カテゴリー「文化時評」の記事

2024/02/21

■「詩の変革力を心から信じています」

先日、「タリバンが今、世界で一番知的な人たち」というタイトルの投稿をさせてもらいました。それを読んだ友人が、「タリバンについてのご意見を拝見したので、参考に送ります」という添え書きをつけて、わざわざ本を送ってきてくださいました。
この友人は、私が時に道を踏み外しそうだと感ずると、言葉ではなく、本などで私に注意喚起してきてくれるのです。私が、いつも気ままに生きていけるのは、こういう守護神たちに支えられているからなのです。

届いた本は、「詩の檻はない」(デザインエッグ株式会社)です。
昨年1月に、アフガニスタンのタリバン政権が詩を制限する命令を出したことに対して、アフガニスタンの詩人ソマイア・ラミシュさんがSNSで、抗議の詩を書こうと世界中に呼び掛けたのです。2か月ほどで100人を超す詩人たちから詩が届いたそうです。日本人も30人以上いたそうですが、今回、私にこの本を送ってくれた人もその一人です。
そうして集まったなかから50ほどの作品を集めて出版されたのが本書です。
私に本書を送ってきてくれた友人は、「民主主義の死」を書いている岡和田晃さんです。
https://webafghan.jp/siten077/

本書の序文で、ラミシュさんは、「本書はアフガニスタン陥落2周年の日に出版されます。この本の出版は、詩とあらゆる形態の芸術を禁止したテロ運動であるタリバンにアフガニスタンが引き渡された恥辱に対する断固たる抗議です。彼らは少女たちから教育を受ける権利を剥奪し、女性を家の中に閉じ込めたのです」と書いています。
友人が、私の投稿に違和感を持ったことにもつながっているでしょう。

私も、自分の投稿記事も読みなおしてみました。
たしかに、私がタリバンを肯定的に評価しているように読み取れますね。私にはそんな意図はなく、どんな評価も固定させずに、常に吟味しなおす姿勢が必要だといいたかったのですが、友人を心配させてしまったようです。

昨日、湯島でオープンサロンだったのですが、そこでも私の発言が他者を傷つけていると叱られました。思ったことを気楽に話してしまう愚鈍さからは、なかなか抜け出せません。さらに別の人は、この本を読んで佐藤さんの言っていることが少しわかった。この本の方がわかりやすい、と本を貸してくれました。私の話はやはり伝わりにくいようです。投稿記事へのコメントを読んでいて、それはいつも感じてはいるのですが。
もう少しコミュニケーション能力を高めないといけません。
そういえば、なぜか昨日は、この本が面白いと言って、コミュニケーション関係の本まで貸してくれた人もいます。私にはそう言ってきた人のほうが、私よりもコミュニカビリティは弱いと自負していましたが、私の言語力や表現力は、それほどダメなようです。困ったものです。

ところで、私も高校生の頃、詩人になりたいと思っていたことがあります。詩も書いていましたが、20代後半からは、詩は書かずに、詩を生きようと決めました。
こんなことを書いたら、また岡和田さんに冷やかされそうですが、その思いは今も続けているのです。
それを思い出しながら、久しぶりにいくつかの詩を読ませてもらいました。

序文で、ラミシュさんは「詩の変革力を心から信じています」と書いていますが、同感です。
明日から毎朝、この詩集の詩をひとつずつ読んでみようと思います。
きっと何かが変わるでしょう。

 

 

 

| | コメント (0)

2019/08/21

■パンのためのバラ

あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の中止が波紋を呼んでいます。
しかし残念ながら、またうやむやのうちに終息し、事態は一歩進むような気がします。
もちろん私にとっての悪い方向での前進ですが。

あいちの問題に関してはすでに多くの議論がありますので、議論は繰り返しませんが、芸術監督の津田さんは、「社会の自己検閲」への問題提起を目指したと言っています。
その考えには大賛成ですが、方法には大きな違和感があります。
もしそうであれば、社会の現場に降りてきて、その問題をこそ、考える動きを創り出すことをなぜ目指さないのか、です。

同じような事件や問題はさまざまなところでこれまで繰り返し起こっていますが、そうしたことをつないでいく地道な活動はあまり広がっていません。
そこに大きな問題を感じます。
そして、そうした背景には、現代のアートがあまりにも、「道具」的な存在になってしまった現実を感じます。

そんなこともあって、先週、プレハーノフの「芸術と社会生活」を読み直しました。
プレハーノフは、「芸術と社会生活については、「芸術は人類意識の発達、社会制度の改善をたすけるものでなくてはならない」と「芸術はそれ自身が目的である」という、2つの全く反対の考えがある」と書きだしています。
他の目的を達する手段に芸術をしてしまうことは、芸術的作品の価値を低下せしめるものである、という考えもありますが、そもそも「価値」というのは、社会があればこそ生ずる概念です。
芸術の持つ社会への影響力は極めて大きいことは間違いありません。

