カテゴリー「経済時評」の記事

2022/06/25

■物価上昇は良いことなのか悪いことなのか

今回の参院選では物価上昇対策が争点の一つのようです。
たしかに最近の消費者物価の上昇の広がりは私のような者にもちょっと気になります。
今朝の朝日新聞のトップ記事は「物価 5月も2.1%上昇」とあります。

しかし、つい1年ほど前までは、デフレ脱却に向けて物価上昇2%が目標にされていたような気もします。
物価上昇は良いことなのか悪いことなのか、どうもわかりません。

そもそも「物価」とは何でしょうか。
概念はわかりますし、数値になって示されるとなんとなくわかったような気になりますが、集計の仕方でいかようにも数値は変わってきます。時に改竄をしてしまうこともあるようですが、改竄などする必要などなく、政策に沿った数値は出せるはずです。もちろんそれなりの手続きは必要ですが。
消費者物価指数の数値は、私には恣意的な政策数値にしか思えません。

私は毎週1回ほど、娘に付き合って食品の買い出しにスーパーに行きます。
そのスーパーでは「シニアデイ」というのがあって、私のような高齢者には5%割引になるのです。
もっとも私が同行すると、余計なものを勝手にかごに入れるので支払額が多くなるため、最近は来なくてもいいと言われていますが。

しかし、そのおかげで、食材などの価格の動きには触れていますが、私の漢字では2%どころではありません、2~3割上がっているものも少なくありませんし、ステルス値上げなどという詐欺まがいのものもあるので、実際にはもっと値上がりしている気もします。
その一方で、私には理解不能な「〇〇割」も広がっているようで、価格に対する感覚はかなり麻痺してきている気もします。
いま私たちはきっと何かを学ばせられているのでしょう。

いずれにしろ私が信ずるのは実際に私が買い物をする時の価格です。
現実は嘘をつきませんので。

日本政府の統計数値に信頼をおけなくなってしまったのは、本当に残念です。

 

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2022/06/16

■新しい経済・新しい政治への期待と不安

岸田政権が「新しい資本主義」を打ち出し、経済のあり方を議論しだしています。
その内容も少しずつ公表されだしていますが、どうもその方向は私が望んでいるのとは真反対のようです。

一方、政治の世界では、少しずつですが、新しい政治への動きが広がっています。
れいわや参政党の発想には、これまでの政治とは違うパラダイムを感じます。

「新しい政治」や「新しい経済」に関しては、5,6年前に湯島のサロンで話題にさせてもらったことがあります。
私の考える「新しい」という意味は、いずれも「個人の生活」を基軸にするという意味です。そうした視点から考えると、新しい動きを感ずることが多くなりました。

しかし、当然とはいえ、いまの政府や経済団体は、そうした新しい流れには否定的です。
そこで、「新しい」という意味が全く真逆に使われてしまうことになります。
社会は人間の生命までも含めて市場化され、政治はお金に支配されて経済化してしまいそうです。このままだとお金がなければ生きられなくなりそうな不安があります。
むかし読んだ本の中に、沖縄のオバアの「お金がないから貧乏だなんて誰が決めたんだろうね」という言葉を思い出します。

昨日の生活事業研究会でいろいろと話し合って、先に投稿した「経済の捉え方の流れ」を書き変えてみました。現実に起こっているのは、ポリティカルエコノミーからエコノミカルポリティクスへ移行で、私が会社を辞めた時に考えた「コモンズの回復」とは逆に、「コモンズの崩壊」を引き起こし、それが故に私は生きにくくなっているのです。

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そんなことを考えているうちに、久しぶりに私が話させてもらうサロンをやりたくなりました。4年ぶりでしょうか。テーマは「新しい経済・新しい政治」。
サロンをすることが決まったら案内させてもらいます。

 

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2022/05/18

■「新しい経済」に向けての2冊の本をお薦めします

週末に雨が降ってどろどろの畑には行けなかったので、晴耕雨読ではありませんが、週明けの2日間、読書に埋没し、2冊の本を読了しました。
偶然選んで、並行して読んだのですが、深くかかわっている2冊でした。

