カテゴリー「サロン報告」の記事

2023/03/24

■第2回リンカーンクラブ例会サロン報告

リンカーンクラブの第2回定例サロンは、新たな参加者も含めて、7人が集まりました。
全員、武田さんの新著「日本政治の解体新書」を読んでいますが、必ずしも全面的に賛成ではなく、むしろ異論を持っている人も少なくありません。まあ、そこにこそ「リンカーンクラブの特徴」があるのですが。

しかし、異論に焦点を合わせていたら、活動は始まりません。そこで今回は、当面のリンカーンクラブ活動の軸にする3つの目標が武田さんから提示されました。

その3つは次の通りです(表現は仮のものです)。
「首相公選制の実現」
「重要課題に関する国民投票制の実現」(財政予算方針も含む)
「投票公務論を踏まえた選挙投票率向上策の実現」

これに関しても話し合いが行われましたが、細かな点では異論もありましたが、大筋では今回の参加者全員のゆるやかな合意は得られたように思います。
それを踏まえて、これに賛成で、その実現に取り組む姿勢のある人たちを中心に、組織づくりを始めようということになりました。

ちなみに、この3つの課題の根底にあるのは、国民一人ひとりがみずからの意思を政治に反映していける直接民主主義への接近です。
いまのような、国民が手段にされているような国家ではなく(これが「国民国家」の思想です)、国民一人ひとりが国家を手段にして自らの生活を豊かにしていけるような国家(これが「国民主権国家」の意図するところのはずです)への変化を目指しています。

話し合いはかなり活発で、こういう活動をどうしたら広げていけるかの方策の話などにも向かいがちでしたが、まずはゆっくりと一歩ずつ進めようということになりました。そこで当面の目標としての上記3つを掘り下げていくこととその活動の推進母体となるリンカーンクラブの組織及び活動計画を次回はもう少し詰めようということになりました。

まあゆっくりと進めていく予定ですので、しばらくは新たに参加した人の意見なども聞き入れながら、計画の修正もありうるというようなゆるい展開になると思いますが、今回、確認された3つの目標課題は「決定事項」にすることになりましたので、これに大筋で同意できる人、そしてその実現に一緒に取り組もうという方は、ぜひ次回以降、ご参加いただければと思います。

次回は、417日に定例サロンを開催する予定です。

実際に、サロン以外にもリンカーンクラブとしての活動はいろいろとはじまっています。
リンカーンクラブの正式の入会呼びかけは、ルールなどが決まってから呼びかけさせてもらう予定ですが、組織化とかルール作りから関わりたいという方がいたら、ご連絡下さい。

事務局長をやってもいいという方がいたら、ぜひご連絡下さい。
事務局長が決まるまで、私が事務局役を担当するつもりです。
よろしくお願いいたします。

 

 

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2023/03/21

■第3回「はじまり場サロン」報告

「はじまり場サロン」は、こんなことをしたいのだけれど一人ではどうやっていいかわからないとか、こんな活動をしているのだけれど仲間が集まらないとか、何かやりたいのだけれどそれが見えてこないなどなど、気楽に自分の夢や思いを語り合うサロンです。今回はその3回目です。9人の人が参加しました。

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それぞれのやりたいことを話して、それに関して話し合うというスタイルですが、今回は最初にすでに活動を始めている木名瀬さんから、フロスティングフラワー教室の話があり、参加者全員で実際に体験することになりました.

フロスティングフラワー教室とは、アクリル板にブリザードフラワーの花びらを絵の具のように細工して、作品づくりを楽しむ活動ですが、木名瀬さんはそれを使って社会に喜びやつながりを広げていきたいようです。福祉施設や子供教室など、どこかで要望があれば出かけていくと言っています。
今回は、木名瀬さんが材料や道具などを10人分持参してくれて、みんなで体験させてもらいました。すでに教室を開く資格は取得されているそうですので、関心のある方はご連絡いただければ木名瀬さんにつなげます。
一度、湯島でも教室を開催することも検討したいと思います。

それを皮切りに次々と「やりたいこと」が発表されました。
仕事として新聞のクリッピング作業をしている人は、新聞の効用への認識が高まり、その新聞が廃たれていくのが残念だとして、こんなことに取り組みたいという話をしましたが、とても共感できるものであり、なんとか実現できないかと思いました。みんなもいろいろアイデアを出し合いました。

長崎出身の人からは、長崎では原爆が投下された89日にはみんな黙禱していたが、東京に来たらそんなことがないのに驚いたと言い、でもあの体験を無駄にしないように、何かできることはないかとずっと考えているという話がありました。
とにかく一度、湯島のサロンで、体験や思いを話してみたらということになりました。そこから何かが始まるかもしれません。

大学で学生の社会参加プログラムに長年取り組んできた人からは、学生に限らず、とりわけ企業退職者にも自分の世界から飛び出して「越境」体験をすることで人生を豊かにしてもらいたいので、越境体験プログラムに取り組みたいと思っているという話がありました。
これもまずは一度、湯島で一度やってみようという話になりました。

RUN伴」イベントを今年また文京区で開催したいという人がいました。
RUN伴は、認知症の人や家族、支援者、一般の人がリレーをしながら、一つのタスキをつないでゴールを目指すイベントだそうです。コロナ流行前に一度、開催したことがあるそうですが、それを今年また開催したいというのです。
私もささやかに認知症予防活動に関わっていましたが、「RUN伴」のことは知りませんでした。その人は、どうも認知症に限らず、車いすも含めて、いろんな人が一緒に街中を走る「RUN伴」を考えているようです。これは実現するでしょう。

今回は具体的には発表はしませんでしたが、ほかにも「コミュニティの場」づくりに取り組んでいる人、コミュニケーション障害に取り組もうとしている人、あるいはアート活動している人、サンチャゴ巡礼に行きたいと思っている人など、いろんな話が出ました。

