カテゴリー「社会時評」の記事

2023/01/26

■「嘘つきは政治家のはじまり」にしてはいけません

統一教会との関係が問題になっている細田衆院議長が、24日に行われた与野党の代表者への説明会の中で、2019年に旧統一教会の友好団体が開催した会合に出席し「安倍首相(当時)に早速報告したい」と挨拶したことについて、「この団体が安倍元首相に近い団体というのは知っていたので、リップサービスとして言った。ただ安倍元首相には報告していない」と述べたそうです。

多くの新聞が、そのことをさらっと流しているのが、とても気になります。とても聞き流せるような話ではない。しかも発言者は立法の長たる衆議院議長です。

リップサービス。要するに嘘をついたということです。リップサービスなどという表現に騙されてはいけない。リップサービスは嘘とは違います。言葉は正確に使わなければいけません。まあそのこと自体も、いまや軽んじられていますが。

単なる私人なら嘘も時には許されるかもしれませんが、公人としての政治家は嘘をついてはいけません。残念ながら政治家とは嘘をつくものだという「常識」が広がっていますが、責任ある人が嘘をついたら社会は成り立たなくなります。どんな犯罪さえも否定できなくなる。「嘘つきは泥棒のはじまり」という教えがあるように、犯罪のほとんどは、嘘から始まりますから。
いまは「嘘つきは政治家のはじまり」と言い換えたほうがいいかもしれません。嘘にまみれた政治家が社会を統治していると思えば、最近の犯罪の広がりや経済の劣化もまた、「時代の流れ」かと諦めてしまいたくもなります。

しかし、一昔前の政治や経済では嘘は現に戒められていた。その基本になったのは、「信頼」であり「誠実」だったと思っています。
でもそれが今や失われようとしている。
いや失われてしまった。

嘘が見逃される風潮の中では、嘘つきが主流になっていく。
そのうちに、学校で「嘘のつき方を教えるようになるかもしれません。
そんな悪い冗談さえ、なんだか真実味をもってきてしまう。

その流れに巻き込まれないようにしないといけません。

 

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2023/01/09

■月収5万円でも豊かに暮らせる社会

一昨日会った友人から聞いたもう一つのうれしい話です。
いささかプライバシーにかかわる話ですが、まあいいでしょう。

彼女は昨年、伴侶を見送りました。
現在の定期的な金銭収入は年金ですが、月額5万円ほどらしいです。
私の3分の1です。

ところが、私と会うと、私の方がお金持ちだからと言ってご馳走してくれることもある。
それに私と会う時には必ず何かを持ってきてくれます。買ったものではありませんが。
私はそれに対してお返しをした記憶がありません。
まあ、お互いそんなことは気にしません。

彼女は5万円もあれば、お金が余ってしまうというのです。
私の場合は年金15万円弱ですが、ある事情があって、実際の可処分所得は10万円弱です。固定資産税の負担時期など、年に何回か、厳しい時はありますが、でも自宅ですし、最近はお金のかかる仕事はしていませんので(地方にも出かけられませんが)、なんとかやれています。でもまだお金が余るところまではいっていません。

でも、5万円の収入でも彼女はお金が余るというのです。
彼女のことだからあまったら誰かに回して役立てているのでしょう。
そして実に豊かな暮らしをしています。
私よりもはるかに行動範囲は広く、海外も含めてよく出かけています。

5万円でどうしてと思われるかもしれませんが、前「牛とひよこの話」を思い出してもらえれば、お金などはさして問題ではないことがわかってもらえるでしょう。
お金がなくても、きちんと生きていれば、お金が必要になるとどうにかなるものなのです。お金は「天下のまわりもの」ですから。

5万円のベーシックインカムならば、今の財政状態でも実現できるはずです。
ベーシックインカムは現実性のない政策だという人もいますが、国民みんながその気になれば簡単に実現できるのです。
その気になるということは、みんなが生き方を変えるということです。
月収5万円で幸せに生きる。彼女のような生き方です。

日本には空き家が溢れるほどありますし、廃棄している食材もたくさんある。エネルギーの浪費は目に余るものがありますが、そうした社会のあり方を少し組み替えれば、そして多くの人がその気になれば、できるはずです。
いや今のような忙しく労働する生き方を変えるだけで金銭出費はかなり抑えられるでしょう。

でもそうなると、いわゆる富裕族の人たちは困るでしょう。
彼らの生きがいは、貧困者の存在なのですから。貧困者がいなければ富裕者は生まれないのです。彼らのことも少しは考えてやらなければいけません。

