カテゴリー「危うい話」の記事

2009/07/10

■節子への挽歌677:余呉湖

昨日の予告通り、余呉湖のことを書きます。
節子と人生を共にしようと決めた後、節子の両親に会いに行きました。
その時、義父が近くの賤ヶ岳を案内してくれました。
そこから余呉湖が見えました。
余呉湖といえば、羽衣伝説です。
私には、それだけの知識しかありませんでしたが、山に囲まれてひっそりとしている余呉の湖は、なぜかとても哀しく感じました。
そのせいか、節子の親元のすぐ近くにありながら、なぜかそこに行こうという思いにならずにいました。

節子の親元には私も一緒に毎年帰りましたが、余呉湖に行ったのは1度きりです。
もしかしたら最後に帰った時かもしれません。
その時の写真があるはずですが、なぜか見つかりません。
その時の余呉湖も、とても静かでさびしかったです。
私の記憶の中には、音が全くない余呉の海のイメージだけが浮かんできます。
いろいろなことを書き残している私のホームページも、なぜか「余呉湖」で検索しても何も出てこないのです。
本当に行ったことがあるのだろうかと思って、その時、同行してくれた節子の姉に電話してみました。
ところが義姉も覚えていないのです。

余呉湖は羽衣伝説の舞台です。
羽衣伝説というと一般には静岡県の三保の松原を思い出しますが、日本最古の羽衣伝説の舞台は余呉なのです。
しかも、余呉の羽衣伝説には菅原道真がからんでいます。
羽衣を盗まれた天女と人間の間に生まれたのが菅原道真だというのです。
それが何だと思われるでしょうが、私にはとても意味があることなのです。

道真を祀る天神様は、私には何かとても強い縁を感ずる存在です。
以前、大宰府の観世音寺のことを書きましたが、大宰府にはいうまでもなく天満宮があります。
大宰府から観世音寺、そして天満宮。
最初に訪れた時、はるかな昔、ここを歩いたという確信を持ちました。
観世音寺の諸仏を見ていると、心和みます。
節子と一緒に開いた私たちのオフィスは湯島天神のすぐ前です。
節子に奇跡を起こしかけてくれた加野さんは、天満宮のすぐ近くにお住まいです。
ますます、それが何だと言われそうですね。

余呉湖と金子みすずは関係があるでしょうか。
少しネットで調べましたが、つながりが見えません。
ところがなぜか、私には金子みすずと余呉湖がつながって記憶されているのです。
なぜなのかわかりませんが、節子と会った直後からそういう記憶が私の中にはあるのです。
おぼろげな記憶では、節子の生家の法事で地元の人から聴いたような気がします。
実はそれもあって、余呉湖は私には想像の中の存在にしていたかったのです。

天女、道真、金子みすず。そして静寂な水面。
それが私の余呉湖のイメージなのです。
その先にあるのは、いうまでもなく「死」です。
いつの頃からか、私のなかの余呉湖は彼岸の入り口になっているのです。
私にとっては、そこにいくともしかしたら節子に会えるかもしれない、そんな気もする神秘な場所なのです。

節子と一緒に余呉湖にいったのは、未来の話なのでしょうか。
彼岸から余呉湖を訪ねたのだとしたら、私の心に残っている風景はとても納得できるものです。

maron さん
おかしなことを書いてすみません。
他意はなく、余呉湖という文字を見た途端に、ワッとこうした思いが噴き出してきたのです。
脈絡がないのですが、今でも節子が元気なような気がして、昨日は落ち着けない1日でした。
ありがとうございました。

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2008/12/05

■節子への挽歌461:シンクロニシティと海士町

節子
最近よくシンクロニシティを体験します。
3年前に自宅を火災で失った友人の話を娘としていたら、その友人から突然の電話で、やっと問題が解決し、建て直すので地鎮祭に来ないかといわれました。
先日大阪に行った時に会おうかと思いながらも連絡しなかった友人から、帰宅した翌日、なぜかラフランスが届きました。彼から贈ってもらう理由はないはずなのですが。
こうした、私の心のうちが伝わっているようなことが時々集中的に起こるのです。
最近またそういう状況が続いています。

