カテゴリー「サロン報告」の記事

2020/01/16

■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関」報告

「無門関(むもんかん)」のサロンは、参加申込者が少なくていささか心配していたのですが、直前に申し込みがどんどん増えて、ふたを開けたらなんと20人近い参加者になりました。
とりあげたのは、無門関第二則の「百丈野狐」。
話題提供者の金子英之さん(「無門関」永世愛読者/i2 associates代表)が「知識ゼロ」でも大丈夫と言ってくれたので、「無門関」の名前も知らなかった人も参加してくれましたが、事前に「百丈野狐」は読んできてもらいました。

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「無門関」は中国南宋時代の禅僧 無門慧開によって編まれた、門下の修行僧を悟りに導くための問題集(公案集)です。
48ある公案の2番目にでてくるのが「百丈野狐」。
話の大筋は、百丈禅師のところに老人がやってきて、自分は以前僧侶だった。修行したら因果の世界から抜けられるかと問われて、「不落因果」、因果の世界から脱けられると応えて、野狐の身に落とされたが救ってほしいと頼まれます。そして、百丈に自分が問われたのと同じ問いを投げかけます。百丈はそれに「不昧因果」、因果の世界に身を任せ、と応じます。それを聞いた老人は一瞬に悟り、野狐の身を脱したという話です。
そしてその後に、百丈の弟子たちや高弟の黄檗とのやりとりがあります。
この話から何を得るか、が公案の問いです。
ざっと読めば、老人は「不落因果」と答えてなぜ野狐の身に堕ち、「不昧因果」と聞いてなぜ野狐の身を脱する事が出来たのか、というわけです。
ちなみに、「百丈野狐」の全文は、たとえば次のサイトにも紹介されていますので、関心のある人はお読みください。
https://k1s.hatenablog.com/entry/20120614

話に入る前に金子さんは3つの視点をお話になりました。
まず金子さんは「表現者」と自己紹介した上で、イコノグラフィ(図像学)を専攻されていたことをお話になりました。
図像学は、絵画・彫刻などの美術表現の表す意味やその由来などについての研究する学問です。
ついで、金子さんは「問題には解がある」と言い、解があれば見つけたい、それもテキストだけからの正解に至りたいとお話になりました。
そしてこの公案には、推理小説によくあるような、真実から目を反らさせるトリックが仕組まれている。そこで、公案に秘められた「正解隠し」を見つけるために、「構造主義」の発想を利用して、文章を解析し、問題を整理したと話してくれました。
いずれも、それぞれに興味ある話ですが、今回はともかく、公案を解くことがテーマです。

さて本題です。
金子さんは、小道具まで用意してきてくれて、「百丈野狐」についてまずは紹介してくれ、この公案(問題)を構造的に図解してくれました。
そうした話をしながら、参加者からも自らの解釈や疑問点などをいろいろと引き出していきました。
その内容は、「ネタ晴らし」になりますので、この報告では一切触れません。
しかし、参加者からの発言も含めて、とても興味深く、示唆に富む話し合いがあったと思います。
そうした思考を引き出すところにこそ、公案の意義があるのかもしれません。
だとしたら、現在の社会にとって、こうした公案に立ち向かう価値は極めて大きいように思います。
金子さんはこの話をあるビジネススクールでも毎年講義されていました。
その時の反応もお聞きしましたが、こういう話が行われるビジネススクールが存在していたことに私はとても感動しました。

こうした禅問答にどんな効用があるのかという質問もありましたが、そういう質問が出る時代だからこそ、大きな効用があるのかもしれません。
話し合いのいくつかは、紹介したい気もしますが、たぶん不正確な紹介になるのでやめさせてもらいます。
ただ、終わった後、参加者からこんなメールが来ました。

せっかくいい方向に話が向かいそうなのに黄蘗が百丈和尚の横っ面をぶんなぐったところになると、どっちか偉いとか上だとかとたんに「執着」に固執するのが可笑しかった。

私もその時に同じ思いを感じていましたが、この公案は、「不落師弟・不昧師弟」をたしなめているようにも思いました。
金子さんもお話になっていましたが、そこにあるのは極めて根底的なメッセージなのです。
しかし、それを論理的に解釈し、正解を得ようとする金子さんご自身にも大きな興味を持ちました。

金子さんは無人島に流されたとしてもこの一冊があれば退屈しないと言われました。
それほど金子さんは「無門関」にはまっているようです。
それほどの魅力があるのであれば、私ももう少ししっかりと読んでみたくなりました。
そこで改めて、無門関の48の公案のどれかを選んで、みんなで読んでみるサロンを企画しようと思いつきました。
またご案内させてもらいます(たぶん)。

