カテゴリー「経済時評」の記事

2021/09/22

■野菜不足の朝食が続いています

今日は、どうでもいい話です(まあ、いつもそうですが)。

私の朝食はトースト中心です、
トーストはサンジェルマンが好きですが、経済的な理由でサンジェルマンは娘が買ってきてくれた時だけで、普段はフジパン本仕込みです。
それにマーガリンとビアソーセージ、それにたっぷりのサニーレタスが基本です。
マグカップにたっぷりの珈琲は時々お替りしますので、かなり飲みます。
それに青汁豆乳バナナジュースと黒酢ドリンク、そしてメカブです。
水分が多いのは、脳神経外科の医師から言われているからです。
果物も欠かせません。だから果物の多い秋は私にはいい季節です。

ただ最近、少し内容が変わってきています。
秋なのに、果物が少ないのです。秋だからいろいろとあるだろうと娘に言いますが、例年よりも高いそうで、何か少ない気がします。

しかし問題は、サニーレタスです。
この1週間、食べられずにいます。
理由は高いからです。いつもの3倍もするので、私自身も我慢しているのです。
娘がサニーレタスの苗を買ってきて植えてくれましたが、食べられるようになるのは時間がかかります。
当分、サニーレタスなしの朝食が続きそうです。

私は月に数回、娘と一緒にスーパーに行きますので、物価に関してはそれなりに感じていますが、最近の野菜や果物の値上がりはかなりです。
しかしその一方で、工業製品的な食品はあまり価格が変わっていません。
そればかりではありません。お惣菜やお弁当類の価格もむしろ安くなっているような気がします。
こうした価格の跛行現象に、経済の先行きが少し見えるような気がしますが、それ以上に、価格は消費者の好みが決めているのだなと痛感します。

それともう一つ、不思議に思うのは、同じ工業生産的食品の価格が、お店によって大きく違うことです。すぐ近くのお店で、同じ商品が倍近い価格で売られていても、価格は収斂しないのです。いや、同じお店でさえ、同じ商品が時に5割安くらいで売られることがあるのです。

そういうことが面白く、私は月に数回、娘に頼んで、いろんなお店に連れて行ってもらいます。そこからいろんな社会の実相や経済の仕組みが見えてくる気がします。
統計でみる経済が、いかに現実と乖離しているかは、毎週、スーパーの店頭に行くだけでかなりわかります。
真実は現場にある、というのが私の生活信条の一つですが、ますますそう確信してきています。

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2021/09/10

■お金をコモンズにすれば、経済のあり方は一変する

はじめてpay payを使いました。
と言っても、受動的に、ですが。

FBで紹介した小冊子「私の戦時体験」を送ってほしいという友人に郵送しました。
その友人から、郵送料をpay payで送ってみたいと連絡がありました。
彼女も初めてのようです。

私もずっと前にpay payに登録していたのですが、まったく使うこともなく放置していましたので、そんなことができるとは思ってもいませんでした。
手数料なしで、お金のやりとりができるのであれば便利です。
最近の銀行の振込手数料は高いですから。
彼女から送ったと連絡がありましたので、pay pay画面を見ると、「受け取る」というところがあり、それを押すと、すぐ入金されました。
それでお金の授受が終了。実に簡単です。

こういう仕組みが広がっていくと、お金はいらなくなっていくような気がします。
私は現金をほとんど持たずに生活しています。
そもそも「金銭消費」はほとんどしない生き方をしていますし、もし必要な場合も、カードでほぼ事足りるからです。
そうしているとお金を持っていることさえ忘れます。
時々、銀行残高が足りなくなって、請求がきたり、不都合が起こったりすることがありますが、まあ年に数回です。

今はまだそういう場合、私自身が何とか工面して銀行に入金しなければいけませんが、そのうち、誰かが入金してくれるようになるでしょう(例えばベーシックインカム)。
そうなれば、お金などに惑わされることなく、思う存分、仕事ができるようになる。
仕事(働く)と稼ぐことを混同するようなこともなくなるでしょう。
仕事がないなどというバカげた考えも抱かなくなるでしょう。

