カテゴリー「NPO時評」の記事

2016/12/15

■第2回まちづくりサロン報告

第2回まちづくりサロンは、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンの副代表理事である、池本修悟さんにお招きして、ミニワークショップも体験しながらのサロンになりました。
参加者は14人という大人数でしたが、池本さんのリードで、ワークショップも盛り上がりました。
コミュニティ・オーガナイジングは、課題に直面した人たちが、自ら立ち上がって状況を変えていくための方法です。

池本さんは、まずそうした「オーガナイジング」の根底にある考え方を、事例も含めながら、わかりやすく説明してくれました。
出発点は、「私の課題は何か」ではなく、「だれが私の同志か」です。
当然、課題設定も、「私の課題」ではなく、「私たちの課題」となりますが、ここにポイントがあります。
実際にまちづくり活動(組織変革でも同じですが)に取り組んでいる方は、個々人の課題ではなく、「私たちの課題」にしていくことで、状況が全く変わることを経験されていると思います。
そして、「同志」(仲間、あるいは当事者たち)が持っている広義の資源を共有化し、創造的・創発的にパワーに変えていくのです。
つまり、人々の関係性を高め、人々の持っているさまざまな力をパワーに変えていくことで社会に変化を起こしていこうという考え方なのです。

具体的には、パブリック・ナラティブ(みんなで物語る)を基本に置いたワークショップなどで、共有価値を核にしたコミュニティをオーガナイズしていくのですが、そうして生まれたコミュニティは、持続的で能動的な課題解決のもっているわけです。
ちょっと理屈っぽい説明になってしまいましたが、池本さんはアメリカや日本の事例も紹介しながら、わかりやすく説明してくれました。

後半は、パブリック・ナラティブを構築するための3つの要素の入り口である、「ストーリー・オブ・セルフ」のミニワークショップを4つのグループに分かれて行いました。
参加者それぞれが、自らの価値観を語り合い、相互にコーチングしあいました。
ミニワークショップとはいえ、実際に体験するといろんな気付きがあります。
価値観を意識したストーリーを語るわけですから、自らを問い直すことにもなりますし、生々しい話も出てきて相互の理解度もずっと深まります。
その入り口を、それぞれに体験させてもらいました。

最後にみんなが一言ずつ感想を言い合って、刺激的なサロンを終わりました。
なお、コミュニティ・オーガナイジングについては、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンのホームページをご覧ください。
http://communityorganizing.jp/

最後に私の感想です。
池本さんは、コミュニティ・オーガナイジングのモデルは日本にもあるという、提唱者のガンツ博士の話を紹介してくれました。
たしかに日本の一昔前までの文化には、コミュニティ・オーガナイジングに通ずるものがあったように思います。
しかし、同時に私は、アメリカこそ、こうした理念で建国され、発展してきたように思います。
19世紀のアメリカの見聞記をまとめたトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」には、そうした事例がたくさん出てきます。
当初のタウン・ミーティングはまさに、コミュニティ・オーガナイジングでした。
しかし、20世紀にはいり、アメリカの社会は大きく変質しました。
1980年前後のアメリカ人の価値観を200人を超す人たちのインタビューによって調査したロバート・ベラーの「心の習慣」によれば、すでに当時、そうした文化は消え去っていたようです。
そして、それに抗うように、いままた個人の価値観、つまり生活に戻って、社会を捉え直そうとする動きが広がっている。
そこから、私たちが学ぶことはとてもたくさんあるように思います。
国家のあり方(つまり政治のあり方)もまた、それと無縁ではないように思います。

来年は、そうした「価値観」の問題に関わるようなサロンをいくつか考えています。
池本さんのお話は、そうしたことに深くつながっているような気がしました。
池本さんの語ってくれた、ご自分の物語も、私にはとても刺激的なものでした。

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2016/10/03

■第1回まちづくりサロンへのお誘い

いま、さまざまな活動が、自分たちの生活環境を安心で豊かなものにしようという、広い意味での「まちづくり」に向かっています。
また、行政主導のまちづくりから、住民主導のまちづくりへと、「まちづくり」のとらえ方も、大きく変わってきているように思います。
そうしたことを踏まえて、これまでさまざまな形で、広義の「まちづくり」に関わってきたメンバーで、今春、「まちづくり編集会議設立準備会」を立ち上げ、議論を重ねてきました。

