カテゴリー「生き方の話」の記事

2018/10/15

■信頼し合って支え合う関係をシェアするコミュニティづくりへ

湯島のサロンからまたひとつプロジェクトが生まれつつあります。
それもかなり湯島のサロンのビジョンにつながるプロジェクトです。
湯島のサロンは、最初オープンサロンから始まりましたが、途中からもう一つの活動のコムケアサロンと合流しました。
コムケアサロンは、コムケア活動の一環として始めたものでしたが、コムケアはコミュニティケアの略でした。
住友生命から委託されたNPOへの資金助成プログラムの一貫でしたが、当時、日本では「コミュニティケア」は「施設福祉から地域福祉へ」、それもその背景に福祉財政削減の意図を感じました。
そうした潮流への反発もあって、あえて「コミュニティケア」という言葉を使用しました。

ビジョンは、「大きな福祉」を目指す「共創型相互支援」ネットワークづくりでした。
その構想は、住友生命の関係者の全面的な支援を受けて、自由に取り組ませてもらいましたが、私がいささか活動にのめり込みすぎて体調を崩したこともあり、頓挫してしまいました。
その精神をコンセプトワークショップの活動として、いま引き継いでいます。
今のビジョンは、コミュニティケアではなく、ケアコミュニティです。
これに関しては、ブログなどで書いたことがありますが、取り組む気力が萎えたままでした。

今回のプロジェクトは、その時のことを思い出させてもらうようなものです。
これまで3回ほどやった「安心して死を迎えられる生き方」をテーマにしたサロンのなかから、思いをシェアした人たちで、ゆるやかなコミュニティづくりに取り組もうということになったのです。
私も参加させてもらいました。
その1回目のキックオフミーティングが昨日開かれました。
私も含めて9人の人が参加しました。
みんな、ご自分の活動をされていたり、取り組みたい活動を持っていたりする人たちです。
全体として目指す方向のたたき台を話し合った後、それぞれの活動や思いが披瀝されました。
その中で、それぞれができることも紹介されました。

まだゆるやかでゆる~いコミュニティですが、具体的な事業にも(それぞれが中心になって)取り組みながら、コミュニティを実体化させていくことになりました。
さまざまなタレントがつながっていくことで、 “ゆりかごから墓場、そして死後の世界まで”をつなげたコミュニティが育っていくといいなと、私は勝手に期待しています。
家族や地域や組織の“縁”とはまた違った、“第4の縁”を育てていきたいという、このプロジェクトのきっかけをつくってくれた中下さんの思いも、ぜひ実現したいと思います。
関心のある人はご連絡ください。
このコミュニティも、ゆっくりと広げていく予定です。

Lsc20181014


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2018/09/28

■カフェサロン「宗教をどう考えるか」の報告

「宗教をどう考えるか」というテーマでのサロンは、15人の人が集まりました。
最初に自己紹介を兼ねて、それぞれの宗教観のようなものを話してもらいました。
いろんな立場の方がいましたが、自らが特定の宗教の信徒だと明確に宣言された方はおらず、逆にむしろ無宗教的な発言をされた方は何人かいました。

その後、高林實結樹さんのご自身の宗教観(体験)を話してもらいました。
厳格なクリスチャンの家で育ち、しかし若くして内心「棄教」したという高林さんの話をもう少しきちんと聴くべきだったのですが、むしろ参加者のみなさんがどういう宗教観をお持ちなのかという高林さんの問いかけを受けて、宗教や信仰の話になり、そこから、死とか死後の世界とかに話がいきました。
そういう話になると、いろんな意見が出て、まさに放談会になりました。

途中で、宗教と死の話は同じ話なのかという指摘もありましたが、私の進行のまずさもあって、宗教論議よりも死んだらどうなるかなどといった話が中心になってしまいました。
話はとても盛り上がりましたが、高林さんの宗教観や生きる上で宗教はどんな意味があるのかといった、本来予定していたテーマの話とはちょっとずれてしまいました。
「宗教」をどう定義するかをもう少しきちんとしてから、話し合いにはいるべきでした。
進行役としての私の不手際でした。
そんなわけで、「宗教」を話し合うサロンは、改めてもう一度、企画させてもらいたいと思います。