 私の関心事は「コモンズの回復(共創)」ですが、お金をコモンズ(みんなのもの)にできれば、経済のあり方は一変します。
昨日のサロンでは地域通貨が話題になりましたが、お金のない社会をみんなで話し合ってみるのも面白いかもしれません。

 

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2021/07/12

■関係者だけのイベントとそれを喜ぶ人たち

オリンピックの聖火リレーイベントが、関係者だけで行われている報道を見るにつけ、いったい何のためのイベントなのかと不思議に思います。
オリンピックそのものも関係者のためのオリンピックになっているのでしょう。
どうもわけのわからない時代になってしまったものです。

しかもそういうイベントにまだ大喜びする「関係者ではない人」も多い。
テレビでこれほど聖火リレーイベントが報道されるのも気持ちが悪い。
最近、私はかなり「偏屈」になってきているようですが、聖火イベントに登場してはしゃいでいる人を見ると蹴とばしたくなります。
タレントにしろアスリートにしろ、いや一般の人であれ、同情よりも軽蔑したくなります。障碍者も例外ではありません。障碍者を応援する気持ちも最近は萎えてしまいそうです。

こういう人たちが社会を壊していくように思います。
私には到底許せない人たちです。
かなり「偏屈老人」になってしまったものです。
コロナの恩恵も受けずに、長生きしすぎたようです。

それにしてもどうしてみんな権力者や富裕者に迎合するのでしょうか。
自分ができないことを彼らにやってもらって満足するのでしょうか。
テレビで高価な料理を食べ歩く芸能人たちの番組が増えています。
視聴率が高いので増えているのでしょう。
しかし時々見てしまうそういう番組の料理は、私の食生活とは全く異次元です。
時には私の1か月の食費を1回の食事で消化してしまうほどです。

高級料理を出しているお店も私には違和感があります。
せっかく食の技があるのなら、もっとやることがあるだろう。
皇帝の雇われ調理人のような「高級シェフ」には、私は敬意を払う気など毛頭ありません。
この世の中には、今日の食事さえ満足にできない人もいることを知らないのかと思いたくなる。
偏屈ではなく「ひがみ」も入っているのかもしれません。困ったものです。

一方でお金を湯水のごとく使う人がいれば、一方にはまともな活動もできないほどお金に困っている人もいる。
経済とは、あるいは政治とは、そういう状況を生み出すためのものなのか、あるいはそういう状況をなくしていくためのものなのか。

オリンピック騒動で、少しはそういうことを考える人が増えることを祈っています。
政治も経済も、この数十年で全く変質してしまったとしか思えません。

まるで古代アテネのようなひどい社会になってしまいました。
まあそれを理想としてきたのだから、仕方がありませんが。

 

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2021/06/19

■「支配者たちの卑劣な格言」

アダム・スミスは経済学者というよりも道徳学者だったという人がいます。
最近話題の渋沢栄一も「論語と算盤」という著書を残していますが、そもそも経済は「経世済民」、つまり道徳の話だったとも言えます。

そのアダム・スミスが、「支配者たちの卑劣な格言」と呼んだものがあります。
それは、19世紀前後に広がった、次のような「新しい時代精神」を示す格言です。
「すべては私たちのために、他の人々のためには何も無用」。
「自分以外のことはすべて忘れ、ただ富を獲得せよ」

一時期、日本でも広がった「〇〇ファースト」というスローガンは、まさにこの格言を象徴したものだと私は思います。
いまでもこの「〇〇ファースト」という言葉を使う人がいますが、こういう言葉に出会うといつもアダム・スミスの「道徳感情論」を思い出します。

