カテゴリー「サロン報告」の記事

2019/09/17

■湯島サロン「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」報告

「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」サロンはいろいろな気付きをもらえるサロンでした。

案内でも書きましたが、篠田さんは、自分の存在があるのは、父母がいて、先祖がいるおかげ。脈々と頂いた奇跡の「命」を次に繋げるために生まれて来た自分も将来先祖になる、ということを考える契機にするためにも、先祖を「見える化」することが効果的だと考えています。

最初に、篠田さんは、今ではあまり注目されずに、ひっそりと建っている慰霊碑の写真を見せてくれました。
慰霊碑の裏には、いまの社会の実現に貢献した人たちの名前が刻まれています。
時代の変化の中で、その活動の意味合いは変わったこともあるかもしれませんが、当時は社会が評価していた人たちのはずです。
それが、今では忘れられてように放置されているものも少なくない。
いまの社会を創ってきてくれた昔の人たちへの感謝を忘れていいのか。
感謝の気持ちがなければ、慰霊碑はただの石。

そして篠田さんは、感謝の気持ちを育てれば、「生きる力」が生まれてくるといいます。
そうした「感謝の気持ち」が失われてきていることを篠田さんは残念に思っているのです。

そこで篠田さんは参加者に、「ありがとう」の反対語はなんでしょうと問いかけます。
みなさんはなんだとお思いでしょうか。

篠田さんは、「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」だと言います。
「有難う」と漢字で書けば、その理由がわかるでしょう。
私たちが、いまここに生きて暮らせているのは、「あたりまえ」のことではなく、「有難い」ことであり、そうした「有難い」ことを成り立たせているのは、私たちのご先祖のおかげです。

ご先祖もただ思い出せばいいわけではありません。
そこに感謝の気持ちがなければ、ただの知識になってしまう。
そして、篠田さんは「いのちの積み木」を組み立てて、そのどこか一つ、つまりご先祖さまの誰か一人が欠けただけで、自分の存在は崩れてしまうことを実際に示してくれました。

「いのちの積み木」については、次のサイトをご覧ください。
https://gosennzosama.11ohaka.com/

そして、各人、ご先祖さまシートに自分の両親、そのまた両親、さらにそのまた両親と、名前を書き込んでみました。
なかにはかなり前までさかのぼれる人もいましたが、だいたいが祖父母まででした。

その後、話し合いが始まりました。

名前だけではなく、その人にまつわる物語や時代とのつながりがあると記憶に残りやすい。
実際の接点があると思いだしやすく記憶にも残るが、そうしたものがなくなってきている。
お墓は、そうしたことを思い出す一つの装置。
お墓に刻まれる戒名や過去帳を残したりする話も出ました。

両親がいない子供が増えてきている状況の中では、子どもたちを対象にする場合は慎重にやる必要があるという意見も出ました。
血縁に限らず、お世話になった人も含めて、考えることも大切だという意見もありました。

参加者の中村さんからは、「いのちのまつり ヌチヌグスージ」という絵本が紹介されました。
「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね~?」と言う問いかけから始まるこの絵本の圧巻は、見開き拡大ページで10代にさかのぼっての1000人を超えるすべてのご先祖様の顔が描かれているところです。
学校教育でも採用されている本だそうです。

家族が大きく変質しつつある現在であればこそ、ご先祖さまのことを思い出すことが大切になってきているのではないかという気がします。
「いのちの積み木」はいろんな形で使える道具だと思いました。
今回もまた、お墓の意味も語られました。

ちなみに来週の秋分の日は、法律では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ために休日に指定されているそうです。
ご先祖さまの名前を一度書き出してみたらどうでしょうか。
いろんな思いが生まれ、生き方もちょっと変わるかもしれません。

「いのちの積み木」ワークショップに関してもっと知りたい方は篠田さんをご紹介しますので、ご連絡ください。

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2019/09/15

■リンカーンクラブ研究会「敗戦後の日本から抜け出るために」報告

「敗戦後の日本から抜け出るために」を大きなテーマにしたリンカーンクラブ研究会が始まりました。
リンカーンクラブ代表の武田さんを中心にした気楽なゼミ形式で、毎月第2土曜日の午後、開催していく予定ですが、メンバーは固定せずに、公開スタイルで進めていきます。
毎回、テーマを設定しますので、関心のあるテーマだけの参加も可能です。

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今回は、敗戦後の日本の政治状況をどう見ているか、そうした現状をどう変えていこうと考えているかを意識しながら、課題を確認するような内容になりました。

最初に参加者各人から、「戦後の自民党政治の問題点」を自由に話してもらいました。
次のような、さまざまな意見がでました。

日本人古来の忖度文化を悪用した政治が続いて、いまや国家としてもアメリカに忖度する政治になってきている。
ほんとに民主主義になったのか、戦前の没個性のお上意識が戻ってきているのではないか。
日本人は結局、連帯して動くことができなかった
こんな日本しか作れなかったことで、自分に腹が立つ