一冊は、スペインやポルトガルで活動している4人の経済学者が書いた「なぜ、脱成長なのか」(NHK出版)、もう一冊はアダム・スミスの評伝「アダム・スミス 共感の経済学」(早川書房)です。
いずれも今の経済の問題をわかりやすく指摘し、それにどう向かうかを示唆しています。

「なぜ、脱成長なのか」には、コモンズをつくり、維持し、享受していくプロセスを意味する「コモニング」という言葉を登場させています。
これは私の長年のテーマである「コモンズの共創」につながっていますので、とても共感できます。著者たちも関わっているであろうバルセロナの事例も元気が出ます。

「アダム・スミス 共感の経済学」は、「共感」を通じた人間への深い理解を中心にした「人間の科学」という捉え方から、「経済学」を根本から捉え直そうと呼びかけています。フェミニスト経済学の視点は、私が今湯島で始めた「生活事業研究会」につながるものを感じます。
私のアダム・スミス理解はまだまだ狭かった気がします。「道徳感情論」も一応は読んではいるのですが、経済学者だという思い込みが強すぎました。

同書の最後の部分を引用させてもらいます。

この偉大な業績の価値を正しく評価した人はまだいない。過激思想や誤った事実認識が渦巻き未来の見えない今日の世界にあって、スミスの知恵と思想は、その合意まで含めていまなお有効だ。私たちは過去のどの時代にも増してアダム・スミスを必要としている。

本書を読み終えて、その意味がよくわかります。「新しい資本主義」が議論されていますが、委員のみなさんにはぜひ読んでほしいものです。

いつものように、2冊を並行して読んだのですが(一方に疲れると他方を読む感じで)、今回は偶然にも同じテーマにつながっていました。いずれも「新しい経済」「新しい生き方」を示唆するものでした。
この本はお薦めです。

友人が私が6年前に書いたフェイスブック記事を思い出して、なぜか昨日、シェアしてくれました。
それを読んでなんだかうれしくなって、2冊の本を紹介してしまいました。
前者は軽い本なのですぐ読めるでしょうが、後者は少しハードです。
でもいずれも多くの人に読んでほしい本です。

6年前の記事も改めてシェアさせてもらいます。
https://www.facebook.com/notes/355354392247074/

斉藤さん、思い出させてくれてありがとうございます。
しかし何というシンクロニシティでしょうか。

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2022/03/27

■またまた牛乳ピンチ??

昨日の朝日新聞の夕刊のトップ記事は「春休み またまた牛乳ピンチ」という見出しの記事でした。
それによれば、春休みや大型連休で学校給食がなくなる5月にかけて、牛乳の原料となる生乳が余り、廃棄される恐れが再び浮上しているというのです。

昨年、牛乳が余って廃棄されるというので、それまでほとんど飲んでいなかった牛乳を毎日、2回も飲むようにしました。そのためお腹を壊してしまい、以来、どうも胃腸の具合が戻りません。困ったものです。
しかしなんとか廃棄の危機は回避されたということで喜んでいました。

にもかかわらず、またまた廃棄の危機!?
どこかおかしいでしょう。
先日の電力危機もおかしかったですが(背後の意図をついつい勘ぐってしまいます)、何かがおかしくなっている気がします。

さらにあきれたのは、その記事に、ホクレン農協連合会が「これまで生乳をつくれつくれと言っていたのに、今度は余ったから生産を押さえろという。そんなにコロコロ変わる農政はおかしい」と訴えていることが紹介されていたことです。
これを読んで心底呆れました。
ホクレン農協連合会はすべて「農政」に丸投げしていたということでしょう。それではちょっとしたことで廃棄の危機に見舞われるはずです。よくまあ、こんな発言を恥じらいもなくするものです。ホクレンはまともな組織なのでしょうか。

もう牛乳廃棄回避には加担しないことにしました。まずはホクレンのような無責任な組織をなくすことに協力したいです。これまで飲んでいた牛乳ももう飲むのをやめることにしました。まともな酪農家の牛乳なら飲もうとは思いますが、スーパーの牛乳はもう飲むのをやめることにします。

これできっと胃腸の調子も回復するでしょう。いやそうなればいいのですが。

 

 

