カテゴリー「妻への挽歌23」の記事

2026/03/06

■節子への挽歌6672:『はだしのゲン』を全巻読み終えました

節子
明日は湯島でブックサロンです。
テーマは「核に関するお薦めの本」です。
そのために、『はだしのゲン』(第1部)を全巻読むことにし、なんとか今日、読み終えました。

もう30年ほど前に、第1巻と第2巻だけは読んだのですが、以来、気になりながらも読んだことがありませんでした。
最近、近くの図書館にあるということを知り、今日に間に合うように全巻読もうと思ったのですが、なんとかサロンの前までに読み終えました。

1,2巻で戦前から原爆被爆直後までが描かれていたので、その先は読まないでいたのですが、むしろその先のほうにこそ、戦争の悲惨さ、被爆の悲惨が読み取れました。
あらためて本書の意義を感じました。
この本はもっと読まれてしかるべきですね。

本書の中に『夏のおわり』という書籍をゲンたちが印刷して配布したエピソードが出てきます。これも図書館で探しました。同名の本はありましたが、『はだしのゲン』に出てくる本とは違うようです。

ある時期に図書館から『はだしのゲン』は追放されたと思っていました。しかしどうもそれは間違いで、いまなお図書館に置かれ、読み続けられていることを知って、少しホッとしました。
たしかに表現にはいろいろと批判する人もいるでしょうが、これが実際だったのでしょう。と同時に、いままた同じような状況が出現しつつあるような気がします。
おそろしい話です。

『はだしのゲン』は、多くのボランティアの手によって、今では20以上の言語に翻訳され世界各地で出版されているそうです。
しかし日本では、テレビでも放映されませんし、学校の図書館にはなさそうです。
読んでいる人もさほど多くはないでしょう。
被団協のようなグループが、もっと喧伝してもいい書籍だと思います。

明日のサロンでは、この書籍のほか、最近読んだ2冊の新書を紹介しようと思います。
私が核に関する書籍を盛んに読んでいたのは、もう40年ほど前ですが、最近のわが家の書庫は解体されてしまったため、当時の書籍が見当たらないのです。
高木仁三郎さんの本が何冊かあるはずなのですが。

書庫を解体していたため、いまは書籍がどこにあるかわからず不便です。

 

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■節子への挽歌6671:小学校時代の同級生が12人集まりました

節子
小学校を卒業して、70年以上が経過しました。
数年前から同窓会も開かれなくなっていますが、時々、湯島でミニクラス会を開いています。女性たちは元気で、同級会に限らず、サロンにもよく来てくれるのですが、男友だちは少なくなってきてしまいました。

私は途中からの転校生だったので、小学校時代、よく遊んだ友だちは限られています。一番仲の良かった2人はもう亡くなってしまっています。
卒業後仲良くなった男友だちもだんだんいなくなってきてしまっています。

昨日のミニクラス会を企画し呼びかけたのは女性たちでした。
集まったのは女性7人、男性5人。
数の上ではそう違わないのですが、4時間の間、話していたのはほとんど女性です。
これから海外旅行に行くとか、ゴルフでホールワンしたとか、ともかく女性は元気。一方の男性は静かなものです。
参加できなかった女性たちは、それぞれに差し入れを送ってきたり、なかには昨日、湯島の部屋の前に差し入れを置きにきたりした人もいるそうです。
私も昨日は、あまり、というか全く元気のない日で、話にほとんど加われませんでした。
この違いは一体どこから来るのでしょうか。

みんなの写真を撮りました。
写真をそのままアップするのは女性たちが嫌がりますので、生成AIを使ってイラストにしました。みんなやけに若くなってしまいました。

私は入っていません。
20260305

 

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2026/03/05

■節子への挽歌6670:来世はないかもしれません(2026年3月5日)

節子
世界はいま混乱の中で、核戦争に向かっている感じです。
自信のない権力者が増えている結果でしょうか。

宣戦布告もなく、他国の首都を攻撃し、公海を航行している戦艦を爆破する、とても人間のやることとは思えません。
しかも敵国と勝手に決めた他国の指導者を殺害したことがまるで良いニュースのように報道され、しかも関係のない日本の一部の人までそれを喜んでいる。
嫌な時代になってしまいました。

核兵器はシステム的な管理下に置かれているので、そう簡単には発射されないでしょうが、一人の狂気によって発射されないとも限りません。
システムとはそういうものですから。

節子がいなくなった時、私は時々、この世界が終わってしまえばいいのに、と思ったことがあります。
もし核兵器のカギを握っている人が、あの時のような私に気持ちになったら、と思うと恐ろしいです。
とともに、そういうような思いを持った自分自身に悲しさを感じます。

核兵器は、おそらく人間には理解できない道具です。
理解できない道具を作り出してしまった人間の未来は決まっています。
それがいつ来るか。
もしかしたら私の来世はないのかもしれません。

そんな気がする毎日です。

 