ある時から、日本の未来をしっかりと考える本物の政治家がいなくなってきた。
脱政治化された国民国家になってしまったが、今回の山本太郎現象に一筋の光を感ずる。
敗戦後の革命で得たものは失われてしまった、また新たに積み重ねていかねばいけない。

今回の千葉の台風被害のように、予見されていたにもかかわらず、政府はそれよりも内閣改造を優先。災害後の実状も、実際にヘリを飛ばせばわかったはずだが、政府はアクションしなかった。そこに今の政治の本性が象徴されている。
マスコミは政府に利用される存在になってしまったが、今回の台風被害も、ツイッターで現場の人が声をあげてようやく実状が顕在化した。そこに新しい可能性を感ずる

アメリカが倒れそうで中国が力を増している国際情勢の中で、外圧によって、日本は変化を余儀なくされる状況が強まっている。その一方で、国内的にはITによる国民監視が強まっている。いずれにしろ、大きな分岐点にある。

参加者からはこんな意見が出ました。
それを受けて、武田さんからは、概略次のような話がありました。

敗戦後70余年、自民党の政治と言えば、やれることを最大限やってきた政治と言える。
国民に嘘をつき隠ぺいし、憲法に反してまで強引にやってきた政治であり、今やまるで独裁国家のように、自民党は日本国憲法さえも自己の政治の道具にしてしまった。
そして、こうなった責任の大半は、政治に無関心であった国民にもある。
しかし、その自民党政治の限界が見えてきた。

つづいて、安全保障、財政、外交などの具体的な領域において、そうした政治状況が引き起こしている具体的な問題に言及し、有力な自民党議員の血縁者によって占められ「政治ムラ」ともいうべき利権グループ(これは武田さんの表現ではないのですが)に政治を任せておいていいのかと呼びかけました。
いまここで立たねば、未来は開けていかないのではないのか、という武田さんの思いを感じました。

そこから話し合いです。
研究会ですので、あまり逸脱することのないように注意しながら進めましたが、語られた話題を少しリストしておきます。。

政治を決めるのは「制度」か「人」か、どちらがより重要なのか。
象徴としての人間天皇の存在意義。
議会制度や選挙の問題。
マスコミメディアの持つ政治力。
そもそも憲法とは何か、また日本国憲法の成立過程をどう理解すべきか。
政治に根幹としての、どういう国を目指すのかと言う「国家ビジョン」。
政治に目を向ける余裕のない若者世代。
こういう政治を語る場を増やしていくことの大切さ。
こういう議論をどう行動につなげていくか。

ほかにもいろいろとありましたが、個別問題への意見はともかく、現在の危機状況を変えていかなくてはという思いは、参加者全員が共有していたと思います。

となると、ただ話し合っていただけでは、武田さんが言うように、主権を持つ国民としての責任を果たせません。
そのためには、これも武田さんが最初の話で強調しましたが、実態を知らないが故に反応できないでいるという状況から変えていく必要があります。
こうした学びの場がもっと必要です。
同時に、学んだことをできる範囲で実践していくことも大切ですし、それ以上に、社会への働きかけもしなければいけません。

話は大きくなってしまいましたが、しかしまずは、研究会で学び気づき、政治への関心を高めていきながら、時に個別課題の勉強会、さらには公開フォーラムを開催していこうということになりました。
そうしたさまざまな活動が、この研究会から生まれていくようになればと思います。

当面は、毎月第2土曜日の午後に研究会を開催します。
固定メンバーとして参加したい方はご連絡ください。

次回(1012日)は、まずは「目指すべき国家像」をテーマにします。
政治を語るに際して、大切なのはどういう国を目指すのかと言うビジョンですから。
参加者は、あらかじめ自分が考える「こんな国にしたい」と言う国家像を考えてきてほしいと、武田ゼミ先生は言っています。
よろしくお願いいたします。

 

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2019/09/06

■茶色の朝サロン「最近、ちょっと気になることから政治を考える」報告

BMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を再開しましたが、女性3人、男性7人の参加でした。

男性の人数が多かったこともあって、なかなか生活視点での議論には向かいませんでした。
しかし、家族問題や夫婦関係の話が出て、世代間や男女間の生活感覚の違いが話題になったのは、これからの政治を考える上でも大きな示唆があったように思います。

サロンを始める前に、ニーメラーの後悔の言葉を読み上げさせてもらいました。
ご存知の方も多いと思いますが、引用させてもらいます

ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。

最初の口火は、「不安」を感じているという男性の発言から始まりました。
その「不安」は、さまざまなことから起こり、またさまざまなものにつながっているようです。
その人は、息子との会話で、世代によって情報環境が大きく違っていて、そこから生ずる生き様の違いや政治感覚の違いに「不安」を感じているようです。
むかしと違って、どうしてみんなの考えがこんなに違ってきてしまっているのか。

