カテゴリー「サロン報告」の記事

2020/07/06

■湯島サロン「新型コロナウイルスとともに考えたこと-若者からのメッセージ」報告

コロナ騒ぎの影響で、生き方を変えさせられたり、自ら問い直して生き方を変えたりしている人も少なくないと思いますが、そうしたことから生き方や社会のあり方を話し合おうというシリーズの1回目です。
今回の話題提供者は、大学3年(経済学部)の川端修平さん。

東京でのコロナウイルス感染者が増えだしていますが、このサロンへの参加申込も直前になって急増したため、参加申込のみなさんには状況をお知らせしたのですが、辞退者はわずかで、結果的には20人を超してしまいました。若者のメッセージを聴きたいという人が多いのに改めて驚きました。聴く機会は意外とないのかもしれません。

川端さんは、フェイスブックやツイッターなどで、そうしたことを発信していましたが、どうもそれへの反応がいささか否定的だったようで、それもあって今回はネット経由ではなく、直接対面で話し合えるサロンという場を選んでくれました。
参加者にはあらかじめ、川端さんが書いた論考を配布し、読んできてもらいました。
彼の論考に関心のある人は私(qzy00757@nifty.com)の連絡いただければデータで送ります。

川端さんの話を一言で要約すると、「生きる」と「生活」と「働く」と「経済」と「人間」が一体であることに思い至り、それを実践しだしているということです。
具体的に言えば、住んでいる地元にいる時間が増え、時間ができたので畑をやりだし、そのおかげで地元の異世代の人との交流が始まり、地元の良さも見えてきたというのです。そして、目の前の活きた現実の中で生きているという感覚が強まり、言葉や規範や風潮の世界から解放されるとともに、自分も含めて、同調圧力や規範意識に苦しむ人が多いことに改めて気づいたそうです。

そこから、経済のあり方にも思いが深まり(川端さんは経済学の学生です)、誰かから助けを求められた時に「そのままでいていい」という言葉を説得力をもって話せるようになりたいと思うようになったそうです。
どうも以前に発信した時には、この「そのままでいていい」という言葉がうまく伝わらなかったのかもしれません。川端さんの思いは、だれも無理をせずに自分を生きていけば生きていけるはずだし、それでこそ社会がうまくいくのではないかということです。
それは、「新しい経済の捉え方」であり、みんながありのままに生きていけば、社会全体もうまくいくことを証明したいという考えに至り、そうしたことを卒論での研究テーマにしようと考えているそうです。

川端さんの話を踏まえて話し合いにはいりました。
20代から70代まで、しかも立場もさまざまな人たちの話し合いでは、さまざまな話題が出ました。生と死の話、言葉と思いのずれ、家族関係の大切さ(大きな影響力)、弱い立場の人たちの就職の難しさの話、雇用労働と協同労働の話、土との触れ合いや農作物のシェアの話から贈与経済の話、お金や対価や格差の話、非難と優しさの話などなど、いずれもそれだけでサロンをやりたくなるような話題がたくさん出ました。

川端さんよりちょっと年上で苦労したあげくに同じような生き方に行きついた人が参加してくれていたのですが、その人は苦労もせずにそういう心境に達したことに驚きを感じたようです。また、こういう若者が出てきたことがうれしいという発言が中高年世代数人からありました。

サロン終了後、「若い人とそれを囲む年配者が対等にワイワイガヤガヤと話すサロンは素晴らしい」というメールもいただきました。湯島のサロンでは、どんな人も同じ一人の人間として発言することを大切にしているのです。若い世代の発言の鋭さに驚いたというメールも届きました。

こういう若者が「普通」なのかどうかという話題も出ましたが、今回参加した大学生は2人でしたが、いずれもちょっと特別の存在かもしれません。しかし、湯島のサロンのような自由な空間で話してもらえば、ほとんどの若者の話に、中高年世代はきっと驚愕するでしょう。私はそうした経験を何回もしています。
川端さんが言うように、「そのままでいていい」という生き方に目覚めればみんなそれぞれの鋭さを輝かせだすと私は確信しています。
自己肯定感が大切だと力説していた中高年者もいましたが、多くの人がいま失っているのは、自己肯定感であり、他者肯定感かもしれません。

