の交流は、湯島サロンの目的の一つでもあります。

Mさんはこう伝えてきてくれました。
緑はブロッコリー・ほうれん草。葉酸・ルテイン・ビタミンKが豊富で、細胞や骨を守ってくれるのだそうです。
黄はパプリカ・とうもろこし。ルテイン・ゼアキサンチンが豊富で、目や神経を守ってくれる。
橙はにんじん・かぼちゃ。β-カロテンが豊富で、粘膜・免疫を支える力を与えてくれる。
赤はトマト・赤パプリカ・ビーツ。リコピン・ベタシアニン・硝酸塩が豊富で、血管・血流を支える力を強化してくれる。
紫はなす・紫キャベツ。アントシアニンで抗酸化を支えてくれる。
白は大根・玉ねぎ・にんにく。硫黄化合物などで身体の防御を支える力。
茶・黒はごぼう・きのこ・れんこん。食物繊維・ポリフェノールなどが豊富。

食や栄養素に無知な私には消化不能ですが、ともかくいろいろな色の食材をとるのがいいというのはわかります。

私も節子と結婚した時に、食事は4色以上にしてほしいと頼んだことがあります。
少なくとも当初は節子は守ってくれていましたが、そのうち、私も忘れてしまっていました。
娘たちにはその文化はどうも伝わっていないようなので、たぶん節子もあんまり守らなかったのかもしれません。
いまとなっては懐かしい思い出ですが、これに限らず私が提案した生活文化は、ほとんど節子にはかわされてしまっていたような気がします。
結局、私の方が影響を受けてしまっているのかもしれません。
困ったものです。

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■CWSライブラリーに期間限定の「日本古代史コーナー」蔵書の紹介その4(2026年8月31日)

CWSライブラリーの期間限定テーマライブラリー「日本古代史」のための蔵書の紹介最終回です。最後は迷ったのですが、古代日本人の宇宙観・自然観の書籍とそれとは対照的ないささか「トンデモ本」的なものを用意しました。
10月に、古代史ブックサロンまでに、ぜひいずれかをお読みになって参加してもらえるとうれしいです。もちろん、この50冊以外の本の推薦・紹介もぜひお願いしたいです。

〔「日本古代史」関連書籍(その4)〕
■古代日本人の宇宙観(荒川紘 海鳴社 1981)
古代日本人が“垂直の宇宙軸”と“水平の常世”を重ねて世界を理解した構造を読み解く。
■古代日本人の自然観(舟橋豊 審美社 1990)
古代日本人が“自然=神の働き”として世界を受け止めた感性と思想を復元する。
■日本書紀の暗号(林青梧 講談社 1990)
太安万侶が『書紀』本文に仕込んだ“隠し記述”を読み解き、古代日本の正史像を再構築。
■超古代の謎をとく13の鍵(佐治芳彦 徳間書店 1986)
日本列島に潜む“超古代文明”の痕跡を13のテーマで読み解く異説古代史入門。
■謎の日本列島(飛鳥久 ベストブック 1976)
日本列島の成立と古代史の“常識”を大胆に疑って読み替える異説古代史の入門。
■日本超古代史の謎(佐治芳彦 日本文芸社 1984)
古史古伝・神代文字・先住民伝承を総合し、日本列島の太古像を大胆に再構築。
■日本超古代文明の謎(鈴木旭 日本文芸社 1990)
日本列島に高度な先史文明が存在した可能性を探る超古代史研究。
■まぼろしの超古代帝国アスカ(五島勉 祥伝社 1985)
“古代王国=アスカ”の痕跡を追い、日本列島の太古史を大胆に読み替える異説古代史。
■謎の上記(うえつふみ)(佐治芳彦 徳間書店 1987)
豊国文字で書かれた古史古伝からウガヤフキアズ王朝からの“もう一つの古代史”を提示
■謎の契丹古伝(佐治芳彦 徳間書店 1990)
契丹(遼)に伝わる“古伝”から東北アジアの古代文化像を再構成する試み。

 

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■第13回ブックカフェサロンのご案内

8月のブックカフェサロンは、私のミスで直前キャンセルにしてしまいました。
申し訳ありませんでした。
ただ中止の連絡にもかかわらず、湯島に来てしまった人たちがいたため、喫茶店でのミニサロンを開催しましたので、ブックサロンの回数としては、それを加えて、今回は第13回ということにさせてもらいました。

前回は参加者がそれぞれお薦めの本を話題提供してくれ、それを中心に話し合いが盛り上がりました。今回も同じようなスタイルをとろうと思います。
できれば本もご持参いただければと思います。

話す内容は、本にまつわるエピソードでも、本の紹介でも、あるいは本に関する「問いかけ」でも、何でもありです。
CWSライブラリーの蔵書も増えていますので、そのなかから選んでもらってもいいです。自分の書いた本の紹介や友人知人の書いた本の紹介も歓迎です。
ともかく、本に関する話し合いを楽しみたいです。

なお、サロンは4時に終了しますが、希望者はそのままそこで読書を続けてもらってもいいです。CWSライブラリーの蔵書も読んでもらえるとうれしいです。

10月のブックサロンは、テーマを日本古代史に設定しています。関連図書を50冊、CWSライブリラリーで公開していますのでご利用ください。ただし、日本古代史関係の本に限って、10月のブックサロン(下旬の予定)までに返却をお願いします。
なおライブラリー蔵書への提供はいつでも歓迎です。
みなさんに読んでほしい書籍があれば、ぜひご提供ください。

〇日時:2026年9月20日(日曜日)午後2時~午後4時
〇サロンテーマ:「私のお薦めの1冊」
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/08/30

■節子への挽歌6869:霜里農場のおにぎり(2026年8月30日)

節子
今日も昨日に続いておにぎりランチでした。
今日のおにぎりは、有機農業で有名な霜里農場のおにぎりです。
ここのおにぎりは、ともかくおコメがおいしいのです。
持ってきてくれたのは霜里農場の金子友子さん。

友子さんは、私の小学校時代の同級生ですが、湯島のサロンに時々来てくれます。そしてその時は必ず野菜とともに、おにぎりを持ってきてくれるのです。
私はおにぎりは1つか2つしか食べませんが、友子さんはいつもたくさん持ってくる。
それで早くやってきた人は、それを楽しみにしているのです。

今日は黒澤映画に人生をかけた河村さん、そして黒澤映画の研究家の若者がご一緒でした。

友子さんはいつも野菜を持ってきて、私以外の人にも分けてくれるのです。
湯島ではこんな感じで、お金を介さない、モノや思いのやりとりが行われているのです。
新倉さんや友子さんから、よくおにぎりやランチを提供してもらっていますが、考えてみるとお礼をしたことは一度もありません。
一度くらい、お返しをしないといけませんね。
でもまあ、おふたりはそんなことは考えてもいないでしょう。
ここはやはり「恩返し」ではなく「恩送り」でしょうね。

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2026/08/29

■節子への挽歌6868:新倉さんのおにぎり

節子
今日は新倉さんが友人と一緒におにぎりランチを持参で湯島に来てくれました。
新倉さんは節子と同い年です。
しかも新倉さんのパートナーは私と同年。

新倉さんを私に引き合わせたのは川辺さんです。
川辺さんは新倉さんの息子さんですが、私が父に似ていると言って、その伴侶の母親である新倉さんを連れてきたのです。新倉さんは数年前に伴侶、つまり私と似ている言動をしていた夫を亡くしています。
ややこしい説明をしてしまいましたが、それ以来のお付き合いです。
新倉さんは、湯島のサロンで定期的に「食養生」のサロンを開いてくれています。
それもあって、時々、手作りランチを届けてくれるのです。

今回は、友人を引き合わせたいと言って同行してくれました。
その人は消費生活アドバイザーでもあります。
話をしていて、以前、コンシューマリズムやHIEBに関心を持っていた頃のことを思い出しました。
コンシューマリズムに関心を持ったことは、私が生き方を変える流れへの一つのきっかけかもしれません。懐かしい話です。

新倉さんの今日のランチはおにぎりでしたが、うまく説明できませんが、ともかくおいしいおにぎりでした。いろんな具が入っている混ぜご飯でした。
友人の方は、ブドウパンと手作りのブルベリージャムを持ってきてくれました。
これもおいしかったです。

こんな感じで、お昼ごろに湯島に来る人は、ランチを持ってきてくれるのです。
節子も知っているように、私は一人で食事をするのが嫌いですし、自分で調理するなどとてもできません。食のために何かをしようという気がないのです。
もし誰もランチ時に来なかったら、いつもランチ抜きです。
今日は、おにぎりとパン。
節子が心配していた、生活力のない私が今なお元気なのは、こんな感じで私はみんなに支えられているからです。
湯島のオフィスがきれいなのも、みんなのおかげです。

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2026/08/28

■節子への挽歌6867:にこの選択

節子
にことみんなで回転ずしに行くことになりました。
わが家の近くには3つの回転寿司店があります。
くら寿司、スシロー、はま寿司です。

いまくら寿司では、「ちいかわコラボキャンペーン」と言うのをやっているそうです。
チイカワと言えば、たしかにこがはまっているキャラクターのはずです。
ですからてっきりくら寿司が選ばれると思っていました。
しかし、にこが選んだのはスシローでした。
なぜかと聞いたら、コラボキャンペーンと言っても、なかなか当たらないというのです。
それで結局、味で選んだそうです。
にこもだいぶ成長したものです。
たしかに、上記3点を比べるとスシローがいちばんかもしれません。

私は最近、回転ずしに行っても、あまり食べるものがありません。
最近の回転寿司には、私の好きな貝類は少なくなりましたし、イカやタコもおいしくない。寿司らしくないものも多くなりましたし、ともかくおいしいと思うことがほとんどなくなってきました。

それでも回転寿司は、面倒でなくて私も嫌いではありません。
食べる量も自分で管理できます。
それに何よりも安い。
いくら食べても、高級スイート店で食べるスイートよりも安いくらいです。
どうもこの感覚も違和感がありますが。

今年の夏こそ、にこと上野に行きたかったのですが、やはり実現できませんでした。
9月の連休が次の目標ですが、誘うと思うと、行先もいかないうちに、「ムリムリ!」と言われてしまいます。困ったものです。

にこは寿司の最後はいつもポテトチップで、私にも何本かくれます。
すし屋でポテトチップとは、私にはどうもなじめませんが、いつも素直にもらっています。

最近、私は金銭的には貧しいので、家族にご馳走してやれないのですが、節子がいた頃も、あまりおいしいレストランに連れていくことはありませんでした。
まあ節子もそれを望んではいなかったですし。
一時期は、わが家もそれなりにバブルだったのですが、ほとんどが無駄に浪費してしまい、今はお金貧乏です。
人生設計を間違ってしまったようです。

私自身はお金から解放された生き方をそれなりに楽しんでいますが、家族は必ずしもそうではないのかもしれません。
家族のことや友人知人のことを考えると、時々、もう少しお金があればなと思うことも正直あります。
なかなかお金からは解放されません。
困ったものです。

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■あと3年半の健康づくり活動報告9:腎臓のパフォーマンスは劣化を防げただけでした

水素風呂での足裏揉み解しのおかげで、足のしびれと腰の痛みはほぼ解消に向かっています。
この間、高井さんによる「縦巻き横巻き整体のワークショップ」を体験し、実際にそれに従ってみましたが、考え方は理解できたのですが、どう実践したらいいかがよくわからずに、ただ基本動作だけを1週間続けました。少なくとも状況は悪くならなかったので、私は「右縦・左横」タイプだろうと思います。

食生活を少し変えました。
朝食は簡単トーストですが、サロンで、マーガリンの使用をやめた方がいいといわれて、クリームチーズに替えました。まあ時々はマーガリンを使うことで持続したいと思います。以前はハチミツやブリーベリージャムも使っていましたが、高いのと買うのが面倒なので最近はそのまがい物です。量は思い切り減らしているのでまあいいでしょう。
毎日階段200段上下は挫折しました。
何ごとも続けるのは難しい。

朝の野菜をまた復活しました。ただしレタスで、これを2枚ほど、水にひたしてカリウムを流してからポロニアソーセージと一緒に食べるようにしました。ソーセージもあまりよくないといわれたので、ゆで卵併用で、ソーセージの枚数を半分(2枚)にしました。

とまあ、それなりに私もできる範囲で一応努力はしているので、正直、今回の腎臓の定期検診には期待していました。
しかし、結果はほとんど変化なし。医師は変化がないのはいいことだといいますが、この間の私の努力は報われなかったともいえます。
いや、こういう風にネガティブに受け止めてしまうのは、今回、あまりに長くまたあれたからです。
予約時間を全く無視して2時間も患者をまつぇ、しかもマスクも外させずに顔も見ようとしないで自説を述べる医師はやはり信頼できません。

我孫子近くでどこか腎臓医はいないでしょうか。
医師にかかるたびに、大幅に待たされて精神的におかしくなるのはもうやめたいのです。
ちなみに、今回、試しにと言って、新たな薬を2週間服用することになりました。
それでまた9月9日に行かなくてはいけません。
憂鬱です。

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■考えの違う人と会うのは疲れますが、自分の世界を広げられます

数年前から、毎月1~2回ですが、「聖教新聞」が投函されます。
そこに、配達員のお名前と連絡先、そして「読んでみてきゃんぺーん 聖教新聞贈呈いたします」とのメッセージが添えられています。
投函されるのはいつも午前6時前です。

正直、投函は迷惑なのですが、投函する行動には敬意を感じていました。
数年前に、気になってその配達員の方に電話しました。
その話に共感するところがあり、ご自宅を訪問しました。
自費でかなりの部数の聖教新聞を毎日購入し、自宅周辺の家庭に、毎朝、ご自分で歩いて投函しているそうです。わが家まででも15分以上かかりますから、かなり広範囲なのです。

その考えに共感するところがあり、一度、一緒に食事もしました。
そのお返しと言って、孫に大きなケーキを作って届けてくれたこともあります。
この人は有名なシェフだった人なのです。
ただその人にとっては残念でしょうが、私も家族も創価学会には否定的なのです。
でも時々、「佐藤様へ」という手紙も入っています。

近くの知人は、聖教新聞は読みたくないので投函を断ったといいます。
私は、ほとんど読みませんが、投函を受け続けています。
それぞれの考えで、社会に何ができるかを考え実践に移していくことは、思いが強くなければ続きません。私が一番気をつけているのは、「排除の姿勢」です。

私は言葉だけの人は信頼しませんが、言動が一致している人はたとえ考えが違っていても耳を傾け理解する姿勢を大事にしています。だから高市総理の言動も頭から否定することはありません。右派とか左派とかいう紋切り型の「排除の発想」は、私には無縁です。
異論にこそ関心を持ちたいと思っています。

配達院のYさんにはこの数年、お会いしていませんので、久しぶりにご自宅を訪問しようと思います。考えの違う人と会うのは、疲れますが、自分の世界を広げられます。

 

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2026/08/27

■第22回あすあびサロンへのお誘い

明日の我孫子を話し合う集まり「あすあびサロン」のご案内です。
今回もテーマを設定せずに、参加者が「自分でやりたいこと」や「思っていること」などを気楽に話し合う「ゆったりサロン」です。

初めての方も大歓迎です。
途中参加や途中での退席も自由です。
ともかく気楽な集まりですので、気楽にお立ち寄りください。

お問い合わせは、事務局(qzy00757@nifty.com)にどうぞ。

〔第22回あすあびサロン〕
〇日時:2026年9月26日(土曜日)午前9時半~11時半(9時15分開場)
〇会場:アビスタ第5学習室
〇協賛費:会費ではなく、ワンコイン(100円)を目安にした自由寄付方式
〇問合せ先:あすあびサロン事務局 qzy00757@nifty.com

毎回説明させてもらっていますが、このサロンでは、年齢や立場に関係なく、みんな同じ住民の一人として参加してもらっています。
また問題や不平を話すのではなく、自分たちの住んでいるまちをさらに住みよいまちにするために、自分ができること/取り組みたいことを探していくこと、そして仲間を見つけていくことを基本にしたいと思っています。
その趣旨を踏まえていただければ、どなたでも参加歓迎です。我孫子市民にもこだわっていません。どうぞ気楽にご参加ください。
https://www.facebook.com/groups/1157264445390914

 

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■節子への挽歌6866:かんのんみちの記憶にはリアリティがありません

節子
昨日、喫茶店でのみにブックサロンで、私は白洲正子さんの「十一面観音巡礼」を紹介させてもらいました。
会社に入社したころ、毎月、「芸術新潮」を購読していたのですが、そこに連載されていたのが、白洲正子さんの「かくれ里』でした。そこに出てきたのが、私の記憶では不退寺の十一面観音で、会いたくなって訪問し、以来佐保路が私の好きなルートになりました。
次に魅かれたのが、滋賀の渡岸寺の十一面観音。節子の生家の近くです。
節子と付き合いだしてから、節子に頼んで連れて行ってもらいました。
以来、奈良の十一面観音よりも、さりげない滋賀の湖東の観音が好きになりました。

私は、その連載が単行本になったと記憶していましたが、違いました。
まあ、それはいいとして、この本は私にはめずらしく何回か読みました。

滋賀の湖東には、まさにかくれ里的に観音がたくさんいます。
節子が元気だったころは、よく歩きました。
まさにかくれ里。無住職のお寺が多いのです。
ですから当番の在所の人に頼むt、すぐ近くで観音に会えたのです。

小浜の遠敷神社から奈良の二月堂をつなぐ「かんのんみち」は、私にとってはいつか節子と一緒に歩きたい道でした。

節子がいなくなってから、一度だけ、小浜の遠敷神社に行きました。
ところが印象が全く違っていたのです。
以来、観音道を訪ねるのはやめました。

節子と一緒に、時々訪ねたかくれ里の観音たちは、今にして思えば、幻想的でした。在所全体も含めて、夢のような気がします。

あれほど憧れていた渡岸寺の十一面観音も、いまや立派な展示室に置かれてしまい、会いに行く気は全くしません。
もしかしたら、みんな節子と一緒に逝ってしまったのかもしれません。

