カテゴリー「経済時評」の記事

2018/06/24

■第1回「有機野菜の旬を楽しむ会」報告

霜里農場の金子友子さん主催の「有機野菜の旬を楽しむ会」がスタートしました。
金子さんご夫妻がやっている埼玉県小川町の霜里農場は、全国から有機農業を志す人たちの学びの場です。
http://www.shimosato-farm.com/
そこから巣立っていた人たちを毎回、ゲストにお呼びし、そこでできた旬の野菜を味わいながら、有機農業や私たちの生き方をちょっと考えてみようというサロンです。
隔月くらいで開催、時には農場を見に行く企画も金子さんは考えています。

第1回目は、船橋市で山田農場を経営している山田勇一郎さんに来てもらいました。
定員の15人を超える参加者がありました。
まだ0歳の乳幼児を連れた若い夫婦の方が参加されました。
湯島サロンの最年少記録が更新されました。

話はまず山田さんの農場の様子の紹介から始まり、ついで「有機農業」に関するわかりやすい説明がありました。
「有機農業」という言葉をなんとなく使っている人も多いと思いますが、山田さんと金子さんの話で、その意味がよくわかりました。
山田さんの有機農業は、科学的な知見を大事にしています。
今回は「光合成」の仕組みから説明してくれたのですが、私などは光合成そのものの意味さえきちんとわかっていなかったことを、恥ずかしながら、この歳になって知りました。
また、有機野菜を「安全性」という視点で捉えていましたが、むしろポイントは「おいしさ」にあるということにも気づかせてもらいました。
その「おいしさ」がどこから来るのかも教えてもらいました。
そして大切なのは、昔よく言われた「作物をつくるのではなく土をつくるのだ」ということを思い出しました。
工業型の農業とは全く違う、もっと大きな「科学性」がそこにはあります。
大げさに言えば、自然科学もそろそろ枠組みを変えるべき時期に来ています。

山田さんが10年かかってつくりあげてきた山田農場の、事業としての、「起業」と「経営」の話もとても示唆に富むものでした。
新規就農されたい方は、ぜひ山田さんのところで一度、教えを乞うといいと思います。
山田さんのところでは、講座もやっているようですが、農法だけではなく、実践的な経営の話も聞けると思います。

農業の持つ「教育力」や「福祉力」は、湯島でも時々話題になりますが、今回は、農業に取り組むことで「経営力」が身につくことに気づきました。
改めて「農営」や「農法」ということを考えなすべき時期かもしれません。
安直な「儲かる農業発想」ではなく、自らの生き方に重なるような農業の可能性を改めて考える時期に来ているようにも思います。
山田さんの実践は、そうした視点で大きな示唆を与えてくれているような気がします。

そういえば、金子さんが、農法に込められた日本古来の知恵についても言及され、有機農業はそうした知恵を再発見していくことだというようなことを話されていたのに共感しました。

ほかにも、たとえば堆肥づくりとか土壌づくりなど、実際の有機農業に関する話もありましたが、いろんな意味で、いろんな発見のあるサロンでした。
話の後、山田農場の新鮮野菜(今回はトマト、キュウリ、トウモロコシ)を味わいました。
今朝もぎたてのトウモロコシを生で食べさせてもらいましたが、ほとんどの人が初めてだったと思います。
参加者が多かったので、分かち合いになりましたが、これも実によかったです。
最後は、みんなお土産に野菜ももらいました。

次回は8月25日の予定です。
米作りをやっている有機農業実践者がゲストの予定です。
Yuukiyasai180623


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2018/04/13

■カフェサロン「社会インフラとしてのお金と仮想通貨を考える」報告

仮想通貨という「時の話題」ということもあって、遠方からの参加者も含めて、14人のサロンになりました。
渡辺さんは、まず前半で「社会インフラとしてのお金」がどう変化しつつあるかを、近未来に焦点を合わせて、具体的な事例を紹介しながらていねいに説明してくれました。
そして後半では、いま話題の仮想通貨について、その投機性も含めて、これもまた具体的に説明してくれました。
参加者は、それぞれ関心の置き所が違っていることもあって、話し合いは難しかったように思いますが、新しい知識を含めて、それぞれ世界を広げたことは間違いないと思います。

