カテゴリー「行政時評」の記事

2021/07/02

■「ちょっと気になることを話し合う場サロン」も大切かもしれません

我孫子市の市議会を傍聴しつづけている友人がいます。
議会を傍聴するだけではありません。
そこで何かおかしいと気づいたことに出合うと、自分でしっかりと調べるのです。
普通の市民が、そうやって調べることは簡単なことではありません。
時間もかかれば費用もかかります。いやな思いをすることもあるでしょう。

しかもしっかりと調べたことを踏まえて、関係者に対する働きかけもするのです。
彼のおかげで改善されたことも少なくありません。
その人の存在は、もちろん市議会議員や市役所職員も知っていますが、だからといって、私欲のために何かをすることは全くありません。
その人の行動は見事というしかありません。

私がその人に会ったのはもう20年ほど前です。
時々、その人からお話を聞いて、驚かされることも少なくありませんでした。
いろんなことを学ばせてもらったこともあります。
今年になってからも、その人が調べたある問題の資料がどっさりと届き、お話も聞かせてもらいました。

1か月ほど前にお会いした時に、あることを調べているとお聞きしていました。
その人から連絡があって、今日、お会いしました。
またいろいろな問題にぶつかってしまったようです。

以前、湯島でサロンをやってくれた損保犯罪対策委員会代表の濱中さんが、公表されている資料をきちんと分析するだけで、驚くべき不都合な事実が見えてくる、と話していたのを思い出しました。私たちは、たくさんの「不都合な真実」を見過ごすことにあまりに慣れきってしまっているようです。

今回、その人がぶつかった問題は、私にはかなり大切な問題だと思われました。
放置するわけにはいかないでしょう。
行動を起こす前に、客観的な評価を確認したいと言うので私に話してくださったのです。
いささか複雑な問題なので、自分一人で考えているとわからなくなる。
人は話しながら考えるものです。
2時間、じっくりと話を聞いたので、少しはお役に立てたかもしれません。

「ちょっと気になったこと」を調べていくと、時に問題にぶつかります。
その時に、気楽に話を聞いてもらって話し合える場があるといいかもしれません。
彼のように一人で頑張れる人は多くはありませんから。

こんど我孫子で、「はじまり場サロン」を開催しますが、もう一つ、「ちょっと気になることを話し合う場サロン」も大切かもしれません。
「茶色の朝サロン」の地域版です。

しかしこう次々とサロンを増やしていくと遠からず破綻するでしょう。
困ったものです。

 

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2021/06/27

■自治体行政の仕事の邪魔をしているのは私たち住民かもしれません

わが家の近くに都市計画道路手賀沼公園・久寺家線がやっと開通しそうです。
といっても開通は来年の3月ですが。
この道路が話題になってからもう長い時間がたっていて、5年ほど前にはもうほとんど出来上がっていたのですが、最後のわずかな部分の土地買収問題などで止まってしまっていたのです。最後の説明会が行われてからも、もう10年以上たっていて、もうみんな問い合わせさえしなくなってきていた気もします。

昨日は、その住民説明会がありました。
新型コロナ対策もあって、近隣自治会からの参加も2人以内とされていました。
私の自治会ではありませんが、説明会に参加するのかある人に訊いたら、開通が決まってからの説明会は遅すぎるよと、その人は参加しないそうでした。
先月の別の道路の説明会には参加し、質問までしていたのですが。

前回の道路の説明会もそうでしたが、今回も行政のご苦労がよくわかります。
しかしたぶん行政と住民との関係が一番の問題なのかもしれません。
生活環境を整える行政とそれに依存する住民という関係があまりに強い。
道路や道は住民みんなが生活を支えてもらうものですから、行政だけではなくもっと住民が一緒になって取り組むべき課題だろうと思います。
基礎自治体の行政のやり方は、そろそろ基本から見直すべきでしょう。
この問題は、昨日の湯島のサロンでも話題になりました。

