カテゴリー「政治時評」の記事

2017/07/21

■安倍政権は詐欺集団か認知症集団ですね

稲田防衛相や山本地方創生相をめぐる疑惑の新事実がまたまたマスコミを賑わわせています。
先ほどのテレビで、伊藤惇夫さんがもう「お笑い」ですねと言っていましたが、稲田さんも山本さんもできの悪い芸人か脳みそのない操り人形にしか見えません。
それにしても、最近の状況を見ていると、安倍内閣は素直に考えれば、明らかに詐欺集団と言ってもいいように思います。
おれおれ詐欺集団とどこが違うのか。
ひどい内閣です。
多くの人はそれに気づいているのでしょうが、やはりはっきりとは口にしませんでしたが、ここにきてそういう主旨で話す人が増えてきました。
いまとなっては詐欺集団を詐欺集団と言っても、抹殺されることもないでしょうから、おかしいことをおかしいと言い出す機運ができて来たようです。
でもまあ、政治評論家の田崎さんのように、相変わらず安倍内閣を弁護する人もいますが、筋を通すという点では私はむしろその素直さを評価したいです。
それにしても、素直に考えればおかしいことがすぐわかることを、国会でのらりくらりと議論するようなことをしなければいけないような政治は、詐欺集団にはとても好都合でしょう。

彼らは詐欺などとは思って思おらず、憂国の士と思っているのかもしれません。
それにしても、同じ詐欺集団に牛耳られるのであれば、もう少しまともな詐欺集団にだまされたいものです。
しかし、日本語の意味も理解できていない山本さんや稲田さんでも大臣が務まるのは、とても平等ないい国なのでしょう。
それにまもなく日本は5人に1人が認知症になるらしいですので(私はまったく信じていませんが)、認知症の人が大臣になる実験をしているのかもしれません。
いや、大臣になると認知症になるのかもしれません。
以前、議員会館で認知症予防ゲームの体験フォーラムをやった時に、議員の人たちにこのゲームをやってほしいとついつい発言してしまったことを思い出します。

ところで、企業で働いている人やNPO活動をしている人たちは、きちんと政治の動向を見ているでしょうか。
せめてテレビの報道で彼らの言動を映像で見てほしいです。
それだけでたぶん詐欺だと気づくでしょう。
経済活動や市民活動も大事ですが、もっと大事なこともある。
忙しいからといって、大切なことをないがしろにしてはいけません。
それに、忙しいという人に限って、暇な人が多いのです。

日本に比べれば、アメリカも北朝鮮も、しっかりした政府であり、国民だと思います。
そう思うとますます暑さが襲ってきます。

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2017/06/25

■憲法サロン「私の憲法改正草案(畑さん編)」の報告

憲法改正がいよいよ現実的な話題になってきました。
時に正反対の内容を含むものまでが「憲法改正」と一括して議論されるような粗雑な状況のなかで、憲法とは何かについての議論もないまま、すでに「違憲行為」を強行的に繰り返している現在の安倍政権が、十分な国会議論もないままに、多数決論理をつかって、決まった方法に向けての改正がスケジュール化している状況に、恐ろしさを感じます。

そうした状況になっている大きな理由は、たぶん「日本国憲法」で「主権者」とされている、私たち国民が、憲法についてきちんと理解していないからではないかと思います。
そこで、社会の中に憲法議論を広げていく必要を感じていましたが、今回、一市民である畑さんが、自民党の憲法草案に刺激を受けて、「立憲主義・国民主権主義に基づく日本国憲法改正草案」をまとめたというので、畑さんの改正草案をお話しいただきながら、憲法への理解を深めるサロンを開催しました。
ちなみに、畑さんは、組織に勤める現役のエンジニア/アナリストです。
畑さんの勇気と良識に敬意を表したいです。

集まったのは8人。
看取りや子ども関係の活動に取り組んでいる福祉関係者、農業や商品開発などの分野での起業家、留学生支援に取り組んでいる人、長年基本的人権の問題から社会の問題を考えている人、リンカーンクラブ代表などで、女性は一人でした。
私はNPO関係者や企業に勤める人たちに集まってほしかったのですが、反応は弱かったのがとても残念でした。
憲法の動向で、市民活動などいかようにも変えられてしまうことは、歴史が示しています。
そういう危機感がほとんどない、現在の日本のNPO活動には大きな危惧を感じざるを得ません。
もっとも最近は、各地で憲法カフェ的な集まりも広がりだしていますので、もうすでにそういう場で話し合いや学び合いが始まっているのかもしれません。
そう思わないと不安で仕方がありません。

