カテゴリー「文化時評」の記事

2018/06/24

■カフェサロン「柳兼子をご存知ですか?」報告

民藝運動を起こした柳宗悦の伴侶で、声楽家としても有名な柳兼子をテーマにしたサロンは、16人が参加しました。
話題提供者は、我孫子在住の海津にいなさん。
海津さんは30年ほど前に千葉県の我孫子に転居してきましたが、かつてそこに住んでいた白樺派の人たちの活動に関心を深め、今はどうやらすっかり柳兼子さんにほれ込んでしまっているようです。
数年前から、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラを実現したいと考えています。
今回のサロンも、そうした思いも会って、改めて柳兼子の魅力を多くの人に知ってもらうきっかけになればということで開催しました。

柳夫妻は、我孫子には7年ほど住んでいましたが、柳夫妻の縁で、当時の我孫子には白樺派の文人たちが集まってきていました。
柳宗悦は民藝運動の創始者として有名ですが、柳宗悦を支えたのは伴侶の兼子であり、また宗悦の思想を実践していたのは兼子であると言われています。
兼子は、本場のドイツでも聴衆を驚愕させたようで、「声楽の神様」とさえ言われ、85歳まで公式のリサイタルをつづけていたそうです。
柳兼子は、まさに今の日本において、見直される人だと海津さんは考えていますが、たぶん今回のサロンに参加した人はそういう思いを持ったのではないかと思います。
NHK朝ドラにするとしたら、こういうのがいいという提案も参加者から2つも出ました。

白樺派と言えば、文芸活動というイメージを持っている人も多いと思いますが、その底にある理想主義や人道主義を踏まえた社会活動の側面はなかなか伝わっていません。
柳宗悦の民藝活動も、生活文化のなかに「用の美」を見出すというような美術活動の側面に焦点が当てられ、声楽と言えば、これまた芸術活動と考えてしまいますが、白樺派にしろ民藝運動にしろ、そして柳兼子の声楽活動にしろ、もっと広い社会性を持ったものだったようです。
今回のサロンでは、海津さんはそういう広がりを意識しながら、さまざまな「テーマ」を示唆してくれました。
途中で、柳兼子の80歳を超えた時の歌声も聴かせてくれました。
その声の力に驚きました。
ただし、私がとりわけ興味を持ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチとのつながりです。

海津さんのもう一つのメッセージは、戦争に向かって全体主義化が進んでいた当時の時代状況のなかでの兼子や白樺派の人たちの動きです。
私たちが、いまそこから学ぶことはたくさんあります。
これもサロンでは少し話し合いがありました。

沖縄在住のジャーナリストでもある緒方さんや日本韓国・朝鮮関係史研究会のメンバーの方も3人参加してくれました。
沖縄や朝鮮とのつながりも柳夫妻の活動の本質を示唆してくれています。
ほかにも参加者からも興味ある話が紹介されました。
今回は柳兼子の入り口だけでしたが、たくさんのテーマがちりばめられていたような気がします。
海津さんのフットワークのいい調査と自由な想像力に裏付けられたとても面白い発表でした。

これを契機にして、海津さんに「柳兼子研究会(仮称)〕の立ち上げと柳兼子我孫子ツアーを企画してもらおうと思います。
関心のある方はご連絡ください。
また当日配布された、海津さんのレジメ「手賀沼湖畔で大発展した白樺派と柳兼子」をご希望の方はご連絡ください。
海津さんの了解を得て送らせてもらいます。

ところで、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラの実現に力を貸して下さる方がいたらぜひよろしくお願いします。
面白いものになることは、間違いありません。

Kaneko


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2018/05/23

■文化の違いが生みだす不幸

最近つくづく「文化の違い」を感じます。
多様な文化は、豊かさを生み出すと考えている私にとっては、同時にそれが、「不幸」を生み出すことに気づかされるのは、いささかさびしいことです。

