カテゴリー「妻への挽歌21」の記事

2023/03/28

■節子への挽歌5558:若いころの私との出合い

時評編にも書きましたが、一昨日、若いころに読んだ岩波新書の「実存主義」を読みました。今から50年以上前に読んだ本です。
そこに赤い線がたくさん引いてありました。
そこの部分を読んでいると、なにか50年前の私に出会っているような気がします。
いまとはかなり関心事や感心するところが違うようです。
でもそこが面白い。

考えてみると、昔の私は、そういう形でいろんなところに残っています。
ということは、節子もまた、いろんなところに残っているわけです。

一番は節子の残した日記でしょう。
いつか読んでみようと思っていましたが、やはりなかなか読む気にはならないものです。
まだ読んでいませんが、だからと言って捨てる気にもならない。
おそらく娘たちは読まないでしょう。
私が読まなければ誰も読まない。

私は節子と結婚する時に、それまでの日記はすべて廃棄しました。
まったく新しい生活を始めようと思い、友人知人の住所録も廃棄してしまいました。
後で後悔しましたが、その時はそれがいい考えだと思ったのです。
まあ私の知恵などというのは、すべてその程度のお思い付きでしかありません。
節子とはまったく違っていました。

しかしこんな形でむかしの私に出会うことはうれしい気もしますし、何よりもあったかくなるのです。
節子の場合もそうで、時々、いろんな方とで節子に出会うこともある。
それがメモであったり写真であったり、誰かの心に残っている思い出話であったり、いろいろですが、節子が話題になることがあるとなんだかとてもうれしくなる。
そういう、ふとした軽い出会いがいい。

日記に詰まっている節子はあまりに強烈すぎるような気がして、まだ読む気にはなれません。でもそろそろ読みださないと、読まないまま終わってしまうかもしれません。
それに私が知らない節子に会えるかもしれません。

若いころの私との出会いが、若いころの節子との出会いに向けて、私の背中を押してくれた気がします。
そろそろ節子の日記を開いてみようかと思いだしてきました。

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■節子への挽歌5557:お金は本当に人を試してくる

節子

先月、湯島のサロンの参加者を対象にしたメーリングリストに、湯島を維持するための経済的な支援の呼びかけをしました。
その報告も一切していないのですが、呼びかけた翌月、つまり今月初めにCWSコモンズ村の銀行口座を確認してみました。

私は1000万円くらい入金されていると思ったりもしていましたが、残念ながら桁が2けた違っていました。ただ驚くほど意外な方が、それも驚くほどの金額を入金していて、どう対処していいか悩みました。
やはりこういう形で支援をお願いすると、誰が支援したかがわかってしまうのはどうしようもありません。実はそれを知りたくなくて、口座の記帳をしたくなかったのですが。

まだ私自身、煩悩のさなかにいますので、どうしても気持ちが揺らいでしまう。
それに支援してくださった方にお礼の連絡をすべきかどうかも悩ましい。
するのも失礼だし、しないのも失礼、などと考えてしまいました。
まだまだ俗世から解放されていません。困ったものです。
結局、その時点でお礼のメールを差し上げましたが、またそれから記帳はしていません。

もっとも以前から毎回のサロンにお札を缶に入れていく人もいます。反対に、お布施を入れておきますとわざわざ言って、ワンコインを入れる人もいます。ワンコインも入れない人もいる。そういうのも気づきたくないのですが、なぜかわかってしまうのです。困ったものです。
今はお金がないから出世払いにと明言している人もいますが、そういうのはとても気持ちがいい。問題は払うか払わないかではなく、払いたいか払いたくないか、なのです。

お金は本当に人を試してくるうえに、多くの場合、自己嫌悪へと落としてしまう。
だからお金から自由になりたいと思うものの、完全には抜け出せない。

今日も湯島の管理費の自動振り替えができていないというので、ユカに銀行に行ってもらう羽目になっています。
困ったものだ。

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2023/03/27

■節子への挽歌5556:死刑制度を考えるサロンでのこと

節子

昨日は「死刑制度」をテーマにしたサロンの2回目でした。
北原千香子さんが、死刑制度賛成の立場から問題提起してくれました。

北原さんと最初に出会ったのは、たぶん、青山学院大学で自殺をテーマにした公開フォーラムをやったときです。それ以来、湯島のサロンも時々来てくれます。サロンの活動にも共感してくれ、前回も支援の気持ちを口座に振り込んでくれました。