対称的だったのが、女性から出された「まわりの奥様たちの不満」でした。
たとえば、経済的に夫に依存している(稼ぎが少ない)が故の夫への対抗力の弱さ。
それが、夫への「不満」、生活への「不満」につながっているようです。
経済的には男性優位の社会は、相変わらず続いているようですし、女性の考え方も意外に変わっていないのかもしれないと私は感じました。

「不安」と「不満」。
これが今回のキーワードだったように思います。

不安と不満は、似ているようで、発想の起点が真反対です。
不安は外部からやってきますが、不満は自分の中から生まれます。
不安は感ずるものですが、不満は抱くものです。
そして、不満は自らでも解決できますが、不安の解決は自らだけでは難しい。
いや自らではなかなか解決できないからこそ「不安」なのです。

最近の香港のデモは「不満」が原動力でしょう。
個人の不満が社会をかえるほどの動きを生み出し、政治を変えつつあるわけです。
日本の女性たちが抱いている「不満」とはだいぶ違います。

「不安」から考える政治と「不満」から考える政治。
もしかしたら、そこに男女の政治感覚の違いがあるのかもしれません。

「家政」という言葉があるように、家族(社会の基盤となる集団)の関係を豊かなものにしていくことも「政治」です。
古代ギリシアは、女性が家政を、男性が国政を守っていました。
両者は、深くつながっています。

国政の基本ともいうべき家政が乱れると国政も一挙に変わりかねません。
「不安」を表現した人は、舞台劇「朝のライラック」の話をしてくれました。
「イスラム国」に支配されたシリアの架空の村を舞台にした、政治によって家族が壊され、個人の人格が踏みにじられるような衝撃的な話です。

ところが、その人は20年ほど前にシリアに行ったことがあるそうですが、その頃のシリアはとても平和で、シリアの人たちは、とんでもなく善い人ばかりだったと言います。
それが、政治によって、あっという間ほどの短時間で今のように荒廃してしまう。
ある朝、起きたら世界が茶色になってしまっていたというのは、日本でも十分にありうる話だと言うのです。

不安を与える社会と不満が高まっている家族は、実は相似関係にあるようにも思います。
社会の荒廃は家庭を壊し、家庭の荒廃は社会を壊していく。
逆に、豊かな社会が家庭を豊かにし、豊かな家庭が社会を豊かにする。

私は、食の不安とか児童虐待とか消費税とか年金とか、そういう話が出てくるかと思っていましたが、そういう話はほとんど出てきませんでした。
出てきたのは、「大きな不安」と「目先の不満」でした。
しかし、ここにこそ、いまの日本の政治の本質が示唆されているのかもしれません。
私たち一人ひとりの生き方を正すことから政治を正していきたいと思っている私には、とても考えさせられるサロンでした。

ちなみに、話し合いでは、不満を持っている女性たちのエネルギーを、社会を変えていく力につなげていけないかという話もありました。
もしかしたら、そういう動きが始まるかもしれません。

次回もまた、気になることを出し合うサロンにしたいと思います。
今度はもう少し具体的な話を出し合えるような工夫をしてみたいと思います。
ともかく継続していければと思っています。

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2019/08/27

■湯島サロン「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」報告

異文化次元交流カフェ主催者の内藤さんが構想する「地上の楽園」をテーマにしたサロンは申し込みが多くて、参加募集を締め切るほどでしたが、当日は、目に見えない自然の摂理が働いたのか、20名以内に収まり、おかげで私もきちんと話を聴けるサロンになりました。

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案内でも書きましたが、内藤さんが目指す「地上の楽園」は次の3つが実現されることです。
 * 人種を問わず、安心して笑い合い、交流できる。
 * 人間の本質である「創造性」が発揮できる。
 * 人間としての尊厳が保たれている、正当に評価される。

その実現に向けて、内藤さんはいま、埼玉県の寄居の“エルモット”を拠点に活動しています。
詳しく知りたい方は、内藤さんのホームページをご覧ください。
http://ermot.jp

内藤さんはまず、「地上の楽園」構想と今それがどういうところまで来ているか、そしてこれからどう展開しようとしているかを、自分のこれまでの活動も含めて話してくれました。

地上の楽園は、「場所」であるとともに「人が創り出すコミュニティ」です。
そこに集まる人たちは、「世界と自分が一体であることが感じられ、あらゆるものに生命が満ちていて、すべてのものごとに意義が感じられる状態」であることが望まれます。
そしてそうなるためには、エゴの殻で自分をまもって生きている状態から、エゴを手放し、自分らしくのびやかに生きている状態へと自己を変えていかなくてはいけない。
内藤さんは、それを自らの精神を成熟させるという言い方をしました。

「地上の楽園」は、成熟した精神の人たちだけのコミュニティではありません。
そこに暮らすことで、精神が成熟していくようなコミュニティでもあります。
精神の成熟に向けて、自らの中にある「精神の可能性」を「発芽」させるための要素は、日本の伝統文化の中に豊富に含まれていると内藤さんは考えています。

