カテゴリー「NPO時評」の記事

2026/05/21

■『リンの母通信』

うれしい便りが届きました。

山口のNPO法人エルマーの会の佐原いづみさんから、『りんの母通信』が届いたのです。
佐原さんとはここ20年以上、交流が途絶えていました。

一緒に届いた手紙には、こう書いてありました。

ずっと以前、奥様より頂いたハガキの住所を頼りに、私の古希の記念に自費出版した本を贈ります。届きますように。

佐原さんはいまもはっきりと記憶がありますが、息子さんが発達障害と診断され、親子ともどもとても苦労した話をお聞きしたのが最初の出会いだったと思います。
そしてエルマーの会を仲間たちと立ち上げ、自分たちで、息子たちが自活できるような施設を造ろうと、いまでいうクラウドファンディングを始めました。そして見事に実現し、しかも仕事まで創り出していったのです。それでできたのが「焼き菓子工房」。
場所が山口県なので、私は結局お伺いできませんでしたが、佐原さんはその途中で湯島にも何回か来てくださったのです。

とてもうれしいプレゼントです。
当時、私はコムケア活動というのに取り組んでいました。
ケア・コモンズを育てる構想に基づく活動でしたが、挫折しました。
「結いコム」とか「コモンズ通貨」などを構想して、着手しだした時に、妻が亡くなり、恥ずかしながら気力を失ったのです。

コムケア活動では、とてもたくさんの人たちに会いました。
その出会いが、私の人生を変え、いまの生活を支えてくれています。

『りんの母通信』はCWSライブラリーに蔵書します。
関心のある方は、湯島に来た時にお読みください。

 

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2026/05/03

■Hongo22515の竹形カレーはお薦めです

昨日、竹形さんの主催しているHongo22515で、「AI時代における〈生活事業〉と〈新たな公共〉」をテーマにしたサロンに参加させてもらいました。
怠惰な私がなかなかHongo22515に顔を出さないので、私がHongo22515に来る状況をつくってくださったのでしょう。
かつてはフットワークのよさではそれなりの自負がありましたが、この頃はすっかり引きこもり生活になってしまいますので、竹形さんに感謝しなければいけません。

Hongo22515は道路に面した空間です。
https://22515.street.jp/
竹形さんが管理する、コモンズ空間の一つだと思います。
とてもいい空間です。
近くに行ったら是非お立ち寄り。

昨日は、そこで振る舞われる、竹形さんのカレーライスをいただきました。
これは前から話には聞いていて、一度食べてみたかったのです。
これまで食べたカレーの中で、2番目においしかったです。
みなさんにもお勧めです。

Hongo22515を維持するための継続支援飲み会が時々開催されていますが、そこでワンコインチケットで食べられると思います。
この仕組みも、地域通貨好きの竹形さんのビジョンに基づいています。

はじめてお伺いしましたが、竹形さんの思いがこもっている空間でした。
最初に少しだけ、〈生活事業〉と〈公共〉について話をさせてもらいました。
これに関しては別に投稿させてもらいます。

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2026/04/29

■つながる場づくりに取り組む北九女子一歩会

先月、30年ぶりで湯島に突然やって来た北九州市の西本祥子さんから、北九女子一歩会通信『ひなたぼっこ』の第5号が届きました。

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北九女子一歩会とは、2018年に発足した、ひきこもり支援や地域活動などの経験を持つ女性で構成する団体です。ひきこもっている女性や、生きづらさを抱えている女性に対して、何かできることはないかという思いから発足したそうです。毎月1回、生きづらさに悩む女性の居場所「ひなたぼっこ」を開催しています。
https://www.facebook.com/groups/689118331543187/

彼女たちの活動の核は「場づくり」で、理念は「つながり」です。
つながるためには、お互いが知り合わなければいけません。
さまざまなケア活動や地域活動している人たちは、ともすると自分たちの関心事に焦点が行き過ぎて、全体が見えなくなってしまうこともありますので、広く目を外に向けて、いろんな活動を知ることで、自分たちの活動の道が開けてくることは少なくありません。
これは、私が20年前に取り組んでいた「コムケア活動」、そして今の「コモンズ村活動」や「あすあびサロン」と同じです。