いくつかのプロジェクトがはじまりそうです。
こんな感じで、みんなの前で発表すると、動き出す力がやってくるかもしれません。
また時々、「はじまり場サロン」を開催したいと思います。
そうした思いを実現するのを応援する「生活事業研究会」も第3期を考えたいと思います。

はじまり場サロンに限らず、何かやりたいことがある人は、一度、湯島のサロンで公言すると動き出すきっかけを得られるかもしれません。
それも湯島サロンの活用策のひとつかもしれません。
サロンをやりたいという人がいたら、ご連絡下さい。

生活事業研究会ご希望の方もぜひご連絡下さい。ここで言う「事業」とは、収益事業ではなく、「やりたいこと」程度の軽い意味ですので。

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2023/03/20

■湯島サロン「ソーシャル・キャピタル」報告

「ソーシャル・キャピタル」をテーマにした今回のサロンは、2つの意味で「ソーシャル・キャピタルとは何だろうか」を考えるサロンでした。つまり「言葉の意味」とそれがいま「何を意味するか」という二重の問いかけです。
久しぶりに私が話をさせてもらいました。

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まず、20年前にあるテレビ番組が行った社会実験の紹介から話させてもらいました。北海道の身寄りの全くないお年寄りが東京の全く知らない人に、個人的なつながりを介して手紙を届けるとしたら何人の手を介して、手紙が届くか。いわゆる「スモールワールド実験」です。
それ以前の実験で、「6次の隔たり」と言われたように世界中の人は6人前後でみんなつながっているということが確かめられていたのですが、日本でもその時、7人目で届いたのです。人はみんなつながっているのです。

昭和の初めころまで、「人間」は「じんかん」と読まれて、「世の中」や「社会」を意味していた、といいます。そのことからもわかるように、人のつながりこそが社会、ソーシャルだったのです。でも、そのつながりがいま消えてきている。なぜだろう。そこから話をさせてもらいました。ソーシャル、社会とは何なのか。

次の問題は、キャピタルとは何か、です。そこで参加者に「キャピタルと聞いて何を思い出しますか?」と質問しました。当然のことながら、「資本」という答えが多かったのですが、私の子供の頃は「キャピタル」といえば、資本ではなく「首都」を意味しました。アメリカのキャピタルはニューヨークではなくワシントンだと先生に言われたのを今でも覚えていますが、同世代の参加者ももう忘れてしまっているようでした。しかし、辞書を開けばわかりますが、キャピタルには首都という意味もあり、形容詞として使えば、「主要な」「一番の」という意味もある。

つまり「ソーシャル・キャピタル」とは、人が生きている社会にとって一番大切なものと考えていいのではないか。それが、私が考えるソーシャル・キャピタルの概念です。

ところで、ソーシャル・キャピタルをそのまま素直に訳せば、「社会資本」になりますが、日本では「社会資本」といえば、社会基盤、インフラストラクチャーのことをいいました。そこでパットナムが提唱した「ソーシャル・キャピタル」は「社会関係資本」と訳されました。

それに似た言葉に「社会的共通資本」という言葉があります。これはインフラストラクチャーに加えて、「自然環境」と「制度資本」を加えた概念です。宇沢弘文さんが仲間と一緒にたくさんの本を残してくれています。
しかし、「社会的共通資本」発想にも、肝心の人間が登場しない。私はそこに、社会から身を離して社会を観察する研究者の限界を感じています。

まあそう言ってしまえば、あまりに独りよがりなので、ソーシャル・キャピタル概念を言い出したアメリカの政治学者のロバート・パットナムの話も少しさせてもらいました。彼はソーシャル・キャピタルを「人と人とのつながり」とか「信頼関係」とかいう意味で使い、それが、経済や政治に大きな影響を与えていると言ったのです。

そうした話を踏まえて、今回は「つながり」に焦点を置いて説明させてもらいました。
特に、「内に向いたつながりと外に向かうつながり」、そして「弱いつながりと強いつながり」に焦点を置きました。

前者に関しては、ボンディングとブリッジングという言葉が使われていますが、いずれも「つながりがつながりを壊す」という爆弾を抱えています。その典型が日本における「ウチとソト」の話であり、現在生じている現象で言えば、「家族の崩壊」です。

後者に関しては、ホモフィリー(同質集団)とヘテロフィリー(多様性集団)、つまり同調性やダイバーシティの話にもつながっていきます。
いずれも社会のありように関わってくる話なのです。

いずれにしろ、そういう様々なつながりをどうバランスさせ、どう活かしていくかが大切だろうと思います。が、これが実に煩わしい。だからみんなもう「絆」社会から抜け出したいと思っていたら、予想以上の分断社会になってしまった。

そういう社会で生きていくために頼りにしたのがお金です。
そしてお金が社会を支配しだした。
そして社会にとっての一番大切なもの、つまりキャピタルは貨幣、資本になってしまった。それでいいのか。とまあ、こんな話をしていったのです。

問題はそうした社会からどう抜け出すかです。
それに関しても、いくつかの事例で説明させてもらいましたが、つながりを回復させるのはそう難しいことではありません。たとえば誰でもできることは、自らの弱みをさらけ出すことなのです。
本来的な意味でのボランティア活動の基本には、そうしたことがあったと思いますが、最近のような小遣い稼ぎのためのボランティア活動の広がりの中ではそういう要素は残念ながら消えだしてしまっているような気がします。

私が取り組んできた、あるいは今取り組んでいる話もさせてもらいました。
その象徴が、この湯島サロンなのです。

そして最後に、みなさんに問いかけさせてもらいました。
「人を動かし、社会を創りだしているものは何でしょうか」。
私は、それこそが生活者にとってのソーシャル・キャピタルだと思っているのです。

私の問いに対するみなさんの答は、幸いにして資本(お金)ではありませんでした。
喜び、楽しさ、笑い、信頼、愛……。
ちなみに、私の考えているのは「慈愛」、愛と慈しみです。
参加者のみなさんと一致しました。
ソーシャル・キャピタルはお金ではなく愛なのです。

