カテゴリー「政治時評」の記事

2023/08/24

■戦争はなぜ起こるのか

最近、さすがにウクライナ戦争に関する報道も静かになり、好戦的な状況づくりの報道も鎮まったようで安堵しています。
まあ日本の国家予算の防衛費の激増も認められたし、原発再稼働の国民合意も取れたので、政府にとっても利用価値が低下したのかもしれません。

私自身は、ウクライナ戦争当初から、その報道姿勢に違和感がありました。
それに、なんでみんなこんなにウクライナを支援するのかも理解できませんでした。
日本の近くにはもっと悲惨な「戦争状況」はあるでしょう。沖縄だって、もっと報道されていい。そこに目を向けずに、何がウクライナだ、とさえ思っていました。

それに、ウクライナで戦い、殺し合っているのは、プーチンでもゼレンスキーでもありません。ロシア人とウクラナイ人です。問題の捉え方になじめなかったのです。

半世紀ほど昔に書かれたアーサー・ケストラーの「ホロン革命」という本があります。
ケストラーは、いろいろな歴史を検討して、「人類の苦悩はその過剰な〈攻撃性〉にあるのではなく、そのなみはずれた狂信的〈献身〉にある」という結論にたどり着く。
そしてこう書いています。

歴史にざっと目を通せばわかることだが、人間の悲劇のなかでも動機が利己的な個人規模の犯罪など、部族、国家、王朝、教派、政治的イデオロギーヘの没我的忠誠心のなかで虐殺された人びとに比べれば、きわめてささいだ。問題は〈没我的〉だ。ごく少数の金目当ての傭兵やサディストを除けば、戦争は個人の利益からではなく、王、国家、大義への忠誠心と献身からおきている。

戦争は憎しみや対立からではなく、愛や共感から起こる。
私には意外な結論でしたが、考えてみると納得できます。

ウクライナの人たちもロシアの人たちも、相手の人たちへの憎悪や敵対心から殺し合いを始めたわけではない。
殺し合いを始めたために、憎悪や敵対心が生まれてしまったのです。
そこを見誤ってはいけません。

ではなぜ殺し合いにまでつながる戦いを始めたのか。
それは国に対する忠誠心や一体感からでしょう。あるいは隷属意識。
しかしそこには大きな勘違いがあります。
政府は国ではないのです。
いやそもそも国とは何か、です。
そんな基本的なことさえ考えようとしなくなっている国民の行く末は見えています。

戦争を回避したいのであれば、向かうべき敵が間違っている。
ウクライナの人たちは、そしてロシアの人たちも、さらには日本の人たちも、戦うべき相手は、自国の政府なのです。銃の向け先が間違っている。

もし戦争を避けたいのであれば、政治のパラダイムを変えなければいけません。

 

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2023/06/02

■「歴史の逆流」(朝日新書)をお勧めします

最近ちょっと心身ともに疲れています。
そこから抜けるために先週は京都や奈良を歩いてきたのですが、いささか中途半端だったようです。今頃サンチャゴを歩いている鈴木さんのようにせめて1か月くらいは、世俗から抜け出ないといけないのかもしれません。

まあそれはそれとして、今日は雨だし、ゆっくりしようと思っていたのですが、また本を読みだしてしまいました。
これがまた面白い、というか、刺激的で、読んだだけではなく、何かをしなければという気が起こってきてしまいました。困ったものです。

読んだ本は、朝日新書の「歴史の逆転」です。
長谷部恭男さんと杉田敦さんと加藤陽子さんの鼎談です。
あとがきで、加藤さんが書いていますが、3人が「歴史の逆流」という書名に込めた思いは、「たがが外れた時代の潮流、侵略・暴力の時代の流れに抗ってゆくための学知を詰め込んだ包括的パッケージ」だそうです。
憲法学、政治学、歴史学からの 3人の話し合いは、私情もこもった発言もあって、とても人間的で共感が持てます。