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第12回ブックカフェサロン報告

■第12回ブックカフェサロン報告
8月のブックカフェサロンは、私のミスで、開催できませんでした。
会場をダブルブッキングしていて、使用できなかったのです。しかも、それに当日まで気付かず、気づいたのは当日の午前中、病院でちょっと深刻な受診待ちの時でした。
あまりに気づいたのが直前で、しかも病院の待合室だったので、的確な代替手段を講じられず、結局、中止することにして参加申込者には連絡させてもらいました。フェイスブックには投稿しましたが、メーリングリストへの投稿をすっかり忘れてしまいました。

しかも病院での受診がいろいろあって、予定が2時間近く延びてしまい、私自身が会場に着くのが、サロン開始の20分前でした。
中止の案内が伝わってない人がすでに来ていましたが、会場は使えないので、近くの喫茶店でミニブックサロンをしようということになりました。
遅れてきた参加者も、そこに参加してくれました。
結局、私を入れて5人。

話題になった本は6冊です。
『チボー家の人々』(マルタン・デュ・ガール)
『闇の奥』(ジョゼフ・コンラッド)
『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂)
『十一面観音巡礼』(白洲正子)
『戦争という仕事』(内山節)
『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(信田さよ子)

席が近かったのと喫茶店の雰囲気の影響か、とてもいい話し合いが展開しました。
やはりめげずにブックサロンを続けます。
よかったら、どれか1冊をお読みいただければうれしいです。

早速ですが、次回のブックサロンは9月20日(日曜日)に開催します。
テーマは今回と同じく特に決めませんが、今回話題になった本のどれかを読んでの感想もお願いできればうれしいです。
あるいは、お勧めの本があれば、その紹介をお願いしたいです。

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2026/08/26

■節子への挽歌6865:また薬が一つ増えてしまいました

節子
肝心の腎臓病の診察結果です。

今回は予約時間から2時間近く遅れての診察でした。
予約時間をこれほど守らない医師は、信頼できません。
意思を買えたいか、もう診察に来るのをやめようと思いだしていました。
あまりに遅いので看護師にまだかと伝えたら、次に呼ばれました。と言っても、わつぃ以外の患者はもう一組しかおらず、その人も、私が声をかけると、今日見てもらえるのでしょうかね、と不安そうで、病院を買えたいと思うのですが、他にないというので。やはり毎回待たされているのでしょう。

そんな状況で呼ばれたのと、湯島に行く時間が気になって、新s夏での説明もあまり気持ちとして頭に入ってきませんでした。

でもまあ一言で言場、状況は変化なしの低位安定ですが、水準は相変わらず危険水準。
それで、薬を2週間、飲んでみましょうという提案。不信感が高まっているので、人体実験のような気もして不愉快でしたが、まあ断るのも面倒なので、了承しました。
明日から服用する薬が一つ増えました。フォシーガという血糖を下げる薬ですが、クレアチニンはむしろ高める作用があるそうです。信頼できる医師でないので、いささかの不安があります。

今回は水素風呂での足裏揉みとか食への注意などで、状況の奇跡的改善を少しだけ期待していたのですが、それどころではありませんでした。
やはりこの病院はやめたいと思いますが、代替案がない。
困ったものです。

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■節子への挽歌6864:ダブルブッキングでピンチ

節子
とんでもなく騒がしい1日になってしまいました。

まずは3か月ごとの腎臓病の定期検診。
足裏の揉み解しや食生活の対策で、もしかしたら改善に向かっていると思っての期待の診察でした。
採血は順調、この病院のシステムもようやく動き出したかと思いきや、予約時間になっても一向に呼ばれません。
やはりだめだったかと失望して、スマホを見て、とんでもないミスに気づきました。
病院とは関係ありません。私のミスです。
湯島の使用をダブルブッキングしていたのです。
午後のサロンのまさにその時間、友人の使用を了承していたのです。
さてどうするか。
しかも今日はボストンから来日している坂口さんたちとも会う予定です。
しかし、いつ診察で呼ばれるかもしれない。なにしろこの病院は患者本位ではなく、医師本位で診察時間が決められる病院ですので、待合室から外に行くわけにはいかない。

いろいろメールなどスマホで連絡を取りましたが、こういう時に限って、誰もメールを見ない。患者が呼ばれた直後は呼ばれることはないので、病院の外に出て何回か電話しましたが、誰も出ない。

結局、サロンは中止にして、参加申込者だけには中止の連絡をしました。
サロンへの参加申し込みをきちんとするような人は、さすがに連絡もつき、すぐ返信がありました。

というわけで、部屋のダブルブッキング問題は何とか乗り越えました。

まあその後、さらにいろいろあるのですが、まあ最悪の事態は避けられました。
こういうスリルは、久しぶりです。

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2026/08/25

■節子への挽歌6863:ボストン在住の坂口さんからの電話

節子
夕方に気づいたのですが、スマホにボストン在住の坂口さんから電話が入っていました。なんとか連絡があっ来ましたが、今日、日本に戻ってきたそうです。
早速に明日、お会いすることにしました。

坂口さんには最近いささかの不義理をしてしまっています。
昨年、例年のようにクリスマスカードと一緒にメッセージをもらっているのですが、返信もしないでいました。
考えてみると、今年の前半は、ともかく不義理尽くしだったでしょう。
心身ともに、何事にも気が乗らなかった。

明日は、午前中は病院で午後は湯島でサロン。
その間に、湯島でお会いすることになりました。
いつものことながら、坂口さんが、お気に入り弁当を持ってきてくださるとのこと。
坂口さんにはいつもお世話になるばかりです。

 

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■節子への挽歌6862:土は人のつながりを育ててくれる

節子
近くの青木さんが、ナスをどっさり持ってきてくれました。
とてもわが家だけでは食べられないの、ユカがおすそ分けしてくれました。
青木さんは、もちろんわが家だけではなくほかの家にもナスを配っていたそうです。
青木さんがナスを持ってきてくれた時には、私は不在でしたので、どのくらい青木さんがナスを持ってきていたのかを見ることはできませんでしたが。
でも、お裾分けしたのに、まだわが家にもかなりのナスが残っていたので、たくさんだったのでしょう。

青木さんは農家ではありません。
親の代までは専業農家だったようですが、今は家の裏の畑で自家消費用の野菜作りをしています。
それでもサニーレタスやダイコンやナスができると、こうして近所に配るのです。
土のめぐみは、人のつながりを育ててくれるものでもあるのです。
青木さんが野菜を持ってきて来るときに、いつもそう思います。
青木さんにはもちろん感謝ですが、併せて、自然にも深く感謝です。

でもその自然が今、壊れだしている。
地球の自然を取り戻すには、やはり人間の退場しかないのでしょうか。
最近、そう思うようになってきてしまいました。

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■湯島サロン「『ダニーさんの気づき』~平和のためにできること」のご案内

平和がどんどん遠のいているような最近ですが、平和に向けていつも前向きに取り組んでいる小室nikoさんから、ワクワクするようなDVDを購入したので、湯島のサロンでみんなで観て話し合うサロンをしてほしいと連絡がありました。
どういうDVDなのか、と訊いたら、自分もまだ観ていないが、『ダニーさんの気づき』というDVDだといいます。

ダニーさんといえば、イスラエル出身のダニー・ネフセタイさんでしょう。丸い“ちゃぶ台”を象徴に、対話と共生の平和を子どもにも大人にも伝える内容の絵本が話題になったイスラエル出身の人です。「敵なんて本当はいない」「暴力では何も解決しない」という本も出していますので、ご存じの方も多いでしょう。

nikoさん自身も観ていないDVDを材料にサロンというのは、いささか迷ったのですが、単なる‟みんなで鑑賞会“ではなく、平和のためにできることを、ちゃぶ台ではないですが、丸い(楕円ですが)テーブルを囲んで話すのもいいかなと思って、サロン仕立てにすることを引き受けました。Nikoさんが言うには、「映画&なにしよ会」だそうです。

DVDの上映時間は78分なので、いつもより30分早い1時半からのスタートです。
みんなで観た後、後半は平和に向けて「何しよ」の話し合いです。
どんな展開になるか、楽しみです。

nikoさんの思いを、案内の後ろに載せましたので、ぜひ読んでください。
Nikoさんがなぜサロンをしたくなったかも思いが伝わってきますから。

ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2026年9月15日(火曜日)午後1時半~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『ダニーさんの気づき』~平和のためにできること」
〇話題提供者:小室nikoさん(「日常の感覚」から語る行動派エッセイスト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

〔nikoさんからのメッセージ〕

8/22-23は、北区王子の北とぴあ 地下で31回目になる「平和のための北区の戦争展」開催。初日の今日、午後1時から元イスラエル兵士のダニー・ネフセタイさんの「武力で作れる平和はない」のお話。感動でした。  
大好きな絵本作家・詩人のアーサー・ビナードさん(アメリカ人)と同じく、ダニーさんは、日本に生まれ育った私より日本語が素晴らしい!  
しかも表示するパワーポイントの画面も話もテンポ良すぎ、云々と頷くこと多く、自宅で見られないにも関わらず、思わず私には高額出費してDVDを買ってしまいました。  
自宅で見られないから、思案… 湯島サロンで観るのはどうかな、その後ワイワイ話もできるし、なーんて、そんな単純な考えで、「映画&なにしよ」会を開くことを決めました。
私も映画の中身を知りません。ただきっと私にとって良い出会いのものだと思い込んでいます。あなたの今後を少し変えるかもしれません。

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2026/08/24

■節子への挽歌6861:お施餓鬼で塔婆が見つかりません

節子
今日は宝蔵寺のお施餓鬼でした。
兄とユカと3人で行きました。
最近は人が多いので、供養の法会の時も堂内には入らずに外で待っています。

法会が終わると塔婆が堂内に「あいうえお」順に分けられて置かれるので、それを戴いてそれぞれがお墓に持っていくのですが、今回、いくら探しても塔婆が見つかりません。
たまたまお寺のご住職のお姉さんがいたので、彼女が調べてくれました。
そして、「さとうさん、申し込まれていないようですよ」と言うのです。
今回ははがきで申し込んだのですが、間違いなく投函していますし、お布施も振り込んでいます。どうしたことか。

結局、何らかの理由で申し込みのハガキが届かなかったようです。
それで改めて、供養した塔婆をお墓に供えてもらうことにしました。
ちなみに、住職の姉は、ジュンの同級生なのです。

なんだか気が抜けてしまいましたが、お墓にはお花を供えていたので、改めてまた挨拶をして帰りました
帰りに3人でコーヒーを飲みました。
先日も兄とは会食しているのですが、まあこれがいつまで続くかわからない。
会える時にはできるだけ会おうと思っています。
幸いにユカが緩衝材で同席してくれるので、兄弟げんかは最近起こってはいないのです。

9月3日は、節子の命日なので、またお墓に行きますが、その時には新しい塔婆が供えてあるでしょう。

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2026/08/23

■CWSライブラリーに期間限定の「日本古代史コーナー」蔵書の紹介その3

CWSライブラリーの期間限定テーマライブラリー「日本古代史」のための蔵書の紹介その3です。20冊にしようと思っていたのですが、いろいろと思い出して、50冊にすることにしました。
これはぜひ勧めたいという古代史関連の書籍があれば、ぜひ紹介してください。
古代史ブックサロンは、11月を予定していましたが、10月開催に変更します。
それまでぜひお気に入りの1冊を見つけてもらえるとうれしいです。
今回は、20冊の紹介です。最後の10冊は、月末に投稿します。

■人麻呂の暗号(藤村由加 新潮社1989)
万葉歌を多言語で読み直し、柿本人麻呂の歌に潜む別の意味世界を解き明かす。
■いろは歌の謎(篠原央憲 光文社 1976)
いろは歌には柿本人麻呂の怨念のメッセージが隠されていた。
■柿本人麻呂の謎(篠原央憲 徳間書店 1980)
「いろは歌の謎」の続編。さらにメッセージがあった!
■藤原不比等(上田正昭 朝日新聞社 1976)
“藤原王権”の基盤を築いた不比等の実像を描く古代史研究の定本。
■八幡神と神仏習合(逵日出典 講談社現代新書 2007)
新羅に起源をもつ八幡神が‟仏神”として神仏習合を先導していく経緯を解き明かす。
■神々と天皇の間(鳥越憲三郎 朝日新聞社 1970)
葛城王朝の実在性を前提に、天皇制の起源を“神々と王権の交錯”として再構築。
■天皇誕生(遠山美都男 中公新書 2001)
「王」から「天皇」への転換した経緯を精密に描き出す。
■持統天皇(吉野裕子 人文書院 1987)
持統天皇を“呪術によって国家を統御した女帝”と捉える持統天皇論。
■騎馬民族国家(江上波夫 中公新書 1967)
日本国家の起源を“東北アジア騎馬民族の征服”に求めた半世紀前の話題の書。
■聖徳太子暗殺論(高野勉 光風社出版 1985)
農耕勢力と騎馬勢力の対立という大きな歴史構造の中での古代権力闘争論。

■古代史疑(松本清張 中公文庫 1973)
古代史の常識そのものを疑う視点を提示した、清張流ドキュメンタリー批判史学の代表作。
■複数の古代(神野志隆光 講談社現代新書 2007)
“古代は一つではない”という視点から、記紀・神話・国家形成を多層的に読み直す。
■邪馬台国はなかった(古田武彦 角川文庫 1977)
倭人伝を忠実に読むことで、卑弥呼の国は博多湾岸の『邪馬壹国』だったと論証した。
■古代は輝いていた1『風土記』にいた卑弥呼(古田武彦 朝日新聞社 1984)
『風土記』を手がかりに、記紀以前の“九州王朝”と倭国の実像を再構築した。
■古代九州王朝はなかった(安本美典 新人物往来社 1986)
統計学・文献学から古代日本に別王朝は存在しないと論証した反古田史学の代表的反証書。
■邪馬台国は2ケ所あった(大和岩雄 大和書房 1990)
“邪馬台国は九州と畿内に二重に存在した”という二極モデルを提示する異端の邪馬台国論。
■謎の大王 継体天皇 (水谷千秋 文春新書 2001)
記紀・百済本記・考古学を総合して、継体新王朝を提唱。
■よみがえる九州王朝(古田武彦 角川選書 1983)
邪馬壹国=九州王朝の実在を “具体的な歴史像”として蘇らせた古田武彦の代表的論証書。
■『古事記』神話の謎を解く(西條勉 中央新書 2011)
神話を古代社会の記憶・政治的意図・語りの構造として読み解く。
■検証古代の出雲(門脇禎二 学研 1987)
“神話の国”出雲を歴史的実在として再構築した、実証古代史の精密な検証書。

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■健康サロン「健康のためにやっていることを話し合いませんか」報告(2026年8月22日開催)

「健康」をテーマに自由に話し合う「健康サロン」は、たくさんの人が来るのではないかと実はひそかに期待していました。
ところが実際に参加してくださったのは3人だけ。
「健康づくり」や「病(やまい)対策」の体験知をみんなでシェアし合う「みんなの健康情報センター」づくりのビジョンは、消えてしましました

そもそもこれを思いついたのは、私が最近体験しつつある「足腰の痛み」の解消法が功を奏しているのではないかと気づき、それをみんなに伝えたかったからです。

まずはみんなの健康(病気)体験などを紹介し合った後、私が「功を奏したと思っている足腰の痛み解消策」を紹介させてもらいました。
私は半年前から足のしびれが出始め、時に歩くのが困難になることさえありました。その上、数年前から腰痛に襲われ、この数年ロキソニンテープで対応していました。
友人たちからは脊椎間狭窄症ではないか、と病院に行くことを勧められましたが、これ以上の病院行きは避けたいと思い、なんとか自力で克服したいと思ったのです。
そこで思いついたのが「官足法」です。
具体的には、朝晩の水素風呂入浴中に、両足の裏を各4~5分、手の親指で揉み解すのです。私はそれに加えて、足を延ばして足指の思い切り開閉運動を10回、やりました。ほかにも足首を回したり、手で足指を前後に屈伸したりしました。

2か月経過した頃にちょっと改善の兆しを感じましたが、4か月続けた7月末には、足の状況が変わりだしたのを実感できるようになりました。
そして最近は、もう足のしびれはなくなり、気がついたら腰痛も改善され、ロキソニンテープを貼り忘れることが多くなっていました。
そんな話を、官足法の「足の反射区総合図表」を配って話させてもらいました。

ちなみに、この足揉みは腎臓障害にも効くのではないかと期待していますが、その結果は間もなくわかります。
長々と書いてしまいましたが、これはぜひお薦めです。

他の参加者からもいろいろな体験知が出されました。
いろいろと参考になる話が聞けましたが、特にだれにも参考になる話題は「食」でした。みんな「食」には気をつけているようです。

やはり健康の基本は「食」かもしれません。
私にもできる方法がありました。たとえば、私はいま腎臓がわるくカリウムをとるのを控えるようにと言われています。そのため、毎朝食べていた朝の生野菜も控えていましたが、水にしばらく浸すだけでカリウムを減らせると教えてもらいました。今朝、早速実行し、久しぶりに生レタスを食べました。

参加者のお一人は、「5色」にこだわった食事をしていると教えてくれました。
赤、緑、黄、白、黒の5色です。
私も食事の色どりが気になるタイプなので、とても共感しました。黒は、たとえば黒ゴマでもいいというので、私にもできそうです。
ついでに黄色のかぼちゃの簡単な調理法を教えてもらいました。
知ったら実行するのが私の信条なので、これも近々実行する予定です。
まあ料理苦手の私は、一度で終わるでしょうが、時につづくこともある。ともかくまずは「知ること」が大切です。

