カテゴリー「妻への挽歌20」の記事

2021/04/14

■節子への挽歌4977:今度はスキャナー?

節子

最近、パソコン周りのトラブルがまた増えています。
昨日はスキャナーが作動しなくなりました。
先週までは順調だったのですが、なぜか動かなくなったのです。
それも2台のパソコンのいずれにも反応しないのです。
ついに壊れたのかと思いましたが、数年前に壊れてのを坂谷さんが直してくれたのです。
ですから勝手に買い替えるわけにはいきません。

先日はプリンターが作動しなくなり慌てて買い替えようとしたのですが、坂谷さんから待ったがかかりました。そしてわが家にまでやってきて直してくれたのです。
坂谷さんはパソコンに詳しいのですが、パソコンはめったに壊れないと私に教えてくれた人です。
ですからちょっと具合が悪くてパソコンを買ってしまったら叱られるのです。

それで今回も坂谷さんにお伺いを立てたのです。
しかし坂谷さんも今ちょっと忙しいようで、メールのやり取りでは直らずに、私はてっきりランプが切れたのではないかと思い、あきらめました。
それで買い替えることを坂谷さんの了解を得て、近くのお店に行ったのですが、あいにく私の使い慣れたスキャナーはありませんでした。

でもまあ買い替えることにしたので、もしかしたらたたいたら直るかもしれないと思い、スキャナーをたたいたりして見ました。
一向に直らないので分解することにしたのですが、簡単な機会なのですが、分解できません。無理やり開こうとするとバキッといきそうです。
それでも何とか分解してみましたが、分解したからといって何もい変わらない。
そんな時に坂谷さんからドライバーがインストールされていなのではないかとメールが来ました。
そんなばかな!
だって1週間前にはきちんと作動していたのですから。

ところが、です。
なぜかあったはずのものが消えていたのです。
ダメもとで入れ直してみたら、なんとスキャナーが動くではありませんか。
あれだけ粗雑に扱い、機械をたたいたりしたので、しかも組み立てもきちんとできていないのに作動するのです。
実際にスキャナー機能を使ってみましたが、大丈夫でした。

問題はうまくめちゃくちゃの分解したスキャナーをうまく組み立てられるかどうかです。
もう一歩で、スキャナーを本当に壊すところでした。
なんだか狐に化かされた気分です。

私は時々、機械と心を通じ合っているような気がします。
機械が私を試している。
壊れているのは機械ではなく私であることが多いのです。
困ったものです。

ちなみに、節子を壊したのも私だったのかなあ、と時に思うこともあるのです。

| | コメント (0)

2021/04/13

■節子への挽歌4976:自治会の役員会の準備に1日かかりました

節子

今日は一日、自治会の資料作りに取り組んでいました。
引き受けた以上はきちんとやらないといけません。
しかし毎年会長が変わるというのであれば、もう少し簡単に引継ぎシステムをつくらないといけません。

たとえば自治会の銀行口座があるのですが、毎年、名義変更しているようです。
これなども名義変更が不要になる仕組みはないのかと思います。
今度相談に行ってみようと思います。

実際には不要な役割もあるような気がします。
自治会の中にきちんとした人のつながりがあれば、いざという時には柔軟な対応ができるような気もしますが、実際にはそうではなくて、あらかじめ担当を決めておかないといけないようになっています。そのために逆に人のつながりが不要になっていくような気がして、そこに大きな問題を感じたりしています。

まあそんなことを考えていたら、自治会の活動はますますしにくくなるかもしれません。

節子がいたら、きっともっと楽しい展開ができただろうと思います。
それが残念でなりません。
節子は私よりもこうした活動は楽しむはずなのですが。
私はもうちょっと疲れてしまいました。

 

| | コメント (0)

2021/04/12

■節子への挽歌4975:私の「自分」には節子が入っています

節子

昨日は湯島で、病原菌を切り口に「自分とは何か」を話し合うサロンを行いました。
その報告は時評編に書きましたが、とても示唆に富むサロンになりました。
いろいろと考えることが多かったです。
さすがにサロンでは話しませんでしたが、この問題を考える際の私の関心は、節子と私は一体として私なのではないか、ということです。

サロンでは、自分をできるだけ広く拡大していくと、世界で起こっているあらゆる問題は自分とは無縁ではないと思うようになるというようなことは話しましたが、最近の私にとっての「自分」はかなり広がっています。
とりわけ節子はかなり私と一体になっている気がします。
ですから実際にいま一緒に生きているかどうかは、あまり本質的な問題ではないような気もします。

