カテゴリー「生き方の話」の記事

2024/09/08

〔身心力向上への取り組み1〕マイナスの思い込みマインドセットからの自己解放

この2年、私は病気をいくつか体験しました。
4回入院し、21日間放射線治療で通院しました。
病名は「急性膵炎(2回)」「前立腺がん」「胆嚢胆石摘出」ですが、並行して脳神経外科にも定期的に通っています。血圧も医師からは高すぎると言われています。

先週、術後の検査結果に異状がなく、当面は病院から解放されました。
そうした経緯は、これまでFBやブログで報告してきましたが、その読者からその後の動きも聴きたいというメールがあったので、書き続けることにしました。

ただし視点は「病気対策」ではなく「身心力向上」です。
回復指向の「養生」でもありません。前向きのマインドセットを心がけることにしたのです。極端にいえば、「年をとればこそ記憶力も体力も向上する」「病気を経験することで身心は向上する」というマインドセットです。

この2年間の病気体験ではいろんなことを学ばせてもらいました。
しかし胆嚢を摘出した医師から最後に言われた言葉で気づかされました。
歳をとると記憶力も体力も落ちてくるのは仕方がないという思い込みに呪縛されていることに。
内臓の一部をとれば体力が落ちるのは当然。だから休養にこそ努めなければいけない。体力維持のために歩いたり適度な体操をしたりしなければいけない。
そう思っていましたが、どうも根本的な誤りがある。

ピカソは「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である」といったそうです。私もそれに似た感覚を持っています。だからできるだけマイナスの発想はしないようにしています。
そのおかげで、私はすべての人が性善に見えますので誰とでも楽しく付き合えます。
「だめだと思ったらそこですべては終わり」という私の言葉を聞いた人も少なくないでしょう。「非常識」な私の言動に呆れた人もいるでしょう。
まあ実際には、そういう生き方のゆえに、失敗も多ければ禍に巻き込まれることも多い。
でもそうは言っても、いまは多くの人に支えられて楽しく生きていられます。

とはいえ、実はこの17年間、あまり意欲的に生きてはいませんでした。
むしろいつ現世を離れてもいいという意識が心身を覆っていました。
私よりも若い人の死に出合うことの恐怖から「長生きへの不安」もかなりありました。

でもある医師と話していて、最近、考えが変わりました。
長生きへの挑戦も面白いかもしれない、そう思い出したのです。

それで100歳まで生きることにしました。
でも「不様」には行きたくない。そこで思いついたのが「身心力向上」です。

とりあえずの目標は、数年前に試みて不様な結果に終わった筑波山登山です。
来春、挑戦しようと思います。
もし一緒に行ってくれる人がいたらご連絡ください。
前回のようにご迷惑をかけないように、この半年、体力増強に務めますので。

さて次回からは私の「身心力向上」への取り組みを書いていこうと思います。

 

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2024/08/19

■胆嚢摘出手術入院記録10:患者のQOLと病院の責任

今日はちょっと理屈っぽい話です。
それにいつも以上に長い。何しろ暇ですから。

パジャマを着替えようと高い位置にあるカバンから着替えを出そうとベッドの上に立ち上がったのですが、着替えを手伝ってくる役目(点滴を一時はずさないと着替えられない)のナースから、私がとりますので立たないでと制されました。
たしかに病人がベッドの上に立つのは禁止事項でしょう。もし何かあると病院の責任になりますからね、と謝りました。
そのナースは、「病院の責任になることが問題で、ご自分の家だったら注意はしませんよね」と何となく意味深長な発言でした。

手術をするときに新人のナースが迎えに来たので、貴重品はないのでこのまま行くと言って、一緒に手術室に行きました。
ところがそこで先輩のナースが貴重品はきちんとロッカーに入れてきたかと訊くので、貴重品などないし盗られるようなものもないとまたいったのですが、許されず、ベッドに戻り、ロッカーに入れるものがなかったので、パソコンとマウスを入れました。
盗難でも起これば、病院の責任になるから仕方ないねといったら、そうなんですとのこと。ルールは守らないといけない。盗難があればクレームする患者もいるのでしょう。