道路に関しても、「自動車優先の道路」から「生活中心の道」へと基本の発想を変えるべきではないか。
私たち住民は、もっと基礎自治体行政に対する共創感覚を持つことが大切ではないかと思います。行政の仕事の邪魔をしているのは、もしかしたら私たち住民かもしれませんね。
説明会に参加して、そんなことを改めていろいろと考えていました。

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2020/11/02

■理念は現実の先にある

大坂都構想の住民投票の結果が出ました。
1か月前の予想に比べて、反対票が多く、この構想は否定されることになるでしょう。

実は私は2週間前までは賛成だったのですが、湯島のサロンに参加した反対派のTさんから、佐藤さんの理念には賛成だが、現実はそうなっていないという指摘を受けました。
私と違ってTさんは、理念と同時に現実をしっかりと把握し賛否を決めている人です。
時々意見は違いますが、教えられることが多いので、この1週間、その指摘が気になって、いろいろと考えてみました。
やはりTさんが言うように、いろんな問題が見えてきて、理念と現実は真反対かもしれないと思うようになってきました。

しかし自説を変えるのはそう簡単ではありません。
賛成から反対になったのは、実は3日前です。
でもそれまでの5日間ほど、いろいろと考えました。
もちろん大阪だけの話ではありません。大坂都構想問題が投げかけている地方自治の問題についてです。
こういうことでもなければ、なかなかそんな問題は考えませんから、私にとってはとてもいい機会でした。

今回、大阪の住民たちの意見も変わったように思いますが、れいわ新撰組の山本太郎さんの連日の街頭演説も影響を与えたのではないかと思います。
今朝の朝日新聞には、めずらしく山本太郎さんの街頭演説の記事が載っていました。
時々、私もフェイスブックでシェアさせてもらっていますが、山本太郎さんの連日の街頭演説は、じわじわと日本の世論を変えていくのではないかと期待しています。

今回、私は賛否を変えましたが、改めて、理念から現実を見るか、現実から理念を見るかで、事態は全く違って見えてくることを実感しました。
理念よりも現実を大切にしてきたはずなのに、いつの間にか理念発想になっている自分に気づきました。
それに気づかせてくれたTさんに感謝しています。

本当の理念は、現実の先にあるのです。

 

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2020/10/05

■平将門の居城は我孫子市の湖北にあった!!

我孫子市の湖北に住んでいる戸田七支さん(我孫子市の文化を守る会会員)は、平将門の居城は我孫子市の湖北にあったと主張しています。
戸田さんは、『将門記』にその根拠を見つけているのですが、残念ながらいわゆる「状況証拠」はあるのですが、「物証」が確認できていません。
湖北には将門神社や将門の井戸などもあって、おそらくその気になれば物証も見つけられるかもしれません。しかし、いまのところ、戸田さんの主張はなかなか広がっていません。

我孫子の市議の海津さんから、その話を聞いていたのですが、海津さんとまちづくり編集会議の櫻井さんが戸田さんに会いに行くと言うので同行しました。
湖北と言えば、その近くに中里薬師堂というのがあって、そこに残されていた十二神将像を今年初め見せてもらって感激したことがあります。どうもそれともつながっているようです。
http://cws.c.ooco.jp/action20.htm#0217

櫻井さんの車で連れて行ってもらったのですが、昨年、相馬霊場巡礼で歩いて、30キロ達成直前でダウンしたところの近くでした。
戸田さんの話は魅力的でした。一度、まちづくり編集会議でも話をしてもらおうと思いました。事実を知った人が増えれば、必ず誰かが動き出します。
相馬巡礼も年内にはもう一度チャレンジする予定です。

Img_20201005_110953  

 

