カテゴリー「政治時評」の記事

2009/11/15

■政治家の誠実さ

岡田外相がテレビの討論番組で沖縄米軍基地の問題について話していました。
その話し方の誠実さに感心しました。
これほど誠実に話している政治家はそう多くはいないように思います。

少し雰囲気は違いますが、その誠実さを鳩山さんにも感じます。
誠実な政治家がまた日本にも生まれだしたように思います。

10年以上前、私が事務局長をやっていたリンカーンクラブというグループの集まりに鳩山由紀夫さんをお呼びしたことがあります。
50~60人ほどの集まりで、もちろん政治をテーマにした集まりです。
少しお話をしてもらい、あとは会場の参加者と自由に話し合うという、私好みのカジュアルなスタイルでしたが、その時に感心したのは、鳩山さんが人を選ばずに全ての人に誠実に対応しようとする眼差しでした。
その集まりでは、毎年、いろいろな人をお呼びしましたが、鳩山さんの、素人っぽい対応がとても印象的でした。

当時は、自民党や社会党などの政治家とも少し接点がありましたが、普通の目を感じたのは鳩山さんだけでした。
目線が高かったのは、自民党と社会党でした。
社会党の目線の高さには驚きました。
もう昔の話ですが。

ところで、政治家の誠実さとは何でしょうか。
長いこと自民党の政治家をテレビなどで見慣れていたせいか、民主党の政治家の多くはみんな誠実に感じますが、しかし岡田さんと鳩山さんは私には別格に映ります。
鳩山さんの意見がぶれているという人もいますが、私にはぶれは感じません。
岡田さんと鳩山さんは、たしかに違いますが、私にはそれぞれの誠実さを感じます。
もしかしたら、眼差しがポイントなのかもしれません。

人の誠実さはどこに現れるのか。
岡田さんと鳩山さんを見ていると、なにやら安堵できるのは、私が贔屓目すぎるからでしょうか。
人としての誠実さと政治家としての誠実さは違うのかもしれませんが、この2人を見ていると政治への信頼が戻ってきます。
勘違いでないことを祈ります。

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2009/11/12

■「私の話も聞いてください」

政府による「事業仕分け」作業が始まりました。
その様子をテレビで見た友人からメールが来ました。
一部だけ引用します。

私もネット配信で少し見ましたが、暴力的な印象は否めませんでした。
地方での事業仕分けもこの傾向があったとは聞いています。
佐藤さんはどのように思われますか?
産経新聞の記事にこういうのがありました。
文部科学省の所管事業を担当した第3ワーキンググループでのやりとりです。
蓮舫参院議員が「女性教育会館の稼働率は?」とたたみかけると、同館の女性理事長は「44%…」と小さな声で答えるやいなや反撃に転じ、「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」と声を荒らげた。
この場面はテレビでも流れました。
友人はおそらくこの理事長に同情したのでしょう。
そういう人も少なくなかったのではないかと思います。
テレビは、映像のモンタージュ効果を今回も効果的に利用しています。

その場面を見て、私は、その理事長はこれまでずっと自分が「私の話」だけを話していたのだろうなと思いました。
誰かの話を聞く謙虚な姿勢があれば、決して、事業仕分けの対象事業にはならなかったでしょう。
「私の話」だけしか話し続けずに、自己正当化だけで生きてきた人の貧しさを感じました。
それに、今回は質問に答える場であることを彼女は全く理解していませんでした。
状況の理解力やコミュニケーション能力がまったくないのでしょう。
そういう官僚は少なくありません。
なぜなら彼らにとってのコミュニケーションは、お上の伝達でしかなかったからです。
「私の話も聞け」だったのです。
それはコミュニケーションではありません。

専門家と市民が一緒になって技術評価をするコンセンサス会議に取り組んできた小林傳司さんがその著者で書いています。
「専門家は市民が学ぶことに驚く。しかし市民は専門家が学ばないことに驚く」
とても示唆に富む言葉です。
そしてこの主語を他の言葉に置き換えると、いろいろなことが見えてきます。
「行政と住民」「企業と顧客」などなど。

