カテゴリー「政治時評」の記事

2024/09/05

■お米は国民に無料配布するのはどうでしょうか

テレビでも話題になっていますが、スーパーの店頭からお米が無くなっているようです。

都内に住む私の友人には、お米がないのでこの1週間はパックされたご飯を食べているとのこと。我孫子から買っていこうかと思って、娘に聞いたら、我孫子でも最近はお米がない時があるそうです。
昨日も娘が今日はあったと言って買ってきていました。
価格はかなり高くなっているそうです。

FBへの投稿を見ると、たとえば房総半島や茨城の県北ではたくさんあるようですが、地域によっては品薄になっている。
でも政府は万一のために備蓄しているコメは放出しないそうで、何のための「備蓄」かがよくわかりません。

いまの時代、店頭からお米が品薄になってしまうことなど簡単に予測できるはずです。ですから今の店頭での品薄は意図されたものと考えるべきでしょう。
そうした「意図」の理由はいくらでも見つかりますが、私が理解できるのは、そして賛成できるのは、お米の価格を非連続に上昇させるためでしょう。昨今のお米の価格は安すぎる。今の状況では米作農家は報われず作り手がいなくなってしまう。

もちろんそんなことももうずっと前からわかっていた。
にもかかわらずなぜ適切な対策がとれていないのか。
そこに日本政治の根本的な欠陥があるように思います。
政治家はもうきちんとした「政治」をせずに、政治というビジネスに精出しているからでしょう。

私はコメの値段が安すぎると思うので、お米の価格が上がることには賛成です。もちろんその結果がしっかりと米作農家の利益になるという前提ですが。

しかしその一方で、お米はむしろ無料にしたらどうかと思っています。
日本人の基礎食材であるお米を無料にする。それこそが基礎的な福祉政策だと思うのです。
米作農家からは、もちろん政府から米作を続けていきたいと思うほどの価格で買い上げて、欲しい人には無償で提供する。
まあ、一種の「ベーシックサービス」として位置づける。
できれば、各自で味噌と漬物も作れる食材も無償提供してほしいですが、いまの日本の政策では味噌や漬物は個人製造禁止に向かっているので、その政策も見直してほしい。

とまあ、こう書いてきましたが、日本人の生活を支える基本食材のお米の入手不安を引き起こしてもだれも大声を出さなくなった日本では、こんなことはもう夢のまた夢でしょうか。
主人から餌をもらう家畜に完全に育てられてしまったのかもしれません。

しかしそのうち、お米ではなく1日の生命を維持する栄養錠剤が配布される世界が来るかもしれません。
そうならない前に、私はお暇できると思いますが、生まれ変わってきたときのことが心配です。

 

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2024/09/04

■私が政治家を評価する基準は税に対する姿勢です

自民党総裁選と立憲民主党代表選が進んでいますが、その動きを見ていると、その政党がどういう「政治」をしようとしているかがわかります。
個々の政策も重要ですが、税に対する姿勢は、誰のための政治を目指しているかを象徴しています。

税に対する姿勢は、しかし、「増税」とか「減税」という話ではありません。
どういうところから、どういう考えで、徴税するかが大切です。
多くの人は、税を嫌っているくせに(なにしろ「節税」が好まれる国なのです)、消費税に関してはあまり違和感を持っていないのも不思議です。
私は消費税をとる政府は全く信頼できませんが、多くの人には抵抗がないようです。

自民党総裁に関していえば、総裁が総理になるという前提で考えると支持したい人はいませんが、立候補者はみんな総裁にふさわしい、似非政治家のように思います。
かつてのように、国のあり方を考え、国民の生活を考える政治家は、もう今の政界では存在できないのでしょうか。

立憲民主党代表選に関しては、もうまったくわからない。
政策に関しては共感できないものの、政治家としては私が信頼できる数少ない政治家の一人だった小沢一郎さんが、野田元首相を支援しています。
以前からの関係からは不思議ではないのですが、税に関する考えで一度は袂を分かった2人がなぜまた組んだのか。小沢さんもまた政治家を卒業してしまった気がします。
いずれにしろこの党はもう終わっている。

私が期待できる政治家は、いまや山本太郎さんしかいなくなってしまった。
私の政治感覚がもう時代遅れになってしまっているのかもしれませんが、政治はいまや「政治産業」になってしまった。その点でも日本はアメリカに追随している。

