カテゴリー「経済時評」の記事

2020/09/29

■ようやくプロシューマーの時代が到来しそうです

いまわが家のリフォームを進めていますが、これを機に、エアコンを導入することにしました。
今さら何をと笑われそうですが、私の仕事部屋も寝室も、これまでエアコンはなかったのです。夏は暑いところに価値があるとエアコンを拒否していたのですが、この歳になると命にかかわるといわれ、それには抗えないからです。

それでリフォームをお願いしている会社に見積もってもらったら、意外と高いのと、商品が指定されていたので、昨日、大手家電販売店に現物を見に行ったのです。
いまはエアコン商戦の端境期だそうで、売り場は閑散としていました。

エアコンを見ていたら店員の方が来て説明してくれました。
メーカーのダイキンからの派遣社員の中西さんでした。

説明がわかりやすいのと好印象だったので、リフォーム会社からのお勧めの三菱の霧ヶ峰はやめてダイキンの商品に変えることにしました。店頭での販売員の影響は大きいです。
価格はリフォーム会社の見積もりに比べてかなり安価でしたが、購入は1か月くらい先だと言うと中西さんはきっとさらに安くなると話してくれました。
それでリフォーム会社に頼まずに、家電販売店から購入しようかと思いだしました。

まあこれはほんの一例なのですが、住宅も自分でつくれる時代になっていきそうですね。
おもちゃのロゴを組み立てるように。
プレハブ住宅ではなく、モジュールハウスです。
その前に、たぶん自動車や電子機器は自分で組み立てられるようになるでしょう。
産業構造や生活構造は大きく変わりそうです。
まあその前に私の人生は終わるでしょうが。

家のリフォームをしているおかげで、いろんなことに気づかせてもらえます。

 

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2020/07/31

■地域通貨活動の映画づくりのためのクラウドファンディングへの応援のお願い

 湯島のサロンでは、時々、地域通貨が話題になりますが、19年前から長野県上田市で地域通貨活動に取り組んでいる「蚕都(さんと)くらぶ・ま~ゆ」というのがあります。
http://mayu.lolipop.jp/santo/

私は2005年に信濃大町で開催された地域通貨の集まりに参加した時に、そこで蚕都くらぶ・ま~ゆの前田光俊さんにお会いしました。
とてもしっかりした活動をされていましたが、その後、私は妻の病気などあって、交流が途絶えていました。

その前田さんから、久しぶりにメールが来ました。
蚕都くらぶ・ま~ゆでは、千葉大学大学院生と一緒に、これまでの活動を振り返りつつ未来を展望するドキュメンタリー映画の制作を始めたそうです。
タイトルは『もうひとつの明日へ』。
住民一人ひとりが持続可能な社会を創る主人公であることを発信していきたいと前田さんは考えています。
すでにホームページはできています。
https://mayudocumentary.wixsite.com/website

映画づくりのための資金はクラウドファンディングでいま集めているところだそうです。
https://motion-gallery.net/projects/ma-yu2020
ついては、ぜひ応援してほしいと言うのです。

私も以前、いくつかの地域通貨に関わりましたが、前田さんたちの「まーゆ」はとても地に足着いたいい活動でした。
ぜひ多くの人に応援していただきたくて、紹介させてもらいます。

よろしくお願いいたします。
湯島でもまた地域通貨のサロンも開催を企画しています。

 

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2020/07/21

■「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化を目指す本の紹介

濱中都己さんの「世にも恐ろしい損保犯罪の話」(平成出版 1300円)をご紹介します。

本書の出発点になった事件に関しては、私も濱中さんからお話をお聞きしながら、お役にたてていない反省があるのですが、湯島のサロンで改めて取り上げたいと思っています。

まずは出版社による本書の紹介文をお読みください。

本書は、日本のエリン・ブロコビッチとも言える、著者の執念の賜物です。 日本では、すでに既得権のある大企業、とりわけ損保業界に、はむかう人はいません。 母親の交通事故をきっかけに、国民健康保険を利用する形で交通事故の補償をするのはおかしいのではないかと著者が主張すると、不当逮捕・冤罪被害となってしまいました。しかも恫喝も続きます。 本書を読んで、不当な立場におかれている「弱者」について、ぜひ考えていただきたいです。