ぜひ多くの人に読んでほしいと思いますが、湯島でもこれをテキストに、毎月、いまの政治を話し合うサロンを開催しようかと思います。残念ながら3人とも私は面識もないので、来てもらうわけにはいきませんが、本書には3人の思いがこもったメッセージがいろいろと読み取れます。

もしこの本を読んで、そういうサロンを一緒にやりたいという方が2人出てきたら、実行しようと思います。
というわけで、ともかく本書を読んでみてください。
そして、一緒にやろうという方がいたら、ぜひご連絡ください。
茶色の朝シリーズのサロンも、できれば並行させたい気もします。
このまま歴史が進んでいくと、私の来世もあまり楽しいものにはなりそうもありませんので。

でも本当は、こうした話し合いの場づくりは疲れますので、気持ちの半分はやろうという人が出なければいいなと思っているのが正直のところ
です。さてさてどうなりますか。

 

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2023/05/03

■日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか

今日は憲法記念日です。

毎年、憲法記念日には、日本国憲法の前文を読むようにしています。
いつもはほとんど忘れている憲法ですが、この時期は毎年、前文を読み、3日前後に湯島で憲法関係のサロンを開催しています。

今年は明日54日に「統治行為論」をテーマに憲法サロンを開催します。
切り口は「統治行為論」ですが、話し合いたいテーマは「日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか」ということです。
日本国憲法の制定者と宛先を考えることで、「日本国憲法の意味」を考えたいと思っています。
もう一つは、「憲法と法律と条約(と私の生活)」の関係を整理してみたいと思っています。そしてそもそも「法治国家」とはなにかも考えられればと思っています。

まあこう書くと何やら難しそうですが、湯島のサロンですから、こうしたことを気楽に生活レベルで考えてみようと思っています。
もしお時間があれば、ぜひご参加ください。

気楽な集まりですので、どなたでも歓迎です。

案内は下記にあります。
https://www.facebook.com/events/246904891037474?acontext=%7B%22event_action_history%22%3A[%7B%22mechanism%22%3A%22group_featured_unit%22%2C%22surface%22%3A%22group%22%7D]%2C%22ref_notif_type%22%3Anull%7D

 

 

 

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2023/03/27

■佐藤章さんの「職業政治家 小沢一郎」をみんなに読んでほしいです

雨が続いたこともあって、先週は数冊の本を読みました。

その1冊は、2年半前に出版された佐藤章さんの「職業政治家 小沢一郎」(朝日新聞出版)です。湯島のサロンによく参加してくれる鷹取功さんが貸してくれたのです。
小沢一郎さんは、私が信頼できる政治家です。「職業政治家」という表現に違和感を持ちますが、とてもわかりやすく、日本の政治の実態や問題が見えてきます。

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最初は、何をいまさらという感じで読んでいたのですが、読んでいるうちに、そうかこんなことさえきちんと世の中には伝わっていないのだということに気づかされたのです。それと同時に、小沢さんはずっとこういうことを考えていたのかということを改めて知ったのです。改めて小沢さんの生き方に感動しました。

私が信頼できる政治家は、いまでは小沢さんと鳩山さんくらいですが、そのふたりがなぜ政権交代時の時にきちんと協力しなかったのかが気になっていたました。でも本書を読んで、その理由もわかりました。誠実さは必ずしもいい結果を生まないこともあるのでしょう。しかしやはり結果のために誠実さをおろそかにすることは私の生き方ではないので、ふたりへの好感度はむしろ強くなりました。

著者による小沢さんへのインタビュー記事が多いので、とても読みやすいです。
もう少し整理してくれたらもっとコンパクトになっただろうにと思いますが、同じような話が繰り返し出てきますので、理解がしやすくなります。

多くの国民が本書をきちんと読んでくださったら、日本の政治は変わるかもしれません。
どうしてこういう「正論」が大きな流れにつながっていかないのか。
さびしくてなりません。

 