参加者も多かったので、十分に発言できなかった方も多かったと思います。
今回出されたテーマは、サロンで折に触れて、話し合いたいと思っています。

川端さんからも後でうれしいメールをもらいました。
昨日のサロンで僕の中にもなにか変化が生じたようだというのです。
聞く人ではなく話す人が一番変わっていくというのが湯島のサロンの考えのひとつです。だからみんなに話し手になってもらいたいと思っています。

このシリーズは継続します。いまおふたりの方にお願いしていますが、話したいという方がいたらご連絡ください。

Kawabatasalon20200705

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2020/06/29

■最後の土曜サロンの報告

コロナで外出(自粛)規制が行われている間、毎週、土曜サロンをやっていました。
呼びかけ的な案内はほとんどしていませんでしたが、常連も含めて、毎回5~6人の参加者がありました。
少しずつ外出する人も増えてきたので、7月からは以前のようなスタイルでテーマサロンを開催することに、土曜サロンはやめることにしました。
そんなわけで、今回は最後の土曜サロンでした。
今回は7人の参加でした。

土曜サロンはテーマなしなのですが、今回はやはりコロナ関係と都知事選の話題が多かったです。
コロナ騒ぎと山本太郎立候補には共通のテーマがあります。
それは「障害を持つ人たちの捉え方」と「生活困窮者支援」です。
もっと言えば、「障害とは何か」「生活困窮とは何か」です。
そしてそうした問題と自分とをどうつなげて考えられるかです。
そこにすべての社会問題や格差やいじめの問題は凝集されています。
さらにいえば、動物虐待や自然環境破壊の問題もつながっているかもしれません。

今回は久しぶりに国際箸学会の小宮山さんが参加したので、最後は箸ゲームの話になりました。しばらくやっていませんが、また箸ゲームサロンもやろうかと思います。

土曜サロンに参加してくださった皆さんのおかげで、湯島のサロンは切れ目をつくらずにすみました。
この間、参加してくださった皆さんに感謝いたします。
ありがとうございました。
私はコロナの第2波(定義によりますが)は来ないと思っていますが、仮に来ても、サロンはつづけるつもりです。

Lastsaturdaysalon200627  

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■湯島サロン「山本太郎さんの都知事選立候補から政治を考える」報告

久しぶりに湯島のサロンが人であふれました。
「山本太郎さんの都知事選立候補から政治を考える」のサロンです。
事前の申し込みは10人ほどだったはずですが、ふたを開けたら、16人のサロンになりました。
山本太郎さんの積極的支持者は半分くらいで、なかにはほかの候補者のボランティア活動に取り組んでいる人もいましたし、山本太郎の都知事選立候補に反対の人も複数いました。誰でもいいと言う人もいましたし、これまで選挙に一度も行ったことがないという20代の若者もいました。
山本太郎さんの街頭演説を聴いて、チラシを持ってきてくれた人もいますし、サロン終了後、街頭演説を聴きに行く人もいました。山本太郎さんとの距離感はさまざまでした。

予定していた2時間半(いつもよりも長くしました)、いろんな話題が出ました。
参加者もさまざまで、企業の社長や世界を舞台にして活動しているフリーランスのビジネスマンもいる一方、世捨て人に近い人もブラックともいえる仕事環境で働いている人もいました。世代も20代から70代と幅広かったです。ただ、女性たち、特に子どもを持つ母親の参加がなかったのは残念でした。

ちなみに、投票権を持っている都民は半分くらいでした。有機農業に取り組んでいる人は、忙しい農繁期にもかかわらず埼玉から出かけてきました(実はフェイスブックへの彼女のコメントでこのサロンを開催しました)。
都知事に誰がなるかは、国政にも影響があるという認識は少し強まっているのかもしれません。私は、国-都道府県-市町村というピラミッド構造(上下関係)を変えないと政治は変わらないと思っていますので、ちょっとうれしいです。

山本太郎さんの都知事選立候補にあまり意味を感じていない人も少なくありません。
しかしこういうサロンを呼びかけたら、これだけの人が集まり、活発な議論が行われる。そのことだけでも私は大きな意味を感じます。
しかし、参加者の周りで、こういう話し合いが行われているかとお聞きしたのですが、あまり行われてはいないようです。1968年のころとは違うようです。いや日本だけが違っているのかもしれません。であればこそ、どんどん話題にしていきたいです。