北九女子一歩会の活動の中心は、毎月の生きづらさに悩む女性たちの居場所「ひなたぼっこ」の開催です。「ひなたぼっこ」は‟安心できる場” ‟ひとりじゃないと感じることができる場”を目指し、それを大切にしてきていましたが、そういう場から自然と活動が広がってきています。
一昨年は、「よりよい支援に向けてつながる思いの輪」をテーマにシンポジウムを開催、そこでのアンケート結果を踏まえて、「つながる場づくりを考える会」が発足しました。
そして昨年は、「考える会」での話し合いを踏まえて、3つのテーマを決めて、これまでとは分野が違う人たちと共同して「つながる場づくり」シンポジウムを3回開催しています。送られてきた『ひなたぼっこ』には、そのシンポジウムの報告がていねいに記録されています。つながりの輪が広がっているのがよくわかります。

違った分野で活動している人がつながると、新しい物語が始まることも少なくありません。各地のまちづくりにささやかにかかわってきた体験から言えば、まちづくりの基本は「人のつながり場」づくりです。
その意味で、西本さんたちの活動には興味を持っています。
これからの発展が楽しみです。
西本さんの思いもぜひ読んでみてください。
https://kitaq.media/19021/

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2025/04/17

■百姓一揆呼応隊を立ち上げました

2025年3月30日、全国各地で「令和の百姓一揆」デモが展開されました。
東京でも都心を約30台のトラクターがデモ行進しました。
時代の流れに対する大きなメッセージが含意された「一揆」でしたが、しばらくはマスコミでも少し話題になったものの、すぐに忘れられてしまいそうです。
そうなってはいけないと、長年、日本の農の問題に現場で取り組んできた霜里農場の金子友子さんがサロンを開催してくれました(2025年4月12日開催)。
デモに参加した人、しなかった人、9人が集まりました。
ゆるやかな話し合いでしたが、いろいろな示唆をもらえたサロンでした。
今回の「一揆」は、決して「打ちこわし」などを行うものではありませんが、米価高騰や米不足などといった表象的な状況に焦点を合わせたものではなく、根源的な問題提起をしているのだと思います。
つまり問題は農業関係者だけではなく、私たち日本列島で暮らしているすべての人にかかわる問題です。時給10円に追い込まれている生産者の問題ではありません。いざとなったら生産者は自分の食べる米だけ作ればいいだけの話です。でもそれでは「生産」を手放した私のような多くの人たちは飢えてしまう。
生産者とか消費者、あるいは経済や政治といった問題ではなく、私たちが生きていくための根本である「食」にかかわっているのです。その認識が欠けている。「パン食だから関係ない」という人がいたという話がサロンでも出ましたが、そういう話ではないのです。生産者の人たち(「百姓」)は、自分たちのためではなく、多くの「消費者」のために立ち上がってくれたのです。
その志に、応えなければいけません。
生産者の労働の「時給」の問題ではなく、日本国民の生活の「自給」の問題なのです。
最近、こうしたことを盛んに発言している鈴木宣弘さん(東大教授)は、日本の食料自給率が低下している背景には米国の影響力があると指摘しています。そしてそれはまさに日本の安全保障につながっているのです。私も最近は9条問題よりも、日米合同委員会よりも、こちらのほうにこそ関心があります。
鈴木さんが、ある雑誌のインタビュー(『月刊日本』2025年4月号)で話していることを、長いですが、引用させてもらいます。
戦後日本は米国に食料を依存しているからこそ、米国の属国になっているのです。対米従属の核心は米国農業への従属であり、対米依存の核心は対米食料依存なのです。だからこそ、食料自給こそが対米自立の第一歩であり、農業の独立こそが日本の独立につながるのです。食料自給とは、自分の食べるものを自分で作るということです。
(中略)
私たちにできることは沢山あります。今こそ国民の生命と国家の独立を守るために、みんなで力を合わせて日本の食料自給に取り組んでいきましょう。
共感します。
私は、食に関しては完全な「消費者」であることを、デモで歩きながら反省しました。デモに参加するだけでは意味がない。そう思ったのですが、何ができるかなかなかわからない。でも鈴木さんは、私たちにできることは沢山あると言っています。
そこで考えたのが、「百姓一揆呼応隊」の発足です。
https://www.facebook.com/groups/3527677107527652
生産者が立ち上がったのに、消費者が何もしないのでは、結局、事態は変わってはいかないでしょう。
百姓一揆に取り組んでいる「百姓」のみなさんに、どう呼応したらいいかまだわかりませんが、すぐに動き出さないと結局、何もしないままに終わりそうなので、ともかく動き出すことにしました。
そこでまずは、農や食に関心を持っている人たちのゆるやかなフェイスブックグループを開くことにしました。仮称ですが、名前は「百姓一揆呼応隊」と分かりやすくしました。
よかったらぜひ仲間になってください。
そして何ができるかを一緒に考えてください。
事務局作業を分担してくれる人がいたらご連絡ください。大歓迎です。
毎月、ゆるやかな話し合いの場もつくっていく予定です。
また案内していきます。
よかったらご参加ください。
思い付きで始めましたが、ゆっくりと進めていきたいと思います。