もし皆さんの中に、この公案を読んでみたいという方がいたら、ご連絡ください。
採用されるとは限りませんが。

 

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2020/01/15

■CWSサロン「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」報告

昨年行った網野史観サロンにつづくパート2も、14人参加と大賑わいでした。
今回は、副題に「日本はどこから来て、どこへ行く?」とあるように、いまの日本の問題を間接話法で語り、考えるといった内容でした。

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網野さんは歴史を見る視座をひっくり返すことを教えてくれました。
蔵原さんは、それを、国会議事堂を上下逆転した写真を示しながらわかりやすく説明してくれました。
それがそのまま網野史観というわけではありませんが、視野を広げてくれることは間違いありません。
そうしたことを踏まえて、日本における「資本主義の源流」の話も含めて、「日本の過去に何が起こったか」に関しても、いろいろな視野が開かれ、論点が出されたように思います。

網野史観とはちょっと外れた議論もあったような気もしますが、蔵原さんの話がとても面白すぎたために、予定していた「異形」や「異界」、あるいは「アジール」や「悪党」はあまり話題にならなかったのがちょっと残念でした。
百姓と農民の議論も、あんまり深まらなかったのが残念です。
宗教の話ももう少し話題にしたかったのですが、それよりもやはり政治経済的な話題が中心になりました。
こうしたこと自体にも、まさに今の日本の社会状況が反映されているように思います。
しかし、蔵原さんの話の面白さは、一般論を装いながら、常に彼自身の一人称視点が感じられたことかもしれません。

話し合いを聞いていて、異端と言われた網野史観は、いまや社会に広く浸透していることを改めて実感する一方で、やはり私たちの発想は、言語の用法も含めて、網野さんとは対置に置かれた発想の呪縛からは抜け出せないでいるような気もしました。
そのこと自体にも気づかせてくれたサロンだったように思います。

最後に蔵原さんは、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」から次の引用文を紹介しました。

You see, but you do not observe. The distinction is clear.
君は見ているが、観察していない。その違いは明白だ。

これこそが、蔵原さんの一番のメッセージだったようです。
いまの日本国民も自民党も、農業政策はじめ随所で基礎データを「見ているが、観察していない」。政策の基礎データを読む力がいまの日本社会に足りないと言いたかったのです。
さまざまな話題に遊び過ぎて、とび散らかしたようなサロンでしたが(それこそがサロンの狙いであり、だからこそ面白いサロンだったのですが)、蔵原さんのメッセージはしっかりと受け止めたいと思いました。

時間が長引いたにも限らず、まだまだ満たされない感じが残り、この調子だとパート3の要請があるなと思っていたら、早速にその要請が届ききました.
その人と蔵原さんのやり取りも始まっているので、もしかしたら、パート3があるかもしれません。

 

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2020/01/06

■新年オープンサロンの報告

14日に湯島で新年オープンサロンを開きました。

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13人が参加してくれました。
サロンを終了したちょうどその時に2人の参加者があったため、その2人を軸にパート2が始まりました。
結局終わったのは5時過ぎでした。

湯島のサロンには初めての人が5人もいたのですが、それぞれ示唆に富む話題を出してくれました。
若い世代も3人いましたが、3人からの話もたぶんなかなか聞けない話だったと思います。

また農や食に関わっている人が5人いたため、話は途中からもっぱら「農」の話になりました。
ちなみに、サロン終了時に来た人も、農の専門家でしたので、農サロンパート1とパート2という感じでした。
タネの話や野菜の価格の話など、興味ある話がいろいろありましたが、内容はちょっと報告しにくいので省略です。
新顔野菜“グラパラリーフ”の紹介もありました。

新年のオープンサロンなので、もっといろんなトピックがですかと思っていましたが、農の話にみんな引きずり込まれたようです。
もちろんほかの話題もいろいろありましたが。

皆さんのお話を聞いていて、サロンで取り上げたいテーマがいくつか見つかりました。
春以降に実現するでしょう。

今年も時々、テーマなしのオープンサロンは開く予定です。
よろしくお願いいたします。

 

