カテゴリー「生き方の話」の記事

2018/12/07

■ソフトバンク通信障害騒動に思ったこと

昨日、4時間半ほど、ソフトバンク系の通信障害が発生しました。
私もソフトバンク系なので、影響を受けたのでしょうが、実際にはその時間はスマホを使用していなかったので、何の影響もありませんでした。
しかしテレビ報道を見て、いろんな人が困った状況になっていたことを知りました。
現代人は予想以上にネットに生活の多くの部分を依存しているようです。
まさに私の感覚では「組み込まれてきている」という感覚です。
便利な仕組みを活用しているつもりが、いつの間にかそれに従属して拘束されてしまうように、関係が逆転してしまっていることもあるでしょう。

便利なものを手に入れれば入れるほど、何か問題が起こると困ることも増えてきます。
私自身も、たぶんそうした仕組みにかなり組み込まれてしまっているはずです。
便利なものは、同時に恐ろしいものでもあることを忘れてはいけません。
改めて生き方を問い直そうと思っています。

ちなみに、「便利なもの」の最たるものは、お金かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/24

■カフェサロン「お寺の跡取り息子の宗教観」報告

「宗教を考える」サロン第2弾は、「お寺の跡取り息子」の小林永照さんに、ご自分の物語を語ってもらいました。
小林さんは現在、寺小屋、地蔵の会など、お寺を舞台にしてさまざまな社会活動に取り組んでいますが、最初にそうした活動を紹介してくれました。
いずれも社会に開かれたとてもいい活動です。
こういう活動が広がれば、お寺はまた地域社会のセンターになっていくかもしれませんし、宗教の役割が見直されるかもしれません。
ところが小林さんは、こういう活動は格好いい話に聞こえるかもしれないけれど、それに取り組んでいる自分は、つい最近まで僧になったことに必ずしも納得できていなかったと、ご自分のことを語り始めました。

小林さんは、葛飾区にある青戸やくじん延命寺の長男として生まれました。
小学生の頃に得度はしたものの、特に仏教に強い関心を持ったわけでもなく、本堂の大日如来も、ただの仏像としてしか見えていなかったそうです。
大学で専攻したのは国際政治経済。小林さんの若き葛藤を感じます。
19歳の時に、真言宗の僧として灌頂を受けて正式に僧として自立したはずにも関わらず、どこかに納得できない自分がいて、「ぐちゃぐちゃ」していたということを赤裸々に話してくれました。
時には、なんで仏門に入って僧としての人生を歩まないといけないのかといった「恨み節」に陥ることもあったようです。
自分探しのために、社会人大学院に入り、そこで哲学者の内山節さんに出会います。
それから少しずつ小林さんの人生が変わりだします。
お寺で生まれ、そこで生活させてもらっている以上、お寺を活かして何か社会的な活動に取り組まなければという思いから、冒頭に話してくれたいろんな社会活動を3年ほど前から始めたそうです。
私が最初に小林さんにお会いした時に、小林さんからその話を聞いて、小林さんにいつかサロンで話してもらいたいとずっと思っていたのですが、その頃はまだ小林さんは「ぐちゃぐちゃ期」の最中で模索していたわけです。

小林さんの意識が大きく変わったのは、1か月ほど前の今年の10月です。
お父上と一緒に、ある親子の僧の灌頂に立ち合ったのだそうです。
灌頂というのは、諸仏と縁を結び、種々の戒律や資格を授けて、師の継承者となるための密教儀式で、小林さん自らも19歳の時に受けています。
その時にはまだ自分が僧になったという感激はあまりなかったそうです。
しかし今回は違いました。
ほかの僧の灌頂をお手伝いしただけなのに、灌頂を受けている若い僧を見守っている大日如来を感じたのだそうです。
それまでは単なる仏像だった大日如来が、若い僧のみならず、自らの行いも見守ってくれているという実感が突然にすとんと身心に入った。
大日如来を観じた小林さんは涙が出たそうです。
そして僧になってよかったと初めて心底から思ったといいます。

ぐちゃぐちゃの中で、行を修めていた小林さんにとっては一種の悟りなのでしょうか。
いまは客観的に自分を見ている自分も感じられるようで、自分を捉え直すことができたとおっしゃいます。
以前は、救いを外に求めていたが、いまは救いは自分の中にあると思えるようになったとも言います。
救いが自分の中にあれば、他者の救いにも寄り添えるかもしれません。