 

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2022/03/02

■キルギスでの植林プロジェクトに関するお願いの途中報告

先日、キルギスでの植林プロジェクトに関して人探しのお願いをさせてもらいましたが、おかげさまで10人近い方が協力してくださることになりました。
すでに現地とのZOOMでのミーティングも行い、現地の活動に対するブレインチームとしてメーリングリストも立ち上げました。現地で活動しているや植林や林業の専門家やECO-DRRの研究者など、多彩な方々が組織を離れて、個人としてのプロボノ活動として、手をあげてくださいました。
まだどう展開するのか、状況がほとんど見えていないプロジェクトで、あるのは浅野さんの「思い」だけなのに、多くの人が参加してくださったことに感激しました。

さらに、もう見つかったのか、心当たりがあるというような連絡が、昨夜も今朝もあり、みなさんがいまもなお探してくださっていることを知りました。
お願いをしながら、結果報告をしていないことに気づきました。
申し訳ありません。

もちろん引き続きもし参加してくださる方がいたら歓迎ですが、正直、このプロジェクトがどう展開するかはまだわかりません。いま政府の担当大臣との話し合いに入っているようですが、現地の浅野さんたちが多忙な活動の中を取り組んでいますので、その活動に少しでも役立てればというのが、今回の私たちの姿勢です。

もし「こんなことならできる」というような方がいたら、ご連絡下さい。このチームに紹介したいと思います。ただし、いまのところプロジェクトそのものに関する情報はほとんどありません。

いま別に「生活事業研究会」をはじめたのですが、そこでも実感したのですが、やはり時代は変わってきているようです。
もう少し現世に留まりたくなっています。

 昨日、私のブログなどを読んだという知らない人から「性善説では、人は救われません」と長いメールが来ました。まだ返信できていませんが、やはり人はみんな「性善」なのです。それだけでもう救われている。そう思います。

報告が遅れてすみませんでした。
引き続きよろしくお願いいたします。

 

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2021/10/10

■講演会「ファースト侍!平将門さまとは」報告

先日、ご案内した我孫子のコホミン(湖北公民館)での、カール・フライデーさんをお呼びしての講演会「ファースト侍!平将門さまとは」は昨日、たくさんの参加者のみなさんのおかげで、盛況でした。

ご案内の通り、今回の企画は、平将門の居館は我孫子の湖北にあったという、戸田さんの新説に共感した人たちの集まりから始まりました。
我孫子の文化を守る会のメンバーでもある芦崎さんが中心になり、いろいろな人がゆる~くつながりながら実行委員会ができました。そして、みんながそれぞれに役割分担し、苦労しながら、そして楽しみながら実現したイベントでしたが、おかげさまで定員ぎりぎりの120人を超す参加者がありました。