宗教には「教団宗教」と「自然宗教」があると言われています。
どちらに基軸を置くかで、まったく違った議論になります。
前者に基軸を置くと日本人は「無宗教」になり、後者に基軸を置くと日本人ほど宗教心の篤い人たちはいないということになります。
日本人の信仰心や宗教心は、明治憲法で政府権力に絡め取られたという人もいますが、食事前の「いただきます」という言葉も含めて、日々の生活の中に今なおしっかりと残っているようにも思います。
ただ最近はあまり「お天道様」という言葉が聞けなくなっているのは残念ですが。

信教の自由を演出するために、神道は宗教ではなく習俗だとされましたが、個人の視点に立てば、神道を信仰している人はいまもいます。
政府の統治視点で考えるか、個人の生活視点で考えるかで、「宗教」の意味合いは全く変わってくると思いますが、いま必要なのは、生活視点で改めて「宗教」の意味を考え直すことではないかと思います。
そういう視点でサロンを開いたつもりが、まったく話は別の方向に向かってしまいました。
一部の人には、たぶん期待外れになったかと思います。すみません。

話し合いは、しかしいろいろと広がりました。
人は死んだら「モノ」になってしまうという意見には、最近、飼っていた猫を亡くした2人の女性から強い異議申し立てがありました。
そこから魂魄の話も出てきました。
中国では、肉体を支える気(魄)と精神を支える気(魂)とがあって、それが分離すると人は死ぬと言われていますが、分離した後、魂は天に、魄は土に戻ると言われます。
魂があるのかないのか、も議論になりましたが、高林さんは「土」に戻るとお考えのようでした。
その一方で、話し合いの中で、高林さんが「天命によって生きている」ことに改めて気づいたと発言されました。
明確に「棄教」し、以来、別の信仰を得ていないという合理主義者の高林さんも、天と土からは自由になっていないことに、私は宗教の本質を感じました。

翌日、高林さんから「勝手な放談がオモシロイですね。結構よれよれになった自分の来し方を
反省することができました」とメールが来ました。
もしかしたら、宗教とは自らの生き方を問い質すためのものなのかもしれません。
坪田さんは、宗教は「リファレンス=参照」だと割り切っているようです。

杉本さんが、科学技術の安全問題に関連して、「神」の話を出されましたが、科学技術と宗教の問題もいつか議論したいテーマです。
神を殺したことで、科学技術の暴走が始まったと私は思っています。

宗教をテーマにしたサロンははじめてでした。
いろんな気付きがありましたが、少し整理してサロンするのがよさそうです。
改めて企画しますので、よろしくお願いいたします。

報告が遅れてすみませんでした。
高林さん
ありがとうございました。
Takabayashi1809232


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2018/09/19

■「昭和の人」

少し前の話なのですが、ある問題解決のために関係者にヒアリングしたことがあります。
そこで、若い女性が言った言葉が今でも忘れられません。
「昭和の人がいくら新しいことを目指してもダメです」
あまり正確ではないですが、彼女はこう言いました。
私も「昭和の人」なのですが、即座に彼女に共感しました。
そして、私も昭和の人なのでダメですね、と、皮肉ではなく、素直に言いました。
彼女は慌てて、そう言う意味ではないと言いましたが、たぶんそういう意味も含まれていたのでしょう。

最近起こっているさまざまな組織の不祥事を見ていると、この「昭和の人」という言葉に、実に説得力を感じます。
スポーツ界や行政や企業で展開されている「トップ」と「メンバー」の食い違いは、この「昭和の人」論で説明できそうです。
つまり、「昭和の頭」で生きている人と「平成の人」とは、明らかに「常識」も「判断基準」も違うのです。
そこに齟齬が生じ、「昭和の人」にとっては理解できない批判を受けることになる。
昨今のパワハラもセクハラも、昭和の頭で考えていては、多分理解できないでしょう。
一方、マスコミの現場にいる人たちは、少なくとも「昭和の頭」では生きていないのです。
しかし、彼らは独自に論を展開するだけのエネルギーも努力もしようとしません。
つまり、「昭和の頭」に寄生しながら、「反昭和の頭」なのです。
ですからマスコミ報道も、所詮は内容のない、「昭和の人」批判で終始しています。
事態はなにも変わらない。
ちょうど、アメリカ政府に依存しながら、反米言動を繰り返す、右翼や左翼と同じです。
アメリカがもしなければ、日本共産党ですら存立の基盤が揺らぐほどに、いまの政治家や政党には主体性が感じられません。

