カテゴリー「政治時評」の記事

2017/11/18

■「政府が進める「地域共生社会」ビジョンは、監視国家へ変貌する危険性を孕んでいる」

「高齢期社会保障改革を読み解く」(社会保障政策研究会編 自治体研究社)を読みました。

先日、湯島のサロンで、福祉環境は改善されている一方で、社会保障政策の劣化を感ずるという発言をしたら、福祉の現場の真っただ中にいる参加者にたしなめられました。
現場から見ると、福祉環境も福祉行政も大きく改善されているというのです。
たしかにそういわれると反論はできません。
でもどこかに違和感を強く持っています。
そういう状況の中で読んだせいか、とても共感できるメッセージの多い本でした。

本書は、安倍政権の社会保障政策を高齢者に焦点を当ててその本質を読み解くとともに、高齢期に発生する生活問題を整理したうえで、それを変えていくためには市民による改革が必要だと主張しています。
私にはとても共感できる内容です。
念のために言えば、福祉行政も大きく改善されているという現場の人の意見に異論はないのです。
どちらが正しいという問題ではなく、たぶんどちらも正しいと思います。
その上で、しかし、多面的な視点を持たないと現実や未来は見えてこないのではないかと思うのです。
私たちは、二者択一の○×で判断しがちですが、いずれも○の異論が両立することはよくあることです。
その意味で、本書はできるだけ現場の人に読んでほしい本です。
「現場の人」という言葉には、すべての高齢者も含めています。

数名の執筆者が高齢期社会保障の問題をさまざまな具体的な切り口から論じ出ていますが、本書の基本姿勢は第1章の「高齢期社会保障に潜む課題と地域共生社会の本質」(芝田英昭)で示されています。
たとえば、こんな風に現在の政策は厳しく批判されています。

安倍政権の下では復古主義的・保守主義的政策が一気呵成に実施されているが、社会保障分野においても、家族主義、コミュニティヘの依存を強める自助・自立・相互扶助を基本とした社会保障切り捨て政策が全面的に打ち出されている。 例えば、厚生労働省に置かれた「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」(2016年7月設置)が、社会保障切り捨ての先導役を務めていると言える。 しかし、実現本部は、「地域共生社会」の名の下に、地域に生起するあらゆる課題・問題を地域住民が自助・共助を基本に解決していくとしているが、この方向性は、生存権を公的責任のもと具現化した社会保障制度の基盤を揺るがす重大な誤謬を犯しかねない。

「地域共生社会」という、私も目指したビジョンさえもが、「社会保障を崩壊させ、監視国家へ変貌する危険性を孕んでいる」と見事なまでの指摘です。
私自身、「『我が事・丸ごと』地域共生社会」のビジョンを聞いた時には、共感を持ちながらも、政府がそんなことを言い出すことに違和感を持っていました。
本書を読んで、その違和感が理解できました。
芝田さんは、「国家が監視しているだけでは、国民を完全には統制できないことから、一段進んだ形態として、「住民相互の監視システムと密告」装置を構築させようとしている。それが、まさしく「現代版隣組制度」としての「地域共生社会」ではなかろうか」と書いていますが、それほどの厳しい目が必要なのだと気づかせてもらいました。
違和感は放置していてはいけないのです。

もう一つ共感したのは、「健康長寿社会の形成に資する新たな産業活動の創出及び活性化、(中略)それを通じた我が国経済の成長を図る」こととし、「健康・医療」分野を、経済成長の道具と位置づけている。人間の生命・生活の根幹をなす分野を産業化することは、商品としての健康・医療分野を購入できる者とできない者との格差を拡大させ、国民の健康破壊を推し進めることにしかならないし、健康・医療における人権思想・倫理観が欠如しかねないといわざるを得ない」という指摘です。
そしてこの問題は、第5章の「高齢者福祉「改革」と市場化・産業化」(曽我千春)へと引き継がれます。
ここでの主張は私がずっと前から思っていたことで、20年ほど前に雑誌などでも書いたこともあります。
http://cws.c.ooco.jp/siniaronnbunn1.htm
私が一番危惧しているのは、「汎市場化」の流れです。
介護保険制度は介護の社会化と言いながら、介護を市場化してしまいました。
それによって、介護環境は「改善」されたかもしれませんが、失われたものも大きいように思います。
この章は、我が意を得たりと思いながら読みました。