「まちづくり編集会議」という言葉に違和感を持つ人もいるかもしれません。
私たちは、こう考えています。
地域社会には、多種多様な素材があり、多彩な人材がいます。
そうした素材や人を探しだし(取材)、整理・味付けし(編集)、その地域ならではの「魅力的な物語」を育てていくことが、「まちづくり」ではないか。
それも、だれかが編集するのではなく、そこに住む住民たちみんなが主役になって編集するという、「共創」型のまちづくりが大切ではないか。

 そのためには、どうしたらよいでしょうか。
そこで、各地でそうした活動に取り組んでいる人たちの、ゆるやかなネットワークを創るとともに、各地に、その地域の「まちづくり編集会議」をつくっていきたいと考えています。
そして、そうした全国各地の「まちづくり編集会議」をゆるやかにつないでいくことで、この社会をもっと素敵なまちに変えていきたい。

いささか大仰な目標ですが、その準備活動のひとつとして、「まちづくりサロン」を毎月開催していくことにしました。
毎回、テーマを決めたり、ゲストに来ていただいたりして、まちづくりを具体的に語り合う場にしていきたいと思いますが、最初の集まりは、こういう思いに共感してくださった人たちに集まってもらい、これからの「まちづくり」について、それぞれの思いを語り合う、気楽なサロンにしたいと思っています。
「まちづくり」の概念をできるだけ広くとらえていきたいと考えていますので、どなたでも歓迎です。
それに、サロンですので、気楽な語り合いの場にしたいと思っています。
さまざまな立場のみなさんのご参加をお待ちします。

○日時:2016年10月23日(日曜日)午後3時~5時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「まちづくりってなんだろう」
参加者それぞれの「まちづくり」に関する思いを語り合ってもらいながら、これからの「まちづくり」の方向性を考えていければと思います。
○会費:500円
〇主催:まちづくり編集会議設立準備会
○申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2016/10/02

■「みんカフェ・我孫子」がスタートしました

誰でも、そこに行くと自分の居場所が見つかるような、「ゆる~いカフェ」を、ゆる~くつないでいこうという活動を、昨年から、湯島でスタートさせています。
主旨に共感してくださった方が、それぞれの場所で自分流に開いてもらい、いつかそれがゆる~くつながればと思っています。
現在、湯島のほか、新潟と成田と印西などで、開催されだしていますが、今日は、私の住んでいる我孫子で、MTねっとわーくの土佐さんが第1回の「みんカフェ・我孫子」を開催してくれました。
私を含め、7人が参加しました。
今回は、いろんな活動をしている人たちが集まりましたが、地域によって、また主催者によって、スタイルはさまざまです。
テーマのない集まりであるからこそ、さまざまなサロンが創れます。
今回は、さまざまな活動が、ゆる~くつながっていく機会になったような気がします。
これからどう展開していくか、楽しみです。

もしやってみようという方がいたらご連絡ください。
簡単なメモですが、「みんなのゆる~いカフェ」(みんカフェ)ネットワーク構想を送ります。
そして、できるだけ応援させていただきます。

みんなが、自分の居場所が持てるような社会になれば、きっと豊かな社会になっていくでしょう。
今生は、それが期待できそうもありませんが、来世ではそんな社会に住みたいと思っています。


Photo


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2016/09/19

■まちづくり編集会議をスタートさせました

6月くらいから、まちづくりや各地の社会教育などに関わっている仲間たちと、「まちづくりに関わっている人たちのゆるやかなネットワーク」をテーマに話し合いを重ねてきました。
大枠の合意ができましたので、具体的に動き出すことにしました。
名前を「まちづくり編集会議」としました。