食の話は当然「食材の安全性」の話になりました。
参加していた山森さんが、サイエンスカフェで話した「食品添加物の健康リスク」の資料を配ってくれました。いつかの健康サロンで、この話をかみ砕いてしてもらえたらと思います。

「うつ」の対策も話題に出ました。
「うつ」もまた、食生活と深くつながっているはずです。
そこから、身体と精神とのつながりの話へと発展。病は気からと言われますが、健康を考えるのであれば、精神面も含めて考えなければいけません。
ということで、2つの「のう」、農と脳も少し話題になりました。

とまあ、そんな感じで、参加者は少なかったのですが、私にはとても参考になる話がいろいろと聞けました。

また参加者のお一人が成人T細胞白血病(ATL)なのですが、その研究に関わっていた人が参加者の中にいました。おふたりのやりとりは私にはよく理解できませんでしたが、その接点から何かが始まるかもしれません。
サロンの意味は、そうした意想外の出会いにもあるのです。

ちなみに、健康サロンでしたので、いつものお菓子とコーヒーに代えて、私の畑もどきからの朝どりミニトマトと桑の若葉のお茶を要しる予定でしたが、朝、私が畑もどき作業をしているところに久しぶり行ったら、ミニトマトはもう完全に終わっていて収穫ゼロ。桑の若葉のお茶は提供できました。
健康サロンでも、毎日飲むであろうお茶の話を取り上げるのもいいかもしれません。

参加者は少なかったですが、始めた以上は3回は続けようと思います。
「みんなの健康情報サロン」構想は、まだあきらめていません。
2回目の健康サロンの案内は、近々投稿させてもらいます。「

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■節子への挽歌6860:クツワムシを放しました

節子
クツワムシを入れていた容器のふたを開けて、昨日、ベランダに出しておきました
私がクツワムシを飼っていることをしった広島の折口さんが、「短い命 できることなら 自由にしてあげてくださいませ」とコメントしてきたのを読んで、たしかにと思ったのです。それで1日、クツワムシとの生活を楽しんだ後、ここが嫌なら往夫出て行ってくださいということにしたのです。
理想はまた時々返ってきてほしいという気持ちなのですが。
今朝起きて、昨日までのクツワムシの住処をみたら、やはりもういませんでした。

以前、わが家の庭に池を作り、その界隈を川や岩場をつくってそこに沢蟹を飼おうと思ったことがあります。
節子も協力してくれたのですが、成功しませんでした。
節子と近くの川にカニ探しに行ったこともあります。

広島の折口さんの近くにはカニがたくさん住んでいるところがあると知り、送ってほしいですね、というようなことを言った気がしますが、折口さんはカニは自然の中でこそ元気に生きられるのでそこから引き離すことはできないといわれました。
全くその通り。
それ以来、むりやり自然の中からカニを連れてくるのはやめました。

カニの楽園を作りたかったのですが、とんでもない思い違いでした。

でも今もなお、そうした思い違いは少なくないのかもしれません。
キリギリスの我孫子での復活と言いながら、結局、産卵計画には失敗し、キリギリスの鳴き声を私が楽しんだだけの結果になってしまいました。

と言いながら、やはり近くに昆虫がいてほしい。
室内の観葉植物に住み着く虫はいないでしょうか。

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2026/08/22

■節子への挽歌6859:ミニトマトの収穫はできませんでした

節子
今日は湯島で、健康をテーマに自由に話し合うサロンでした。

実は、足のしびれや腰痛が、足裏の揉み解しをつ受けていたら、治ってきたのです。
そこでこのことをみんなに知らせたいと思ったのが、このサロンをやろうと思ったきっかけでした。
参加者も多いだろうと思っていましたが、意外にも集まったのは私を含めて4人。
しかも意外な組み合わせでした。
やはり思いつきでのサロンには、人は集まらないのかもしれません。
思いつきとはいえ、昔から病院の待合室で、こういうサロンをやるようにしたらいいのにと思っていたので、それをイメージして、毎月開催と思っていたのですが。

ところで、健康のサロンなので、いつもの駄菓子はやめて、私が自分の畑からの朝どりミニトマトと桑の葉の茶を用意すると宣言していました。
そこで朝、畑に行きました。

ところが、驚くほどの荒れようで、ミニトマトもすべて野草の陰になっていて、すべて熟しすぎて落ちていて、収穫できませんでした。前回来た時にとっておけばよかったです。
それにしても野草のパワーはすごい。
琉球朝顔がまた全面に展開されてきています。
鍬はそうした野草に負けることなく、大きく育っていました。こちらもその生命力には驚かされます。一時は掘り起こそうと切り込んだのですが、もう完全回復です。
若葉を収穫。

ところで畑に行く途中に、自転車ですれ違った女性が、「さとうさん、おはようございます。なかにし?です。畑やってますか?」と話しかけてきました。
困ったことに最近はみんなマスクをしているので、見分けがつかない。
その上、耳が悪くなって(マスクのせいで声も明確でないこともありますが)、「なかにし」というお名前もよく聞き取れませんでした。
とりあえず「やめました」と答えましたが、「なかにしさん?」。心当たりがありません。記憶力も衰えてきたようです。
自転車なので、お名前の確認もできませんでした。

マスクはやめてほしいものです。
人の見分けがつきません。
でもいったい誰だろう、と気になってなりません。
道を歩くと誰かから声をかけられるのは、うれしいことなのですが。

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■河野有理さんの『日本史はいかに物語られてきたか』はおもしろいです

河野有理さんの『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)を読みました。
おもしろかったです。
本書は、戦後日本で話題になった著者や著書をとりあげて、皇国史観・マルクス史観の後に生まれた多様な史観をつないだ「戦後史論の物語」です。
私が生きてきた時代に展開されていたさまざまな史観がでてきて、いろいろなことを思い出しました。

著者は、21世紀に入り、そうした史論空間が弱まり、歴史が社会を語る力=物語性が失われつつあることに危機感を持ち、戦後の史論空間のやりとりを再検討することで、「史論なき時代」「史観なき社会」をどう生きるかの備えとしたいと述べます。

たしかに、最近は政治への関心は広がっているようですが、対話なき批難合戦ばかりで、しっかりした世界観や歴史観を持った言説に触れられません。

併せて、久しぶりにリフキンの『レジリエンスの時代』を読み直しました。
リフキンは、フロムの「バイオフィリア(生命愛)」を確信していますが、最近の湯島のサロンでは、相変わらず人間の攻撃性が前提で語られることが多いです。
人間は、生命から卒業しつつあると思ってしまうほどです。

湯島でも、歴史観や世界観を正面から話し合うサロンを開きたいのですが、どなたか問題提起をしてくれる人はいないでしょうか。

 

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2026/08/21

■節子への挽歌6858:会える時には会っておかないといけません

節子
数日前から、高血圧対策の降圧剤がなくなってしまいました。
あわてて遠藤クリニックに行ったのですが、なんとお盆休み。お盆をあけたのでもうやっているかと昨日も行ったのですが、まだお休み。
そのため、もう5日ほど、降圧剤をのんでいないのです。
困ったものです。

今日は兄からの急の誘いで、一緒に回転寿司。
近くに住んでいる兄夫妻は、それぞれに病気を抱えていますが、元気でいろいろな活動もしています。でも、高齢なのでいつ何が起こるかわからない。
俺で最近は、誘われたらできるだけ対応することにしています。
まあ、回転寿司は、お互いあまり食べないのですが、ゆっくり話すにはいい場所ですし、兄の家のすぐ近くにあるのです。
私は、最近誰かに会うときには、近くのサイゼリアを使うのと同じです。

会ってもたいして話すこともない。
以前は会えば、論争でしたが、そんな元気はお互いにない。
会って楽しいわけではないのです。
でも、ユカがいうには、もし断って、その直後に何かがあったら悔いが残るから、というのです。たしかにそうです。

それはそれとして、最近の回転寿司は、食べるものがない。
私の嗜好や味覚が変わったのかもしれませんが、ともかくおいしくない。
いやそれよりも種類がない。
奇妙な寿司もどきが多くなったのも違和感がある。
しかし、お寿司屋さんは高いので、私たちのような庶民にはなかなか手が出ない。
それに昔から、私はお寿司屋さんの雰囲気にはなじめませんでした。

というわけで、次回もまた回転寿司でしょう。
いつもは回転ずしの後、コーヒーを飲むに行くのですが、今日は雨のため珈琲はなしでした。

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■第47回万葉集サロン「赤人が伝えたかった富士山への感動」報告(2026年8月16日開催)

今回の主役は「富士山」です。
取りあげるのは、山部赤人の歌「田児の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にそ 不盡の高嶺に雪は降りける」(巻三-318)」。
赤人が伝えたかった富士山への感動を味わおうというのが升田さんの思いです。
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この歌は私が一番好きな歌なので、勝手に書き出すといつも以上に報告がゆがみかねないので、今回は升田さんに、サロンで伝えたかったことを要約してもらいました。まずはその紹介。

赤人の富士山の歌は長歌の反歌でありながら、単独の短歌として知られている。そこに、赤人の歌の本質が隠されているかもしれない。

まず、万葉歌と新古今和歌集の歌を読み比べて、その違いを見た。
赤人が詠んだ万葉集の短歌は、胸躍らせて道を辿った果てに富士を初めて見た時の、強い「己」の感動から生まれていて、それが儀礼性の長歌との間に整合性・協調性を欠くと感じる人もある。
この間を埋めるのは何か。これも赤人の本質にかかると考えた時、赤人への視点が広がって来る(これは次回で取り上げます)。

つづいて、同じ万葉集の高橋虫麻呂の儀礼的でかつ物語的散文的な長歌と読み比べて、赤人の長歌の歯切れの良さを特徴とするところに赤人の特質を見る。たぶんそこに、赤人の「唄う」歌謡性が引き継がれていると思われ、これは人麻呂長歌とも異なる点と見ている。

万葉集には(否、古事記日本書紀にも)なぜ富士山の歌がないのか。
参加者から、筑波山との比較の話が出た。これは、新嘗祭の日の夜一人の疲れた旅人が(旅人は神)富士山と筑波山とを訪れる話で、日常の生活に密着した古代の世界観、歌との関係がよくわかる話にも通じてくる。

(赤人長歌の「語り継ぎ 言い継ぎゆかむ」には、大伴家持が歌の中に「海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍」と大伴氏の気概を止揚したのに通底する。「山部氏」の性格が見え隠れしている。歌環境の「た」と「わ」でしょうか)

以上が升田さんによるまとめです。
「赤人が伝えたかった富士山への感動」を味わおうといいながら、控え目の報告ですが、サロンでは升田さんは、赤人びいきの楽しい解説をしてくれました。
その上、1回だけでは赤人の魅力は語り切れないと、サロンの冒頭で、今日は1回目で、赤人の魅力は次回に、と言ってサロンを始めたのです。どうも「お楽しみ」は次回のようです。

というわけで、今回もやはり少しだけ私見を含めて補足をします。

この歌は、新古今和歌集にも収録されていますが、言葉づかいは微妙に違います。
万葉集では、「田児の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にそ 不盡の高嶺に雪は降りける」。新古今では「たごの浦に打ち出でていれば 白妙の ふじの高ねに雪は降りつつ」。
声に出して読んでもらえればわかると思いますが、印象は全く違います。
意味も違ってきます。そこに「時代の気分」が現れています。
たとえば、田児の浦につづく助詞が「ゆ」と「に」では意味合いが全く違います。
「田児の浦ゆ」は田子の浦を通って、で動きと広がりがありますが、「たごの浦に」ではそうした動きはありません。同じように、「降りける」と「降りつつ」では全く違った風景が見えてくる。赤人の生き生きした情感は、新古今の歌にはないのです。
なぜそうなったのか。そこに万葉の時代と平安の時代の違いがありますが、こういう変化は他にもある。たとえば、持統天皇の「春過ぎて 夏来るらし しろたえの 衣乾したり 天の香具山」は「春過ぎて夏来にけらし しろたえの 衣ほすてふ天のかぐ山」に変わっています。
おそらく万葉集はしっかりした文字記録としてではなく、口承文化の中で伝えられていったのでしょう。そのため時代とともに表現が微妙に変化していった。

それはおそらく万葉の時代においても生じたでしょう。詠われた時と文字に固定された時とで違ってしまった歌も少なくないでしょう。そう思って万葉集を読むと、いろいろと思いをふくらませることができます。そこにも万葉集の面白さがある。

表現の変化に関して、升田さんは万葉の時代には力強い五七調が基本だったが、平安になるとおだやかな七五調が基本になっていくと教えてくれました。印象はまるで違ってくるはずです。これに関しては、もっと詳しく聞きたいという要望もありましたので、もしかしたら次回以降に。

ところで、案内文にも書きましたが、万葉集には富士山を詠った歌が11首ありますが、古事記や日本書紀にはまったく出てきません。ヤマトタケル東征の話にも、富士山は出てこない。富士山はヤマトの地から遠かったからというのは説明になりません。もっと遠くの筑波山は取り上げられているからです。

当時、富士山は「富士の高嶺の燃えつつかあらむ」(東歌)と噴火を示す歌があるように、「祟り」「災害」と結びつく山であり、しかも年中、雪深く人が登れない山だったため、山頂で歌垣が行われていた筑波山とは大違いで、親しまれていなかったという説もあります。

しかし、その富士山を見て、赤人は「語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は」と長歌で詠んでいるのです。この表現は「賛美」と受け取るしかない。赤人は、富士山に出合うのを期待していた。ヤマト人にとっても、富士山はあこがれの山だったのではないか。だとしたらなぜ記紀は無視したのか。
しかも反歌にある「ま白にそ」の「ま」には聖性が含意されていると升田さんは言います。忌み嫌われた山であるはずはない。ましてや、赤人は「山部氏」。

升田さんは、この長歌・反歌は、先に反歌が出たのではないかと言います。反歌と長歌では雰囲気が違うように思っていましたが、そう考えるとよくわかる。
田児の浦を通りぬけたら、目の前に海が開け、真白い富士山が見えた。山と海の見事な組み合わせ。そこで赤人は興奮して一気にこの反歌を詠んだに違いない。そしてその後で、われに戻って、歌人らしい長歌を仕上げたのではないか。
「視界がひらけた一瞬に、聖なる白さが身体に流れ込むような出会いの衝撃」。古代人が自然に対して抱いた畏敬と赤人自身の感覚の鋭さが重なった“体験としての感動”の歌なのです。赤人は一般に、叙景歌人と言われますが、この歌は、むしろ抒情歌と言ってよいでしょう。赤人の感動が、たしかに伝わってくる。
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升田さんも書いているように、高橋虫麻呂の歌との比較も面白いですが、東人たちの歌との違いも面白い。東人とヤマト人とは富士山の位置づけが違っているようです。東人にとっての富士山は生活になじんでいる。赤人のような感激はない。

長くなってしまいました。
まだまだ書きたいことは多いのですが、あまりにも脱線しそうなので止めます。

それにしても、赤人はなぜこんなところを歩いていたのでしょうか。
山部氏としての仕事のためだったのでしょうか。山部氏と海部氏。山の民と海の民。その一族は、ヤマトの人たちとは、たぶん全く違った出自だったのではないか。
次回は、そんな話にまで行くでしょうか。

 

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2026/08/20

■節子への挽歌6857:寛永行幸400年祭

節子
濱崎加奈子さんを覚えているでしょう。
東大駒場での公開フォーラムで、私がお茶で恥をかいてしまったことも。
節子が闘病中にもお見舞いを送ってきてくださいました。
残念ながら、濱崎さんたちが再興した京都の弘道館には行けませんでしたが。

濱崎さんはいまはもう京都の顔のひとりになってきています。
大学院卒業後、京都に戻り、「伝統文化プロデュース連」を設立し、驚くほどの活躍です。

その濱崎さんがプロデューサーとして、この秋、京都で「寛永文化400年祭」を開催することになっています。
その話は聞いていましたが、先日テレビで、その企画が特集され放映されました。
https://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/kyotoroman/entry/200400.htm

寛永3年(1626年)、徳川将軍家が後水尾天皇を二条城にお迎えし、5日間に渡って舞楽、能楽、和歌等でもてなしたという「寛永行幸」は、朝廷と幕府の融和を世に示し、泰平の世の到来を告げた、江戸時代を通じて最大級とも言えるイベントです。
この行幸は、のちの日本文化に多大な影響をもたらす「寛永文化」の契機になったといわれます。
その「寛永行幸」から今年は400年目。行政・経済界・文化芸術団体等によるオール京都の組織「文化庁連携プラットフォーム」のプロジェクトとして、二条城を中心とする寛永文化ゆかりの地において、「寛永行幸」の行事を再現するイベントが実施されるのです。

テレビでは、まさに濱崎さんが主役。着々と進んでいる準備の様子が描かれていました。
テレビを見たことを早速に伝え、たまには湯島にも立ち寄ってよと連絡しましたが、まあ最近の彼女の忙しさでは無理でしょう。

もっとも、この動きを知った我孫子の中村紺哲さんが、東京でも上野寛永寺がらみで何かやりたいというので、頼まれて濱崎さんを引き合わせました。
中村さんのほうも濱崎さんとも打ち合わせながら準備を進めているようです。
京都の行幸行列には行けませんが、上野であれば、行けるかもしれません。

節子がもし元気だったら、京都にも行っていたでしょう。
私と違って節子はそういうのが好きでしたから。

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2026/08/19

■湯島サロン「わたしの「農」体験談」のご案内

農に取り組む薬剤師の崎川さんのサロンにつづいて、今度は農に取り組む弁理士の可兒佐和子さんに、ご自身の「農」体験談を紹介してもらうことにしました。

正直、農とはあまり関係ないなと思っていた、可兒さんが米作りに取り組んでいることを知った時には、驚きました。
40代女性の可兒さんは、長年東京在住で、田舎ぐらしの経験なし。しかも仕事は弁理士。私が知り合ったのは、ビジネススクールですが、「ビジネス」を学ぼうという人がなぜ「農作業?」と思う一方、時代の流れが変わってきているのを感じました。
知識の時代から実践の時代へと大きな歴史の流れが反転してきている。
100年後が楽しみです。

