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2026/09/01

■第9回増田サロン「ケアと自由」報告(2026年8月29日開催)

増田圭一郎さんと一緒に「地湧の思想」を考えていく増田サロンの9回目は、今春、『生産と消費からケアと自由への転換』を出版された山本眞人さんに、同書で伝えたかったメッセージを紹介してもらいました。
そこでの主張が、増田さんの「地湧の思想」に深くつながっているというのが増田さんの意図でしょう。

最初にまず山本さんから、著書の内容を紹介してもらいました。
『生産と消費からケアと自由への転換』を読んでいない人のために簡単に説明すると、同書はD・グレーバーの『万物の黎明』で提起されているメッセージを現代的課題につなげて、現代社会変革の指針と方法を提起している「実践の書」です。
20260829

グレーバーのメッセージは、いろいろな物語として読み解くことができますが、山本さんは意外な読み解き方をしています。
まずフェミニストのF.フェデリーチたちと歴史家のP.ラインバウが取り上げられ、その後にグレーバーが登場するのです。この構成はグレーバーが重視した「対話性」に同調し、活動家・著作家としてのグレーバーが一方的に主張するのではなく、多様な他者との対話を通じて思想を深めた姿勢に倣ったのだそうです。

山本さんの主張は、「生産と消費」を中心に組み立てられた資本主義的世界観を根本から組み替え、「ケア」と「自由」を社会の中心価値に据えるべきだ、というパラダイム転換の必要性です。しかもそれが、気候危機・不平等・帝国化・生態系破壊という複合危機を突破するための“現実的な社会モデル”として提示されているのです。

最初に取りあげるのはフェミニストのフェデリーチ。ちなみに、私は本書を読むまで、フェミニズムは経済成長や資本主義に加担しているように感じていて、否定的でしたが、フェミニズムもどんどん変わってきていることにようやく気付かせてもらいました。フェミニズムという言葉自体にはまだ違和感がありますが。
フェデリーチは、1980年代にナイジェリアでアフリカ諸国を資本主義的市場経済に組み入れるための「構造調整プログラム」に触れ、それを「新しいエンクロージャー」と捉え、資本主義が繰り返し必要とする暴力であると主張したのです。
女性の視点から読み直すと、かつてのエンクロージャー(土地囲い込み)によってコモンズが解体され、再生産を担う女性たちにとって最大のセーフティネットが失われた。そして、それが、「生産」と「消費」を分断し、「生産拡大」「消費拡大」を前提とする近代の価値観を生み出したというわけです。

いままた「テクノ封建制」や「デジタル囲い込み」といわれるような、新しいエンクロージャーが進んでいますが、グローバルノース(北)においても「ケア・コモンズの再構築」が必要だと山本さんは言います。
そしてそこから、グレーバーの「価値論」における「価値(value・単数)」と「諸価値(values・複数)」の対比を紹介。前者は貨幣で測れる交換価値、後者は数量化・比較不可能な文化的・生活的価値(真善美など)を指しますが、資本主義のなかでは諸価値が貨幣的価値に一元化される「倒錯」が起こる。生命やケアの領域は「インフラバリュー」として重視される価値であるにもかかわらず、この倒錯によって低く評価され、経済は人間からどんどん遠ざかっていく。
ちなみに、ここでいう「ケア」は支え合う相互関係、「自由」はケアを基盤にした関係性の自由として再構想されています。

グレーバーはこの倒錯からの脱却の糸口として「ユニバーサルベーシックインカム(UBI)」を挙げていますが、山本さんは「グレーバーが生きていればその先を論じたはずだ」として、議論の続きを読者に呼びかけるのです。
今回はあまり深堀はできませんでしたが、UBIについては、新自由主義との親和性や監視社会化のリスクを懸念する声もあり、またむしろ「貨幣」から自由なベーシックサービス(食・住・ケアの現物保障)の方が有効との意見がありました。

つづいて、「価値の倒錯からの脱却」の具体例として、山本さんはスペインのカタルーニャ統合協同組合(CIC)、メキシコのサパティスタ、シリアのクルド人難民キャンプの自治政体ロジャヴァなどを紹介してくれました。
山本さんは、サパティスタなどの「シェルター的なオルタナ・コミュニティのネットワーク」が世界を変えていくと考えています。
南の民衆運動(生態的コモンズ)と北の社会運動(気候正義・マイノリティ排除への抗議)が、「ケア・コモンズ」の視点で結びつくことで、ポスト資本主義への道が開かれるというわけです。

話し合いで出た話題を一部紹介します。
最初に出たのは「国家」。サパティスタが続いているのは、国家との距離の取り方に関わっているように思いますが、国家をどう位置づけるかは重要なテーマです。
国家はなくならないという認識のもとに市場の中にオルタナティブな経済(社会的連帯経済)を作ることと、国家の政策を変えることの両方が必要だという主張と国家とは切り離されたケア・コモンズのネットワークが国家を後退させていくという両論がありましたが、今回は議論にまではいきませんでした。

それに関連して「公共性」も問題になりました。
これは湯島サロンでの根本的なテーマで、これまでも何回も話題になっていますが、「公(パブリック)」と「共(コモンズ)」の概念的混同が日本の問題の核心であり、市民社会(コモンズ)という第3のセクターを可視化し、むしろそこを中心に社会構造を変えていくことが大切で、その手始めに「公共性」という言葉を捨てるべきだというのが私の考えなので、これも今回は議論を差し控えさせてもらいました。

しかし参加者から、生協運動、コミュニティ財団、フリースクール、農福連携、労働者協同組合、ビュートゾルフなど、市民社会的な事例や話題も出されました。
なぜ日本では広がっていかないのかという話も出ました。私もこれまでいろいろな活動に触れてきていますが、そこには「公共の罠」があるように感じています。

山本さんは、同書の中で、人間と生き物たちは、「脆弱性」と「相互依存性」という基本的条件を共有し、それを前提に相互に支えあって生態系や社会システムをつくりだしている、と書いています。つまり本来、人間を含めた生命の世界は「ケア・コモンズ」なのです。そこには上下関係や一方的な依存関係はない。とても共感できます。
山本さんは、そうした「ケア・コモンズ」に向けて、この30年間、サパティスタは、思想的、実践的に、とても誠実につきつめてきた、という。そしてそこに大きな希望をお持ちなのです。

ちなみに山本さんは、その点に関して、『ケアと自由』に書ききれなかったことをnoteに発表されています。ぜひお読みください。
「複合的危機に立ち向かう闘いのネットワーク」
https://note.com/yamamoto_mahito/n/nb3eebf4e820e

ほんの一部の紹介、それも勝手な紹介になってしまいましたが、できればぜひ山本さんの『生産と消費からケアと自由への転換』(BMFT出版部)を読んでおいていただけると、うれしいです。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784991293481

ちなみに同書の終章は、「気候危機と「水のコモンズ」」です。ここだけでもぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
https://kenji-world.net/commons/wp-content/uploads/2026/07/%E3%80%90%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%A8%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%80%91%E7%B5%82%E7%AB%A0.pdf?utm_source=copilot.com

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