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2023/03/23

■沖縄ではもう戦争の姿が見えてきている

最近、投稿も少なくなっているせいもあって、このブログへのアクセス数は少ないうえに、滅多にコメントもないのですが、昨日はとてもうれしいコメントが届きました。

投稿者の了解を得て、改めて紹介させてもらいます。
多くの人に読んでいただきたいと思います。

「戦争の足音が聞こえてくるような気がしています」と書かれていたので居ても立ってもいられずコメントを書こうと思った次第です。

 私は沖縄県民です。沖縄では足音ではなくもう姿が見えてきています。自衛隊基地がどんどん作られ、ミサイルや弾薬が何の了解もなしに持ち込まれてきています。12月の安保関連法案が閣議決定されてから私の心はずっと不安で押しつぶされそうになっています。本島に住む私でさえこうなのですから先島、特に与那国・八重山に住む方たちの心情を思うと涙が出てきます。こんな大事なことを閣議決定で決めたとして認められるのでしょうか?閣議決定は法令ではなく内閣や行政機関を縛るものだと理解していましたが…。私の理解が間違っていますか?

 閣議決定の後もいつもと同じような年末年始の番組でした。世の中の無関心さがとても怖いのです。政府の横暴をだまって見過ごさないでほしいのです。しかしそういう沖縄も前よりも力が弱くなっているのではないかと感じています。このままでは本当に沖縄が戦場になってしまいます。

 本土の方々は「沖縄はかわいそうだが仕方ない」「地理的にしょうがない」「自分たちのせいではない」と胸を張って言えるのでしょうか?

 「台湾有事は日本の有事」と大声で煽ってた方は亡くなりました。日本国民の皆さんには目を覚ましてほしい。戦争になっていい思いをする人は戦争に行きません。戦場にもいません。沖縄をもう二度と戦場にしないでください。これだけが願いです。

以上です。
何回も読んでしまいました。少しでも現地の人の思いをシェアしたいと思ったからです。

この方は以前もコメントくださった方ですが、私とは面識はありません。
岸田さんにはウクライナに行く前に、沖縄に行ってほしかったです。
横田基地の近くに住んでいる私の友人は、横田基地さえ様子が違ってきたと言っていました。

私も時々、ネットで沖縄の新聞記事などを読みますが、残念ながら頭での理解しかできません。沖縄と連帯する会・ぎふのサイトに沖縄関連ニュースの動画をアップしてくれているので、これも時々、見せてもらっています。
https://okinawarentaigifu.jimdo.com/          

本土ではWBCの話題に覆われていますが、沖縄では着々と戦争への道が開かれているようです。昨日の石垣市での住民説明会では、住民から敵基地攻撃能力を持つ長射程ミサイルの配備は容認できないなどの声も上がったそうですし、説明会の前の20日には、「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」の抗議活動も行われています。

どこか間違っている。そんな気がしてなりません。

また湯島のサロンで、沖縄の話をしたいと思いますが、どなたか話題提供か問題提起してくださる方がいたらご連絡下さい。

 

 

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2023/02/20

■北朝鮮のミサイル発射報道のたびに軍艦「天安」沈没事件を思い出します

今日、北朝鮮からミサイルが発射されました。
今年に入って3回目だそうです。

私はこういう報道がされるたびに、10年ほど前に起こった韓国の軍艦「天安」の沈没事件を思い出します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E6%B2%88%E6%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この時も、北朝鮮の攻撃による爆沈という話も流れました。
そして偶然かもしれませんが、沖縄の米軍基地に移転を働きかけていた鳩山政権は終わりました。

 誰が一体、これほど頻繁にミサイルを発射するのか。
トンキン湾事件は10年もたたずに真実が明らかになりましたが、北朝鮮ミサイル発射事件には、そういう隠された真実はあるのでしょうか。
それがわかるまで、もう少し長生きしたいと時々思います。

 

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2023/02/15

■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました

久しぶりにNHK制作のドラマを観ました。
「ガラパゴス」です。
https://www.nhk.jp/p/ts/BNYM78ZK64/list/

自殺と処理されていた労働者の死に疑問を抱いた刑事が真実を探り出していくドラマです。
題材は、派遣労働者の実態であり、コストダウンにより収益向上を図る日本企業の実態であり、政治と行政と司法の癒着の実態であり、そのメッセージは「人間の弱さ、悲しさ」、でも同時に「人間の優しさと強さ」です。