本書の最後は、「市民による改革の必要性」(本田宏)です。
実は本書は、執筆者のおひとりでもある本田さんにいただいたのですが、医師だった本田さんは医師を辞めてまで、社会をよくしようという活動に取り組んでいます。
本田さんは、「いま高齢期の社会保障を直撃する「社会保障費抑制と市場化・産業化」の流れを止めるためには、市民による改革が不可欠である」と書いています。
本章は読んでいて、本田さんの熱い思いが伝わってきます。
お時間がない人は、この本田さんの怒りの章だけでもぜひ読んでほしいです。
そして2020年のオリンピックなどには騙されないようにしてほしいです。
私はオリンピックに出場する選手に対してさえも、不快感を持っているほど、オリンピックは嫌いです。
この文章は、蛇足でしたね。
不快な気持ちにさせたらお許しください。
すみません。

それはともかく、本書はいろんなことを考えさせられる本です。
細かな制度論や技術論的なところも多いですが、多くの人に読んでほしい本です。
そして、本田さんのアジテーションに乗って、市民による改革にぜひ加わってほしいです。

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■民主主義の真価は、絶えず必要な改革を促すこと

先日福岡で様々な活動をしている友人が湯島に久しぶりに立ち寄ってくれました。
彼がいま興味を持っているのがスイスです。
数年前にスイスに調査に行って、関心を深めたようです。
私は、スイスにはしたたかな悪の顔としなやかな善の顔を感じています。

その友人が面白いよと言って、1冊の本を紹介してくれました。
スイス政府編の「あらゆる危険から身をまもる民間防衛」(原書房)という本です。
早速取り寄せてみました。
手に取ってすぐ思い出したのが、2年前に都民に配られた「今やろう。災害から身を守るすべてを。東京防災」です。
この本もだいぶ話題になりました。
スイスのは赤い装丁。東京は黄色でした。
交通信号で言えば、注意と止まれです。

しかし、一番の違いは、内容です。
スイスのは平和と戦争にどう対処するかです。
かなりのページを割いて、そのための国民の責務が説かれています。
たとえば、こんな文章です。

わが民主主義の真価は、絶えず必要な改革を促すことである。どのような制度も、生きものと同じように、それ自体の生命力によって変化することからのがれるわけにはいかない。すべては進化する。思想も、風俗や経済情勢と同様に進化する。だから、国民や、国民を代表する議員が、常に注意深く制度を見守ることは、どうしても必要である。この注意深く見守ることによって、制度の改革が求められてくる。それは、改革であって、めくら滅法の破壊ではない。革命は、しばしば、益よりも害となる。 しかしながら、権力が、ある個人に集中し、抑圧された人々が、その独裁者を追放するために立ちあがるほかなくなったときに、革命が必要となる。 民主主義は、何も生み出さないでじっとしていることと、破壊的に転覆することとの間に通じる、狭い、山の背のような道を、用心深くたどらねばならない。各人の義務は、この法則に従って生き生きと生きることである。公けの問題に無関心であることは、この義務に忠実でないことを意味する。

明日11月19日は、リンカーンがゲティスバーグで、「人民の、人民による、人民のための政治」のスピーチをした日です。
その11月19日、午後2時から湯島で「国民投票と究極的民主主義」をテーマに集まりをやります。
もしお時間とご関心があれば、ご参加ください。
スイスの話も出るはずです。
もしかしたら、そこから「国のかたち」の話に広がるかもしれません。
憲法問題は、いまの日本では「憲法条文問題」に矮小化されていますが、大切なのは「国のかたち」です。
そしてそれは、国民の意識の問題でもあります。

寒いですが、よかったら明日、湯島に足をお運びください。

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2017/11/12

■サロン「メディアリテラシーから読み解く世界の素顔と「陰謀論」」報告

予想を超えて、驚くことに18人のサロンになりました。
「陰謀」に興味を抱く人は多いのでしょうか。
それとも、いまの時代が「陰謀」を匂わせているのでしょうか。
もちろんメディアリテラシーに興味を持って参加された人もいますが。

「陰謀論」の広がりこそが「陰謀」であって、それも含めて「陰謀論」の奥にある事実を、メディアから読みとくことが大切だ、というのが中島さんのメッセージだったように思います。
「陰謀説」のすべてを否定したり信じたりするのではなく、自らの世界を広げていくことで、洪水のような情報を読み解くことが大切だというわけです。
陰謀論への対抗力を持ちましょう、そのためにも陰謀論と言われている話も知っておくことが大切だというのが、中島さんのお考えだと私は理解しました。