たとえば、今回の日大アメフト反則行為事件。
昨日の実行者宮川さんの記者会見を見ながら、みんな「被害者」かもしれないと思ったのです。
それまでは内田監督に強い拒否感を持っていましたが、その気持ちが逆に薄れました。
問題は、それぞれの「文化の違い」なのだと思ったのです。

たとえば、狛江市のセクハラ辞職。
たぶん市長には「セクハラ」という意識はなかったでしょう。
それが「セクハラ」だと言われそうですが、ハラスメントとは「文化の違い」から生まれるのかもしれません。
ある文化の「常識」が、別の文化では「悪事」になる。

こうしたことはいくらでも出せるでしょう。
文化の多様性は、ある意味では「生きづらさ」を生み出すのかもしれません。
つまり「自由」こそが「生きづらさ」の原因にもなりうるわけです。

今日の朝日新聞の「声」(投書欄)に、12歳の中学生の山口君が『あこがれた「自由」は苦しかった』と投稿しています。
彼は中学校の入学式で「この学校には拘束はありません」と言われてうれしかったそうです。
それまで通っていた小学校には、厳しい校則があったからです。
しかし、校則がない環境で生活していくうちに、「自由は苦しい」ということに気づいたそうです。
湯島のサロンでも、同じようなことの体験談が語られたことがあります。

ちなみに、山口君は、今の心境も書いてくれています。
「いまは、苦しいかもしれないけれど、これからこの自由の中で色々なことを学び、早く自由を心から楽しめるようになりたいです」

もしかしたら、日本の育児や教育の世界は、順序を間違えているのかもしれません。
そのために、自発的な自己規制や主体性が育つ前に、管理的な規則(指示)遵守姿勢が育ってしまうのかもしれません。
多様な感性を持っていると悩むことも多いですが、機械の部品になれば、悩むことはありません。
「生きる力」とは何でしょうか。

オルテガは「大衆」の時代への危惧を指摘しました。
ネグリは、「マルチチュード」(群衆)の可能性を指摘しました。
可能性があるのであれば、それを信頼するというのが私の信条です。

ちょっとした「文化の違い」を、増幅させるのではなく、その根底にある共通性から、私は学びたいと思います。
そういう意味では、昨今のマスコミの姿勢には大きな危機感があります。
まるで全体主義国家時代のような報道姿勢には違和感を持ちます。

「文化の違い」を活かし合う、豊かな社会を目指したいです。
宮川さんも、狛江市長も、とても大切なことを学んだことでしょう。
私もまた、彼らと同じように、そこから学びました。
彼らは、いずれも象徴的な存在として、大きなメッセージを発してくれていますので。
宮川さんにも内田さんにも、狛江市の市長にも、感謝しています。
私の言動も質さなければいけません。

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2018/02/03

■「鬼は外、福は内」の意味がやっとわかりました

ほとんど挽歌編と同じですが、私にはとても大きな発見でしたので、時評編にも書きました。

節分ですが、今年は豆まきをやめようかと思っていました。
大人だけだと、ちょっと気恥ずかしさがありますので。
それを見透かされたように、近くに住んでいる娘母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。

ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。
ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
外にいる社会から疎外されている人たちに豆や米を提供するので、住む場所もあって暮らしに困っていない人たちは、家に入って、提供された豆や米には手を出さないようにしてください、という呼びかけのわけです。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
私にとっては、とても大きな発見です。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。


伝統行事には、まだまだいろんな知恵が含まれているのでしょう。

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2017/10/15

■カフェサロン「今を生きる先住民族」報告

アイヌ民族との交流を重ねている写真家の井口康弘さんにお願いしたサロンには、アイヌ民族の島田あけみさん(チャシ アン カラの会代表)も参加していただき、13人のサロンになりました。

