■節子への挽歌900:雪化粧
今日は雪です。
時評にも書きましたが、わずかな雪が積もるだけで世界の風景が一変します。
節子も私も雪が好きでした。
なんだかとてもわくわくするからです。
それに、雪の思い出もいろいろとありました。
節子が育った滋賀の湖北も、雪がよく降りました。
節子の父の葬儀も雪の降る寒い日でした。
節子の姉の結婚式も雪が降っていました。
湖北の文化になじんでいなかった私は、節子の言うままにそうしたいろいろな体験をさせてもらいました。
文化の豊かさを教えてもらったのも、いつも節子からでした。
節子はいつも私が恥をかかないように、気をつかってくれました。
ですから不案内な状況に置かれても、節子が近くにいる限り、私はいつもどおりの気楽さでいることができたのです。
私にとっては、節子は実に心強い伴侶でした。
あまり意識はしていませんでしたが、今になってはっきりわかるのですが、そうした体験の中から私の節子への過剰な信頼感が生まれていたのだろうと思います。
どんなことがあっても、節子がいれば大丈夫、だという信頼感です。
しかし現実の節子は、実は頼りない存在でした。
アドバイスだって、かなりいい加減だったのです。
でも不思議なことに、そんな頼りない2人が一緒になると双方共に自信が持てるのです。
人はやはり、その文字の通り、2人でセットなのかもしれません。
外の雪景色を見ていると、節子と歩いた大山や猪苗代や奥入瀬渓谷を思い出します。
しかし、なぜか細部が思いだせません。
みんな夢のような思い出で、本当にあったことかどうかさえ危ういような思い出です。
節子は、本当に実在したのだろうか。
そんな気さえしてしまいます。
彼岸も雪でしょうか。
寒がりだった節子を温めてやりたいと、心から思います。
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