カテゴリー「社会時評」の記事

2017/07/02

■「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」

昨日、ケソン工業団地で働いていた人が語った北朝鮮のことを書きましたが、その本を読んで、渡辺京二の「逝きし世の面影」を思い出しました。
昨日湯島に行く電車の中で、最初のところだけを読み直しました。
読んでいる人も多いと思いますが、2つの話を紹介させてもらいます。
昨日私が言いたかったことを補足する意味で。

スイスの通日使節団長として1863年に来日したアンベールは、農村を歩き回っていると、人びとは農家に招き入れて、庭の一番美しい花を切りとって持たせてくれ、しかも絶対に代金を受けとろうとしなかったそうです。善意に対する代価を受けとらないのは、当時の庶民の倫理だったらしいと、彼は書いています。

イザベラ・バードの話からも一つ。バードは東北・北海道の旅の後、関西から伊勢に向かう途中でこんな体験をしています。奈良の三輪で、3人の車夫から自分たちを伊勢への旅に傭ってほしいと頼まれた。推薦状ももっていないし、人柄もわからないので断わると、一番としかさの男が言った。「私たちもお伊勢詣りをしたいのです」。この言葉にほだされて、体の弱そうな一人をのぞいて傭おうと言うと、この男は家族が多い上に貧乏だ、自分たちが彼の分まで頑張るからと懇願されて、とうとう3人とも傭うことになった。ところが「この忠実な連中は、その疲れを知らなぬ善良な性質と、ごまかしのない正直さと、親切で愉快な振る舞いによって、私たちの旅の慰さめとなったのである」。

また、「日本で貧者というと、ずい分貧しい方なのだが、どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない」という、アメリカ人イライザ・シッドモアの言葉も紹介されています。
彼女はこうも書いているそうです。日本人は「木綿着数枚で春、秋、夏、冬と間に合ってしまうのだ」。そんな極限の状態でも、春と秋の素晴らしさを堪能するのに差し障りはない。「労働者の住、居、寝の三要件」は、「草ぶき屋根、畳、それに木綿ぶとん数枚」がみたしてくれる。穀類、魚、海草中心の食事は、貧しいものにも欠けはしない。

日本通だったチェンバレンは、日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったそうですが、現代の日本はどうでしょうか。

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2017/06/14

■立ち上がる勇気

武蔵越生高校サッカー部の体罰映像がユーチューブに流れて話題になっています。
たしかにひどい暴力事件だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=KmzXOXW0ZyE

ただ私がこの映像を見ていて恐ろしさを感じたのは、コーチの暴力ではありません。
暴力を振るわれている高校生とコーチの間には、ある特別の信頼関係もあったような報道もありましたし、コーチのインタビューも聞きましたが、あまり一般論で考えたくはありません。
私が恐ろしさを感じたのは、映像に見るように、サッカー部員の誰もが座ったまま動かないことです。
これほどの暴力を目の当たりにしても、動かない部員。
その姿に、私も含めていまの日本の国民の姿を感じたのです。
こういう風景が、いまも文科省や内閣府で展開されているのでしょうか。

この映像を撮影したのはサッカー部員のようです。
それがせめてもの救いですが、同時にこういう手段しかなかったことにやりきれなさを感じます。
ちなみに学校側には、この暴力的な指導はアンケートなどで届けられていたそうですが、学校側は無視していたため、サッカー部員はこうした手段をとったのでしょう。
コーチだけが悪者になっていますが、一番悪いのは学校の校長だと私は思います。
権力をもつ者は、責任を持つべきです。
JR西日本の福知山事件の判決にも、そういう思いを持ちました。

立ち上がる勇気をもちたいです。

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2017/06/12

■なんでまだ豊洲が候補に残っているのか

豊洲か築地かがまだもめています。
今日もテレビでやっていましたが、築地市場の人たちの怒りはよくわかります。
でももっと早く声をあげろよと言いたいです。
しかし、たぶん私も同じように、声を上げるべき時にあげていないのでしょうね。

私はこの問題の一番の責任者は、築地市場協会会長の伊藤さんと専門家委員会の平田さんではないかと思っていますし、豊洲移転などあり得ようもないと思っています。
「安全宣言」した「専門家」(何の専門家でしょうか)の平田さんがいまになって、より安全な案など出しても、信頼されるはずはないと私は思いますが、信頼する人がいると言うので不思議です。
しっかりした専門家でまともな常識があれば、安全などと言えるはずもなかったのですが、その肝心の責任が問われないのが私には不思議です。
そういえば原子力規制委員会の田中さんもそうでした。
みんな「専門家」に許容過ぎるように思います。