社会が豊かになってきた大きな要因の一つは「芸術」でした。
「人はパンだけでは生きていけない。バラも必要なのだ」。
これはウィリアム・モリスの考えを国分功一郎さんが表現し直した言葉ですが、パンだけを目指す生き方に向かっている私たちが思い出すべき言葉だと思っています。
ところがいまでは、バラもまたパンのためのものになりつつある。

最近のアートは経済主義に向けて大きく変質したと思っています。
あるいは、政治(正確には金銭経済の下部組織としての政治)の道具に取り込まれつつあります。
そこに大きな失望を感じます。

アートには大きな力がありますが、それは誰かに私用されるべきではありません。
あるいは、金銭経済の道具にされるべきでもありません。

私がとても素晴らしいと思っている事例は、ラマラ・コンサートです。
前に私のホームページで何回か紹介したことがあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2006/09/post_5897.html
アートでできることはたくさんあるでしょう。

この自由が失われそうな時代に、なぜアーティストの人たちが大きな動きを創り出さないのか。
アーティストの世界には、山本太郎さんのように、人民の中に飛び込んでくる人はいないのでしょうか。
才能のある人が、その才能をどこに向けて発揮するかは、とても大切なことだろうと思いながらも、才能がない私としては悔しいばかりです。

 

| | コメント (0)

2019/02/03

■日馬富士が断髪しながら貴ノ岩に語りかけていたのを見て幸せになりました

昨日、貴ノ岩の断髪式が行われましたが、その様子をテレビでみました。
今朝の新聞にも出ていましたが、日馬富士が断髪しながら貴ノ岩に語りかけていたのが、印象的でした。
その様子を見て、この問題でずっと気になっていたことがスーッと消えていくような気がしました。
日馬富士と貴ノ岩の人間関係が壊れるはずがないと思っていたのです。
2人とも私は面識もありませんが、とてもうれしい映像でした。

この事件が起きた時に、私が思ったのは「文化の違い」でした。
昨年は、スポーツ界の不祥事がたくさん報じられましたが、すべては「文化の違い」が大きく影響しているように思います。
それが、周辺の人たちによって、違いの修復ではなく違いの増幅が進められ問題化されてしまう。
そして誰もが気持ち良い解決に向かわずに、問題も何一つ解決しない。 そういう気持ちが強まっていたのです。
そうした「文化の違い」に対して、大きな歴史の流れは「寛容」になってきているとばかり思っていたのですが、最近の動きを見ると、むしろ逆に「寛容さ」を失ってきているように思います。
そして、その違いも、どんどん「表層」の違いに目が行き出している。
「文化の違い」の根底にある、人間性にはなかなか目が向かない。
そこに目が向けば、違いはほとんどが克服されると私は思っています。
そして、「文化の違い」を活かしあう形で、人間性を豊かにしていくはずです。

私は湯島で毎週のようにサロンをやっていますが、それは「寛容さ」を育てるために、異質な世界と触れ合う場を広げようという思いがあるからです。
前に、ある平和の集会でも話させてもらいましたが、それが私の「平和活動」なのです。
さまざまな立場や考えに触れることによって、私自身はかなり世界を広げ、その結果として、私が共感できなかったり理解できなかったりしていることにも、かなり許容できるようになってきていると思っています。
時々、ストレスを強く感じることはありますが。

貴ノ岩の断髪式の話に戻ります。
非常に象徴的だったのは、日馬富士と貴ノ岩の笑顔と貴乃花の断髪式欠席です。
そこに私は、「文化の違い」と「人間性」を改めて感じたのです。

そもそも日馬富士と貴ノ岩の「事件」は、モンゴル出身の日本力士の世界の「文化」と、貴乃花の世界の「文化」の「ずれ」の話だと思っていました。
問題が「事件化」する前に、2人は仲直りしていました。
同じ文化のなかでの解決がすべて良い訳ではないでしょうが、文化はそうした苦い体験も重ねながら豊かになっていく。
貴ノ岩の頭のけががテレビで映し出されましたので、驚いた人もいたかもしれませんが、私の経験から言って、大したけがではないと思いましたし、日馬富士に「悪意」などあろうはずがないとも思っていました。
それに関しては、当時もブログで書きました。

私が一番気になっていたのは、二重の意味で異郷の文化の中でお互いに頑張ってきた日馬富士と貴ノ岩の関係でした。
ですから今回の映像は、とてもうれしいものでした。

「暴力」があまりに悪役になっています。 「暴力」の捉え方は、「文化」によって大きく違います。
「暴力」そのものがもし悪いのであれば、「暴力」を「制度的に独占」している国家は、悪の権化になってしまいます。