小林さんの物語を長々と勝手に書いてしまいました。
私が主観的に解釈しているところもありますので、小林さんからはちょっと違うよと叱られそうですが、まあ大筋はそう間違っていないでしょう。たぶん、ですが。

こんな話を踏まえて、話し合いも盛り上がりました。
クリスチャンも数名いましたし、仏教を信ずる人もいました。
無神論者もいたかもしれません。

小林さんは、宗教の教義よりも仏事や神事を通して仏や神の世界を学んできたと言います。
人間の普段の生活は神仏の世界とつながっていて、それが仏事に現われている。
大げさな仏事でなくとも、日常生活の中で手を合わせて祈ることがあれば、そこで仏の世界ともつながれるというのです。
小林さんにとっての修行は、まさに仏事や日常生活の行いの中にあるのでしょう。
しかし、今の都会の生活の中では、そうした体験の場は少なくなっているかもしれません。
先祖や死者とのつながりだけではなく、同じ時代を生きている人とのつながりさえもが失われてきている。
そして、人のつながりを失う中で、私たちはいろんなものを失ってきているのではないか。
人のつながりが失われていくなかで、他者への祈りも忘れだしている。
小林さんは、そうしたことを取りもどいていきたいと考えているようです。
それが、信仰につながっていく。
気づいてみたら、3年前から小林さんが自分のお寺で取り組んでいることは、まさにそれだったわけです。
お話を聞いていて、私は修行ということの意味の深さに気づかされました。

またまた勝手な解釈の報告になりました。
当日はもっと話題は広がっていました。
たとえば、仏教には修行はあるが、キリスト教には修行という考えはあるのか。
お寺や僧侶の役割は何なのか。
お寺は、困った時に相談に行く場所になっているか。
お寺にいくとどうして厳粛な気分になるのか。
大日如来を感じたというが、霊的な問題をどう考えるか。
震災後によく話題になる「幽霊」の話も出ました。

仏事に関する面白い話もありました。
お盆の迎え火の翌朝早く、先祖がいなくなったお墓にお供えをする風習が小林さんのお寺にはあるそうです。
留守のお墓にいる無縁仏にお供えするのだそうです。
仏事に込められた「つながりの思想」。
私も含めてサロン参加者はみんな初めてそういう風習を知りました。

小林さんのお話を聞いて、信仰や宗教は、与えられるものではなく、生活を通して出合えるもの
真摯に自分を生きることこそが信仰であり、宗教は、どんな宗教であろうと、そうしたことを考えさせてくれる存在であること。
修行とは、自分に誠実に生きること。
そんなことを気づかせてもらったサロンでした。
あまり言葉としては出ませんでしたが、「信仰」と「祈り」が今回のサロンの底流にあったような気がします。

できれば次回は、「信仰」や「祈り」を話し合うサロンができればと思っています。
現在、話の口火を切ってくれる人を募集中です。
よろしくお願いします。

Shugyo181122


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/19

■カフェサロン「過労死など起こらない働き方の未来を考える」報告

「過労死など起こらない働き方の未来を考える」のサロンは、7人の参加者がありました。
「働き方」が問題になっているので、もっとたくさんの人が参加すると思っていたのですが、意外でした。
今回、問題提起してくださった小林さんは、過労死は、突然誰に起こってもおかしくないのではないかと話してくれましたが、私も同感です。
多くの人にとって、決して「無縁」ではありません。
しかし、まだまだ「過労死」は特別の「事件」と位置付けられているのかもしれません。
私は、そこにこそ問題の本質があるような気もします。
本気で「働き方」(生き方)を変えようとみんな思っているのでしょうか。

小林さんは、15年前の40代の時に企業で働いていた夫を過労死で亡くされました。
小林さんと3人の子供たちの生活は大きく変わってしまったでしょう。
企業での過労死の場合は、会社の上司や経営者への怒りも起きがちで、憎悪におそわれることもあります。
小林さんは、しかし、憎悪の世界に引き込まれることなく、悲しみのなかで、なぜ夫は過労死に追い込まれたのか、そしてどうしたら過労死をなくすことができるのか、に取り組んできました。
医療や福祉の分野で仕事をしていた小林さんの使命感もあったでしょうが、それが小林さんの支えになってきたのかもしれません。
そして、いまは過労死家族の会に参加して、同じ立場になってしまった家族の支援や過労死防止のための活動に取り組んでいます。
小林さんは、そうした15年を語ってくれました。