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2020/09/23

■令和の市町村大分裂への期待

昨日は地元の市会議員から、ある件の相談を受けました。私自身は特定の市議を支援しているわけではないのですが、相談があればだれでも相談に応じるのが私の姿勢です。

現在のような状況では、基礎自治体(市町村)の議会制度を抜本的に見直す必要があると思っていますが、逆にもし現在の議会制度を維持するのであれば、議員活動のあり様を一変させるべきだと思っています。
シュミットの「友敵理論」の真似事をしている市議会にはまったく価値を見出せません。基礎自治体の政治では、敵対よりも共創が基本でなければいけません。
そういう視点で、アドバイスをさせてもらいました。

今日は突然、今度は13年間市議会を傍聴している市民の方が自宅にやってきました。
久しぶりに先日お会いして話をしたのですが、その時、話題になった資料を持ってきてくれたのです。
折角なので、倉庫のような散らかしっぱなしの自宅に上がってもらい、話をしました。話し出したら際限なく話題は広がりました。
今回もまた市議会のあり方が問題のひとつになりました。

基礎自治体である市町村の行政活動にとって、最大の問題は議会のあり方ではないかと私は思っています。
かつて2つの市と町で、その問題に取り組みましたが、いずれも途中で挫折しました。
今回はかなり違った視点で、再挑戦していますが、平成の市町村大合併を超える、令和の市町村大分裂が起きない限り、日本の自治はますます劣化するでしょう。

 

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2020/07/01

■ふるさと納税制度の主旨はなんだったのか

ふるさと納税制度には私は反対でしたし、いまも反対です。
創設のときから、これは税金の商品化を進め、税金の意味をおかしくするものだと思っていました。

しかし、財政に対する国民主権意識を高める上では一時的な効果はあるかとささやかな期待もしていましたが、返礼が地域の特産品ではなく、商品券のようなものになったり、還元率が3割になったりするようになれば、これはもう税制度をこわす方向に行くだろうと思っていました。
ですから総務省が、泉佐野市の還元率の高い「ふるさと納税」制度をふるさと納税の対象から外したことは当然のことだと考えていました。
そんなことのために仕事をする自治体行政は解散してほしいとさえ思いましたし、市長の行為は違法ではないかとさえ思っていました。

大阪高裁は、総務省を支持しましたが、泉佐野市の控訴を受けて行われた最高裁は、昨日、逆転判決を出し、泉佐野市の制度はふるさと納税に対象になるとしました。

国民の税金の3割が納税者に私的に還元され、しかもそのための費用もかかるのですから、どう考えても納得できません。いまのバブルなふるさと納税を巡っては、おかしな事件も起こっています。まさに行政もお金まみれになってしまっている気さえします。
アメリカの行政革命から始まったニューパブリックマネジメントは、そんなことを目指していたのではないでしょう。そんなはずはないと思いたいですが、いまから考えれば、それが目的だったのかもしれません。つまり市場至上主義による「汎市場化」の一貫だったとも考えられます。

法(制度)の趣旨を理解せずに、法の条文でしか判断できない裁判官と制度の悪用(私物化)に知恵を働かす自治体首長に、怒りを感じます。
税金というのはいったいなんなのか。
ふるさと納税制度は、本旨に戻り、泉佐野市もまじめな自治行政に取り組んでほしいです。

 

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2020/05/20

■10万円と選挙の投票券とどちらが大切でしょうか

10万円の国民給付がまだあまり実行されていないようです。

日本の行政は優秀だと思っていましたが、もうどうしようもないほど劣化していると思わざるを得ません。しかし、マスク配布などの無駄な作業に駆り出されたり、この給付金にしてもいろんな制約があったりするのでしょう。

テレビでは、行政の現場の人たちは一生懸命やっているという言葉がよく聞かれます。たしかに基礎自治体の職員は在宅勤務などできずに、コロナ不安の中を残業までして頑張っているのでしょう。しかしだからと言って、免責できるはずはありません。

時間はかなりあったのに、その間に早く配布するための仕組みを真剣に考えていなかっただけの話です。真剣に考えている小さな自治体は迅速に実現しています。平成の市町村合併に安直に加担した自治体は反省すべきでしょう。彼らは私には「自治」を放棄したとしか思えません。「自治」を忘れた行政職員は「思考すること」も忘れてしまったのでしょうか。

