カテゴリー「社会時評」の記事

2024/06/02

■世界がますます見えなくなってきています

5月31日、「WHOから命を守る国民運動」が呼び掛けて、日比谷で集会をし、銀座にもデモ行進をしました。
https://anti-who.jp/

台風襲来が予想されていたにもかかわらず、たくさんの人が集まりました。
私は天気と疲れを口実にさぼってしまいましたが、友人たちが参加し、集会風景などを教えてきてくれていました。現場にはいませんでしたが、ちょっとだけ、臨場気分も味わいました。

しかし、マスコミはこうした動きを報道していません。
問題の存在さえも報道しない。

マスコミ報道では、私にはほとんど些末としか思えない「大事件」ばかりが取り上げられています。その一方で、ネットでは過剰に膨らまされた言説が飛び交っている。
私はいずれもからもいろんなことを学ばせてもらっていますが、信頼するのは、私が直接触れるか、あるいは私の知っている信頼できる人が直接体験した情報だけです。だから、最近のように行動範囲が狭くなると、世界がなかなか見えてこない。それでがんばっていろんな立場の人と会うように努めていますが、正直、会うたびに、つまり新しい世界に触れるたびに、さびしくなることの多いほうが多い。

見ない方がいいなと思うことの方が多いのです。
でもそれではやはり無責任です。
最近いささか逃げていましたが、やはり湯島でのサロンでも話題にしていこうと思います。

昨日は5.31日比谷デモに参加した人や沖縄南西諸島の実状を追いかけている人に会いました。詳しい話を聞いたわけではありませんが、会っただけで伝わってくるものがある。
おふたりにはそれぞれサロンをお願いしました。

サロンはますます多くなる。
世界は、あまりに平和ではない。私も平和でいられない。困ったものです。

 

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2024/05/09

■人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか

伊藤環境相と水俣病患者を中心とする関係8団体との懇談会で、環境省の事務方が複数回、参加者の発言中にマイクを切ったことが話題になっています。それを知りながら、伊藤環境相は注意もせずに、そのまま終わってしまった。

あまりに大きな騒ぎになったせいか、伊藤環境相は昨日、水俣市に出かけて、水俣病関係者に謝罪したようです。「今回のことを深く反省し、しっかり環境行政を進めたい」と。
それにしても、この間、1週間以上たっています。それにこういう言葉で「謝罪」になるのかどうか。環境相の行動も「いかにも」という感じですが、残念なのは環境省職員の言動です。環境庁ができたころは、こうではなかった。湯島にやってきた環境庁職員もいました。みんな前を向いていた。

今朝の朝日新聞の天声人語の最後にこう書かれていました。

語り部だった杉本栄子さんが患者に向けて遺した言葉を思い出す。「苦しくても、のさり(賜りもの)と思うて暮らしてくだまっせよ」。

あまりにも違う言動です。どうして伊藤環境相や環境相職員のような言動ができるのか。

杉本栄子さんには一度お会いしたことがあります。ご夫妻で、朝、獲ってきたシラス(寝坊して、私はその船には乗れなかったですが)を処理しながらの合間に、少しだけ話させてもらいました。とても優しく、穏やかな心が伝わってきたのを覚えています。
そのシラスも、とてもおいしかったです。

あるいは水俣病訴訟の中心的な立場から突然身を引いた緒方正人さんの本のタイトル「チッソは私であった」。緒方さんの本には気づかされることが多かった。
伊藤さんも、ぜひ緒方さんに会いに行くといいと思いました。
もし会ってお話ししたならば、あんな態度は生まれるはずもない。

政治家や官僚のみなさんは、いまや人間がいなくなった廃墟の中で生きているのかもしれません。
この連休には、海外ではなく、人間のいる世界で、人間と会ってほしかったです。
伊藤さんや環境相職員にとって、水俣病とは一体何なのでしょうか。

いや、彼らだけではない。私たちにとって、水俣病とは何なのか。
決して他人事ではありません。伊藤さんのようにならないように注意しなければいけません。
水俣病は決して過去のものでありません。

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2024/04/17

■共同親権が国会で議論されることの意味

離婚しても子どもの親権を両親に認める共同親権制度を盛り込んだ民法の改正が進められています。

共同親権に関しては両親にとっても子どもにとっても大きな意味を持っている問題ですが、意見は一致することはないでしょう。そもそも現実は多様過ぎて、当事者の視点からは問題として設定できないからです。逆に、当事者ではなく、社会秩序を管理する視点に立てば、問題はそう難しくはありません。まあ政治というのは、得てしてそういう枠組みの中で議論されていますが、それで悩む人が減るわけではないでしょう。ただ経済的に利得を得る人が出るだけです。そういう意味で、昨今の政治は、エコノミカル・ポリティクスになってしまっています。かつてはポリティカル・エコノミクスとは、政治と経済が反転しています。
それに関しては以前何回か書いたことがありますが。

