カテゴリー「妻への挽歌17」の記事

2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

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2017/04/05

■節子への挽歌3500:庭の整理という大仕事

節子
昨日から庭の整理を始めました。
なにしろずっと放置していたので、大変です。
一番の大仕事は、80センチほどある大きな鉢に植えていたヒバの木を抜く作業でした。
節子がいた頃は、きちんと手入れもし、とてもいい形になっていたのですが、あれから10年、さすがに手入れ不足に愛想をつかしたのか、昨夏、枯れてしまったのです。
根が張っているので、抜くだけで30分近くかかりました。
それにしても大きな鉢です。
こんな鉢をよくまあ買ってきたものです。
その後も、河津桜用に私も同じくらいの鉢を買ってきましたが、持ち運べるようにプラスティック製にしました。
しかし、節子の買っていたのは陶器なので、注意しないと壊れます。
娘と2人がかりでなんとか作業完了です。
それだけで疲れてしまいました。

次は植木鉢の整理ですが、これまた何が何やらよくわかりません。
野草かと思って抜いたらそうではなく、名前を書いた説明が出てきました。
不注意に抜いてはいけません。
水やりはそれなりにやっているのですが、肥料をやらないとだめだと娘に指摘されて、肥料もやりました。
今年は咲かなかった2本の桜は、来年は咲くでしょう。
ちなみに地植えしていたさくらんぼと桜はどちらもかれてしまいました。
今年の冬は雨が少なかったのでしょうか。

今朝は、朝から家の庭に広がりだしていなにわいばらとシャボンのにおいのする木花(名前を忘れてしまいました)を思い切り刈り込みました。
その木は、ツルを切ろうとすると、白い樹液を出します。
高い位置のツルを切ると、ちょうど樹液が顔にまでかかってきます。
攻撃か懇願かわかりませんが、おかげで手が樹液で真っ黒になりました。洗っても落ちません。
こういう作業をするときには必ず手袋をするように、いつも節子から言われていましたが、そういうのが私は苦手なのです。

おかげで、黒くなっただけでなく、イバラの棘で血だらけになりました。
まあそれくらいの痛みを感じないと、イバラやツルとバランスしません。

昨年末に、畑の花壇に植えこんで置く予定だったチューリップの球根は、芽が出始めてきました。
実は今年は、一度も畑に行っていないのです。
畑を辞めようかと思い出しているからです。
しかし、芽が出てきたチューリップの球根を放置しておくわけにはいきません。
さてさて人生は、やることがたくさんあり過ぎです。
いつになったら、のんびりとできるのでしょうか。
彼岸に行くまでは、無理なのかもしれません。
人にはどうも、それぞれ定めがあるようです。
それには素直に従わなければいけません。

今日は湯島に行く道筋を変えて、上野公園の桜の下を歩いてみようかと思います。
こういう気になったのは、10年ぶりなのです。

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2017/04/02

■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました

節子
近くの手賀沼公園の近くを通ったのですが、春になったせいか、家族ずれでにぎわっていました。
近くに公園があるのにあまり行くことはありません。

節子が発病してから、よく2人で通った公園ですが、当時に比べるととてもきれいになっています。
この公園に、毎朝、ふたりで散歩に来ていました。
この公園のベンチには、だからいろんな思い出があるのです。
ですから、そう簡単にはこの公園には足が向かないのです。

この公園の近くに転居してきてから、間もなく節子の闘病生活が始まりました。
ですから節子は、この公園を楽しむ間もなかったはずです。
落ちついたらボートに乗ろうと話していましたが、ついにボートに乗る機会はありませんでした。
池に浮かんでいるボートを見るたびに、それを思い出します。
そんなこともあって、この公園には一人で行くことはありません。
思い出があることは、いいことばかりではないのです。

湖畔の桜はほころびだしたばかりですが、菜の花畑は満開です。
自然が生きていることがよくわかります。
私も、今年こそは、その自然とともに生きることを取り戻したいと思います。

