カテゴリー「妻への挽歌3」の記事

2008/06/28

■節子への挽歌300:「別の世界の人」になった寂しさ

今日は精神の健康の話です。
節子がいなくなってから、私の精神状況はかなり不安定です。
しかし、その不安定さは、たぶん友人が思っているのとは全く違うはずです。
どんなに親しい人でもこの寂しさはわかってもらえないだろうなと思う一方で、
日常的な意味での寂しさはほかの人が思うほどのものではないような気がします。
つまり、当事者でないとわからない、不思議な寂しさです。

先日、夫婦づきあいしていた同世代夫妻のご主人から電話がありました。
一度お伺いしたいと思っているのだが、悲嘆にくれている佐藤さんに何を話せばいいのかわからなくて、今日まで連絡できなかった、というのです。
その気持ちはよくわかります。
きっと私も同じ立場だったらそうでしょう。
事実、今でも電話できない友人がいます。

この種の話はいろんな人からお聞きします。
会いに来てくれた人がほとんど例外なく言うのは、「佐藤さんが思ったより元気でよかった」という言葉です。
そう言ってもらえるのはとてもうれしいのですが、
そんなに私は落ち込んでいると思われているのだろうかという、もうひとつの寂しさも感じます。
つまり、妻を亡くしたことで別の世界の人になってしまったというように思われているのかという気がするのです。

それが不満であるわけではありません。
実は自分自身も、「別の世界の人」になったと自覚しているのです。
そして、そのことが私の寂しさであり、その世界にまだなじんでいないための精神的不安定さなのです。
ちょっとややこしいですね。

ですから、こちらの世界で生きている場合は、さほど寂しくなく元気なのですが、
突然、「別の世界」に意識が跳んでしまうことがあるのです。
そうなってしまうと、途端に息苦しくなるのです。
意識が一変し、それまで話していたことが遠くに行ってしまうのです。
なんで自分はここにいるのだろう、というような感覚が高まってきます。
そして現世の言葉と違った言語感覚になってしまうのです。
目の前で談笑している友人の声がどこか遠くに聞こえだすのです。
なぜか大きな疲労感も全身を襲ってきます。

こうなるのは時々なのですが、多くの人が集まる会や楽しい会食時になりやすいのです。
ですからできるだけパーティや同窓会には参加したくありません。
周りの友人たちが、どこか別の世界の人に見えてくるのは、とても寂しいものなのです。
そんなわけで、節子がいなくなってから、同窓会的なものには一度も出ていません。
小学校も大学も、会社も同好会も、ぜんぶ欠席です。
いつになったら参加できるようになるでしょうか。

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2008/06/27

■節子への挽歌299:健康管理に少し気をつけるようになりました

節子
最近、ブログやホームページに、あまり体調が良くないことを書いたせいか、いろんな人が心配してくれます。
節子もきっとそちらから見ていて、心配しているかもしれませんね。
しかし、早くこちらに来てよと思っているかもしれませんよね。
そのあたりをどう考えればいいか、いつも悩みます。

根本さんはラジオ体操を勧めてきました。
近くに住む兄は一緒に健康診断に行こうと無理やり申込まされました。
若い友人たちから、身体には気をつけて下さいね。とよく言われますが、みんなとても心配してくれるのです。
最近、わが娘たちまでもがやけに親切なのです。

身体状況は必ずしも良いわけではありません。
軽い手足のしびれが続いていますし、頭もあまりすっきりしないことが多いのです。
一時は血圧が高く、下が110前後になっていたこともあり、さすがにお医者さんに行こうと思ったのですが、
そのうちにまた100以下に降りてきました。
先日書いたWii Fitで毎日トレーニングをしだしたので、最近は95前後で定着しだしました。
何のことはない運動不足だったわけです。

節子がいなくなってからの家族のストレスはかなり大きいのですが、
最近はそれぞれがストレスを消化しだしています。
そして、お互いにストレスを高めあう局面から支え合いで削減する局面に入っています。
Wii Fit は、そうした環境をいい方向に加速してくれています。

