■米不足問題への取り組み方はまったくピント外れのような気がします
米価の上昇が問題になっていたと思ったら、今度は米不足が顕在化してきています。
備蓄米の放出が話題になっていますが、たぶんこれは何の解決にもならないでしょう。
ただただある人たちに不当利益をもたらす結果で終わりかねません。
コロナワクチンの時に、顕在化してきたことと同じ構造がここにあります。
私は事情通ではないので、単なる論理演算での話なのですが。
問題は消費者にとっての価格問題ではなく、生産者にとっての価格問題です。
先日サロンの報告も書きましたが、薬価と米価はまさに同じ構造にあります。
制度で不当利益(金銭的および権力的)をあげている人にとっては、問題が解決していしまったら困るのです。そして不当利益を生じさせるのが制度の本質なのです。いいかえればそうした不当利益や不当権力を生じさせないように制度設計するのが大切ですが、最近はむしろそうした不当を創出する方向へと制度設計思想が変わってきているような気がします。
米価が高騰しているその利益がどこに行っているかをきちんと調べたら、誰が捜査しているかがわかりますが、誰もそれをしようとはしません。その気になれば、難しい分析ではないと思うのですが。
最近の会計検査院の行動を見ていると、若干の期待は持てないわけではありませんが。
備蓄米の放出の利益は、生産者にも消費者にも回ってこないでしょう。
そこに管理価格の問題があるはずです。
問題を解決するためには、生産者が米作りをするモティベーションをあげればいいだけの話です。消費者価格の値上げ分すべてが生産者に届けば、2~3年で米価は適正な価格に落ち着くでしょう。それがもし今の価格より高いとしても、その構造が可視化されれば消費者は納得するでしょう。
しかし日本の米の価格はいずれにしろ安すぎます。
それに気づかない私たちの生き方に問題があるのかもしれません。
ともかく価格設定のルールがおかしくなっているのです。
需給で価格が決まっていくというルールは考え直さないといけません。ばかげているでしょう。価格は価値でこそ決めるべきです。少なくとも、もっとシンプルなフルコスト原則に戻らないと、社会はますますおかしくなるでしょう。
経済学者の責任は大きいです。
3月30日の令和の百姓一揆に、久しぶりに参加しようと思っています。
生産者の視点に目を向けなければ、米問題は解決しません。
みなさんも参加されませんか。
安保法制デモ以来の参加です。
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