■百姓一揆呼応隊を立ち上げました
先日、キルギスでの植林プロジェクトに関して人探しのお願いをさせてもらいましたが、おかげさまで10人近い方が協力してくださることになりました。
すでに現地とのZOOMでのミーティングも行い、現地の活動に対するブレインチームとしてメーリングリストも立ち上げました。現地で活動しているや植林や林業の専門家やECO-DRRの研究者など、多彩な方々が組織を離れて、個人としてのプロボノ活動として、手をあげてくださいました。
まだどう展開するのか、状況がほとんど見えていないプロジェクトで、あるのは浅野さんの「思い」だけなのに、多くの人が参加してくださったことに感激しました。
さらに、もう見つかったのか、心当たりがあるというような連絡が、昨夜も今朝もあり、みなさんがいまもなお探してくださっていることを知りました。
お願いをしながら、結果報告をしていないことに気づきました。
申し訳ありません。
もちろん引き続きもし参加してくださる方がいたら歓迎ですが、正直、このプロジェクトがどう展開するかはまだわかりません。いま政府の担当大臣との話し合いに入っているようですが、現地の浅野さんたちが多忙な活動の中を取り組んでいますので、その活動に少しでも役立てればというのが、今回の私たちの姿勢です。
もし「こんなことならできる」というような方がいたら、ご連絡下さい。このチームに紹介したいと思います。ただし、いまのところプロジェクトそのものに関する情報はほとんどありません。
いま別に「生活事業研究会」をはじめたのですが、そこでも実感したのですが、やはり時代は変わってきているようです。
もう少し現世に留まりたくなっています。
昨日、私のブログなどを読んだという知らない人から「性善説では、人は救われません」と長いメールが来ました。まだ返信できていませんが、やはり人はみんな「性善」なのです。それだけでもう救われている。そう思います。
報告が遅れてすみませんでした。
引き続きよろしくお願いいたします。
先日、ご案内した我孫子のコホミン(湖北公民館)での、カール・フライデーさんをお呼びしての講演会「ファースト侍!平将門さまとは」は昨日、たくさんの参加者のみなさんのおかげで、盛況でした。
ご案内の通り、今回の企画は、平将門の居館は我孫子の湖北にあったという、戸田さんの新説に共感した人たちの集まりから始まりました。
我孫子の文化を守る会のメンバーでもある芦崎さんが中心になり、いろいろな人がゆる~くつながりながら実行委員会ができました。そして、みんながそれぞれに役割分担し、苦労しながら、そして楽しみながら実現したイベントでしたが、おかげさまで定員ぎりぎりの120人を超す参加者がありました。
講演会と言っても固い雰囲気ではなく、主催者側も参加者も、みんな楽しい時間を持つことを大切にしたのですが、オープニング直前に「謎の侍」が乱入するなどのハプニングもあり(当日直前に思いついた実行委員の即興でした)、参加されたみなさんも、これはちょっと楽しい講演会だなと感じてくれたと思います。
つづいて、フライデーさんの「王になろうとしなかった男 平将門の歴史的な意義」と題する講演でしたが、フライデーさんは日本語のパワーポイント作ってきてくださり、お話も日本語でやってくださいました。
タイトルの「王になろうとしなかった男」というのは、日本でよく言われていることを反転したタイトルで、そこにフライデーさんの姿勢がしっかりと表現されています。
講演を聴いた後、日本人とは違うとらえ方に触れて刺激的だったという人も少なくありませんでした。将門のイメージを変えた人もいました。
今回はあまり強くは出ませんでしたが、フライデーさんは研究者としても、ちょっとしゃれた感覚(詩的な遊び好き)をお持ちの方のようです。
つづいて、フライデーさんと参加者との話し合いのセッションでした。単なる質疑応答ではなく、フライデーさんと親しく交流するというスタイルでしたが、いろんな意見があり、予定の時間を超えても、まだ話し足りない感じでした。