Wii Fitで盛り上がっている家族の様子を節子が見ていてくれるといいなと、思うと同時に、
ここに節子がいたら、もっと賑やかになるのにといつも思います。
3人ともどこかで節子を意識しながら、時々、節子の名前も飛び交っています。
節子がいたら、笑い転げて腸ねん転を起こすかもしれません。
それに節子がいたら、記録の最下位は必ずしも私が独占することにはならないでしょう。
体育会系好きのわりには、節子の運動神経もそれほどではありませんでしたから。

昨夜は久しぶりに家族3人で、時々みんなでいっていた近くのレストランで食事をしました。
節子がいた時ほど話が弾まなかったですが、
節子の名前は何回も出ていました。
何かとても奇妙な気持ちです。


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2008/06/26

■節子への挽歌298:「話しかける」ことは「聴きかける」こと

愛する人を失った時の話し方シリーズ第3弾です。

今日は立場を逆転させて少し書いてみます。
伴侶を失った人に、どう話しかけたらいいのかという話です。
自分が話しかけられる立場になって、いろいろと感ずることがあります。

人によって話しかけ方は大きく違います。
先日、道でお会いした近くのTさんは、こう話してきました。
お元気になられましたか。
無理ですよね。
まだ信じられないですよね。
とても素直に受け入れら、ついついいろんなことを話してしまいました。

実は、このように素直に受け入れられることは意外と少ないのです。
伴侶を失った人は、もしかしたら被害者意識が強すぎるのかもしれません。
いじけている可能性もありますし、見栄を張りたがっていることもあります。
まあ簡単にいえば、奇妙に言葉に過剰反応しがちなのです。
どうもこれは私だけではないようです。

話したくなる状況をつくる、これが会話の基本ですが、
節子との別れによって、そのことを改めて強く思い知らされました。
「話しかける」ということは、もしかしたら「聴きかける」(そんな言葉はないでしょうが)と言うことなのかもしれません。

節子との、この5年間で、ケアとかコミュニケーションについてたくさんのことに気づかされ、学んだように思います。
節子が身をもって教えてくれたのです。
にもかかわらず、最近の私は、どう考えても話しすぎのようです。
それはどこかに「不安」があるからかもしれません。
「沈黙」と「饒舌」は、どうやらコインの表裏です。
そのことにも気づかされました。

ところで、今日のテーマ、「伴侶を失った人にどう話しかけたらいいか」ですが、
たぶん一番いいのは、全く意識しないことです。
これまで通り、いつも通り、が、たぶん「正解」です。
中途半端な気遣いは、きっと逆効果になるでしょう。
子どもたちは大人の不誠実さを見抜く感性を持っていますが、
伴侶を失った大人も、それに似た感性を回復しているような気がします。
相手の心が直接、伝わってくるのです。

ですから、会わないのが一番いいかもしれません。
過剰感性化している「伴侶を失った人」はまさに「さわらぬ神になんとやら」です。
でも、たぶん「伴侶を失った人」は意識とは反対に会いたがっているのです。
そこがややこしいところです。

以前と同じように接して、別れ際に「ちょっと変わったね」と無意味な会話(意味を与えてはいけません)をするのがいいかもしれません。
今回書いたことは、私だけの特殊事例かもしれませんね。
でもまあ悩ましい問題です。
今日は、「愛する人を失った人への話し方講座」でした。
全く役に立たない講座で、すみません。

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2008/06/25

■節子への挽歌297:伴侶の死の語り方

最近、経験したことですが、初対面の同世代の男性と話していて、伴侶の話になりました。
いろいろと話しながら、結局は女房に頭があがらないし、女房が一番の支えですね、佐藤さんもそうでしょう、女房を大事にしないといけませんね、というようなことを言われました。
もちろん、その人は私が妻を亡くしたことなど全く知りません。
私は、そうですね、としか応えられませんでした。
そのため話の盛り上がりはちょっと砕けてしまいました。
実は最近妻を亡くして、などといえば、さらに話は冷えてしまったかもしれません。