アダム・スミスは「他者への共感、完全な平等という目標、そして創造的な仕事のための基本的人権」を強調していたと思いますが、経済活動をしている現在の人たちにさえ、そういう発想はもう消えてしまっているのかもしれません。
しかし、「〇〇ファースト」発想は、「支配者たちの卑劣な格言」にとどまらず、どうも社会に蔓延しだしているようです。

たとえばそんな姿をワクチン接種の予約取り風景に私は感じました。
3・11の後の買いあさりの風景も思い出しました。
つまり支配者の行動は、被支配者にも広がっている。
まさに「悪貨は良貨を駆逐」するのです。

経済が道徳と相反するものになってしまった。
人を救うはずのお金が、人を滅ぼし始めた。

私が、お金から解放されたいと思い、ワクチンもしない理由のひとつがここにあります。

 

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2020/09/29

■ようやくプロシューマーの時代が到来しそうです

いまわが家のリフォームを進めていますが、これを機に、エアコンを導入することにしました。
今さら何をと笑われそうですが、私の仕事部屋も寝室も、これまでエアコンはなかったのです。夏は暑いところに価値があるとエアコンを拒否していたのですが、この歳になると命にかかわるといわれ、それには抗えないからです。

それでリフォームをお願いしている会社に見積もってもらったら、意外と高いのと、商品が指定されていたので、昨日、大手家電販売店に現物を見に行ったのです。
いまはエアコン商戦の端境期だそうで、売り場は閑散としていました。

エアコンを見ていたら店員の方が来て説明してくれました。
メーカーのダイキンからの派遣社員の中西さんでした。

説明がわかりやすいのと好印象だったので、リフォーム会社からのお勧めの三菱の霧ヶ峰はやめてダイキンの商品に変えることにしました。店頭での販売員の影響は大きいです。
価格はリフォーム会社の見積もりに比べてかなり安価でしたが、購入は1か月くらい先だと言うと中西さんはきっとさらに安くなると話してくれました。
それでリフォーム会社に頼まずに、家電販売店から購入しようかと思いだしました。

まあこれはほんの一例なのですが、住宅も自分でつくれる時代になっていきそうですね。
おもちゃのロゴを組み立てるように。
プレハブ住宅ではなく、モジュールハウスです。
その前に、たぶん自動車や電子機器は自分で組み立てられるようになるでしょう。
産業構造や生活構造は大きく変わりそうです。
まあその前に私の人生は終わるでしょうが。

家のリフォームをしているおかげで、いろんなことに気づかせてもらえます。

 

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2020/07/31

■地域通貨活動の映画づくりのためのクラウドファンディングへの応援のお願い

 湯島のサロンでは、時々、地域通貨が話題になりますが、19年前から長野県上田市で地域通貨活動に取り組んでいる「蚕都(さんと)くらぶ・ま~ゆ」というのがあります。
http://mayu.lolipop.jp/santo/

私は2005年に信濃大町で開催された地域通貨の集まりに参加した時に、そこで蚕都くらぶ・ま~ゆの前田光俊さんにお会いしました。
とてもしっかりした活動をされていましたが、その後、私は妻の病気などあって、交流が途絶えていました。

その前田さんから、久しぶりにメールが来ました。
蚕都くらぶ・ま~ゆでは、千葉大学大学院生と一緒に、これまでの活動を振り返りつつ未来を展望するドキュメンタリー映画の制作を始めたそうです。
タイトルは『もうひとつの明日へ』。
住民一人ひとりが持続可能な社会を創る主人公であることを発信していきたいと前田さんは考えています。
すでにホームページはできています。
https://mayudocumentary.wixsite.com/website

映画づくりのための資金はクラウドファンディングでいま集めているところだそうです。
https://motion-gallery.net/projects/ma-yu2020
ついては、ぜひ応援してほしいと言うのです。

私も以前、いくつかの地域通貨に関わりましたが、前田さんたちの「まーゆ」はとても地に足着いたいい活動でした。
ぜひ多くの人に応援していただきたくて、紹介させてもらいます。

