カテゴリー「行政時評」の記事

2018/05/17

■明日、5月18日に、「九条俳句訴訟」の高裁判決が出されます

明日、5月18日に、「九条俳句訴訟」の高裁判決が出されます。
これからの私たちの社会を方向づける、大切な判決だと思います。
それに合わせて、訴訟関係者たちによって「九条俳句訴訟と公民館の自由」(佐藤一子/安藤聡彦/長澤成次編著 エイデル研究所)が緊急出版されました。
ぜひ多くの人に読んでいただきたいとともに、18日の判決にも関心を持っていただきたくて、ホームページやブログで本の紹介をさせてもらいましたが、フェイスブックでも紹介させてもらうことにしました。

さいたま市のある公民館の俳句サークルで選ばれた秀句が、いつもなら掲載されるはずの「公民館だより」への掲載を拒否されるという事件(2014年6月)は、覚えている方も多いでしょう。
その対象になった俳句は、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。
その句が、「社会教育の政治的中立性」という理由で、行政から掲載拒否されたのです。
俳句の作者と仲間たちは行政に異議申し立てし、その支援者も広がりだしました。
しかし、市民と行政との話し合いは、うまくいかずに、訴訟にまで発展し、「九条俳句事件」として今なお争われているのです。
一審で敗訴した行政は控訴し、高等裁判所による控訴審の判決が、明日の5月18日に出されます。

俳句サークルの人たちやその応援団の人たちは、この数年、社会教育法をはじめ、さまざまなことを学びながら、「おかしなことをおかしい」と主張してきました。
問題を広く知ってもらうための公開イベントなども開催してきました。
新聞やテレビでも取り上げられましたので、湯島のサロンでも話題になったことはありますが、私は、そんな動きが広がっていることさえ知らずに、最近では忘れてしまっていたことを大いに反省しました。

本書は、こうした「九条俳句訴訟」事件のドキュメタリーです。
自治体から突然、理不尽な圧力を受けた女性たちが、それに抑えられることなく、正面から対峙し、公民館で住民が学び続ける意味を再確認するとともに、表現の自由を守る活動へと広がっていった経緯が、事件に関わったさまざまな人たちの「思い」も含めて、立体的に紹介されています。
本書から、この事件から見えてくる最近の日本の社会の「あやうさ」と、実践活動を通してのメッセージが伝わってきます。

原告作者は「もう70年前の様な時代に逆戻りは絶対ごめんです」と、2015年7月の提訴にあたっての呼びかけ文に書いています。
また、かつて公民館職員だった方が、ある事件に関連して、かつて社会教育と政治の関係について次のように述べていたことが紹介されています。
「私たちの生活に関する話題は、そのほとんどが政治にかかわることだといっても過言ではありません。政治にかかわる事柄が、政治的だという理由で公民館活動のなかで禁止されるとしたら、人間の自己教育活動としての社会教育は成立しなくなってしまうのではないでしょうか。」

まったく同感です。
俳句の掲載拒否の理由はいうまもなく『九条守れ』が問題視されたのです。
そもそも憲法を遵守しなければいけない行政職員が、憲法を守れということに否定的という、それだけも公務員の倫理責任に反するようなことが堂々とまかり通るようになっている現実は、変えていかねばいけません。
一人でも多くの人に本書を読んでいただきたいと思います。
6月には、本書をテーマにしたサロンを湯島で開催する予定です。

ちなみに、私は、昨今の「社会教育」のあり方に大きな違和感があります。
時代状況が変わる中で、「社会教育」(学校教育もそうですが)の捉え方を変えていくことが必要だと思いますが、一度できた枠組みはそう簡単には変わりません。
いまだに、統治視点からの行政主導の「与える社会教育・与えられる社会教育」、「国民の意識を高める(国民教化)ための教育型の活動」が中心か、もしくは自分の趣味を広げる(つまりある意味での社会性を抑え込む)「生涯学習型の社会教育」になっているような気がしてなりません。
しかし、社会がここまで成熟し、人々の意識や生き方が変わってきている中で、そろそろそうしたあり方を見直し、むしろ方向性を反転させて、私たち生活者一人ひとりが主役になって、「お互いに学び合う社会教育」「まちや社会を自分たちで育てていく社会創造型の活動」にしていく段階に来ているのではないかと思います。
それは同時に、私たち一人ひとりの社会性や市民性を高めていくことでもあります。