井口さんは、2013年に行われた、ニュージーランドのマオリ民族とアイヌ民族との草の根交流活動の映像をまず紹介してくれました。
ニュージーランドでは1970年代からマオリ民族の文化復興と権利回復が進んでいます。
そして、マオリの文化がニュージーランド社会や経済に大きな貢献をしているそうです。
その一方で、日本でアイヌ民族が先住民族として認められたのは2008年。
アイヌがアイヌとして生きる社会にはまだなっていないようです。
それを知った、マオリの人たちがこの交流活動を呼びかけてくれたのです。
それ以前から、島田さんはマオリと交流がありました。

2013年、マオリの呼びかけで、若者を中心に15人のアイヌが1か月にわたりニュージーランドを訪れ、マオリの歴史・文化・教育制度などを学びました。
そのときに、マオリの人たちから、「40年前にはマオリは一つになれなかったが、いまは団結して立ち上がれるようになった。きっとアイヌもそうなれる。私たちが持っている経験・知識はすべて皆さんと分かち合いたい」と言われたそうです。
その時の映像を井口さんは見せてくれたのです。

映像からは、マオリの人たちの生き生きした表情と豊かさ、そして誇りが伝わってきます。
参加したアイヌの若者たちが、大きなエネルギーをもらったことがよくわかります。
マオリとの出会いが、変化の芽を育てはじめ、帰国後、研修参加者によって、マオリの取り組みをモデルにした新しいプロジェクトが立ち上がりました。

島田さんは、45歳からアイヌになったと言います。
アイヌとして誇りを持って生きはじめたということでしょうが、そのきっかけの一つが、マオリとの交流のようです。
井口さんの映像のおかげで、そうした島田さんの言葉が素直に理解できました。

Ainusalon

後半の話し合いではいろんな話が出ましたが、きちんとした話し合いをするには、私はあまりにアイヌを知らないことに気づきました。
学生の頃からアイヌには関心があり、それなりにアイヌ関係の本は読んでいますし、知里幸恵さんがまとめたユーカラから選んだというアイヌ神謡集も読んではいるのですが、それらはまったくの知識でしかありません。
訊きたいことは山のようにあるのですが、どう訊いていいかさえわからないことに気づかされました。
それに私の中で浮かんできた質問などは、もしかしたら瑣末な話かもしれないという気がしてしまいました。
マオリとアイヌの交流の映像が、あまりに大きなメッセージを与えてくれたからかもしれません。
そこに出てきたマオリやアイヌの人たちの表情は、あまりに明るく、豊かでした。

いずれにしろ、私たちが知っているアイヌ像は、かなり現実とは違うようです。
たぶん多くの人は、アイヌの人たちの写真を見たことがあるでしょう。
それはもしかしたら、創られた映像だったかもしれません。
それに関しては、西坂さんが具体的な材料を示しながら話してくれました。

島田さんに言わせれば、アイヌに対する差別意識はまだ残っているようです。
日頃アイヌとの接点のない私は、具体的に差別をイメージすることさえできません。
しかし、まだ生きづらさはなくなっていないようです。
そうした状況を変えていくためには、子どもたち若い世代に、アイヌの誇りを取り戻すことが大切だと島田さんは言います。
マオリの人たちとの交流がそれを育ててくれると島田さんは考えています。
アイヌを生きることの楽しさや喜びを体験することが大切だと言うのです。
とても共感できます。
ですから、マオリから勇気と希望を受け継ぐために、第2回交流プログラムを開催したいと、今その準備に取り組んでいます。
資金的な支援を現在クラウドファンディングで呼びかけています。
ぜひみなさんも協力してくれませんか。
https://readyfor.jp/projects/ainu-maori
アイヌ文化の復興を目指していくことが、日本がもっと多様で、調和のある、平等な社会になることにつながっていくと島田さんたちは考えているのです。
問題はアイヌだけではなく、私にもつながっている「みんなのプロジェクト」なのです。