あまりいい事例ではありませんが、患者のQOL(自分らしい生き方)と病院の責任と、どちらが基本でその場のルールが決められるかは重要なことです。
ベッドの上に立ち上がるのはやめるべきでしょうが、それが「病院の責任」のためではなく、患者の危険を避けるためです。その時のナースは間違いなく私の危険を感じて制してくれたのですが、でもたぶんいつも「病院の責任」がミーティングなどで話題になっている気配を感じました。しかも彼女はそれにいささかの違和感を持っている。
そんな気配を感じました。良いナースです。

リハビリを受けましたが、物足りない。もう少しハードなのはないかと訊いたのですが、まだ手術直後なので、と断られました。まあこれも事情は分かる。

みんなともかく「問題が起きないように」「起きても病院の責任にならないように」といささか過剰対応しているような気がします。
細かな点でもまあいろいろとあるのですが。

それで昨日、ちょっと挑戦してみました。
廊下の散歩を裸足で歩いたのです。
裸足で歩くとアーシング効果で麻酔の悪影響をすっかり排除できるのではないかと思っていたのです。それにこの病棟の床は掃除が行き届いています。

しかし、さすがに平日は目立ちすぎます。今日は日曜なので人も少なかったので、とりわけ人の少ない時間帯を選んで実行しました。
1回目は3人の人に気づかれましたが、事情を話して了解。私の生き方が優先されました。
しかし2回目、隣の病棟の看護師長らしき人に見つかり、「病院内は裸足禁止」だからやめるように言われました。そんなルールはあるはずはないのですが(そもそもそれは「常識」でしょう)、一応、施設管理者のルールには従わなければいけません。

その時、思い出したのが、イタリアのテレビドラマ「DOC」です。あの病院であれば、たぶん裸足で歩かせてもらえたろうと思いました。あのドラマは、「病院の責任」と「患者らしい生き方」をどうバランスさせるかが一つのテーマでした。

もう一つ、私の裸足歩きに関して首を傾げた人が2人いますが、その人たちの口から出てきたのは「人目があるから」でした。
常識を逸脱した人はやはり排除したいのです。
もし私の裸足歩きを見た人が、真似をしだしたらどうなるか。
そこから「秩序」は壊れていくのです。
しかし、そこから生まれていく「秩序」もある。
前者はコミュニティの秩序、後者はコモンズの秩序と私は勝手に呼んでいます。

常識の呪縛から自由になりたいと思っている私としては裸足ウォーキングが2回で終わったのはちょっと残念ですが、それでもアーシング効果は大きく、身心の違和感はかなり解消されました。公園の芝生でやればもっと効果があるでしょう。退院したらやろうと思います。公園の原っぱをはだしで歩くのは、この病院とは比較にならないほど危険ですが、幸いに管理者の生き着くまでのちょっと距離があるので大丈夫です。。

言いたいことがうまく書けませんでしたが、「病人らしい生き方」(それは人それぞれです)を基準にすることこそが「病院の責任」ではないかと言いたかったのです。それをしっかりやっていたら、患者もいい意味での自己責任を発揮し、ばかげた訴訟など起こさなくなる、と私は思っています。

それにそもそも「病院は危険で不潔な場所」と言った「常識」も見直したい。
免疫を低下させている人が集まる病院こそ、安全で衛生な場所にしなければいけない。そして今の病院はそうなってきている。

「常識」を壊していくことも大事なことです。
例えば海水浴場の砂浜を裸足で歩くのはおそらく病院内以上に危険です。
でもそこでは「裸足で歩くのが常識」です(少なくとも現在までは)。
「裸足で歩くのがは非常識」の病院と砂浜とは何が違うのか。
これも面白い問題です。

長くなってしまいました。
いつかサロンをやりたいです。
私の味方は少ないでしょうね。

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■「おはよう」と「こんにわ」の違い

まだ入院中ですが、昨夜もトイレに行きたくなってばかりであまり眠れませんでした。
この悪夢から解放されるかどうか不安になってきました。
頻尿対策で何か効果的な方法をご存じの方はぜひ教えてください。

