カテゴリー「マスコミ時評」の記事

2017/03/11

■森友学園騒動に見る問題のすり替え

この数日、いやそれ以上、テレビは森友学園騒動で独占された感があります。
問題を発掘し、これほどまでの話題にし、森友学園の小学校を不認可に持っていったのは、森友学園の前理事長が記者会見で言っていたように、マスコミの力かもしれません。
しかし、私には、マスコミは、テレビも新聞も、いずれも森友学園を応援し、さらには政治家や官僚を守ったようにしか思えません。
昨日の、理事長会見を見ていて、改めてそう感じました。
記者会見会場にいた記者たちは、一方的な長い理事長の話をひれ伏したように聞いていましたし、報道ステーションはじめ、ニュースなども、その報道の仕方は理事長の意図を讃えんばかりのものでした。
私の誤読かもしれませんが、理事長の言い分だけを切り離して聞けば、彼は憂国の国士ではないかと思う人もいるでしょう。
鴻池議員の会見の一部だけを見た人は、彼に好意を持ったかもしれません。
籠池元理事長の奥さんと報道陣とのやり取りだけを見た人は、彼女がとても善意で無邪気な人に見えたかもしれません。
テレビ報道は、どの局面をどう見せるかで全く違ってきます。
理事長会見は、肝心の疑問解明に入る前に、籠池さんが滔々と持論を「情熱的に」語る部分だけを流しました。
呆れたのか、途中で放映を辞めたテレビ局もありましたが、長々と流していたテレビ今日のほうが多かったように思います。
さすがにその解説で、なんで記者は遮って質問しないのかと不満を公言する、たぶん同業の先輩記者もいましたが、同業者から見てもふがいない貴社ばかりでした。
報道すべきポイントが、まったく違っています。
完全に籠池さんの土俵に乗せられて利用された感じです。
情報時代には、情報の受け手がしっかりしていないと、相手の土俵に引き込まれてします。
情報時代とは、非情報社会、まさにポスト真実の時代なのです。

そもそも問題の本質はそんなところにあったわけではありません。
国家財産を私物のように扱う政治家や官僚、さらには公的な資格証明である自らの名前を安直に利用させるに任せておく有名人のあり方をこそ問題にすべきです。
もちろん、個人の問題ではなく、仕組みの問題として、です。
そこを変えていかないからこそ、繰り返し同じようなことが起こっている。
なにか、誰にでもわかりやすい問題に矮小化され、結局は何も変わらないという結果で幕引きになりそうです。

こういう結果をもたらしたのは、まさにテレビ関係者だと私には思えます。
テレビはもう少し取り上げるテーマはもちろんですが、取り上げ方をしっかりと考えてほしいと思います。
またキャスターは、映像の編集をもっと重視してほしいです。
視聴者は、話す言葉よりも、映像に影響されるのです。

森友学園騒動から解放されて、少しまたテレビを見る気が出てきました。

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■煙石博さんの冤罪が晴れました

これまで何回か書いてきた、広島の煙石さんという元アナウンサーの方の訴訟の最高裁の判決がでました。
煙石さんは、66000円の窃盗の容疑で訴えられ、物証もなく、状況を知る限り、冤罪としか思えないのですが、有罪判決を受けてしまっていたのです。
昨日の最高裁の判決で無罪となり、冤罪が晴れました。
他人事ながら、うれしいことです。

この事件を知ったのは、広島の友人のおかげです。
広島の事件なので、最高裁に行くまでは関東圏では報道されることもなかったのですが、内容を知って驚きました。
警察の取り組み姿勢も含めて、まだこういうことが起こっているのだという、驚愕です。
私が中学生の時見た、八海事件を扱った映画「真昼の暗黒」を思い出しました。

冤罪を成り立たせているのは、司法制度にも問題がありますが、世間の関心の低さが、それを支えている面も否定できません。
多くの人がいまなお、司法の判断や警察の判断は正しいという前提で考えますから、自分ではきちんと考えようとしない傾向があります。
ですからいくら当事者が、あるいはその家族や友人たちが「冤罪」だと騒いでも、世間はなかなか耳をかしてはくれません。
それに、他人のそうした事件には関わりたくないという思いも、みんなどこかにあります。
ですから、冤罪はなくならないのでしょう。
そういう意味で、私にもまた責任があるわけです。

