カテゴリー「生き方の話」の記事

2017/05/28

■マイナス給料の発想

昨日、高齢者の生活支援を1時間1000円で引き受けるようなネットワークづくりをしている人に会いました。
私が知っている人だったこともあり、正直、大きなショックを受けました。
市民活動やボランティア活動が市場化されていることに違和感を持って、それとは別の視点で生きているものにとっては、心が乱された気分で、すっきりしませんでした。
どうしてみんな「働くこと」をお金と結びつけるのでしょうか。
お金がないと生きていけないなどと言いますが、お金がなくても豊かに生きていたほうが、人類の歴史としては長いのです。
ましてやお金をもらうこと「稼ぐこと」を「働くこと」と考えるようになったのは、つい最近のことでしか、ありません。

私自身は、お金のために働くという意識を変えてから30年近くになります。
お金とは無縁な生き方をしてきたわけではありませんが、意識的にはお金の呪縛から自由になろうという生き方は、最近はかなり身についてきました。
この10年は、お金をもらうことを条件に仕事をしたことはありません。
結果としてお金をもらったことはありますが。
それでもなんとか生きてこられたのは、多くの人に支えられたからですが、それまでの人生で得たお金の支えがあったからかもしれません。

しかし、多くの人はやはり仕事とお金は切り離せないのでしょう。
頭がすっかりそうなっているからです。
ですから、悪意など全くないのに、ボランティア活動にまで時間給という発想を持ってしまうのです。
ボランティアで小遣い稼ぎもできるという人もいますが、この言葉にもずっと違和感を持っています。
念のために言えば、ボランティアの謝礼としてお金をもらうことに違和感があるのではありません。
対価と謝礼は違いますし、小遣い稼ぎをモチベーションにすることにも違和感があるのです。

そして一晩寝て、妙案に気づきました。
マイナス給与という発想です。
ボランティア活動の場合、1時間働いたら、働かせてもらったお礼になにがしかのお金を相手に支払うというのはどうでしょうか。
つまりマイナス給与制度です。

以前、マイナス原稿料方式で2冊の本を出版したことがあります。
原稿を書いた人にはマイナス原稿料を払う、つまり実際にはお金を出して原稿を書くのです。
自費出版を思い出せば、これはそうおかしなことではないでしょう。
ではそれと同じで、仕事をしたら対価を負担するというのはどうでしょうか。
実は以前、コモンズ通貨というのをやっていた時に、同じようなことが起こったのです。
ある人がテーマパークのチケットを購入したのですが、行けなくなった。
そこで誰か活用してくれる人はいないかと呼びかけて、ある人がそれを活用したのです。
その時のコモンズ通貨(地域通貨のようなもの)は、チケットを買った人から、ではなく、チケットを売った人から相手に渡されたのです。
私のホームページのどこかに記録が残っているはずですが、私は感激しました。

そんなことを思い出しながら、ボランティア活動の場合、お金を絡ませるのであれば、流れを逆転させたらどうかと思いついたのです。
実に妙案ではないか、と自画自賛したくなっています。
もう少しきちんと説明しないとわかってもらえないかもしれませんが、まずは自分でできることからはじめようと思います。
問題は、いまの私にはお金がないことですが、お金がなかったら、自分でお金を発行すればいいだけかもしれません。
コモンズ通貨を復活させたくなりました。
http://cws.c.ooco.jp/jongi.htm

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2017/05/26

■前川(前文科省事務次官)さんに敬意を表します

加計学園問題に関連して、前文科省事務次官の前川さんの記者会見が話題になっています。
問題になっている文書の存在を確認し、まともに探せばすぐに出てくるとさえ言っています。
それに対して、菅官房長官の反論は、私の常識で考えれば、卑劣極まりありません。
官房長官ほどの地位にある人であれば、もっと正々堂々と反論してほしいものです。

テレビでの前川さんの取り上げ方も、私にはフェアには思えません。
キャスターたちの根底にある姿勢に、卑しさが見えてきます。
いまや在野を良しとするジャーナリストは、テレビには出られないのでしょうか。
もちろんそうでない人もいないわけではありませんが。

前川さんの発言をベースに問題を素直に捉え直せば、事実はすぐにわかることでしょう。
松野大臣の調査は、これも普通に考えれば調査とさえ言えないです。
そんなあまりにも明白なことが、面白おかしく語られて、マスコミビジネスの餌食にされています。

