カテゴリー「妻への挽歌19」の記事

2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

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2020/03/25

■節子への挽歌4555:孫の自転車

節子

昨日、孫のにこが白い椿の花を持ってきてくれました。
わが家の庭の赤い椿の花と一緒に仏壇に供えました。

にこは、わが家に来るとまず手洗い、そして次に仏壇の前で節子に挨拶です。
それがルーチン化しています。
帰るときにも節子に挨拶をしてから帰ります。
帰り際にも必ず私にもタッチをしていきます。
最近は、小さな自転車で自分で走ってくるのですが、見送っていると見えなくなる道の角のところで、自転車を止めて、もう一度あいさつします。
まあ、あいさつをしっかりできれば、まあそれで十分でしょう。

私は自分の娘たちの教育にはまったく無関心というか、むしろ教育には否定的でしたが、あいさつができ、嘘をつかなければ、それで十分でしょう。
いまのところ、孫は順調に育っているようです。
節子がいたら、どんな感じで孫に接していたでしょうか。
それがなかなか想像できないのが、不思議です。

ちなみに、自転車ですが、とてもお気に入りでよく乗っているので、タイヤが減ってきてしまっているそうです。
自宅からわが家までかなりありますが、いつも自分の自転車でやってきます。
先日、途中で出会ったのですが、小さい自転車で母親の自転車を追っかけている様子は、とてもおかしかったです。

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■節子への挽歌4554:反省

節子
なかなか挽歌を定期的に書く習慣が戻ってきません。
一度崩れたルーチンはなかなか復活できません。
新しいルーチンをつくる方がいいかもしれません。

相変わらずいろんなことがありますが、ブログを書けないのは、最近、ともかく新しい発見が多すぎるからかもしれません。
最近、視界がかなり開けてきました。
もう少しで彼岸も見えてくるかもしれません。

新型ウイルス騒ぎで、人の集まりは自粛するようにと言われています。
そう言われ出してから、なぜか湯島のサロンは増えています。
別に自粛要請に反対なわけではありませんが、サロンをやりたいという人が増えているだけです。
一方で、ウイルスが心配なので延期したいという人もいるのですが、どうもあまり気にしていない人が多いのです。
昨日のサロンでも、湯島に集まる人の特徴ではないかとも言われましたが、そうかもしれません。

しかし社会はますます面白くなってきています。
昨日は、湯島で陰謀論に関わるサロンをやりましたが、いろんな陰謀物語を語れるほど、社会は面白くなってきているのです。
ブログなど書いている暇はないのです。

最近はツイッターとかフェイスブックとかへの投稿もありますので、なかなかじっくりとブログを書くことがなくなりました。
今日も、それでも私のブログを読んでいるという人がメールをくれました。
そう言えば2週間ほど前にも、新潟の読者から最近書いていないねと言われました。

困ったものです。
少し反省しなければいけません。

 

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2020/03/21

■節子への挽歌4553:ちょっと自慢話、でも真実とは違いますが

節子

ちょっと昔のことを思い出すメールが来ました。
と言っても、私の知っている人からではありません。

ある集まりに招待されたのですが、それに関して、私の友人に届いたメールが私のところに転送されてきたのです。
残念ながら、日程が合わずに、私は結局、その集まりには参加できませんでした。
転送されてきたメールはこんな内容です。

佐藤さんのFacebookの投稿は、ほぼ全て拝読していて、共感することばかりです。
東レ時代の反乱軍の先輩ですよね。
後輩に、君たちは辞めるなと言ったあの先輩。
すごいな。憧れの方ですが、お会いするとなると、ちょっと緊張します。

私とは面識はありませんが、フェイスブックを読んでくださっているようです。

ちなみに、私は東レ勤務中に「反乱」などは起こしたことはありません。
社長に進言して、東レの文化を変えるプロジェクトを立ち上げさせてもらったのです。
あまりに自由にやらせてもらったので、外から見れば、「反乱軍」にも見えたかもしれません。

しかし、ほとんど誰も知りませんが、当時の会長や社長、そして労働組合の委員長からは強く支持されていました。
誰にも話していないことがいろいろありますが、いまから思えば、誰にも理解されていなかったかもしれません。
いや私自身が、十分に理解していなかったという面もあります。
だからこそプロジェクトは失敗し、私は生き方を変えてしまいました。

事実はどうであれ、しかしこう書かれると、なにか少しうれしい気分になります。
反乱の失敗の責任を取って、自分は腹を切るが、仲間には残れと言う。
何やらドラマのような話ですが、そんなきれいな話があるはずはありません。
思い出は常にドラマになるものです。