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2017/04/01

■節子への挽歌3497:桜の季節がきました

節子
4月になってしまいました。
花見とは無縁な、10回目の春です。
誘われて花見に行ったことも、わずかですがありますが、まだ花見は辛いことの一つです。
節子と最後に見た桜は10年前のあけぼの公園の日本庭園の駐車場の桜でした。
家族みんなで行ったのですが、なぜかその時の情景が鮮明に残っています。
なぜそれが駐車場の桜だったのか、わかりませんが、節子には、最後の桜だとわかっていたのでしょう。
肝心の、あけぼの公園の桜の映像が浮かんできません。
まあ、人の記憶とは、そんなものでしょう。
そして、そうした記憶とは全く関係ないように、春はやってきます。

手賀沼の湖畔を通る道沿いの桜がほころびだしています。
節子がいなくなっても、必ず見ることになる、駅に向かう道路の側にある老木の桜も、咲きだしました。
そういえば、花見はしていませんが、この桜だけは必ず見ています。
そして、あまり意識はしていませんが、たぶん私も元気をもらっています。

花のことで、先日、友人からメールが来たのを思い出しました。
なぜか節子のことが書かれていました。

節子さんには2度お会いしています。 一度目は大津で(覚えてないでしょ)、二度目は湯島のサロンで。 素晴らしい雰囲気を身にまとった方ですね。 生き方や心根の美しさがそのままに現れていらしたのだと感じています。 花を皆さんにどうぞと、家の外にそっと置いておかれた話、印象に残って良く覚えています。 修君の全てを受け入れながら、優しくしかも自分を見失うことなく。 ほんとに早すぎるお別れでした。 でも、「まだ来なくていいですよ。まだ道は半ばで、したいことが残っているでしょ。いつだって会えるのですから。のんびりと待っています」 とおっしゃっていることでしょう。 ちょっと立ち入り過ぎてしまいました。ごめんなさい。

過剰な褒め言葉が並びすぎで、人の記憶とは変わるものだなという気がします。
しかし、褒め言葉は素直に受け入れましょう。
ただ、花の話は私にはあまり記憶がありません。
私が道半ばだというのも、ピンときません。
そんなたいそうな生き方はしていないからです。
記憶だけではなく、いまここにいる人の理解もまた、人によって違うのだなと思います。
でもまあ、こう褒められた以上は、今年も少し、私の思いに取り組もうと思います。

冷たい雨の朝から、今年の春は始まりました。

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2017/03/31

■節子への挽歌3496:節子がつなげてくれた縁

節子
一昨日、pattiさんのことを書きましたが、この挽歌の「おかげ」というか「せい」といか、愛する人を亡くした方たちとの出会いがいろいろとありました。
節子と別れたばかりの頃、私がまだおかしい精神状況に会った時に、娘さんと一緒にわが家を探して突然やってきた女性は、伴侶のことをいろいろと語ってくれました。
それで少しは気が晴れたかもしれません。
群馬からは、同じように伴侶を亡くした女性が2人、湯島に来ました。
お一人は私の友人ですが、その方が書いた本を節子は読んで、この人はすごいなと言っていた人です。
彼女もまた夫を亡くしたのですが、同じように夫を亡くした友人がいると言って、湯島にふたりで訪ねてきました。
そしてお互いに、同じような境遇を涙ながらに少しだけ話し合ったのですが、友人は、この話はこれでおしまいと宣言し、後は涙なしの話題になりました。
彼女は、夫が亡くなった直後に私と会ったのですが、それを億部にも出さ是う、用事が終わった後に、そのことを話してくれました。
その凛とした生き方に、節子がこの人はすごい人だと言っていた意味が分かりました。
子どもを亡くしたという若い女性は、わが家の庭に献花に来てくれました。
私がうっかりしていたら、献花をしたままで帰って行ったはずですが、幸いに何とか気づきました。
妻を亡くしたと言って、湯島に来てくれた男性もいます。
愛する人を亡くした人、大事な人を亡くした人、いろんな人が湯島やわが家の来てくれました。
その内、何人かの方はいまも御付き合いがあります。
しかし、その多くは、その後、連絡もなければ、私も連絡していません。
その後、どうされているでしょうか。

一昨日、pattiさんのことを書いてから、気になりだしました。
みんな、ある意味では、節子がつなげてくれた縁ですから、大事にしなければいけません。
節子から、私が友人知人が多すぎて、誠実に付き合えないのではないかといわれたことがあります。
私はそうならないように心がけているつもりですが、結果的にはそうなっているのかもしれません。