そこで「地上の楽園」の実現のためには「和文化体験」を重視しています。
武芸・工芸・文芸だけではなく、日常の生き方に残っている和文化のなかにも、精神を発芽させる要素がたくさんあると内藤さんは考えています。
“エルモット”にはさまざまな国からお客様がありますが、彼らと接して、内藤さんはそういう思いを強めているようです。

さらに、“エルモット”では、精神の成熟を補完するものとして、ヒーリングや各種講座も用意されています。
“エルモット”の場所は、埼玉県の寄居ですが、ここは数年前に内藤さんが訪れて、「ここだ!」と感じたところだそうです。
私も何回か行きましたが、たしかに気を感ずるところです。

“エルモット”を拠点に、内藤さんはすでにさまざまなプログラムを展開中ですが、いまはまだ個人活動にとどまっているためなかなか広がりが出てきません。
この構想をもう一歩前進させるために、独立自由な人たちがゆるくつながり、精神の成熟を高め合う、そんなコミュニティが、いま内藤さんが目指している課題のようです。
この構想に共感した人たちが集まりだして、それぞれが自らのやりたいことを実現するプラットフォームが生まれれば、構想は実現に向かいだすでしょう。

お話を聴いた後、話し合いが始まりました。
もう構想ができているのだからどんどん進めればいいという意見がある一方、構想が抽象的すぎてわかりにくいのでもう少しテーマや方向を絞ったらどうかという意見もありました。
今回、内藤さんは「見えないビジョン」をできるだけ言葉にし可視化するために、見える世界の言語や思考の枠組みを組み込んで話してくれましたが、それが却って混乱を起こすのではないかという指摘もありました。

たしかに見えない世界のビジョンを言葉で説明するのは難しいです。
言葉で説明するよりも、絵や書で伝えられないかという指摘もありました。
あるいは、踊りや歌のような「楽しさ」をもっと前面に出して、まずは人が集まりたくなる場を考えたらどうかという提案もありました。

みんなが幸せに暮らせるコミュニティづくりは、これまでもありましたし、いまもあります。
しかし内藤さんが目指しているのは、仲間内の楽園ではなく、開かれた楽園であり、世界(宇宙)に広がっている楽園です。
そこに難しさがあり、わかりにくさがあり、しかし魅力と新しさがあるように思います。

今回のサロンのいろんな意見が、内藤さんの構想実現に役立つといいのですが。

サロンをさせてもらって、1回の話だけではなかなか伝わらないと思いました。
それで改めて、寄居の“エルモット”で体験型サロンをやってみるのはどうかと思いました。

最後に私の感想を一言。
精神の成熟とか自己超越とかいうことは難しいですが、内藤さんが話した「自分らしくのびやかに」に生きることは、その気になれば誰にでもできることです。
そういう生き方をしている人が、寄居に3人集まったら、地上の楽園は育ちだすのではないかと思いました。
いや、その気になれば、それぞれの人が自らの周りに「地上の楽園」を創り出せるのではないか。
「地上の楽園」は、もしかしたらみんなのすぐそばにもうあるのかもしれません。
そんな気がしました。

 

 

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2019/08/19

■湯島サロン「分け合う経済試論 〜資本主義の次の世界への可能性」報告

平田英二さん(やとじぃ/練馬区文化財保護推進員)の「分け合う経済試論」のサロンは猛暑にもかかわらず、14人の参加がありました。
いつもより時間を1時間延ばし、平田さんが作成してきてくれたテキストをベースに2時間近く、じっくりと平田さんのお話を聴かせてもらいました。

平田さんは最初に今回サロンで話すことになった背景を話してくれました。
「カネ、カネ、カネ…の世の中、やだなあ」と感じていた平田さんは、昨年、湯島でやった霜里農場の金子友子さんのサロンで、有機野菜を売るのではなく、あげちゃうことにしたらうまく回りだしたという友子さんの話を聴いて、目が開かされたといいます。
その後、平田さんは4回も入院をするのですが、その間、改めていろいろと本を読んだり考えたりしているうちに、「分け合う経済」ビジョンが形になってきたようです。
念のために言えば、平田さんは現場と実践の人ですので、書籍だけから組み立てられた仮設ではありません。
現場調査もしながら、自分の生きかたとつなげて考えてきたビジョンです。

話は、「アイヌの鮭交易」の話から始まりました。
それは、収穫した鮭を加工して、ある場所(チシャという一種の神域)に放置し、それを欲しい人が引き取っていくというようなスタイルです。
神域に放置することで、鮭は神のものになり、それを必要な人が活かしていくということで、個人の所有権の移転とはちがうのです。
神のもの(みんなのもの)を分け合って活かしていくという仕組みで、平田さんの提唱する「分け合う経済」のエッセンスが凝縮されているように思います。

