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2026/08/15

■節子への挽歌6851:挽歌のはじまりのところを読んでみました

節子
昨日、増田さんと話していて、この挽歌を読んでいる人がいることを改めて認識し直しました。それにしては、あまりに気楽に書いていました。
挽歌だけではありません。時評編もこの頃は、あまりきちんと書いていないのです。
湯島のサロンの案内と報告で時評編はうまっていますし、挽歌は私の日記になっています。「挽歌」と言えるような内容ではありません。
少し姿勢を変えないといけません。

となると、今度は逆になかなか書きにくくなる。
さてどうするか。

今日はお盆なので、もしかしたら宝蔵寺のご住職がお経をあげに来るかもしれないとずっと自宅で待機しました。
コロナ以来、状況が少し変わってきているようです。
結局、今日はわが家には来てもらえませんでした。
代わりに私が般若心経をあげました。
明日は送り火です。
短い帰省でした。

一日在宅だったので、挽歌の書き出しを読んでみました。
最初の5つほどは、まだブログになっていなくて、ホームページに書かれた週間日記の記事でした。久しぶりに読んだのですが、当時の記憶がよみがえってきました。なぜかすぐにわが家までやって来てくれた人たちが数名いたのです。どうしてみんな知ったのでしょうか。私が直接伝えたとは思えません。
あの頃は、私自身、現世と霊界を往来していたような気がします。その感覚もちょっと甦ってきました。また引き戻されてはいけません。
結局、読むのをやめました。
節子が残した日記を読もうと思っても読めないのと同じなのかもしれません。

自分の挽歌でもこんな感じなのですから、友人知人の挽歌は読みたくはないでしょう。ましてや他人の挽歌など。

そういえば、以前誰かが有名人の挽歌をまとめた新書を持ってきてくれました。
しかし正直、読む気は全くせずに、どこかに埋もれています。
正直、本になった挽歌には、真実を感じられないのです。
ですから、この挽歌も本になったら、私の世界からはどこか遠くに行ってしまうような気がしてなりません。
増田さんは、本としてもきちんとしたものにしたいと言ってくれています。
どんなものができるのか、ちょっと気にはなります。
そこに関わった人の思いが込められるのであればうれしい限りですが、そんな期待はあまりにもわがままです。
いずれにしろ複雑な気持ちはますます高じています。

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