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2026/03/04

■節子への挽歌6669:友人から著書が届きました

節子
また友人から厚い著書が届きました。
最近は少なくなりましたが、以前はよく届きました。
届いたら必ず書評を書いて、私のホームページで紹介していました。
しかし最近はその元気がなくなりました。
ただただいただきっ放しです。
一条真也さんこと、佐久間庸和さんからはいまも毎年数冊の新著が届きますが、しっかりと読んで書評するまでできていません。
それでも佐久間さんは毎回送ってきてくれるのですg。

今回、送ってくださったのは立柳聡さんです。
仲間たちとの共著ですが、なんと1万円近い学術書です。
テーマは「共助」をテーマにした日韓コミュニティ比較論。
とりあえず、立柳さんの書いた論考の一つだけ読みましたが、読みごたえがある。
立柳さんは、佐藤さんとは少し考えが違うかもしれませんが、と書いてきていましたが、そんなことはありません。
でも読み進めるのはかなりのエネルギーが必要です。

いま並行して、先月送られてきた一条真也さんの『「鬼滅の刃」と日本人』を読んでいます。
新書ですので、以前なら1日で読み切れましたが、最近はそうはいきません。
一気に読み終えることが難しいのです。
困ったものです。

劣化しているのは身体機能だけではありません。
読書力も大幅に低下しました。
そろそろまた蔵書を思い切り整理するべき時期に来ているのかもしれません。

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2026/03/03

■節子への挽歌6668:核兵器が投下された夢を見ました

節子
夢を見ました。
日本お近くに核兵器が投下された夢です。
なぜかそれにどう対処するかの集まりがあり、そこに私が紛れ込む夢です。
私の知った顔が何人かいて、私も話し合いに参加するようにと誘われました。
被害は、しかし2~3万人の人が死ぬかもしれないという話で、どうも本格的な核兵器ではなさそうです。
夢ですから、矛盾だらけの話ですが。

昨日、20年後の顔写真を生成AIで作成して、余計な文章をつけてアップしたせいかもしれません。
嫌な夢でした。

しかし今朝のテレビもイラン攻撃に始まる世界の動きで騒がしいです。
まるで高市政権を選んだ日本国民への警告なような気もします。
これからどう展開していくのか、予断はできません。
ともかく「友敵理論」に呪縛されているかぎり、世界には平和は来ないでしょう。
来るとしても、友だけの平和です。
それは平和とは言えません。
そうした平和観は捨てなければいけません。

今日も寒いです。

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■節子への挽歌6667:20年後の私

節子
節子がいままだ元気だったら、どんな顔になっていたでしょうか。
最近の生成AIを使うとそうした画像が作れます。
昨日、私自身の顔をいろいろとつくってみました。
10歳当時の顔とか20年後(104歳)の顔とかいろいろとやってみました。
いずれもあんまり似ていません。
若い頃の顔がもし本当なら、私はさぞかし女性にもてたでしょう。
残念ながら生成AIは、依頼者にあまりに好意的です。
困ったものです。

節子の顔もまた作ってみようと思いますが、この調子だと、あまりがっかりしないような顔に仕上げてくれそうです。

まあそれはともかく、私の20年後の顔をここにアップしておきましょう。
もしこんな状況で20年後も生きていられるのであれば、生きていてもいいでしょう。

20

この写真をフェイスブックにアップしました。
ちなみに、この写真に下記のような説明文をつけておいたのですが。

差出人の書いていない荷物が届きました。何も気にしないで封を開きました。 煙が出てきました。中は空っぽです。
しばらくして 気がついたのですが、いつのまにか 20年が経過してしまっていたようです。幸いなことにどうやら 第三次世界大戦は回避されたようで、地球は存在していました。
地球温暖化も解決したようで、今日は寒いです。

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2026/03/02

■節子への挽歌6666:うれしい知らせもあれば悲しい知らせもある(2026年3月2日)

節子
うれしい知らせもあれば、悲しい知らせもある。

訃報が届きました。
私よりも2歳年上でしたが、私を「先生」と呼んでくれていた人です。
私は、先制と呼ばれるのを好みませんし、いつもは呼び方を変えてほしいというのですが、この人の場合は言えませんでした。なぜならその人こそ、みんなから「先生」と呼ばれていましたから、言い出せなかったのです。

実は2月初めのサロンに、その人を意識したサロンを企画し、その人も参加する予定でした。
ところがサロン前日になって、行けなくなったという連絡が入りました。
もしかしたら体調崩したのかと思っていましたが、訃報はがきによれば、サロンの翌日に亡くなったそうです。
今年2人目の急逝。
しかも会う約束をしていた、まさにその時にです。

午前中は元気だったんですが、なんだかまた気力が萎えてしまいました。
寒さもあって、どうも元気が出ない。

昨日はハメネイ師に死の冥福を祈っていましたが、今日はYさんの冥福を祈って、静かに過ごそうと思います。
武士のような人でした。

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■節子への挽歌6665:うれしいメールが届きました(2026年3月2日)

