カテゴリー「政治時評」の記事

2017/05/26

■前川(前文科省事務次官)さんに敬意を表します

加計学園問題に関連して、前文科省事務次官の前川さんの記者会見が話題になっています。
問題になっている文書の存在を確認し、まともに探せばすぐに出てくるとさえ言っています。
それに対して、菅官房長官の反論は、私の常識で考えれば、卑劣極まりありません。
官房長官ほどの地位にある人であれば、もっと正々堂々と反論してほしいものです。

テレビでの前川さんの取り上げ方も、私にはフェアには思えません。
キャスターたちの根底にある姿勢に、卑しさが見えてきます。
いまや在野を良しとするジャーナリストは、テレビには出られないのでしょうか。
もちろんそうでない人もいないわけではありませんが。

前川さんの発言をベースに問題を素直に捉え直せば、事実はすぐにわかることでしょう。
松野大臣の調査は、これも普通に考えれば調査とさえ言えないです。
そんなあまりにも明白なことが、面白おかしく語られて、マスコミビジネスの餌食にされています。

私が前川さんに敬意を表するのは、組織や制度の力に屈せずに、堂々と記者会見したことです。
しかも極めて「素直な言葉」で語っています。
菅さんや政治家などの、「地位に恋々」としている人たちとは全く違って、さわやかにさえ聞こえます。
組織に正面から向かう勇気のある人を久しぶりに見た感じです。
これからの人生は経済的には恵まれなくなるかもしれませんが、精神的なストレスは軽減され、豊かな人生になるでしょう。

森友学園の時もそうでしたが、本来あるべき書類がないと言っていた保管責任者の責任は問われることなく、いつの間にか話は終わってしまいました。
しかし、おそらく現場の関係者は、その所在も含めて知っているはずです。
しかし誰からも声が上がらない。
組織の部品であって、人間ではないからでしょう。
出世したところで、人生は豊かにはならないのではないかと思いますが、まだ出世願望やお金願望が人間を取り込もうとしているのでしょう。

霞が関には、もう主体性をもったまともな人間は居場所がないのかもしれませんが、「あったものはないとは言えない」「黒を白とは言えない」という、前川さんの発言に、誰か反応する人はいないのでしょうか。
社会を変えるのは簡単なことです。
おかしいことをおかしいと言い、自分に嘘をつかないで生きる人が増えていけばいいだけの話です。
前川さんにつづく人が、どんどん出てくるかもしれません。
そうなるためにも、私は前川さんに拍手を送ります。

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2017/05/24

■人々の中に入ってきて、論を深め、知を集め、力を高めてほしい

時評編を書く気が萎えていましたが、久しぶりに書く気になりました。

昨日、共謀罪法案が衆議院で可決されました。
多くの人が疑問を投げかけ、国連関係者からさえ問題指摘されている法案が、まともな議論のないままに国会を通っていくのは不気味です。
でも私自身は何も行動していません。
先週の金曜日にも国会デモを誘われましたが、行きませんでした。
ですからブログに私見を書く資格もないような気がします。
でもやはり書いておこうと思います。
もしかしたら、ここに書くことで私自身がまた動きだせるかもしれないからです。

私が一番腹立たしいのは、野党にやる気がないことです。
というか、いまや野党が存在しなくなってきている。
民進党は、野田代表時代に、自民党に自らを売り、自民党の傀儡野党になっていますので論外として、自由党も社民党も野党意識が低く、自閉的です。
なぜそうなっているのか。どうやったらそこから抜けられるか。
私には簡単なことのように思えます。

このブログではずっと政党の時代は終わったこと、そして社会の構造原理が変わったことを書いてきていますが、そこから出てくる答えは、与党対野党の構図は消失し、あるのは政治体制体国民生活という構図です。
もし一強の政府与党に対するのであれば、国会内部で茶番劇を繰り返すだけではなく、広く国民に呼びかけて、その声を集めて力にしていくしかありません。
アメリカもイギリスも欧州も韓国も、そういう構図の中で、政治が変わってきています。
しかし、日本は、たくさんの材料がありながら、法務大臣も総理大臣も罷免できないでいます。