小田原からわざわざ参加してくれた露木さんは、最近の中国の少数民族同化政策につなげて、話をしてくれました。
日本も同じようなことをやっていたら、中国に対抗できないのではないかと言うことです。
世界各地で少数民族の問題が広がっていますが、日本の国内にも同じ問題があることに私たちは気づかなければいけません。

同時に、これはまた、少数民族問題だけではなく、障害者やハンセン病、さらには福島の被災者などにもつながる話です。
つまり、私たちの社会のあり方に関わっているのです。
今回のサロンで、アイヌ問題から見えてくることの大きさと深さを改めて感じました。
今回も自分の無知さを改めて思い知らされるサロンでした。

井口さんは、このサロンの打ち合わせをしていた時に、「後から住みだした人々(和人)が何を奪ってきたのか、という点は明らかにしておきたい」と言っていました。
それは実は、私たちの生き方から失われていること、あるいは最近の社会の生きづらさにもつながっていることに気づかされました。
それに関してひとつだけ紹介します。
島田さんは、死者の送り方について、お金のかかる和人の葬式と死者と共にあるアイヌの人たちの送り方を少しだけ話してくれました。
とても共感しました。
そこにもしかしたら、すべてが象徴されているのかもしれないと思いました。

東京オリンピックの開会式で検討されているというアイヌのパフォーマンスも話題になりました。
魂の入らない商業主義的なものにならなければいいのですが。

島田あけみさんが身心から発する「深い思い」、「生命の躍動」の刺激があまりに大きかったので、今回もまた消化不足で、うまくまとめられず、不十分の報告ですみません。

井口さんが紹介してくれた映像をもっと多くの人に見てもらいたい。
アイヌの文化にもっと多くの人に触れてもらいたいと思いました。
なお、10月21日、島田さんが代表を務めるチャシ アン カラの会の主催で、横浜のスペース・オルタで、「アイヌ感謝祭」が開催されます。
チラシを添付します。

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2017/09/18

■カフェサロン「となりのムスリムにイスラムのことを聞いてみよう」の報告

台風が心配されるなか開催された第1回イスラムサロンは16人のサロンになりました。
テーマの関係かもしれませんが、初参加の方も数名いました。
話し手のムスリムのオプさんの家族(パートナーと小学5年の息子さん)も参加してくれました。
息子さんも、父親からきちんとイスラムの話を聞く機会は多くないようで、自分から聞きたいと言って参加してくれたのだそうです。

まずオプさんは簡単な自己紹介をしてくれました。
最初の来日は、山口県でボランティア活動をした時だったこと。
帰国後、自国のバングラディシュで日本から来ていた美希さんと出会って結婚し、日本に移住したこと。
日本はとても住みやすいけれど、日本の人たちにもっとイスラムのことを知ってほしいと思っていること。
イスラムの信仰は深いけれど、1日5回の礼拝などの戒律に関しては、その精神を大切にして、必ずしも形には縛られていないこと。
いまは日本の企業で働いているが、バングラディシュと日本をつなぐ活動がしたいこと。
イスラムのこともバングラディシュのことも、もっと多くの日本人に知ってほしいと思っていること。

それに続いて、オプさんは参加者に、イスラムのイメージや知りたいことなどを問いかけました。
いろんな視点からの関心事や質問がありました。
オプさんはイスラムにネガティブイメージを持っている人が多いのではないかと思っていたようですが、むしろイスラムに好感を持っている人が多かったのが意外だったようです。

オプさんはみんなの質問に答えるような形で、話をしてくれました。
イスラムの教えでは、ハラールとハラームということがよく言われます。
「許されていること」と「禁じられていること」で、たとえば、豚肉とアルコール類は禁じられています。
オプさんは、それにはきちんと理由があってそうなったのだといいます。
でも今はその理由がもうなくなったものもあるはずで、オプさんとしては時代に合わせて、自分で判断しているそうです。
礼拝で唱える言葉の意味は必ずしも意味明快ではないそうですが、繰り返し唱えることの効用もあるという話は、日本の仏教のお経を思い出しました。