「暴力」とは何かということも大切な問題です。
最近も、小学生の子供が父親の「暴力」で命を落としてしまいましたが、彼女の悲痛な訴えを聞きながら、あろうことかそのことを父親に教えてしまった教育委員会の職員の行為は、私には父親以上に悪質な「暴力」だと思います。
もちろん個人攻撃をしたいわけではなく、彼もまた大きな暴力の装置になかに投げ込まれていたと言ってもいい。
うすうす事情を知っていた周辺の人たちの行為も私には「暴力」に感じられます。
もっと言い換えれば、子どもたちの世界を取り囲んでいる、多くの暴力装置(例えば学校制度)も気になります。

ヨハン・ガルトゥングは「構造的暴力」という言葉も使いながら、暴力を捉えていますが、私も「構造的暴力」こそが問題だと思っています。
ただ、直接的な暴力を認めているわけではありません。
私も心情的にはガンジーの非暴力・不服従の思想に共感しますし、いささか極端とはいえ、アーミッシュの生活にもあこがれがあります。
あそこまで、人を強くする宗教には、違う意味での「暴力性」も感じない訳ではありませんが。

ただその一方で、自らの中にある「暴力性」も否定できずにいます。
したがって、「暴力絶対否定論者」には違和感があります。
「いずれにしろ暴力は許せない」という言葉から始まる、事件の解説者には全く共感できません。
その一言にも、私は「暴力性」と「観察者目線」を感ずるからです。
それに暴力は絶対許せないと言えるほど、私には自信がありません。

話がまとまらなくなってきましたが、ともかく昨日の日馬富士と貴ノ岩のツーショットは、私にはとてもうれしいシーンでした。
そのシーンを見たおかげで、長引いていた風邪が昨日で治りました。
それだけを書きたかったのですが、話が広がってしまいました。

ちなみに、最近のテレビのニュースは、見ていてどんどん気が萎えていく話が多すぎます。
そんなニュースはやめて、もっと元気が出る話題や事件を流してほしいです。
テレビ界の人たちは、みんなきっと「不幸な人生」を歩んでいるのでしょが、ちょっと視点を変えると、世の中には、「いい話」もたくさんありますよ。
暗い話ばかり追いかけていると、病気になりますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/30

■前の記事の補足です

岡和田晃さんの「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」(寿郎社)を先週読み終えました。
久し振りに読書で苦闘しました。
苦闘したのは、なにしろこの本でとりあげられている作品のほとんどを私が読んでいないからです。
しかし、苦闘した甲斐は十分にありました。
本書は、「批評の無力が叫ばれて久しい。だが、本当にそうであろうか? 否、と大声で言いたい」というメッセージから始まりますが、批評や評論のパワーを見直しました。
岡和田さんのメッセージも、十分ではないと思いますが、それなりに受けとめられました。

衝撃的なことも知りました。
私が「アイヌ民族問題」に関心を持ったきっかけは、新谷行さんの「アイヌ民族抵抗史」(1972年)でした。
実は昨年も、この本を書庫から探し出してきて、読み直したところなのですが、本書によれば、新谷さんは、志半ばに斃れ、葬儀費用もなく密葬されたそうで、今では新谷さんの遺族とさえ連絡がとれなくなっているそうです。

本当は、この本の紹介をすべきなのですが、残念ながら、私には紹介する能力が欠けています。
そこで、この本を読むきっかけになった、岡和田さんの3年前の書籍を紹介させてもらうことにしました。
それは、「アイヌ民族否定論に抗する」(河出書房新社)です。
岡和田さんの評論のパワーを感じた本です。
この本は読みやすいですし、しかも面白い。
多くの人に読んでほしい本です。
アイヌの問題が、私たちの生き方や社会のあり方のおかしさを気づかせてくれる、そんな本です。
多くの人たちに読んでほしくて、私のホームページやブログなどで紹介させてもらうことにしました。
読んでもらえるとうれしいです。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#180930
それでフェイスブックでも紹介させてもらうことにしました。

肝心の「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」ですが、まだ十分に消化できずにますが、批評精神の大切さや、そうした活動にしっかりと取り組んでいる人がたくさんいることを知りました。
文芸評論のイメージも変わりました。
この本も、また紹介させてもらおうと思っています。

岡和田さんに湯島でサロンをしてほしいと思っていましたが、よほどの覚悟がないとお願いできないなとちょっと気が弱くなっています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「アイヌ民族否定論に抗する」をお薦めします

