カテゴリー「経済時評」の記事

2022/11/13

■仕事と生活のどちらに基軸をおくのか

昨日、湯島で「在宅ワーク」を切り口にした「働き方を考えるサロン」の2回目を開催しました。1回目は「企業で働くこと」を切り口にしたのですが、この時にも大きな示唆をもらったのですが、今回は、私には「目から鱗」の気づきがありました。
問題提起してくださった山本紀与さん(株式会社キャリア・マム)に感謝です。

サロンの報告は改めて行いますが、その気づきについて少しだけ書き残しておこうと思います。と言ってもたぶん文字にしたら、なにが「気づき」なのかと思われるでしょうが。

私は近代産業革命以来の経済や社会のあり方に違和感を持ち続けてきています。
その基本にあるのは、金銭労働だからです。人間にとって楽しいはずの「働くこと」が、金銭を得るための退屈な「作業労働」に貶められてしまったからです。
生活の場と働く場が切り離され、工場(あるいは事務所)に9時から5時まで集められて、生活から切り離された「仕事」をするのが、そこでの働き方の基本モデルです。
盛んに言われていた日本での「働き方改革」も、その発想の枠の中での取り組みでした。
そこでは、「働くこと」が生きるための目的になっていて、苦肉の策として、ワークライフバランスというおかしな言葉が出てきましたが、所詮は、働くために生きる「生き方」が基本になっていました。

ところが、昨日のサロンで「在宅ワーク」の話をしていて、在宅ワークの発想には、この近代労働モデルを変えていく力があることに気づきました。
つまり、定められた勤務時間に一か所に集められて、生活を忘れて働くのではなく、自分の生活の拠点をホームベースにして、働く時間も生活を基軸に自分で割り振りできる働き方が可能になってきたと言うことです。

私は、「シャドウワーク」とか「アンペイドワーク」という言葉にも違和感を持っています。そうした発想は、金銭経済の思想を基本に考えているからです。
まえに、「お茶くみ仕事」にこそ価値があるということを書きましたが、ほとんどの人はそれに反対していました。私にとっては、そう言う人こそ、金銭至上主義の流れに加担しているように思えているのですが、なかなかそのことは通じ合えません。

働き方を考えていくと、生き方や社会のあり方につながっていきます。
このテーマのサロンは、来年もさらに続けていきたいと思っています。

中途半端な書き込みですみません。
ただ私は、働くことが楽しい社会になってほしいのです。
学ぶことが楽しい社会にも。

 

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2022/07/26

■玉野井芳郎さんをご存知でしょうか

先日、新しい経済に関心を持っている2人の若者に会いました。
会うきっかけになったのは、私が大学で学んだ経済学の教授のおかげです。

玉野井芳郎さんがその人ですが、私が受講していた時はまだ玉野井さんは、教授になったばかりで、経済学史中心の講義だったため、私には退屈でした。以来、経済学への関心を失い、大学時代には経済学関係の授業は全く受けませんでした。
しかし、玉野井さんの話し方や動き方はなぜかとても印象的で、人間としては、記憶に残っている先生の一人です。

私が経済学に興味を持ち始めたのは会社に入ってからです。
1970年代には経済が大きく変わりだそうとしているのが、私にもわかりました。
それが結局は、私が会社を辞める遠因になっているのですが、当時、私が関心を持っていた本を読んでいて、そこに意外にも玉野井さんの名前を見つけました。
学陽書房の「いのちと農の論理」あるいは「地域主義」です。
当時、私が関心を持っていたテーマで、玉野井さんとは関係なく読んだ本です。。
いずれも玉野井さんは編者のひとりでしたが、学生時代の印象が強く、玉野井さんよりもほかの編者に興味を感じ、影響を受けていました。

ところが玉野井さんが亡くなった後、1990年になって、玉野井芳郎著作集全4巻が学陽書房から出版されました。その頃は、私は経済や企業に大きく失望し、せめて自分だけは納得できる生き方をしようと会社を辞めてしまっていました。
ただし逃げたわけではなく、ささやかながら企業の変革にはしばらく関わっていました。

玉野井さんの著作集を読んで、地域主義やエントロピーや農業経済への玉野井さんの思いと実践を知りましたが、それに気づくのがいささか遅かったのは、大学での授業のせいかもしれません。残念なことをしてしまいました。

玉野井さんの全集を契機に、日本の経済の方向が変わるかと期待しましたが、そういう方向への経済の動きは見当たらず、ますますマネタリー・エコノミーやエコノミカル・ポリティクスへと日本の社会は変わりだしました。1980年代に広がりだした再生エネルギーへの動きも、原発中心へと変わってしまいました。
「失われた30年」とよく言われますが、私は「逆戻りした30年」だと思っています。