今の20~40代の人は、それ以前の世代の人に比べると育った環境も社会活動での体験もかなり違うでしょう。
そういう人たちは、「昭和」を自らとつなげながら懐かしむ世代と違い、「昭和」を自分とは無縁な世界として受け取っているような気がします。
しかし、それを壊すまでにはいっていない。
なぜなら彼らもまた、「昭和の人」によって作られた「豊かさ」に依存していて、自らの世界を構築するに至っていないからです。
そこから離脱していく勇気がないのです。
平成の人には、思考停止と隷属習性の文化があるというと、いささか言いすぎでしょうが、どうもそう感じてしまう。
「失われた30年」とも言われる平成時代が失ったものは何かを、しっかりと考えなければいけません。
それが何かわからないうちは、失われたものを回復することなどできないからです。

いずれにしろ、「昭和の頭」の役割は終わってしまった。
もし私がもう少し生き続けるのであれば、「昭和の頭」の呪縛から自由になった「昭和の人」として生きるしかない。
それができるかどうかいささか悩ましいですが、そう言う生き方をもう一歩進めていこうと思っています。
「平成の人」たちにも、ぜひとも自らの生き方を問い質してほしいといつも思っています。
「昭和の人」と同じ間違いはしてほしくないからです。


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2018/09/18

■カフェサロン「見守りと支えあいの住宅 福祉シェアハウス構想」報告

2回にわたる「安心して死を迎えられる生き方」のサロンを受けて、具体的な実践につなげていく方向でのサロンやプロジェクトがはじまりました。
その第1回目のサロンでは、実際に「福祉シェアハウス構想」に取り組んでいる小畑さん(NPO法人ハーモニー虹代表)に、その構想を紹介してもらいました。
小畑さんは、なぜそうした構想に取り組みだしたかの背景をていねいにお話してくれましたので、その構想の意味が参加者には生き生きと伝わったと思います。
小畑構想は、「問題を抱えた当事者及び当事者家族の限界」と「自らがソーシャルワーカーであることを活かして何ができるか」を試行錯誤してきた結果です。
ですから単なる机上論ではないと同時に、小畑さんにとっては自らの生活と深くつながった切実な構想でもあるのです。

その構想は、案内にも書きましたが、一言でいえば、住み慣れた地域で、住居というハードの面と専門職による支援と支えあいというソフトの両面から、生活に生じる困難を乗り越え、暮らし続けられる住宅を指しています。
それは同時に、生活のなかでの看取りの場でもあり、また死の学びの場でもあります。
かつては「家族」がその役割を果たしていたかもしれませんが、核家族化が進んだ現在、それは難しく、さらに家族そのものが変質してきています。
小畑さんの構想は、そういう状況を踏まえて、「家族の保護からの自立」を意図しています。

話し合いのなかでは、小畑構想は既存の福祉型のシェアハウスとどこが違うのかという点が問題になりました。
いくつかの視点が出されました。
たとえば、小畑さんのシェアハウス構想には、音楽を楽しめる空間とか外部の人を誘い込む空間が構想されています。
福祉というと何か障害を補う仕組みをまずイメージしますが、小畑さんはむしろ「楽しく暮らせる場」であることを大切にしています。

また、福祉を「支援される」という受け身で考えるのではなく、自らも役割を果たすという「支援する」という要素も大事にしています。
役割をシェアするという意味も込められているのです。
話し合いでは、その「役割」をどう考えるかの議論も少しありました。
これは、福祉とは何かということにまでつながるような気がします。
この構想も、「福祉」という言葉を外して発想したほうが、小畑さんの思いにつながっていくのではないかという意見もありました。

そうした「施設」を実現し、持続していくかに関しては資金的なことも無視できません。
コーポラティブハウスやコレクティブハウスに関わっている人も参加していたため、それに関してもいろんなアイデアが出ました。
小畑さんの構想の実現には、施設をシェアするだけではなく、この構想自体を複数の人たちでシェアしていくことが大切なのかもしれません。

「家族」をどう捉えるかも少し話題になりました。
私自身は、昨今の家族観はいまだに「血縁」に強くこだわりすぎているように思いますが、むしろそうした「血縁家族の呪縛」から自由になって、新しい縁を育てる場から生まれる、新しい家族の概念があっても言いように思います。