この名前には、実は深い思いがあり、3年ほど前にもあるところで立ち上げたかった仕組みです。
地域社会には、多種多様な素材や多彩な人材がいます。
そうした素材や人を「編集」し、その地域社会ならではの「物語」を育てていくことが、私が考える「まちづくり」です。
それも、だれかが編集するのではなく、そこに住む住民たちみんなが主役になって編集するという、「共創」型のまちづくりが、私がこれまで関わらせてもらってきたプロジェクトの理念です。

全国各地に、そうした「まちづくり編集会議」が生まれ、それらがゆるやかにつながっていく。
そんなビジョンを描いています。
まもなくホームページも立ち上げ、広く呼びかけていく予定ですが、いまはまだ6人の小さなグループです。

今日は5人が集まりました。
呼びかけの対象は、自治体職員や自治体議会議員、あるいは各地でまちづくりや社会教育の活動をされている人たち、さらにはそういう活動に関心のある人たちです。
来春には本格的に組織化する計画ですが、組織づくりと並行して、いろんな集まりやイベントを開催していく予定です。
またご案内などさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。
こうした活動に関心のある人がいたら、私あてにメッセージを送っていただければと思います。
ぜひ仲間になってください。

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2016/06/18

■カフェサロン「なぜ私は〈ママと子供の無料パソコン教室〉をやっているのか」報告

今回は、主に母娘対象にパソコン技術を学んでもらうことによって、母娘ともども、生きる力を高めてもらおうという活動に取り組んでいる、ひだまりサロン主宰者の日高正晃さんにお話をお聞きして話し合いました。
8人の参加者でしたが、湯島のサロンには初めての方が3人もいました。
それも、在日韓国人の方、大企業の方、社会教育に取り組んでいる方と、多彩でした。

日高さんが、あえて主対象を母娘にしているのには理由があります。
DV被害を受けてシェルターに入っていた母親の支援に取り組んでいるからです。
日高さんの思いは2つあります。
ひとつは、母親の経済力を高めるためにパソコンの技術を取得してもらい、在宅でも仕事ができるようにすることと、その子どもたちの情報リテラシーの学びの場をつくりだしていくことです。
前者は、これからの働き方(私は「生業」を基本に置いた働き方への関心が高まると思っています)につながる問題であり、後者は、経済的な格差が教育の格差を引き起こし格差の構造化をますます進めるということへの対策です。
いずれも、とても大切な課題だと思います。

しかし残念ながら、日高さんの活動は毎年かなりの赤字です。
どうしたら活動を持続させ、発展させられるか。
参加者のみなさんから、さまざまなアドバイスや意見がありました。
具体的な提案もありましたので、私もさっそく動いてみようと思います。
今回は企業の人も参加していましたが、企業の人ができることも山のようにあります。
企業やNPOといった壁を超えて、もっとみんながつながればいろんな解決策が生まれてくるような気がします。
それぞれの「たこつぼ」世界から出ていけば、違った世界が見えてきます。

実は、サロンの2日前に、発達障害の人たちのたまり場である、高田馬場のNeccoカフェに行ってきました。
そこで発達障害の人たちと話していて、この人たちのそれぞれの才能や特技をつなぎ合わせたら、いろんなことができるだろうなと考えていたのですが、同じ問題を抱える人たちだけで考えるのではなく、もっと広いつながりのなかで考えていくことが大切だろうと改めて思いました。
コムケア活動を始めた動機の一つは、個別問題だけに取り組むのではなく、その根底にある社会の問題や自らの生き方へも目を向けるような社会にしたいと思ったことですが、そのためには一人ひとりの「視野」を広げる必要があるように思います。

話が盛り上がって、気がついたらまた予定の時間をオーバーしてしまっていました。
日高さんのように、社会活動を経済的に自立させることに悩んでいる人は多いと思います。
そうした人たちの学び合いの場をつくることもいいかもしれません。
どなたか事務局をやってもいいと言う人がいたら、ご連絡ください。

また今回、在日韓国人の方の発言を聞いていて、やはりそういう人たちにとっての生きにくさを感じました。
コムケアでは最初の頃、そうした問題にも取り組んでいましたが、最近すっかりと抜け落ちていました。
少し考えていきたいと思います。