まあそれはともかく、自分をどう捉えるかは実に面白い問題です。
私は節子と結婚する時に、一応それまでの人生をできるだけ白紙にしようと思いました。
当時はまだまだとんがっていて結婚を契機に新しい人生を生きようと思い、それまで毎日書いていた日記をすべて廃棄し、住所録さえ廃棄してしまいました。
いまから思えば実にばかげた若気の至りとしか言いようがありません。
まあ当時はそんな生き方をしていたのです。
ですから私の第2の人世は、節子とともに始まったのです。

しかし、いつの間にかまた節子と会う前の友人たちとの交流も復活しました。
それは当然と言えば当然ですが、同時に節子の友人知人との世界ともつながりだしました。
しかし、それはある意味で、節子と一緒に自分(たち)の世界を育ててきたと言えるかもしれません。

それは単に人のつながりという意味ではありません。
価値観や生き方という意味です。
ですから今の私は、私だけで育てて来たのではありません。
半分は節子が創ってきているのです。

最近なぜか改めてそういう実感が強くなってきています。
現世との別れが近づいてきているわけでもないでしょう。
なぜなのか。
でも節子に限らず死別した友人たちが、突然心に現れてくることがあるのです。
もう少ししたら、きっと私の「自分」も、形を失ってみんなと一体になるのでしょう。

今日はちょっと変なことを書いてしまいました。
でもまあご心配なく。
先週の心身不調の状況から抜け出し、気持ちがまた前向きになってきています。

もう春ですから。

| | コメント (0)

2021/04/11

■節子への挽歌4974:にこが年中組になりました

節子

孫のにこが、幼稚園の年中組になりました。
昨日はその進級式でした。
コロナ感染の関係もあって、参列は両親に限定されていますので、私は参列はしませんが、朝、家族を送り出した時に写真を撮りました。

にこは幼稚園ではしっかりものといわれているようです。
行事の動画を見ても確かにしっかりしています。
まあしっかりということの意味はいろいろあって、従順とか真面目とかいう意味もありますが。
要は先生たちにとっては扱いやすい子なのかもしれません。
動作もきびきびしていますし、自らを抑えることもできるようです。
しかし、その分、たぶんうちにはたまっているものもあるはずで、母親と二人だけの時は目いっぱいわがままになることもあります。
私にさえ、気を使うこともある。

だからといってやんちゃをしないわけでもない。
身内びいきは私が最も好まないことの一つですが、まあしかし、とても良い子です。
まあ子供に悪い子はいないでしょうが。

進級祝いなど全く考えていなかったのですが、にこがやってきて、グリム童話の本が欲しいというのです。
グリム童話よりもイソップ物語のほうがいいと思うのですが、いま、にこは「おひめさまブーム」のようです。
さてさて困ったものですが、グリムに加えてイソップもプレゼントしようと思います。

節子だったらもう少し何かいいものを思いつくのでしょうが。
私にはプレゼントするという考えさえ浮かばなかったのは困ったものです。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4973:衣服を着る文化のない動物たちがうらやましiい

節子

うっかりして今日湯島でサロンをするのを明日だと勘違いしていました。
朝、2人の方から参加するとメールがあったので、何を勘違いしているのだと思い、サロンは明日ですよと返信したのですが、そのあとで、勘違いしているのは私だと気づきました。
あわてて、私の間違いでした、私も参加しますとメールしました。
認知症状況がまた進んでいるようです。
困ったものです。
そんなわけで、今日は湯島のサロンです。

春になったので靴下をやめようと思っているのですが、冬の間、靴下を履いてしまっていたので、今日も靴下を履いていくことにしました。
数少ない靴下を履いたら、なぜか足裏の部分に穴が開いていました。
さてどうするか。

ユカに見つかったら怒られるのですが、まあ、靴下もこのまま捨てられるのは残念でしょう。それでこっそりこのまま履いていくことにしようと思いましたが、運悪く見つかってしまいました。

それが契機になって、服まで、いかにもよれよれだからそれも捨てたらと言われました。
ユカが言うには、衣服を捨てるかどうかの基準は、それを着ているときに倒れて、救急車に乗っても大丈夫かどうかということなのだそうです。
私の場合は、まあ何を着ていてもいいと思いますが、娘は恥でしょうというのです。