ほかにもいろいろと話は出ましたが、今回、湯島のサロンに初参加してくれた方から、ともかく動きだすことが大切だという元気が出る提案がありました。

このサロンは大きくいえば、「安心して死を迎えられる生き方を支援する仕組みづくり」を目指しています。
そのためには、今回のような「福祉シェアハウス」の他にもいろんなプロジェクトが想定されます。
湯島のサロンから生まれたいくつかの動きもつながっていくかもしれません。
しかし、話しているだけでは何も始まりません。
それで、そういう個別プロジェクトが生まれ、つながるような、プラットフォームもつくろうということになりました。
これは、このサロンのきっかけをつくった、中下さんの思いでもあります。

考えてみれば、これはかつて構想し挫折してしまっている「コムケア構想」につながっています。
私も改めて、もう少し頑張ってみようかという気になりました。
個別プロジェクトとプラットフォーム的な集まりを引き続き開催していく予定です。
ご関心のある方は引き続き(あるいは新たに)にご参加ください。
次回は10月14日(日曜日)の午前中を予定しています。
また別途ご案内させてもらいます。

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2018/09/15

■「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」をお薦めします

豊かに生きたいと思っている、すべての人に読んでほしい本のご紹介です。
「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」(松永正訓 中央公論新社 1600円)です。

「トリソミーの子」「呼吸器の子」と、これまで難病の子どもと母親との関係を軸に、人間の素晴らしさと危うさを、深く優しく問いかけてきた松永正訓さん(小児外科医)が、今回は知的障害児とその母親を取り上げました。

本書の帯には、「幼児教育のプロとして活躍する母が、自閉症児を授かり、世間一般の「理想の子育て」から自由になって行く奇跡を描いた渾身のルポルタージュ」とありますが、知的遅れのある自閉症の男の子(勇太君)の17年間を母親からの聞き取りをもとに、松永さんがまとめたものです。
松永さんは「あとがき」で、「ノンフィクションを書く上で重要なのは、筆者の取材力と表現する力であるが、それ以上に大事なのは、取材を受ける人間の語る力かもしれない」と書いています。
私は、それ以上に大切なのは、「筆者と語る人の信頼関係」ではないかと思っています。

本書では、主役である「母」の思いや言葉が、実に素直に、剥き出しのまま書かれていて、驚くほどです。
そこには取り繕った「言葉」はありませんし、へんに遠慮した筆者の思いこみで包まれた「言葉」もない。
発している言葉が、実に生々しく、とんがっている言葉なのに抵抗なく心に入ってくる。
その一方で「母」に向けられた周囲の声が、まるで自分に向けられたように、心に突き刺さり、うれしくなったり悲しくなったりするのです。
本書のいたるところで、「母」と筆者の信頼関係を感じます。
実に安心して読めるだけではなく、読んでいる自分も、違和感なくその世界で一緒に生きているような気になるのは、筆者の立ち位置が単なる観察者ではないからでしょう。
だから、読んでいるほうまでも、「母」と「同期」してしまって涙が出てしまう。
私は本書を電車の中で読んでいたのですが、3回ほど、涙がこらえられませんでした。
本に出てくる情景が、あまり生々しく、まるで自分のことのように感じたからです。
「母」の思いに筆者が同期し、さらに読者まで同期してしまう。

今回も松永さんの大きな関心は、「受容」です。
人を受容するとはどういうことか。
しかも評論的にではなく、これまでの作品と同じように、松永さんはいつもそこに「自分」を置いて考えています。
今回もそれがよくわかります。
さらに今回は、そこにもう一つの視点が加わりました。
「普通」という呪縛です。
松永さんは、本書を通じて、自閉症の世界の一端を明らかにし、私たちの日常を縛る「普通」という価値基準の意味を問い直したいと書いています。
「普通」という呪縛から解放されると、世界は豊かに輝いてきます。
「受容」は「普通」からの解放に深くつながっています。

そのことが本書には、具体的に語られています。
たとえば、ちょっと長いですが引用させてもらいます(文章を少し変えています)。

知り合いの母親に、勇ちゃんの保育園での写真を見せた。健常児が横一列にきれいに整列して歌を歌っている。勇ちゃんは後ろの方の床で絵本を広げでいる。「こんなふうに、うちの子はみんなと一緒に歌ったり、集団行動が取れないのよ」。母は嘆くように相談を持ちかけた。実はその母親は、自身がアスペルガー症候群(知能が正常な自閉症)だった。従って勇ちゃんの気持ちが分かる。分かってそれを言葉で伝えてくれる。「この一列に並んでいる子たち、本当に不思議ねえ。どうして同じ格好をして歌っているのかしら? 後ろで本を読んでいる方がよっぽど楽しいのに」。この言葉も母には衝撃だった。そうか、自分は健常者の視点でしか、我が子の世界を見ていなかったのか。