そのセッションでは、そもそも今回の講演会の起点になった、我孫子に将門の館があったと言い出した戸田さんからもその説の紹介がありました。
フライデーさんも、その説に興味を持って、また改めてその痕跡を歩くことを約束してくれました。フライデーさんが世界に向けて広げてくれるかもしれません。
将門にちなんで和菓子を創作してくださった福一さんの「将門餅」も希望者には紹介させてもらいましたが、これを契機に我孫子でも将門ブランドが広がるといいのですが。
今回は、「市民のチカラ」のイベントの一つとして取り組んだのですが、市民たちの思いや活動が集まるといろいろなことができることを改めて感じました。市民活動は楽しまなければつづきません。
新しい市民活動をめざして、これからも将門プロジェクトは続いていくと思いますが、仲間を募集しています。将門で楽しみたい方がいたら、ご連絡ください。
なお、今回のプロジェクトが立ち上がるきっかけにもなった、住民主役の開かれたプラットフォームをめざす「(我孫子・柏)まちづくり編集会議」の活動にも是非関心を持ってもらえるとうれしいです。
今日は都内のある地区の引きこもり家族会の集まりに参加しました。
私はこの種の集まりがあまり好きではありません。
でもまあそれをやっている友人から誘われると断れません。
そこでいささか「性格の悪さ」を活かして、3つの問いかけをはじめにしました。
「ひきこもりってなんですか」
「家族と当事者は違うのですか」
「この会で皆さんは何をしたのですか」
捉えようによっては、ケンカを吹っかけているのか、というような問いかけです。
昨日のテレビで、琵琶湖は、水面と底の水がかき混ぜられる壮大なシステムのおかげで純度を保ってきたが、いま、その仕組みが崩れつつあるという話があったようですが、この種の会も、時々、かき混ぜないと濁ってしまいかねません。でもそれが難しい。
そこで、今日は部外者の私がその役割を果たそうと、上記の3つの問いかけをしたのです。
もう一つ、冒頭に余計な話もしてしまいました。
日本は新型コロナ流行のかなり前から、みんな「引きこもり生活」になってきている、と。
みんなそれぞれの小さな「タコつぼ」の世界に引きこもっているのに、その意識さえない。
だからこそ、自分の世界と違う「タコつぼ」にいる人を「引きこもり」といって、責めることで自分の引きこもりをごまかしている。
そうしたら参加者から「あなたも引きこもりではないか」といわれました。
その通り。
人間はみんなそれぞれの世界に引きこもって生きている。
それの何が悪いのか。
「引きこもりだから自分は特別なのだ」と思っている「当事者」意識が私は好きになれないのです。困ったものですが。
でも最後は、ちょっとうれしい話になりました。
新しい物語がはじまるといいのですが。
我孫子まちづくり編集会議は、地域社会を楽しくしたいと思っている人たちがお互いに支援しながら、新しい物語を生みだしていくオープン・プラットフォームづくりを目指していますが、今回、『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』のテスト開催を開催しました。
これまでいろいろと話をしてきましたが、ともかく「議論」より「実践」ということになりました。それがタイトルの「大会(仮)のテスト開催」という表現になっています。
告知も“WE LOVE ABIKO”というフェイスブック・コミュニティに案内を投稿しただけで、まずはメンバー中心で小さくはじめ、体験知をシェアしながら活動の進め方も模索していこうということになったのです。
幸いに、“WE LOVE ABIKO”を通して知ってくださった方も含め、総勢14人の集まりになりました。10代の方の参加も2人ありました。
最初に会の趣旨などを説明した後、参加者の自己紹介、つづいて、手賀沼を舞台に『私がやりたいこと』を2人の人から発表してもらいました。
今回は、これまで話し合ってきた「手賀沼台船祭り」プロジェクトと「人をつなぐペーパーメディア」プロジェクトで、発表後、参加者それぞれが興味を持ったプロジェクトを選んで、グループ・ディスカッションを行いました。