話は、バックパッカーとしてアジア各国を回ったことや仕事や趣味のことなど、中島さんの自己紹介から始まりました。
多様な世界を体験したことが、今日の話題にもつながっているわけです。
中島さんがマスコミ報道の後ろにある動きに関心を持ったのは、新聞に出ていたあるベタ記事からだったそうです。
大見出しの記事とは無縁の、そうした小さな記事にこそ、個人としての記者の良心が現れているのではないか、そして事実につながるものがあるのではないかと感じたそうです。

かつての新聞にはたくさんの小さな報道記事が載っていました。
しかし、最近の新聞は週刊誌のような内容になり、小さな事実報道記事はほとんどなくなってしまったと言ってもいいくらい少なくなりました。
私もベタ記事愛読者だったので、そういう変化には「ある意図」を感じています。
読者には、発行者の編集意図に沿って構築された世界が与えられるだけであって、読者が考察したり推測したりする余地は極めて少なくなったのです。
新聞の役割が変わったと言ってもいいでしょう。

中島さんがマスコミ報道の向こう側にある動きに興味を持ったのは、落合信彦さんのドキュメンタリー作品だそうです。
その一連のシリーズから、マスコミが提供する世界とは違う世界の存在に興味が向き、そこからさまざまな書籍を読みながら、自らの世界の筋立てを考えるようになったそうです。
そうすると、これまで体験してきたことも含めて、いろんなことのつじつまが合ってきて、世界が見えだしてきたと言います。
メディアリテラシーを高めるとは、自分の世界を広げ、自分の軸を持つことかもしれません。

「陰謀論」の話題に入る冒頭で、中島さんは、そもそも日本はアメリカの同盟国なのだろうか、と問いかけました。
すかさず、アメリカは日本の宗主国だという声が出ました。
日本は主体性を持った独立国家だと思っている人もまだ多いでしょうが、アメリカの属州的位置づけになっていることは最近公開されだしたアメリカの資料などでもかなり明確になってきています。
これは「陰謀」ではなく、単純な事実です。
しかし、そうしたことでさえ、多くの人に対して明らかになってきたのはつい最近ですし、明らかになってきても、それでいいという人が圧倒的に多いのかもしれません。
そういう状況が維持されてきているところに、ある意図が働いているのかもしれませんが、それは「陰謀」ではなく「政治」そのものと言ってもいいでしょう。

「陰謀論」的な具体的な話は、北朝鮮関係から世界金融支配体制まで、いろいろとありました。
それを紹介しだすときりがないのでやめますが、中島さんが共感しているのが、元陸上自衛官の池田整治さんの主張です。
池田さんは、世界の真実を見るポイントとして、「その人がどのグループに入っていて、お金が最終的にどこに集まるのかを見ることが大切だ」と指摘している人ですが、中島さんもその視点で考えているようです。
中島さんは、池田さんの、人々を5階層で捉える見方を紹介をしてくれました。
「ウラの支配層」「オモテの支配層」「無自覚な支援層」「被支配層」「気づいて対策する人々」。
その頂点にいるのが、いわゆる「1%の人たち」(超富裕層)なのかもしれません。
「1%の人たち」はアメリカにだけではなく、世界各国にいて、国家制度さえをも私的目的に利用しているのかもしれません。

海外で長年仕事をされてきた参加者の方は、表面的には対立している国家を動かしている人たちも、実際にはスイスで話し合いをしているということを話してくれました。
サロンでも、世界は「ウラの支配者」あるいはそうした人たちの「大きな力」で動かされているというような話が主流だった気がします。
そうした見方からすれば、たとえば金正恩もトランプも習近平も、みんな仲間ということになります。
表面的には対立しているようで、実は利益をシェアしているということになります。
そして、陰謀論的な考えでは、彼らを動かしている「ウラの支配者」がいるということになるわけです。

こうした議論から派生して、日韓関係に関わる、いささか刺激的な視点なども出されたのですが、それはまた改めてサロンを開くことにしました。
なにしろ話が大きいので、話し合いも終わることはありません。

中島さんはいくつかの書籍を紹介してくれましたが、前回のサロンで本田さんが紹介したのと同じものがありましたので、ここでも紹介しておきます。
「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)
中島さんも本田さんもお勧めです。
今回も参加された本田さんが、もう1冊、「アメリカの鏡・日本」(角川ソフィア文庫)も紹介してくれました。

なお、中島さんが紹介してくれた池田さんもたくさん本を出されていますが、中島さんは、池田さんを囲む定期的な勉強会もやっています。
https://www.facebook.com/events/469984440045893/
参加ご希望の方は中島さんに連絡してください。