発達障害の二次障害という、衝撃的な話も出てきます。
無理に「普通」に合わせようとする結果、うつ病や自律神経失調症などの精神障害を発症してしまうことがあります。
それを頭では知っていても、親はわが子を何とかしてやりたくて、無理をさせてしまう。
しかし、それは子どもためにはならない。
それが時にどういう結果になるか。
母がそれに心底気付いたのは、たまたま入院病棟で垣間見た病室の風景でした。
その場面は、読んでいて、私の心は凍りつきました。
読後も決して忘れられないほど、強烈なイメージが残りました。

受容とは普通の呪縛からの自由になって、お互いを信頼し合うことなのです。
それは、「発達障害の世界」に限った話ではない。
それに気づくと、世界は違って見えてくる。

読みだしたら、引き込まれて一気に読んでしまう本です。
勇太君と母との17年間は、たくさんの気づきと生きる力を、読む人に与えてくれる。
この本は書名の通り、発達障害児と母との物語です。
しかし、読みようによっては、誰にでもあてはまる示唆がたくさん散りばめられている。
人とどう関わるか、信頼するとはどういうことか、幸せとは何なのか、生きるとはどういうことか。
自らの問題として、そこから何を学ぶかという視点で読むと、山のようなヒントがもらえるはずです。
書名の「発達障害」という言葉にとらわれずにすべての人に、読んでほしいと思う由縁です。

ちなみに、10月6日に、湯島で松永さんにサロンをしてもらいます。
松永さんの人柄に触れると、さらに本書のメッセージを深く受け止められるでしょう。
ご関心のある人はご参加ください。

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2018/09/12

■「わけのわからない事象」

今朝のテレビで、リーマンショックから10年、技術者の逆襲というのを見ました。
リーマンショックで業績悪化した日本の企業から多くの技術者が退職を強いられましたが、その人たちがいまベンチャー企業を起こし頑張っているという話です。
部下を解雇せざるをえなかった技術者の方が、自らも退職し、そうした技術者に声をかけてベンチャー企業を立ち上げ、いまはばたこうとしている成功事例が紹介されていました。
とても元気が出る話ですが、その起業家がインタビューに答えて話した言葉が気になりました。
それは、「リーマンショックというわけのわからない事象」という言葉です。
たしかに、自分たちとは無縁なところで起こった「わけのわからない事象」に振り回されたという思いは強いでしょう。
でも本当に、無縁の話だったのかどうか。
問題は、「わけのわからない事象」ではなく、「わけのわからない自分」なのではないのか。

これは何も経済や企業だけの話ではありません。
さまざまな事件に巻き込まれた時に、なんでこんなことが起こるのか「わけがわからない」と思う人は少なくないでしょう。
人間が起こす事件だけではなく、自然災害にも言えるかもしれません。
最近話題のスポーツ界のリーダーの人たちも、もしかしたら「わけがわからない」と思っているかもしれません。

親子関係や夫婦関係でも同じようなことが起こるかもしれません。
こんな子に育てたつもりはない。
なんで死ぬまで働いてしまったのか。
なんで離婚を求められるのか。
そういう場合、そうした不都合の原因は自分ではないと思い、しかも「わけがわからない」ということにしてしまうことが少なくありません。
しかし、そうでしょうか。

その生き方を変えるべきではないか。
そんな気がして、私は考え方や生き方を変えようとしています。
どれだけできているかは確信は持てませんが、少なくとも「わけがわからない」などとは考えないようにしています。
私が生きている世界で起こっていることに、私が無縁であるはずがないからです。

「わけがわからない」ことが起きたら、それを放置するのではなく、その「わけ」を考える姿勢を持ちたい。
湯島のサロンでも、そうした「わけのわからない」ことの「わけ」を話し合えればとおもっています。
もし「わけのわからない」ことが起こったら、みんなで話し合って、考えてみませんか。
問いかけたい人がいたら、サロンを企画しますので、ご連絡ください。

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2018/09/08

■所有からの解放

先日、ブログを書いていて思い出したことがあります。
無所有を実践していた韓国の法頂禅師の本で読んだバスのなかでの情景です。
内容はよく覚えていなかったのですが、その一文が読みたくて、本を探しました。
幸いに私の書庫に2冊の本が見つかりました。
「無所有」「すべてを捨て去る」です。
昨日、その分を探したくて、粗雑な通読をしました。
しかし見つかりません。

