カテゴリー「サロン報告」の記事

2020/09/29

■湯島サロン「歴史の分岐点になる米大統領選の読み方」報告

今春開催した中嶋一統さんの「陰謀論」を切り口にした現代を読み解くサロンの続編です。今回は特に、11月の米国大統領選の行方とその後をテーマに中嶋さんに話してもらいました。参加者が少なかったおかげで参加者の個々の関心にも焦点を当てながら話しあえるサロンになりました。

最初の話題は参加者からの問いかけでした。
最近発生した韓国政府職員の射殺・火葬事件に関して、北朝鮮の金正恩が韓国に謝罪したことの背景には何があるのか、という問いかけでした。
中嶋さんは今回、その話題は予定されてはいなかったのですが、「この世のすべてのものはつながっている」というのが陰謀論の基本原則ですから、当然のように話は盛り上がりました。

その話題が一段落した後で、これまでの陰謀論サロンでの中嶋さんの予測通りに世界が動いていることを確認したうえで、米国大統領選の話題になりました。
もっとも大統領選の結果を占うことが目的ではなく、そこに象徴されている世界の大きな流れを整理する仮説軸を得ることで、よくわからない世界の複雑な事象をつなげていって自分の世界観を仮設する示唆を得るのが今回のサロンの主旨です。

中嶋さんの解説によると、世界はDS(ディープステート)陣営とそれに抗って流れを変えようとしている力(アンチDS)との対立構造の中で動いています。
ディープステート論は最近は「世界陰謀論」と結びつけられていますが、現実には表面的な政府と実質的な政府という意味での現実的な捉え方で、たとえば最近の日本でも鳩山内閣の時にそれが明確に見えてしまったことがあります。
今回のテーマである米国大統領選に関していえば、その根底にあるのは、DSとそれに抗うトランプ陣営の覇権争いということになります。

中嶋さんはそれを世界陰謀論のみならず、新型コロナウイルス感染症につなげて考えています。新型コロナを人為的に流行させたという陰謀の真偽はともかく、現実の事象を活かして世界を動かすというのは「政治」そのものの話ですから、程度の差はあれ、そこに「意図」が働くことは否定できません。それを「陰謀」と呼ぶかどうかは別として。

日本の柳条湖事件や米国のトンキン湾事件のように、時間が経過して露呈された陰謀の例は少なくありません。すべてが明々白々にならない世界の動きには、内容はともかく、何らかの「陰謀」は存在します。明白になった事実(与えられた事実情報)だけで世界は構成されているわけではないからです。しかし、○か×かの二択で判断することに慣れている人たちは、肯定か否定かはともかく、ほとんどが陰謀論の呪縛に囚われているような気がします。私には〇派も×派も同じように思えます。

いずれにしろ、そうした「陰謀」の真偽は、それこそ藪の中ですが、頭から否定するか、信じ込むかのいずれもが、「陰謀論」の罠にはまったことになるでしょう。

今回、中嶋さんは、陰謀論の枠組みを踏まえて米国大統領選はアンチDSのトランプが当選し、そこから「新しい歴史」が始まりだすと大胆に予測しました。現在の「パンデミック計画」にはDSの意図が働いていて、それが失敗するという予測からの結論です。
新しい歴史とは、たとえば、「9.11事件の真実」や「新型コロナにまつわる意図的な操作」が明らかにされ、その結果、世界の通貨と金融機構の革新が進み、DSの戦略とは違った新たな地球再生計画に取り組む動きが出てくるというビジョンです。
DSかアンチDSかはともかく、結局は「新しい世界」も管理された世界で、私のような生活者には「相変わらずの世界」のように思えて、あんまり希望は持てませんが。

ここまでくると、いささか世界陰謀論の術中にはまってしまっているような気がしますが、思考を柔軟にする頭の体操という意味で、また話を楽しみ会話を広げるという意味でも、刺激的で、サロンはますます盛り上がりました。

陰謀論は疑いを出発点としています。マスコミ情報や政府情報だけで世界を見るのではなく、懐疑的に情報をとらえ、視野を広げるという意味があります。しかし、陰謀論は、わかりにくい現実をわかりやすい物語に置き換え、世界を理解した気にさせてしまい、逆に思考を狭めてしまう恐れもあります。両刃の剣と言っていいでしょう。
そこに、湯島のサロンで「陰謀論」をテーマにする意味を感じていますが、なかなかそういう方向に議論は向かいません。すでにみんな「陰謀論」に巻き込まれてしまっているのかもしれません。
さてさて、このシリーズはどう展開するか。今回のサロン参加者からは、米国大統領選後にもう一度やってほしいという声がありましたが。

