カテゴリー「危うい話」の記事

2017/10/01

■上高地での不思議な人に会いました

娘と一緒に上高地へのバスツアーに参加しました。
妻とは2回ほど行ったところですが、妻がなくなってから初めてです。
天気に恵まれました。

そこで不思議のことがありました。
フェイスブックに報告したのですが、不思議なことが起きたのです。

上高地の大正池から田代橋に歩いていると道に何となく場違いの人が立っていました。
近づくと、かっぱ橋はどっちですかと訊かれました。
こちらの方に2キロほどだと教えました。
そこで別れました。
ところがそれから1時間後、なんと今度はかっぱ橋の先のビジターセンターから出てきたら、その人がどこからともなく現れて、バスターミナルはどこですかと訊いてくるのです。
あまりの偶然に驚いて、先程もお会いしましたねと言いましたが、無視されました。
そこでしかたなく場所を教えましたが、どう考えても不思議です。もしかしたら神さまだったかもしれないと写真を撮りました。
後姿ですが、神様みたいでしよう。

Photo_2

私が不思議に思ったのは、まず最初のことです。
そこは一本道でした。
ですからその人はどちらかから歩いてきたはずですが、まっすぐ前を向いて歩けば、いいだけの話です。
方向を尋ねることもありません。
第2に、歩き方がゆっくりしていて、そこから1時間、かなりの速さで歩いた私たちに追いつくはずがありません。
第3は、2回目に出会ったところは河童橋から明神池に向かう、さらに先にあるビジターセンターです。
あまり人は行きません。
ところがその人の歩いている向きは、ビジターセンターから橋に向かう方向でした。
それに河童橋界隈は、たくさんの観光客でにぎわっています。
私はバスツアーで行きましたが、同じバスの人にさえ、会いませんでした。

私を追いかけてきたと考えてもおかしくないのです。

次に雰囲気ですが、大変失礼な表現ですが、まったく生気がないのです。
声のかけ方も、ゆったりしていて、反応が弱いのです。
もし自宅の近くでこの人に会ったら、心配して見守りたくなる感じです。
荷物はビジネスバックとビニール袋です。
それもいかにも場違いです。

私から答を聴いた後は、私が指差す方向にトボトボと歩きだしました。
たくさんの人がいましたが、何の反応もなく、風景を見るでもなく、トボトボと。
最後まで見送ればよかったのですが、もしかしたら途中で消えてしまったかもしれません。
その後、少し遅れてバス停に行きましたが、たくさんの人が並んでいましたが、その人はいませんでした。

まあこんなことを書いても、たぶん伝わらないでしょうが、実に不思議な気持ちになったのです。

まあそれだけのことなのですが。


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2016/02/20

■四天王像が一列に並んでいるお寺をご存じないですか

非常識な疑問なのですが、どうも気になって仕方がないので、もしかしたらと思っての投稿です。
よほどお暇な方はお付き合い下さい。
そしてもし何かご存知でしたら教えてください。

一昨日、大阪の数十年ぶりに四天王寺を訪ねました。
ところが金堂の須弥壇の四天王像の配置が、記憶と全く違うのです。
私の記憶では、(常識的にはあり得ないことなのですが)、四天王像が須弥壇の4隅ではなく、たしか左前方に一列に並んでいるのです。
そんな配置は、常識的に考えても、あるはずがありません。
しかし、私の記憶では、そのあるはずもない配置なのです。
その異様な配置に驚いたのですが、ある理由で納得したという記憶が残っているのです。
ところが今回金堂も拝観させてもらったのですが、まったく正常な配置になっていました。
受付の人に恥を忍んで質問しましたが、もちろん以前からこの配置だそうです。

以前、その印象が強烈だったので何かに書き残した気がして、帰宅後、いろいろと調べてみましたが、そんな記録は出てきません。
資料や文献も調べましたが、そうしたものにもまったくそんな記述はありません。
もしかしたら夢の記憶なのかとも思いますが、かなり以前からその記憶があって、いつか再訪してみたいと思っていたのです。
記憶違いだと思えば、なんでもない話ですが、どうも気になります。
もしかしたら、四天王寺ではなかったのかもしれません。