今回の参加者の中では、死刑制度賛成は2人だけで、残りの7人は反対でした。
話し合いはなかなかかみ合わなかったのですが、問題はだんだんと整理できてきました。
制度賛成にこだわっている北原さんのおかげです。
サロンの報告は時評編で行いますが、ここでは別の話です。

死刑の可能性のある事件は、殺人事件ですが、家族が殺害されたという人は今回のサロンにはいなかったのですが、親しい友人が殺害された人はいました。
私も、友人家族が全員殺害されたことがあります。有名な世田谷一家殺害事件です。殺害された宮沢みきおさんとはある活動でご一緒していて、事件の1週間ほど前にも彼と会っていました。彼のパソコンから私のメールを見て、事件翌日には私のところにも連絡があり、湯島にも警察官が何人かやってきました。

宮沢さんは、とてもやさしい人で、夢を持っていました。
私は犯人への怒りは強かったですが、宮沢さんならきっと犯人を死刑にすることは望まないだろうなと思った記憶があります。ただ宮沢さんの義姉の活動にも共感は持てます。

節子が亡くなったのは、その後です。
しかしいまもし節子や娘が事件で殺害されたらどうか。
たぶん事件直後は犯人を殺したいと思うでしょう。

でも時間がたつうちに気持ちは変わると確信できます。
むしろ死刑などで死んでほしくない。
なぜそんな事件を起こしたのかを知りたいですし、もし理由がわかればそういう理由をなくしていきたい。

話がどうも横にそれてしまっています。
こういう問題は書きだすとどんどん深みに入ってしまう。

今回、時評編にではなく挽歌編に書きたかったのは、そういうことではないのです。
そのサロンで、友人を殺されたDさんが、でも私は犯人に死刑になっては欲しくないと言い出し、その後、言葉に詰まって泣き出してしまったことです。
それを見て、自らもDVなどで辛い思いをしたことのある若い女性が、Dさんに軽く手を差し出したのがとても印象的だったのです。

辛い思いは人を豊かにしてくれる。
改めてそう思ったのですが、そう思うとますます北原さんのことが気になってきました。

まあ、それはそれとして、いまの私は節子がつくってくれたと、改めて思わされたサロンでした。

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2023/03/26

■節子への挽歌5555:今日はまたいやに寒いです

節子

また寒い雨の日になってしまいました。
せっかく昨日、元気に向かいだしたのに、また落ちそうです。

今朝、メールを開いたら、また長いメールが届いていました。
とても長くて読む気にはなれませんが、読むことを期待してのメールですので、読まないわけにはいきません。困ったものです。
人と付き合うのはこれだから面倒なのです。
今日は読めないけれど明日は読むと返信だけしておきました。

いろんな人がなぜか論文や本を送ってくる。
以前はすべてきちんと読んで、本は必ずホームページなどで感想を書いて広く紹介していました。論文にも詳しくコメントを送っていた。それが私の世界を広げてくれ、私を豊かにしてくれると実感できたからです。

でも最近はその気力がなくなっているというよりも、消化力がなくなっているのです。
紹介するホームページも、最近は更新を止めてしまっているので、せいぜいがフェイスブックで紹介するくらいです。なかにはせっかく送ってもらっても、読まないこともある。
言い換えれば、私自身、自分の世界を広げ豊かにしようという気を失ってしまっているのかもしれません。

以前は、テーマが何であれ、送られてきたものは必ず読んでいましたから、世界は当然広がっていった。でも最近は自らの好みで、読む気がしないものはもう読めなくなった。
読む気が起きるかどうか、それはテーマというよりも、思考の方向性がその基準です。
その基準がどんどん狭くなってきているような気もします。

今朝のテレビで五木寛之さんが、人生100年時代の生き方を語っている中で、長生きすれば世界が広がるというようなことを言っていましたが、私の感覚では、ある時期から世界は狭くなっていくような気がします。
狭い世界に閉じこもりだした同世代の知人友人は少なくない。
私もたぶん他者から見たら、そうなのでしょう。いや、自分でも世界が狭くなっているのはよくわかる。そもそも最近は飛行機にも新幹線にも乗っていませんから。