全国民に10万円支給する話を聞いた時、私は基本的に1週間もあればできだろうと考えました。国会議員の選挙の時に配布する投票券と同じ仕組みを使えば、簡単にできるはずです。もちろんカバーできない人はいるでしょうが、それくらいは頭を使ってほしいです。

選挙と違って、10万円というお金が動くのだから、投票券を届けるようにはいかないという人がいるかもしれません。政府も自治体の首長もそう思っている人がいるかもしれません。

しかし、10万円と投票券と、どちらが大切でしょうか。
投票券には10万円の価値もないと思っている人がいたら、その人はとんでもない勘違いをしています。しかし、日本人のほとんどは、そう思っているようです。
投票券(権)が売買されていたという時代もあったと聞きますが、最近は全く価値がなくなってしまったのでしょうか。
いまやマスクほどの価値さえなくなってしまったのでしょうか。
投票券の迅速な配布はできても、10万円の迅速な配布はできない。
その理由をもっと真剣に考えた方がいいと思います。

さらにそこから、政府と国民との信頼関係がないということも見えてきます。
休業協力金などがどう使われているか、きちんと精査してみれば、いろんなことがわかるはずです。

医療崩壊も怖いですが、行政崩壊も怖いです。
それ以上に、信頼関係がなくなってきているのが、恐ろしいです。

 

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2019/01/30

■カフェサロン「ケアプランって知っていますか? マイケアプランが18年間言い続けてきた思い」報告

全国マイケアプラン・ネットワークは、介護保険のケアプランは自分で考えようという活動に取り組んでいる人たちのグループです。
介護保険発足当初から、制度的にも認められている「ケアプラン」の「自己作成」を提唱してきましたが、なかなか自己作成は広がりません。
行政やケアマネジャーのいう通りに「ケアプラン」をつくり、それに従ってしまう人が多いからです。
なぜなのか。
18年間活動を続けてきた島村さんのお話から、日本の福祉政策の実情や日本人の福祉に対する意識が見えてきます。
島村さんは、また「措置」の時代に戻ってきているような気さえするといいます。
お話を聞いて私の気分はちょっと重くなってしまいました。
なんとかしなければいけません。

そもそも「ケアプラン」の捉え方に問題があるのかもしれません。
介護の世界では、「ケアプラン」というと介護保険の利用計画のことですが、本来はもっと大きな意味で捉えられなければいけません。
それぞれの人本来のケアプラン(ライフプラン)があって、その一部を介護保険制度の利用で対処すると考えるべきでしょうが、なぜか日本では介護保険中心の「ケアプラン」発想が強いのです。
言い換えれば「制度に合わせたケアプラン」ということになりやすい。

島村さんがこうした活動に取り組む契機になったのは、お義父様の介護です。
まだ介護保険制度がなかった時代です。
島村さんは、活用できる地域資源を探しまくったそうです。
そして、地域にはケアに役立つさまざまな地域資源(たとえば、福祉制度はもちろん、病院や福祉施設からコンビニの配食制度やカラオケなどの施設まで)がたくさんあることに気づきます。
人のつながりも大切な地域資源でしょう。
そうした地域の制度・資源をとことん使って誰も犠牲にならない介護を目指したのです。

その後、介護保険制度ができたのですが、まさにそれは島村さんがお義父さんの時に求めていたものと一緒でした。
お義母さんの時の介護は、自らがケアプランを作成し、介護保険制度もうまく活用しての介護に取り組まれたそうです。
独自の工夫も取り込みました。
たとえば、40年間地域で暮らし、井戸端会議を日課としてきた義母の暮らしに合わせて、島村さんは自宅前にベンチを置き近所の人との井戸端会議の場とし、そこで義母流デイサービスを行っていたそうです。
大切なのは、その人らしい暮らしが続けられること。
介護制度の既存サービスになければ創り出せばいい。