エリン・ブロコビッチ。
ジュリア・ロバーツ主演の映画「エリン・ブロコビッチ」を観た人も少なくないでしょう。
私も数回見ましたが、そう言われてみると、たしかに著者の濱中さんにはそういう雰囲気があります。偶然に出合ってしまった問題を掘り下げていくうちに、利権構造で固められ、不労所得に覆われている日本の社会にぶつかってしまい、どんどんと深のめりしている濱中さんには、むしろエリン・ブロコビッチ以上のパワーを感じます。

本書には、その濱中さんが、突然の母親の交通事故から、国民健康保険をむしばむ巨大損保会社の犯罪に巻き込まれ、怒りを強めていく過程が克明に描かれています。そうした「生活者」の怒りの対象はどんどん広がり、そして金融省までも含む既得権益による「社会的犯罪」に挑むことになっていくという、生活と深くかかわった告発の書です。

そこで示唆されているのは、単に損保業界の話にとどまりません。
たとえば、本書では特別民間法人の話が出てきますが、そこに現在の日本社会の本質が垣間見えています。すべて利権に絡め取られ、労働と収入は全く無縁になっているとさえ思いたくなる日本の経済社会の実相が、です。

しかし、ほとんどの人がそうした仕組みに組み込まれているために、おかしなことを「おかしい」とさえいえなくなっている。その仕組みを変えないといけないと、濱中さんは立ち上がっているわけです。まさに、物知り顔で事実を見過ごす人たちとは違う、「生活者」ならではの行動です。
そうした行動の結果、濱中さん自身が、「恫喝訴訟」とも言われる、威嚇目的のスラップ訴訟の対象にされるのですが、そこから日本の司法界の問題も見えてきます。
国民が安心して暮らせて行いけるための、せっかくの「保険」や「司法」という社会の仕組みが、それらの目的とは全く真反対の運用がされている現実も垣間見えてきます。

濱中さんは、単に問題提起しているだけではありません。身体をはって行動しています。たとえば、交通事故損保犯罪対策委員会を立ち上げたり、「反スラップ法制定」の請願活動を呼びかけたりしています。

本書の「あとがき」の一文を紹介します。

いままで国民の目から巧妙に隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性を可視化し、行政立法の内容等を行政訴訟の対象とすることによって不適切性や違法性を早期に是正することは国民の権利義務の正当性実現と救済にとっても極めて大きな意義を有します。

「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化。
濱中さんの活動がそのきっかけの一つになればと思い、私に何ができるかを考えていますが、まずは本書の紹介から始めることにしました。
濱中さんに頼んで湯島のサロンも開催したいと思っています。
またご案内させてもらいます。

 

 

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2020/07/01

■ふるさと納税制度の主旨はなんだったのか

ふるさと納税制度には私は反対でしたし、いまも反対です。
創設のときから、これは税金の商品化を進め、税金の意味をおかしくするものだと思っていました。

しかし、財政に対する国民主権意識を高める上では一時的な効果はあるかとささやかな期待もしていましたが、返礼が地域の特産品ではなく、商品券のようなものになったり、還元率が3割になったりするようになれば、これはもう税制度をこわす方向に行くだろうと思っていました。
ですから総務省が、泉佐野市の還元率の高い「ふるさと納税」制度をふるさと納税の対象から外したことは当然のことだと考えていました。
そんなことのために仕事をする自治体行政は解散してほしいとさえ思いましたし、市長の行為は違法ではないかとさえ思っていました。

大阪高裁は、総務省を支持しましたが、泉佐野市の控訴を受けて行われた最高裁は、昨日、逆転判決を出し、泉佐野市の制度はふるさと納税に対象になるとしました。

国民の税金の3割が納税者に私的に還元され、しかもそのための費用もかかるのですから、どう考えても納得できません。いまのバブルなふるさと納税を巡っては、おかしな事件も起こっています。まさに行政もお金まみれになってしまっている気さえします。
アメリカの行政革命から始まったニューパブリックマネジメントは、そんなことを目指していたのではないでしょう。そんなはずはないと思いたいですが、いまから考えれば、それが目的だったのかもしれません。つまり市場至上主義による「汎市場化」の一貫だったとも考えられます。