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2019/12/29

■今年最後のオープンサロンの報告

今年最後のオープンサロンは、8人が参加しました。
さすがに年末は女性の方はご多用のようで、集まったのは、みんなこの時期暇そうな男性でした。

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テーマは特にないサロンでしたが、前半は「ボランティア活動」と「おもてなし」が話題になりました。
サッカーのワールドカップの時に、一週間ほどボランティア活動をしていたTさんの体験談があまりにも面白くて、私は引き込まれてしまいました。
こういう話こそ、テレビで取り上げてほしいですが、残念ながら取り上げられるはずもありません。
それも含めて、いまの日本社会や経済政治の本質に迫る内容でした。
それにしてもTさんはよほどのストレスがたまっていたようで、その話ぶりの勢いには圧倒されました。
今年のサロンでの「一番話しつづけたで賞」を差し上げたいほどです。

後半は、引きこもり問題に長年取り組んでいるAさんが参加されたので、若者の話になりました。
これも実体験からの報告や感想なので、理屈の話ではありません。
Aさんは、全身全霊を込めて、問題を抱えている人の相談に乗るタイプなので。時々心配になるのですが、いつも問題の当事者になって活動しています。
やはり体験から来る一人称自動詞の話は迫力があります。

これまた体験知に基づく話でしたが、とんでもなく大きな話題も出ました。
湯島には本当にいろんな人が来ます。
そしてとんでもない話を時々話し出すのです。
今回の話はちょっと問題が大きすぎるので報告はできませんが、私の体験にもとてもよくつながり、世界の裏側をちょっと垣間見たような気分にもなりました。

まあこういう話だけではなくたとえば業務スーパーの話や政治と嘘の話、報道や新聞の話など、いろんな話題で予定を超えて5時間があっという間に過ぎました。

参加者のお一人はサロン終了後掃除をするつもりでバケツなどの掃除用具まで持ってきてくれましたが、前日に別の人たちが大掃除をしていたため、掃除はできませんでした。
しかし、最後のサロンにふさわしく刺激的な本音の語り合いができました。
話し合いをこのまま実況中継したら、社会には役立ちそうな話が多かったです。
しかしそんなことをしたら、私は今まで以上に生きにくくなるでしょう。
でもまあ、そろそろ生きなくてもいいような年齢ですので、来年もさらに自由な話し合いのサロンも増やしていければと思っています。

 

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■CWSサロン「5回目のサンティアゴ巡礼報告」報告

今年最後のテーマサロンは、昨年と同じく鈴木さんの巡礼サロンでした。
10人が参加しました。

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今回、鈴木さんが歩いたのは「ポルトガルの道」。
これまでと違って、日本人にはほとんど会わなかったそうです・
鈴木さんの報告は、いつもそうなのですが、話し出すといろんなことを思い出すようで、話が止まりません。
ただ歩くだけの巡礼なのですが、それだけ密度の高い時間を過ごしてきているのでしょう。

そこに巡礼の価値が凝縮しているように思います。
今回も用意してきてくれたレジメの半分しか話がいきませんでした。
しかし巡礼の魅力や効用は、参加者にはしっかりと伝わったと思います。

鈴木さんは、まずサンティアゴ巡礼についての基本情報を話してくれました。
1970年代ごろから広がりだしたサンティアゴ巡礼は、1972年にはわずか67人だった巡礼者が昨年2018年には32万人を超えていて、さらなる増加が見込まれています。

つづいて鈴木さんは、巡礼の方法を紹介してくれました。
一番の課題は荷物の重さで、鈴木さんの場合は、4.7kgの身の回り品を入れたバックパックと貴重品類入りショルダーバックだったそうですが、それこそ100グラムの重さが巡礼の継続に大きな影響を与えることもあるそうです。

鈴木さんの場合、1日の歩行距離は1540km、宿泊費用は515ユーロ(7001900円)、食費費用は1030ユーロ(13003800円)だったそうです。
最近は、スマホやイヤホンを使う人も多くなっているそうですが、鈴木さんはそういうものは一切使用しません。
道に迷っても、スマホで調べるようなことはせずに誰かに道を聞く。そういうことこそが、巡礼の魅力を高めると鈴木さんは考えています。

ついで、今回の「ポルトガルの道」で感じたこと、気づいたこと、自らが変わったことを話してくれました。
一つひとつに、興味深いエピソードや体験があって、話し出すと鈴木さんは時に目を潤ませたり、目を輝かせたりしていました。

いくつかを紹介します。
話しかけられとうれしい、でも話しかけるには少し勇気がいる、という鈴木さんの話には大きな示唆があるように思いました。
あいさつが人間関係のはじまり。ほんの少しの気遣い、ほんの少しの好意があればいい。
言葉がわからなくても心は通うという、非言語コミュニケーションも巡礼の醍醐味だと言います。