ポリティカル・エコノミーからエコノミカル・ポリティクスへと変わってしまった。
私としては政治から逃走したい気分を抑えるのが精一杯です。

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2024/08/26

■「江戸の憲法構想」は面白いです

昨日は休養日でしたが、ようやくまた本を読めるようになったので、気になっていた「江戸の憲法構想」(関良基 作品社)を読みました。これが実に面白く、おかげで外出したくなることもなく終日家にいました。
まあ、家にいれば休養と言うわけでもないのですが、疲れがとれました。
まあこれでもう大丈夫です。

ところで、「江戸の憲法構想」ですが、お薦めです。
私は明治維新は「革命」ではなく「反革命」で、明治憲法はいまの日本国憲法以上に「押しつけ憲法」だと思っていますが、ますますその思いを強められました。
司馬史観のみなさんにもぜひ読んでほしい本です。

 

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2024/06/28

■今回の都知事選ほどわかりやすい選挙はありません

新聞・テレビから離れていても、さすがにFBやメールなどで都知事選の話題は目に触れます。有力な候補が45人いるようですが、現実的な問題は、小池さんか蓮舫さんかだと思います。

ここでもし日本の政治を変えるのであれば、蓮舫さんに勝ってもらう以外はありません。
小池さんがどうのこうのというよりも、国政の政権交代のためです。

もしそこに問題を絞ったら、石丸候補はじめ、すべての立候補者は、政権維持に貢献していると捉えていいでしょう。
そういう大きな問題設定をしないと、社会は変わっていきません。

私の周辺でも、石丸支持や内海支持などいろいろといますが、そういう人たちは私にはみんな小池支持者に見えます。
おそらく今の状況では小池さんは当選するでしょう。

そしてまたみんな、小池さんの学歴詐称などをあげつらって、安心してしまうでしょう。
もうそろそろそんな小さな政治から足を洗わないといけません。
政治は、うっぷん晴らしの対象ではないのです。

問題は明確です。
国政の流れを変えたいのであれば「蓮舫」に好き嫌いに関係なく投票。
いまの政治の継続を望むのであれば、好き嫌いで蓮舫以外の石丸さんたちに投票しましょう。

いま、都民は、現状維持か政権交代かを選ぶ権利を持っていることに気づくべきです。
今回ほど、わかりやすい背隠居はないでしょう。

私には投票権がないので、極めて残念です。

 

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2024/05/20

■女性候補者を応援せずして何が女性か

上川外相が、静岡県知事選挙の応援演説で「うまずして何が女性か」と発言したことが話題になっています。
https://www3.nhk.or.jp/.../20240518/k10014453911000.html

 上川さんは、自分の意図が誤解されたと弁明していますが、言葉は発した人のものではありません。そんなこともわからない人が外務大臣とは信じがたいことです。外国との外交交渉などできるはずもありません。

 それはともかく、私が一番、腹立たしいのは、もし上川さんが、女性に政治を変えてほしいのであれば、知事選に立候補している女性の「はまなかさとみ」さんをこそ応援すべきでしょう。そもそも女性が男性に頼んで政治をしてもらうような発想のおかしさに気づいてほしいです。

 静岡県知事選に立候補している唯一の女性の「はまなか」さんに私は頑張ってほしいと心より思っています。

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2024/05/14

■静岡県からの奇跡に期待

静岡県知事選がいま展開中です。

静岡県の県民以外には投票権がありませんし、あくまでも静岡県ローカルな問題だと思われている方がほとんどでしょうが、私はまったく違ったイメージを持っています。
私の友人の「はまなかさとみ」さんが立候補しているからでもありますが、そればかりではありません。

はまなかさとみさんは、これまでも請願権拡充に取り組んできています。
しかも具体的な「事件」に基づいての取り組みであり、それがたまたま静岡県を舞台にしていたので、今回、思い切っての立候補になったのです。
立候補を決めたのは、公示日1週間前です。供託金の準備でいささか危ぶまれたのですが、何とか間に合い立候補できました。