ちなみに今回参加された一人の方は、最近仕事が忙しくて睡眠不足だと言って、サロンの間、ずっとソファで寝ていました。こういうサロン参加の仕方もあることを思い出しました。話し合っている横で誰かが寝ている。ちょっといいですね。

中嶋さんの話の内容を要約するのは私には無理なので省略してしまいました。
中嶋さんの話を聞きたい方は中嶋さんに連絡を取ってください。中嶋さんはサロンにも30冊ほどの書籍を持ち込んできましたが、中嶋さんの頭の中にはさまざまな「陰謀論」の情報があるようですので。

Inbo200927

| | コメント (0)

2020/09/28

■湯島サロン「文化は世界を救えるか」報告

「文化は世界を救えるか」と大上段に構えたサロンは10人を超える参加者がありました。

Bunkasalon200926
最初に文化と文明の違いに関する沖さんの考えが紹介され、最後は「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という問いかけがなされました。
この問いかけからわかるように、沖さんはいま世界は「救われなければいけない状況」、つまり危機にさらされている状況にあると考えているわけです。
そしてそれを救うには「失われた文化の再生」にしかないとも考えているようです。
しかし、この問いかけは、同時に「文化は世界を壊す」かもしれない、という懸念を伴っています。

沖さんの文化と文明の捉え方は明確です。
文化は人間が考えて創り出すもの(精神的なものを含む)であり、文明は生活を豊かにする(物資的要求を満たす)ために創りだされるものだというのです。
この定義自体にすでにかなり大きな前提が含まれていますが(たとえば「豊かさ」は物質的な要求と結びつけられています)、それはともかく、「創り出すもの」と「創り出されるもの」という違いがあるというのです。言い換えれば、文化には価値観(あるいは人間の意図)が含まれるが、文明はその価値観を生み出す「下部構造」だというのがどうも沖さんの理解のようです。

さらに、沖さんはテクノロジーと文化を関係を考えます。
そして、ラフカデオ・ハーンの言葉を紹介してくれました。
ラフカデオ・ハーンは、何が人生に希望を抱かせてくれたのかと問い、それは「幽霊」だと書いているそうです。
幽霊には、神も悪魔も天使も含まれそうですが、要は文明開化によって霊的なものを基礎とする世界観が失われた。そして伝統的な文化も失われ、空しく空っぽな「電気と蒸気と数字の世界」になってしまったと言っているそうです。
ここでは文明と文化が対置されています。

そこから「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という話になっていくのですが、沖さんはテクノロジーを超えた文化を創り出すために、自分の価値観を持つ人々が増えなければいけないと言います。
その先は参加者みんなで考えようということで、話し合いに入りました。

文化と文明に関してはその捉え方は人さまざまです。
ですからやはり「文化で世界を救えるか」という問いかけも人それぞれですので、なかなか議論はかみ合いません。
結局、家族の問題とか人のつながりのような、かなり具体的な問題になると話がかみ合いだします。また「企業文化」や「政治文化」にからむ話し合いもかなり盛り上がりました。

私自身は。文化と文明と言葉が似すぎていて、混乱を生みだしているとずっと思っています。
ちなみに「エジプト文明」という言葉はありますが「エジプト文化」とはあまり言いません。「伝統文化」という言葉はありますが「伝統文明」という言葉はない。そこにある意味のヒントがあるような気がします。

「文化」は英語では「カルチャー」。つまり「耕す」という意味があり、「文明」は「シビライゼーション」つまり「都市市民になる」とかいう意味があります。
そこから私は、文化は「する概念」、文明は「なる概念」だと考えています。
そう考えるといろんなことが整理されるように思いますが、これもまたあくまでも一つの考え方でしかありません。

結局、今回のサロンでは「文化は世界を救えるか」という問いかけに対する答えは出ませんでしたが、たぶん問題の立て方に起因しているのです。
「世界を救う文化を目指すために」という問いかけにすれば、いろんな意見が出てきたでしょう。実際に今回のサロンでもそういう視点でのアイデアはいくつかあったような気がします。
この問いかけ自体に、文化と文明の発想の違い、あるいは「する発想」と「なる発想」の違いが示唆されているように思いました。

