先週読んだ本のなかには経済の本もあります。
白井聡さんの「マルクス」(講談社の現代新書100)です。このシリーズは、100頁強で、字も大きいので、ちょっとした合間に気楽に読めます。しかもそれぞれにメッセージがある。
本書も、しっかりとしたメッセージが込められていて、経済のありようや私たちの生き方に関心のある人にはお薦めの一書です。
最初に出てくる次の言葉が印象的です。
マルクスが明らかにしたのは、不況は恒常化し貧富の格差が止めどもなく拡大してもなお、あるいは、恐慌が社会を襲い職にあぶれた人々が街中に忘れてもなお、あるいは、資本の増殖欲求を満たすために戦争が仕掛けられ罪なき人々の血が流され遺体が積み上がってもなお、あるいは、企業活動が公害を発生させ地球環境の危機が生態系そのものの存続を危機にさらしてもなお、それでも資本主義は終わらない、という真実である。
「資本論」は、こう読まなければいけない。そう思います。
この認識を欠く軽い資本論関係の本が流行っていますが、いま求められているのは、資本主義の改善ではなく、資本主義克服に向けてのパラダイム転換ではないかと、私は思っています。延命のために「道具」にされるのは、もう終わりにしたい。
マルクスの疎外論も簡単に紹介されています。
「われわれは自分を豊かにするために働き、何かをつくり出しているはずなのに、逆にそのつくり出されたものによって支配されてしまうという逆説的な状況を資本主義社会は生み出す」。
「人間にとっての働くことの在り方全般が、資本主義のもとで全面的につくり変えられ、その結果、人間がその生産物によって支配されるようになった」。
これに関しても安直な「働き方改革」が広がっているのが残念です。
そして白井さんは、マルクスにおける資本主義社会とは、「物質代謝の大半を、商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行なう社会」であると定義できると言います。
私が恐ろしいのは、いまや自然さえもが「商品」かされつつあることです。
また、「(不断で無制限の増殖志向を持つ)資本は、人間の道徳的意図や幸福への願望とはまったく無関係のロジックを持っており」、人間の幸福が価値増殖の役に立つ限りにおいてはその実現を助けるかもしれないが、逆に人間の不幸が価値増殖の役に立つのならば、遠慮なくそれを用いる」といいます。いわゆる「資本の他者性」です。
そして、「物質代謝の過程の総体を資本が呑み込み、価値増殖の手段にしようとする。このような傾向の進展こそ、グローバリゼーションの内容にほかならなかった」とつづけます。
白井さんは、経済成長や生産性向上、あるいは技術革新や発明は、人間の幸福を目的としたものではない、と言い切ります。が、私もまったく同感です。
こういう大きな流れの中で、宗教も政治もすべて資本主義に流れに巻き込まれ、経済活動になってしまい、人間は単なる「労働力」そして「消費力」に貶められようとしている。そんな恐れを感じています。
こうした風潮に抗うのはそう難しいことではありません。
お金の呪縛から抜け出せばいいだけですから。
まずは経済成長や生産性向上は、決して人間の生活を豊かにしないことに気づくべきです。
いささか身近な話を一つ。
委託仕事をしている友人が、頑張って生産性を向上させたところ、対価が大幅に削減されてしまったそうです。雇用主は時間給発想を「悪用」したわけです。生活するための対価を得る必要労働時間をがんばって短縮しても、雇用関係下では、そうして生み出される剰余価値は資本に吸い取られてしまうのが資本主義なのです。
資本にとっては、コストがかかる人間を労働力として使うのは合理的ではないのです。
だからどんどんAI化されていく。
こんな社会に明るい未来があるはずがありません。
とまあ、この本を読むと少し気が滅入りがちですが、怒りが生まれてくれば、元気が出てくるでしょう。
いまの時代、取り組むべき課題はたくさんあるのです。
滅入っている余裕などないのです。
これが3冊目からのメッセージです。
最近のコメント