カテゴリー「節子への挽歌22」の記事

2024/09/25

■節子への挽歌6164:時評編をできるだけ書こうと思います

節子

このブログはもともとは「時評」を主な内容にするつもりでした。
ところが節子が亡くなった殿を機に、挽歌編が入ってきた。
挽歌編は毎日書くようにしていました。
それでまあ気が紛れていたこともある。

その頃はむしろ「挽歌編」と「時評編」が相まって、ゾーエとしての思いとビオスと考えを重ね合わせるところに意味を置いていました。
しかし、ゾーエは次第に日記になり、ビオスはサロンの案内と報告になってきた感がある。
最近はあまり時評的なことを書くことがなくなっていたのです。

でもやはり社会への目を曇らせたり、見過ごしたりしてはいけない、と最近思いなおしだしました。
それでまた時評を再開しようと思います。
あまりにひどい世相とはいえ、やはりそこから逃げることはできません。
酷い世相をつくっていることと私の生き方は決して無縁ではないからです。

自らの生き方を質していくためにも、がんばって時評を書くようにしようと思います。
節子がいたら、もっと書く材料がたくさんあるのでしょうが。
ある意味で、節子は私よりも世界が広がったですから。

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2024/09/24

■節子への挽歌6163:84歳というのはやはり高齢なのでしょうね

節子

84歳というのはやはり高齢なのです。
みんなが心配してくれるのが最近ようやく納得できるようになってきました。
もう少し高齢者としての自覚を持たなくてはいけません。
この1か月ほどの体調不良は、やはり治すよりも慣れる方がいいのかもしれません。
そんな気もするようになってきました。

私は同じ立場で付き合って話しているのに、時に後で丁寧なお礼のメールが来たりすることもあります。
私は昔から年齢を実感できないタイプなので、相手も自分と同じと詩だろうなどと思っていても、20歳も離れていることもあります。
20歳離れていても、私はほとんどその意識はないのですが、やはり先方にとっては私は人生の先輩のように感ずるのかもしれません。

昨日も気楽に会った友人が、「自分の気持ちが、決まらぬまま、相談した事を後悔しています」などとメールしてくるとなんだか調子がくるってしまう気もします。
でもまあ私は、やはり人生の先輩に見えるのだろうなと思わざるをえません。

歳など感ずることなく、付き合いたいものです。
人生には先輩も後輩もない。
たかだか数十年の違いなど、大した差でもないのですから。
しかしこういう風に考えること自体が、たぶんすでに常識からずれているのでしょう。

節子
人と付き合うのは難しいです。

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2024/09/23

■節子への挽歌6162:好転の兆し?

節子

昨夜は比較的、あくまでも比較的ですが、よく眠れました。
もしかしたら、昨日、にこのせいで、というか、おかげで、4キロ歩かされたからかもしれません。
久しぶりに小走りもさせられたので、走るのもいいかなと思いつきました。
散歩もいいけれど、ジョギングもいいかもしれない。しかしジョギングとなると、サンダルは向いていません。裸足がいいですが、やはり裸足で走るのはいささか危険です。

今朝は肌寒さを感ずるほどです。
自然のこうした大きな変化に触れていると、自分の身心の不調など、あまりにも些末なことのように思えてしまいます。
今日は朝のルーチンを回復できました。

いい方向に転ずればいいのですが。

 

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2024/09/22

■節子への挽歌6161:にこに4キロも歩かされました

節子

体力強化のために、エネルギー重視の食事にシフトしようとにこを食事に誘ったのですが、今日は鰻や肉の気分ではないと言って回転寿司になってしまいました。
誘った以上断れず付き合うことにしましたが、どうせなら歩いていこうと提案しましたが断られました。
しかもご指定のお店は我が家から一番遠いスシロー。仕方なく私だけ歩いていて、いま到着。車で行った家族は先に着いていますが混んでいて待っていました。それから20分ほど待ちました。
でも途中の散歩はいつもとは違って新鮮でした。特に今日は夕焼けが美しかった。
6号線の歩道橋の上からしばらく見惚れていたほどです。

20240922

最近の回転寿司には肉メニューもあるので、それでも頼もうと思ったのですが、どうも食欲がわかないものばかり、でいつものように、貝とタコ・イカを中心に隊見ました。一方、にこはいつもと違い今日はあまり食が進まない。遊び疲れでしょうか。