そもそも、親子関係や家族関係は、政治が割り込んでくるような話ではないと私は思いますが、残念ながら政治に依存しないと収拾できないような親子関係あるいは家族関係が広がっているということでしょうか。

それにしても、「親権」という言葉には違和感があります。
そういう発想こそが最大の問題ではないかとさえ思います。
「親権」を認めるのであれば、「子権」も認めるべきでしょう。
子どもは親の所有物ではありませんし、そもそも他者(物)に対する支配を正当化する「権利」という概念を人間の関係に持ち込むことへの違和感があります。

最近、本田真隆さんの『「家庭」の誕生』(ちくま新書)を読みました。面白かったです。
気軽に読める新書ですので、よかったらぜひ。
夫婦別姓もそうですが、私にはみんなあまりに法律に依存しすぎているように思えてなりません。国民であると同時に、私は一人の人間として、生きていますので、親権や別姓などといった制度に保証され管理されるような発想は持っていません。

家族や家庭、あるいは親子や友人は、これからどう変質していくのでしょうか。
自分がどんどんそういう変化から取り残されていくのを実感しています。

 

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2024/04/04

■なぜみんな地域活動が嫌いになるのか

昨日、自治会の年度会計監査の集まりがありました。
私は昨年度の会計監査の一人なのです。

私たちの自治会では、16ある班が順番に会長役を引き受け、班のなかで会長などの役員を決めます。任期は1年ですが、会長は翌年は副会長、そしてそのあと2年は会計監査を務めることになっています。私は2年前に会長の役をさせてもらったので、昨年度と今年度が会計監査なのです。

昨年度の会長から丁寧な説明を受け、監査は無事終了しました。
その時に話題になったのが、会長職の大変さです。
そして一度会長職をやった人は、もう2度とやりたくないと言う人が多いという話になりました。
たしかに会長職は大変で、あまり意味があるとは思えないような会議によく参加しなければいけないのです。仕事をしている世代の人にはなかなかできることではありません。

そういう話をしていて、気づいたのですが、もしかしたらこうした自治会活動が、多くの人の地域活動嫌いを引き起こしているかもしれません。さらに勘ぐれば、そこにこそ「自治会活動」の狙いはあるのではないか。

私の体験からも、多くの場合、「自治会」と言っているものの、行政などの下請け的な活動が多く、私の感覚でも「住民活動」というよりも「市民活動」「公民活動」と言った方がいいようなものが多いのです。自分たちから自主的に行う、本来的な意味での「自治活動」はその気にならなければ何もしなくても終わります。

私が会長だった時には、幸いに私たちの班のみなさんが自発的にいろいろな役割を自主的に引き受けてくれました。ですから私はとても楽でしたし、出席を求められた会議も、意味がないものは欠席し、そこで何か主張できることがある場合には参加して意見を言いました。しかも私が会長をさせてもらった時期は、コロナの関係で地域のお祭りもなく、仕事量が少なかったこともありますが、あまり負担には感じませんでした。防災活動も副会長に一任でした。
また、会計も会計監査もすべて、会計役の人に一任していました。ですから、今回、初めて詳しい内容の説明を聞かせてもらったのです。

自治会としてやろうと思えばできることはいろいろとあります。ただ私たちの自治会の場合、任期は1年ですので、注意しないと次年度の会長役に負担をかけてしまうので、あまり勝手なことはできません。事実、私は20年ほど前に会長をやったときに、自治会の顧問的な長老役の人から、余計なことをやり過ぎないようにとお達しを受けていました。今回もそのことは、それなりに頭にあり、結果的には、独自の活動はしませんでしたが、それなりに楽しい会長仕事だった気がします。
でも多くの人には、自治会の仕事は負担でしかないようです。

私自身は、これから社会を変えていくのは、いわゆる「地域主義」的な住民活動だと思っています。期待していたNPO活動はどうも経済にからめとられたような気がしますが、逆に自治体行政のレベルでの地域主義は広がりだしています。
若い世代の意識も変わりだしている。

高齢世代が主役の「自治会」活動は、そろそろ役割を終わったのかもしれません。
昨日はそんなことを考えていました。

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2024/03/25

■あまりに予想通りで実に残念です

違法賭博疑惑でドジャーズを解約された水原一平さんに関連して、大谷選手への疑惑も生まれています。テレビの多くは、当然ながら大谷さんに好意的な姿勢をとっていますが、私にはやはり違和感があります。大谷さんでなければ、違う展開になったのではないかと、どうしても思えてしまいます。