政治体制は「戦争的な攻撃」も行いますが、国民生活には戦争は無縁です。
つまり社会の構造原理を変えると、暴力的行為は、国家観ではなく、体制と人間の間で起こるわけです。
戦争の意味合いは一変します。
まあ国家間の戦争パラダイムは、近代国家体制の下での特殊な事件とも言えます。
北朝鮮や中国が攻めてくるなどということは、私には時代錯誤も甚だしい話です。

しばらくぶりに時評を書いたせいか、あまりにも説得力がありませんね。
困ったものです。
でも、もしいまの「野党」に本気で政権交代の意思があるのであれば、国会から出て来なければいけません。
人々の中に入ってきて、論を深め、知を集め、力を高めなければいけません。
そういう政治家が、一人も出てこないものでしょうか。
茶番劇の世界にいるとみんな政治家ならぬ政治屋になってしまうのでしょうか。

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2017/04/26

■小さき人々の抵抗の声

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
なんとも読みにくかったので、やはり「チェルノブイリの祈り」を読むことにしました。

彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材の機会をずっと待っていたのだそうです。
とてもていねいな取材だったことを感じました。

小さき人々の声は、多くの場合、とても穏やかで温かさがあります。
しかし、そこには鋭い体制への批判が含意されています。
デモで声高に唱えられる「シュプレヒコール」とは全く違って、聴く人の心に入り込んでくる、真実があります。
ですからその時はもちろんですが、いつまでも聴く人の心に残ります。
もっとも聴く人の心のありかたに大きく影響されるでしょうが。

アレクシエービッチさんは、テレビの中で、繰り返し、私の国にも日本にも「抵抗の文化」がないと語っていました。
静かに語ることこそ、まさに抵抗の文化かもしれませんが、それを踏みにじる政府のもとでは、残念ながら聴く人がいないおそれがあります。
ですから、アレクシエービッチさんの活動は大きな意味をもっているのだろうと思います。

昨今のマスコミは、小さき人々よりも大きな人たちの声を紹介します。
小さき人々の声を聞きだすことは、難しいでしょうし、なによりも聴く人の知性を露わにします。それに比べて、自分から話したがっている「大きな人たち」の声を聞くのは楽ですし、なによりも誰にでもできる上に、危険は伴いません。

辺野古の工事は始まり、玄海原発の再稼働も決まりました。
小さき人々の声を、少なくとも私はしっかりと耳を傾けて聴こうと思います。
そこから「抵抗」は始まるでしょうから。

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2017/04/23

■リンカーンクラブサロン「税制改革と政治革命の可能性」報告

昨日のリンカーンクラブサロンは、異論が飛び交う大荒れの話し合いになりました。
しかしとても平和裏に進んだのでご心配なく。
異論をぶつけ合うことこそ、民主主義の原点なのです。

テーマは「税制改革と政治改革」でしたが、あまりに大きなテーマなうえに話が大きな話から入ったために、話題が広がりすぎてしまった感があります。
政治の問題には関心があるが、リンカーンクラブサロンはちょっと敷居が高いといっていた、自称「ただの主婦」の方も初めて参加してくださいましたが、議論が飛び交う雰囲気にちょっと戸惑ったかもしれません。
でも次の予定があるにもかかわらず、結局最後まで残ってくれました。
初参加のおふたりの女性は、話し手の武田さんが異論をすべて寛容に受け止めてくれることに感心していました。
あまりに話が広がったので、武田さんの「妙案」がしっかりと議論されなかったのが残念ですが、武田さんの「妙案」は、改めて雑誌に掲載されますので、ご関心のある方にはPDFを送ります。
リンカーンクラブのホームページにも掲載します。

ちなみに、参加者から「税制がらみでの企業の海外流出」や「ベーシックインカム」の問題も提起されましたが、深掘りまで至りませんでした。
私の責任です。
初参加の方が4人もいて、しかも3人は女性でしたので、もう少し柔らかな運営をできればよかったのですが、前半の話し合いは参加しにくかったかもしれません。
私にとっては大いに反省の残るサロンでしたが、終了後もみんなそれぞれに話していて、私はなかなか帰れませんでしたので、まあそれはそれでいいサロンだったということにさせてもらいましょう。
いろんな人が、ちょっと政治につながるような話し合いの場がもっともっと増えていけばいいなと思います。