それはともかく、今回は穴の開いた靴下にサンダルとよれよれの服で湯島に行くことにしました。
サンダルですので、穴は見えるかもしれません。
しかし最近は穴のあいたズボンを履いている人もいますので、新しいファッションだと思ってくれる人もいるかもしれません。そういったらユカは、全体がよれよれなので、徘徊ホームレスと思われるのが関の山だというのです。髪も白くてバサバサだし、もう少しすっきりしたらといつも言うのです。

そういえば、節子が亡くなってから、衣服を買ったことがほとんどないのです。
家で着ているのと外出時の服装も同じです。
まもなく靴下からは解放されるでしょうが、衣服から解放されることはないでしょう。
衣服を着る文化のない動物たちがうらやましいです。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021/04/10

■節子への挽歌4972:お隣さんたちを訪問してまわりました

節子

自治会の町会費集めで近隣を回ってきました。
普段はなかなか話す機会がないのですが、今日はほぼ全部のお宅がご在宅でしたので、ほんの少しだけでしたが、お話ができました。
節子もよく知っているMさんのお嬢さんは海外留学から戻ったそうですし、逆に自立して息子さんが家を出ていった人もいます。
少しずつですが、変化が起きているのです。

かなり前に会長をやらせてもらったときは、わが家で数回集まりを持ちました。
その時はすでに節子は再発で体調が悪く、集まりには参加しませんでした。
節子が元気だったら、あの時からこの自治会の様子も多分変わったと思います。
私一人でも定期的な気楽な集まりを想定はしましたが、継続はできませんでした。

そんなこともあったので、みんな私のことも知っていてくださいます。
それに私はたぶん一番年上なので、大切にもしてくれるのです。

近くに住んでいてもなかなかわからないこともあります。
節子が病気だった時もあまり状況をお伝えしなかったので、節子の葬儀で初めて知った人も多かったのです。
それでも家から出棺するときにはみんなが出てきてくれて、送ってくれました。
何となく覚えていますが、ちょうどその時に一瞬ですが小雨が降ったのです。
そんな記憶があります。

近くに住んでいても、わからないことも多いのです。
とりわけ男性たちはなかなかわかりません。
自治会の役員を引き受けたのは、とてもよかったと思えてきました。

みんなとてもいい人ばかりなのです。
これは私の班に限ったわけではありません。
今日もまた役員会には出られないという人がわざわざ名簿を届けに来てくれました。
お忙しいのにありがたいことです。


こんなにいい人ばかりが作っている社会なのに、なぜおかしな事件が起こるのか。
いつも本当に不思議な気がしています。

 

| | コメント (0)

2021/04/09

■節子への挽歌4971:みんなどんどん大きくなります

節子

先日、玄関のチャイムが鳴ったので出ていくと女性が3人玄関に立っていました誰だろうと一瞬、戸惑ったのですが、近くのTさん家族でした。
ついこの前まで子供子供していた娘さんたちがみんなもう成長し、母親よりも背が高くなっているのです。

節子はこのふたりの子供時代を知っています。
こんなに大きくなった2人を見たらどんなに驚くでしょうか。
私も目を疑うほどでした。

駅からの帰路、学校帰りの姉に会って、声をかけられ、一緒に帰ってきたこともありますが、そのころはまだ運動服姿でしたし、妹に至っては、つい最近までまだ幼さが残っていたのに、と思うと、時間のたつ速さに改めて驚きます。
たぶん今、道で会っても私の方は気がつかないでしょう。

私の孫もこうして、大きくなっていくのでしょう。
まあいつまで、現世で会い続けられるかはわかりませんが。

自分では気づかないでいますが、私もまたしっかりと老人化し、見た感じも大きく変わってきているのかもしれません。
どうりでみんな大切にしてくれるわけです。
とはいえ、本人は自らの老化した姿はなかなか思い浮かばないものなのです。

困ったものですが。

 

 

| | コメント (0)

2021/04/08

■節子への挽歌4970:この地域にはまだコミュニティ感覚が残っています

節子

自治会の関係で、また今日は前年度の役員の方の家を4軒ほど訪問しました。
あいにく自治会の地域の四方に位置しているため、結局、自治会の全域を歩くことになりました。
今回はほぼ隅から隅までです。

そこで改めて気づいたのですが、坂がとても多いのです。
それもかなり急な坂もあります。
この地域は手賀沼に面した高台ですので、当然なのですが、実際に歩いてみるとその坂の多さに改めて気づかされました。

訪問した一軒はその坂の途中にありました。
出てきたのは足が少し不自由かなと思われる高齢の女性でした。
役員を務めていた伴侶の方にはお会いしていますが、奥さんとは初対面です。
会長は大変でしょうと言われました。
それと最近はコロナで外に出られないので、足腰が弱って、この坂の上下がつらいとも言っていました。
少し無駄話をしましたが、電話で済ませなくてよかったと思いました。
無駄話もいいものです。