「社会インフラとしてのお金」の部分では、私は「預金封鎖」という歴史が日本でもあったこと、その目的が財産税につながっていたことを知りました。
改めて「社会インフラとしてのお金」のパワーを知りましたが、同時に、これまでの枠組みから抜けることのむずかしさもわかり、逆説的に言えば、お金はもはや「社会インフラ」ではなく、ますます管理のための仕組みになってしまっているように思いました。
そうであれば、そこに「投機性」が入り込んでくることは避けがたいような気がします。

産業としての金融業の収益の過半が手数料収入になっているということも、改めて教えてもらいました。
これは経済の変質を象徴しています。
手数料も、もちろん「社会価値」を生み出していますが、仮想通貨のメリットの一つは、そうした「手数料」を縮減することだといわれると、なにやら大きな矛盾を感じます。
そのあたりから、仮想通貨の存在意義が、私にはなかなか見えなくなってしまいました。
しかし、海外送金の手数料が高いために社会的な活動に困っていた人からは、その手数料が減少することで、公益的な活動がやりやすくなるという話が出ました。
そういう点ではたしかに、仮想通貨の効用も認めざるを得ません。

渡辺さんも指摘されましたが、そもそも「仮想通貨」という呼び方に、ある胡散臭さがあります。
海外では一般的には「暗号通貨」と呼ばれているそうです。
私は「デジタル通貨」でいいと思っています。
名は体を表すと言いますが、呼称をどうするかは非常に重要で、その実体がどう育っていくかにも大きな影響を与えるはずです。

後半では、これから広がっていくであろう新しい通貨システムの話が出ました。
今回は、その説明会ではなかったので、詳しい話を聞きたい人は、改めて渡辺さんのセミナーなどを受けてもらうことにしました。
ちなみに、渡辺さんも、新しい通貨が投機手段に使われることには否定的ですが、デジタル通貨が安定した通貨システムに育っていくためには、投機的な要素を持つ段階があることは認めています。
そして、いまの紙幣通貨は、早晩、デジタル通貨に代わっていくという見通しの中で、個人としてしっかりと対策を取っていかなくては、その流れからはじき出されて、場合によっては被害をこうむりかねないと考えているようです。
たしかに、通貨システムが大きく変わる状況の中で、損をする人と得をする人が生まれる恐れは否定できません。
そもそも、そんなことが起きないようにするのが、社会インフラとしての通貨システムだろうと私は思いますが、この辺りをどう考えるかが、「仮想通貨」に対する姿勢の違いになるのかもしれません。

あんまり基礎的な知識がないため、渡辺さんのメッセージを正確に報告することはできないのですが、私はやはり「信用システム」の話と「通貨という媒体」の話が混同されているような気がしました。
渡辺さんが言うように、たぶん世界的に見たら、日本の信用システムは遅れていて、それが、経済のグローバル化の中では問題なのかもしれません。
しかし、だからといって、その唯一の解決策が「仮想通貨」というわけでもなく、もっとシンプルでフェアな信用システムは創案できるように思います。
サロンでも、たとえば、「SUICA」の話も出ました。

お金を使う仕組みと同時に、お金を生み出す、つまり社会価値を生み出す経済のあり方を真剣に考えるべきだとも思いました。
今回のサロンでの話の中心は「消費」の局面でしたが、経済の大本の価値を創り出すための「お金」の側面も大切だと思います。
地域活性化の話も少し出ましたが、むしろこの側面は地域通貨などで考えるのがいいように思います。

投機というのは、価値を生み出すのではなく、価値の移転で利益を上げていくということですから、一方ではとんでもない損害を受ける人がいるわけです。
損をするのも避けたいですが、私自身は得をするのも避けたいです。
みなさんはいかがでしょうか。
そこに「生き方」の本質があるように思います。
通貨の機能としては、教科書的には「価値の尺度」「価値 の保存」「交換の手段」の3つが挙げられますが、私はこれに加えて、「価値の創造」と「価値の移転」があると考えています。
これについて詳しく書いた本を私は知りませんが、もしご存知の方がいたら教えてください。
これは、経済システムの本質につながっている問題です。

AI(人工知能)の話に絡んで、人間ってなんだろうか、という問題まで話が進んだところで、時間オーバーになりました。
お金の問題を考えることは、生き方を考えることでもあると、改めて感じたサロンでした。