伊藤さんがどんな人かは知りませんが、まともに自分の仕事場を知り、仕事に誇りを持っている人ならば、そもそもこんな話に乗るはずがありません。
いささか極端に聞こえるかもしれませんが、伊藤さんも平田さんもお金に負けた人にしか見えません。
このテーマの報道で、よくすでに豊洲に6000億円投資したからということが言われます。
だからなんだと、私は思いますが、長い目で見れば6000億円などは些末な金額です。
これからの30年、市場にお世話になる人口が1000万人として、一人あたりにしたら、わずかな金額でしかありません。
そんな計算さえできない人が増えているのが情けないです。
6000億円投資したのだからなどと考える人もまた、私にはお金に負けた人に思えます。

でもまあそもそも巨大な市場という制度にこそ問題があるのではないか。
まあその便宜を享受せざるを得ないのが悔しいですが、築地に残るしか道はないはずなのですが。
まあ、今回の議論はいかにも暴論かもしれませんが。

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2017/05/14

■カフェサロン「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの」報告

悪天候にもかかわらず、今回も9人の参加者がありました。
途中で雨がひどくなってきたため、わざわざ長靴を買って、履き替えてきた人もいました。
そんなにしてまでも人を呼び込む沖縄のオバァの力はさすがです。

今回の話題提供者は、20冊を超える沖縄関係本の出版に関わってきた平井かおるさん。
平井さんは、まず、沖縄の流行歌「カンポーぬ喰ぇぬくさー」を聴かせてくれました。
70年代に流行った沖縄戦をうたった歌だそうです。
ユーチューブで聴けますので、みなさんもどうぞ。歌詞も出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=ixXwo7zp1hk

「あなたもわたしも戦争での艦砲の食べ残しだ」という歌詞が、「少しとぼけたようで軽快でもある旋律」に乗せてまったりと歌われています。
平井さんは、この歌に、沖縄の人たちの、
「持たなければ生きていかれなかった底力と言葉にはとてもできない切なさ」
を感じ、「これぞ沖縄だ」と思ったそうです。

つづいて、平井さんが選んだ6つの沖縄オバァのクガニコトバ(金言)の紹介。
それを通して、沖縄の立ち位置や歴史、変化(失われつつあるもの)を、時折、ウチナーグチ(沖縄言葉)を入れながら、話してくれました。
参加者それぞれが、沖縄が失ったもの、失いつつあるものを、そして、私たちが失いつつあるものに考えをめぐらせたのではないかと思います。

話し合いでの話題はさまざまでした。
あの世は家の軒先ほど近いところにあって、生活につながっている話。
先祖崇拝のトートーメとウタキの話。
ユタとノロの話。
もあい(もやい)の話。
そうしたことが少しずつ変わってきている話。
沖縄で、気安く「オバァ」などと声をかけてはいけない話。
沖縄の人たちの誇り高さの話。
そして無念さの話。
本土で沖縄出身者が差別的に扱われた話。
紹介しきれませんね。

ウチナーグチは母音が3つであることも知りました。
それに、集落ごとに言葉が違うこと。
そうしたウチナーグチがだんだんと若い世代には使われなくなってきたこと。
そして、なによりも、オバァがいなくなってきたこと。
そうした話は、すべて私たちのまわりでも起こっていることかもしれません。

最後に、沖縄のチャップリンといわれた天才ブーテンの漫談のCDを聴かせてくれましたが、まったく聞き取れませんでした。
言語がこんなに短時間に変わっていくものであることに気づかされました。
いや、言語だけではなく、もしかしたら文化も価値観もそうかもしれません。
そう思うとぞっとします。
昨日、私はそれに気づいて、実際にぞっとしました。

「カンポーぬ喰ぇぬくさー」の歌や沖縄オバァのクガニコトバの、そのさらに下にあるだろう、琉球本来の古層文化への関心もますます高まりました。
いつかそうしたテーマのサロンを、沖縄の人に開いてもらえればと思っています。