今回も参加者のお一人が取り組んでいる「主権者教育」の話が出ましたが、
次回は、5月6日に「教育勅語」を読むサロンです。
これはまさに「主権者教育」にもつながるテーマです。
多くの人に参加していただきたいと思っています。

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2017/04/04

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔3〕

沖縄の辺野古移設の現地の活動は、首都圏に手はなかなか見えてきません。
マスコミ報道も関心がないのか、あまり取り上げません。
私自身、現地にも行っていないので実情を知っているわけではありません。
しかし、沖縄での最近の動きは、どこかこれまでと違うものが伝わってきます。

沖縄に新たな動きが出たのは、民主党に政権が移り、鳩山政権が「少なくとも県外移設」と言い出した時からです。
残念ながら鳩山政権は挫折しましたが、鳩山さんの残したものはとても大きいと思っています。
鳩山さんは、大きな流れに抗って棹を指すこともできることを自らの行動で示してくれました。

辺野古問題が変化を見せたのは、たぶん2014年11の沖縄県知事選だったと思います。
選挙の争点は辺野古移設問題。辺野古移設を承認した現職の仲井眞知事とそれに反対する翁長さんの争いになりました。
翁長さんはこう訴えました。
「豊かな自然環境はいまを生きる私たちだけのものではない。イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍板を残すことのない責任ある行動がいま、強く求められている。」
イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄。

それまでの「保守対革新」とは違う次元の対立軸が浮かんできました。
野党連合とは違って、そこにあるのは「社会の構図の変化」です。
その後の選挙によって、現在の沖縄県内の衆議院小選挙区4議席、参議院選挙区2議席の計6議席はオール沖縄の議員が独占しています。
これまでの政党はもはや政治の基本組織ではなくなっているわけです。

最近、東京都の知事選でも、同じような対立構造が少しだけ見えています。
私はそこに時代の大きな動きを感じます。
数年前にこのブログで書いた記憶がありますが、政党政治の時代は終わりつつあります。
なぜなら社会の構図が変わってきているからです。

しかし、だからこそこれまでの社会を統治していた体制による反撃もまた激しくなっています。
それが様々なところで混乱を起こしているように思います。
アメリカでも、ヨーロッパでも、そして韓国でも。

社会の構図の基本軸が、組織対組織ではなく、組織対個人に変化してきているのです。
いささか不正確なので、もう少し説明していければと思います。

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2017/03/31

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔2〕

このシリーズを続けて書こうと思っていましたが、間があいてしまいました。
最初に書こうと思った時の思いが少し薄れているのですが、再開しようと思います。

モハメド・アリの話から再開したいと思います。
先日、NHKテレビの「映像の時代」を見て、世界の対立軸の変化の象徴的な事件が示唆されていたからです。

よく知られているように、モハメド・アリは、ボクサーとしての絶頂期だった24才の時(1967年)にベトナム戦争のための徴兵命令を拒否します。
国家に対する命令拒否で、モハメド・アリは裁判で有罪となり、チャンピオンベルトもボクシングライセンスも剥奪されてしまいます。
当時、彼はこう語っています。
「戦争はひたすら何の罪もない人を殺して殺して殺し続けるだけだ」
「おれはベトコン(北ベトナム)にうらみはねえ」と言ったという話もあります。

アリの徴兵拒否をどう思うかと質問されたキング牧師は、こう答えています。

私も徴兵制度に反対だ。 アリが言うように、われわれは弾圧してくる体制の被害者なのだ。

そこから、アメリカでは徴兵礼状を焼き捨てる動きが広まっていきます。
時代はまさに、1960年代の対抗文化が広がりだした「緑色革命」の時代です。
チャールズ・ライクの書いた「緑色革命」に影響された若者は世界中にたくさんいたでしょう。
その本で、ライクは、世界の構造が変化しつつあることを語っています。
キング牧師が言っているように、人間と体制(システム)の対立が、世界の基軸になってきていたのです。
ベトナム戦争も、アメリカという国とベトナムという国が戦っていたのではなく、国家システムと人間が戦っていたのです。
アメリカという国家は、ベトナム戦争から多くのことを学んだはずでした。

