カテゴリー「妻への挽歌9」の記事

2010/02/18

■節子への挽歌900:雪化粧

今日は雪です。
時評にも書きましたが、わずかな雪が積もるだけで世界の風景が一変します
節子も私も雪が好きでした。
なんだかとてもわくわくするからです。
それに、雪の思い出もいろいろとありました。
節子が育った滋賀の湖北も、雪がよく降りました。

節子の父の葬儀も雪の降る寒い日でした。
節子の姉の結婚式も雪が降っていました。
湖北の文化になじんでいなかった私は、節子の言うままにそうしたいろいろな体験をさせてもらいました。
文化の豊かさを教えてもらったのも、いつも節子からでした。
節子はいつも私が恥をかかないように、気をつかってくれました。
ですから不案内な状況に置かれても、節子が近くにいる限り、私はいつもどおりの気楽さでいることができたのです。
私にとっては、節子は実に心強い伴侶でした。

あまり意識はしていませんでしたが、今になってはっきりわかるのですが、そうした体験の中から私の節子への過剰な信頼感が生まれていたのだろうと思います。
どんなことがあっても、節子がいれば大丈夫、だという信頼感です。

しかし現実の節子は、実は頼りない存在でした。
アドバイスだって、かなりいい加減だったのです。
でも不思議なことに、そんな頼りない2人が一緒になると双方共に自信が持てるのです。
人はやはり、その文字の通り、2人でセットなのかもしれません。

外の雪景色を見ていると、節子と歩いた大山や猪苗代や奥入瀬渓谷を思い出します。
しかし、なぜか細部が思いだせません。
みんな夢のような思い出で、本当にあったことかどうかさえ危ういような思い出です。
節子は、本当に実在したのだろうか。
そんな気さえしてしまいます。

彼岸も雪でしょうか。
寒がりだった節子を温めてやりたいと、心から思います。

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2010/02/17

■節子への挽歌899:時間は愛の関数

節子
先日、お餅をあられにしたものをユカが炒ってくれました。
それを食べていたら、突然、歯に衝撃が走りました。
何が起こったかわからなかったのですが、少しして歯が真っ二つに割れてのに気づきました。
歯医者さんにいって、処置してもらいながら、不幸は思いもかけずに突然やってくるものだと思いました。

節子との別れも、突然でした。
客観的には決して突然ではなく、予想されていたことでしょうし、医師にとっては突然どころか予想以上に延びていたかもしれません。
私たち家族も、そうしたことは知っていました。
しかし、にもかかわらず「突然」だったのです。
愛する人との別れまでの時間を、無限に長く設定してしまっていたのです。
そんなことはありえないからこそ、無限の時間になるのですが。

節子と一緒の時間は、驚くほど速く過ぎました。
愛する人との逢う瀬は、いつも短く感ずるものです。
現在も過去も、愛する人との時間の進み方は速いということになります。

こういうことです。
愛する人と共有する時間は、過去と現在は速く過ぎ、未来は無限にゆっくりしている。
愛は時間を変化させるのです。

また訳のわからないことをと節子に言われそうですが、時間は愛の関数なのかもしれません。
もしそうであれば、時間はコントロール可能なものになるからです。
愛が深ければ時間は短くなる。
時間を長くするには愛を押さえればいい。
愛のない時間は確かにゆっくりと進みます。

節子がいなくなってから、時間の経過があまり感じられないのは、愛が具現化されていないからかもしれません。
愛がゼロなら時間もゼロというわけです。

なんだか少し混乱してきました。
しかし、愛と時間の関係はもう少し考える価値がありそうです。
まあ、こういう話は節子の好みではなかったのですが、それでもよく話し相手にはなってくれました。
生活を長年共にしていると、夫婦は言葉以上のものをコミュニケーションしあえるようになります。
言葉は、その一部でしかありません。
言葉ではわけのわからない話をしていても、きちんと何かが共有でき、何かが生まれるのです。
コミュニケーションもまた、愛の関数なのかもしれません。

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2010/02/16

■節子への挽歌898:タッタ

昨日は「心を対象に入れ込む」ということを書きました。
それこそが「住地解脱」への第一歩だと考え出したからです。
対象の向こうに広大無辺な彼岸が見えてくるかもしれません。
まだまだその心境には程遠いですが、そこで思い出したのが「タッタ」です。