お金のための打算的なつながりではなく、慈愛に満ちたつながり。それこそが私たちの生きる支えになってくれる。私はそう考えていますが、みなさんはどうでしょうか?
しかし、最近は「愛」も「慈しみ」さえもが市場化の対象になりかねない。なにしろ、経営は顧客の創造だなどというドラッカー教が世界を席巻し、反市場化が進んでいるからです。

日本にあった、そうした人と人をつなぐ仕組みがどんどんと失われつつある。
であればこそ、「ソーシャル・キャピタル、社会にとって大切なものを資源として消費する経済」から「ソーシャル・キャピタルを成果として育くむ経済」へと変えていく生き方をしなければいけないのではないか。

いまのままではマルクスが恐れたように、貨幣に支配された資本主義は生きる人間の終焉をもたらすように思います。資本主義をよくしようなどと思うのはもうやめて、資本主義から抜け出すことを考えなければいけないのではないか。

なにやら久しぶりに話したせいか、いろんなことを盛り込みすぎてしまったかもしれません。この報告も、いささか独りよがりかもしれません。
すみません。

なお、当日使ったパワーポイントがありますが、もし関心のある方がいたらお届けしますので、ご連絡下さい。ていねいに見ていただければ説明なしでも要旨は伝わると思いますので。

 

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2023/03/16

■湯島サロン「対価目的の仕事には価値がない?」報告

「働く」をテーマにしたサロンは、今回は「対価目的の仕事には価値がない?」というタイトルで、長年、収入目的の対価労働ではなく、周りに喜びを与える仕事を主軸に「働いてきた」竹形さんに問題提起していただきました。
竹形さんは、まさに「傍(はた)を楽(らく)にする」仕事を大事にしています。「稼ぐ(わが家のために米を得る)」仕事も時にはやるようですが。

「対価目的の仕事には価値がない」というとすぐ反論が出てくるかもしれないが、今回の問題提起は抽象的な考え方なのだと、先ず竹形さんは説明したうえで、話をはじめました。
そして「労働価値説」や「実体経済と金融経済」についてさらっと説明したうえで、ITが人間の労働をどんどんと失くしていると言って、ITでなくなった、あるいはこれからなくなるだろう人間の仕事を例示してくれました。
つまり、ITなどのおかげで、人間がやらなくてもいい仕事が増えてきている。そういう仕事は、人間がわざわざやる必要がないのではないか。そういう意味で、竹形さんは「価値がない」と言っているのです。そして、そういう仕事は次第になくなっていくだろうと言うのです。

一方、ITには任せられない人間にしかできない仕事には、そもそも合理的な値段はつけられない(画一的な金銭評価はできない)と竹形さんは言います。
それは「働く」シリーズの前回のサロンで話題になった、相談の対価の金銭評価の難しさに通じます。そして竹形さんは、困りごとの解決をお金基準のビジネスにするところに問題があるのではないか、と言います。

そこからさらに話は広がり、そもそも今のようなお金中心の経済でいいのかという話になっていきました。そして竹形さんは、金銭利益を目標にしたビジネスも、将来的には限りなく、利益ゼロになっていくのではないか、とも言います。

竹形さんは明言されませんでしたが、(金銭的)価格を基準にするのではなく、価値を基準にした経済へと変わっていくだろうというのです。
金銭基準の経済の捉え方でいまの日本を考えると世界的には水準は低くなっているかもしれないが、お金でない価値(暮らしやすさ)に関しては、日本は最先端ではないか、と竹形さんは言います。そして、本当に私たちの生活にとって大切なのは、そうした価値ではないかというのです。

そこからベーシックインカムやシルビオ・ゲゼルの「自由通貨」の話にまで広がり、そもそもの経済のあり方やお金の捉え方、さらにはビジネスの捉え方を変えなければいけないという話になっていきました。

そして最後に竹形さんが言ったのは、「人を喜ばせることは楽しい」。人を喜ばせるために使う時間や労力には価値がある。お金を稼ぐ仕事は楽しくないというのです。
そして、上意下達型の階層化社会から横のつながりを基本とするネットワーク社会に移ろうと締めくくりました。

他にも「恩送り」とか「医療・介護」の話など、いろいろと話題はありましたし、話し合いも面白かったのですが、長くなるので省略させてもらいます。

ちなみに、こうした話の背景には、すべて竹形さんの日頃の生き方がありますので、単に絵にかいた話ではないのです。竹形さんの実際の体験につながっている話であり、竹形さんがいまその実現に向けて取り組んでいる話です。そうした生き方のおかげで、最近、経済的苦境を乗り越えることができたという生々しい話もありました。

お金を稼ぐことが仕事だという考えが社会を覆いだしたのは、日本ではたかだかこの6070年ではないかと思います。そのおかげで、日本は高度経済成長を実現し、私たちの暮らしも便利になったのは間違いありません。
でも反面、それで失ってしまったものも少なくありませんし、こういう生き方がこれからもずっと続けられるかどうかの懸念も強まっています。

竹形さんの問題提起は、いま日々の暮らしに金銭的に追われている人にとっては、現実からかけ離れた抽象論・理想論と受け取られるかもしれません。
でも大切なのは、どういう社会を目指すのかです。

人を喜ばせることこそが「働く価値」であるならば、そういう方向に向かって、小さなことでもいいから、まずはできることから始めればいい。
お金のために働くことから、喜びのために働くことへと少しずつ軸足を移していく。そうすれば、「働くこと」が楽しいことになるかもしれません。お金がわずかしか得られなくても、楽しく安心して暮らせるようになるかもしれません。