何の働きかけもしなかったのですが、みごとに同じ人数に分かれました。
グループごとに話し合った後、それぞれからどんな話があったかを紹介してもらい、それを踏まえて全員で話し合いました。
結論的には、いずれの提案も仲間が増えて、具体的に前に動き出すことになりました。
最後に、こういう活動をこれからどう進めていったらいいかも話し合いました。
初めて参加してくださった方から、こういうスタイルの集まりを定期的に開催したらどうかとの提案もあり、早速、11月に第2回目の「テスト開催」を開催することになりました。
発表プロジェクトはまだ決まっていませんが、もしこれをお読みになって、自分も提案したいという方がいたらご連絡ください。ちょっとしたアイデアでも、思いを参加者に呼びかければ、みんなが「思い」を「かたち」にしてくれるかもしれません。そういうプラットフォームを目指したいと思っています。
我孫子まちづくり編集会議は、これから毎月、2回程度の開催を予定しています。
ちなみに、いまは「我孫子」とタイトルしていますが、地域は我孫子市に限ってはいません。柏や白井のメンバーもいますし、昨日は東京からの参加もありました。
とてもゆるやかな、楽しい集まりですので、ご関心のある方は気楽にご参加ください。
みんなが主役になって、そしてお互いにできることを引き受けながら、自分の住んでいる地域を楽しくしていく、そんな「みんなの支え合うつながり」を育てていければと思っています。
東尋坊で見回り活動をしている茂さんたちから、今年も「お餅」が送られてきました。
年末に、毎年、茂さんや川越さんたちが東尋坊で遭遇した自殺を思いとどまった人たちと一緒に、心を込めてつき、みんなで丸めたお餅です。
茂さんがいつも言っているように、「形は不揃いでも、味は何処のお店屋さんにも負けない絶品」です。
茂さんたちの見回り活動は、もう16年近くになりますが、これまで672人の人を思いとどまらせてきています。
今年も32人の人に出会い、全員が見事に再出発を果たしているそうです。
私は、その活動が始まったころに、ささやかに応援させてもらった関係で、こうして今もお餅が毎年届くのです。
お餅と一緒に、「東尋坊の見守り人形 人生標語集」という小冊子が送られてきました。
聞いた人が元気になるような、「短い力強い言葉」に、茂さんたちの活動を支援している仙台在住の「じぞうもじ書家」後藤夕深さんが「じぞうもじ」を添えた、心があったかくなる小冊子です。
茂さんや川越さんのあったかい心が伝わってきます。
川越さんたちが一針一針手縫いした「見守りお地蔵さま人形」とこの小冊子を遭遇した人たちに渡しているそうです。
お餅に添えられていた手紙に、茂さんはこう書いています。
私たちの活動は、今までは「水際対策」に重点を置いてきましたが、来年からは「上流対策」(東尋坊での自殺者の8割は県外者です)に、もっと目を向け「これ以上、東尋坊に自殺企図者を送りこまないで下さい…!」と訴える活動にも力を入れていきたいと思っています。
以前からお聞きしていた茂さんの次の目標の一つです。
しばらく茂さんの活動に関わらずにいましたが、来年はこの茂さんの思いの実現に何かできることはないかを考えたいと思います。
一緒にやろうという方がいたらご連絡ください。
日本の自殺者は減少しているという統計もありますが、少なくとも私の周辺では減っているという実感は得られません。
私にも誰にでも、できることは必ずあるはずですので。
ちょっと残念なことがありました。
もう1か月以上前の話ですが、新潟の友人から電話がかかってきました。
憤慨している口調で、新潟日報に集英社文庫の新刊の広告が大きく掲載されているというのです。
本は「水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件」で、著者は朝日新聞記者の三浦英之さん。
2008年に発覚したJR東日本が信濃川にある水力発電ダムで契約以上の水を取水していたという事件を現地取材したドキュメンタリです。
