カテゴリー「政治時評」の記事

2020/09/16

■安倍政権が残してくれた遺産を大事にしなければいけません

新しい自民党の4役と菅内閣の閣僚が発表されました。
コメントするとまた異論をぶつけられそうなのですが、ちょっと安心しました。
明らかにリリーフで終わりそうです。新しいメッセージが感じられません。
内心、さらに一歩「ナチス」化が進むと危惧していましたが、要するに安倍政権の亜流でしかないように思います。

分裂した野党のそれぞれの新しいメンバーも発表されましたが、何かが変わるような気がしません。
聞くところによると、山本太郎さんのれいわが資金的に苦戦しているようです。
まあとりあえずできることは、れいわへの寄金でしょうか。

今朝の朝日新聞の投書欄に、67歳の青森県在住のおばさんの「目覚めた私 安倍さんのおかげ」という声が載っていました。こういう人が多いといいのですが。全国のおばさんたちが、目覚めてくれたら、間違いなく歴史の流れは変わるでしょう。おじさんたちや若者には期待できそうもありませんが、おばさんの力には大きな期待があります。

安倍政権が残してくれた遺産を、大事にしなければいけません。

Asahikoe2

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2020/09/13

■大坂なおみさんのメッセージ

黒人差別への抗議を込めて被害者の名前が書かれた黒マスクをつけて入場しつづけて、大坂なおみさんが全米オープンで優勝しました。
経済行為に堕したスポーツにはほとんど興味をもたない私ですが、感激しています。

大坂なおみさんの行動と発言には、大きな希望を感じます。
自分が持つ力の使い方に気づき、実際に実践した大坂なおみさんの誠実さに学びたいと思います。
だれもが「力」を持っている。それを活かすことで社会は変えられるのです。

とても元気づけられるメッセージです。
そこに大きな「愛着」を感じます。

 

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2020/09/09

■みんな広い世界を忘れてしまったのでしょうか

最近のテレビや新聞を見るにつけ、安倍政権がこんなにも国民の多くに支援されているとは思ってもいませんでした。安倍首相が辞任し、政治の流れが変わると思っていましたが、変わるどころか路線強化されそうです。

さらに嘘がはびこり、事実は改ざんされ、隠蔽が正当化され、格差は広がり、経済は悪化することはたぶん間違いないでしょう。生活実態とは無縁の経済成長率や株価といった人為的な指標は改善されるでしょうが、それらは多くの人の実際の生活とは無縁の話です。
にもかかわらず多くの人は安倍政権路線の継続を希望しています。
おそらくみんな他の世界を忘れているのでしょう。

たとえば消費税。消費税を廃止したら社会保障などの財源はどうするのかという人がいます。そういう人は消費税ありきで考えています。しかし、税は消費税だけではなく、財源を考えるのであれば、税体系全体を考えなければいけません。
消費税は再配分機能が全くありませんし、そもそも消費に課税するというのは生きていることに課税することにつながりますから、全く論理的でもありません。
何か価値を生み出したとか、利益を得たときに、その一部を税として国家に託すというのが税だと考える私には消費税はまったく理解できません。
与えられた現状で、生きることを前提にみんな生きるようになったのでしょうか。

 たとえ生きるのが大変でも嘘だけはつきたくありませんし、誰かを犠牲にしたくもありません。しかし多くの官僚のみなさんは赤木さんのメッセージを真摯に受け止めようともしない。一体何という国なのか!

3人の総裁候補の記者会見を聞きました。
石破さんの発言を平然と聞いている菅さんの厚顔無恥には驚きました。
恐らく自分のことを指摘されているのだという自覚はないのでしょう。
そんな人に雪崩をうつように寄っていく自民党党員にも驚きました。

この国の流れは、もう止められないのでしょうか。
今回の総裁選挙に「もしかしたら」という期待を持っていた私も、さすがに期待は持てなくなりました。
ただ石破さんの誠実さだけが救いです。

 

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2020/09/02

■コロナ管理社会の先にある世界

最近文庫本になって出版された半藤一利さんの「世界史のなかの昭和史」を読みました。
2か所、とても印象的だったところがあります。
一か所は「愛国心」についてですが、それにつながるような話として、半藤さんはナチス・ドイツと同じような道を日本人は歩んでいるのではないかという懸念を話しています。
こんな風にです。

