カテゴリー「妻への挽歌20」の記事

2020/10/26

■節子への挽歌4798:しばらく朝焼けの美しさに見とれていました。

昨日より早く目覚めたおかげで、手賀沼のきれいな朝焼けに出合えました。
私のイメージでは、朝焼けはもっと白ぽいのですが、夕焼けのように真っ赤です。
しばらく見とれていました。
あの向こうに、きっと節子はいるのでしょう。

雲が多かったので、陽光が輝きだしたのは、日の出時間の10分以上後でした。
今日もまたちょっと忙しい日になりそうです。

 20201026  Photo_20201026062601

| | コメント (0)

■節子への挽歌4797:人が生きている基盤

節子

昨日は、誠実に生きてきた還暦を過ぎた女性と会いました。
これまでいろいろな人に会ってきましたが、この人ほど、誠実で清純な人は初めてです。
同時に、凄絶で思い切りもいい生き方なのですが。

そういう生き方をしてきたせいか、心身共に反応が俊敏なのです。
彼女にどんあ辛辣なコメントをしても、問いかけが終わるか終らないうちに、すぐに正面からの決断の反応が返ってくるのです。そのあまりの反応の速さに驚かされることが何回もありました。彼女のこれまでの生き方がうかがわれ、言葉に嘘のないことが伝わってきます。

3時間半ほど話しましたが、その疲れが、夕方になってどっとでてきました。
別れた直後には、さわやかな感動があったのですが。

その後、今度はまた寝る間もないほど頑張って自らのビジネスを成功させてきたという男性と話しました。
この人も情熱的に信条とビジョンを語り、私のぶしつけな問いかけにも誠実に答えてくれました。
こちらは初対面でしたが、私の場合、初対面であるかどうかはあまり関係ありません。
人はみんなつながっていると思っているからです。

2人も誠実に、しかも自分の信念に基づいて(猛烈)に生きてきた。
しかし、どこかに違いがあるのです。
たとえば、前者の女性の場合、家族が登場しますが、後者の男性の場合は家族が見えません。世界の広さが違うのです。

どういう世界を生きるかは、その人が決められます。
生活やコミュニティを基盤に生きているのか、経済世界や政治世界という限られた世界で生きているのか。

昨日は改めてまたそんなことを考えさせられた1日でした。

 

| | コメント (0)

2020/10/25

■節子への挽歌4796:また自治会長役が回ってきそうです

節子

来年はまた私たちの班で、自治会の会長役を引き受ける年です。
私たちの自治会は16班ありますから、16年ごとにその役が回ってくるのです。

前回、つまり16年前は節子の闘病時期でしたが、私が会長職を引き受けました。
節子はそういうことが好きでしたから、節子が元気だったら、いろいろと活動ができたと思いますが、節子の病状もあって、後半は特にあまり活動ができまず悔いが残っています。

そんなこともあって、班長のかたから相談がありました。
コロナ騒ぎがなければ、みんなで集まって話し合うのがいいのですが、最近の状況ではそうもいきません。
それで回覧板で皆さんの意見を訊くことにしたのですが、併せて、引き受けてもいい役割を出してもらいました。

私は、引き受け手のない役目は何でも引き受けますと回答しました。
残念ながら会長役は引き受け手がなく、また班長と相談して、まあこの班で一番暇だろう私が会長と副会長を探すことになりました。
いまの班長は新潟に単身赴任しているので、その人の負担を減らしてやりたいと思ったのでまた安請け合いをしてしまったのです。
困った人がいたら、できることはやってやろうという生き方で、私は余計な重荷をいろいろと引受けてしまい、家族にはいろいろと迷惑をかけてきてしまいました。

困ったものですが、この生き方はなかなか直りません。

会長にふさわしい人が一人います。
その人にまずは頼んでみようと思いますが、引き受けてくれるといいのですが。
その人が引き受けてくれたら、私は副会長になろうと思います。
節子がいたら、こういう時にはうまくやってくれるのでしょうが。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4795:日の出とともに起きました