可兒さんはいま、毎月、有機農家のお手伝いにも通っています。別に、農を中心にした生活に転じようとする気はなく、あくまでも「農のある暮らし」を今は楽しんでいるようです。でも、「農」が、これからの人生になにか大切なものを生み出しくれそうな予感があるそうです。ともかく今は「農」が楽しい、と言います。

今回は、なぜ可兒さんが農にかかわるようになったのか、そして農に関わりだして何が変わったか。
そんな体験談を紹介していただき、可兒さんの問いにも応えながら、それぞれ自分の生き方や社会のあり方を見直す契機をもらえればと思います。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2026年9月19日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「わたしの「農」体験談」
〇話題提供者:可兒佐和子さん(急に農の世界に足を踏み入れた弁理士)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌6856:真言の御仏

節子
ユカが東博の特別展「空海と真言の名宝」に行くというので、一緒に行くことにしました。仏像が展示されている状況が好きではないので、乗り気ではなかったのですが、行った人がみんな素晴らしかったというので、なんだか行きたくなってしまったのです。

今年は空海生誕1250年なので、めったに見ることのできない秘仏も出展されるというのも、行く気になった理由です。
でも正直、ちょっと期待外れでした。書や図像、絵巻、仏具に関心のある人には確かにめったにお目にかかれない名宝がたくさんありました。
しかし私が関心のあるのは、仏像だけなのです。

午前中に行ったのですが、意外とすいていました。
20分ほどで入館。会場もまあさほど混んでいませんでした。

秘仏の中に東寺の二間観音がありました。これは素晴らしい。でも噂の聖観音の頭上の微細な仏は肉眼では見えませんでした。
もう一つよかったのは、安祥寺の五智如来坐像を四方から拝めたことです。特に後ろからの五体の背中を見るのは何となく楽しいものでした。横顔もいい。

他の仏像でも印象に残ったのが2体ありました。
一つは河内の観心寺の弥勒如来坐像です。たぶん左利きの弥勒ですが、右手の握りからが印象的でした。これは如来ではなく、菩薩のような気がします。
もう一つは、あまりにアンバランスで見とれてしまった三重の観菩提寺の十一面観音菩薩立像です。なぜか法華寺の観音を思い出しましたが、似てはいません。なぜか思い出してしまったのですが。

密教絵画や曼荼羅図も見事なものが多かったのですが、いまの私には全く興味なしです。書にも関心はありません、そもそも空海の字は好きではないのです。
こんなことを書くと叱られそうですが。

その後、本館の庭に行き、少し休んで、法隆寺宝物館にも寄ってみました。
ここの贅沢な空間には、いつも考えさせられてしまいます。

上野駅近く桜テラスの‟おぼん“で、遅いランチをしてから帰宅。
久しぶりの展示会でした。
節子がいなくなってから、美術展や展示会には行かなくなりました。
でもまあ久しぶりには展示された仏像に会うのもいいかもしれません。
節子は美術展の展示会も好きでしたし。

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■節子への挽歌6855:孫は飛行機嫌いのようです

節子
書き忘れましたが、一昨日はちゃんとにこから鎌倉土産の鳩サブレをもらいました。
節子にもお供えしたので、もう知っているかとは思いますが。
そこで改めて夏休みの間にどこかに行こうと提案しましたが、相変わらず行先と日程が決まりません。

しかし話していてわかったことがあります。
にこは飛行機には乗りたくないのだそうです。理由を聞いたら、怖いという。
海に出ていく大きな船もいやだと言う。
これは驚きでした。
私の母と同じとは。困ったものです。
節子とは真反対のようです。節子は新しいことが大好きでした。まあ、あまり考えていなかったという気もしないではないですが。

いろいろと行き先を提案していますが、どうも問題は、行先ではなく、私が信頼されていないことのようです。
たしかに、いつも適当に、存在しないような場所を提案しているからです。
ディズニー・スペースとか上野水族館とか、ユニコーンを見に行こう、とかです。

にこの夏休みもあと10日。
きちんと考えないといけません。
にこは今日はユカと2人で、冷たいスイーツを食べに出かけていましたが、私は誘ってもらえませんでした。
冷たい娘と孫です。
まあ、誘われても断りましたが。

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2026/08/18

■湯島サロン「冤罪と再審法を考える①」のご案内

この数年の「冤罪事件」の多さに、日本の司法への疑問を持っている人は少なくないでしょう。よく言われるように、日本では起訴されたら99%有罪、というような話もよく聞かれます。その背後には、「司法は正しい」という文化があるように思います。しかし、それが最近揺らぎだしている。最近の政治状況だと、冤罪は誰に起こってもおかしくないような状況です。

そうした冤罪の続発のなかで、再審制度を本格的見直しがはじまり、今年の7月、ようやく改正再審法が成立しました。
しかし、その内容は実際には、専門家や冤罪被害者が冤罪救済を後退させると指摘しているように、「構造的な問題点」があります。「再審法」が改正されたと安心してはいられないのが実態です。

そこで、この問題に関心思って、冤罪事件の裁判にも傍聴に出っけたり、再審法改正関連の集まりも参加されてきている近藤和央さんに、今回の「再審法改正」に関して解説してもらうサロンを開催します。
さらに、その後、実際の冤罪事件に関しても取り上げていき、できれば日本の司法の問題への理解を広げていければと思っています。

この問題は、誰にとっても関係のある身近な問題です。
また「茶色の朝」にもつながっています。
ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2026年9月13日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「冤罪と再審法を考える①」
〇話題提供者:近藤和央さん(人権問題HSPのneo studier)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌6854:香典返し

節子
夏が終わり、秋を感じます。
暑さはまだ去ったわけではありませんが、朝の気配はもう秋です。
気候温暖化が進んでも、季節の気配はそう簡単には変わらないようです。

先月急逝した従兄の遺族から、香典のお返しが届きました。
好きなものを選ぶことのできるカタログでした。
やはりそうなるかと思いました。
いつの頃からか、カタログの返礼が増えてしまいました。
いとこの遺族を批判することになりかねないので、迷いますが、やはり書いておくことにします。

そもそも香典の半返しという文化は、貧しい時代の貧しい庶民たちの生活の助け合いの知恵だったはずです。しかし、いまはそういう時代状況ではありません。
そもそも香典もですが、必要あるのかという気がしています。

節子の時は、予想以上にたくさんの人が来てくれて、そのお返しが大変でした。
いまなら香典返しはしなかったかもしれません。
でも当時は、そんなことを考える余裕もなく、香典返しにはとても苦労しました。
一人ひとりに合わせて返礼品を選ぶのは大変です。
また香典の一部を節子が取り組んでいた活動のグループに寄付しようと提案しましたが、先方からていねいに辞退されてしまいました。個人はともかく組織としての香典にはどう対応しようかはとても難しい。

もっとも香典返しで苦労することは悪いことだけではありません。
気がまぎれると同時に、亡くなった人、つまり節子ですが、故人と友人との関係を思い出す機会をつくってくれるのです。

しかし、カタログ返礼のようなスタイルになってしまうと、まさに事務処理の世界になりかねません。
それに大体において、カタログから選ぶ場合、適切なものがないのです。まあもらえるのだからと何かを選んでしまうのでしょうが、私には大きな違和感があります。それで娘に任せてしまいますが、どうも無駄な金銭経済に加担するようであまり気分がよくないのです。

かなり誤解されそうな書き方になっていると思いますが、やはり香典文化はもう終わったのだろうなと思うのです。
でも実際にまた、葬儀に行くことになったら、私もまた香典を包む気がします。
思い切って次回からは、香典を止めようかと思いますが、でもそうしたら、故人を差別しているように思われてしまうかもしれないという不安があります。

いまはたぶん葬儀の形が変わろうとしている時期なのでしょう。
香典も、そろそろお金ではなくなるでしょうし、香典返しなどということもなくなるでしょう。

では、どういう形で、死者への追悼の意を表せられるのか。
私の葬儀の時までには、ぜひそれが見つかっていてほしい気がします。
いや、娘たちが私の葬儀をやるかどうかもまだわかりませんが。

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2026/08/17

■節子への挽歌6853:鳩サブレ

節子
今日はにこ家族は江の島の水族館に行きました。
にこは、私にはつき合いませんが、両親と出かけるのは大好きなのです。

にこは水族館も好きですが、実は今回はもう一つの狙いがあります。
鳩サブレです。
にこはともかく鳩サブレが大好きなのです。一番の大好物と言ってもいいほどです。
でもめったに手に入りません。
それで今日は、鎌倉本店に行って、そこでしか買えない鳩サブレを買ってくるそうです。

問題は、私へのお土産があるかどうかです。
一番大きな鳩サブレをお願いしますと頼んだのですが断られました。
さて果たしてにこは私への鳩サブレを買ってくるでしょうか。
条件は、にこのお小遣いで、です。

夏休みもそろそろ終わりそうです。
夏休み1日くらいつき合うようにと交渉していますが、いまだに折り合いがつきません。いいところまで行くことはあるのですが、なかなかお互いの都合も合わない。
ユカは、にこと2人で津得たいスイーツを食べに行くそうですが、私にはその趣味はありません。
なんとか残る日数で、口説き落とさねばいけません。
しかし、あと2週間。かなりの難題です。

鳩サブレのお礼を口実に、明日また再折衝です。
まだ帰ってきません。
めずらしく遅いです。

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2026/08/16

■悦子への挽歌6852:送り火でお寺に行きました

節子

今日は送り火でした。
サロンでしたが、早目に終わる予定だったので、帰宅してから家族みんなにお寺に行くことにしました。ちょうちん持ち役はにこです。
自宅から運んで行った火で、線香を供えて、節子は無事、戻りました。
さすがに遅くなったので、お墓も静かでした。

短い帰省でしたが、節子は自宅を楽しんでくれたでしょうか。
いつもはカサブランカの香りで部屋が充満するのですが、今年はカサブランカがなかったので、ちょっと不満だったかもしれません。
わが家は薄情で、精霊棚には果物やお菓子は供えられていますが、食事は供えられないのです。そのすぐ前で、私たちは食事をするのですが。しかもお盆だからといって、特別の食事も用意しないのです。ユカがお盆にご馳走を食べた記憶がないというのです。
私たちにとっては、お盆は寂しいだけの日でしたから、ご馳走を食べようなどという気が起きなかったからなのでしょうか。せっかく節子が戻ってくるのだから一緒にご馳走を食べようという発想は、わが家では起きなかったのでしょう。少なくとも、今はそうです。

精霊棚ではずっとろうそくの火がついていますが、パソコンをやったりテレビを見たりしている時には、常にその火が見えています。節子が帰省中、私は在宅時はずっと精霊棚の近くで過ごしていました。
まあそれが何よりの接待だと思うからです。

夕方、節子の位牌はまたいつもの仏壇に戻りました。
お墓に戻っていった節子と仏壇に残っている節子。
いつもいささかの混乱が生じます。
しかし、毎年、送り火で節子が帰った後は、気が抜けてしまうのです。

間もなく節子の命日です。
この日の前後には一応、家族みんなで食事をします。
いや、その前にお寺のお施餓鬼があります。
この時期、節子を思い出す日が多いのです。
私にはいささか複雑な時期なのです。

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2026/08/15

■節子への挽歌6851:挽歌のはじまりのところを読んでみました

節子
昨日、増田さんと話していて、この挽歌を読んでいる人がいることを改めて認識し直しました。それにしては、あまりに気楽に書いていました。
挽歌だけではありません。時評編もこの頃は、あまりきちんと書いていないのです。
湯島のサロンの案内と報告で時評編はうまっていますし、挽歌は私の日記になっています。「挽歌」と言えるような内容ではありません。
少し姿勢を変えないといけません。

となると、今度は逆になかなか書きにくくなる。
さてどうするか。

今日はお盆なので、もしかしたら宝蔵寺のご住職がお経をあげに来るかもしれないとずっと自宅で待機しました。
コロナ以来、状況が少し変わってきているようです。
結局、今日はわが家には来てもらえませんでした。
代わりに私が般若心経をあげました。
明日は送り火です。
短い帰省でした。

一日在宅だったので、挽歌の書き出しを読んでみました。
最初の5つほどは、まだブログになっていなくて、ホームページに書かれた週間日記の記事でした。久しぶりに読んだのですが、当時の記憶がよみがえってきました。なぜかすぐにわが家までやって来てくれた人たちが数名いたのです。どうしてみんな知ったのでしょうか。私が直接伝えたとは思えません。
あの頃は、私自身、現世と霊界を往来していたような気がします。その感覚もちょっと甦ってきました。また引き戻されてはいけません。
結局、読むのをやめました。
節子が残した日記を読もうと思っても読めないのと同じなのかもしれません。

自分の挽歌でもこんな感じなのですから、友人知人の挽歌は読みたくはないでしょう。ましてや他人の挽歌など。

そういえば、以前誰かが有名人の挽歌をまとめた新書を持ってきてくれました。
しかし正直、読む気は全くせずに、どこかに埋もれています。
正直、本になった挽歌には、真実を感じられないのです。
ですから、この挽歌も本になったら、私の世界からはどこか遠くに行ってしまうような気がしてなりません。
増田さんは、本としてもきちんとしたものにしたいと言ってくれています。
どんなものができるのか、ちょっと気にはなります。
そこに関わった人の思いが込められるのであればうれしい限りですが、そんな期待はあまりにもわがままです。
いずれにしろ複雑な気持ちはますます高じています。

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■8月オープンサロン報告(2026年8月14日開催)

今回もにぎやかなサロンでした。
熊本地震被災者に対して何ができるかという話から始まって、最後はゲゼル経済学を否定したケインズ批判まで、いつものように話題の幅が広いというか、拡散しすぎというか、自由に展開する面白さがありました。
Open20260814

長らく企業経営幹部の支援プロジェクトに関わっていた方が、初めてオープンサロンに参加されたのですが、あまりに無秩序なサロンの展開にあきれるかと思いきや、こんなに刺激的とは思っていなかった、もっと早く参加すればよかった、と感想を述べてくれました。以前同じような立場の人が来て、「なんでこんな生産性のない集まりをやっているのですか」と言われたのとは真反対です。
まあ、いずれも私には納得できる感想ですが。

今日も参加者が自己紹介や近況報告とともに、もしあれば話題提供するスタイルをとったのですが、実にいろいろな話題が出ました。
不登校に対する学校の姿勢が変わってきた、ひきこもり当事者への行政の対応が変わってきた、というのが現場からのうれしい話。
ほかにも、メルカリの可能性、労働に価値があるか、長崎では8月9日は曜日に関係なく登校日、貨幣論、家族問題、農福連携の話、出身地の話などなど、「生産性」とは無縁の話ばかり。しかし、新しい世界を感ずる「刺激」もまた多く、その気になって突っ込めば、いかようにも話は展開できるおもしろさもある。

面白くなければ、黙って寝ていればいい。もちろん途中退席もあり。主役は参加者。
やはりオープンサロンが、湯島サロンの基本ですね。
改めてそれを感じさせてもらいました。

オープンサロンは毎月第2金曜日です。

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2026/08/14

■節子への挽歌6850:とんでもない話が持ち込まれました

節子
とんでもない話がやってきました。
この挽歌を本にしたいというのです。
話を持ってきたのは萬書房の増田圭一郎さんです。そこで本にしたいというのです。
聞けば、以前からこのブログにアクセスし、ダウンロードしているというのです。
だから時々、アクセス数が多くなっていたのです。まさかの増田さんだったのです。
となれば、検討し始めたのはかなり前からです。

非公式ですが、制作実行委員会までできていて、企画書もある。
「挽歌なんて誰も読まないよ」と断ったものの、読んでいる人がいて、その人たちの要望でもあるという。意外な人の名前が出てきました。

実は、私の書いたものを材料に本ができないかという話は聞いていました。
それなら私も反対はしませんが、それはたぶんムリだと思っていました。あまりにも書き散らしているので、まとめるのが大変だからです。
しかし、まさかの「挽歌の本」。
さてさて。

増田さんの出版社は、しかしそんな経済的余裕があるはずもない。
費用はどうするのかと言ったら、事前の予約販売を考えているという。
それも1口50冊の予約販売で、一人10万円。
私の周辺にそんなお金持ちはいないはずですし、50冊も予約する人はいないだろうと思うのですが、もう何人かは賛同していそうな口ぶりです。
私も予約した方がいいのかと聞いたら、私は対象には行っていないそうです。
普通なら私を先ずは対処にするでしょうに。

話しているうちに、だんだん、私の本であるのを忘れて、どうしたら実現するかを考えだしているのに気づきました。そして、***さんなら10万円は引き受けてくれるだろうなと言ってしまっているのです。

そういえば、今日の午前中、同じく増田さんと『声なき声』の著者小野寺さんを引き合わせて、『声なき声』の復活を相談していたのですが、それと同じく、どうしたら増田さんの思いを実現できるかを考えている自分がいる。
困ったものです。

結局、私は何もしないでいいからと言われて賛成してしまいました。
増田さんによれば、実現のためには150万円、つまり15人の予約引き受け者が必要なそうです。どなたか増田さんを応援してやってくれませんか。

しかし、冷静に考えれば、この挽歌を本にする意味があるのでしょうか。
増田さんは、意味があると明言するのです。
増田さんには、意味があったのだというのです。

さてさてどうなることやら。
増田さんや予約引き受けした人に迷惑がかからなければいいのですが。

しかし増田さんの話には、いろいろとどろかされました。
少しずつまた書いていきます。

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■第9回増田サロン「ケアと自由」のご案内

久しぶりの増田圭一郎さんと一緒に「地湧の思想」を考えていく増田サロンです。
今回のテーマは、「ケアと自由」。
今春、『生産と消費からケアと自由への転換』を出版された山本眞人さんをゲストに、山本さんとの対話を通して、「地湧の思想」への理解を深めたいと思います。