妻の死を知っている人と会った時、ついつい節子の気丈な闘病振りを話してしまったことがあります。
まさに告別式のあいさつで話したようなことを話したのですが、その人はたぶん戸惑ったことでしょう。
節子を見送った後、私は見境なく、みんなに節子の話をしました。
「お父さんは詳しく話すけど、みんなは戸惑うよ」と娘によく注意されました。
節子のことを少し話し出すと、今でも途中で止まらなくなるのです。

何回か引用させてもらった「あなたにあえてよかった」の大浦さんが、こうメールしてきました。

「娘の悲しいできごとを、よく公開できますね」と言われたことがあります。
「甦るために私は死ぬのだ!」との郁代の声を確かに聞きながら本を書きました。
「郁代!あなたを決して死なせない!」との思いでした。
元気な時もそうでしたが、亡くなっても強い意思が伝わってくるのです。

大浦さんの場合は伴侶ではなく、娘さんでした。
ですからなおのこと大浦さんの思いは、私には共有できるはずはありませんが、この気持ちはとてもよくわかります。
共有してはもらえないとしても、話さずにはいられないのです。
大浦さんのお気持ちがよくわかります。

しかし、そうした話を聞かされた時、どう応えればいいでしょうか。
これは難問です。
もし聴く側にまわったら、私はたぶん応えられないだけでなく、引いてしまうかもしれません。
にもかかわらず、話す側の私は時に話してしまうわけです。
その気持ちの根底には、節子のことをもっと知ってほしいという気持ちがあるのです。
節子のことを知るはずのない初対面の人にさえ、節子のことを知ってほしいという、おかしな気持ちさえ出てくるのです。

愛する人を失った人は、やはりちょっとおかしくなっているのでしょうか。
でも愛する人を失うということは、おかしくなってもおかしくないくらいの、事件なのです。
失ってからでは遅いのです。
みなさんも、愛する人をしっかりと守ってやってください。
守れなかったことの挫折感は、たとえようもなく大きいです。

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2008/06/24

■節子への挽歌296:愛する人の死についての体験は他の人と共有できるか

一昨日、せっかく献花に来てくださった田辺さんと節子のことを話さなかったことがちょっと気になりましたので、それに関することを今日は書きます。

伴侶を失った人は、伴侶の死についてどう話したらいいのか。
話されたほうは、どう対処したらいいか。
これは難しい問題です。

愛する人の死についての体験は、たぶん決して他の人とは共有できません。
なぜかといえば、愛する人との関係は特別だからです。
「愛する人」を喪失しただけではなく、その関係、つまり自らの生活の大きな部分が喪失してしまったのです。
愛する人を失った人にとって、それは個人の死ではなく、関係の死、それまでの人生の終わりでもあるのです。
そのことを、他の人と共有できることが出来るはずはありません。

わが家の場合、娘が2人いますが、娘たちもまた「愛する母親」を失いました。
節子を愛していたという点では、私と同じかもしれませんが、関係はそれぞれに違います。
ですから、私は決して、娘たちの気持ちを共有化できませんし、娘たちもまた私の気持ちを共有化できません。
それぞれ微妙に違うのです。
どちらが悲しみが大きいとか深いとかいう話ではありません。
質が違うのです。
大きなところではわかりあえ、支えあえますが、どこかで違いをそれぞれ実感しているように思います。
ですから家族同士でも、愛するものの死について話すのは必ずしも簡単ではありません。
私たち家族の中では、よく「節子」の名前は出ますし、節子の思い出は語られますが、お互いにあまり深入りはしないような気がします。
というよりも、できないのです。
深入りすると、思いの違いが見えてくるという不安もありますし、それぞれがせっかく再構築してきた平穏を崩してしまう可能性もあるからです。
何だか誤解されそうで、「冷たい家族だな」と思われそうな気がしてきましたが、私たち家族の中では今もなお、節子が生きていることは間違いない現実でもあればこその話かもしれません。