実はこういうことは、私には多いのです。
たしかあの本に乗っていたなと思って、その文章を探すのですが、なかなか見つからないことが多いのです。
一度は、英国と北欧の教育に関する記事のことを思い出して、2週間後にその文章を探すために、その間に読んだ関係ありそうな本を3冊ほど探しましたが、見つかりませんでした。
1冊はほとんど改めて通読したほどでしたが、出会えませんでした。
本での文章との出会いも一期一会なのかもしれません。
気になった時に、書き留めておくことが大切かもしれません。
しかし、その時にはあまり気にならなくても、しばらくしてから急に気になるということもあります。

昨日はあきらめてしまいました。
そうして今朝、その本をしまおうと何気なく裏表紙を見たら、そこになんと気になっていた文章が紹介されていたのです。
探し物は、探すのをやめた時に現われるというのは本当のようです。

早速、その個所を読みました。
こんな文章です。

バスの中であった。 彼は懐から携帯用のナイフを取り出したかと思うと、窓の砕から抜けかけているネジ釘を2つ縮めたのである。 何気なく見ていた私は、人知れず感動した。 彼はこんな風に些細なことで私を揺り動かしたのである。 彼は自分のもの他人のものという分け隔てをしないようであった。 もしかすると全部自分のものだと考えていたのかもしれない。

文中の「彼」とは、法頂さんの道伴の水然和尚のことです。
仲間の僧侶たちからは、慈悲菩薩と呼ばれていた僧侶だそうです。

この文章の最後の2行が、ずっと私の心の中に残っていたのです。
そしてほんの少しですが、私の生き方に影響を与えてくれていたのです。

ところで、この2行を見つけるためにまた2冊の本を拾い読みしたのですが、新しい気付きがありました。
「本来無一物」は、「物」だけの話ではないのではないのか。
そう思ったら、自らの所有欲の強さに気づきました。
特に今年になってまた読書時間が増えてしまっているのですが、知識への所有欲もまた、世界を狭めるのではないかという気付きです。
これまで考えてきたこととは真反対なのですが、知識があることで世界が見えなくなることも少なくないことも事実です。

空海は、虚空蔵とつながっていたという話を聞いたことがあります。
頭の中を空っぽにしたら、虚空蔵にある無限の知識は、すべてが自分のものになるのかもしれません。
もちろん「所有」という囲い込みでも、ネット検索というスタイルでもなくて、です。


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2018/09/04

■第三者委員会という無責任な仕組み

昨日書いた日本体操協会の不祥事の決着は、またまた「第三者委員会」に判断が回されました。
最近は、何かがあるとすぐに「第三者委員会」です。
そしてすべてはうやむやになるというのが、これまでの繰り返しです。

「当事者」は一体どこに行ったのか。
それに、「第三者」とはいったい何なのか。
この仕組みを考えた人の狡猾さを呪いたくなります。

いつの場合も、第三者とは「加害者」もしくは「権力が優位な立場のある人」の代弁者でしかありません。
価値中立な第三者がもしいるとしても、問題が起きている時の価値観の中心点は、いうまでもありませんが、加害者側に近いはずです。
特に、社会の大きな流れに抗って起きるような、今回のような体制批判的な問題に関しては、必然的にそうなるはずです。
それに、「第三者」がもし、その事件の利害に無縁な立場を意味するのであれば、そういう人には当該の問題は判断できないでしょう。
問題の意味を理解し、価値観を含めて解決できるのは、当事者を置いてはあり得ません。
ただ、そうした「第三者」が、いわゆる既存の社会体制のなかで、それなりの地位を得ている人ではなく、裁判員制度のように、ランダムに選ばれた生活者であれば、「第三者委員会」はかろうじて成り立つかもしれません。
しかし、それはデータ入力によって結論を出すAI(人工知能)の計算結果でしかありません。
それに、第三者委員会の委員に指名されたとたんに、その人は第三者ではなくなります。
ですからそもそも「第三者委員会」などというのは、実体のない虚構に過ぎません。
にもかかわらず、第三者という言葉が、公正さをイメージさせてしまう。
むかしは、「第三者」とは無責任の象徴だったはずなのに、うまく言いくるめられたものです。
そんなことに気づいてほしいものです。