明日は沖縄が日本に復帰して45年目です。
「平和で住み良さそうで、観光イメージの強い沖縄」という、私の安易なイメージを考え直さなければいけないと思うとともに、沖縄に対して、本土の政府(国民)がどう対処してきたかに関しても考えさせられました。

タイミングよく、今朝の朝日新聞の天声人語で沖縄のことが書かれていました。
まだお読みでない方はぜひお読みください。


20170513


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2017/04/27

■じゃんけんで勝ったものが席を譲る文化

昨日の地下鉄日比谷線での小さな出来事です。
広尾から乗車したのですが、次の六本木で小学生(たぶん1年生)が3人乗車してきました。
私の隣の席が2つ開いていました。
さてどうするか。
3人は譲り合っていましたが、結局、じゃんけんをして負けた2人が座りました。
で、ついつい、「どうして勝った人ではなくて負けた人が座ったの?」と訊きました。
最近、東京ではむやみに子どもに話しかけるのはやめた方がいいようなのですが、気になったことは質問したくなる性分は直りません。
彼女たちは怪訝そうに私の顔を見て、一瞬間をおいて,みんなが異口同音に「みんな譲り合っていたから」と答えたのです。
なるほど、相手に座ってほしいという思いをかなえるのがじゃんけんで勝った人のご褒美なのだと納得しました。
生物的にか弱い人類が、過酷な自然の中で生き残ってきたのは、こうした発想の影でしょう。

北朝鮮と日韓米のいまの状況は、たぶんそうした人類の歴史に反しています。
この子たちの、素直な優しさが、どこで変えられてしまうのだろうかと思いました。
じゃんけんで勝った人が譲る社会を取り戻したいものです。

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2017/04/13

■認知症予防ゲーム実践者交流会の報告


認知症予防ゲーム実践者交流会は10人を超す人が参加してくれました。
前回湯島でサロンをやったパズル療法士の細田さんなど、まだゲーム体験のない男性も3人参加してくれました。
実践している人たちは、ゲーム実践力はどんどん進化していきますが、それに伴い、目的が手段化していく傾向もあります。
大切なのはゲームを広げることではなく、ゲームを活かすことです。

これは認知症予防ゲームに限った話ではなく、さまざまな分野のNPO活動やボランティア活動に関わらせていただいていて、強く感ずることです。
私がさまざまなNPOに、余計なお世話的に関わらせてもらっているのは、そうした点で少しはお役にたてるかもしれないと考えているからです。

参加者のひとりが、「認知症予防」というと、何か「認知症」が悪いもので、避けなければいけないもののように聞こえるが、認知症は(生活習慣病のように)悪いものなのだろうかと発言されました。
私もずっと気になっていたことです。
これもNPOやボランティア活動でよく感ずることですが、言葉はとても微妙です。
以前、「自殺のない社会づくりネットワーク」を立ち上げた時に、自死遺族の人から「自殺した父が責められているように感ずる」といわれました。
言葉は、当事者の視点になって考えないといけないと教えられたのです。

考え方として「認知症予防ゲーム」は良いとして、しかしゲームに「認知症予防」という表現は再考する必要があるかもしれません。
それに、「みんなの認知症予防ゲーム」は、認知症予防だけに効果があるわけではありません。
もっと大きな効果があり、実際にもいろんな成果を上げてきています。
蛇足ですが、私は「認知症予防ゲーム」ではなく「認知症支援ゲーム」はどうだろうと提案してみました。
とても「受けました」が、冗談で終わりました。
でも、「認知症予防社会」よりは「認知症支援社会」のほうが、いつか認知症といわれるだろう私には、暮らしやすそうです。

参加者からそれぞれの活動の紹介がありましたが、やはり横から関わらせてもらっている立場から言えば、情報交換や一緒に何かを創りだしていこうという仕組みが相変わらずできていないような気がしました。
みんながバラバラにやっていては、大きなうねりにはなっていかないのではないかという指摘もありました。
またゲームの名称も、いつものように話題になりました。
「みんなの認知症予防ゲーム」では特徴が表現できず、伝播力がないというのです。

問題点はほぼみんなわかっているのですが、その解決がなかなか進まない。
やはりここは、ある意味での組織化が必要なのでしょうが、問題はだれがやるかです。
次回は何らかの形で動きだせればと思います。

話し合いが一段落したところで、細田さんにパズルセッションをやってもらいました。
細田さん開発のパズルを購入して、自分の活動にも取り入れたいという人やこれを広げる方法を考えたいという人など、そういう話になると一挙ににぎやかになります。

