カテゴリー「政治時評」の記事

2021/03/11

■「個人的なことは政治的なこと」

朝日新聞には「多事奏論」というコーナーがあって、編集委員のみなさんが分担で書いています。
昨日、高橋純子さんがとても共感できることを書いていました。読まれた方もいるかと思いますが、私がとても共感したのは次の文章です。

 「個人的なことは政治的なこと」です。雇用差別やセクハラなどは個人が個人的経験を政治問題化し、改善されてきました。そのことを、頭の片隅にでも置いておいてほしいと思います。

 これは、高橋さんがある大学で講義した時に、以前書いた記事を資料として配布したところ、一人の学生から「個人的なことが書かれているだけ」と感想が寄せられたので、その学生への返信で書いたことだそうです。
政治の出発点を、国家から個人へと転換する時期に来ていると思っている私には、とても納得できる話です。

 湯島では、時々、「茶色の朝サロン」として、個人がちょっとおかしいと思うことから「政治」を考えようということをやっていますが、やはりほとんどの場合、制度や政策からの議論になりがちです。
森さんと同じだと叱られそうですが、とりわけ男性はそうです。

 企業と同じで、日本の政治の世界は「男性の文化」に覆われているような気がします。
そこを変えていく必要があると思います。
しかし、それは、女性政治家を増やすなどということでは全くありません。
政治の文化を変えるのは、そんな話ではないように思います。

 

| | コメント (0)

2021/03/05

■これまで読んだすべての本を読み違えていたのかもしれない

ミャンマーでの政府に対するデモの様子をテレビで見て、いつも考えてしまいます。
もし日本で同じような動きが起こったら、私は生命の危険を感じながらもデモに参加するだろうか、と。
あるいは、日本とミャンマーの政治状況とで何が違うのだろうか、と。
香港でのデモはその後、どうなったのか。
それも気になります。
もう日本のようになってしまったのだろうか。

そういうことを考えていると、コロナ感染症の話題などには興味を失います。
あるいは、緊急事態宣言とは何なのだろうかと考えてしまいます。

世界的にいま、民主主義に背を向けた動きが広がっているようです。
おかしな言い方ですが、民主主義(個人の尊厳の尊重)とは無縁なデモクラシー(大衆による統治)が広がりだしている。
その時の、デモス(大衆)とはいったいどういう存在なのか。

最近ようやく自分の楽観主義に疑問を感ずるようになりました。
オルテガの「大衆の反乱」をもう一度読み直そうと思います。
というよりも、これまで読んだすべての本をもしかしたら、読み違えていたのかもしれない。そんな気が最近してなりません。
いまさらもう読み直すことはかないませんが、見えていた世界が最近大きく崩れだしています。

だから元気が出ない。
困ったものです。

| | コメント (0)

2020/11/08

■バイデン大統領になってホッとしました

バイデンさんがアメリカの大統領に選ばれました。
テレビ報道ではまだトランプさんが諦めていないとか訴訟で争うとか、盛んに報道されていますが、さすがにそこまでトランプさんもあがくことはないでしょう。

それはそれとして、アメリカの大統領選挙報道をみていると、そこに国民と政治とがつながっているのを感じます。
トランプ支持者にもバイデン支持者にも、政治や政府への信頼感を感じます。

それに比べて、日本の国会での話し合いは、どう考えても国民とつながっていない気がして、見ていてとても寂しい気分です。国民とは全く異質な世界での話し合いにしか見えてきません。
菅首相に、せめてトランプさんのような明確さがあれば、支持するかしないかは別にして、政治への関心ももてるのですが。
菅首相や加藤官房長官の話には、空虚さと心のなさを感じてしまいます。
どうせ嘘を言うのであれば、せめてトランプさんのように潔く嘘をついてほしいとさえ思います。

問題は、個人だけではありません。
政府組織もまた大きな違いを感じます。
アメリカの政府組織と違って、日本の政府組織には人間を感じないのは私だけかもしれませんが、人が見えてこない。私の定義では、組織になっていません。