小林さんはこう話してくれました。
過労死は社会問題となって既に30年近くになるのに、いまもなお、過労死・過労自殺は年齢、性別、職種を超えて広がり続けている。
毎年2万人以上の自殺者の中には、相当数の過労自殺が含まれている。
疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因として、「長時間にわたる過重な労働」が考えられるが、相変わらず長時間労働の実態は改善されず、最近話題になったように、裁量労働制などでむしろ長時間労働を是認するような動きさえも見られる。
長時間労働は、脳や心臓疾患との関連性が強いという医学的知見が得られているし、業務における強い心理的負荷による精神障害により、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、自殺に至る場合もあると考えられている。

そして小林さんは、残業時間をせめて月45時間以内にすれば、過労死をかなり減少させることができるはずだ、とデータで示してくれました。
厚労省が発表している「過労死等の労災補償状況」(平成29年度)によれば、時間外労働時間が45時間以内の場合は、該当者がゼロになっています。
1998年には、月45時間を限界とする行政指導基準が労働大臣の告示として出されているそうですが、法的拘束力がないばかりか、適用を回避する条件も示されています。
時間がすべてではないだろうが、せめてこの45時間基準に法的拘束力をつけるだけでも、かなりの過労死は避けられるはずだ、と小林さんは考えています。
そしてそうした活動に、仲間と一緒に取り組んでいるのです。

小林さんは、最後に2つの文章を読み上げてくれました。
ひとつは亡くなった夫が残した家族あての遺書。
もうひとつは、国際労働機構(ILO)が昨年スタートさせた「仕事の未来世界委員会」で確認された次の方針です。
「仕事の未来は、既に運命的に決まっているものではなく、われわれの主体的な意思や行動で
より良いものに変化させることのできるものだ」。
いずれも心に響くものがあります。

小林さんの話を受けて、いろんな視点での意見が出されました。
「個人と組織の関係」や「働くとは何か」。
みんな時間に追われているという意味でも「時間」が「人」を追い込んでいるのではないか。
過労死に追い込まれるような会社よりも、みんなが楽しく働けるような会社のほうが業績を上げている事例も多いのに、なぜそうした会社が増えていかないのか。
ほかにもいろいろと出たはずなのですが、なぜかいつも以上に、思い出せません。
この問題には私も少し思い入れが強すぎるからかもしれません。
参加された方、できれば話し合いのところを補足してください。

過労死は、小林さんが言うように、いまのような社会においては、誰にでも起こりうることです。
過労死までいかなくても、精神的にダウンしてしまっている人も少なくありません。
過労死の問題は、まさに私たちの生き方、さらには社会のあり方につながる問題です。

それはまた、現代の組織の本質につながる問題かもしれません。
人間にとっての仕組みだったはずの「会社」や「組織」が、いつの間にか人間を追いやってしまう存在になっているのかもしれません。
そこで、湯島のサロンでは、「個人と組織の関係」をさまざまな視点から考えるサロンを時々開催していこうと思います。
それが、「過労死がなくなる社会」に向けて私のできることのひとつだと思うからです、
案内はまた別に投稿させてもらいますが、その第1回を12月5日に開催します。


Karousi181117


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/01

■「ある世捨て人の物語」

昨夜、図書館から借りてきた「ある世捨て人の物語」(マイケル・フィンケル著)を寝る前に読みだしてしまいました。
寝る前にちょっとだけ、と思っていたのですが、面白くてやめられずに、結局、全部読んでしまいました。
おかげで今朝は寝坊してしまいました。

この本は、誰にも知られず森で27年間暮らした男の話です。
主人公は、クリストファー・ナイト。
20歳のときから27年間、ほぼだれとも会わず、アメリカのメイン州の森にひとりきりで暮らしていたのです。
2013年4月に、本人の意に反して、「発見」され、話題になりました。
これほど長く一人で暮らしていた「隠者」は、著者の知る限りないそうです。

森の生活と言えば、思い出すのは『ウォールデン』(邦訳「森の生活」)を書いたソローです。
この本は、私も2回ほど読みましたが、「森の生活」とはあんまり言えないような気がしていました。
27年間、森で過ごしたナイトは、ソローは「本物の隠者」ではないと言ったそうですが、たしかにそうでしょう。
そんなことは些末な話ですが、この本はとても面白かったです。
「世捨て」とは、こういうことなんだろうととても納得できました。
そして、私にはできないなと改めて思いました。
私のことを、仙人とか世捨て人という友人もいますが、この本を読んだら、私がいかにそれとは真逆な人間かがわかるでしょう。
しかし、ナイトや著者のマイケルの気持が、ちょっとだけわかるような気がするのは、まだ少し救いがあるかもしれません。