寒いと思考も内向きになってしまう。
それにしても今日はまた寒いです。出かけるのも億劫なほどです。
自宅で怠惰にテレビで映画でも見ていたい気分です。

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2023/03/25

■節子への挽歌5554:もしかしたら明恵上人は私のなかにも生きていますね

節子

今日はにこのチアダンス発表会にはいかず、自宅で本を読んでいました。
梓澤要さんの小説「あかあかや明恵」です。

明恵上人といえば、松の木の上での座禅姿を描いた絵と自らで自らの耳を切り落とした耳切り事件、そして夢の話が有名ですが、私はそのこと以外に関してはあまりよく知りませんでした。
「あかあかや明恵」は、幼少時代に明恵に救われて、以来ずっと従者として仕えたイサが明恵のことを書き残したスタイルの小説です。
明恵の魅力もあることながら、私は語り手のイサの魅力にひかれて、一気に読み終えました。2人の関係も実にうらやましい。話の筋よりも、あるいは明恵の生き方よりも、ふたりの関係にこそ、明恵の思想が象徴されているような気がして、読んでいました。

読んでいるうちに、明恵のことも少しずつ思い出されてきました。

読む前は明恵のことはあまり知らないと思い込んでいましたが、なぜか読んでいるうちに、ああそうだったと思い出すことが多く、明恵に関する知識がなぜか私の中にたくさんあることにむしろ驚きました。
どこでこうした知識を得たいたのでしょうか。

夢の話は、そのほとんどに違和感を持ちませんでした。
これまた不思議なのですが、この本を読む気になったのも、実は先週読んだ山野浩一の「花と機械とゲシタルト」を読んだことと関係があります。
その本と真反対の小説が読みたいと思って、手に取ったのがこの本だったのですが、読んでわかったのは、真反対どころが同じ話のようにさえ思えました。
どこが同じだと言われそうですが、なにやら「花と機械とゲシタルト」の延長で読んだおかげで、読みやすかったのかもしれません。
いずれにしろ、こうしたことにもいつも定めを感じます。

イサも明恵も、実に天真爛漫です。私にはそう思えます。
世間にけがされていない素直さがある。
そこが実に魅力的ですが、私自身の生き方と重ねて考えると、いろいろと反省したり自己嫌悪に陥ったり、ちょっと嬉しかったり、複雑です。
ふたりほどではないですが、私もまだわずかながらそうした天真爛漫さのかけらを残していると思えたことが時々あったからです。

さて岡和田さんに「花と機械とゲシタルト」の感想をどう伝えようか。
これが実に悩ましい。
やはり私には理解できなかったのです。
つくられすぎていて、私が生きている現実世界よりも、平板に感じたのです。
というよりも、心がワクワクしなかあったと言った方がいいでしょうか。。
でも今日読んだ「あかあかや明恵」は、ともかくワクワクしたのです。

おそらく明恵は、生き生きと生きていたのでしょう。
そして今も生きているのではないか、そんな感じがしたのです。
つまりこの私のなかにも、明恵が生きているのをイキイキと感じたということです。

と、こう書いてもなかなかほかの人には伝わらないでしょうね。

でも久し振りに2時間も小説に埋没していました。
最近の私にはめずらしいことです。
寒い雨の日も、いいことがあるものです。

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■節子への挽歌5553:素直に自然に反応する気持ちは大切にしたい

節子

昨日はいろいろあって疲れてしまいました。
大好物のアサリとタケノコをユカが夕食に料理してくれましたが、元気回復にまで行きませんでした。
もちろんとてもおいしかったのですが。

その上、今日は寒い雨の日になってしまいました。
ますます元気は出ない。
今日は孫のにこが取手の健康まつりでチアダンスを踊るそうですが、なんだか行く気が起きてきません。困ったものです。
寒くて雨だと動けない。悲しくさえなる。

そういえば、明日、我孫子で地元の友人たち3人で会う予定をしていたのですが、その一人の宮内さんから、雨だったら延期したいというメールがありました。理由は雨だと元気が出ないということでした。あの元気な宮内さんも、雨だとすっきりしないのだと思ったら、なにやらとても共感してしまいました。
天気に影響される生き方は、ある意味では私が目指す生き方なのです。

今でも思い出しますが、会社時代、約束をして大阪まで同じ会社の部長に話を聞きに出張したことがあります。ところが行ってみると、部長は不在で、秘書から今日は雨のため部長は休んでいますと言われて、驚いたことがあります。
まあ社内でも有名な部長でしたが、大雨の日には休むのだと聞いて感激しました。
出張はほかにも用事があったので、無駄にはならなかったのですが、いつか私もそういう生き方をしたいと思ったのです。