しかし、金銭的貧困者が、豊かな暮らしをするようになれば、たぶん世界は平和になるでしょう。富裕層が羨むような豊かな生活を実現すればいい。
だとしたら、まずは自らが金銭的貧困者になることです。
それはそう難しいことではないでしょう。ただ、いまの社会では金銭なしに生き続けることは簡単なことではない。それなりの準備がいる。

私は20年かけてようやくここまで来ましたが、残念ながらこれまでの生き方のつけもあって、なかなか彼女のようにはなれません。まだ金銭の呪縛から自由にはなれていません。自分が満足できる仕事もできない。時にお金が欲しくなる。
困ったものです。

でも幸いなことに、私も彼女と同じように、それなりに豊かな暮らしをしています。
人並みに、悩みもほどほどにありますし、健全な老化も進んでいる。それもまた「豊かな生き方」の条件だと思っています。
「バブルな生活」をしていたころが、時に懐かしくなってしまうような未練がましさも残っていますが、まあ何とか幸せでもある。

生き方を変えれば、誰でも幸せになれる可能性がある。
格差社会と言われていますが、今はそんな社会でもあるような気がします。
バブル時代を生きてきた私にもある程度できるのですから、いまの若い世代ならもっと自然にできるでしょう。
金銭依存から離れる人が増えれば、社会はもっと豊かになる。

5万円で十分だと言い切る彼女の話を聞いていて、無性にうれしい気持ちになりました。
今までは信頼だけでしたが、ちょっと彼女に尊敬の念を持ちました。
もちろん本人にはそんなことは絶対に言いませんが。

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2022/12/13

■見たいものだけしか見ない生き方から抜け出さないと善い生き方にはたどり着けない

今朝のテレビを見ていたら、NHKの世論調査で、政府の原子力政策の転換方針に関して、「賛成」が45%、「反対」が37%だったという結果が紹介されていました。

そもそも最近の「世論調査」というのは、基本的にはプロパガンダ以外の何物でもないと思いますが、それでもなにがしらか事実を反映しているでしょう。
こういう報道を見ると、3.11の後の世論の盛り上がりはいったい何だったのだろうかと哀しくなります。

最近、旬報社から「私は第五福竜丸 数奇な航海」という本が出版されました。
先日、紹介させてもらった、原書房の「原爆投下、米国人医師は何を見たか」と併せて、紹介させてもらいます。
できれば、この年末年始のお休みにでも、読んでもらえるとうれしいです。

私のFBでも原爆と原発は違うというコメントをよくいただきますが、つながっていることは間違いありません。
「つながり」を見たくないという人には見えてこないでしょうが、ぜひとも素直な目で、つながりを見てほしいと思います。
選択肢がたくさんあることもぜひ見てほしい。

見せたい風景しか見せない社会、見たいものだけしか見ない生き方、そこから抜け出さないと、善い生き方にはたどり着けないように思います。

 

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2022/12/09

■「宗教2世」?

言葉が現実を創り出していくと言われるように、言葉はとても大切です。

マスコミや権力者、あるいは権威筋が使う言葉に、私は時々大きな違和感を持つことがあります。
たとえば、いまマスコミで使われている「宗教2世」にはどうしてもなじめません。
そもそも旧統一教会が「宗教団体」ということ自体にも違和感がありますが、その信者の元で育てられ自らも信者体験をした人たちを「宗教2世」というのでしょうか。

家族の役割のひとつが、子育てだとしたら、子どもは必ず親の影響を受けます。
生物的に育てるだけではなく、考えや生き方も、親から大きな影響を受けることは避けがたいでしょう。
湯島のサロンでも時々話題になりますが、親の影響を受けて生きにくくなってしまった人は少なくありません。もちろんその逆もあるのですが、私自身の反省も含めて、親は自らの生き方は自分だけでの問題ではないことをもっと意識するべきでしょう。

「宗教」をどう捉えるかにもよりますが、宗教はそもそも個人単位というよりも人のつながりの中で生まれてくるようにも思います。
そう考えると「宗教2世」という表現にはどうしても違和感があります。
問題は、「宗教」にあるのでしょうか。
私にはむしろ、そうした問題を起こす親たちが宗教をもたなかったことにこそ問題があるような気がします。また誤解されそうな表現ですが。