しかし、これらは巡礼でなくても当てはまるでしょう。
スマホが増えていることに鈴木さんはテクノロジーに支配される危険性を感じたと言いますが、これも昨今の私たちの日常に通じています。

鈴木さんは、今回改めて、巡礼とミニマリズム(簡素な暮らし)に繋がりを感じたと言います。
今回、その話もしてもらう予定でしたが、残念ながらあまりにもその前の話が面白く、そこにたどり着きませんでした。
しかし、鈴木さんの数々の体験談から、その真意は伝わってきました。
さらにレジメでは「これからの人生を巡礼者のように生きる」という鈴木さんの思いに通ずる示唆に富む言葉も紹介されていました。

鈴木さんの話に触発されて、いろんな話題で話し合いが行われました。
参加者に長年長距離ランニングをされている人がいて、その人から「歩く」と「走る」の関係が話題に出されました。
これもなかなか面白い話題でした。
巡礼中には挨拶や話しかけが自然と出てくるのに、最近の都会人は「挨拶」や「話しかけ」がなくても生きていける。とても興味深い話です。

巡礼者が同宿者のために食事づくりをして、同宿者みんなでコミュニティディナーをする体験もしたそうです
巡礼の醍醐味の一つは、もしかしたら「食事」かもしれないと思いました。
参加者はそれぞれにいろんな気付きをもらったはずです。

ところで、レジメの最後にこういう文章が書かれていました。

巡礼はコミュニティを生み出します。
他者を受け入れるコミュニティを。
他の人がどう旅路を歩いているかに興味を持つコミュニティを。
お互いに与え、受けるコミュニティを。

以前、鈴木さんが偶然に立ち寄ったスペインの小さな教会に置かれていた「El Camino(巡礼)」という文書からの引用だそうです。

これは湯島のサロンが目指していることでもあります。
来年は、それぞれのコミュニティを話し合うサロンを開きたいと思います。

来年もまた年末に鈴木さんの巡礼サロンがあるかもしれません。
いや他の人の巡礼サロンかもしれませんが、巡礼のテーマは引き続き、湯島の話題にしていきたいと思います。
どなたか自分の巡礼報告をされたい方はご連絡ください。
もちろんサンティアゴに限りません。
その気になれば、いろんなところに「巡礼路」はありますから。

 

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2019/12/25

■CWSサロン「箸文化を考える-世界中に箸友をつくろう」報告

国際箸学会会長の小宮山さんにお願いした「箸文化を考える-世界中に箸友をつくろう」のサロンは、年末の忙しい時期だったためか、参加者があまり集まらなかったうえに、国際箸学会のメンバーがほとんど参加されなかったこともあり、意図と違って、箸文化や箸学会のことはあまり話題にできませんでした。

しかし、参加者は全員、日本の礼儀作法などに関心の深い方が多かったこともあり、意図とは違った意味での集まりになりました。
また箸学会で箸ゲームの審判員をされている方が参加してくれたこともあり、後半は箸ゲームの体験会となり、箸ゲームの話題で盛り上がりました。

小宮山さんの話やそれを受けての参加者の反応を通して、箸文化を学び、新しい箸文化を創り、世界中の人と友だちになっていくという箸学会のビジョンは、まさに「箸ゲーム」に象徴されていることを改めて実感しました。
今回はあまりうまくいきませんでしたが、改めて「箸友づくりサロン」を企画したいと思います。

私も話に熱中してしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

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2019/12/24

■CWSサロン「時間意識と自殺予防〜都市でのつながりをどうつくるか」報告

「時間意識と自殺予防」をテーマにしたサロンは、20人を超えてしまいました。
「自殺」や「つながり」を「時間意識」と関係づけたところに、みんな関心を持ったのではないかと思います。
参加者が多かったうえに、初めての参加者も5人、しかも杉原さんの話も面白く長かったので、なんと予定を大幅に超えて3時間を超えるロングランサロンになりました。
にもかかわらず、まだまだ話したい気分が漂うサロンでした。

Sugihara20191220

杉原さんのお話を聞いて、参加者はたくさんの示唆をもらったと思います。
もちろん私もですが。
杉原さんの問題提起の話は、とても興味深いものがありました。
「時間」から考えていくと、「自殺」も「つながり」もちょっと違って見えてきます。

杉原さんの話は、日本の自殺の現状から始まりました。
そして、「多様なつながり」の喪失が、自殺多発社会の温床になっていること、その背景にあるのが日本人の「時間意識の変化」ではないかと、時間意識の話に入っていきました。