NHKの良心を感じました。
ぜひ多くの企業の経営者に見てほしいものです。

私は企業勤務時代、「コストダウン」発想に異論を唱えていました。
コストダウンではなく「バリューアップ」に経営の方向を変えなければいけないと思っていたのです。副社長に話したこともありますが、でも何もできなかったのは、その「バリュー」への考察が不足していたからです。
その頃のことを思い出しました。

地上波テレビではまだ放映されないようですが、もし放映されたらぜひ見てほしいです。
最近の表層的なドキュメンタリーやニュースよりも心が揺さぶられます。
登場人物が、私には実際の政財界の特定の人の顔に見えてしまいました。

 

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2023/02/01

■湯島サロン「市会議員選挙に立候補して考えたこと」報告

今年からまた「政治」に関わるサロンを継続的に開催していきますが、その第1回目として、昨年末、市議会議員選挙に立候補し、残念ながら落選した石井嘉隆さんから、その体験とそれを契機に改めて地域政治に関わっていこうと決意した経緯や展望などを話してもらいました。

ちなみに、石井さんはこれまで特に「政治」との接点はなく、今回もまったくの「市民の一人」として立候補しました。選挙は何もかも、初めての体験。落選したものの、その体験はとても楽しく、しかも人生の次の展開につながりそうだと言います。

10人ほどの現職の自治体議員にもサロンのお誘いをしたのですが、残念ながら地域イベントに参加するなどの理由で参加できない人が多く、実際に参加したのはおひとりだけでした。ここにも今の自治体議会議員が何をやっているか垣間見える気がします。

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石井さんは、まず「なぜ立候補したか」を自らの生い立ちから話し出しました。政治や行政とはあまり縁もなく生きてきたため、立候補を決意してからも、何をやっていいかわからず、その分野の先輩の指導を受けながら、いわゆる「選挙活動」に取り組んだそうです。
ちなみに石井さんは無所属で立候補しましたが、最近は市議会議員選挙まで政党に属していないと選挙活動もしにくくなってきているようです。

そのせいか、私が住んでいる我孫子市でも政党に所属する立候補者が増えています。市町村議会にまで政党支配に置かれてきている状況は、地方自治の劣化につながると思いますが(自治と分権は方向性が真逆です)、その流れは強まってきています。素人の私から見ても、政党に所属していると選挙では圧倒的に有利なのがわかりますから、立候補者には政党からの誘いは魅力的なのでしょう。
しかし、そこから変えていかないと社会は変わらないでしょう。いつかそんな問題も、このシリーズのサロンでは議論したいと思っています。

石井さんは、立候補の際の供託金や選挙活動費用がどのくらいかかったかも少し話してくれました。その話を聞いていると、自分たちで選挙活動をやろうとするならば、手の届く範囲の金額のようです。ただ問題はどうも、お金の問題よりも手続きの難しさで、それが普通の市民の立候補の制約になっているようにも感じました。

ここでも興味ある話がいろいろと出てきたのですが、オフレコなので報告は差し控えます。私の憤りの念はかなり高まりましたが。

ところで石井さんは、立候補したことで市役所に行く機会が増えたそうですが、それによって市の行政に関しても理解が深まり、つながりも増えたようです。そうなると自ずと地域の問題への関心も高まっていく。
そして、市議会議員にはなれなかったものの、市民としての地域活動はできることがいろいろとあることに気づいたようです。もっとも石井さんは立候補前から、そうした地域づくりに向けての活動はいろいろとやっていたのですが、行政との連携などが見えてきたのかもしれません。

いずれにしろ立候補することで、地域とのかかわり方が変化することはあるようです。そういう意味で、選挙というのは意味を持っていることに気づきました。立候補には至らなくても、選挙の時にだれに投票すればいいかなどと言っているのではなく、近くの立候補者の事務所に顔を出して話を聞くだけでも政治への関心は変わるかもしれません。国政選挙ではそう簡単には顔を出せないでしょうが、地方選挙の場合は気楽に顔を出しても歓迎されるはずです。