冗談でにこに歩いて帰ろうかと言ったら、意外にも素直にいいよと言います。それで帰りも歩く羽目になりました。疲れていたので、帰りは自動車で帰りたかったのですが、これまた言い出した以上仕方がない。

ところがスシローを出たらにこは走り出しました。それはルール違反だろうと思いましたが、暗い夜道、一人ではいかにも心配です。仕方なく私も走ったのですが、やはりついていけない。諦めました。
にこは私が追い付きそうになると走り出す。10メートルほどの距離を置きながらなんとか自宅にたどり着きました。
汗びっしょりです。
実に小憎らしい孫です。祖父に似ずに、性格が悪い。困ったものだ。

でもまあ今日は、いつもと違って回転寿司定番の最後のフライドポテト(私にはこれも気に入りませんが)で一番大きなのを私にくれたので、許すことにしましょう。

でもとんだ夕食になりました。
歩行歩数は6000を越しましたが。

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■節子への挽歌6160:一気に秋になりました

気温が秋になりました。
相変わらず湿度は高いですが、暑さは感じない朝です。
「攻めの戦略」はうまく行っていますが、そのおかげで朝のルーチンはかなり乱れています。
そもそも起きる時間が最近は定まりません。
祈り・重曹水・ジュースは守っていますが、テレビ体操や入浴は抜けがちです。
でも朝の入浴もやりやすくなってきました。

荒れているのは私の生活だけではありません。
今日の天気はかなりの荒れ模様です。
散歩に出かけられそうもない。
FBには動画をあげましたが、かなり荒れている。
家のなかの階段の往復くらいしかできません。

長椅子に座ってテレビを見ていたら、いつのまにか寝てしまっていた。
最近はよくある風景ですが、全く生活が緩みっぱなしです。

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■6159:熊次郎さんと出会いました

節子

朝、ユカと一緒にお彼岸のお墓参りでした。
にこ親子は朝から友だちのイベントに参加で忙しい。

午後、少し長めの散歩に出かけました。
久しぶりに船戸の森まで足を延ばしました。
しかしやはり歩くのがきつく、途中で休みたくなったほどです。
でもなんとか船戸の森にたどり着きました。
そこで戻ろうかと思ったのですが、せっかくなので森の上まで上がってみました。

そこで思いもしない人に出会えました。
銀次郎さんです。
熊次郎さんと言えば、知る人ぞ知る数年前に江戸時代からタイムスリップしてきた人で、いまこの辺りにしていることは漏れ聞いていました。
まさかこんなところでお会いできるとは思ってもいませんでした。
刀を手に持っていたので、お仕事ですかと訊いたら、いまあるものをたたき切ってきたと言います。驚きましたが、幸いなことに斬ったのは人ではなく、物でした。
その成果は後でユーチューブでアップするそうですが、何やら楽しそうなお仕事です。

私が親しくさせてもらっているのは、熊次郎さんではなく、その子孫の櫻井さんなのですが、熊次郎さんと直接ゆっくり話すのは今日が初めてです。
せっかくなので写真を撮らせてもらいました。
私も刀を借りて、カメラに向かいました。
銀次郎さんは、ユーチューバーを目指しているので、慣れたものです。

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熊次郎さんとお会いできたので、なんだか元気が出て、帰りは疲れを感ずることなく、歩けました。
結局、今日は6000歩を歩きました。
「攻め」の戦略への転換はうまく行きそうです。

 

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2024/09/20

■節子への挽歌6158:9日ぶりの湯島

節子

久しぶりに湯島に行きました。
久しぶりに、と言っても、9日ぶりですが、とても「久しぶり」といった気がします。

いつものように、歩くために、御徒町から湯島まで歩いたのですが、途中休みたくなったくらい疲れました。
やはり「疲れ方」が明らかに違います。
何とか湯島に着いたというのが正直のところです。

最近の湯島は、私が行かなくてもいろんな方が出入りしてくれています。
エアエアコンがすでについていて、部屋は涼しい快適な状況でした。
今日、私が正午過ぎに着くのを知っている升田さんが、多分事前に来て涼しくしていてくれたのでしょう。
メッセージに加えて、シャインマスカットまで用視されていました。
メダカが気のせいか、ちょっと少なくなっていました。
アオイホテイはやはり枯れそうです。水温のせいでしょうか。どうも水草はうまく育たない。