当時、日本では宇井純さんが、そういう枠組みで活動を始めていました。
科学技術の世界では、高木仁三郎さんが、やはり科学技術というシステムに異議申立てしていました。
ヨーロッパでも若者たちが大きなパワーを発揮していました。
しかし、残念ながら、ほとんどすべての新しい波は、システムの攻勢の前に鎮められてきたような気がします。
システムはますます巨大化し、人間を弾圧しだします。
そして、9.11が仕組まれ、21世紀は再び「システムの時代」となっていきます。

アレントが懸念していた全体主義的風潮が、また世界を覆い出したのです。
1960年代の、あの若者たちの人間的なつながりはバラバラにされ、金銭つながりの人間たちがシステムの走狗として世界を牛耳だしました。
経済的な格差が政治的な格差を生み出し、システムから追い出されだした低所得者たちが声を上げだしました。
アメリカで、ヨーロッパで、アジアで。
しかし、低所得者は、高所得者と、結局は同じ種族です。
お金にこだわっている限り、新しい生き方はできないのですから、勝負は最初から決まっています。

しかし、そうでない、まさに新しい対立軸を示唆する動きもあります。
その動きがいま、沖縄で起こっている。
そんな気がします。

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■沖縄から始まる未来

韓国では大統領が逮捕される事態になりました。
国民の声が、大きな力を持ったと言われています。
こうした動きは世界的に広がっています。
ポピュリズムと一蹴する人もいますが、その背後には大きな社会の対立軸の変化があるように思います。
日本では、なぜそうした国民の力が生まれないのかという人が、私のまわりにも多いのですが、日本でも起こり始めています。
たとえば、昨年8月に出版された本ですが、「沖縄の乱」(野里洋)という本があります。
この本も、多くの人に読んでほしい本です。
政治の構造が変化してきていることがわかります。
与党対野党で捉えていては、何も見えてきません。

韓国の国民デモよりも、沖縄の人たちの活動を、もっと首都圏のマスコミでも取り上げてくれたら、日本は変わるかもしれないと思います。
沖縄には、未来を感じます。

沖縄に関する本は、何冊か読みましたが、この本とまったく真逆な主張の本もあります。
途中で投げ出したくなった本もあります。
しかし、この本は多くの人に読んでほしいと思います。
沖縄の人たちの苦労の上に、もし私たちの安楽な生活があるのであれば、せめて1冊の本を読むくらいのことはしたいと思います。

世界の対立軸が変わったのシリーズが書けずにいましたが、また書きだそうと思います。


Okinawa


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2017/03/23

■森友学園籠池理事長の証人喚問を見つづけてしまいました

森友学園の籠池理事長の証人喚問を朝からずっと見ていました。
なぜか籠池さんが好きになってきました。
この人は嘘はついていないのではないかと思い出しました。
マスコミの報道からはとんでもない人だと思っていましたが、どうもそうではなさそうな気がします。

ただし、籠池さんの教育方針や子どもたちへの対応にはまったく賛成できませんが、しかしそれを支持している人もいるわけです。
なによりも総理大臣でさえ支持しているわけですし、たぶん現在の政権を支持している国民も、本当は支持しているのでしょう。
私は籠池さんの考え方には生理的に体が震えるほどに嫌悪感を持ちますが、だからと言って、籠池さんの考えを抹殺したいなどとは思いませんし、ましてや籠池さんの見識をとやかくいうことはしたくありません。
社会はさまざまな考えの人がいてこそ、社会ですから。
ただ、こういう人が支持される社会は恐ろしいと思います。
つまり、籠池さんではなく、籠池さんを支持する人たち、例えば子供を園学園にいれる親たちやそういう学校を応援する政治家や資産家やオピニオンリーダーたちに嫌悪感を持ちます。

安倍首相や首相夫人が巻き込まれていますが、問題は安倍首相の名前を上手く活用して立ち回っている人たちや、安倍首相の名前にひれ伏して自らの我欲を果たそうとしている人たちが、たくさんいることに問題を感じます。
私も直接ではありませんが、かなり身近にそうしたことを見聞しています。
ある有力政治家の講演会の人は、その人に話をすると制度はすぐ変わるのでありがたいと言っているという話を聞いたこともあります。
そういう視点で考えると、籠池夫妻は、もしかしたらそうした邪悪な動きに振り回されたのかもしれません。

