カテゴリー「妻への挽歌20」の記事

2021/09/23

■節子への挽歌5149:お彼岸の墓参り

節子

お彼岸です。
みんなでお墓参りに行きました。

お墓はわが家から自動車で30分くらいのところなのです。
節子を見送った時には、毎週、お花をもっていこうと思っていましたが、次第に頻度は減ってきてしまい、最近、月命日にも行かなくなり、年に数回になってしまいました。
人間はいかにも怠惰です。
私だけかもしれませんが。

お彼岸なので、お墓はにぎわっていました。
今年はコロナの関係で、お施餓鬼の集まりも基本的に参列は中止になり、新しい塔婆はお寺の方で入れ替えてくださっていました。

昨日、半田さんとの話でもちょっと話題になりましたが、葬式仏教と批判する人がいますが、葬式仏教の何が悪いのかと私は思います。
死者との付き合いを大事にするという意味では、葬儀はとても大切なのだろうと思いますが、今回のコロナで状況は急速に変わってしまい、葬儀の簡素化が進んでいるようです。ますます死者は遠い存在になりそうです。

にこには、一応、お彼岸の意味も話しましたが、伝わっている確信は持てません。
お墓ももうじき、なくなっていくのでしょうか。

そう思うとなんだか無性にさびしいです。

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2021/09/22

■節子への挽歌5148:半田研究室

節子

久しぶりにお茶の水女子大学の半田研究室を訪れました。
今年度で定年だそうです。
半田さんとは彼が大学院生の頃からの付き合いですが、半田さんのおかげで、いろいろな体験をさせてもらいました。私よりも若いですが、教えられることが多々ありました。
価値観はちょっと違うところがあり、まだ合意できずに決着のつかないテーマがいくつかありますが、まあそれは現世では解決しないでしょう。

今日は久しぶりに研究室を尋ねました。
相変わらずの普段着とサンダルでしたが、守衛さんは無事通過、しかし学内の警戒のすごさに驚きました。10メートル間隔で立っている警備の人になんだか注目されているようなので、マスクを外しましたが、逆効果だったかもしれません。怪しまれるよりも問いかけるほうがいいと思い、何かあったのですかと尋ねてから気づいたのですが、今日はいつもと違い、平日だったのです。それで合点しました。高校までは通常の通学日なのです。

半田さんとは久しぶりなので、いろいろと話しましたが、雑談の中に、自由意思はあるのか、命を絶つ権利はあるのか、宗教をどう捉えるか、記憶とは何か、など、いろいろな論点が飛び交いました。久しぶりに、日常用語で深遠な会話ができました。
不思議なことに今回は、そう意見の違いはありませんでした。半田さんが手加減してくれたのかもしれませんが。

大きな研究室で、周辺では10台以上のパソコンが動いていました。なんでこんなにたくさんあるのかと訊いたら、みんなそれぞれ仕事をしているのだそうです。たしかに画面を開くと何やら動いていました。どうも半田さんの助手はAIのようです。

半田さんが来年から何を始めるか楽しみです。
彼のことですから、また何か面白いことを始めるでしょう。

半田さんは、節子もよく知っていて、入院中にわざわざお見舞いに来てくれました。節子は寝ていたので、会えないままでしたが、枕元に花束があったのでわかったのです。半田さんは、そういう人ですが、いまも変わっていません。

彼の講義に出た若者の何人かは、人生を変えたかもしれません。
そんな半田さんが大学を去るのはとても残念です。

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■節子への挽歌5147:14年前の約束

節子

昨日、手紙をくださったSさんのメールでお礼の返信を差し上げました。
早速にまた、それへの返信がありました。

私は節子さんとのお約束が果たせず心残りの思いがずっ~と有ります。
せめて何時の日にか節子さんの菩提に手を合わさせて頂けたらと願っております

思ってもいなかった内容です。
節子が逝ってしまってから、もう14年以上が過ぎているのですが、いまなお、こういうことを思っていてくださる方がいる。
「約束」の内容は知る由もありませんが、私の場合、こんなに「ずっ~と」心に残してくれるような友人はいるでしょうか。
まあいないでしょう。
節子は、実に幸せな人だなあと思います。

