カテゴリー「政治時評」の記事

2022/07/06

■〔参院選で考えたこと:9〕同じ思いでも、手段は真反対になることもある

友人のフェイスブックで、参院選投票促進行動シリーズ創作画像の一つ、俳優の大村崑さんのメッセージを読みました。

僕が言いたいのは、戦争は勇ましいもんじゃないっていうこと。ひもじく、つらい日々が、来る日も来る日も、続くんだ。だから有権者はね、戦争しないよう動いてくれる政治家を選ばんと。

同感です。ただ、おそらくこの意見に反対する人はあまりいないでしょう。
みんな戦争などはしたくないと思っているはずです。

問題は、戦争をしないようにするにはどうしたらいいかという実際の行動になると、真反対の選択肢があるということです。
戦争を避けるために核兵器を含めて軍事力を強化しようという人もいれば、逆に非武装に徹しようという人もいる。
ややこしいのは、同じ目的を持ちながらも、その実現策に関しては、真逆の選択がありうるということです。
政治とは、おそらくそうした時には真逆になるような手段のどれを選ぶかを考えることです。話し合いは「勝ち負け」ではなく、お互いの納得できる道を探ることです。

ですから、いわゆる目的で政策を語ってもほとんど意味はないような気がします。
でも多くの候補者も有権者も、目的で議論することが多い。時に「手段」が目的になっている。それでは議論にはなりません。
これは、私が選挙でいつも感ずることです。

目的が同じであれば話し合いができるはずですが、手段が違うということだけで相手を拒否する人が少なくないのも残念なことです。
国会での与野党の議論を見ていても、建設的な議論よりも相手を否定する議論が多く、話し合いにはなっていないことが多いのはこのせいでしょう。

話し合いとは、意見の違う相手からどれだけ学ぶことができるかです。
相手を非難するだけでは何も生まれない。
候補者よりも、私たち有権者の見識が問題になるのが選挙だなとつくづく感じます。

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2022/07/05

■〔参院選で考えたこと:8〕投票先がほぼ決まってきました

先日の湯島のサロン「新しい経済・新しい政治」で、「国家(全体)視点ではなく個人の生活視点で経済や政治を考えよう」という呼びかけをさせてもらいましたが、その視点で今回の参院選の政見放送を見ると、多くの政党がすべて従来型の経済や政治の枠内にあるような気がします。

共産党はまさにその本性を露呈していて、個人の政見放送でさえ、党首の話が半分以上を占めています。要するに個人を尊重していないことを象徴しています。志位さんが言うのではなく、個人の候補者が自分の言葉で同じ理念を語れば、説得力が高まりますし、内容も豊かになるはずですが、それがない。ということは政策展開も期待できないような気がします。

まあしかし、これは共産党だけの話ではなく、個人政見放送なのに、党首が出過ぎな傾向が強まっています。
ということは、政治は明らかに、私にとっては新しい方向ではなく、古い方向に戻っています。システム優位な政治です。

原発再稼働や軍事力増強が堂々と明言されるようになったのも驚きです。
3.11の後、飯館村に言った時、村民の方から「実際に体験してみないと本当の大変さはわからないのかもしれない」というような言葉をお聞きしました。そうかもしれません。こんな短期間に原発不安がなくなるとは思ってもいませんでした。

私が言う「自分」視点という基準は、正確には「自分たち」視点です。なぜなら、自分一人では生きていけませんから、どうしても自分たち仲間視点ということになります。いわゆるコモンズ視点ですが、そのコモンズは自分という個人がしっかりと存在するコモンズ。イヴァン・イリイチの言葉を借りれば、コンヴィヴィアル(自立共生)な仲間というような意味です。

軍事力強化は核保有論まで出てきかねない勢いです。まあ原発と核兵器は同じものだと思いますが、ここでもベクトルは反転するどころではありません。ウクライナの現実に対するに多くの人の反応を見て、日本人はいつからこんなに好戦的になったのかと驚いています。

物価高対策が大きな論点になっています。フェイスブックで友人が「参院選の国民の関心事トップは「物価対策」だと。。家畜か、おめーら」と嘆いていましたが、ついつい「超いいね」を押してしまいました。でも考えてみると、家畜は与えられた餌をただ食べるだけなので、「物価」などは気にしないでしょう。

それはともかく、前に書いたように、問題は「物価」ではなく「食の安全」や「食の自給」だと思います。それこそが、政治に期待することだと思いますが、そこにはなぜか国民の関心は向かいません。政策に大きくかかげている政党はありません。

生存さえも脅かされている「下級家畜」に甘んじることなく、コンヴィヴィアルな(自立共生)できる社会で暮らしたいと思う私にとっては、そろそろ投票先も決まってきました。今回はいつもとはかなり違った人と党に入れることになりそうです。
この時期、自分の好みだけで決めると、自分の好みとは違った結果になりそうですので。

