カテゴリー「サロン報告」の記事

2021/09/20

■湯島サロン「ムーンショット計画をどう受け止めるか」報告

台風が近づいていたので、心配していたのですが、10人を超す参加者がありました。

湯島では、「ムーンショット計画」は最近、よく話題に出ますが、ご存じない方も多いでしょう。簡単に言えば、「日本発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)」を推進する計画で、その実現に向けて、ムーンショット型研究開発制度がかなりの予算も投入されて進められているのです。問題は、その目標にあります。
詳しく知りたい方は、内閣府のホームページの次のサイトをご覧ください。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/gaiyo.pdf?fbclid=IwAR14B5BT0-qi1PbfsHv3bVfwa4NmSzCItartu4LSkyoNcxPgn2cHrSZ-ujM

山森さんは、この計画が目指す7つの目標の中から、2つの目標を選んで、その目標に向かっていまどんな研究が行われ、何が目指されているかを具体的に説明してくれました。

山森さんが選んだのは次の2つです。
目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
目標3:2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
この2つの目標を、どう受け止めるかが、今回のサロンの中心テーマでした。

山森さんは、ムーンショット計画の実験だとも言われている、昨年成立した通称「スーパーシティ法」にも言及しました。スーパーシティとは「生活全般をスマート化した都市」のことで、自動運転や完全キャッシュレス決済、ドローン配送、遠隔教育や遠隔医療などが完全配備された未来都市の実現を目指しています。この分野は、私たちの生活とのつながりも見えていますし、かなり現実に近い話です。しかし、AIやロボットとのつながりも、すでにいろんなところで現実化しています。

こうしたことは一見、私たちを幸せにするようにも思います。
しかし、山森さんは、「違和感や不気味さを感ずる」というのです。
こうした構想はどこから見るかで、評価は全く変わるでしょう。

たとえば、目標1に関して、山森さんは、「我々の脳が制限なしにグローバルに繋がりデータを交換できる社会」は監視社会や個人情報の侵害につながっていくのではないか、と言います。さらに、「人間をサイボーグ化することが国により正式に進められて行くことに対する恐怖感」もあるというのです。

たしかに、人間が「身体、脳、空間、時間の制約から解放された」ら、果たして人間と言えるのかどうか。私も、大きな違和感と不安を持ちます。
もちろん福祉や医療の現場にいる人にとっては、こうした動きがもたらす効用は大きいでしょう。でもそうした技術がどういう目的でどう使われるかは、しっかりとみんなで監視していくことが必要だと山森さんは言います。

山森さんは、ただ違和感や不安を述べただけではありません。
生命倫理という視点から、哲学や精神医学など、さまざまな分野からの材料も提供してくれました。生命倫理に関心の深い、山森さんの思いが伝わってきました。

山森さんのお話はとてもここでは紹介しきれないので、詳しく知りたい方は、山森さんのレジメをお届けしますので、私宛ご連絡ください。

最近、自らをサイボーグ化したピーター・S・モーガンの話もありました。モーガンは2017年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、余命2年宣告を受けたのを契機に、自らをサイボーグ化した人です。それによって、いまなおサイバネティック・アバターとして活動し、著書まで発表しています。それはまさに、AIを活用した生き方と言えるでしょう。サイボーグ化したモーガンが実際に書いた自伝「ネオ・ヒューマン」を私も読みましたが、AIと人間の共生を考えていく上で、何が課題なのかを考えさせられる本です。
もし共生が実現するとなると、AIと人間のそれぞれに、独自の強みがなければいけません。
モーガンは、この著書で、それが何かを明確に示唆しています。
こういう問題は、「人間とは何か」「生きるとは何か」につながっていきますが、今回はそこまでの議論にはいきませんでした。

ムーンショット計画に関しては、評価は人によって違うでしょう。
しかし、こうした動きが進められていることに関して、私たちはしっかりと関心を持っていくことが大切ではないかと思います。
科学技術が悪いわけではないとしても、使いようによって、人間に害を与えることもある。科学技術の目先の効用だけではなく、それがもたらす影響(未来の子どもたちへの影響も含めて)もしっかりと考えていかなければならないでしょう。
参加者による活発な議論を紹介できないのが残念です。

