■節子への挽歌500:年賀状の返事
節子
たくさんの方から年賀状をもらいました。
宛先にまだ「節子」があるものも3枚ありました。
私のほうの友人ですが、伝えていなかったようです。
この年賀状が正しくて、節子の不在は私たちの勘違いだったらどんなにいいでしょうか。
その人たちに伝えようかどうか、迷っています。
ところで、今年は年賀状を1枚も出しませんでしたし、年賀メールも出しませんでした。
世間的には喪はあけたのですが、どうしても賀状を書く気にはなれなかったのです。
しかし、黙っているのも失礼です。
思い切って、メールと手紙を書くことにしました。
あまり気分は乗りませんが、これから1週間かけて出していくつもりです。
こんなことをいうと笑われそうですが、おそらくこれからずっと年賀状は書けなくなるような気がしています。
心理的には、ずっと喪に服していたい気分なのです。
節子がいない今、たとえ何であれ、祝う気分にはなれないからです。
正確にいえば、「祝う気分」と同時に、節子と一緒にそれを味わえない「悲しい気分」が生じてしまい、結局、本心から祝えなくなってしまっているのです。
困ったものです。
付き合いにくい人間にならなければいいのですが。
そうならないように努力しなければいけません。
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