 

 

| | コメント (0)

2020/09/20

■19日の土曜オープンサロンの報告

19日の土曜オープンサロンには、久しぶりに参加者も含めて9人が参加。

オープンサロンなので、話題は各自勝手に展開でしたが、やはり政局がらみとコロナ関連でした。かなり微妙な話題もありましたが。
若い世代の参加者がいなかったこともあって、やはり若い世代の話を聞きたいという声がでました。若い世代の話し手を見つけるのは難しく、なかなか続きません。

どなたか周りにサロンで話してもいいという若者がいたらぜひ誘ってみてください。

Saturday200919

 

| | コメント (0)

2020/09/13

■12日の土曜サロン報告

12日の土曜サロンは、10人が集まりました。

テーマは特になかったのですが、自民党総裁選の話から入り、国家とミツバチの話になり、話はさまざまに広がりそうで広がらない不思議なサロンでした。顔ぶれもいつもとはちょっと違い、それも新鮮でした。
始まるのも早かったですが、終わりはなんと予定よりも1時間半くらいも延びました。
そろそろ終わろうとすると誰かが発言するので、それに抗うパワーがでませんでした。

来週も同じようなオープンサロンです。

Img00099_20200913201501

 

| | コメント (0)

2020/09/07

■緊急サロン「安倍首相辞任表明に感じたこと」報告

「安倍首相辞任表明に感じたこと」をテーマに自由に話し合うサロンには12人の参加がありました。
女性の参加がなかったのがとても残念でした。

安倍首相が辞任した理由に関しては、病気が理由ではないと思っている人が多かったようです。病気は便利な口実だったというわけです。
突然の辞任のようになっていますが、かなり仕組まれた辞任だったのではないかという意見もありました。
新しい首相に関しても多くの人はもう決まっていると思っているようです。つまり何も変わらないだろうということです。

にもかかわらず、安倍さんが辞めてよかったという人もいました。その人にとっては、安倍首相は悪夢でしかないのでしょう。
しかし、日本の国民の多くは、安倍首相に辞めてほしくなかったのでしょう。
安倍辞任表明で、安倍政権への評価が一気に高まったのはその証左です。これは安倍首相の後継者には、大きな意味を持っています。

それにしてもこういう世論はどうして生まれたのか。
その関係で、報道関係の話もかなり出ました。そこには世に言うコメンテーターの役割の話もありました。
さらには学校教育の話もだいぶ出ました。経済や金融の話も出ました。
しかし、基本的には多くの人が、安倍政権政治のおこぼれにあずかっているということだろうと私は思います。

話し合いはいろいろと広がりましたし、いろんな発言もありましたが、にもかかわらず、私には何となく「盛り上がり」にかけていたような気がしました。
日本の国民の多くが、安倍政権政治、つまり隠蔽と改竄と世論無視の政治の維持を望んでいることが示され、実際にもその政治が継続される、場合によっては強化されることがほぼ確実になってしまった状況が大きく影響しているのではないかと私かは勝手に思いながら、私自身も元気の出ない話し合いになっているのに気づきました。

本筋とは少し外れるのですが、「家族への愛着」という話が出ました。
最初の発言者は、家族への愛着に否定的でした。では何に「愛着」を持つのか、あるいはもはや「愛着を持つ」ことそのものが失われ出しているのか。
今回は、そこでその話し合いは終わったのですが、いま考えると、ここにこそ大きなヒントがあるのかもしれないと思います。

政治の出発点は「愛着」なのではないか。
「政治と愛着」。
今度、このテーマでサロンをやりたいと思います。

それにしても安倍首相は辞任しても、安倍政権はほとんど総括されることなく、この政治状況を国民の多くは嬉々として受け入れつづける。
参加者の一人が、地震と同じく、どこかで抑えられたエネルギーが大きく反発して、社会は変わるという話をしていましたが、抑えられているのではなく、みんな従順に隷従しているように思えて、私にはあまり期待が持てません。

終わった後、大きな空しさが残ったサロンでした。

Abejinin200906

 

| | コメント (0)

2020/09/02

■第2回益田サロン「モノづくりと臨場の知」報告

細菌学者の益田昭吾さんによるサロンの2回目のテーマは「モノづくりと臨場の知」。
細菌学や感染症とどうつながるのか、と思った人も多かったと思います。
しかし、病原菌史観?を持つ益田さんにとっては、何の違和感もないのです。