私も少し生き方を見直さなければいけません。

 

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2021/09/21

■節子への挽歌5146:ススキと中秋の名月

節子

夕方、にこがススキと彼岸花を持ってきて、仏壇に供えてくれました。
彼岸花は庭で咲いている者、ススキは夕方買い物に行ったお店でもらってきたのだそうです。

にこは、2階に来ると必ず仏壇にお線香をあげます。
ろうそくの火からお線香に火を移すのが気に入っているようです。
そして手を合わせて、その後、時々、仏壇にいたずらしますが、まあそれもいいでしょう。

今日は中秋の名月ですが、久しぶりに満月に重なったようです。
あいにく天気があまりよくないのですが、朧な満月が窓の外に見えます。
ユカが動画で撮影しドビュッシーの「月の光」を埋め込んでくれたので、フェイスブックにアップしたら好評でした。
窓から見る月の下に、教会の塔がライトアップされてとてもいい感じです。

中秋の名月には、庭で月を愛でながら団子を食べてこともありましたが、節子がいなくなってからは、そういう機会は減りました。時々、ユカが企画してくれますが、どうも私も気が乗らなくなっています。

月にはなぜか死者を感じます。

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■節子への挽歌5145:思ってもいなかった人からの手紙

節子

思ってもいなかった人から手紙が届きました。我孫子での市民活動が広がりだした頃に大活躍したSさんです。
私もお世話になりましたが、節子もたぶんSさんのお世話になったはずです。
できるだけ抑え目にしたはずの節子の葬儀にも、Sさんは来てくれたのを覚えています。
Sさんはその後、家業を引き継ぐために市民活動から少し離れていましたが、最近、その家業から解放されたそうで、またきっと市民活動に戻ってくるでしょう。

そのSさんからの手紙です。
こう書かれていました。

先日、身辺整理をしていましたら、節子さんに頂いたハガキを見付け、懐かしくペンを取りました。
駅前の花壇に癒されて「花かご会」に感謝しております。

我孫子駅前の花壇整備の活動に節子は思いを込めていました。
最後まで気にしていたことの一つですが、よい仲間に恵まれ、活動はいまも続いています。

死者は、生者の中でいつまでも生きている、とよく言われます。
こういう手紙をもらうと、改めてそのことが実感できます。
最近、彼女にはお会いできていませんが、またきっとお会いできるでしょう。

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■節子への挽歌5144:近隣の人たちとのミーティング

節子

昨日は自治会の役員会でした。
年度の半分が過ぎたにもかかわらず、コロナでなかなか集まりができないので、とりあえず役員だけで集まってみたのです。
今年度は、私が所属している組で会長役を引き受け、他の役員も全員が私たちの組のメンバーです。
近くに住んでいるとはいえ、こうやって実際に集まることはありません。
たまにはいいものです。

私たちの組は13世帯です。
節子がいなくなってから転入してきた家族は2つです。
それ以外はみんなほぼ同時にここに転居してきたので、信頼感家H合強いように思います。
みんなとてもいい人です。

節子は、この組から最初に逝った人です。
葬儀にはみんな来てくれました。
葬儀の後も、供花に来てくださった方もいます。
転居後、数年後に節子はがん宣告を受け、あまり自治会活動はできなかったのですが、もし元気だったら、私とは比べ物にならないくらい、いろいろとやったことでしょう。
それができなかったのが、残念です。
まあその分も含めて、頑張らなければいけません。

私が、いまのように、誰とも親しくなれるようになったのは、節子のせいかもしれません。
誰彼となく、話しかけ、その人のために何かできることはないかと考える。
結局、何もできないのですが、それでも気になって、時に嫌われ、時に喜ばれる。
節子と長年、暮らしを共にしたおかげかもしれません。