今回も話し合いの内容を報告するのは難しかったですが、マスコミ報道だけを真に受けずに、さまざまな見方にも接しながらマスコミ報道を見ると何か気づきがあるだろうということです。
それと書き忘れましたが、近現代史をもっとしっかりと学ぶことが大切だという意見もかなり出ました。

最後に私も意見を話させてもらいました。
1960年代のアメリカの対抗文化を「緑色革命」という書籍で解析してくれたチャールス・ライヒは、いまから20年ほど前に「システムという名の支配者」という書籍を書いています。
そこでは、人と人、あるいは国家と国家ではなく、システムと人の対立関係が世界を動かすという視点が出されていました。
私はそれがいまかなり明確になってきたように思います。
そうした構造を踏まえると世界はまた違った見え方がします。
国家が対立しているように見えますが、たとえば「アメリカ」といった場合、その実体は何なのか。
アメリカ政府なのかアメリカ国民なのか。
アメリカ国民と言っても、それは超富裕層の1%の人たちなのか、99%の人たちなのか。
あるいはトランプ支持者なのかアンチ・トランプの人たちなのか。
こう考えれば、対立の実体は実は見えなくなってきます。
そこが私は最大のポイントだと思っています。

しかし、システムと人間の対立と考えれば、構造は見えてきます。
金正恩もトランプも習近平も、1%の超富裕者も、システムによって選ばれたシステム運営管理者と考えられるわけです。
つまり彼らはシステムの一部であって、利害共有者なのです。
そしてシステムに対する対抗力が育たないように、人のつながりを分断していくのが彼らの役割です。
たぶんなかなか理解してもらえないと思いますが、いつかこれをテーマにサロンをさせてもらえればと思っています。
ちょっと「危険思想」のにおいがするかもしれませんね。
事実はいつも危険なにおいがするものです。困ったものですが。

ところで、今回のサロン参加者のみなさんのなかには、いまの日本にかなり絶望している人が多かったのは意外でした。
なかには“too late”という人もいましたが、私は失望はしていますが、絶望はしていません。
ですから、こうしてサロンを続けているわけです。

今回は茨城県の主婦の方が、国会の原発反対デモに行こうか湯島のサロンに行こうか迷ったうえで、湯島に来てくださいました。
諦めずにサロンをつづけていることが少し報われた気がしました。
100年後には世界はきっと豊かになっているでしょう。

参加者が多かったので、十分発言できなかった方が多かったと思いますが、お許しください。

Inbou1711


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2017/11/01

■出る杭を打つ社会にはあきあきです

立憲民主党の議員たちがどうも「ターゲット」にされだしたようで、次々と「不祥事」がマスコミによって問題にされだしています。
今朝は初鹿議員が問題にされています。
こうしたことを暴き出すことで、政治はどんどん矮小化されてしまうことに大きな危惧を感じます。
もちろん今回も問題にされているような事件が瑣末な事件であるとは全く思っていませんが、その採りあげ方に大きな危惧を感ずるのです。

そこで思い出すのが、一時期、世界を覆いだした「ゼロ・トレランスの嵐」です。
はじまりはジュリアーニ時代のニューヨーク。
地下鉄の駅の落書きを消すことから安全が戻ってくるという話です。
いわゆる「割れた窓理論」には私もとても共感しますし、講演などでも話題にしたこともあります。
かつて、ささやかにではありますが、安全なまちづくりに取り組むガーディアン・エンジェルスの活動を支援したこともあります。
しかし、それらと「ゼロ・トレランスの嵐」とをつなげて考えていなかったことにある時、気づかされ、少し反省しています。

私にとって大切な価値の一つは「寛容」ですので、ゼロ・トレランス発想には大きな違和感があります。
10年前に書いたブログ記事があります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/12/post_ffbe.html
久しぶりに読み直してみました。
そして忘れていたことをいろいろと思い出しました。

ロイック・ヴァカンの「貧困という監獄」という本があります。
世界はいま福祉社会から刑罰社会へと流れを変えつつあるという警告の書です。
それを思い出しました。
古い本ですが、お時間があればお読みください。
いまの世界の状況が、たぶん少し見えやすくなると思います。

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2017/10/26

■「今回の選挙結果」を踏まえての政治談議サロンの報告

「今回の選挙結果」を踏まえての政治談議サロンを開催しました。
予想に反して15人が集まりました。
今回の選挙の投票率の低さを跳ね返す気分です(あんまり関係ないですが)。
特にうれしかったのは、自民党支持者も来てくれたことです。
異論がなければ話し合いの意味は高まりません。