節子
とてもうれしいメールが届きました。
もう20年以上前に、湯島にも時々来てくれた佐世保市の廣山さんからの、思ってもいないメールです。
こんな内容です。

佐藤さん、長いご無沙汰です。
数日前、本当に久方ぶりに「湯島サロン」を拝見しました。
ほんとうを言うと、まだ「湯島」はあるのだろうか、と思いつつ、辿りつけました、現役の「湯島」に。あ~、続けられている!多彩に多様に。

黒岩比佐子さんがいらした頃です。わたしが何度かおうかがいしたのは。
仕事を辞めて12年、77歳の冬です。
77歳の冬に詩集を編みました。もちろん少部数の私家版です。数少ない友人知人に
勝手に差し上げています。佐藤さんにも勝手に謹呈します。(明日、発送します)

あの廣山さんも、77歳。
私と付き合い行政職員はみんなちょっと一味違う人ばかりでしたが、廣山さんもそうでした。しかし詩集を出すとはうれしい話です。

実は最近、湯島に来ている人と西海市の話が時々出ています。
その人も西海市に関わったことがあり、そこに孫の名前を冠したミカンの木を育ててもらっているのだそうです。
そしてそこでできたミカンを戴きました。
とてもおいしいミカンでしたが、その時に、実は廣山さんを思い出していたのです。
まさにシンクロニシティ。

そういえば、佐世保で活動している人が、いまも私のフェイスブックをよく読んでくださっています。
廣山さんも知っている人です。
佐世保にもまた行きたいと思いますが、多分もう行く機会はないでしょう。
でも近いうちに廣山さんの詩集が届くでしょう。

佐世保は一度、節子も行ったことがあります。
その時にもしかしたら廣山さんにお会いしているかもしれません。
少なくとも湯島では会っていると思いますが、覚えているでしょうか。

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2026/03/01

■節子への挽歌6664:日本構想学会の理事会

節子
昨年、日本構想学会をリブートした半田さんが先月急死しました。
体制がまだ確立する前に、昨年12月に「リブート大会」と称しての学会大会を開催した直後のことでした。
あまりに突然の死だったので、教え子たちも混乱して、日本構想学会をどうするかの話し合いにもたどりつけずにいました。
私は半田さんから学会の監事役を依頼されて引き受けていましたが、なかなか理事会が開かれなかったので、ともかく開いてもらいました。
半田さんの教え子の理事が3人、もう一人は第1期の学会の中心人物だった一人がオブザーバー参加しました。

結果、学会はしばらく休眠させることになったのですが、ともかく半田さんが一人で仕切っていたため、会員名簿さえもがまだ把握されていない状況なのです。

半田さんらしい話でもあるのですが、半田さんとはまだまだ話し合いたいテーマが山ほどありました。
考えは私とはかなり違いますが、お互いに違いを含めて理解はしあっていました。
そして考えも違いながらも、なぜか共感し合う部分も少なくありませんでした。
学会も新しいスタイルを志向するという点では共感できていました。
半田さんも最近は「コモンズ」という言葉を使いだしていたので、コモンズ論も議論したいと思っていた矢先でした。

これで私とは考えが違いながら、根底のところで理解し合い、共感しあっていた友人を4人失いました。
なぜ私が残っていくのか。
まだ残っているわずかの心の友を失う前に、私も急がなければいけません。
でも若者たちとの約束期間が後4年も残っています。

これ以上の悲しみは味合わないように祈らなければいけません。

 

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2026/02/28

■節子への挽歌6663:近いうちに市役所にまた行こうと思います

節子
今日は、明日の我孫子を話し合う「あすあびサロン」の第17回でした。
参加者はなかなか増えませんが、ともかく継続しようと決めているので、毎月やっています。

うれしいことに、毎回の参加者は増えないものの、参加者をつなぐメーリングリスト・コミュニティは増えています。
今日は近くの農家の青木さんが参加してくれました。
午前中は忙しいのでいつもはだめなのですが。

午後、青木さんが自宅に、今日は言いたいことを勝手に話してすみませんでしたと言いに来ました。そんなことは全くなか卯、青木さんのおかげでいい話し合いになったのですが。
サロンの報告は時評編に書きましたが、ともかく私は、行政と住民との対立という今のおかしな常識を壊していきたいのです。
立場は違い、行政も住民もみんな自分たちの町を住みよくしたいと思っています。
にもかかわらず、どうも相手の非難に傾きがちです。
今日も報告を我孫子関係のフェイスブックコミュニティに投稿したら、ある人が早速に「無能で何もやらない市長」と非難を書いてきました。
全く不愉快ですが、こういう無責任な住民を相手にする行政も大変です。
今日の話し合いの内容を、市役所のキーマンたちにメールしました。

最近市役所にも行っていないので、近いうちにまた行ってこようと思います。
それにしてもどうしてみんな自分を棚に上げて他者を非難するのでしょうか。
ホントに嫌な気分です。

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