話の内容は一切省略しますが、山本太郎さんへの共感もあれば、批判もありました。
一度も選挙に行ったことがない若者から、参加者に「政治に関心を持った契機は何か」という問いかけがなされました。その質問自体が理解しにくい、生活と政治はつながっていて、政治は生活と共にあった、というような話をした世代的に私と近い参加者もありました(私の感覚もそれに近い)が、ちょっと若い世代になると、この質問の意味はよくわかるようです。そこに「政治」の捉え方の違いを感じました。

最後に、私が考える「政治のベクトル転回」の話を少しだけさせてもらいました。
山本太郎の立候補は、政治家の政治から生活者の政治に政治の捉え方を変えるチャンスではないかと私は思っています。そろそろ政治家による「国会内での政治」ではない、生活そのものにつながったみんなの政治にしていきたいと願っています。
できれば、次回の民主主義サロンは、それをテーマにしようかと思います。
その頃には山本太郎都知事が誕生しているかもしれませんし。
しかしどうもそれを確信している人はそう多くないことを思い知らされました。
私は「念ずれば通ずる」と思って生きていますので、今なお確信はしていますが。

山本太郎さんの精力的な街頭演説はつづいていて、毎回ユーチューブで流れています。
昨日、私は動画ウォッチパーティというのに参加しました。
一緒に話を聴いている人が画面に出てきますし、途中でコメントも書き込めます。私は別に連絡しなかったのに、10人を超す友人が同時に中継を視聴してくれました。なかには意外な人もいました。
コメントには知らない人が反応してくれました。

いい時代の到来を確信しています。

Yamamototaro20200628

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2020/06/24

■湯島サロン「21世紀の平和憲法を考える」報告

長年、平和や人権の問題に取り組んできた川本兼さんの「21世紀の平和憲法を考える」は、テーマが大きいので1回では終わりそうもないのですが、今回は川本さんの主張をまずはしっかりと聴こうという感じで、講義型で行いました。

川本さんは、戦後日本国民がもった「戦争そのもの」「戦争ができる国家」を否定する「感覚」を高く評価したうえで、それがアメリカからの「押しつけ憲法」の9条とつながったことで、日本人は平和が実現したと「錯覚」してしまい、その「感覚」を普遍的な理念(思想)にしてこなかったことが最大の問題だと考えています。

そしてこのままだと、その平和の感覚も風化し、日本の平和運動は次世代にも世界にも広がっていかないのではないかと危惧しているのです。
だから、戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」に「ロゴス」としての「言葉」を与えてそれを思想にし、さらにそれを世界に発することが急務だと言うのです。

そのために、川本さんは日本国憲法改正私案を提案しています。そしてみんながそれぞれの憲法私案を創って議論し合い、日本人による新しい近代憲法を創ろうと呼びかけているのです。

こうしたことから、川本さんは改憲論者に思えるかもしれません。
しかし、そうではありません。川本さんは、現在の護憲論者以上に「護憲論者」と言ってもいいかもしれません。そこを見誤ると川本さんの提案の真意にたどり着けません。

今回のサロンには、残念ながら、いわゆる「護憲論原理主義者」の参加がなかったので、こうした議論は深められませんでしたが、川本さんは運動論的に平和憲法を考え、21世紀の平和憲法の先に22世紀の平和憲法も見ているのです。

川本さんは、現在の日本国憲法に関して2つの問題があると指摘します。
第1に、近代憲法ではないというのです。それは憲法の章立てが「天皇」から始まっていることに象徴されています。近代憲法は、人権原理が出発点でなければいけません。
第2に、9条があるとしても、それは日本の牙を抜くためのものであって、本来的な意味での平和条項ではない。「平和」は単に戦争のないことではなく、人権が尊重されるところにこそ平和の真意があるというのです。
その2点から、川本さんは真に平和を目指すのであれば、9条護憲論者こそが憲法創案に真剣に取り組むべきだと主張するのです。

こういう大きな問題提起につづいて、日本憲法の人権規定の問題点や方向性が具体的に説明されました。そして、それにつながる形で、9条に関しては、むしろ自衛軍としての現実を踏まえて、議論していくべきだと提案します。ただし併せて「反徴兵制」をセットにすべきだというのが川本さんの「21世紀」の平和憲法案です。

それに基づいて話し合いが行われました。
今回は講義型だったこともあり、時間が足りなくて、話したりなかった感じがありますので、できればもう一度、9条に焦点を当てて、「護憲論者」も入れて、議論したいと思います。