タッタは、手塚治虫の作品「ブッダ」に登場してくる人物です。
タッタは手塚治虫が創りだした架空の人物ですが、この作品の方向づけをするほどの重要な役割を果たしています。
彼はインドではカーストからさえも外されたバリア(不可触賎民)の出で、人間というよりも動植物の中で育ったためか、子ども時代には動物に乗り移ることができました。
どんな動物とも顔を見合わせることで、相手の心の中に入り込めるのです。
私ももしかしたらできるのではないかと思い、わが家の犬のチビタに何回か試みましたが、成功しませんでした。
やはり人間の世界に長くいるために生命が閉ざされてしまっているのでしょう。
タッタも、成長するにつれて自分を自然と一体のものとみなすことができなくなり、その力を失ってしまいます。

このタッタの能力がナラダッタの悲劇を生み出します。
ナラダッタも架空の人物ですが、タッタの友の生命を救うために、タッタの能力をつかって動物を酷使し、殺生をしてしまいます。
そのため、師である聖人アシタは、ナラダッタを畜生道に追い落とし、一生をかけて罪を償わせるのです。
人間の視点から考えると、畜生道ですが、子どものタッタの視点に立てば、そこは豊かな理想郷かもしれません。
ナラダッタが、そこで自然の一部であることに気づくのであれば、畜生道とは理想郷にほかなりません。
仏教には大きな矛盾が至るところに込められていますが、それは後世の無妙な僧侶たちが余計な粉飾を付け加えたからだろうと思います。

タッタの話は、いろいろなことを考えさせてくれます。
人が成長するとは自然の存在であることを捨てることなのか。
天真爛漫で天使のような無垢の子どもが、なぜ小賢しい大人になっていかねばいけないのか。
人の一生とは、「解脱」とは全く逆のベクトルをもっているのではないか。

時評編で昨日書きましたが、今、エレン・ケイの「児童の世紀」を読み出しました。
解脱のヒント、社会変革のヒントは、「子ども」にあるのかもしれません。

挽歌のつもりが、なんだか違う方向の内容になってしまいました。
まあ節子は許してくれるでしょう。

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2010/02/15

■節子への挽歌897:無明住地煩悩から住地解脱へ

勝鬘経に、「一切の煩悩は、皆無明住地を因とし、無明住地を縁とす」とあります。
住地とは、ある特定の対象に心を止めることです。
心を止める結果、それに束縛されて心身は自由を失います。
そのため、生きている世界が見えなくなってしまう。
つまり、そこから煩悩が始まります。
無明とは「明になし」、つまり迷いです。

江戸初期の沢庵禅師が武道の極意を語るのに、この言葉をつかったようです。
刀で立ち向かうとき、相手の切太刀見て、それに合わそうとすると、肝心の自分の太刀裁きができなくなってしまい、結局は相手に主導権を取られてしまうということです。
相手の動きに対応しようとすれば、決して主導権はとれません。

特定の「一事」にこだわらずに生きる。
これが私の目指す生き方の一つです。
それはとても難しいことで、なかなか実現できませんが、できるだけそうありたいと考えています。
そのために専門性もなければ、成果もあがらないというわけですが、自分としてはまあそれなりに納得できる生き方です。

ところが先日、改めてこの言葉に出会いました。
私にとっては全く別の次元だと思っていたのですが、私もまた「節子」に心を止めすぎて、世界が見えなくなっているのではないか、と思い出したのです。
結論を先に申し上げれば、決してそんなことはないのですが、無明住地煩悩とどこが違うのかを、自分なりに納得しておきたいと思い出したのです。

華厳経にインドラの網という話があります。
インドラの網とは「場所的にも時間的にも遍在する、互いに照応しあう網の目」のことで、現代風にいえば、ホロニックな世界観です。
それらを組み合わせると、こういう言い方ができます。
ある特定の対象に焦点を合わせると、そこから世界が見えてくる。

ここで重要なのは、「心を止める」のではなく「心を対象に入れ込む」ことです。
「入れ込む」ことの難しさは、私はこれまでも何回か失敗的に体験しています。
しかし、もしかしたら、今回は成功しそうな気もしています。
「節子」に心を入れ込んで、無明煩悩から抜け出ることができそうな、そんな気が最近しだしています。
まさに「住地解脱」です。