そして最後に、このゲームを体験したことのない3人の人が参加していましたので、ちょっとだけ体験してもらいました。

話し合いの内容はあまり報告できていませんが、みなさんの話を聞いていて、私が果たすべき役割が少し見えてきました。
今回で、この交流会も終わりにしようかと考えていましたが、むしろ発展させようかと思い出しました。
どなたか事務局的な役割を一緒にやってもいいという方がいたら、ご連絡ください。
よろしくお願いします。
また、夏か秋にでも、高林さんにも来てもらって、ゆるやかなネットワークのキックオフも考えたいと思います。

認知症支援社会の実現のために。

Ninchi201704


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2017/04/09

■カフェサロン「二宮金次郎(尊徳)の実像から見えてくるもの」報告

昨日の二宮尊徳サロンは、実に刺激的でした。
15人が参加しました。

露木さんの思いは、レジメにこう書かれています。

戦前に置いて二宮金次郎は、刻苦勉励の金次郎少年のイメージのみを国家によって抽出された理想の国民増に祭り上げられた。 再び見直されつつある二宮金次郎に再び同じ役割を担わせてはならない。 いまこそ必要なことは二宮金次郎の実像を知り現代に活かせる手がかりを探ること。

そして、露木さんは、二宮金次郎の遺書の言葉から、二宮金次郎が後世に残したかったことを読み解いていきます。
この部分は、「謎解き」のような面白さがあり、露木さんの発見に思い切りひき込まれてしまいました。
露木さんは、荻生徂徠や丸山眞男の論考などを紹介しながら、「人道は作為である」という、尊徳の思想の根本を紹介し、単なる道徳家ではなく、社会を変革していく実践者だった二宮金次郎の姿を浮き彫りにしていきます。
そして、金次郎が後世に残したかったことは、「俺は厳しい時代にいろいろとやってきた、そのやってきたことをきちんと学んでほしい、大切なことはやったかどうかだ」という実践の勧めではないか、と言います。
そのためには、尊徳の弟子が書いた書物ではなく、金次郎が残した分度や仕法のメモを、きちんと学ぶことが大切だ。
そして、地方創生が叫ばれているいまこそ、二宮金次郎の実像から学び、それを応用していくべきではないか、と露木さんは呼びかけました。

露木さんの呼びかけに説得力があるのは、露木さん自身が開成町で町長として、それを実行してきたことがあるからです。
露木さんは、こう呼びかけました。
まずは市町村レベルで社会を変えていく。
それが各地に伝播して国が変わっていく。
草の根からの社会革命です。

二宮金次郎は、農村のリーダーたちにそうした実践を強く求め、そのために分度や仕法の考え方やノウハウを提供してきたわけです。
しかし、そうした報徳思想は広がったにもかかわらず、残念ながら実際に社会を変えるとこにまではなかなかたどりつきませんでした。
その理由は、社会の支配層が、それを妨げたからです。
こうした状況は、いまの日本社会にも当てはまるような気がします。
そうした状況を打破していくためにも、露木さんは改めて二宮金次郎から学べと呼びかけているわけです。

ささやかにこれまで各地の「まちそだて活動」にも関わらせてもらってきた私も、そう思います。
社会は現場から変わっていきます。
そして各地ではいつもさまざまな変革活動が取り組まれている。
しかし、それがどうもつながっていかず、また持続も難しい。
そこをどうしていくかが、課題かもしれません。

露木さんは、他にもたくさんの示唆を与えてくれました。
私が興味を持ったのは、沖縄にある二宮金次郎像の話です。
これはまた別の意味で、これからの日本を考えていく上での大きなヒントを与えてくれるように思います。
5月27日に、開成町でわらび座によるミュージカル「KINJIRO!本当は面白い二宮金次郎」の公演の紹介もありました。
サイトをご紹介します。
また開成町に最近開所した、あしがり郷瀬戸屋敷「みんなの我が家」でサロンをやったらというお誘いもありました。
湯島サロンも、時にはどこかに出かけてのサロンも面白いかもしれません。

話し合いで出た話題も紹介したいのですが、長くなってしまいましたので、それはまたこのシリーズのサロンで深めていければと思います。

道徳家としての二宮金次郎ではない、社会革命実践者としての二宮金次郎に触れて、それぞれいろいろと気づきのあったサロンになりました。
露木さん
ありがとうございました。