先月からこうして自治会を数回歩いて回りました。
そのおかげで不審者に見間違えられることもなくなりました。
全く知らない人からも挨拶されました。

まだこの地域には「コミュニティ」感覚が残っているようです。

 

| | コメント (0)

2021/04/07

■節子への挽歌4969:将門プロジェクト準備会

節子

我孫子に平将門の居城があったという説を唱えている戸田さんというからがいます。
私は昨年出合いましたが、その人の主張に基づいて、将門プロジェクトを立ち上げることになりました。
もう半年がたってしまいましたが、今日、本格的な準備会の立ち上げを開催しました。

予想を超えて、12人の人が集まりました。
日本舞踊の家元、映画俳優、郷土史家、観光ガイド、和菓子職人、近代建築愛好家、市会議員など、実に多彩です。
平将門に絡んで和菓子屋福一の池田さんは「将門餅」を創作販売してくださったのですが、参加者みんなに持ってきてくれました。
話し合いは盛り上がりました。
少し手応えがありました。

自治会の会長の仕事を引き継いだのと時期が重なってしまい、この1週間は準備もできなかったのですが、こちらはみんなが一緒になって動き出せそうです。
少しホッとしました。フェイスブックを見て初参加してくださった人から終了後、メールが来ました。

我孫子の市民になりたての小生にとっては、とても良い機会でした。また、皆さんの熱い議論に、この町に住むことになってよかったあと、しみじみ実感をできた素敵な時間でした。これからも、ぜひよろしくお願いいたします。

とてもうれしいメールでした。
みんなとても喜んでくれました。

ひさしぶりにちょっと報われた気分です。

Masaka202104072

 

| | コメント (0)

2021/04/06

■節子への挽歌4968:時間破産と精神破綻?

節子

ひさしぶりに時間破産と精神的破綻?で、挽歌がかけませんでした。
何とか山を越して先が見えてきました。
もっとも全く時間がなかったわけではなく、ただ単に書くのをさぼっただけだとも言えますが。

この短い間にもいろんなことがありました。
さて何から書きましょうか。
最近は3日も経つともう何をしていたか忘れてしまいますので、思い出すのも大変ですが。

3日の土曜日は直してもらったパソコンを坂谷さんが持ってきてくれたのですが、そのセットにほぼ1日かかってしまいました。申し訳ないことをしてしまいました。
4日は自治会の仕事をしていました。各所への届け出や役員会の改めての通知など、どうも私には苦手なことがわかってきました。前回もこんなに面倒だったのでしょうか。あまり記憶がありません。
5日は、5年ほど前にNHKスペシャルで放映された「大アマゾン 最後の秘境」の一部を本にした「ノモレ」という本を読みました。

ある本を読んでいたら、そこに長いこと他者と接触せずにアマゾンの森の奥で生活していた人と現代人の接触の際に、お互いが動物の真似をしてコミュニケーションをとったという文章が出ていたので、この本を図書館から借りてきて読んだのです。
石器時代の人類の知性は高かったに違いないと思っていた私としてはちょっと衝撃的な記録でした。
それですっかり疲れてしまいました。

そして今日は、テレビを見てしまいました。中国のドラマ「三国志」です。
先週から始まっていたので録画していたのです。
登場人物が多くて、なかなかついていけません。
早送りで5話も見てしまいました。イメージしていた三国志とは全く違っていました。
本を返しに図書館に行ったら、横手さんに会いました。

まあ、そんな感じで、時間破産や精神的破綻などないのではないかと思われそうですが、なぜか主観的には破産と破綻の状況なのです。
なぜでしょうか。

がんが発見された兄が手術して今日退院しました。
といっても今回は心配ないのだそうです。
この歳になると病気を心配していたら疲れます。

今日はこれから明日地元で行う将門プロジェクト準備会の資料作りです。こじんまりやろうと思っていたのですが、参加者も10人を超え、和菓子の福一さんは将門にちなんで最近創作販売し始めた「将門餅」をみんなに持ってきてくれるとのこと。
他にも若月流の家元のかつらさんや市議や県議まで参加します。

まあ誰が来ても、みんな同じ住民扱いなのですが、全く知らない人も参加したいと言ってきました。
さてどんな資料をつくればいいでしょうか。

明日から、また挽歌を復活させます。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