カテゴリー「妻への挽歌15」の記事

2015/11/19

■節子への挽歌3000:3000日目

節子
この挽歌もついに3000回になりました。
つまり、節子のいない日を3000日、過ごしたということです。
よくまあ生き続けてきたものです。

作家の、秦恒平さんは、吉田兼好の「徒然草」は、愛した女性の死によって生じた悲しさを乗り越えるために書き続けた書ではないかと言っています。
兼好は、徒然なるままに書いたのではなく、書くことによって生き続けられたのだというのです。
秦さんがそう思いついたのは、兼好が残した次の歌です。

つらからば 思ひ絶えなで さをしかの えざる妻をも 強ひて恋ふらむ

「徒然草」は、「得ざる妻」への追悼から書き始められた、というのが秦さんのお考えです。
秦さんは、1984年に出版した『春は、あけぼの』の中で、こう書いています。

『徒然草』から私は、一種愛の挽歌を聴くのである。

「徒然草」も、挽歌だったのです。
兼好が出家したのも、それとつながっているのでしょうか。
徒然草は、243段から成っていますので、3000回はその10倍を超えています。
兼好は、243回で悲しさから抜け出せたのかもしれませんが、私の場合は、3000回に達してもなお、抜け出せないでいます。
まあ、兼好の場合、出家していますので、煩悩を断ち切ることができたのかもしれません。

書くことは、喪失の哀しさを埋め合わせてくれる大きな力を持っていますが、逆に悲しさを持続させる力も持っています。
悲しさを埋め合わせるのと持続させるのは、対立するわけではなく、同じものかもしれませんが、ともかく「書くこと」の意味は大きいことを、私は実感しています。

まだ書いているのか、と言われそうですが、たぶんここまで来たら、彼岸に旅立つ、その日まで書き続けるような気がします。
3000日。
いまから思えばあっという間の3000日でした。
そしてまた、あっという間に、彼岸に旅立つ日が来るのだろうなと思えるようになっています。
時間の意味が、変わってしまったのかもしれません。

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2015/11/18

■節子への挽歌2999:「元気そうでよかった」

節子
不覚にも風邪をひいてしまいました。
これからいろいろと予定があるのですが、いささか心配です。
明日は8時間を超える長丁場のシンポジウムがありますし、週末も2つの集まりを予定しています。
今日は自宅で休んでいればよかったのですが、ついついまた人ごみに出てしまい、症状は悪化してしまいました。
困ったものです。
昨日、サロンに参加した人が15年ぶりに風邪をひいたと言っていましたが、その風邪をもらったわけではないでしょうが、最近少し疲れ気味で、免疫力は下がっているのです。

節子に供えている活花が、1週間たつのに今日もとても元気です。
毎朝、声をかけているからかもしれません。
こちらに余裕がなくなり、声をかけずにいると、活花もすぐ枯れてしまいます。
しかし、きちんと声をかけていると元気で咲き続けてくれます。

人も同じかもしれません。
声をかけてくれる人がいたら、免疫力は維持できるかもしれません。
私が最近免疫力が落ちているのは、声をかけてくれる人がいないからかもしれません。
みなさん、声をかけてくれませんか。

しかし声もかけ方があります。
先日、夕方帰宅途中に、近所にお住いのNさんに道で声をかけられました。
「佐藤さん、元気そうでよかったです」というのです。
ちょっとひっかかる言われ方です。
元気そうでよかった、ということは、元気でないと思っていた、ということです。
Nさんはとてもいい人で、会うと必ず声をかけてくれます。
私よりも一世代若いでしょうか、ともかく元気な方です。
でも、会うたびに、「元気そうでよかったです」と言われると何か悪いような気がしてきます。
今日は元気でないので、もし会ったら、実は元気ではないのです、と言えるのですが、残念ながら会えませんでした。

