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2026/09/17

■湯島サロン「冤罪と再審法を考える①」報告(2026年9月13日開催)

この2~3年、司法関係のサロンはあまり開催していませんでしたが、日本の司法界はますます国民の意識から遠のいているような気がしています。マスコミでは「冤罪」や「裁判の再審制度」が話題になることは増えていますが、実際にその内容を知れば、状況が変わってきているようには思えません。

そもそも「司法」とは、国家秩序の安定を最優先に考えている制度です。したがって私たち国民の生活を守ってくれるためのものですが、あくまでも秩序優先ですから、時に個人の生活が犠牲になることはあり得ます。したがって、「コラテラル・ダメッジ」(秩序維持のためのやむを得ない犠牲)として「私」が冤罪などに巻き込まれることは起こり得ます。
司法は「私たちのため」にあるのであって、「私のため」にあるのではないのですが、私たちはそこの区別には実際に「当事者」にならないと気づきません。
万一、「当事者」になってしまい、判決が間違って下された時のために「再審制度」がありますが、当事者になる確率は極めて低いので、再審制度はどうしてもほとんどの人にとっては「他人事」なのです。

秩序優先の司法制度に対して、日弁連は長年、すべての人々が個人として尊重される社会を目指し、「市民のための司法制度」への改革に取り組んできています。そうした視点で、21世紀に入り大きな「司法改革」が行われ、法テラス設立や裁判員制度が導入され、冤罪や再審制度などへの関心も高まってきています。
そして今年の7月に刑事訴訟法も見直され、再審制度も「改正」されました。
言葉だけ聞いていると、これまでの検察都合での再審制度が変更され再審が行われやすくなったように思われるのですが、冤罪で苦労してきた当事者たちからは、むしろ再審制度は「改悪」だと言われているように、冤罪の救済はむしろ難しくなったとさえ言われています。
よく言われる刑事事件における「推定無罪原則」は軽視される方向にますます動いているのではないかという指摘さえあります。

そうした状況の中で、私たちはもっと「司法」への関心を深めていくことが必要です。袴田さん事件や大川原化工機事件で「冤罪」についての知識は広がりましたが、まだ自分とは関係ない話だと思っている人は多いでしょう。しかし、いつ自分に降りかかってくるかわからないのです。

そこで改めて湯島のサロンでも「司法」の問題を取り上げていくことにしました。
その第1回として「再審制度改定」を取り上げました。これはあくまでも入り口であって、できればいろいろな視点から「司法のあり方」を話し合っていき、司法への理解を深めていければと思っています。

今回は最近の冤罪事件などに関心をもって裁判や集会などにも参加している近藤和央さんに「冤罪・人質司法・再審法」の全体像をわかりやすく解説してもらいました。
近藤さんがまとめてくれた全体像はとてもわかりやすいので、それを添付します。
Photo_20260917140901

図からわかるように、近藤さんは、確証バイアスへの無自覚のもとに、自白偏重・証拠軽視が相変わらず続いていて、「推定無罪原則の軽視」がますます進行していると捉え、日本的エートスの暗黒面が生み出す「脱法的独善体質」が司法界を覆い、おごり高ぶり増長し敵なしの野放し状態になっているのがいまの日本の司法ではないかと手厳しく指摘してくれました。根本は「人権意識の問題」。日本に果たして「人権意識」が育っているのかどうか、これも意見の分かれるところでしょう。

こうした状況を変えていくには、「検察・司法への市民による監視」を強めていくことだと近藤さんは言います。袴田さんの冤罪を晴らしたのは、市民の理解が深まり運動へとつながり、検察・司法への関心が高まったことが大いに影響していることを考えると、まさに近藤さんが言うように、司法への関心を私たち市民が高めていくことが大切でしょう。
「司法」は決して「無謬」(間違いを起こさない)ではないのです。むしろ時に秩序優先で、個人に犠牲を強いることがあることを忘れてはいけません。言い換えれば、「私たち」のために、個人の「私」が犠牲にされてしまうことがあるということです。

具体的な話し合いや今回の再審制度改定のどこが問題なのか、そしてそれを踏まえた話し合いに関しては、これから開催していくサロンで繰り返し話題になると思うので、報告は省略します。むしろその気になって調べればすぐわかりますので、むしろそれぞれが調べてもらう方がいいでしょう。ただ「再審法改正」の言葉だけでなく、どう変更されたのかをぜひご自身で確認してみてください。

こんな感じで、これから日本の司法問題を取り上げていきます。
次回は、11月1日に、もう一度、近藤さんを中心に「冤罪と再審法を考える②」を開催します。海外での再審制度などの話も踏まえて、話し合いを深めていく予定です。
今回参加できなかった方も歓迎です。ともかく、「司法に関して気楽に話し合う場」をつくっていきたいと思います。

 

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