私が前川さんに敬意を表するのは、組織や制度の力に屈せずに、堂々と記者会見したことです。
しかも極めて「素直な言葉」で語っています。
菅さんや政治家などの、「地位に恋々」としている人たちとは全く違って、さわやかにさえ聞こえます。
組織に正面から向かう勇気のある人を久しぶりに見た感じです。
これからの人生は経済的には恵まれなくなるかもしれませんが、精神的なストレスは軽減され、豊かな人生になるでしょう。

森友学園の時もそうでしたが、本来あるべき書類がないと言っていた保管責任者の責任は問われることなく、いつの間にか話は終わってしまいました。
しかし、おそらく現場の関係者は、その所在も含めて知っているはずです。
しかし誰からも声が上がらない。
組織の部品であって、人間ではないからでしょう。
出世したところで、人生は豊かにはならないのではないかと思いますが、まだ出世願望やお金願望が人間を取り込もうとしているのでしょう。

霞が関には、もう主体性をもったまともな人間は居場所がないのかもしれませんが、「あったものはないとは言えない」「黒を白とは言えない」という、前川さんの発言に、誰か反応する人はいないのでしょうか。
社会を変えるのは簡単なことです。
おかしいことをおかしいと言い、自分に嘘をつかないで生きる人が増えていけばいいだけの話です。
前川さんにつづく人が、どんどん出てくるかもしれません。
そうなるためにも、私は前川さんに拍手を送ります。

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2017/04/29

■コムケアサロン「生活の中での看取り」の報告

「看取りシリーズ」サロン3回目は、「生活の視点からの看取りを考える」をテーマにしました。
大型連休初日にも関わらず14人が参加しました。
話題提供者の小畑万里さんは、ていねいなレジメをつくってきてくださいましたが、それと併せて、実際にご自身が看取られたご両親の「老化のプロセス」を表にして、お話ししてくださいました。
ですから、とても具体的に「生活の中の看取り」を考えることができました。
そして、改めて、人によって異なる表情を持っている「看取り」を、一般論で語ることができないことを痛感すると同時に、そうした個々の看取りの中から学ぶことの多さも感じました。

小畑さんは、まず、「看取り」を、医療で想定されている看取り(狭義の看取り)と生活の中での看取り(広義の看取り)に整理し、前者は死が差し迫った時の比較的短期間の看取りであり、病気の治療が中心になるが、後者は不可逆的に死に向かう生活のプロセス全体に寄り添うことであり、老いへの対処とケアが中心になると説明してくれました。
併せて、「見守り」ということの大切さも、看取りとのつながりで話してくれました。

今回は病院や施設で「看取り活動」をしている人、看取り経験がある人、さらには豊かな人生の最期に向けて役立てるようなことをしたいと思っている人、あるいは自らの身近に看取りを意識しだしている人が多かったですが、なかには「看取り」など考えたこともない人もいて、いつものように様々な視点が出されました。

小畑さんの話にQOL(生活の質)が出てきましたが、それと同時に、QOD(クオリティ・オブ・デス:死をどう迎えるか)が大切だと「看取り」の現場で活動されている人が、生々しい実体験を踏まえての指摘をしてくれました。
最近ようやく日本でもQODの議論が広がりだしていますが、この面ではまだまだ日本遅れているように思います。

小畑さんは、老化による要介護状態(生活に何らかの支障が生じる期間)は男性で9年、女性で12年半くらいというデータを紹介してくれましたが、小畑さんの場合、10年にわたる生活支援の中で、「看取り」を意識したのは、最後の3年程度だったそうです。
もちろん人によって違うのでしょうが、生活の中で寄り添っていると、ある時点で、死が意識されだすようです。
「死の意識」。
それはたぶん双方それぞれに生まれてくる意識でしょう。
そこから何が変わっていくのか。
十分には議論できませんでしたが、とても大切なことが示唆されているように感じました。

看取りと看取られの話も出ました。
よく「ケアしていると思っていたら自分がケアされていた」というボランティア実践者の話を聞きますが、それは「看取り」にも言えるような気がします。
私たちは、看取りという行為が、死にいく人のための行為と考えがちですが、死にいく人が客体、看取る人が主体という関係を逆転して考えることも大切ではないかと思います。
それに、私の体験でもあるのですが、「看取り」から教えられることはとても多いです。
これもまたもう少し話し合う場を持ちたいテーマです。