講演会と言っても固い雰囲気ではなく、主催者側も参加者も、みんな楽しい時間を持つことを大切にしたのですが、オープニング直前に「謎の侍」が乱入するなどのハプニングもあり(当日直前に思いついた実行委員の即興でした)、参加されたみなさんも、これはちょっと楽しい講演会だなと感じてくれたと思います。

つづいて、フライデーさんの「王になろうとしなかった男 平将門の歴史的な意義」と題する講演でしたが、フライデーさんは日本語のパワーポイント作ってきてくださり、お話も日本語でやってくださいました。
タイトルの「王になろうとしなかった男」というのは、日本でよく言われていることを反転したタイトルで、そこにフライデーさんの姿勢がしっかりと表現されています。
講演を聴いた後、日本人とは違うとらえ方に触れて刺激的だったという人も少なくありませんでした。将門のイメージを変えた人もいました。
今回はあまり強くは出ませんでしたが、フライデーさんは研究者としても、ちょっとしゃれた感覚(詩的な遊び好き)をお持ちの方のようです。

つづいて、フライデーさんと参加者との話し合いのセッションでした。単なる質疑応答ではなく、フライデーさんと親しく交流するというスタイルでしたが、いろんな意見があり、予定の時間を超えても、まだ話し足りない感じでした。
そのセッションでは、そもそも今回の講演会の起点になった、我孫子に将門の館があったと言い出した戸田さんからもその説の紹介がありました。
フライデーさんも、その説に興味を持って、また改めてその痕跡を歩くことを約束してくれました。フライデーさんが世界に向けて広げてくれるかもしれません。

将門にちなんで和菓子を創作してくださった福一さんの「将門餅」も希望者には紹介させてもらいましたが、これを契機に我孫子でも将門ブランドが広がるといいのですが。

今回は、「市民のチカラ」のイベントの一つとして取り組んだのですが、市民たちの思いや活動が集まるといろいろなことができることを改めて感じました。市民活動は楽しまなければつづきません。
新しい市民活動をめざして、これからも将門プロジェクトは続いていくと思いますが、仲間を募集しています。将門で楽しみたい方がいたら、ご連絡ください。

なお、今回のプロジェクトが立ち上がるきっかけにもなった、住民主役の開かれたプラットフォームをめざす「(我孫子・柏)まちづくり編集会議」の活動にも是非関心を持ってもらえるとうれしいです。

 

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2021/05/23

■引きこもり家族会の集まりに顔を出してきました

今日は都内のある地区の引きこもり家族会の集まりに参加しました。
私はこの種の集まりがあまり好きではありません。
でもまあそれをやっている友人から誘われると断れません。

 そこでいささか「性格の悪さ」を活かして、3つの問いかけをはじめにしました。
「ひきこもりってなんですか」
「家族と当事者は違うのですか」
「この会で皆さんは何をしたのですか」
捉えようによっては、ケンカを吹っかけているのか、というような問いかけです。

 昨日のテレビで、琵琶湖は、水面と底の水がかき混ぜられる壮大なシステムのおかげで純度を保ってきたが、いま、その仕組みが崩れつつあるという話があったようですが、この種の会も、時々、かき混ぜないと濁ってしまいかねません。でもそれが難しい。
そこで、今日は部外者の私がその役割を果たそうと、上記の3つの問いかけをしたのです。

 もう一つ、冒頭に余計な話もしてしまいました。
日本は新型コロナ流行のかなり前から、みんな「引きこもり生活」になってきている、と。
みんなそれぞれの小さな「タコつぼ」の世界に引きこもっているのに、その意識さえない。
だからこそ、自分の世界と違う「タコつぼ」にいる人を「引きこもり」といって、責めることで自分の引きこもりをごまかしている。

 そうしたら参加者から「あなたも引きこもりではないか」といわれました。
その通り。
人間はみんなそれぞれの世界に引きこもって生きている。
それの何が悪いのか。
「引きこもりだから自分は特別なのだ」と思っている「当事者」意識が私は好きになれないのです。困ったものですが。

でも最後は、ちょっとうれしい話になりました。
新しい物語がはじまるといいのですが。

 