法(制度)の趣旨を理解せずに、法の条文でしか判断できない裁判官と制度の悪用(私物化)に知恵を働かす自治体首長に、怒りを感じます。
税金というのはいったいなんなのか。
ふるさと納税制度は、本旨に戻り、泉佐野市もまじめな自治行政に取り組んでほしいです。

 

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2020/04/23

■コロナ危機が可視化してくれた3つの岐路

今回の新型コロナウイルスのパンデミック(コロナ危機)は一過性の危機ではなく、これによって、社会は大きく変わっていくだろうと言われています。
何がどう変わるかに関しても、さまざまな指摘が行われていますが、私なりに少し考えてみたいと思います。

コロナ危機は私たちにとってのいくつかの「岐路」を可視化してくれているような気がしますが、いまここで、どの道を選ぶかで、これからの社会の方向が決まっていくはずです。
それは、決して他人事ではないばかりか、自らの人生にもつながってきますし、ひとりの行動が社会を変えていくことにつながっていくかもしれません。
ただ単に「コロナ危機」を乗り越えた、で終わるのではなく、この「危機」を契機にして、未来を良いものに変えていくことができれば、いまの苦労も報われます。

ではどういう岐路に立っているのか。

第1の岐路は、「取り合いか分かち合いか」です。
これまでの経済や社会の基調は「取り合い」でした。
政治は利益の配分でしたし、経済は利益の取り合いでした。
今回のコロナ騒ぎでも、まさにそうした動きがさまざまなところに見えています。

しかし、その一方で、支え合う政治や分かち合う経済の動きも広がっています。
たとえば、経済でいえば、市場を中心としたマネタリーエコノミー(資本主義経済)は依然、支配的ではありますが、生活(コモンズ)を中心としたソーシャルエコノミーへの動きも静かに広がりだしています。これまでの経済観に囚われているとそうした動きはなかなか見えてきませんが、コロナ危機は、そうした動きを可視化し、加速しているように思います。
経済の枠組みそのものが大きく変わりだしてきているのです。

第2の岐路は、「自由か安全か」です。
リベラル・デモクラシーの矛盾が顕在化し、民主主義か自由主義かという選択においては、少なくとも欧米や日本では、自由主義へと重心が向いていました。
そのため「民主主義の危機」が叫ばれてきています。

しかし、それと合わせて、「リスク社会」化を背景に、「自由か安全か」が大きな問題になってきています。
民主主義か自由主義か、と、自由か安全かは、深くつながっています。
コロナ危機状況の中で、日本では、多くの人が、自由よりも安全を選択していますが、その安全が将来的には不安全を内包していることにはあまり意識が向いていません。
また、民主主義や自由にどう影響を与えるかも、あまり考えられているとは思えません。

この問題は、さらに、「同調か自律か」という第3の岐路につながっています。
民主主義を「個人の尊重」ととらえれば、その基本には「自分で考える」個人という主体的な存在が不可欠ですが、少なくとも最近の日本においては、「自分で考える」ことは生きにくさにつながってきています。
組織の中で「自分の考え」にこだわっていると、うまくいかず、最悪の場合は死に追いやられます。

そこまでいかなくとも、自分を殺して組織のために行動することが多くの人の生きる基準になってしまっています。
組織の力と個人の力ではいまや勝負にならない関係になってしまっています。

そのために、自分で考えることが人間である条件だと思っている私には、いまや日本から人間がどんどん消えてきていると思っていますが、もしかしたらコロナ危機がそれを反転させてくれるかもしれないと根拠もなしに思い出しています。
なぜなら、結局、自分でしっかりと考えていかないと安全は守れないことにみんな気づくのではないかと思うからです。
コラテラル・ダメッジがはびこる組織では、個人の安全は本来は守られないのです。

ほかにもいろいろな岐路があります。
小さな国家か大きな国家か、あるいはグローバリゼーションのスタイル。
ソーシャルディスタンスに象徴される、人間の関係性に関する岐路。
いろいろあります。