書こうと思っていたことと違う方向に話が進んでしまいました。
家族間の話ではなく、友人知人、あるいは節子を知らない人との「伴侶の死」もしくは「伴侶」の話をすることを書こうと思っていたのですが、書きながら考えるタイプなので、違う話になってしまいました。
日を改めます。

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2008/06/23

■節子への挽歌295:私にとっては存在しない日の記憶画像

節子
昨日は田辺大さんが我孫子まで献花にきてくれました。
田辺さんは盲ろう者の働き場づくりに取り組んでいる社会起業家です。
節子とは話をしたことはないかもしれませんが、「手がたりの田辺さん」といえば、節子は思い出すでしょう。
時々、私たちの間でも話題になった人ですから。

節子のお通夜は、ちょうど田辺さんの活動がテレビかラジオで紹介される時間だったのではないかと記憶しています。
にもかかわらず田辺さんは来てくれました。
一言だけ話を交わしましたが、その時の様子を今でもなぜか鮮明に覚えています。
あの時は大勢の人にお会いしましたが、私自身、気が動転していたはずなのに、なぜかその日会った人たちの様子が映画の画面のようにはっきりと思い出されるのです。
しかも、不思議なのですが、それぞれが「その人らしく」動いているのです。

たとえば、某企業のIMさん。
まさか彼が来るとは思ってもいませんでしたが(伝えていませんでしたので)、告別式の日、IMさんが私を送ろうとしてウロウロしている風景が頭に焼き付いています。
IMさんとは一言も話していませんが。
我孫子に住むMさん、あるいはユニバーサルデザイン関係のNPOをやっているOさんもリアリティのないままに、その姿だけは鮮明に残っています。
2人ともなぜか所在なげにウロウロしているのです。
はしゃいでいるように見える友人知人の顔の映像も残っていますし、
その反対に、硬直して言葉を失っている友人の表情の残像もあります。
そしてそうした様々な姿に対応している自分の姿も、見えているのです。
はしゃいでいる人にははしゃぎながら、
硬直している人には硬直しながら、
ウロウロしている人にはウロウロしながら。
もっとも、それらが「実像」なのか、私が勝手に創造してしまった「虚像」なのか、必ずしも自信がありません。
節子と別れた日の記憶は、私にはとても不思議なことばかりなのです。
あの2日間は、私には本当は存在しない日なのかもしれません。

それはともかく、田辺さんはずっと気にしてくれていたのです。
今日、突然電話がかかってきて、これから行ってもいいかというのです。
雨の中を節子が好きそうな白い花を持ってやってきてくれました。
節子の話をするのがなぜか辛い気がして、節子の位牌の前で全く節子とは無縁の話をしてしまいました。

田辺さんを見送った後、節子のことを少し話せばよかったと後悔しました。
昨日はもう1人、節子が知っている若者も訪ねてきてくれました。
彼とも節子の話を全くしなかったことに、いま気づきました。

節子のことを話すのは、実は結構難しいのです。
何を話せばいいのでしょうか。
それに話しだすと止まらなくなるおそれもあります。
だから節子のことを話さないでもいいように、他のことを急いで話してしまうのかもしれません。
困ったものです。

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2008/06/22

■節子への挽歌294:愛する人の存在がこの世から消えてしまうのは耐えられません

先日、「あなたにあえてよかった」の本を送ってきてくださった大浦さんは、
このブログの98「節子と世界のどちらを選ぶか」を読んで「私の気持ちそっくりそのまま」と思われたそうです。