川本さんの著書「21世紀の平和憲法」をまだお読みでない方は、ぜひお読みいただき、次回の激論サロンにご参加いただければうれしいです。

  Heiwakenpo

 

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■第8回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心に作者不明歌を読む」報告

升田さんの万葉集サロンも、いよいよシーズン2に入りました。
今回から東歌を中心に作者不明歌を読んでいきます。
テーマは「歌から会話へ」です。

案内文に書いた升田さんのメッセージの一部をもう一度紹介させてもらいます。
これまでのシーズン1のまとめにもなっていますので。

「た」「な」そして「わ」。ほとんどが文字を持たない人々であった古代。
自分の心、思いを伝え表す方法は音声による言語(あるいは絵などの造形物)しかない。言語行為は善きにつけ(祝・愛情表現など)悪しきにつけ(呪・戯言など)言葉を信頼しての行為であるから、「言霊」という言い方も為された。発した言葉は自分に戻って来ることがあるから、言葉は常に畏怖の対象でもあった。
文字を持つようになってから、人々の言語感や言語意識が変わってゆく。
人言()が「うるさい・いやだ」と嫌悪しながらも上手く受容し、「た」とゆるやかに共生する庶民たち。「うるさい」を慣用句化しそれに依拠した形で自己を主張する知識人たち。
「人間と対峙する言葉」が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう。

というわけで、今回はその序論として、東歌を実際に読んで、東歌とこれまで読んできた都の万葉人の歌との微妙な違いを味わってみました。

最初に升田さんが選んだのが次の歌でした。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき(巻14・3373

前半3句が「序」、後半2句が「言」と升田さんは説明してくれました。
「序」には地名と情景が含まれ、「言」には思いが込められる。
ふつう考えると、「言」のほうに意味があるように思いがちですが、増田さんは反対だというのです。

升田さんの解説を聴きましょう。

東歌は、古代の「言」観を基層としながら感情を表出する。この形成過程で、いわゆる「序詞」と称されている部分は修辞としてではなく、歌の中枢となる。そしてこの部分を今「歌」と呼び、気持ちを直接表出している言葉を「言」と呼んで、「言」と「歌」とが融即して一首をなすありようを見ている。恋の相手や共同体である「た」とのコミュニケーションの手段としての「歌」。として、われわれも「た」として東歌を感じたい。

「言」と「歌」。ちょっと混乱しそうですが、直截的な言葉よりも、情景によってこそ、思いは伝わるというのです。
言葉(ロゴス)で伝わることの少なさを日頃痛感している私としては、情景(イメージ)を通してのコミュニケーションのほうが効果的だという指摘にはとても納得できました。
情景には、たとえば「さらさら」という音まであって、それが世界を広げ深めてもくれます。

他の歌もいくつか読みながら、古代人の「言」観、さらには掛詞や枕詞、言霊、「言」への不信感なども話題になりました。

言霊とコロナウイルスというような話も含めて、すこし横道にも入りましたが、「言」は「事」にも通じ、「物」「者」ともつながっていくのではないかという問題も参加者から出されました。こうなるとフーコーの世界(「言葉と物」)にもつながってしまうとふと思いましたが、そんなふうに話題は広がり、用意してくれた東歌の大部分は次回以降になりました。

升田さんは、サロンの後に、こう書いてきてくれました。

問題、課題は山積しており、文学の難しさにも直面するが、参加してくださる方々から暗示や示唆、知識をいただきながら考える場は楽しい。

そして、大きなテーマに陥っているので、東歌をあと何回か読む予定です。とも伝えてきました。
というわけで、このテーマは次回(8月15日の予定)につづきます。

内容がだんだん深まってきて、報告が難しくなりました。
私が報告をまとめると独りよがりになってしまいがちですので、興味のある方はぜひ直接参加してください。報告とはたぶん違うことを感じるのではないかと思います。
そんなわけで、次回から報告は思い切り簡単にさせてもらおうと思います。

Manyou8

 

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2020/06/15

■湯島サロン「益田先生の『看子の日記』を話し合う」報告

益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)の小説『看子の日記』を話題にした、自由な談話形式サロンは10人のサロンになりました。

最初に各人から感想や関心事が出されました。
登場人物の名前も含めて、いろいろな仕掛けが込められている短編ですので、文芸作品としての議論もないわけではありませんでしたが、昨今の状況もあって、やはりみんなの関心は作品のテーマに向けられました。