どこかに、四天王像が四方に配置されずに、一列に配置されているお寺をご存知の方がいたら教えていただけないでしょうか。
どうも気になって、仕方がありませんので。
何かご存じの方は、次のところにメールをいただけるとうれしいです。
qzy00757@nifty.com

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2015/04/28

■シンクロニシティの頻発

最近、私のまわりの時空間が少し乱調しています。
というと大げさですが、ともかくシンクロニシティ現象ともいうべき「偶然の一致」が頻発しているのです。
挽歌編には何回か書いてきていますが、改めて書き留めておこうと思います。

たったいま、友人のSさんから電話がありました。
「その人でしたよ!」というのです。
話はこうです。
松本清張原作の「砂の器」の映画に亀嵩という地名が出てきます。
その映画を観た翌日、Sさんと食事をしたのですが、彼が今度亀嵩への転居を考えているというのです。
連日、亀嵩の名前に出会ったので、驚いたのですが、そこから様々なシンクロが始まりました。
1週間後にある集まりをやりました。
大阪の岡崎さんが話に来てくれました。
岡崎さんもまもなく転居です。
転居先はどこかと訊いたら、「亀嵩」というのです。
しかも、話していたら、岡崎さんの友人の友人も亀嵩に移るかもしれないというのです。
その話をSさんにしたら、Sさんのパートナーの知り合いも亀嵩に移るそうだというのです。
何やらこんがらがってきますが、実は岡崎さんとSさんは3人を通してつながっていたのです。
それがわかって、Sさんは「その人でしたよ!」と電話してきたのです。

岡崎さんは、5年ほど前のある集まりに参加したのが契機になって、人生が変わりました。
その集まりに参加したのが山梨にお住いのHさんです。
私は直接の面識はありませんが、その集まりの受付係でした。
Hさんはメールで申し込んできましたが、申し込みを受理した返信を私は送っていました。
5年以上がたちましたが、お互いに交流はありませんでした。
1週間ほど前に、Hさんから私にメールが届きました。
アドレス違いの間違いメールでした。
そこで間違って私のところに来たことをお知らせするとともに、どうして私のアドレスを知っていたかをお尋ねしました。
それで5年前の集まりに参加したことを知ったのです。
それで岡崎さんが話される集まりのことを伝えしました。
Hさんはわざわざ山梨から参加してくれました。
たまたまの偶然とはとても思えません。

数日前、フェイスブックに「知り合いではありませんか」と見覚えのある人の写真が出てきました。
もしかしたらと思い、Tさんに確認のメッセージを送りました。
ちょうどその時、ある会議の話題で、Tさんは私のことを思い出していたところだったのです。
「なんというタイミング!」と彼女はすぐにメールしてきました。
彼女は北九州市の市役所の職員ですが、その話を3階上にいる私と共通の友人のNさんに連絡しました。
Nさんは来週東京の湯島に立ち寄りたいと数日前に私に連絡してきたのです。
Nさんはすぐさま3階下に降りて行って、彼女といろいろと話したそうです。
Nさんは「何かの計らいのような気がしています」とメールしてきました。

TさんとNさんと私の共通のキーワードは「コミュニティ」と「共創」です。
もう10年以上前に、山形市で「全国地域づくり先進事例会議」を開催しました。
始まりは当時の山形市の日本青年会議所の五十嵐さんと私との雑談から始まりました。
テーマは「共創」。
私の記憶に残る集まりのひとつでした。
五十嵐さんから5月に湯島に行きたいと連絡が入りました。
なんで今なのか?
亀嵩から北九州市の動きは、山形に飛び火しました。
きっとまた何かが起こるでしょう。

長々と書きましたが、こんなことが周りで起こっているのです。
湯島のオフィス近くの階段を上がりきって、前を見たら、先方で手を振っている人がいました。
なんと知り合いのTさんでした。
大昔の本を読み直していたら、なぜかその本の話題が、先週は3回も出てきました。
などなど。
きりがないとは言いませんが、とても偶然などとは思えないのです。