とても面白いくだりがあります。

「ナイトはどうやら、自分のことを数少ないまっとうな人間のひとりだと思っていたふしがある。なぜ、金銭と引き換えにオフィスの狭いブースで一日何時間もコンピューターに向かって人生の盛りを過ごすのは容認されて、森のなかのテントでゆったり過ごすのはおかしいと思われるのか、彼には理由がよくわからない。木々を観察するのは怠惰で、それらを切り倒すのは仕事熱心だと言われる。ナイトは生活を営むために何をしていたのか。彼はひたすら生活していたのだ。」

私が思っていることと同じです。
私も、そういう生活をし、そういう仕事を目指しています。

もう一つとても気にいったことが書かれていました。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスも隠者の志向がありますが、ソクラテスはどこでも裸足で歩き、このうえなく租末な食事しかとらなかったそうです。
この2つは、まだ私にはできていませんが、いま、そこに向けての途上です。
寒くなりましたが、まだ靴下や靴を履かずに頑張っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/10/28

■安田純平さんに心から感謝します

シリアで消息を絶っていたジャーナリストの安田純平さんが、2018年10月に無事帰国しました。
久し振りの、とてもうれしいニュースです。
しかし、さまざまなバッシングが行なわれていて、テレビの報道を見ていて、哀しくなるというよりも、実にいやな気分になります。
昨日も多くのテレビで、コメンテーターやキャスターのほとんどが、私には極めて不快な発言をしていました。
そういう人たち(たとえば北野たけしさんですが)の名前も出したいほどですが、きりがないのでやめることにします。
しかし、この人がと思うような人が、私には聞くに堪えない発言をしていて、驚きます。

その根底に感ずるのは、弱い者いじめと国や政府の視座です。
つまり、全体の方針に従わない者は、いじめられ、保護されないということです。
学校でも会社でも、地域でも、そして家庭でさえ、そういう風潮は広がってきているような気がします。
それは私の生活にも無縁ではありません。
国の方針に逆らう人は殺されてもいいというところにつながっているように思います。
そもそも国境を越えて移動することにおかしさを感じない近代人は、私には理解できません。

昨日のテレビでは、安田さんは目的に失敗したという人もいました。
しかし、安田さんが明らかにしてくれたことは、私にはたくさんあります。
ジャーナリストは、記事だけで情報を発信しているわけではありません。
安田さんが書いたであろう記事や動画よりも、私には大きなものが伝わってきています。
書かれたり撮られたりしたものだけで、ジャーナリストは情報発信しているわけではありません。
もちろん受け身でしか物事を考えていない人には伝わらないでしょうが、そうしたものの背景にこそ、私は価値を感じます。
安田さんの今回の不幸な事件は、決して無駄ではありませんし、無駄にしてはいけないと思います。

身代金も話題にされています。
もし身代金に私の税金の一部が使われたとしても異論は全くありませんし、むしろうれしいです。
オリンピックに使われるよりも、私には価値のあることですから。
それに、人の生命をお金とつなげて語る人たちは、私には唾棄すべき存在です。
念のために言えば、身代金が使われたかどうか、またそれをだれが負担したかどうかなど、私は知りませんし、身代金支払いを肯定しているわけでもありません。
そうではなく、こんな時でさえ、お金の話ばかりする人たちの気が知れないのです。

こう書くとまた反論が来ると思いますが、せっかくのうれしいニュースが、なぜか後味の悪いニュースになってしまっているのが、ともかく残念です。

私は、安田さんの勇気と志と実践に感謝しています。
そして、安田さんが無事帰国されたことに、無条件に喜びを表明したい。
安田さんを非難する人も、安田さんほどの「自己責任」意識を持ってもらえるといいのですが。
他者に自己責任を求める前に、まずは自らの自己責任を考えてほしいものです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/10/21

■第3回有機野菜の旬を楽しむ会の報告

霜里農場金子友子さん主催の「有機野菜の旬を楽しむ会」も3回目になりました。
今回は、この1年間、霜里農場で実習し、来月福岡に帰る「たなちゃん」こと棚町弘一郎さんがゲストで、棚町さんの新たな門出の祝いを兼ねての、「たなちゃん送別会サロン」でした。
そのおかげで、たなちゃん世代の若い人たちがたくさん参加してくれ、いつもとは違う雰囲気でした。
旬の有機野菜は「枝豆」。
「枝豆」ということもあって、参加者からビールの差し入れもありました。