みんなから出された関心を踏まえて、「比喩の誤謬」「自己・非自己」「アポトーシスとネクローシス」「自我と時間」「環境の捉え方」など、これまでの益田サロンでもよく話題になったテーマが、視点を変えて掘り下げられました。
益田さんは、質問に対しては一緒に考えながら話してくれるので、表層的な知識としての理解だけでなく、自分の問題とつなげながら考えられるのが魅力です。
専門的な切り口から入りながら、いつの間にか、なぜ人は孤独なのかとか、生きるとは我を忘れる事なのか、などというような具体的な話にまで広がっているのです。
もちろん最近の新型コロナウイルスに引き付けた話もありました。

益田さんは、人は「○○は××のようだ」という比喩を使いながら世界を広げているが、大切なのは、その××が借り物ではなく、自分が実際に触れたことであることが大切だと言います。サロンの参加者は、背景も立場もさまざまですので、同じ××でも、人によって大きく違うこともあります。だから時に行き違いもありますが、それがまた思考を深める契機になるのです。

今回は、「自己・非自己」の話が私にはとても面白かったです。
人の生誕に伴う「自己」の継承、あるいは「自己」の括り方、そこからアポトーシス(生命維持のための意図された細胞死)や毒性を持った破傷風菌が自らの生命を断って寄生生物を殺傷し仲間に潤沢な栄養を生みだし仲間の繁栄を図る破傷風菌の「自己」の捉え方、そこから個人や社会や国家のアイデンティティ(自己)の問題、さらには「自己」を超えた「関係性」の捉え方、など、話題は尽きません。

自我と時間の問題も面白かったです。
益田さんは、自我には現在しかないと言い切ります。
「我を忘れる」と「我に返る」という2つの言葉を出して、私たちはふだん、「我を忘れて生きている」が、「我に返って」自我になれば、現在という時間しかないというのです。

今回のサロンに初めて参加した大学院生が、そういえば、勉強は我を忘れないとやってられないというような話をしました。おそらく会社における仕事もそうかもしれません。
ということは、私たちはほとんどの時間を「我を忘れて」生きているのかもしれません。
改めて「自己」とは一体何なのか。

そこから「孤独の起源」の話になりました。
益田さんは、脳の発達が身体を孤独にしたと言います。身体は脳にとっての一次環境ですが、さらにその脳のなかに、「欲望」というものが成長しだすと、その脳が今度は欲望の環境になってしまい、…というように話が複雑になっていきます。
正確に伝える自信がないので、これに関してはまた別途益田サロンをやってもらおうと思いますが、最近のコロナ騒ぎもこうしたことに関連があるようです。

こんな感じでいろいろと示唆に富む話が多かったのですが、やはり3月頃に企画していたように、益田さんの書いた新書「病原体から見た人間」をテキストにした連続講義型病原体サロンやりたいと思いました。
病原体や感染症から見えてくることはたくさんありそうです。
『看子の日記』は副読本にして、参加者が書き込むスタイルはできないかと益田さんは考えているようです。

ちなみに、『看子の日記』には、いろいろなテーマや論点がちりばめられていますが、もし読みたい方がいたらご連絡ください。データで送らせてもらうようにします。

Kanko200607

 

 

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2020/06/14

■土曜サロン報告

昨日の土曜サロンはご案内のように、「社会の正常化」をなんとなくのテーマにしたのですが、話が盛り上がりすぎて、1時間近くも延長になってしまいました。
参加者は私も含めて8人。

ここでいう「正常化」とは、「プラハの春」の後のチェコの正常化政策のことです。
共産党による一党独裁体制下のチェコスロバキアで、1968年に民主化の動きが成功し、「人間の顔をした社会主義」路線が宣言され、表現の自由や個人の尊厳の回復が図られますが、結局、ソ連の軍事介入により民主化は挫折し、再び独裁政府ができますが、その政府は社会の「正常化」を目指して「反民主化政策」を進めていくのです。
そこでは、「正常」かどうかは政府が決める、つまり反民主的体制こそが「正常」なのです。