ちょっと反省しています。

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2017/03/30

■節子への挽歌3495:睡眠トラブル

節子
先日のサロンで、睡眠相談の活動を始めた友人から聞いた話ですが、睡眠トラブルを抱えている人が多いのに驚いたそうです。
そういえば、私も気になることが多いのですが、真夜中の3時とか4時にメールを送ってきたり、フェイスブックに書きこんだりしている友人が少なからずいます。
そういう人には、以前は、「夜はちゃんと寝ないといけません」などと余計な一言を加えることもあったのですが、いつの間にか、あまり気にならなくなるようになっています。
それほど多くなったということです。
スマホになったので、もしかしたら枕元に置いていて、すぐに投稿できるのかもしれませんが、まあ、夜、きちんと眠れない人が増えているのでしょう。
なにしろ、かく言う私自身がそうなのです。

最近、できるだけ早寝早起きに努めています。
10時就寝、5時半起床が目標です。
しかし、なかなかそうはいきません。
なぜなら真夜中に目が覚めてしまうからです。
ひどい時には12時過ぎに目が覚めてしまうこともあります。
そこからまた普通は眠れるのですが、眠れないこともあります。
いや、眠れるとしても、眠りが浅い感じがして、朝の目覚めがすっきりしないことも多いのです。

最近は、3時か4時頃、目が覚めることが多くなってきました。
夜中に目が覚めて、枕元の時計を見ると、時計が2時台だと、もうほんとにがっかりします。
眠れない夜ほど、嫌なものはありません。
眠れないとついついいろんなことを考えてしまいます。
30分も眠れなくなった場合は、本を読むようにしていますが、おかげで最近は読書量が増えました。
真夜中に1冊読んでしまい、その挙句、いつのまにか寝てしまうというようなこともあります。
そんな時には7時を過ぎても目が覚めずにいます。
朝の目覚めが遅いと、どうもその日は調子がよくありません。
太陽の動きとずれが多いと、どうも調子がよくありません。
自然の影響を受けやすいタイプなのかもしれません。

いずれにしろ、最近また夜に眠れない日が増えてきています。
早く外が明るくなってほしいと祈ることもあります。
日の出の時間が早くなったので、最近はとてもうれしいですが、それでも3時に目が覚めてしまうと辛いです。

節子が横にいてくれたら、と、思うことが多いです。
暗い夜中にベッドで一人目覚めていることほど、辛いことはありません。

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2017/03/29

■節子への挽歌3494:「生きる意味」を喪失した後の「生」

節子
挽歌3492に、久しぶりにpattiさんからコメントがありました。
pattiさんは、数年前に偶然にこの挽歌に出会い、時々、コメントを寄せてくれるのです。
私と同じく、伴侶を病気で亡くされています。
私たちよりもずっと早い別れだったようです。

コメントを読んでもらえばいいのですが、私の心境を、私以上に深く表現されているので、あえてここにも書かせてもらうことにしました。
もっとも、pattiさんもまた、私の書いた「未来の自分の喪失」が、現在の自分の心境を言い当てていると書いてくれているのですが。

pattiさんは、こう書いています。

今回の挽歌はあまりにも現在の私の心境を言い当てているので切なくなりました。
何かを所有して残すことへの意欲は極端に希薄になりました。
だから写真も一切撮りません。
「もう一つの自分」を実感したあとのこの空虚さを埋めるものは何もありません。
まったくその通りなのです。
なぜか写真が撮れない。
なぜか何かを欲しいと思うことがない。
内面の旅はひとりで続けていくものですが、「未来の自分」を「ふたりの未来」として考えてくれた存在があるときの旅はとても自由に飛翔していました。
ともに計画しながらも予想もつかない展開もあったのです。
ときには危険も伴うこともありましたが。
ほんとうにそうでした。
「未来の自分」を「ふたりの未来」として考えてくれた存在。
まさにそういう関係が実感できるようになった時に、その存在がいなくなった。
私の場合は、自分さえもが見えなくなってしまったのです。
人生そのものが空虚で、生きているという実感がない数年が続きました。
その分、何かをやり続けないといけないという思いから、外部から見ると、私は元気にいろんなことに取り組んでいるように見えていたようですが。