というわけで、私は「宗教2世」という言葉に大きな差別意識を感じます。というよりも、否定的なイメージを持ってしまうのです。これが新しい差別感を生み出さなければいいのですが。
「宗教2世」という言葉を使う人に問いたいのは、「宗教」って何ですか、ということです。

それにしても、問題が起こるといとも簡単にカテゴライズして、命名してしまう風潮には恐ろしさを感じます。言葉を生み出すのは、慎重でなければいけません。
先日発表された流行語大賞などというバカげた、というか俗悪で危険な風潮にもいつも極めて不快感を持ってしまいます。
言葉遊びには大切な意味がありますが、言葉を無責任におもちゃにしてはいけません。

 

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2022/12/04

■岸田首相の裏切りと日本仏教界への期待

岸田政権は、原発政策を反転させようとしています。
広島に基盤を置いている人とはとても思えません。

それにしても、3.11の福島原発事故のことはもう多くの人は忘れてしまったようです。
最近は、堂々と次世代原発が話題になるほどですし、福島事故後の原発運転基準ももう完全に忘れられてしまっているようです。
このことは、当然ながら核兵器政策にもつながっています。

思い出すのは、3.11直後の2011121日、全日本仏教会が宣言した「原子力発電によらない生き方を求めて」です。
もう忘れられてしまった感がありますが、社会への関心を持っているのかと不信感を強めていた日本の仏教界が宗派を超えて宣言したことに大きな期待を持ちました。

その宣言文は、もう忘れてしまった人も多いのではないかと思いますので、冒頭部分と最後の部分を少し引用させてもらいます。
ちなみに全文は全日本仏教会のホームページをご覧ください。
http://www.jbf.ne.jp/info/detail?id=14294

宣言は次のように始まります。

東京電力福島第1原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々は、やり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。
広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。

そして宣言文の最後もぜひ思い出したいです。

私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。

宣言は必ずしも脱原発をうたっていませんが、『「いのち」を脅かす原子力発電』という認識に宣言の真意が読み取れるような気がします。

昨今の風潮に対して、ふたたび全日本仏教会が動いてくれることを期待するとともに、私たちももっと、「いのち」に対する大切さを思い起こしたいものです。

私にとっては些末な問題であるコロナにこれほど騒ぐくせに、なぜ日本人は「いのち」をこんなにも軽く扱うのか、不思議でなりません。

 

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2022/12/02

■どなたかぜひ岸田総理にお伝えいただきたいです

福井県の東尋坊で20年近くにわたって「命の防波堤」になろうと日々見回り活動を続けているグループがあります。NPO法人「心に響く文集・編集局」です。

これまで800人近い人たちに直接声をかけ、それぞれが未来に向けて歩けるように支援してきていますが、その活動によって救われた人はその数百倍、数千倍いるはずです。

そのNPOを立ち上げた茂幸雄さんにお会いした時、「心に響く文集・編集局」という名称に違和感があったのですが、長いお付き合いのうちに、その命名に込めた深い意図がだんだんわかってきました。
テレビなどでは「自殺防止活動」に取り組んでいると茂さんは紹介されることが多いのですが、茂さんが目指しているのは、まさに「心の響き合う文集」を通して、誰もが未来に向けて歩いていけるような社会を実現することなのです。

その茂さんが、また新しい「文集」を出版しました。
「命の防波堤 東尋坊から」ですが、表紙に「親愛なる内閣総理大臣さま」とあります。

いつもながら、茂さんの思いのこもった文章を中心に編集されていますが、最終章の「親愛なる内閣総理大臣さま」には、7つの提案がとても具体的に書かれています。
茂さんらしく、総理大臣に向けて、「東尋坊の「命の防波堤」の一員として命を救ってきている私たちの願いを時間がありましたらお目通し頂けたら幸いであり、回答を求めるものではありませんのでこんな思いで活動している国民も居ることをお知りおき頂けたらと思うところであります」と書いています。
ぜひとも、岸田さんには読んでいただきたく、また茂さんにも会っていただきたいと思いますが、残念ながら私にはその伝手がありません。どなたか岸田さんに茂さんをお引き合わせ頂けないでしょうか。

読んでいただきたいのは岸田さんだけではありません。
茂さんは、東尋坊の岩場で遭遇した自殺企図者たちとの話などから、自殺の背後にある社会問題として、次の7点を指摘しています。