益田さんは、新聞の折り込みチラシや牛乳パックなど、廃棄される紙を材料にして、さまざまな手作り作品を創っています。
今回は、その作品をたくさん持ってきてくれ、まずは参加者で遊んでもらったり、その構造を知ってもらうために壊してもらったりしながら、その過程で気づかされる知を踏まえて、自らが得た「臨場の知」の話をしてくれました。

最初に取り組まされたのは「メビウスの輪」をつかっての簡単な課題でしたが、それが簡単のようでなかなか難しい。
ともかくやってみることで、解決策を言葉で説明することのむずかしさを思い知らせてくれました。逆に言えば、言葉でいくらていねいに説明されても、なかなか正解にはたどり着けない。それを身をもって体験させてくれたわけです。
体験するには、興味をもたなければいけません。紙で作ったコマを見て、それを自分で作りたいと思うかと問われたので、私は作りたくないと正直に答えたら、もうその時点で臨場の知への道が閉ざされると叱られました。
そして作る気がないのなら、コマを壊してみたらと勧められました。幸いに私は壊すことは大好きなので、壊しましたが、そのおかげでコマの構造やなぜうまく回るのかを考えるヒントが得られました。

次に手づくりぶんぶんゴマです。うまく回らない人が多かったのですが、どうしたら回るようになるかを、体験させてくれました。益田さんが持参したぶんぶんゴマは一見完成されたようでしたが、実は未完成のものでした。益田さん自身がいろいろと試してみて、行き着いた過程をミニ体験させてくれました。
まあそんな風にして、いろんな話をしてくれました。紙とんぼも面白かったです。

それに合わせて、母性と父性、常在性と病原性、保守と革新などの話が出てきて、病原体や感染症にもつながっていきました。
お金や生産性の話も出てきましたが、臨場の知と言語の知とがなかなかつながらず、ちょっと私には消化不良でしたが、逆に言えば、臨場の知と言語の知の対話のむずかしさを教えられた気がします。

最近の子どもたちの遊びの話も出ましたが、電子ゲームなどの広がりで、手づくりおもちゃで遊ぶという臨場の知を育てる場がなくなってきたなかで、益田さんの手づくりおもちゃの効用は大きいと思いました。
益田さんは、昨年までは手づくりおもちゃのワークショップもしていたそうですが、コロナ騒ぎでやめになっているそうです。
もしどなたか子どもたちを対象にしたそうしたワークショップをやりたい方がいたら、ぜひ益田さんに声をかけてください。大人でももちろんいいですが。

最後に最近のコロナ感染症に関する話もちょっと出ました。新型コロナも、生き残るためには常在菌化するだろうという話が私にはとても印象的でした。彼らも一生懸命に生きようとしていることをもっと理解したいと改めて思いました。

なお湯島には益田さんのつくった手づくりおもちゃがありますので、関心のある人は湯島に来た時に言ってくだされば、差し上げます。おもちゃ作りワークショップをご希望の方はいつでも益田さんをご紹介します。まあ受けてくれるかどうかは、保証できませんが。

Masuda20200829

| | コメント (0)

2020/08/27

■湯島サロン「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」報告

小野坂さんの「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」は、さまざまな問題提起が示唆される刺激的なサロンになりました。
小野坂さんのお話の概要は、当日配布された資料にていねいに書かれていますので、関心のある方はご連絡いただければお届けします。ぜひお読みいただければうれしいです。
ここでは、私の関心に沿ったきわめて断片的・主観的な報告にさせてもらいます。

小野坂さんはまず歴史編として、ILOの成り立ちや変遷に関して、簡潔にわかりやすく、しかし具体的な事例も含めながら紹介してくれました。つづいて、現代編に移り、新型コロナウイルスの話題を切り口に国際機関としてのILOの役割や課題を話してくれました。

ILO創設の契機になったのは、はじめての「総力戦」として、「労働者」を動員することになった第一次世界大戦です。その背景にあるのは「労資」の対立と「国民国家システム」の存立の危機です。平和を目指して世界の労働者の労働条件と生活水準の改善こそが世界の永続につながるという理念でつくられたのがILOでした。小野坂さんの話もそこから始まりました。