山本さんは、同書で、デヴィッド・グレーバーの思想を軸に、資本主義的「生産と消費」中心の世界観を乗り越え、ケアとコモンズを基盤とするポスト資本主義への転換を構想しています。 ただ構想しているだけではなく、そこへの実践的な方策も示唆されています。

今回は、山本さんに構想のエッセンスを紹介していただき、それを材料に増田さんから「地湧の思想」との関連を話してもらいます。主なテーマは「ケアと自由」。
増田さんが、山本構想を「地湧の思想」にどうつなげていくか、あるいは「地湧の思想」からどう展開していくか。
もしできたら、サロンに参加される前に山本さんの『生産と消費からケアと自由への転換』(BMFT出版部)を読んでおいていただけると、うれしいです。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784991293481

〇日時:2026年8月29日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ケアと自由」
〇話題提供者:増田圭一郎さん(萬書房代表)・山本眞人さん(横断的探求者)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2026/08/13

■節子への挽歌6849:今年の精霊棚はなぜか仏花

節子
お寺に行って、節子と一緒に返ってきました。
今日はお盆の迎え火です。
20260813

精霊棚は年々、質素になってきましたが、今年はなぜか花が仏花です。
用意してくれたユカに訊いたら洋花は高いのと暑さに弱く長持ちしないからだそうです。
そういえば、お寺のお墓に供えてきた花も、今年は仏花でした。
いつもは洋花、しかも節子が好きだったカサブランカなのですが、今年は庭のユリになっていました。お供えも家でとれたブドウです。

桃と梨も供えましたが、これもすぐにダメになり、いつも腐らしてしまうので、今年は毎日食べてしまおうと思います。
世知辛い世の中になってしまいました。いや、わが家が貧しいだけかもしれませんが。

お迎えの馬と見送りの牛は、にこに作ってもらいました。
忙しいようで、あまり工夫がありません。
すばらしい場合は、金賞だったのですが、今年は優秀賞になりました。
賞品は、いくつか提案しましたがすべてだめで、結局、にこが決めるそうです。

お坊さんが来てくれるのは15日の予定です。

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■湯島サロン「ひきこもり家族兄弟姉妹問題パート2」のご案内

8月2日に開催した大林裕さんの「ひきこもり家族兄弟姉妹問題」サロンでは、とても示唆に富む話し合いが行われました。問題提起してくれた大林さんもいろいろな気づきを得たようです。
しかし、話し合いが盛り上がったこともあり、大林さんは最後まで語り切れずに、肝心の「今の気持ち」もまだお聞きできていません。
そこで大林さんの「ひきこもり家族兄弟姉妹問題」のパート2を開催します。

前回と同じく、大林さんにリードしてもらいながら、「ひきこもり家族兄弟姉妹問題」をさらに一歩、進めたいと思います。
なお、前回のサロンの報告は次にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2026/08/post-14f881.html

前回参加できなかった方も、もちろん、というか、むしろというか、大歓迎です。
前回の話の要旨は、サロンの冒頭で大林さんからレビューしてもらうようにします。

テーマは重いですが、気楽にご参加ください。

〇テーマ:「ひきこもり家族兄弟姉妹問題」を考える(パート2)
〇日時:2026年9月5日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇問題提起者:大林裕さん(ひきこもり当事者の兄)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■新倉食養サロン「秋の食養生」報告(2026年8月11日開催)

恒例の東方健美研究所代表の新倉久美子さんによる「食養生サロン」、今回は「秋の食養生」でした。
最近の気候状況では、立秋を過ぎても、まだ暑いですが、しかしその暑さの中でも風は秋になってきている。私たちの自然環境は、温度だけで成り立っているのではないようです。だからこそ、長年伝来の食文化には、たくさんの叡智が込められているのです。
2026 

初めての参加者がおふたりいたので、今回も「ふるさと薬膳」の話もしてくれました。またこれまでとはちょっと違う話も出てきて、やはり実践者の知見は底なしに深いことを感じます。
毎回、報告しているように、新倉さんの「ふるさと薬膳」は、一言で言えば、「その土地でできたものを季節に合わせて食べること」を基本にしようという食生活の提案です。それこそが、健康につながる「食養生」だというのです。特別の食材を工夫しての「薬膳」とは違いますので、その気になれば誰でもできる「食養生」なのです。
そのあたりは、1回目のサロンの報告をお読みください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2023/11/post-c35e3b.html

その後、いつものように新倉版陰陽五行配当表に基づいての秋の食養生の話。
秋は空気が乾燥することから鼻や、喉に不具合が生じて肺呼吸器に症状が現れやすい。鼻がつまったり、喉がカサカサして咳が出たりするのも乾燥によるものだそうです。肌や髪の毛に潤いがなくなるのもこの季節の特徴。
したがって、この季節を健やかに過ごすための食養生のポイントは、「培陽潤肺」、体内の「陽」を育て肺呼吸器を潤すことだそうです。
肺を潤す食べ物は里芋、大根、にんにくなどのほか、生姜、わさび、山椒など辛味の食材が効果的。旬の食材にそうした「辛味」を加えて網理するのがいいそうです。
背の青い魚や根菜で身体を程よく温めて冬への準備を進めるのも秋の食養生の大切なポイントです。
この季節の食養生は「秋は肺呼吸器、辛味」、と新倉さんは言います。

暑さが続くからと言って、夏食養生をつづけるのはやめたほうがよい。身体を冷やすのではなく、むしろ熱性を持った食材を選んで、冬に備えた方がいいそうです。

ともかく、地のもの・旬のものがいいということですが、最近は何が「地のもの」か「旬のもの」かもわかりにくくなってきています。そういう意味では、自分で少し野菜づくりに取り組むのも効果的です。農家とのつながりをつくるのもいいでしょう。
最近は、「かかりつけ医」ならぬ「かかりつけ農家」という言葉さえできていますが、農と食のつながりを自分で体験的につくっていくことも大切です。

新倉さんが取り組んできている「ふるさと薬膳」発想は、まさに「農」と「食」をつないだところに大きな意味があると思っています。
分業化を基本にした工業社会は「分断指向」を内在していますが、その結果が、最近の食文化のような気がします。
食養生のためには、やはり「農」にもっとつながっていかないといけません。
そうした視点から、今年は改めて「食と農」を湯島サロンの重点テーマにしています。

なお、今回は私がつくった「桑の葉茶」を用意させてもらいました。
サロンの5日前に桑の葉をとってきて、3日間乾燥させ、サロンの前日にフライパンで炒ったのです。料理どころか、ガスレンジの使い方もよくわからないため、娘に付き添ってもらいながらの焙煎でしたが、まあ何とか出来ました。
味はどうかいささか心配でした。幸いに、不評ではありませんでした。なんとかみなさんには飲んでもらいましたし、おいしいとも言ってもらいました。
ちなみに、夏にはよい麦茶も、そろそろ卒業の時期です。冬は黒豆茶がいいそうですが、秋は野草茶もお薦めだそうです。
今度の健康サロン(22日)には、焙煎しない桑の若葉を煎じた熱いものと、今回の焙煎した桑の葉を淹れて冷やした冷たい桑の葉茶を用意しようと思います。
たぶん、ですが。

また9月は、食と農をテーマにしたサロンを、農に取り組み出した薬剤師と弁理士の方にやってもらう予定です。
食養生に関心のある方は、ぜひご参加ください。

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2026/08/12

■CWSライブラリーに期間限定の「日本古代史コーナー」ができました

CWSライブラリーに期間限定のテーマライブラリーをつくることにしました。
いずれはブックサロンともつなげていきたいですが、とりあえずはいつもながらの試行的挑戦です。

今回のテーマは「日本古代史」です。
20冊の本を用意しますが、もし関連してお薦めの本があればぜひご連絡ください。できれば、読みたい人に貸出可能だとうれしいですが、本紹介だけでも歓迎です。

とりあえず事務局が用意したのは、次の10冊です。
いずれも今日から10月末まではライブラリーに置き、貸出も行います(貸出期間は2週間)。湯島を読書室として公開する予定もありますが、日程はまた改めてご案内します。ちなみにブックサロンの日は、午後から終日、読書室として開放しますので、ご利用ください。
8月末に、追加の10冊を紹介します。

〔日本古代史に関わる20冊(その1)〕
■『日本原記』(朴炳植 情報センター 1987)
百済と新羅と伽耶を軸において日本の7世紀の歴史を読み直した問題作。
■『真実の東北王朝』(古田武彦 駿々堂 1990)
「東北に独自の王朝が存在した」という大胆な歴史再解釈を示す挑発的な一冊
■『日本創生史』(田中英道 ダイレクト出版 2024)〔富沢このみさん提供〕
高天原実在説(=日高見国)により、ヤマト以前の日本国の古代を描いています。
■日本起源の謎を解く(山本健造 福来出版 1991)
日本列島の起源と古代文化の形成を大胆な仮説で読み解き、日本民族の故郷を探る。
■『東日流外三郡誌』(小館衷三・藤本光幸編 北方新社 1982)
津軽地方に“古代王国”が存在したと主張する古代史資料の総論。
■『古代日本正史』(原田常治 婦人生活社 1976)
記紀の「裏側」に潜む古代史を大胆に再構築した“神社考古学”の挑発的な正史。
■『大仏以後』(杉山二郎 学生社 1986)
大仏造立が財政・宗教・政治構造にどのような影響をもたらしたかの鋭い分析。
■『法隆寺は移築された』(米田良三 新泉社 1991)
福岡大宰府の観世音寺から移築されたのが法隆寺という説に驚いて太宰府に行きました。
■『謎のカタカムナ文明』(阿基米得 徳間書店 1981)
カタカムナ文献を読み解き、古代日本の“高度な超科学文明”を体系化した古代文明論。
■相似象学会誌『相似象』第1号~第5号(1970~)
カタカムナに基づく独自の自然観・物理観を探究した専門誌。

*一部は貸出できませんのでご了解ください。
時々、紛失(未返却)が起きていますので、紛失しないようにお願いします。

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■節子への挽歌6848:精霊棚の馬と牛

節子
今年もお盆の精霊棚の馬と牛の作成をにこに頼みました。
出来具合によって、金賞や銀賞を用意すると言っていたのですが、宿題の工作作品づくりが忙しそうで、出来上がったものは何の変哲のない作品でした。
残念ながら金賞ではありません、と言ったら、では優秀賞か残念賞で、というのです。それで、優秀賞になりました。

さて賞品をどうするか。
決めていないので、相談です。
「上野動物園招待」を提案しましたが、当然ながら拒否されました。
結局、保留となりました。
さて何が提案されるかおそろしいです。
福証を呈何しようと思いますが、まあ、私の提案はすべて拒否でしょう。
困った孫です。

明日はお盆の入り。
精霊棚を整えようと思います。
今年は何も買っていませんが、まあできるでしょう。

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■湯島サロン「健康に役立つのは薬か栄養か食材選びか? 薬剤師が農に関心を持ったわけ」のご案内

健康関係のテーマサロンの第2弾です。
今回は、もう一つの湯島の重点テーマの「食と農」にもつながっています。

薬剤師の崎川さんは、仕事を通して、世界がどんどん広がっているようです。
ともすると多くの人は仕事から世界を見るようになりがちですが、崎川さんはどうも反対のようで、専門職でありながら、自らの専門性に囚われることなく、世界をどんどん広げています。
そのためか、関心が薬から食(栄養士)に向かい、その先の農にまで向かい、昨年から田んぼや畑に出入りしはじめ、さらには環境や生物の動向にまで行動が向かっています。そこに今の社会の健康につながる本質的な問題が潜んでいるように思います。
そればかりではありません。崎川さんの関心は、身体にも向かっています。空手道、合気道、そして農の入門時からは気功へと広がっていますが、その先がどこに向かうかにも興味があります。
どんな話が聞けるでしょうか。楽しみです。

ぜひ多くの人に参加してもらい、話し合いたいと思います。
平日ですが、自分の身心と社会の健康に関心のある人にはぜひ参加してほしいサロンです。

〇日時:2026年9月7日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「健康に役立つのは薬か栄養か食材選びか? 薬剤師が農に関心を持ったわけ」
〇話題提供者:崎川康子さん(農に取り組む薬剤師)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2026/08/11

■湯島サロン「古希にて南半球一周の船旅をしてきました」のご案内

昨年末から今春にかけて、「南半球一周船旅108日クルーズ」に夫婦で参加した安威さんに、その体験記を話してもらうサロンを開きます。

なにしろ地球一周ですから、話題は盛りだくさんです。
ハワイ、タヒチそしてイースター島から始まり、南米のペルーに上陸、謎の空中都市マチュピチュではちょっとした冒険旅行。つづいて、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルをめぐって、次はもう一つの大陸アフリカへ。そこでのナイトサファリ冒険などなど、2時間のサロンの枠には入りきれないと思いますが、そこを何とかギューッと圧縮しての報告上映会です。

既に安威さんは、これまで何回も報告会をやっていますが、毎回時間切れだったようです。なんせ4000余りの写真・動画を撮りためているそうですから。それにクルーズですので、船上での活動も安威さんのことですから、いろいろとあったことでしょう。

船内で出会ったクセツヨ個性の方々の生態観察、救急搬送病気けが人続出の実態から激烈な格差社会の現地取材までネタはふんだんにありそうです。特筆すべきは、国際箸学会の箸タイマーとして、船上での国際箸技選手権まで企画したようです。

今回はどんなところに焦点を合わせて話してくださるか、いずれにしろちょっと贅沢で類まれな経験談などを聞ける楽しい時間を過ごしに、ぜひご参加ください。

〇日時:2026年9月3日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「古希で南半球一周の船旅をしてきました」
〇話題提供者:安威誠さん(クレプランニング代表/経営・教育・編集コンサルタント)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)


〔安威 誠 プロフィール〕
昭和29年京都出まれ。二条城周りの幼小中高で学び東京へ。学習研究社(現・学研ホールディングス)入社し、高校コース、ボム!、モモコ、科学・学習等編集長を務める。「大人の科学」生みの親でもある。40代で急遽、経営企画室長として会社改革のリーダーに任命される。その後。教育総研を立ち上げ教育専門のフェロー、顧問を務めた後退任。以後、自営業クレプランニング代表として経営・教育・編集コンサルタント。現在コミー㈱特別顧問、幼稚園NPO理事、学生教育団体ROJE顧問他。

 

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■節子への挽歌6847:濱文様の和たおる

節子
先日書いたMさんがサロンに来ました。
お元気そうなので安心しました。
逆に、私が変わっていないのにも驚いたようで、後でこんなメールをもらいました。

全然お変わりなかったので、びっくりしました。
サロンの雰囲気はすごく懐かしく、行って良かっと思いました。

私は、前より元気です。とお伝えしましたが、実は必死なんです。
先生に抗がん剤治療で1番長い人で何年生きたのですか?とお尋ねしましたら、10年です。と言われました。私は今年で4年です。

Mさんの毎日は、私の毎日とは全く違うのでしょう。
続けてこう書いてきてくれました。

ですので、腰が痛くても、膝が痛くても、整形で痛みどめもらい、来年はどうなるか分からないといろんな所へ出向いています。

節子を思い出します。
節子も闘病中、ともかく想い出をたくさん作りたいといろんなところに出かけました。私も基本的にはすべてにつきあいました。
ただ、四国に行きたいという節子の願いは果たせませんでした。
どうして四国に行かなかったのでしょうか。
いまもなお悔いが残っています。

元気そうなMさんから、なぜか濱文様の和たおるをもらいました。
濱文様は、私のイメージなのだそうです。色はブルー。

大事にしなければいけません。

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■湯島サロン「日本の個性と可能性~日本社会を変えるために「日本」について理解しよう」報告(2026年8月9日開催)

増山博康さん(見沼菜園クラブ代表)は、最近の日本に状況に不安というか、不信というか、ともかくこのままではいけないと考えています。
社会への疑問は、何も今に始まったことではありません。学生の頃から、社会への違和感はあり、社会を変えていこうという姿勢で生きてきています。

障害者運動、環境問題、農業などに関わり、今は教育関係のことにも関わっていますが、この違和感のある日本社会を変えるには、まずは日本社会の「個性」を理解しなくてはいけないというのが増山さんの考えです。

そこで、いままで40年ほどいろいろな実践を重ねてきたことを一度サロンで参加者に公開し、参加者と話し合いながら「日本」について理解を深めようと思って始めたのが、このサロンです。
いまの社会にはいろいろな問題はありますが、増山さんには日本の個性への信頼があり、社会を変えていく可能性は大きいと確信しているのです。
ですからこのサロンは、ただ話し合い考えるだけではなく、具体的な実践につなげていきたいと増山さんは思っています。そのためには、継続して実施していかなければいけません。隔月程度の開催を予定していますが、今回はその第1回です。
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増山さんは学生時代に取り組み出した地域の障害者運動のことから話を始めました。
それを皮切りに、点字受験の実現や自治体の環境基本計画策定などの体験を通して、日本の個性を考える材料をいろいろと出してくれました。

話し合いは自由に拡散しながら、たくさんの話題が出てきましたが、なかなか肝心の「日本の個性と可能性」にはたどりつきませんでした。何しろ「日本の個性」ですから、そう簡単にたどりつけるはずもありません。「島国根性」とか「農耕民族文化」とか、「空気の文化」「調和重視の社会」とか簡単な言葉にしてしまえば、それこそ「言葉遊び」になってしまうでしょう。それでわかったようになってしまっては、増山さんの意図には合わないでしょう。なにしろ増山さんは、実践の人でもあるからです。

参加者がまたややこしいほどに多彩なメンバーだったので、話し合いもとてもおもしろかったですが、まとめるのは至難です。それに1回目のせいか、あまりかみ合っているようにも思えませんでした。
でもまあそれがサロンのいいところなのです。