「アイヌ民族否定論に抗する」(岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編 河出書房新社)を読みました。2015年、つまり3年前に出版された本です。
いまさら紹介するのはどうかとも思いましたが、昨今の社会状況からして、その内容はますます価値を持ってきていると思い、紹介させてもらうことにしました。
著者は文芸評論家の岡和田晃さん。
私は一度しか会っていませんが、なぜか岡和田さんがその後、送ってきてくれたのが本書です。
しばらく置いていたのですが、読みだしたら、中途半端な姿勢では読めない本だとわかりました。
編著者の岡和田さんの思いも、強く伝わってきました。
読み終えたのはかなり前ですが、今回また要所要所を読み直しました。
改めて、「読まれるべき本」だと思いました。

書名通り、「アイヌ民族否定論に抗する」というのが、本書の内容ですが、編集のコンセプトは、「アイヌ民族否定論へのカウンター言説の提示をベースにしつつ、現在、第一線で活躍している作家と研究者たちが、自分たちの専門分野/関心領域に引きつける形でアイヌについて語ることで、現代を読み解いていこう」というものです。
ていねいに書かれているので、アイヌについてあまり知識のない人にも読みやすい内容になっています。
同時に、アイヌにまつわるヘイトスピーチの現状やアイヌの置かれている状況を、広い展望のなかで、概観できるようにもなっています。

最初に、編者(岡和田晃 vsマーク・ウィンチェスター)の対談が置かれていますが、そこで本書の全体像と方向性としての軸が示されています。
つづいて23人の人が、それぞれの関心領域から、自由な議論を展開しています。
そのおかげで、「アイヌ問題」が、非常に立体的に、あるいは私(読者)の生活とのつながりも感じられるほど具体的に見えてくると同時に、私たちの社会が抱えている問題や先行きの懸案課題が可視化されてきます。
つまり、アイヌを語りながら、私たちの生き方が問われている内容になっています。

視野はとても広がっています。
たとえば、香山リカさんは、ナチス時代のドイツの精神医学から優生学や民族衛生学の危険性を語りながら、それにつながるような形で、「国家」とは何かを示唆してくれています。
テッサ・モーリス=スズキさんは、視野を世界に広げ、経済のグローバル化の進む中で、世界各地でも排外主義と人種差別に基づく誹誘中傷が驚くほど増大してきているが、日本のインターネット上において、人種差別による誹誘中傷、威嚇や脅迫の言葉が野放図に拡大していることは、世界各地の傾向に逆行していると指摘します。
さらに、日本のヘイトスピーチの特徴は、差別的なレトリックがターゲットとする範囲が広がり続けていることを指摘し、「最初は北朝鮮と韓国、中国、今度はアイヌ…。次に来るのはいったい誰でしょう?」と問いかけてきます。
寮美代子さんは、私がなんとなく感じていたことを言葉にしてくれました。「私がはじめて「先住民文化」を意識したのは、アメリカ先住民だった。野蛮で残忍なのは、むしろ征服者側の白人のほうだったという認識が生まれた」。アメリカで生活して得た感覚だそうです。
さらに、寮さんはこんなことも書いています。「比較的好戦的なナヴァホ族は、戦いを好まないホビ族をさらに乾いた土地へと追いやっていた」。テッサ・モーリス=スズキさんの問いかけに重ねて考えると不気味です。
ちなみに、寮さんは「Chief Seattle's speach」を翻訳編集して、絵本(『父は空母は大地』)にした人ですが、その絵を描いたのが友人の篠崎正喜さんです。素晴らしい絵です。

結城幸司さんは、ヘイトスピーチについて、「言葉は人を殺すし、人を生かす」と書いていますが、「私たちアイヌは言葉の民であるからこそ、言葉の力を知っている」とも書いています。
結城さんの文章を読んで、私はヘイトスピーチだけではなく、反ヘイトスピーチにおける言葉の乱れを思い出します。
どこかで間違っている気がしますが、本書の書き手はみんな言葉を大事にして書いていますので、安心して読んでいられます。

こんな感じで内容について書いていったら切りがありません。
ともかく23人からのメッセージは、いずれも思いがこもっています。
そしてそれらが共振しながら、読者に問いかけてくるのは、そんな社会に生きていていいのですか、ということです。
問題はアイヌにあるのではありません。
アイヌの問題が、私たちの生き方や社会のあり方のおかしさを問い質してくれている。
それを気づかせてくれるのです。

ぜひ多くの人に読んでもらいたくて、3年前の本ですが、紹介させてもらいました。

なお、なぜ本書を紹介したくなったかの理由は、最近出版された岡和田晃さんの「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」(寿郎社)を読んだからです。
岡和田さんの若い情熱に圧倒されたのと、文芸評論という仕事の意味に気づかせてもらいました。
その「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」は、読み終わるのに1週間以上かかってしまったうえに、十分消化できたとは言えませんが、何かとても大切なことを思い出させてくれました。
岡和田晃さんの世界についていく力はありませんが、こういう若者がいるのだと感動しました。
この本も、また紹介させてもらおうと思います。
十分に咀嚼できていないので、紹介する能力はないのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/06/24