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2010/02/14

■節子への挽歌896:「アタラクシア」

先日、スピノザのことを書きましたが、スピノザの哲学は「喜びの哲学」です。
彼のメッセージは、決してストイックではなく、むしろエピキュリアンを感じさせます。

エピキュリアンは、時に「快楽主義者」と訳されるために誤解されがちですが、エピキュリアンにとっての「快楽」は「心の平穏」です。
魂(心)の平穏を意味する「アタラクシア」こそが、エピキュリアンの目標でした。
元祖エピキュリアンの、古代アテネのエピキュロスは、感覚による瞬間的な快楽は後に苦をもたらす。真の快楽とは苦痛をもたらさない状態であり、魂の安らぎ(アタラクシア)がそれである、としたのです。

彼らにとっての最大の敵は「死」だったといいます。
「死」は、不安を与え、心を乱すものだったのです。
エピキュロスも、その例外ではなかったようです。
そこで彼は、「万物が原子で構成されている以上、死もその分解過程にすぎない」というという原子論的自然観を受け容れることで、死への不安を克服したといいます。

心がかき乱されることなく、穏やかさを保持するためには、どうしたらいいでしょうか。
世事から遠のくのがいいかもしれません。
事実、エピキュロスは、隠れて生きることを志向したようです。
つまり、ストア派以上にストイックな生活をしたわけです。

竹宮惠子さんのSF漫画に『地球へ…』という作品があります。
物語は1000年以上未来の惑星アタラクシアから始まります。
この作品では、「アタラクシア」はかつての地球の植民惑星の名前です。
『地球へ…』を読んだのは、もう30年近く前のことです。
女性漫画家のスペースSFの時空間感覚は男性作家のそれとは違い、極めて想像的です。
それが私には魅力的でした。
もっとも私が読めたのは竹宮さんと萩尾さんの作品だけでしたが。
私が「アタラクシア」という言葉を知ったのは、その作品でした。

アタラクシアでは、人の人生はコンピュータによって完全に管理されています。
つまり主体性のない家畜のような人生です。
そこにあるのは間違いなくアタラクシア、つまり「心の平穏」です。
その状況を脱するべく、一人の若者がたちあがります。
後はよくあるストーリーです。

立ち上がった若者には「心の平穏」はあるでしょうか。
『地球へ…』は、アタラクシアからテラに向かう物語なのです。
いいかえれば、「心の平穏」から「生きる喜び」へ、です。

節子を見送って以来、私はそのいずれをも目指せずにいます。
アタラクシアとテラの間に、何かがあるような気がしてはいるのですが。

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2010/02/13

■節子への挽歌895:伴侶がいなくなることの戸惑い

湯島のオフィスはいま、「自殺のない社会づくりネットワーク」の事務局になっています。
そのため、時々、知らない人から電話がかかってきます。
先日、電話に出た途端に押し殺すような女性の声が耳に入ってきました。
搾り出すような声で、同じ状況の人と話したい、というのです。
自死遺族の会のことをお伝えしました。
その方は電話されたでしょうか。
いつもこうした電話を受けた後は心が残ります。
いっそ、ここで相談対応をしたいという気にもなりますが、その自信はありません。
電話してくる人の気持ちが痛いほどよくわかり、引き込まれそうになりますから、相談者にはたぶん向いていないでしょう。

節子
伴侶を失うことの辛さは、その原因によらず、たぶん歩き方がわからなくなることです。
彼岸と此岸の違いはあっても、節子もそうだったかもしれません。
逝った者と逝かれた者とは、つねに相似的な関係ですから。

原因が何であろうと、またたとえ離婚などで相手が元気であろうと、伴侶との別れの辛さは変わらないのではないかという気がします。
但し、名実共に伴侶になっていた場合のことですが。

原因の所在がどちらにあろうと、意味を持っているのは「伴侶がいなくなった」という、その一事だけだからです。
しかし原因が「自殺」の場合は、突然すぎるために、歩けないどころが「じっとしていられなくなる」のかもしれません。
数人からの電話しか受けていませんが、そんな気がします。
にもかかわらず、最初の一声を聞いただけで、何か通ずるものを感じるのは不思議です。
時間がたつと余裕ができてくるためか、自分をカバーできますが、その直後は素直な反応がそのまま出てしまいます。
だから、声の表情の後ろが感じられるのです。
人の脆さ、人の哀しさ、人の優しさ。
それはたぶん体験した者のみが、改めて覚醒させられる、人間の本質かもしれません。
その心身が維持できる社会であれば、みんなどんなに幸せに過ごせることでしょうか。
それこそが、まさにユートピア。