節子

久しぶりに日の出を見ました。
起きてパソコンの前に座ったら、窓から日の出が見えてきました。
久しぶりです。

日の出が見える部屋がわが家にはあったのですが、今までそこはあまり使われていませんでした。
これからはここが私の生活の中心になるかもしれません。

お天道様と起き、お天道様と寝る。
しかし時に、彼岸とつながる夜もまた生きるのがいいのですが、最近は夜はほとんど在宅です。
しかもほとんど無為に過ごしています。
夜間外出する機会はほとんどなくなりました。
そろそろ闇の世界との付き合いも増やさなければいけません。
いや自然と増えていくものでしょうか。
この窓から月も見えるでしょう。

部屋を代えるだけで生き方も変わるかもしれません。
1階の仏壇も、この部屋に連れてくる予定です。
節子も毎朝、私以上に日の出のご来光に触れることでしょう。
少し前に進めるかもしれません。

今日は3組の人と会う予定です。
何が始まるか、楽しみです。

| | コメント (0)

2020/10/24

■節子への挽歌4794:総持寺の千手観音

節子

上野の不忍池の近くのびわ湖長浜KANNON HAUSEが今月で閉館になります。
最近、コロナ禍で休館していたので、しばらく行っていなかったのですが、6月から再開しているのに気づかず、ずっと行っていなかったのですが、つい最近、今月で閉館されることを知りました。
閉館を知ってか、混んでいて、入場制限もあって、少しだけ待たされました。

今回の観音様は、長浜宮司町にある総持寺の千手観音でした。
総持寺は訪ねて事のないお寺ですが、素晴らしい観音でした。
節子に会わせたかったです。
Photo_20201024213201

12世紀の作らしいですが、容姿容貌が素晴らしく、また手の持ち物もしっかりと残っていて、感心しました。
正面で低姿勢になって、顔を見つめると、目があった気がしました。
少しだけ話をしました。

もしまた滋賀に行ったら、ぜひこの寺に行きたくなりました。
よそ行きでない素直な表情に会いたいからです。

開館時間が1時間遅くなっていたため時間があったので、久しぶりに寛永寺に立ち寄りました。そして節子とよく歩いた不忍池のほとりの骨董市をよくやっていた道を少し歩きました。

あの頃は、時間がたっぷりありました。
にもかかわらず、いま思えば、なんと無駄な使い方をしていたことか。
恐らくいつかまた、いまの生き方に関してもそう思うのでしょう。

そんなことを考えながら、観音様に会った後、一人で湯島のオフィスまで歩きました。
この散歩道は、節子と一緒に歩いた時とほとんど変わっていません。
湯島天神に挨拶して、オフィスに行きましたが、何やら尋常でないほどの疲労感に襲われました。
最近、体力が大きく落ちているのがわかります。
困ったものですが。

 

| | コメント (0)

2020/10/23

■節子への挽歌4793:物はみんな生きている

節子

家の改装に伴う備品や書籍の移動で、毎日、かなりの重労働です。
身体中が痛くなってきました。
ちょっと無理をし過ぎかもしれません。
思い物の移動はかなり身体にはこたえます。
今週はほとんど外出せずに自宅で作業です。

それにまだ収納家具が購入されていないので、なかなか整理も難しいのです。
相変わらず新しいリビングルームには書籍や行き場のないいろんなものが散在しています。なんでこんなものまでで残しているかと言われそうなものも少なくありません。せっかく新しく作った空間が、1階のリビング同様、足の踏み場もない状態になってしまっています。

昨日、友人からメールが来ました。
その友人も、いままさに整理に取り組んでいるようです。

もう3か月以上整理してます。(笑)
本箱2個分、背広約20着、その他不要なもの、だいたい整理しました。
息子と娘の遺品も少し、物には様々な思いがあります。

その思いと対面する、そして、自分の感情と向き合う。
その思いと、合言葉「今の年なら整理できる」そんな日々でした。

物には様々な思いがあります。
その思いと対面する。
そして、自分の感情と向き合う。

この3行の短い文書が、昨夜、急に思い出されて、夜中に眼が覚めてしまいました。
そうしたらもう眠られなくなってしまった。

物を整理したり廃棄したりするのは、そう簡単なことではありません。
なぜなら、物はみんな生きているからです。
そして、物が守ってくれている、人や過去とのつながりを捨てることにつながっているからです。

「捨てる技術」という本が一時期、流行ったようですが、私にはとても理解できません。「捨てること」は「技術」の問題などではなく、「どう生きているか」の問題なのです。
そう思えてなりません。