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2021/10/16

■「新しい資本主義」「新しい経済」

岸田さんの提起した「新しい資本主義」が話題になってきています。
実現会議も発足しましたが、そのメンバーからも方向性は少し見えてきました。
15人のメンバーで私が知っているのは一人だけで、しかも面識があるだけで親しくはありません。ただし、その人の実践実績は、私のイメージする「新しい経済」の考えには合っています。まあ、今の資本主義の真っただ中にいる人ではありますが。

「新しい資本主義」、さらには「新しい経済」を話題にするサロンも考えていきたいと思っていますが、視点をちょっと変えるだけでも新しい経済への入り口は開けるように思います。その気になれば、いろいろと見えてきます。

たとえば、「成長と分配」という言葉の、どこに起点を置くかでも、経済も資本主義もまったく違ったものになるような気がします。

これまでの経済(資本主義)は、「成長のための経済」でした。
そこでは「分配」もまた「成長」のためでした。
有名な「フォードの5ドルの神話」があります。
自動車会社のフォードが労働者の日給をそれまでの2.5ドルから5ドルに倍増することで、労働生産性が上昇するとともに労働者が自動車の消費者になって市場が急拡大し、その後の成長につながったのです。
しかし、そこでの経済の目標はあくまでも「資本の成長」「経済の成長」であり、生活者の豊かさは目標ではありませんでした。

それに対して、経済を「分配(再配分)のための経済」と捉え直すと、経済の仕組みは一変します。
再配分のためにもし成長が必要であれば、成長がサブ目標になるでしょうが、必要なければ成長は不要になる。というよりも、成長の基準が変わってくるでしょう。言い換えれば、経済の指標が変わるということです。
そこに「新しい資本主義」の入り口が見えてくる。

もちろん、資本主義を超えた「もう一つの経済」という動きもたくさんあります。
私たちは、今の資本主義経済(金銭基準経済)に浸りきっていますが、つい半世紀ほど前までは日本もまだ金銭がそれほど覆っていたわけではありません。
いまではお金がないと都会では暮らしていけませんが、そういう状況になったのは、ついこの50年ほどの話なのです。
お金に呪縛されない若い世代も出て来ているようですから、資本主義を超えた「もう一つの経済」も実現するかもしれません。
そうしたことを視野において、「新しい資本主義」を考えると、いろんな道が見えてくる。

湯島で「新しい経済」を話題にしたサロンを少しやってみようと思います。そろそろ機が熟してきているように思いますので。

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2021/09/22

■野菜不足の朝食が続いています

今日は、どうでもいい話です(まあ、いつもそうですが)。

私の朝食はトースト中心です、
トーストはサンジェルマンが好きですが、経済的な理由でサンジェルマンは娘が買ってきてくれた時だけで、普段はフジパン本仕込みです。
それにマーガリンとビアソーセージ、それにたっぷりのサニーレタスが基本です。
マグカップにたっぷりの珈琲は時々お替りしますので、かなり飲みます。
それに青汁豆乳バナナジュースと黒酢ドリンク、そしてメカブです。
水分が多いのは、脳神経外科の医師から言われているからです。
果物も欠かせません。だから果物の多い秋は私にはいい季節です。

ただ最近、少し内容が変わってきています。
秋なのに、果物が少ないのです。秋だからいろいろとあるだろうと娘に言いますが、例年よりも高いそうで、何か少ない気がします。

しかし問題は、サニーレタスです。
この1週間、食べられずにいます。
理由は高いからです。いつもの3倍もするので、私自身も我慢しているのです。
娘がサニーレタスの苗を買ってきて植えてくれましたが、食べられるようになるのは時間がかかります。
当分、サニーレタスなしの朝食が続きそうです。

私は月に数回、娘と一緒にスーパーに行きますので、物価に関してはそれなりに感じていますが、最近の野菜や果物の値上がりはかなりです。
しかしその一方で、工業製品的な食品はあまり価格が変わっていません。
そればかりではありません。お惣菜やお弁当類の価格もむしろ安くなっているような気がします。
こうした価格の跛行現象に、経済の先行きが少し見えるような気がしますが、それ以上に、価格は消費者の好みが決めているのだなと痛感します。