大浦さんに

本はまだ読める状況にはありません。
少し読み出したら、不覚にも涙がとまらなくなり、やめました。
でも必ずいつか読ませてもらいます。
少し時間をください
とメールを書いたら、返事が来ました。
1周忌に合わせ本が出来上がったとき、
郁代の友人の多くから佐藤さんと同じ感想を頂いたのでした。
ですから、まだ日も浅い佐藤さんにお送りすること、本当はためらったのですが、
「節子の挽歌」を読ませて頂いているお礼にと思いました。
郁代は誰とでもすぐに仲良しになる子でしたから、
今ごろは節子さんと楽しく笑いあっているに違いありません。友人の手紙を本に載せるということは、
「一人ひとりの了解を得る作業」が必要になります。
見知らぬ外国の方と連絡を取り合うのは、1年以内でないと無理だろうとの思いから、必死になって取り組んだわけです。
倒れそうになりながら・・・。
その状況がよくわかります。
CWSコモンズのほうに書かせてもらいましたが、
愛する人が真剣に生きていたことを一人でも多くの人に知ってほしい。
愛する人のことを思い出してくれる人がいてほしい。
愛する人を亡くした人はみんなそう思うのです。
大浦さんは、最近のメールでこう書いています。
多くの方に郁代の人生を知ってほしいですから。
郁代の存在がこの世から消えてしまうのは耐えられませんから。
まったくそうなのです。
愛する人がこの世から消えてしまうことなど、思いもできないのです。
私はいまなお、節子がこの世からいなくなったことを受け入れられずにいるのです。
たぶんこの感覚は、私が生きている以上、続くのだと思います。

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2008/06/21

■節子への挽歌293:気楽に行こう、自然体で行こう2

昨日の時評編の続きです。
愛する人を失ったような、大きな環境変化を起こした人は、どう生きたらいいのか。

それ以前の「生き方」を忘れるのがいいかもしれません。
新しい環境の中での、新しい生き方を見つければいいと言うことです。
かつてのような意味で、「きちんと生活」する必要もなければ、無理して元気になる必要もないわけです。
「いつまでも悲しんでいないで、前向きに元気になっていかないと亡くなった妻も悲しむ」などと考える必要はありません。
悲しければ悲しむのがいいですし、元気が出なければ無理にだすこともない。
立ち上がれなければしゃがんでいたらいい。
それこそが「きちんとした生活」なのだと思えばいいのです。
そしてそれこそが、愛するものたち(自分も入ります)への鎮魂なのです。

これはもしかしたら、メンタルヘルス問題に通じています。
ちょっと変わった子が、発達障害などいうレッテルを貼られたり、
とても素直に生きている子が知的障害と考えられたりしてしまうことのマイナスも考えなければいけません。
人の生き方は単一ではありません。
異質な事象を分類し、名前をつけるのも、近代社会の特徴ですが、
それに縛られてしまっては本末転倒です。

なんだかまた時評編になってきてしまいました。
今回、書きたかったことは、環境が変化したら思い切り戸惑えばいい。
それは当然のことであり、以前の状況に戻ろうなどと思わなくてもいい。
そういうことです。
心療内科に行かなくてもいいのです。
精神が不安定で気が萎えていること。それこそがきっと正常なのでしょう。
伴侶を亡くして、おかしくならないほうがおかしいのです。
おかしくなっても、必ずいつか伴侶が治してくれるでしょう。
生前から、そうやってお互いに支え合ってきたのですから。

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2008/06/20

■節子への挽歌292:気楽に行こう、自然体で行こう1

上原さんのコメントを読んで以来、「立ち上がれない日々」のことを考えていました。
この言葉は、たぶん私も何回か使った言葉ですし、私の実状を的確に表現しているのですが、なぜか気になりだしました。
上原さんのコメントにもう一つ「きちんと生活」という言葉があったのがあ、そう考えだすきっかけでした。
私は「きちんと生活」しているのだろうか。
いや、どうして「立ち上がろう」としているのだろうか。
節子がいないいま、「きちんと生活」とはどういう生活なのだろうか。
気になりだすと、疑問は次々と広がります。
これが私の悪癖のひとつです。
まあ、自分では気に入っている癖なのですが。
もっとも節子ならば、きっと「また問題を難しくしているわね」と一笑に付すでしょう。