それでも朝の廊下ウォーキングは今日も行いました。
残念ながら昨日注意されたので裸足ではなくスリッパで。
病院中央の廊下を5往復。約900メートルです。

 朝のウォーキングの効用にもう一つ気づきました。
朝だと「おはようございます」の挨拶ができるのです。
今日も数名の方と出会い、挨拶したらすべての人から挨拶が戻ってきた。
「おはよう」と「こんにちは」では、同じあいさつでもまったく違う。
病院では名前も呼ばずに番号で呼ぶ風潮が広がっていますが、入院したもの同士も、談話室以外ではなかなか話す機会がないし、挨拶もあまりしない。

病院内の裸足禁止もそうですが、まずはそうした「病院の常識」を問い直していかないといけません。
そうしないと未来の病院は、病気を処理する工場になりかねない。

 健康はまずは挨拶から。

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2024/06/30

■急性膵炎入院報告〔番外編〕:安定・依存な生き方か自由・自立な生き方か

退院して一夜が明けました。

病室での朝とわが家での朝とではやはり違います。
今日は病室でのリズムと最初から違っています。
入院時と同じく、相変わらず昨夜は眠れず、朝方に寝てしまい、今朝は6時に目が覚めました。病室でのルールでは急いで洗顔し祈りを捧げ、朝の回診を待たねばいけません。

しかし、もう気にすることはない。勝手な行動ができます。
そのまま7時までベッドで本を読んでいました。
ちなみに病院では読めなかった本も、帰宅したら読めるようになりました。

病院では時間管理はされていますが、何もしなくても、安心で安定した生活は送れます。
問題が起こったら、ナースコールをすれば誰かが来てくれて問題を処理してくれる。
時間になれば食事が出てきますし、定期的に健康管理の体温や血圧が測定される。
いつも誰かがケアしてくれ、問題が起これば解決してくれる。
安定した状況の中で、安心して暮らせます。

でも退院してわが家での生活は自分を自分で管理しなければいけませんし、食事も自分でつくらないといけない(私の場合は幸運にも娘がつくってくれますが)。食事時間も自由ですが、時に忘れて抜いてしまうこともある。間食は自由ですが、注意しないと体調を崩す。すべては自己責任。

安定・依存な生き方か、自由・自立な生き方か。

多くの人たちは、前者の生き方を望んでいるのかもしれません。自由や自立よりも、安定や依存を求めているように、私には思えます。
あるいは、そういう生き方を望むように、もしかしたら政治や経済は動いている。
こんなことを入院中に考えていましたが、退院してみて、改めて私はどちらの生き方をしたいのか考えました。

やはり私の場合は、後者の生き方です。
今回、10日間の入院で、改めてそう確信しました。

昨日は、いささか食生活を乱しました。意図的にです。
医師が言った「脂っこいもの」は避けましたが、思い切り身体に良くないようなものを間食してしまいました。それも録画されていたドラマを観ながら、だらしなくです。
退院時は、前回の轍を踏まないように、今回は食に気をつけようと思っていましたが、家に帰れば、そんなことはやはり忘れてしまう。困ったものです。

病院では4回、規則正しく散歩していたのに、散歩どころかソファーに座ったまま動かない。退院したらやろうと思っていたことも一切手つかずでした。
まるで、自由とは怠惰と同義のようです。

病院からの帰り、娘に頼んでスーパーによって、食べたいものを買って帰ったのですが(メロンは食べたかったですが、高かったので買えませんでしたが)、その時に、病院ではあんなに元気だったのに、外に出るとこんなにも疲れるのかと感じました。帰宅したらなにもやる気が起きてこなくなったのです。
やはり10日間の入院生活は、私には疲れをかなり残しているようです。

安定した安心な生活がもたらす「疲れ」と自由で自立した生活がもたらす「疲れ」とは違うようです。
とすれば、もしかしたら、現代社会は意識されていないような「疲労」が鬱積されている時代かもしれない。それが、最近の社会の実相に現われているのかもしれない。
そんな気がしてきました。