 “自主的な通報、密告のネットワーク”の脅威。戦争というものはそういう国民の協力があって推進されるものです。それがいいことだと、思考を停止し、信じこむ。集団化された人びとは熱にうかされやすい。画一的で、異質を排除する不寛容の傾向をもち、ときには暴力性をはらむ。共謀罪という法律が、「核兵器もアベノミクスも」と主張する人びとに想像以上に妙な力を与え、危機克服のためにナチス・ドイツと同じような道を日本人に選ばせるようなことが…いやいや、まさかとは思うのですが。

安倍政権への支持率が急上昇し、ナチス路線をとるグループによって、安倍政権の継続がほぼ決められました。「まさか」と思いたいですが、かなり現実感があります。現政権によるナチスの研究はかなり進んでいるようですし。

半藤さんの友人のドイツ国防軍研究の第一人者の大木毅さんは、その著書で、こう書いているとの紹介もありました。

国民の多くの『自主的』な通報、密告のネットワークが、ゲシュタポ(国家警察)の捜査活動を支えたのであった。この例が端的に示すように、ヒトラーは彼の戦争を遂行するにあたり、さまざまな問題をはらみながらも国民の支持を獲得しうる国内体制を固めていたといえる。だとするならば、『ヒトラーの戦争』は、ドイツ人の戦争としても読み解かねばならないだろう。(『灰緑色の戦史』)。

ますます自分の生き方をしっかりと考えなければいけなくなりました。

半藤さんの「世界史のなかの昭和史」は面白いです。
安倍首相にだけ目を奪われていると、世界が見えなくなります。

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2020/08/31

■「なぜ安倍首相に辞めてもらいたくなかったのか」

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。
政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。
首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。
それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。
やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。

■「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか」(2020831日)

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

 

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。

 

政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

 

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。

首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。

それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。

やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

 

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。
まさにオーウェルが懸念した世界です。

 

 

 

 

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2020/08/30

■安倍さんには辞任してほしくはありませんでした

安倍首相が辞意を固めました。
安倍首相の退陣を求めていた人の反応があまり聞こえてこないのが不思議です。
どこかで祝杯をあげているのかもしれませんが、安倍首相が辞めたところで、私にとってはたぶん状況は変わらないでしょう。
そのことは、数年前の民主党政権が成立した時に学びました。

湯島のサロンでも時々話題になっていましたが、問題は安倍首相にあるのではなく、安倍首相のような人が長く首長の座を占め続けられる政治体制(システム)なのだろうと思います。
もちろん、その「システム」を構成している重要な要素のひとつは私たち国民です。
そして政治の構造原理は、システム対個人へとパラダイムシフトしています。

たぶん首相が安倍さんから石破さんに変わっても、さらには枝野さんや志位さんに変わっても、いまのシステムからは抜け出せないでしょう。そこに「個人」起点の発想がないからです。
ますますシステム自体が主役になっていく不安を感じます。

安倍さんには辞任してほしくはありませんでした。
これですべてが免責されるような気配もあります。

政党政治はもう終わりにしてほしいです。

 

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2020/07/25

■生活者としての目覚め

最近のマスク顔だらけの風景を見ていると、ヴァーツラフ・ハヴェルの「力なき者たちの力」に登場する青果店の店主のことを思い出してしまいます。

共産党支配下のチェコで、「全世界の労働者よ、一つになれ!」という党のスローガンを店先に貼っていた店主のことです。彼は、別に主張があったわけではなく、そうしないと目立つからという理由で、スローガンを貼ったのですが、その行為こそが、社会の「ゲーム」を生みだし、ゲームのプレイヤーとなり、ゲームの継続を可能にし、つまりゲームを本物にした、とハヴェルは言います。
社会を成り立たせているのは、安倍首相のような権力者ではなく、そうした青果店の店主たちだとハヴェルは言います。

ハヴェルは、体制を変えるのは、野党や「反体制知識人」ではなく、そうした店主たちが、真実の生に目覚めて、スローガンを貼るのをやめれば、それで社会は変わっていく、いやそれ以外では変わらないと書いています。
実際に東欧は、そうして、「自発的の全体主義」から抜け出したのです。