しかし、自己選択・自己決定・自己負担という「利用者主体」の介護保険制度は、その後、その内容を進化させてきているのか。
どこか違うものになってきてしまったような気がします。
「ケアプラン」の主役となるはずの「利用者」が、制度のお客様になってしまっていることが、その一因かもしれません。
しかも、その制度は予算の関係で、内容が次第に制約されてきてしまっているのです。
「制度」の枠の中で「ケアプラン」を考えていれば、制度の規模縮小に伴って、ケアも次第に縮小されてしまうことになりかねない。
暮らしを中心に考えていかないと、そういうおかしなことが起こりうる。

介護保険制度は、ケアを支える仕組みの一部でしかないのです。
制度に依存するのではなく、制度を活かしていける自らのケアプラン意識を持つことが、介護保険制度を活かしていく上では不可欠です。
それがないと、「措置される福祉の受益者」に終わってしまいかねません。
制度をよくしていこうという視点は、そこからは生まれにくい。
福祉の実態もよくなっていかない。

自分で、ケアプランを立てることは、暮らしの棚卸作業だといいます。
そして、それに基づいて、自分らしい暮らし方を考えることこと、制度にあてはめられたケアプランではなく自分らしく生きるケアプランが実現できる。
みんながそうやって、自らのケアプランを真剣に考えていかなければ、日本の福祉は「昔のような「措置制度」に戻ってしまいかねない。

私が今回、一番強く感じたことは、そういう危機感でしたが、それに関して詳しく書きすぎてしまいました。

島村さんは、ケアプランの話はもちろん、「自己作成の方法」「マイケアプランを実践するためのヒント」などに関しても、わかりやすく説明してくれました。
実際にケアプランを自己作成してわかったことも、紹介してくれました。
ケアプランに関して、「目から鱗だった」と感想をくれた人もいます。

知っているようで、知らないケアプランに関しては、ぜひ多くの人に、介護に直面する前からきちんと知っておいてほしいと思います。
そうしたことは、全国マイケアプラン・ネットワークの講演会やワークショップにぜひ参加してほしいですし、もし何人かが集まって話を聞きたいといえば、島村さんたちのことですから、きっと話に来てくれるでしょう。
いやそのまえに、全国マイケアプラン・ネットワークのホームページを見てもらえば、たくさんの情報がありますし、ケアプランづくりを支援するツールも紹介されていますので、それを参照してください。
また、サロンの映像記録も後日公開する予定です。

ケアや福祉についてのとても大切な問題提起がたくさん込められていたサロンでした。
そして私たち一人ひとりの生き方への、重い問いかけもあったような気がします。
ほんのごく一部しか、島村さんのメッセージをお伝えできないのが残念です。


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2018/12/14

■なぜ制度は複雑になるのか

怒りをぶつけるついでに、もう一つだけ。
まあ氷山の一角的なものですが。

消費税増税のイメージを緩和するために政府は様々な制度を考えだしています。
もしかしたら私のような低所得者には得になるような制度ができるかもしれないなどという思いが、時に一瞬、頭に浮かびますが、そういうことは絶対にないのです。
たとえ10万円のばらまきの対象になったとしても、喜んではいけません。
一見得になるようなものこそが危ういのです。

それは極めて簡単なことでわかります。
制度ができるたびに、その運用コストがかかるのですが、それは私たちの生活を豊かにしてはくれません。
いわゆる「行政コスト」が余計にかかるだけですが、行政コストには必ず業者が寄生していますから、その業者の利益もまた、私たちの生活を豊かにすることには使われません。
いずれにしろ、税金が無駄な使われ方をされ、私たちに役立つことには使われなくなるのですから。

消費税は極めて複雑になりそうですが、複雑にすればするだけ、消費者は得をしたか損をしたかわからなくなります。
これもおそらく大きな目的でしょう。
しかし間違いないことは、複雑になるだけ無駄な仕事やコストがかかるということです。
そして無駄なものでも、それが何かの生産につながれば、経済成長率を高めるという効果もありますから、政府にとっては好都合なのです。