「日本人ほど時間をきっちり守る国民はいない」と、いまは海外の人たちから言われています。
しかし、幕末から明治初期にかけての日本人の時間意識はまったくそうではなかったことを、海外から日本に来た人たちが記録に残しています。
「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」と書き残している人もいますし、「日本人は、一般に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく、なにか珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる!」とイギリス初代駐日総領事オールコックは書いているそうです。
この文化は今でも残っているような気もしますが。

杉原さんはさらに民俗学者の宮本常一が、日本の伝統的な農村では、「話も十分にできないような田植え方法は喜ばれなかった」と報告しているそうです。
西欧と日本の「時間意識」はまったく違っていたのです。

さらに時間を、春夏秋冬が回ってくる自然に象徴されるように円環イメージでとらえるか、近代西欧のように進歩主義を踏まえた直線イメージでとらえるかの違いも紹介してくれました。
そこには、「コミュニティの時間」と「個人の時間」、あるいは「身体の時間」と「時計の時間」という話もありました。

日本人の伝統的な時間意識を変えたのは明治維新で制度化された「学校」だと杉原さんは言います。
学校は日本人の「時間意識」を人間を均質な「労働力商品」に改革するための装置だったというのです。
これは前回の万葉集サロン番外編で話題になった「学校は文字を通して言語を均質化」する役割を担っていたのではないかという話とつながっています。

時間が直線になり、コミュニティから切り離されると「未来への不安」が生まれる。
自己責任社会になると同時に、「交換可能な存在」になった個人は「金銭依存」に向かっていく、と話は発展していくのですが、これ以上書くと報告が長くなるので、以下は省略。
関心のある人はぜひ杉原さんにコンタクトしてみてください。

杉原さんは、この後、ではどうしたら「時間意識」を変え、「つながり」を豊かにしていけるかを、いくつかの事例で紹介してくれました。
これもみんな示唆に富む話だったのですが、一つだけ紹介します。
それはただ「金銭離れ」するのではなく、「温かいお金」でつながりを豊かにしている「ヤギサワバル」の大谷さんの話です。

大谷さんは、西東京市の西武柳沢駅の近くでバルをやっています。
毎日の売上の1%を地域のために使うというのが経営方針だそうです。
さらにたとえ高くても地域のお店からビールなどを購入するのだそうです。
詳しくは下記サイトをご覧ください。
https://www.facebook.com/yagisawabar/
「「農家のビール」が都内で唯一飲める店 ヤギサワバル」という本も出ていますので、よかったら読んでください。https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%BE%B2%E5…/…/B07GVYD6LR

時間意識と自殺予防に関して、杉原さんは直接的には言及しませんでしたが、たくさんの示唆が込められていた話でした。
杉原さんは「「楽しい時間」を共有できる複数のコミュニティに所属すること」が自殺予防にもつながっていると考えているのです。
現在、さまざまな自殺予防対策が行われていますが、私たちの生き方から問い直すことが大切だと思っている私には、とても共感できる話でした。

最後に、杉原さんは、「自殺問題」ではなく「◯◯さんの問題」として考えていくことが大切だ、と言いました。
自殺問題に限らずに、昨今の障害者支援や高齢者支援、さらには子育て支援に関しても、通ずる話だと思います。

報告が長くなってしまい、話し合いの内容を紹介するスペースがなくなってしまいましたが、異論のぶつけ合いも含めて、話し合いも示唆に富むものでした。
「自殺」そのものに関する話し合いもありました。

ある参加者は、「いろいろな価値観があってよい」ということをハラに落とすことの重要性を感じましたと、手紙をくれました。
また、時間意識と自殺の関係という見方もあるんだと、とても勉強になりました、というメールももらいました。

視点を変えると、世界はまったく違って見えてくることがあります。
大きな意味での「コミュニティ」をテーマにしたサロンは、来年も継続する予定です。

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2019/12/17

■万葉集サロン番外編「万葉集や記紀の文字表記」報告

「万葉仮名」をテーマに、万葉集サロン番外編のサロンを升田さんにしてもらいました。
14人もの参加者があり、話もとても広がりました。
そのため、長い報告になってしまいますが、お許しください。

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話し言葉を文字にして残すということが始まったころに、万葉集は編纂されました。
しかもその文字は、中国に始まった「漢字」の活用という形で始まりました。
そこから、古代の人たちが、日本列島という枠を超えて往来していたこともわかりますし、当時の生活ぶりも垣間見える気がします。
想像力を働かせれば、日本という国の成り立ちにも思いを巡らせられます。