それともう一つ、不思議に思うのは、同じ工業生産的食品の価格が、お店によって大きく違うことです。すぐ近くのお店で、同じ商品が倍近い価格で売られていても、価格は収斂しないのです。いや、同じお店でさえ、同じ商品が時に5割安くらいで売られることがあるのです。

そういうことが面白く、私は月に数回、娘に頼んで、いろんなお店に連れて行ってもらいます。そこからいろんな社会の実相や経済の仕組みが見えてくる気がします。
統計でみる経済が、いかに現実と乖離しているかは、毎週、スーパーの店頭に行くだけでかなりわかります。
真実は現場にある、というのが私の生活信条の一つですが、ますますそう確信してきています。

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2021/09/10

■お金をコモンズにすれば、経済のあり方は一変する

はじめてpay payを使いました。
と言っても、受動的に、ですが。

FBで紹介した小冊子「私の戦時体験」を送ってほしいという友人に郵送しました。
その友人から、郵送料をpay payで送ってみたいと連絡がありました。
彼女も初めてのようです。

私もずっと前にpay payに登録していたのですが、まったく使うこともなく放置していましたので、そんなことができるとは思ってもいませんでした。
手数料なしで、お金のやりとりができるのであれば便利です。
最近の銀行の振込手数料は高いですから。
彼女から送ったと連絡がありましたので、pay pay画面を見ると、「受け取る」というところがあり、それを押すと、すぐ入金されました。
それでお金の授受が終了。実に簡単です。

こういう仕組みが広がっていくと、お金はいらなくなっていくような気がします。
私は現金をほとんど持たずに生活しています。
そもそも「金銭消費」はほとんどしない生き方をしていますし、もし必要な場合も、カードでほぼ事足りるからです。
そうしているとお金を持っていることさえ忘れます。
時々、銀行残高が足りなくなって、請求がきたり、不都合が起こったりすることがありますが、まあ年に数回です。

今はまだそういう場合、私自身が何とか工面して銀行に入金しなければいけませんが、そのうち、誰かが入金してくれるようになるでしょう(例えばベーシックインカム)。
そうなれば、お金などに惑わされることなく、思う存分、仕事ができるようになる。
仕事(働く)と稼ぐことを混同するようなこともなくなるでしょう。
仕事がないなどというバカげた考えも抱かなくなるでしょう。

 私の関心事は「コモンズの回復(共創)」ですが、お金をコモンズ(みんなのもの)にできれば、経済のあり方は一変します。
昨日のサロンでは地域通貨が話題になりましたが、お金のない社会をみんなで話し合ってみるのも面白いかもしれません。

 

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2021/07/12

■関係者だけのイベントとそれを喜ぶ人たち

オリンピックの聖火リレーイベントが、関係者だけで行われている報道を見るにつけ、いったい何のためのイベントなのかと不思議に思います。
オリンピックそのものも関係者のためのオリンピックになっているのでしょう。
どうもわけのわからない時代になってしまったものです。

しかもそういうイベントにまだ大喜びする「関係者ではない人」も多い。
テレビでこれほど聖火リレーイベントが報道されるのも気持ちが悪い。
最近、私はかなり「偏屈」になってきているようですが、聖火イベントに登場してはしゃいでいる人を見ると蹴とばしたくなります。
タレントにしろアスリートにしろ、いや一般の人であれ、同情よりも軽蔑したくなります。障碍者も例外ではありません。障碍者を応援する気持ちも最近は萎えてしまいそうです。

こういう人たちが社会を壊していくように思います。
私には到底許せない人たちです。
かなり「偏屈老人」になってしまったものです。
コロナの恩恵も受けずに、長生きしすぎたようです。

それにしてもどうしてみんな権力者や富裕者に迎合するのでしょうか。
自分ができないことを彼らにやってもらって満足するのでしょうか。
テレビで高価な料理を食べ歩く芸能人たちの番組が増えています。
視聴率が高いので増えているのでしょう。
しかし時々見てしまうそういう番組の料理は、私の食生活とは全く異次元です。
時には私の1か月の食費を1回の食事で消化してしまうほどです。