仕分け作業の場合はどうでしょうか。
学ぶべきは誰か。
何のための作業なのか。

私は、上記の女性理事長のような人が無駄遣いの元凶だと思います。
彼女たち、彼らたちが、「善意」でこの国をだめにしてきたのです。
それに気づいてほしいものですが、彼女はおそらく生涯気づかないでしょう。
私の周りにもそうした人たちがたくさんいます。
私が人生を途中で降りたのは、そうなりたくなかったからです。

しかしそうなっていないかどうかには自信はありません。
まだまだ私憤が残っているのは、やはり同じ土俵で生きているということかもしれません。
困ったものです。

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2009/11/11

■八ッ場ダム建設問題と住民の生活保障問題

朝日新聞の夕刊に乗っていた小さな記事です。

八ッ場ダムを巡って、民主党群馬県連所属の7人の衆参議員団は、11日、中止後の新たな生活再建策について提言をまとめ、前原誠司国土交通相に手渡した。国、県、地元の長野原町などと住民で新しい生活再建案と補償案を策定する協議機関を設け、地元住民の意向を踏まえて、国が再検案を示していくことを求めている。
ダム建設はマクロ的な問題です。
それに対して生活保障は住民一人ひとりのミクロ的な問題です。
次元も違えば、問題の性質が全く違います。

日本のこれまでの政治は、マクロ優先でした。
それが中央集権・地方分権の政治パラダイムです。
つまりマクロ(お上)に個々の住民(民)が合わせられていたのです。

それに対して、生活起点での政治はミクロから発想します。
それが地域主権・住民主役の政治パラダイムです。
住民(主権者)の生活を支えていく政府という発想です。

ダム問題がやっと生活視点で語られるようになったことを、この小さな記事は教えてくれます。
ダムが問題ではなく、仕事や生活が問題なのです。
問題の設定を変えるだけで、新しい解決策は見えてきます。
これはダム問題に限りません。
沖縄の基地問題も、問題の設定の次元から考え直したら違った展望が見えてくるかもしれません。

それは全ての問題にいえることです。
自民党政権とは違った発想で問題を立てている新政権の姿勢を私たちはもっと肯定的に評価すべきではないかと思います。

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2009/11/08

■罪を償わない政治家と経済学者の厚顔無恥

今朝、テレビの時事放談に自民党議員だった野中広務さんが出ていました。
日本の政治を私物化して破壊した張本人の一人ですが、よくまあこんなことが言えるなと思うことを毎回発言しています。
彼は警察官僚ですから、自らが正義で、敵を執拗に破壊する姿勢をもつと同時に、自らの正義を実現するためには手段を選ばない狡猾さに長けています。
細川政権の攻撃の際の姿勢は、国のことなど全く考えない暴力団の抗争のようなやり方でした。

とまあ、時評を再開しだした途端に、過激になってしまいましたが、国会での議論などで、議論されているさまざまな問題を起こし、解決するどころか問題を増幅させてきて、破綻直前まで持ってきた自民党の政治屋たちが、熱心に問題解決に取り組もうとしている新政権の行動を、自らのしたこと、してこなかったことを棚にあげて、お気楽に非難している無責任佐藤修ぶりに、心底、腹が立っています。
まさに「盗人の開き直り」。自民党の政治家は全員、罪を償えと言いたい気分です。
しかし、ジャーナリストも有識者も、そうした罪の片割れを担っていますから、そういう発言をする人は少ないです。
テレビのコメンテーターに関しては、もうどうしようもありません。

