カテゴリー「生き方の話」の記事

2021/09/16

■45歳定年制に賛成

サントリーホールディングスの新浪社長が、「45歳定年制」の導入を提言して大きな波紋を呼んでいます。
大方の意見は、否定的で、そこに経営者の人件費削減の意図を感じているようです。
たしかにそういう意図はあるかもしれませんが、私はこの提案に賛成します。

私は47歳で会社を辞めました。
そこで得たものは、自分の人生を自主的に生きるということです。
会社時代もかなり自由に振る舞ってきたつもりですが、辞めてみて、やはり多くの呪縛の中にいたことを痛感しました。
会社や上司や同僚を口実に、自分を納得させていたことにも気づきました。

もう一つはいかに無駄が多かったかを知らされたことです。
交際費で充当されていた食事は、個人になってからはほとんど味わうことはありません。
無駄だったのはお金だけではありません。時間もかなり無駄遣いしていた気がします。
いろんなパーティにも参加させてもらいましたが、いま考えるとまさにバブルな感じでした。

会社を辞めて、私の生き方は変わりました。
さまざまな意味で「節約」し、無駄を晴らし、納得できないことには加わらないようにしました。
経済面では収支は激減しましたが、物を大事にする生き方は取り戻せました。
高価な食事とは無縁になりましたが、おいしいと思うものは前よりも増えました。

なによりも、自分の思うように生きることで、精神的ストレスはなくなりました。
時々、お金が無くなってその工面に苦労したり、時にはおいしいウナギを食べたいなと思うことはありますが、それもまた生きていることの実感を与えてくれます。
何かが欠けていることは、幸せの条件かもしれません。

長々と余計なことを書いてしまいましたが、私が45歳定年制に賛成なのは、組織に人生を任せて従僕のような存在になってしまうことを前提にしない社会がはじまるからです。

労働には、雇用労働と協同労働があります。
誰かに雇われて働くのと自らが主役になって働くのの違いです。
45歳までは雇用労働として組織で働き、遅くも45歳になったら自立して働く社会。
前者は「お金のための労働」という意味合いがあるとしても、後者は「自分の人生のための労働」という大きな違いが出てくるように思うのです。
そうした「働き方改革」につながる展望を感じるので、45歳定年制に賛成なのです。

そろそろ私たちは、法人中心社会から卒業して、生身の人間の社会に、歴史を一歩、進める時期ではないかと思っています。
言い方を換えれば、近代的進歩の流れを反転させて、のどかな人間の時代に戻ろうという話です。
会社は人間にとっては手段であって、仕えるべき主人ではありません。
舌足らずなので、異論反論をたくさん受けそうですが。

サロンをやってみてもいいかもしれませんが、組織人はあまりサロンに来ないので、話し合いが難しいかもしれません。

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2021/09/13

■人間らしく生きることの大切さ

最近の湯島サロンの大きなテーマのひとつが「人間とは何か」です。
それで、関連した著作を何冊か読んでいるのですが、今日は戸谷洋志さんの「ハンス・ヨナス 未来への責任」を読みました。
表紙にはタイトルと並んで、「やがて来たる子どもたちのための倫理学」と書かれています。

ハンス・ヨナスは、「未来倫理学」の問題にいち早く取り組んだユダヤ人哲学者です。この本は、戸谷さんの博士論文をもとにした本ですが、基本的にリライトしたようで、とても読みやすい本です。

本書の「はじめに」は次の文章から始まります。

私たちは、まだ生まれていない未来の世代を脅かす力をもっている。

私たちの生き方が、未来の生きる人たちに大きな影響を与えるというわけです。
私も、この頃、そのことを強く意識できるようになってきました。

ヨナスの「未来倫理学」のポイントは次の原則に要約されます。

あなたの行為の影響が、地上における本当に人間らしい生き方の永続と両立するように、行為せよ。

人間らしく生きる。
これは私の生活信条に一致します。

今度の日曜日918日、湯島では「ムーンショット計画」をテーマにしたサロンがあります。ムーンショット計画とは、いま日本政府が進めている未来計画です。基本にはトランス・ヒューマニズムの思想があります。
気が向いたらどうぞ。

人間らしさとはいったい何なのか。
サロンでは直接話題にはならないと思いますが、じっくりと考えたいテーマです。

 