驚異的なのは隠岐の海士町の話です。
どうも海士町から呼び寄せられているのです。
ホームページの方に書きましたが、細胞を生かしたまま生体を氷結させる技術を、私が住んでいる我孫子にあるアビーという企業が開発しました。
ある研究会でそれが話題になり、その研究所に取材に行きました。
自宅の近くだったので、私も同行しました。
その技術を活用してまちおこしをしているところがあると聞きました。
島根県隠岐の海士町だそうです。
その話を聞くまで、私は海士町の名前も知りませんでした。
その数日後、友人から海士町に転居するというメールが届きました。
学校と地域の融合教育研究会を立ち上げた宮崎さんです。
驚きました。
先週、大阪に行って住友生命社会福祉事業団に寄りました。
昨年から地域医療貢献奨励賞というのをスタートさせたそうです。
その第1回受賞の一人が、海士町の榊原医師でした。
こう続けて海士町関係の話が出てくると奇妙な気分になります。
そんな話を友人の宮部さんに話したら、海士町の人に先日会ってお茶を購入したというのです。
NPOだんだんさくらの家の「福来茶」です。
これはきっと海士町が私を呼んでいるに違いありません。
研究会の調査も兼ねて、海士町に行くことにしました。

実は15年ほど前の話ですが、花巻から呼ばれたことがあります。
今回と同じように、花巻の関する話が次々に飛び込んできました。
かなり不思議な話も含めてです。
もしかしたら私の前世の秘密が解き明かされるような話までありました。
しかも突然、花巻と縁もゆかりもないはずの友人が花巻に転居すると長電話をかけてきました。
その時もとても不思議な気持ちになりましたが、前世への関心はなかったため、花巻に行きませんでした。
いまはそれを少し悔いています。
その時、花巻に入っていれば、人生が変わっていたかもしれません。
節子との別れも避けられたかもしれないのです。

ユングは、さまざまな出来事の生起は因果律によってだけ起こるわけではないと考えました。
そうした「非因果的連関の原理」をシンクロニシティと名づけました。
日本語では「共時性」とか「意味ある偶然」などと訳されます。
必然的な偶然という言い方もあります。
集合的無意識の世界を想定したユングにとっては、すべてはつながっているのです。

物事の生起に関しては、因果律やシンクロニシティの他にも、縁起という捉え方もありますが、ボームのホログラフィモデルを使えば、それらは繋がってくるようにも思います。
明在系の世界の背後に、時空間のない暗在系の世界があると考えれば、偶然とか必然とかはもちろん、そもそも物事の生起さえもが意味を失います。
彼岸と此岸とを揺れ動いている最近の私にとっては、こうしたことが違和感なく腑に落ちてくるようになりました。
時には、節子の配慮かと思うことさえあります。

花巻の失敗は繰り返さないように、今回は海士町に行こうと思っています。

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2008/11/24

■節子への挽歌450:彼岸と此岸の2つの世界で生きていた人

節子
こちらの世界は急に寒くなり、凍えそうです。
そちらはどうですか
彼岸と此岸とでは、状況は違うのでしょね。
でも、こちらからは全くわかりません。

しかし、その2つの世界を同時に生きていた人がいます。
18世紀の神学者スウェーデンボルグです。
彼は、30年近くにわたって、霊界と自然界(現実界)とを往来しながら、「霊界日記」を残しました。
彼が霊界に行けるようになったのは、57歳の時からだそうです。
その体験を踏まえて、彼は「死とは絶滅ではなく、生の連続であり、一つの状態から別の状態への移行にすぎない」と書いています。
人間はみな、自己同一性の意識と生前の記憶を失うことなく、古びた衣服を脱ぎ棄てるように肉体を脱ぎ棄て、肉体と類似した霊的身体を持ってよみがえるのだそうです。
スウェーデンボルグはこう書いています。

人間は死ぬと、自然界から霊界へ移ってゆく。
その際、地上の肉体は除いて、自分のすべて、つまり個人的な性質に属するすべてを霊界へ携えてゆく。
というのは、霊界、つまり死後の生活に入ると、この世の肉体に似た身体を持つからである。
この世の肉体と霊的な身体との間には、どんな違いもないように見える。
事実、霊界の人々はどんな違いも感じていないのだ。
ただ、彼らの身体は霊的であるため、地上的な要素から分離され清められている。
スウェーデンボルグによれば、霊界には空間も時間もないので、この世と違い、思ったことが瞬時に実現するのだそうです。その霊界での動きが、自然界、つまりこの世にも影響を与え、それに「照応」した動きが現実化するのだそうです。
「虫の知らせ」や「不可思議な現象」などは、そうしたことの結果といえます。