そこから平田さんはアイヌ文化の成り立ちに話を転じ、北アメリカ先住民のポトラッチまで話を進めます。
アイヌの話は、社会のありように大きな示唆を与えてくれる内容でした。
そして、資本主義経済は「棚田経済」だと言って、水田稲作という装置産業が生み出した権力と格差の話に入っていきます。

その話をたっぷりしてくれた後、では格差を生まない経済取引はあるのかと問題を設定し、いくつかのモデルを紹介します。
その一つが、「分かち合う経済」ですが、それはそれですぐれた解決戦略だと思うと言いながら、やはり平田さんは納得しないようです。
視点が違うのです。
そして出てきたのが「分け合う経済」なのです。

平田さんはこう言います。
心情的な語感をもつ「分かち合い」よりも、物々交換や沈黙交易に対置できるような、フラットで動的な言葉として、「分け合う経済」を選んだ。

「分け合う経済」は必然的に仲がよい関係を作り出す、と平田さんは言います。
人間同士だけではなく、自然とも仲良くして、自然から分けてもらった恵みを分け合う。
自然の一部として生きる者どうしが自然の恵みを分け合う、ということです。
そして、狩猟採集民こそ、まさにそう生きてきたと平田さんは言います。

平田さんは、アイヌも含めて狩猟採集民が農耕と無縁だったなどとは思っていません。
その生き方というか社会のありようを言っているのです。
そういう時代に分け合って生きている人たちがどういう集落をつくり、どういう文化や死生観をもっていたかを、縄文環状集落モデルで説明してくれました。
これも示唆に富む話でした。

とまあ、そういう話をしてくれた後、平田さんは格差と戦争原理をなくす分け合う経済が持っている可能性を語ってくれました。

分け合うのであれば、できたものをできたなりで分け合えばよい。
コストパフォーマンスどころか、コストという概念さえない。
B級品や規格外というロスが生じることもない。
お返しもまた分け合いだから、必ずしも、もらったものに見あったものである必要はない。分け合える何かをお返しすればよい.
価格という制約がなくなれば、むしろ、物そのものの価値をまっさらな状態で受け止めることができるのではないか?

少なくとも生活に関わる領域を「分け合い経済」に変えていき、人びとと分け合い、自然と分け合えば、自然を過剰にいじめることなく、おのずと持続可能性の高い社会を維持することができるのではないか?
「各人ができることを分け合って働き(そこにいること自体ひとつの働き)、得られたものは平等に分け合う」ことによって、格差も小さくなる.
そこに「働かざるもの食うべからず」の思想はない。
「分け合う経済」は、戦争という人類最大最悪の不幸を避ける道にもなる。

いかがでしょうか。
そして最後に結論としての平田さんとしての行動宣言です。
「そういうことで、私はまず「あげること」からはじめることにしました」。
そういって、今回のサロンの資料をカラープリントで参加者全員に配布してくれました。
一冊の本にもなりそうな内容の濃い資料です。

話し合いも、賛否あって、いずれも示唆に富むものでした。
魅力的な議論も多かったですし、私の意見も書きたいのですが、長くなりすぎるので今回はやめます。
できたら参加された方がフォローしていただけるとうれしいです。

参加された方は、いろんな示唆を受け取ったと思われますが、平田さんが最後に自己宣言したように、いまの社会がもし生きづらいのであれば、まずは自らの行動を変えることから始めるのがいいと改めて思いました。

このシリーズのサロンは引き続き継続します。
話したい人がいたらご連絡ください。

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2019/08/15

■湯島サロン「沖縄・辺野古の現状2019年夏」報告

今年もまた、沖縄の東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長の緒方さんに、サロンをやってもらいました。

緒方さんは、アメリカで開催される平和を求める元軍人の会(VFP)の総会に出席する予定だったのですが、体調を崩され渡米は中止されたのに、サロンは無理を言って予定通り開催してもらいました。
ともかく緒方さんのお話をお聞きしたくて、緒方さんには無理をさせてしまいました。
サロンには、女性3人を含む、12人が参加しました。

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最初に緒方さんは、アメリカのVFP総会で上映予定のDVDを見せてくれるとともに、総会で配布される資料の日本語版を配布し、それに沿って、辺野古をめぐる概況とVFP総会へのメッセージを紹介してくれました。
それに加えて、「本土」のマスコミがほとんど取り上げていない琉球新報のワシントン特派員からの衝撃的なニュースを紹介してくれました。

それによれば、最近、上下両院で可決された国防権限法案では、「辺野古を唯一」とする条文が削られ、「国防長官は沖縄やグアム、ハワイ、オーストラリアなどの部隊の展開計画を再調査しなければならない」とされているそうです。
さらに、代替基地としては、「アラスカ、ハワイ、米本土、日本、オセアニアのどこか」と提案されるようですが、ここに書かれている「日本」には「沖縄」は含まれていないそうなのです。