新聞広告には、「魚が消えた。土地が死んだ。愛すべき日本一の信濃川を涸れさせたのは、誰だ」と挑発的な文字を大きく出ています。
私も当時の信濃川の実状は見ていますので、これは大袈裟な表現ではありません。
しかし、電話をくれた友人が怒っている相手は、JR東日本ではなく、集英社と著者であり、さらにはこんなに大きな広告を載せた新潟日報です。
実はこの本は「新刊」ではありません。
2010年に出版された本を文庫化して復刊したものです。
友人が怒っているのは、なぜ今頃に、ということなのです。
この本は私も前に読んでいます。
問題を明確に整理したいいドキュメンタリです。
しかし、そこで告発された問題や状況は、その後大きく変わってきています。
この事件を契機に、JR東日本は誠実に問題に取り組みだしました。
事件を反省し、改善しただけではなく(それは当然のことですが)、信濃川に鮭を遡上させようという活動に取り組んでいた新潟のNPOとも協力し、ダムに鮭が遡上できる魚道を作り直し、NPOと一緒になって鮭の稚魚放流にも協力。信濃川の状況は大きく変わったのです。
私は当時、そのNPOの顧問をさせてもらっていて、たまたま面識のあったJR東日本の当時の社長とNPOのコアメンバーとのミーティングをセットさせてもらいました。
私には、JR東日本はとても誠実に対応してくれたと思います。
友人は、そうしたことを知っているはずの三浦さんがなぜ今頃、この本を復刊したのか、なぜ集英社は復刊したのか、新潟日報がなぜそういうことも知りながら大きな広告を出したのか、ということです。
ちなみに三浦さんも、文庫の中で「今回、文庫化するにあたり、私は再度、JR東日本の「犯罪」を糾弾したいと考えたわけではありません」と書いています。
しかし実際には、JR東日本の「犯罪」を糾弾していることになっているように思います。
私が残念に思うのは、せっかく的確な指摘をし、状況を変える一助になる本を出版した三浦さんが、なぜその後の状況の変化、とりわけJR東日本の誠実な取り組みを取り上げ、企業が社会性を高める動きを支援しなかったのかということです。
糾弾は目的ではなく、それによって状況がよくなるための手段です。
にもかかわらず糾弾で終わってしまい、事態が変わった後になってもそれを言い続ける。
私にはヘイトスピーチにさえ感じられます。
そして新潟日報までもが、それに乗ってしまったのは、とても残念です。
JR東日本の当時の社長は、NPOへの評価も変えてくれました。
企業とNPOとは文化が違いますが、こうした具体的な「事件」を共有することで、それぞれの価値や意味が実感的にわかってくる。
そこからいい意味でのコラボレーションが始まります。
考えややり方は違うとしても、企業もNPOもいずれも、基本的にはみんなが住みやすい社会を目指しているのです。
私は現在の企業にはきわめて否定的ですが、企業の本来的な価値は高く評価していますし、ちょっと経営方針や事業行動を変えるだけで、再び企業は社会的な存在になると確信しています。
その格好の事例が信濃川で展開されだした。それがこのJR東日本のダム問題だったかもしれません。
そうした新しい動きこそ、三浦さんには書いてほしかった。
企業は問題も起こしていますが、たとえば東日本大震災でもたくさんの企業が誠実な社会活動をしています。
個別には語られますが、そうした企業の社会活動が見えてくれば、社会の企業を見る目も変わり、それによって企業そのものが変わるはずだと思うのですが、相変わらず企業を糾弾することばかりが話題になりやすいのがっとても残念です。
ちなみに、私も水が涸れた信濃川を上流まで体験させてもらいました。
それで私もNPOの活動に共感してささやかな協力をさせてもらったわけですが,信濃川にはJR東日本のダムのほかにも東京電力のダムがいくつかあります。
そのダムの取水方法や魚道の見直しなどにも取り組むはずだったのですが、東電とNPOとが一緒に鮭の稚魚を放流する予定を組んだミーティングの一週間後に不幸な3.11が発生しました。