自らの看取り体験に、いくばくかの心残りがあり、それが気になっている人も少なくありません。
サロンでもそうした思いが開陳されましたが、やはり死者は死んでからもなお、看取った人たちを見守っている気もしました。
若い時からこうした活動に触れてきている人が、見送った人たちが私たちの話を聞いているとしたらどう思っているだろうか、と言ってくれました。
看取りは完結する行為ではなく、実は終わりのない関係なのかもしれません。

ちなみに、「エンディングノート」の話題も出ましたが、時にそれが奇妙なビジネスの餌食になっていることの指摘もありました。
いまや時代は、あらゆるものを「商品化」「市場化」してしまう状況で、「看取り」もその餌食になってしまう惧れは否定できません。
それに対して、最近、施設や病院ではなく、自分たちで終の棲家、あるいは終のコミュニティを創ろうという動きが出てきているという紹介もありました。
私が目指していることの一つです。

看取り体験をもっと共有化できるようなことに取り組めないかという話も出ました。
病院や施設では少しずつ始まっているようですが、実は、小畑さんとは、そうした看取りでの体験知を集めて、社会の共通資産にできないかという構想を話し出しています。
しかしまだその一歩を踏み出せずにいます。
仲間になってくださる人がいたらご連絡ください。

いつものようにまた極めて主観的な報告になりましたが、参加者に恵まれて、実に拡がりのあるサロンだったと思います。
私もたくさんのことを考えさせられました。


Obata20170429


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2017/04/27

■じゃんけんで勝ったものが席を譲る文化

昨日の地下鉄日比谷線での小さな出来事です。
広尾から乗車したのですが、次の六本木で小学生(たぶん1年生)が3人乗車してきました。
私の隣の席が2つ開いていました。
さてどうするか。
3人は譲り合っていましたが、結局、じゃんけんをして負けた2人が座りました。
で、ついつい、「どうして勝った人ではなくて負けた人が座ったの?」と訊きました。
最近、東京ではむやみに子どもに話しかけるのはやめた方がいいようなのですが、気になったことは質問したくなる性分は直りません。
彼女たちは怪訝そうに私の顔を見て、一瞬間をおいて,みんなが異口同音に「みんな譲り合っていたから」と答えたのです。
なるほど、相手に座ってほしいという思いをかなえるのがじゃんけんで勝った人のご褒美なのだと納得しました。
生物的にか弱い人類が、過酷な自然の中で生き残ってきたのは、こうした発想の影でしょう。

北朝鮮と日韓米のいまの状況は、たぶんそうした人類の歴史に反しています。
この子たちの、素直な優しさが、どこで変えられてしまうのだろうかと思いました。
じゃんけんで勝った人が譲る社会を取り戻したいものです。

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2017/04/26

■小さき人々の抵抗の声

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
なんとも読みにくかったので、やはり「チェルノブイリの祈り」を読むことにしました。

彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材の機会をずっと待っていたのだそうです。
とてもていねいな取材だったことを感じました。

小さき人々の声は、多くの場合、とても穏やかで温かさがあります。
しかし、そこには鋭い体制への批判が含意されています。
デモで声高に唱えられる「シュプレヒコール」とは全く違って、聴く人の心に入り込んでくる、真実があります。
ですからその時はもちろんですが、いつまでも聴く人の心に残ります。
もっとも聴く人の心のありかたに大きく影響されるでしょうが。

アレクシエービッチさんは、テレビの中で、繰り返し、私の国にも日本にも「抵抗の文化」がないと語っていました。
静かに語ることこそ、まさに抵抗の文化かもしれませんが、それを踏みにじる政府のもとでは、残念ながら聴く人がいないおそれがあります。
ですから、アレクシエービッチさんの活動は大きな意味をもっているのだろうと思います。

昨今のマスコミは、小さき人々よりも大きな人たちの声を紹介します。
小さき人々の声を聞きだすことは、難しいでしょうし、なによりも聴く人の知性を露わにします。それに比べて、自分から話したがっている「大きな人たち」の声を聞くのは楽ですし、なによりも誰にでもできる上に、危険は伴いません。

辺野古の工事は始まり、玄海原発の再稼働も決まりました。
小さき人々の声を、少なくとも私はしっかりと耳を傾けて聴こうと思います。
そこから「抵抗」は始まるでしょうから。