Tuyuki20160408


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2017/04/04

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔3〕

沖縄の辺野古移設の現地の活動は、首都圏に手はなかなか見えてきません。
マスコミ報道も関心がないのか、あまり取り上げません。
私自身、現地にも行っていないので実情を知っているわけではありません。
しかし、沖縄での最近の動きは、どこかこれまでと違うものが伝わってきます。

沖縄に新たな動きが出たのは、民主党に政権が移り、鳩山政権が「少なくとも県外移設」と言い出した時からです。
残念ながら鳩山政権は挫折しましたが、鳩山さんの残したものはとても大きいと思っています。
鳩山さんは、大きな流れに抗って棹を指すこともできることを自らの行動で示してくれました。

辺野古問題が変化を見せたのは、たぶん2014年11の沖縄県知事選だったと思います。
選挙の争点は辺野古移設問題。辺野古移設を承認した現職の仲井眞知事とそれに反対する翁長さんの争いになりました。
翁長さんはこう訴えました。
「豊かな自然環境はいまを生きる私たちだけのものではない。イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍板を残すことのない責任ある行動がいま、強く求められている。」
イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄。

それまでの「保守対革新」とは違う次元の対立軸が浮かんできました。
野党連合とは違って、そこにあるのは「社会の構図の変化」です。
その後の選挙によって、現在の沖縄県内の衆議院小選挙区4議席、参議院選挙区2議席の計6議席はオール沖縄の議員が独占しています。
これまでの政党はもはや政治の基本組織ではなくなっているわけです。

最近、東京都の知事選でも、同じような対立構造が少しだけ見えています。
私はそこに時代の大きな動きを感じます。
数年前にこのブログで書いた記憶がありますが、政党政治の時代は終わりつつあります。
なぜなら社会の構図が変わってきているからです。

しかし、だからこそこれまでの社会を統治していた体制による反撃もまた激しくなっています。
それが様々なところで混乱を起こしているように思います。
アメリカでも、ヨーロッパでも、そして韓国でも。

社会の構図の基本軸が、組織対組織ではなく、組織対個人に変化してきているのです。
いささか不正確なので、もう少し説明していければと思います。

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2017/03/31

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔2〕

このシリーズを続けて書こうと思っていましたが、間があいてしまいました。
最初に書こうと思った時の思いが少し薄れているのですが、再開しようと思います。

モハメド・アリの話から再開したいと思います。
先日、NHKテレビの「映像の時代」を見て、世界の対立軸の変化の象徴的な事件が示唆されていたからです。

よく知られているように、モハメド・アリは、ボクサーとしての絶頂期だった24才の時(1967年)にベトナム戦争のための徴兵命令を拒否します。
国家に対する命令拒否で、モハメド・アリは裁判で有罪となり、チャンピオンベルトもボクシングライセンスも剥奪されてしまいます。
当時、彼はこう語っています。
「戦争はひたすら何の罪もない人を殺して殺して殺し続けるだけだ」
「おれはベトコン(北ベトナム)にうらみはねえ」と言ったという話もあります。

アリの徴兵拒否をどう思うかと質問されたキング牧師は、こう答えています。

私も徴兵制度に反対だ。 アリが言うように、われわれは弾圧してくる体制の被害者なのだ。

そこから、アメリカでは徴兵礼状を焼き捨てる動きが広まっていきます。
時代はまさに、1960年代の対抗文化が広がりだした「緑色革命」の時代です。
チャールズ・ライクの書いた「緑色革命」に影響された若者は世界中にたくさんいたでしょう。
その本で、ライクは、世界の構造が変化しつつあることを語っています。
キング牧師が言っているように、人間と体制(システム)の対立が、世界の基軸になってきていたのです。
ベトナム戦争も、アメリカという国とベトナムという国が戦っていたのではなく、国家システムと人間が戦っていたのです。
アメリカという国家は、ベトナム戦争から多くのことを学んだはずでした。

当時、日本では宇井純さんが、そういう枠組みで活動を始めていました。
科学技術の世界では、高木仁三郎さんが、やはり科学技術というシステムに異議申立てしていました。
ヨーロッパでも若者たちが大きなパワーを発揮していました。
しかし、残念ながら、ほとんどすべての新しい波は、システムの攻勢の前に鎮められてきたような気がします。
システムはますます巨大化し、人間を弾圧しだします。
そして、9.11が仕組まれ、21世紀は再び「システムの時代」となっていきます。

