カテゴリー「妻への挽歌22」の記事

2025/07/14

■節子への挽歌6436:雨の中の畑仕事もいいです

節子
台風襲来の前に、整地していた畑らしいところにタネを蒔くことにしました。 
4回目の挑戦です。
ところが畑に着いた途端に雨が降り出しました。
さてどうすべきか。

せっかくなので作業することにしました。
ところが、これが、つまり雨の中の畑作業は、これまた気分がいい。
まさに自然と一体化している気分になります。
でも雨のため、土がドロドロになってきて作業はしにくい。
それで畝は作らずに、なんとなく表面を鳴らしてタネを蒔くことにしました。
ところが持っていたタネの袋の中身があまりない。
10袋ほどあったのですが、みんなからで、タネが残っていたは3袋。
それで面倒なので、全部ともかく蒔いてしまいました。
ニンジン、地這きゅうり、大根です。
さてどうなりますか。
そういえば昔、山形の高畠町の星寛治さんを訪ねたときに、この畑にはいろんな野菜を蒔いているのですと言ったのを思い出しました。

10時に出かけないといけないので、30分ほどで引き揚げてきましたが、さて今度はどうでしょうか。
下着まで雨でびっしょり濡れてしまいました。
スイカは無事でした。

ところで帰宅して着替え用と思ったら、袖に小さなカマキリがいました。
台風で避難してきたと解釈し、ベランダで飼うことにしました。

 

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2025/07/11

■節子への挽歌6433:「血管年齢は若いですね」

節子
今日の検査は心電図と脈波検査でした。検査結果は特に異常なし、というか、血管年齢はさらに若返っていました。今回は60代だそうです。
それにどういう意味があるのかわかりませんが。バランスよく 心身の老化が進むことを目指している私としてはあまり歓迎すべきことではありません。
血管年齢が若くても、身体はへとへとですよ、と医師には言いましたが、特にアドバイスはなく、ちゃんと水を飲んでおくようにと言われました。
血管年齢が若いために、身体が疲れるということはないのでしょうか。
後でそう質問すればよかったと気づきましたが、聞き損ないました。
まあ血管年齢が若いということにあまり関心はありません。

むしろ最近感ずるのはやはり認知力低下です。
今回もまたミスをやってしまあいました。
受付は機械で済ますのですが、そこでプリントアウトされて出てくる受付表を持たずに診療窓口に行ってしまったのです。さらに自分で持っておかなければいけない、受付表まで受信ファイルに入れてしまい、自分が一体なんば案Dったかわからなくなってしまったのです。
もちろんいずれも特に問題なく、すぐ対応できたのですが、最近はこうしたあミスがあ多くなってきました。
困ったものです。

会計で待っていたら、まちづくり編集会議でご一緒の越岡さんに会いました。

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■節子への挽歌6432:節子と一緒に身体の老化を体験したかった

節子
各地で強い雨が降りましたが、我孫子はあまり雨は降りませんでしたが、雨のおかげで気温が急激にさがりました。
改めて自然の力の大きさには驚かされます。
今朝はもう寒いくらいです。

今日は脳神経外科の定期検診の日です。
幸いに症状は悪化しておらず、普段はもう意識していないのですが、いつ脳梗塞や脳出血になってもおかしくないようです。
今日は心電図だけなので、まあ問題はないでしょう。

昨夜はまた『価値論』を読んでしまいました。
少し面白くなってきました。
時評編に書きましたが、「交換」とは「シェア」のことだと気づかされました。
コロンブスの卵のようなことに気づかせてくれるのがグレーバーです。
久しぶりによる読書をしてしまい、気づいたら10時でした。

最近は6時で、読書やパソコンは終了するようにしています。
ただ最近は乱視がひどくなり、読書も楽ではありません。
白内障の手術をすることも考えないといけないのですが、最近はあえて無理して身体機能に手を入れることはないかという気になっています。
歳と共に、身体機能は劣化していく。
それに素直に従うのもいいかなという気がしています。