東電の関係者はそこで動けなくなってしまったように思います。
企業にもNPOにも、それぞれ良い面もあれば悪い面もある。
お互いに悪さを補い、良さを活かし合う方向に向かえば、社会はかなり変わるでしょう。
マスコミは、糾弾ばかりに精出さずに、良さを活かし合う動きを支援してほしいと思っています。
全国マイケアプラン・ネットワークは、介護保険のケアプランは自分で考えようという活動に取り組んでいる人たちのグループです。
介護保険発足当初から、制度的にも認められている「ケアプラン」の「自己作成」を提唱してきましたが、なかなか自己作成は広がりません。
行政やケアマネジャーのいう通りに「ケアプラン」をつくり、それに従ってしまう人が多いからです。
なぜなのか。
18年間活動を続けてきた島村さんのお話から、日本の福祉政策の実情や日本人の福祉に対する意識が見えてきます。
島村さんは、また「措置」の時代に戻ってきているような気さえするといいます。
お話を聞いて私の気分はちょっと重くなってしまいました。
なんとかしなければいけません。
そもそも「ケアプラン」の捉え方に問題があるのかもしれません。
介護の世界では、「ケアプラン」というと介護保険の利用計画のことですが、本来はもっと大きな意味で捉えられなければいけません。
それぞれの人本来のケアプラン(ライフプラン)があって、その一部を介護保険制度の利用で対処すると考えるべきでしょうが、なぜか日本では介護保険中心の「ケアプラン」発想が強いのです。
言い換えれば「制度に合わせたケアプラン」ということになりやすい。
島村さんがこうした活動に取り組む契機になったのは、お義父様の介護です。
まだ介護保険制度がなかった時代です。
島村さんは、活用できる地域資源を探しまくったそうです。
そして、地域にはケアに役立つさまざまな地域資源(たとえば、福祉制度はもちろん、病院や福祉施設からコンビニの配食制度やカラオケなどの施設まで)がたくさんあることに気づきます。
人のつながりも大切な地域資源でしょう。
そうした地域の制度・資源をとことん使って誰も犠牲にならない介護を目指したのです。
その後、介護保険制度ができたのですが、まさにそれは島村さんがお義父さんの時に求めていたものと一緒でした。
お義母さんの時の介護は、自らがケアプランを作成し、介護保険制度もうまく活用しての介護に取り組まれたそうです。
独自の工夫も取り込みました。
たとえば、40年間地域で暮らし、井戸端会議を日課としてきた義母の暮らしに合わせて、島村さんは自宅前にベンチを置き近所の人との井戸端会議の場とし、そこで義母流デイサービスを行っていたそうです。
大切なのは、その人らしい暮らしが続けられること。
介護制度の既存サービスになければ創り出せばいい。
しかし、自己選択・自己決定・自己負担という「利用者主体」の介護保険制度は、その後、その内容を進化させてきているのか。
どこか違うものになってきてしまったような気がします。
「ケアプラン」の主役となるはずの「利用者」が、制度のお客様になってしまっていることが、その一因かもしれません。
しかも、その制度は予算の関係で、内容が次第に制約されてきてしまっているのです。
「制度」の枠の中で「ケアプラン」を考えていれば、制度の規模縮小に伴って、ケアも次第に縮小されてしまうことになりかねない。
暮らしを中心に考えていかないと、そういうおかしなことが起こりうる。
介護保険制度は、ケアを支える仕組みの一部でしかないのです。
制度に依存するのではなく、制度を活かしていける自らのケアプラン意識を持つことが、介護保険制度を活かしていく上では不可欠です。
それがないと、「措置される福祉の受益者」に終わってしまいかねません。
制度をよくしていこうという視点は、そこからは生まれにくい。
福祉の実態もよくなっていかない。
自分で、ケアプランを立てることは、暮らしの棚卸作業だといいます。
そして、それに基づいて、自分らしい暮らし方を考えることこと、制度にあてはめられたケアプランではなく自分らしく生きるケアプランが実現できる。