その後、偶然にも、その部長が私の上司になったことがあります。
1年ほどでしたが、お互いにわがままな勤務姿勢のため、あまり仕事での接点はありませんでした。最後にその人からはお前が何をやっているか結局わからなかったと言われました。でも彼は私をある意味では認めてくれていたことは、後でわかりました。
このあたりの話は、まああまり公言すべきことでもありませんが。

人間がつくった制度やルールよりも、私の生活を支えてくれている自然の摂理を基準にして生きるようにしたいと心掛けているのですが、まあ人と一緒に生きている以上、なかなかそうもいきません。でも自分の気持ちだけは、素直に自然に反応していければと思います。

今日は寒い雨の日にふさわしく、身を縮めながら、哀しみながら、過ごそうと思います。
できれば久し振りに小説「あかあかや明恵」を読もうかと思っています。

小説を読むのは、久しぶりですが、先週は山野浩一さんの「花と機械とゲシタルト」を読んだのです。これもどうも最近の気分の重さに影響しているかもしれません。
岡和田さんが送ってきてくれたので読んだのですが、まだ感想もかけずに岡和田さんにも連絡もしていません。

若いころと違い、小説に同化できずに、入り込めないのです。
「あかあかや明恵」はどうでしょうか。

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2023/03/24

■節子への挽歌5552:私に早く死ねというのか?

節子

昨日は久しぶりにオープンサロンでした。
珍しい人もやってきたのですが、それはともかく、節子もよく知っている渕野さんがすこし遅れてやってきました。
いつものように、途中でそれぞれから簡単な自己紹介をしてもらいました。

渕野さんの晩になって、彼は衝撃的な話をしたのです。
肺がんが再発し、5月にまた手術をすることになったので、今日はそのことを佐藤さんに報告するために来ました、と。

実は今朝、再発のことはメールで知っていたのですが、衝撃的で、私は恥ずかしながら思考停止してしまい、返信ができないままになっていたのです。
渕野さんは7年前に肺がんが見つかり、以来、再発することなく5年を過ぎて、7年目に入っていました。
もう大丈夫だろうと思っていた矢先の検査で、小さな腫瘍が見つかったのだそうです。

私が勤めていた会社で大きなプロジェクトを興すときに、最初に選んだ仲間が渕野さんでした。
それまで交流のなかった彼を呼び出して、プロジェクトを説明し、これに関わるともしかすと会社を辞めることになるかもしれないが、一緒にやるかと話したのです。
彼を選んだ理由は、当時会社が募集していた社長への提案制度があり、それを読んで共感したからです。彼は私よりも10歳ほど後輩です。
そして取り組んだのが、東レでのCIプロジェクトです。

その結果、私は最初から決めていた通りに会社を辞めましたが、その時に彼もやめると言い出しましたが、なんとか思いとどまらせましたが、結局、その後、彼も会社を辞めてしまったのです。
私もまた彼の人生に影響を与えてしまったわけです。

その彼が肺がんを再発。対S\庁が悪い中を、その報告に来てくれたのです。
佐藤さんよりも若いので先に行くわけにはいかないともいうので、じゃあ、私に早く死ねというのか、とピント外れの冗談を言ってしまいました。
自分より若い人が先に行くほど、つらいことはない。最近の私の気持ちは、そういう思いから長生きへの恐怖が強まってきていますので、この冗談は少しだけ本音と願望が入っているのですが、みんなには伝わらないでしょう。
いささか反省。

渕野さんの話で、気がまたズンと重くなってしまいました。
疲れ切って帰宅。
なにもない平々凡々の人生の方が、いいかもしれないという気がしてしまうほどです。

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■節子への挽歌5551:人生はやはり順調すぎないほうが豊かになる

節子

今日は久しぶりに風早さんと会食しました。
風早さんは、節子の闘病中にもいろいろと心配してくださった方です。
ご自分のまわりにもいろいろと大変な人がいたにもかかわらず、お会いするといつも節子のことを気遣ってくれていたのがいまも記憶に残っています。

実はここしばらく交流が途絶えていたのですが、昨年末に湯島に来てくださり、その後何回かお会いしていますが、今日は久しぶりにゆっくりと話そうということで、わざわざやってきてくれました。