話題提供してくださった渡辺さんに感謝します。
社会インフラとしてのお金シリーズは、不定期に継続させてもらいます。

Okane180412


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2018/04/01

■カフェサロン「霜里農場の金子友子さんの生き方」報告

有機農業に取り組む霜里農場の金子友子さんの「お金に縛られない生き方」をテーマにしたサロンには、20人を超す人が参加してくれたため、時間を1時間延長したにもかかわらず、発言できない人がいたほどの盛況でした。
最初は申し込みがあまりなかったので、テーマを有機農業にすればよかったなと思ったほどでしたが、やはりお金に呪縛されない生き方への関心は高いようで、サロン企画者としては、それだけでもうれしい結果になりました。
ただしサロンそのものは、人数が多くて、話の交通整理で大変で、疲れました。

金子さんの話は、なぜアナウンサーから農家に嫁いだのか、ということからはじまりました。
金子さんがアナウンサーとして社会で活躍しだしたのは1960年代の半ばです。
私も同年齢ですが、その頃から少しずつ高度経済成長の矛盾の予兆が出始め、1970年代になると、日本の社会は大きく変わりだしました。
有吉佐和子さんが朝日新聞に『複合汚染』を連載しだしたのが1974年。
水俣病などが大きな話題になり、環境問題や食の安全への関心が高まっていた時期です。

アナウンサーとして、時代の先端の情報に触れる中で、彼女の世界も変わりだしていったようです。
いろいろなドラマティックなエピソードもありますが、そこで出会ったのが、埼玉県の小川町で、化学肥料や農薬を使わずに、自然の有機的な循環を活かした農業に取り組んでいた、「変わり者」の霜里農場の金子美登さんだったのです。
そこで結婚。生活は一変しました。
その後、時代の大きな流れの中で、有機農業への関心は高まり、霜里農場もテレビや新聞などでも取り上げられ、全国(海外も含めて)から実習研修生も集まるようになってきました。
「変わり者」は「時代の先駆者」へと変わり、霜里農場は有機農場のメッカになっていったわけです。

しかし、そこからが、やはり「変わり者夫婦」なのでしょう。
時流が変わったからといっても、金子夫妻の生き方は変わることはありませんでした。
2014年には天皇・皇后が霜里農場に行幸され、翌年金子美登さんは黄綬褒章を受けられましたが、2人の生き方は全く変わっていないのだろうと思います。
有機農業ブームのおかげで、経済的にも成功した人も少なくないでしょうが、金子夫妻にはたぶん「縁のない話」で、有機農業ビジネスやアグリビジネスという発想はないのです。
これまで通り、共感してくれている消費者に丹精込めた野菜を直接届けながら、地産地消で自給型地域生活を目指した活動に地に足つけて取り組んでいます。
金子夫妻にとっては、農業と生活はしっかりとつながっているように思います。

いろんなエピソードも紹介されました。
アレルギーで長年薬を飲み続けていた人が、農場に実習に来て薬を飲み忘れているうちに、気がついたらアレルギーが治ってしまった話、火事で自宅が全焼した時には、全国から70~80人の仲間が来てくれて、2日間で片づけが終わった話、お金を介さない物々交換や事々交換の話など、いろいろとありました。
お金の話も何回か出ましたが、誰かに役立つためのお金の話だったように思います。
老後のためにお金をためていますかと私は不躾な質問をしましたが、どうもその意味さえ伝わらなかったようでした。
たぶん彼女にとっての老後の蓄えは、お金ではないのでしょう。

話し合いの中から出てきた、「お金に縛られないためのヒント」を2つだけ紹介します。
まずは、「人のつながり」の大切さです。
お金を介さずとも、人の支え合いで解決する問題は少なくないばかりでなく、人とのつながりが生活の安心感の拠り所になるということです。
もう一つは、人にあげられるものはあげまくるという、友子流の生き方です。
彼女がつくっているのが野菜だということもありますが、余った野菜はみんなに挙げてしまうのが、彼女のやり方です。
たとえば、道の駅に野菜を売りに出していますが、売れ残ったものは持ち帰らずに、店舗のスタッフの人などに挙げてしまうのが彼女のやり方です。
いや余ったものだけではありません。
彼女が関わっている加工品もあるのですが、それを買いに来た人にまで、たとえば子育て中の若い人だと、どうもあげてしまっているようです。
それがいろんな形でまた返ってくるので物々交換だと彼女は言いますが、私が思うには、彼女にはそもそも「交換」という発想さえないのだろうと思います。
ともかく、あげられるものはあげてしまうわけです。
あげるものがなければ、笑顔だけでもいいわけです。

