■節子への挽歌6874:生き方を間違えていました
節子
今日は湯河原に行って、回収する書籍や小物を持ってこようと思っていましたが、いささか最近疲労が重なっていて、体調もあまりよくないので止めることにしました。
節子がいたら、自動車で行ってすべてを持ち帰られるのですが、ユカもジュンも日帰りでは無理だというし、そもそも東京を抜ける自信がないようなのです。
節子は自動車が好きでしたが、娘たちは私に似てか、運転が好きではないようです。
峰行に頼もうかと思いましたが、彼も忙しいのと休みがあまりないので、やめました。簡単な引っ越し便も探しましたが、いろんな意味で無理そうです。
というわけで、2回ほど通って持ち帰ったり、ヤマト便で送ろうかと思っているのですが、いささか憂鬱です。
やはり物はない方がいい。
お金は使うものでためるものではないという考えが強かったため、マンションなどを買ってしまったのはいまにして思えば、大きな誤算で、今はそれに苦労しているわけです。困ったものですが。
そう考えると、私の生き方は、その都度主義で、計画性が全くありませんでした。それでも何とかうまくいったのは、節子がいたのと時代が支えてくれたのでしょう。
ひとりになったら何もできないうえに、時代が変わってしまった。
湯河原の不動産は、売却すれば老後の生活費になると思いきや、現実は借金返済にも達しない。さてさてこれからどうするか。
いろいろと考えると、いささか憂鬱になりますが、いまはともかく湯河原をきれいにしなくてはいけません。
そういえば、トルコで買った絨毯も湯河原にある。あれも回収するとなるとこれまた荷物が増える。それに持ってきても使う場所がない。
ネットで売りに出したら買い手が現れるかもしれませんが、それも面倒。
むすめたちから馬鹿にされるのも仕方がない。
もう少し先を考えて生きてくればよかった。
どうも私は生き方を間違えてしまったようです。
そういう生き方を注意もせずに、先に逝ってしまった節子の責任は大きい。
全く困ったものです。
今日は湯河原行きをやめてしまったので、在宅で過ごしました。
おかげで本を2冊、読みました。
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