時代の反転の中で、玉野井さんの経済学も、その後またあまり話題にならなくなりました。宇沢さんの社会的共通資本論にも期待してむさぼるように読みましたが、同じように思ったほどの動きにはなりませんでした。
金融中心のマネタリー・エコノミーはますます加速され、もう行き着くところまで来てしまったような気もします。

しかし最近、あきらめることはないという動きに出会い始めました。
冒頭の2人の若者や、今月初めに湯島でサロンをしてもらった農に取り組んでいる若者は、どうも私が生きている世界とはかなり違う世界を見ているようです。
それに最近、日本でも翻訳が出版されたネグリとハートの「アセンブリ」(岩波書店)によれば、マルチチュードによる新しい政治や経済の時代への条件が生まれだしていると言います。すべては両刃の剣なのです。

そんなこともあって、もういいかと思っていましたが、もう少し現世で生きてみようと思いだしています。
ちなみに、9月11日には、玉野井さんの生命系の経済を修論でまとめた岸本さんに、湯島でサロンをやってもらう予定です。
ぜひ多くの人に参加してほしいと思っています。

ネグリとハートの「アセンブリ」もお勧めです。

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2022/07/11

■サニーレタス1袋78円が3袋100円

娘たちと一緒に、近くのお店に久しぶりに歩いて出かけたのですが、帰りに娘がよく利用している八百屋さんに寄るというのでついていきました。
そこにサニーレタスがあったので買ってもらおうと思って、よく見たら、「1袋78円 3袋100円」と書いてありました。
見間違えかなと思ってお店の人におかしくないですかと訊いたら、それでいいというのです。どうも納得できなかったのですが、結局、3つ買ってもらいました。

 後で娘たちに訊いたら、おかしくないというのです。
イタリアンのお店をやっている娘の連れ合いも一緒だったのですが、彼が言うには、葉物はどんどん鮮度が落ちるので早く売らないといけないので、こういう値付けは理に適っていると説明してくれました。
娘も、こういう値段のつけ方をこの八百屋さんはよくしているよと言います。

 たしかにそう思いながら店内の商品の値段を見たら、スーパーとはかなり値段のつけ方が違います。いや商品そのものも違う。
手づくりのナスの漬物があったので、それも買ってもらいました。

 しかし、「1袋78円 3袋100円」というのは実に新鮮です。
考えてみると実に理に適っている。
「1袋78円 3袋500円」というのもあっていいし、「1袋以上いくつでも100円」というのもいいかもしれない。

 イタリアンのお店をやっている娘の連れ合いには、そういうことが体験的にわかるのでしょう。物やサービスの値段は、論理的ではありえないという当然の事実に、今日は改めて気づかせてもらいました。

 私は、サニーレタスが好きなので、一袋などすぐ食べてしまいます。
しかし畑やブランドで育ててうまくいったことはまだ一度もありません。

よく野菜の価格は安すぎるという人もいますが、そもそも野菜に価格をつけることが間違っているのかもしれません。
いや、そもそも物やサービスに価格をつけることの意味を、もっと考え直してみる必要があるのかもしれません。少なくとも私は誰かに価格をつけられたくありませんが、野菜もそう思っているかもしれません。
霜里農場の金子夫妻の考えが、ようやく少しわかったような気がします。

 単に暑さのために、思考力が鈍っているだけのことかもしれませんが。

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2022/06/25

■〔参院選で考えたこと:2〕物価上昇は良いことなのか悪いことなのか

今回の参院選では物価上昇対策が争点の一つのようです。
たしかに最近の消費者物価の上昇の広がりは私のような者にもちょっと気になります。
今朝の朝日新聞のトップ記事は「物価 5月も2.1%上昇」とあります。

しかし、つい1年ほど前までは、デフレ脱却に向けて物価上昇2%が目標にされていたような気もします。
物価上昇は良いことなのか悪いことなのか、どうもわかりません。

そもそも「物価」とは何でしょうか。
概念はわかりますし、数値になって示されるとなんとなくわかったような気になりますが、集計の仕方でいかようにも数値は変わってきます。時に改竄をしてしまうこともあるようですが、改竄などする必要などなく、政策に沿った数値は出せるはずです。もちろんそれなりの手続きは必要ですが。
消費者物価指数の数値は、私には恣意的な政策数値にしか思えません。

私は毎週1回ほど、娘に付き合って食品の買い出しにスーパーに行きます。
そのスーパーでは「シニアデイ」というのがあって、私のような高齢者には5%割引になるのです。
もっとも私が同行すると、余計なものを勝手にかごに入れるので支払額が多くなるため、最近は来なくてもいいと言われていますが。