本論に入る前に、こうした議論も少しありました。
社会をよくすることを目指す活動なのに、政治はご法度という日本の仕組みに関する疑問です。
この日本的特殊性は、もっと認識されるべきだと思います。

Hata20170624

サロンの報告の前に、余計なことを書きすぎました。
サロンでは、畑さんの「改正草案」の改正の主旨とポイントを、現行憲法と自民改正案と比較しながら、話してもらい、各章ごとに話になりました。
なお、畑さんが作成した「改正草案」と「現行憲法および自民党改正案との対比表」は下記にアップしていますので、ご関心のある方はご覧ください。

●立憲主義・国民主権主義に基づく日本国憲法改正草案
http://cws.c.ooco.jp/hata01.pdf
●畑改正案と現行憲法、自民党改正案との比較表
http://cws.c.ooco.jp/hata02.pdf

私が理解した畑さんの憲法草案の概要を、私の主観的受け止めに基づいて説明します。
私が感じた重要なポイントは3つあります。
畑さんは、憲法制定権力を国民ではなく、まずは自由意志を持った個人におきます。
そして、「個人が主役になって自分たちを律する国家(政府)の基本構造を決めるもの」として憲法を位置づけます。
ちょっと誤解を生みやすい比喩だったのですが、畑さんは「日本国の株主になりましょう」という呼びかけのために、国家の統治構造や大切に知する価値(基本的人権など)をうたったものと説明しました。
具体的に言えば、その主旨が「前文」でうたわれ、最初に統治構造の枠組みが詳細に書かれるとともに、日本国民の要件が明記されています。

しかし、その一方で、畑さんは世界市民を目指すという国家を超えた世界国家理念を底流においています。
現行憲法の9条にあたる部分は、「他国への武力攻撃の禁止」とタイトルも変わり、「国民防衛軍」の設置が規定されています。
ちょっと似た言葉ですが、「国防軍」と「国民防衛軍」は全く違う概念だろうと思います。

3つ目は、条文の主語を明確にすることでできるだけ解釈の幅を少なくしようとしています。
畑さんは、現行憲法は主語があいまいなために解釈の幅を広げていると考えているようです。

以上の大きな発想の違いを示したうえで、条文の説明に入り話し合いがはじまりました。
最初の「前文」はまったくの畑さん独自案です。
前文は、憲法の基本性格を示す内容が書かれていますが、ここで議論が盛り上がり、放っておいたらそれで2時間取られそうでした。
次に置かれているのが、「国会」「内閣」「司法」の三権分立の統治構造ですが、かなり思い切った提案が含まれています。
たとえば、国務大臣の過半数は国会議員以外の人とされています。
議論はいろいろありましたが、そもそも三権分立で国家は統治できるのかという話も出ました。
国会が内閣の長を選出し、内閣の長が司法の長を選出する現在の仕組みへの疑問も出ました。

この辺りまではかなり時間をかけての話ができましたが、だんだん時間がなくなりあとはポイントだけの話し合いになりました。

統治構造につづくのが、「他国への武力攻撃の禁止」と「国民の権利及び義務」、ここではむしろ「人を殺さない権利」が話題になりました。
財政と地方自治はまだ十分には考えられていないようでパス。
「緊急事態」を加えていますが、これは自民党改正案を基本にしています。
ここは極めて重要なポイントだと思いますが、時間がなくて議論できませんでした。
最後に「天皇および後続」が第9章におかれています。
憲法の中での位置の見直しもともかく、その内容はいささか驚愕するものですが、ここはたぶんまだ思考途中のような気がしました。
さらにその後に「国旗及び国歌」も章立てされています。

長くなりすぎて、どんな話し合いが行われたかを書く気力がなくなりましたが、さまざまな議論を呼び起こすという意味では、とてもいい刺激を与えてくれたと思います。
3時間ほどの話し合いでしたが、それぞれに気づきがあったように思います。
憲法は抽象的に語っていてもなかなか理解できません。
しかしこうして憲法全体を考え直した人の話を聞くと、具体的な問題や憲法とは何かもわかってきます。
さらに言えば国家とは何か政治とは何かもわかってくる。
改めて憲法サロンの意義を実感しました。
しばらく継続実施することにしました。