それにして、近隣のみなさんにとても恵まれる地域に転居してきたのに、
節子は早々と逝ってしまった。
人生は実に皮肉なものです。

節子が元気だったら、今頃、どうなっていたでしょうか。
私の生き方も大きく変わっていたような気がします。

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2021/09/20

■節子への挽歌5143:「老人の日、おめでとう」

節子

今日は敬老の日だそうです。
節子も知っているように、私はそういう祝日とかいわゆる記念日にはほとんど関心がありません。
ただ自然と歴史の中で意味をもっているお彼岸とかお盆とか節句などには意味を感じますが、敬老の人か父の日などというのは、どちらかと言えば否定的です。

時々、食事がちょっと豪華だったりしているので、理由をユカに訊くと、今日は〇〇の日でしょうなどと言われるのです。
でもそれが何だという気がしてしまうのです。

ユカから、数日前に20日にどこかに食事に行こうと言われたのですが、どうして?と訊いたら敬老の日なのだそうです。
なんで敬老の日に食事に行ったりプレゼントをもらわなければいけないのか、理解ができない。

そもそも「敬老」とは私を老人として社会から切り離すことではないかなどと思ったりしますが、それはまああまりに考えが歪んでいるでしょう。
もちろん私は「老人」ですが、だからと言って生き方を変えるつもりはないのです。
まあそれでまわりは迷惑しているかもしれませんが、まあ歳とともに、意識はともかく実際には生き方は間違いなく老人化していることでしょう。

老人を敬う日というのは、しかし私にはピンときません。
それは「老人を敬うこと」を例外的行為とすることに通ずるからです。
まあこういう言い方をするので、娘たちからはひんしゅくをかうのですが、記念日とはそういうもののような気がするのです。

孫たちがケーキを持ってきてくれて、みんなで一緒に食べましたが、にこが「老人の日、おめでとう」といったのにはいささか苦笑いでした。
でもまあ、「敬老の日、おめでとう」と言わなかったのは救いです。
ユカは、「いつもありがとう」というのがいいと言いましたが、にこにとっては、そういう感じもないでしょう。
にこはケーキよりも公園に遊びに行きたくて、気もそぞろでした。
そのため、私への絵のプレゼントはどうも完成していなかったようで、今日はもらえませんでした。

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2021/09/19

■節子への挽歌5142:2種類の物議

節子
台風一過の、秋晴れのいい天気です。

筑波山登山宣言は相変わらず物議をかもしていますが、物議をかもしているのはそれだけではありません。
10月に予定している地元でのあるイベントに関して、それを言い出した人との間でちょっとややこしいことになっています。
その人は、私を評価してくださっていて、そのイベントに関しても、私にアドバイスを求めてきたのです。
それで一緒に実行委員会を立ち上げ、まあ実現に向かっての目途もできてきたのですが、その人がチームワークではなく、個人プレーで動くのです。それがあまりにひどいので、私のやり方とずれがあるので、私は降りることにしたのです。というよりも、表面には出ずに支援に徹しようと決めたのです。
彼女にもそう言って、彼女と距離を置くようにしたのですが、その後も連絡が続き、ともかく電話したいというので、一昨日の午後なら電話に出ると返信、ずっと待っていましたが、かかってきません。
どうなっているのかと思っていたら、夕方、今日は電話できなかったので、というので明日のこの時間だったら電話に出られるのでと伝えました。

ところが昨日もまた、その時間になっても電話が来ない。
またかと思っていたら、指定したぎりぎりの時間になって電話が来ました。
しかも10分だけと言っていたのに一向に終わらない。
私が真意を理解していないというのです。
相変わらずコミュニケーションが成り立たない。
そのうちにサロンの関係者がやってきましたが、電話を切ろうとしても切れない。
そんなわけで、みんながいる目で20分近く電話で彼女と言い合いましたが、一方的に話すだけ。これ以上話すとさらに関係は悪化しますよと言って、何とか終わりにしました。