  • 自殺防止活動とは‟人命救助”活動である。
  • 自殺の背後には‟人権侵害”が山積している。
  • 自殺者は、社会的・構造的な組織犯罪の被害者である。
  • 行政機関は、管轄外に住む国民を‟よそ者”扱いにし冷遇している。
  • うつ病などの精神障害者を薬漬けにし、自殺しても‟事故”扱いである。
  • 自殺のハイリスク地における‟安全配慮義務“が忘却されており商業主義に走っている。
  • 新興宗教団体の教義を第三者機関が検証し、科学的に証明ができない部分は騙しの詐欺であり、将来の崇りを告げて相手を脅し金品を提供させる行為は恐喝である。この「詐欺・喝罪」の犯罪行為を行っている宗教団体を公表し排除する。

茂さんは、こうした社会問題にみんなが取り組むことこそが大切だと考えています。そのためにも、全国各地の人たちに本書を読んでもらい、それぞれの地域での「ゲートキーバー」になってほしいと望んでいます。
私もぜひ多くの人に読んでいただきたいと思っています。

下記の東尋坊のNPO法人「心に響く文集・編集局」で実費頒布(1300円)していますので、もし関心を持っていただけたらぜひご購読ください。
http://toujinbou4194.com/

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2022/11/20

■「かんたん」とはどういうことですか

使っていたスマホの具合がよくありません。

まあ基本的にスマホは使っていないに等しいので、不都合はないのですが、娘に言われて先日、買い替えました。
その仕組みにいささか疑問を感じましたが、それはそれとして、スマホに関して「かんたんモード」がいいですかと訊かれました。
それで「かんたんってどういう意味ですか?」と質問しました。
一緒に付き添ってくれていた娘も、あきれたようで、あとで、「お父さんも偏屈になってきたね」と言われてしまいました。

しかし、「かんたん」と言われても何のことかわかりません。
画面の文字が大きくなるとか機能がシンプルになるとか、そんなことと簡単とは関係ないと思うのです。
「かんたん」とは、余計な判断をしなくとも私の思いが実現していくことだと思うのですが、私の思いとは私固有の思いですから、私にとっての「かんたん」と他者にとっての「かんたん」は全く違うはずです。

 もう30年以上前ですが、ある論考で、21世紀の技術思想の一つとして、「デディケーテッド・テクノロジ」という言葉を作ってみました。その時に同じく使った「ナノテクノロジー」はいま普通用語になっていますが、「デディケーテッド・テクノロジ」はまったく使われることはありませんでした。
「デディケーテッド・テクノロジ」に込めた思いは、「かんたん」です。つまり、使い手に取って使いやすいような個人使用の技術、使い手視点の技術という意味です。

作り手が勝手に、これはあなたにとって「かんたん」ですよというのは、傲慢な押し付けでしかありません。そういう発想が、人間を技術に合わせる社会を育ててきてしまっています。技術に合わせて生きることを潔しと思わない私には、とても不快なことなのです。
だからむっとして質問したのですが、娘はそれを知って「偏屈」だと注意したのです。

もっともその時のお店の若者は、そんな私の意図などは気にせずに、非常に素直に受け止めてくれました。最近の若者たちは、実に素直に技術社会を生きているのです。
その姿勢がとてもよかったので、とても気にいって、その後はすべて彼に任せました。
しかし、その結果ですが、新しいスマホには使いにくさがいろいろあります。どうやったら問題が解決するか、お店に訊きに行ったのですが(購入時の人は不在でした)、原因がわからず、電話で問い合わせるように言われて電話しましたが、問題は解決しません。
あの若者がいるときにまた聞きに行かなければいけません。
困ったものです。

 機能が増えればだれにとっても操作が簡単になる方向(ユニバーサルデザイン)で考えるべきですが、いまの技術者や商品開発者にはそういう発想はなく、あまりにプロダクトアウトなのにあきれます。経営の基本はまったくわかっていないと思いますが、「顧客を創る」というドラッカー経営の基本には合っているでしょう。日本企業が落ちこぼれていく理由がわかるような気がします。

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2022/11/17

■大谷選手や大坂なおみ選手には反省してほしいです

暗号資産の大手交換所FTXトレーディングの経営破綻で損害を受けた投資家たちが、FTXの広告に登場していた大谷選手や大坂なおみ選手に対して、損害賠償を提訴したとテレビで報道していました。

大谷選手や大坂なおみ選手に限りませんが、そうした有名人が私企業にしろ政府にしろ、その事業の内容をしっかりと理解せずに「広告塔」として加担する風潮に私は大きな違和感をもっています。