そうした電話のたびに、私の心身は震えます。

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2010/02/12

■節子への挽歌894:「死」が表情を持ち出した

節子
こちらはとても寒いです。
昨日は和室でコタツに入っていても、手がかじかむ感じでした。
父の命日だったので、お墓参りにいくつもりでしたが、あまりの寒さにやめました。
まあ薄情な息子です。
節子がいたら間違いなく行ったでしょうが、一人だとどうも怠惰さに負けてしまいます。

父の葬儀の日もとても寒い日でした。
父が亡くなったのは、昭和62年の2月11日。
13年前の今日が通夜でした。
とてもとても寒い日でした。

私たちは途中からの同居でしたが、節子は私の両親にとてもよくしてくれました。
実の息子の私よりも、両親は節子を信頼していたでしょうし、心安かったでしょう。
私はあまり良い息子ではありませんでした。
私の娘たちにもそう見えていたようです。
しかし私にとっては、自分よりも妻が両親に好かれていることはとてもうれしいことでした。

父を見送った時、私はどんな思いだったか、今では全く思い出せません。
高齢者の「死」に対しては、どちらかというと素直に受け入れられるタイプでした。
人は生まれ、生を営み、死んでいく。
そうした自然の流れに自らも身を任せていましたし、死に対する拒否感はありませんでした。
薄情なのかもしれませんが、今も心のどこかにそうした「冷淡さ」があるような気がします。
自己弁護的に少し良くいえば、「大きな生命」を感じているので、個々の死にはさほどの意味を感じていなかったのです。

しかし、父の死は私にいろんなことを教えてくれました。
人はつながりの中で生きていることを改めて実感したのも、そのひとつでした。
またこの頃から、私の節子への傾倒は強まったような気がします。
そしてその1年後に会社を辞める決意を固めました。

そうした私の「死」に対する感覚を変えたのは、身勝手なのですが、節子との別れです。
「死」と「別れ」は違うものかもしれませんが、節子を見送ってから、「死」の感じ方も変わったように思います。
「死」が表情を持ち出したと言ってもいいかもしれません。

節子は私の両親と何を話しているでしょうか。
まあだいたい想像はできますが。

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2010/02/11

■節子への挽歌893:黄泉と常世

昨日の続きです。
彼岸の節子が私の中に入ってきたために、夜が明るく感じられると書きました。

彼岸は日本では「黄泉(ヨミ)の国」といわれていました。
古事記には黄泉の国のことが出てきますが、あまりイメージはよくありません。
しかし、「ヨミ」とは「ユメ」、つまり「夢」のことだという説もあります。
死が「夢の世界への移住」だと考えると、なんだかとても安堵できるかもしれません。
もっとも私の見る夢は、サスペンスやSFものが多いので、夢の中で安堵出来ることは少ないような気もしないでもありませんが。
私の夢は不思議な夢が多いのです。
彼岸に向かう列車の駅の夢も時々見ます。
それが実にライブなので、目覚めた時にその駅名が実際にないかどうか、ネットで調べたことさえあります。
銀河鉄道に乗ったこともあります。

「ヨミ」は「ヤミ(闇)」からきたのだという説もあります。
そうなると夜は彼岸への入り口です。
感じとれる人には、彼岸からの導きの光が感じられるかもしれません

「ヨミ」は「ヨモ」(四方)からきたという説もあるようです。
生活圏外を表わすという解釈だそうです。

彼岸につながる言葉には、もう一つ「常世(とこよ)」があります。
概念的には、このほうが彼岸に重なります。
常世は、永久に変わらない世界であり、そこには因果律も時間軸もないとされます。
移ろいやすい「現世」に対峙する世界です。
「常世」は「常夜」とも表記されます。
夜の状態でしかない世界であり、そこから、「常世」は死者の国や黄泉の国とも同一視されるわけですが、折口信夫は、「常世」こそ海の彼方、または海中にあるとされる理想郷だとしました。
それらは別に食い違っているわけでもなく、彼岸を理想郷と考え、夜(暗闇)を心の平安を与えるものと考えればいいだけの話です。

しかし私たち、現世を生きるものには「闇の光」を体感できないためか、「夜」の「闇」は不安を与えるものです。
なぜそうなのか、それを考えていくと、生と死に秘められた謎の一端が見えてくるような気がします。

この挽歌も、なんだか小難しくなってきていますが、彼岸が垣間見えたような気がしている私にはいささか書きたい気分のテーマではあるのです。
でも今回は、こんなところでやめておきます。