最初に、選挙結果に関するそれぞれの感想を話してもらいました。
大方の人はがっかりしていて、なかには「むなしい」という人もいました。
海外に転居したいというような人が少なくとも2人いました。
野党の混乱ぶりは、目に余るものがありますが、結果に喜んでいる自民党支持者さえもが野党はもっとしっかりしてほしいと言いました。

私は、「怒り(失望)」と「希望」を感じたと話しました。
怒りは投票率の低さ。
希望は政策別に政党が整理される兆しが生まれたことです。

みんな一家言ある人なので、話し出したら長いうえに、論点も飛び交いますので、疲れました。
時には、安倍政権支持者と反安倍者でかなりの激論になりました。
でもまあ掴み合いにまではいたらず、しかし建設的な議論にまではならず、まるで国会の論争を見ているような場面もありました。
まあ国会の議論よりは、お互いに誠実だったと思いますが。

若い女性は、政治はよくわからないがもっと安心して住める社会になってほしいと言いました。
しかし、男性たちの理屈っぽい話に退屈したようで、途中で席を替えて聞き役に回り、時々独り言をつぶやいていました。
床屋談義はやはり男の世界だなと思いました。
もっとも女性たちの井戸端会議も最近は実践につながってきているように思います。
女性たちは話しあっているだけだという発言もありましたが、私はむしろ女性たちのほうが実践的だと思っています。
しかし、男性と女性はやはりちょっとスタイルが違います。
できればそれをつなげていくことが大事かもしれません。
いつか政治合コンを企画しようと思います。
いずれにしろ、話しあうだけではなく、何か実践につなげていかなければいけません。

投票のための情報をどうやって集めているかという話も出ました。
若い女性は、日々の生活体験からと言いましたが、たぶんそれを投票につなげる言語がありません。
私は、今回もまた論点は政治家たちがそれらしい言葉でぼやかしていると感じています。
憲法改正とか脱原発、社会保障重視などは、いかようにも解釈できる言葉ですから、争点にはならないはずですが、それが争点だと言われます。
しかし、日々の生活から投票先を決められるように、選挙公約(マニフェスト)は日常用語で語られなければ、いつになっても「政治家の選挙」から「生活者の選挙」にはなりません
若い女性参加者は、3.11の被災者はまだたくさん大変な状況なのに、オリンピックをやろうとしているのがおかしいとも言いました。
それがたぶん現場につながっている人たちの素直な気持ちではないかと私は思いますが、今回、オリンピックに言及した人はいないでしょう。

こういう話から発展して、報道の姿勢に関してもかなりの議論がありました。
でも報道の姿勢よりも、報道を受ける方の姿勢も問題にすべきだろうと思います。

党議拘束の話など、他にもまだいろんな話題がでました。

ところで、私が意味のある争点だと思うのは、「原発の再稼働」と「再軍備」の是非です。
この2つは、なにかを変えることではなく、これからの行動ですから、その気になればできることであり、実践したかどうかも明確にわかることです。
こういうところが明確に示されれば、生活者でも判断できます。
政治を生活者に取り戻すためには、具体的な日常用語で政策を語ることから始めないといけないと思います。
同時に、それを理解するだけの知識と意見を、人々は持たなければいけません。
そんなわけで、こうした政治談議サロンは継続します。
問題提起した人がいたらご連絡ください。
だれでも話題提供者になれるのが、政治談議サロンです。
話しあう中から、社会性や政治への関心が高まることが大切ではないかと思います。

報告にかこつけて、なんだか私の意見を書いてしまいました。
すみません。

なおサロンの直前、アメリカ在住の方と会っていたのですが、その人からネット情報がアメリカでどう管理されているかを少しお聞きしました。
ちょっと不気味な話でしたが、私にも注意したほうがいいとアドバイスしてくれました。
いつもサロンの写真を無防備にアップしていますが。今回はそんなわけで少しぼかした写真にしました。
最近のテレビはモザイクをかけた映像が多いですが、そんな時代になっていることを改めて感じたので、その気分に従うことにしました。
もっともそんな「物騒な」話し合いが出たわけではありません。
なにしろ床屋談義ですから。
他愛もない話でしたが、そこにこそ政治の根っこがあるようにも思います。