こんな風に考えるのは、私の性格の悪さなのでしょうか。
そう言えば、かなり前ですが、以前住んでいたところの人に、スーパーでお会いました。
やはり、「元気そうですね」と言われましたが、その方は、すぐ奥さんを連れてまたやってきました。
奥さんが盛んに、「心配していたのですが、お元気そうでよかったです」と言うのです。
おふたりともとても親切な方で、奥さんは節子と付き合いのあった方です。
そのおふたりの口調から、私がどれほど心配されていたかが伝わってきました。
まあ、私は、伴侶の後追いをするように思われても仕方がないタイプなので、みんなが心配してくれているのでしょうが、元気でよかった、と言われるのは、正直、あんまりうれしいものではありません。
でも今週は、2人の人からそう言われました。
これは、しかし節子との死別のためではないかもしれません。
もうそう言われても仕方がない歳になったのでしょう。
素直に、喜ばないといけないのかもしれません。
しかし、いまでも「元気でよかった」といわれると、ついつい節子のことを思い出すのです。
そして、心の中では、「元気なはずないでしょう」と思うのです。

性格の悪さは、なかなか直りません。

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2015/11/17

■節子への挽歌2998:歩いているとみんな良い人になる

節子
73日間にかけて、1700㎞という途方もなく長い、サンティアゴ・デ・コンポステーラを歩いてきた鈴木さんがやってきました。
帰国して10日が過ぎましたが、まだ足の痛みが抜けないそうです。
そのまま四国巡礼に出かける予定だったのですが、そのおかげで、出発を延期し、湯島にも来てくれたのです。

話すことが山のようにあるようで、4時間近く話し続けました。
まだまだ話したりない様子でしたが、次の来客がやってきたので、終わりになりました。
また続きを聞きたいと思います。
話をしてるあいだ、鈴木さんからは何かオーラのようなものを感じました。
これほど輝いている鈴木さんは久しぶりです。

話の内容はとても興味深いものばかりでした。
昨年は年間で25万人以上の人がサンチアゴを歩いたそうです。
鈴木さんが最初に歩いたのはもう10年以上前ですが、その頃とは風景もかなり変わっていたようです。
ただし、歩く人も沿道の人たちも、みんな良い人たちばかりであることは変わっていなかったようです。
歩き続けていれば、みんな良い人になり、良い人と出会い続けていると、みんな良い人になるのです。

鈴木さんが最初にサンティアゴを歩いたのは、黛かどかさんの「星の旅人」がきっかけだったそうです。
そういえば、むかし、湯島でも黛まどかさんのサロンを開催したことがあります。
黛さんが、サンティアゴの映画を制作したいと言っていたころで、その相談を受けたのがきっかけでした。
そのサロンには節子も参加し、「星の旅人」も読んでいました。
帰宅して節子の書棚を見てみたら、その本が残っていました。
節子が元気だったら、私もサンティアゴを歩けたかもしれません。
節子も、鈴木さんの話を聞いていたでしょうか。

鈴木さんは、今回の巡礼で、人生こそが巡礼だと思ったと言いました。
そう言えば、以前、私もこのブログで、そんなことを書いたような気がします。
この挽歌が、私の巡礼記録なのかもしれません。

鈴木さんが四国から戻ってきたら、また会おうと思います。

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2015/11/16

■節子への挽歌2997:食材の安全性

節子
佐々木さんが久しぶりに湯島に来ました。
佐々木夫妻の愛犬のミホが高齢になったため、今回は奥さんが介護役で、おひとりでの上京です。
最近の佐々木さんの仕事は、ミホの散歩と食事やおやつ作りのようです。
もしかしたら佐々木さんはご自分よりも心のこもった良いものをミホのためにつくっているのでしょう。
食材もとてもこだわっています。
そういう話をしていると、ついつい私は、愛犬のチビ太はもちろん、節子の食材もそんなに気にしていなかったなあと罪の意識が浮かんできます。
私は自分に対してはもちろんですが、そうしたものに関する感度が低いのです。
というよりも、そうしたことを気にする生き方に、どこか不公正さを感ずるのです。