次回は、7月22日(土曜日)、今回参加された川本さんによる「憲法改正私案」を、今度は基本的人権を基軸においてお話してもらうことにしました。
他にも憲法改正私案をお持ちの方がいたら、ぜひ発表しに来てください。
誰でもが発表者になれるサロンにしたいです。
いつかは、自民党改正案を話に来てもらうことも考えたいです。
そこまで行くと、叱られそうですが、いろんな考えに私たちはもっと触れて、自分の考えをつくっていくことが大切です。

サロンの話題提供者を募集しますので、だれでも気軽に連絡してください。
また出前憲法サロンも企画しますので相談してください。

畑さん
不正確な報告ですみません。
修正などあればお願いします。


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2017/06/15

■寝不足ですが、眠くありません

寝不足です。
「共謀罪法」が成立しました。
ずっとではないですが、昨夜から見ていました。
国会前のデモには参加しませんでしたが。

法の内容にはいろいろな意見があるでしょう。
しかし、私が恐ろしさを感じるのは、法を成立させるプロセスです。
民主主義を標榜する法治国家とは思えないほどの進め方です。
一部の人が指摘していますが、参議院の存在意義を葬ってしまうようなやり方です。
子の進め方にこそ、「共謀罪法」の本質が象徴されていると思います。

さらに恐ろしいのは、自民党にはだれも反対行動を取る人がいなかったことです。
昨日書いた武蔵越生高校サッカー部の部員と同じです。
どう考えても、金田法相は大臣どころか、人間としておかしいでしょうし、ご自分でも公言されたように、金田さんの頭脳は今回の法案を理解できていません。
再び、映画「続猿の惑星」の議会風景を思い出します。

山本太郎議員が、投票する時に、怒りを込めて「恥を知れ!」と議場に向かって叫んだ姿を、私は忘れることはないでしょう。
自民党に属している議員には良識のある人は一人もいないことを知らされました。

寝不足ですが、怒りで眠くありません。
昨日から頭痛に悩まされていますが、このせいだったのでしょうか。
医者に行こうと思っていましたが、医者では直りませんね。

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2017/06/14

■権力に対峙するためにはつながりが必要

私が一番嫌いなことは、「嘘」と「無視」です。
いまの国会での閣僚や官僚の答弁を聞いていると、「嘘」と「無視」が満ち溢れている。
先日の菅さんの記者会見で、司会の人が「同じような質問を繰り返さないでください」と注意されていましたが、そう言われた女性記者は「明確な回答をいただけなかったので」と応えていました。
他の人が、そうしたやりとりに共鳴して、女性記者を応援して、政府の「嘘」と「無視」を糾弾しないのが残念ですが、その記者のねばりに少しですが、私は救われた気がしました。
司会者は、「同じ回答を繰り返さないでください」と言うべきでした。
仲間を司会者にしている限り、公正な記者会見など実現しません。

この記者会見でも明らかですが、「一強体制」をつくっているのは、野党であり国民です。
権力に対してはバラバラでは絶対に対峙できません。
権力構造の原理は、どれだけの力を結集することができるかですが、逆に言えば、自ら以外をどのくらいバラバラにできるかでもあります。
つまり、菅官房長官に対峙するには、記者会見場での記者が横につながらなければいけません。
繋がるという意味は、記者会見の意味を共有し、それぞれが求めるものを効果的に引きだす場にするということです。
ただただ話を聴く場ではないはずですが、いまはそうなっているように思います。

国会の議論もそうです。
野党は少しだけ横につながって言動しはじめていますが、もっと国民や社会とつながらなければ権力には対峙できません。
1950~60年代はそれが経済や政治でも実現していました。
つながりが大切なのは、福祉の世界の話だけではありません。
それに福祉は、経済と政治に深くつながっています。
ちなみに、現在の経済と政治の原理は、つながりを壊すことです。
つながりを壊すことで新しい市場が生まれます。
つながりを壊すことで権力が生まれます。
もちろんそれとは逆な経済や政治はありますが、いまの経済や政治はそうなっています。

市民活動や福祉活動をしている人たちが、経済や政治にあまりに無関心なのが、私には理解しがたいです。
ヒットラーナチスは、そうした善良な人たちのボランティアや横のつながりに支えられて、大きくなりました。
いまの日本にも、その兆候を感じます。
だれが一強国家をつくったのか。
それに気づかなければ、日本は変わりません。
アメリカやヨーロッパの国民たちは、それに気づきだした気がします。