お金を稼ぐことが仕事であるという常識から、ちょっと離れてみたら、何かが変わるかもしれません。そんなことを改めて確信したサロンでした。


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2023/03/12

■第2回「一緒に〈深呼吸歩き〉してみませんか?」報告

永田茂さんの〈深呼吸歩き〉の2回目は、上野公園から湯島の会場までを30分かけて各自歩いた後、話し合うというスタイルをとりました。
桜の花には少し早かったですが、好天に恵まれ、10人を超す参加者がありました。

Aruki0200 西郷隆盛の銅像前で集合。そこで永田さんから「深呼吸歩き」の歩き方のポイントと30分をどうやって歩くかの目安の説明を受けました。
最初はまず「ゆっくり楽に歩き出す」。続いて「お腹で息を吐く」ようにして10分ほど歩き、次第に「スピードを上げていく」。そして身体全体が緩んで汗が出てきたら、「スピードを最高にあげ5分ほど歩き」、疲れたらスピードを落として「深呼吸にチャレンジ」、そこから最後はまた「トップギアで5分ほど歩く」。
これはあくまでも目安で、これを参考にしながら、各自、思い思いに歩いてみよう、というのが永田さんからのお話でした。

ただし、永田さんは、今日の歩きの目標として2つの課題を出しました。
「閾値を超えること」と「快を楽しむこと」です。

運動の強さを増していくと、あるところで血液中の乳酸が急激に増加し始めます。ある「閾値」を超えることで健康への効果が飛躍的に上昇するそうですが、今回はそこに挑戦してみようというのが「閾値を超えること」です。
しかし、あんまり頑張りすぎて疲れてしまうのではなく、「快を実感する」ことが第2の課題です。健康のために歩くのではなく、快適に歩くことこそが長く続き、結果的に健康にもつながるというわけです。

この2つはお互いにつながっています。ちょっと閾値を超えることで快感が得られ、快を実感すれば閾値越えも維持できる。それをまずはみんなに実感してもらおうというのが、永田さんの今回の狙いです。
私がこの深呼吸歩きにはまったのも、その体験によってです。快を実感すれば、また歩きたくなるからです。

永田さんのお話を受けて、各自、不忍池周辺を中心にそれぞれ歩き出しました。30分以上が歩く目安です。平日だったので、さほど人混みはなく、気持ちよく歩けました。

そして三々五々、サロン会場(湯島)へと向かいました。会場に着いた時間には30分ほどの差がありましたが、全員、ちょっと汗をかきながら到着。そこでいつものように話し合いに入りました。

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まずは参加者全員から、感想を話してもらいました。
みんな「快」を味わったようで、話も弾みました。
歩き出す前には足腰が痛かったが、歩き終わって湯島に着いたら、その痛さが解消されているのに気づいたという人が2人もいました。
歩くことにまた自信がついたという人もいました。
みんな「深呼吸歩き」を楽しんだようです。

最初に永田さんからのていねいな説明があったせいか、「深呼吸歩き」の具体的なやり方に関しては、あまり質問が出なかったのですが、それぞれが自分なりの歩き方に取り組んでいくきっかけを得たせいかと思いました。
百の説明よりも、一の実践。みんな永田さんの話からヒントを得て、自らの歩き方を育てていければと思います。

最後に、この「深呼吸歩き」を広げていきたいという永田さんに、今回の体験からのアドバイスをみなさんにお願いしました。
いろんな提案をもらいました。
永田さんも、今回は初めての「深呼吸歩き会」で、試行錯誤的な取り組みでしたが、いろいろとアイデアをいただき、次回へと活かしてもらえると思います。

今回参加した人たちには、それぞれこれからも実践し、ぜひいろんな意見を寄せていただければと思います。
また、どこか一緒に歩こうという方がいたら、ぜひこのメーリングリストでもご案内ください。いろいろなところで、実践者が増えてくるとうれしいです。
今回、身体を動かす活動をしている人も数名参加していたので、有志で一度、この活動をさらに広げていく会も開催したいと思います。

「深呼吸歩き」で日本中の人たちを元気にしたいというのが永田さんの夢なのです。夢を持っている人は応援しなければいけません。
今回の体験を踏まえて、永田さんにはまた、第3回の深呼吸歩き会を企画していただこうと思います。今回参加できなかったみなさん、ぜひご参加ください。

なお、深呼吸歩きに関する説明や効用など、永田さんの動画が次のサイトにありますので、ご関心のある方はご覧ください。
https://youtu.be/a51MgFyA9u8

 

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2023/03/07

■茶色の朝サロン「新しい戦前を感じますか」報告

久しぶりの茶色の朝サロン「新しい戦前を感じますか」には、あふれるほどの人が参加するだろうと思っていたのですが、その予想は見事にはずれてしまい、参加者は7人でした。日本はすでに「戦前」ではなく、すでに「戦中」に入ってしまっているのか、と思ってしまうほど落胆しました。

とまあ、これはきわめて個人的な私の主観ですが、参加者のおひとりが私以上に危機感をお持ちなのを知って、少し気が静まりました。でもまあ、正直、やはり湯島のサロン活動はあんまり意味がないなという思いがまた強くなりました。

今回の報告は、いつも以上に個人的な感想になりますが、お許しください。

今回は何も用意せずに最初から話し合いに入ろうと思っていました。どんどんと意見が出てくると思っていたからです。でも参加者が少なかったこともあって、落胆したついでに最初に2~3分話をさせてもらいました。

私が中学生の頃、経済白書で「もはや戦後ではない」という有名な文章が話題になりました。たしかにその頃から日本は高度成長経済に向けて動き出していきました。しかしその後も、世間では「戦後○○年」という言葉が使われ続けました。「戦争」基準で思考することから抜け出せなかったとも言えますが、戦争から自由になろうという意志が働いていた気もします。時代もその方向に向かっていたと思っていました。