余計なことですが、私としては、改めて、人間の時代はもう終わったのかなという思いを強くさせられました。まあ、間もなく人生を終える年齢に来ているからかもしれませんが。
でも多くの人が、こうした方向での科学技術が進められていることを知るようになれば、逆に人間が主役であり続ける方向に向かって、科学技術が活かされていくようになるかもしれません。もしそうなれば、私ももうしばらく生きながらえてもいいかなとも思います。

大きな岐路に、私たちは立っている。
それが今回のサロンの私の感想です。

Yamamori6

 

| | コメント (0)

2021/09/13

■湯島サロン「最近の政治の動きを考える」報告

政局が騒がしい時のサロンでしたが、9人が集まりました。
男性7人、女性2人です。若い世代の参加がなかったのが残念です。
もっと残念だったのは、明るい話がほとんど出なかったことです。

案内に、「政権を非難するだけの話し合いにはしたくありませんので、よろしくお願いします」と書いておいたことを、参加者のお一人が最初に注意喚起してくれました。
おかげで、非難サロンや愚痴サロンにはならなかったと思いますが、そのために話し合いが抑制されてしまったのかもしれません。前向きに話そうとしてもそれが難しい。

参加者それぞれの、個人的な過去の体験談も出ました。
ミャンマーやアフガンなど、海外で頑張っている人たちの話も出ました。
その一方で、どうも最近の日本の政治については、語りようがないし、この状況を変えていく方策もない、といった感じでしょうか。
未来への希望を感じられないので、ささやかな現状の安定にしがみつく「ゆでガエル」状態のまま、状況はどんどん悪化していくのではないかという意見も出ました。

と言っても、まったく前向きの意見がなかったわけではありません。
小選挙区制度にもかかわらず、二大政党体制ができていないという、制度と実態のずれを質すべきだ、政治家の世襲制を見直すべきだ、政治の透明性をもっと高めるべきだ、報道のあり方を見直すべきだ、官僚と政治家の役割分担を見直したらどうか、などなど、この状況を変えていく糸口はいろいろ出てきたように思います。

現在の政局に関しては、少しだけ議論になりましたが、誰が自民党総裁になるかは、あまり関心は高くなかったような気がします。しかし、総裁選がテレビで話題になることによって、自民党支持は増えるでしょうから、総選挙への影響は大きい。
せっかく、政権の実態が見えつつあるのに、また「お祭り騒ぎ」で肝心の問題が見えなくなってしまう。そういう危惧をお持ちの方もいました。

いまの日本に野党はあるのか、という議論もありましたが、自公民に代わるべき存在がなければ政権交代もイメージできない。そうであれば、政権交代は起こりようもない。
でも考えようによっては、現在の政治構造が一変するということはあるかもしれません。〇〇党から××党への政権交代とは違う、政権交代が起こるかもしれない。

2時間の予定を大幅に超えてのサロンでしたが、何か希望が見えてきたという感じはしませんでした。
政治を語ることが夢を語ることにつながっていた時代をちょっとだけ経験した私にとっては、今は「政治を語ること」がとても難しい。
改めてそう思わされたサロンでした。

Seikyokusalon

| | コメント (0)

2021/09/11

■9月オープンカフェサロン報告

思い立っての平日のオープンサロンでしたが、10人近い人が参加してくれました。
しかも三々五々の参加で、オープンサロンにふさわしいスタイルになりました。
テーマなしの平日のサロンも、もっとやった方がいいかもしれません。

今回、話題になったのは先日の「はじまり場サロン」でちょっと提案してくれた竹形さんが、その後の展開も含めて、ていねいに話をしてくださった「住んでいる街で楽しく暮らす」プロジェクトの紹介でした。

地域通貨(竹形さんのプロジェクトでは「自由通貨」と呼んでいます)や地域情報SNS、さらには地域フリーランス共同体構想などの話をしてくれました。
そこから参加者の関心にまかせて、オープンサロンらしい展開になりました。参加者の一人から「現在の福祉は一体だれのためのものなのか」という厳しい指摘もありましたし、NPOとか一般社団とかいろんな組織制度が何であるのか、そもそも「法人」って何だというような議論もありました。
オープンサロンでは、そうしたさまざまな視点や課題が出てくるのが面白い。
そこからテーマサロンの芽が生まれるのですが。