新型コロナウイルスが恐ろしいのではありません。
それにどう対処するかが大切なのです。
対処の仕様では恐ろしい状況を生み出しますが、私たちの未来にとって、幸いをもたらしてくれるかもしれません。
恐ろしがってばかりいるのでは、未来は開けてきません。

このシリーズはブログで少し書き続けようと思います。
5月にはこれをテーマにサロンもやりたいと思っています。

 

 

 

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2020/04/09

■奪い合いか支え合いかのどちらを選ぶか

新型コロナウイルス騒ぎで、いろいろなことが可視化されてきていますが、そこに真反対の動きが見てとれます。

たとえば、マスク騒ぎ。一方で買占めに走ったり、高く売ったりする人がいる反面、なけなしのマスクを困っている人に提供したり、工夫して手作りマスクを作ってみんなに提供したりする人もいます。
ショックドクトリン的におかしなことをする人もいますが、災害ユートピア的な人のつながりも生まれてきています。

ソーシャルディスタンスとか外出禁止とか、会う人を減らせとか、という風潮が広がっていると同時に、こういう時だからこそお互いのことを気遣って電話をしたり、注意して会いに行ったりすることも行われています。
私のところにも、思ってもいない人から電話が来たりメールが来たりしています。
それも海外の、もしかしたら日本よりも大変ではないかと思われるところからもです。

政府の政策を否定するつもりは全くないのですが、経済的な救済策が、注意しないと「奪い合い関係」を生み出すのではないかと心配です。
みんなが一体になってというのであれば、小賢しい条件や手続きは逆効果になりかねません。支援策が人間関係をこわし、復興を妨げたであろう3.11の時を思い出さなければいけません。
奪い合いにつながらなければいいのですが。

政府による経済的な支援ももちろん大切ですが、「支え合い」による支援も大切です。
それにそれなら誰にでもできることはあります。
人はお金だけで生きているわけではありません。

昨日の朝日新聞の「インタビュー」で、社会学者の大澤真幸さんが、「ポジティブな道とネガティブな道、どちらに進むかという岐路に私たちは立っています」「破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思います」と話していますが、私も心底、そう思います。

奪い合いを基軸にする最近の市場中心のマネタリーエコノミー(資本主義経済)から支え合いを基軸にする生活を中心としたコモンズエコノミーへと軸足を移す大きな契機になればと思っています。
そうしたことを考えるサロンを、できるだけ早く始めたいと思っています。

 

 

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2020/03/06

■「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(新評論)をお薦めします

湯島サロン仲間の折原利男さんの新著「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(新評論)が出版されました。ドイツの脱原発倫理委員会メンバーのミランダ・シュラーズさんを日本にお迎えし、各地で行った講演会や市民との話し合いなどの記録をまとめたものです。折原さんが、随所に最新の情報や注釈をていねいに補記してくれています。
脱原発政策に転じたドイツが、実際にどう変わってきているかが具体的に伝わってきます。
自らの生き方にも実践的なヒントがもらえる本なので、多くの人に読んでいただきたく、紹介させてもらいます。

書名は、3.11の福島原発事故後話題になった、福島原発のある双葉町にあった大きな看板「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語をもじったものです。
単に「脱原子力」ではなく、未来に向けてのビジョンが具体的に語られています。
副題が『ミランダ・シュラーズさんと考える「日本の進むべき道筋」』となっていますが、道筋だけではなく、その進め方に関しても具体的に語られています。
とりわけ、高校生との対話で呼びかけられているミランダさんのメッセージは実践的で、私たち大人も傾聴し実践すべき内容です。

環境NGOの満田夏花さんが推薦文で、「原発をどうするのか。それは単なるエネルギーの問題だけでなく、民主主義の問題であり、私たちの暮らしや生業、環境の問題であり、私たちや未来の世代に何を残すかという選択の問題であることを、この本は、決して押しつけがましくなく、平易だが確固とした言葉で指し示してくれている」と書いていますが、まさにその通り。ともかく、ぜひ読んでいただきたいと思います。