与えられた「嘘の生」から抜けて、自らの尊厳を思い出して、「自らの生」を自由に生きる「生活者」になる。何も考えずに従うのではなく、おかしいと思ったら、自分で考えて行動する。裸の王様を見たら、「王様は裸だ!」と言えばいい。そうした人たちが、社会を変えたのです。
日本人は同調圧力に弱いなどと物知り顔に解説するのではなく、あるいは政府をこきおろすのではなく、自分はどうしたいのかを考えて、自分を生きればいい。

Go-Toトラベルがいいとか悪いとか東京都と国の政策が違うとか、そんなことはどうでもいい話で、大切なのには自分がしっかり考えて行動することです。そうすれば、新型コロナも、たくさんあるリスクのひとつでしかないことに気づくでしょう。マスクも、必要だと思う時にするようになるでしょう。

私には、いまの日本人は、北朝鮮の国民と同じように思えてなりません。
いやハヴェルが「力なき者たちの力」を書いた時代のソ連統治下のチェコと同じ。
だから、ハヴェルの書いた「力なき者たちの力」(人文書院 2200円)を多くの人たちに読んでほしいと思います。

チェコを民主化し、大統領になったハヴェルは、こう書いています。

政治的な力は、体制の変化を行なう点にあるのではなく、「ここと今」という、より良い生を賭けた日々の現実の戦いの中にある。

そして、ハヴェルはその戦いを実現したのです。
政治は国会議事堂や政党の中にあるのではありません。
いまだに「野党統一戦線」とか言っているようでは、何も変わりません。

立派なイデオロギーやビジョンよりも、いまここで直面している問題に誠実に直面して、自分で考え自分で納得した行動をとればいい。それこそが、「下からのイニシアティブ」が生まれてくる起点です。政治は「生活」から始まり、生活で終わるのです。
山本太郎さんは、そういう政治を目指しているように、私には思えます。
だから、日本の政治状況を変える唯一の希望に思えるのです。

私は「生活者」という言葉は、誰にでも通ずる言葉だと思って、説明も付けずに使っていましたが、複数の人たちから「生活者」ってなんだと質問されました。
どうも「生活者」という言葉は、まだなじみにくい言葉のようです。
消費者や労働者、生産者という言葉は、説明なしで通ずるのに不思議です。

それで81日に「生活の視点で政治や経済を考えるサロン」を開くことにしました。
私が考える生活者とは、自分の生活を大事に生きている人という程度のことなのですが、ハヴェルが言う、「真実の生」を求める「ディシデント」につながるところがあります。
もっとわかりやすく言うと、財務省の赤木さんの奥さんのような人です。

よかったらサロンにご参加ください。

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2020/07/13

■そろそろ共依存の政治から抜け出ましょう

都知事選で感じた事や思ったことをテーマにしたサロンを2回開きました。

いろんな意見を聴かせてもらいましたが、参加者が山本太郎さんに好意的な人が多かったので異論をぶつけ合えずにちょっと残念でした。
投票前にフェイスブックで私が山本太郎さんへの支持を表明したところ、厳しい意見をもらいましたが、サロンでは残念ながらそうした反論には出合えませんでした。

フェイスブックでのコメントは、いずれも山本太郎さんへの非難的なものが多かったのに大きな違和感がありました。
選挙前に個人を非難するのは私の好みではないので、小池さんを非難するのも私にはフェアには感じません。選挙はマイナス面ではなく、プラス面で選んでいきたいと私は思っています。みんな自分がないので否定することが好きなのでしょう。さびしい話です。

なかには、山本太郎さんは具体的な政策がないなどという、とんでもないコメントもありました。その人はたぶんホームページサイトも読まず、スピーチも聴いていないのでしょう。山本太郎イメージがすでにあるのでしょう。
小池さんのカイロ大学卒業がどうのこうのと議論するのが好きな人が多いように、ともかく学歴主義の人が多いのには驚きます。大学も出ずに国会議員ができるのかという、学歴コンプレックスに侵されているのでしょう。そうした「政治家像」を見直し、臣民根性から抜けでなければいけません。