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2017/03/21

■企業サロン「働き方を考える」の報告

第2回企業サロンは、組織と働きがい研究所代表の斎藤智文さんに問題提起してもらい、「いまのような働き方・働かせ方でいいのだろうか」を話し合いました。
大企業の管理者の立場にある人、保健師や産業カウンセラーとして企業に関わっている人、大学でモチベーションや労働心理学を研究している人、経済団体でそうした問題にも広く関わってきた人、子どもの育児のために会社を辞めて主夫行をやったことのある人など、さまざまな立場の人が参加しました。
多彩のメンバーなので、話し合いは、かなり広がりました。

斎藤さんは、日本に“Great Place to Work”調査を取り入れた人ですが、組織と働きがいの研究や実践支援をライフワークにしています。
案内にも書きましたが、「社会全体の働き方に関する価値観」も変えていかなければいけないというのが、斎藤さんの思いです。
私もこれまでいろんな意味で、たくさんの示唆をいただいている人です。

まず、斎藤さんの考えていることや日本での働き方に関する動きの推移などをはなしてもらい、そこから話し合いになりました。
斎藤さんは、話し合いのきっかけとして、長時間労働や競争に参加するための働き方の変化、さらには労働の質の変化などの話題を出してくれました。
そこからいろんな話し合いが広がりましたが、もしかしたら最近の「働き方改革」が労働時間の問題を中心に語られているところにこそ、本質的な問題があるのではないかという議論がありました。
また、働き方改革は、消費者や生活者の生き方にも、つながっているという指摘もありました。
斎藤さんも、働き方は生き方の問題でもあると考えていますが、これは今回参加者のみなさんに共通していることでした。

斎藤さんはまた、「生産性を高めること」が働く人にとって苦痛であることが大きな課題ではないかと指摘しました。
私もそう思います。そもそも生産性向上とは何なのか。
そこで私は、その言葉の対語を考えることが大切ではないかと思いました。
あるいは、誰にとっての生産成果を考えることが必要ではないか。
湯島のサロンでも一度問題になったことがありますが、工業の視点からの生産性と日本の伝統的な農業の視点からの生産性は、たぶん違います。
ちなみに、私は「生産性向上」の対語は「人間性(生活)向上」だと思っています。

大企業の方が、自分の職場で取り組んだ、実践的な話をしてくれました。
組織に合わせる仕事の割り振りではなく、社員に合わせた仕事の組み替えによって、経営にとっての生産性と個々の社員にとっての生活のしやすさが両立し、双方にとってのウィンウィン関係が実現したという話です。
働き方と働かせ方が、あいまって双方に好ましい結果を生み出したわけです。
もっともこの話には後日談があるのですが、そこに大きなヒントがあるのではないかという話も広がりました。

他にもいろんな話が出ましたが、私にはとても刺激的なサロンになりました。
大企業の経営管理職の人の参加が少ないのが、とても残念ですが、引き続き継続したいと思います。
できれば次回は、世界に広がりだしている、話題のBコーポレーションの認定を受けた会社の社長に話題提供してもらおうと思います。
そういうテーマだと大企業の人も参加しやすいでしょうから。
彼が引き受けてくれれば、の話ですが。
いずれにしろ日本の企業経営は、私の目から見ると時代の流れに逆行しているように思えてなりません。

ところで、斎藤さんのレジメの中に、こんなことが書かれていました。
「変化を拒絶するので、よい習慣が身に付かない」
「いつも通りを維持したがるので、悪い習慣が止められない」
ここに問題の本質があるような気がしました。

そこで最後にこんな提案をさせてもらいました。
アメリカでは30年程前、ロバート・ベラーを中心としたグループが、社会的な活動をしているさまざまな人たちにインタビュー調査をし、それを踏まえて、極めてライブな「心の習慣」「善い社会」をまとめました。
それをモデルに、日本でもその種の調査があり文献も出ています。
いまもその種の取り組みはあり、私も一昨年、インタビューを受けたのですが、同じような手法をベースに「日本人の働き方」をテーマに、社会調査をするプロジェクトを起こせないかという提案です。
斎藤さんには事前に少しお話をしていて、興味を持ってもらっていましたが、その提案をしたら、早速、数名の方が一緒にやりたいと言ってくれました。
できれば一度、そうしたことを考えるチームも発足させられればと思っています。
企業サロンから生まれたサブプロジェクトですが、関心のある方はご連絡ください。