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2021/08/30

■粗探しがはびこる時代には明日は来ない

この週末は暑さに負けずに都心に行きました。
少しいいことがありました。

電車は始発駅から乗るので、いつも座れます。
いつものように、優先席に座っていましたが、うつらうつらしているうちに混んできました。
そのうちに目が覚めたのですが、なんとなく前に立っている人のカバンをみたら1枚の缶バッチがぶら下がっていました。
そこに「おなかにあかちゃんがいます」と書いてありました。

反射的に立ち上がって席を譲ろうとしましたが、私が高齢者であるせいか、彼女は辞退しました。
でもほかの人は誰も立ち上がろうとせずに、結局、座ってくれました。
冷静になって考えたら、ちょっと反省しました。
高齢者を立たせてしまったと彼女は負担を感じたかもしれません。
しかし、私としては、高齢者でも役に立てることを実感して、疲れがちょっと消えました。

昨日は大した話ではないのですが、湯島のビルに着いたら、ちょうど自転車でビルに入ろうとする人がやってきました。
ドアが閉まっているので大変だなと、自分の体験を思い出して、彼を待ってドアを開いてやりました。
そんな小さなことなのに、その人は大きな声で2回もお礼を言ってくれました。
まあそれだけの話なのですが、私も元気をもらえました。

フェイスブックもそうですが、人の悪口によく出合います。
私も、つい書いてしまうこともあります。
でも誰かを非難したり、否定したりすることは何も始まりません。
生きているとそういうことがよくわかります。

逆に言えば、元気になるのは難しいことではありません。
誰かの小さな役に立つだけも、自分が元気になれます。
誰かのちょっとした行動をほめるだけでも元気がでます。

しかし最近はどうもみんな粗探し探しばかりする。
自分が粗探しをしているので、誰かの言葉も「粗探し」だと誤解してしまうこともあるでしょう。
粗探しがはびこる時代には、たぶん明日は来ない。

私も注意しなければいけません。

 

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2021/08/29

■菅首相に見えている「明かり」

現在進められている政府(行政)のコロナ対策は、むしろコロナ感染を拡大するために役立っているのではないかと思えてなりません。

 たとえば身近な事例ですが、私は週に1回ほど近くの図書館に行きますが、入り口で利用者把握のために用紙に記入し箱に投函して入館するようになっています。ルール違反ですが、私は最初からそれを無視していますが、そこで記入して投函するような余分な作業をすることこそが感染機会を増やすことだと思っているからです。
ちなみに、図書館では実際の書架にはほとんど行かずに、ネットで予約し、窓口で借りてくるだけです。入り口で記入などしなければ、図書館にいる時間は1分前後です。

昨日報道されていたワクチン接種のために朝から行列をつくらせ、その結果、ワクチン不足で多くの人を断っていましたが、これもまさに感染拡大に役立ったでしょう。
熱中症などのほうが心配ですし、断られた人は明日もまた来ると言っていましたが、要は外出を促進していることになります。

こういう動きは、ちょっと注意してみるとたくさんあります。
一件、感染予防のように見えて、実際には感染拡大につながりかねないことも少なくない。
私には、政府はコロナを拡大させようと思っているとしか考えられません。
だから菅首相は「明かりが見えてきた」と発言したのでしょう。
もう十分にコロナは感染拡大してきましたから。

こういう思いは、昨年の4月から続いています。
だからこそ、自分としてしっかりした感染対策をとらねばいけないと思って、実践しています。

マスクのあまりの広がりも、私は疑問視しています。
熱中症や体力低下で、免疫力を弱めた人たちがコロナに感染しやすくなるような状況をつくっていくとしか思えません。

私は、コロナであろうとなんであろうと、身心の対応力が大きく影響していると思っていますので、身心をできるだけいい状況に置いておくことこそがコロナ対策だと考えています。同時に、コロナだけしか見なくなる「視野狭窄」化には気を付けています。
身心を病むのは、コロナだけではありません。

菅首相が見ている「明かり」が何であるのか、みんな気付いてほしいと思います。

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2021/08/13

■孫から教えてもらったこと

昨日、娘たちがでかけたため、孫と2人だけ留守番でした。

いろいろと遊んだ後、孫が私にプレゼントをくれました。
孫がとても大事にしている、虹色のアクセサリーです。
もらっていいのかと訊いたら、いいよ、でも明日までだよというのです。
「明日まであげる」という発想に興味を持ちました。