産業革命によって、「労働」の様相は一変しました。そして児童や女性も、工業的な生産現場に労働力として取り込まれることになりますが、そこからさまざまな問題が発生します。
ILOが最初に取り組んだのは労働条件、とりわけ労働時間の規制です。そして第二次世界大戦後は労働よりも労働者(人権)という視点が強まっていき、さらに21世紀に入り「人間らしい生活」への関心が高まってきます。そうした流れの中で、生活保障や公衆衛生の問題も視野に入ってくるわけです。

しかし改めてILOの通史の話を聞いていると、そこに流れる大きな方向を感じます。
私にはそれが、人々をどんどんと賃金労働者に変えていく流れのように感じました。言い換えれば、金銭資本主義を支えるという役割です。
最後のほうで、小野坂さんは移民や「家事労働者」の話をしてくれましたが、ILOの歴史を見ると対象にする労働者の範囲がどんどんと広がってきている先に、家事労働者があるようにも感じます。
そしてそこにこそ、ILOの限界があるのかもしれません。

小野坂さんは、ILOの役割として「国民国家システムの延命」という話もされました。そもそもILOは労働者代表、使用者(資本家)代表、政府代表という三者構成でガバナンスしていますが、実際には労資(労使)という民間と政府という国家の対立構造が創立当初から埋め込まれていますので、基本にあるのは国家システム基準です。
これに関して、インターナショナルかグローバルかという議論も少しありました。「世界連邦構想」と「国民国家を基本とした国際世界構想」との対比がそこから出てきますが、現在のところ、国家を超えた世界構想は現実味がなくなってきています。国際機関は、国家が使い込むサブシステムになってきていると言ってもいいでしょう。
しかし、小野坂さんは、ILOとNGOの連携や他の国際機関との協働などを引き合いに出しながら、新しい可能性を示唆してくれました。特に私が興味を感じたのは、宗教(サロンでは上海YWCAの活動が紹介されました)の役割が示唆されたことです。
問題は、国際機関をだれがガバナンスするかだと思いますが、小野坂さんは国際機関やNGOが、さまざまな状況変化に合わせて自己変革していく先に、新しい構造を見ているのかもしれません。
いずれにしろ、国際機関とは何なのかという本質的な問いかけを私は感じました。

ILOは、International Labor Organizationの略ですが、レーバー(労働)という表現がどうもなじめないという指摘が参加者からありました。創設当時の世界情勢の中で選ばれた言葉でしょうが、100年を経た今となっては、たしかに活動のシンボルワードとしては問題があるかもしれません。

それに関連して、参加者から「労働(仕事)と生活(くらし)を切り離さないでとらえることが大切」だという指摘がありました。ILOは労働基準と生活基準のいずれをも課題にしていますが、それらをもっと統合的にとらえる必要があるという指摘です。
たしかにそう思いますが、私はそもそも生活(くらし)とは仕事をすることだと考えていますので、「労働(仕事)」と「生活(くらし)」を二元的の捉えること自体に問題の本質があると考えています。二元的に捉えると、たとえば「ワークライフバランス」を考えればわかりますが、両者に目的-手段関係が発生します。ワークとライフを対置するところからは流れを反転させることは難しいでしょう。

国民国家システムを延命するために国際機関を育てていく方向はシステム(制度)を基軸にした発想ですが、その枠を超えて、システムと人間の対立構図で考えると違ったビジョンが見えてきます。労働運動の捉え方も変わってくるでしょう。
小野坂さんの話にも出てきましたが、ILOは労働者とは直接につながるルートもあります。日本でも労組がILOに相談して、国家の労働法を変えていった事例もあります。日本の労働実態に対するILO勧告の報道を記憶している人もあるでしょう。
私自身はそこに新しい世界を垣間見ますが、だからこそILOのガバナンスが気になります。「個人の生活」に起点を置いて考えると新しい風景が見えてくるように思います。

小野坂さんは、現代編として新型コロナウイルス感染症も話題にしてくれましたが、そこで「ソーシャルディスタンス」という言葉に疑問を呈したのが印象的でした。
ILOが現在重視しているテーマに「ディーセントワーク」(人間らしく働く仕事)というテーマがありますが、そこで重視されているのがソーシャルダイアローグ(社会対話)です。
ディスタンスとダイアローグは次元の違う話ですが、私にはとても象徴的なビジョンの違いに思えてなりません。