ボランティア論議や国のかたち論議、暴論の役割、信頼関係の棄損、法的差別と民間差別、コスパ・タイパ重視の新自由主義的危機、あるいは「汎市場化」など、興味あるテーマはたくさん出てきましたが、まあ1回目ですので、テーマ出しの感もありました。

話し合いの最後に、とりあえずの日本個性仮説を増山さんに問うたら、「沼地」という言葉が出てきました。遠藤周作が『沈黙』で書いた「沼地」です。日本人の心の奥底には、理性や倫理では制御できない“泥のような暗い領域”があり、そこに神が寄り添うというのが遠藤周作の「沼地」思想で、それが「共同体への溶け込み」や「情的なつながり」「曖昧さ」という日本人の生き方につながっているというのです。
私には違和感がありますが、とりあえずの「最初の仮説」が定まったので、話し合いの起点ができたと言っていいかもしれません。
しかし、「沼地社会」をどういう報告に変えていくかに関しては、また議論が紛糾しそうです。水田にするか乾田にするか、ビル街にするか草原にするか。

いろいろと話し合ったあたりで、前にも湯島で何回かサロンをしてくれた開成町の元町長の露木さんが、自分の体験から、社会を変えていくためには何が大切かを話してくれました。なんだかそれが今回の結論になってしまった感もあります。

露木さんは、社会を変えるための3つのキーワードを出してくれました。「青さ」「熱い気持ち」「よそ者の力」。特に大切なのは、「青さ」。透明性とか誠実とか理想主義と言ってもいいでしょうか。
ちなみに、「熱い気持ち」に関しては、増山さんは「暴論」という表現を使っていましたが、通ずるところがあるでしょう。しかし、「沼地」社会からはなかなか出にくいのが「暴論(理念?)」です。このあたりがこれからの論点の一つになるかもしれません。
この3つは、別に社会を変えるためだけではなく、組織を変えるためにも当てはまるという話も出ました。
ここから「変える」ということの本質が見えてくるような気がします。「変える」ということは何なのか、も、あまり何も考えずに話している人が多いように思っている私には、「青さ」という言葉は心に響きました。

露木さんは、地方自治の停滞に関しても言及してくれました。自治の停滞は、社会の主役が人間から制度に移っているからかもしれません。事実、住民たちが主役になって動き出している「住民自治」に比べて、中央政府に目を向けた「団体自治」は、最近逆方向を向いているような気さえします。しかし、最近は日本でも「ミュニシパリズム」の動きが少しずつ広がっていて、私には展望は明るいです。

話し合いで出た話題のほんの一部しか紹介できませんでしたが、増山さん自身、まだ確たる確信や考えがあるわけではなさそうです。
増山さんは、これから隔月でサロンを開いていく予定です。今回も話題になったさまざまなテーマに関してゲストを呼んだり、さらにサロンだけではなく、今回話題になった開成町訪問など、湯島を飛び出すことも考えていくそうです。

社会を変えていくということは、言うまでもなく自分を変えていくことと深くつながっています。他人事で考えていては社会は変わりません。増山サロンには、話し合いだけではなく、そこから何かが生まれてくることを期待したいです。

さてどんな展開になっていきますか。
しばらく様子を見ようと思います。

増山さん
勝手な報告ですみません。フォローしてくれますか。

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2026/08/10

■第11回SUN10ROサロン『映画の中の黒澤明』へのお誘い

前回のSUN10ROサロンは、河村光彦監督を主役にした『黒澤明を探して』(ローランド・リチャード監督)を取り上げ、河村さんご自身を俎上に挙げての楽しいサロンでした。
ローランド・リチャードさんも参加してくれました。

その際に決めたように、今回はまた原点に戻って、河村さんの作品『映画の中の黒澤明』をみんなで観て、河村さんのお話を聞きながら話し合おうと思います。
すでにこの作品は観た人も多いと思いますが、今回上映するのはナレーション付きの最新版です。

この作品を軸に展開してきた、河村さんのこの2年の活動は見事なものがありますが、この作品に関する河村さんの思いはますます深まっていると思います。
改めてまた河村さんのお話をじっくりお聞きして、いよいよ次回10月はみんなで『乱』を鑑賞したいと思っています。

気楽なサロンですので、黒澤映画を観たこともない人も大歓迎です。
河村さんの黒澤映画解説は、とてもわかりやすく新鮮です。
黒澤監督のイメージも、変わるかもしれません。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2026年8月30日(日曜日)午後1時半~4時(開場1時)
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇上映映画:『映画の中の黒澤明』(ナレーション付き版)(93分)
○話題提供者:河村光彦さん(映画監督)
〇サロン会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

「SUN10ROクラブ」(「さんじゅうろうくらぶ」は、「なぜ人間は仲良く良心的に生きていけないのか」というテーマを描きたくて映画を作りつづけたという黒澤明監督の精神に共感し、黒澤映画からのメッセージを読み解きながら、社会に広げていこうとしている河村光彦監督の活動のゆるやかな応援団です。
河村さんが、フェイスブックのSUN10ROクラブでいろいろと情報発信しているので、ぜひお読みください。
https://www.facebook.com/groups/1312667559794431
毎月30日に、湯島でSUN10ROサロンを開催しています。サロンは、SUN10ROクラブのメンバー以外にも公開です。ぜひ気楽にご参加ください。

SUN10ROクラブへの参加は常時受け付けています。
フェイスブックのグループに直接申し込んでいただいても大丈夫ですし、SUN10ROサロン事務局にご連絡くださっても大丈夫です。
まだ活動が本格化していませんが、事務局作業を分担してくださる方がいたら、大歓迎です。

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■湯島サロン「からだのバランスを整えてみませんか」報告(2026年8月8日開催)

しばらくまた「健康」をテーマにしたサロンを行う予定ですが、その第一弾として、今注目され出している健康法の「縦巻き横巻き理論」をとりあげました。

「縦巻き横巻き理論」とは、「人間の体は左右でまったく異なる動きをしている。これこそが人体の絶対法則。血液型にいくつかのタイプがあるように、身体の正しい動かし方にも明確なパターンが存在する」という、内司和彦さんが提唱している独自の理論です。
https://home.tsuku2.jp/storeDetail.php?scd=0000135551

その初級講座講師ライセンスをもっているタカイシオミさんに、理論の紹介も兼ねて、ミニワークショップを開いてもらいました。
タカイさんは、心身に造詣が深いとともに、霊の分野にもつながっている人で、独自の「タカイ式身がまま整体」を実践、からだのこととこころのことを合わせたオリジナル手法を常に探求中。私もいつもいろいろアドバイスをもらっています。

この理論によれば、人体は左右対称ではなく、どちらかが縦巻きで、どちらかが横巻きなのだそうです。それに合わせて身体と付き合うことが大切で、ちょっとしたセルケアをするだけでも身体の不調が回復することもあると言います。逆にそれを無視して、左右同じようにやってしまうと逆効果にもなるかもしれないそうです。
上記の縦巻き横巻き理論協会のサイトにはわかりやすい動画も公開されていますので、見てください。

今回はワークショップを通して、参加者各人の身体の左右どちらが「縦巻きか」を確認しました。最後には、タカイさんが希望者一人ひとりの身体の動きをチェックし、どちらが縦巻きかをみてくれました。
それに合わせて、たとえば、身体を振るとかさするとかすることが大切で、縦と横を逆にしてしまうとよくない結果も起こりうると言います。
今回のどちらが縦かをチェックする簡単なワークショップだけでも、ちょっと身体が動きやすくなったという人もいました。
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いずれにしろ、これを知ることでセルケアできるというわけです。
ただしまだ事例が十分に集まって、いわゆる「エヴィデンス」がしっかりしているわけではあいようです。だからこそたくさんの事例を集めていくことが必要なのかもしれません。
今回、参加した人はぜひ判明した自分のタテヨコを踏まえてセルフケアし、結果を高井さんに報告していただければと思います。
私は、高井さんの判定と自分の判定がちょっとずれてしまいましたが、とりあえず自己判断での右縦型として1週間、セルフケアしてみようと思います。その結果が、吉と出るか凶と出るか、それによって自己判断が正しかったかどうかがわかるでしょう。ダメだったら次の1週間は左縦型で挑戦です。いずれにしろ2週間後には、たぶんわかっていると思いますが、そういうプロセスで、自分の身体としっかりつき合うことの効果も大きいと思います。

この理論やセルケア法に関して、関心のある方はタカイさんに連絡を取ってください。いろんなアドバイスをもらえるかと思います。
http://shi-dobe-ginza-sea.planet.bindcloud.jp/

なお、健康シリーズのサロンとして、今月から「健康のためにやっていることを話し合いませんか」サロンが始まります。みんなに薦めたい健康法があればぜひご紹介ください。逆に健康法探しをしている人もぜひ。
1回目は8月22日の午後2~4時です。
もし今回参加した人がいれば、その間の縦型横型セルケアの結果もぜひご報告ください。

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2026/08/09

■節子への挽歌6846:キリギリスはやってきませんでした

節子
キリギリスが死んでしまったのですが、吉田さんがまた山梨にお孫さんと一緒に昆虫採集に行って、私のためにキリギリスのつがいを捕獲してきてくれたと連絡がありました。
今日は、そのキリギリスたちを湯島に連れてくることになっていました。

ところが朝、連絡があり、つがいのいずれもが昨晩、死んでしまったというのです。
キリギリスたちには悪いことをしてしまいました。

吉田さんは息子さんの一人が引きこもり状況だったため、生き方を大きく変えた人です。ひきこもり関係のカウンセラーなどの遍歴の後、湯島にやってきました。
それで湯島でサロンをしてもらいました。ひきこもり当事者にも声をかけ2.3人が参加してくれました。
激しいサロンで、途中で吉田さんはもう帰ると言い出したほどです。
でもそれがひとつの契機になったのかもしれません。
その後、吉田さんは時々、湯島に来てくれます。

吉田さんほど、家族のために自分の人生を大きく変えた人を私はあまり知りません。

いつかひきこもっている息子さんに会いたいと思っていますが、なかなか実現できません。

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■第12回ブックカフェサロンのご案内

8月のブックカフェサロンは26日開催です。
前回の報告に書いたように、今回は、参加者が自分の好きな本について自由に話すスタイルです。

本にまつわるエピソードでも、本の紹介でも、あるいは本にまつわる「問いかけ」でも、何でもありです。
自分の書いた本の紹介や友人知人の書いた本の紹介も歓迎です。
ともかく、本に関して話し合いたいです。

なお、サロンは4時に終了しますが、希望者はそのままそこで読書を続けてもらってもいいです。
CWSライブラリーの蔵書も読んでもらえるとうれしいです。

なおライブラリー蔵書への提供はいつでも歓迎です。
みなさんに読んでほしい書籍があれば、ぜひご提供ください。

〇日時:2026年8月26日(水曜日)午後2時~午後4時
〇サロンテーマ:「本について自由に話し合う」
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2026/08/08

■第21回あすあびサロン報告

明日の我孫子を話し合う集まり「あすあびサロン」ももう21回になりました。
ともかく続けていくことを第一に、ゆる~い運営に心がけています。
少しずつメンバーも増えてきています。
今回もまた一人、新しい人が参加してくれました。
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今回はテーマなしの会です。
参加者それぞれが簡単な自己紹介に合わせて、話題提供などをしてもらったうえで、いくつかの話題に関して自由な話し合いを行いました。
もう一つの手賀沼実行委員会が主催する10月3日の講演会「柳宗悦と山崎弁栄と手賀沼と」の話、リサイクルセンターや脱カーボンの話、ふるさと納税の話、なるほど‟街歩き”の話、増えている外国人との付き合い方の話、さらにはあまり知られていない我孫子にまつわる話など、話題はさまざまでした。

次回はもしかしたらテーマを設定するかもしれません。あるいはどなたかこんなテーマで話し合いたいという希望があれば、検討させてもらいます。
10月は、郷土史に詳しい越岡さんに、我孫子の話をしてもらおうと思います。できればそこから何か新しいプロジェクトをスタートさせられないかと思っています。

日程が決まり次第に、ご案内させてもらいます。
なお、この集まりに関してのお問い合わせは、事務局(qzy00757@nifty.com)にどうぞ。

 

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■節子への挽歌6845:縦巻・横巻

節子
人体は、左右対称ではないのだそうです。
今日は、「タカイ式身がまま整体」を実践しているタカイさんに、いま注目され出している健康法の「縦巻き横巻き理論」を紹介してもらいました。
人体の右と左は、いずれかが縦巻きで、反対側は横巻きだそうで、それに合わせてマッサージをすると身体が元気になるのだそうです。逆をやるとおかしくなる。

タカイさんは、それぞれが右縦か左縦かを自己判定する簡単なワークショップをしてくれましたが、私は右縦型のようです。逸し、最後に高井さんが直接、各人の右縦・左縦を判定してくれたのですが、私の上半身は右縦的で下半身は左縦的だと判断が出ませんでした。身体まで変人だなと誰かが行っていましたが、さてどちらと仮定すか悩ましい。
タカイさんは左縦を勧めましたが、私は右縦を選ぶことにしました。

明日から右縦前提でマッサージを始めます。
吉と出るか凶と出るか。
楽しみです。

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2026/08/07

■湯島サロン「ひきこもり家族兄弟姉妹問題」報告(2026年8月2日開催)

機能不全家族に関連して親子の問題がよく話題になりますが、あまり話題に取り上げられないのが、兄弟姉妹問題です。しかし、実際にはひきこもり当事者とは全く別の意味で、その兄弟姉妹も大変な苦労をしているのです。しかも、その思いを話し合う場もあまりない。

今回、25年前からひきこもりだした弟のいる大林さんが、自分の体験を材料に、そのテーマに取り組むサロンを引き受けてくれました。
大林さんのようにひきこもりの兄弟姉妹を持つ人、ひきこもり当事者や体験者、さらにひきこもり当事者を含む複数の子どもの母親など、いろいろな立場の人が参加してくれました。意見の違いからのぶつかり合いもありましたが、それぞれに考えを深めることのできるサロンだったと思います。
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大林さんの話は、突然の家族のひきこもりに対して両親がどう対応したか、兄として家族にどう働きかけどう反応されたか、から始まって、大林さんがなぜ家を出たか、その時の心境はどうだったか、そして兄として、あるいは家族の一員として、自分ができることをどう考えどう行動したかを、大きなターニングポイントを節目にしながら生々しく語ってくれました。
家族の話もしてくれました。大林さんの弟さんの場合、住む家があり、親が生活費を出しているため、特に困ることはなく、親も、むしろそれを受け入れて、しかし外部に相談することもない。こういうケースは決して少なくないでしょう。
それが問題を先延ばししていることに気づいているのは兄弟姉妹なのかもしれません。結局、長く付き合うのは親ではなく兄弟姉妹なのですから。機能不全家庭の親子関係の改善に、兄弟姉妹関係がひとつの切り口になるかもしれないと、改めて思いました。

大林さんの話はとても現実的で「生活的」だったので、理念論や抽象論にならずに、生々しい話し合いになったと思います。それに、大林さんは、話す(放す)というよりも、参加者と一緒に語る(象る)という姿勢で、批判や異論にも柔軟に対応してくれました。参加者も多様な立場の人たちがいたので、時に賛否を起こしながらも、密度の濃い話し合いができたと思います。

大林さんの個人的物語や家族の話は、この問題を考える上でとても示唆に富むものなので詳しく紹介したいのですが、さすがに公開型のこの報告では紹介できません。しかし、話の雰囲気を知ってもらうために、冒頭のやりとりだけを例示的に少しだけ紹介します。

大林さんは弟と2歳しか違わないこともあり、「なぜ働かないの?」「なぜ勉強しないの?」と気にかけて声をかけましたが、弟は次第に大林さんに近づかなくなったそうです。弟との関わり方がわからないため、両親に「弟を病院に連れて行って、障害があるかどうか確認してほしい」と頼んだそうです。曖昧なまま接するのがストレスだったため、障害者として接することができれば対応の仕方が明確になると考えたからです。
しかし、父からは「うちにはそんな子はいない」、母からは「なぜそんなことをするの?」と言われ、両親への失望を感じたそうです。
両親の反応に絶望し、弟のひきこもり問題には触れない「当たらず触らず」の関係が続き、状況を変えるのは無理だと考えた大林さん自身が、家を出たのが最初の大きなターニングポイントだったと言います。

ここまでの一区切りで話し合いが始まりました。
たとえば、参加者から「弟さんを障害者として扱いたいと思ったのか?」という質問がありました。大林さんは「対応の仕方が全くわからなかったので、そう思った」と答え、引きこもっている状態は異常だと感じ、障害者として接すれば明確な対応ができると考えていた当時の思いを素直に話してくれました。ひきこもりと障害者を結びつけることは、当事者にとっては意外なことだったかもしれません。
しかし別の当事者からは、「障害」という言葉はともかく、ひきこもり当事者の生活支援のための社会的制度を活用する意味で、「自立支援の制度」を知ることは大切だという指摘もありました。
家族のひきこもりが、立場によってまったく違って受け取られているのがわかります。それを踏まえずに話し合っても、解決策や対策には行き着かないでしょう。

当事者と兄弟姉妹の視点のずれも話題になりました。
大林さんは弟の内面的な苦しみや生きづらさには踏み込まず、「働かない人」というレッテルをはった面があったのではないか、理解を示さない兄に、弟は精神的にも距離を取ったのではないか、という当事者からの厳しい指摘もありました。
大林さんは自分のできる範囲でいろいろとやったつもりだが、当時、同じ問題を抱える人たちとの交流があったら対応が違っていたかもしれないと話しました。その意見に、当事者の家族を持つ参加者も強く共感しました。みんな、突然のひきこもり事態に戸惑っているのです。体験談に触れられれば対応は違ってくるでしょう。