最近のコロナ騒ぎで、私はこのプラハの春を思い出します。

オリンピックの話から始まりました。そこらどんどん広がり、マスクの裏表の見分け方から人類の未来まで、さまざまな話題が展開しました。
参加者のひとりが、わざわざ「新しい生活様式」のホームページサイトをコピーして持ってきてくれましたので、それも話題になりました。その人は、国民に新しい生活様式を押し付ける前に、政官自らが変わるべきだと付け加えましたが、みんな賛成でした。
「変えさせる」前に「変わる」という文化を大事にするのは、湯島のサロンの理念のひとつなので私も賛成です。

マスクを離さず、新しい生活様式を守ることが、「正常な生き方」「正常な社会」になってしまわないといいのですが。
コロナ感染症への不安に脅かされて、おかしな「正常化」が進まないことを祈ります。

ちなみに、その後、チェコは1989年、ビロード革命という無血革命で「正常」状態から脱し民主化を達成しました。そして価値判断基準を市民が取り戻したのです。
私たちは、取り戻せるでしょうか。

 

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2020/06/08

■湯島サロン「貸借対照表による経済活動の分析」報告

沖さん主催の貸借対照表による経済活動の分析」は10人を超すにぎやかなサロンになりました。高校生の初参加もありました。

財政会計、自治体会計、企業会計、家計は、それぞれ目的が違うために会計制度が違っています。しかし、金銭経済という視点で考えれば、それはすべてつながっています。そこで、それらを総合的に捉えることで、これまで見えなかったものが見えてくるのではないかというのが沖さんの考えです。

そこで、企業会計のフォーマットを、個人(家計)や企業、政府(財政)にも展開して、国家全体の金銭の流れや富の全体像を捉えてみようということで、まずは企業会計の基本である貸借対照表と損益計算表の説明から始まりました。高校生もいたので、減価償却とか日常語ではない用語も参加者が補足的に解説しあってくれました。
個人、会社(事業体)、政府という3つの層で作成した貸借対照表を総合すれば国家全体の金銭経済の全体像が把握できるのではないかというのが沖さんの提案です。

20~30年前に日本でも金融ビッグバンが起こり、企業会計もグローバルスタンダードに移行しました。その結果、日本型の金融制度は解体され、日本の企業構造は大きく変わり、経済の質も変化しました。

並行して、英米発の「ニューパブリック・マネジメント」といわれる行政革命が日本でも広がり、自治体会計制度もかなり企業会計に近づきました。しかし国家財政に関しては、相変わらず特殊構造が維持され、ブラックボックスはそのままで、上場企業程度の透明性も得られてはいないばかりか、わからないことが多すぎます。
たとえば財政赤字がよく話題になりますが、債権と債務は国家単位で考えればバランスしているのだから心配ないという議論もありますが、ほんとうにそうなのか。

などなど、こうした問題を抽出するためにも、貸借対照表による経済活動の分析は有効ではないかというわけです。

今回は考え方の提示だけだったので、具体的な議論にはいきませんでしたが、それでもいろんな課題は見えたと思います。通貨の話や金融の話(特に利子の意味)も少し出ました。沖さんが、冒頭金銭では計れない「幸福」ということもあるという話をしたので、GNP(国内総生産)とは別のGNW(国民総福祉)の話も出ました。
経済はもともと「経世済民」だったし、日本には近江商人の三方良しの伝統もあるという話まで出ました。
参加者それぞれにいろんな気付きがあったと思います。

「汎市場化」「金銭至上主義」に抗いながら生きている私としては、金銭経済的に国家の全体像を把握しようという発想そのものが、新自由主義経済学者が目指すところであり、現在の政府が国民一人ひとりの金銭状況を把握しようとしている動きに加担するような話なので否定的ですが、そういうことも含めて、会計や財政に関することに多くの人がもっと関心を持って行くことが大切だと思っています。
ですから、通貨や新しい経済発想に関するサロンは今後も企画していきたいと思っています。

こんな話題を提供したいという方がいたらご連絡ください。

Okisalon200607 

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2020/06/01

■湯島サロン「民主主義の危機と希望」報告

新型コロナ騒ぎから見えてきた、日本の「民主主義の危機と希望」をテーマにしたサロンには、13人の参加がありました。

Demosalon202005
最初に、参加者一人ひとりから、それぞれが実感している「危機と希望」を自由に話してもらい、それを踏まえて自由に話し合いを行いました。
まさに生活感覚からのさまざまなことが出されましたが、みなさんに共通していたのは、たとえば、人が分断されてきたという現実を通して、逆に人のつながりの大切さへの意識が強まったというように、同じ事象の中に「危険」と「希望」を感じているということでした。