はまなかさんが目指しているのは、「県民一人ひとりの要望に応える県政へ」です。それはさらには「国民一人ひとりの要望に応える国政へ」へと通じるプロローグです。
同時に、浜中さんが目指すのは、利権がらみの男性中心の政治から、生活視点に立った女性中心の政治ではないかと私は勝手に考えています。
そろそろ政治は、女性の手に委ねる時期ではないかとずっと思っています。
その意味でも今回の6人の立候補者のうち、女性は一人だけというのも実に象徴的です。
その一人だけのはまなかさんに、静岡県の女性たちが応援してくれれば、奇跡は起こる。私はそう思っているのです。

はまなかさんの知事選選挙公式サイトをぜひ見てやってください。
https://hamanakasatomi.com/
できれば選挙ドットコムの濱中さんのサイトも。
https://go2senkyo.com/seijika/193871

静岡県から奇跡の風が起こってほしいと願っています。

 

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2024/05/03

■杉並の奇跡から静岡の奇跡へ

2年前に起こった「杉並の奇跡」(無所属新人の岸本聡子さんが区長に当選)で、私は日本の政治への希望を取り戻しました。
いささか諦めていた地殻変動は、深いところでやはりしっかりと進んでいたと思えたのです。
期待してから40年近く過ぎてしまいましたが、地殻変動にとって40年などというのは短い時間です。

ところで、今度、また無謀な試みに挑戦する人が現れました。

数年前から「請願権」に取り組んでいて、最近、「請願権を実現する会」を立ち上げたはまなかさとみ(濵中都己)さんが、失言問題で辞職した静岡県知事の選挙に立候補することにしたのです。
濵中さんは、湯島のサロン仲間で、これまでも何回か湯島でもサロンをやっています。

自宅を売却して供託金を用意するとの決断は、あまりに急だったこともあり(県知事選挙も急な展開でしたが)、私はその思いを止めさせたいと思っていました。しかし、先日お会いして、その決意の固さと思いの深さに共感しました。

杉並がそうであったように、変化は突然、降ってわくのでしょう。熟考していては変化は起きません。
濵中(はまなか)さんに荷担することにしました。

と言っても大切なのは濵中(はまなか)さんの目的です。
濵中(はまなか)さんは、請願権活動などを通して取り組んでいる政治観を実現したいのです。それは生活者の視点にたっての政治です。それも実際に生活者の声が動かす政治です。とりわけ無視されがちな、いわゆる社会的弱者の声を大切にしなければいけません。

それは私がずっと考えてきた「コモンズの回復」にも通じます。コモンズの政治と言ってもいいでしょう。となれば、ますます応援しなければなりません。思いは行動につなげなければ「嘘つき」になりますから。

濵中(はまなか)さんは、静岡県知事選挙への立候補を通して、「令和の世直し・ええじゃないか運動」を引き起こしたいと考えているようです。
政治を動かすのは、生活者のエネルギーです。
私に何ができるかを考えなければいけません。
まずはみなさんに、濵中(はまなか)さんの決意を知ってもらおうと思い、長々と書いてしまいました。応援してくれる人、ぜひご連絡ください。

投票日まで23日しかありませんが、できることは必ずあるはずです。
世界を変えるのは、いつもはじめは一人からです。
みんなが信ずれば奇跡は起こります。

 

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2024/02/10

■「ドキュメント石垣島」の上映会で15年前医手紙を出した人に会いました

湯島で「ドキュメント石垣島」の上映会がありました。
主催したのは、湯島へいわサロンですが、私も参加させてもらいました。
上映してくださったのは、「上映屋」仕かけ人のビデオジャーナリストの湯本雅典さんです。
上映会の報告は主催者のnikoさんが報告してくれると思いますが、昨年3月の石垣島基地開設の瞬間からの記録を見せてもらい、改めて憤りを感じました。

日本の政府は、いまやまさに「暴君」としか言えませんね。
特に石垣島の住民投票訴訟の顛末は、法治国家とは言えない話のように思います。
https://www.qab.co.jp/news/20230523175279.html
やはり沖縄には、日本政府の無法ぶりが象徴的に露呈されているようです。
しばらく沖縄関係のサロンはやっていませんが、また企画したいと思います。

それはそれとして、実は思ってもみなかったことが起こったのです。
上映屋と自称されている湯本さんとサロンのはじまる前に雑談していて、15年以上前に、私が湯本さんに手紙を出していたことに気づいたのです。
湯本さんが、最初の作品は『学校を辞めます』でしたというので、思い出したのです。
映画のほかに、本も出版していませんか、と訊いたら、そうだと言います。
そこで、「あの湯本さんか!」と気づいたのです。