オープンサロンの頻度を増やそうと思います。
気楽にご参加ください。
話し役でも聞き役でもいずれでも歓迎です。

Opensalon202109

| | コメント (0)

2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

| | コメント (0)

2021/09/01

■第10回益田サロン「遺伝子は〈夢〉を見るか」報告

〈夢想と現実〉を切り口にして「生物と環境」「自己と非自己」を考える話が益田サロンでは続いていますが、その都度、新しい発見があるような気がします。
益田サロンは、講座型サロンではなく、益田さんも含めて、それぞれが考えるサロンですので、どう展開していくかわからないのが面白いところです。

今回は、益田さんの次のメッセージから話し合いがはじまりました。

結果など意図せずに行うのが夢。
しかし、その結果が現実になった途端に、それは夢ではなくなる。

そして、遺伝子重複の話が紹介されました。
遺伝子重複とは、遺伝子を含むDNAのある領域が重複する現象のことだそうです。
遺伝子の重複が生じていると、重複した遺伝子の一方は選択圧から解放されるため、経代に伴う変異が起こりやすい、つまり結果を意図せずに「夢」が起こりやすくなる。

もう一つ益田さんが言ったのは、変異は環境によって起こるのではなく、遺伝子の内発的な現象だということです。結果など考えずに、ということには、環境とは関係なくということが含意されていると言えるでしょう。

いずれの指摘も、論点(異論)がたくさんあります。
話し合いは、今回もかなり激しく展開しました。

もっとも今回初めて参加した人によれば、異論が飛び交っているようで、大きな違いはないように感じたそうです。たしかにそうかもしれません。ちょっとして視点の違いが、言葉にすると大きな違いになってしまうこともあります。でもそこを大切にするのが益田サロンの特徴です。

たとえば、遺伝子が内発的に起こした変化も、結果として環境によって受容されなければ消えていきます。つまり夢で終わってしまい、変異にはつながらない、とも言えます。
もっとも私は、実現しないからと言って無意味だったとは思いません。実現しない夢こそが、夢を実現させていると考えています。

今回もまた益田さんは破傷風菌の話をしました。
毒素を持っている破傷風菌は自らが死ぬことで仲間の破傷風菌を守っていくが、その時の「自己」とはどう考えればいいのかという、このサロンでよく話題になる話です。
個体として自己を捉えるか、種として自己を捉えるかという問題ですが、夢も同じように考えればいいでしょう。
消えていくたくさんの夢もまた毒素をもった破傷風菌のように、変異につながっている存在だとも言えるでしょう。
実現したかどうかに関しても、そう簡単に決めていいのかと、私は思います。

益田さんの最初のメッセージから、環境にはじき出されて消えてしまうのが「夢」だとしたら、実現した視点から考えると、夢とは過去の屍のような存在です。夢と言うと、何か「未来」とつなげて考えがちですが、夢とは過去の話ということになる。この意味を考えていて、私は一晩眠りそこないました。まだ解けていない謎です。

少なくとも、目的(結果)を考えないのが夢だとすれば、因果の世界から飛び出していますから、時間からも解放されていることになる。しかし、「変化(変異)」とは、時間の概念に支えられている概念ですから、話はこんがらがってきてしまう。
そこから「時間とは何か」という話にもなりました。

いずれにしろ、目的や時間を超えての「夢」があるからこそ、生命は存在しているというような話になった気がしますが、これは私のいつものような勝手な勘違いかもしれません。

しかし、生きるということは、そうした夢(全く無意味な動き)に支えられているのかもしれません。これは論理の世界(AI)を超えているとも言えるでしょう。
ちなみに、アンドロイド(AI)は夢を見るかに関しては、今回も参加してくださった山森さんが918日のサロンで話題にしてくれる予定です。