放射性汚染がかなり高いと思われる、わが家の家庭農園の作物も、気にせずに食べています。
自然が与えてくれる食材は、気にせずに食べる。
それでもし身体が蝕まれるようであれば、それはその時代に生きたことの不幸なのだと思うことにしたのです。
お金がある人だけが安全な食材を食べることはフェアなのだろうかなどと余計なことも考えてしまうのです。
しかし、これは私の勝手な考え方であって、娘たちも含めて、そんなものを食べずに、安全な野菜を食べるようにと助言してくれる人は少なくありません。
見るに見かねて直接届けてくれる人もいます。
しかも、私のまわりでは、そうした安全で安心な食材を広げていこうとしている人も少なくありません。
それどころか、そういう活動を私自身応援したりしているのです。
そこが悩ましいのですが、私自身は自分だけが安全安心の食べ物を食べること自体に、どこか安堵できない気持ちがあるのです。

わが家は基本的にお米を農家から直接送ってもらっています。
たぶん市場価格の2~3倍の価格で購入しています。
わが家にお金がある時には4倍、ない時でも2倍以上です。
だからと言って有機米とかにはこだわってはいません。
その家の人が食べるものと同じでいいのです。
いまの米作り農家がいかにも経済的に引き合わないのが気になって、そういう契約をしているのです。
先日、私の手違いで、10㎏のお米にカビを発生させてしまいました。
農家の人に伝えたら、送り直すから処分するようにと言われました。
しかし、どうも捨てがたいのです。
そこでカビの少なそうなところを選んで、食べてしまいました。
娘から起こられて、さすがに食べるのは止めて、冬の時期の鳥の餌にしました。
しかし、自分が食べられないものを野鳥に食べさせるのもまた、罪の意識に襲われます。

まあこういうことをくよくよ考えるのが、まだ精神的に安定していない証拠ですが、食材への安全感覚が極めて弱いのです。
娘たちは賞味期限なるものを気にしますが、私は一切気にしません。
1年前に賞味期限を過ぎたものも、食べてみて大丈夫そうであれば食べてしまいます。
娘たちに見つかるといけないのでこっそりとですが、実際には娘たちは私の習性を知っていて、いまは諦めています。
むしろ、こういう親に育てられたのかと、恨まれている感じもしますが。
しかし、食べ物はむやみに捨てないという文化はしっかりと根付いています。

それにしても、安全性には無頓着すぎたかもしれません。
節子も、私ほどではありませんが、あまり気にしないタイプだったかもしれません。
それが胃がんの原因だとは限りませんが、もう少し注意すべきだったと、思うことがあります。
しかし、いまさら私だけが注意するのはフェアではありません。

佐々木さんと話した帰りの電車の中で、こんなことを考えていました。
つまらない話を書いてしまいました。

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■節子への挽歌2996:自分を生きられる幸せ

節子
昨日は湯島で民主主義を考えるサロンでした。
日経にいた坪田さんが、久しぶりに参加しました。
20数年ぶりでしょうか。
フェイスブックで、その活躍ぶりを拝見していましたが、サロンの最初の頃に何回か来ていたはずです。
しかし、坪田さんとはどこで出会ったのか忘れていましたが、坪田さんが私との出会いのきっかけを話してくれました。
まだ私が会社時代に、取材に来てくれ、そこですっかり意気投合したようです。
意気投合したのは、取材の内容(新しい企業のあり方だったようです)ではなくて、どうもハインラインのSFの話だったようです。

当時はたくさんの取材を受けました。
会社の企業文化変革に取り組んでいたからです。
あの頃の数年は、それこそ終電に乗り遅れてタクシーで帰るような生活までしていました。
それで、会社の実体がよく見えてきてしまい、プロジェクト完了後に会社を卒業しようと思ったのです。
取材に来てくれた人たちも、最近は付き合いがなくなり、あの頃の私を知っている人もほとんどいなくなりました。