3時間にわたる長いサロンでしたので、いろんな話が出ましたが、たぶん参加されたみなさんは、彼女のさりげない話や表情から、いろんなことを考える刺激をもらったように思います。
少なくとも私はそうです。
小学校時代の同級生なのですが、これまで気づかなかったこともありました。
金子さんが持参してくれたイチゴやケーキなども美味しかったです。

有機農業に関した話もありましたが、これに関してはまた改めて企画したいと思います。
湯島ではなく、むしろ小川町の霜里農場でサロンをやるのがいいかもしれません。
どなたか実行委員になってくれませんか。

今回は、湯島のサロンが初めての方も数名参加してくれました。
はじめてだったのに、ちょっと窮屈だったうえに、発言の時間があまりなくてすみませんでした。
これに懲りずに、またぜひ遊びに来てください。
頭は疲れましたが、たくさん元気をもらいました。

Tomoko201803312


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2018/03/15

■カフェサロン「改めて協同組合について考えてみよう」報告

「協同組合」をテーマにしたサロンは、共済懇話会のみなさんもかなり参加された結果、大人数のサロンになりました。
企業関係者の参加が少なかったのが残念でしたが、改めてこれからの企業経営へのヒントがたくさんあることを実感しました。
また、支え合う人のつながりづくりに取り組んでいる人たちも何人か参加されましたが、NPOの人たちにもとても参考になる話だったと思います。
終わった後、複数の方から、挑戦すべき課題が見つかったと言われたのが印象的でした。

田中さんは、世界各地の協同組合の視察調査なども踏まえて、なぜ協同組合が生まれてきたのかという話から始まり、現在の社会においての意義、そして協同組合の5つの類型とその実践活動、さらにはこれからの期待をていねいに解きほぐしてくれました。
その話をきちんとまとめたら、たぶん現在、市販されている多くの協同組合の本よりも、ずっと協同組合への理解が深まり、その価値が伝わってくると思います。
そんな気がしながら、お話を聞いていましたが、録画しなかったのが実に残念です。

田中さんは、最初に、カナダ・デジャルダン博物館で配布されている小学生向けの信用組合歴史解説本の1ページを見せてくれました。
そこに、子どもたちに向けて書かれた「なぜ協同組合は必要なのか」の漫画があります。
添付しましたので、ちょっと読みにくいかもしれませんが、ご覧ください。
ここに協同組合思想の本質が読み取れると思います。

つづいて、別の言葉で、協同組合の存在意義を3つに整理してくれました。
「生活防衛システム」「人の集まり」「地域経済の自立」です。
第一の生活防衛システムですが、そもそも協同組合の始まりは「貧困からの脱却」でした。
社会福祉政策に依存するのではなく、まずは自らで「支え合いの関係」を育てることは、人類の知恵でした。
最近の私たちがともすると忘れがちな視点です。
改めてそのことを思い出すことが大切です。

2つ目の「人の集まり」は、同じ組織でも、企業と違うところです。
企業(経済組織)は本来的には「金の集まり」ですから(人は雇われているだけです)、企業買収などで、あるときその組織の主役が突然に変わることがありますが、協同組合(社会組織)は人が主役ですから、そんなことは起こりません。
雇用労働と協同労働の違いは、まさに「働き方」を考える上で大きな違いを引き起こします。
ここにもこれからの企業経営や「働き方」を考える大きなヒントがあります。

「地域経済の自立」は、昨今のグローバル経済化の動きのなかで、ますます重要な意味を持ちはじめていると思います。
エネルギー関係の協同組合の話も出ましたが、さまざまな意味で、いまの経済の枠組みへの発想転換の可能性を持っているように思います。

以上は、田中さんの冒頭の話ですが、こんな感じで紹介していくときりがないので、後は省略して、話し合いの一部を紹介します。

文化活動分野での協同組合へも質問が出ました。
いまはまだこの分野は、あまりないようですが、経済自体が変質していく中で、これからの課題かもしれません。
これまでの協同組合は、その重点は「生活防衛」にありましたが、むしろこれからは異質な知恵の組み合わせによる「価値創造」という、新しい意味が生まれてくるかもしれません。
もちろんすでに、そうしたネットワーク組織はありますが、協同組合思想との組み合わせが、新しい価値を生み出すかもしれません。
私は、生活防衛を超えた、もっと積極的で創造的な意義が、協同組合思想には含まれていると思っています。