最初に、たなちゃんから、なぜ農業を志したのか、そしてなぜ実習の場所が霜里農場だったかの話があり、それから福岡に戻ってからの活動の構想が紹介されました。
たなちゃん手作りの紙芝居的イラストを使っての話は、とても共感できるものでした。

たなちゃんは作物科学というのを大学で専攻したそうですが、そこでいくつかの疑問にぶつかったようです。
そして自分は研究ではなく実際の農業の現場で活動しゆと決断したそうです。
その背景にはたなちゃんの生き方に関わる3つの信条がありました。
「自然を大切にすること」「人の役に立つこと」「身近な人を大切にすること」です。
もしかしたら、いまの農業は自然を壊しているのかもしれません。
しかし、自然を豊かにする農の営みもあるはずです。
それがたなちゃんの思いだったようです。
また「農業」を通して、みんなの、特に身近な人の役に立ちたいと思っているたなちゃんは、農業への取り組みがその地域全体を豊かにすることにつながっていけばいいなと思っています。
ですから、霜里農場のように、そこから地域全体に広がっていくスタイルに、たなちゃんは惚れ込んだわけです。
そこで霜里農場での1年間の実習を決めたそうです。
こうしたたなちゃんの生き方に私はとても共感しました。

福岡に帰ってどうするか。
まずは引き続きもう少し有機農業を地元で学ぶそうですが、並行して福岡市の郊外に自分の農場をつくるそうです。
場所も大体決まっていて、室見川の上流の、まだあまり有機農業が行なわれていないところのようです。
その場所を選んだ理由もとても共感できるものでした。
そして、3つのことをやりたいと話しました。
「寺小屋」「引き売り」「室見川流域の生活つなぎ」です。
内容は省略しますが、これは私が理想としている構想にも通じますので、とても感心しました。

何やらとても明るい未来を感ずる話でした。
それにたなちゃんを応援する若者たちもみんな農業に関心を持っているようで、とても元気をもらえました。

枝豆を味わう前に、少しだけ話し合いをしました。
いろんな話がありましたが、「有機野菜」の対語が「慣行野菜」だと知りました。
私は「有機野菜」や「有機農業」という言葉に違和感がありますが、「慣行野菜」という言葉には拒否感を持ちました。
ネットで調べたら、化学肥料を主に使って栽培した野菜を「慣行野菜」というようです。
化学肥料を使用するのが「慣行」?
一体どうなっているのでしょうか。
どう考えてもおかしい。
日本の農の営みは、自然との循環の中で、土や自然とともにあったはずです。
化学物質で土を殺し、野菜を追いやる農は断じて日本の「慣行」ではなかったはずです。
そうした用語を許している農業関係者にがっかりしました。
たなちゃんの話に元気をもらったはずが、そのことで一挙に元気を失いました。
ここから少し怒りを感じて、草取りが大変だなどという考えを捨てようとか機械を使っても有機農業といえるのかなどと、ついつい暴言を吐いてしまいました。
あとでたぶん友子さんに叱られるでしょう。

それはそれとして、たなちゃんのこれからの活動が楽しみです。
たなちゃんの友人で、短期間ですが、やはり霜里農場で実習した田中さんが、実家でつくっているという無農薬のリンゴを持ってきてくれました。
私も食べさせてもらいましたが、彼も農家を継ぐ思いがあるようです。
無農薬のリンゴ。
その彼も、後で「皆さんの前で話せるような立派な農家になれるように頑張ります!」とメールをくれました。
また元気になれました。

とてもいいサロンでした。
農業は、いや正確には、「農の営み」は、人を誠実にし、素直にし、元気にしてくれることを改めて確信しました。

たなちゃんのこれからの活動が楽しみです。


Yuuki1810201


Yuuki31810202


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/10/15

■信頼し合って支え合う関係をシェアするコミュニティづくりへ

湯島のサロンからまたひとつプロジェクトが生まれつつあります。
それもかなり湯島のサロンのビジョンにつながるプロジェクトです。
湯島のサロンは、最初オープンサロンから始まりましたが、途中からもう一つの活動のコムケアサロンと合流しました。
コムケアサロンは、コムケア活動の一環として始めたものでしたが、コムケアはコミュニティケアの略でした。
住友生命から委託されたNPOへの資金助成プログラムの一貫でしたが、当時、日本では「コミュニティケア」は「施設福祉から地域福祉へ」、それもその背景に福祉財政削減の意図を感じました。
そうした潮流への反発もあって、あえて「コミュニティケア」という言葉を使用しました。