 今日、また孫がやってきて、今度はこれをあげるといって、貝のデザインのアクセサリーをくれました。そして、昨日もらった虹のアクセサリーは持っていきました。
明日、また何か大事なものを持ってきて、交換するそうです。
私も、そのお礼に何かやろうと思い、探しましたが、孫の気に入るものは見つかりませんでした。

孫とやり取りをしながら、マリノフスキーやモースなどが報告している贈与交換の話に似ていることに気づきました。
孫はまだ「排他的所有」という概念を持っていないのかもしれません。
たしかに、彼女に何かをあげても、自分だけで独占しようとすることはあまりありません。
お菓子をやっても、自分がその時食べる分しか受け取りませんし、せっかくプレゼントした本やおもちゃも、遊んだ後、2階に置いておくといって持ち帰らないこともあります。

そういえば、近くの手賀沼からエビや魚を獲ってきても、翌日には戻しに行きますし、カブトムシも翌日は逃がします。
最初は、欲のない子だなと思っていましたが、どうもそうではなくて、これが人間(生命)の本来のあり方なのかもしれないと感じました。

数年前に読んだ奥野克巳さんの「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」という本に出てくるブナンの人たちの話も思い出しました。
そこでは、いろんなものが「みんなのもの」として、シェアされているのです。
そして、誰かに何かもらっても、それをずっと所有するわけではなく、また誰かにあげるというかたちで、いろんな人が「所有」しながら、その物をみんなで楽しむのです。
社会全体の資産の総量は少ないかもしれませんが、社会全体が享受する資産ののべ総量は豊かなのです。

孫からまたとても大切なことを教えられた気がします。
明日は、何がもらえるでしょうか。
私は何をもらってもらえるでしょうか。
実は今日は、亡き妻の残していったアクセサリーをあげたのですが、気に入ってもらえずに、もらってもらえませんでした。
明日はもらってもらえるものを探さないといけません。

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2021/08/05

■私たちの中にある「人間」性と「アンドロイド」性

久しぶりにディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読みました。何十年ぶりでしょうか。20代までは大のSF好きでしたが、ディックはさほど好きではありませんでした。映画化された「ブレードランナー」も、一作目は私の好みではありませんでした。

今度、「遺伝子は夢を見るか」というサロンで、「アンドロイド(AI)は夢を見るか」も話題にしようと思っているので、改めて本を読み、映画化された「ブレードランナー」2作品を見直したのです。ディックはアンドロイドも夢を見ると考えているようです。映画のアンドロイドは涙も流していました。アンドロイドに夢を見させるのは簡単でしょうし、涙も簡単でしょう。でもその時の夢や涙は、何なのか。

ところで、ディックの本が手元になかったので、図書館から早川書房の文庫版を借りてきて読んだのですが、そのあとがきに、後藤将之さんの言葉が紹介されていました。そこにこんな文章がありました。

ディックにおいて、人間とアンドロイドの生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。親切な存在はすべからく「人間」であり、それ以外は人間ではない。ここで彼が、この非人間的性質の比喩としてのみ、「アンドロイド」を持ち出している事を失念してはならない。(中略)ディックの世界では、そもそも人間と機械、自然と人工といった単純な二分律は棄却されている。彼が問題としていたのは、人間と機械の、その双方における、「人間」性および「アンドロイド」性の対立の構図である。

問題は、人間対アンドロイドではなく、私の中にある人間性とアンドロイド性の問題なのだと思うと、ディックの作品が少し理解できるようになりました。人間とアンドロイドはつながっているのです。
ちなみに、ディックはアンドロイドにも「死」を持ち込んでいます。

しかし、私はやはりアンドロイドには「進化」したくありません。
オリンピックを見ているとなぜか私は感動よりも悲しさを感じますので、最近はDVDで映画やドキュメント番組を見ています。

 

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2021/07/30

■コロナ感染社会に生きる私のルール

新型コロナの陽性者がまた急増していると発表されています。
この数字ほど、まやかしの数字はないと思っていますので、私には全く意味のない数字なのですが、そうはいっても世間はこの数字で動いています。
それに、新型コロナ感染症を発症しないように注意しなければいけないという認識は、私はしっかりと持っています。私から見れば、むしろ周りの人があまりそれを考えずに、ただマスクをしているだけだったのが心配でした。いまはワクチンに対するあまりの期待の大きさに不安を持っています。もっと自分で考えてほしい気がします。