金儲け主義で経済をダメにしたことに加担した経済学者や経営学者も、私には腹立たしい限りです。
要領のいい中谷巌さんのような小賢しい人はともかく、多くの人はだんまりを決めていますが、今なお自分のやったことの意味などわかっていないのかもしれません。
まあ、人ごとではなく、私も偉そうなことは言えませんが、一応、1980年代に会社にいて、このままではどうやらおかしな方向に行きそうだと感じて、会社を辞めて以来、それなりに少しは自らの生き方を変え、活動もその方向でやってきました。
おかげで、自分自身の生き方にはあまり悩むことはありません。

人は間違いを犯すものです。
ですから政治家も経済学者も、この30年をきちんと総括して、もし間違いがあれば(間違いがなければ今のような日本にはなっていないはずです)、そこを正し、これからの視点で、新たな努力をしている人に加担していくべきです。
野党だから与党に反対しなければいけないわけではありません。
間違いを犯した経済学者や経営学者も、私欲を捨てれば、新しい状況を生み出す働きはできるはずです。

時評を書くのは、やはり精神健康上、よくありません。
しかし、誠実にがんばっているように思える長妻さんや岡田さんを見ていると、やはり時代から離脱するのは恥ずべきことだと思います。
自分のできることをやっているだけではなく、
時代の動きにはきちんと対峙していくべきだろうと思います。
そうしないと、生きている意味がありません。

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2009/11/07

■情報の非対称がもたらす無駄

社会が抱える問題はあまりにもたくさんあるため、なかなか一つひとつにきちんと向かい合うのは難しいです。
しかし、当該地域の住民たちには切実な問題ですから、真剣にとりくまなければいけません。
しかし、それが可能になるためには「情報の非対称」を克服する姿勢が、情報をたくさん持っているほうになければいけません。

たとえば、宮崎県の川南町の「切原ダム」の報道を見ると、むしろ「情報の非対称」が国や県によって利用されているように感じます。
宮崎県の知事には私は全くと言っていいほど信頼感を持っていないので、いささか厳しすぎる評価かもしれませんが、県による詐欺行為としか思えません。

私が、民営化や市場システムに立脚する考えに懐疑的なのは、あるいは民主主義制度に懐疑的なのは、情報の非対称を克服することは現実には不可能だからです。
むしろ「近代社会」の諸制度は「情報格差」によって支えられているというべきです。

情報の非対称性が存在する場合、取引の当事者のいずれか一方だけの不確実性が高くなる。情報の非対称性は、情報優位者にとって有利な結果をもたらし、市場の取引が円滑に進まなくなってしまう場合がある。

2001年にノーベル経済学貧を受賞した経済学者アカロフは、情報の非対称性が存在する市場システムでは非効率性が発生することを証明しました。
アカロフの指摘を待つまでもなく、そんなことは生活は百も承知です。

切原ダムの事例では、当該地域の農民たちは国や県が少しずつ出す情報に振り回されて、少しずつ妥協してきました。
しかし、そうした行動が自らの子孫たちに大きな負担を残すことにようやく今気づいてきたのです。
しかしすでに時は遅いのです。
資本の道化役の東国原知事の本質は、前回の衆議院選挙立候補で露呈したはずですが、まだまだ農民は従順な生き方から抜け出られません。
明治維新以来の学校教育の成果の凄さを感じます。
私たちはまだ「お上」の声にはどこかで従順になる心根を持っているのです。
こんなことを書いている私も、おそらくいざとなると同じでしょう。
お上に反発することとお上に従順なことは同義です。

この「情報の非対称」がもたらす大きな無駄は、しかし、時に社会を大きく壊しかねません。
今の国会議論を見ていると、それを感じます。
脱官僚を成し遂げるには、この「情報の非対称」に対して、別の舞台設定が必要なのですが、そうしたことを考える知恵者は民主党にはどうもいないようです。
その理由は、情報の非対称の構造の中で、彼らが権力を勝ち取ってきたからです。
情報構造のパラダイム転換ができないのです。
私は、唯一、情報構造のパラダイム転換をしているのは鳩山首相だけのような気がします。
まあ、気がする、だけですが。