しかし、そのおかげで、食材などの価格の動きには触れていますが、私の漢字では2%どころではありません、2~3割上がっているものも少なくありませんし、ステルス値上げなどという詐欺まがいのものもあるので、実際にはもっと値上がりしている気もします。
その一方で、私には理解不能な「〇〇割」も広がっているようで、価格に対する感覚はかなり麻痺してきている気もします。
いま私たちはきっと何かを学ばせられているのでしょう。

いずれにしろ私が信ずるのは実際に私が買い物をする時の価格です。
現実は嘘をつきませんので。

日本政府の統計数値に信頼をおけなくなってしまったのは、本当に残念です。

 

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2022/06/16

■新しい経済・新しい政治への期待と不安

岸田政権が「新しい資本主義」を打ち出し、経済のあり方を議論しだしています。
その内容も少しずつ公表されだしていますが、どうもその方向は私が望んでいるのとは真反対のようです。

一方、政治の世界では、少しずつですが、新しい政治への動きが広がっています。
れいわや参政党の発想には、これまでの政治とは違うパラダイムを感じます。

「新しい政治」や「新しい経済」に関しては、5,6年前に湯島のサロンで話題にさせてもらったことがあります。
私の考える「新しい」という意味は、いずれも「個人の生活」を基軸にするという意味です。そうした視点から考えると、新しい動きを感ずることが多くなりました。

しかし、当然とはいえ、いまの政府や経済団体は、そうした新しい流れには否定的です。
そこで、「新しい」という意味が全く真逆に使われてしまうことになります。
社会は人間の生命までも含めて市場化され、政治はお金に支配されて経済化してしまいそうです。このままだとお金がなければ生きられなくなりそうな不安があります。
むかし読んだ本の中に、沖縄のオバアの「お金がないから貧乏だなんて誰が決めたんだろうね」という言葉を思い出します。

昨日の生活事業研究会でいろいろと話し合って、先に投稿した「経済の捉え方の流れ」を書き変えてみました。現実に起こっているのは、ポリティカルエコノミーからエコノミカルポリティクスへ移行で、私が会社を辞めた時に考えた「コモンズの回復」とは逆に、「コモンズの崩壊」を引き起こし、それが故に私は生きにくくなっているのです。

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そんなことを考えているうちに、久しぶりに私が話させてもらうサロンをやりたくなりました。4年ぶりでしょうか。テーマは「新しい経済・新しい政治」。
サロンをすることが決まったら案内させてもらいます。

 

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2022/05/18

■「新しい経済」に向けての2冊の本をお薦めします

週末に雨が降ってどろどろの畑には行けなかったので、晴耕雨読ではありませんが、週明けの2日間、読書に埋没し、2冊の本を読了しました。
偶然選んで、並行して読んだのですが、深くかかわっている2冊でした。

一冊は、スペインやポルトガルで活動している4人の経済学者が書いた「なぜ、脱成長なのか」(NHK出版)、もう一冊はアダム・スミスの評伝「アダム・スミス 共感の経済学」(早川書房)です。
いずれも今の経済の問題をわかりやすく指摘し、それにどう向かうかを示唆しています。

「なぜ、脱成長なのか」には、コモンズをつくり、維持し、享受していくプロセスを意味する「コモニング」という言葉を登場させています。
これは私の長年のテーマである「コモンズの共創」につながっていますので、とても共感できます。著者たちも関わっているであろうバルセロナの事例も元気が出ます。

「アダム・スミス 共感の経済学」は、「共感」を通じた人間への深い理解を中心にした「人間の科学」という捉え方から、「経済学」を根本から捉え直そうと呼びかけています。フェミニスト経済学の視点は、私が今湯島で始めた「生活事業研究会」につながるものを感じます。
私のアダム・スミス理解はまだまだ狭かった気がします。「道徳感情論」も一応は読んではいるのですが、経済学者だという思い込みが強すぎました。

同書の最後の部分を引用させてもらいます。

この偉大な業績の価値を正しく評価した人はまだいない。過激思想や誤った事実認識が渦巻き未来の見えない今日の世界にあって、スミスの知恵と思想は、その合意まで含めていまなお有効だ。私たちは過去のどの時代にも増してアダム・スミスを必要としている。

本書を読み終えて、その意味がよくわかります。「新しい資本主義」が議論されていますが、委員のみなさんにはぜひ読んでほしいものです。

いつものように、2冊を並行して読んだのですが(一方に疲れると他方を読む感じで)、今回は偶然にも同じテーマにつながっていました。いずれも「新しい経済」「新しい生き方」を示唆するものでした。
この本はお薦めです。

友人が私が6年前に書いたフェイスブック記事を思い出して、なぜか昨日、シェアしてくれました。
それを読んでなんだかうれしくなって、2冊の本を紹介してしまいました。
前者は軽い本なのですぐ読めるでしょうが、後者は少しハードです。
でもいずれも多くの人に読んでほしい本です。

6年前の記事も改めてシェアさせてもらいます。
https://www.facebook.com/notes/355354392247074/

斉藤さん、思い出させてくれてありがとうございます。
しかし何というシンクロニシティでしょうか。

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2022/03/27

■またまた牛乳ピンチ??