物が語ってくるのは、しかし、その物と共に生きてきた人にだけです。
私にはとても大事なものも、娘にとってはただの物質、それもまったく価値のない物質にしか見えないのです。だから、どうしてそんな無用な物質を大事に持っているのか、なかなかわからないでしょう。
しかし、その物を通して、生き生きと伝わってくる世界が見える私には、なかなか整理できずにいます。そのものを捨ててしまえば、その向こうにある世界が消えてしまいそうだからです。

もしかしたら、これは自然にも言えることかもしれません。
自然環境がここまで破壊されてきた理由は、これと関係しているかもしれません。
これはちょっときちんと考えなければいけません。
私の生き方にも深くつながっているような気がします。
もちろんこれからの私の生き方、という意味ですが。

外が明るくなり出しました。

| | コメント (1)

2020/10/22

■節子への挽歌4792:汗は人を幸せにする

節子

今日は2階の改装の仕上げのため、朝からいろんな人が来て作業に取り組んでいます。
工事監督の弓削さんも来ていますが、弓削さんはたくさんの工事監督を兼ねているため、大変です。時に自分で作業をやることもあるようです。
今日も重い備品を2回まで運ぶ作業や解体に伴って一部破損したタイル張りまでやってくれていました(ちなみに2階のリビングの壁は一部タイル張りなのです)。
電気工事や水道工事の人もやってきていて、今日は午前中は大賑わいでした。

ガス工事が少し難航しているようです。
浴室やキチンをダブルにしたため、ガス管を太くしないといけないのだそうで、道路工事まで必要になってきているうえに、わが家の庭のつくりがいささか懲りすぎてしまったため、屋敷内の配管も大変なようです。
それで作業が遅れているのですが、20年前の新築の時には、まさかこうなるとは全く思ってもいませんでした。先のことをほとんど考えずに生きてきた私と節子の性格が、今回、いろんなところで露呈しています。

それにしても、いつも思うのですが、汗して働いている人はみんないい人です。
この50日、10人以上の人と接点を持ちましたが、みんなとてもいい人です。
昨日、ユニットバスを解体しに来た人は、9時から午後2時過ぎまで、昼食もとらずに一人でがんばっていました。
私たち家族が昼食を食べている間もずっと働いていて、お茶を出す機会も見つけられませんでした。
終わった後、お茶も出せずにすみませんでしたと謝ったのですが、いつもこうなのでもう慣れましたといわれました。
最後の掃除も含めて、みんな本当によくやってくださいます。

日本人の勤勉さや誠実さは、たくさん汗を流した先人たちのおかげかもしれません。人は汗を流した分だけいい人になるのです。
世間で話題になるような不祥事や事件を起こす人は、汗して働いたことが少ないのかもしれません。汗することが少なくなってきたのでしょうか。お金が人をダメにしているように思えてなりません。

ちなみに私もそれほど汗してきたわけではありません。
しかし、私の両親も節子の両親も、汗して働いて私たちを育ててくれました。
そのおかげが、私たちには「いい人」になれたと思っていますし、幸いに、私たちの子ども世代にもそれが伝わっています。私が知る限り、私の娘たちは、2人とも「いい人」に育ってくれました。汗して働いてくれた両親には感謝です。

お金は人を幸せにはしませんが、汗は人を幸せにするようです。
これが改装工事50日で、私が得たことです。
工事はまだ続きますが、さらにどんな気付きをもらえるか楽しみです。

| | コメント (0)

2020/10/21

■節子への挽歌4791:窓からの景色が変わりました

節子

秋晴れのいい天気です。
今日は朝からユニットバスの解体作業の人が来て、作業しています。
解体作業も大変です。

この数日、少しずつ荷物の整理をしていますが、これが重労働です。
腰を痛めてはいけないので、疲れたらすぐ休むようにしていますが、節子も知っているように、私は動き出したらなかなか止まらないのです。
朝も気になって早くから動き出してしまいます。
それで今朝は、身体中が痛いのです。
気をつけなければいけませんが、作業の人たちが働いているのを見ていると自分の働かなければいけない気分になってしまいます。

そう言えば、メダカも放りっぱなしでした。
水槽の手入れをしましたが、いまは8匹のメダカが育っています。
だいぶ大きくなっています。

2つの水槽で飼っていますが、3匹だけは小さなビンで育てています。こちらは毎日様子を見ています。
水も安定し、週に一度、水を追加すれば大丈夫ですが、これを湯島にもっていきたいのですが、餌は週一ではだめのようなので、迷っています。