これは政府だけの話ではありません。
私のところには、世界の困っている人を支援するためにチョコレートや絵葉書やCDを買ってほしいという話がよく来ます。
なかには当然私がそういうものを買うだろうと思っている人もいます。
私は、むしろそういう行為には極めて否定的です。
確かにその売上金の一部は困った人のところに届くかもしれません。
しかし、その少なくない部分は、そうした「商品」を生産するために、またそういう活動を知らせ販売していくために、使途されます。
しかしそういう「商品」はほとんどの場合、「無駄なもの」が多いのです。
それに、生産するためにどれほどの資源を無駄にし、エネルギーを浪費したか。
そういう無駄なものをつくる世界の経済構造が、飢餓を生み出し難民を生み出しているのです。
それに加担する気にはなれません。
むしろそうした活動をしている人を見ると、こういう「善意の人」が一番罪深いとさえ思えてしまいます。
もっと本当に実のある活動をしてほしいと思ってしまうわけです。

ふるさと納税も無駄の極みです。
行政職員がそんな活動をするのは、私に背任行為としか思えません。
税金ってなんだかわかっているのでしょうか。

それにしても消費税増税は迷惑な話です
欧州の先進国の事例を少しは学んでほしいです。
無駄をなくすだけで、純粋の税収は増えるかもしれません。
ますます税金を払いたくなくなってしまう人が増えるかもしれません。
しかし節税が奨励されるお国柄ですから、こんなことを言っても始まらないでしょうね。
喜んで税金を負担する国になってほしいです。

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2018/11/29

■カフェサロン「日本列島「法」改造論」報告

神戸大学名誉教授の行政法学者・弁護士の阿部泰隆さんをお迎えしての「日本列島「法」改造論」は13人が参加し、3時間を超える長いサロンになりました。
阿部さんの話は、なぜ自分が大学に残って教授になったのかという話から始まりました。
大きな志や日本を変えたいと思ったのか、と一瞬、期待した人もいたでしょう。
しかし、阿部さんは、子どもの頃からぜんそくがひどかったので、働きやすそうな大学に残ったのだというのです。
こんな感じで、聞く人の期待に肩すかしを食わせながら、聴く人を飽きさせない、そのくせ、メッセージしたいことはきちんとメッセージするというスタイルで、前半は笑いにあふれた阿部さんの独演会でした。

もちろん漫談だけやっていたわけではありません。
最初に挙げたのが、来年の「10連休」への疑問。
阿部さんは、一体だれが喜ぶのかと言います。
そしてそれによる弊害を、死者が増えるかもということも含めて、具体的に話されました。
つづいてさまざまな「おかしなこと」が縦横無尽になぎ倒されていきました。

しかしただ、個別問題を批判しただけではなく、その根底には現在の行政のおかしさへの本質的な問題提起がこめられていました。
まず阿部さんが指摘したのは、行政の法的安定性についてです。
日本は法治国家ですので、法律の安定性が保証されていなければいけません。
そのためには、法そのものが安定しているとともに、法の運用者である行政の恣意的な解釈や適用があってはなりません。
もちろん形の上ではそうなっていますが、阿部さんは、それは「神話」だというのです。

法は国民のためにあると言われますが、果たしてそうなのか。
法の安定性に関しては、官民不平等になっていると阿部さんは言います。
たとえば税金納入の過不足の是正に関しては、国民と行政では平等ではないし、さらに行政の都合で法は変えられる。それに行政を正す立場にある司法の独立性は、日本では制度的にも保証されていないことを説明してくれました。日本の法は誰のために運用されているのか。
法が整備されれば法治国家になるわけではありません。
そこをしっかりと考えていかなくてはいけない。