社会も身体も、どうも2種類の疲れがある。
病気や健康は、どうも違った2種類の「疲れ」に左右されているのかもしれません。

昨日は徹底的に怠惰したので、今日はたぶんかなり日常化できるでしょう。
朝、まずこれまで溜まっていた新聞をすべて読みました、というか確認しました。
時代にちょっと追いつけた気がします。
社会は相変わらず病んでいるようです。いや、疲れているようです。

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2024/03/29

■取り返しのつかないミス

人は時々、取り返しのつかないミスをしてしまう。
しかし、大体において、そのことには気づかないことが多いのだが、今回は不幸なことに気づいてしまった。
もう2時間前のことなのに、いまも悔やんでも組み切れずにいる。

陽子線治療で4日前から待合室で少しずつ会話を交わしはじめた「10時の人」がいる。
その人は今日が治療の最後の日。
それで、今日が最後ですね、と声をかけたら、そうです、でも21日がんばったけれどがんが治ったのかどうはわからないし、終了時の診察もない。どうもけじめがつけられないというのです。

そこで私は呼ばれてしまったので、話はそれで終わっていまいました。
私の治療の後は、入れ違いにすぐ「10時の人」が治療室に入りますが、わざわざ私に、「どうぞお大事にしてください」と言ってくれたのです。
それが、涙が出そうになるほど、うれしかったのです。

いつもスマホやノートを出して何かやっていたので、最初は話しかけにくい人でしたし、娘からは話しかけたら迷惑だよと注意されていたのですが、迷惑ではなかったのです。たぶん。
私は、しかしいつのようにそのまま会計をして、今日は湯島に来る予定だったので、病院からのバスに乗ってしまいました。

そしてハッと気づきました。
10時の人」の治療が終わるのを待って、21回完了のお祝いに、待合室隣のドトールでコーヒーをご馳走すればよかったと気づいたのです。そうしたら連絡先も交換できたかもしれません。少なくとも、彼にとっては一つの区切りができたはずです。
癌体験を楽しんでいる私と違い、「10時の人」はいろいろと口に出したいことが多いことは、なんとなくこの数日の会話で気づいていました。それを聞くだけでも、「10時の人」は喜んでくれたでしょう。「10時の人」の笑い顔にも出合えたかもしれない。そして私は友人がつくれたかもしれない。

悔やんでも悔やみきれないミスをしてしまいました。
実は昨夜、私はちょっと体調に異変があり、よく眠れませんでした。
今朝はほぼ回復したのですが、そんなこともあって、私自身の余裕がなかったのです。
今週はいささか用事を入れすぎてしまったのかもしれません。
治療中である認識が欠けています。困ったものですが。

10時の人」と会うことはもうないでしょう。
そう思うと涙が出そうになるほど、さびしいです。
なぜでしょうか。

 

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2024/03/10

■生きづらさをテーマにしたサロンをやろうと思います

また朝の思いつきでしかないのですが、生きづらさをテーマにしたサロンをやろうと思います
今朝起きてパソコンを開いたら、ふたりの友人から「生きづらさ」に関するお薦め書籍とお薦め講演の連絡がありました。迷っていたのですが、おふたりの関心を知って、開催することに決めました。問題は切り口ですが。

友人が進めてきた書籍は、貴戸理恵さんの『「生きづらさ」を聴く』です。私も読んでいますが、大阪で活動している「生きづらさからの当事者研究会」、俗称「づら研」での実践をベースに、生きづらさに取り組んだ本です。
私も別の友人から教えてもらって読んだのですが、私が取り組んでいる活動(とまでは言えませんが)と通底しているものを感じていました。

もう一人が薦めてきたのは、東野哲彦さんの講演です。騙されたと思って一度聴いてくださいと書いてきました。若いころはともかく、この歳になると騙されることはないのですが、聴かなくてもメッセージはほぼわかります。
東野さんの「耕せ・にっぽん」の活動も少しは知っていますし。

友人は、「少し『引きこもり』脱却の手法は違いますが」、と書いてきましたが、私は『引きこもり』脱却などという発想は皆無です。そもそもそんなことをしようとするから、生きづらくなり、ひきこもりに意味を感じてしまうように思うからです。なかなかそういうことは伝わらない。