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2017/10/13

■国の責任とは何なのか

10月10日、福島地裁は原発事故に関して国の責任認め賠償命じる判決を出しました。
原発事故をめぐる集団訴訟は全国18の都道府県で1万2000人余りが訴えを起こしていますが、今回の福島地裁の判決は3つ目の判決です。
原発事故を防げなかった国の責任を認めたわけです。
原告代表は、「国の責任が認められたことは評価できる」と話しています。
私は当然だと思いました。
賠償金ももっと払ってもいいのではないかと思いました。

ところで、こういう「国の責任」を認める判決が出た時、私は「国」とは何なのだろうかといつも悩みます。
政府という意味でしょうか。
それなら理解できますが、では政府とは何なのか。
私を含む国民が、社会統治を委託している人たち、つまり行政府ということでしょうか。
その政府の責任が問われ、賠償金を支払うということは、統治を委託した私たちの税金で賠償するということです。
ということは、実際には政府を構成する統治者たちが賠償金を負担するわけではありません。
賠償金を負担するのは、被告(被災者)を含めた国民であって、責任が問われる行政府の人ではありません。
これはおかしいのではないのか。
いつもそう思うのです。
国の責任とか政府の責任などと言わずに、行政府の誰かを被告にすべきではないかと思うのです。
政府の責任が問われて賠償金が認められたのであれば、賠償金は政府のトップである首相や管理責任者が払うべきではないかと、私はいつも思うのです。

神戸製鋼が今回とんでもない不祥事を起こしました。
昨今の企業は一体どうなっているのかと思うのですが(私の考えでは1980年代頃から日本の企業はおかしくなりだしています)、株主訴訟で経営者の責任が問われ、場合によっては賠償金の請求が個人にも行くでしょう。
不祥事があれば、社長が謝罪に出てきます。
しかし、国家の場合は、そういうことはほとんどありません。
それがどうしても理解できません。

もう一つ理解できないのは、賠償金額が低すぎることです。
もし自分が被害当事者になったなら、こんな賠償金で生活が戻るはずはありません。
少なくとも私の感覚では一桁は違います。
被災者とそうでない人との感覚の違いでしょうが、あまりにも低すぎます。
そして、こういう問題が起きても、相変わらず原発はコストが安いなどと言っている人が多いことも不思議です。
さらに、原発再稼働を支持している人がいることは、私には信じがたい話です。

こうした裁判の被告は、「国」などという制度対象にするのではなく、首相や行政官僚にすべきではないかと思います。
もし国にするのであれば、賠償金は国民全員で均等に負担するようにすべきです。
もちろん原告も含めてです。

得をする人と損をする人。
誰かが得をし、だれかが損をするための制度が国家なのでしょうか。
そんな国家は変えていかなくてはいけないと思います。
国の責任と言われて、自分の責任につなげて考えられない人は主権者ではありません。
国に責任があり、賠償金を支払わなければいけないということは、国民一人ひとりが問われていることです。
でもほとんどの人は、国の責任を認めた判決を読んでも、自分とは無縁だと思うでしょう。
どう考えてもおかしな話ではありませんか。

ともかくこうした判決が出ると、私はいつも悩んでしまいます。
頭がこんがらがって仕方がありません。

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2017/10/10

■サロン「私が考える日本の政治課題ー新党創設の動きに絡めて」の報告

選挙公示前日の昨日、「日本の政治課題を考える」シリーズのサロンをスタートしました。
リンカーンクラブ代表の武田文彦さんによる、日本の政治課題への問題提起を踏まえての話し合いでしたが、副題に新党創設とあったため、そしてたまたまいま新党の立ち上げが政局を混乱させていることもあったため、進行役の私の思い違いもあり、話が拡散してしまい、参加者には混乱を与えてしまったかもしれません。
すみません。

しかし、いや、だからこそですが、話題はいろいろと飛び交い、それぞれの思いもかなりでて面白かったです。

まず今回の解散の理由にされている、今の北朝鮮との緊張関係はそもそも誰がつくりだしたのかという話から始まりました。
それは憲法違反による安保法制の制定で、自衛隊の位置づけが変わってしまったことではないかというのが、問題提起者の武田さんの指摘です。
またなぜ森友・加計問題の説明責任について、もっと野党は突っ込まないのかも話題になりました。
いずれも、政府の本質にかかわる問題ですが、政局的な話のため、そのあたりで議論が始まってしまいました(私の責任です)。
その後、武田さんの問題提起によって、領土問題、財政問題、核武装議論、国民投票制度、エネルギー問題、地方分権など、話は拡散してしまいましたが、これもひとえにひとえに進行役の私の責任です。
武田さんは、究極的民主主義に向けての政治制度の変革と同時に、新たな日本国家のありようについて、思考を重ねてきていますが、そうした課題がどっと出てきてしまったので、私自身がいささか混乱してしまい、整理できなかったのです。