そのことは、統一教会の広告塔になっていた政治家にもつながっていることですが、何かを支援する時には、しっかりと内容を確認したうえで行動してほしいです。

社会的に有名になれば、それなりの「責任」が発生します。
有名であることは、それなりの社会的価値を生み出しますが、その価値は当の個人が勝手に利用できる性格のものではありません。有名人が、何を好み何を応援するかは、社会に大きな影響を持っているからです。
ですから、仮に何かの商品やサービス事業の広告宣伝に登場する場合は、それなりの責任を覚悟すべきだと思います。
「有名」を利用するほうも悪いですが、利用される方はもっと悪いように思います。

スポーツ選手がユニフォームに企業名を入れているのを見るたびに、私は悲しくなりますが、それ以上にやはり、安直に自らを広告手段にせざるを得ないスポーツ選手の現状に恐ろしさを感じます。
私がスポーツ嫌いな理由の一つです。

 

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2022/11/13

■仕事と生活のどちらに基軸をおくのか

昨日、湯島で「在宅ワーク」を切り口にした「働き方を考えるサロン」の2回目を開催しました。1回目は「企業で働くこと」を切り口にしたのですが、この時にも大きな示唆をもらったのですが、今回は、私には「目から鱗」の気づきがありました。
問題提起してくださった山本紀与さん(株式会社キャリア・マム)に感謝です。

サロンの報告は改めて行いますが、その気づきについて少しだけ書き残しておこうと思います。と言ってもたぶん文字にしたら、なにが「気づき」なのかと思われるでしょうが。

私は近代産業革命以来の経済や社会のあり方に違和感を持ち続けてきています。
その基本にあるのは、金銭労働だからです。人間にとって楽しいはずの「働くこと」が、金銭を得るための退屈な「作業労働」に貶められてしまったからです。
生活の場と働く場が切り離され、工場(あるいは事務所)に9時から5時まで集められて、生活から切り離された「仕事」をするのが、そこでの働き方の基本モデルです。
盛んに言われていた日本での「働き方改革」も、その発想の枠の中での取り組みでした。
そこでは、「働くこと」が生きるための目的になっていて、苦肉の策として、ワークライフバランスというおかしな言葉が出てきましたが、所詮は、働くために生きる「生き方」が基本になっていました。

ところが、昨日のサロンで「在宅ワーク」の話をしていて、在宅ワークの発想には、この近代労働モデルを変えていく力があることに気づきました。
つまり、定められた勤務時間に一か所に集められて、生活を忘れて働くのではなく、自分の生活の拠点をホームベースにして、働く時間も生活を基軸に自分で割り振りできる働き方が可能になってきたと言うことです。

私は、「シャドウワーク」とか「アンペイドワーク」という言葉にも違和感を持っています。そうした発想は、金銭経済の思想を基本に考えているからです。
まえに、「お茶くみ仕事」にこそ価値があるということを書きましたが、ほとんどの人はそれに反対していました。私にとっては、そう言う人こそ、金銭至上主義の流れに加担しているように思えているのですが、なかなかそのことは通じ合えません。

働き方を考えていくと、生き方や社会のあり方につながっていきます。
このテーマのサロンは、来年もさらに続けていきたいと思っています。

中途半端な書き込みですみません。
ただ私は、働くことが楽しい社会になってほしいのです。
学ぶことが楽しい社会にも。

 

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2022/10/18

■旧統一教会の存在に対して宗教界からの動きがなぜ出ないのか

政府はようやく、統一教会の解散を視野に入れて動き出すようです。
そもそも統一教会を宗教法人として承認していること自体が私には理解できませんが、統一教会のお世話になってきた政府がどこまでやるかは、あまり期待はできませんが。

しかし、私が一番不思議なのは、宗教界からの動きがほとんど見えてこないことです。
統一教会を宗教法人と捉え、その活動を宗教活動として捉え続けてきたと言うことは、日本の仏教法人やキリスト教法人も同じようなことをやっているということなのだろうと思わざるをえないからです。
いうまでもなく、創価学会も幸福の科学もそうなのでしょう。
もしそうでなければ、もうとっくの昔に、統一教会の宗教法人の是非を問題提起していたはずです。それができなかったのは、あるいは今なおできないのは、自らがそうだからなのだと私には思えてなりません。
金に身を売った宗教ほど醜いものはありません。

日本の宗教界の人たちは、いったい「宗教」をどう定義しているのでしょうか。
知りたいものです。

ちなみに私は、宗教も政治もとても大切なものだと認識していますが、いまの日本の政治組織や宗教組織には共感が全く持てません。

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