ところが突然「新しい戦前」へと基準が変わりました。これによって、「戦争」がやってくるという方向に社会の言動は反転していくことになるでしょう。それでいいのか。

と、そんなことを少しだけお話しさせてもらったうえで、自由な話し合いに入りました。

おひとりが、危機感を訴えた後、自分で何ができるかを考えて、いまの流れを食い止めるためのメッセージを書いたステッカーを門に貼ろうと思うと話してくれました。問題は、どういうメッセージがいいかです。メッセージ入りのシャツも考えているそうです。
そうした各人のアイデアを出し合う方向に進めばよかったのですが、私の進行の不手際でそういう方向には向かいませんでした。私が落胆の罠に陥ってしまっていたからです。

メッセージ・シャツはカント主義者の私の好みではないのですが、ステッカーができたら私も玄関に貼りたいです。以前にもやっていたことがあります。。

いずれにしろ、戦争を避けたいと思っている人がそれぞれできることを始めれば、社会は変わるかもしれません。もし変わらなければ、それはみんなが戦争を望んでいる社会だっただけのことです。
ステッカー提案者は、その時は投獄されて獄死を想定しているようですが、まあ私も甘んじてその定めに従おうと思います。でも参加者の多くの人はそういうところまでイメージできないようでした。戦争のリアル感が違うのでしょうか。

人間は本能的に戦争をする存在だという議論もありました。私はそうは思っていませんが、多くの人はそういう議論にも異を唱えません。今回は私以外にも異を唱える人はいましたが、やはりどうも少数派のようです。もしかしたらみんな戦争をしたいのかもしれません。事実、今回のサロンでも議論がいささか論争になりそうな局面もありました。私に対しても、では佐藤さんは何をやっているのか、と厳しい追及もありました。
自らが何をするかではなく、誰かが何をやっているかに焦点を向ける風潮が、「戦前状況」の特徴のような気がしますが、この数年、ますますそうなってきているのをサロンを通じて感じています。もちろん私はそれに抗って、発言するようにしていますが。

私もかつてはデモやピースウォークなどに参加しましたが、いまの流れを食い止められませんでした。私はそこから、自分なりの活動を模索し、かつてはコムケア活動、いまはサロン活動を基軸に言動していますが、どうも自己満足なだけかもしれません。しかし、自己満足でもいいので、みんながそれぞれに行動を起こすことが大切です。

社会のベクトルを戦争に向けようという動きに対しては、以前から警告を発していた人は少なからずいました。そのおかげもあってか、政治の動きは何とか踏みとどまっていましたが、もうこれからは堰を切ったように動き出すでしょう。なにしろ「新しい戦前」という発言に大きな批判は出なかったのですから。もう状況がほぼ出来上がったのかもしれません。その上、口実をつくる材料も今やたくさんあります。

政府が外出を控えろと言えば外出を控え、ワクチンを打てと言えばワクチンを打ち、ウクライナを支援しろと言えば支援するように、いまや日本人の多くは、戦争だと言えば戦場に出ていくような気がしてなりません。1年前の日本の状況は、9.11事件後のアメリカの世論を思い出させました。

でも戦争は戦場で戦う人がいてこそ起こるのです。戦争を起こすのへ権力者ではありません。権力者に従う「戦う人たち」です。国のためにったかう人たちです。しかし、愛国精神などという時の「国」とは何でしょうか。

こう書いていたらだんだん腹が立ってきて、またまた余分なことを書きそうなので、これ以上書くのはやめることにします。どうもまだ人間ができていなくて、時々感情を止められなくなるのです。困ったものです。
それに読んでいる人のなかには、私と逆の意味でだんだん腹が立ってきている人もいるかもしれません。そうした「怒り」が、もしかしたら「戦争」につながっていくのかもしれません。だとしたら、私自身、「新しい戦前」に加担しているとも言えそうです。

しかし、戦争を起こすのはやはり私たち国民なのです。
そう思うとなんだか気力が心底萎えてしまうサロンでした。
もう茶色の朝サロンはやりたくない気がします。
誰かやりたいという人が出てまで、しばらくお休みします。

寓話「茶色の朝」を読んで、新しい茶色の朝サロンを再開してくれる人が出てきてくれるとうれしいのですが。どなたかやってもいいという方がいたら、私は必ず参加します。

ちなみに、「茶色の朝」サロンについては次をご参照ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2018/01/post-dd3c.html

Bms20230300

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2023/03/06

■湯島サロン「人生のたのしみは」報告

「善く生きる」サロンの、いわば番外編として開催した「人生の楽しみは」サロンは、参加者こそ少なかったのですが、とても楽しいサロンになりました。
やはり正面からテーマに取り組むほうがいいのかもしれません。

今回に味をしめて、つづけて「人生の喜びは」「人生の幸せは」「人生の喜びは」など、シリーズで開催したくなったほどです。参加者からも「喜怒哀楽」それぞれの提案もありましたが、「怒り」や「哀しさ」は気が重くなりそうなので、いささか躊躇します。
むしろもう一度、「人生のたのしみは」をやってもいいかもしれません。希望者が3人を越えたらまた企画しますので、ご希望の方はご連絡ください。

まあそれはともかく、今回のサロンの報告です。

参加者はせめて、橘曙覧の独楽吟52首は読んでくるだろうと思っていましたが、なんと読んできた人は一人だけ、まったく困ったものです。苦労して書いた案内文もあまり読んでいない。まあ、案内文が長すぎるのでしょうね。
仕方なく、みんなでまずは52首を読むことにしました。

これがよかったのかもしれません。なんだ、人生の楽しみと言っても、こんな程度の話なのか、と肩から力が落ちた人もいたでしょう。こんなたのしみなら、誰でもいつでも見つけられるでしょう。人生に楽しさがあれば、元気が出る。

1首ずつみんなで読み上げては意見もいいながら、52首、読み終わったところで、それぞれが共感できるものを選んでもらいました。
わりと重なるものもあり、そこから何となく、その人の暮らしぶりも垣間見えてきます。
つづいて、それぞれ自分の楽しさを短歌にしてもらいました。
そしてそれを発表しあいながら、人生とは何かを気楽に話し合いました。