新党に絡めて、「維新」とはなにか、なぜ「革命」ではないのかという問題提起もありました。
武田さんは、幕藩政治から議会制民主主義になり、産業革命も成し遂げ、国家の内実も大きく変化した明治維新を評価しています。
しかるに、戦後の政治体制は、敗戦後復興体制とも言うべき体制であり、今も厳然とそういう体制が残っており、アメリカに隷属する国家に成り果てている。
しかも、その事実を気がつかせないくらいに日本人はそうした状況に違和感を持っていない。
そればかりか、アメリカに隷属することを誇りとするかのように、トランプ大統領が当選したとき一番に駆けつけるような首相を選んでしまっている。
それを変えなければいけないというのが武田さんの思いです。
さらに武田さんは、小さな島国で生きている私たちが自立していくためには、食糧やエネルギーの自給体制を確立しなければいけない。
そのために、科学技術立国、重脳国家を目指し、理系人材の育成にもっと力を入れるべきだと考えています。
そういう武田さんの国家観あるいは国家ビジョンに話題が届く前に、議論は広がりすぎてしまい、さらにそうした問題を解決するためには新党が必要だというような話にまで行ってしまい、そのあたりでタイムオーバーになってしまいました。

そんなわけで、いろいろと話は出たものの、なにやらすっきりしなかった人も多いと思いますが、お許しください。
でも参加者のひとりからは、面白かったというメールが後で届いたので、それをもって良しとしましょう。
ちなみに今回の選挙結果については、意見は分かれました。

ところでこれに懲りることなく、このサロンは継続します。
次回はもう1回だけ寄り道します。
詳しい案内はまた追ってさせてもらいますが、政治を読み解くメディアリテラシーの話も踏まえて、メンバーの中島さんの日本国家像を話してもらいます。
またかなり混乱するサロンになりそうですが、まあそれもいいでしょう。

参加者は10人でした。
みんな一家言あるうるさ型でしたので、つかれました。
はい。
でも帰宅して、次のユーチューブを見たら、元気が戻りました。
ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/embed/dmqT-ICLeTE

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■投票先は自分軸があればすぐ見えてきます

選挙活動が始まりました。
今回は、とてもわかりやすい選挙だと思いますが、どうもマスコミは大きな構造を見えないようにしているような気がします。
選挙後の政権構造のゆくえなどよりも、やはりしっかりした政策理念に整理すべきだと思いますが、8つの政党の関係構図を描くときには、ほとんどが与党グループ・希望グループ・それ以外にマッピングし、しかも与党グループと希望グループを対極に置き、そこに立憲民主党などを第3局に位置づけています。
つまり、基本構図が、政策とは関係ない、安倍・反安倍なのです。
これでは痴話げんかにしか見えません。

私は現在の日本が未来を考える時に大切なテーマは、「9条」と「原発」だと思います。
ですから、「9条を変える・変えない」と「原発再稼働指示・新規稼働ストップ」の2軸で4次元マップをつくれば、整理しやすいと思います。
そうしたチャートをぜひとも出してほしいですが、出てきません。
もちろん軸は他にも設定できますが、教育無償化や社会福祉重視などのようなことは、ほとんど誰も賛成でしょうから、政策手段の優先に関する軸であって、政策理念の対立軸にはなりません。
財政再建や消費税も、政策理念ではなく、政策手段であって、次元が異なります。

そういうマップに基づいて、私は投票相手がすぐ決まります。
投票先が見つからないという人は、要するに自分の軸を持っていないだけの話です。
そういう人はすべてと言っていいと思いますが、現在の与党グループに与すると言っていいでしょう。
無党派層などと言いますが、むしろそういう人は与党支持層、つまり権力依存層だと自認すべきだと私はいつも思っています。

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■政治家の演説を聴いてはじめて涙が出ました

政治家の演説を聴いてはじめて涙が出ました。
日本の政治に、そして日本の未来に、期待と信頼が戻ってきました。 是非見てください。
https://www.youtube.com/embed/dmqT-ICLeTE

昨日も湯島で政治を考えるサロンをやっていました。
参加者全員、いまの政治を変えたいと思っているようでしたが、無力感が強いです。
まずはその無力感やあきらめを捨てないと何も始まりません。
改めてそう思います。