要するに第三者委員会とはマネーロンダリングのような罪悪浄化システムでしかありません。
これまでのさまざまな第三者委員会の実績を思い出せば、わかる話です。
第三者委員会のメンバーになる人は、それによって得た情報を開示できない仕組みになっていると思いますが、そうした巧みな仕組みに荷担する人は信頼できません。
第三者であれば、知り得た情報は自由に開示しなければいけません。
まともな生き方をしている人なら、第三者委員会の委員にはならないでしょう。

それにしても、責任ある立場にある大人が、自らのやったことの責任は第三者委員会の判断を待って決めますなどと未成年の子どものようなことを、恥じることもなく言える社会には、ほとほと失望します。
塚原夫妻は、スポーツ界のために尽力してきた人でしょうし、私欲もそんなにはなかった人かもしれませんが、人間としては残念ながら未熟すぎます。
こんな人たちが、社会を背負っていたのかと思えば、情けないというか、呆れるというか、疲れがどっと出てきます。
最近活躍しているチコちゃんに、「ボーっと生きてんじゃない!」と喝を入れてほしいものです。

第三者と当事者。
その意味をもっとしっかりと考えるべきではないのか。
「当事者主権」という言葉が流行したことがありますが、最近は、多くの人が「当事者」から逃走しだしています。
そのくせ、他者には当事者責任を押し付けます。
そしてもし自らに「当事者責任」が問われそうになると、今度は「第三者」に判断を委ねてしまう。
責任のない当事者などあり得ないことを、なぜ気づかないのか。

私は、責任ある当事者としていきたいと思っています。
そしてそうできることに、幸せを感じています。
社会から責任ある当事者が消失してきていることが、さびしいです。


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2018/09/03

■言語とは生活のかたちの一部

日本体操協会の塚原夫妻のパワハラ問題はますますおかしな方向に動いていますが、昨今のスポーツ界の不祥事は、どれもこれも同じで、しかも前から多くの人がわかって来ていたはずのことでしょうから、語る起きなかったのですが、やはり語りたくなってしまいました。
昨日、突如公表された塚原夫妻の謝罪文なるものが、まさに現代を象徴していると思えるからです。
それに、このおぞましい文書には強い怒りを感じます。

「言語とは生活のかたちの一部」と言ったのは、ウィトゲンシュタインだったそうですが、まさにこの謝罪文には、塚原夫妻の生活のかたちが示されています。
相手が謝罪を受け入れてくれるのであれば謝罪する。
少なくとも、その言葉に、彼らに謝罪の意図がないことが明白です。
いや、謝罪の意味さえ分かっていない。
自らが謝罪することなど存在しない世界に生きているのでしょう。
謝罪は相手の問題ではなく、自らの問題ですが、そう言う意識は全くありません。
謝罪する気になれば、すぐの謝罪に行けばいい。
会ってもらえなければ、会ってくれるまで行けばいい。
それが誠実さであり、謝罪するということです。
謝罪まで駆け引きする生き方が、塚原さんたちの生き方なのでしょう。
そこに、すべての真実が見えてくるような気がします。

ジョージ・オーウェルは、現在を予告した小説「1984年」で、言葉を選び取る責任を言っています。
人は、どんな言葉を選ぶかで、生活や真情をメッセージできますし、露呈させてもしまいます。
これまでスポーツ界の不祥事で記者会見した権力を持つ人たちの発言をきちんと聞けば、事件の真相はおおむね見えてきます。
言葉は嘘をつきますが、その嘘もまた、言葉の後ろに見え隠れしています。
不誠実なマスコミやコメンテーターはだまされても、誠実に生きている生活者はたぶんそこから嘘を感ずることができるでしょう。

古田徹也さんの「言葉の魂の哲学」(講談社選書メチエ)という本を読みました。
1世紀前のオーストリアの作家カール・クラウスの言語論が紹介されています。
クラウスは、ナチスの台頭する状況の中で、「誰しも自分の話す言葉に耳を傾け、自分の言葉について思いを凝らし始めなければならない」と呼びかけていたそうです。
多くの人が、わかりやすいヒトラーの呼びかけ(小泉元総理が真似をしたと思われる呼びかけスタイル)に引っ張られていく中で、それに抗う方法を提唱していたのです。
古田徹也さんは、上記の本のなかで、「クラウスの呼びかけは、他のどの時代よりも、まさにいま現在の我々に突きつけられていると言えるだろう」と書いています。
他者の言葉にも耳を傾けるとして、しかし、それ以前に先ず、自らの言葉に耳を傾けるべき時だと、私も最近痛感しています。