昨日の朝日新聞の夕刊のトップ記事は「春休み またまた牛乳ピンチ」という見出しの記事でした。
それによれば、春休みや大型連休で学校給食がなくなる5月にかけて、牛乳の原料となる生乳が余り、廃棄される恐れが再び浮上しているというのです。

昨年、牛乳が余って廃棄されるというので、それまでほとんど飲んでいなかった牛乳を毎日、2回も飲むようにしました。そのためお腹を壊してしまい、以来、どうも胃腸の具合が戻りません。困ったものです。
しかしなんとか廃棄の危機は回避されたということで喜んでいました。

にもかかわらず、またまた廃棄の危機!?
どこかおかしいでしょう。
先日の電力危機もおかしかったですが(背後の意図をついつい勘ぐってしまいます)、何かがおかしくなっている気がします。

さらにあきれたのは、その記事に、ホクレン農協連合会が「これまで生乳をつくれつくれと言っていたのに、今度は余ったから生産を押さえろという。そんなにコロコロ変わる農政はおかしい」と訴えていることが紹介されていたことです。
これを読んで心底呆れました。
ホクレン農協連合会はすべて「農政」に丸投げしていたということでしょう。それではちょっとしたことで廃棄の危機に見舞われるはずです。よくまあ、こんな発言を恥じらいもなくするものです。ホクレンはまともな組織なのでしょうか。

もう牛乳廃棄回避には加担しないことにしました。まずはホクレンのような無責任な組織をなくすことに協力したいです。これまで飲んでいた牛乳ももう飲むのをやめることにしました。まともな酪農家の牛乳なら飲もうとは思いますが、スーパーの牛乳はもう飲むのをやめることにします。

これできっと胃腸の調子も回復するでしょう。いやそうなればいいのですが。

 

 

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2021/10/16

■「新しい資本主義」「新しい経済」

岸田さんの提起した「新しい資本主義」が話題になってきています。
実現会議も発足しましたが、そのメンバーからも方向性は少し見えてきました。
15人のメンバーで私が知っているのは一人だけで、しかも面識があるだけで親しくはありません。ただし、その人の実践実績は、私のイメージする「新しい経済」の考えには合っています。まあ、今の資本主義の真っただ中にいる人ではありますが。

「新しい資本主義」、さらには「新しい経済」を話題にするサロンも考えていきたいと思っていますが、視点をちょっと変えるだけでも新しい経済への入り口は開けるように思います。その気になれば、いろいろと見えてきます。

たとえば、「成長と分配」という言葉の、どこに起点を置くかでも、経済も資本主義もまったく違ったものになるような気がします。

これまでの経済(資本主義)は、「成長のための経済」でした。
そこでは「分配」もまた「成長」のためでした。
有名な「フォードの5ドルの神話」があります。
自動車会社のフォードが労働者の日給をそれまでの2.5ドルから5ドルに倍増することで、労働生産性が上昇するとともに労働者が自動車の消費者になって市場が急拡大し、その後の成長につながったのです。
しかし、そこでの経済の目標はあくまでも「資本の成長」「経済の成長」であり、生活者の豊かさは目標ではありませんでした。

それに対して、経済を「分配(再配分)のための経済」と捉え直すと、経済の仕組みは一変します。
再配分のためにもし成長が必要であれば、成長がサブ目標になるでしょうが、必要なければ成長は不要になる。というよりも、成長の基準が変わってくるでしょう。言い換えれば、経済の指標が変わるということです。
そこに「新しい資本主義」の入り口が見えてくる。

もちろん、資本主義を超えた「もう一つの経済」という動きもたくさんあります。
私たちは、今の資本主義経済(金銭基準経済)に浸りきっていますが、つい半世紀ほど前までは日本もまだ金銭がそれほど覆っていたわけではありません。
いまではお金がないと都会では暮らしていけませんが、そういう状況になったのは、ついこの50年ほどの話なのです。
お金に呪縛されない若い世代も出て来ているようですから、資本主義を超えた「もう一つの経済」も実現するかもしれません。
そうしたことを視野において、「新しい資本主義」を考えると、いろんな道が見えてくる。