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52首の多くに共通するのは、世間がどうであろうと他者がどうであろうと自分を素直に生きることに楽しさを感じていることです。しかもそれらは、その気になればだれにもできることでもあります。
参加者の一人が、楽しみは与えられるのではなく見つけることなのか、と言ったのが印象的でした。楽しさを発見・創出できるかで、人生は大きく変わってくる。
少なくとも独楽吟で歌われているような「たのしさの素」は誰の周りにもあるでしょう。

社会の嫌な面や自らの暮らしの辛さだけを見ているのでなく、楽しさや喜びを見つける姿勢が人生を変えるかもしれません。アウシュビッツを生き延びたフランクもそうでしたし、エティ・ヒレスムも収容所の中でさえ意味ある人生を生きたのです。

今回は、入院中の人がひとり、病院を抜け出して(もちろん許可を得てですが)参加してくれたのですが、その人は病院生活が退屈だと言っていたので、「病院生活のたのしさは」シリーズに取り組むように頼みました。それができると、これから入院する人には福音でしょう。私もこれからの入院生活が楽しみになるかもしれません。

しかし、実際には生活の楽しさよりも苦しく辛く嫌なことのほうが多い人もいるでしょう。今回の参加者からも、たとえば、マスコミ報道を見ていると、原発再稼働や防衛費増、あるいは痛ましい事故や事件など、滅入ることが多いという話がありました。私もそう思っている一人です。
でも、ものは捉えようです。そうした課題を解決し乗り越えることを自らの課題と捉えるならば、悲しさや苦しさもまたたのしみにできます。

そう考えれば、実は喜怒哀楽はすべて同じものなのかもしれません。
喜怒哀楽を楽しむ生き方。ただ怒ったり哀しんだりするだけではなく、それらも自分の人生に意味を与えてくれるものとして肯定的に受け止め、楽しんでしまう。そんな生き方こそ、豊かな生き方、善く生きること、なのかもしれません。

参加者が詠んだ「たのしさの歌」を最後に紹介しようと思っていましたが、それはやめてサロンをやった感想の一句を最後に。
「たのしさは 友とたのしさ 語り合い たのしさ持ちに 気づくとき」
楽しさを話し合うことこそが人生の楽しさにつながっていくのかもしれません。

ちなみに「独楽吟」は次のサイトなど、ネットで読めます。
https://tankanokoto.com/2020/10/dokurakugin.html
お時間が許す時に是非一読してみてください。

生き方が少し変わるかもしれません。
たとえどんな状況にあろうとも。    

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2023/03/03

■第21回益田サロン「ウイルスを改めてもう少し理解しよう」報告

細菌学者の益田昭吾さんの21回目のサロンは、「ウイルスを改めてもう少し理解しよう」をテーマにしてもらいました。
益田さんは、ウイルスが生物か生物ではないのかという、参加者の問いに応じて、「生物とは何か」から話を始めてくれました。

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益田さんは、生物の本質は「復元性」ではないか、と言います。
つまり、自分で元に戻る性質がある。
ホメオスタシス(恒常性維持)とも言われていますが、さらに難しい言葉を使えば、エントロピー(無秩序)増大という自然の摂理に抗って、エントロピーを減少させていく性質がある。

元に戻るということは、益田サロンでよく話題になる「自己」があるということでもあります。戻るべき自己があるのが生物。
さらにまた、自己があるということは、自己ではない存在があるわけで、それを「環境」と言ってもいいでしょう。つまり、生物とは環境との関係の中で、戻るべき自己を持っている存在と言ってもいい。

あるいは、環境との間で、エントロピーをやりとりしながら、環境と共に変化しているという言い方もできそうです。生物は環境から隔離された存在でありながらも、両者は双方向的に影響し合いながら存在している。益田サロンでよく話題になるように、「環境あっての生物」「生物あっての環境」というわけです。

さらに益田さんは、復元するためには、失われたものを補うという意味で「増大性」がなければいけないと言います。
増大性もまた、生物の本質のひとつというわけですが、話を聞いていて、増大が生み出す「余剰」が、「変異」とか「進化」、さらには「成長」につながるのかと思ったのですが、そこまでの含意はないと言われました。先走らずに、基本をしっかりと考えることが大切なのですが、劣等生の私はいつも先走ったり、わかったような擬人化をしたりして注意されています。困ったものです。しかし、そうした「逸脱」が許されるのも、益田サロンの面白さです。

ちなみに、教科書的に生物の本質はと言えば、「自己増殖性」「代謝」「独立性」というような言い方がされますが、益田サロンではそういう教科書的な言葉での理解ではなく、しっかりと自分の言葉で考えて、理解することを促されるのです。

そこからいろいろな話へと広がりましたが、要するにウイルスは復元性を持つ生物と考えてもいいというように私は受け止めました。
もっとも私は、ウイルスが生物であろうとなかろうと、どうでもよくて、ただ関心事は、ウイルスとどう付き合えばいいかに関心があるのですが。ただ、生物と考えるかどうかで、付き合い方が決まってくるとしたら、それは重要な問題です。

ウイルスは粒子という表現がなされるように、細胞ではなく、増殖のためには宿主細胞が必要なのだそうです。宿主から切り離されたウイルスは、いわば芽胞(冬眠?)状態になり、増殖もしなければ、悪さもしない存在になっているそうです。

ではウイルスはいつ動き出すのか。それは細菌細胞を宿主としたときであり、その環境となった宿主細胞の状況がウイルスにとって「あやうくなった」時のようです。
このあたりの私の理解はいささか危ないので不正確かもしれません。

さらに、宿主である細菌を食べるバクテリアファージの話や帯状疱疹の増加の話、あるいはrDNAウイルスは定着しにくいなどといった最近のコロナ・ワクチンの話など、いろいろと話は広がりましたが、いつものように、益田さんは話したいことが話せずに終わったかもしれません。