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2009/11/02

■終わった人たちの相手をすることの虚しさ

自宅にいる時間が少なくて、国会中継をなかなか見られなかったのですが、ようやく時間ができてテレビを見ました。
なかには中身のあるものもありますが、自民党議員の質問はよくまあこれほどひどい内容になっているのか呆れました。
そのくせ、相変わらずの目線の高さです。
自分たちが撒き散らした問題を一生懸命に解決しようとしている新政府に対して、よくもまあこんなことが言えるものだと思います。
少しはまともかと思っていた加藤紘一さんにいたっては、何をかいわんやです。
こういう人がよく政治家をやっていられるものだと思います。
人間としての人格を疑いたくなります。

政権交代に関するNHKの特集番組を見ていると、自民党がいかに政権不適格政党だったかがよくわかります。
私利私欲しかない人たちの集団になってしまっていたようです。
その番組で、とくとくと話している人たちの話を聞いていると、この人たちには自分がやってきたことの意味など全く理解していないことが伝わってきます。
小沢一郎さんは、好きな政治家ではありませんが、彼が20年かかってやってきたことの意味、そして今のようなやり方をしている理由が最近ようやく理解できるようになりました。

国会審議はもう少し意味のあるものになるかと思っていましたが、相変わらず見ていてさびしくなりました。
途中で見るのをやめてしまいました。

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2009/11/01

■変えることができることとできないことを峻別する知恵

日本航空の再建に対する政府の方針が変わりだしています。
自主再建は放棄されたようです。
つまり、日本航空の経営陣は「経営」を放棄したのです。
いえ、すでに経営は行われていなかったことの責任を放棄したというべきかもしれません。
しかし、そのことは「日本航空はつぶさない」と前原さんが明言した時に決まったような気がします。
あげくのはての「専門家」と称する冨山さんたちのチームへの検討依頼。
前にも書きましたが、冨山さんたちは国税を私用して会社を整理してきた、ただの金融の使い手ではないかと思っている私には、これで日本航空の経営は終わったとさえ思っていましたから、ある意味では当然の帰結です。
経営再建とは、キャッシュフローを建て直すことではありません。
冨山さんたちには、経営などは縁遠い世界の話でしょう。
経営とは「倒産」も含めた真剣勝負でなければいけません。

なぜ日本航空はつぶしてはいけないのか。
つぶすには大きすぎて、社会への影響が大きいとみんないいます。
そうでしょうか。
日本航空がつぶれて、何が変わるのか。
路線の運行は、会社がつぶれても継続は可能です。
会社がつぶれても事業を継続しているところは実際にあります。
会社と事業は分けて考えることができるはずです。
事実、冨山さんたちはそうしてきたのです。
経営など知らなくとも、それくらいのことはできるのです。

八ッ場ダムもそうですが、私たちは大きな存在は否定できないと思いがちです。
しかしそんなことはありません。
国家でさえも、果たして存在する価値があるかどうかは、時代によって吟味されるべきです。
変えることができることとできないことを峻別する知恵を私たちは持たなければいけません。

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2009/10/27

■具体策シンドローム

昨日の首相所信表明に関して、「もっと具体策を」というコメントがマスコミでよく取り上げられています。
だいたいにおいて、「もっと具体策を」などとコメントする人は、コメント能力のない人です。
「もっと具体策」などというのではなく、それこそ「具体的」にコメントしなければ、自分も同じことをしていることになってしまいます。
何も考えずにあら探しをしている人がよく行う発言です。
マスコミが、それを良く取り上げるのは、マスコミ自身も何も考えていないという証拠です。

24日にあるイベントをやり、そこにNHKの報道チームが取材に来て、7時のニュースで流してくれました、会の意図など全く理解しようとしていないので、放映内容は全くの主旨違いで、主催者としては極めて不愉快でした。
まあ、これは私憤でしかありませんが。