みなさんはどうでしょうか。

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2022/07/03

■議員は政党の代表ではなく、国民の代表

今日も夕方、テレビで政見放送を見ていました。
参政党のような一部の政党は別ですが、多くの政党の公認候補の場合、党首が出てきて、政党の政見を話す時間が増えてきています。
政党の政見放送であれば、それは問題ありませんが、個人候補者の政見放送にあまり党首の話が長いとおかしな気がします。
共産党やN党は、私が見た限りでは、党首が目立ち過ぎです。

私の場合、個人の政見が付け足しのような場合は、その人には投票しません。
同じことでも、個人の言葉で語ってもらわないと本音が伝わってきませんから。
そもそも議員は政党の代表ではなく、国民の代表であるべきだからです。

私がだれに投票するかを決める基準は、前回、書いたように、私にとっての政治争点に関して、どういう立場を明確にとっているかどうかが第1です。
これで今回は候補者のほとんどが対象外になりますが、それでも複数残ります。
そして第2が、個人の意見がどうかです。ですから党首の政見があまりに長い政見放送を許すような候補者は、その段階で抜けてしまいます。
この第2の条件は、要するにどれだけ「組織の部品」ではなく「人間であることの自尊心」が感じられるかどうかなのです。

この2つの条件で、候補者はかなり絞られますが、それでも複数残った場合は、年齢の若い方を私は無条件で選びます。

これが私の候補者選びのルールです。
ですからいつも誰にするかは困ることはありませんが、投票直前まで一応、確定することはありません。確定したら期日前に投票することもありますが。

比例区で政党を選ぶ場合は、これは状況に合わせます。
最近はネットなどで質問に答えるとどこの政党が自分の考えにふさわしいかを教えてくれるようなサイトがあります。
私もやってみましたが、今回は社民党が80%以上で私にフィットするそうです。

福島党首のスピーチは私には苦手で、福島さんになってからは投票したことはありませんが、今回は政党として消えてしまうかどうかだというので、比例は社民党にしようかと迷っていました。しかし、この結果を知って、再考することにしました。
やはり「れいわ」にしようか、迷っています。
しかし今回の「れいわ」の候補者を見るとどうも投票する気が萎えてしまいます。

政策も大事ですが、具体的な人間も大事です。
政策を実現していくのは、間違いなく人間ですから。

そんなわけでまだ期日前投票には行けません。
もう少し考えてみようと思います。

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2022/07/02

■選挙の「争点」をどう設定するか

一昨日、「参院選」をテーマにした気楽な話し合いの場を開きましたが、そこで「争点の設定」が少し話題になりました。昨日、千葉県の選挙公報を全部読んでみました。言葉はいろいろと書かれていますが、どうも争点の違いが見えてこない。

争点とは白か黒かが明確にわかることだと私は考えています。たとえば原発はやめるのかつづけるのかは、私には論点です。消費税や軍事力も、そうです。
もちろん、現実の政治は〇か×かというようには行きません。しかし基本的な理念は国民が選挙で決め、その理念をどう現実にしていくかが「政治家」の役割だと思っています。ですから、選挙での投票を決める「争点」は、あいまいではなく明確なものに設定してほしいというのが私の考えです。

「暮らしを守る」「生活安全保障」「外交による平和」という政策はいかようにも解釈できますし、それこそ「憲法改正」と同じで真反対の理念が混在しますので、争点にはならない。言ってみれば、「争点」の分野でしかありません。

各党の公約を読んでいると、あえて〇か×かの争点を避けているような感じを受けます。争点が隠されていた方が、賛成されやすいからでしょう。でもそれでは投票する気にはさせられないような気がします。

たとえば、「ごぼうの党」はただ一言「一番大切なものは何なのか考えていたら笑顔でした」と書いていました。これに反対する人は少ないでしょう。しかし、だからと言って、投票をするかどうかはわかりません。
年金受給者のNHK受信料無料化は、〇か×かの争点ですが、国政の争点とは言えません。報道の中立化を目指すのであれば、〇か×かの争点にはなりにくい。

私の投票先の決定基準は、いつも、その時々の私にとっての大事な争点に対する理念です。ちなみに、今回の参院選では、「原発廃止」「食料自給」「応能主義による税制の実現(具体的には消費税廃止)」に関心を持っています。
原発と税制には各党、姿勢を明らかにしています。それ以外のいろんなことは、少なくとも今回は私には無意味な情報です。その3点から考えると自ずと投票する先は決まってきます。こうしていつも投票先は決まるのです。もちろん争点は毎回変わります。
ちなみに、私にとっては消費税廃止と消費税減税は全く正反対の理念です。

