カテゴリー「政治時評」の記事

2022/11/25

■各地で新しい政治の動きが出てきていますが

先週行われた松戸市の市議会議員選挙に友人の石井さんが立候補しました。
これまでは全く違う世界にいましたが、あまりにもひどい状況に思いを強め、立候補したのです。もちろんこれまでも無関心だったわけではありません。関心を持っていればこその立候補でした。

残念ながら落選しました。
昨日、選挙で体験したことなどを話に来てくれました。
落選したので落胆しているかと思いきや、逆にますます前向きになっていました。
いろいろと手ごたえがあり、先が見えてきたと言うのです。

議員でなくてもできることはあることに気づいたようです。
その手始めに、明日と漁って明後日、松戸市で「松戸市議会選挙立候補者による報告会」を開くそうです。石井さんだけの報告会ではありません。今回立候補した全員に呼びかけ、賛同してもらえた人に自由に登壇してもらい、参加者と話し合うのだそうです。
すでに3人の方からは賛同を得ているそうです。
詳しくは添付のチラシを読んでください。

これはとても興味ある試みです。
選挙は終わってしまうともう忘れられがちですが、立候補した人たちは当選したにしろ落選したにしろ、大きな気づきを得ているはずです。そのことを市民とシェアすることの意味は大きいです。

石井さんはこれに続くさまざまなプロジェクトを構想しています。
魅力的なプログラムがいろいろとあります。
議員になるだけが政治に関わる方法ではありません。
新しい風が起こることを期待しています。

松戸市の話ですが、松戸市民でなくても歓迎だそうです。
私は参加したかったのですが、あいにく、明日も明後日も先約があり行けません。
ぜひ興味のある方には参加していただき話を聞かせてもらいたいです。

石井さんの引き続きの活動に、何かできることはないか考えています。
このままだと生活コミュニティがどんどん壊されていくような気がしてなりません。

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2022/11/12

■友人の石井よしたかさんが松戸市の市議会議員に立候補するようです

一時、「地域主義」や「地方の時代」が盛んに叫ばれた時期があります。
私もその流れに共感し、これで日本の政治も経済も変わっていくかもしれないと期待したものです。私ができることにもささやかながら取り組みました。
しかし残念ながらその流れはいつの間にか反転してしまいました
その流れが、また始まりだしたような気がしています。

来週から千葉県の松戸市で市議会議員選挙が始まります。
私の友人の石井よしたかさんも、今回挑戦するようです。
石井さんはこれまでも地道な地域活動をやってきています。
http://yoshitakaishii.com/

石井さんを紹介してくださったのは、私の古い友人の中田京さんです。
中田さんは、基礎自治体議会に女性議員を増やす活動などをしていて、私もその応援団でした。
残念ながら中田さんは松戸市の市議会議員在職中に急逝されました。
その10日ほど前に、中田さんは地域政治をテーマにした湯島のサロンに参加してくださり、今期で議員はやめるが、あとは石井さんに期待したいのでよろしくと頼まれました。まるで彼女の遺言のようで、ずっと気になっていました。

石井さんとの付き合いももうかなり長くなりました。
自分たちが住んでいるまちに軸足を置いて、生活のための政治を地域から始めようとしている石井さんを応援していきたいと思っています。
松戸市にお住まいの方、もしご関心があれば、ぜひ石井さんに会ってやってください。
石井さんは初めての選挙なので、まだご存じない方も多いと思いますが、私は彼の生き方や考え方に共感しています。
私が住んでいるところではないので、投票権は私にはありませんが、石井さんの考え方や生き方に共感し、応援しています。

日本はやはり地域から、生活者から、生まれ変わらないといけないという思いがますます強くなってきています。
政治も経済も、私たち「生活者」の手に取り戻さないと、ますます生きづらい社会になりそうで不安です。

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2022/11/11

■国家が人間をどう捉えているかを象徴するのが「死刑制度」

葉梨法相の「(法務大臣は)死刑のはんこを押す、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」発言が問題になっています。
この発言の意味が岸田さんはじめ閣僚には全くわかっていないようなのが恐ろしいです。

法治国家の法は国民を統治していくための基準です。
国家(政府)が人間をどう捉えているかが象徴されているのが「死刑制度」です。いわゆる先進法治国家で死刑制度を法に取り込んでいる国はわずかしかありませんが、日本は制度のみならず執行も行われている稀有の国です。