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2020/10/05

■『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』の報告

我孫子まちづくり編集会議は、地域社会を楽しくしたいと思っている人たちがお互いに支援しながら、新しい物語を生みだしていくオープン・プラットフォームづくりを目指していますが、今回、『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』のテスト開催を開催しました。
これまでいろいろと話をしてきましたが、ともかく「議論」より「実践」ということになりました。それがタイトルの「大会(仮)のテスト開催」という表現になっています。

告知も“WE LOVE ABIKO”というフェイスブック・コミュニティに案内を投稿しただけで、まずはメンバー中心で小さくはじめ、体験知をシェアしながら活動の進め方も模索していこうということになったのです。
幸いに、“WE LOVE ABIKO”を通して知ってくださった方も含め、総勢14人の集まりになりました。10代の方の参加も2人ありました。

最初に会の趣旨などを説明した後、参加者の自己紹介、つづいて、手賀沼を舞台に『私がやりたいこと』を2人の人から発表してもらいました。
今回は、これまで話し合ってきた「手賀沼台船祭り」プロジェクトと「人をつなぐペーパーメディア」プロジェクトで、発表後、参加者それぞれが興味を持ったプロジェクトを選んで、グループ・ディスカッションを行いました。
何の働きかけもしなかったのですが、みごとに同じ人数に分かれました。
グループごとに話し合った後、それぞれからどんな話があったかを紹介してもらい、それを踏まえて全員で話し合いました。
結論的には、いずれの提案も仲間が増えて、具体的に前に動き出すことになりました。

最後に、こういう活動をこれからどう進めていったらいいかも話し合いました。
初めて参加してくださった方から、こういうスタイルの集まりを定期的に開催したらどうかとの提案もあり、早速、11月に第2回目の「テスト開催」を開催することになりました。
発表プロジェクトはまだ決まっていませんが、もしこれをお読みになって、自分も提案したいという方がいたらご連絡ください。ちょっとしたアイデアでも、思いを参加者に呼びかければ、みんなが「思い」を「かたち」にしてくれるかもしれません。そういうプラットフォームを目指したいと思っています。

我孫子まちづくり編集会議は、これから毎月、2回程度の開催を予定しています。
ちなみに、いまは「我孫子」とタイトルしていますが、地域は我孫子市に限ってはいません。柏や白井のメンバーもいますし、昨日は東京からの参加もありました。
とてもゆるやかな、楽しい集まりですので、ご関心のある方は気楽にご参加ください。

みんなが主役になって、そしてお互いにできることを引き受けながら、自分の住んでいる地域を楽しくしていく、そんな「みんなの支え合うつながり」を育てていければと思っています。

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2019/12/29

■東尋坊からのお餅に込められたメッセージ

東尋坊で見回り活動をしている茂さんたちから、今年も「お餅」が送られてきました。
年末に、毎年、茂さんや川越さんたちが東尋坊で遭遇した自殺を思いとどまった人たちと一緒に、心を込めてつき、みんなで丸めたお餅です。
茂さんがいつも言っているように、「形は不揃いでも、味は何処のお店屋さんにも負けない絶品」です。

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茂さんたちの見回り活動は、もう16年近くになりますが、これまで672人の人を思いとどまらせてきています。
今年も32人の人に出会い、全員が見事に再出発を果たしているそうです。
私は、その活動が始まったころに、ささやかに応援させてもらった関係で、こうして今もお餅が毎年届くのです。

お餅と一緒に、「東尋坊の見守り人形 人生標語集」という小冊子が送られてきました。

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聞いた人が元気になるような、「短い力強い言葉」に、茂さんたちの活動を支援している仙台在住の「じぞうもじ書家」後藤夕深さんが「じぞうもじ」を添えた、心があったかくなる小冊子です。

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茂さんや川越さんのあったかい心が伝わってきます。
川越さんたちが一針一針手縫いした「見守りお地蔵さま人形」とこの小冊子を遭遇した人たちに渡しているそうです。

お餅に添えられていた手紙に、茂さんはこう書いています。

私たちの活動は、今までは「水際対策」に重点を置いてきましたが、来年からは「上流対策」(東尋坊での自殺者の8割は県外者です)に、もっと目を向け「これ以上、東尋坊に自殺企図者を送りこまないで下さい…!」と訴える活動にも力を入れていきたいと思っています。