また、これまで見えていなかったことがいろいろと見えてきたり、事の本質に気づかされたり、さまざまな問題や無駄に気付かされたという点も多くの人に共通していました。

監視社会や管理社会、あるいは分断社会、さらには隣人関係などのトラブルなどの話も出ましたが、そうした中から、改めて社会への関心の高まりが読み取れるといえるかもしれません。

社会や政治などに目を向ける余裕が全くなくなってしまうほどの危機状況に置かれた人も増えているという話も出ましたが、それこそがちょっとした仕組みやきっかけで生活と社会がつながる状況が生まれ出しているとも言えるように思います。

一言で括れば、個人の尊厳を尊重し合い、一人ひとりが主役になって社会を豊かにしていくという民主主義の理念から外れた現状が見えてきたと言えるかもしれません。
不都合な現実が露呈されれば、当然に、その問題を解決しようという動きが引き起こされるでしょうから、まさに「危機」は「希望」につながります。しかし、放置していてはつながりません。大切なのは、危機を希望につなげていくことです。つまり、私たち一人ひとりの生き方ということです。

黒川前検事長に関する芸能人らの動きも希望のひとつだという話になりました。
市民がおかしいことをおかしいと言えば、社会は変わるのだということをみんなが実感したということです。同じ時期に起こったSNSでの中傷による木村花さんの自殺の話も出ましたが、良くも悪くも大きな力を持つSNSに、私たち一人ひとりがどう向き合うかは、民主主義にとっても大きな課題であることが明らかになりました。言い換えれば、SNSから逃げることはできないということです、そうであれば、SNSの対象ではなく、主役にならなければいけない。
同じように、テレワークもまた両刃の剣かもしれません。

こう考えていくと、いまは私たち一人ひとりの行動が、この先の社会のあり方に大きな影響を与えるということです。与えられた民主主義の中で生きてきた私たちにとっては、絶好の機会かもしれません。

話し合いの後、監視社会のベクトルを逆転させる時期に来ているという話を少しさせてもらいました。

民主主義は時代と共に大きく変わってきています。
民主主義の理念をベースに憲法ができ、それに従って代議制による民主的な政治体制がつくられ、理念と現実のズレを埋めるためにさまざまな努力が重ねられてきています。
これまでの流れは大きく言えば、代表民主主義の欠陥を正し、参加民主主義の要素を増やしていくという流れでしたが、それに合わせて、政府を監視し、その暴走を阻止する「対抗民主主義」が、改めて大切になってきています。そこから、与えられた民主主義とは違う、自らが創りだす民主主義が生まれてくるかもしれません。

「対抗民主主義」とは、一言で言えば、主権を託した政府をしっかりと監視していくということです。具体的に言えば、監視される国民から、監視する国民へと、私たちは変わらなければいけない。
政府から提案された「新しい生活様式」に合わせて、生活を自粛したり、相互監視し合うのではなく、「新しい政治様式」を働きかけ、政府の行動を自粛させ、政府や行政を監視するというように、発想を逆転させることが求められているのではないか。

そしてそれが可能になってきているのではないか。
もしそうであれば、それぞれができることを考え、動き出そうというのが、今回のサロンの、私の勝手な結論です。
実際に具体的な活動の話もいくつか出ていたと思います。

コロナ騒ぎで、日本の社会は良くなるのかどうかに関しては、誰もはっきりと答えられませんでしたが、良くしていかなければいけません。

このテーマにそったサロンは6月もやろうと思います。
問題提起したいという方がいたらご連絡ください。

サロンで配布したメモがありますので、添付しました。

Demo20200531

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2020/05/25

■湯島サロン「世界新型コロナ工作終息論考〜仮に陰謀ならどう終わるのか?」報告

テーマサロン再開1回目の「世界新型コロナ工作終息論考」は定員を決めていたはずなのに、結果的には定員を超えるサロンになりました。世代も20代から70代と幅広かったのに驚きました。みんな本当に陰謀論が好きですね。

中嶋さんは、まず3月のサロンで話してくれた予測を復習、感染症は4月にピークを迎え、5月には収束という予測は、見事に的中していました。自然現象は予測困難ですが、人為的な陰謀は論理的に予測できる、ということで「陰謀説」を立証?してしまった。