サロンの最後に、益田さんは最近手づくりした作品を持ち出しました。
輪ゴムを回しておいたうえで、机の上にそれを出すと動き出す作品です。
すべての動きには、「因果」があるということでしょうか。
それと今回の益田流の「夢」の捉え方をどうつなげたらいいのか、また禅問答のような問いかけが出されてサロンは終わりました。

次回は、「生きる」と「自由」がテーマになるかもしれません。

Masuda21081

| | コメント (0)

2021/08/27

■昨日のオープンサロンはとてもうれしいサロンになりました

昨日は湯島のオープンサロンでした。テーマは設定しませんでしたが、「何か困っていることがあれば、気楽に相談してください」と案内には書きました。
しかし、まあいつものことですが、そう書いたことも忘れていました。
それを思い出したのは、この報告を書き出すために、案内を読み直したからです。
無責任だと怒られそうですが、湯島はもともとそういう場所として30年以上、つづけていますので、私には特に記憶として残っていなかったのです。

参加者は4人でしたが、今考えたら、みんなそれぞれに相談事があったような気もしますし、それに何となく答えたようにも思います。もちろん答えたのは私だけではありません。何となくみんなで話し合いながら応えていたような気もします。

最初に来た人は、会ったことがあるようなないような人でした。マスクをしているので最近はすぐには判別できないことがあるのです。
それに湯島のサロンには、時に私の知らない人も来ることはありますし、参加者のお名前も無理やり訊くようなこともありません。
その人は、一度、仲間たちと一緒に来てくれたことがあるとの話でした。

その人も含めて、今回の参加者は4人でした。
このくらいだとゆっくりと話せます。
私自身にとっても、とても気持ちのいいサロンでした。

今日、最初に来てくれた人からメールが届きました。
こう書いてありました。

緊張事態宣言中にも、サロンを開催して下さりありがとうございます。
ひきこもりとはいえ、人に会う機会がないとやはり気が滅入りますから。

お名前も書かれていました。
こういう人が、気楽に来てくれて、違和感なく溶け込めるような場に、もっともっとしていきたいと思います。

昨日参加してくださったみなさんには、とても感謝しています。

Open202108

| | コメント (0)

■節子への挽歌5120:新しい友だちができました

節子

昨日のオープンサロンに思ってもいなかった人が来てくれました。
昨年、一度、仲間たちと一緒に来てくれた人ですが、今回は一人で来てくれました。
自称、引きこもりの若者です。

引きこもりと言っても、まったく外出しないわけではなく、安心できる場所があれば、出ていきたいのです。そういう場がないだけの話です。
最初は2人だけでしたの、彼もいろいろと話してくれました。
次にやってきたのが、これも3回目の人ですが、まさかオープンサロンに来てくれるとは思ってもいませんでした。
2人は初対面で、相手がどういう人か知りません。
そうなると話はむしろスムーズに進みます。

3人目と4人目は、私のことをよく知っている人です。
サロンには時々しか来ませんが、サロンの趣旨をよく理解してくれている人です。
とてもいいサロンでした。

こういうサロンにしていきたいのですが、なかなか難しい。

帰り際に最初に来た自称引きこもりの若者と少し話しました。
いつか彼に話をしてもらうサロンをお願いしたいと改めて思いました。
今日、その彼からメールが来ました。
そこにこう書いてありました。

緊張事態宣言中にも、サロンを開催して下さりありがとうございます。
ひきこもりとはいえ、人に会う機会がないとやはり気が滅入りますから。

やはりサロンは続けていてよかったと思います。
その人の名前も今日、初めて知りました。
彼も私を友人に加えてくれるでしょう。

いい1日でした。

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「世界に広がる〝陰謀論”から見えてくること」報告

半年ぶりの「陰謀論」サロンだったためか、あるいはみんなの意識が変わったのか、今回の陰謀論サロンは前回に比べて参加者が倍増しました。

少し意識して、いろんな動き(情報)のつながりを考えていくと、矛盾したおかしなことが少ないことに気づきます。たとえば、オリンピックを開催しながら外出自粛を呼び掛ける。とんでもない大統領だという報道があるのに、米国ではトランプへの根強い支持者が少なくない。私の場合、ワクチン接種を進めたいと言いながら、どうしてワクチンを注射する「痛そうな」映像を毎日のようにテレビで流すのかも、理解できません。