最後にpattiさんは、こう書いています。

「生きる意味」を喪失した後の「生」をどう生きるかが、最期まで続く自分自身への問いかけです。
おそらくその解答は出ないとわかっていても。
まるで私が書いているような気がするほどに、そうなのです。
かけがえのない伴侶がいなくなった後の人生とは、いったい何なのか。
答のない問いかけをつづけるpattiさんは、なんだか同志のような気がします。
お会いしたことはありませんが、そういう人がいると思うだけで少し心がやすまります。
空虚さは埋まりはしないのですが、少しだけ元気も出る。
涙もちょっと戻ってきてしまいましたが。

今日もまた、ちょっと寒い1日でした。
我孫子はまだ桜が咲いていません。
pattiさんの住んでいるところは、もう桜が咲いているでしょうか。

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2017/03/28

■節子への挽歌3493:一人で生きることの大変さ

節子
さわやかな朝なのですが、気が一向に晴れません。
晴れないのは、それなりの理由があるのです。
相変わらず周辺では、さまざまなことが起こります。

最近気づいたことがあります。
社会がおかしくなってきた最大の理由は、多くの人が「雇用労働」につくようになったからではないかということです。
これに関しては、改めて時評編に書きます。

しばらく音信不明だった人に連絡しようと思って、連絡先を探しました。
メールも電話もつながりません。
会社を経営していた人なので、ネットで会社のホームページを探しましたが、なぜか見つかりません。
会社経営が大変だったのは知っていましたが、ネット上から「痕跡」が消えています。
いささか心配です。

昨日、旅行会社てるみくらぶが破産しました。
負債は100億円近い額だそうです。
顧客や従業員も多大な迷惑を受けることでしょうが、私は社長の山田千賀子さんに心から同情します。
たしかに、経営の責任は問われなければいけませんが、山田さんの人生は一変するわけです。
もちろん山田さんの家族も、です。

六本木で豪華な生活をしていた人が、会社破綻で突如、ホームレスのようになってしまうという話も聞いたことがありますが、組織に雇われて安定した「仕事」と「給与」をもらっている人と違い、個人でビジネスをやっている人は毎日が「緊張」の連続です。
そして、時に、巨額な借金を背負い込むこともある。
うまくいけば、巨額な利益を得ることもあるでしょうが、それに見合うリスクを負いながら生きているのです。
意思決定は、常に自らがやらなければいけません。
それは、たぶん体験しなければわからないことでしょう。
そうしたリスクを分散するために、「専門職制度」ができたのかもしれません。

私も一度だけ、組織や制度に守られないビジネスにささやかに関わったことがあります。
私の取り組みのミスで、私も大きな負債をかかえこんでしまいました。
人助けのつもりが、人助けにもならず、むしろ他者に迷惑をかけることになってしまった。
その時のダメッジが、いまもなお私に覆いかぶさっていますが、そのおかげで、少しだけそうした個人でビジネスをすることの意味がわかるようになりました。
以来、個人事業者の捉え方が変化しました。
会社勤めは、そういう意味では実に安定していますし、リスクはさほどありません。
あるのは、突然解雇されるくらいでしょう。
個人が失敗して受けるダメッジとは、まったく違います。
会社生活と個人事業生活を体験して、その違いがよくわかります。
だからこそ、てるみくらぶの山田社長に同情したくなるのです。

連絡がつかなくなった知人ですが、そういうことはその人だけではありません。
私の周辺には、個人で仕事をしている人が少なくないのですが、なぜか私の周りにいる人たちは、みんな苦戦しています。
この年度末を、乗り切れるかどうかが課題です。

お金は本当に邪悪で危険な力を持っています。
しかし、なぜかお金がないと困ることがある。
お金から自由になろうと思いながら、お金が欲しいと思っている自分に、どうも気が晴れないのです。