目が見えにくくなり耳も聞こえにくくなる。
それにはやはり意味があるのでしょう。
それに素直に対応すれば、もしかしたら何か見えてくるものがあるかもしれません。

できれば節子と一緒に身体の老化を体験したかった。
それができないのがちょっと残念ですが。

 

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2025/07/10

■節子への挽歌6431:どんどん怠惰になってきています

節子
夕方から強い雨が来るというので、その前にタネを蒔く畑を作っておこうと思っていたのですが、暑さに負けて、畑に行きそびれていました。
エアコンの効いた部屋にいると人間はどんどん動かなくなる。そうすると今度は腰が痛くなる。本が面白いと言い訳をつけて、今日も本を読んでしまいました。
晴耕雨読ならぬ、曇耕晴読になっています。
この歳になると、若い時と違って、本を読むとどんどん知的でなくなっていく気がして、正直、あまり読みたくないのですが、なんとなく勧められた本は読まないといけない気になってしまう。困ったものです。

しかし、夕方、意を決して畑に行きました。
雨はかなりの強い雨らしいので、タネをまくのはやめて、むしろタネ床を作りました。と言ってもこれまたそれなりのハード作業です。
でも3畳くらいの畑ができました。仕上げはまだですが、雨が整えてくれるでしょう。
ここには地這えのキュウリと4度目挑戦のニンジンを蒔きます。

帰り際に夕食用にモロヘイヤを少しつまんで、知でに桑の葉をお茶用に少しもらいました。最近、野草茶をすっかり忘れていました。

雨の気配を感じたら帰ろうと思っていましたが、一向に感じません。
結局、1時間ほど、畑にいました。
気分爽快ですが疲れました。
雨は来るのでしょうか。畑の土が乾ききっています。

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2025/07/09

■節子への挽歌6430:畑のスイカに実がなっていました

節子
昨日は結局、畑にも散歩にもいかずに終わってしまいました。
ともかく暑いのです。
そして身体が動ないのです。
結局、昨日も在宅で過ごしました。
怠惰になってしまったものです。

そこで今朝は、朝一番に畑に出かけました。
まだみんな寝ていたので、こっそりと。
5時を過ぎていましたが、さすがに朝はさわやかです。
あいかわらず畑は惨憺たる状況。
でもこれは野菜に与している私からの視点です。
野草から見れば、実に見事な野草の原っぱ。
お天道様の小作人を自認する私としては、どちらに加担するかいささかの迷いはありますが、まあ今年は野菜の立場を優先です。

うれしいことに何とスイカに直径7~8センチの実が成っていました。
モロヘイヤも元気です。

予定通り、6時半で切り上げましたが、今朝も野菜刈リが中心でした。
なにしろ10日もさぼっていると笹の丈が60~70センチになるのです。
それを根っ切り鎌で切り取るのです。
無理をしないところで終了。

帰宅後、用意していたニンジン・リンゴ、レモンジュースを作って飲み干し、入浴。
そこで力尽きて、いまパソコンの前でへたっています。
でもまあだいぶ正常化に近づけました。

明日からまたいろいろと約束事が続くので、今日はともかくこの調子を維持しようと思います。

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2025/07/08

■節子への挽歌6429:デヴィッド・グレーバーの『価値論』


節子
昨日は暑かったこともあり、在宅で読書三昧でした。
久しぶりに1日中、本を読んでいました。
買い物には出かけましたが畑にもいかずに、です。

読みだしたのは、デヴィッド・グレーバーの『価値論』。
この本は難解だと聞いていたので、正面からではなく、訳者の解説から読み出すことにしました。
こういう読み方は以前なら絶対にしなかったのですが。

解説と言っても、100頁近くあります。
それに本書の概説が詳しく書かれている。
日本人が書いているので、とても読みやすい。
読み切ったらなんだか本書を読み終えたような気がしてきましたが、もしそうなら本書はうわさと違って、あまり面白くなさそうです。グレーバーの、この後の本を何冊か読んでいるせいかもしれませんが、新鮮な驚きがない。ちょっとモチベーションが下がってしまいました。