コメントへの私の回答に、

立ち上がれなくてもいいのかもしれません。
最近はそう開き直っています。
と何気なく書いたのですが、そこに答があるかもしれないと気づきました。

以前に比べて私の生活スタイルは一変しています。
これがいまの「立ち上がり方」であり、「生活の仕方」なのだと考えれば、気が楽になります。
私の信条は、Take it easy(気楽に行こう、自然体で行こう)です。
それを忘れていたのではないかと気づいたわけです。

まあ、日によって、重く沈んだり、気楽に前向きになったり、このブログも不安定ですが、
それこそが自然の生き方と考えればいいわけです。
愛する人、大切な人を失ったら、世界が変るのは当然です。
それまでのような生活はできなくなるのも当然です。
でも私たちは、きっと以前のような暮らしや元気に戻らなくてはと思うように仕組まれているのでしょう。
いわゆる生命体のホメオスタシス(恒常性維持機能)が、意識面でも作動しているのです。

ホメオスタシスは、「生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質」(ウィキペディア)で、それが、生物が生物である要件のひとつであるとされています。
つまりこれがないと生物は時々刻々変化する環境のなかでは存続できないのです。
しかし、このホメオスタシスが、意識体としての人間を逆に迷わせているのかもしれません。
その結果が、昨今のメンタルヘルス問題かもしれまいと思い出しました。

問題はどうも「挽歌編」を超えだしました。
続きは「時評編」に書きます。

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2008/06/19

■節子への挽歌291:節子にメールが届いていました

節子
久しぶりに節子のメールボックスを見ました。
なんとメールが届いていました。
昔、お近くだった村岡さんからです。
実は村岡さんがこのブログに投稿してくださったのでわかったのですが。

節子のメールアドレスは、いまもそのまま残しています。
解約する気にはなれないのです。
村岡さんからのメールは、よく見たら私宛になっていました。

本日、河島様とご一緒にお墓参りをさせて戴きました。
暫し、節子さんと会話し、河島さんとは思い出話をしてきました。
あのカサブランカは、このお2人が供えてくださったのです。
村岡さんに電話させてもらったら、こんなうれしい話をしてくれました。
「節子さんは、ご自分が病気で大変なのに、私のことをいつも心配してくれていました。
やさしい方でしたね。」
とてもうれしくて、涙が出そうになりました。
親ばかならぬ、「夫ばか」といわれそうですが、節子がほめられると、たとえそれが誤解であろうととてもうれしいのです。
いえいえ、節子がやさしかったのは、たぶん事実です。
元気を出して話していたら、
「ご主人は元気そうですね」と言われてしまいました。
まあ、元気なのですが、何だか節子に悪いような気がしてしまいました。

「あなたにあえてよかった」の大浦さんから、こんなメールが届きました。

娘が言った言葉が思いだされました。
「お母さん、病気をして良いこともあったよ。
弱い立場の人の気持ちがよくわかったわ。
節子もそうでした。そして私もそのお裾分けをしてもらいました。
ですから、節子は自分が病気で大変だったからこそ、みんなにやさしくなれたのです。
村岡さんの言葉に戻れば、
「自分が大変なのに」ではなく、「自分が大変だからこそ」、村岡さんのことが気になったのです。
節子の身近にいて、そして節子と生活を共にしていて、節子ほどではないですが、私も少しやさしくなりました。
たぶん、ですが。

河島さんにもお電話しました。
ご主人が出ました。
なんとその後もご夫妻でお墓参りしてくれたのだそうです。
またまたうれしくて、感激してしまいました。
節子はほんとうにいい人たちに囲まれていたのです。
それで、もしかしたら神様に嫉妬されたのかもしれませんね。

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