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2010/02/10

■節子への挽歌892:「夜がこんなに暗いとは」

「愛」と映画の話になると、いくらでも書けますが、次第に話題が節子から遠のいてしまいそうです。
でも私にはすべてがつながっています。
今日は「アラモ」です。
ジョン・ウェイン監督・主演の大駄作の西部劇大作ですが、3か所だけ私の好きな場面があります。
一つは前に書きましたが、アラモの指揮をとるトラヴィスがサンタアナ軍に宣戦布告する場面です。
もっと感動的なのが、アラモの陥落が時間の問題になり、義勇軍たちはアラモから出て戦おうということになるのですが、そのことを一番主張していたジム・ボウイが残って戦うというトラヴィスに同調する場面です。
言葉では書けませんが、ここは何回観てもあきません。
実に感動的で、この場面を見るために私は何回か映画館に足を運んだほどです。

残りの一つは「見せ場」ではないのですが、最初観た時から心に残った場面です。
ジム・ボウイが妻の死を知らせる手紙を受け取った後の、クロケット、そしてトラヴィスとのやりとりです。

「夜がこんなに暗いとは」
ジム・ボウイの言葉です。
なぜか学生の頃、この映画を観て以来、この言葉だけははっきりと覚えています。
もちろんその意味など、わかろうはずもありません。
ただただ心に残ったのです。

ところで、私の場合です。
節子がいなくなってから、夜が明るいのです。
前にも書きましたが、夜が不思議に明るく感ずるのです。
節子のせいだと思わざるを得ないほど明るいのです。
但し自宅にいるときだけです。
夜道ではそう感じたことはないのですが、自宅では夜もなぜか明るく感じます。
彼岸の節子が私の中に入ってきたために、夜の帳(とばり)が閉じなくなったのではないかというのが、私の受け止め方です。

この続きは長くなりそうなので、明日また書くことにします。

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2010/02/09

■節子への挽歌891:女性は男たちの人生を変えてしまう

一昨日、テレビで映画「トロイ」をやっていました。
最後の10分くらいを観ただけですが、いろいろと思い出しました。

古代史劇を私が好きになったのは、高校生のころ観た「トロイのヘレン」でした。
そのリメイクが制作されたというので、私としてはめずらしく一人で映画館に観に行きました。
その前に節子を「ロード オブ リング」などのCG作品に誘ったため、もともとあまり映画が好きでなかった節子の映画嫌いは決定的になってしまい、その種の映画には付き合いたくないといわれていたのです。
たしかにCGが入りだしてからの映画は、私にも退屈になってしまいました。
「トロイ」はホメロスの「イリアス」を下敷きにした作品ですが、陳腐な筋書きになってしまっていました。

節子とのトルコ旅行でトロイ遺跡に行きました。
私のイメージとは全く違っていましたし、不思議なことにあまり「気」を感じられませんでした。
遺跡に立つと、いつもはそこから声が聞こえてくるのですが、一切聞こえてきませんでした。
それに、私の想像していたトロイ遺跡に比べて、あまりに狭かったのです。
シュリーマンを疑いたくなるほどでした。
トロイに限れば、楽しんでいたのはむしろ節子でした。

まあそれはともかく、トロイ戦争もまた「愛の物語」です。
時はいまから3000年以上前の地中海。
当時の覇者はトロイでした。
そこに挑んだのがギリシアです。
そしてこのトロイ戦争を機に、地中海はギリシアの世界になっていくわけです。
ここまでは「史実」ですが、ホメロスの「イリアス」はそれを愛の物語にするのです。
「イリアス」によれば、トロイ戦争の直接の引き金はトロイの王子パリスとスパルタの王妃へレンが愛し合ってしまうことです。
しかし、その背後には神々の愛の争いが描かれています。
人の世界だけではなく、神の世界もまた、愛によって動いているのです。

節子はヘレンのような美女ではありませんでしたが、私にとってのヘレンでした。
パリスがそうであったように、私は節子に出会って人生が決まりました。
それは、やはりパリスの場合がそうであったように、神々によって定められていたのでしょか。
女性は男たちの人生を変えてしまうために神様がこの世に送った存在かもしれません。
節子は、その存在によって、そしてまた、その不在によって、私の人生を大きく変えてしまいました。
男とは、所詮は女性の付随物なのかもしれません。

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