湯島でサロンを続けている私に対する批判もありますので、私のルールを書くことにしました。
まず県を超えての移動に関しては、私は「生活圏」を超えての移動はしないと読み替えています。ですから遠隔地への旅行はしません。たとえ県内でも房総半島には出かけません。しかし、私にとっての湯島は県外ですが生活圏内なので、移動制約の対象にはしていません。
行政区単位で生きるような生き方は私にはできません。

湯島のサロンは、私にとっては「不特定多数の集まり」ではないので、安心しています。
時々、新しい参加者がありますので、リスクはないとは言えませんが、全く知らない人がサロンに来るのは、年に1~2人です。ちょっと緊張しますが、そのくらいのリスクは生きている以上避けがたいリスクだと考えています。ちなみに、友人の友人は私は友人です。

湯島では基本的に会食はしません。
時に友人がお弁当を持ってきてくれることがありますが、それは毎日の食事の延長ととらえています。全く知らない人が、ウイルス入りのお弁当を持ってきてくださるほど、私の交友範囲も活動範囲も広くありません。
サロンで駄菓子を出しているのが気になり、一度止めたのですが、参加者には必要なようで、私の意図とは無関係に、参加者がセットしてしまうので、それに抗うのはやめました。私も時々食べてしまいますし。
珈琲やお茶も各人用の容器入り珈琲にしようと思ったこともありますが、プラスチックゴミ問題のほうが大切だと判断し一度であきらめました。

湯島のサロンは、私にとっては「日常生活」なので、注意しながらつづけているというわけです。スタイルも今やもう変えられなくなっている。
いずれにしろ、湯島のサロンでは、私は参加者を信ずることにしました。
そのため(信頼し合うコミュニティ育て)にこそ、長年サロンをやってきたのですから。
入室後、手洗いやうがいをする人は必ずしも多くないのですが、それもあまり気にしないことにしました。最近は注意もしなくなりました。もちろん消毒液や手洗い剤は用意しています。

換気には留意していますが、私は基本的にサロンではマスクをしていません。
幸い私は高齢のために他者への感染力は弱いようですので、万一発症しても、静かに自宅待機で対応し、最悪の場合は消滅しようと思っています。それもまた自然でいい。

ちなみに、サロンには行きますが、不特定多数が交流する場には、原則、行かないようにしています。いま行われている東京国立博物館での法隆寺展も行きたいのですが、いまは自重しています。予約を取るのも面倒ということも理由の一つですが。
お酒の伴う会食は原則、やめています。この1年半で4~5回ほどお断りできませんでしたが、それなりの理由があり、リスクとのバランスでお受けしました。実際にはいずれも断ってもよかったことが会食後にわかりましたが、まあ人は間違いを犯すものです。

まあそんなわけで、かなり注意しながら、湯島のサロンを続けているのです。
飲食店の規制が問題になっていますが、私はそれぞれが「十分に注意して対応する」という文化をもっと大切にしたいと思っています。
そういう気風がどんどん失われきている昨今の風潮にこそ、不安を感じます。

明日も明後日も湯島でサロンです。
よかったら遊びに来てください。
リスクを背負い、それなりの緊張感をもって。
それがなければ、この現状は超えられないような気がします。

 

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2021/07/08

■自由にものが言える幸せ

さすがにこういう状況ではテレビでもオリンピック中止の話が出るかと思っていましたが、全く出てきません、
緊急事態宣言とオリンピック開催とは矛盾すると怒りをあらわにする人は数名いましたが、誰もオリンピック中止は明言しない。
やはりみんなオリンピック賛成なのですね。

いくら批判しても、怒りをあらわにしても、すべてポーズだけなのかと思います。
そもそも無観客かどうかなどという話は些末な問題でしょう。
無観客かどうかを議論するということは開催に賛成だということでしかありません。

問題は開催するかどうかです。
こういう「問題の立て方」は最近の常道です。
問題の立て方の段階で、すでに議論は終わっている。

ともかくいまのテレビ界はオリンピック賛成者たちで覆い尽されている。
こういう状況を作り上げてきたのは、まさにテレビだろうと思います。
ある雑誌が「コロナ五輪強行! 翼賛メディアの大罪」を特集していますが、違和感なく読めました。

菅さんだけが悪いのではなく、こういうテレビコメンテーターが一番責任は重いと思います。
せっかくテレビで発言できるのであれば、素直に自分の意見を明言したらいいのにと思いますが、「そこまでは言えない」と言い訳しているのが醜いです。

自由にものが言える幸せを感じます。

 