私の生き方は、ありのままに、〈今ここ〉を前向きに生きることです。
そういう生き方であれば、生きづらいなどということは起きようもない。

でもやはり生きづらさが問題になっているのがいまの日本。
今朝、この2人とのやり取りで、生きづらさのサロンの切り口が見つかりました。
ドロモロジーです。
できれば3月なかに開催したいと思っています。
どなたか問題提起してくれる人はいませんか。

 

 

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2024/02/26

■「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」

前にも書いたことがありますが、テレビドラマの「アストリッドとラファエロ」は数少ない私が好きな番組です。
https://www.nhk.jp/p/astridetraphaelle4/ts/P2J4XW64VM/

毎回、共感する一言に出合いますが、昨夜の「死神の呪い」で出会ったのは、「ちゃんと話せば悲劇は起きなかった」というラファエロの言葉です。
この言葉は、先日の脱ひきこもりサロンでも、私が発言させてもらった言葉ですが、ずっとそう思っている言葉です。
要するに、「嘘さえつかなければ、人生は素直に過ごせる」のです。

テレビのサスペンスドラマの事件は、ほとんど「ちゃんと話さないこと」によって発生し、「ちゃんと話さないこと」によって解決が遅れるのですが、現実は同じです。
ちゃんと話した結果、不幸がやってくることもありますが、人生において不幸な事件は避けがたいものです。それに不幸があればこそ「幸せ」がある。
しかし「ちゃんと話さないこと」、つまり嘘をつくこと、あるいは事実を話さないことから生ずる悲劇は、不幸を超えていますので、「幸せ」にはつながりません。

私は、社会から大きく離脱していますから、「ちゃんと話せる」生き方ができていますが、だれもが「ちゃんと話せる」社会なら離脱することもなかったでしょう。
ほんとうは、社会がとても好きですから。

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2024/02/24

■「あなたはまだ眠ってる 私の骸の上で」

今朝も、まず机について「詩の檻はない」のページを開いて、そこにあった詩を読みました。目が覚めました。こういう2行から始まる詩です。

あなたはまだ眠ってる 
私の骸の上で

三木悠莉さんの「夜はもうあけているのに」の最初の2行です。

私の最近の日課は、起きてすぐに入浴です。
そこでいろいろと考える。
昨日、久しぶりに詩を書いてみたのですが、今日も書いてみようかななどと思っていて、思いついたのが「昨夜もあの人の夢を見た」という1行でした。
あまりの同調にこれは、偶然ではないだろうと思ってしまいました。

何かを始めると、何かが始まる。

今朝は久しぶりに日の出を見ました。
外装リフォームで覆われていたネットが取り外されたのです。
とても気持ちがいい。
私を覆っているネットも取り外さないといけません。
そして目を覚まさないといけない。
骸のなかに安住していてはいけない。

三木さんの詩は、次の3行でおわります。

さあ起きて
遅すぎる目覚めでも
そのまま死ぬよりずっといいでしょ

今日もまた、詩を書いてみようと思います。
3日続けるのが私の流儀ですので。

 

 

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2024/02/21

■「詩の変革力を心から信じています」

先日、「タリバンが今、世界で一番知的な人たち」というタイトルの投稿をさせてもらいました。それを読んだ友人が、「タリバンについてのご意見を拝見したので、参考に送ります」という添え書きをつけて、わざわざ本を送ってきてくださいました。
この友人は、私が時に道を踏み外しそうだと感ずると、言葉ではなく、本などで私に注意喚起してきてくれるのです。私が、いつも気ままに生きていけるのは、こういう守護神たちに支えられているからなのです。

届いた本は、「詩の檻はない」(デザインエッグ株式会社)です。
昨年1月に、アフガニスタンのタリバン政権が詩を制限する命令を出したことに対して、アフガニスタンの詩人ソマイア・ラミシュさんがSNSで、抗議の詩を書こうと世界中に呼び掛けたのです。2か月ほどで100人を超す詩人たちから詩が届いたそうです。日本人も30人以上いたそうですが、今回、私にこの本を送ってくれた人もその一人です。
そうして集まったなかから50ほどの作品を集めて出版されたのが本書です。
私に本書を送ってきてくれた友人は、「民主主義の死」を書いている岡和田晃さんです。
https://webafghan.jp/siten077/