また友人から叱られそうですが、私は起こるべくして起こった事件だと思っています。

大谷選手も私には、ただの「被害者」とは思えません。
そもそも大谷選手は、私の感覚では、金融資本の手段に拘束されているばかりか、むしろ協力している存在に見えているからです。
話題になった契約方式の小賢しさにもがっかりしましたが、あれだけの巨額なお金が動くど真ん中にいる以上、さすがの大谷さんでも自分をまもれないだろうなという気がしていました。まともな友人がいなかったのでしょうか。

改めてお金の恐ろしさと友の大切さを実感しました。
ますます野球が嫌いになりそうです。
また友人たちから非難されそうですが、素直な気持ちは表明しておきたいです。
子どもたちには、大谷さんのような人生を目指してほしくはありません。

 

 

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2024/03/10

■生きづらさをテーマにしたサロンをやろうと思います

また朝の思いつきでしかないのですが、生きづらさをテーマにしたサロンをやろうと思います
今朝起きてパソコンを開いたら、ふたりの友人から「生きづらさ」に関するお薦め書籍とお薦め講演の連絡がありました。迷っていたのですが、おふたりの関心を知って、開催することに決めました。問題は切り口ですが。

友人が進めてきた書籍は、貴戸理恵さんの『「生きづらさ」を聴く』です。私も読んでいますが、大阪で活動している「生きづらさからの当事者研究会」、俗称「づら研」での実践をベースに、生きづらさに取り組んだ本です。
私も別の友人から教えてもらって読んだのですが、私が取り組んでいる活動(とまでは言えませんが)と通底しているものを感じていました。

もう一人が薦めてきたのは、東野哲彦さんの講演です。騙されたと思って一度聴いてくださいと書いてきました。若いころはともかく、この歳になると騙されることはないのですが、聴かなくてもメッセージはほぼわかります。
東野さんの「耕せ・にっぽん」の活動も少しは知っていますし。

友人は、「少し『引きこもり』脱却の手法は違いますが」、と書いてきましたが、私は『引きこもり』脱却などという発想は皆無です。そもそもそんなことをしようとするから、生きづらくなり、ひきこもりに意味を感じてしまうように思うからです。なかなかそういうことは伝わらない。

私の生き方は、ありのままに、〈今ここ〉を前向きに生きることです。
そういう生き方であれば、生きづらいなどということは起きようもない。

でもやはり生きづらさが問題になっているのがいまの日本。
今朝、この2人とのやり取りで、生きづらさのサロンの切り口が見つかりました。
ドロモロジーです。
できれば3月なかに開催したいと思っています。
どなたか問題提起してくれる人はいませんか。

 

 

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2024/02/26

■「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」

前にも書いたことがありますが、テレビドラマの「アストリッドとラファエロ」は数少ない私が好きな番組です。
https://www.nhk.jp/p/astridetraphaelle4/ts/P2J4XW64VM/

毎回、共感する一言に出合いますが、昨夜の「死神の呪い」で出会ったのは、「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」というラファエロの言葉です。
この言葉は、先日の脱ひきこもりサロンでも、私が発言させてもらった言葉ですが、ずっとそう思っている言葉です。
要するに、「嘘さえつかなければ、人生は素直に過ごせる」のです。

テレビのサスペンスドラマの事件は、ほとんど「ちゃんと話さないこと」によって発生し、「ちゃんと話さないこと」によって解決が遅れるのですが、現実は同じです。
ちゃんと話した結果、不幸がやってくることもありますが、人生において不幸な事件は避けがたいものです。それに不幸があればこそ「幸せ」がある。
しかし「ちゃんと話さないこと」、つまり嘘をつくこと、あるいは事実を話さないことから生ずる悲劇は、不幸を超えていますので、「幸せ」にはつながりません。

私は、社会から大きく離脱していますから、「ちゃんと話せる」生き方ができていますが、だれもが「ちゃんと話せる」社会なら離脱することもなかったでしょう。
ほんとうは、社会がとても好きですから。

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2024/01/23

■「お金は世界のあらゆる悪行の父」

話題になっているデヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウの共著「万物の黎明」を読んでいます。
頭脳の構造が違うのか文化が違いすぎるのかわかりませんが、欧米人の書いた本は私はなかなか理解しにくいのですが、本書もなかなかすっきりと頭に入ってきません。もう少しストレートに書いてほしいですが、いかにもソフィストケートされていて、あまりに多義的な表現が多すぎます。

でも感動する文章もある。
たとえば、ネイティヴアメリカン、つまりアメリカ大陸先住民のイロコイ族のカンディアロンクが欧米人に向けて言った言葉です。フランスの貴族が記録してくれています。
ちょっと長いですが、引用しますので、ぜひ読んでください。
当時(1700年前後)、世界を席巻しつつあったヨーロッパ文化への批判です。