2階の新しいリビングは日当たりも展望も快適です。
窓からは手賀沼大橋も見えます。東側が隣家に邪魔されずに展望がいいのです。今朝は日の出も見えました。
夜は夜景がきれいです。

20201021_20201021175101

20201021

| | コメント (0)

2020/10/20

■節子への挽歌4790:浴室が解体されました

節子

家の改装のため、1階のお風呂を明日壊すことになり、今日は最後の入浴でした。
このお風呂にはいろいろな思い出がありますが、それももうなくなってしまいます。
こうやってどんどんと過去の空間が変わっていくのは、感慨深いものがあります。

このお風呂はちょっと広めに作ったので、よく節子と一緒に入りました。
その思い出があったこともあり、節子がいなくなってからの一人での入浴は、なぜか彼岸をさまようような気分でした。
浴室全体が、なぜか現実なものではない、異様な雰囲気につつまれているような状況になり、気分的にも異界を彷徨しているような気分で浴槽に長いこといたこともあります。

その浴室も今日が最後です。
次第に、私の生活も2階に移りだしました。
まだ片付いていないので、定位置が定まらないのですが、パソコンも2階に戻ってきました。これまで次女のジュンが使っていた部屋をリビングに改装したのですが、いまはそこの東側に臨時にパソコンを置いています。

この場所からは夜には手賀沼の夜景が少し見えます。
東側に窓があるので、とても見晴らしがいいのです。
たぶんわが家で一番いい場所でしょう。
今まで空き部屋にしていたのがもったいなかった気がします。

テレビもこの部屋にもってきました。
インターネットやテレビの配線もうまくいきました。
電話をどうしたらいいかよくわかりませんが、この部屋をこれからの生活の中心にしようと思います。
外がよく見えるので、気分が変わるかもしれません。

ちなみに寝室はまだ倉庫状態です。
まだしばらく改装工事はつづきそうです。

 

| | コメント (0)

2020/10/19

■節子への挽歌4789:「人生最後の願い」

節子

またテレビドラマを観てしまいました。
NHKで放映されたドラマ「天使にリクエストを」です。
5話連続のドラマですが、録画していたのを昨夜見たら、涙が止まらずに、そのまま2話見てしまい、今日残りの3話を見てしまいました。
涙をこらえるのが難しいほどでした。

終末期の患者の「人生最後の願い」を叶える活動の話ですが、その奥に大きなテーマが込められています。
第1話は、若いころに子供を捨てた母親が最期に息子に会いたいという「願い」です。
息子は、実は暴力団の組長になっていたのですが、その再会のやり取りは感動的です。

私も前に、ある組で活躍した人と友だちになりましたが、彼のことを思い出しながら見ていました。
彼も捨てられたのですが、最後に「足を洗い」福祉の仕事をしていたのですが、癌になりなくなってしまいました。最後に彼は私をだましたのですが、私はそれを少し感じながらだまされました。正直、ちょっとさびしかったのですが、彼がなぜ私をだましたのかも、少しわかる気がします。
わずかばかしの私の経済的な支援で、彼の最後はそれなりに幸せだったと思えば、よかったのかもしれません。私はその後ちょっと苦労しましたが。

横道にそれましたが、彼らの活動のためにある人が1億円寄付して財団を作ったのですが、そこに大きな物語が込められています。
私もこれまで寄付を申し出られたことはありますが、大きな額の場合は受けたことはありません。寄付を受けて活動するのは、それこそ「覚悟」がなければできません。
しかし、このドラマを観て、もしかしたら私の対応は間違っていたかもしれないと少し思いました。お金は使ってこそ活きてきます。

それに、終末期の患者の「人生最後の願い」を叶える活動は魅力的です。
友人から同じ趣旨のプロジェクトの提案をもらったことがありますが、もう少し真剣に考えればよかったと思います。
でもまあ、いずれにしろ、そうした活動をやるには、私自身の余命が少し不足しています。むしろ「人生最後の願い」を叶える活動の、対象になってしまっている年齢です。

さて私の「人生最後の願い」はなんでしょうか。
彼岸に行くことこそが、私の最後の願いかもしれません。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