■節子への挽歌6854:香典返し
節子
夏が終わり、秋を感じます。
暑さはまだ去ったわけではありませんが、朝の気配はもう秋です。
気候温暖化が進んでも、季節の気配はそう簡単には変わらないようです。
先月急逝した従兄の遺族から、香典のお返しが届きました。
好きなものを選ぶことのできるカタログでした。
やはりそうなるかと思いました。
いつの頃からか、カタログの返礼が増えてしまいました。
いとこの遺族を批判することになりかねないので、迷いますが、やはり書いておくことにします。
そもそも香典の半返しという文化は、貧しい時代の貧しい庶民たちの生活の助け合いの知恵だったはずです。しかし、いまはそういう時代状況ではありません。
そもそも香典もですが、必要あるのかという気がしています。
節子の時は、予想以上にたくさんの人が来てくれて、そのお返しが大変でした。
いまなら香典返しはしなかったかもしれません。
でも当時は、そんなことを考える余裕もなく、香典返しにはとても苦労しました。
一人ひとりに合わせて返礼品を選ぶのは大変です。
また香典の一部を節子が取り組んでいた活動のグループに寄付しようと提案しましたが、先方からていねいに辞退されてしまいました。個人はともかく組織としての香典にはどう対応しようかはとても難しい。
もっとも香典返しで苦労することは悪いことだけではありません。
気がまぎれると同時に、亡くなった人、つまり節子ですが、故人と友人との関係を思い出す機会をつくってくれるのです。
しかし、カタログ返礼のようなスタイルになってしまうと、まさに事務処理の世界になりかねません。
それに大体において、カタログから選ぶ場合、適切なものがないのです。まあもらえるのだからと何かを選んでしまうのでしょうが、私には大きな違和感があります。それで娘に任せてしまいますが、どうも無駄な金銭経済に加担するようであまり気分がよくないのです。
かなり誤解されそうな書き方になっていると思いますが、やはり香典文化はもう終わったのだろうなと思うのです。
でも実際にまた、葬儀に行くことになったら、私もまた香典を包む気がします。
思い切って次回からは、香典を止めようかと思いますが、でもそうしたら、故人を差別しているように思われてしまうかもしれないという不安があります。
いまはたぶん葬儀の形が変わろうとしている時期なのでしょう。
香典も、そろそろお金ではなくなるでしょうし、香典返しなどということもなくなるでしょう。
では、どういう形で、死者への追悼の意を表せられるのか。
私の葬儀の時までには、ぜひそれが見つかっていてほしい気がします。
いや、娘たちが私の葬儀をやるかどうかもまだわかりませんが。
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