勝手な報告になってしまい、小野坂さんの主旨からずれてしまったかもしれません。
小野坂さんの話をきちんと読まれたい方は、私宛(qzy00757@nifty.com)に連絡いただければ、小野坂さんのペーパーをお届けします。

最後に私の好きな言葉を紹介させてもらいます。
21世紀初頭にILOの事務局長を務めたファン・ソマビアの言葉です。

個人が尊厳を、
家族が安定を、
社会が平和を求める心の中心にあるのは、
ディーセントワークである。

Ilosalon

| | コメント (0)

2020/08/19

■湯島サロン「21歳の私が今考えていること」報告

「若者からのメッセージ」サロンの2回目は21歳の安藤令奈さんにお願いしました。
彼女からのメッセージタイトルは、「共創の渦を興し、地域からよりよい社会へ 〜コミュニティについて考える〜」。
そのためにまず彼女が仲間と取り組んでいるのが、人々が「人間らしく」生きる「間」(メディア)の創出です。
参加者には事前に安藤さんからのメッセージを読んでもらっていましたが、最初に安藤さんから改めてそのエッセンスを話してもらいました。

愛媛で育った安藤さんは、東京に憧れて、東京の大学に入学。しかし、人や情報、ものが溢れている東京での大学生活に疲労や挫折を感じて、米国に留学。そこで、改めて自らを取り戻すとともに、故郷の良さに改めて気がついたといいます。
そして、改めて「人間らしさ」とは何か、人が生きるコミュニティとは何か、に関心が向かい、自分のミッションを考えながら実践に取り組みだしています。
そして、いま取り組んでいることを具体的に紹介しながら、安藤さんがいま大事にしていることや考えを参加者と対話しながら話してくれました。

たとえば、地方と学生をクリエイティブに活かす「間」(メディア)の創出が、安藤さんがいま取り組んでいる活動のひとつですが、これまでのような同質の世界でのバラバラの活動ではなく、異質な世界をつないでいく「間」に安藤さんは注目しています。

「間」は、人と人、人と自然、あるいは過去と未来を関係づけながら、豊かな価値を創発させていくものであり、単なる「つながり」とは違ってもっとダイナミズムを持ったものをイメージしているようです。

参加していた同世代の若者が、「間」という概念には、「つながり」とは違うものを感ずると話してくれましたが、たしかに「つながり」には「絆」ほどではないですが、拘束性や保守性が感じられます。
一時期話題になった複雑性の科学では、関係が生みだすダイナミズムが新しい世界観を生みだしましたが、「間」にはそういう創造性や発展性が込められています。

また、安藤さんは、「間」を「メディア」とも言い換えていますが、安藤さんが目指すメディアは、情報の伝達ではなく、情報の創発に意味を与えているようにも感じました。一時期流行したマクルーハンの「メディアはメッセージ」よりも「メディアはマッサージ」に力点が置かれているようにも感じました。

コミュニティやメディアに関する発言を聞いていて、世代によって捉え方が違うことも感じましたが、同時に若い世代はどうしても既存の言葉(概念)を使うので、言葉に毒されてしまう危険性も感じました。

安藤さんのメッセージは多くの参加者には好意的に受け取られたようです。
若い世代が話すサロンへの参加者がいつも多いのも興味のある事実ですが、世代を超えて「生き方」を話し合う「場」がもっと増えていくといいなと今回も思いました。
しかし、前回もそうでしたが、世代を超えた話し合いはそう簡単ではないこともまた、実感しました。

3回目の話し手を引き受けてくれる人はいないでしょうか。

Reinasalon

 

| | コメント (0)

2020/08/18

■第9回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心にその2」報告

「歌から会話へ」という大きな変化を、万葉集の東歌を中心に読み解いていく万葉集サロンの2回目は、前回の復習から入りました。
取り上げられたのは、東歌の次の歌です。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき

前半3句で序詞(じょことば)として「た」の世界を歌い、後半2句で「わ」の思いを直截に言葉にする。
つまり前半の「歌」で、共同幻想的な世界を生み出し、それを背景にして、タブーとされていた「事挙げ」を回避しながら自らの思い(「わ」)を一気に発してしまう。

枕詞や掛詞にも言及しながら、神との会話から人同士の会話(コミュニケーション)が生まれ、さらにはそこから「自己意識」も芽生えてくることをこの歌で学び、そこからいくつかの東歌などを読みながら、言霊に支配されていた言葉を人が自分のものとしていくドラマを垣間見るような壮大な話をしてくれました。