高級料理を出しているお店も私には違和感があります。
せっかく食の技があるのなら、もっとやることがあるだろう。
皇帝の雇われ調理人のような「高級シェフ」には、私は敬意を払う気など毛頭ありません。
この世の中には、今日の食事さえ満足にできない人もいることを知らないのかと思いたくなる。
偏屈ではなく「ひがみ」も入っているのかもしれません。困ったものです。

一方でお金を湯水のごとく使う人がいれば、一方にはまともな活動もできないほどお金に困っている人もいる。
経済とは、あるいは政治とは、そういう状況を生み出すためのものなのか、あるいはそういう状況をなくしていくためのものなのか。

オリンピック騒動で、少しはそういうことを考える人が増えることを祈っています。
政治も経済も、この数十年で全く変質してしまったとしか思えません。

まるで古代アテネのようなひどい社会になってしまいました。
まあそれを理想としてきたのだから、仕方がありませんが。

 

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2021/06/19

■「支配者たちの卑劣な格言」

アダム・スミスは経済学者というよりも道徳学者だったという人がいます。
最近話題の渋沢栄一も「論語と算盤」という著書を残していますが、そもそも経済は「経世済民」、つまり道徳の話だったとも言えます。

そのアダム・スミスが、「支配者たちの卑劣な格言」と呼んだものがあります。
それは、19世紀前後に広がった、次のような「新しい時代精神」を示す格言です。
「すべては私たちのために、他の人々のためには何も無用」。
「自分以外のことはすべて忘れ、ただ富を獲得せよ」

一時期、日本でも広がった「〇〇ファースト」というスローガンは、まさにこの格言を象徴したものだと私は思います。
いまでもこの「〇〇ファースト」という言葉を使う人がいますが、こういう言葉に出会うといつもアダム・スミスの「道徳感情論」を思い出します。

アダム・スミスは「他者への共感、完全な平等という目標、そして創造的な仕事のための基本的人権」を強調していたと思いますが、経済活動をしている現在の人たちにさえ、そういう発想はもう消えてしまっているのかもしれません。
しかし、「〇〇ファースト」発想は、「支配者たちの卑劣な格言」にとどまらず、どうも社会に蔓延しだしているようです。

たとえばそんな姿をワクチン接種の予約取り風景に私は感じました。
3・11の後の買いあさりの風景も思い出しました。
つまり支配者の行動は、被支配者にも広がっている。
まさに「悪貨は良貨を駆逐」するのです。

経済が道徳と相反するものになってしまった。
人を救うはずのお金が、人を滅ぼし始めた。

私が、お金から解放されたいと思い、ワクチンもしない理由のひとつがここにあります。

 

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2020/09/29

■ようやくプロシューマーの時代が到来しそうです

いまわが家のリフォームを進めていますが、これを機に、エアコンを導入することにしました。
今さら何をと笑われそうですが、私の仕事部屋も寝室も、これまでエアコンはなかったのです。夏は暑いところに価値があるとエアコンを拒否していたのですが、この歳になると命にかかわるといわれ、それには抗えないからです。

それでリフォームをお願いしている会社に見積もってもらったら、意外と高いのと、商品が指定されていたので、昨日、大手家電販売店に現物を見に行ったのです。
いまはエアコン商戦の端境期だそうで、売り場は閑散としていました。

エアコンを見ていたら店員の方が来て説明してくれました。
メーカーのダイキンからの派遣社員の中西さんでした。

説明がわかりやすいのと好印象だったので、リフォーム会社からのお勧めの三菱の霧ヶ峰はやめてダイキンの商品に変えることにしました。店頭での販売員の影響は大きいです。
価格はリフォーム会社の見積もりに比べてかなり安価でしたが、購入は1か月くらい先だと言うと中西さんはきっとさらに安くなると話してくれました。
それでリフォーム会社に頼まずに、家電販売店から購入しようかと思いだしました。

まあこれはほんの一例なのですが、住宅も自分でつくれる時代になっていきそうですね。
おもちゃのロゴを組み立てるように。
プレハブ住宅ではなく、モジュールハウスです。
その前に、たぶん自動車や電子機器は自分で組み立てられるようになるでしょう。
産業構造や生活構造は大きく変わりそうです。
まあその前に私の人生は終わるでしょうが。

家のリフォームをしているおかげで、いろんなことに気づかせてもらえます。

 

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