ビジョンは、「大きな福祉」を目指す「共創型相互支援」ネットワークづくりでした。
その構想は、住友生命の関係者の全面的な支援を受けて、自由に取り組ませてもらいましたが、私がいささか活動にのめり込みすぎて体調を崩したこともあり、頓挫してしまいました。
その精神をコンセプトワークショップの活動として、いま引き継いでいます。
今のビジョンは、コミュニティケアではなく、ケアコミュニティです。
これに関しては、ブログなどで書いたことがありますが、取り組む気力が萎えたままでした。

今回のプロジェクトは、その時のことを思い出させてもらうようなものです。
これまで3回ほどやった「安心して死を迎えられる生き方」をテーマにしたサロンのなかから、思いをシェアした人たちで、ゆるやかなコミュニティづくりに取り組もうということになったのです。
私も参加させてもらいました。
その1回目のキックオフミーティングが昨日開かれました。
私も含めて9人の人が参加しました。
みんな、ご自分の活動をされていたり、取り組みたい活動を持っていたりする人たちです。
全体として目指す方向のたたき台を話し合った後、それぞれの活動や思いが披瀝されました。
その中で、それぞれができることも紹介されました。

まだゆるやかでゆる~いコミュニティですが、具体的な事業にも(それぞれが中心になって)取り組みながら、コミュニティを実体化させていくことになりました。
さまざまなタレントがつながっていくことで、 “ゆりかごから墓場、そして死後の世界まで”をつなげたコミュニティが育っていくといいなと、私は勝手に期待しています。
家族や地域や組織の“縁”とはまた違った、“第4の縁”を育てていきたいという、このプロジェクトのきっかけをつくってくれた中下さんの思いも、ぜひ実現したいと思います。
関心のある人はご連絡ください。
このコミュニティも、ゆっくりと広げていく予定です。

Lsc20181014


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/28

■カフェサロン「宗教をどう考えるか」の報告

「宗教をどう考えるか」というテーマでのサロンは、15人の人が集まりました。
最初に自己紹介を兼ねて、それぞれの宗教観のようなものを話してもらいました。
いろんな立場の方がいましたが、自らが特定の宗教の信徒だと明確に宣言された方はおらず、逆にむしろ無宗教的な発言をされた方は何人かいました。

その後、高林實結樹さんのご自身の宗教観(体験)を話してもらいました。
厳格なクリスチャンの家で育ち、しかし若くして内心「棄教」したという高林さんの話をもう少しきちんと聴くべきだったのですが、むしろ参加者のみなさんがどういう宗教観をお持ちなのかという高林さんの問いかけを受けて、宗教や信仰の話になり、そこから、死とか死後の世界とかに話がいきました。
そういう話になると、いろんな意見が出て、まさに放談会になりました。

途中で、宗教と死の話は同じ話なのかという指摘もありましたが、私の進行のまずさもあって、宗教論議よりも死んだらどうなるかなどといった話が中心になってしまいました。
話はとても盛り上がりましたが、高林さんの宗教観や生きる上で宗教はどんな意味があるのかといった、本来予定していたテーマの話とはちょっとずれてしまいました。
「宗教」をどう定義するかをもう少しきちんとしてから、話し合いにはいるべきでした。
進行役としての私の不手際でした。
そんなわけで、「宗教」を話し合うサロンは、改めてもう一度、企画させてもらいたいと思います。

宗教には「教団宗教」と「自然宗教」があると言われています。
どちらに基軸を置くかで、まったく違った議論になります。
前者に基軸を置くと日本人は「無宗教」になり、後者に基軸を置くと日本人ほど宗教心の篤い人たちはいないということになります。
日本人の信仰心や宗教心は、明治憲法で政府権力に絡め取られたという人もいますが、食事前の「いただきます」という言葉も含めて、日々の生活の中に今なおしっかりと残っているようにも思います。
ただ最近はあまり「お天道様」という言葉が聞けなくなっているのは残念ですが。

信教の自由を演出するために、神道は宗教ではなく習俗だとされましたが、個人の視点に立てば、神道を信仰している人はいまもいます。
政府の統治視点で考えるか、個人の生活視点で考えるかで、「宗教」の意味合いは全く変わってくると思いますが、いま必要なのは、生活視点で改めて「宗教」の意味を考え直すことではないかと思います。
そういう視点でサロンを開いたつもりが、まったく話は別の方向に向かってしまいました。
一部の人には、たぶん期待外れになったかと思います。すみません。