そこで、3年ほど前に、「みんなの社会教育ネットワーク準備会」を友人たちと立ち上げました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/02/post-04b2.html
しかし残念ながら、その試みは挫折したまま、今もって動き出せずにいます。
本書を読んで、改めてまた、社会教育のベクトルを反転させた「みんなの社会教育ネットワーク」も、再挑戦しようと思い出しています。
共感して下さる人がいたら、ぜひご連絡ください。


Kujou2


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2018/03/14

■理性の公的な利用と私的な利用

以前、まだブログをやっていなかった頃ですが、私のホームページに「メッセージ」というコーナーがありました。
公文書改ざん犯罪事件の報道に触れて、その2回目で書いた記事を思い出しました。

○メッセージ2:嘘の上に成り立つ社会のありように疑問を持ちましょう(2002/2/7)
http://cws.c.ooco.jp/messagefile/messagekiroku.htm#m2

私は、日本の政治が大きく変質したのは、森内閣成立時だったと思っていますが(当時はまだ私のホームページもなかったので、メールで発信しただけですが)、小泉内閣になって、完全に政治は変質してしまったと思っていました。
以来、私の懸念した方向にどんどんと進んでいます。

今回の事件は実に世相を反映した事件です。

それにしても、残念なのは、官僚の人たちがなぜ声をあげないのか、ということです。
イマヌエル・カントの「啓蒙とは何か」にこういう記述があります。
ちょっと長いですが、引用します。
一部、変更や削除などしています。

◇理性の公的な利用と私的な利用 人間の理性の公的な利用はつねに自由でなければならない。理性の公的な利用だけが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである。 理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。 公的な利害がかかわる多くの業務では、公務員がひたすら受動的にふるまう仕組みが必要なことが多い。それは政府のうちに人為的に意見を一致させて、公共の目的を推進するか、少なくともこうした公共の目的の実現が妨げられないようにする必要があるからだ。この場合にはもちろん議論することは許されず、服従しなければならない。 しかしこうしたマシン(機構)に所属する人でも、みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合、すなわち学者としての資格において文章を発表し、そしてほんらいの意味で公衆に語りかける場合には、議論することが許される。そのことによって、この人が受動的にふるまうように配置されている業務の遂行が損なわれることはないのである。

財務省の官僚たちには、これ以上、自殺したり犯罪者になってほしくはありません。
間違ったルールの呪縛から、ぜひ解放されてほしいです。

ちなみに私は学生の頃からずっと、日本社会では「公」と「私」の捉え方が、逆ではないかと思っています。
改めてまた、アレントを読みたくなりました。

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2017/03/03

■豊洲をめぐる石原元都知事の記者会見

石原さんの記者会見見ました。
痛々しい思いで。
問題をすり替えて小池知事を非難したところにみじめさを感じました。
しかし、豊洲移転の責任に関しては、同情したいところもあります。
知事は神様ではありませんから、すべてを知っているわけではありません。
記者会見で問われていた「知事の印鑑を誰かが押印した」ということも事実でしょう。
大きな組織ではよくあることです。
そして、一人の個人に責任がいかないように、有限責任の組み合わせで、大きな責任を個人に背負わせることなく大きな決断ができるというのも、組織制度の目的の一つです。
以前もブログに書きましたが、組織とは責任を分散させる知恵から生まれた制度ですから、責任の問い質し方に、私は違和感があります。
記者会見を見ていて、まさに弱い者いじめを見ているようで気持ちが悪かったです。
石原さんの勢いがあった時には何も言わずに、いじめても大丈夫と思ったら痛めつける。
悲しい話です。

都知事や副知事の責任は大きいでしょう。
しかし、それ以上に、私は都議会議員の責任が大きいように思えて仕方がありません。
前川さんから事情を訊いておけという質問もありましたが、石原さんに依存しないで記者自らで聴きだせばいいだけの話です。
それもやらずに、弱い立場になった石原いじめをしている記者が私には情けないです。