しかも、「歌」から「会話」が生まれただけではなく、歌もまた新しい世界をつくりだしていく。「た」の世界と「わ」の世界がそれぞれに分離し、叙景歌、抒情歌として発展していくという、歌の展開に関しても、いくつかの歌を使って紹介してくれました。

案内文で、升田さんは「人間と対峙する言葉が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう」と書いていましたが、まさにその面白さを少し体感させてもらった気がします。

しかし話が壮大すぎて、なかなか消化するのは難しかった気もします。
わくわくする気分は味わったのですが、十分の消化できずに、升田さんのお話を簡潔に紹介できないのが残念です。
できれば次回もこの話を繰り返していければと思っていますので、関心を持たれた人はぜひ次回参加してください。

升田さんの万葉集サロンは、単に歌を読んでいくだけではなく、歌から当時の社会や文化を考えていくものですから、一味違った万葉集サロンになっています。

いずれにしろとても示唆に富むサロンでした。

報告はここまで。
以下はサロンとは直接つながりませんが、今回のサロンを聞きながら考えていたことを2つだけ紹介させてもらいます。

サロンでは直接の話題になりませんでしたが、「音楽」と「言語」の起源は深くつながっています。音楽は歌につながりますが、ネアンデルタール人は歌でのコミュニケーションはしていたが、言語でのコミュニケーションはしていなかったともいわれます。
音楽と言語を生み出した原型言語として「ミュージランゲージ」という概念を持ち出す人もいますが、「歌」と「言」の関係を万葉集の歌から読み解いていくことは、とてもワクワクします。日本語というちょっと個性的な言語がなぜ生まれたのか、ということを考えるヒントもあるように思います。

また言霊や言挙げに関連して、升田さんは「神の言葉を直接伝えることはできないので、言葉を運ぶ存在を置く」という話もされましたが、これは右脳は神の言葉を伝え、左脳は人の言葉を生み出すというジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設で語られている「意識と言語」のテーマにつながっていきます。
升田さんのサロンでも、「わ」「な」「た」の構図の中で、自己意識がどう生まれてくるかがまだ形を表してきていませんが、大きなテーマです。
その意味で、万葉集を通して、「二分心」仮設を吟味するのは興味があります。
ちなみに、ジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設は、『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』に詳しいですが、これと絡めて万葉仮名と漢字の関係を読み解くのも面白いと思います。

升田万葉集サロンは、こういう形でテーマがどんどん広がっていく。
これからどういう風に広がっていくのか楽しみです。

Manyo202008

| | コメント (0)

2020/08/09

■8月オープンサロンの報告

昨日はオープンサロンでした。

急な酷暑のため、あんまり参加者はいないだろうと思っていたら、9

人もの人が参加してくれました。しかも話がおおいに盛り上がってしまいました。

最近手術をした人が久しぶりに参加したので、最初はその人の手術とタバコの話から入りましたが、なぜかそこからコロナウイルスの話、さらには最近話題らしいイソジン効果の話になり、自治体リーダー論になりました。
最近私はコロナ報道をあまり見なくなっていますので(あまりに嘘が多いと思うからです)、なかなか話についていけませんでしたが、しかしみんないろんなことをよく知っています。
湯島に集まる人くらいの情報をみんなが持ち合わせたら、政治も社会も変わるだろうなといつも思います。
もっともその恩恵を一番多く受けているはずの私自身の生活を見ると、情報を得るだけでは十分とはいえなさそうですが。

終わりかけたとき、最近、私がメーリングリストで流した地域通貨の話になりました。
結構まじめな質問だったので躊躇しながらもまともに受けてしまいましたが、たぶん的外れの回答をしてしまっていたでしょう。
しかし、一度、地域通貨サロンをやろうと思いなおしました。
ゲゼル経済学の話もとても示唆に富んでいますし。

寝不足と過剰な心配事と暑さで、私はいつも以上にボーっとしていて、トンチンカンな質問をしていたような気がしますが、みんな聞き流してくれました。
いや私がボーっとしているほうが、どうもサロンは盛り上がるようです。
テーマも決めない方がやはりいいのかもしれません。
土曜オープンサロンをまた復活しようと思います。

Satudaysalom20200808

| | コメント (0)

より以前の記事一覧