そういう、ちょっとした「おかしいこと」から、「隠された意図」や「真実」が見えてくることがある。小さな事実のピースをていねいに拾い、つなげていくと大きな物語が見えてくる、ことがある。
これが、私が「陰謀論」に関心を持っている理由です。
陰謀論は、そうした大きな構図を考える一つの補助線になるからです。具体的な固有名詞による「陽動作戦」(それこそが「陰謀」?)には注意しないといけませんが。

サロンは、前回と同じく、北川さんと中嶋さんから、事実紹介とそれをどう読むかの仮説の紹介をしてもらいました。

北川さんは、最近のアフガンの話と新型コロナウイルスの話をとりあげて、いろんな事実を話してくれました。ボーっと聞いていると聞き過ごしますが、よく聞くとおかしなことや矛盾に気がつきます。そうした違和感を解いていくと、そこに何か隠された意図や利害関係が見えてくる。北川さんは、「陰謀」などと言わなくても、小さな事実から見えてくる事実の意味を自分で考えることが大切だと考えているので、そうした考える材料をたくさん紹介してくれました。

中嶋さんは、そうした事実を大きく読み解くための仮説や推測できる「意図」の存在について、話してくれました。これも、あくまでも一つの「仮説」として、です。
ちなみに、コロナ騒ぎが始まってすぐの昨年、中嶋さんが湯島のサロンで数回話してくれた「仮説」は、その後、裏付ける事実が次々と出てきていますが、では「誰が」「何のために」ということになると、確証は得られません。得られないために、逆に様々な憶測を呼び、DS(ディープステート)論が広がった。もちろんDSが表面に出てきたということは、さらにその奥にもっと深い存在が隠れているということでもあるのですが。

陰謀論の黒幕は誰かこそ、陰謀論の要ですが、この点に突っ込んでいくと、いささか「トンデモ陰謀論」になりがちで、今回も、最後はなんと「アトランティスの末裔」の話にまで行きました。前回はアレキサンダー大王が出てきましたが、まあ、これは中嶋さんのサービス精神であると同時に、陰謀論に過剰にはまり込まないようにという、中嶋さんの配慮かもしれません。大切なのは、事実を柔軟に考えるという姿勢ですが、陰謀論にはまりすぎると逆に思考が呪縛される恐れがあるからです。
しかし、主役は誰であれ、表面的に見える事件の奥には、見えにくい意図や仕掛けがあることは否定できません。

テレビでも報道されたことがありますが、2014年にウクライナで起きたマレーシア航空機撃墜事件の裏にあった「陰謀」を、誰もがアクセスできるオープンソースの情報のていねいな収集と分析によって暴いた「ベリングキャット」の活動もあります。陰謀などあるはずもないと、与えられた情報をうのみにしていると、いつの間にか世界はフェイクニュースで覆われてしまうかもしれません。

陰謀論こそがフェイクニュースだという見方もできますが、案内にも書いたように、「陰謀論」は「陰謀」を隠すための「陰謀」であると同時に「陰謀」に気づかせるための「陰謀」でもあるのです。
「陰謀論」を頭から拒否するのではなく、そこに含意されたさまざまなメッセージの絡み合いを読み解きながら、世界を捉える「仮説」を構築することで、世界が見えやすくなるかもしれません。

アトランティスまで登場すると「トンデモ陰謀」と一蹴される方もいるかもしれませんが、そうした見方からも学ぶことはあるはずです。世界の動きへの感度を高めるためにも、これからも湯島では陰謀論サロンを継続したいと思います。

ちなみに、参加者の関心事は、コロナだけではありません。
今回も、9.11や日本航空123便墜落事故も話題になりました。
いずれもさまざまな憶測が飛び交っている事件です。

どなたか話題提供してもいいという人がいたらご連絡ください。
サロンを企画させてもらいます。

Inbou2108

| | コメント (0)

2021/08/26

■第16回万葉集サロン「万葉集と詞の嫗たち」報告

16回の万葉集サロンは、石川女郎と大伴坂上郎女が主役でした。

はじめに、升田さんは石川女郎と大伴坂上郎女の家系図を示し、大伴家持の義母や叔母にあたる大伴坂上郎女や石川女郎が「万葉集」の編纂に大きな影響を与えたのではないかと話してくれました。