併せて、気分転換に、「価値論」の合間に、新書の「ダーウィン」と「人類の起源」も併読しました。これもいずれもあまりピンとこない。
ということは、問題は私の読解力や好奇心が低下しているということのようです。

そういえば、最近、好奇心が低下している気がします。
注意しなければいけません。

今日は読書はやめて畑に行ったり散歩に出かけたりしようと思います。
しかし今日も暑くなりそうです。
娘からストップがかかわるかもしれません。

 

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■節子への挽歌6429:昨日は読書三昧でしたが

節子
昨日は暑かったこともあり、在宅で読書三昧でした。
久しぶりに1日中、本を読んでいました。
買い物には出かけましたが畑にもいかずに、です。

読みだしたのは、デヴィッド・グレーバーの『価値論』。
この本は難解だと聞いていたので、正面からではなく、訳者の解説から読み出すことにしました。
こういう読み方は以前なら絶対にしなかったのですが。

解説と言っても、100頁近くあります。
それに本書の概説が詳しく書かれている。
日本人が書いているので、とても読みやすい。
読み切ったらなんだか本書を読み終えたような気がしてきましたが、もしそうなら本書はうわさと違って、あまり面白くなさそうです。グレーバーの、この後の本を何冊か読んでいるせいかもしれませんが、新鮮な驚きがない。ちょっとモチベーションが下がってしまいました。

併せて、気分転換に、「価値論」の合間に、新書の「ダーウィン」と「人類の起源」も併読しました。これもいずれもあまりピンとこない。
ということは、問題は私の読解力や好奇心が低下しているということのようです。

そういえば、最近、好奇心が低下している気がします。
注意しなければいけません。

今日は読書はやめて畑に行ったり散歩に出かけたりしようと思います。
しかし今日も暑くなりそうです。

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2025/07/05

■節子への挽歌6426:佐々木さんに会いに行けそうな気がしてきました

節子

佐々木典子さんが急逝してからもう5ヶ月が経過します。
あれから5か月が経過しましたが、まだ何もできていません。
一度、お伺いしてお線香をあげさせてもらおうと思ってはいるのですが、身心が向かず、不義理を続けています。

佐々木さんは、とても幅広く様々な取り組みをしていましたが、その一つが、私もささやかに縁のあるNPO認知症予防ネットです。
創設者の高林さんがご高齢になり、後事を託していたのが佐々木さんでした。
ところが、突然の急逝。

今から思うと、私の心身の不調はその頃か始まった気もします。
それほど衝撃的な事件でした。

私が節子を見送って生きる気力を失っていた時に、何人かの人が私を救い出してくださったのですが、そのおひとりが佐々木夫妻でした。
当時、ご夫妻は韓国に住んでいて、国外などとても行く元気がなかった私を、口実を作って呼んでくれたのです。
その時は私はおそらく主体性のない亡霊のような感じで出かけたはずです。いろいろと手配してくれたのに、ほとんど記憶がないのです。
そういう状況から自分ながらに現世に戻ってきたと思えるようになるまで10年以上かかりました。正直、彼岸と此岸の区別さえつけられない数年を過ごしました。
しっかりと生きようと考えだしたのは、つい最近なのです。

そのNPOの代表の平田さんが、きのう、わざわざ京都から訪ねてきてくださいました。
久しぶりにお会いしました。
少しだけ故人のことを話し合いました。
とても広い、優しくて強い人でした。
もし彼女が急逝しなければ、とても大きな物語が育つはずでした。

彼女のパートナーの佐々木憲文さんが、私のもともとの友人です。
彼のことを思うと、気になりながらもまだお線香もあげにいけないのです。
おかしいのですが、正直、行けないのです。
しかし昨日、平田さんにお会いできて、ちょっと心の整理ができました。
私にもできることがあるかもしれないと思いだせたのです。
できることがあれば、会いに行けます。