よろしくお願いいたします。
湯島でもまた地域通貨のサロンも開催を企画しています。

 

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2020/07/21

■「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化を目指す本の紹介

濱中都己さんの「世にも恐ろしい損保犯罪の話」(平成出版 1300円)をご紹介します。

本書の出発点になった事件に関しては、私も濱中さんからお話をお聞きしながら、お役にたてていない反省があるのですが、湯島のサロンで改めて取り上げたいと思っています。

まずは出版社による本書の紹介文をお読みください。

本書は、日本のエリン・ブロコビッチとも言える、著者の執念の賜物です。 日本では、すでに既得権のある大企業、とりわけ損保業界に、はむかう人はいません。 母親の交通事故をきっかけに、国民健康保険を利用する形で交通事故の補償をするのはおかしいのではないかと著者が主張すると、不当逮捕・冤罪被害となってしまいました。しかも恫喝も続きます。 本書を読んで、不当な立場におかれている「弱者」について、ぜひ考えていただきたいです。

エリン・ブロコビッチ。
ジュリア・ロバーツ主演の映画「エリン・ブロコビッチ」を観た人も少なくないでしょう。
私も数回見ましたが、そう言われてみると、たしかに著者の濱中さんにはそういう雰囲気があります。偶然に出合ってしまった問題を掘り下げていくうちに、利権構造で固められ、不労所得に覆われている日本の社会にぶつかってしまい、どんどんと深のめりしている濱中さんには、むしろエリン・ブロコビッチ以上のパワーを感じます。

本書には、その濱中さんが、突然の母親の交通事故から、国民健康保険をむしばむ巨大損保会社の犯罪に巻き込まれ、怒りを強めていく過程が克明に描かれています。そうした「生活者」の怒りの対象はどんどん広がり、そして金融省までも含む既得権益による「社会的犯罪」に挑むことになっていくという、生活と深くかかわった告発の書です。

そこで示唆されているのは、単に損保業界の話にとどまりません。
たとえば、本書では特別民間法人の話が出てきますが、そこに現在の日本社会の本質が垣間見えています。すべて利権に絡め取られ、労働と収入は全く無縁になっているとさえ思いたくなる日本の経済社会の実相が、です。

しかし、ほとんどの人がそうした仕組みに組み込まれているために、おかしなことを「おかしい」とさえいえなくなっている。その仕組みを変えないといけないと、濱中さんは立ち上がっているわけです。まさに、物知り顔で事実を見過ごす人たちとは違う、「生活者」ならではの行動です。
そうした行動の結果、濱中さん自身が、「恫喝訴訟」とも言われる、威嚇目的のスラップ訴訟の対象にされるのですが、そこから日本の司法界の問題も見えてきます。
国民が安心して暮らせて行いけるための、せっかくの「保険」や「司法」という社会の仕組みが、それらの目的とは全く真反対の運用がされている現実も垣間見えてきます。

濱中さんは、単に問題提起しているだけではありません。身体をはって行動しています。たとえば、交通事故損保犯罪対策委員会を立ち上げたり、「反スラップ法制定」の請願活動を呼びかけたりしています。

本書の「あとがき」の一文を紹介します。

いままで国民の目から巧妙に隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性を可視化し、行政立法の内容等を行政訴訟の対象とすることによって不適切性や違法性を早期に是正することは国民の権利義務の正当性実現と救済にとっても極めて大きな意義を有します。

「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化。
濱中さんの活動がそのきっかけの一つになればと思い、私に何ができるかを考えていますが、まずは本書の紹介から始めることにしました。
濱中さんに頼んで湯島のサロンも開催したいと思っています。
またご案内させてもらいます。

 

 