これまで石川女郞や大伴坂上郎女をたくさんの歌を残した女性歌人としか捉えていなかった私にとっては、万葉集のイメージそのものを変えてしまうような話でした。
今頃なにを言っているのと叱られそうですが。

今回、升田さんが最初に読んでくれたのは、前回も読んだ、石川女郎と大伴田主の歌のやりとりです。石川女郎からの歌に田主が応えるところまでは前回紹介してくれましたが、田主の歌にさらに石川女郎が応えているのです。
この歌のやりとりは、「石川女郎の勝ち」と升田さんは言います。たしかに、生き生きしているのは石川女郎のほうです。こうした歌のやりとりを通して、意識が育っていくのを感じると升田さんは言います。

歌のやりとりは、みんなが共有している記憶言語(序詞)が生み出す信頼関係の上で行われます。みんなの思いを「みんなの言葉」で声にしていることも多かったでしょう。それは自分の言葉なのか、みんなの言葉なのか、はっきりとは分けられない。そういう思いを分け合って生きている世界の中で、女の挑発的な歌のやりとりが個人の「意識」を育てていく、これは「個」の発達を促すものでもある、と升田さんは言うのです。

歌が、古代の「わ」や「な」の覚醒を果たしてゆく上での女の力は大きかった。それが贈答歌から読み取れる。たしかに、石川女郎と大伴田主のやりとりを読むと、そんな気がしてきます。

升田さんは、このやりとりの歌を読んだ後に、常陸国風土記の出てくる有名な「富士筑波伝説」を紹介しました。歌垣の由来譚にもなっている話ですが、当時の歌の応酬には、そういうことまでが共有されていたと考えると、歌の解釈の世界はずっと広がるでしょう。しかも、男と女の世界は微妙に違っていたかもしれません。その違いが、歌の応酬に読み取れる。男と女の対応の仕方にも違いが出るのかもしれません。

長年、万葉の歌を読んできた升田さんは、時代を動かす力を内に持つ女たちの存在を感じとってきているのかもしれません。そういう視点から見ると、男たちを主役にしているのとは違った歴史が見えてくる。そこに万葉集の面白さがあるのかもしれません。

これは後で聞いて知ったのですが、万葉集の作者不明歌群の半数以上が女の歌だそうです。女たちのほうが、歌を楽しみ、歌でつながっていた。そして男たちを手玉に取っていた、かもしれない。
当意即妙に言葉を操る女たちが、恋の主導権を持っていたとしたら、社会もまた女たちによって動かされていた。そういう、生き生きした社会の実相が、万葉集から見えてくるのかもしれません。

しかし、男の私にはひっかかることがあります。
今回の主役の石川女郎と大伴坂上郎女の個人名が残されていないことです。

「郎女」「女郎」はいずれも「いらつめ」と読み、「貴人の娘」というような意味だと思いますが、大伴坂上郎女は大伴坂上氏の娘、石川郎女は蘇我石川氏の娘ということで、個人名ではありません。当時は、実際の名前で呼ぶことは特別の関係を示唆しましたから、女は「個人名」で呼ばないのが基本だったかもしれません。もちろん、歌われた当時は、それがだれかはみんなわかっていたのでしょう。
ただもし女性の方が「わ」と「な」の覚醒を先導したのであれば、「なまえ」はどう考えればいいかというのは興味ある問題です。

今回、歌そのものは石川女郎の歌をたくさん紹介してくれましたが、石川女郎は万葉集に採用されている歌が多いだけではなく、活躍している時間も長いので、ひとりの女性ではないのではないかとも言われています。
これも興味ある話です。

次回はどこに行くでしょうか。
「山柿の門」といわれて柿本人麻呂や山部赤人が万葉歌人の範とされますが、もう少し「女たちの万葉集」と女性歌人の「意識」を知りたくなりました。

Manyou16

| | コメント (0)