そういう思いもあって、このブログやフェイスブックなどに書きこんで、この事件の存在を私なりに広げてきました。
ですから、今回の無罪判決はとてもうれしいです。

実は昨日、このブログへのアクセスが急増しました。
その理由は、この判決でした。
話題になるとネット検索が増えて、私のブログにまでアクセスが増えるのです。
しかし、これも正直、ちょっと不安感もあります。
話題にならない限り、誰も関心を持たない。
話題になると過剰な関心を持つ。
それは結局同じことなのかもしれません。

マスコミの姿勢にも大きな違和感があります。
報道しても誰からも責められない事件を見つけると、最近の森友学園の事件のように過剰に報道する傾向が高まっています。
標的にされてしまうと、もう逃げようがないくらい執拗に追いこまれます。
世間もそれに同調して、そこに関心を集中してしまう。
その一方で、社会のさまざまなところで起こっている「小さな事件」は世間の目を逃れてしまう。
森友学園にまつわる事柄は、誰でもが「おかしい」と思うことですから、ただ罰して事態を質せばいいだけの話です。
ただただ詐欺罪として、あるいは官僚の背任事件として処理すればいいだけの話です。
ほんとうに恐ろしいのは、煙石事件のような話です。
私もそうですが、みんな最近は忙しすぎて、社会で起こっているおかしなことになかなか気づかないことが多い。
私は、そこに恐ろしさを感じます。

ちなみに、森友学園に関して言えば、マスコミは森友学園の見方であるような感じを私は受けています。
それに関しては、また別に書きたいです。

煙石さんの体験から、私たちは大きなものを学ばせてもらいました。
学んだことは、私も実行していこうと思います。

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2017/03/03

■豊洲をめぐる石原元都知事の記者会見

石原さんの記者会見見ました。
痛々しい思いで。
問題をすり替えて小池知事を非難したところにみじめさを感じました。
しかし、豊洲移転の責任に関しては、同情したいところもあります。
知事は神様ではありませんから、すべてを知っているわけではありません。
記者会見で問われていた「知事の印鑑を誰かが押印した」ということも事実でしょう。
大きな組織ではよくあることです。
そして、一人の個人に責任がいかないように、有限責任の組み合わせで、大きな責任を個人に背負わせることなく大きな決断ができるというのも、組織制度の目的の一つです。
以前もブログに書きましたが、組織とは責任を分散させる知恵から生まれた制度ですから、責任の問い質し方に、私は違和感があります。
記者会見を見ていて、まさに弱い者いじめを見ているようで気持ちが悪かったです。
石原さんの勢いがあった時には何も言わずに、いじめても大丈夫と思ったら痛めつける。
悲しい話です。

都知事や副知事の責任は大きいでしょう。
しかし、それ以上に、私は都議会議員の責任が大きいように思えて仕方がありません。
前川さんから事情を訊いておけという質問もありましたが、石原さんに依存しないで記者自らで聴きだせばいいだけの話です。
それもやらずに、弱い立場になった石原いじめをしている記者が私には情けないです。

念のために言えば、私は石原知事時代に、きちんと声をあげなかった都民にも不信感があります。
週に何回かしか登庁しない知事を許していた都民やジャーナリズムが、いまさらなんだという気がしないでもありません。
おかしい時おかしいと言わなければいけないということを、改めて思いました。

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2017/02/01

■都政とトランプ政治よりも安倍政治をしっかりと報道してほしいです

最近のテレビ報道は、都政とアメリカの話題に覆われています。
日本の国政の問題は、中心にはなっていないようです。
都政もアメリカの国政も大切でしょうが、私にはそれ以上に国政の動きが知りたいです。
しかし、多くの人は、そうではないのかもしれません。
そこから感じられるのは、いまや政治さえもが消費されるべき事件でしかないのだということです。