念のために言えば、私は石原知事時代に、きちんと声をあげなかった都民にも不信感があります。
週に何回かしか登庁しない知事を許していた都民やジャーナリズムが、いまさらなんだという気がしないでもありません。
おかしい時おかしいと言わなければいけないということを、改めて思いました。

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2017/02/21

■巻町原発誘致住民投票をテーマにしたサロンの報告

2月19日のリンカーンクラブサロン「原発を葬った市民のスクラム 巻町住民投票をめぐって」は10人のサロンになりました。
今回は、あらかじめ折原さんの報告書を読んでもらっての参加でしたので、ちょっとバリアが高かったかもしれません。
その反面、関心の高い人が多かったので、それぞれいろんな示唆を受けたのではないかと思います。

折原さんは、巻町原発誘致住民投票の顚末を3ページの表にまとめたレジメで説明してくれました。
とてもわかりやすい表です。
改めてこの顚末を俯瞰するといろんなことが感じられます。

そもそも巻町で住民投票が行われるきっかけは、1994年の町長選挙で、原発推進派の人が当選したことでした。
選挙には、推進派、慎重派、反対派の3人が立候補したのですが、慎重派と反対派の投票数を合計すると、推進派への投票数よりも多かったのです。
そこで、町民はむしろ原発には反対なのではないかという思いを持った、巻町に長年住んでいる有志たちが、「住民投票で巻原発をとめる連絡会」を立ち上げ、自主管理の住民投票に取り組んだのです。
そうした取り組みの過程は、折原さんの論文に詳しいですが、住民が主役になれば、いろんなことができることがわかります。

しかしなぜ巻町ではこうしたことが成功したのか。
そこが昨日の話し合いの論点の一つでした。
私は、その最大の理由は、巻町にはまだしっかりしたコミュニティ、人の繋がりと自然とのつながりがあったことだと思っています。
そのことは、折原さんの報告からも読み取れる気がします。

他にもさまざまな要因が考えられます。
折原さんの報告には、住民たちが「事実」を知るにつれて変わっていったことが書かれています。
それも大きな理由だったと思います。
事実を知ることで、人の意識と行動は変わってきます。
それが、私が湯島のサロンを続けている理由の一つです。

原発という大きな問題だったから、住民投票にまで行ったのかという問いかけもありました。
巻町では、その後も、新潟市への合併を巡って住民投票が行われたそうです。
近隣に葬儀場やごみ処理場ができることで住民が動き出すことは、むしろ多いですから、原発という大きな問題だったことよりも、原発誘致と自分たちの生活の繋がりを見えるようにしていったことが、住民運動を実現した理由のような気がします。
集団的自衛権のような問題は、なかなか私たちの生活とのつながりが見えてきませんから、当事者意識を持ちにくいという意見も出されました。

巻町の住民投票は、原発問題として取り上げられることが多いのですが、私はむしろそうではなくて、住民が当事者意識を持って動けば、大きな流れでさえ変えられるということを示した事例として捉えています。
「与えられたまちづくり」から「創りだすまちづくり」へと変えていけるのです。
これに関しては、3月19日に「まちづくり」の公開フォーラムを予定していますので、関心のある方はぜひご参加ください。
継続してフォーラムを開催していく予定です。
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170319

巻町の住民投票活動は、たぶん巻町の住民たちに大きな変化を起こしたと思います。
私の関心はそこにあります。
当時、巻高校の高校生は、生徒会で原発誘致に関しての投票までやったそうです。
それを体験した高校生は、いまどうしているか。
そこに大きな関心があります。

まちづくりも、国政も、どんどん住民や国民の手を離れだしているような気がしますが、それは自治体や政府が悪いからだけではないはずです。
その気になれば、そして動き出せば、流れは変えられる。
その貴重な体験をした巻町の教訓から、私たちはたくさんのことを学べるはずです。
いつか、巻町の元高校生を呼んで、公開フォーラムができないかと思っています。
あるいは折原さんに頼んで、一度、巻町訪問ツアーを企画できないかと思っています。
そしてそうしたことの中から、実践的な活動が始められないかと思っています。