ウイルスはよく言われるように人類の進化に大きな貢献をしてくれています。
最後にそういう話も出ました。
最近はコロナウイルスのせいで、ウイルス悪者観が社会を覆っていて、ゼロコロナなどと騒がれていますが、私はどうもその風潮がなじめません。

すべての生物はつながっていると考える私は、最近の新型コロナウイルスを全否定することは、ブーメラン効果で自らにも戻ってくるような気がして気が重いです。ウイルスもまた、人間にとっての環境ならば、全否定はすべきではないと思えてしまうのです。
まあそんな話から、ウクライナやプーチンの話にまで飛びそうにもなりましたが、ウイルスが教えてくれることはまだまだたくさんありそうです。

益田さんから、そんなことを話したつもりはないと叱られそうな報告になってしまいましたが、お許し下さい。
次回は、また益田サロンの原点に戻って、「生物と環境」をテーマにすることになりました。もちろん今回未消化だったウイルスの話は、引き続き話題にしていき、新型コロナウイルスとの付き合い方も話題にしていきたいと思います。
コロナやウイルスに関する疑問点は、毎回のテーマに関係なく、出してもらってもいいと思います。

次回の日程が決まり次第、また案内させてもらいます。

 

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2023/03/02

■湯島サロン「看取られながら人生を終わりたくないですか」報告

「善く生きる」をテーマにしたサロンの3回目は、「看取られながら人生を終わりたくないですか」の呼びかけで、「孤独死」について話し合うことにしました。

話題提供してくださったのは、無縁化防止団体OMUSUBI代表の北原千香子さん。
北原さんは、近くの人の孤独死に遭遇し、孤独死がいろんな人にいろんな傷を残していくことを実感。人のつながりの大切さを改めて強く感じ、無縁化防止活動を始めたそうです。人のつながりは、家族に限らず、信頼できる良い人間関係を育てていくことだと言います。
困難に陥ると人は閉じてしまい、他者の手を離してしまう。しかし困難な時こそ人の手を離してはいけない、と北原さんは言います。そして、そうさせないために、あなたのことを心配している人がいるんだということを、わかってもらうことが無縁化防止にとって大切なことだと言います。

しかし、つながりは大切だとしても、面倒でもある。
参加者の一人が、私はむしろつながりは希薄にしておきたい。つながりは自分だけではなく、相手にも負担をかけることもあると発言しました。たしかに、「絆」という言葉に象徴されるように、「つながり」はお互いを縛りあってしまい、逆に生きにくさを生み出すこともある。どういうつながり方がいいのか、を考え直していく必要があると言うのです。コミュニティのあり方を考え直す時期だとも。

別の人が、自殺率が低い地域の話を紹介してくれました。そこではお互いに声をかけ合おうとか縁側での付き合いとか、いわゆるスモールトークが多い。お互いに気遣い合いながらも、そう深くは付き合わない。そうした軽いつながりが心地よく、自殺も少ない。
北原さんも、つながりという言葉は、人によって意味合いが違う。付き合いが深かったり、数が多ければいいというわけでもない。数ではなく質だと言います。そして、ちょっとした「スモールトーク」、ささやかなやりとりだけでも心の中に幸せが生まれる。

ご自分の体験を語ってくれた人もいます。
小さい時は死が怖かった。でも夫が亡くなった時には何もしてやれなかったことを悔いて、自分も死にたい、いつ死んでもいいと思っていたが、子どもたちのことを考えると死ねなかった。いまは幸せに生きているが、そのせいか最近また、死が怖くなったというのです。また親が寝たきりになってしまい、「なんで死ねないのか」と言い出したという話もしてくれました。
そして、みんなに「死ぬのは怖いですか?」と問いかけました。

死ぬのは怖いか。
難しい問いです。今回、サロンに参加していた人たちは、死への恐れはあまりないようでしたが、「死はともかく、そこへのプロセスで苦しかったり痛かったりするのは嫌だ」「死ぬよりも死なれるのが怖い」という声がありました。
死への恐怖は、死後の世界が全くわからないことからくる不安ではないかという意見もありましたが、逆に死後の世界はわからないのでワクワクするという人もいました。

捉え方はいろいろですが、こんな意見もありました。
私たちは、いろんな体験をするためにこの地球に生を受けている、と考えると、死は怖くなくなる。孤独死に対しても、良い悪いはない。悪いとか良いとか判断して悩むのではなく、もっと高い視点で、すべては魂の成長のためと捉えれば、死について不安に思うことがなくなる、というのです。
その人は、ホームホスピスづくりに取り組んでいる看護師で、おそらく様々な死に触れて来ているので、死に対する接し方としてもとても説得力を感じました。
死は怖くないという思いを持った人に囲まれて、私も死を迎えたいと思います。

死が怖いか、という問いは私たちの生き方への問いでもあります。
もし、誰もが行き着く死が怖くてネガティブのものであれば、人生は不安で不幸ではないか、と私は思います。そうではなく、人生を明るく肯定的に生きるためにも、死をどう捉えるかはやはりとても大切だと思いました。心穏やかに見送ることは、看取られる人にとってもいいのではないか。少なくとも私はそういう思いで見送られたい。

まあこんな感じで、話はいろいろと飛び交いましたが、最後に、サロンの呼びかけにある「最後は誰かに看取られたいですか」という問いに対しては、私以外の人はあまりこだわっていないようでした。これは意外でした。私だけが寂しがり屋なのかもしれません。

しかし、私はこう思います。孤独死は孤独生の結果ではないか。問題は孤独死ではなく、生き方が孤独になってきていることではないか。
看取られながら人生を終われるように、周りの人たちとつながっている生き方を心がけたい。孤独死を起こさないように、ぜひまわりの人たちとのスモールトークに心がけたいと思いますし、できれば気になっている人には、なんとなく気にしているよというシグナルを送りたい。気にしている人にそれを伝えれば、相手もまたこちらを気にしてくれるはずですから。そういう小さな心掛けが、孤独死も孤独生もなくしていくように思います。
そして、湯島のサロンも、そうした人のつながりを育むような場にしていきたい。