■カフェサロン「柳兼子をご存知ですか?」報告

民藝運動を起こした柳宗悦の伴侶で、声楽家としても有名な柳兼子をテーマにしたサロンは、16人が参加しました。
話題提供者は、我孫子在住の海津にいなさん。
海津さんは30年ほど前に千葉県の我孫子に転居してきましたが、かつてそこに住んでいた白樺派の人たちの活動に関心を深め、今はどうやらすっかり柳兼子さんにほれ込んでしまっているようです。
数年前から、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラを実現したいと考えています。
今回のサロンも、そうした思いも会って、改めて柳兼子の魅力を多くの人に知ってもらうきっかけになればということで開催しました。

柳夫妻は、我孫子には7年ほど住んでいましたが、柳夫妻の縁で、当時の我孫子には白樺派の文人たちが集まってきていました。
柳宗悦は民藝運動の創始者として有名ですが、柳宗悦を支えたのは伴侶の兼子であり、また宗悦の思想を実践していたのは兼子であると言われています。
兼子は、本場のドイツでも聴衆を驚愕させたようで、「声楽の神様」とさえ言われ、85歳まで公式のリサイタルをつづけていたそうです。
柳兼子は、まさに今の日本において、見直される人だと海津さんは考えていますが、たぶん今回のサロンに参加した人はそういう思いを持ったのではないかと思います。
NHK朝ドラにするとしたら、こういうのがいいという提案も参加者から2つも出ました。

白樺派と言えば、文芸活動というイメージを持っている人も多いと思いますが、その底にある理想主義や人道主義を踏まえた社会活動の側面はなかなか伝わっていません。
柳宗悦の民藝活動も、生活文化のなかに「用の美」を見出すというような美術活動の側面に焦点が当てられ、声楽と言えば、これまた芸術活動と考えてしまいますが、白樺派にしろ民藝運動にしろ、そして柳兼子の声楽活動にしろ、もっと広い社会性を持ったものだったようです。
今回のサロンでは、海津さんはそういう広がりを意識しながら、さまざまな「テーマ」を示唆してくれました。
途中で、柳兼子の80歳を超えた時の歌声も聴かせてくれました。
その声の力に驚きました。
ただし、私がとりわけ興味を持ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチとのつながりです。

海津さんのもう一つのメッセージは、戦争に向かって全体主義化が進んでいた当時の時代状況のなかでの兼子や白樺派の人たちの動きです。
私たちが、いまそこから学ぶことはたくさんあります。
これもサロンでは少し話し合いがありました。

沖縄在住のジャーナリストでもある緒方さんや日本韓国・朝鮮関係史研究会のメンバーの方も3人参加してくれました。
沖縄や朝鮮とのつながりも柳夫妻の活動の本質を示唆してくれています。
ほかにも参加者からも興味ある話が紹介されました。
今回は柳兼子の入り口だけでしたが、たくさんのテーマがちりばめられていたような気がします。
海津さんのフットワークのいい調査と自由な想像力に裏付けられたとても面白い発表でした。

これを契機にして、海津さんに「柳兼子研究会(仮称)〕の立ち上げと柳兼子我孫子ツアーを企画してもらおうと思います。
関心のある方はご連絡ください。
また当日配布された、海津さんのレジメ「手賀沼湖畔で大発展した白樺派と柳兼子」をご希望の方はご連絡ください。
海津さんの了解を得て送らせてもらいます。

ところで、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラの実現に力を貸して下さる方がいたらぜひよろしくお願いします。
面白いものになることは、間違いありません。

Kaneko


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/05/23

■文化の違いが生みだす不幸

最近つくづく「文化の違い」を感じます。
多様な文化は、豊かさを生み出すと考えている私にとっては、同時にそれが、「不幸」を生み出すことに気づかされるのは、いささかさびしいことです。

たとえば、今回の日大アメフト反則行為事件。
昨日の実行者宮川さんの記者会見を見ながら、みんな「被害者」かもしれないと思ったのです。
それまでは内田監督に強い拒否感を持っていましたが、その気持ちが逆に薄れました。
問題は、それぞれの「文化の違い」なのだと思ったのです。

たとえば、狛江市のセクハラ辞職。
たぶん市長には「セクハラ」という意識はなかったでしょう。
それが「セクハラ」だと言われそうですが、ハラスメントとは「文化の違い」から生まれるのかもしれません。
ある文化の「常識」が、別の文化では「悪事」になる。

こうしたことはいくらでも出せるでしょう。
文化の多様性は、ある意味では「生きづらさ」を生み出すのかもしれません。
つまり「自由」こそが「生きづらさ」の原因にもなりうるわけです。