さらにいえば、「文字」が持つさまざまな機能にも気づかされます。
万葉集の面白さは、大きな時代の変化で、人々がどう生きていたかを、さまざまな形で感じさせてくれるところにもあるように思います。
今回、升田さんの話や参加者のみなさんの話を聞きながら、改めてそう思いました。

文字の成り立ちは、人と人のコミュニケーションに大きな影響を与え、文化や社会のあり様を決めていきますが、それ以前に個人の意識にも大きな影響を与えていきます。
その意味では、升田さんの万葉集サロンの大きなテーマである「われ」にも深くつながってくる話です。

ちなみに、言語を持たない人間社会はないと言ってもいいでしょうが、文字を持たない社会は少なくありません。
言葉と文字はセットではありません。
升田さんは、文字とは「体系」だと言いました。

たしかに何かに対応する象形文字がいくつかあっても、それだけでは「記号」としか言えません。
時々、遺跡の中に「文字」らしきものが発見されることがありますが、単なる絵かもしれません。
そのことを私は今回初めて気づかされました。

升田さんは、五十音図は字を覚えるためのものではなくて、この音の仮名はこうだというふうに示した「音の図」である、と話しだしました。
「音の図」、象形文字は「目からできた文字」ですが、日本の仮名は「耳からできた文字」と言えるのかもしれません。
このところはもう少し詳しく話を聞きたかったです。

現在の平仮名や片仮名は1音に対して1文字です。
それに比べて、万葉仮名の場合は、「ひとつの音」に対する文字は複数あります。
たとえば、「あ」という音でいえば、万葉集には6種類の文字がつかわれています。
文字で言えば、たとえば「阿」はほぼすべての資料で「あ」として使われています。
そうした多くの文献で使われていた文字が、片仮名や平仮名になっていったそうです。

ところで「万葉仮名」は別に万葉集だけの特殊な文字ではありません。
記紀はもとより、風土記など、上代の国語を表記するために使われた文字を総称するそうです。
升田さんは、音別にどの文献にどんな文字がつかわれていたかをまとめた主要万葉仮名一覧表を資料で配布してくれました。
万葉集での使用が一番多いことが一目瞭然でした。
この一覧表は、見ているだけで想像がふくらんでいきます。

現在では同じ音でも、なかには当時、2種類の音があったということが江戸時代の研究でわかっているそうです。
現在使われている音で言えば、13の仮名が2種類の音を持っていたそうです。
これを便宜的に甲類乙類というように区別しています。
いまはいずれも同じ音とまとめられていますが、当時は別の文字が充てられていたのです。

しかし、甲類乙類の音があったのであれば、丙類の音もあったのではないか、と私は思ってしまいます。
たしかに江戸時代の江戸の学者は2種類くらいしか聞き分けられなかったのでしょうが、実際には甲乙どころか甲乙丙丁…とたくさんあったのではないのか。
万葉仮名は600文字以上あることが確認されていますが、その中には明らかに遊び心でつくられたものもあるので、すべての文字がちがう音に対応していたとは言えませんが、まあ数百の音があったはずです。
いまでも方言では、50音図の文字では表せない音があるはずです。

五十音図は音の図だと升田さんは言いましたが、結果的には「多様な音をそろえていく効果」を果たしたともいえます。
私が子どものころはまだ、たとえば「い」「え」という文字に吸収されてしまった「ゐ」「ゑ」という文字がありました。
音としては、wi weだと思いますが、いまは使われなくなっています。
一世代の間でさえ、それだけの変化がありますから、文字も発音も変化しているわけです。

話しやすく使いやすい方向に、文字も言葉も変化しているのでしょうが、注意しないと豊かな感情をこめにくい機能的な言葉に変わっていって、人と人のコミュニケーションを貧しくしていくおそれもあります。
それへの反発が、子どもたちの漫画に出てくる、たとえば「あ」に濁点をつけるような、ルールに反する文字になって表れているのかもしれません。
まだまだ言葉は文字に完全には呪縛されていないようです。

もちろん「五十音図」の発想のおかげで、日本人の識字率は、平安時代以来、たぶん世界でもトップだったでしょう。
平安時代には五十音図はありませんでしたが、「天地の詞」や「いろは歌」などがありました。