いつものように、偏った報告になりましたが、西坂さんが記録してくれていますので、もしかしたら報告の記録はお伝えできるかもしれません。

折原さんの誠実な報告に感謝します。
なお、折原さんは「脱原発社会への展望」と題した4部作を同人誌に載せています。
もし読まれたい方がいたら、ご連絡ください。
折原さんと相談したうえで、PDF版をお届けします。
できれば、折原さんはそれを出版したいと考えていますので、どこか出版の相談に乗ってくれそうなところがあればご紹介ください。


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2016/09/13

■豊洲市場の盛り土不正問題に思うこと

築地からの移転が予定されている豊洲市場での、土壌汚染対策の盛り土が主要建物下で行われていなかった問題が大きな話題になっています。
その後の報道を見ていると、どうも建物下だけの問題ではなく、盛り土そのものの進め方にも問題がありそうです。
少なくとも、都庁は嘘をついていたことが明白になってきました。
堤未果さんの「政府は必ず嘘をつく」(角川新書)を読んだ方もいるでしょうが、中央政府だけではなく、地方政府も、嘘を平気でついてきました。
そうしたことを国民や自治体住民が、つまり私たちが、受け入れてきたからです。

この事件の報道を見ていて、戦後の1946年に書かれた、映画監督の伊丹万作さんの言葉を思い出します。

「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみなロを揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなってくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか1人や2人の智慧で1億の人間がだませるわけのものではない」(「戦争責任者の問題」)
豊洲市場の盛り土問題の報道を聞いていて、ほんとうに不思議に思います。
都議会の議員が騒いでいますが、なぜこれまで調べようとしなかったのか。
築地移転推進派の組織の会長が、だまされたと怒っていますが、なんでこれまで本現場を見ていなかったのか。
マスコミも、これまで豊洲の現場を見に行ったことはないのか。

もちろんみんな「悪意」があったわけではなく、本当に知らなかったのでしょう。
今回、問題にしだした共産党の都議たちの努力も評価しますし、市場関係者の怒りも理解できます。
詳しく報道しているマスコミ関係者も、いまは誠実に報道していると思います。
でもどこかおかしくはないでしょうか。
あれほど問題になっていた安全問題対策が、実際にどう進められているかを、だれもきちんと追いかけていなかったということには驚きを感じます。
安全問題に関する技術委員会の人たちが、誰も現場に行っていないで、工事完了を承認したというのも驚きです。
つまり、みんな現場を見ずに書類だけの資料で活動しているということです。
それなのに、いまになって、だまされたというのはおかしいのでないかと思うのです。
現場を見ずに、どうして安全性など議論できるのか。

一番の驚きは築地の市場関係者です。
現場も確認せずに、都庁の説明を鵜呑みにしているということは、要は本気で安全を考えていないと言うしかありません。
やはり経済性だけに関心がいっていたのではないかと思ってしまいます。
魚屋をなめるなよと、推進派の会長は怒っていましたが、現場も確認しないような魚屋はなめられても仕方がありません。
そうした人が、安全性など考えられるわけもないでしょう。
こんな会長を持っている組織は、そもそも御用組織でしかない。
こういう人たちによって、社会は壊されていくのでしょう。

いささか過激に書いたかもしれませんが、今回の事件は、政府は嘘をつくことの明白な事例です。
お上は正しいという考えを、私たちはそろそろ問い直さなければいけません。
都庁でさえこうなのですから、中央政府の嘘はもっと壮大でしょう。

伊丹万作はこうも書いています。

あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
(中略)「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。」

ちなみに、もう10年ほど前になりますが、「騙された者の罪」をブログで書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/04/post_4ec6.html

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2016/07/07

■小池さんの喧嘩の仕方にほれぼれしました

私は、自民党の小池さんが、政治家としては生理的といえるほど嫌いです。
日本の政治を劣化させるうえで大きな役割を果たしたと思っている小泉元首相ほどではありませんが、唾棄すべき政治家だと思っています。

ところがです。
今回の都知事選の絡む小池さんの言動には、なぜかほれぼれしてしまいます。
政策内容とかそんな話ではなく、その「喧嘩っぷり」にです。
戦い方をよくご存じのようで、小泉さんよりも巧妙です。
話し方や姿勢や目の配り方がいい。
時に過剰なひと言がありますが(たとえば、都議会の人に外で謝罪をした後に、貴社に「みていたでしょう?」と発言したのは失策だったと思います)、実に見事しか言いようがない。
対する石原さんが、いかにも無能に見えてきます。