先日、メールを下さったSBさんがこう書いてきました。

佐藤さんは何で奥さんと一緒にいられる気持ちになれるのでしょうね。
(私は)妹と一緒にいる気は決してしません。
こう返事を書きました。
一緒にいると思うと精神的に安堵できます。
だから一緒にいることを信じられるようになりました。
論理的ではありませんが。
それに、妻のことはすべて知っているという自負がありますので。
もし彼岸があって、そこで節子が霊になっているとしたら(私はそう思っていますが)、そこで節子が何をしているかは、私には見えるような気がします。
なにしろ時空間概念のない世界ですから、「見える」というのは正確ではないですが、何を思っているかはすべてわかるような気がしています。
両界を往来できたスウェーデンボルグは、なぜ彼岸に移行してからは、往来をやめたのか、それを考えると、節子がいま何を思っているか、そしてどうあるかは、わかるような気もします。
つまり、節子は私と違って、この世においてもきっとまだ生きているのです。
それがスウェーデンボルグのメッセージではないかと思っています。

少し「危うい話」だったでしょうか。

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2008/05/08

■節子への挽歌249:カタカムナの「サヌキ」と「アワ」

昨日、愛と怒りについて書きましたが、ちょうどその記事を書いた後、カタカムナに通じている椎原澄さんがやってきました。
カタカムナに関しては、CWSコモンズのほうで書こうと思いますが、かつて日本に存在したとされる超古代文明です。

椎原澄さんが「サヌキ」と「アワ」の話を持ち出しました。
これはカタカムナの世界ではキーコンセプトの一つなのです。
私がカタカムナに関心を持ち、本を読みかじったのは1980年前後だったと思いますので、もうかれこれ30年前です。
久しぶりに出会う言葉です。
これについて書き出すときりがありませんが、簡単に言うと、人のもつ本性として、「サヌキ」と「アワ」があり、「サヌキ」は直進的、攻撃的、能動的、論理的であり、「アワ」は総合的、受容的、受動的、感性的といった特徴があるというのです。
かなり不正確な説明ですが、サヌキとアワが組み合わさるととてもいい動きが出てきます。
ソニーの盛田さんと井深さん、ホンダの本田さんと藤澤さんの組み合わせは、まさにその好例です。
ただ、その組み合わせは上下関係や主従関係ではないのです。
そこがポイントです。
その組み方と関係性が、昨今はたぶんおかしくなってきているのです。
とまあ、そんな話をしたわけですが、実は椎原澄さんのパートナーは椎原正昭さんといい、けたたましいほどの個性的なサヌキ人でした。
節子と同じく、昨年、逝ってしまったのですが、椎原夫妻はカタカムナを初めとした、そうした世界に通じていました。

私は椎原夫妻がカタカムナに通じていることを知りながら、きちんと議論したことはありません。
この種の世界に通じている人は私の周りには少なからずいるのですが、先日書いたように、私自身はそうした人と話し合うのを意図的に避けてきたからです。
今日は、しかしついつい椎原澄さんの挑発に乗ってしまい、少しだけ議論してしまいました。
この種の話は議論すべきことではなく、観ずることなのです。
悔やんでいますが、終わったことは仕方がありません。

椎原さんは、私の本性は「アワ」だと考えているようです。
たしかに私と節子で言えば、節子がサヌキ性が強く、私はアワ性が強いように思います。

椎原さんと話したのは、カタカムナだけではありません。
怒りと愛の話題も出ました。
そのことを書くつもりが、サヌキとアワの話になってしまいました。

ちなみに、余計な話をすれば、
サヌキとアワは、四国の「讃岐」と「阿波」、千葉の「佐貫」と「安房」というように、各地の地名の組み合わせにも出現しています。
土地にはさまざまな磁力(地力)が埋もれています。
それはもしかしたら、未来の記憶なのかもしれません。

今日もまた「挽歌」らしからぬ内容になってしまいました。
サヌキ族の節子は、こういう非論理的な話はあんまり好きではありませんでした。
きっと来世は、私と節子は性別を逆転していることでしょう。
そうなれば現世よりも、もっと理想的な夫婦になれることは間違いありません。
節子が私を選べばの話ですが。

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2008/04/03

■節子への挽歌214:友人から聞いた「危うい話」

節子
先週、またリンカーンクラブの武田さんに会いました。
その武田さんが不思議な話をしてくれました。
以前にも2度ほど聞いたことがあるのですが、今回はなぜか心にすっと入りました。