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2017/06/08

■「国を守る」ということは意味のある言葉なのか

「ザ・クリミナル 合衆国の陰謀」(Nothing But the Truth)という映画があります。
情報源守秘という信念を貫いてアメリカの国家権力と対立する女性記者を描いた映画ですが、実際にアメリカで起こった「プレイム事件」(イラクには大量破壊兵器などなかったことを暴いた事件)に基づいて制作されたと言われています。
もっとも、この事件を題材にした映画は、他にも「フェア・ゲーム」というのがあり、そちらの方がより事実には近いようですが、私が好きなのは「ザ・クリミナル」です。
国を守ることの本質が見えてくるからです。

共謀罪成立に取り組んでいる人たちは、おそらくみんな「国を守ろう」と思っているのでしょう。
国を守ることが国民を守ることだと思っている人も多いでしょう。
そこには、「悪意」などあろうはずがない。
反対する人たちも同じです。

話は違いますが、金正恩もトランプも、言うまでもありませんが、それぞれ「国を守ろう」としていると思います。
しかし、見方によっては、国を危うくしているようにも見えてしまう。
そこに大きな落とし穴があるような気がします。

私は、コラテラルダメッジという発想には否定的です。
私の信条は、全体よりも個を大事にするからです。
誰かを犠牲にして得られる幸せは、宮沢賢治も言っているように、私には幸せではない。
誰かを蹴落として、自分が幸せになれるはずがない。
しかし、これは私の価値観であって、だれもがそう考えるわけではないでしょう。
そしてどちらが「正しい」とは言えません。
人にはそれぞれの考えがある。
反対意見に耳を傾けない人の意見は、意見とは言えないというのが私の考えです。

ところで、
阿部さんも金さんも、トランプさんも、あるいはプーチンさんも、みんな国を守ろうと頑張っていることが、戦争への不安を起こしているわけです。
そこに問題があります。
つまり、「国を守る」という言葉に問題がある。
国とは何なのか。
いやもっと言えば、「守る」という発想に問題があるというべきでしょう。
言い換えれば、「守る」とは、自らと違う相手を「敵」と考えることだからです。
「国を守る」という言葉にだまされてはいけません。

先日、テレビで、トランプ支持派と反トランプ派とが話し合うサンデルの白熱教室を放映していました。
私は再放送で見たのですが、とても大きな気づきをもらいました。
それを見て、私は、問題の立て方を間違えているのではないかと思ったのです。

そんなこともあって、今日、改めて「ザ・クリミナル」を観ました。
信条とはいったい何なのか。
いろいろとまた考えさせられてしまいました。
サンデルのような白熱教室をいつか湯島で開催したいです。

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2017/05/26

■前川(前文科省事務次官)さんに敬意を表します

加計学園問題に関連して、前文科省事務次官の前川さんの記者会見が話題になっています。
問題になっている文書の存在を確認し、まともに探せばすぐに出てくるとさえ言っています。
それに対して、菅官房長官の反論は、私の常識で考えれば、卑劣極まりありません。
官房長官ほどの地位にある人であれば、もっと正々堂々と反論してほしいものです。

テレビでの前川さんの取り上げ方も、私にはフェアには思えません。
キャスターたちの根底にある姿勢に、卑しさが見えてきます。
いまや在野を良しとするジャーナリストは、テレビには出られないのでしょうか。
もちろんそうでない人もいないわけではありませんが。

前川さんの発言をベースに問題を素直に捉え直せば、事実はすぐにわかることでしょう。
松野大臣の調査は、これも普通に考えれば調査とさえ言えないです。
そんなあまりにも明白なことが、面白おかしく語られて、マスコミビジネスの餌食にされています。

私が前川さんに敬意を表するのは、組織や制度の力に屈せずに、堂々と記者会見したことです。
しかも極めて「素直な言葉」で語っています。
菅さんや政治家などの、「地位に恋々」としている人たちとは全く違って、さわやかにさえ聞こえます。
組織に正面から向かう勇気のある人を久しぶりに見た感じです。
これからの人生は経済的には恵まれなくなるかもしれませんが、精神的なストレスは軽減され、豊かな人生になるでしょう。

森友学園の時もそうでしたが、本来あるべき書類がないと言っていた保管責任者の責任は問われることなく、いつの間にか話は終わってしまいました。
しかし、おそらく現場の関係者は、その所在も含めて知っているはずです。
しかし誰からも声が上がらない。
組織の部品であって、人間ではないからでしょう。
出世したところで、人生は豊かにはならないのではないかと思いますが、まだ出世願望やお金願望が人間を取り込もうとしているのでしょう。