そういう人たちは、大学で覚えたプラスチックワードの羅列で世界が見えていると思っているのかもしれません。しかし、現実の世界は、もっと意味のある生きた生活用語で成り立っています。そういうことは大学では教えてくれませんので、自分で学ばなければなりません。大学で、ただただ教えられることを熱心に記憶しているだけでは、世界を見る自分の目は死んでいきます。知識に覆われてしまえば、現場に触れても、その現場が見えなくなってしまいかねません。

今回の都議選は、よほどのことが起きなければ小池さんの再選でした。
宇都宮さんの立候補の意味は、小池都政の問題を可視化することでした。
これまでの経験から考えて、宇都宮さんには「よほどのこと」を起こすことは考えられませんでした。

山本さんは、もしかしたら「よほどのこと」を起こし、これまでとは全く違った状況を生み出す可能性を秘めていました。
新しい風は、論理の積み重ねからは生まれませんが、追い込まれた状況の中では、情動的に非連続の風が、トリックスターによって引き起こされる可能性があります。

格差状況の深刻化とコロナ騒ぎによる抑え込みで、都民の生活状況はかなり追い込まれていて、もしかしたら大きな風が起きるかもしれないと私は期待したのです。
もちろんそこには、ファシズムのような危険性がありますが、新しい風とはそういうものです。現状を変えたいのであれば、そうした危険を背負い込まなければいけません。

問題は、「よほどのこと」が起きてもいいという覚悟を持つかどうかです。
その覚悟がないのであれば、結局は現状維持を受容しなければいけません。つまり小池都知事継続に愚痴を言いながら受け入れるということです。
愚痴を言い続けられる快感を選ぶ人が多いような気もしますが、もしそれを避けたいのであれば、せめてトリックスターによるコンヴィヴィアルな風起こしの邪魔をやるべきではありません。
それくらいの知恵は、現場で生きてきている真摯な人ならわかるはずです。

今回、宇都宮さんを支持した人たちを非難するつもりはありませんが、要するにそういう人たちが結局は正統的な選挙を守り、小池再選を支持したとも言えるでしょう。だからそういう人にとっては、この都議選を総括し反省する必要もないのでしょう。むしろ、「予想通りの結果になった」と満足していることでしょう。

現在のほぼすべての野党が、自民党と共依存しているように、要するに同じ土俵での政治を守ったわけです。それでは状況は変わりません。いや、たぶん意識の奥では、変えたくなかったのでしょうから、満足しているといってもよいでしょう。

友人がこんなメールをくれました。

(山本太郎さんには)いろいろ批判がありますね。特に、左陣営から。
いったいなぜ、そんなに批判されなくてはならないのか、
もちろん完璧ではないですが、彼の志に嘘はないと、私は思っています。

私も同感です。宇都宮さん支持者からの山本太郎批判は厳しいものでした。
そこに、宇都宮さんを支える人たち(宇都宮さんではありません)の本質が感じられます。

ちなみに山本太郎支持者は宇都宮さんを非難はしていなかったように思います。
山本太郎さんもその支持者も、政治の新しい流れを創りたかったのです。
政治家の政治、専門家の政治ではなく、生活者の政治、生きにくさの中を一生懸命に生きている人たちの政治を、です。

山本さんの政策には確かに矛盾したものも含まれていたかもしれませんが、その理念は明確でした。政策の実現可能性に対する姿勢も誠実でした。ですから、実際に政治に取りかかれば、理念によって政策もまた整理されていったでしょう。そうしたことへの寛容さを、山本さんはむしろ素直に出していたのです。つまり、教条主義的で上から目線ではなく、現実に立脚した共創的な生きた政治を目指していたのです。

山本太郎さんは、百合子山は高かったと言っていますが、高かったのは「百合子山」ではなく、そのすそ野に広がる政治家政治を信奉する「高学歴者村」の高さではなかったのかと思います。

未練がましくも、81日か2日に、政治の枠組みを話し合うサロンをもう一度やろうと思います。関心のある方はぜひご連絡ください。参加者が多い日を選びたいと思いますので。

 

 