話し合いは、しかしいろいろと広がりました。
人は死んだら「モノ」になってしまうという意見には、最近、飼っていた猫を亡くした2人の女性から強い異議申し立てがありました。
そこから魂魄の話も出てきました。
中国では、肉体を支える気(魄)と精神を支える気(魂)とがあって、それが分離すると人は死ぬと言われていますが、分離した後、魂は天に、魄は土に戻ると言われます。
魂があるのかないのか、も議論になりましたが、高林さんは「土」に戻るとお考えのようでした。
その一方で、話し合いの中で、高林さんが「天命によって生きている」ことに改めて気づいたと発言されました。
明確に「棄教」し、以来、別の信仰を得ていないという合理主義者の高林さんも、天と土からは自由になっていないことに、私は宗教の本質を感じました。

翌日、高林さんから「勝手な放談がオモシロイですね。結構よれよれになった自分の来し方を
反省することができました」とメールが来ました。
もしかしたら、宗教とは自らの生き方を問い質すためのものなのかもしれません。
坪田さんは、宗教は「リファレンス=参照」だと割り切っているようです。

杉本さんが、科学技術の安全問題に関連して、「神」の話を出されましたが、科学技術と宗教の問題もいつか議論したいテーマです。
神を殺したことで、科学技術の暴走が始まったと私は思っています。

宗教をテーマにしたサロンははじめてでした。
いろんな気付きがありましたが、少し整理してサロンするのがよさそうです。
改めて企画しますので、よろしくお願いいたします。

報告が遅れてすみませんでした。
高林さん
ありがとうございました。
Takabayashi1809232


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/19

■「昭和の人」

少し前の話なのですが、ある問題解決のために関係者にヒアリングしたことがあります。
そこで、若い女性が言った言葉が今でも忘れられません。
「昭和の人がいくら新しいことを目指してもダメです」
あまり正確ではないですが、彼女はこう言いました。
私も「昭和の人」なのですが、即座に彼女に共感しました。
そして、私も昭和の人なのでダメですね、と、皮肉ではなく、素直に言いました。
彼女は慌てて、そう言う意味ではないと言いましたが、たぶんそういう意味も含まれていたのでしょう。

最近起こっているさまざまな組織の不祥事を見ていると、この「昭和の人」という言葉に、実に説得力を感じます。
スポーツ界や行政や企業で展開されている「トップ」と「メンバー」の食い違いは、この「昭和の人」論で説明できそうです。
つまり、「昭和の頭」で生きている人と「平成の人」とは、明らかに「常識」も「判断基準」も違うのです。
そこに齟齬が生じ、「昭和の人」にとっては理解できない批判を受けることになる。
昨今のパワハラもセクハラも、昭和の頭で考えていては、多分理解できないでしょう。
一方、マスコミの現場にいる人たちは、少なくとも「昭和の頭」では生きていないのです。
しかし、彼らは独自に論を展開するだけのエネルギーも努力もしようとしません。
つまり、「昭和の頭」に寄生しながら、「反昭和の頭」なのです。
ですからマスコミ報道も、所詮は内容のない、「昭和の人」批判で終始しています。
事態はなにも変わらない。
ちょうど、アメリカ政府に依存しながら、反米言動を繰り返す、右翼や左翼と同じです。
アメリカがもしなければ、日本共産党ですら存立の基盤が揺らぐほどに、いまの政治家や政党には主体性が感じられません。

今の20~40代の人は、それ以前の世代の人に比べると育った環境も社会活動での体験もかなり違うでしょう。
そういう人たちは、「昭和」を自らとつなげながら懐かしむ世代と違い、「昭和」を自分とは無縁な世界として受け取っているような気がします。
しかし、それを壊すまでにはいっていない。
なぜなら彼らもまた、「昭和の人」によって作られた「豊かさ」に依存していて、自らの世界を構築するに至っていないからです。
そこから離脱していく勇気がないのです。
平成の人には、思考停止と隷属習性の文化があるというと、いささか言いすぎでしょうが、どうもそう感じてしまう。
「失われた30年」とも言われる平成時代が失ったものは何かを、しっかりと考えなければいけません。
それが何かわからないうちは、失われたものを回復することなどできないからです。