テレビ報道を見ていて、日本とアメリカでは対立構造が違うことも改めて実感します。
アメリカでは〈バイデンvsトランプ〉ですが、日本は〈政府 vs 国民〉と言う気がします。
この違いはとても大きい。

アメリカでは政策の違いが争点ですが、日本は与党も野党も政策的な違いはあまりわかりません。あるのは政府への不信感のような気がします。
言い換えれば、アメリカでは、政府に対する信頼感がありますが、日本では肝心のそれが失われつつある。それでは政治への関心は生まれようもない。
アメリカの分断と日本の分断の意味はまったく次元を異にしているようにも思います。
もちろん日本の方の分断が陰湿で克服しがたい。

11月13(金曜日)の午後、湯島で久しぶりに茶色の朝サロンを開催します。
よかったらご参加ください。

 

| | コメント (0)

2020/09/16

■安倍政権が残してくれた遺産を大事にしなければいけません

新しい自民党の4役と菅内閣の閣僚が発表されました。
コメントするとまた異論をぶつけられそうなのですが、ちょっと安心しました。
明らかにリリーフで終わりそうです。新しいメッセージが感じられません。
内心、さらに一歩「ナチス」化が進むと危惧していましたが、要するに安倍政権の亜流でしかないように思います。

分裂した野党のそれぞれの新しいメンバーも発表されましたが、何かが変わるような気がしません。
聞くところによると、山本太郎さんのれいわが資金的に苦戦しているようです。
まあとりあえずできることは、れいわへの寄金でしょうか。

今朝の朝日新聞の投書欄に、67歳の青森県在住のおばさんの「目覚めた私 安倍さんのおかげ」という声が載っていました。こういう人が多いといいのですが。全国のおばさんたちが、目覚めてくれたら、間違いなく歴史の流れは変わるでしょう。おじさんたちや若者には期待できそうもありませんが、おばさんの力には大きな期待があります。

安倍政権が残してくれた遺産を、大事にしなければいけません。

Asahikoe2

| | コメント (0)

2020/09/13

■大坂なおみさんのメッセージ

黒人差別への抗議を込めて被害者の名前が書かれた黒マスクをつけて入場しつづけて、大坂なおみさんが全米オープンで優勝しました。
経済行為に堕したスポーツにはほとんど興味をもたない私ですが、感激しています。

大坂なおみさんの行動と発言には、大きな希望を感じます。
自分が持つ力の使い方に気づき、実際に実践した大坂なおみさんの誠実さに学びたいと思います。
だれもが「力」を持っている。それを活かすことで社会は変えられるのです。

とても元気づけられるメッセージです。
そこに大きな「愛着」を感じます。

 

| | コメント (0)

2020/09/09

■みんな広い世界を忘れてしまったのでしょうか

最近のテレビや新聞を見るにつけ、安倍政権がこんなにも国民の多くに支援されているとは思ってもいませんでした。安倍首相が辞任し、政治の流れが変わると思っていましたが、変わるどころか路線強化されそうです。

さらに嘘がはびこり、事実は改ざんされ、隠蔽が正当化され、格差は広がり、経済は悪化することはたぶん間違いないでしょう。生活実態とは無縁の経済成長率や株価といった人為的な指標は改善されるでしょうが、それらは多くの人の実際の生活とは無縁の話です。
にもかかわらず多くの人は安倍政権路線の継続を希望しています。
おそらくみんな他の世界を忘れているのでしょう。

たとえば消費税。消費税を廃止したら社会保障などの財源はどうするのかという人がいます。そういう人は消費税ありきで考えています。しかし、税は消費税だけではなく、財源を考えるのであれば、税体系全体を考えなければいけません。
消費税は再配分機能が全くありませんし、そもそも消費に課税するというのは生きていることに課税することにつながりますから、全く論理的でもありません。
何か価値を生み出したとか、利益を得たときに、その一部を税として国家に託すというのが税だと考える私には消費税はまったく理解できません。
与えられた現状で、生きることを前提にみんな生きるようになったのでしょうか。

 たとえ生きるのが大変でも嘘だけはつきたくありませんし、誰かを犠牲にしたくもありません。しかし多くの官僚のみなさんは赤木さんのメッセージを真摯に受け止めようともしない。一体何という国なのか!