節子との思い出も、たくさんのドラマを生みだしています。
たぶん今の私の中にある節子の思い出の多くは、つくられたドラマなのかもしれません。

しかし、どんなに素晴らしいドラマよりも、生身の節子との時間が欲しいと、いつも思います。

 

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■節子への挽歌4552:体調が回復しました

節子

ようやく体調が正常化してきました。
みんなから嫌われてしまっている新型ウイルスの居場所として、私の身体を少し提供してもいいと思っていたのですが、そのせいで身体の違和感が発生したのかもしれないというような気もしていたのですが、いずれにしろ元気が戻ってきました。
もう新型ウイルスの抗体もできたでしょう。

今日も春のようないい天気です。
上野公園も桜が咲きだしていると思いますが、ここも新型ウイルス対策でお花見禁止のようです。
どうして最近の世の中は、こうも極端なのでしょうか。

みんな「群れ」でしか行動しなくなったのかもしれません。
明らかに人類は「退化」しています。
いやこれをこそ「進化」というのかもしれません。

私は、退化も進化もせずに、これまでと同じように、自らを素直に生きていこうと思いますが、まあしかし人との付き合いを断つわけにもいかず、毎日、いろいろと悩ましい問題が起こります。
節子がいたら、今頃は東京を離れて、隠棲できていたかもしれませんが、相変わらず今も、「人混み」の中で生き続けています。
それに、いまとなっては「人混み」からはなかなか抜け出せません。
今週は在宅が多かったのですが、人に会わないとなぜか人に会いたくなります。

今日は万葉集サロンです。
サロンも新型ウイルス騒ぎで欠席者が増えていますが、そうなるとますますサロンをやりたくなります。
困ったものですが、まあそれが私の性格ですから仕方がありません。

それにしても、自分の判断で生きている人が少なくなってしまいました。
そんな気がしてなりません。

 

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2020/03/20

■節子への挽歌4551:異常な世界

節子

新型ウイルス騒ぎで、まさに世界中、パニック状況です。
なぜこんな騒ぎになってしまったのか不思議ですが、世界がいかにもろくなっているかということでしょう。
自然の流れに任せていたら、こんなことにはならなかったように思います。
あるいは、かなり人為的な管理をしたからこそ、この程度に終わっているともいますが、ある程度の流行と犠牲者は仕方がありません。

私自身は、手洗いとうがいはいつも以上に注意していますが、それ以外の生活スタイルは一切変えていません。
ですから生活の乱れはありません。
湯島に行くのも全くいつもと同じです。

トイレットペーパーやティッシュペーパーもまだ店頭には不足気味です。
マスクに至っては、まだ店頭に出てきていません。
これらはいずれもわが家では騒ぎになってからは、あえて新規には買わないようにユカに話しています。

というのもわが家の場合は、いつも1か月以上の予備があるからです。
騒ぎになってからは、使用量をできるだけ減らしています。
いまのところまだしばらくは大丈夫だそうです。
マスクは、私はほとんど使わないようにしています。

まあ基本的には普段と同じ生活をしているわけです。
満員電車には、普段も基本的には乗らない暮らしにしていますし。

平常な生活がいかに大切であるか。
節子のおかげでいろいろな気付きを得ていますが、それが今、大きく活きていると思います。
それに「死」もまたそう異質なことではありませんし。

とはいうものの、最近の世界は明らかにおかしいです。
節子がいたら観光地巡りができたかもしれません。

 

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2020/03/19

■節子への挽歌4550:お彼岸の墓参り

節子

お彼岸でしたが、昨日はお墓に行きませんでした。
あんまり体調がよくないので1日ずらせてもらったのです。

今日もまだどことなく体調に違和感があるのですが、ユカに頼んで自動車で行ってもらいました。
お墓に着いた途端に電話があり、ちょっと長電話になってしまい、お墓の前で電話し続けていました。
その間、ユカがお墓の掃除をし花を活けてくれ、線香をあげてくれたので、私は般若心経をあげただけのお墓参りになってしまいました。

帰り際に隣の空き地を見たら、つくしんぼがにぎやかに芽を出していました。
今年の春は早そうです。

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新型ウイルスが人間社会にはパニックを起こしているようですが、そんな騒ぎには惑わされずに、つくしんぼのように、自然に素直に生きていこうと思います。

しかしどうしてみんなこんなに病気を恐れるのでしょうか。
まさにそうした状況こそが、私には「病気」、気を病んでいる状況だろうと思います。
そう思ってはいるのですが、いまの私はどうも体調に違和感があります。
病んでいるのは「気」なのでしょうか。

 