ひとわたり話してくれた後で、オプさんはイスラムの生活を支えている大事なことが5つあると説明してくれました。
「アッラーへの信仰告白」「1日5回の祈り」「チャリティ」「断食」そして「巡礼」です。
「アッラーへの信仰」をしっかりと持っていることは絶対的なものですが、祈りやチャリティや巡礼は、その精神をしっかりと持っていればいいというのがオプさんの考えです。
困っている人がいたら、むしろ巡礼費用をチャリティに使うことで巡礼に行ったと同じと認められるというような話もコーランにあるそうです。
オプさんは、ムスリムと言っても、そうした戒律を厳格に守っている人もいれば、柔軟に捉えている人もいると言います。

断食に関しても、食を断つことが目的ではなく、我欲を自制し、自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知るところに意味があると言います。
それに夜になれば、みんなで一緒に食べるという喜びもセットになっていることを知ってほしいいと話してくれました。

複数の妻帯が認められているのかという質問もありましたが、オプさんはそれは貧しい時代にみんなで助け合うというチャリティの意味もあったと説明してくれました。
そういうように、厳しく感じられる戒律にも、みんなが支え合って生きていくための知恵が、その基本にあるわけです。
しかしそうした「生きていくための知恵」として生まれた戒律が、誰かによって悪用されている現実があることに関してもオプさんは残念だと思っているようです。

ジハード(聖戦)についても大きな誤解があるようです。
最近のIS関係の報道を通して、好戦的なイメージが広がっていますが、ジハードとは、本来「神の道のために努力する」ということで、むしろ自分に克つという意味合いが強いと言います。
聖戦と言っても、それはムスリムの共同体の防衛のためであって、攻撃を正当化することはないし、コーランでは殺人は厳しく禁じられているそうです。

他にもいろんな話がありましたが、私の記憶に残っていることを少し紹介させてもらいました。
オプさんは、イスラムと言ってもいろいろあるので、画一的に考えないでほしいとも話されました。
たしかにムスリムの女性たちの服装も国によって違います。
オプさんと美希さんの結婚式の写真を見せてもらいましたが、女性たちはみんな実にカラフルで、スカーフなどで顔を覆ってもいませんでした。

サロンでの話を聞いていて、私が感じたのは、ムスリムの戒律には富の再半分機能と社会秩序の維持機能が見事に埋め込まれているということです。
そこから学ぶことはたくさんありそうだということです。
でもまだ1回だけのサロンですから、そんな気がしただけというべきかもしれません。

オプさんは、イスラムの本当の実態がなかなか伝わっていないことを残念に思っています。
ですから、日本の人たちにももっとイスラムのことを話したいと考えています。
日本人がイスラムのことをどう思っているかについても知りたいでしょう。
一方、日本人は、イスラムのことも知りたくてもなかなか話を聞く機会がありません。
今回のサロンは、双方にとって理解し合う契機になりました。
イスラムサロンは継続して開催していきますので、まわりにムスリムがいたらぜひ話に来てもらってください。
私に連絡してもらえれば、場をセットします。
できれば、定期的なムスリムとの交流の場が生まれればと思っています。

ちなみに、オプさんの息子のサミーくんも初めてお父さんからイスラムのことをきいて、イメージがちょっと変わったそうです。
それにとても面白かったので、また参加したいと言ってくれました。
サミーくんのためにも、このサロンはつづけようと思います。

とても気づかされることの多い、また何かが生まれそうな予感のするサロンでした。
オプさん家族と参加されたみなさんに、感謝しています。

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2014/06/27

■言葉には敏感でありたい

私たちの思考は、基本的に「言葉」で行われます。
ある意味では、「言葉の世界」に私たちは生きています。
ある新しい言葉との出会いが世界を広げることもあれば、言葉に対する固定観念が邪魔をして現実が見えなくなってしまうこともあります。
しかし、にもかかわらず、私たちは「言葉」にあまり敏感ではないような気がします。