昨日も話させてもらいましたが、いま政治は大きな転換期を迎えてきています。
経済も同じように、パラダイム・シフトを求めていると思います。
今と言っても、私の認識では30年くらいまえからです。
1989年は、その目に見える転換点でした。 私もその年に組織を離れて、個人で生き出しました。
しかし、その後も、政治も経済も従来の延長でしか動いていないために、さまざまな混乱や閉塞状況が生じています。
しかも残念ながら私の感じでは、別の方向へと転換しようとしている気がします。
つまり、経済も政治も人間を部品化する方向へと向かうような気がしています。
その先に見えるのは、AIによる「平和な世界」です。
世間で広がっているAIによるシンギュラリティ信仰は、それへの憧れと畏れ(それは同じものだと思いますが)を示唆しています。
シンギュラリティ信仰に帰依し喧伝する人たちは、人間であることを放棄したがっているとしか思えません。
今年のノーベル文学書がカズオ・イシグロに決まったことにも、そうした予兆への不安が現れているようにさえ思います。

私が考える政治や経済のパラダイム・シフトの方向は、システムから人間へ、です。
私のホームページ(CWSコモンズ)もこのブログ(CWSプライベート)も、そしてささやかな活動や私自身の生活も、すべてこの原則に従っています。
政治でいえば、その対立軸は「統治側の視点」から「生活者の視点」への転換です。

その視点からは、これまでのような政党制度や議会制度は役割を終えたと思っていますが、しかし一挙には変わりようがありません。
そうした制度の中で、どうしたら枠組みの転換は可能になるのか。
唯一の方法は、人間が人間であることに気づくことではないかと思っています。
湯島で毎週のようにサロンをやっているのは、そういう思いと無縁ではありません。
もう少しきちんと書かないと伝わらないかと思いますが、湯島のサロンは勉強会ではないのですが、いまも「勉強会」だと思っている人もいます。
大切なのは、勉強ではなく、自らで考えることです。
自らで考えるために勉強するのであって、制度やシステムに合わせるために勉強するのではありません。
そういう、私が考える人間ではない人たちに、人間に戻ってもらおうというのが、私の意図なのです。ますます誤解されそうになってきたのでやめます。

枝野さんのスピーチに涙が出てしまったのは、まさにそうした人間からの政治の再構築の思いを感じたからです。
システムの部品として原発事故の後、活躍した枝野さんの口からです。
枝野さんは人間に戻ってきた、そう感じたのです。

枝野さんはどうも好きになれなかったのですが、彼の決意に元気をもらいました。
枝野さんに感謝します。

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2017/10/06

■10月9日の午後、湯島で政治を考えるサロンをやります

政治の先がかなり変わってきました。
私の予想はいつも外れますので、見えてきたといえるかどうかわかりませんが。
しかし、小池さんの新党の実態がかなり見えてきたのはうれしいです。
小池さんは相変わらずチャーターメンバー(自分の子飼いメンバー?)に相談すると公言していますので、小池新党は「小池ファースト」であることはかなり明確になってきました。
前原さんは完全に枠外に置かれた消費的な存在です。
というか、前原さんは善意の人なのでしょうが、よくいわれるように、地獄への道は善意のじゅうたんで敷き詰められているのです。

私は、石破政権か小沢さんの傀儡政権ができると思っていたのですが、どうもいずれもはずれで、
もしかしたら枝野政権が出くのではないかと思い始めています。
いやそれは期待というべきでしょうが」
枝野さんは、原発事故の後の対応があまりにも悪かったので、その印象がなかなかぬぐえませんが、福山さんが幹事長になるのであれば、私には信頼感が高まります。
共産党も、いよいよ名前を変えるかもしれないという期待もあります。

まだいろんな進展がありそうです。
小池さんも小沢さんも、このままでは済まさないでしょう。
しかし、それもまた立憲民主党の風にしていければと思います。
国民の多くがちょっと目覚めるだけで、未来は大きく変わっていくでしょう。
ここは立憲民主党の風を吹かせたいです。
そうしないと日本は私にとってはますます住みにくくなるでしょう。

10月9日の午後、湯島で政治を考えるサロンをやります。
ぜひみなさん話に来てください。
希望の党支持者も、安倍政権支持者も、大歓迎です。
私はまったく支持しませんが、私が間違っているかもしれませんし。

亀井さんが引退しました。
引退会見での話は、実に亀井さんらしかったです。
片山さんはどう思っているのでしょうか。
亀井さんには会ったことは一度もありませんが、魅力的な政治家でした。

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