久しぶりに坪田さんは、当時と全くと言っていいほど、変わっていませんでした。
年齢や時代や立場とともに、変わっていく人もいれば、変わらない人もいます。
たぶん、自分を生きているからでしょう。
改めて自分を生きていることの幸せを感じました。
自分を生きることは、そう簡単なことではなく、みんなに支えられなければできません。
その力を与えてくれた節子には、いまも深く感謝しています。
そんなことはだれにもわかってもらえないでしょうが。

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2015/11/14

■節子への挽歌2995:元気をもらいました

節子
今日は1日、フォーラムで会場に缶詰めになっていました。
市川さんが主宰している日本経営道協会のフォーラムです。
最近、私はあまりかかわっていないのですが、活動は着実に広がってきています。
昨日は、私はパネルディスカッションの進行役だったのですが、3人の若い社会起業家と出会い、元気をもらってきました。
いずれも会社や役所を辞めて、起業した人たちです。
話していて、いささかの危うさも感じましたが、思いの純粋さには共感するところがたくさんありました。
私が会社を辞めた時に比べれば、とても純粋で、社会性も高いのがよくわかります。

それはそれとして、終了後のパーティで、久しぶりに風早さんに会いました。
節子の闘病中、ずっと祈り続けてくれていた人です。
節子が逝ってしまった後は、私のことをずっと心配されていました。

パネルディスカッションも前の方で聞いていてくれていましたが、元気そうでうれしい、と言ってくれました。
そして、「奥さんが亡くなった後の佐藤さんはとても見ていられなかった」と付け加えました。
そうだったのかもしれません。
自分では、公開の場では元気を装っていたつもりですが、隠せるはずもない。
でもみなさんは、それを承知で、見守ってくれていたのでしょう。

昨日、フォーラムの往復の電車で、秦恒平さんの「死なれて・死なせて」を読みました。
挽歌2988で書きましたが、朝日新聞のコラム「折々のことば」で、その本の存在を知ったので、さっそく取り寄せて読んだのです。
読むタイミングが悪かったなと思いましたが、実は昨日のフォーラムの前、いささか落ち込んでもいたのです。
そこには、衝撃的な物語がたくさんつづられていました。
ですから、昨日もまた、元気を装っていたのかもしれません。
話していても、どうも心が弾まない、そんな気分だったのです。
風早さんの言葉は、改めて私の心身に突き刺さったのです。
でもまあ、私の人生が戻りつつあるのは間違いありません。
昨日の3人の若者からも、元気をもらえましたし。
しかし、戻った人生の残りはそう長くはないかもしれません。

昨日のフォーラムの基調講演は、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の宗次徳治さんでした。
これもまた、心身に突き刺さるお話でした。
経営の話など全くしないように見えて、経営の真髄を話してくれたような気がします。
CoCo壱番でカレーを食べたことがないのですが、宗次さんのファンになりました。
最近聞いた話の中で、私には一番示唆に富むお話でした。
彼の紹介文にこう書いてありました。
「経営を引退するまで友人を一人も作らず、仕事に専念した」
尊敬できる人は、世の中にはまだまだたくさんいるのでしょう。
元気を出さなければいけません。

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2015/11/13

■節子への挽歌2994:「ジハーディ・ジョン」の死

アメリカ政府は、「ジハーディ・ジョン」と呼ばれる過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員を空爆し、ジョンは死亡したと思われると発表しました。
以前、ビン・ラディンが殺害された時のことを思い出しました。
この報道を娘と一緒に見ていて、人の死を喜ぶという心境が理解できないとふと声に出したのですが、娘から、もしお父さんが人質になっていて、生命の危険にさらされていた時に、その犯人が警察によって射殺されたら、お父さんは喜ぶでしょうと指摘されました。
安心はするが喜ばないと思うと答えましたが、少し考えてから、もしそうなったらたぶん私も喜ぶだろうと言い直しました。
人の死を喜ぶということは理解できませんが、実際にはそうなるのかもしれません。
しかし、人の死を悲しまずに喜ぶことさえあると思うと、なにかとても寂しい気がします。
生とは、いったいなんのか。