蛇足になりかねませんが、私が特に印象的だったことを3つだけ紹介します。

ドイツでは、いま、「エネルギー自給村」や「エネルギー協同組合」が広がっています。自然エネルギーに投資するということは、地域の生活の未来を考えることであり、脱原発というエネルギー転換は雇用の創出につながっているそうです。
それは、循環型・持続型の経済へと経済や産業の枠組みを変え、人々の働き方を変えることにもつながっているようです。

また、ある地域は風力、ある地域はソーラーというように、自然立地の差を生かした自然エネルギーの支え合いが展開されることで、表情ある地域整備が始まっているようです。これまでのような地域開発とは発想が全く違います。

政治の進め方に関しても、大きな変化があるようです。ミランダさんは、それを「ドイツのもうひとつの革命」と表現しています。
脱原発が決まった後、それを推進していくために、政府と国民をしっかりとつなぐ仕組みがつくられたそうです。そして、国民の信頼を得るには市民たちとの交流が必要であるという考えで、直接、国民に呼びかけて政治への参加を実現したそうです。
ミランダさんは、「脱原発は民主主義のあり方とも結びついている」と言っていますが、脱原発を通して、ドイツではデモクラシーが問い直されているようです。

経済パラダイム、地域開発パラダイム、そして政治パラダイム。
この3つのパラダイムシフトが読み取れますが、さらにミランダさんは「倫理」とか「プロテスト(抗議行動、反対運動)」という人間としての生き方にも言及されています。

学ぶことが盛りだくさんの内容ですが、それらがとても平易な生活言葉で書かれています。
そして、ミランダさんの「前向きに目の前の状況を一つひとつ改善し、明日に向かってより良く変革していく」姿勢から大きな元気がもらえます。

最後にちょっと長いですが、ミランダさんがフクシマの高校生たちとのトークセッションで高校生たちに話したメッセージを引用します。

「今世のなかを見ると、民主主義が危ないんですよ。あなたたちの時代は大変なことが始まっている。民主主義を助けてあげないといけない、自分たちの未来を強くするためにも」
「皆が自分の考えていることを言う[のが民主主義]」
「いろんな意見があるから、それをちゃんと発言しないと、民主主義が消えてしまう」
(高校生たちから、自分たちにできることはあるかと問われて)「自分の地域の政治家に手紙を出したことありますか? 自分だけでなくて高校のみんなが政治家に手紙を書いて送る。安倍首相に手紙を書いたことありますか。書いたらどうでしょうか。そしてその手紙を新聞社やジャーナリストに送ったらどうですか」

機会があれば、折原さんに湯島でサロンをやってもらおうと思いますが、まずはぜひ本書を読んでもらえればうれしいです。
もし本書を入手されたい方は、折原さんに直接ご連絡いただければ、税、送料込みで1800円で送ってくれるそうです。
私にご連絡いただければ折原さんの連絡先をお伝えします。

9784794811462

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2019/11/27

■「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」

「経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である」。

これはケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』の結び近くで放った警句だそうです。
とても納得できる言葉です。
私もまた、そうした意味では「奴隷」であることは間違いありません。
最近、改めてそのことに気づかされています。

この言葉に出合ったのは、今日、読み終えた「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」です。
日経の経済部記者だった佐々木実さんが時間をかけて取材してきた大作です。

ずっと違和感を持っていたいくつかのことが少し納得できました。

たとえば、なぜ宇沢さんはシカゴ大学などにいたのか。
そしてなぜ日本に戻ってきたのか。
また、なぜアメリカではケインズ経済学が評価されないのか。
さらにどうして私が経済学を好きになれないのかも。

まあそれはそれとして、この本は実に面白いです。
政治と経済に関心をお持ちの方にお勧めします。
ちょっと厚いのが問題ですが。

宇沢さんが編著した社会的共通資本シリーズはほぼすべて読んでいますが、惜しむらくは、「報道」問題が取り上げられないままに宇沢さんが亡くなったことです。
できれば「社会的共通資本としての経済学」も書いてほしかったです。

 