本書の序文で、ラミシュさんは、「本書はアフガニスタン陥落2周年の日に出版されます。この本の出版は、詩とあらゆる形態の芸術を禁止したテロ運動であるタリバンにアフガニスタンが引き渡された恥辱に対する断固たる抗議です。彼らは少女たちから教育を受ける権利を剥奪し、女性を家の中に閉じ込めたのです」と書いています。
友人が、私の投稿に違和感を持ったことにもつながっているでしょう。

私も、自分の投稿記事も読みなおしてみました。
たしかに、私がタリバンを肯定的に評価しているように読み取れますね。私にはそんな意図はなく、どんな評価も固定させずに、常に吟味しなおす姿勢が必要だといいたかったのですが、友人を心配させてしまったようです。

昨日、湯島でオープンサロンだったのですが、そこでも私の発言が他者を傷つけていると叱られました。思ったことを気楽に話してしまう愚鈍さからは、なかなか抜け出せません。さらに別の人は、この本を読んで佐藤さんの言っていることが少しわかった。この本の方がわかりやすい、と本を貸してくれました。私の話はやはり伝わりにくいようです。投稿記事へのコメントを読んでいて、それはいつも感じてはいるのですが。
もう少しコミュニケーション能力を高めないといけません。
そういえば、なぜか昨日は、この本が面白いと言って、コミュニケーション関係の本まで貸してくれた人もいます。私にはそう言ってきた人のほうが、私よりもコミュニカビリティは弱いと自負していましたが、私の言語力や表現力は、それほどダメなようです。困ったものです。

ところで、私も高校生の頃、詩人になりたいと思っていたことがあります。詩も書いていましたが、20代後半からは、詩は書かずに、詩を生きようと決めました。
こんなことを書いたら、また岡和田さんに冷やかされそうですが、その思いは今も続けているのです。
それを思い出しながら、久しぶりにいくつかの詩を読ませてもらいました。

序文で、ラミシュさんは「詩の変革力を心から信じています」と書いていますが、同感です。
明日から毎朝、この詩集の詩をひとつずつ読んでみようと思います。
きっと何かが変わるでしょう。

 

 

 

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2024/02/18

■山折哲雄さんの「ブッダに学ぶ老いと死」(朝日新書)も面白い

昨日、図書館から2冊の本を借りてきましたが、その一冊の「一神教と帝国」はぜひ多くの人に読んでほしくて、昨日、紹介させてもらいました。
その後、もう一冊も読んだのですが、これも紹介したくなりました。
ただしこちらは高齢者向けですが。
山折哲雄さんの「ブッダに学ぶ老いと死」(朝日新書)です。
書名にあるように、老いと死を考えるヒントがたくさんあります。
文字が大きいので、1時間もあれば読み終えられます。

釈迦は、29歳で「出家」したのではなく、バラモン教の四住期の人生観にしたがって、林住期に入った。そして、自由気ままな旅暮らしのなかで、35歳で悟りを得て、聖者の生活に入った。世俗の生活と遁世の生活との中間に、聖とも俗とも言えない、その間を迷いながら行きつ戻りつする林任期的な遍歴が釈迦にもあった。
と考えると、釈迦の全体像の見え方、ひいては仏教の人生観の捉え方ががらりと変わると、山折さんは言うのです。
なんだか長年のもやもやがすっきりしました。

こうした林任期につづく遊行期では、彼岸と此岸は折り重なっているでしょう、
私は聖者にはなれませんが、彼岸と此岸がつながった世界には行けそうです。

山折さんは、70代になってから心身の生命力を維持していくために自分に3つの原則を課すことにしたそうです。
「飲み過ぎない」「食べ過ぎない」、そして「人に会い過ぎない」の3つです。
10歳遅れましたが、私も追随することにしました。3番目はいささか自信はないのですが。

山折さんは、私と同じく断食往生死を目指しています。
見習いたいと思います。

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