■節子への挽歌6882:メンバーを自由にするのが家族の機能
節子
「Tシャツが乾くまで」というテレビドラマが話題になっています。
昨日が最終回。私もずっと観ていました。
いろいろ考えさせられるドラマなのですが、私が共感したのは、「家族」の捉え方です。メンバーを呪縛するのが家族の機能ではなく、メンバーを自由にするのが家族の機能ではないかと最近私は考えているのですが、そうすると結婚とか同居とか親子とか夫婦とかの意味が変わってきます。
そもそも「不倫」とか「しつけ」などという発想もなじみません。「血縁」もあまり意味がない。そもそも家族の核になる夫婦は血のつながりがありません。
こうしたことは、節子と一緒に暮らすなかで、実際に感じていたことですが、節子はもしかしたら「呪縛」されていたかもしれません。
とりわけ若い頃は、私にも呪縛されていたかもしれません。
今にして思えば、悔いることがあまりに多い。
ドラマの最後で、主人公がたまたまバスで隣り合わせた子供に、「大人になったら帰るところがたくさんできるから」と話す場面がありました。
考えさせられるメッセージです。
残念ながら私の場合、帰るところ増やせませんでした。
節子のことを思い出しながら、観ていましたが、もし節子が元気でいつづけたら、私たちはどんな夫婦になっていたでしょうか。
それが体験できなかったのが、ともかく残念です。
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