詳しくは、琉球新報の下記の記事をお読みください。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-961260.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00000011-ryu-oki

ちなみに、琉球新報の記事にあるように、辺野古基地建設で失われようとしているサンゴ礁や自然の破壊を取り上げた映像ドキュメンタリー「我した島ぬ宝(私たちの島の宝)」も上映されるそうですが、日本のマスコミではなかなか伝わってこない動きが、沖縄の人たちの活動によって、アメリカでも始まっているようです。

日本でも、たとえば自然破壊とか軟弱基盤問題などが話題になりましたが、一時期の話題でそれが大きな流れの変化にはつながっていません。
もしかしたら、アメリカよりも日本の本土は沖縄から遠いのかもしれません。

まだまだ日本では、米軍基地問題は「沖縄の問題」と捉えられがちですが、問題は沖縄のみならず、日本全体の問題です。
沖縄の基地が問題なのではなく、日本に米軍基地があることが問題なのです。
そう考えれば、そもそも「沖縄基地問題」という言い方を変えることから始めなければいけません。
私が今回、一番反省したことはこのことです。

さらに言えば、問題は「米軍基地」ではなくて、現在の国政のあり方であり、私たちの生き方や政治への関わり方の問題です。
緒方さんは、話の中で、報道写真家の岡村昭彦さんの言葉を紹介してくれました。
「本土」の人から基地問題に関して何をしたらいいかを問われた時に、岡村さんは「基地の問題に何ができるかではなく、ご自分の周りにある問題に取り組んでもらえればいい」と応じたそうです。
とても共感できます。
同じような問題は、だれのまわりにもたくさんあるはずです。
それに実践的に取り組んでいえば、かならずそれは基地問題にもつながっていく。

それにしても、7割以上の住民が反対している辺野古埋め立てが、政府によって話し合いさえされずに進められているという、いまの政治のあり方を、私たちはもっと問い直す必要があります。
いつ、そうした政治が私(あなた)の身近な生活に及んでくるかもしれません。
その時に、当事者が7割反対しても押し切られる政治が生み出されているのです。

話し合いはいろいろと広がりましたが、私が一番ショックだったのは、沖縄の大学生たちがこうした「政治問題」に消極的になってきているということです。
若者たちの生き方は、社会の未来を示唆しています。
子育てや学校教育の問題は、決して「福祉問題」にとどまるものではないのです。

琉球・沖縄センターでは活発な情報発信を行っていますが、なかなか沖縄以外の地域には情報が届きません。
今回のように、緒方さんから直接お話を聞くだけでも認識は変わるはずです。
沖縄の実状や基地を取り巻く状況に触れられる場をもっとつくっていけないものか、と今回も思いました。

どなたかそういう場を企画しませんか。大学やNPOでも、個人でも、社会教育の場でも、その気になれば、いろいろと考えられます。
もしご連絡いただければ、私も一緒に考えさせてもらいます。

サロンの話し合いの内容をきちんと書かずにすみません。
参加された方、できればフォローしてもらえるとうれしいです。

 

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2019/08/05

■湯島サロン「今回の参議院選挙結果に感じたことを自由に話し合う」報告

2回目の「参議院選挙結果に感じたことを自由に話し合う」サロンには、猛暑にもかかわらず10人が集まりました。
前回に引き続き参加してくださった方もいます。
今回の選挙に、新しい政治の予兆を感じている人は少なくないようです。

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最初は、やはり投票率の低さが話題になりました。
投票を義務制にしたらどうかという発言もありました。
難しく考えずに、自分が興味を持っていることを主張している人を選ぶことを若者に勧めているという話もありました。
ひとつのテーマで立候補することの是非に関する話し合いも少しありました。

山本太郎さんのところでボランティア活動をした人も参加されたので、山本太郎さんの話も多かったですが、おおむね共感する人が多かったように思います。
私も、山本さんの動きに、「政治家の政治」ではない「新しい政治」の予兆を感じた一人です。
それで最後に、2年前のサロンで話した「政治のパラダイム転回」の話をさせてもらいました。

配布させてもらったメモを添付させてもらいます。
ついでにサロンで話題になった政策シンクタンクの話も2年前に話させてもらっていますので、ついでに添付させてもらいます。

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私は、上からの政治が下からの政治へと180度転回する予兆を今回感じたので、もう少し長生きしようと思ったほど、今回の選挙はうれしかったのです。

いろいろな立場の方がいたおかげで、さまざまな切り口や視点での話が出ました。
映画「新聞記者」も話題になりました。
知性と感性、政治と生活、言葉と実体、家政と国政、などという話も出ましたが、いろんな話題が出た割には、いつもと違って、あまり話が散乱しなかった気がします。
今回の選挙が、それぞれの政策や価値観の違いを超えて、多くの人に何か新しい動きを感じさせた結果なのではないかと思います。
その風が吹いているうちに、こういう話し合いの場が、いろんなところで始まればいいなと改めて感じました。