昨日は正式に立候補し、都議の解散まで掲げてしまいました。
できれば、オリンピック招致白紙撤回も言ってくれればうれしいですが、まあそこまでは期待できないとしても、何かを変えてくれるという期待を持たせてくれます。
私が信頼している数少ないテレビのコメンテーターの玉川さんは、「良いポピュリズム」もあると発言していました。
敵ながら見事、としか言いようがありません。

最初は、これで引退かと思っていましたが、小池さんが当選してしまう可能性さえ感じられだしました。
その戦いぶりには、安置小池の私でさえ、支持したくなりますから。
それに比べて、対する人隊のなんと情けない戦いぶりなことか。
自民党に限らず、民進党の迷走ぶりは笑うに笑えません。

しかし、小池さんのような人が都知事になったら、それこそ大変です。
東京都とカルビーとは違いますから。

私は都民ではないので、投票権はありませんが、その結果はなんだかもう見えてしまったような気がします。
都民は、また前と同じことを繰り返すのでしょうね。
そんな気がしてなりません。

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2016/05/05

■ストーリーテリングによるまちづくり

私が住んでいる千葉県の我孫子市は「物語の生まれるまち」を標榜しています。
物語の生まれるまち。
これは、我孫子市だけではなく、最近の流行語でもありますが、
本来、「まちづくり」とは「物語を育てること」だろうと思います。
そして、その場合の主人公は、住民一人ひとりなのだろうと思います。
残念ながら、行政にはそういう発想はありません。
ですから、単なるスローガンに終わることが少なくありません。

私は20年近く前に茨城県の美野里町(現在の小美玉市)の文化センターの建設にささやかながら関わらせてもらったことがあります。
当時は、ハコモノ行政批判が広がっていた時期で、美野里町も文化センター建設に反対する人が少なくありませんでした。
私は、そのプロジェクトのアドバイザー役で関わらせてもらったのですが、住民のみなさんに「文化センターではなく、文化の物語をつくる」プロジェクトにしましょうと話させてもらいました。
つまり「モノづくり」ではなく、みんなで「物語りましょう」と呼びかけたのです。
そして「物語の生まれる」拠点の一つとしての文化センターを提案させてもらったのです。

そこからたくさんの物語を経て、文化センター「みの~れ」が完成しました。
建物だけではなく、たくさんの物語も生まれました。
その経過が、あまりに面白かったので、住民の人たちと一緒に、その「文化がみの~れ物語」(茨城新聞社出版)という本にしました。
文化センター「みの~れ」は、いまなお、生き生きした物語を生み出しています。

センターが完成してから10年たった時に、住民たちが、文化センターを拠点に生まれた物語を本にしたいと、またやってきました。
前回と同様、住民たちで編集委員会を立ち上げ、文化センターを拠点に生き方を変えていった住民たちに、自らの物語を語ってもらい、「まちづくり編集会議」(日本地域社会研究所出版)という本を出版しました。
20人を超える人たちが、みずからの物語を生き生きと語っているのを読むと、物語りあうことがまちを育てていくことなのだということが実感できます。

「まち」とは、そこに住む人たちにとっての舞台です。
誰かがつくった物語に合わせるのではなく、住民一人ひとりが主役になって、自らの物語を語りだすことが大事です。
人は誰でも、物語る力がある。
それに気づけば、自然と物語は育っていきます。

私たちが先月立ち上げたストーリーテリング協会は、そうした「物語り合うまちづくり」を広げていきたいと考えています。
住民主役のまちづくりに取り組みたいという人がいたら、ぜひご相談ください。
一緒に、「物語の生まれるまち」を育てていければと思っています。