久しぶりのサロンは「改正入管法の永住資格取り消し規定に対する懸念」がテーマでした。
10人近い人が集まってくれましたが、とても示唆に富むサロンでした。
公開フォーラムで多くの人に知ってほしい話です。
私たちの政府が、甲斐外国籍の人にどういう姿勢で永住資格を与えているかは、私たちの政府が国民をどう位置付けているかを象徴しているからです。
話をしてくれた根本さんはニーメラーの教訓にも言及しました。

やはり茶色の朝サロンを復活しなければと思いました。
でもどうも体力が戻らない。何かが違うのです。
せっかくいくつかの予定を変えさせてもらって休養に努めていますが、回復できません。
少し戦略を変えて、今日からは「攻め」に転じようと思います。

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2024/09/18

■節子への挽歌6156:箸ラボ欠席

節子

なかなか身心の調子が戻ってきません。
うまく説明できないのですが、ともかくおかしい。
疲れ方も半端でなければ、精神の安定感もない。いや、それよりも何かをやろうという気が起きてこない。

今日は国際箸学会の箸ラボの日です。
私よりも先に退院した箸学会会長の小宮山さんの快気祝いを兼ねての箸ラボ例会だったのですが、なんだか行っても雰囲気を壊しそうなので、当の小宮山さんに電話して欠席させてもらうことにしました。
ついでに明日の箸タイムサロンも欠席することにしました。
この2日間はともかく身心の回復に取り組もうと思います。

しかしこう長く続くとは思ってもいませんでした。
暑さと歳のせいにしたい気分はありますが、そうしたらますます元気がなくなりそうで、何とかここは抗いたい気分です。

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2024/09/16

■節子への挽歌6154:なかなか生活のリズムが安定しません

節子

なかなか生活のリズムが安定しません。
朝のルーチンもさることながら、挽歌もどうも書けない状況です。
夜の睡眠もなかなか正常化しない。
今朝も4時前から目が覚めてしまい、眠れないので起きてしまいました。
しかしだからと言って何かをする気にもなれず、無意味に時間を過ごしてしまっていました。

この頃、困ったことも起こってしまっています。
夜にスマホを時々見るようになってしまったのです。
私は基本的には自宅ではスマホは使わなかったですし、夕方7時から朝の7時までは以前はスマホの電源を切っていたほどです。最近は、電源はそのままで、でもかかってきてもでないというのがルールだったのですが、それはほぼ守れていますが、夜眠れない時についつい画面を見てしまうようになったのです。
つまり枕元にスマホを置くようになったということです。
困ったものです。

でもこれは今日から止めましょう。
ともかく生活のルーチンを取り戻さないといけません。

今朝は早起きしましたので、何とか朝のルーチンはこなしました。
お祈り、重曹水、テレビ体操、ベランダの植物への水やり、リンゴ・ニンジンジュース、入浴などです。
でもどこか違います。
そもそも精神的に、どこか安定していないのです。

今日はあまり天気がよくないようです。
この連休はサロンはなく、3日間、在宅で過ごしていますが、それがよくないのかもしれません。
今日中に吹っ切りたいものですが。

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2024/09/10

■節子への挽歌6148:久しぶりに裸足散歩

節子

相変わらずの残暑です。
今日も休養日に当てていますが、在宅ばかりではいけないので、今日からまた散歩を復活しました。
最近は、「散歩」よりも「横になって休養」モードでしたので、久しぶりの散歩です。

いつものように、手賀沼公園の原っぱを裸足で歩くのですが、うっかり適当なところでサンダルを脱いで歩き出したので、いざ終わろうと思ったらサンダルが見つからない。
どうも久しぶりなのでいろいろと調子が違う。
見つかったのは、まさかと思うところ。
困ったものです。

久しぶりの草原の裸足歩きは実に気持ちがよかったのですが、暑さのせいもあるかもしれませんが、10分でもうくたくた。
湖畔のベンチでしばらく休憩。
この時間もなかなかいいものです。

でも、入院中はあんなにすいすい歩けたのに、やはり毎日続けないといけません。
1日5000歩を目標に、明日から毎日歩こうと思います。

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