サロンでも話題になったのですが、「食料自給」を大きく打ち出している政党は見当たりません。これは不思議です。食料自給が進んでいれば、今回の物価高騰は避けられたでしょう。いやむしろこれほどに食料価格は下がらなかったかもしれません。

私にとって安全保障のための要は、「食料自給」「エネルギー自給」「納税国家」の3つですが、あんまり一般的ではないのかもしれません。防衛費を増額して安全保障など実現するはずはないと思えて仕方がありません。ウクライナのように、国家は守れても国民は守れませんから。

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2022/06/29

■政見放送をみんなが聴く国民休日

参院選なのに、最近は自宅にいると選挙であることに気づきません。選挙カーもあまり回ってきませんので、ついつい選挙を忘れてしまいます。

私は最近、NHKの政見放送をよく聴きます。
これがなかなか面白いのです。
私のように影響を受けやすいタイプだとついついこの人に投票しようかと思ったりするほど、共感できることも多いのです。ちなみに私がそう思うのは、たいていの場合、無所属や無名の人です。

テレビや新聞のニュースでは、たくさんの候補者のうちの誰が実際に当選を争う人たちかは何となく感じさせるような気がしますが、私自身のなかにも、そういう思い込みがあることに気づきます。国会議員の世襲化が問題になっていますが、もしかしたら世襲化を支援しているのは、そうした私たちの思い込みなのかもしれません。

私はN党には不快さしか感じていなかったのですが、立候補者の話を聴いていると共感してしまうことも少なくありません。むしろどうしてこういう主張の人がN党から立候補するのかという疑問は残りますが。
要するに個人で立候補するのが難しいということなのでしょう。

私は以前からブログで書いていますが、もう「政党の時代」は終わったと思っています。
というよりも、「政党」の概念や組織原理を変えるべき時代に来ているように思います。
政党などという支えがなくても、個人として立候補できる政治になってほしいと思っています。

それはともかく、政見放送はとても面白いのです。
いろんな意見や提案や問題意識に触れることができるからです。
でも政見放送になったらチャンネルを変える人も少なくないでしょう。
たしかに大きな政党の話は退屈ですから、面白くない。
しかし、やはり退屈でもきちんと聴く必要があるなと今回は思い出しています。

投票日が国民休日にすべきだと思いますが、それに加えて政見放送を聴く日を公示日の直後に設定し、すべてのテレビやラジオが政見放送と政見論議の番組だけを流すことにし、その日はやはり国民休日にするのはどうでしょうか。
さらに言えば、その日は立候補だけではなく、NHKはじめ複数のチャンネルを持っているテレビ局は、1局以外は立候補者以外の国民に開放し、希望者には抽選で3分の「政権発言」の機会を与えるのはどうでしょうか。
もしかしたら思ってもいなかった素晴らしい提案があるかもしれません。

さまざまな人の意見を広く聴ける日、話したい人は政治家や立候補に対して提案できる日、つまり国民みんなで「政策を話し合う国民休日」にするわけです。
学校ではもちろんみんなで政治に関して話し合う。できれば家庭でも。
官僚も公開の場に出て来て、国民の意見に耳を傾ける日にしていく。

こんなことが実現できれば、サッカーよりも選挙は楽しいお祭りになるかもしれません。
選挙はもっと楽しいものであるべきではないか。私はずっとそう思っています。

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2022/06/28

■期日前投票に行く前にもう少し考えてほしいです

最近、期日前投票に行く人が増えています。
最近では期日前投票が3割を占めるような選挙もありました。
期日前投票の制度は悪いものではないと思いますし、私もこれまで1回、利用させてもらいました。しかし公示日に早速に投票に行く人には、大きな疑問もあります。誰かに頼まれて行っているとしか思えないからです。

そもそも選挙とは何でしょうか。
単に投票することにだけ意味があるのでしょうか。
そうではないと私は思います。
選挙期間に国民みんなで日本の未来を考えようということではないかと思います。

選挙とは普段はなかなか考えられない日本の政治や経済のことを考え、熟慮した上で、私たちの政治を担ってくれる代表を選ぶ活動なのです。
ただ投票するのではなく、主権者としての責務(公務)を果たすことなのです。

だから立候補者の政見も聞かずに投票するのは私には賛成できません。
もちろん投票日に投票に行けない人は期日前でいいでしょうが、そもそも投票日は全国的に休業にし、投票を最優先にすべきだと私は思っています。
日給なので休めないという人もいるでしょうが、給与保証すべきでしょうし、責務(公務)であれば報酬を出すべきでしょう。

今回の参院選は立候補者が多いです。
与党側の政党(私は立憲民主党や共産党ですら与党側だと思っています)公認の人の言うことは退屈ですし、すでに新聞やテレビで紹介されていますが、無所属やいわゆる「泡沫候補者」と言われる立候補者の政見放送には新しい発見や示唆がたくさんあります。なかには私にとっては「不快」な主張もないわけではありませんが、だからこそ傾聴する価値があると思っています。少なくとも視野を広げることができます。