今日の朝日新聞の「声」(投書欄)に、12歳の中学生の山口君が『あこがれた「自由」は苦しかった』と投稿しています。
彼は中学校の入学式で「この学校には拘束はありません」と言われてうれしかったそうです。
それまで通っていた小学校には、厳しい校則があったからです。
しかし、校則がない環境で生活していくうちに、「自由は苦しい」ということに気づいたそうです。
湯島のサロンでも、同じようなことの体験談が語られたことがあります。

ちなみに、山口君は、今の心境も書いてくれています。
「いまは、苦しいかもしれないけれど、これからこの自由の中で色々なことを学び、早く自由を心から楽しめるようになりたいです」

もしかしたら、日本の育児や教育の世界は、順序を間違えているのかもしれません。
そのために、自発的な自己規制や主体性が育つ前に、管理的な規則(指示)遵守姿勢が育ってしまうのかもしれません。
多様な感性を持っていると悩むことも多いですが、機械の部品になれば、悩むことはありません。
「生きる力」とは何でしょうか。

オルテガは「大衆」の時代への危惧を指摘しました。
ネグリは、「マルチチュード」(群衆)の可能性を指摘しました。
可能性があるのであれば、それを信頼するというのが私の信条です。

ちょっとした「文化の違い」を、増幅させるのではなく、その根底にある共通性から、私は学びたいと思います。
そういう意味では、昨今のマスコミの姿勢には大きな危機感があります。
まるで全体主義国家時代のような報道姿勢には違和感を持ちます。

「文化の違い」を活かし合う、豊かな社会を目指したいです。
宮川さんも、狛江市長も、とても大切なことを学んだことでしょう。
私もまた、彼らと同じように、そこから学びました。
彼らは、いずれも象徴的な存在として、大きなメッセージを発してくれていますので。
宮川さんにも内田さんにも、狛江市の市長にも、感謝しています。
私の言動も質さなければいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/02/03

■「鬼は外、福は内」の意味がやっとわかりました

ほとんど挽歌編と同じですが、私にはとても大きな発見でしたので、時評編にも書きました。

節分ですが、今年は豆まきをやめようかと思っていました。
大人だけだと、ちょっと気恥ずかしさがありますので。
それを見透かされたように、近くに住んでいる娘母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。

ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。
ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
外にいる社会から疎外されている人たちに豆や米を提供するので、住む場所もあって暮らしに困っていない人たちは、家に入って、提供された豆や米には手を出さないようにしてください、という呼びかけのわけです。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
私にとっては、とても大きな発見です。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。


伝統行事には、まだまだいろんな知恵が含まれているのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/15

■カフェサロン「今を生きる先住民族」報告

アイヌ民族との交流を重ねている写真家の井口康弘さんにお願いしたサロンには、アイヌ民族の島田あけみさん(チャシ アン カラの会代表)も参加していただき、13人のサロンになりました。

井口さんは、2013年に行われた、ニュージーランドのマオリ民族とアイヌ民族との草の根交流活動の映像をまず紹介してくれました。
ニュージーランドでは1970年代からマオリ民族の文化復興と権利回復が進んでいます。
そして、マオリの文化がニュージーランド社会や経済に大きな貢献をしているそうです。
その一方で、日本でアイヌ民族が先住民族として認められたのは2008年。
アイヌがアイヌとして生きる社会にはまだなっていないようです。
それを知った、マオリの人たちがこの交流活動を呼びかけてくれたのです。
それ以前から、島田さんはマオリと交流がありました。

2013年、マオリの呼びかけで、若者を中心に15人のアイヌが1か月にわたりニュージーランドを訪れ、マオリの歴史・文化・教育制度などを学びました。
そのときに、マオリの人たちから、「40年前にはマオリは一つになれなかったが、いまは団結して立ち上がれるようになった。きっとアイヌもそうなれる。私たちが持っている経験・知識はすべて皆さんと分かち合いたい」と言われたそうです。
その時の映像を井口さんは見せてくれたのです。

映像からは、マオリの人たちの生き生きした表情と豊かさ、そして誇りが伝わってきます。
参加したアイヌの若者たちが、大きなエネルギーをもらったことがよくわかります。
マオリとの出会いが、変化の芽を育てはじめ、帰国後、研修参加者によって、マオリの取り組みをモデルにした新しいプロジェクトが立ち上がりました。

島田さんは、45歳からアイヌになったと言います。
アイヌとして誇りを持って生きはじめたということでしょうが、そのきっかけの一つが、マオリとの交流のようです。
井口さんの映像のおかげで、そうした島田さんの言葉が素直に理解できました。