アレントが懸念していた全体主義的風潮が、また世界を覆い出したのです。
1960年代の、あの若者たちの人間的なつながりはバラバラにされ、金銭つながりの人間たちがシステムの走狗として世界を牛耳だしました。
経済的な格差が政治的な格差を生み出し、システムから追い出されだした低所得者たちが声を上げだしました。
アメリカで、ヨーロッパで、アジアで。
しかし、低所得者は、高所得者と、結局は同じ種族です。
お金にこだわっている限り、新しい生き方はできないのですから、勝負は最初から決まっています。

しかし、そうでない、まさに新しい対立軸を示唆する動きもあります。
その動きがいま、沖縄で起こっている。
そんな気がします。

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2017/03/25

■まちづくりサロン「保育力を活かしたまちづくり」の報告

まちづくりサロンでは、いろいろな視点から「まちづくり」を考えることにしていますが、今回は「保育力研究所」の若い2人の保育士(酒井玲奈さん・片野奈保子さん)をゲストに、「保育」という視点で「まちづくり」を考えてみました。

「保育力研究所」の母体は、「キッチン図鑑」活動ですが、これは今回話してくれたおふたりが、保育所を飛び出して1年間、墨田区を中心に活動してきた「社会実験」から生まれた組織です。
活動の内容はホームページをご覧ください。
http://kitchenzukan.net/

「保育力」という言葉に違和感を持つ人がいるかもしれませんが、要は「子どもが豊かに育ちやすいまちにしていきたい」というのが、おふたりの思いです。
保育力は保育士だけのものではないのです。
昨日も話題になりましたが、そもそも、まち(地域社会)とは子どもたちを育てる場でもありました。
しかし、保育所ができたことで、なぜか保育は保育所の仕事になってしまい、地域社会の子育て機能は失われてきています。
子育てがなくなれば、親も育ちません。
さらに昨今は、「保育園落ちた!日本死ね」などという言葉も話題になるほどです。
こうした「専門家」にお任せする風潮への懸念は、保育に限らず、高齢者介護においても感じられます。
私が改めて、「まちづくり」を考え直していきたいと思う理由は、そこにあります。

サロンは、まずおふたりのライフストーリーから始まりました。
2人が、なぜこのテーマに行きついたのかが、とてもよく伝わってきました。
その生活体験の中から行きついたテーマなので、たぶんこれほど頑張れるのでしょう。
そして仲間も広がってきているのでしょう。
それがよくわかりました。

話は、いつものように拡散しながら、進みました。
たとえば、そもそも専門性を保証する「資格」とはいったい何なのか。
子育てに関して、個別問題ではなく、もっと長期的な視点で相談できる人がいなくなっている。
フードバンクや子ども食堂の問題点。
活動を始めるといろんな人がいろんなものを提供してくれる。
社会活動にとっての「場所」の効用と商店街の現実。
そういえば、図書館の話も出ました。

これだけだとなんのことかわかりにくいですが、いずれも社会のあり方や私たちの生き方につながる問題です。
社会における「善意」がうまくかみ合わさっていない実態も話題になりました。
たまたま宮城から東京に来ていた方が参加して、宮城でのお話も少ししてくださいました。

子育てのために会社を辞めた経験のある男性は、子育ての幸せと子どもからの学びに関しても語ってくれました。
保育とは、子どもが育つだけではなく親も育って、社会が豊かになっていくことなのでしょう。
「子どもが豊かに育ちやすいまち」は、高齢者も含めて、みんなが暮らしやすいまちなのではないかと、改めて思いました。
「子はかすがい」と言われますが、子どもは夫婦をつなぐだけではなく、地域の人をつなげる存在でもあるのです。

東京新聞の記者の方も参加されたほか、サロンには初参加の方とサロンの常連の方も参加されました。
参加者が少なかったおかげで、話がいつも以上に拡散しましたが、またいろんな視点に気づかされたサロンでした。

保育力研究所は今年から本格的に活動を始めます。
いま活動拠点を探していますが、もし墨田区で場所を提供してくれる人がいたら応援してください。
子どもたちが豊かに育つまちが広がっていけば、保育園騒動もなくなるでしょう。
1年後にまたサロンをやってもらいたいなと思っています。

20190325


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