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2016/04/23

■「見える困窮と見えない困窮」にいただいたご意見

昨日の「見える困窮と見えない困窮」をフェイスブックでも紹介したところ、いろんな意見をもらいました。
その一部を今日は紹介させてもらいます。

〔広島在住の方〕
私が大学生の頃、ちょうどUSA for AFRICAが流行ったりして、ちょっとしたチャリティブームでした。しかしながら、募金に参加する気になれなかったのは、ちょうど同じ時期、困窮きわまった私の実家では、米が買えないので「もやし」を分け合って食べていたからだと思います。助けてくれるのであれば、まず私の実家を助けて欲しかった。もちろん、日本に住んでいるだけで、多くのアフリカの子どもたちよりは恵まれているのはわかっています。しかし、気持ちはそのような絶対的な比較だけで決まるものではありません。チャリティは、色々な意味での余裕がある人々に任せておけばいい、そう感じてしまうのです。
ですので、「自分も現地支援したい気持ちでいっぱい。いてもたってもいられない心境。」
になどなったことがないので、自分は良くない人間なのだと思います。ただ、私は私以外の人生を生きることができない、という意味で、この気持ちを一生抱えていくしかないのでしょう。

〔60代の東京在住の方〕
佐藤さんのお気持ちは今週の一連の記事を読ませていただいて心に沁みます。
しかし、一方で、天の邪鬼の小生は、熊本地震への芸能人・タレントの寄付に対して、容赦なく浴びせられる“偽善”“売名行為”などの“ヘイトコメント”を想像してしまいました。
趣旨が違うけど、熊本地震に支援されている方々を非難してはいないにもかかわらず、仄かにそれに近い印象を受けてしまうのです❗人間としての大きさが違うのか、、、よく分かりませんが、素直な気持ちです❗
“困窮”の原因がハッキリしているからか、同じ日本人だからか、心が広くないからか、自分が困窮しているからか、、、??理由は定かではありませんが、熊本にも支援していない自分が情けなくなりそうな名文でした❗(。>д<)

〔東京在住の建築家の方〕
佐藤さんの言われることはもっともだと思います。多分思っていても言わないだけで、そう思っている方は多いとおもいます。テレビからの報道しかみられないのでホントのことはどこまでわれわれが知っているのかわかりませんね。自衛隊2500人が土砂から亡くなった方を探す報道が毎日のように流れていますが、ホントはなくなった方より、生きていいる人の救助をしたほうがずーといいのにといつもテレビをみながらおもっています。でも、政治家や有名人がそんな発言をすると非難ごうごうなんでしょうね。そんな、日本は不思議な国だと思います。日本ではホントのことは公共的な場では言ってはいけないという社会性があるのでしょうね。そんな国なのにグローバル化に向かおうとするのが無理があるのだと思います。
〔この方への私の返信〕
「日本ではホントのことは公共的な場では言ってはいけないという社会性」。「言ってはいけない」という思い込みが「常識」になっていますね。私は思ったことをいつも言うもので、時々、物議をかもし、嫌われています。でも言いたいことを言うことで、自分の人生を生きられています。にもかかわらず、時に発言を躊躇する自分に気づいて自己嫌悪することもあります。まことに悩ましいです。
私は、「公共」という言葉が悪いように思います。「公」と「共」は、対立関係にあるように思うからです。あえて言えば、「公が共を抑える枠組み」が「公共」のような気がします。「公共発想の呪縛」からいかに自由になるかが、私の関心事の一つです。
〔私への再返信〕
共をほおっていくとろくでもない方向に進むかもしないので公が必要ですが、社会が成熟するに従い公が力を持ちすぎて、公と共の対立が始まるのでしょうね。・・・・話が長くなりそうなので、機会がありましたらまた、佐藤さんとお話が出来るときを楽しみにしています。
〔それへの私の再返信〕
いつでも歓迎です。「公」と「共」を考えるサロンをやってくれませんか。ちなみに、いささかややこしいですが、「官による公」と「共から生まれる公」とがあると私は思っているのですが、いずれにしろある種の緊張関係と支え合いの構造が必要だろうと思います。湯島のサロンは「共」の場ですが、100年後にはそこから生まれる「公」をイメージしています。

〔福島で働いている行政の方〕
ご意見につきまして、強く共感をいたします。申し上げたいことが多すぎるので、後日、お会いさせていただいた時に、たくさんお話をさせていただきたいと思います。
原発事故の被災地にて、行政の人間として働いております。