今回は、田中さんが農業関係の組織にいたこともあって、日本の農協のモデルにもなったドイツのライファイゼン系の協同組合を中心に話してもらいましたが、ライファイゼンの核になったのは信用事業(共済事業)です。
当時広がりだしていた貨幣経済に対する対抗力としての動きだったわけですが、その点を議論していくと、もしかしたら現在の日本の共同力の混迷と可能性が見えてくるかもしれませんが、今回はそこまでの議論にはなりませんでした。
昨今の実体経済から金融経済へと経済が変質しつつある中で、貨幣経済とは何かを問い直すヒントも、協同組合の歴史の中に含意されていると思います。
日本にも、結や講などの「支え合いの仕組み」があったのに、なぜ大きく発展しなかったのかという話も出ましたが、たぶんそれともつながっているはずです。

日本の農協は、歴史的な経緯から、産業支援システムと協同組合という2つの異質な要素を持っています。
このいささか矛盾する2つの予想を包含していることに、これからの協同組合の困難さと同時に可能性を私は感じます。
これは、時間切れで議論できませんでしたが、もしかしたら協同組合の本質につながっている問題かもしれません。

協同組合の理念に関連して、賀川豊彦の話も出ました。
日本ではまだ成立していない協同組合基本法の話も出ました。
共済と協同組合の関係も、大きなテーマです。
採りあげたいテーマがたくさんありましたので、引き続き、このテーマのサロンを時々開催したいと思います。

なお、協同組合に関して、総論的な入門書として2冊の本を紹介しておきます。
「協同組合の源流と未来」(岩波書店)
「協同組合は未来の創造者になれるか」(家の光協会)

私は30年前に会社を辞めました。
その頃、雇用労働と株式会社から、協同労働と協同組合へと、経済の軸が変化していくだろうと思っていました。
そうはなりませんでしたが、その時の思いは間違っていなかったと改めて思いました。
ただ、時間はまだだいぶ先のようですので、自分では確認できそうもありませんが。

Tanakasalon180314


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2018/02/04

■コインチェック事件とフィンテックの陰謀

コインチェック騒動で、仮想通貨(奇妙な名前ですが)への関心が高まっています。
フィンテック関係者はきっとほくそえんでいるでしょう。
金融業者たちの貧しい夢は実現に近づいているようです。

しかしどうしてみんな投機の意味しかない「仮想通貨」に取り込まれるのでしょうか。
不思議でなりません。
みんなが欲しがっているのは、お金ではなく(お金は単なる手段ですかありません)、生活の安定や豊かさのはずです。
勘違いしてはいけません。
そもそもお金に利子がつくことさえ理解できない私には、通貨を投機手段に使うことの意味がまったくわかりません。
投機や蓄財に使う通貨は、交換手段としての通貨とは、全く違うものだろうと思います。

私は、価値は労働が生み出すという、古典派経済学の労働価値説にも違和感はありますが、少なくとも通貨は本来、価値を生み出すものではないと思っています。
もし生み出すとしたら、それは価値の移動でしかありません。
つまり通貨への投機で利益をあげたとしたら、それは誰かの持っている「価値」を奪っただけの話です。
ゼロサムゲームからは価値は生まれてきません。
そうかたくなに信じています。

もちろん価値の移動が、価値を生み出すことはあります。
お金がなくて困っている人にお金を提供することで、困っている人が助かることはあります。
しかし、それを投機につなげることには賛同できません。

価値を生み出さないところから、価値を得ようとすることが投機です。
それはマネーゲームであっても、生活につながる本来的な意味(経世済民)での経済活動ではありません。
今朝のテレビで、FPでもある生島さんが、少額のお金を運用するには仮想通貨は面白いと話していましたが、みんなの生活を支え、社会の秩序を維持するための社会的インフラ制度である通貨を、ゲームに使うこと自体に問題があります。
最初はゲームで、遊んでいたとしても、それがいつか枠を超えて、私財を投入していかないとは限りません。
そこにマネーが絡んだゲームの恐ろしさがあります。
しかし、まもなく仮想通貨で億万長者になった中学生、などというニュースが話題になりそうで、心配です。
きっと藤井さんより話題になるでしょう。