たぶん昭和38年か39年の話です。
武田さんは、渋谷で私に会ったというのです。
2人とも学生の時代です。
そしていうまでもなく、武田さんと私はまだお互いに知りあってはいません。

私と武田さんが知り合ったのは、それから15年後です。
情報問題を考える会で一緒になったのですが、その時、武田さんは15年前に私に会っていたことを思い出したのだそうです。
私がその話を聞いたのはずっと後になってからです。

そんなことってあるでしょうか。
その頃、私が渋谷を歩いていた機会はそう多くないはずですが、月に数回は歩いていたはずです。
武田さんがいうには、井の頭線に向かうデッキだというのですが、渋谷にはいつも井の頭線で行っていました。
ですから武田さんとすれ違う可能性はゼロではありません。
しかし、知りもしない人の出会いが記憶に残ることはあるでしょうか。
そんなことがあるとすれば、武田さんとはなにか因縁があるのかもしれません。
そうだとすると、来世もまた武田さんとの付きあいがあるのでしょうか。
いやはや、困ったものです。

それはともかく、今回は、この話が妙に気になって仕方がないのです。
これは時間の乱れかもしれません。
時間は必ずしも一方向的に規則正しく流れているわけではないでしょう。
だとすれば、時間の破れのなかで、節子に会えるかもしれないのです。
先日書いた私が死後の現世に迷い込んだように、節子が迷い込んでくるかもしれませんし。

人の出会いとは、本当に不思議です。
最近、この世が奇妙に幻想的に感じられるようになりました。
私の削がれた半身に、彼岸の節子が入り込んできたせいでしょうか。
武田さんの「危うい話」が、私の「危うい話」になりそうです。
このあたりでやめておきます。

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2007/09/18

■節子への挽歌14:とても「危うい話」

久しぶりに「危うい話」シリーズです。
このシリーズのファンもいるのです。
今日は「とても」危うい話です。

CWSコモンズにも書きましたが、先週、二七日の前日に、節子の旅の様子が入ってきました。
節子は、たくさんの花に囲まれたところで、心和やかに過ごしているそうです。
そして家族に感謝してくれているそうです。
彼岸への旅は順調のようです。

そのことを教えてくれたのは、私たち夫婦の知人です。
その知人は、先に見送った彼岸にいる娘さんから今日聞いたそうで、急いで電話してきてくれたのです。

その人は節子のことを心から気遣ってくれて、最後まで奔走してくれた人です。
娘さんも、私たちはよく知っていますが、40代で、母親を残して先立ちました。
母一人娘一人だったので、母親の悲しみは大きかったでしょう。
しかし幸いにも彼女たち(母子)は、いずれも不思議な能力を持っています。
娘の死後も、ある人の助けを借りて、母子の会話が続いているのです。
今日、娘さんの話を聞きにいったら、節子と会ったことを話してくれたのだそうです。
たくさんの花に囲まれた明るい場所。
私は節子の祭壇の置かれた部屋で電話を聞いたのですが、
まさにその部屋はお供えの花でいっぱいです。
節子はどこにいても花に囲まれているようです。

彼岸への旅に疲れて、戻ってきてほしいという気も、実は私のどこかにあるのですが、
まあ節子が楽しく旅を続けているのであれば、それもまたいいでしょう。
それに節子のことですから、旅の途中でもきっとたくさんの友人をつくることでしょう。
いささかの嫉妬も感じますが、うれしいお知らせです。

ちなみに、葬儀が終わった後に花が届くのは嬉しいですが、一挙に届くのが問題です。
ですから、今度私が花を送ることになったら、葬儀から少し間をおいて送ろうと思います。
時間が少し立てば、白いお供え花でなくてもいいですし。
これも体験から気づいたことです。
節子が教えてくれたことかもしれません。

<危ない話>シリーズ
少し危うい話
かなり危うい話
もしかしたら危うい話

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2007/08/30

■もしかしたら「危うい話」

「少し危うい話」「かなり危うい話」を以前書きました。
今回は「もしかしたら危うい話」です。

私は静電気を帯びやすい体質です。
空気が乾燥している冬季には、車や玄関のドアを開けようとすると火花が出て、身体にかなりの衝撃を受けるので、怖さを感じます。
身体の一部が振動し、静電気を放出しているのではないかというような気になることもあります。
音すら感ずることもあります。
時には自分は電気仕掛けのアンドロイドではないかと思うことさえあります。
やや思考回路に欠陥があるアンドロイドですが。