人が、自らの生を守るためには、他者の死が必要になることがあります。
人に限定しなければ、生は他者の死によって支えられている。
私たちは、動植物の生命を食べることによってしか、生きられないからです。
考えてみれば、生きるということは殺生と重なっています。

その点、植物は違います。
他者を犠牲にすることなく、周辺の生命に恩恵を施しながら生きています。
なんと幸せなことか。
しかし人間は、植物のような生を生きることはできません。
であればこそ、自らが決められることにおいては、他者に恩恵を施すことに心がけたいものです。
これが、私の生きる上での信条の一つです。
他者に恩恵を施すというと誤解されそうですが、それは、いわゆる「恩送り」の意味です。
他者の生に支えられて生きているのであれば、私もまた他者の生を支える存在であることを願いたいということです。

しかし、この信条は実行するのがなかなか難しいのです。
仮にしたとしても、時に「恩着せ」意識が残っています。
「恩着せ」するくらいなら「恩送り」などしなければいいのですが、まだまだ時に虚しくなることがある。
相手を信頼していればこそ、それが否定されると無性に悲しくさびしくなる。
「恩送り」も、そう簡単なことではないのです。

「ジハーディ・ジョン」の死は、ISの仲間からは悲しまれたことでしょう。
彼の行為は、たしかに残虐で許しがたいものですが、そうせざるを得なかった事情もあるのでしょう。
「ジハーディ・ジョン」の魂に平安が訪れるように、祈りました。

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2015/11/12

■節子への挽歌2993:訃報はなぜ2度とどくのか

節子
また訃報が届く季節になりました。
年末に訃報を出状するという文化は、どうもなじめません。
とりわけ年賀状を出すのをやめてからは、なおさらです。
付き合いのある人は、なんとなくどこかから訃報は届きます。
もう一度、訃報をもらうのは、あまり気分のいいものではありません。
あまり付き合いのない人に関しては、訃報が届かなければ、最近連絡がないが元気にしているだろうなと思っていられます。
あえて訃報をもらわないほうが、私の場合はうれしいです。
元気でいるだろうなと思っていられるからです。
それにいずれの場合も、はがきで届く訃報に、どうも違和感があるのです。
それも、多くの場合、会ったことのない人からです。

これは私だけのことかもしれませんが、
この歳になると、親しい友人でもそうしばしば会うわけでもありません。
そうなると、その人が現世にいようと彼岸にいようと、そう違いはないのです。
もう20年ほど前に私よりもずっと早く旅立ってしまった若い友人がいます。
彼は、私の世界の中では、まだ生きていて、ただなかなか会えないだけのような気もしています。
毎年、年始に1度だけ、メールか年賀状を送ってくれる若い友人が何人かいます。
今年こそ合いに行きますと言いながら、この数年、普段は全く音信はありません。
それと、彼岸に旅立った友人と、どこが違うのか。
まあこの歳になると、あんまり違う気もしないのです。
毎日会っていた節子の場合は違いますが、滅多に会うこともない友人の場合は、訃報の通知が届かなければ、心を乱すこともありません。

しかし、これは、受け手側の気持ちであって、出す方の気持ちではないでしょう。
節子が旅立った年の年末、私は節子と連名で、年賀欠礼のはがきを出しました。
出さずにはいられなかった。
訃報は、友人知人に、悲しさを知ってもらうためのものなのかもしれません。
そう思えば、訃報のはがきは大事に受け止めなければいけません。
訃報が2度とどくのは、それなりの意味があるのでしょう。