今回はそうした中嶋さんの予測の裏付けとなる陰謀史観や陰謀論的世界観へと話は広がり、ロスチャイルド家やディープステイトはもちろんですが、ケネディ暗殺や日本人・ユダヤ人同祖論、さらに横田空域や日米合同委員会、STAP細胞にまで話題は広がりました。なにしろ「陰謀論」は際限なく広げられるのが特徴です。

参加者もそうした話には「ノリ」がよくて、なかなか新型コロナ工作の終息の話に行かなかったのですが、中嶋さんは、最後に、新型コロナ事件を次のように明確に総括してくれました。

今回の新型コロナウイルス事件は、「世界金融支配体制」「ディープステイト(DS)」「イルミナティ」「300人委員会」などと呼ばれている、世界を裏から支配しコントロールしている闇の勢力が、200年も前から画策している「世界革命行動計画」実現のために、対抗する敵対勢力の駆逐と計画実現の前提の人口削減と大衆管理(人類家畜化計画)推進のために仕掛けた計画的で残虐非道なパンデミックオペレーションなのです。

ちなみに、上記の「闇の勢力」DSに対抗しているのも、また「もう一つの闇の勢力」(アンチDS)とも言えそうです。その代表がトランプやプーチン、習金平。残念ながら日本を率いている安倍さんは、あまりに端役なのか、名前も出てきませんでした。つまり、2つの闇の勢力に媚を売りながら、右往左往しているのです。コロナ対策がしっかりしていないのも当然のことなのです。

しかし、そうした2つの「闇の勢力」の争いのためのものであれば、私たちはその余波を受けているだけの話です。家畜化が進められている私たち大衆の運命はどちらに転んでも、あんまり変わらないのかもしれません。ちょっと憂鬱になりますね。

闇の勢力に抗って、脱家畜化に挑戦するシナリオもないわけではありません。
闇の勢力の力の源泉は「通貨発行権」ですから、そのカギは「通貨」です。
そこで、地域通貨や公共貨幣という挑戦も行われているという話も出ましたが、コロナ対策でお金を給付する話がでると、闇の勢力の「施し」に恭順してしまうのが、大衆です。困ったものです。
抗うのであれば、「覚悟」を持たなければいけません。

現代社会は複雑化していて、個人には見えないことがほとんどです。事実が見えないと、人は不安に襲われる。それが陰謀を信じたくなる理由だと言われます。辻褄が合うような物語を創造・想像し、安心したくなる。その際、目立つ存在に目が行くのは当然の結果で、資産家やユダヤ人が主役になってくるわけです。凡庸な安倍さんは主役にはなりません。

また、陰謀論には、「あらゆるものはつながっていて、意味がある」と「すべてはいまを説明するためのもの」という2つの原則があると言われます。
そのおかげで、陰謀論から見ると社会のさまざまな問題を話題にできるのです。今回も、いろんなことが話題になりましたが、陰謀論にはそうした効用もあります。

それに、陰謀論に従えば、どんなことも「誰かのせい」にできますから、話し合いは平和に進められるのです。「闇の勢力」である大きな敵に対しては、立場を超えてみんな、仲間になれるのです。

最後に、ではこの新型コロナ騒ぎに私たちはどう対処したらいいのかと質問しました。
中嶋さんは、「愛と良心が響き合う世界をつくること」だというのです。つまり、価値観を変えること。お金のために生きるのではなく、愛と良心を大切にすることだいうのです。
考えようによっては、それに気づかせてくれる、もっと大きな陰謀(自然の摂理)が働いているのかもしれないと思いました。
その方向に世界が動き出すように生きたいと思います。

というわけで、今回の陰謀論サロンも平和に終わりましたが、コロナ騒ぎに関しても、意図された陰謀なので、解決策はすでにあるはずですから、そう心配することもないというのが、もう一つの結論だったような気がします。
ただ誤解してはいけないのは、感染症よりも恐ろしいことが、その向こうにあるかもしれないということなのです。

ちなみに、2つの闇の勢力の争いの決着に関しては、今秋のアメリカ大統領選で少し状況がわかるかもしれません。トランプ再選か再選阻止かによって、コロナ感染症のパンデミック状況も変わりうるということのようです。

かなり不正確な報告ですが、「陰謀論」はなかなか難しく、報告も難しい。間違った報告になっているかもしれませんが、中嶋さんには責任はありません。念のため。

Nakajim202005

 

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