最近はやけに疲れやすくて、時にあっという間に時間がたってしまいます。
きっと私のまわりの時空間にひずみが出ているのでしょう。
そう考えると、すべてが納得できますし、何もしなくても安心できます。
明日は何が起こるでしょうか。

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2015/04/24

■節子への挽歌2777:シンクロニシティが続いています

節子
先日、シンクロニシティについて書きましたが、その記事を読んだ北九州市の佐久間さんがご自身のブログで、それを取り上げてくれました。
最初は、津波の夢の話ですが、後半の「シンクロ」の記事を取り上げてくれています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+tenka/20150423/p1

津波の夢の話は、私のブログでは書いたことはないのですが、佐久間さんに前に話したことがあり、今度見た夢があまりに鮮烈だったのでついつい佐久間さんにメールしたのです。
佐久間さんのメールには書きませんでしたが、そして誰にも話していませんでしたが、今度の夢で見た風景は実は月面での風景のような気がしました。
同時に、冥界のような気もしました。
そして、なぜかその冥界がとても貧しい山村につながっていたような気がします。
そのあたりはあまりはっきり思い出せないのですが。

まあそれはともかく、昨日、また「シンクロ」が起きたのです。
それも北九州市がらみです。
それでこれもついつい佐久間さんに伝えたくなって、メールしてしまいました。
こんな内容です。

2003年に、小倉北区でまちづくりトークライブをやったのですが、
その時、その企画をしていた高橋さんの写真が、昨日、私のフェイスブックに、「知り合いではありませんか」と出てきました。
フェイスブックには、そうした仕組みがあるのですが、いつもはほとんど知らない人です。
そこで、高橋さんにメッセージを送りました。
そうしたら、こんなメールが届いたのです。

 本当に懐かしく、そして嬉しい気持ちで一杯です。

 今、北九州は新緑の綺麗なさわやかな季節。
 今週は特に天気の良い日が続いており、
 市役所横の紫川と桜並木の新緑を見ながら昼休みの散歩を楽しんでいます。
 
 今日連絡をいただいて、とても驚いたんです!
  
 実は昨日出席した会議の委員さんから「共創」という言葉が出てきて、
 佐藤さんのことが頭に思い浮かんだばかりだったのです。
 すごいタイミングだと思いませんか?

おやおや、またかと思いました。
ちなみに、「共創」という言葉は、私が会社を辞めて、コンセプトワークショップを創った時の理念なのです。
すでにその前から「共創」という言葉はあったかもしれませんが、当時調べた限りでは見つかりませんでしたので、私が勝手に造語したのです。
まあそんなことはどうでもいいのですが、
1997年に、北九州市で全国地域づくり先進事例会議が開催された時、私は「住民と行政との共創による地域づくり」をテーマに分科会を持ちました。
たぶん行政や地域活動に関して「共創」とい言葉が使われた最初でしょう。
高橋さんは、たぶんその「共創」という言葉に共感してくれたのです。
そして、小倉北区役所に異動になった時に、まちづくりトークライブを企画し、私を呼んでくれたのです。
その様子はいまもホームページに残っていることを高橋さんは教えてくれました。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000028095.pdf

実は、そのメールが来る前に、社会教育の関係者と新しい社会教育プロジェクトを、まさに「共創」するミーティングをやっていたのです。
5月1日に北九州市の市役所の人が湯島に来たいというメールも前日に届きました。
それも何年ぶりかのメールでした。
他にもまだちょっとしたシンクロニシティが起こっているのです。