孤独死を考えることは生き方を考えることで、死に方の問題ではない。問題は生き方なのです。「そろそろ「善く生きる」のテーマに、死からではなく、生から考えだそうと思います。

まあその手始めに、明日ですが、「人生のたのしみは」を気楽に話し合うサロンを開きます。
よかったら気楽にご参加ください。

Kitahara20230225100

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2023/02/28

■湯島サロン「復学して考えたこと」報告

1年半の大学休学後、昨年秋に復学した川端さんのサロンは、高校生も含めて、8人が参加しました。

川端さんは、なぜ休学したのか、そしてなぜまた復学したのか、からはじめて、休学中の自分の生活の様子、また復学してからの学内の様子や自分が受講した科目の話などをていねいに話してくれました。
もう少し強いメッセージの話があるかと思っていたのですが、川端さんは肩に力を入れることなく、淡々と話してくれました。いささか意外でしたが、そうした話の中に、参加者それぞれにとっていろいろと気づかされたことがあったのではないかと思います。
川端さんは、いつもサロンで、それぞれが自分で気づいていくことが大事だという姿勢で発言されていますが、今回もそれを実践し、あえて自分からのメッセージはあまり出さなかったようです。私は自分の学生時代も思い出しながら、いろいろと考えさせられる材料をもらった気がします。おそらく彼が意識していなかったようなことも考えさせてもらった気がします。

川端さんは復学して感じたことをまずいくつか話してくれましたが、たとえば、「授業が(コロナ前の時に比べて)静かになったこと」「満員電車に乗っている自分や周りの雰囲気が気になるようになったこと」「授業内容に主語がないこと(誰の視点からの知見?先生はそれについてどう思うの?みんなはどう思うの?)が気になりだしたこと」
「学食が殺伐としていること」など、コロナ騒ぎによる変化もありますが、それまでは気づかなかったことへの気づきがいろいろとあったようです。

休学前とは講座の選び方や授業の受け方も変わってきたそうです。
そればかりではなく、毎日の生活も変わってきたようで、休学中には散歩などで近隣の人との会話も増えていたようですが、それもすっかり定着して、いまも大学から帰宅した後の犬の散歩時の近隣の人たちとの交流がつづいているようです。

さらに、復学と同時に、韓氏意拳(かんしいけん)、尹雄大(ユンウンデ)さんの「話すこと・聞くこと」ワークショップ、身体技法などの講座を受講するなど、いくつかのことを新たに始めたそうです。
復学したことで時間的な制約は増えたはずなのに、むしろそうした活動は増えているようです。ここにも何か生き方に関する大きなヒントがあるような気がします。
もちろん、休学中に始めたリバランスワークの講座活動は引き続き取り組んでいるそうです。

最近起こった事件として、川端さんはこんな話もしてくれました。
鳥インフルエンザの発生で、父親がその殺処分の仕事に関わったことがあったそうですが、その時の様子がとても印象的だったようで、川端さん自身も父親とそれを共体験したようです。そのおかげで、これまでは単なる「ニュース」でしかなかった「鳥の殺処分」を自分の生き方にもつなげて捉えられるようになったと言います。つまり社会を見る目が変わったのです。

また八ヶ岳に移住した友人が鹿を捌けるようになったとか長野の山の麓に住む動物を捌いて暮らしてきたおじいさんの話を聞いたとかいうこともあり、大学ではおそらく体験できなかったことの体験が、川端さんの学びの視点に影響を与え、選考している「経済学」の捉え方が大きく変わったようです。
もちろん授業の受け方も変化し、教授への質問の切り口も姿勢も変わったと言います。
彼の話を聞いていて、まさに「大学での教授」は「学び合い」なのだと改めて思いましたが、そうした学び方は仕組みとしても増えてきているようです。

私が今回改めて強く感じたのは、「休学することの意味」です。
小学校から高校まで、先生から「教わる」という受け身的な学びに慣れてきたままで大学に行ってもなかなか学べないのではないかと思っていましたが、川端さんもおそらく休学によって、そうした「忙しい学び」から解放され、自らを確認する時期を得たおかげで、それまでの受け身的な学びから自らが学ぶ積極的な学びへと主軸を移せたような気がします。

それは同時に、学ぶ場所は大学構内だけではないことへの気づきでもあり、満員電車さえもが刺激的な学びの場になったわけです。満員電車からでも、その気になれば社会の実相は見えてきます。それに気づけば、あらためて大学での学びの価値がわかってくる。
そんな気がします。
これは以前サロンも行った不登校の話にもつながっていきます。大学に限らず、人によってはそれを中学校であっても感じてしまう子供もいるのです。

3年ほど前に、お茶の水大学学生の安藤さんにも、休学によって学びの姿勢が一変したというサロンをやってもらったことがありますが、大学や学校という仕組み自体を見直すヒントがそこにあるような気がします。

同時に、川端さんは実際の体験からの言葉と知識からの言葉の違いにも気づいたのかもしれません。それに気づけば、実体のない言葉に惑わされることは少なくなります。ただ時に逆に実体験だけが正しいと思ってしまう落とし穴に陥ることもないわけではありませんが。まあそんなやりとりも少しありました。

今回参加された最年少の高校生はどう感じたでしょうか。
おそらく彼が感じたことと私が感じたこと(ここに書いたこと)は大きく違うでしょう。
もう少し生々しく語り合いたかったのですが、今回はそこまではいけませんでした。
もっと多くの大学生たちや高校生たちに来てもらってのサロンを企画したくなりました。

サロンでは実際には、かなりの激論もあったのですが、それは省略させてもらいました。
それも含めていろいろと考えさせられるサロンでした。
今回も報告が難しいサロンでした。

2023022300

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