風早さんと知り合ったのは、私がテレビ番組の経営者インタビューの番組を引き受けていた時に、風早さんが勤めていた三洋証券の土屋会長にお会いした時だったかと思います。
三洋証券はその後、残念ながらなくなってしまったのですが、その後、風早さんは山城経営研究所に移り、その関係で、お付き合いが深まったのです。

実際には、仕事をご一緒することはほとんどなかったのですが、なぜか気になる人でした。
節子の葬儀にも来てくださったと思いますが、今日も、節子の名前が出てきました。

節子を見送った後、半年ほどして、山城経営研究所がやっている企業の人たちとの合宿に私が参加したのですが、その時の私は憔悴しきっていたそうです。
多分あの頃の私は、全くの別人になってしあっていたのかもしれません。

食事をはさんで、2時間ほど話しました。
私が気になりながら、その後、交流を途絶えていた同世代の人たちの話にもなったのですが、何人かはもう鬼籍にはいっていました。
自分の詩にはさほど何も感じないのですが、他者の死はやはり寂しくなるものです。
会っておけばよかったと、という気持ちが出てくるのは、自分ながらに少し意外でした。

風早さんの人生も、実にドラマティックです。
人生はやはり順調すぎてしまうと退屈になってしまうような気もします。
風早さんの人生は、退屈でないおかげか、風早さんからは何かが伝わってくるのです。

最後は「快」についての話になりました。
いつか風早さんには「快」についてのサロンをお願いしたいと思いました。

昨日の話の最後に、「快とは何か」の結論が出たような気がしていますが、不思議なことにいま、その結論が思い出せません。
というのは、この後、またちょっと重いニュースが入ってきたからです。

今日はもう一つ挽歌を書こうと思います。

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■節子への挽歌5550:今年は椎田のアサリが届きました

 節子

昨日、福岡の藏田さんから、椎田のアサリと合馬と筍とみやこ町の花ワサビが届きました。
早速にお電話しましたが、昨日も今日も留守のようです。

椎田のアサリは、コロナ流行のため昨年は潮干狩り禁止で、蔵田さんは腕を振るえなかったようです。
でも今年は解禁したそうで、早速に出かけて行って送ってくださったのです。
昨年はアサリの代わりに筍と花ワサビが届いたのですが、今年もアサリに加えて、このふたつも同梱されていました。

合馬の筍は言うまでもありませんが、みやこ町の花ワサビも話題のようでなかなか簡単には手に入れられないようです。
藏田さんの底なしの善意には、いつも感嘆させられます。

私はアサリも筍も好物ですが、最近、近くのスーパーで買うアサリはあんまり好みではありません。しかし、椎田のアサリはとてもおいしい。
ユカが昨日、水出しをしてくれていましたが、今朝見たらとても元気に潮吹きをしていました。

今日の夕食が楽しみです。

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2023/03/23

■節子への挽歌5549:気の持ちようで世界は明るくも暗くもなる

節子

昨夜、とてもいいことがありました。
それで元気が回復しました。
元気を損なう原因も他者であれば、元気をもらえるのも他者からです。

時評編に書いたのですが、このブログに沖縄の人がコメントをくださいました。
まあそれだけの話なのですが、それがとてもうれしく、めげていた状況から脱することができました。
まあ人はこんな風に、単純なのです。私だけかもしれませんが。

元気になると、他者の言葉の受け取り方も違ってきます。
たとえば、今朝見たメールのひとつにこんな書き出しのメールがあります。

私のつたない思いを気にかけていただきありがとうございます。
とにかく、私はいつも言葉が足りず、皆さんに伝わらない会話が多いのでいつも反省ばかりです。

これでは何のことかわからないでしょうが、あることをこの人に提案した返信です。
このやりとりからきっと新しい物語が生まれそうです。

そう思ってフェイスブックを開いたら、いつも最初に私の記事に反応してくださる、まだお会いしたこともない人が、いつもは一言コメントなのに、ご自身の思いを込めたコメントを書き込んでくださっていました。
なぜかフェイスブックで知り合った人で、一度もお会いしたことはないのですが、なにやら急に会いたくなってきました。
おそらく私よりもご高齢なので、なかなかお会いするのは難しそうですが、なんだか会えるような気になってきました。

気の持ちようで、世界は明るくも暗くもなる。
今日はあまり天気が良くなく、午後は雨のようです。
でもめげずに今日は出かけようと思います。

湯島でリンカーンクラブの例会サロンなのです。
また論争でめげてしまいかねませんが、まあ元気を出して。

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