今年から、訃報の通知は、仏壇に供えることにしました。
悲しさを、分かち合えるかもしれません。

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2015/11/11

■節子への挽歌2992:パラレルワールドを生きている夢

節子
なぜか最近また真夜中に目が覚めます。
その上、夢をよく見ます。
節子は最近は出てきません。
なぜか会社に私がまだ勤めている夢を見るのです。
しかし、私が実際に体験した会社時代とは全く違う内容の夢なのです。
会社を辞めずに、私がまだ会社生活を続けているという、いわばパラレルワールドの、もう一つの世界で生きているような私なのです。
そこには、どうも節子の姿は感じません。
そこでの私は、必ずしもハッピーではありません。
とても浮いた存在であり、しかし若い人や女性からはとても助けられているような、あんまり頼りにならない存在のような気がします。
もっとも夢の内容を覚えているわけではありません。
もしかしたらこれこそが「認知症症状」なのかと思えるほど、目が覚めて1分もたたないうちの、夢の内容が思い出せなくなるのです。
ただ「気分」だけが残ります。
それで、その内容を思い出そうとしているうちに、トイレに行きたくなり、行ってしまうとさらに内容が思い出せないのが気になりだして、目が覚めてしまうのです。
しかたがないので枕元の伝記をつけて、枕元の本を読みます。
枕元には常時数冊の書籍が置かれています。

節子は、病気の時に、私が横で本を読んでいるのが好きでした。
安心して眠れるから、と言っていたのを思い出します。
私も、節子が横で寝ていると、安心して本が読めました。
あの「幸せな気分」は、もう2度と体験できません。

私は、節子の寝顔が好きでした。
告別式の夜、がらんとした斎場で、節子と2人で過ごした時の節子の寝顔も、そうしたいつもの寝顔と同じでした。
なんでその節子を火葬にしてしまったのか、残念でなりません。
もちろんその選択しかなかったのですが、とても後悔したのを思い出します。

話がそれてしまいました。
私が最近夢を見すぎるのは、隣に節子の寝顔がないからかもしれません。
目が覚めて、隣に誰もいないのは、やはりさびしいものです。
また話がずれそうなので、もう終わりにします。
今夜は、できれば節子の夢を見たいものです。
パラレルワールドを生きている夢は、もう見たくありません。

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2015/11/10

■節子への挽歌2991:「魂は向こうに置いてきた」

節子
鈴木さんがサンティアゴ巡礼から戻ってきました。
73日間で1700㎞。サンティアゴからさらに歩いて大西洋も見てきたそうです。
最後のハガキはマドリードからでした。

今日、帰国後の最初のハガキが届きました。
2日半、疲れて引きこもっていたようです。
それにしても、1700㎞とは想像もつきません。
出かけた時とどう変わっているのか、とても興味があります。
会うのが楽しみです。

帰国後のハガキには、こんなことが書かれていました。

かつてワールドカップのメンバーからもれたとき、三浦カズが「魂は向こうに置いてきた」といって帰国しました。
わたしの魂の一部も、まだフランスとスペインを歩き続けているような気がします。
魂は、身体ほどに論理的な動きはしないのでしょう。
節子が旅立った時の魂が、いまもわが家のあたりにいるのかもしれません。
人生は、サンティアゴ・デ・コンポステーラよりも、ずっと長い巡礼路ですから。

もうひとつ、おもしろいことが書かれていました。

大西洋を見たときのほうが「ここまで来たか!」という気持ちが強くしました。
つまり、サンティアゴに着いた時よりも、感激したということでしょうか。
いまサンティアゴのカテドラルは修復中で、ブルーシートに半分は覆われていたそうです。
そのせいかもしれないと鈴木さんはにおわせていますが、私にはもし修復してなくても、そうだったろうという気がします。
自然は魂と、深くつながっているからです。

鈴木さんは、つづけて四国巡礼に出かけるそうです。

Santiago


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