2時間の予定が結局また3時間になってしまいました。
こんなに盛り上がるのに、どうして政治を語る場が広がっていかないのか不思議です。

これを皮切りに、しばらく中断していたBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を9月から再開します。

難しい政治談議ではなく、生活感覚から政治を話し合い、政局的な政治から生活につながる政治を取り戻していく動きを起こしていければと思います。
そのためにも、政治に関する固定観念からもっと自由になる必要があります。
政治家たちに期待する政治ではなく、自分たちが主役の当事者としての政治を語る時代の幕開けです。

話したいテーマがあれば、ぜひご連絡ください。
話したい人がいたら、ぜひご連絡ください。
基本的に湯島のサロンは、話したい人に開放していきたいと思っています。

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■『お箸を使ったゲームで遊んでみよう~!』の報告

毎月第2火曜日の午後、『ほっとスマイルプロジェクト』の交流会を開催していますが、8月は少し趣向を変えて、国際箸学会で推進している「箸ピーゲームと箸リンゲーム」の体験会を公開スタイルで開催しました。
ゲストにこのゲームの開発者でもある国際箸学会会長の小宮山さんに来てもらいました。
奇しくも84日は、「箸の日」。

猛暑の中を10人を超える人たちが参加。
ほっとスマイルプロジェクトのメンバー以外も、家族参加も含めて。4人が参加してくれました。

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このゲームは、一言で言えば、一種のコミュニケーションゲームですが、一人で取り組んでも楽しいゲームです。
そのうえ、ゲームで楽しみながら箸の使い方・持ち方が上達する効用もあります。

今回の参加者の中には以前も体験し、実際に福祉施設などで活用している人もいますが、初体験の人もいました。
最初に小宮山さんから、箸ゲームの開発物語を少し話してもらった後、みんなでゲームを楽しみました。
まずは箸でピーナツを移動させる箸ピーゲームに取り組み、みんなで体験。
つづいて、5つの輪を、さまざまに箸を使いこなして移動したり形を造ったりのゲームです。

このゲームに本格的に取り組むのは、ほっとスマイルプログラムとしても初めてですが、箸ピーゲームとはまた違った面白さと効用がありそうです。
ゲームの体験中、笑いが絶えず、ほっとスマイルプロジェクトが目指す、ほっとスマイルな時空間が生まれました。
ともかく面白い、どうしてもっと普及させないのか、もったいないという声も少なくありませんでした。

最後に、体験感想を話しながら、どうしたらもっと広げられるか。あるいはさらに進化させられるかについて、話し合いました。
実践的な意見もたくさん出ました。
暑い中をわざわざ来てくれた、小宮山さんにも、少しお返しができました。
参加者の中には、早速、箸ゲームイベントを企画するという人もいましたが、これからの展開が楽しみです。

ほっとスマイルプロジェクトとしても、箸ゲームはひとつのプログラムメニューになるかもしれません。
箸ゲームやほっとスマイルプロジェクトに関心のある方はご連絡ください。

 

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2019/08/03

■湯島サロン「キャリアコンサルタントになり100歳まで現役で働く」報告

国家資格のキャリアコンサルタント養成講習を主催されている柴田さんにその紹介も含めて、100歳人生時代の働き方に関しても、問題提起していただきました。
他者のキャリア、つまり生き方にまでコミットしていくというキャリアコンサルタントという仕事を国家資格として認定していくという考え方に、いささかの違和感を持っていた私にとっては非常に関心のあるテーマでしたが、柴田さんの話を聞いて、少し考え方が変わりました。
両刃の剣であることは否定できませんが。

Shibata190802

柴田さんは、最初にご自分のこれまでの働き方を最初に話してくれました。
柴田さんは、自らの生き方を悩みながら問い続けることを起点において、他者と関わっていこうという姿勢を持ち続けてきた結果、現在、行き着いたのが「キャリアコンサルタント」なのだと感じました。
柴田さんは、クライアント対象の単なるビジネスとしてキャリアコンサルタントに関わっているのではないようです。
ましてや、国家資格ができたから、それに便乗してのキャリアコンサルタント養成講習ではないのです。

自らのキャリアとの関係においてこそ、他者のキャリアやアイデンティティに関わっていけると考えている私としてはとても共感できました。
柴田さんはまた「ナラティブ」という言葉も使いましたが、そこにも柴田さんの人間的な姿勢を強く感じました。

キャリアコンサルタントは、簡単に言えば、これまでの経験を活かし、人に役立つ専門職です。
経験は人によってさまざまですが、どんな人もそれぞれの人生の中で、その人ならではの体験知を持っています。
失敗が多ければ多いほど、その体験知は貴重です。