要するに、日本の法体系は、個々の人間の生命よりも国家の秩序を優先しているわけです。こういう思想の元では、戦争において兵士の生命は国家制度よりも優先されます。
しかも、こうした思想は、政府だけではなく、日本国民の多くが共有している思想かもしれません。

葉梨法相の発言を咎めない岸田首相は論外として、そんな人が参加している政府の閣僚に留まることを恥じる閣僚がだれも出てこないことに恐ろしさを感じます。
発言にはその人の思想が象徴されます。ですから、発言を咎めるのは単なる「言葉狩り」ではないのです。葉梨さんは即刻議員をやめるべきだと私は思います。こういう人が国民を戦争に向かわせるのですから。

私の突然の入院で遅れていましたが、死刑制度に関するサロンを今月下旬に行う予定です。ぜひ多くの人に参加していただき、死刑制度について話し合ってみたいと思っています。葉梨さんにも参加してほしいものです。

 

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2022/11/08

■市民的不服従から市民的行動へ

岸田政権への支持率がさらに低下、ついに30%台になり、不支持率のほうが大きく上回る状況になっています。

「森の生活」で有名なヘンリー・デビッド・ソローは、29歳の時に「人頭税」の支払いを拒んで逮捕=投獄されました。友人が保釈金を出してくれて保釈された後、彼は雑誌に「市民政府への抵抗(Resistance to Civil Government)」を投稿します。後に「ソローの市民的不服従(Civil Disobedience)」として話題になった論文です。当初の「抵抗」から「不服従」へと表現が変わっています。

この市民的不服従の考えは、その後、ガンディーやルーサー・キングの非暴力抵抗論、ロールズの正義論、アーレントやハーバーマスによって深まり、さらにアナキストにも影響を与え、いまではデジタルデータやエネルギーの統治の問題へと広がってきています。そうした「市民的不服従」の考えや実践の歴史を整理してくれているウィリアム・E・ショイアマンの「市民的不服従」読みました。いささか読みにくい本ですが、世界の潮流に日本が例外的に遅れていることに気づかせてくれました。

ぜひ多くの若者たちに読んでほしいなと思い、あえて紹介させてもらいました。

ショイアマンは、抵抗と言え不服従と言っても「法の尊重」が大切だと言います。
問題は、「法の尊重」とは何かです。
市民的不服従の行動では、時に「法律」を犯すことはありますが、その法律がたとえば「憲法」に違反したものであればどうでしょうか。残念ながら日本にはそういう法律は少なくありません。法律を多田守だkでは、法の尊重にはなりません。
また、市民政府への抵抗と言いますが、その政府が「市民」を代表していないようなものだったらどうでしょう。国民の過半数が反対している政策や法律に異議申し立てをすることは、違法なのでしょうか。

私は大学で「法の精神」について学びました。
大切なのは条文ではなく精神なのです。

ちなみに、私は「市民的不服従」という表現が好きではありません。
その言葉は、統治者を基準にして発想しているからです。
単に「市民的行動」と言えばいいように思います。

そういう市民的行動をつぶすような政府は市民政府とは言えないでしょうし、法の精神にも反しているような気がします。最初から不服従や抵抗などと規定することはありません。市民的行為が広がっていくことで、法や制度が見直されていくのが市民政府でしょう。

過半数の人が支持していない政府に身を任すいまの状況をどうしたらいいのか、ぜひ、本書をじっくりと読んで考えてほしいと思います。

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2022/10/17

■「日本解体論」をお薦めします

最近、精神的にあまり調子がよくありません。
もうそれなりの歳なので、もっと寛容になれるはずなのですが、怒りや失望感から抜け出せないばかりか、いらだってしまうことがむしろ多いのです。

そんななか、昨夜、「日本解体論」という白井聡さんと望月衣塑子さんの対談をまとめた新書を読みました。生々しい「事件」や「個人」が具体的に語られていて、実に面白かったのですが、あとがきで、白井さんが次のように書いていました。

私はいらだってきた。劣化と腐敗を目にしながらそれを指摘しない人々、それに目をふさぐ人々、そしてさらには、奇妙奇天烈な理屈をこねくりまわして「悪いのは野党」「悪いのはリベラル」等々のプロパガンダを垂れ流す、おそらくは毒饅頭でお腹が一杯になった連中を少なからず見てきたからだ。