その本『学校を辞めます』のことを新聞で知り、私はすぐに購入して読ませてもらいました。当時、学校教育に関心があったのです。とても共感して、著書に手紙を出しました。たぶん反響が多かったのでしょう。返事はもらえませんでした。
でも、その本のことと著者の「湯本さん」は、ずっと記憶に残っていました。
まさか、こんな形で、その湯本さんにお会いできるとは思っていませんでした。
しかも、いま改めて学校教育に関心を持ち出したときに、です。

たぶん、その本はわが家の書庫に埋もれていることでしょう。
探し出して読みなおそうと思います。

こんなことが起こるのですね。

 

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2024/02/02

■政治とお金の問題の立て方

パーティー裏金問題に端を発して、また「政治とお金」が話題になっています。

それに関して、政治にどうして巨額なお金がかかるのかが問題ではないかという問い方がよくされています。
その問い方にこそ、問題があると私は思っています。
問題の立て方を間違えてしまえば、実態の本質は全く見えなくなってしまいます。
そういう問い方は、問題の本質を覆い隠すために仕組まれた問いでしかありません。
政治に金がかかるのではなく、政治に金がかかるようにしたのですから。

資本主義は、汎金銭市場化を進めています。
芸術もスポーツも、教育も福祉も環境も、次々と市場化され、資本の増殖目的に取り込まれてしまいました。
「政治」や「選挙」もまた、その流れに沿っているだけの話です。
お金がかかるようにすることこそが、選挙や政治の本質になってきているのです。

アメリカの大統領選挙を見ればわかることですが、アメリカでは選挙そのものが「収益事業」化されています。強大な収益イベント事業と言ってもいいでしょう。オリンピックや万博の比ではありません。

アメリカでも1970年代には選挙につぎこむお金が多額すぎるとの議論もありましたが、その後、アメリカ最高裁判所は、政治に対するお金の自由な流入は何人によってもさまたげられてはならない、との判決を出したのです。
つまり選挙も政治も、今や「お金稼ぎの仕組み」なのです。
ですから、お金がかかるのではなく、お金をかけることによってお金がもうかる仕組み、あるいは多くの貧しい人たちからお金を広く刈り取る仕組みになっているのです。

同じことは税金にも言える話です。つまり消費税は、本来の税金とは全く違った発想での制度なのです。「税金」という文字に惑わされてはいけません。

こうした風潮にどう抗うか。
それは難問です。
何しろ今やほとんどの人が、お金に依存するしか価値を見出せなくなってきているからです。
こういう理由で、私は、大谷選手にもあまり好感が持てないのです。

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2024/01/06

■平和や政治を考えるサロンを今年は開催していく予定です

今年は年明けから能登大地震で頭が混乱しています。
輪島の知人の安否が気遣われますが、まだ確認できずにいます。
被災された方々に、毎朝、手を合わせるばかりです。

能登や羽田の事件にどうしても目が奪われますが、街中での殺傷事件もいろいろと報道されています。みんな怒りの矛先をどこに向けていいのかわからないのかもしれません。
怒りを社会改革の方向に向けていく野党も思想も見えてこない。
まるでイソップの王様を欲しがるカエルのように、自らを食い物にする存在に、みんなしがみつこうとしている。私にはとても不思議に見えています。

今年こそ、政治改革への一歩が踏み出されそうな気がしていましたが、状況は一変してしまいました。
しかし、忘れてはいけないのは、こうした大事件に関しても、政治は全く無縁ではないということです。いや、こうした自然災害が起こった時にこそ、政治の実態が顕在化されるはずです。政治は私たちの生活の基層を支えている存在ですので。

能登大地震の報道は、ネットのやり取りも含めて、読んでいますが、ネットでのいささか行き過ぎた陰謀論説には、政治の劣化状況を見る思いです。政治への信頼感が、大きく失われているような気がしてなりません。

湯島のサロンでは、今年は改めて「平和」や「政治」の問題を話し合うサロンを増やそうと思います。
どなたか問題提起したい人がいたらご連絡ください。
平和も政治も、話し合いから始まりますので。

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