選挙で大切なのは、投票だけではありません。
国民が日本の政治について考えることこそ、選挙の意味ではないのか。
その上でしっかりと投票する人を考えることです。

投票する人がいないとか、投票する政党がないとかいう言い訳を言うのは、要するに自分は何も考えていないということの表明でしかありません。
人間は多様ですから、自分の考えと同じ人などいるはずもありません。
しかし自分にとっての最大関心事に関して共感する人を見つけるのはそう難しくないはずです。
そういう努力もせずに、政治を批判しても何も生まれません。

期日投票に行く前に、ぜひ立候補者の政見を聴くようにしてほしいです。
きっといろんな気づきがあるはずですから。

 

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2022/06/26

■「憲法改正の是非」は政治の争点にはならないと思うのですが

今回の参院選の争点の一つに「憲法改正」があります。
湯島に集まる人にも「改憲か護憲か」などという人もいますが、私はこれほど無意味な問いはないと思っています。

そもそもは憲法9条を守るかどうかだった争点を、憲法を変えるか変えないかという無意味な問いにしてきたのは、日本の憲法学者の怠慢です。まともな学者であれば、そんな無意味な問いには異議を唱えるべきです。なかには改憲論者から護憲論者になった憲法学者もいますが、彼らは本当に憲法学者なのでしょうか。

まあそれはともかく、憲法は改正すべきだという人のなかにも全く真反対な方向での改正を考えている人がいるのですから、争点などにはなるはずもない。
それにそもそも人間がつくったものですから、不都合なことがあれば変えるのは当然のことです。ですから「護憲か改憲か」は争点にはなり得ようもない。
要するにそういう議論をする人たちは、真面目に問題を考えていないとしか思えない。

問題はシンプルでななければいけません。
非武装平和を憲法に明示するかどうかという、内容のある争点にしなければ、議論のしようもない。
しかし最近の日本では、こうした議論の内容をあいまいにしたままの争点が多いのです。
その結果、多くの人が、「生活」と「政治」や「経済」は別の世界の話だと思い込むようになってきている。そこに「御用学者」たちの「意図」を感じます。

しかし、政治も経済も、私たちの現実の生活の問題なのです。
今日は湯島で午後2時からそんな話をするサロンを開く予定です。

 

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2022/06/24

■選挙における投票は「義務」か「責務」か

選挙における投票率低下に対して「義務投票制」が話題になりだしています。
今朝の朝日新聞でも「耕論」で大きく取り上げられています。

しかし、国民主権体制においては、選挙の投票は「義務」ではなく、「責務」というべきでしょう。
「義務」と「責務」では全く意味合いが違います。
義務に違反すると罰則が課されますが、責務は遂行すれば報酬が与えられる。
この違いが、私のいう「国家視点の政治」から「生活者視点の政治」の発想の転回です。

こんな議論を26日の湯島サロンで話し合いたいと思っています。
午後2時から始めます。よかったらご参加ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/06/post-26505a.html

消費税もまた「国家視点の税」であって、「生活者視点」からは廃止すべきだと思っています。「生活者視点」から考えられるのは「ベーシックインカム」です。

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2022/04/23

■ウクライナ戦争での国家の役割を考えたいです

もう古い本ですが、政治学者のウィリアム・コノリーの著書、『アイデンティティ/差異』という本があります。コノリーの本は私には消化不良でしたが、時々、共感できる言葉と出合えました。

昨日、岩波新書の「政治責任」という本を読んだのですが、そこに記憶に残っていた文章が引用されていました。再読したくなって書棚を探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。

しかたなく孫引きで、その言葉を紹介させてもらいます。

こうした状況下(後期現代という意味です)で、主権的ないし自律的な実体としての国家、すなわち「外交関係」に入るものとしての、あるいは(民主的な理念の枠組の中で)集合的運命をコントロールするだけの効率性を持つ、民主主義的にアカウンタビリティのある政治的実体としての国家という古典近代的な概念は、次第に時代錯誤的で危険なものとなりつつある、と私は思う。

ウクライナ戦争を見ていて、つくづくそう思います。
国家制度を大きく脱構築させていかなくては、世界は壊れるような気がしてなりません。

 

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2022/02/22

■本間照光さんがまた「科学」に寄稿されました

湯島のサロン仲間の本間照光さん(青山学院大学名誉教授)が、岩波の雑誌「科学」の3月号の巻頭エッセイに、「幻の、核のごみ「文献調査段階」――問われぬ危うさ」を書いています。
岩波書店のサイトで公開しているので、関心のある人はぜひお読みください。

 https://www.iwanami.co.jp/news/n45930.html

 

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