Saitousalon


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2017/03/11

■煙石博さんの冤罪が晴れました

これまで何回か書いてきた、広島の煙石さんという元アナウンサーの方の訴訟の最高裁の判決がでました。
煙石さんは、66000円の窃盗の容疑で訴えられ、物証もなく、状況を知る限り、冤罪としか思えないのですが、有罪判決を受けてしまっていたのです。
昨日の最高裁の判決で無罪となり、冤罪が晴れました。
他人事ながら、うれしいことです。

この事件を知ったのは、広島の友人のおかげです。
広島の事件なので、最高裁に行くまでは関東圏では報道されることもなかったのですが、内容を知って驚きました。
警察の取り組み姿勢も含めて、まだこういうことが起こっているのだという、驚愕です。
私が中学生の時見た、八海事件を扱った映画「真昼の暗黒」を思い出しました。

冤罪を成り立たせているのは、司法制度にも問題がありますが、世間の関心の低さが、それを支えている面も否定できません。
多くの人がいまなお、司法の判断や警察の判断は正しいという前提で考えますから、自分ではきちんと考えようとしない傾向があります。
ですからいくら当事者が、あるいはその家族や友人たちが「冤罪」だと騒いでも、世間はなかなか耳をかしてはくれません。
それに、他人のそうした事件には関わりたくないという思いも、みんなどこかにあります。
ですから、冤罪はなくならないのでしょう。
そういう意味で、私にもまた責任があるわけです。

そういう思いもあって、このブログやフェイスブックなどに書きこんで、この事件の存在を私なりに広げてきました。
ですから、今回の無罪判決はとてもうれしいです。

実は昨日、このブログへのアクセスが急増しました。
その理由は、この判決でした。
話題になるとネット検索が増えて、私のブログにまでアクセスが増えるのです。
しかし、これも正直、ちょっと不安感もあります。
話題にならない限り、誰も関心を持たない。
話題になると過剰な関心を持つ。
それは結局同じことなのかもしれません。

マスコミの姿勢にも大きな違和感があります。
報道しても誰からも責められない事件を見つけると、最近の森友学園の事件のように過剰に報道する傾向が高まっています。
標的にされてしまうと、もう逃げようがないくらい執拗に追いこまれます。
世間もそれに同調して、そこに関心を集中してしまう。
その一方で、社会のさまざまなところで起こっている「小さな事件」は世間の目を逃れてしまう。
森友学園にまつわる事柄は、誰でもが「おかしい」と思うことですから、ただ罰して事態を質せばいいだけの話です。
ただただ詐欺罪として、あるいは官僚の背任事件として処理すればいいだけの話です。
ほんとうに恐ろしいのは、煙石事件のような話です。
私もそうですが、みんな最近は忙しすぎて、社会で起こっているおかしなことになかなか気づかないことが多い。
私は、そこに恐ろしさを感じます。

ちなみに、森友学園に関して言えば、マスコミは森友学園の見方であるような感じを私は受けています。
それに関しては、また別に書きたいです。

煙石さんの体験から、私たちは大きなものを学ばせてもらいました。
学んだことは、私も実行していこうと思います。

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2017/02/26

■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」報告

昨年から始まった「看取り文化シリーズ」の第2回目は、小田原福祉会の潤生園の時田佳代子さんの話題提供をお願いしました。
申込者が20名を超すことになってしまい、会場を変えようかと思ったほどでしたが、何とか湯島で開催することができました。
関心の高さを知り、正直少しホッとしました。
葬儀不要論が広がる最近の風潮には大きな懸念を持っています。


時田さんは、小田原での長年の取り組みについて紹介してくれました。
潤生園では、「医療の死」とは違う「福祉の死」に長年取り組んできています。
医療や行政の「常識」にとらわれることなく、しかし、しっかりとした取り組みで、生きること、死ぬことに誠実に取り組んできているのです。
生活に立脚すれば、ある意味では当然のことながら、24時間365日、在宅での生活ケアが基本になりますし、生きるための基本は食になります。
医療技術の活用の仕方も変われば、食事のあり方も変わってくる。
しかも、それをきちんとデータを取りながら進めているのです。


時田さんの話は録音しておけばよかったのですが、あまりに引き込まれてしまい、記録も何もとりませんでした。
しかし多くの人たちに聞いてほしいと思いましたので、いつかまた講演会のようなものを開きたいと思います。
参加者のみなさんも、いろいろと思うことがあったと思います。
小田原に転居できるものなら転居したいと思った人もいるでしょう。