日高さんの活動については、ひだまりサロンのホームページをご覧ください。
http://hidamari-salon.jimdo.com/

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2015/11/30

■カフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」

今日のカフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」は参加者が20人を超える状況で、しかもさまざまな立場の方、世代も20代から80代まで多彩な方々が参加してくださいました。
話題提供者は、日本NPO学会の会長でもある田中弥生さんです。
田中さん本来の専門領域の話ではなく、そこから広がってきている「三題噺」です。

田中さんはドラッカーの最後の弟子とも言われています。
非営利組織に関するドラッカーの著書も訳されていますが、ドラッカーと親しく交流されているうちに、経営学者としてのドラッカーではなく、思想家としてのドラッカーに触れたようです。
そこからナチス時代のドイツ社会に関心を持っていきます。
そのあたりは、田中さんの著書『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』(集英社)で詳しく紹介されています。
そして、ナチスファシズムを調べていくうちに、ご自分の専門領域である、ボランティア活動やNPOへの新しい問題意識を持ち出してきたのです。
そこに田中さんの思考の柔軟さと誠実さを感じます。
今日はそうしたご自身の気づきのプロセスも含めて、とても示唆に富む問題提起をしてくださいました。

田中さんの最後の問いかけは、次のようなものです。

ドラッカーの非営利組織論の「市民性創造」とは?
ナチスのNPOと、アメリカの自治(さまざまな非営利活動)と何が違うのか?
市民性を育むには何が必要なのか?

今回は、この論点の議論にまではいけませんでしたが、問題の共有化と考えるためのヒントはたくさんあったように思います。
ナチスドイツ時代といまの日本の類似点も少し話題になりました。
市民性創造はNPOだけではなく、会社だって同じではないかという議論もありました。
また「日本の国のかたち」や「統治の必要性(言葉には出ませんでしたが、統治から協治へ)」、さらにはソーシャル・キャピタル論も少し話題になりました。
面白い論点はたくさんありましたが、中途半端に書くのは難しいので、個々の内容は省略しますが、ドラッカーの思想のあまり知られていない側面、ナチスドイツはヒトラーという狂気が生み出したものではないこと(「国民」こそが主役だったこと)、NPOに参加することだけでは市民性は育まれないこと、ドイツの企業の発展にも強制労働や「ボランティア活動」が無縁ではないこと、などが、いろいろと示唆されたように思います。
一つひとつが、いまの日本社会を考える上で、とても重要な示唆を含んでいます。
書きだすときりがありませんが、そのうち、田中さんが本を書いてくれるでしょう。

私は、ドラッカーが「協同組合」ではなく、「企業」に、社会の主役を期待したことにずっと納得できず、そのためにドラッカーがどうしても好きにはなれません。
しかし、ドラッカーの「経済人の終わり」は感動しました。
若い素直な目で時代を見通すということは、こういうことなのだと教えられました。
ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
それと、田中さんも紹介してくれましたが、最近出版された「ヴァイマル憲法とヒトラー」も読んでほしい本です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/book2.htm#004

なお、今回に少しつなげるような形で、来年の2月頃に、フランクフルト学派の研究者である楠さんに、「家族」を切り口に少し違った視点からナチスドイツといまの日本との話をしてもらおうと思っています。
ますますハードなように思われるかもしれませんが、また今回のようにさまざまな人が参加してくださるとうれしいです。

Tanaka201511291


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2015/10/28

■ちょっとハードなカフェサロン「NPO活動と市民性」のご案内

10月の「ちょっとハードなカフェサロン」は、「NPO活動と市民性」をテーマに、このテーマについて、ずっと問題提起してきている田中弥生さんに問題提起していただこうと思います。
田中さんは、7年前に書いた「NPO新時代」という著書の中で、「NPOは市民性創造という役割を通して日本の市民社会再編に貢献するという、大きな可能性を秘めています」と書いています。
私も共感しますが、しかし、最近のNPOには、むしろ市民性や社会性に関する意識が希薄なのではないかと思うことも少なくありません。