兄弟姉妹が体験を話し合う場がないわけではありません。大林さんも、今はそうした場にも参加しているそうですが、多くの人はそういう場に出合えていないのかもしれません。いや、出合えても実際に心を開いて話し合うことはそう簡単ではありません。

話し合いを聞きながら、当事者とその兄弟姉妹がもっと心を開いて話し合えたら状況は変わるかもしれないとも思いました。このサロンは、直接の兄弟姉妹ではありませんが、まさに当事者と兄弟姉妹の立場の人がコミュニケーションできていると感じたからです。しかし実際には、家族であればこそのコミュニケーションの難しさもあるのでしょう。

まあこういう感じで、大林さんからはターニングポイントごとの体験や思いが語られ、それを受けてかなり生々しい話し合いが展開したのです。

ちなみに、ターニングポイントは、大林さんの意思とは関係なく外部からやってくることもあります。就活や婚活は大林さん自身の問題ですが、両親の病気はたとえ家を出ていたとしても、無縁ではいられません。
大林さんも、実際に父親の入院と葬儀、母親の要介護からの施設入所などが、大きなターニングポイントになっています。8050問題は、ひきこもり当事者と親の関係で捉えられがちですが、兄弟姉妹にとっても無関係ではないのです。
かなり個人的な話なので報告は控えますが、大林さんの話は、その点からもとても示唆に富むものでした。兄弟姉妹から考えると、8050問題も違って見えてきます。

ちなみに大林さんは、「弟は(家族は)こうあるべき」という自分の幻想が強すぎたと今では思っているようです。相手を変えようとしすぎていた。
これまでの体験を通じて、大林さんはたくさんの気づきを得ているようですが、一番は「相手を変えようとしていたが、変えるべきは自分だと気づいた」ということかもしれません。自分に余裕が出てくると、相手も変わってきた。「何かしなさい」と言うのをやめ、言い方を変えるようになり、相手がしゃべっている内容に自分を合わせるよう努めるようになったとも言います。
いま、大林さんは、母と弟が共依存しながらも、介護サービスを入れながら「ソフトランディング」で別れていく方向を模索しているようです。「2人が長く暮らしていくのもありかなと思っている」し、「本人がそう選んで安定があればそれでいい」とも思えるようになったそうです。考える視点が、自分ではなく相手に移っている。

ひきこもり当事者の存在が、兄弟姉妹を苦しめることがあることにも気づかねばなりません。これは世間の風潮や家族の思い込みが大きな原因になっています。
参加者の一人(ひきこもり当事者の姉妹)が、「隠さなければならないという社会的重圧」や「誰にも言えないことによる精神的疲弊」が自分の人生に覆いかぶさっていることを話してくれました。そうしたことを話せる場があるだけでも救いになるのであれば、そういう場を広げていくことが大切です。
さらには、「ひきこもり」が特別のことではないという社会にしていければと思います。生き方はいろいろある。時に引きこもることもある。「ひきこもり」は社会の病理という発想を見直せないものでしょうか。その間の自立支援の仕組みを広げていけないものか。せめて「隠さなければならないという社会的重圧」はなくしたい。

またまた長くなってしまいましたが、サロンで語られ話し合われたことのほんの一部しか報告できないのが残念です。

話し合いが深まったこともあって、今回、大林さんの話は、最後までたどり着けませんでした。そこでもう一度、大林さんにサロンを開いてもらうことにしました。
今回のサロンで、大林さんもいろいろな気づきがあったそうです。次回のサロンでは、今回のサロンの総括も含めて大林さんは話してくれるでしょう。
ぜひ直接に大林さんの話を聞いてほしいと思っています。

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■あと3年半の健康づくり活動報告8:足のしびれから解放され出しました

いろいろ取り組んでいますが、その成果に関してはなかなか報告できません。確証が持てないからです。しかし、最近、足のしびれがなくなってきたような気がします。腰痛も改善されてきました。

足のしびれは、たぶん、朝晩の入浴中の足裏揉みとちょっとしたストレッチが効果をあげているような気がします。
まだ完全とは言えませんが、しびれはほとんどなくなりましたし、足が勝手に動き出す感じもなくなってきました。
足の裏を揉み解すことをお薦めしたいです。

腰痛はいまもありますが、気のせいか、以前より痛みは弱くなり、ロキソニンテープを貼るのも2,3日に1回になってきました。
毎日ではないのですが、歩行に努めているのと座りっぱなしをやめるようにしているのが効いているのかもしれません。上体前屈運動も続けています。
朝晩の水素風呂入浴も効いているでしょう。そうそう、足三里のお灸もありました。

先日、突然に腰の激痛に襲われ動けなくなったことがありましたが、あれはもしかしたら強い陽射しの中を1万歩も歩いたためかもしれません。
翌日、サロンに来た人が気功治療をしてくれたこともあって、3日後には何ともなくなりました。いやむしろ調子が以前よりよくなった気がします。

というわけで、腰痛や足のしびれでの整形外科受診はやめました。
このままいけば、足腰問題からは解放されるかもしれません。
しかし、さらに一歩、進めて、階段200段上がり下がりを毎日のメニューに追加することにしました。わが家の1階と屋上までの上下往復を毎日4回やればいいだけですので、これは続けられるでしょう。

ただ問題は一つあります。
最近サンダルがどうも足と一体化してくれないのです。
靴や靴下をやめたのは、私の健康には大きな意味があったと思っています。いまも靴を履くのは年に数回です。靴を履いて外出した時は、気のせいかとても疲れます。
しかし、足と一体化していたホーキンスのサンダルに、ちょっと違和感を感ずるようになってきたのです。足の形状や動きが変わってしまったのかもしれません。
先日は、ちょっとつまづきそうになってしまいました。
転倒はいま一番避けたいことです。
さて履物をどうするか、これは次の課題です。

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2026/08/06

■節子への挽歌6844:兄夫婦にも幸水を味わってもらいました

節子
すぎのさんの幸水を兄夫妻にも食べてもらいたくて、兄宅に幸水を届けに行きました。
兄は92歳。義姉は89歳。ふたりともいろいろと病気を抱えていますが、まあ元気です。しかし、お互い、いつ何が起こるかわからないので、最近はできるだけ会うようにしているのです。ただ、2人だけで会うと、いつも論争になるくらい、生き方も考え方も違うのです。困ったものですが。

今日は何を思ったのか、むかし節子が朝日新聞の「ひととき」に投稿した切り抜きを出してきました。節子が闘病中に投稿した「いいとこだけ日記」の話です。
節子は新聞への投稿も好きだったのです。

節子が書いたものを一度、整理してみようと思いますが、何しろ自分の書いたものさえ整理できていなのですから、困ったものです。
うまく見つかるといいのですが。

 

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■節子への挽歌6843:すぎの農園の“幸水”はやはりおいしい

節子
今年も幸水の季節でした。
節子の影響か、わが家ではなしと言えば、「幸水」なのです。
そても、すぎのファームの幸水です。

すぎの農園の“幸水”が出荷され始めたのを知って、最近、3度ほど、しょうなん道の駅に行ったのですが、いつも買えずにいました。人気なのです。
それで今日、直接、すぎのファームに行って購入してきました。
杉野さんがいたので、しばらく話してきました。

気候温暖化で、梨の品種も変わっていくようです。
幸水は、最近の気候にはあまり向いていないようで、すぎのファームでは幸水から新種へと移っていくようです。

最近は獣害も増えていて、特にアライグマの被害がひどいようです。
ブドウの皮をむいて食べた跡がありました。

杉野さんは、実は‟大正の法然”といわれた宗教思想家の山崎弁栄の縁戚なのです。
それもあって、10月3日に、我孫子のアビスタで、随筆家の若松英輔さんの講演会「柳宗悦と山崎弁栄と手賀沼」を開催します。
杉野さんは、湯島でも一度、サロンをしてくれましたが、東西に長い手賀沼の立地の魅力が白樺派文人や山崎弁栄を生み出したと考えています。
せっかくなので、それを契機に、プロジェクトというか、ゆるやかなグループを立ち上げることを提案しましたが、杉野さんもいまちょっと大変なようで、賛成は得られませんでした。
杉野さんから2つのショッキングな話を聞き、提案の無理押しはやめました。
人生、実にいろいろなことがあるものです。

杉野さんの幸水は、やはりおいしいです。

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■テレビを通じての広島平和式典参加

テレビで、ですが、広島平和式典に参加していました。

横田知事の挨拶を、高市総理はどういう思いで聞いていたでしょうか。
高市総理も非核三原則を堅持し核兵器のない世界に向けて行動していくというような話をしましたが、核抑止力に依存しているかぎり、その言葉は虚しいです。

いつも思うのは、なぜこの式典に総理を呼ぶのかという疑問です。
話をしてもらう人はほかにいるだろうに、と思います。

例年、8月上旬は、湯島で広島か長崎に関連したサロンを開くのですが、今年は企画しませんでした。代わりに、今日の式典に参加しているサロン仲間の話を聞く、かる~いサロンを中旬にでも開こうと思います。

核兵器(原発も含めてですが)は人類とは共存できないと思っています。

 

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2026/08/05

■農作業もどき日記2026(20):完全敗退

いろいろあって3週間近く畑に行きませんでした。
どうなっているか恐ろしくて行きたくなかったのですが、頑張っていきました。
案の定、もう畑の痕跡さえ感じられません。
野草の成長は恐ろしいほどです。

ミョウガが収穫できるかという気もしましたが、もうすべて藪の中。
でも藪をかき分けて、ミョウガの根元を見るとところどころに花があります。
ただし収穫のタイミングを失してしまったのか、食用になるのはわずかです。
でもまあ、いくつかを収穫。

来週予定している秋の食養生サロンには、桑の葉茶を提供すると宣言したので、桑の葉を収穫。またミニトマトもと書いたので大丈夫かどうか見たのですが、まあ20個くらいは収穫できるでしょう。

せっかく来たので、少し野草を刈り取りましたが、それこそ焼き石に水という感じです。人生最後の畑作業もまた見事に失敗、完全敗退です。
来年からはベランダ菜園です。

吉田さんから引き受けるキリギリスも、ここに放す予定でしたが、ここには来年、家が建つでしょうから、放せません。
何か代案を考えなければいけません。
船戸の杜に放すのも一案ですが、それもいささか心配です。

 

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■節子への挽歌6842:最後の畑作業?

節子
いろいろあって3週間近く畑に行きませんでした。
どうなっているか恐ろしくて行きたくなかったのですが、頑張って行ってきました。
案の定、もう畑の痕跡さえ感じられません。
野草の成長は恐ろしいほどです。
ミョウガが収穫できるかという気もしましたが、もうすべて藪の中。
でも藪をかき分けて、ミョウガの根元を見るとところどころに花があります。
ただし収穫のタイミングを失してしまったのか、食用になるのはわずかです。
でもまあ、いくつかを収穫。
来週予定している秋の食養生サロンには、桑の葉茶を提供すると宣言したので、桑の葉を収穫。またミニトマトもと書いたので大丈夫かどうか見たのですが、まあ20個くらいは収穫できるでしょう。

せっかく来たので、少し野草を刈り取りましたが、それこそ焼き石に水という感じです。人生最後の畑作業もまた見事に失敗、完全敗退です。

来年からはベランダ菜園です。
吉田さんから引き受けるキリギリスも、ここに放す予定でしたが、ここには来年、家が建つでしょうから、放せません。
何か代案を考えなければいけません。
船戸の杜に放すのも一案ですが、それもいささか心配です。

さてどうするか。
ただ、畑作業からはほぼ撤退です。
残念ですが。

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■8月オープンサロン案内

8月の定例オープンサロンは恒例の第2金曜日の14日です。

〇日時:2026年8月14日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
カフェにコーヒーを飲むにいく感じで、気が向いたら気楽にどうぞ。

事前申し込みも不要です。
15分前から開店しています。

 

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2026/08/04

■湯島サロン「今日の社会状況の疑問点をまず語りあいますか?」報告(2026年7月31日開催)

最近の社会は少しおかしくなっているのではないかと感じている人は少なくないでしょう。そんなことを自由に話し合おうという鴨下さんの呼びかけで開催されたサロンには、9人が参加しました。
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最初にまず鴨下さんから、現在の社会状況で気になっていることはないか、これまでと何か違うとしたらその変化はなぜ起こっているのか、その変化を「否定的」に捉えている人が多いように思うがそれはなぜか。変化に対する考え方も固定的になっているような気がする、常識にとらわれることなく、時には逆説的な視点で考えてみるのもいいのではないか、といった話がありました。

具体的にも、最近の高市政権の政策から、自動車が通行していなくても赤信号を守るべきかどうかといった話まで、いくつかの話の切り口を出してくれました。
鴨下さんの問題意識の根底には、「法の支配」「遵法意識」「有識者」「メディア」「政局」の最近の状況への関心があるのです。
  
最初に話題になったのが、自動車通行のない道での赤信号でした。
私が大学の法学部で最初に学んだのが、「自動車通行がない時でも赤信号を守るのはドイツ人、信号が赤でも自動車通行がなければ道路を横断するのがフランス人」ということでした。ここに法に対する本質が語られているという気がして、今でもはっきりと覚えています。「社会思想史」の淡野さんの講義でした。

しかし今回、話題になった問題はその先です。自動車通行がなければ赤信号でも渡るとしても、近くに子どもがいたらどうするか、です。
そこで意見が分かれました。悪い見本を示さないために渡らない人と法の意味を考えさせるために渡るという人とに分かれたのです。
この話題を「今日の社会状況の疑問点」につなげれば、自分で考えなくなってきているという風潮と世代間の断絶に関わっています。いずれも重要です。

今回は前者、つまりみんな自分で考えなくなってきているというほうで話は広がっていきました。自分で考えなくても赤信号なら止まるというように、最近は受動的な生き方でも十分に利便性を享受できるために、みんな思考停止に陥っているのではないか、しかしそれでいいのか、という疑問です。

いや、実際には思考停止しているわけではありません。行政や警察に対して「危ないから信号をつけてくれ」と要望する住民が増えたため、日本の道路には信号が多い、という話もありました。「自分で注意する」ことよりも「決まり(信号)に従って動くことで、考えずに平和に暮らしたい」という思考が広がっているのかもしれません。先日のサロンでの「巨人軍監督の娘への暴行容疑逮捕事件」のときも話題になりましたが、思考する内容と方向が変わってきているのです。

そうした風潮に応じて、現代社会は、熱中症への注意喚起など「余計なお世話」とも言える過剰な指示にあふれています。これは、人々が自ら判断して行動することを放棄し指示を待つようになってきている、つまり「家畜のような暮らし」を求めているからではないかというきびしい意見さえありました。

思考停止だけならまだしも、最近はフィルター・バブルのもとで自分の見たい情報だけに囲まれてしまい、価値観の分断が進んで異なる意見との「対話」がしにくくなっていることも指摘されました。分断が進むとコミュニケーションも成り立たなくなります。

こんな感じで、話はどんどん広がり、政治状況や皇室問題、消費税、国旗問題にまで発展、まさに気になること満載の社会のようです。でもどうも抽象的で深刻さが感じられない。

最近はどうして「ストライキ」がなくなったのか、という話題も出ました。
社会や経済の構造が変わったために、ストライキの効果が失われたのではないかという話も出ました。そこから「クラウド資本」や「テクノ封建制」など、資本主義の変質の話がちょっと出ましたが、これは深入りせず。

「世の中の根本はまったく変わっていない、弱毒化しただけ」という意見もありました。そこから、「目に見えにくい全体主義や同調圧力」を象徴する「弱毒化した茶色」という言葉も登場しました。物理的な暴力の代わりに、異論を唱える者が「変な目で見られる」「仲間外れにされる」といった心理的・社会的な排除が広がり、人々は自ら進んで「秩序」や「空気」に合わせることで、摩擦を避けるスタイルへと変化しているのではないかというのです。
そうしたことの背景には、日本人の心理的変化がある。かつては集団主義の中でも、表面上は合わせつつ個人の自由を追求する「したたかさ」がありましたが、現代では集団や空気に完全に同一化してしまい、自分を大事にする回路が働かなくなっている。そして、「考えることの煩わしさ」を避け、「決まり通りに動くことで得られる安楽さ」に満足し、自己主張するよりも、同調することで「(否定される)痛みを感じない場所」に身を置く傾向が強まっているのではないかというのです。

しかし、「茶色」が「弱毒化」しているからといって安全というわけではなく、むしろそれが深刻な事態を招く予兆であるという指摘もありました。人々が「これしかない」と諦め、弱毒化した茶色に合わせて生きることが唯一の選択肢だと思い込まされている状況自体が、大きな危うさを秘めているというのです。

自己承認欲求に関しても話がかなりありましたが、そもそも私の世代からすれば、「自己承認」などという概念自体がぴんと来ないので、うまく報告できません。
他にもいろいろな話題が出ました。収拾がつかないほどに。

もちろん、疑問を出し合っただけではありません。どうしたら気になる状況を変えていけるかの話題も出ました。
ここはいつものように、社会全体を変えることは難しくても、まずは自分の手の届く「狭い範囲」から、自分たちの価値観に基づいた「茶色(全体主義・同調圧力)ではないモザイク」のような場所を維持していくことが、現実的な「したたかな」対抗策ではないかという話だったように思います。
また、現代人が失った「したたかさ」を回復するには、「痛みを感じない場所」への逃避を止め、面倒であっても対話と実体験を通じて自分の頭で考え続けることが必要であるという指摘もありました。

主催した鴨下さんは、話し合いと言うのは、いろんな人がいろんなことを言おうとするプロセスに大きな意味があると改めて実感したそうです。茶色化されつつある社会であればこそ、異なる意見をぶつけ合うことで固定観念を崩し、新たな気づきを得ることが重要だというのです。
結論はもちろん出ませんが、参加者それぞれにいろいろと気づきがあったのではないかと思います。それぞれが小さな一歩を踏み出せば、きっといつか社会は変わっていくでしょう。
こうした話し合いの場は、これからも誰かやりたいという人がいたら開催していきますので、気楽にご連絡ください。

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■節子への挽歌6841:湯河原の終の棲家の売却を決定

節子
湯河原の終の棲家の売却を決定しました。
3か所に引き取り価格の査定を頼んでいましたが、いずれも私の期待値を大きく下回るものでした。
その金額では、今抱えている借金も決算できないかもしれません。

しかし、いまのままだと借金はむしろ増えていきかねません。
もう選択肢はない。
いちばん高い価格を提示してくれた会社に任せることに、来週、会って最終決定をすることにしました。まあ、その担当者が信頼できる人かどうかで気が変わるかもしれませんが。

まだどこかに未練がある気もしますが、まあ決めた以上はもう迷うことはないでしょう。
前に進め出せるでしょう、まあ、あまり前がとは思えませんが。

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2026/08/03

■節子への挽歌6840:足腰がよくなってきた?