霞が関には、もう主体性をもったまともな人間は居場所がないのかもしれませんが、「あったものはないとは言えない」「黒を白とは言えない」という、前川さんの発言に、誰か反応する人はいないのでしょうか。
社会を変えるのは簡単なことです。
おかしいことをおかしいと言い、自分に嘘をつかないで生きる人が増えていけばいいだけの話です。
前川さんにつづく人が、どんどん出てくるかもしれません。
そうなるためにも、私は前川さんに拍手を送ります。

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2017/05/24

■人々の中に入ってきて、論を深め、知を集め、力を高めてほしい

時評編を書く気が萎えていましたが、久しぶりに書く気になりました。

昨日、共謀罪法案が衆議院で可決されました。
多くの人が疑問を投げかけ、国連関係者からさえ問題指摘されている法案が、まともな議論のないままに国会を通っていくのは不気味です。
でも私自身は何も行動していません。
先週の金曜日にも国会デモを誘われましたが、行きませんでした。
ですからブログに私見を書く資格もないような気がします。
でもやはり書いておこうと思います。
もしかしたら、ここに書くことで私自身がまた動きだせるかもしれないからです。

私が一番腹立たしいのは、野党にやる気がないことです。
というか、いまや野党が存在しなくなってきている。
民進党は、野田代表時代に、自民党に自らを売り、自民党の傀儡野党になっていますので論外として、自由党も社民党も野党意識が低く、自閉的です。
なぜそうなっているのか。どうやったらそこから抜けられるか。
私には簡単なことのように思えます。

このブログではずっと政党の時代は終わったこと、そして社会の構造原理が変わったことを書いてきていますが、そこから出てくる答えは、与党対野党の構図は消失し、あるのは政治体制体国民生活という構図です。
もし一強の政府与党に対するのであれば、国会内部で茶番劇を繰り返すだけではなく、広く国民に呼びかけて、その声を集めて力にしていくしかありません。
アメリカもイギリスも欧州も韓国も、そういう構図の中で、政治が変わってきています。
しかし、日本は、たくさんの材料がありながら、法務大臣も総理大臣も罷免できないでいます。

政治体制は「戦争的な攻撃」も行いますが、国民生活には戦争は無縁です。
つまり社会の構造原理を変えると、暴力的行為は、国家観ではなく、体制と人間の間で起こるわけです。
戦争の意味合いは一変します。
まあ国家間の戦争パラダイムは、近代国家体制の下での特殊な事件とも言えます。
北朝鮮や中国が攻めてくるなどということは、私には時代錯誤も甚だしい話です。

しばらくぶりに時評を書いたせいか、あまりにも説得力がありませんね。
困ったものです。
でも、もしいまの「野党」に本気で政権交代の意思があるのであれば、国会から出て来なければいけません。
人々の中に入ってきて、論を深め、知を集め、力を高めなければいけません。
そういう政治家が、一人も出てこないものでしょうか。
茶番劇の世界にいるとみんな政治家ならぬ政治屋になってしまうのでしょうか。

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2017/04/26

■小さき人々の抵抗の声

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
なんとも読みにくかったので、やはり「チェルノブイリの祈り」を読むことにしました。

彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材の機会をずっと待っていたのだそうです。
とてもていねいな取材だったことを感じました。

小さき人々の声は、多くの場合、とても穏やかで温かさがあります。
しかし、そこには鋭い体制への批判が含意されています。
デモで声高に唱えられる「シュプレヒコール」とは全く違って、聴く人の心に入り込んでくる、真実があります。
ですからその時はもちろんですが、いつまでも聴く人の心に残ります。
もっとも聴く人の心のありかたに大きく影響されるでしょうが。

アレクシエービッチさんは、テレビの中で、繰り返し、私の国にも日本にも「抵抗の文化」がないと語っていました。
静かに語ることこそ、まさに抵抗の文化かもしれませんが、それを踏みにじる政府のもとでは、残念ながら聴く人がいないおそれがあります。
ですから、アレクシエービッチさんの活動は大きな意味をもっているのだろうと思います。

昨今のマスコミは、小さき人々よりも大きな人たちの声を紹介します。
小さき人々の声を聞きだすことは、難しいでしょうし、なによりも聴く人の知性を露わにします。それに比べて、自分から話したがっている「大きな人たち」の声を聞くのは楽ですし、なによりも誰にでもできる上に、危険は伴いません。