仮想通貨が、お金に支配された資本主義の社会を変えていくかもしれないという話もよく聞きます。
今朝のテレビ「新報道2001」でもそういう話が語られていました。
たとえば、冷蔵庫を無償で各家庭に配布し、実際の冷蔵庫使用のための扉の開閉ごとに僅かの費用(たとえば0.7円)を徴収すれば、メーカーは採算がとれると、出演していた関係者が話していました。
時代はまさに今そういう方向に向かっていますが、これこそがフィンテックの目指すところでしょう。
いまの携帯電話にも象徴されますが、一見、無料でもらえたと思っていたら、長い期間(冷蔵庫の場合は13年だそうです)、なにかに隷従しなければいけなくなりかねないのです。
お金を見えなくして、生活を縛っていく。
なにやら江戸時代の農民支配制度のような気がしてきます。
そこで変わるのは資本主義という経済システムではなく、人間の意味であることに、気がつかねばいけません。

そもそも投機からは何も価値は生まれません。
投機と強盗と詐欺は同じだとは言いませんが、私にはみんな同じように思えてなりません、

私もかなり時代から脱落してしまっているようですが、注意しないと時代の流れに吸い込まれそうで心配です。
なにしろ目の前にあるものに、ふらふらと引き寄せられるタイプですので。
困ったものです。

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2018/01/15

■ポリティカル・エコノミーからエコノミカル・ポリティクスへ

1月12日の「2つの政治」の続きです。
今回は、市民性について書こうと思ったのですが、その前に、「お金=投票券」という稲垣さんの言い方にはやはり違和感を書いておきたくなりました。
もしかしたら、その発想こそが、一番の問題かもしれないからです。
かつての金権選挙、つまり「投票券=お金」と同次元だからです。
稲垣さんもまた、お金を軸にした世界で育ってきていることから自由ではないのかもしれません。
稲垣さんが、ここを「行動=投票権」と言ってくれれば私には違和感はないのですが。

かつて、経済学は「ポリティカル・エコノミー」と呼ばれていました。
politicsの語源は古代ギリシアのポリス(polis)につながっているように、ポリス、つまり社会にあり方につながっています。
いささか古い定義ですが、永井陽之助は「考え方の違う個人が集まって,いかに安定した社会をつくり出せるか,多年にわたって苦心のすえ造型した作品(秩序)が「政治」である」と、私がむかし読んだ本に書いていました。
「ポリティカル・エコノミー」とは、したがって、本来、安定した社会を構築するための「稀少資源の権威的配分」をめぐる学問だったわけです。
それを日本では、「経世済民」の意味で「経済」という訳語があてたと言われます。
つまり、限られた資源と富の、適切な配分と運用を意味していたわけです。
それが、いまでは「ポリティカル」という言葉は削除され、経済学は「エコノミクス」ということで語られるようになり、それとともに、金銭の投資や増殖のための学問になってしまいました。
そして現実も、マネタリー・エコノミーというべき実態に変わってきています。
極端に言えば、経済は「民の苦しみを救う」どころか、「民を収奪する」仕組みへと変質してきているとさえ思えます。

それに応じて、というべきか、先んじて、というべきか、政治もまた変質してきています。
安定した社会を目指すべき「まつりごと」の政治が、むしろエコノミクスの下に置かれてしまった。
つまり、政治が「エコノミカル・ポリティクス」へと変質してしまったのです。
アメリカのトランプ政権は、見事なほど、それを正直に表明しています。

これはある意味では当然の結果かもしれません。
政治学はさまざまな意見や生き方を持つ多様な人が納得できる全体的な決定をするための仕組みとして、投票制度を活用していますが、これは経済における市場制度に通じています。
そこで志向されているのは、政治過程における「論理」的な合理性ですが、その行き着く先は、ジョージ・オーウェルの『1984年』やオルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』かもしれません。
経済も政治も、そこから人間的要素を抜き取れば、うつくしい合理的世界が描けますが、そこで邪魔になるのは人間の非「合理」的な多様性ですから、人間のためではなく、人間の排除がはじまるでしょう。
実際にも、ヒトラーの「ジェノサイド」やスターリンの「クラーク」という恐ろしい歴史を私たちは体験しています。