Ainusalon

後半の話し合いではいろんな話が出ましたが、きちんとした話し合いをするには、私はあまりにアイヌを知らないことに気づきました。
学生の頃からアイヌには関心があり、それなりにアイヌ関係の本は読んでいますし、知里幸恵さんがまとめたユーカラから選んだというアイヌ神謡集も読んではいるのですが、それらはまったくの知識でしかありません。
訊きたいことは山のようにあるのですが、どう訊いていいかさえわからないことに気づかされました。
それに私の中で浮かんできた質問などは、もしかしたら瑣末な話かもしれないという気がしてしまいました。
マオリとアイヌの交流の映像が、あまりに大きなメッセージを与えてくれたからかもしれません。
そこに出てきたマオリやアイヌの人たちの表情は、あまりに明るく、豊かでした。

いずれにしろ、私たちが知っているアイヌ像は、かなり現実とは違うようです。
たぶん多くの人は、アイヌの人たちの写真を見たことがあるでしょう。
それはもしかしたら、創られた映像だったかもしれません。
それに関しては、西坂さんが具体的な材料を示しながら話してくれました。

島田さんに言わせれば、アイヌに対する差別意識はまだ残っているようです。
日頃アイヌとの接点のない私は、具体的に差別をイメージすることさえできません。
しかし、まだ生きづらさはなくなっていないようです。
そうした状況を変えていくためには、子どもたち若い世代に、アイヌの誇りを取り戻すことが大切だと島田さんは言います。
マオリの人たちとの交流がそれを育ててくれると島田さんは考えています。
アイヌを生きることの楽しさや喜びを体験することが大切だと言うのです。
とても共感できます。
ですから、マオリから勇気と希望を受け継ぐために、第2回交流プログラムを開催したいと、今その準備に取り組んでいます。
資金的な支援を現在クラウドファンディングで呼びかけています。
ぜひみなさんも協力してくれませんか。
https://readyfor.jp/projects/ainu-maori
アイヌ文化の復興を目指していくことが、日本がもっと多様で、調和のある、平等な社会になることにつながっていくと島田さんたちは考えているのです。
問題はアイヌだけではなく、私にもつながっている「みんなのプロジェクト」なのです。

小田原からわざわざ参加してくれた露木さんは、最近の中国の少数民族同化政策につなげて、話をしてくれました。
日本も同じようなことをやっていたら、中国に対抗できないのではないかと言うことです。
世界各地で少数民族の問題が広がっていますが、日本の国内にも同じ問題があることに私たちは気づかなければいけません。

同時に、これはまた、少数民族問題だけではなく、障害者やハンセン病、さらには福島の被災者などにもつながる話です。
つまり、私たちの社会のあり方に関わっているのです。
今回のサロンで、アイヌ問題から見えてくることの大きさと深さを改めて感じました。
今回も自分の無知さを改めて思い知らされるサロンでした。

井口さんは、このサロンの打ち合わせをしていた時に、「後から住みだした人々(和人)が何を奪ってきたのか、という点は明らかにしておきたい」と言っていました。
それは実は、私たちの生き方から失われていること、あるいは最近の社会の生きづらさにもつながっていることに気づかされました。
それに関してひとつだけ紹介します。
島田さんは、死者の送り方について、お金のかかる和人の葬式と死者と共にあるアイヌの人たちの送り方を少しだけ話してくれました。
とても共感しました。
そこにもしかしたら、すべてが象徴されているのかもしれないと思いました。

東京オリンピックの開会式で検討されているというアイヌのパフォーマンスも話題になりました。
魂の入らない商業主義的なものにならなければいいのですが。

島田あけみさんが身心から発する「深い思い」、「生命の躍動」の刺激があまりに大きかったので、今回もまた消化不足で、うまくまとめられず、不十分の報告ですみません。

井口さんが紹介してくれた映像をもっと多くの人に見てもらいたい。
アイヌの文化にもっと多くの人に触れてもらいたいと思いました。
なお、10月21日、島田さんが代表を務めるチャシ アン カラの会の主催で、横浜のスペース・オルタで、「アイヌ感謝祭」が開催されます。
チラシを添付します。

Img2443


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/18

■カフェサロン「となりのムスリムにイスラムのことを聞いてみよう」の報告

台風が心配されるなか開催された第1回イスラムサロンは16人のサロンになりました。
テーマの関係かもしれませんが、初参加の方も数名いました。
話し手のムスリムのオプさんの家族(パートナーと小学5年の息子さん)も参加してくれました。
息子さんも、父親からきちんとイスラムの話を聞く機会は多くないようで、自分から聞きたいと言って参加してくれたのだそうです。

まずオプさんは簡単な自己紹介をしてくれました。
最初の来日は、山口県でボランティア活動をした時だったこと。
帰国後、自国のバングラディシュで日本から来ていた美希さんと出会って結婚し、日本に移住したこと。
日本はとても住みやすいけれど、日本の人たちにもっとイスラムのことを知ってほしいと思っていること。
イスラムの信仰は深いけれど、1日5回の礼拝などの戒律に関しては、その精神を大切にして、必ずしも形には縛られていないこと。
いまは日本の企業で働いているが、バングラディシュと日本をつなぐ活動がしたいこと。
イスラムのこともバングラディシュのことも、もっと多くの日本人に知ってほしいと思っていること。