静電気はたぶん生命エネルギーにつながっていると思いますが、そうした静電気が念力につながらないものかといつも思っています。
これまでいろいろと試みたことはありますが、残念ながらまだ効果を確認できません。

女房のがんが再発して以来、いろいろと挑戦をしています。
私にもし念力があれば、女房を元気にできるはずです。
呼吸が苦しい女房の胸に手をかざして、全宇宙のエネルギーを自分に集中させると、数分で私の手の甲が温かくなってきます。
そこで女房の患部に向けて、放出するわけです。
一度だけ、ちょっと呼吸が楽になったといわれましたが、その時以外は、苦しんでいる女房からそんなことよりマッサージをしてほしいといわれてしまっています。
そこで彼女に気づかれないようにやっていますが、残念ながら効果がでてきません。
時には女房から手で払われることすらあります。困ったものです。
しかし、手で払われるということはきっと何がしかの念力が出ているわけです。

女房がお腹のガスが出なくて苦しんでいる時にも同じように手かざしで念じました。
エネルギーを集中するのは結構大変で汗びっしょりになります。
その時もそうでしたが、おならが出たのは女房ではなくて私からでした。
力が入りすぎたのです。いやはや、女房からは笑われてしまいました。
ガスよりも笑いのほうが癒し効果はありますので、まあこれは成功です。
しかし念力の効果はなかったわけです。困ったものです。
そんなことで、女房からも家族からも私の念力は信頼されていませんが、繰り返すことによってパワーアップできるかもしれません。

最近は光明真言を唱えています。
最近ようやく本気で唱えることができるようになりました。
きっとそのうち、効果が出てくるでしょう。

人間には誰にも念力があるはずです、
すべての生命は宇宙につながっており、その生命力の源泉は宇宙です。
宇宙は無限に広がっていると同時に、インドラの網のように個々の生命体のなかに凝縮されています。ですから宇宙の全エネルギーは、本来、個人の身体にも宿っているのです。
その念力を思い出さなければいけません。
仮に私が出来の悪いサイボーグだったとしても、宇宙のエネルギーの一翼を担っているとすれば、必ず念力は持っているはずです。

いつもと違い、不真面目の記事だと思われるかもしれません。
そんないい加減な看病をしているのかと呆れられるかもしれません。
しかし、不真面目でもいい加減でもなく、私は極めて真剣に念力開発に取り組んでいるのです。

念力が奏功して、女房の元気が回復することを心底目指しています。
ですから、みなさんもぜひ私にエールを送ってください。
みなさんからの念力が私の力不足を、きっと補ってくれるでしょうから。
さて今日も汗をかきながら、念力を試みます。光明真言を唱えながら。
あまり皆さんには見せたくない姿ですが。

ちなみに、「もしかしたら危うい話」とタイトルをつけましたが、その意味は、この記事を読んだ人が、「もしかしたら」私を「危うい人」と考えて、このブログの説得力が一挙に瓦解する「危うさ」があるということです。
まあ、もともとこのブログには説得力などないよという人が多ければ、これは杞憂におわるのですが。はい。

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2007/05/24

■かなり「危うい話」

先日、「ちょっと」危うい話を書きました。
今日は一歩進んで、「かなり」危うい話です。
どこかに書いたことがありますが、今から10数年前に、前世の友人から手紙が来ました。
その人は前世で私と親しかったようです。
岩手山によく一緒に登ったことがあるそうです。
その時に、来世のある時期が来たら、会いに来て、前世のことを話してくれと私が頼んだのだそうです。

そして約束通り、彼はやってきてくれました。
私がまだ会社にいたころです。
電話で会いたいといってきました。
どうして私のことを知ったのでしょうか。今では全く記憶がありません。
とにかく突然やってきて、付き合いが始まりました。
数年後、そのことを手紙で伝えてきたのです。
そして、前世を思い出すヒントを私にくれました。
それはある場所に行くことでした。
私はちょっと迷ったのですが、行きませんでした。

ところが、数か月後、全く別の友人から、その場所の近くに転居するという電話がありました。
なぜ私に電話してきたのか、わかりませんが、電話してきたのです。
ちなみに、その2人は全く面識がないはずです。
偶然だったのでしょうか。そのころ、ともかくいろいろなことが、その場所を示していました。
たくさんのシンクロニシティが起こっていたのです。