先日、医療に関する話をしていて、相手が「介護予防」という言葉を使いました。
とても抵抗がありました。
「介護の予防?」と思ったのです。
それで思わず、「介護予防」ってなんですか、おかしな言葉ですね、と言ってしまいました。
ところが、その数日後、介護関係の資料を読んでいて、「介護予防」という文字が出ていた二に、何の違和感も持たずに、読み過ごしている自分に気づきました。
さらにその数日後、私自身が「介護予防」という言葉を使っているのに気づきました。
私も、以前から「介護予防」という言葉を受けいれていたわけです。
しかし、考えてみるとおかしな言葉です。
予防介護ならわかりますが、介護を予防するとはどういうことでしょうか。

言葉で失敗したことがあります。
地域包括支援センターの新しい役割をテーマにした委員会の委員にさせてもらったことがあります。
その初顔合わせの時に、事務局の人が「介入」という言葉を使ったのです。
福祉の世界で「介入?」、あまりに権力的で福祉の思想に合わないのではないかと、そう思ってその言葉にかみついてしまいました。
事務局の人やほかの委員は、私が何を言っているのか、理解できなかったでしょう。
私の主張を聞いて、ある大学の教授が、インターベンションの訳語でよく使われるでしょうと私をなだめてくれました。
そういえば、自殺防止の活動を話し合っている時に、事後介入とか事前介入とか、「介入」という言葉を私自身使っていたことを思い出しました。
投身自殺をとめるために「介入」という言葉が違和感なく私の頭に入っていたのです。
いささか気色ばんでしまった自分が恥ずかしくなりました。
事務局には悪いことをしたと反省しました。
そのせいかどうかはわかりませんが、その委員会は2度と声をかけてもらえませんでした。

しかし、やはり「介護予防」にしても「介入」にしても、考えてみるとやはりおかしいような気がします。
私たちはもっと「言葉」(表現)に敏感でなければいけないのではないか。

都議会議員のヤジや政治家の暴言が問題になっていますが、決して他人事ではありません。
私ももっと言葉に敏感でありたいと改めて思っています。
このブログも、かなり粗雑な言葉づかいをしていることも反省しなければいけません。

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2014/01/23

■ケネディ駐日大使にも「小さな村の国際紛争」を見てほしいです

昨日、私のブログのある記事へのアクセスが急増しました。
「なんと罪深いことをしてしまったことか」という2年前の記事です。
なぜかわからなかったのですが、今朝、理由がわかりました。
アメリカのケネディ駐日大使が日本の太地町のイルカの追い込み漁に対して、「なんと罪深いことか」とツイートしたことの影響でした。
私の記事は、福島の原発事故に関連したものですので、内容的には全く関係がないのですが、今日は太地町のイルカ漁の話を書こうと思います。

太地町のイルカ漁が問題になったのは、今回が初めてではありません。
2009年にも大きな問題になりました。
ご覧になった方もいると思いますが、反捕鯨活動をしているシーシェパードが「ザ・コーヴ」という大地町非難の映画を制作し、ネットやDVDで広げたのです。
「ザ・コーヴ」の映画は、実に悲しい事件を起こします。
太地町とオーストラリアのブルーム市の間に波風を立ててしまったのです。

大地町は、日本捕鯨の発祥の地と言われています。
オーストラリアのブルーム市は、日本の捕鯨によって育った都市でした。
いまも日系の住民が少なくありません。
そして、太地町とブルーム市は姉妹都市でした。

この映画が契機になって、ブルーム市と太地町の姉妹都市関係は中断され、それまで続いていた子どもたちの相互ホームステイもうまくいかなくなりました。
そればかりでなく、なんとブルーム市の日本人のお墓が破壊され、墓石が廃棄されるという事件が起こったのです。
さすがに、そうした行為には批判が起こり、日系のブルーム市民たちが動き出したのです。