辺野古の工事は始まり、玄海原発の再稼働も決まりました。
小さき人々の声を、少なくとも私はしっかりと耳を傾けて聴こうと思います。
そこから「抵抗」は始まるでしょうから。

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2017/04/23

■リンカーンクラブサロン「税制改革と政治革命の可能性」報告

昨日のリンカーンクラブサロンは、異論が飛び交う大荒れの話し合いになりました。
しかしとても平和裏に進んだのでご心配なく。
異論をぶつけ合うことこそ、民主主義の原点なのです。

テーマは「税制改革と政治改革」でしたが、あまりに大きなテーマなうえに話が大きな話から入ったために、話題が広がりすぎてしまった感があります。
政治の問題には関心があるが、リンカーンクラブサロンはちょっと敷居が高いといっていた、自称「ただの主婦」の方も初めて参加してくださいましたが、議論が飛び交う雰囲気にちょっと戸惑ったかもしれません。
でも次の予定があるにもかかわらず、結局最後まで残ってくれました。
初参加のおふたりの女性は、話し手の武田さんが異論をすべて寛容に受け止めてくれることに感心していました。
あまりに話が広がったので、武田さんの「妙案」がしっかりと議論されなかったのが残念ですが、武田さんの「妙案」は、改めて雑誌に掲載されますので、ご関心のある方にはPDFを送ります。
リンカーンクラブのホームページにも掲載します。

ちなみに、参加者から「税制がらみでの企業の海外流出」や「ベーシックインカム」の問題も提起されましたが、深掘りまで至りませんでした。
私の責任です。
初参加の方が4人もいて、しかも3人は女性でしたので、もう少し柔らかな運営をできればよかったのですが、前半の話し合いは参加しにくかったかもしれません。
私にとっては大いに反省の残るサロンでしたが、終了後もみんなそれぞれに話していて、私はなかなか帰れませんでしたので、まあそれはそれでいいサロンだったということにさせてもらいましょう。
いろんな人が、ちょっと政治につながるような話し合いの場がもっともっと増えていけばいいなと思います。

今回も参加者のお一人が取り組んでいる「主権者教育」の話が出ましたが、
次回は、5月6日に「教育勅語」を読むサロンです。
これはまさに「主権者教育」にもつながるテーマです。
多くの人に参加していただきたいと思っています。

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2017/04/04

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔3〕

沖縄の辺野古移設の現地の活動は、首都圏に手はなかなか見えてきません。
マスコミ報道も関心がないのか、あまり取り上げません。
私自身、現地にも行っていないので実情を知っているわけではありません。
しかし、沖縄での最近の動きは、どこかこれまでと違うものが伝わってきます。

沖縄に新たな動きが出たのは、民主党に政権が移り、鳩山政権が「少なくとも県外移設」と言い出した時からです。
残念ながら鳩山政権は挫折しましたが、鳩山さんの残したものはとても大きいと思っています。
鳩山さんは、大きな流れに抗って棹を指すこともできることを自らの行動で示してくれました。

辺野古問題が変化を見せたのは、たぶん2014年11の沖縄県知事選だったと思います。
選挙の争点は辺野古移設問題。辺野古移設を承認した現職の仲井眞知事とそれに反対する翁長さんの争いになりました。
翁長さんはこう訴えました。
「豊かな自然環境はいまを生きる私たちだけのものではない。イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍板を残すことのない責任ある行動がいま、強く求められている。」
イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄。

それまでの「保守対革新」とは違う次元の対立軸が浮かんできました。
野党連合とは違って、そこにあるのは「社会の構図の変化」です。
その後の選挙によって、現在の沖縄県内の衆議院小選挙区4議席、参議院選挙区2議席の計6議席はオール沖縄の議員が独占しています。
これまでの政党はもはや政治の基本組織ではなくなっているわけです。

最近、東京都の知事選でも、同じような対立構造が少しだけ見えています。
私はそこに時代の大きな動きを感じます。
数年前にこのブログで書いた記憶がありますが、政党政治の時代は終わりつつあります。
なぜなら社会の構図が変わってきているからです。

しかし、だからこそこれまでの社会を統治していた体制による反撃もまた激しくなっています。
それが様々なところで混乱を起こしているように思います。
アメリカでも、ヨーロッパでも、そして韓国でも。

社会の構図の基本軸が、組織対組織ではなく、組織対個人に変化してきているのです。
いささか不正確なので、もう少し説明していければと思います。

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