いずれにしろ、「昭和の頭」の役割は終わってしまった。
もし私がもう少し生き続けるのであれば、「昭和の頭」の呪縛から自由になった「昭和の人」として生きるしかない。
それができるかどうかいささか悩ましいですが、そう言う生き方をもう一歩進めていこうと思っています。
「平成の人」たちにも、ぜひとも自らの生き方を問い質してほしいといつも思っています。
「昭和の人」と同じ間違いはしてほしくないからです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/18

■カフェサロン「見守りと支えあいの住宅 福祉シェアハウス構想」報告

2回にわたる「安心して死を迎えられる生き方」のサロンを受けて、具体的な実践につなげていく方向でのサロンやプロジェクトがはじまりました。
その第1回目のサロンでは、実際に「福祉シェアハウス構想」に取り組んでいる小畑さん(NPO法人ハーモニー虹代表)に、その構想を紹介してもらいました。
小畑さんは、なぜそうした構想に取り組みだしたかの背景をていねいにお話してくれましたので、その構想の意味が参加者には生き生きと伝わったと思います。
小畑構想は、「問題を抱えた当事者及び当事者家族の限界」と「自らがソーシャルワーカーであることを活かして何ができるか」を試行錯誤してきた結果です。
ですから単なる机上論ではないと同時に、小畑さんにとっては自らの生活と深くつながった切実な構想でもあるのです。

その構想は、案内にも書きましたが、一言でいえば、住み慣れた地域で、住居というハードの面と専門職による支援と支えあいというソフトの両面から、生活に生じる困難を乗り越え、暮らし続けられる住宅を指しています。
それは同時に、生活のなかでの看取りの場でもあり、また死の学びの場でもあります。
かつては「家族」がその役割を果たしていたかもしれませんが、核家族化が進んだ現在、それは難しく、さらに家族そのものが変質してきています。
小畑さんの構想は、そういう状況を踏まえて、「家族の保護からの自立」を意図しています。

話し合いのなかでは、小畑構想は既存の福祉型のシェアハウスとどこが違うのかという点が問題になりました。
いくつかの視点が出されました。
たとえば、小畑さんのシェアハウス構想には、音楽を楽しめる空間とか外部の人を誘い込む空間が構想されています。
福祉というと何か障害を補う仕組みをまずイメージしますが、小畑さんはむしろ「楽しく暮らせる場」であることを大切にしています。

また、福祉を「支援される」という受け身で考えるのではなく、自らも役割を果たすという「支援する」という要素も大事にしています。
役割をシェアするという意味も込められているのです。
話し合いでは、その「役割」をどう考えるかの議論も少しありました。
これは、福祉とは何かということにまでつながるような気がします。
この構想も、「福祉」という言葉を外して発想したほうが、小畑さんの思いにつながっていくのではないかという意見もありました。

そうした「施設」を実現し、持続していくかに関しては資金的なことも無視できません。
コーポラティブハウスやコレクティブハウスに関わっている人も参加していたため、それに関してもいろんなアイデアが出ました。
小畑さんの構想の実現には、施設をシェアするだけではなく、この構想自体を複数の人たちでシェアしていくことが大切なのかもしれません。

「家族」をどう捉えるかも少し話題になりました。
私自身は、昨今の家族観はいまだに「血縁」に強くこだわりすぎているように思いますが、むしろそうした「血縁家族の呪縛」から自由になって、新しい縁を育てる場から生まれる、新しい家族の概念があっても言いように思います。

ほかにもいろいろと話は出ましたが、今回、湯島のサロンに初参加してくれた方から、ともかく動きだすことが大切だという元気が出る提案がありました。

このサロンは大きくいえば、「安心して死を迎えられる生き方を支援する仕組みづくり」を目指しています。
そのためには、今回のような「福祉シェアハウス」の他にもいろんなプロジェクトが想定されます。
湯島のサロンから生まれたいくつかの動きもつながっていくかもしれません。
しかし、話しているだけでは何も始まりません。
それで、そういう個別プロジェクトが生まれ、つながるような、プラットフォームもつくろうということになりました。
これは、このサロンのきっかけをつくった、中下さんの思いでもあります。

考えてみれば、これはかつて構想し挫折してしまっている「コムケア構想」につながっています。
私も改めて、もう少し頑張ってみようかという気になりました。
個別プロジェクトとプラットフォーム的な集まりを引き続き開催していく予定です。
ご関心のある方は引き続き(あるいは新たに)にご参加ください。
次回は10月14日(日曜日)の午前中を予定しています。
また別途ご案内させてもらいます。

Obata1809_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