3人の総裁候補の記者会見を聞きました。
石破さんの発言を平然と聞いている菅さんの厚顔無恥には驚きました。
恐らく自分のことを指摘されているのだという自覚はないのでしょう。
そんな人に雪崩をうつように寄っていく自民党党員にも驚きました。

この国の流れは、もう止められないのでしょうか。
今回の総裁選挙に「もしかしたら」という期待を持っていた私も、さすがに期待は持てなくなりました。
ただ石破さんの誠実さだけが救いです。

 

| | コメント (0)

2020/09/02

■コロナ管理社会の先にある世界

最近文庫本になって出版された半藤一利さんの「世界史のなかの昭和史」を読みました。
2か所、とても印象的だったところがあります。
一か所は「愛国心」についてですが、それにつながるような話として、半藤さんはナチス・ドイツと同じような道を日本人は歩んでいるのではないかという懸念を話しています。
こんな風にです。

 “自主的な通報、密告のネットワーク”の脅威。戦争というものはそういう国民の協力があって推進されるものです。それがいいことだと、思考を停止し、信じこむ。集団化された人びとは熱にうかされやすい。画一的で、異質を排除する不寛容の傾向をもち、ときには暴力性をはらむ。共謀罪という法律が、「核兵器もアベノミクスも」と主張する人びとに想像以上に妙な力を与え、危機克服のためにナチス・ドイツと同じような道を日本人に選ばせるようなことが…いやいや、まさかとは思うのですが。

安倍政権への支持率が急上昇し、ナチス路線をとるグループによって、安倍政権の継続がほぼ決められました。「まさか」と思いたいですが、かなり現実感があります。現政権によるナチスの研究はかなり進んでいるようですし。

半藤さんの友人のドイツ国防軍研究の第一人者の大木毅さんは、その著書で、こう書いているとの紹介もありました。

国民の多くの『自主的』な通報、密告のネットワークが、ゲシュタポ(国家警察)の捜査活動を支えたのであった。この例が端的に示すように、ヒトラーは彼の戦争を遂行するにあたり、さまざまな問題をはらみながらも国民の支持を獲得しうる国内体制を固めていたといえる。だとするならば、『ヒトラーの戦争』は、ドイツ人の戦争としても読み解かねばならないだろう。(『灰緑色の戦史』)。

ますます自分の生き方をしっかりと考えなければいけなくなりました。

半藤さんの「世界史のなかの昭和史」は面白いです。
安倍首相にだけ目を奪われていると、世界が見えなくなります。

| | コメント (0)

2020/08/31

■「なぜ安倍首相に辞めてもらいたくなかったのか」

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。
政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。
首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。
それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。
やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。

■「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか」(2020831日)

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

 

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。

 

政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

 

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。

首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。

それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。

やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

 

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。
まさにオーウェルが懸念した世界です。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2020/08/30

■安倍さんには辞任してほしくはありませんでした

安倍首相が辞意を固めました。
安倍首相の退陣を求めていた人の反応があまり聞こえてこないのが不思議です。
どこかで祝杯をあげているのかもしれませんが、安倍首相が辞めたところで、私にとってはたぶん状況は変わらないでしょう。
そのことは、数年前の民主党政権が成立した時に学びました。

湯島のサロンでも時々話題になっていましたが、問題は安倍首相にあるのではなく、安倍首相のような人が長く首長の座を占め続けられる政治体制(システム)なのだろうと思います。
もちろん、その「システム」を構成している重要な要素のひとつは私たち国民です。
そして政治の構造原理は、システム対個人へとパラダイムシフトしています。

たぶん首相が安倍さんから石破さんに変わっても、さらには枝野さんや志位さんに変わっても、いまのシステムからは抜け出せないでしょう。そこに「個人」起点の発想がないからです。
ますますシステム自体が主役になっていく不安を感じます。