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2020/07/01

■ふるさと納税制度の主旨はなんだったのか

ふるさと納税制度には私は反対でしたし、いまも反対です。
創設のときから、これは税金の商品化を進め、税金の意味をおかしくするものだと思っていました。

しかし、財政に対する国民主権意識を高める上では一時的な効果はあるかとささやかな期待もしていましたが、返礼が地域の特産品ではなく、商品券のようなものになったり、還元率が3割になったりするようになれば、これはもう税制度をこわす方向に行くだろうと思っていました。
ですから総務省が、泉佐野市の還元率の高い「ふるさと納税」制度をふるさと納税の対象から外したことは当然のことだと考えていました。
そんなことのために仕事をする自治体行政は解散してほしいとさえ思いましたし、市長の行為は違法ではないかとさえ思っていました。

大阪高裁は、総務省を支持しましたが、泉佐野市の控訴を受けて行われた最高裁は、昨日、逆転判決を出し、泉佐野市の制度はふるさと納税に対象になるとしました。

国民の税金の3割が納税者に私的に還元され、しかもそのための費用もかかるのですから、どう考えても納得できません。いまのバブルなふるさと納税を巡っては、おかしな事件も起こっています。まさに行政もお金まみれになってしまっている気さえします。
アメリカの行政革命から始まったニューパブリックマネジメントは、そんなことを目指していたのではないでしょう。そんなはずはないと思いたいですが、いまから考えれば、それが目的だったのかもしれません。つまり市場至上主義による「汎市場化」の一貫だったとも考えられます。

法(制度)の趣旨を理解せずに、法の条文でしか判断できない裁判官と制度の悪用(私物化)に知恵を働かす自治体首長に、怒りを感じます。
税金というのはいったいなんなのか。
ふるさと納税制度は、本旨に戻り、泉佐野市もまじめな自治行政に取り組んでほしいです。

 

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2020/04/23

■コロナ危機が可視化してくれた3つの岐路

今回の新型コロナウイルスのパンデミック(コロナ危機)は一過性の危機ではなく、これによって、社会は大きく変わっていくだろうと言われています。
何がどう変わるかに関しても、さまざまな指摘が行われていますが、私なりに少し考えてみたいと思います。

コロナ危機は私たちにとってのいくつかの「岐路」を可視化してくれているような気がしますが、いまここで、どの道を選ぶかで、これからの社会の方向が決まっていくはずです。
それは、決して他人事ではないばかりか、自らの人生にもつながってきますし、ひとりの行動が社会を変えていくことにつながっていくかもしれません。
ただ単に「コロナ危機」を乗り越えた、で終わるのではなく、この「危機」を契機にして、未来を良いものに変えていくことができれば、いまの苦労も報われます。

ではどういう岐路に立っているのか。

第1の岐路は、「取り合いか分かち合いか」です。
これまでの経済や社会の基調は「取り合い」でした。
政治は利益の配分でしたし、経済は利益の取り合いでした。
今回のコロナ騒ぎでも、まさにそうした動きがさまざまなところに見えています。

しかし、その一方で、支え合う政治や分かち合う経済の動きも広がっています。
たとえば、経済でいえば、市場を中心としたマネタリーエコノミー(資本主義経済)は依然、支配的ではありますが、生活(コモンズ)を中心としたソーシャルエコノミーへの動きも静かに広がりだしています。これまでの経済観に囚われているとそうした動きはなかなか見えてきませんが、コロナ危機は、そうした動きを可視化し、加速しているように思います。
経済の枠組みそのものが大きく変わりだしてきているのです。

第2の岐路は、「自由か安全か」です。
リベラル・デモクラシーの矛盾が顕在化し、民主主義か自由主義かという選択においては、少なくとも欧米や日本では、自由主義へと重心が向いていました。
そのため「民主主義の危機」が叫ばれてきています。

しかし、それと合わせて、「リスク社会」化を背景に、「自由か安全か」が大きな問題になってきています。
民主主義か自由主義か、と、自由か安全かは、深くつながっています。
コロナ危機状況の中で、日本では、多くの人が、自由よりも安全を選択していますが、その安全が将来的には不安全を内包していることにはあまり意識が向いていません。
また、民主主義や自由にどう影響を与えるかも、あまり考えられているとは思えません。