〔北九州の行政の方からの個別コメントの紹介〕
この記事に「発言」を引用させてもらった、行政職員の友人からメッセージをもらいました。その方が読んだらどう思うか、否定的に受け取られないか、気になっていましたが、真意を受け止めてもらえました。その上、現地でやってくることへの気づきまで得たと書いてきてくれました。ホッとしました。その方が何を得てくるか、とても楽しみです。その一方で、すでにそうした体験をした方がたくさんいるわけで、そうした情報は、私が知らないままに、行政の内部では集積されているのだろうなと気づきました。いずれにしろ、被災地での困窮に触れることで、日常時の地元の困窮への感度が高まることは間違いないでしょう。やはり、現場こそ最高の学び場ですから。

〔私からのこの記事へのコメントの紹介〕
この記事に関して、こんなメールをもらいました。
こんな意見もあることを、行政のみなさんにはぜひ知ってほしくて、紹介させてもらいます。
ほかにもいろいろと意見をもらいました。
以下、友人からのメールそのままです。

災害ボランティアに各県・市や日赤などから職員が派遣されますが、現地でも中間管理職的な位置づけとなり底辺で住民のためにと動くボランティアとは一線を画しているのが現実です。
一般の人が現地にボランティアで出かけるとボランティア受付で特技・職種などで振り分けられるものの泥や汚れと闘う底辺仕事ばかりとなりますが、公務員などの派遣職員は別格の扱いとなり現地でもあまり不自由さを感じないのではないかと、いつも不思議でなりません!せっかくの現場を体験するチャンスなのですが・・・・。(-_-;)
震災が全国で続いているのにもかかわらず、熊本での救援ボランティアセンターの立ち上がりは遅く、現場での混乱は理解できるものの、日頃訓練しているわりにはいざという時に役立たない社協というおかしな団体の構造の問題にも気づかされました。佐藤さんの発言は大いに支持します。

ほかにもあるのですが、多くのみなさんに読んでほしいものを選びました。
なお、いろんなやりとりの中で、少なくとも3人の方から話したいという連絡があったので、湯島で一度、サロンを企画したいと思います。
決まったらご案内させてもらいます。

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2016/04/20

■みんなのものは誰のものでもない?

一昨日書いた「みんなのものパラドクス」に関連して、思い出したことがあるので、続きを書くことにします。

もう20年以上前だったと思いますが、東京の入谷の住宅地の一画に、たしか都有地がありました。
周囲には勝手に誰かが入れないようにと、フェンスが張り巡らされていました。
都有地なので、年に何回かは雑草が刈られていたと思いますが、夏になると野草が生い茂り、やぶ蚊も発生していたかもしれません。
そもそも地域住民にとっては、見栄えも悪く迷惑な存在だったと思います。

そうしたなかで、ある人が妙案を思いつきました。
まずは周辺の住民たちで、その雑草を刈り取ることを管理事務所に申し出ました。
都にとってはありがたいことなので、鍵を貸してくれました。
そして住民たちは、みんなで草刈りをして、鍵を返しました。
それだけなら何ということはない話です。
しかし、それを思いついた人は、こっそり鍵のコピーをつくってしまったのです。
従って、それから先は住民たちが、その塀の中に自由に入れるようになったのです。
そしてそこにみんなの花畑や農園をつくることにしました。
その写真を私は、この話をしてくれた人からもらっていたのでどこかにあるはずですが、見つからないのが残念です。

都の管理者は年に1回くらいしか来るか来ないかですので、気が付いた時にはきれいな花畑や農園になっていたわけです。
まさかそれをこわすとは言えないでしょう。
都は草刈りの費用がいらなくなり、「みんなの土地」はみんなでうまく活用されたわけです。
めでたしめでたし。

私は我孫子に住んでいます。
これも20年ほど前になるかと思いますが、我孫子駅の北口駅前の開発途中に、駅のすぐ前のかなりの広い面積の市有地が空き地になりました。
我孫子市民のみんなの土地ですので、我孫子住民に開放するのが良いと思いましたが、結局、入谷と同じようにフェンスが張られてしまいました。
せめてそこを自転車の置き場にでもしてくれれば、住民には好都合でしたが、次の計画が動き出すまでフェンスに囲われていました。
みんなのものだから、誰かが勝手に利用するのはダメなのです。
つまり「みんなのもの」とは、昨今の行政の仕組みの中では、だれも使えないということでもあるわけです。
「みんなのもの」とは、要するに「誰のものでもない」のです。