平田さんは、私を救い出しに来てくれたのです。
人はこうして、いろんな人に助けられながら生きているのでしょう。

今日はとても安らかな気持ちで目が覚めました。
今日もまた良い1日になるでしょう。
今朝は、おだやかな日の出です。
曇っていますが、それさえも感謝したい気持ちです。
お天道様に感謝しています。

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2025/07/04

■節子への挽歌6425:さわやかな朝です

節子
さわやかな朝です。
部屋の湿度計ではすでに湿度は77%ですが、ともかく風が心地よい。
畑に行こうと思っていたのですが、昨夜、ふたりの人から、サロンの申し出がありました。
一人は最近よく歩いている沢田さんの「歩く」を話し合うサロン。
もう一つはヤシュカさんが「ハムレット」を話題にしたサロンをやりたいと言ってきたのです。
2人も7月にやりたいという。
サロンは抑えていたのですが、また増えてきた。

また気になっていた問題についても進捗があり、その話を聞かせてもらうことになりました。
前を向き出すと、まさに世界も呼応してくれる。そんな気がします。
今日は朝、早目に出ないといけないので、畑は夕方にし、これから朝食です。

最近、どうも夜眠られず(トイレに起きるためですが)、寝坊しがちです。今日も目が覚めたら6時半。
できれば明日からは5時半起床で、朝、1時間畑に行くのを目標にしようと思います。

地道な畑作業に取り組みたいと思います。

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2025/07/03

■節子への挽歌6424:元気になりました、たぶんですが

節子
今日はたぶん状況を反転させるのに成功しました。
最近ずっと調子がよくありません。どこがどう、ということではなく、ともかく気力も出ないし、体力的な疲労感が半端ではない。
そこで少し体力気力とも戻ってきたところで、まさに太陽が一番元気がいい10時ころに畑に行きました。そこで土や草と思い切り付き合いました。と言っても、私が彼らを傷つけただけではありますが。
しかし彼らも黙っているわけではなく、私に抗ってきます。
たった30分でしたが、炎天下での絡み合い。
まさに汗が滝のように、でもないですが、滴り落ちる。
野草のたくさんの生命をもらいましたが、予想以上につかれました。

本当は畑で仰向けになって寝ていたかったのですが、あまり日陰もなく、いささか危険を感じたので、休まずに帰宅。500メートルを5分以上かけて何とか帰宅し、玄関で20分ほど寝ていました。
それからシャワーを浴びて、ついでに入浴。

異変が起きたのはその後です。
視野がおかしい、いつものように視界が太陽のコロナのように揺らいでしまい、字が読めない。テレビも見えない。
まあこれはもう20年来、時々起こる症状です。
最初に起きたのは、節子と歩いた鯖街道の途中ですから。
ひどい時には2時間以上続き、めまいもする。
もしかしてこれはいま通っている脳神経外科の問題かもしれません。

で、結局、今回も1時間以上、その状況が続きました。
ところが、そのおかげで、気力が戻ってきたのです。
本も読めました。宿題の「バフチン」を読了。たしかにおもしろい。
準備ができたので、いよいよ「ドストエフスキー論」です。

続いて、もう一冊、大川真郎さんが送ってきてくれた「よみがえる美しい島」を読み出しました。
産業廃棄物の不法投棄とたたかった島民たちの記録です。

山積みになっていた書籍や書類なども片付けだせました。
ついでに長年、封じていた音楽も聴く気になってきました。
ユカに頼んでCDプレーヤーを買いに行ってきました。
この10数年、音楽断ちをしていたのです。
しかし、安いラジカセを買ったのが敗因で、実に音が悪い。
これでは聴くにはなれません。
安物買いの銭失いとはよく言ったものです。

でもこれでももう大丈夫でしょう。
いい夏になりそうです。

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