投票制度と市場制度の発想の根底にあるのは同じものです。
稲垣さんの発想は、まさにそのことを示唆しています。
私が違和感を持ったのは、その点です。

いささか長くなってしまったので、今回はこれでやめておきます。

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2018/01/12

■金銭のための経済と生活のための経済

「ダブル・インカムの意味」の続きです。
ダブル・インカムは「豊かさ」の象徴なのか「貧しさ」の象徴なのか、それは一概には言えませんが、経済成長率に象徴される経済成長もまた生活向上とは必ずしも正のリンクはしていません。
そのことをしっかりと認識しないといけません。

現在の経済成長の測定基準は、金銭換算の生産額です。
金銭基準の生産は金銭消費に支えられています。
とすれば、経済成長は金銭消費で測定されていると言ってもいいでしょう。
金銭消費額が増えれば、経済は成長したといわれるわけです。
テレビでもよく、経済が成長するには、国内(家計)消費が増えないといけないと言われます。
お金を使うことによって、豊かさを感ずる人も最近は少なくないでしょう。
お金を使うことが豊かさ?
これってどこかおかしくはないでしょうか。

たとえば、交通事故を起こしたとします。
それによって金銭の授受が発生します。
壊れた自動車や建物を直すためにも「生産活動」が発生します。
つまり、自動車事故を起こすことは経済成長に貢献します。
その行き着く先が、戦争を起こして市場を拡大する戦争経済です。
ちょっと拡大しすぎかもしれませんが。

しかし、経済成長のためには、市場をつくりださなければいけません。
生活のためではない、生産のための市場です。
そこから「過剰と浪費の経済」がはじまります。
そして「消費主義症候群」が広がっていきます。

市場創出のために、それまで金銭とは無縁であった分野が次々と「市場化」されてきています。
家事や近所付き合いもどんどん市場化され、福祉や環境問題までもが金銭化されてきています。最近、問題になっているスポーツも、いまや完全に金銭市場化しています。
さまざまな問題が顕在化してきていますが、私には市場化の当然の結果のように思えます。
そしてそうした問題がまた、次の市場へと広がっていく。

無限の市場をつくりだすのも簡単です。
壊しながら創ればいいのです。
アメリカのベストセラーは、いつの時代も2種類の本だと言われます。
グルメを勧める本とダイエットを勧める本です。
「新たな」欲望に火をつけ、煽り立てることで、「顧客を創造する」ことが経営だという、私には信じがたい専門家もいます。

こういう経済の捉え方では、とても生活の向上には向かいません。
「経世済民」の経済が、いまや「金銭蓄積」の経済になってしまっています。

その結果、何が起こるか、言うまでもなく、汗を吸い取る仕組みです。
昔は働くことで金銭も稼げましたが、いまは働けど働けど、生活は豊かになりません。
働かない人に金銭が集まるようになってしまったのです。
そして格差が広がり固定化してきています。

いささか極端に書きましたが、経済には2つあるのです。
金銭のための経済と生活のための経済。
そこをきちんと分けて考えていかないと、おかしなことになりかねません。


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2018/01/08

■ダブル・インカムの意味

湯島での新年サロンで、ダブル・インカムの話題が出ました。
最近は、夫婦共稼ぎで、ダブル・インカムになって、経済的には豊かになってきたという話が出たのです。
以前、書いたことがありますが、私は共稼ぎは「別稼ぎ」であって、「共稼ぎ」でも「ダブル・インカム」でもないと考えていますが、それはそれとして、ダブル・インカムというのは豊かさの象徴なのか、貧しさの象徴なのかは、見方によって変わってくるように思います。
そこで、私は、ダブル・インカムはむしろ貧しさの象徴、さらに言えば、ますます貧しくなっていく象徴ではないかと発言しました。
ここで「貧しくなる」というのは、個人の家計だけではなく社会の貧困化も意味しています。

その日の夜、テレビをつけたら、ドキュランド「みんなのための資本論」で、ちょうどロバート・ライシュがその話をしていました。
ダブル・インカムにしなければならないほど、みんな貧しくなったのだという話でした。

同じ現象に関して、まったく正反対の解釈ができることの一例です。
というよりも、ある事象をどう解釈するかで、その人の生きている世界が見えてきます。
どの解釈が正しくて、どの解釈が間違っているということではありません。
いずれの解釈も、その人の生きている世界では正しいのです。
ダブル・インカムが豊かさをもたらすこともあれば、貧しさをもたらすこともある。
そこが悩ましいところです。