「私は6年間、ヨーロッパ社会のありさまを考察してきましたが、彼らの行いが非人間的ではないとは、いまだいささかも思えません。あなた方が「わたしのもの」と「あなたのもの」との区別に固執するかぎり、それに変わるところはない。そう心から考えています。あなたがたがお金と呼ぶものは、悪魔のなかの悪魔、フランス人の暴君、諸悪の根源、魂の悩みの種、生者の処刑場である、こうわたしは断言します。お金の国に住みながら魂を生き長らえさせることができる、このような考えは、湖の底で命を長らえさせることができるという考えとかわるところがありません。お金は、贅沢、淫乱、陰謀、策略、嘘、裏切り、不誠実の父であり、世界のあらゆる悪行の父なのです。父は子を売り、夫は妻を売り、妻は夫を裏切り、兄弟は殺し合い、友人は偽り合う。すべてはお金のためです」。 

アメリカ先住民の文化は徹底的に壊されてしまい、多くの日本人の頭の中には残虐なインディアン・イメージが大きいと思いますが、そうし思い違いを、この本は気づかせてくれます。
マーシャル・サーリンズの「石器時代の経済学」に出合った時と同じ感動をもらっています。

ちなみに本書の副題は、「人類史を根本からくつがえす」とあります。
この種のビッグ・ヒストリーの本は、ハラリやジャッジ・ダイアモンドなど、最近はやりですが、私にはみんな退屈でした。でもこの本は面白そうです。冗長で読みにくいのが難ですが。

問題はともかく厚くて、重いことです。1週間では読めそうもありません。

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2024/01/09

■「知ることは知らないことを知ること」

能登半島地震は日を追うごとに被害の大きさに驚かされています。

ただ最初からずっと気になっていることがあります。
いささか不謹慎ですが、書いておきたくなりました。

地震発生後、ずっとテレビを見ていました。
そこに映し出されているのは、あまり大きな変化がない「現地」の風景でした。
しかしその一方で、緊迫したアナウンスが続いていました。
緊迫した言葉と変化があまりない実況風景。
とてもちぐはぐな感じでした。

少し経ってから滑川地区に津波が押し寄せているだろう風景を民放の一局が映し出しましたが、それへの言及はほとんどなく、遠景だったのではっきりとは確認できませんでした。

しかし、その頃、すでに多くの現場にはかなりの津波が押し寄せてきていたわけです。
おそらく個人のスマホなどではそうした情景が投稿されていたでしょう。
しかしテレビ放送で映し出されていたのは、大きな被災を感じさせない画面ばかりでした。
何故そうしたことが起こったのか、いや、起こるのか。

私がテレビで見ている現実と違う現場がたくさんある。
でも私は、自分が触れた現場風景によって思考を形成してしまう。

改めて「知ることは知らないことを知ること」だという命題を思い知らされています。
知識は真実を隠す働きがある。
改めてそれを思い知らされています。

能登半島に今日は太陽が出てくれることを祈ります。

 

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2024/01/08

■「ナンバ歩き」you tubeチャンネルが開設されました

1年前、湯島で永田茂さんの深呼吸歩きのサロンを、実際の歩行体験と併せて開催しましたが、そこで紹介されていた「ナンバ歩き」を解説紹介するユーチューブチャンネルが開設されました。
https://www.youtube.com/watch?v=7OQGYGNy1Qg

湯島のサロンでは、ナンバ歩きは難しいので、それを踏まえて永田さんが開発した深呼吸式歩き方に関して紹介がありましたが、その時に予告されていた「ナンバ歩き」の紹介です。また関連した情報も紹介されていますので、是非ご覧ください。

ナンバ歩きはご存じの方も多いと思いますが、かつての(といっても江戸時代もそうでしたが)日本人の歩き方といわれています。手足の動かし方が、いまとは逆なのです。
永田さんは、その歩き方が健康に大きな影響を与えていると考えています。

ちなみに、永田さんはいまも日常的にナンバ歩きをされていて、そのせいかどうかはともかく、きわめて健康。身体年齢は実際よりもかなり若いようです。
ちなみに、街中でナンバ歩きで歩いている人を見たら、たぶん間違いなく永田さんでしょう。なにしろそういう歩き方をしている人はいまは永田さんくらいしかいないからです。ただ、気を付けてみないと、ナンバ歩きしていることには気づきません。それほど永田さんのナンバ歩きは自然なのです。

「生涯現役社会」を目指すためにも、歩き方への関心を高めていきたい、それは医療費削減にもつながる、と永田さんはお考えです。
もちろんナンバ歩きを広げようというわけではありません。しかし、「ナンバ歩き」の開示は大変深い影響力と意味を持つので、まずは世に問うてみたい、と永田さんは考えているのです。

ナンバ歩きに関心を持たれたら、ぜひこのyou tubeをご覧になって永田さんにアクセスしてください。
私も永田さんから教えてもらった深呼吸を意識した歩きをつづけていますが、意識して歩くといろいろなことに気づきます。

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