■節子への挽歌800:レインボーブリッジの夜景を見ながら思ったこと
節子
昨日、芝浦のホテルでのフォーラムに参加しました。
懐かしい面々が参加してくれました。
もう20年以上関わっている企業の経営幹部の人たちの集まりですが、みんなどんどん変化していきます。
こうした集まりにも、節子は時に付き合ってくれましたが、私とは違った視点で、そうした人たちの人物を感じ、私も節子を通して企業経営者を見る目を持たせてもらいました。
女性の目、生活者の目は、実に辛らつです。
子供の目と同じで、人の本質を見抜きます。
そこでは小賢しさなどは全く通用しないのです。
みんなに議論してもらっている間、東京湾が見えるロビーで、そんなことを思い出していました。
レインボーブリッジの夜景が、とてもきれいでした。
ふと思いました。
こういう夜景のきれいなレストランで、節子と食事をしたことがあっただろうか。
こうした場所に、節子を連れて行ったことはあっただろうか。
私は、こうした華やかというか、贅沢というか、そうした場所が不得手でした。
仕事の関係で、会社時代は時々、そうした場所にも行きましたが、まったくと言っていいほど、価値が見出せないのです。
貧乏症なのか貧乏そのものなのか、区別は付け難いですが、節子も私も、そうした場所への関心はありませんでした。
しかし、今から思えば、節子をそうした場所に連れて行かなかったことが悔やまれます。
このレインボーブリッジの夜景を見たら、節子はどんなに喜ぶでしょうか。
節子は私と違い、素直に喜ぶタイプでした。
私は、この夜景に一体なんの意味があるのか、などと憎まれ口をたたいてしまいがちでしたが。
節子は、つつましやかな日常の中に、ちょっとした「ハレ」の場面をつくるのが好きでした。
それを楽しんでいたのです。
お金などなくても、ハレの場はつくれます。
節子から学んだことはたくさんありますが、学んだだけではやはり実践はできません。
あれは節子の天性でした。
私は、いつか思い切り贅沢な体験を節子にさせてやろうと思っていました。
同窓会などで、名前も知らない豪華なお店で奥さんと一緒に食事をした話を同窓生から聞いたりすると、何だか「罪の意識」を感じてしまうことが時々あったからです。
しかし、それを実現させてくれないまま、節子は逝ってしまいました。
それがとても悔やまれます。
苦労ばかりかけて(節子は苦労などとは思っていなかったでしょうが)、節子に一度も贅沢な体験をさせてやれなかった。
夫としての不甲斐なさを反省しています。
節子が何と言おうと、一度くらいは連れていけばよかったです。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)