話し合いでは、たとえばタウンミーティングの話や議員報酬の話、首長交代と行政の継続性の問題、行政と地方議員と国会議員との役割の違いなど、いろいろと出ました。

たまたま昨年話題になった杉並区の岸本区長の支援者も参加していて、当選後の状況の話を少ししてくれました。そこには、自治体の行政と市民活動との関係に関して考えさせられる話も出ました。
市民活動と自治体行政とは本来は共振するはずですが、残念ながら現在の日本の自治状況の中では、むしろ対立しがちなのかもしれません。地域分権と地域自治とは似て非なる状況なのです。

参加者の一人から、政治への関心を高めるためにも、生活者(主婦や高齢者、学生、子どもなど)の目線を捉える課題解決が必要で、そこから政治を変えていけるのではないか。その意味でも地方政治は重要だという意見がありました。

その一方で、生活レベルの政治もいいが、地域政治にあっても安全保障や憲法問題も大事ではないかという指摘もありました。それに関しては、地方政治では実際には解決できないことも多く、問題のすり替えにされかねないので、地方議員の使命(責務)を基軸に活動しているという現職の議員の参加者の発言もありました。

ところで石井さんは落選後、立候補者に声をかけて、市民に呼びかけて選挙を振り返っての集会を開いたそうです。実際に石井さんの呼びかけで参加してくれた立候補者はあまりいなかったようですが、そういう集まりを開催するだけでも大きな意味がありそうです。

石井さんは、これからも地域課題をテーマにした学習会や話し合いの場を開催していく予定だそうです。子どもたちの議会傍聴活動にも関心をお持ちです。議員にはなれませんでしたが、市民の一人として、取り組めることをいろいろと見つけたようです。そうした活動を通して新しいネットワークも広がっていくでしょう。そしてまた時期が来たら、地方政治に参加していく再挑戦するかもしれません。

サロン終了後、参加者から2つの声が届きました。
一つは、自分でも立候補できそうだと感じたので立候補を考えてみたいという声。
もう一つは現職の議員の話をもっと聞きたいという声。
いずれも地域政治への関心が高まったと言えると思います。

このテーマのサロンは、引き続き継続します。
現職議員や元議員の方で話題提供していただける方、あるいは参加者に問いかけたいことがある方、ぜひサロンをやってくれませんか。

政治は決して私たちの生活と縁遠くはなく、隣り合わせにあることをもっと多くの人に気づいてほしいと思っています。そこからこそ、日本の政治は変わっていくでしょうから。
サロンをやってもいいという方、ぜひ私(qzy00757@nifty.com)までご連絡ください。

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2023/01/26

■国家の安全保障のために政府には「機密」があってもいい、という「常識」

「嘘つきは政治家のはじまり」を常識にするような社会にはしたくないと書きましたが、それに関連して、いつも気になっている、もう一つの「常識」のことも書くことにしました。

国家の安全保障のために政府には「機密」があってもいい、という「常識」です。
この「常識」も私には受け入れられません。

もしその常識を認めるのであれば、情報公開での黒塗り資料も、その多寡はともかく、認めなければいけません。そして、政治家の嘘も、いくらでも言い訳ができるようになるでしょう。
さらにいえば、そういう常識がある限り、情報公開制度は無意味ではないかという気さえします。誤解のないように言えば、もちろん「無意味」ではありませんが、この言葉の真意を受け止めてもらえればうれしいです。こういう言葉じりでコメントをくださる方もいますが、どうかご容赦を。

政府の嘘には2つあります。
事実とは違うことを発表する嘘と事実を隠す嘘です。

私自身は、統治を任した政府が国家機密という名目で情報を隠蔽する行為は嘘つきと同じだと考えています。
しかし、安全保障や国家統治上、公開してはいけない情報はあるだろうと多くの人は言います。そう言われるとそうかなとついつい思ってしまいますが、本当にそうでしょうか。その情報を公開して困るのは、本当に多くの国民なのでしょうか。