また、田中さんは、経営学で評価の高い、ドラッカーの愛弟子でもあります。
そして、ドラッカーの思想の根底に、ナチスドイツでの体験があることから、最近はナチスドイツの歴史にも関心を広げ、たとえば、ナチスが国民に支えられてきた面があることに関しても情報発信しています。
ナチスドイツでも、「管理されたボランティア活動」は重視されていました。
ここでも、市民性や社会性が大きなテーマだろうと思います。

市民性とは何か、最近のNPO活動やボランティア活動はどういう問題と可能性を持っているのか。
そんな話ができないかと思っています。
NPO関係者に限らず、さまざまな立場の人のご参加をお待ちしています。

○日時:2015年11月29日(日曜日)午後1時~3時(予定)
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「NPO活動と市民性」
○問題提起者:田中弥生さん(日本NPO学会会長)
○スタイル:田中さんのお話の後、みんなで話し合う。
○会費:500円
○申込・問合せ先:qzy00757@nifty.com

なお、田中さんの著作のうち、今回のテーマに関連している者を2冊紹介させてもらいます。
「市民社会政策論」(明石書店 2011年)
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#111113
「ドラッカー2002年の日本人への「預言」」(集英社 2012年)
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#121216


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2015/10/25

■カフェサロン「子どもの現在を考える」シリーズ第1回の報告

昨日、湯島で、「子どもの現在を考える」シリーズ第1回のカフェサロンを開催しました。
日本子どもNPOセンターの専務理事の立柳さんに、先月発表した「子どもNPO白書2015」の取りまとめで考えたことなどを話してもらい、参加者で話し合いました。
立柳さんと一緒に白書をまとめた上野さんや編集者の杉山さんも参加してくれ、総勢15人の参加者がありました。
実に多彩な立場の方が参加してくれました。
なかには山梨から参加してくださった方もいます。
「子どもNPO白書2015」については、別途簡単な紹介をしておきましたので、ご関心があればお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150913

立柳さんは、この白書をまとめて感じたいくつかの気づきを話してくださいました。
ひとつは、子どもを取り巻くさまざまな問題に個別に取り組んでいる人は多いですが、子どもの世界全体を観ている人が意外に少ないということです。
全体像が、なかなか見えてこない。
これは、福祉や環境問題全体についても言えることだろうと思います。
社会はさまざまな問題が絡み合って成り立っていますから、高齢者介護、情報社会化、まちづくりなどの問題との繋がりの中で見えてくる「子どもの問題」もあるでしょうし、逆に「子どもの現在」から、そうした問題の新しい側面が見えてくるかもしれません。
たまたま、前日に高齢者分野で施設展開している人が相談に来ましたが、「子どもの問題」にも視野を広げて考えると新しい解決策が見えてくるかもしれないと話したところでした。
社会の問題は、さまざまな問題のつながりや関係性の中で考えていくことが効果的です。
そのためには、その分野の実践者だけではなく、さまざまな立場の人が触れ合う場がもっと増えていってほしいと思います。

「子ども」は社会のさまざまな問題が凝縮されている存在かもしれません。
子どものかかえる問題からは、社会の実相が見えるような気がします。
そもそも「子どもNPO」ってなんだという話も出ました。
そこにはさまざまなテーマや課題が含まれていて、一括できないのではないかということかもしれません。
しかし、だからこそ、「子どもNPO」という捉え方に、私は意味を感じます。
縦割り社会で個別問題解決志向の強いいまの社会であればこそ、あらゆる問題につながっている
「子ども」の切り口から、社会を考えていくことが大切だと思います。
それに、立柳さんがお話してくれたように、「未来を託せるのは子ども」なのです。
子育てを終わった世代の人たちは、その思いから参加してくださったのだろうと思います。
子どもの視点に立って、未来を見ていくことは大切な事だろうと思います。

学童保育にも実際に関わっている上野さんは、子どもの遊びが大人によって「ルール化」されていることを紹介してくれました。
子供を大人がつくった「枠」にはめ込もうという「管理思想」が強まっているわけです。
子どものためという思いが子どもを抑圧しているという話もありました。
ここでも、「子どもNPO」の本質が問われています。
もしかしたら、福祉の本質にかかわることかもしれません。
NPOに関わっていると、いったい誰のための活動なのかと思わされることも少なくありません。
ちなみに、立柳さんたちは、「子育て」ではなく「子育ち」という視点で、子どもたちの主体性や尊厳をとても尊重した活動をずっとされています。