その騒動をNHKが「小さな村の国際紛争」という記録番組にまとめました。
オーストラリアで環境問題に取り組んでいた知人からその番組を教えてもらい、DVDに残していたので、今朝、改めてそれを観ました。
とてもいい記録番組です。
NHKのアーカイブスで観られると思います。
ぜひ多くの人に観てほしいです。
今回もNHKが再放送してくれるといいのです。

ちなみに、その番組によれば、ブルーム市と太地町の関係は回復し、住民たちの交流が再開されています。
ブルーム市のキャンベル市長が太地中学校に来て、子どもたちに話します。

みなさんの心を傷つけたことを謝りたい。
太地町とブルーム市が歴史的文化的に深いつながりの中にあるということを忘れないでほしい。
ケネディ駐日大使にはぜひ太地町を訪ねてほしいと思います。
「罪深いこと」とは何なのか。
私たちは、まず自らの「罪深さ」に気づく賢さを身に付けたいものです。
キャンベル市長のスピーチには、未来を感じます。

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2012/11/05

■「まちづくり編集会議」が出版されました

茨城県の小美玉市にある文化センター「みの~れ」は、私が知る限り、日本で一番と言っていいほど、地域にしっかり根づいている文化センターです。
企画・建設段階からささやかに関わらせてもらっていますので、いささか「ひいき目」かもしれませんが、いつ行っても住民たちで賑わっています。
「住民主役・行政支援」で進められた文化センターづくりのプロセスが面白く、それを住民たちに呼びかけて、みんなで本にしました。
「文化がみの~れ物語」(茨城新聞社)です。
その「みの~れ」もオープンして10年です。
先週末からこれまたにぎやかに10歳記念事業が、住民たちの手によって開催されています。

記念事業の一環として、また住民たちが本を出版したいと言っているので手伝ってくれないかと、「みの~れ」の館長がやってきたのは1年以上前です、
10年前の苦労を思い出すと、あまり気が乗らなかったのですが、予算はいくらですかと質問したら、予算はないというのです。
その言葉で引き受けることにしました。
予算がないということは、資金集めから住民たちが汗をかかないといけないということです。
予算を消化するような仕事は、私には興味がありません。
だれか一人でもいいのですが、本気でやろうとする人がいないと、面白くなりません。
面白くないことは、余命少ない私としてはやる価値はありません。

そして、11月3日。まさに「もの~れ」10歳の誕生日に本が出版されました。
「まちづくり編集会議 住民主導の文化センターにつどう人たちの物語」です。
本の紹介はホームページ(CWSコモンズ)に書きました。この本にはたくさんの住民たちが登場しますが、文化センターの効用がよくわかるとともに、まちづくりとは何かもわかってもらえると思います。

Book_2

早速、それを手にした住民の一人からメールが届きました。
本にも登場している人です。
その人とはもう15年ほどお会いしていません。

さてこの本をみんなで売らなければいけません。
1800円とちょっと高いのですが、たくさん売れれば利益が出るかもしれません。
湯島のオフィスにも在庫するようにしますので、ご関心のある方は遊び方々買いに来てください。
私の淹れた珈琲もサービスします。
「みの~れ」でももちろん販売していますし、ネットでも購入できます。