潤生園の取り組みや理念はホームページをご覧ください。
http://junseien.jp/corporate/
ホームページに書かれている次の文章に、潤生園の姿勢が感じられます。

潤生園が提供する「みんなの家」は、24時間365日地域での暮らしを丸ごとサポートいたします。「介護の安心」はもとより、「医療の安心」や「生活の安心」もおまかせ下さい。「みんなの家」は施設を利用される方だけでなく、地域で暮らす方々にとっても「安心」を提供したいと考えています。お困りのことがあれば「みんなの家」をお訪ね下さい。地域の方々の暮らしの拠り所として、みなさまのお役に立ちたいと考えています。

この文章だけだと、よくあるビジネスメッセージにしか聞こえないかもしれませんが、時田さんの話を直接聞けば、たぶん真意が伝わってきます。
ちなみに、潤生園の職員は「潤生園の原点」という小冊子をそれぞれが持っているようです。
昨日、時田さんから私も1冊もらいました。
潤生園を創設するに当たって、時田純さん(時田さんのお父上)は、戦中戦後の自らの体験を踏まえて、理念を掲げました。

人は人として存在するだけで尊い。真の福祉は、人のいのちの尊さを知り、個人の人格を心から敬愛するところからはじまる。
この理念を核に活動を展開しているのです。


昨日のサロンの内容報告にはなっていませんね。
すみません。
しかしたくさんの、しかもさまざまな立場の人が参加してくださったおかげで、話し合いからもたくさんの気付きをもらいました。
潤生園が目指していることは、これからの社会や福祉のあり方を考える大きなヒントが含まれています。
最近の福祉政策は方向を間違えていると感じている私にとっては、大きな元気をもらえるサロンになりました。
だれもが安心して暮らせる社会に向けて、個人でもできることはたくさんある。
改めてそのことにも気づかせてもらいました。


時田さんはじめ、参加して下さったみなさんに感謝しています。


長くなりますが、もう一つ感じたことを書きます。
時田さんの話の誘発されるように、両親を見送った時の自分の体験を話してくれた人が何人かいます。
看取りを語り合う、さらには伝え合うサロンがあるといいなと思いました。
考えたいと思います。
Tokita1


Tokita2_2


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2017/02/06

■子どもたちにとって、一番大切なのは何なのか

今年4月入所を目指した認可保育所の選考結果通知が全国で2月から本格化し、落選ラッシュで親たちが悲鳴を上げている。ソーシャルメディア上には「このままでは共倒れ」「ショック過ぎる」と悲痛な声が全国から寄せられている。昨年、認可保育所を落選した母親が「保育園落ちた。日本死ね!」とブログに書いて注目されて間もなく1年。親たちの声を集める動きは今年も始まっており、怒りは大きなうねりとなりそうだ。

これは昨日の毎日新聞の記事です。
「保育園落ちた。日本死ね!」に関しては、以前も書いたことがありますが、こうした状況で育っていく子どもたちの行く末が、心配です。
念のために言えば、私は「保育園が不足している」という状況を憂いているのではありません。
むしろ、こうした声を上げる親の元で、そしてこうした声が運動にまでなってしまうような社会で、子どもたちが育てられていく、あるいは育っていく状況が気になるのです。
そもそも保育の問題を保育園待機児童の数の問題にしてしまう社会にも疑問を感じます。
そこに私たちの生き方の本質が象徴されているように思うのです。
私には、問題の捉え方が間違っているとしか思えないのです。

東京都の三鷹市では、子どもを認可保育園に入れられなかったのは自治体が責務を果たしていないためだとして、市に対して、無認可の保育施設にかかった費用の一部60万円の賠償を求める訴訟を起こした両親もいます。
「保育園落ちた。日本死ね!」の発想からは、当然出てくる行動です。
私にはとても理解しがたい話ですが、そうした親に育てられた子どもたちがどうなっていくのか気になります。

こう書いていくと、保育の大変さは親でないとわからないと言われそうです。
いま娘が孫を育てていますが、その大変さは見ていてわかります。
しかし、だからといって、その大変さを解決する方策は、認可保育園に依存するだけではないはずです。
保育園がなかった時代もありました。
こういうと、さらに2つの指摘が来そうです。
いまは家族形態も変わったし、近隣社会の状況も変わってきた、と。
つまり共稼ぎも増えたし、家族構成のも三世代ではなくなった。
それに近隣の付き合いも疎遠になって、地域コミュニティもなくなった。
たしかにそうかもしれません。
しかし、だとしたら、なぜそうした家族や親子や地域社会の変化を問題にしないのか。
なぜ子育て時期にまで共稼ぎをする生き方を選ばなければいけないのか。
そういう時代の流れに問題はないのか。