私が、安定した会社生活を辞められたのは、節子の存在があったからです。
しかし、いまは、安定した金銭収入も節子も存在しません。
困ったものです。

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2017/03/26

■節子への挽歌3492:未来の自分の消滅

節子
今日はまた冬に戻ったような寒い日でした。

久しぶりにホームページを更新しました。
と言っても、週間記録だけですが、3週間も更新していなかったので、まとめて3週間を書き込みました。
すっかり忘れてしまっていたのです。
以前であれば、あり得ないことなのですが。

私がホームページをつくったのは2002年ですが、以来、毎週日曜日に更新するようにしていました。
更新できないときも、1~2日以内には必ず更新していましたが、今年になってから時々、更新が遅れてしまっていました。
理由は2つあります。
一つは、ホームページのプロバイダーのサービス内容が変わってしまい、使い勝手が悪くなったことです。
しかもそれまでは、アクセスした人の人数も計上されていたのですが、それができなくなってしまいました。
しかも表示がずれたりしだしたのです。
私のホームページは、何しろ我流で作っていますので、いまさら新しいソフトで作り変えるのは無理なので、プロバイダーを変えることができません。
そんなわけでモチベーションが下がってしまっています。

しかし、もっと大きな理由は、書き残すことそのもののモチベーションがなくなってきていることです。
これまでは、自分の行動記録をできるだけ残しておこうと思っていたのですが、誰のためにかといえば、それは「未来の自分」のためです。
その「未来の自分」が、最近の私のなかから消えつつあるのです。
このことは、私の生き方に大きな影響を与えています。

人は、今を意識して生きるよりも、未来を意識して生きているように思います。
最近そのことがよくわかってきました。
だからこそ、人は今の生活には必要ないものまで、所有したくなるのです。
お金にこだわるのもそうかもしれません。
いまを生きるためには、余分なお金や余分なものなど必要ないはずです。
最近の私の心境は、かなりそうなってきていますが、しかしまだ「未来の自分」を意識しているので、物を捨てることができないでいました。

ところが最近、「未来の自分」の存在があまり意識できなくなってきています。
そのせいか、自分のことを記録することの意味がなくなってきているわけです。
そんなわけで、最近はホームページの更新を忘れてしまうようになってきている。
そんな気がします。

人は、死ぬ前に、まずは「未来の自分」の死を体験するのではないか。
最近、そんな気がしています。
「未来の自分」がいなくなると、いまの自分を誠実に生きるしかありません。

節子は、がんの再発以降、もしかしたらそういう生き方をしていたのかもしれません。
しかし、もう一つの考え方もできます。
「未来の自分」のためにではなく、「もう一つの自分」のために生きることです。
節子にとっての「もう一つの自分」は、たぶん私です。
それが節子にとっての「生きる意味」だったかもしれません。
残念ながら、私には「もう一つの自分」は存在しません。

最近、どうも生きる意欲が弱いのは、「未来の自分」がいなくなったからかもしれません。

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■節子への挽歌3491:選挙の投票に行くのもさびしさがあります

節子
今日は千葉県知事の選挙投票日です。
私は選挙に行かなかったことはこれまで一度もないと思いますが、これはわが家のルールでもありました。
いつも基本的には家族みんなで投票に行きました。
少なくとも節子とは必ず一緒でした。
ですから選挙があるたびに、節子がいなくなったことを毎回実感させられます。
選挙に行く途中に、お互い誰に投票するかについての会話がありましたが、実際に誰に投票したかはわが家では基本的に話し合わないようになっています。
私はいつも公開していますが、娘たちは教えてくれません。
節子も明言はしませんでしたが、大体わかりました。
私とは意見が合わないこともありました。

今日は、雨の中、午前中に投票に行きましたが、なんと投票率は5%にも達していませんでした。
それにはいささか驚きましたが、議会制民主主義もそろそろ根本から見直すべき時期に来ているのかもしれません。
そういえば、今回はそもそもせんきょをやっていることさえ気がつかないほどの選挙でした。
市議会選挙や国政選挙の場合は、電話も良くかかってきますが、今回は一本も電話はありませんでした。
県知事と生活はなかなかつながってこないのです。

選挙でさえ、節子がいた頃と今とでは、違ったものになってしまったような気がします。
大げさに言えば、世界が変わってしまっているわけです。
不思議なものです。 

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