この問題は、さらに、「同調か自律か」という第3の岐路につながっています。
民主主義を「個人の尊重」ととらえれば、その基本には「自分で考える」個人という主体的な存在が不可欠ですが、少なくとも最近の日本においては、「自分で考える」ことは生きにくさにつながってきています。
組織の中で「自分の考え」にこだわっていると、うまくいかず、最悪の場合は死に追いやられます。

そこまでいかなくとも、自分を殺して組織のために行動することが多くの人の生きる基準になってしまっています。
組織の力と個人の力ではいまや勝負にならない関係になってしまっています。

そのために、自分で考えることが人間である条件だと思っている私には、いまや日本から人間がどんどん消えてきていると思っていますが、もしかしたらコロナ危機がそれを反転させてくれるかもしれないと根拠もなしに思い出しています。
なぜなら、結局、自分でしっかりと考えていかないと安全は守れないことにみんな気づくのではないかと思うからです。
コラテラル・ダメッジがはびこる組織では、個人の安全は本来は守られないのです。

ほかにもいろいろな岐路があります。
小さな国家か大きな国家か、あるいはグローバリゼーションのスタイル。
ソーシャルディスタンスに象徴される、人間の関係性に関する岐路。
いろいろあります。

新型コロナウイルスが恐ろしいのではありません。
それにどう対処するかが大切なのです。
対処の仕様では恐ろしい状況を生み出しますが、私たちの未来にとって、幸いをもたらしてくれるかもしれません。
恐ろしがってばかりいるのでは、未来は開けてきません。

このシリーズはブログで少し書き続けようと思います。
5月にはこれをテーマにサロンもやりたいと思っています。

 

 

 

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2020/04/09

■奪い合いか支え合いかのどちらを選ぶか

新型コロナウイルス騒ぎで、いろいろなことが可視化されてきていますが、そこに真反対の動きが見てとれます。

たとえば、マスク騒ぎ。一方で買占めに走ったり、高く売ったりする人がいる反面、なけなしのマスクを困っている人に提供したり、工夫して手作りマスクを作ってみんなに提供したりする人もいます。
ショックドクトリン的におかしなことをする人もいますが、災害ユートピア的な人のつながりも生まれてきています。

ソーシャルディスタンスとか外出禁止とか、会う人を減らせとか、という風潮が広がっていると同時に、こういう時だからこそお互いのことを気遣って電話をしたり、注意して会いに行ったりすることも行われています。
私のところにも、思ってもいない人から電話が来たりメールが来たりしています。
それも海外の、もしかしたら日本よりも大変ではないかと思われるところからもです。

政府の政策を否定するつもりは全くないのですが、経済的な救済策が、注意しないと「奪い合い関係」を生み出すのではないかと心配です。
みんなが一体になってというのであれば、小賢しい条件や手続きは逆効果になりかねません。支援策が人間関係をこわし、復興を妨げたであろう3.11の時を思い出さなければいけません。
奪い合いにつながらなければいいのですが。

政府による経済的な支援ももちろん大切ですが、「支え合い」による支援も大切です。
それにそれなら誰にでもできることはあります。
人はお金だけで生きているわけではありません。

昨日の朝日新聞の「インタビュー」で、社会学者の大澤真幸さんが、「ポジティブな道とネガティブな道、どちらに進むかという岐路に私たちは立っています」「破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思います」と話していますが、私も心底、そう思います。

奪い合いを基軸にする最近の市場中心のマネタリーエコノミー(資本主義経済)から支え合いを基軸にする生活を中心としたコモンズエコノミーへと軸足を移す大きな契機になればと思っています。
そうしたことを考えるサロンを、できるだけ早く始めたいと思っています。

 

 

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