問題は行政だけにあるわけではありません。
私たち一人ひとりにもある。
阿部さんは、自分で考えることが少なくなっているのではないかと問いかけます。
偉そうな人(たとえば自分を含めた大学教授や官僚など)が言ったからと言ってそのまま信じてはいけない。
通説と言われるものも疑わなければいけないと阿部さんは言います。
疑うことから考えることがはじまり、自分の判断力が生まれていく。
与えられたことを、考えもせずに受け入れてしまう国民性。
行政が勝手なことをやってしまう一因は、国民である私たち一人ひとりがちゃんと考えないからかもしれません。

ちなみに、阿部さんは、法学者としての自分の使命を次のように考えています。
日本の社会はいま何が問題なのか、その問題解決のためにどういう法制度を整えたらいいのか、法制をどう動かしていったらいいのかを考え、それを提案し実現していくこと。
そのためには、まずは通説や常識を「疑うこと」です。
何事にも、「なぜか」という問いを忘れない。
阿部さんは、疑問に思うことを大切にしています。

そうしたことを根底に置きながら、阿部さんはさまざまな問題を語ってくれました。
国の戦争責任から「女子トイレを増設せよ」「相撲の土俵の下にマットレスを」などといった話まででました。
阿部節を体験されたい方は、阿部さんの著書「日本列島「法」改造論」をぜひお読みください。
「逆転の発想による法改革」によって、日本を変える提案が満載です。

話し合いでもさまざまな話題が出されました。
最初の質問は、住民訴訟に関する質問でした。
ほかにもいろんな質問が出ましたが、阿部さんは、法治国家の本質のような内容まで含めて、専門的にとてもわかりやすく解説してくれました。
学校教育の話も盛り上がりましたし、日本人の国民性の話もでました。
あまりにいろんな話題が出たので私の記憶容量の限界を超えて思い出せませんが、帝国を過ぎてもなかなか終わらないほど、にぎやかな話し合いでした。

誰がこんなおかしい社会にしてしまっているのか、という話もあり、それへの回答も、阿部さんからも含めて出されました。
しかし、最後に阿部さんは、もっとみんなが行政の実態を知り、自分で考えていかなければいけないと話しました。
今回のサロンに参加した人の多くは、それぞれにそうした活動に取り組んでいる人ですが、もっと横につながっていくことが大事だなと改めて思いました。
そこにこそ、湯島のサロンの意味はあるのですが。

阿部さんの体制批判は、実に具体的で何よりも明るいのです。
そこに阿部さんの人柄が出ています。
後で感想を送ってきた人は、「文楽や志ん生の落語を聴いた後のような、すっきりとしたにごりない喜びを感じました」と言ってきました。
面白い中にも、いろいろと考えさせられるサロンでした。
こうした、明るく楽しい雰囲気で政治や行政や法の問題を話し合う場がもっと増えていくといいなといつもながら思います。

ところで、参加したほとんどの人が、阿部さんの話にほぼ同感ですと感想を言っていました。
しかし、そこにこそ、大きな問題があるのではないかと、いささか天邪鬼の私は思います。
いろいろと主張の多いはずの参加者が、一様に「ほぼ同感」だといい「すっきりした」といい、阿部さんの話に共感してしまう。
自分ではまだあんまり考えていない大学生たちなら、もっと納得してしまうのではないか。
阿部さんの話を聞く私たちも、阿部さんと同じく、もっと「疑う」こと(阿部さんの意見への疑いを含めて)を大事にしなければいけません。
ちなみに阿部さんは、あることを批判する時にも、絶対的な口調ではなく、自分はそう思うがというような謙虚な話しぶりでしたし、話の最初に自分の権威(高名な大学教授)を意図的に壊すような話を語ってくれていました。
それにもかかわらず阿部さんの話にあまり異論が出なかったのが、ちょっと心残りでした。
阿部さんの考えとあまりにも参加者の波長が合ってしまったのかもしれません。
それはまたそれで、問題かもしれません。

阿部さんが東京にいたら、連続サロンを企画したのですが、残念です。


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