もちろん私は籠池さんは犯罪者だと思います。
詐欺とかそんな話ではなく、憲法違反者です。
憲法違反とも言える教育勅語を子どもに教え込むのは犯罪だと思います。
しかし、それをほう助していた人たちもまた裁かれなければいけません。
それをせずに、籠池さんだけを裁くのは、私には違和感があります。

証人喚問やその報道を聴いていて面白かったのは、質問者の人柄やテレビ局や解説者や国会議員の姿勢が伝わってきたことです。
自分で自分の首を絞める人もいましたが、それに比べて、なぜか籠池さんの表情は最初から最後まで、ずっと同じだったような気がします。
今日は、籠池さんと議員のやりとりを聞きながら、いろんなことを考えることができました。

EU、アメリカ、韓国につづいて、いよいよ日本にも大きな嵐が来るような気がします。

今日は1日、テレビを見てしまいました。
虚しい1日でした。

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2017/03/12

■世界の対立軸が変わってきた気がします〔1〕

地震の前にはナマズが騒ぎ出すと言われていました。
3.11大地震の前にも、大量のクジラが浜に上がったり、馬たちが騒ぎ出したり、ということが確認されているそうです。
余計な知識に呪縛されずに、素直に生命が生きていたら、時空間を超えて、たぶんいろんなことを感ずるのだろうと思います。
人間においても、子どもたちは自然に素直に反応しているのでしょう。
彼らには邪気は感じられません。

私が、世界の地殻変動を感じだしたのは、1980年代に入ってからです。
年賀状などで、そのことを書いた記憶もありますし、当時、雑誌などに寄稿した文章にもたぶん残っているでしょう。
もちろん、それは予兆などではなく、世界経済や世界政治においては、大きな枠組みの変化がだれの目にも見えるようになっていた時代です。
しかし、どうもそうした制度的な変化ではない、パラダイム転換を感じていました。
「21世紀は真心の時代」という小論を書いたのは、そんな思いからですが、当時はまだ見えていませんでした。
http://cws.c.ooco.jp/magokoro.htm
大きな会社にいては、世界は見えてこないという思いもあって、会社という船から降りたのが1989年でした。
偶然なのですが、その年に、日本は昭和から平成に変わり、世界ではベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造は終わりました。
ちなみに、中国での天安門事件もこの年ですし、環境問題に火をつけたバルディーズ号の原油流出事故もこの年です。

東西冷戦構造は世界の構造原理の変質を示唆し、天安門事件は新しい対立軸を可視化しました。
バルディーズ号事件は、一株運動を広げました。
私の認識では、近代国家を要素にした世界の枠組みが変わりだしたのです。
対立軸は、国家対国家ではなく、国家を含む制度対個人としての人間へと変わりだしました。
同時に、人間にとっての自然の意味が変わりだした。

一つの象徴的な事件がアメリカで起こっています。
20年にわたって繰り広げられていた「オゾン戦争」の終結です。
1989年、世界最大のフロンメーカーだったデュポンが、フロンガスによるオゾン層の破壊を認め、フロン事業からの撤退を宣言したのです。
こうしたことに関しては、「広報・コミュニケーション戦略」(都市文化社)に寄稿した「企業変革のためのコミュニケーション戦略」に少し書いたものをホームページにアップしています。
http://cws.c.ooco.jp/communication1.htm

むかしのことを長々と書いてしまいましたが、私が会社を辞めて、社会への溶融を目指したのは、素直な生命的な反応だったような気がします。
以来、生き方は大きく変わりました。
そのおかげで、素直な生命力を、わずかばかりにせよ、取り戻せた気がします。
世界が素直に見えるようになってきたのです。
蛇足を加えれば、妻から学んだことも大きかったです。

世界の対立軸が変わりだしている。
その確信はさらに強くなりました。
しかし、世界はそうした流れに抗う揺り戻しや、対立軸の変化に伴う秩序の混乱によって、まさにさまよっている感があります。
そうした混乱の中では、さまざまな邪気がうごめきだします。
いまの世界を見ていると、まさにそんな感じがしてなりません。