2021/08/19

■湯島サロン「教えるより学びませんか」報告

今回のサロンは、いささか私の思い込みが強すぎて、呼びかけの主旨があいまいでした。
そのため、テーマに違和感を持ちながらの参加者も多く、議論も混乱したような気がします。しかし、そのおかげで、私自身にはとてもたくさんの示唆をいただけるサロンになりました。ありがとうございました。

最初に、このサロンのきっかけになったメーリングリストでのやりとりに関する感想や今回のテーマへの意見を参加者がそれぞれ話すことからサロンは始まりました。
そこで、少なくとも2人の方から、「教えるより学びませんか」という呼びかけへの違和感が提出されました。また、「教える」と「学ぶ」とはコインの表裏ではないか、とか、教えられるようになって初めて一人前、教えられるようになることを目指して学ぶというような話も出ました。「教えることの楽しさ」の話も出ました。
いずれも私にはとても学ぶことの多い指摘でした。

お話を聞いていて、要するに「教える」とか「学ぶ」とかいう言葉の内容をもっとしっかりと定義し、その対象を分けて考えないと議論は混乱することに気づかされました。今回のテーマはあまりに粗雑すぎました。しかし、我田引水的ですが、粗雑すぎるテーマの効用もあるかもしれません。

報告したいことがたくさんありますが、思い切り絞って報告します。

まず、教えるにしろ学ぶにしろ、当事者の関係性はどうなのかという話が出ました。いわゆる目線の問題です。「教えることの傲慢さ」と「学ぶことの謙虚さ」と言ってもいいかもしれません。「教えることの楽しさ」はよくわかりますが、「教えられる者」のことも考えなければいけません。少なくとも、2つの視点を持った関係が大切です。

知識は教えられても知恵は学ばないといけないのではないかという話もありました。知識を活かしていくのが知恵だとしたら、教えることと学ぶことは役割分担しあっていて、双方あって初めて完結する。しかし、知識偏重、知恵偏重というように、そのセットがいまは少しおかしくなっているのかもしれません。

それに関連して、反知性主義の話題も少し出ました。
さらに、知性とは何なのかもほんのちょっとだけ話題になりかけました。

学ぶとは真似ることから始まるという、よく言われる話題も出ましたが、これは日本語特有の語呂合わせでしかないという意見も出ました。
しかし、教えるにしても学ぶにしても、「守破離」という言葉があるように、「模倣」は重要なことです。ここにとても大切なヒントがあるようにも思います。

ちなみに、いま世界は「模倣の時代」に入り、いままたその模倣の対象が変わりだしたと言われています。1989年の冷戦終了とともに、「歴史の終わり」とさえ言われたように自由主義的な資本主義モデルがすべての国家(東欧もソ連も中国も)によって模倣される対象になりました。学ぶモデルや教えるモデルが一つになると、モデル自体は「改良」が止まり、むしろ問題が次々と露呈しだします。そのため、いまは反自由主義・反民主主義の動きが強まり、これまでとは真反対のモデルの模倣もはじまっているとも言われています。こうした国際政治状況は、生活にもつながっています。学ぶモデルや教えるモデルを設定することは思考停止につながりかねない。最近の新型コロナウイルス騒ぎにも同じ構造を感じます。

話が少しとんでしまいましたが、そう考えていくと、どうも「教える」と「学ぶ」とは違う、第3の何かがあるような気がしてきました。
たとえば、「創る」とか「抜け出る」です。少なくとも、「自分で考える」ことを取り戻さないといけないような気がします。「教える」にしろ「学ぶ」にしろ、要は「考える」ための基礎でしかありません。

サロンでは、直接話題にはなりませんでしたが、「教えることの利他性」と「学ぶことの利己性」にも気づかせてもらいました。私は、教えるよりも学びませんか、と呼びかけましたが、学びは人との関係や自然との関係を育てないかもしれないという気が、少しだけしてきました。

また長くなりそうなのでこのあたりでやめますが、考え出すときりがないほど大きなテーマであることに改めて気づかされました。
できればシリーズ型の「(知識に呪縛されない)知のサロン」を時々呼びかけさせてもらえればと思います。
だれか発題者になってくれる方がいたら、ご連絡ください。

参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

Manabisalon

| | コメント (0)

より以前の記事一覧