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2019/11/01

■2日間、悩み続けています

東京か札幌か、英語の試験制度は導入すべきかどうか、など世間は現場知らずの人たちによって振り回されていますが、私のこの2日間の関心はまったく別のところにあります。

私が、この2日間、いくら考えてもわからないのは郵便局員による切手不正換金問題です。
「料金別納」郵便の支払いで使われた切手を、廃棄せずに金券ショップで換金したという事件です。
2人で行ったというその額がなんと5億円以上というのには驚きましたが、私の悩みは、これによって「損をした人」は誰なのかということです。

要は、廃棄すべき切手を勝手に換金したら5億円になったということですから、ごみの再利用とも考えられます。
まあいくらでも「おかしい点」は指摘できますが、しかし、これによって「損害」を受けた人が見当たりません。
もし受けたとしたら、その行為によって懲戒解雇になった2人の郵便局員ではないかとさえ思えます。
実に悩ましい問題です。

さらにこれによって、世間的には流動性が増加し、経済成長にも寄与したでしょう。
黒田日銀総裁の手助けにもなっているかもしれません。
2人の郵便局員は賞賛されてもいいかもしれません。
なにしろゴミから5億円を生み出したのですから。

まあやり方や生み出したお金の使い方には少し問題があったような気もしますが。
でもそれで、何か社会に実害を与えたわけでもありません。

どなたかこのことで生じた損害についてご教示いただけないでしょうか。
この2日間、この答えが気になって、ずっと考え続けていましたが、救いを求めることにしました。
よろしくお願いします。

ちなみに、こうしたことが起こったのは制度が悪いと思いますが、そういう話にはあまり関心がありません。
制度には必ず欠陥はつきものですから、それはまた別の問題ですので。

 

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2019/05/19

■自動車に甘いのは経済成長のため?

87歳の公益財団法人評議員会議長で旧通産省工業技術院の幹部だった人が起こした池袋での母子殺傷事件の遺族が、再度行った運転者に呼びかける記者会見を見ました。
その行動に感動します。
当日は、加害者は任意での事情聴取に出かけましたが、途中、記者団への問いかけにほぼ無言でした。
私には信じがたい情景で、この人は謝罪や反省などとは無縁の人なのだなと感じました。

この事件を契機にして、高齢者の運転免許返納が増えているそうですし、マスコミでも盛んに取り上げられています。
しかしたぶん何も変わらないような気がします。
新聞の投書欄でも、高齢者の運転に関する議論が盛んですが、すぐにまた収まるでしょう。
そして事態は何も変わらない。

数年前に、飲酒運転事故が騒がれて、大きな問題になったことがあります。
その結果、危険運転致死傷罪もできて、処罰が厳しくできるようになりました。
しかし、その後、果たして飲酒運転は減ったのか。
私には相変わらず事態は何も変わっていないように思えます。

なぜなのか。
基本的な発想の問題だろうと思います。

私の感覚では、飲酒運転で殺傷事件を起こした人の免許は未来永劫はく奪すべきだと思います。
高齢者の運転免許は、人によって違いはあるでしょうが、80歳(たとえばですが)で免許停止にすべきだと思います。
年齢で制限するのはおかしいという意見がありますが、だとしたら3歳の子どもにも運転する権利を与えるべきですし、ましてや基本的人権を年齢で制限するべきではありません。
自分はまだ大丈夫だなどというばかげた主張がありますが、今回の加害者もそう思っていたのです。
そう主張する人は、今回の加害者と同じ世界にいる人でしょう。

しかし、なぜそんな簡単なことができないのか。
そこに経済成長志向の思考があるからではないかと私には思えます。

これは、自動車に限ったことではありません。
日本の経済成長を支えている「産業」すべてに言えることです、
その典型はやはり「原発」でしょう。
あるいは「医療」や「教育」もそうかもしれません。
明らかにおかしいと思われることがあっても、「医療」や「教育」に関しては、なかなか事態は変わりません。

さらにそれを支えている文化の問題もあります。
私たちは、いまは生活者ではなく消費者であり、労働者です。
未だに消費者運動や労働者運動が残っていることに、私は大きな違和感がありますが、その運動に大義を与えている経済の論理から言えば、交通事故は「顧客の創造」でもあるのです。

そろそろ「顧客の創造」が経済の出発点であるなどという発想を反転させるべきではないかと思います。

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