世界がこのまま壊れることはないでしょうが、大きな転機にあるように思います。
そんなことを少し書いていこうと思います。

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2017/02/21

■巻町原発誘致住民投票をテーマにしたサロンの報告

2月19日のリンカーンクラブサロン「原発を葬った市民のスクラム 巻町住民投票をめぐって」は10人のサロンになりました。
今回は、あらかじめ折原さんの報告書を読んでもらっての参加でしたので、ちょっとバリアが高かったかもしれません。
その反面、関心の高い人が多かったので、それぞれいろんな示唆を受けたのではないかと思います。

折原さんは、巻町原発誘致住民投票の顚末を3ページの表にまとめたレジメで説明してくれました。
とてもわかりやすい表です。
改めてこの顚末を俯瞰するといろんなことが感じられます。

そもそも巻町で住民投票が行われるきっかけは、1994年の町長選挙で、原発推進派の人が当選したことでした。
選挙には、推進派、慎重派、反対派の3人が立候補したのですが、慎重派と反対派の投票数を合計すると、推進派への投票数よりも多かったのです。
そこで、町民はむしろ原発には反対なのではないかという思いを持った、巻町に長年住んでいる有志たちが、「住民投票で巻原発をとめる連絡会」を立ち上げ、自主管理の住民投票に取り組んだのです。
そうした取り組みの過程は、折原さんの論文に詳しいですが、住民が主役になれば、いろんなことができることがわかります。

しかしなぜ巻町ではこうしたことが成功したのか。
そこが昨日の話し合いの論点の一つでした。
私は、その最大の理由は、巻町にはまだしっかりしたコミュニティ、人の繋がりと自然とのつながりがあったことだと思っています。
そのことは、折原さんの報告からも読み取れる気がします。

他にもさまざまな要因が考えられます。
折原さんの報告には、住民たちが「事実」を知るにつれて変わっていったことが書かれています。
それも大きな理由だったと思います。
事実を知ることで、人の意識と行動は変わってきます。
それが、私が湯島のサロンを続けている理由の一つです。

原発という大きな問題だったから、住民投票にまで行ったのかという問いかけもありました。
巻町では、その後も、新潟市への合併を巡って住民投票が行われたそうです。
近隣に葬儀場やごみ処理場ができることで住民が動き出すことは、むしろ多いですから、原発という大きな問題だったことよりも、原発誘致と自分たちの生活の繋がりを見えるようにしていったことが、住民運動を実現した理由のような気がします。
集団的自衛権のような問題は、なかなか私たちの生活とのつながりが見えてきませんから、当事者意識を持ちにくいという意見も出されました。

巻町の住民投票は、原発問題として取り上げられることが多いのですが、私はむしろそうではなくて、住民が当事者意識を持って動けば、大きな流れでさえ変えられるということを示した事例として捉えています。
「与えられたまちづくり」から「創りだすまちづくり」へと変えていけるのです。
これに関しては、3月19日に「まちづくり」の公開フォーラムを予定していますので、関心のある方はぜひご参加ください。
継続してフォーラムを開催していく予定です。
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170319

巻町の住民投票活動は、たぶん巻町の住民たちに大きな変化を起こしたと思います。
私の関心はそこにあります。
当時、巻高校の高校生は、生徒会で原発誘致に関しての投票までやったそうです。
それを体験した高校生は、いまどうしているか。
そこに大きな関心があります。

まちづくりも、国政も、どんどん住民や国民の手を離れだしているような気がしますが、それは自治体や政府が悪いからだけではないはずです。
その気になれば、そして動き出せば、流れは変えられる。
その貴重な体験をした巻町の教訓から、私たちはたくさんのことを学べるはずです。
いつか、巻町の元高校生を呼んで、公開フォーラムができないかと思っています。
あるいは折原さんに頼んで、一度、巻町訪問ツアーを企画できないかと思っています。
そしてそうしたことの中から、実践的な活動が始められないかと思っています。

いつものように、偏った報告になりましたが、西坂さんが記録してくれていますので、もしかしたら報告の記録はお伝えできるかもしれません。

折原さんの誠実な報告に感謝します。
なお、折原さんは「脱原発社会への展望」と題した4部作を同人誌に載せています。
もし読まれたい方がいたら、ご連絡ください。
折原さんと相談したうえで、PDF版をお届けします。
できれば、折原さんはそれを出版したいと考えていますので、どこか出版の相談に乗ってくれそうなところがあればご紹介ください。


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