ともかくいささか不思議な気分になって、佐久間さんに今朝またメールしたのです。
最後に余計な蛇足をつけてしまいました。

シンクロニシティは起こりだすと際限がなく、どこをどう発展させるかですね。 私の場合、いつも途中で動かなくなるので、なかなか発展はしなくなりますが。
佐久間さんからやはり返信がありました。
佐藤さんも、ぜひ、北九州にお越し下さい! それが宇宙からの贈り物であるシンクロを止めないことだと思います。
さてどうしましょうか。 前々回は、こうして誘われたところに行くのを止めたためにシンクロは止まったのです。 あの時、もしそこに行っていたら、私の前世のことが分かったかもしれません。 今度は来世を見るシンクロでしょうか。 行くべきか止めるべきか。 もっとも今回は、まだ場所の啓示は降りてきていないのですが。

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2010/04/02

■節子への挽歌943:写真の節子のシワが増えました

今日もちょっと危うい話です。

最近、気づいたのですが、仏壇に置いている写真の節子が、以前よりもシワが増えてきています、
写真ですから変わるはずはないと思っていましたが、確かにそう見えます。
昔は、今よりもシワが少なく、もう少し美人だったような気がします。
写真のなかでも、人は歳をとるものなのです。

そんなバカな、と思うかもしれません。
スピルバーグの映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には、そんな場面がよく出てきましたが、現実にはそんなことがあるはずがないといわれそうですね。
でも、それが現代人の退屈なところです。
どうしてそんなことがないと断言できるのか。

デジカメの写真なので、パソコンで原画を見ることができますから、それを見たら最初からシワがあったかどうかわかるだろうというかもしれません。
しかし、その原画やデジカメの電子データのなかでも節子は歳をとっているかもしれません。
確かめようはないのです。

みなさんは、鏡に映っている自分の姿を見て、それが自分とちょっと違うことに気づいたことはありませんか。
私はよくありますが、それだって同じかどうか証明などできないでしょう。
鏡の中の自分が、勝手に動き出すことがあっても、私は決して驚きません。

思い込みを捨てると、世界は途端に自由に動き出します。
そこで生きるのはけっこう疲れますので、みんな思い込みを大事にしますが、時には捨てることもいいものです。
こういう話は、最初に節子と奈良を歩いた時から、よく話していました。
奈良や京都は、私にとっては時空を超えた磁場だったのです。
最初は戸惑っていた節子も、そのうちに慣れてきました。
まあ聞き流す術を身に付けただけかもしれませんが、でも節子は否定はしませんでした。
今頃は、私の話していたことが正しかったことを知って、さすが修さんと思っているかもしれません。
残念ながら、その反対であることもありえますが。

さて、写真の中の節子に戻りましょう。
シワのない写真に変えようかと思います。
その写真もまたシワが増えていくかもしれません。
もしそうならば、シワが増えるのにまかせましょう。
それがきっと、節子の望むことでしょうから。

ちなみに、昨夜は節子からの音のメッセージはありませんでした。

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2007/08/30

■もしかしたら「危うい話」

「少し危うい話」「かなり危うい話」を以前書きました。
今回は「もしかしたら危うい話」です。

私は静電気を帯びやすい体質です。
空気が乾燥している冬季には、車や玄関のドアを開けようとすると火花が出て、身体にかなりの衝撃を受けるので、怖さを感じます。
身体の一部が振動し、静電気を放出しているのではないかというような気になることもあります。
音すら感ずることもあります。
時には自分は電気仕掛けのアンドロイドではないかと思うことさえあります。
やや思考回路に欠陥があるアンドロイドですが。

静電気はたぶん生命エネルギーにつながっていると思いますが、そうした静電気が念力につながらないものかといつも思っています。
これまでいろいろと試みたことはありますが、残念ながらまだ効果を確認できません。

女房のがんが再発して以来、いろいろと挑戦をしています。
私にもし念力があれば、女房を元気にできるはずです。
呼吸が苦しい女房の胸に手をかざして、全宇宙のエネルギーを自分に集中させると、数分で私の手の甲が温かくなってきます。
そこで女房の患部に向けて、放出するわけです。
一度だけ、ちょっと呼吸が楽になったといわれましたが、その時以外は、苦しんでいる女房からそんなことよりマッサージをしてほしいといわれてしまっています。
そこで彼女に気づかれないようにやっていますが、残念ながら効果がでてきません。
時には女房から手で払われることすらあります。困ったものです。
しかし、手で払われるということはきっと何がしかの念力が出ているわけです。