昨日、ある人材育成をテーマにした委員会に参加しましたが、そこでも人材強化の短期的な具体策だけが議論されていました。
あまりに馬鹿げているので、少しやんわりとコメントしましたが、明確に賛成してくれたのは一人だけでした。
みんなほとんど考えていないので、私の発言はたぶん伝わらなかったのかもしれません。
みんな「具体策シンドローム」に陥っているのです。
ノーロングタームの嵐は、まだ吹き止んでいないのです。
みんなもう考えるのを止めてしまったのでしょう。
それが一番楽な生き方ですから。

いまこそしっかりと理念やビジョンを考えなければいけません。
それが明確になって共有されれば、具体策など簡単に出てきます。
それがない具体策の積み上げは、徒労と言うしかありません。
今の日本社会は、徒労を再生産する仕組みになってきてしまっているような気がします。

今日はちょっと機嫌がわるいので、いささか身勝手なことを書いてしまいました。
はい。

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2009/10/22

■「元官僚という意識ない」

朝書いた政治時評の蛇足的補足です。
朝読んだ新聞のトップ記事の見出しがどうにも忘れられないのです。「

元官僚という意識ない」斎藤・次期郵政社長が会見
朝はぐっと我慢して、言及しなかったのですが、やはり書くことにしました。
蛇足ではあるのですが。

この言葉は斎藤さんの人物を象徴しています。
私の判断では彩父さんは次のいずれかです。

「嘘を平気でつく人」
「認知症が始まった人」
「官僚の仕事をやっていなかった無責任な人」

さてどれでしょうか。
いずれにしろこの人は信頼できません。
しかしどうしてこういう人ばかりが偉くなるのでしょうかね。
一度でいいから真面目に働けといいたいです。

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■日本郵政社長人事

しばらくは新政権の動きを好意的に見ようと思っていたのですが、今回の日本郵政社長人事には驚きました。
それはないだろうと愕然としたのです。
でも考えてみれば、亀井さんですからこういう人事でも仕方ないのでしょうが。

何人かの企業経営者の名前も挙がっていました。
その時にも少し違和感がありました。
ともかく昨今の経済状況を引き起こした責任の大半は財界トップの経営者ですが、政治家が知っているのはそうした企業経営者だけでしょうから、出てくる人たちも、私からすれば、すべて「戦犯者」なのです。
せめてもの救いは、その中にバンカーではなく、メーカーが多かったことです。
金融の世界にいた人たちの罪は私には許せないほど大きいのです。

官僚が全て悪いわけではありません。
それに金融の世界での経営ですから、それなりの知識がなければいけません。
ですから大蔵省出身に目が向くのも自然の成り行きです。
しかし、問題はこれまでの金融資本主義を変えるということでしょう。
その路線を志向した小泉・竹中路線の見直しのはずが、それと全く同じ世界の人を選んでしまったのです。
しかも大蔵省です。
さらにさらに、よりによって斎藤さん。
唖然とする人も少なくないでしょう。
民主党政権への期待は大きくしぼんでしまいそうです。

経営は運営ではありません。
経営の基本は「経」、つまり理念です
西川社長のような理念のないバンカーには経営はできません。
金儲けはできるでしょうが、それは経営ではありません。
理念がなくても金儲けはできます。
いや、昨今は理念のないほうが金儲けができるようになってきました。
それを主導したのが西川さんであり、斎藤さんであり、小泉・竹中チームです。
もちろんJALの再生チームも、そうした世界のプロです。
彼らには理念など全くないというべきでしょう。
ですから専門家になれたのです。

日本郵政の理念は何であるべきか。
言うまでもありませんが、私は「友愛」だと思います。
「友愛」で経営ができるかと思うかも知れませんが、「友愛」の思いがなくて経営ができるかと、私は言いたいです。

私の経営観は「経営とは愛と慈しみ」なのです。
だからコンサルタントのお客様が付かないのかもしれませんが。
どうやら生きる時代を間違ったようです。

ちょっと残念だったので、また批判的なことを書いてしまいました。
すみません。

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