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■湯島サロン「都知事選で感じたこと、考えたこと」報告

「都知事選で感じたこと、考えたこと」を自由に話し合うサロンを2回、開催しました。
1回目は10人、2回目は9人。連続して参加した人は私を含めて2人でした。
残念なのは山本太郎さんに好意的な人が多く、山本太郎さんを非難していた参加者がいなかったことです。そういう人たちが今回の都議選を無意味なものにしたと私は思っているので、そういう人と話したかったのですが、実現できませんでした。

話し合いの内容は一切省略します。
書き出すと際限がなく、私自身の意見も書きたくなりそうだからです。

しかし私には、参加者の話はいずれもとても示唆に富む話でした。
無責任に頭だけでやり取りする話ではなく、自らの投票行動を踏まえての話が多いので、心に響きます。

選挙に関して話し合うことはあまりないので参加したという人がいました。
そういえば、選挙終了後に、選挙結果を話し合う場はそう多くないかもしれません。
今回は、投票日前にもサロンをしましたが、そうしたことの意味を感じました。

折角の選挙が行われるのであれば、その前後に、選挙権者としてもっと話し合う文化を育てていくことが大切だと思いました。
よく「投票したい人がいない」などという人がいますが、そうした他人のせいにして政治(投票するという市民の責務)から逃げている人をいる限り、みんなにとっての住みやすい社会には向わないでしょう。

参加者のひとりは、学校も休みだったので中高生を含めて、毎日、政治論議で家庭がにぎわったという話をしてくれました。そういう家庭が増えれば、状況は変わるでしょう。
都知事選に関心を初めて持って、投票にも行ったという人がいたのも実にうれしかったです。

今回の立候補者で、政策を具体的に考え公開していたのは、山本太郎さんだけだったと思いますが、フェイスブックなどを読んでいると、残念ながら山本太郎さんのスピーチを聴くこともなく、山本太郎さんをこき下ろした人が少なくないように思います。
私もそういう人からメールも含めていろいろと厳しいコメントをもらいましたが、ネット上の話し合いの無意味さを改めて感じました。

これからは選挙のたびに、投票日前後のサロンをやろうと思います。そうした動きが各地で広がるといいなと思います。共感した人がいたら、ぜひお願いしたいです。
いずれにしろ今回、山本太郎さんのスピーチをきちんと聞いた人は、たぶん次回も投票に行くでしょう。誰に投票するかどうかは別にして。

ひとつだけ書かせてもらえれば、今回の選挙は「政治軸」の枠組みと「政治家」像の問い直しが関わっていたと思いますが、それがあまり意識されていなかったことを改めて思い知らされました。
サロンでは、それに関連して、「お上論」が話題になりましたが、「お上による政治」の下での「臣民」意識から抜け出せない人がまだまだ多いのかもしれません。

それに関して、近々サロンをさせてもらおうと思います。
もう国会を舞台にした政治権力争いの政党政治から解放されたいと思いますが、まだ古い枠組みで考えている人がほとんどなのが、とても残念です。

今回の都議選で見えてきたことがたくさんあります。
それを忘れないようにしたいです。

 

 Togisen20200711

Togisen20200712

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2020/07/06

■都知事選の結果に思うこと

都知事選が終わりました。
一晩開けて、改めて失望感がわいてきました。

新しい風は起こりませんでした。
政治状況を変えるには、新しい風が不可欠です。
論理や戦略では状況は変わりません。

状況を変えるのは呪縛された「知性」ではなく、新しい「知性」です。
状況が変わるときには、これまでの知性や権力やメディアは重しになります。
今回、それを改めて確認しました。
終わった知性やシステムが、これほどに社会を支配しているかと思い知らされました。
彼らは重しになりこそすれ、新しい風は起こさないでしょう。

もし新しい風が起こるとすれば、知の周辺からであり、山を動かすのは山を支えている無数の生活者です。
今回は、その風を起こすトリックスター役が山本太郎さんでした。
これまでの政党政治の殻を破る可能性がありましたが、コロナとマスコミの力が風が起こるのを防ぎました。

みんな現状継続を選びました。
たしかに現状を維持すれば、ほどほどの安定は得られるかもしれません。
しかし、私にはもっとたしかな「安定」がほしかった。
生きている「安定」が。

 

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