むかしの話ですが、1917年、ロシア革命成就後に、レーニンは、「平和に関する布告」を発表し、秘密外交の廃止を唱え、すべての交渉過程を「全国民の面前で完全に公然とおこなう」ことをロシア労農政府の原則として宣言しました。つまり、政府の行動すべてを人民に対して「開く」という宣言をしたわけです。

書く以上、一応確認しておこうと思って、手近にあった加藤典洋さんの「戦後入門」(ちくま新書)で確認したのですが、上記の文章はそこからの引用を基本にしています。

そしてその文章に続いて、同書には「その重大性を受けとめたからこそ、アメリカのウィルソン大統領は2か月後に年頭教書のかたちで発した14か条の平和原則の第1に、自分もやはり、秘密外交の廃止をうたったのでした」と書かれていました。つまり当時は国民主権国家においては国家機密は必ずしも「常識」ではなかったのです。
それがいつから常識になったのか。

それにつづいて加藤さんの「戦後入門」には面白いことが書かれていました。
前に読んでいるはずですが、忘れていました。

第二次世界大戦の戦争遂行の内奥には、大いなる「秘密」が、ある時点から居座るようになります。それが原爆の開発、製造から使用にいたる、ルーズヴェルト主導による一大極秘の「マンハッタン」プロジェクトにほかなりません。

大いなる「秘密」。
「陰謀論」は、ここから国民主権国家政府にも広がりだしたのではないか。ルーズヴェルトならやりかねないでしょう。

ルーズヴェルトの嘘については、この2年ほど、数冊の本を読みましたが、やはり国家機密と称して嘘をつき事実を隠すと、結局、国家そのものが危うくなっていくような気がしてなりません。
政府の情報はすべて、主権者に公開すべきではないかと思いますが、どうでしょうか。

ちなみに私は、スターリンやルーズヴェルトと同じく、日本では小泉純一郎が、嘘を政府の根幹に置いた人だと思っています。
これは多分全く受け入れられないでしょうが。

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■「嘘つきは政治家のはじまり」にしてはいけません

統一教会との関係が問題になっている細田衆院議長が、24日に行われた与野党の代表者への説明会の中で、2019年に旧統一教会の友好団体が開催した会合に出席し「安倍首相(当時)に早速報告したい」と挨拶したことについて、「この団体が安倍元首相に近い団体というのは知っていたので、リップサービスとして言った。ただ安倍元首相には報告していない」と述べたそうです。

多くの新聞が、そのことをさらっと流しているのが、とても気になります。とても聞き流せるような話ではない。しかも発言者は立法の長たる衆議院議長です。

リップサービス。要するに嘘をついたということです。リップサービスなどという表現に騙されてはいけない。リップサービスは嘘とは違います。言葉は正確に使わなければいけません。まあそのこと自体も、いまや軽んじられていますが。

単なる私人なら嘘も時には許されるかもしれませんが、公人としての政治家は嘘をついてはいけません。残念ながら政治家とは嘘をつくものだという「常識」が広がっていますが、責任ある人が嘘をついたら社会は成り立たなくなります。どんな犯罪さえも否定できなくなる。「嘘つきは泥棒のはじまり」という教えがあるように、犯罪のほとんどは、嘘から始まりますから。
いまは「嘘つきは政治家のはじまり」と言い換えたほうがいいかもしれません。嘘にまみれた政治家が社会を統治していると思えば、最近の犯罪の広がりや経済の劣化もまた、「時代の流れ」かと諦めてしまいたくもなります。

しかし、一昔前の政治や経済では嘘は現に戒められていた。その基本になったのは、「信頼」であり「誠実」だったと思っています。
でもそれが今や失われようとしている。
いや失われてしまった。

嘘が見逃される風潮の中では、嘘つきが主流になっていく。
そのうちに、学校で「嘘のつき方を教えるようになるかもしれません。
そんな悪い冗談さえ、なんだか真実味をもってきてしまう。

その流れに巻き込まれないようにしないといけません。

 

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