みんながそうやって、自らのケアプランを真剣に考えていかなければ、日本の福祉は「昔のような「措置制度」に戻ってしまいかねない。
私が今回、一番強く感じたことは、そういう危機感でしたが、それに関して詳しく書きすぎてしまいました。
島村さんは、ケアプランの話はもちろん、「自己作成の方法」「マイケアプランを実践するためのヒント」などに関しても、わかりやすく説明してくれました。
実際にケアプランを自己作成してわかったことも、紹介してくれました。
ケアプランに関して、「目から鱗だった」と感想をくれた人もいます。
知っているようで、知らないケアプランに関しては、ぜひ多くの人に、介護に直面する前からきちんと知っておいてほしいと思います。
そうしたことは、全国マイケアプラン・ネットワークの講演会やワークショップにぜひ参加してほしいですし、もし何人かが集まって話を聞きたいといえば、島村さんたちのことですから、きっと話に来てくれるでしょう。
いやそのまえに、全国マイケアプラン・ネットワークのホームページを見てもらえば、たくさんの情報がありますし、ケアプランづくりを支援するツールも紹介されていますので、それを参照してください。
また、サロンの映像記録も後日公開する予定です。
ケアや福祉についてのとても大切な問題提起がたくさん込められていたサロンでした。
そして私たち一人ひとりの生き方への、重い問いかけもあったような気がします。
ほんのごく一部しか、島村さんのメッセージをお伝えできないのが残念です。
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先日の私のサロン(「なぜ私は湯島でサロンをしているか」)の報告を読んだ、NPOファミリーステーション・SACHIの高橋雅栄さんからメールをもらいました。
もう15年ぶりほど前にサロンをしてくださった方です。
高橋さんは、長年、子育てサロンの活動を続けています。
ご自身の子育てを終わってからも、です。
以下、その内容の一部を紹介させてもらいます。
私の思いも、かなりの確率で佐藤さんに共感します。
特に、みんな「自分」をしっかりと生きるのがいいのではないかと思っています。
というところは、私が今日みんなと語って来た主軸となるところです。
自分を生きることをママがやって見せることが子育てで、子どもは子どもの人生を生きるのだから、ああしろ、こうしろなんて必要ない。
親は言うほど偉いわけではないのに、親になったら子どもに指図するのが親だと思うのは違うと思う。
ましては、支援者の立場にある私たちは、もうただただ利用者さんの不安や、悩みに耳を傾けて必死で話を受け止めるのが務め。寄り添って、共感することが精一杯です。
の、はずです。
喜んで人さまの土台となる。
それが出来ない日は、利用者さんの側になって支えてもらえるからこのサロンを始めたんだよ、という話を今日の集まりでしてきました。
22年の子育てサロンの活動を通してエンパワメントされて元気になったママは2500組以上、年、市の出生数の10%の方が私たちと出会っています。
毎年新たに支援団体が生まれています。
元気になって、自分らしく生きる道を見いだして、起業した方は10組以上。
サロンにブースを出して、起業を考え中の方が15組います。
子育て支援の分野は、20〜25年前には、子育て支援という概念すらなかったほどですが、今は、自治体が子育てサロンを運営しています。
私は、サロンで、社会はちょっとは変わるよなぁと思う一人です。
こうあるベキ!とか言って
何かと闘って生きるより
隣の人と知り合って、助けて!と言える関係を作った方が、子育てしながら自分らしく生きていくことが出来るなぁと思います
以上です。
こういう活動が少しずついま広がっていると思います。
社会はきっと変わっていくでしょう。
来世が楽しみです。
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