升田さんは、こんなことも言いました。
文字を手に入れたことで、言葉(歌)を文字に残すことの面白さや喜びを感じた人たちは競って、庶民が歌っている歌を書き留めて残したのではないか、と。
音を文字であらわす喜びは、大きかったのでしょう。
歌詠みもその歌を文字に残すことも、とても楽しかったに違いないというのです。
「楽しいこと」は文化を豊かにし、社会を元気にする原動力です。

書を書かれる人が2人、参加していましたが、その人たちは音だけではなく、書いた時の美しさも文字を選ぶ基準の一つだったのではないかと言いました。
とても納得できる話です。
文字が普及し、書くことでさらに文字を使う喜びは高まった。
話はますます面白くなってきます。

しかし、その文字は私たちの社会を豊かにする一方で、私たちから何かを奪ったのではないかという思いも私にはあります。
文字のない社会の平和な生き方も報告されていますが、文字によって私たちが失ったものもあるかもしれません。
文字と権力の話も、私の大きな関心事です。
それは最近の英語教育の動きにもつながっていきます。

話し合いでは「神代文字」の話もでました。
私も一時期、カタカムナ文字や相似象にはまったことがあるのですが、そこまで行くとさすがに逸脱しすぎそうなので、我慢しました。

升田さんの話はもっといろいろありました。
中国の「韻鏡」の話や、「略体」や「非略体」などの話、さらには「文字に残っている原義」を踏まえての文字の使い分けの話、いずれも面白すぎて私には消化できません。

文字から見えてくることはたくさんあります。
あまりにも内容がたくさんだったので、今回は私には消化できないことが多く、いつか「補講」をお願いしたい気分です。
希望者が3人集まったら補講をお願いしようと思います。
升田さんは大のケーキ好きですから、ケーキを用意したら、やってくれるでしょう。

中途半端な報告ですみません。
まあ、いつものことではありますが、さすがに今回は我ながら中途半端だと反省しています。
次回からきちんと録画か録音しておこうと思います。

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2019/12/09

■第4回リンカーンクラブ研究会報告

第4回リンカーンクラブ研究会は「政治と報道」をテーマに選びました。

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ゲストに元日経政治部記者だった中西晴史さんに来てもらいました。
中西さんは、ご自分の意見も含ませながら、政治記者時代の話をしてくれました。
中西さんの話からは、新聞も新聞記者もかなり変わってきてしまったことへの哀感のようなものが伝わってきました。
中西さんの話の後、やはり日経記者だった坪田さんが、その変化を少し客観的に補足してくれました。
それを踏まえて、参加者での話し合いが行われました。

具体的な新聞の評価に関する意見も出ましたが、経営的な面でほとんどの新聞社は自立困難となっていることが根本的な問題のようです。
そのため、権力に対峙する新聞はもうなくなってしまった。
コストダウンのために現場取材する記者が少なくなり、取材費も切り詰められているので、直接取材記事が少なくなってきている。
伝えるためには、写真さえにも「やらせ」が入りやすく、新聞報道を受け止める読者がしっかりしないとただ操作されるだけになりやすい。
新聞はむしろ自社の報道の立場を明確にし、もっと主観的な主張をするべきではないか。
アメリカでは権力に対峙する姿勢の新聞が講読者を急速に増やしている。
新聞購読者も減ってきているが、逆に子ども向きの新聞を子どもたちのために購読する家庭が増えてきている(子ども時代から洗脳されていく恐れもある)。
相変わらず国民を啓蒙する姿勢が残っている。
などが話題になりました。

リンカーンクラブの武田さんは、NHKのような国営の新聞をつくり、国民が直接選んだ委員会で編集したらどうかという提案をしました。
武田さんの提案はいつもその真意がなかなか理解されないきらいがありますが、報道権は主権者がしっかりとおさえるべきだという考えが根底にあります。
市民主導の新聞への試みはこれまでもありましたが、なかなか成功はしません。
しかし、いまこそ、そうしたメディアが必要になってきているように思います。

坪田さんは、最近また注目され出している桐生悠々の話も紹介してくれました。
ちなみに、北陸朝日放送が制作した「言わねばならないこと〜防空演習を「嗤った」男・桐生悠々」は第1回「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」を受賞していますが、今年の1228日に、テレビ朝日で再放送されますので、ぜひご覧ください。

いずれにしろ、残念ながら現在の新聞は、政府にからめとられているような気がします。
そのために、新聞の存在意義が失われ、購読者に魅力を感じさせられなくなってきているのではないかと思います。
政治にとっても新聞の役割は大きいと思いますが、政府も新聞社も短視眼で考えているため、その可能性を活かせずにいるような気がします。
それが残念でなりません。