ちなみに彼女は悪意はないのですが、コミュニケーションが苦手なので、誰とも齟齬をきたしてしまう。
私がメールを送ってもきちんと読まずにいつもピント外れの返事が来る。
あの人とはコミュニケーションできないという人が多いのですが、私hそれでもいつも「言葉」ではなく「思い」を聴きとるようにしていますが、それでも今回は堪えきれなくなったのです。
でも彼女は悪意がないので、自分に関しても反省はない。
注意してもいつも「糠に釘」です。

ところが今朝もまたメールで同じような繰り返し。
いささかまた疲れました。
こういうことが重なると、やはりもう世間と縁を切って、一人でひっそり生きるのもいいなと思います。
でもその一方で、筑波登山物議のような、どこかあったかい物議に出合うと、人とのつながりの世界の喜びを感じます。

人と付き合うのは疲れますが、疲れがほどける時もある。
しかし人生には不可欠な要素かもしれません。

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2021/09/18

■節子への挽歌5141:人間の時代の終焉

節子

昨日は台風接近の中、湯島でサロンでした。
テーマは、ムーンショット計画。
内閣府のホームページでも紹介されていますが、人間をサイボーグ化していこうという計画です。しかも生活環境もそれに合わせて変えていくというスマートシティ構想とセットになっています。
考えようによっては、人間排除計画にも見えます。
しかしそうした動きを知っている人はほとんどいません。
こうやって私たちはどんどん誘導された路線を歩き続けているわけです。

この構想を見たとき、ここまで露わに書くことに驚きを感じました。
それで今回や山森さんに紹介をお願いするサロンをしていただいたのですが、改めてお話をお聞きしていると、もう私たち人間の役割は終わったのだなと痛感します。
しかもそれは大きな流れに従っているような気がしてきました。

35年前までは、私も人間中心主義的な世界にいました。
たしかのマン-マシン-システムのあり方には関心を持ち、脱成長主義になってはいましたが、科学技術への信仰の呪縛からは抜け出さずにいました。
しかし、最近、まわりから「人間らしさ」がどんどん消えていくのを実感する中で、考えもかなり変わってきました。

前にも書きましたが、「人間らしさ」を大事にしようと思うようになりました。
そうしたら生きやすくなると同時に、生きにくくなりました。

最近の湯島のサロンの基本テーマは「人間」です。
正面からそれをテーマにしたことはないのですが、私の思いはそこにあるので、どうしてもサロンの企画や運営は双方向づけられてしまうのです。

これは考えれば考えるほど、わからなくなる。
今日のサロンも実に面白かったのですが、疲れました。

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2021/09/17

■節子への挽歌5140:早速ウォーキングを始めました

節子

今日は脳神経外科の定期健診でした。
特に改善されていないようですが、悪化もしていないようです。
まあこういう状況とうまく付き合っていくということのようです。

今回は診察待ち時間は退屈しませんでした。
10月に筑波山に登山するとフェイスブックで宣言したら、どっといろんな人からコメントがあったので、その返事をしていました。
そういえば、昨日の45歳定年制への意見にもたくさんの書き込みがありました。
時間があったので、それらすべてに返信しました。

筑波山にサンダルで登山するのは無謀だとの指摘が多かったので、準備運動をすることにしました。
それで病院からの帰路は歩いてけることにしました。
幸いに、病院から自宅までは、いわゆる「ハケの道」でつながっています。
子の神様の下の旧村上邸から歩きだしました。

途中、2~3か所の水場もあり、歩いてもそれなりに楽しい道です。
まえにこの「ハケの道」の景観整備活動があり、私も参加しましたが、結局、私は抜けてしまいました。というか、やはり行政主導のまちづくりには違和感があったからです。
いまもその延長で、市民景観会議があって、私もそのメンバーに残っていますが、ほとんど参加したことがありません。
でもこの道は、道沿いのみんながその気になったら、面白い道になるでしょう。

家まで約20分でした。
思ったよりも疲れずに楽しく歩けました。
目標ができたからかもしれません。

確かに最近、目標を失っている。
それで何もかもやる気がなくなってきているのかもしれません。
筑波山登山は10月などと言わずに早くいくのがいいかもしれません。

幸いに吉本さんと菅野さんが、同行してくれるそうです。
介護要員として。

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