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2020/03/18

■節子への挽歌4549:カミユとサガン

節子

世界中にいま、新型コロナウイルスが広がっています。
WHOは最近パンデミック宣言をしました。
世界各地でパニックも起こっているようです。
まるで、中世ヨーロッパのペスト流行を思い出させます。
人類はなかなか成長しないようです。

カミユの「ペスト」がまた読まれているそうです。
たぶんほとんどの人は途中で挫折しているでしょうが。
私も2月になって、思い出して「ペスト」を読み直そうと思ったのですが、字が小さいので挫折しました。

私の手元にあるのは、新潮社の世界文学全集です。
私が大学1年の時に読んだ本です。
その頃、刊行が始まった新潮社の世界文学全集は想定がそれまでの全集にはないソフトなデザインで、とても新鮮でした。
たしか2冊目はサガンだったと思いますが、その2冊はすぐに読みました。
しかし3冊目以降の記憶がありませんし、私の書庫にも残っていません。

カミユとサガンは、節子に会う前の私の青春を象徴しています。
節子と暮らし始めて、それらは忘れられてしまいました。
節子との暮らしの中で、カミユもサガンも必要なくなったのです。

新型ウイルスのパンデミックから思わぬ方向に行ってしまいましたが、これを書いているうちに、もう一度、「ペスト」を読んでみようかという気になってきました。
節子がいなくなった後、カミユの「異邦人」は読み直しました。

 

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■節子への挽歌4548:スペインのラモちゃん

節子

新型コロナウイルスが広がっているのは日本だけではありません。
今や世界中に感染症が広がっています。
中野さんの住んでいるエジプトでも問題になっていますし、ヨーロッパも大変のようです。

スペインも大変そうなので、スペインのラモちゃんにもメールしてみました。
すぐに返事がきました。
大丈夫そうですが、コロナウイルスが怖いと書いてありました。

ラモちゃんはジュンの友人のパートナーで、ジュンがスペインにタイルの勉強に行っていた時にお世話になった人です。
わが家にも一度、花火の時だったと思いますが、やってきました。
節子は闘病中だったと思いますが、会っているはずです。
もっともこのあたりのことになると、記憶がかなりあいまいです。
節子にまつわる記憶に関しては、時間感覚がとてもあいまいなのです。

ラモちゃんは日本の武道が大好きで、柔道をやっています。
一度しか会っていませんが、好青年です。

もし、節子がいたら、と時々考えるのですが、私の生活はまったく違ったものになっていたでしょう。
エジプトにもスペインにも、行っていたかもしれません。
スペインは、実は一度行く計画をたてたのですが、同居していた母親の体調の関係で、取りやめたまま、ついに行く機会を得られませんでした。
エジプトは、もう一度、行きたかったところです。

人の人生は、ちょっとしたことで大きく変わります。
しかし、そうであっても、実現した生き方を肯定的に受け止めるのがいい生き方かもしれません。
最近、だんだんそう思えるようになってきました。

昨夜は8時に就寝しました。
寝たのは9時ころですが、体調はほぼ戻りました。
昨日の昼風呂は正解だったかもしれません。

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2020/03/17

■節子への挽歌4547:なぜか昼風呂に入ってしまいました

節子

前の挽歌を書いている時に、ふと、お風呂に入ろうと思い立ちました。
体調があまり良くなく、明日、出かけようかどうか迷っているのですが、入浴すれば白黒はっきりするかもしれないと、なぜか思ってしまったのです。
それで娘に頼んで、お風呂を沸かしてもらいました。

その時は「いい考えだ」と思っていたのですが、いざ、お風呂に入ろうと思ったら、なんでこんな明るい時間にお風呂に入ることに決めたのだろうかと疑問がわきました。
それで娘にどうしたこんなに早くお風呂い入ろうと思ったのだろうかと訊いてみましたが、自分に訊いたらと言われてしまいました。
まあこういうことは時々あるのです。

でもまあせっかく沸かしてくれたのだからとお風呂に入りました。
入浴剤を入れて、ゆっくりとお湯につかりました。
しかし、体調がよくなり気配はありません。
むしろ湯冷めで風邪をひいてしまうのではないかと心配になりました。
困ったものです。

風呂上りに相撲を見ていたら、予想通り、遠藤は貴景勝に負けてしまいました。
私は遠藤のファンではないのですが、なぜか彼の取り組みだけは在宅の時には見るようにしていますし、勝てば元気になり、負ければがっかりします。
ファンでもないのに不思議ですが、これはもうずっと前からそうなのです。

それにしても、どうして昼風呂になど入ろうと思ってしまったのか。
風邪をひかなければいいのですが。

どうも人の行動は、不思議です。

 

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