最近の子どもたちは、大人たちが決めたルールと自分たち(あるいは自分)のルールの「ダブルスタンダード」で生きているという話もありました。
いまや子どもも、「素直に」生きていけない、実に窮屈ですみにくい時代なのかもしれません。
子どもたちが、自分の主体性や自分の考えを育てるのではなく、それが摘み取られていく状況に、置かれているとしたら、未来はどうなっていくのでしょうか。
この問題は、「子どもNPO」の大きな課題だろうと思います。

ところで、蛇足ですが、「漢字テストのふしぎ」というビデオがあります。
19分で長いですが、よかったらぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FvdIbH0qtu4

子どもNPOは、資金的にも難しいという話もありました。
「子どもの貧困」と「子どもNPO」の財政的困難さは、実はつながっているのかもしれません。
しかし、だからこそ、そこに新しい社会のあり方の芽があるかもしれないと私は思っているのですが(つまりマネタリーエコノミーから抜け出す契機がある)、話がややこしくなるので、今回は発言を差し控えました。

ほかにもさまざまな論点が出されましたが、私自身、たくさんの気づきをもらいました。
土曜日の研修会には行政の人は参加してくれないという「嘆きの発言」もありましたが(まったく同感です)、行政の人や学校関係者にも、ぜひ参加してほしいサロンでした。

出版元のエイデル研究所の杉山さんが10冊持ってきてくださった白書は参加者のみなさんによって完売しました。
それだけでもうれしいことです。
この記事を読んだ方も、よかったらぜひ読んでみてください。
内容のとても濃い本です。

次回は、視点を変えて、学習塾などを通して、子どもたちに長年個人として関わっている、小出陽子さんに話題提供していただきます。
11月21日(土曜日)の午後を予定しています。
ぜひご参加ください。
驚かされる話がたくさん聞けるはずです。
20151024


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2014/05/26

■スリーA認知症予防ゲームの広がりを確信しました

一昨日、京都でNPO法人認知症予防ネットの10周年記念講演会が開催されました。
10年以上前から、「認知症予防」ということを主張し、当時の厚労省の担当官から、「認知症の予防はありえない」と声高に怒られたそうですが、数年前に「認知症予防」が認められ、いまは雨後の筍のように予防策が出現しているそうです。
そうした認知症予防に先鞭をつけた「スリーA認知症ゲーム」も、今なおバウチャー(効果確認の証拠データ)づくりが課題なのだそうです。
私自身は、そうした発想が基本的な間違いだと思っていますが、そうした風潮に背を向けるわけにもいかないのでしょう。

しかし、一昨日の集まりに参加されれば、スリーAゲームの実効性は確信できるはずです。
なによりも、全国からたくさんの人たちが集まりました。
そのほとんどが、スリーAゲームの凄さを実感している人たちです。

講演会では、韓国でいち早くこのゲームに着目し、仲間と一緒に韓国での展開に取り組んでいる、韓国江南大学教官の佐々木典子さんが「韓国におけるスリーA」と題して、その広がりと効果を話してくれました。
続いて、全国社会福祉協議会中央福祉学院教授の小林康子さんが「東日本大震災被災地におけるスリーA」と題して話されました。
お2人とも私のよく知っている人ですが、とてもエネルギッシュな人です。
参加者の多くの元気と気づきを与えてくれました。

それにつづいて、最近、スリーAをしって実践に取り組みだした11人の人からの活動報告をしてもらいました。
限られた時間での11人の発表は、それなりにファシリテーターが必要だということになり、私がその役割をさせてもらうことにしましたが、いずれの取り組みも示唆に富むものでした。
いずれにしろ、実践者はみんな元気になってしまうのです。
実際にやってみた人たちの笑顔が最良のバウチャーなのです。