しかし、それよりも、もし機会があったら、小美玉市の「みの~れ」に行ってみてください。
とても魅力的な文化センターです。
お茶室まであるのですよ。

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2011/11/14

■うつし世の静寂に』の上映会のご案内

今日は、ささらプロダクションの小倉さんたちが制作した『うつし世の静寂に』の上映会のご案内です。
この映画は、大都会のすぐ隣にまだ残っている「講」を切り口にして、自然と共に生きてきた私たちの文化の意味を考えさせてくれる作品です。
http://www.sasala-pro.com/film/u_detail.html
■11月17日(木)16時半から
会場:明治大学和泉校舎 第1校舎2F 208教室
会費:無料
■11月19日(土)13時から
会場:川崎市生涯学習プラザ 301(川崎市中原区今井南町514-1)
会 費:無料
問い合わせ:044-733-5590 (フェスタ実行委員会事務局)
■11月22日(火)18時から
会場:JAセレサ菅生支店 3階 (川崎市宮前区菅生1-2-22)
会費:500円
*東日本大震災復興支援映画会です。

ちなみに、この映画の感想を昨年、ブログに少し書きました
年明けに、新しい講(結い)をテーマにしたサロンを考えていますが、なかなか参加者が出てきません。
関心のある方はご連絡ください。

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2011/06/06

■東北文化の復権

東日本大震災は、社会の流れを変えるかもしれないほどのさまざまな動きを生み出しています。
それは、東北の被災地だけの話ではないかもしれませんが、現地での体験談などを聞かせてもらうと、これまでとは発想を変えた動きの萌芽を感じます。

いま、悪性の親知ら歯の抜歯で、入院7日目です。
その病院のラウンジに、佐治芳彦さんの「謎の東日流外三郡誌」の本がありました。
私が読んだのは、もう30年ほど前の本ですが、懐かしくて読み直してみました。
読んでいるうちに、これは偶然ではなく、大震災後の希望を私に教えてくれたのではないかという気がしてきました。

「東日流外三郡誌(つるがそとさんぐんし)」は、東北で保存されていた古史古伝の一書です。
そこには、古事記や日本書紀とは違う日本の歴史が書かれていますが、日本には日向族と荒吐族の2つの社会があったというのです。
日向族は大陸からの征服民族、荒吐族は日本列島に土着していた民族です。
そして、荒吐族は東北に民主的な古代社会連邦を打ち立てていたというのです。
佐治さんの本には、その社会がこう紹介されています。

「一族の長を荒吐5王と称し、火司土司金司水司木司の5役を称して5役とす。
5王たる者は一族を護るための導者にして、倭国の天皇たるごとき君主に非ず。
5王は自ら導者として労し智覚を学び、常に一族の異変ありし時は自ら赴き是を鎮ましむ大責任の主なり。
5王は一族の長老が談義して定む。
亦長老は一族の中より一族諸居住地より選抜され、智の優れたる者を長老とし、その条は老若男女を問わず過去現在未来を智覚し一族隣栄のため諸義し相謀り決否して5王への司政をたすく者を長老とし、その数若干なり」 (荒吐神之瑞章第二)
その社会では、相互扶助の仕組みがしっかりと構築されていたばかりか、その精神が「民」だけではなく、指導者にも徹底していた、といいます。
そのため荒吐族には日向族のような甚だしい貧富の差は生じなかった、と佐治さんは書いています。
また凶作の年には、「荒吐5王は互いに救ひ合うて凶地の民を安住の地に移らしむ」という方法を講じたりできるように、5王間には災害時の相互扶助協定もできていたそうです。

そのうえ「一食一汁たりとも吾が己有の物なく5王の民共有の物なり」。毎日の食糧も自分のもの=私有ではなく,5王の民の共同財産だという徹底した考えだったといいます。
ローマとは違ったゲルマンの総有制を思い出します。
猛々しい日本武尊が後半、愛の人になったのは、東日流との出会いだったのではないかと佐治さんは書いています。

日本史を貫く2つの基本的原理、「縄文的なもの」と「弥生的なもの」は、ともするとイメージが逆転していると私は思っていますが、東北には古来、豊かな人の支え合う文化があったのです。

辺見庸さんは、これほどの規模の震災を経験して、日常に戻るとしたら意味がない、と言っていました。
同感です。それは、あまりに哀しい。
新しい社会原理の方向性が、荒吐の東日流にあるように思いました。

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