女房がお腹のガスが出なくて苦しんでいる時にも同じように手かざしで念じました。
エネルギーを集中するのは結構大変で汗びっしょりになります。
その時もそうでしたが、おならが出たのは女房ではなくて私からでした。
力が入りすぎたのです。いやはや、女房からは笑われてしまいました。
ガスよりも笑いのほうが癒し効果はありますので、まあこれは成功です。
しかし念力の効果はなかったわけです。困ったものです。
そんなことで、女房からも家族からも私の念力は信頼されていませんが、繰り返すことによってパワーアップできるかもしれません。

最近は光明真言を唱えています。
最近ようやく本気で唱えることができるようになりました。
きっとそのうち、効果が出てくるでしょう。

人間には誰にも念力があるはずです、
すべての生命は宇宙につながっており、その生命力の源泉は宇宙です。
宇宙は無限に広がっていると同時に、インドラの網のように個々の生命体のなかに凝縮されています。ですから宇宙の全エネルギーは、本来、個人の身体にも宿っているのです。
その念力を思い出さなければいけません。
仮に私が出来の悪いサイボーグだったとしても、宇宙のエネルギーの一翼を担っているとすれば、必ず念力は持っているはずです。

いつもと違い、不真面目の記事だと思われるかもしれません。
そんないい加減な看病をしているのかと呆れられるかもしれません。
しかし、不真面目でもいい加減でもなく、私は極めて真剣に念力開発に取り組んでいるのです。

念力が奏功して、女房の元気が回復することを心底目指しています。
ですから、みなさんもぜひ私にエールを送ってください。
みなさんからの念力が私の力不足を、きっと補ってくれるでしょうから。
さて今日も汗をかきながら、念力を試みます。光明真言を唱えながら。
あまり皆さんには見せたくない姿ですが。

ちなみに、「もしかしたら危うい話」とタイトルをつけましたが、その意味は、この記事を読んだ人が、「もしかしたら」私を「危うい人」と考えて、このブログの説得力が一挙に瓦解する「危うさ」があるということです。
まあ、もともとこのブログには説得力などないよという人が多ければ、これは杞憂におわるのですが。はい。

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2007/05/24

■かなり「危うい話」

先日、「ちょっと」危うい話を書きました。
今日は一歩進んで、「かなり」危うい話です。
どこかに書いたことがありますが、今から10数年前に、前世の友人から手紙が来ました。
その人は前世で私と親しかったようです。
岩手山によく一緒に登ったことがあるそうです。
その時に、来世のある時期が来たら、会いに来て、前世のことを話してくれと私が頼んだのだそうです。

そして約束通り、彼はやってきてくれました。
私がまだ会社にいたころです。
電話で会いたいといってきました。
どうして私のことを知ったのでしょうか。今では全く記憶がありません。
とにかく突然やってきて、付き合いが始まりました。
数年後、そのことを手紙で伝えてきたのです。
そして、前世を思い出すヒントを私にくれました。
それはある場所に行くことでした。
私はちょっと迷ったのですが、行きませんでした。

ところが、数か月後、全く別の友人から、その場所の近くに転居するという電話がありました。
なぜ私に電話してきたのか、わかりませんが、電話してきたのです。
ちなみに、その2人は全く面識がないはずです。
偶然だったのでしょうか。そのころ、ともかくいろいろなことが、その場所を示していました。
たくさんのシンクロニシティが起こっていたのです。

それでも私は行きませんでした。
その話を信じなかったからではありません。
こだわりがあったわけでもありません。
前世を思いだしたくなかったからでもありません。
単に行かなかっただけです。
もしその時、そこに行ったら、前世が思い出され、人生は変わっていたかもしれません。

そして、また10年以上が経過しました。
その前世の友人は、もちろん今でも付き合いがあります。
私のホームページにも何回か登場しています。
今では会っても前世の話はしません。必要ないからです。