発表者には、マスメディアの方にも参加してもらいました。
京都新聞の日下田さんとKCN京都テレビの村瀬さんです。
お2人のお話もとても説得力がありました。

会場には全国から大勢の方が参加してくれました。
私の知った方も少なくありませんでしたが、驚いたことに私が住んでいる千葉県の我孫子市からも2人の参加者がありました。
その人たちの反応を見ていると、間違いなく、スリーAは、これからますます広がっていくでしょう。
理事長の高林さんは、全国にポストの数ほどスリーAの教室を広げたいと言っていますが、どうやら実現しそうです。
講演会の報告はNPO法人認知症予防ネットのサイトをご覧ください。
そしてぜひともみなさんも体験してみてください。
ちなみに、スリーAの精神は、「あかるく、あたまをつかって、あきらめず」です。
スリーAは、認知症予防だけではなく、社会の壊れ防止にも間違いなく効果があります。
それに関しては、また別途書かせてもらいます。

関心のある方はご連絡ください。

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2013/11/20

■常識を問い直す3:「ボランティア」という言葉に感ずる違和感

私は、「ボランティア」という言葉が好きでしたが、いまはほとんど使わなくなりました。
私の理解では、「ボランティア」は「自発的な志願者」という意味だったはずです。
それがいつの間にか、「お金の対価なしで活動すること」というような意味になってきています。
つまり、金銭的対価を得るか得ないかを区別する言葉になってきてしまっているのです。
本来、金銭報酬とは無縁だったと思うのですが、いつしかこの言葉も、金銭との結びつきを深めてしまったわけです。
言葉には時代の、あるいは社会の文化が色濃く出てきます。

社会活動をしている人が「ボランティアでやっている」と言えば、無料奉仕ですというアピールに聞こえてしまいます。
つまり、私はお金などもらっていませんよと言うわけです。
そうした発想の根底には、活動は基本的に対価を得るものという考えがあるわけです。
だから、お金をもらわないで活動することに、何か価値を感ずるのでしょうか。
なんとなく、そこに「卑しさ」を感じてしまいます。
それで、私は「ボランティア」という言葉が嫌いなのです。

また「ボランティアでやってくれないか」という呼びかけは、無料奉仕してくれないかと言うことでしょう。
ボランティアが自発的なものであるならば、自発性を要求するという、おかしなことになるわけです。
これもやはり発言者の卑しさを感じます。

唯一私が理解できるのは、あの人はボランティアでやっているらしいよ、という表現です。
それは、あの人は頼まれてもいないのに自発的にやってくれているという賞賛の意味が含まれていますので、気持ちよく聞こえます。
また、ボランティアが来てくれたとか、ボランティア活動という表現には違和感はありません。
私が違和感を持つのは、自分のことをボランティアと言い、あるいは、相手にボランティアを要求したりすることだけです。
むしろそういう意味では、大災害の時は別にして、最近は本来的な意味でのボランティアは日常生活の中では減っているかもしれません。
私は、それが気になっています。

昔は(今も使われているかもしれませんが)「有償ボランティア」という言葉がありました。
それはそれで私には馴染めます。
自発的にやっている活動だが、対価をもらっているという意味ですから。
しかし、「有償ならボランティアしてもいいです」とか「有償でボランティアしてくれないか」などという表現になると、私には理解できなくなってしまいます。
それはボランティアではないだろうと思うわけです。

ボランティア活動している人のなかには、私はボランティアでやっているのだからお金をもらうわけにはいきませんと言う人もいます。
これも私には理解し難いのです。
対価と関係なく自発的にやっているのであれば、それに感謝して誰かがお金のお礼をしてくれたら、受け取ることも礼儀だろうと思うからです。
お金を出す行為にも「ボランティア」はあるはずです。
自分のボランティアは主張しながら、相手のボランティアは拒否するのでは、論理が一貫していません。
そういう人は、結局、金銭対価とボランティア活動をつなげて考えているとしか思えません。
それはボランティアとは言うべきではないでしょう。
お金を受け取ることとお金の受け取りを拒否することは、私には同じに思えます。

ボランティアという言葉が、どうも汚されてきているようで、残念です。

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