湯島で「新しい経済」を話題にしたサロンを少しやってみようと思います。そろそろ機が熟してきているように思いますので。

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2021/09/22

■野菜不足の朝食が続いています

今日は、どうでもいい話です(まあ、いつもそうですが)。

私の朝食はトースト中心です、
トーストはサンジェルマンが好きですが、経済的な理由でサンジェルマンは娘が買ってきてくれた時だけで、普段はフジパン本仕込みです。
それにマーガリンとビアソーセージ、それにたっぷりのサニーレタスが基本です。
マグカップにたっぷりの珈琲は時々お替りしますので、かなり飲みます。
それに青汁豆乳バナナジュースと黒酢ドリンク、そしてメカブです。
水分が多いのは、脳神経外科の医師から言われているからです。
果物も欠かせません。だから果物の多い秋は私にはいい季節です。

ただ最近、少し内容が変わってきています。
秋なのに、果物が少ないのです。秋だからいろいろとあるだろうと娘に言いますが、例年よりも高いそうで、何か少ない気がします。

しかし問題は、サニーレタスです。
この1週間、食べられずにいます。
理由は高いからです。いつもの3倍もするので、私自身も我慢しているのです。
娘がサニーレタスの苗を買ってきて植えてくれましたが、食べられるようになるのは時間がかかります。
当分、サニーレタスなしの朝食が続きそうです。

私は月に数回、娘と一緒にスーパーに行きますので、物価に関してはそれなりに感じていますが、最近の野菜や果物の値上がりはかなりです。
しかしその一方で、工業製品的な食品はあまり価格が変わっていません。
そればかりではありません。お惣菜やお弁当類の価格もむしろ安くなっているような気がします。
こうした価格の跛行現象に、経済の先行きが少し見えるような気がしますが、それ以上に、価格は消費者の好みが決めているのだなと痛感します。

それともう一つ、不思議に思うのは、同じ工業生産的食品の価格が、お店によって大きく違うことです。すぐ近くのお店で、同じ商品が倍近い価格で売られていても、価格は収斂しないのです。いや、同じお店でさえ、同じ商品が時に5割安くらいで売られることがあるのです。

そういうことが面白く、私は月に数回、娘に頼んで、いろんなお店に連れて行ってもらいます。そこからいろんな社会の実相や経済の仕組みが見えてくる気がします。
統計でみる経済が、いかに現実と乖離しているかは、毎週、スーパーの店頭に行くだけでかなりわかります。
真実は現場にある、というのが私の生活信条の一つですが、ますますそう確信してきています。

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2021/09/10

■お金をコモンズにすれば、経済のあり方は一変する

はじめてpay payを使いました。
と言っても、受動的に、ですが。

FBで紹介した小冊子「私の戦時体験」を送ってほしいという友人に郵送しました。
その友人から、郵送料をpay payで送ってみたいと連絡がありました。
彼女も初めてのようです。

私もずっと前にpay payに登録していたのですが、まったく使うこともなく放置していましたので、そんなことができるとは思ってもいませんでした。
手数料なしで、お金のやりとりができるのであれば便利です。
最近の銀行の振込手数料は高いですから。
彼女から送ったと連絡がありましたので、pay pay画面を見ると、「受け取る」というところがあり、それを押すと、すぐ入金されました。
それでお金の授受が終了。実に簡単です。

こういう仕組みが広がっていくと、お金はいらなくなっていくような気がします。
私は現金をほとんど持たずに生活しています。
そもそも「金銭消費」はほとんどしない生き方をしていますし、もし必要な場合も、カードでほぼ事足りるからです。
そうしているとお金を持っていることさえ忘れます。
時々、銀行残高が足りなくなって、請求がきたり、不都合が起こったりすることがありますが、まあ年に数回です。

今はまだそういう場合、私自身が何とか工面して銀行に入金しなければいけませんが、そのうち、誰かが入金してくれるようになるでしょう(例えばベーシックインカム)。
そうなれば、お金などに惑わされることなく、思う存分、仕事ができるようになる。
仕事(働く)と稼ぐことを混同するようなこともなくなるでしょう。
仕事がないなどというバカげた考えも抱かなくなるでしょう。

 私の関心事は「コモンズの回復(共創)」ですが、お金をコモンズ(みんなのもの)にできれば、経済のあり方は一変します。
昨日のサロンでは地域通貨が話題になりましたが、お金のない社会をみんなで話し合ってみるのも面白いかもしれません。

 

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