ところで、その前世の話を軸にして、私のこれまでの人生を振り返ると、
いろいろと面白い解釈ができることがたくさんあります。
奇妙に自分の人生が納得できるのです。
人生は、だれにとっても、自分が主役のひとつの物語です。
それをどんな物語にするかによって、これまでの生き方の意味が変わってきますし、
これからの生き方も変わっていきます。
この話は、私にひとつの物語のテーマを与えてくれたのです。
もしかしたら、前世の私はそれを期待して、彼に伝言を頼んだのかもしれません。

前世の友人から教えてもらった場所が今でもあるかどうかはわかりません。
もう10年以上が経過しているからです。
でもそろそろ行ってみてもいいかなと思い出しています。
今生への未練はいまやほとんどありませんし、来世も少し見えてきたからです。
来世で、このブログに出会えるかどうか、それが少しだけ気になりますが、きっと出会えるでしょう。
もっとも来世は人間ではなく、蛙かもしれませんが。

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2007/05/17

■少し「危うい」話

みなさんは死後の世界を体験したことがあるでしょうか。私の友人には3人ほど、臨死体験した人がいます。
みんなその時に同じお花畑を見てきたという話で盛り上がったことがありますが、今日の話題はそうした話ではありません。
私の体験談です。

いまから10年ほど前なのですが、自分が死んだ後の現世の風景を2回見ました。
いや、正確には、見た気がしています、というべきでしょうか。
一度は私のオフィスの近くの湯島です。
いつものように歩いていると何か奇妙にあたりから人の気配が消えました。
そしてそこに私が子どもの頃によく見かけた質素な服装のおばあさんと2人の幼子が遊んでいるのです。
なにやら自分の存在が実感できずに、遠くからその光景を見ているような気がしました。音がないのです。ほんの数秒の話ですが、とても奇妙な感じでした。
しかし、なぜか立ち止まらずにそのまま歩き続け、3人は視界から自然と消えました。
その時はちょっと奇妙な感じだけでした。
ところが、そのたぶん数日後、同じ風景に出会ったのです。
私の記憶では、場所は大阪の梅田です。
なぜか記憶があいまいなのですが、少なくとも湯島ではありません。
同じ3人が、同じ服装で遊んでいるのです。
神仙に遊ぶような雰囲気でした。
なぜかそれに疑問を感ずることなく、通り過ぎました。
その数日後、その光景が思い出されて、とても奇妙な気持ちになりました。
ありえない話ですから、すべては私の夢かもしれません。

これはずっと気になっている体験です。
なぜか、その一瞬の風景は、私の死後の、湯島や梅田の風景のような気がしてなりません。

1週間前、近くのスーパーに娘と買い物に行きました。
その時に、この体験が急に頭をよぎりました。
私が死んだ後も、このスーパーは同じようににぎわい、そこに行く途中の街並みは何の変化もないのだろうという感慨が沸き起こりました。
3人組を探しましたが、見つかりませんでした。
しかし、なにか私が死んだ後のスーパーの店頭のような気がしました。
一瞬だったのですが。
人は60代になると死語の世界とつながっていくのかもしれません。
最近、自分が死んだ後の、仕事場の風景が感じられるようになってきました。

両親が亡くなった後、私の生活はどうだったでしょうか。
いろいろと変化はありましたが、世界のほとんどは何も変わりませんでした。
死者にとって、世界はたぶん非連続になくなるわけですが、世界にとって死者の存在は連続的な自然の営みでしかありません。
この非対称の関係は驚きです。信じ難く非対称です。

また母親殺しという悲劇が起こりました。
信じたくない事件ですが、個人レベルではなく、社会レベルでも、死後の世界につながりだした結果の事件かもしれないという気がします。
地下鉄サリン事件が起きた時に、私たちの世界は終わったのではないかと感じましたが、その時の絶望感がますます現実化してきているような気がしてなりません。
人は一線を踏み越えようとしているようです。
すべてが夢であればいいのですが。

わけのわからないことを書いてしました。
ちょっと危うい話でした。

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