しかし、そもそもインカムってなんでしょうか。
さらにいえば、人が生きるために必要な「インカム」とはなんでしょうか。
お金の収入のことでしょうか。
最近、お金とは「信用」だと言われてきていますが、だとすれば、インカムとは「信用」とか「信頼」を得ることでしょうか。
こうかんがえてくると、どこかで論理が破綻しているように思えてなりません。

経済は、考えれば考えるほどわかりません。
困ったものです。

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2017/11/08

■「豊島にメガソーラー、自然を壊す建設反対」

Change. orgから「豊島にメガソーラー、自然を壊す建設反対」が回ってきました。
https://www.change.org/p/%E8%B1%8A%E5%B3%B6-%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE-%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E6%B5%B7-%E3%81%AB%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC-%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%82%92%E5%A3%8A%E3%81%99%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE

豊島はかつて、産業廃棄物の不法投棄で問題になった瀬戸内海の島ですが、その事件に私の友人が深くかかわり、その記録を本にしています。
「豊島 産業廃棄物不法投棄事件」
http://cws.c.ooco.jp/book-kiroku.htm#tesima

最近ようやく豊島の環境は回復されたと聞いていましたが、今度はメガソーラーです。
ソーラー発電には反対はないのですが、それを大規模化するところにある不安を感じます。
先日、東海村の原発再稼働反対の集まりに参加した時に、ソーラーに関わっている人にお会いしましたが、少し話しただけですが、少し違和感を持ちました。
メガという発想をまずは捨てないといけないのではないかと思います。

湯島のサロンでいつか、メガソーラーをテーマにしたいと思っています。どなたか問題提起して下さる人はいないでしょうか。

エネルギー問題に関しても、世界は1980年代に比べると大きく後退しているような気がしてなりません。
経済や政治はもちろんことですが。

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2017/08/24

■「信用」ではなく、「好意」こそ「通貨」ではないのか

今日はなぜか「通貨」と縁のある日で、3つの通貨と出会いました。

朝、起きて、昨日から読みだした「BORN to RUN 走るために生まれた」を読みました。
そこにとてもいい話が載っていましたので、フェイスブックで紹介しました。
書いたことの要旨はこんなことです。

メキシコの西シエラ・マドレの山岳に住んでいるタラウマラ族の生活の基盤にあるのは“コリマ”という文化です。
コリマとは、「あなたが分けることができるものは何でも、即座になんの見返りも期待せずに分け与える義務がある」ということだそうです。
タラウマラ族には通貨制度がなく、コリマにしたがって取引がおこなわれるそうです。
好意の交換としての経済。
「信用」ではなく、「好意」こそ「通貨」ではないのか、という気がしてきました。

そのことをふぇすブックに書いて、約束の人に会いに出かけました。
我孫子まで訪ねてきてくれた人がいて、駅前のドトールで会うことにしていたのです。
何か相談が有るような話でしたが、用件は聞きませんでした。
用件を聞くと会うのがつらくなることもあるので、私は基本的には用件をあまり聞かずに人と会います。
全く思いもしていなかった、仮想貨幣「クローバーコイン」の話でした。
私に勧めに来てくれたようですが、私が一番嫌いな話です。
もちろんお断りしただけではなく、かなり激しく否定的な私見をお話しました。
1時間半かけて。
人は状況によって世界の見え方がこんなにも違うのかといささか虚しい気分になりました。

3つ目はビットコインに絡んだ話です。
友人がある政治家の講演の動画を送ってきてくれました。
その政治家の考えは私とはかなり違うことを知っている人ですが、考えが違っても誠実に政治に取り組んでいるのであれば、私がきちんと聞くことを知っているので、送ってきてくれたのだと思います。
長い動画で苦労しましたが、なんとか一つだけ見ました。
そこにベーシックインカムやビットコインなどの話が出てくるのです。

さらに言えば、もう一つ、貨幣がらみの話にいま関わっています。
公共貨幣の話ですが、メーリングリストに参加させてもらいましたが、そのやりとりにまだついていけていません。
今日も数通のメールのやりとりを読ませてもらいましたが、理解できるところまでもいきません。

素人論議で、金融を語ることのむずかしさと虚しさに襲われています。
私にはどうも、通貨は理解を超えた世界のようです。
私にとっての理想的な通貨は、15年ほど前に挑戦したコモンズ通貨「ジョンギ」です。
あれはとても私になじめる通貨でした。
途中でやめてしまったことを後悔しています。

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