私が最近陥っている「いらだち」も、同じものだと気づきました。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、この本を是非とも多くの人に読んでほしくなりました。前半はいささか冗長で退屈ですが、後半はとても具体的で興味深いです。
毒饅頭好きの人がますます増えている状況の中で、こうした議論がまだ出版されるところにわずかな光を感じますが、白井さんの気持ちがとてもよくわかります。

1000円で入手でき、しかも対談形式なので気楽に読める本です。
読んでもらえるととてもうれしいです。
読んで話したくなったら、ぜひ湯島のオープンサロンに話しに来てください。

 

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2022/10/12

■対立よりも共創

久しぶりに昔読んだ2つの政治関係の論文を読みました。
カール・シュミットの「政治的なものの概念」とハンナ・アーレントの「真理と政治」です。最近、「友」と「敵」、あるいは「嘘」の捉え方がよくわからなくなってきたからです。

私自身には、友とか敵とかいう概念はあまりありません。
しかし、どうも世間の多くの人たちは、「友敵理論」に支配されているのではないかと思うことが最近多いからです。
たとえば、最近、湯島のサロンでフェミニズムが話題になりましたが、フェミニズムを語る女性たちの男性への敵対意識を強く感じました。
ウクライナ戦争への対応でも、国葬議論でも感じました。

嘘の問題も私の関心事です。
嘘と真実は敵と味方を分かつ基準を示唆しているとも思っています。
つまり嘘と真実はコインの裏表だと思っているのです。
そう考えると、アーレントが言うように、真実を語ることは反体制的な行為になることも納得できます。
さらに言えば、学問のあり方にもつながる話です。

そんなことから、シュミットとアーレントを改めて読みたくなったのです。

全く忘れていましたが、「真理と政治」にこんな話が出てきました。
ホメロスが、「イリアス」で、ギリシア側の行為ばかりかトロイア勢の行為をも歌い、自分と同族の英雄アキレウスの栄光のみならず、敵であるばかりか戦いに破れたヘクトルの栄光をも賞賛したようなことをあげて、「友と敵、勝利と敗北を平等な眼で眺めることのできた文明はそれ以外になかった」。そしてアーレントは、「この平等な眼は、人間の生の運命にとっては究極的なものであるとしても、ホメロス以来、人間の判断力の究極的な基準とは認められていない」と書いています。

日本にもこうした事例はあるような気がしますが、たしかにトロイ戦争ではヘクトルもアキレウスもいずれもが讃えられていて、そこには友と敵の「憎しみ」は感じられません。あえて言えば、友と敵をの呪縛を超えた「神の視点」(私はむしろ「生きる人間の視点」と捉えたいですが)がそこにはある。

私は、敵と味方という二元論をどう超えるかが大切だと思っています。
他者を敵と捉えたり味方と捉えたりしたとたんに、世界は小さく窮屈なものになってしまうような気がします。ただし「生きやすく」なるかもしれません、考えなくてもよくなりますから。

非難や否定からは何も生まれませんから、私はみんなで一緒になって創り出す「共創」を基本的な生き方にしています。そのために、どんな人や制度にも、そこにある私にとって共感できる「価値」を見つけ出そうとしています。
そういう生き方はいささか疲れます。

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2022/10/03

■政治と宗教に関して問題提起してくれる人はいないでしょうか

自民党と「統一教会」とのつながりに関しての報道はどうも違和感があります。
私の感覚とは大きくずれています。
何をいまさらという感じがしてなりません。
「何をいまさらという」というのは、最近のマスコミ報道すべてに関して私が感じていることですが。

この種の話は、これから縁を切ればいいというような話では全くありません。
その縁によって選ばれたとすれば、それこそを無効にすべきだろうと思います。

さらにいえば、宗教法人というだけで、ある信頼感を得られるはずです。
しかも宗教法人に認定されれば、税制面でも優遇されます。
そこにまさに政府が加担しているとも言える気がします。
つまり宗教組織と政権の利害はつながっているのです。

私自身は、そもそも宗教と政治は切り離せないと思っています。
いずれも強い理念性と暴力性(呪縛性)をもっているからです。
政教分離が古来大きな話題になっていることがその証です。

統一教会だけが問題にされていますが、すべての宗教組織につながる問題ではないかと思います。
もっとも「統一教会」を宗教組織というかどうかは、また別の問題ですが。

この問題も湯島のサロンで取り上げたいのですが、その取り上げ方が難しいです。
抽象的な「言葉のやりとり」にはしたくありません。
どなたか自らの体験をベースに問題提起してくれる人はいないでしょうか。

 