3歳児神話は今ではまさに「神話」になってしまった感があります。
私は20年ほど前に、保育のあり方を考えて、新しい保育システムを提案する活動に取り組んだことがあります。
その時の問題意識は、保育という切り口から私たちの生き方や社会のあり方を問い直そうということでした。
つまり、「子どもを育てる」のではなく「子どもが(社会)を育てる」という発想です。
私たちは、子どもたちから学ぶことがたくさんあると感じていたからです。
その時にも、委員のみなさんからは3歳児神話は否定されていたように思いますが、私は3歳児神話、つまり3歳頃までは両親が、あるいは親密な人間関係の中で育てることの意味を否定できませんでした。
もちろん現実はそれが難しいわけですが、もしそうならなぜ問題を逆転させて、3歳児までは両親が中心になって育てられる仕組みを育てていかないのかが私の疑問です。
子供は社会が育てるというのと保育園で育てるというのとは全く別の話です。

ヴェトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンはこう書いています。

みずからが幸せで平和でないならば、愛する人たちや、同じ屋根の下に住む人たちとさえ、平和と幸せを分かちあうことができません。 平和で幸せであるならば、私たちは微笑し、花のように咲き開くことができます。 家族全員、社会全体が、私たちの平和の恩恵を受けます。

子どもたちにとって、一番大切なのは、何なのか。
大人たちにとって、一番大切なのは何なのか。
「保育園落ちた。日本死ね!」という言葉には、幸せも平和も感じられません。
親の心が荒れていたら、子どもたちにも微笑みは消えていきかねません。

ティク・ナット・ハンは、こうも書いています。

人生は苦しみに満ちています。 しかし、人生にはまた、青い空、太陽の光、赤ん坊の目といった、素晴らしいことがいっぱいあります。

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2017/01/29

■2つのエピソード

塩野七生さんの「ギリシア人の物語Ⅱ」がやっと発売されました。
毎年年末の恒例行事が、塩野さんの本を読むことですが、今年は年初発売になり、今朝届いたので、読みだしました。
読み終えたかったのですが、いろいろあって、残念ながらまだ第1部しか読めていません。
しかし、その第1部の最後にあるペリクレスのエピソードは、とても示唆に富んでいます。
簡単に紹介するとこんな話です。

ある時、公務中のペリクレスに付きまとって、口汚く非難を浴びせつづける市民がいた。彼は、夜遅くになって公務が終わって、灯りで道を照らす召使を一人連れているだけのペリクレスに向って、批判・非難・中傷の数々を浴びせつづけた。家に帰り着いたペリクレスは初めて口を開いた。それは、男に向けられたのではなく、召使に命じた言葉だった。「その灯りを持って、この人を家まで送り届けてあげるように」。

ペリクレスはいうまでもなく、民主政治と言われる時代のアテネのリーダーで、「ギリシア人の物語Ⅱ」のテーマである「民主制の成熟と崩壊」の、成熟時代の主役です。
この話を読んで、もう一つ思い出した話があります。
韓国の禅僧の法頂さんが書いていた話です。

ある日、人里離れた山寺の老和尚が、夜中に用を足し、戻りがけに後ろの方に人の気配を感じた。みると、そこに、米蔵からお米を一俵盗み出して背負ったものの、その重さで立ち上がれない泥棒がいた。老和尚は後ろに回って泥棒がもう一度起き上がろうとした時、そっと押してあげた。やっと起き上がった泥棒がひょいと後ろを振り返った。 「何も言わずに背負っていきなさい」 老和尚は泥棒に低い声で諭した。翌朝、僧たちは昨夜泥棒が入ったと大騒ぎをしていた。でも老和尚は何も言わなかった。 それ以来、その夜のお客様はその山寺の熱心な信者になったという話である。

私が考える民主主義の理念は、老和尚の生き方です。
ペリクレスにもあこがれますが、私にはアテネには民主政治はあっても、民主主義はなかったと思っています。
ペリクレスは、ソクラテスと会いながらも友人になれなかったことも、塩野さんは本書で説明してくれています。
それを読んで、法頂さんの本を思い出したのですが。

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