昨夜、湯島に来た人は数年前に会社を辞めて起業しました。
行政は、今回の熊本地震のような非常時のために、多くの非常食を備蓄しています。
幸いに非常事態が起こらないで、賞味期限が近づくと、それらは廃棄されます。
まだ食べられる膨大な食べ物が廃棄されるという、無駄な話です。
だとした、賞味期限直前のものを世界の飢餓地域に提供したらどうかと考えたのです。
最近話題になっているフードバンクの発想です。
大成功するはずでした。
しかし見事に失敗して、彼の会社は破産しました。
なぜ失敗したか。
行政が廃棄する膨大な非常食はみんなの税金で買ったものなので、行政の内部で処分しなければいけないのです。
つまり、役立てられると思っても、勝手には企業には提供できないのです。
それで費用をかけて廃棄処分するしかないのです。
それで彼の構想は挫折してしまいました。
行政のそうした仕組みを知って、彼は怒りに震えたそうですが。
ここでも「みんなのもの」は「誰のものでもない」ことがわかります。

さてさて困ったものです。
どうしたらいいのでしょうか。
「みんなのもの」って、一体何なのでしょうか。
私のテーマは、「コモンズの回復」です。
コモンズは、政府や国家という制度とは実はなじめない概念なのです。
そう考えると、「公共」という言葉のおかしさに気づきます。
「公」と「共」とは、発想の原理が全く違うのです。

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2015/08/11

■住民(国民)の責任-被害者になる前に加害者になることをおそれたい

福島原発事故を体験した後も、地元の原発を再稼働させることを許した川内市の7万人の住民にはいささかの驚きを感じます。
住民としての責任を放棄したとしか思えません。
もっとも住民の過半数は、再稼働に反対だったとも聞いていますが、小さな自治体レベルでさえ、住民の意見は大切にされないことにも、大きな驚きを感じます。
国民主権や自治は、今やどこにも見当たりません。

福島原発が事故を起こした時、私は最初、立地周辺の住民には一切の同情を持てませんでした。
自分たちで受け入れておきながら、そして、その利益を享受しておきながら、事故が起きたから補償しろというのは私の信条に反するからです。
しかし、少し枠を広げれば、原発を受け入れたのは、立地自治体だけではなく、福島県、さらには日本全体ですから、私もその仲間の一人でしかありません。
私自身が、福島原発事故の被害者であると同時に、加害者でもあるわけです。
その認識がない限り、原発周辺に住む人たちのことは責められないと気づきました。

福島原発で、少なくとも日本人は、もう原発をなくす方向に行くと思っていました。
それは、「体験した者の責任」として、当然のことだからです。
しかし、そうはなりませんでした。
そして事故から5年もたたないのに、原発がまた動き出すことになったのです。
おそらく住民の多くは、不安を持っているでしょう。
周辺の住民のみならず、多くの人が再稼働反対で全国からも集まりました。
テレビなどでも、多くのキャスターが、婉曲的にではありますが、異を唱えています。
にもかかわらず、川内原発は動き出します。

私が一番気になるのは、被害者になるかもしれないということではありません。
また加害者に戻ることです。
日本における原発再稼働は、私たち日本に住むものが、世界に向けての、あるいは未来に向けての、放射線被曝の加害者になるということだろうと思います。
福島事故を体験しながら、私たちは、また原発安全神話に依存して、目先の利益だけを見た生き方に戻ってしまったのです。
それがとても残念です。

川内市の市長はもちろんですが、私は川内市の住民の責任を問いたい気がします。
彼らは、加害者になることを選んだのですから。
しかし、加害者であることを選んだのは、川内市の住民だけではありません。
私たち、私も含めて、日本に住む者みんなが、加害者(つまり犯罪者です)になる道を選んだということです。
自らの責任もまた、問わなければいけません。

これと同じことが、安保法制の動きにも感じられます。
私たちがいま、真剣に考えるべきことは、被害者の目線だけ考えるのではなく、加害者の目線も持って、考えることです。
そういう視点を持てば、日本のこの70年も、平和だったとは決して言えないのです。
いまもなお、見えない戦場が、この日本には遍在しています。

これに関しては、項を改めて、書くようにします。

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