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2022/10/01

■映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」を観ました

今日は疲労回復のための休養日と決めて在宅していましたが、在宅して何もしないのは退屈で休養になりません。休養というのは難しいものです。

それで午後、先日録画していた映画「モーリタニアン」を観てしまいました。
昨年公開されたジョディ・フォスター主演の映画で、9.11後、グアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づいて映画化した法廷サスペンスドラマです。
https://kuronuri-movie.com/
あまり評判は高くなかったのですが、アメリカがどのくらい事実を公開するのを許容するのかに興味を持っていました。

映画としては、正直、退屈でしたが、アメリカと日本の違いを改めて感じました。
グアンタナモ収容所の実情が、実に生々しく描き出されているのです。
もちろんそれに対する政府の対応も、ラムズフェルドはもちろん、ブッシュのみならずオバマの対応も、です。国家政府というものの恐ろしさや陰謀が明らかにされているのです。
「陰謀」という言葉を使うと、日本ではまだきちんと聴く耳を持たない人が多いですが、「陰謀論」はともかく、「陰謀」は政治の世界ではいつの時代も日常茶飯事のはずです。そこへの想像力を持つためにも、映画や小説はとても大切です。

この映画のサブタイトルには「黒塗りの記録」とありますが、情報公開されたほとんど黒塗りの文書の原本はしっかりと残されていて、しかもある手続きできちんと読めるのがアメリカのようです。
日本と違い、政府がきちんと記録文書を管理しているうえに、それを読もうとする人がいて、その気になれば読めること。しかも、それを題材に映画を作る人がいて、政府もそれを認めていること。官僚組織が崩れてしまった日本とは全く違います。
まあそれに感心させられたのです。

映画としては私には退屈でしたが、検事側に立つベネディクト・カンバーバッチが好演していました。宗教と政治の関係を考える上でも、とても示唆に富むものでした。
ちなみに、「モーリタニアン」がグアンタナモ収容所から解放されたのは2016年。まだ6年前の話なのです。

私たちは、そういう社会に生きているのです。

 

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2022/09/28

■もうじき戦争が起きそうな気配です

昨日は、安倍元首相の「国葬」でした。
その時間、湯島で「政治を自分事と考える」をテーマにサロンをしていました。
国葬は話題にしたくもありませんでした。

参加者は私をいれて8人。なかには国会での国葬反対デモに参加して、途中から参加してくれた人もいます。
基本的にはおそらくみんな「国葬」に違和感をお持ちの方です。
まあ私には、まともに生きている人なら当然「反対」だと思いますが、私の友人にも献花に行った人もいます

フェイスブックには下記投稿をしました。

儀仗兵、空砲、軍歌、そして2万人を越える献花者の行列。
いまの日本の政治状況を見事に象徴しているような気がします。
日本もロシアとそう違わない状況にあるのだなと思い知らされました。
私は1日遅れで、喪に服します。

娘が、銃弾に倒れた人を銃砲で送るとはどういうことだろうと言っていましたが、同感です。
しかし、安倍さんがそうであったように、みんな戦争が好きなのでしょう。ウクライナ戦争の報道の時はあんなに戦争反対の声をあげていたのに、どうして戦争に向かおうとしていた安倍さんには献花するのでしょう。
まったく理解できません。

ちなみに、私が喪に服するのは、日本社会の死を意識してです。
献花に並ぶ人を見て、戦争の近さを感じました。

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2022/09/26

■考えることの大切さ

朝から3時間、YouTubeデモクラシ-タイムスで、914日に開催されたシンポジウム「国葬を考える」を視聴してしまいました。
主宰者の國分功一郎さんやパネリストの石川健司さんなどみなさんが、ともかく「考える」ことが大切だといっていたのが印象的でした。
ただ「反対」するだけではなく、いまなぜ「国葬」なのか、そしてその後、なにが始まるのか、を自分の問題として考える人が増えるといいと思っています。
https://www.youtube.com/watch?v=rU3niles4-U

先週から今週にかけて、湯島で3回のサロンをやっていますが、「国葬」をテーマにしてはいないのですが、私の中では、いずれもそうした問題につながっているのです。
昨日も少し話させてもらいましたが、「考える」ことをやめたら、もう人間とは言えないでしょう。
考えることをやめてパンのために生きるのは楽ですが、やはり私は最後まで人間として生きたいので、國分さんが以前著書で書かれていたように、バラを大切にしたいと思っています。バラにはトゲがありますから、避けたい気分も強いのですが。

 

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