安倍さんには辞任してほしくはありませんでした。
これですべてが免責されるような気配もあります。

政党政治はもう終わりにしてほしいです。

 

| | コメント (0)

2020/07/25

■生活者としての目覚め

最近のマスク顔だらけの風景を見ていると、ヴァーツラフ・ハヴェルの「力なき者たちの力」に登場する青果店の店主のことを思い出してしまいます。

共産党支配下のチェコで、「全世界の労働者よ、一つになれ!」という党のスローガンを店先に貼っていた店主のことです。彼は、別に主張があったわけではなく、そうしないと目立つからという理由で、スローガンを貼ったのですが、その行為こそが、社会の「ゲーム」を生みだし、ゲームのプレイヤーとなり、ゲームの継続を可能にし、つまりゲームを本物にした、とハヴェルは言います。
社会を成り立たせているのは、安倍首相のような権力者ではなく、そうした青果店の店主たちだとハヴェルは言います。

ハヴェルは、体制を変えるのは、野党や「反体制知識人」ではなく、そうした店主たちが、真実の生に目覚めて、スローガンを貼るのをやめれば、それで社会は変わっていく、いやそれ以外では変わらないと書いています。
実際に東欧は、そうして、「自発的の全体主義」から抜け出したのです。

与えられた「嘘の生」から抜けて、自らの尊厳を思い出して、「自らの生」を自由に生きる「生活者」になる。何も考えずに従うのではなく、おかしいと思ったら、自分で考えて行動する。裸の王様を見たら、「王様は裸だ!」と言えばいい。そうした人たちが、社会を変えたのです。
日本人は同調圧力に弱いなどと物知り顔に解説するのではなく、あるいは政府をこきおろすのではなく、自分はどうしたいのかを考えて、自分を生きればいい。

Go-Toトラベルがいいとか悪いとか東京都と国の政策が違うとか、そんなことはどうでもいい話で、大切なのには自分がしっかり考えて行動することです。そうすれば、新型コロナも、たくさんあるリスクのひとつでしかないことに気づくでしょう。マスクも、必要だと思う時にするようになるでしょう。

私には、いまの日本人は、北朝鮮の国民と同じように思えてなりません。
いやハヴェルが「力なき者たちの力」を書いた時代のソ連統治下のチェコと同じ。
だから、ハヴェルの書いた「力なき者たちの力」(人文書院 2200円)を多くの人たちに読んでほしいと思います。

チェコを民主化し、大統領になったハヴェルは、こう書いています。

政治的な力は、体制の変化を行なう点にあるのではなく、「ここと今」という、より良い生を賭けた日々の現実の戦いの中にある。

そして、ハヴェルはその戦いを実現したのです。
政治は国会議事堂や政党の中にあるのではありません。
いまだに「野党統一戦線」とか言っているようでは、何も変わりません。

立派なイデオロギーやビジョンよりも、いまここで直面している問題に誠実に直面して、自分で考え自分で納得した行動をとればいい。それこそが、「下からのイニシアティブ」が生まれてくる起点です。政治は「生活」から始まり、生活で終わるのです。
山本太郎さんは、そういう政治を目指しているように、私には思えます。
だから、日本の政治状況を変える唯一の希望に思えるのです。

私は「生活者」という言葉は、誰にでも通ずる言葉だと思って、説明も付けずに使っていましたが、複数の人たちから「生活者」ってなんだと質問されました。
どうも「生活者」という言葉は、まだなじみにくい言葉のようです。
消費者や労働者、生産者という言葉は、説明なしで通ずるのに不思議です。

それで81日に「生活の視点で政治や経済を考えるサロン」を開くことにしました。
私が考える生活者とは、自分の生活を大事に生きている人という程度のことなのですが、ハヴェルが言う、「真実の生」を求める「ディシデント」につながるところがあります。
もっとわかりやすく言うと、財務省の赤木さんの奥さんのような人です。

よかったらサロンにご参加ください。

71nlfq7rgal

| | コメント (0)

より以前の記事一覧