それでも私は行きませんでした。
その話を信じなかったからではありません。
こだわりがあったわけでもありません。
前世を思いだしたくなかったからでもありません。
単に行かなかっただけです。
もしその時、そこに行ったら、前世が思い出され、人生は変わっていたかもしれません。

そして、また10年以上が経過しました。
その前世の友人は、もちろん今でも付き合いがあります。
私のホームページにも何回か登場しています。
今では会っても前世の話はしません。必要ないからです。

ところで、その前世の話を軸にして、私のこれまでの人生を振り返ると、
いろいろと面白い解釈ができることがたくさんあります。
奇妙に自分の人生が納得できるのです。
人生は、だれにとっても、自分が主役のひとつの物語です。
それをどんな物語にするかによって、これまでの生き方の意味が変わってきますし、
これからの生き方も変わっていきます。
この話は、私にひとつの物語のテーマを与えてくれたのです。
もしかしたら、前世の私はそれを期待して、彼に伝言を頼んだのかもしれません。

前世の友人から教えてもらった場所が今でもあるかどうかはわかりません。
もう10年以上が経過しているからです。
でもそろそろ行ってみてもいいかなと思い出しています。
今生への未練はいまやほとんどありませんし、来世も少し見えてきたからです。
来世で、このブログに出会えるかどうか、それが少しだけ気になりますが、きっと出会えるでしょう。
もっとも来世は人間ではなく、蛙かもしれませんが。

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2007/05/17

■少し「危うい」話

みなさんは死後の世界を体験したことがあるでしょうか。私の友人には3人ほど、臨死体験した人がいます。
みんなその時に同じお花畑を見てきたという話で盛り上がったことがありますが、今日の話題はそうした話ではありません。
私の体験談です。

いまから10年ほど前なのですが、自分が死んだ後の現世の風景を2回見ました。
いや、正確には、見た気がしています、というべきでしょうか。
一度は私のオフィスの近くの湯島です。
いつものように歩いていると何か奇妙にあたりから人の気配が消えました。
そしてそこに私が子どもの頃によく見かけた質素な服装のおばあさんと2人の幼子が遊んでいるのです。
なにやら自分の存在が実感できずに、遠くからその光景を見ているような気がしました。音がないのです。ほんの数秒の話ですが、とても奇妙な感じでした。
しかし、なぜか立ち止まらずにそのまま歩き続け、3人は視界から自然と消えました。
その時はちょっと奇妙な感じだけでした。
ところが、そのたぶん数日後、同じ風景に出会ったのです。
私の記憶では、場所は大阪の梅田です。
なぜか記憶があいまいなのですが、少なくとも湯島ではありません。
同じ3人が、同じ服装で遊んでいるのです。
神仙に遊ぶような雰囲気でした。
なぜかそれに疑問を感ずることなく、通り過ぎました。
その数日後、その光景が思い出されて、とても奇妙な気持ちになりました。
ありえない話ですから、すべては私の夢かもしれません。

これはずっと気になっている体験です。
なぜか、その一瞬の風景は、私の死後の、湯島や梅田の風景のような気がしてなりません。

1週間前、近くのスーパーに娘と買い物に行きました。
その時に、この体験が急に頭をよぎりました。
私が死んだ後も、このスーパーは同じようににぎわい、そこに行く途中の街並みは何の変化もないのだろうという感慨が沸き起こりました。
3人組を探しましたが、見つかりませんでした。
しかし、なにか私が死んだ後のスーパーの店頭のような気がしました。
一瞬だったのですが。
人は60代になると死語の世界とつながっていくのかもしれません。
最近、自分が死んだ後の、仕事場の風景が感じられるようになってきました。

両親が亡くなった後、私の生活はどうだったでしょうか。
いろいろと変化はありましたが、世界のほとんどは何も変わりませんでした。
死者にとって、世界はたぶん非連続になくなるわけですが、世界にとって死者の存在は連続的な自然の営みでしかありません。
この非対称の関係は驚きです。信じ難く非対称です。

また母親殺しという悲劇が起こりました。
信じたくない事件ですが、個人レベルではなく、社会レベルでも、死後の世界につながりだした結果の事件かもしれないという気がします。
地下鉄サリン事件が起きた時に、私たちの世界は終わったのではないかと感じましたが、その時の絶望感がますます現実化してきているような気がしてなりません。
人は一線を踏み越えようとしているようです。
すべてが夢であればいいのですが。

わけのわからないことを書いてしました。
ちょっと危うい話でした。

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