節子
なんだか最近、足腰のしびれや痛みが治ってきたような気がします。
朝晩の入浴中の足裏の揉み解しのおかげではないかと思っています。

もちろんまだ完全ではないのですが、立ち上がる時の腰の痛みはなくなり、ロキソニンテープを張る必要がない日が増えてきました。
足のしびれはほぼなくなりました。
ただ、時々、足が自由に動かせなくなり、逆に足が勝手に動き出すような感じになるのは、まだ起きます。そうなるとどうしても歩いていてもふらつく感じで、これはいささか危険です。注意しないといけません。

しかし状況はかなり良くなってきています。
やはり身体を信頼するのがいいようです。

歩くことは、あまり増やしていませんが、階段200段上り下りはまだ定着していませんが、これもきっと効果があるでしょう。
改めて階段200段上り下りに取り組もうと思います。

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■健康サロン「健康のためにやっていることを話し合いませんか」のご案内

私はこの数年、高齢であることもあって、心身ともにいろんな問題に直面しています。そのことをフェイスブックなどでオープンにしているのですが、それを読んだ人たちからいろんなアドバイスをもらっています。先日は、サロンに参加してくれた方から「気功」の指導も受けました。
そのおかげで、前立腺がんも足のしびれもメンタル不調も、乗り越えられ、今もサロンを続けられています。
私も「お返し」したいので、私が取り組んでいることを定期的にフェイスブックやブログに投稿していますが、それを読んで参考になったと言って下さる方もいます。

そこで思いついたのですが、湯島で「健康のためにやっていること」や「こんなことで困っている」などを、気楽に話し合うサロンを開くことにしました。
「健康づくり」や「病(やまい)対策」の体験知をみんなでシェアできれば、もしかしたら「みんなの健康情報センター」ができるかもしれません。
できれば毎月1回、定期的に開催したと思いますが、まずはとりあえず開催してみて、様子をみようと思います。

どこか問題を抱えている人も、抱えていない人も、ぜひ気楽にご参加ください。
このサロンでは、コーヒーはやめて、野草茶を用意します。できれば駄菓子の持ち込みも辞退させてもらって、私の畑で(たぶん)できたミニトマトで我慢してもらえるとうれしいです。

さてどんなサロンになるか、とても楽しみです。

〇日時:2026年8月22日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「健康のためにやっていることを話し合いませんか」
〇話題提供者:参加者全員
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■あと3年半の健康づくり活動報告7:細くなっている2本の脳血管

先週は脳神経外科の定期検診でした。

10年ほど前でしょうか、いろいろとあって脳神経外科に検査に行きました。
2本の血管がMRIでは写らないほどに細くなっているのが発見されました。
幸いに突然切れたのではなかったので命に別状はなかったのですが、それを機に3ヶ月毎に検査をしてもらうことにしました。

実はそれ以前、めまいで毎年のように年末に急患で病院に連れていかれていました。
大晦日から三が日を寝て過ごしたこともありました。
軽い脳梗塞の痕跡はいつも数か所指摘されますが、まあそれは老化に伴うものだと思っていました。
「健全な老化」という考えが、そのころはとても気に入っていたのです。
視野がおかしくなることはよくありましたが、まああまり気にはしていませんでした。

しかしこのときの担当医(葛綿さん)がとても相性が良く、何やらこの人にはすべて任せてもいいなと思ってしまいました。まだ若い医師です。
それまでいい加減に飲んだり飲まなかったりしていた高血圧対策の薬もきちんと飲むようになり、水分も取るように心がけるようになりました。以来、めまいで倒れることはなくなりました。
今では定期検診が楽しみです。

年4回ですが、MRI、心電図、血液検査など、いろんな角度からチェックしてもらっています。
今回は心電図と動脈硬化のチェックでした。
結果は問題なし。血管年齢は60代相当だそうです。
もっとも一度細くなった血管を回復させるのは無理だそうで、現状維持が課題です。

ある人に言わせると、水素ガス吸入が血管の回復につながった事例もあるというので、なんとか血管を回復させられないかと思っていますが、いまのところ実現していません。

これに関しては、自覚症状があまりないので、いつ突然にダウンということも否定できません。
しかしどう対処していいかわかりません。
毎日2回の水素風呂以外、手の施しようがありません。
医師からはともかくきちんと水を飲むように言われています。
いま心がけているのは、ちょっと違和感を感じたり、視野がおかしくなった時に、横になって休むように努めています。

今回は、腎臓病対策で、カリウムとリン酸をあまり過剰に忌避せずに、バランスをとっていくことが大切だとアドバイスを受けました。
少し気が楽になりました。

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2026/08/02

■節子への挽歌6839:私たちの考えていた「家族」はよかったのか

節子
ひきこもり関係者が、湯島にはかなり集まっています。
当事者だったり支援者だったり、親だったり兄弟姉妹だったり、立場はいろいろです。しかし、私が波長が合うのは、支援者ではなく当事者なので、多いのは当事者です。

ところが最近、当事者の兄弟姉妹が少しずつ増えてきました。
そこでその一人の大林さんにサロンをやってもらいました。
サロンの報告は時評編に書きますが、私自身いろいろと考えさせられるサロンでした。
私は「ひきこもり問題」を柔軟に捉えているつもりですが、まだまだ視野の狭いことに気づかされたのです。

問題は、「家族」なのです。
つまり「私の世界」と「公の世界」の問題です。
「公の世界」には暴力や法規制がありますが、「私の世界」にはそういう概念はなかったのです。それが最近、「家族」が開かれてきたおかげで、DVが問題にされ、法規制が家庭にも及び出したのです。
同時に、社会に基本単位としての「家族」の役割はどんどんなくなってきています。つまり、「家庭の機能」は消えだしている。その一方で、「機能不全家庭」という言葉が広がりだしている。
どこかに矛盾を感じます。

問題はやはり「家族」なのです。
少し考えてみなければいけません。
私と節子がつくってきた「家族」はやはりどこかにおかしさがあったのかもしれません。なんだか大きな宿題をもらってしまったような気がします。

 

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■第47回万葉集サロン「赤人が伝えたかった富士山への感動」のご案内

いよいよ山部赤人の歌「田児の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にそ 不盡の高嶺に雪は降りける」(巻三-318)」をとり上げてもらえることになりました。
私が万葉集で一番好きな歌です。赤人にも興味があります。なぜ「赤」なのか。
ちなみに『古事記』や『日本書紀』には、富士山は一切出てきません。それも不思議です。『万葉集』と記紀の世界は違うのかもしれません。

もっとも升田さんの関心はちょっと違うところにありそうです。升田さんからのメッセージをお読みください。
でも何はともあれ、待望の歌。赤人の世界に思いを馳せたいと思います。

升田さんの万葉集サロンは、歌を通して、当時の社会や人々の生き方を読み解いていくところにおもしろさがあり、一味変わった『万葉集』の世界を楽しめます。
『万葉集』など読んだこともない人も、大歓迎です。気楽にご参加ください。

開始時間がいつもより1時間早いのでお気を付けください。

〇テーマ:「赤人が伝えたかった富士山への感動」
〇日時:2026年8月16日(日曜日)午後1時~3時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

〔升田さんからのメッセージ〕

山部赤人の歌「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」は、新古今和歌集・百人一首でよく知られています。
しかしこの歌は、正確には赤人の歌とは言えません。詞にも違いがあります。

赤人が万葉集に残している富士山の歌には長歌があり、この歌はその後ろにつけられた反歌なのですが、このことはあまり知られていないと言ってよいかもしれませ

漢詩(詩賦)の影響や宮廷歌人論からの論述はすでに多くありますが、それを越える、赤人自身や万葉の人たちの古代の息づきを読んでゆくのも万葉集の面白さかと思います。
高橋虫麻呂の富士の歌や東歌から俯瞰して、赤人が伝えたかった富士への感動を見てみたいと思います。

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2026/08/01

■節子への挽歌6838:手賀沼花火大会

節子
今日は手賀沼花火大会でした。
花火の好きな節子が、いま住んでいる場所を選んだのですが、肝心の花火大会をゆっくり見る機会はなかったかもしれません。
転居して数年は、いつも来客を迎え、その接待に節子は大忙しでしたから。

やっと落ち着いたと思ったらがんが発見されました。
最後の年は、花火の音だけを聞きながら、私も一緒に病室になった和室で過ごしましたが、節子は花火を見に出ていく元気もありませんでした。私もですが。
そんなことにも気づかずに、外では来客が花火を喜んでいました。
花火よりも節子への一言が欲しかったのですが、まあそれはいささか身勝手な恨みでしょう。しかし、その人たちへのわだかまりは、今も消えていません。なんと偏狭な、とは思うのですが。

それ以来、私は来客を呼ぶのをやめました。
代わって娘たちが友だちを呼ぶようになったので、いつも賑やかです。
今日も子どもたちで大賑わいでした。

節子と一緒に最初の花火を見たのは、滋賀県の瀬田の唐橋で、でした。
熱海の花火も見に行きました。
節子は花火が大好きでした。

私も花火が大好きなのですが、最近は正直、ちょっと退屈です。
ただ、花火の音と火薬の匂いは好きです。

今年の手賀沼花火は、正直、構成があまりよくありませんでした。
物語が感じられなかったのです。

節子が元気だったころ、なぜもっと一緒に花火を楽しまなかったのか。
花火に限らないのですが、この頃、よくそういう思いを持つことが多いです。

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■湯島サロン「消滅国家〜2023年、戦争で消滅したアルツァフ共和国」報告(2026年7月26日開催)

アルツァフ共和国は、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ地方のアルメニア人が1991年に独立を宣言し、他国からの承認は受けられませんでしたが、事実上の独立国家として32年間、存在していましたが、2023年9月にアゼルバイジャンの攻撃を受け消滅してしまった国家です。いまは、アルメニアに事実上の亡命政府が存続しているだけになってしまいました。

この、‟消滅した未承認国家アルツァフ共和国”を取材してきたのがフォト・ジャーナリストの小野寺翔太朗さんです。小野寺さんは、ウクライナの取材もしていますが、今回は、そうした戦争に巻き込まれた人たちの「声なき声」を紹介してもらい、国家とは何かを考えようというサロンでした。

まず小野寺さんは、アルツァフ共和国の消滅の経緯や避難民の苦悩について話してくれました。時間の関係もあって、詳しい話はありませんでしたが、古代からアルメニア文化圏に属し、住民の大多数がアルメニア人の、このナゴルノ・カラバフ地方が、アルメニアにではなく、アゼルバイジャンに組み込まれたのかは、まさに政治的な理由(実際にはソ連政府の都合)からです。
このことからも、「国家」とは何かが見えてくるのですが、今回はそこからではなく、もっと生々しい小野寺さんが現地で接した人たちの「声なき声」から、「国家」を話題にしてもらいました。「加工情報(誰かが創った物語)」が世界を覆い出している現在、こういう生々しい「現場情報」は、なかなか直接触れる機会はありません。

アルツァフ国家消滅の経緯は、ある意味、簡単でした。2022年12月に、アルツァフとアルメニアとを結ぶ唯一の道「ラチン回廊」がアゼルバイジャンによって封鎖されたのです。それまで両国は国境で分離されてはいたものの、人々の生活圏としては深くつながっていたのですが、この封鎖により、物資・医療・人の移動が完全に止められてしまったのです。
食料や薬が不足する過酷な状況が9か月続きましたが、2023年9月のアゼルバイジャンの攻撃によりアルツァフはわずか1日で降伏し、10万人以上の人々が故郷を追われ、アルメニアへと強制移住させられたのです。

未承認国家であったため、アルツァフの人たちは、故郷を失っても国際的に「難民」として認定されにくく、公的な支援が届きにくいという複雑な立場に置かれてしまったのです。国家がなくなると、人は「何者でもない」存在になってしまう。ここでも、「国家とは何か」を考えさせられる「生々しい声」を、小野寺さんはいくつか紹介してくれました。

小野寺さんは、2022年にロシア軍による虐殺が発覚したブチャでも長期取材を行いました。そこで、実際に小野寺さんはロシア軍による虐殺の痕跡や実際の体験者から聞いた話を紹介してくれました。
ブチャの虐殺に関しては、いまではロシア軍によるものという認識になっていますが、一時期はウクライナ軍がやったという話が広がり、いまなおその見方も相変わらず流布されています。
今回、参加者の中にもブチャ虐殺の犯人は誰だということに関心を持っていた人が複数いたこともあって、小野寺さんはあえてブチャで取材した「声なき声」を詳しく話してくれました。
小野寺さんは、ブチャ虐殺はロシア軍以外にはあり得ないと確信しています。それが現場で暮らしている人たちの声だからです。たとえば、小野寺さんは実際に遺族から「目の前で家族が撃たれた」「ロシア兵に埋葬を禁じられた」といった生々しい証言を多数得ています。

サロンでは、この点で論争が起こりヒートアップしてしまいました。
ブチャの犯人探しの論争は、「現場事実」と「物語」との対立です。
現場事実は一つしかないとはいえ、どの部分に焦点を当てるか、あるいは観察者の知識や関心によってさまざまな見え方がし、また報告の仕方によっても印象は大きく変わります。これは写真でもいえることです。戦場のどこに焦点を合わせて撮るかによって、印象や意味は全く変わります。マスコミ報道もネット報道も、「戦場らしい写真」が選ばれますが、実際に戦場を歩いた小野寺さんには違った風景もたくさん見えています。どの写真を選ぶか。そこにジャーナリストの姿勢があらわれます。

そうした「現場の事実」を材料にして、マスコミやネットで報道されるのは、発信者が解釈し捜索した物語です。とりわけネット情報では、都合のいい事実情報を集めて物語がつくられます。そこからいわゆる「陰謀論」も生まれていくわけです。
今回のサロンでヒートアップした「ブチャ虐殺の真実」は、まさにこうしたことを可視化してくれました。「物語」と「事実」はいまや切り離されてしまっているのです。
私たちは、みんな誰かが創った物語情報にしか触れられませんが、だからこそ、時に小野寺さんのように現場での一時情報に触れることが大切です。
ちなみに、小野寺さんは自分が見聞きしたことを伝えてくれているだけで、それがすべてだとは言っていません。それをどう解釈するかは聞き手の問題です。

横道にそれてしまいました。テーマが違ってしまいました。
テーマは、「国家とは何か」でした。
これに関しては、参加者の一人がとてもわかりやすい話をしてくれました。
政府(権力者)が統治する「国家」と人々が愛着を持つ「故郷(お国)」と、同じ「国」といいながら全く違うものなのではないか。
ここに「国家とは何か」がすべて含意されているような気がします。
どこに視点を置くかで、国家は意味を変えてくるのです。

アルツァフの人たちにとっての国は政治的に他の国に取り込まれてしまった。
あるいはイスラエルという国ができたために、それまで仲良く暮らしていたアラブの人とユダヤの人とが分断されてしまい、対立が意図的に生み出された。
国には、人々の暮らしを守る国と人々の暮らしを壊す国がある、といってもいいかもしれません。大切なのは、どちらの視点で国を語るかです。最近の、国旗問題や安全保障問題などは、これによって意味合いが真反対にもなるでしょう。

また長くなってしまいましたが、最後に小野寺さんの報道姿勢を紹介しておきます。
小野寺さんは、サロンの最初に2種類の写真を見せてくれました。砲撃を受けて建物が破壊された街の写真と笑顔に包まれた子どもたちの写真。いずれも小野寺さんが出会った現実です。
小野寺さんは、メディアでは悲劇的な側面ばかりが強調されるけれど、現地では悲劇を乗り越えて懸命に生き、笑顔を見せる人々の姿もある、といいます。たとえ戦争であろうとも、人々は暮らしている、戦ってばかりいるわけではない、というのです。そこに、報道と日常のギャップがある。
小野寺さんは、報道されない「日常」を伝えることを重視しているのです。

そうした小野寺さんのジャーナリストとしての姿勢の背景には、小野寺さんの個人的な体験があるのかもしれません。
小野寺さんは、父を自死で亡くした遺族としての背景を持っていますが、それが小野寺さんをジャーナリストへと向かせた理由の一つのようです。
自死で突然、声を聞けなくなった「父の声」を聴きたいという強い思い。それもあって、戦場で「数字」として処理されてしまう一人ひとりの「声なき声」を小野寺さんは聴き続けているのです。
声なき声は、時に涙や笑いです。小野寺さんは、自著『声なき声』で、「わたしが求めるのは、涙の、さらに奥にあるもの」と書いています。

長くなってしまいました。話し合いが十分に報告できないのが残念ですが、ぜひ小野寺さんの著書『声なき声』を読んでほしいです。
また小野寺さんは、写真展も開催していますので、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。「涙の、さらに奥にあるもの」が見えるかもしれません。
もし小野寺さんがいたら、ぜひ声をかけてみてください。

国家とは何かに関しては、またサロンを企画したいと思います。
決して私たちと無縁の話ではありませんので。

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