このテーマはもう少し掘り下げていければと思います。

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2019/12/08

■BMSサロン「ローマ法王来日で思ったことを話し合いませんか」報告

ローマ法王の来日から10日ほどがたちましたが、このままだと忘れられてしまうのではないかと思い、湯島でのBMSサロンで法王来日で何を考えたのかの話し合いを持ちました。
参加者は私を入れて9人でした。
この活動を始めるきっかけになった本間さんも参加してくれました。

Bms1912

最初に、簡単にそれぞれの感想を話してもらい、話し合いになりました。
人それぞれで、いろいろな気付きをもらいました。

法王来日の報道記事をしっかりと読み込んで、そこから学んだことを紹介してくれる人もいましたし、いろんな気づきを私たちに与えてくれたという話もありました。

間違いなく、法王来日は日本に何かを残してくれました。

そればかりではなく、ローマ法王来日が決まって以来、いろんな人がいろんな活動に取り組んでいます。
たとえば、私の地元の我孫子市では毎年年末に平和の集いをやっていますが、今年はそこでモノオペラ「焼き場に立つ少年」を上演しました。
「焼き場に立つ少年」は、今回の法王来日で改めて注目された写真です。
サロンでは、実際にその集まりに参加した鈴木さんから紹介がありました。

こうした動きはたぶん日本各地で行われているのでしょう。
気をつけて報道に注意していれば、そうしたことに気づくでしょう。
本間さんの呼びかけもそうしたことの一つです。

しかし、にもかかわらず、法王来日はもう過去のニュースとして忘れられつつあるようにも思います。
来日前のさまざまな活動も個別で終わり、つながって大きな運動にならなかったことが残念です。
それはもしかしたら、やはりローマ法王来日はキリスト教世界のことと捉えている人が多いからかもしれません。

広島の友人が、こんなメールをくれました。

長崎・広島へローマ教皇が訪問され日本が『井の中の蛙』状態にあることを表明されたように私は受取りましたが、蛙の面に○○○○でしょうか。(*_*;

私もそんな気がしています。
話し合いではこんな意見も出ました。

戦争の時の核使用のヒロシマ、ナガサキと日常時の核事故のフクシマは違う。
法王が本当に核廃絶を願うならフクシマの現場にこそ行って、その現場映像を世界に発信してほしかった。
帰国時の飛行機の中での発言から、法王は日本に来て学んだと思う。しかし、私たちは学んだのだろうか。

20代の若者からは思いがけない発言がありました。
そもそもこの人(法王のこと)がおもしろくない(魅力を感じさせない)のであまり報道も見ていない。
アンデルセンの「裸の王様」を思い出しました。
若者にとっては、ローマ法王という言葉はなんの威力も発しないようでした。
いや逆にマイナスの価値しか持っていないのかもしれません。

核兵器と原子力発電は同じものかどうかの話も出ました。
「核時代」ということを私たちはもっと意識すべきだという本間さんの呼びかけを、私たちはしっかりと受け止めなければいけません。

「原子力の平和的利用」ということの欺瞞性にいち早く気づき、原子力時代に我々がものを考えなければ大変なことになると警告していたハイデッガーを思い出さなければいけません。
このテーマは来年、改めて取り上げていきたいと思います。

私は3つのことを感じました。

まず失望です。
法王も政治の枠の中でしか動けなかったのではないか。
なぜ「首相に会いながら核兵器禁止条約」への署名を働きかけなかったのか。
なぜ袴田さんに会わなかったのか。
そして、仏教関係も含めて、宗教団体の動きがなかったことにも失望しました。
しかし一番失望したのは、報道の姿勢です。

2つ目は不安です。
法王を迎える人たちのあの熱狂ぶりです。
いまの時代の宗教とはなんだろうかと、改めて興味を持ちました。

3つ目は、私には何の感動も起こらなかったということです。
フランシスコ法王はたしかに魅力的な人ですし、親しみを感じます。
その発言には共感もしました。
しかし、法王のスピーチを聞いても私の心身は動きませんでした。
シナリオに沿って演じているように思えてしまったのです。

であればこそ、法王のメッセージを受けとめて、できることをやっていかなくてはいけません。
そんなわけで、来年も時々、「核時代」や「宗教」を切り口に、こんな集まりを続けたいと思います。
引き続き参加いただけるとうれしいです。

本間さんの呼びかけメッセージを無駄にしたくはありませんから。

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