塚原夫妻の生き方(生活の形)は、今や大きく広がっている生き方の典型例だろうと思います。
スポーツ界だけの話ではなく、政治も経済も行政も芸術も医療も、そして福祉さえも。
そんな気がしてなりませんが、まずは自らを質さなければいけません。


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2018/08/28

■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」の報告

中下大樹さんの「なぜ生きるのか」サロンのパート2は、前回の話を踏まえて、これからの時代に必要な仕組みの話題に併せて、私たち一人ひとりのこれからの生き方を考えることの大切さが話題になりました。

最初に、前回のレビューも含めて、いま何が求められているのかを考える材料を話してもらいました。
その中で、いくつかの問いかけがありました。
抽象的にではなく、自分の問題として考えようという中下さんのメッセージが伝わってきました。
死が消費の対象になってしまい、死から私たちは学ぶことを忘れてしまっていないかという中下さんの問いかけは、具体的な実例をたくさん紹介された上での指摘なので、心に突き刺さりました。
死を消費する社会では、必然的に、生さえも消費の対象にされていきます。
その結果、看護師でさえ、死は面倒なことと考えるようになってしまっていくわけです。
参加者のおひとりが、「死に関して、自分も消費者だったことに気付いた」と発言されました。「消費者意識」は前回の相模原事件のサロンの時にも話題になりましたが、私たちの生き方として、それにどう対処していくかはとても重要なテーマです。

中下さんは、がん闘病中の知人の言葉が心に残っていると話されました。
辛い抗がん剤に耐えつつ、生きようとしているその人は、自らの人生を振り返って「俺は、生きて何がしたいのか」と言ったのだそうです。
その話をしたうえで、中下さんは、「使命」とは「命」を「使」うと書きますが、みなさんは「いのち」をどう使おうとしていますか、と参加者に問いかけました。
私は、即座には応えられませんでした。
自分ではわかっているつもりだったのですが、他者に伝える言葉にはできませんでした。
「生きて何がしたいのか」
難問ですが、考え続けなければいかない気がします。

中下さんは、こういう問いもしました。
笑顔が浮かぶときはどういう時ですか、どんな時に笑顔になるかをできるだけたくさん書きだしてください。
そう言って1分くれました。
私はがんばって書きだしましたが、6つしか書けませんでした。
そもそもそんなことを意識したことがなかったのです。

こんな問いかけもありました。
「家族という言葉に温かみを感じますか」
手をあげた人は半分でした。
家族が生きる救いにならずに、邪魔をすることもあります。
中下さんは、家族や地域や所属組織といった既存の縁に頼るだけではなく、むしろ志を同じくする人たちで新しい縁を育てることが必要ではないかといいます。
その縁で育った仲間が、集い語れる場をつくり、支え合う生き方をしていくと同時に、共同墓をつくり、死後の行先もつくっていく。
共同墓と支え合って生きた仲間がいれば、死後も忘れられることはなく、生きつづけられる。
樹木葬への思いを持った人たちのそうしたコミュニティの話をテレビで観たことがありますが、たしかにみんな笑顔でした。
葬儀もビジネス的なものではなく、仲間で心を込めて行い、それがまた残された者たちの縁を深めていく。
そうした生老病死について包括的に支え合う、ゆるやかなネットワークをつくり、葬儀も供養も、みんなで行っていく。
死を超えて、世代を超えて、つづいていくコミュニティといってもいいでしょう。
これが中下さんの構想です。

死を生から切り離して考えるのではなく、生の集大成として、死を捉え、そこからコミュニティを構築していく。
それを前提にして、葬儀や供養や、看護や介護も考えていく。
中下さんは、こうした構想を実現していくためのプロジェクトを立ち上げる予定です。
また中下さんから呼びかけがあるかと思いますが、私も参加させてもらいたいと思っています。

ところで、このサロンも継続しようと思います。
参加者のおひとりが、これまで死について話し合ったことがない高齢の親と一度話し合ってみると話されました。
そこでもし話し合いができたら、その報告をしてほしいと頼みました。
そういう日常体験も踏まえて、在宅ホスピスやスピリチュアルケアなど、中下さん構想の取り組みの話を軸に置きながら、話題を広げていければと思っています。
どなたか次回はこんなテーマで話し合いたいという方がいたらご連絡ください。

Nakashita2


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