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2026/09/22

■第13回ブックカフェサロン報告(2026年9月20日開催)

あまり参加者がいないので、継続不安のあるブックサロンは、台風予想のなか、私を含めて5人の参加になりました。しかも今回は参加できませんでしたが、興味を持ってくださる方も出てきました。あきらめずに頑張れば、報われます。
今回は特にテーマを決めずに、参加者がそれぞれ本を推薦する「私のお薦めの1冊」です

参加者から推薦された本は次の通りです。
『「手放し」のすすめ』(デヴィッド・R・ホーキンズ)ナチュラルスピリット
『マルクス・アウレリウス「自省録」を読む」(岸見一郎)祥伝社新書
『他者との共生はいかに可能か マルクス・アウレリウス「自省録」』(岸見一郎)NHK出版
『それでも、私は憎まない」(イゼルディン・アブエライシュ)亜紀書房
『チッソは私であった』(緒方正人)河出文庫

それぞれ簡単な内容紹介をしておきます。
『「手放し」のすすめ』は、ネガティブな感情への執着を静かに手放し、より高い意識状態へと上昇するための“手放し”の実践法を示す、人生を根底から変えるための内的ワークの書です。推薦者は、この本に習ったセルフワークによって、成果を上げていると言います。いつかその人にワークショップをやってもらえるかもしれません。

『マルクス・アウレリウス「自省録」を読む」と『他者との共生はいかに可能か マルクス・アウレリウス「自省録」』は同じ古典の紹介ですが、推薦者は別々で、偶然の結果です。

「自省録」は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが戦場と政務の合間に自分自身に書き続けた、ストア哲学の核心を体現する“内なる声の記録”で、外界に揺さぶられず、理性と徳に従って生きるための実践的な方法が示唆されている書です。

『それでも、私は憎まない」は、3人の娘をイスラエル軍の砲撃で失いながらも、なお憎しみではなく“共存”を選び続けたガザの医師が、暴力の連鎖を断ち切るために示した赦しと人間の尊厳の力を語る自伝です。

『チッソは私であった』は、水俣病の被害者としてチッソを告発し続けた著者が、長い葛藤の末に「加害の構造は自分の中にもある」と気づき、自らの生き方を問い直した告白書です。

今回、推薦された5冊には共通点があります。
みんな問題を他者や外部のせいにせずに、自分を問い直す姿勢の本なのです。
期せずして、湯島サロンの根底に置いている理念の一つ、「一人称で語る」に通じるテーマに通じています。
ちょっとうれしい一方で、ちょっと不安な気がしました。
異論がなくなることは、サロンの意味が変わってしまうともいえるからです。

それは読書の姿勢にもつながる話です。
社会を知るために読書するのか、自らの生き方を問うために読書するのか。
読書する場合、いずれの効用もあるでしょうが、主目的をどちらに置くかで、読む本も読み取り方も変わってきます。
そんな話もちょっとありましたが、いつか、「何のために読書するのか」というテーマでのブックサロンも面白いかもしれません。

もしいずれかの本を読んで、推薦者と話し合いたいという方がいたら、推薦者をご紹介しますのでご連絡ください。

10月のブックサロンは、予告通り、テーマを「日本古代史」に設定しています。関連図書を50冊、CWSライブリラリーで公開していますのでご利用ください。
50冊のリストは次のところにリストされています。
https://www.facebook.com/groups/3908195772765997/posts/4384551031797133
上記は決して網羅的ではないので、もしほかにお薦めの書籍があればぜひご紹介ください。

書籍は貸出していますが、日本古代史関係の本に限って、10月のブックサロン(下旬の予定)までに返却をお願いします。

 

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