■東畑開人さんの『カウンセリングとは何か』(講談社現代新書)を読みました
私は、カウンセリングという言葉に違和感があります。そういう文字がついている書籍は、ある時から全く読まなくなりました。どうも「うそっぽい」からです。
ところが、『カウンセリングとは何か』という本が図書館の新書の棚で目について、なぜか借りてきてしまいました。あまりに直球の書名であり、徴発されているような気分になったのです。
というわけで、今朝、ちょっと読みだしたら、著者の思いが伝わってくるのです。
で、止まらなくなり、結局、飛ばし読みですが、読み終えてしまいました。おかげで今日の予定はできませんでした。人生はなかなか予定通りにはいきません。
とても示唆に富む本だと思うので、それらしき活動をしている友人に薦めたくなりました。ついでにここでも紹介しておきたくなりました。
東畑さんは、カウンセリングとは、生活を回復するための科学的営みでもあり、人生のある時期を過去にするための文学的営みでもある、と書いています。
「文学的営み」という表現は、いささかわかりにくいでしょうが、私にはとても腑に落ちました。人生は、科学ではなく、物語ですから。もっとも、東畑さんは、科学的な次元と文学的な次元を生きるのが人間である、と言っていますが。
東畑さんはまた、カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさの中で、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である、とも言っています。これは、まさに私が感じていることです。というか、そういう私の考えからすれば、昨今のビジネスとしてのカウンセリングの場は、むしろ「封じ込めの場」に思えていたのです。
さらに東畑さんは、死ぬことと生まれることは表裏一体であり、古い物語を終わらせることが新しい物語を始めることでもある、といい、重ねて、ちゃんと生きるとは、ときどき死んで、その都度新しく生まれることだ、とも言います。実に納得できます。「死と再生」があればこそ、人生は楽しい。
こうも言います。心には生活と人生という2つの次元がある。そしてそれに応じて、カウンセリングも「作戦会議としてのカウンセリング」と「冒険としてのカウンセリング」があるという。
「冒険としてのカウンセリング」。不謹慎だといわれそうですが、ちょっとワクワクしませんか。ちなみに、その2つのカウンセリングの実践に関しても東畑さんは丁寧に解説してくれています。私は面倒なので飛ばし読みしてしまいましたが。
新書版にしてはちょっと厚い本ですが、とても読みやすいです。
人生に疲れている人にお薦めします。


最近のコメント