 

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2021/07/05

■熱海土石流前後の写真には驚きました

熱海で起こった土石流は衝撃的な事件でしたが、崩落前と後の写真を見て、さらに衝撃を受けました。
私が受けた衝撃は、文明のもろさです。
これほどきれいに跡形もなく文明は消去される。
人類が誇りにしている科学技術の限界を改めて見せつけられた感じです。
飛躍があると思いますが、コロナもワクチンはもっと大きな危険の始まりに過ぎないのではないか。そう思いました。

こんな事件を前にして不謹慎なのですが、もしかしたら人類の歴史以前に別の歴史があったかもしれないという思いも強くしました。
以前から各地で「オーパーツ」(場違いな工芸品)が話題になっていますが、そうしたものの信憑性が高まった気がしますし、プレートテクトニクス仮説によって影が薄くなった失われた大陸仮説も見直したくなりました。

逆に言えば、人類もまた跡形もなく消えることもあり得ると言うことです。
消えるときは意外後早く消えることでしょう。

ますます短絡的な発想ですが、AIの暴走も自然の定めなのかとさえ思えるようになりました。AIが人類を滅ぼすと思っていましたが、AIも含めて自然が人類を正してくれると思い出しました。
非難されそうな意見ですが。

伊豆山には以前何回か行ったことがあります。
いつも宿泊していたところも急傾斜のところでした。
私は傾斜地が好きなので、わが家も傾斜地にあります。
しかもすぐ隣地は、がけ崩れ危険地域になっています。

さらにわが家は手賀沼から北に向かう「風の道」になっているようで、風の日は怖いほどです。
そんなわけで、自然をいつも強く感じています。
ですから私は自然にはできるだけ抗わないようにしています。

それにしても今回の事件から改めて気づかされたことはたくさんあります。
生活を支えてもらっている地域の自然にもっと敬意を払わないといけませんね。
梅雨があけたらまた畑づくりをして少しは自然にお礼をしようと思います。

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2021/07/02

■「ちょっと気になることを話し合う場サロン」も大切かもしれません

我孫子市の市議会を傍聴しつづけている友人がいます。
議会を傍聴するだけではありません。
そこで何かおかしいと気づいたことに出合うと、自分でしっかりと調べるのです。
普通の市民が、そうやって調べることは簡単なことではありません。
時間もかかれば費用もかかります。いやな思いをすることもあるでしょう。

しかもしっかりと調べたことを踏まえて、関係者に対する働きかけもするのです。
彼のおかげで改善されたことも少なくありません。
その人の存在は、もちろん市議会議員や市役所職員も知っていますが、だからといって、私欲のために何かをすることは全くありません。
その人の行動は見事というしかありません。

私がその人に会ったのはもう20年ほど前です。
時々、その人からお話を聞いて、驚かされることも少なくありませんでした。
いろんなことを学ばせてもらったこともあります。
今年になってからも、その人が調べたある問題の資料がどっさりと届き、お話も聞かせてもらいました。

1か月ほど前にお会いした時に、あることを調べているとお聞きしていました。
その人から連絡があって、今日、お会いしました。
またいろいろな問題にぶつかってしまったようです。

以前、湯島でサロンをやってくれた損保犯罪対策委員会代表の濱中さんが、公表されている資料をきちんと分析するだけで、驚くべき不都合な事実が見えてくる、と話していたのを思い出しました。私たちは、たくさんの「不都合な真実」を見過ごすことにあまりに慣れきってしまっているようです。

今回、その人がぶつかった問題は、私にはかなり大切な問題だと思われました。
放置するわけにはいかないでしょう。
行動を起こす前に、客観的な評価を確認したいと言うので私に話してくださったのです。
いささか複雑な問題なので、自分一人で考えているとわからなくなる。
人は話しながら考えるものです。
2時間、じっくりと話を聞いたので、少しはお役に立てたかもしれません。

「ちょっと気になったこと」を調べていくと、時に問題にぶつかります。
その時に、気楽に話を聞いてもらって話し合える場があるといいかもしれません。
彼のように一人で頑張れる人は多くはありませんから。

こんど我孫子で、「はじまり場サロン」を開催しますが、もう一つ、「ちょっと気になることを話し合う場サロン」も大切かもしれません。
「茶色の朝サロン」の地域版です。

しかしこう次々とサロンを増やしていくと遠からず破綻するでしょう。
困ったものです。

 

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