しかし、それだけではせっかくの体験知も、その人だけの中で終わってしまう。
それを他者や社会に開いていくためには、コミュニケーションの実践知識や傾聴や対話、あるいは共創というスキルが必要です。
何よりも自分が「何者であるか」を認識しなければいけません、
それによって、自分の体験知が、そして自らの人生が社会性を持ってくる。
柴田さんは、そこに「キャリアコンサルタント」の大きな意義を感じています。
「キャリアコンサルタント」は、個人の生き方を支援することを通じて、会社や社会もよくしていくはずだと確信しているのです。
とても共感できます。

なによりも、苦労して得てきた人生の体験知を他者に役立てることで、キャリアコンサルタントになったその人が一番元気になり、豊かになるはずです。
そしてそれこそが、100歳人生時代の社会を豊かにしていくことになるでしょう。
いろんな捉え方はあるでしょうが、「キャリアコンサルタント」の発想には大きな価値があると思います。

話し合いもいろいろと広がりましたが、みんなまだ「金銭思考の呪縛」から抜け出せないでいるような感じを受けました。
この資格を取得したら「食べていけるのか」という言葉も出ました。
食べるための金額の話も出ましたが、年収200万円未満の友人知人が多い私は、なんだかあまりにも額が高くてついていけませんでした。
人はパンだけでは生きていけず、バラも必要ですし、なによりも、自らの価値を実感できることが必要です。
人生において大切なのは、「食べること」ではなく「生きること」です。

資格を取ったらそれで仕事になるという発想も問題です。
最近話題になっている吉本興業事件で、ある人が、吉本の学校を卒業したらもう自分は芸人だと勘違いしている若者が増えていると言っていましたが、資格は資格でしかありません。
弁護士資格を取っても食えるとは限らないと参加者の一人が指摘していたように、資格を活かして「価値」を生み出すからこそ対価が得られるのです。
資格は必要条件であって十分条件ではありません。

しかも対価とはお金だけではありません。
その発想を変えないと社会は変わらず、100歳人生時代は貧しい時代になりかねません。
逆に、そこを変えれば、人生は豊かになっていくかもしれません。

キャリアコンサルタントの考え方はよいとしても、なぜそれが国家資格なのかという疑問もでました。
現在の「働き方改革」もそうですが、政府が主導するとどうもおかしくなってしまうことは少なくありません。
しかしだからと言って民間主導で進めてもうまくいくとは限りません。
事実たくさんの資格が、資格ビジネスになってしまっている事例も多いです。
大切なのは、その制度を私たちがどう活かしていくかです。

養成講座の費用が高いのではないかという意見もありました。
自分の人生を豊かにするための費用と考えれば、私は決して高いとは思いませんが、そこにもまたキャリアの捉え方や金銭観の違いを感じました。

今回の報告は、いつも以上に私の私見が中心になってしまいました。
柴田さんの趣旨に反しているところがあるかもしれません。
この報告の文責はすべて私にあります。

キャリアコンサルタントに関心のある方はぜひ柴田さんが主宰している志木サテライトオフィスのサイトにアクセスしてみてください。
説明や講座などの情報があります。
https://telework.to/career/shikaku

柴田さんが出版している関連図書もあります。
https://telework.to/company/shibata

 また機会を見て、掘り下げたいテーマです。

 

 

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2019/07/30

■CWSサロン「今回の選挙結果に関して話し合いませんか」報告

久しぶりのテーマなしのオープンサロンを、「今回の選挙結果に関して話し合いませんか」に切り替えてしまったのですが、猛暑にもかかわらず6人集まりました。
一応、私も入れてですが。

Senkyo190728

話が盛り上がりすぎて、5時になっても終わりません。
内容は差し控えますが、山本太郎さんの話が一つの軸になりました。
また、選挙問題を超えて、中国や日本の未来も語られました。

参加者の一人が、こういう話し合いがもっと広がっていかなければいけないと話されました。
全く同感です。
しかし、この暑い日に、こうやってわざわざ500円の参加費まで払って話し合いに来る人は残念ながらそう多くないでしょう。
こういう場を維持するのも、そう簡単ではないのです。

しかし、山本太郎さんは500円の寄付からはじめて4億円以上を集めました。
まだ捨てたものではありません。
身銭と自分の時間を切ってでも社会を変えようという人たちが生まれだしたのです。
湯島のサロンもそうした人たちに支えられて継続できています。。

サロンも諦めずに続けることが大事でしょう。
日曜日には参加できないので、平日に参加してほしいという方がいましたので、8月5日(月曜日)の午後にも同じテーマでの話し合いを開催します。
いまの政治に満足している人も満足していない人も、どなたも歓迎です。
もちろん安倍政権支持でも山本太郎支持でも、誰も支持できないでも、いずれも歓迎です。
ともかく今は、政治を話し合うこと、政治に無関心ではいないことが大切です。

政治を話し合うことは、生活を話し合うことですから。

珈琲は熊本の宮田さんが提供してくれたスリランカのコーヒーです。
2時から4時です。

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