以前からお聞きしていた茂さんの次の目標の一つです。
しばらく茂さんの活動に関わらずにいましたが、来年はこの茂さんの思いの実現に何かできることはないかを考えたいと思います。

一緒にやろうという方がいたらご連絡ください。
日本の自殺者は減少しているという統計もありますが、少なくとも私の周辺では減っているという実感は得られません。
私にも誰にでも、できることは必ずあるはずですので。

 

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2019/12/19

■不登校や引きこもり体験者と話して思ったこと

昨日、ブログの「挽歌編」に書いたのですが、むしろ「時評編」の内容だなと気づき、その一部をリライトして、時評編にも載せることにしました。

湯島では、私の主催ではない集まりがいくつかあります。
たとえばほっとスマイルプロジェクトという世界に笑顔を広げていこうという集まり。ちょっと霊的な要素が入っている地上の楽園を目指す集まりなどです。
そうしたものの一つに、引きこもり体験者などを中心とする集まりがあります。
これはオープンハートを主宰する阿部さんがやっています。
以前から私にも声がかかっていたのですが、なかなか参加できずに、昨日、初めて参加しました。
わたしを入れて、6人ほどの集まりでした。
かつて引きこもっていたり不登校だったりしていた人です。
それもかなり長期にわたってです。
不登校や引きこもりに、なぜか多くの人はコンプレックスを持っています。
世間も、それがおかしいと考えています。
私自身も、かつてはそうでした。
しかし、不登校や引きこもりにコンプレックスを持つ必要などあるはずもありません。
問題は、コンプレックスや罪悪感を持ってしまうことから始まります。
はじめてなので、それぞれにどんな人かをお聞きしました。
ちなみに、私のことはたぶん阿部さんからみんなには伝わっているようです。
「いまは働いていない」と言った人がいました。
そこで、「稼いでいないだけではないですか」と問い返し、生きている以上、働いていない人はいないと言付け加えました。
人は、そこに存在するだけで必ず誰かの役に立っています。
もちろん誰かに迷惑をかけているともいえるのですが。
役に立つことと迷惑をかけることは、私には同じことのように思えます。
稼いでいないと価値がないと考えるようになったのは、いつのころからでしょうか。
私が、そのことのおかしさに気づいたのは3年ほど前ですが、その呪縛から解き放たれると生きやすくなります。
同じように、学校に行かなければいけないという思いからも自由になるのがいい。
「学校だけが学びの場」ではありません。
いや学校こそが学びをワクワクさせない場所になってしまっています。
学びはわくわくする面白いものでなければいけません。
学校に行きたくないのは自分をしっかりと生きているからだともいえます。
私は子ども時代、あまりしっかりしていなかったので学校には行きました。
学校に行かないことができるということに気づいたことがないのです。
ただ高校時代には学校が嫌いでしたので、不登校ではありませんでしたが、嫌いな授業はさぼって図書室で本を読んだりしていました。
いまの子どもたちには、学校と家庭しかないと思わせているところに問題があります。
ちなみに塾や学童保育の場は、もう一つの学びの場ですが、いずれも大人たちに管理されている場であることには変わりはありません。
子どもたちが自分たちの場が作れないところに問題を感じます。
ネットのようなバーチャルな場は、私には別の世界のように思えます。
みんなと話していて、やはり社会そのもののおかしさを改めて感じます。
ここに集まっている人たちのエネルギーや思いを束ねたら、みんな生き生きしてくるでしょう。
いつもこういう人たちと話していると思うことです。
いろいろなことを気づかせてもらいました。
不登校や引きこもりを体験した人たちの素直さにはいつも感心しますが、いろんな世界に触れてこなかったが故の視野の狭さも感じます。
現在のさまざまな対策や相談に取り組む活動には、やはりどうしても共感できません。
基本的な捉え方が、すでに間違っているように思えてなりません。
やはりだれをも区別(差別)しない、サロンを続けることが大切だと改めて思いました。

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