それに続いて、オプさんは参加者に、イスラムのイメージや知りたいことなどを問いかけました。
いろんな視点からの関心事や質問がありました。
オプさんはイスラムにネガティブイメージを持っている人が多いのではないかと思っていたようですが、むしろイスラムに好感を持っている人が多かったのが意外だったようです。

オプさんはみんなの質問に答えるような形で、話をしてくれました。
イスラムの教えでは、ハラールとハラームということがよく言われます。
「許されていること」と「禁じられていること」で、たとえば、豚肉とアルコール類は禁じられています。
オプさんは、それにはきちんと理由があってそうなったのだといいます。
でも今はその理由がもうなくなったものもあるはずで、オプさんとしては時代に合わせて、自分で判断しているそうです。
礼拝で唱える言葉の意味は必ずしも意味明快ではないそうですが、繰り返し唱えることの効用もあるという話は、日本の仏教のお経を思い出しました。

ひとわたり話してくれた後で、オプさんはイスラムの生活を支えている大事なことが5つあると説明してくれました。
「アッラーへの信仰告白」「1日5回の祈り」「チャリティ」「断食」そして「巡礼」です。
「アッラーへの信仰」をしっかりと持っていることは絶対的なものですが、祈りやチャリティや巡礼は、その精神をしっかりと持っていればいいというのがオプさんの考えです。
困っている人がいたら、むしろ巡礼費用をチャリティに使うことで巡礼に行ったと同じと認められるというような話もコーランにあるそうです。
オプさんは、ムスリムと言っても、そうした戒律を厳格に守っている人もいれば、柔軟に捉えている人もいると言います。

断食に関しても、食を断つことが目的ではなく、我欲を自制し、自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知るところに意味があると言います。
それに夜になれば、みんなで一緒に食べるという喜びもセットになっていることを知ってほしいいと話してくれました。

複数の妻帯が認められているのかという質問もありましたが、オプさんはそれは貧しい時代にみんなで助け合うというチャリティの意味もあったと説明してくれました。
そういうように、厳しく感じられる戒律にも、みんなが支え合って生きていくための知恵が、その基本にあるわけです。
しかしそうした「生きていくための知恵」として生まれた戒律が、誰かによって悪用されている現実があることに関してもオプさんは残念だと思っているようです。

ジハード(聖戦)についても大きな誤解があるようです。
最近のIS関係の報道を通して、好戦的なイメージが広がっていますが、ジハードとは、本来「神の道のために努力する」ということで、むしろ自分に克つという意味合いが強いと言います。
聖戦と言っても、それはムスリムの共同体の防衛のためであって、攻撃を正当化することはないし、コーランでは殺人は厳しく禁じられているそうです。

他にもいろんな話がありましたが、私の記憶に残っていることを少し紹介させてもらいました。
オプさんは、イスラムと言ってもいろいろあるので、画一的に考えないでほしいとも話されました。
たしかにムスリムの女性たちの服装も国によって違います。
オプさんと美希さんの結婚式の写真を見せてもらいましたが、女性たちはみんな実にカラフルで、スカーフなどで顔を覆ってもいませんでした。

サロンでの話を聞いていて、私が感じたのは、ムスリムの戒律には富の再半分機能と社会秩序の維持機能が見事に埋め込まれているということです。
そこから学ぶことはたくさんありそうだということです。
でもまだ1回だけのサロンですから、そんな気がしただけというべきかもしれません。

オプさんは、イスラムの本当の実態がなかなか伝わっていないことを残念に思っています。
ですから、日本の人たちにももっとイスラムのことを話したいと考えています。
日本人がイスラムのことをどう思っているかについても知りたいでしょう。
一方、日本人は、イスラムのことも知りたくてもなかなか話を聞く機会がありません。
今回のサロンは、双方にとって理解し合う契機になりました。
イスラムサロンは継続して開催していきますので、まわりにムスリムがいたらぜひ話に来てもらってください。
私に連絡してもらえれば、場をセットします。
できれば、定期的なムスリムとの交流の場が生まれればと思っています。

ちなみに、オプさんの息子のサミーくんも初めてお父さんからイスラムのことをきいて、イメージがちょっと変わったそうです。
それにとても面白かったので、また参加したいと言ってくれました。
サミーくんのためにも、このサロンはつづけようと思います。

とても気づかされることの多い、また何かが生まれそうな予感のするサロンでした。
オプさん家族と参加されたみなさんに、感謝しています。

Apu01 


Apu02


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