豊洲問題や小池知事と都議会の対立はドラマのように面白い話ではあります。
しかし、豊洲などは最初から本来築地の転居先にはなり得ないところですし(だから面白い物語になったわけですが)、議会と首長の対立はよくある瑣末な話です。
しかし、そうした話題が、ニュースショー的な番組で面白おかしく。詳細に報道されていて、しかもそこにコメンテーターという人たちが事情通のような解説をしていますが、それがどうしたという話ばかりです。

アメリカのトランプ発言はどうでしょうか。
相変わらずマスコミやコメンテーターは、反トランプの偏見に基づいて、酷評していますが、私には、トランプ大統領がやっていることは、日本の国政に比べて、それほど大きくおかしいとは思いません。
むしろ、問題の原点に戻って考えるという意味では、健全ささえ感じます。
たしかに人種差別的な大統領令には、共感できないものも多いですが、それとて今の日本の安倍政権やかつての野田政権がやっていたことと、そう大して違わないように思います。
沖縄や福島を見ていると、そう思わざるを得ません。
トランプ政権を批判する前に、まずは自分の国の国政をきちんと報道してほしいものです。

アメリカの最高裁判事の人事まで、日本では大きく取り上げられていますが、そもそも日本の最高裁の判事のことなどきちんと報道したり話題にしたことなどほとんどないのに、何でアメリカの新しい判事の良し悪しまで評価するのか、私には理解できません。
まあそうした都政とアメリカの政治に多くの人たちの目を向けさせている裏で、日本の国会は何を議論し、政権は何を進めているかが心配です。
沖縄はどうなっているのでしょうか。
共謀罪はどうなるのか。
安倍首相は海外に大盤振る舞いを続けていますが、国内の低所得者層にも少しは振舞ってほしいものです。
大学の学費の高さを知っているのでしょうか。
仕事がない若者たちの実態を知っているのでしょうか。
テレビももっとしっかりとした問題意識をもって取材し報道してほしいです。
ニュースはショーではないのです。

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2016/11/10

■トランプ勝利で思ったこと

アメリカ大統領選挙は、トランプの勝利になりました。
私の周辺には、この結果を早くから確信していた人もいますが、私自身はまったく考えていませんでした。
トランプが選ばれるはずはないという確信がどこかにありました。
しかし、現実はトランプの勝利。

改めて、私たちは「現場・現実から離れた情報」のなかで生きていることを思い知らされました。
現地のアメリカでも有名な新聞のほとんどがクリントン勝利を確信していたようですし、日本の「有識者」や「ジャーナリスト」もまたほとんどがクリントン勝利を直前まで語っていました。
なぜ多くの人が読み違えたのか。
判断の基盤となる情報が不正確で不十分だったからだと考えるべきでしょう。
いいかえれば、彼らの情報と現場の情報とがつながっていなかったのです。
マスコミや「有識者」の情報環境は、おそらく現場から遊離した「二次情報」だったのです。

30年以上前に、私は「非情報革命論」を書きましたが、情報化の進展は、現場とは別個の「情報空間」を生み出すと考えていました。
そして、どちらに住むかで、世界は見え方が変わってくる。
まさにそのことを体験させられた気分です。
それも、自分自身もまた、その世界(「情報空間」)にいることを思い知らされたわけです。
私は、マスコミには懐疑的で、今回の大統領選報道にも批判的に受け止めていたつもりですが、基本的にはそのマスコミ報道をベースに考えていたことが露呈しました。
まだどこかに、マスコミ情報の基盤の上で思考している自分がいるようです。
今回はアメリカ大統領選挙でしたので、すぐには自分の生活につながらないかもしれませんが、おそらく自分の生活につながるところでも、こうした状況に私自身陥っているはずです。
心しなければいけません。

マスコミ情報が現場情報と遊離していることを示唆するのは、今回が初めてではありません。
大方の予想を覆す事例は、最近増えてきているように思います。
現実空間と情報空間が乖離しだしているのです。
にもかかわらず、それを受け容れたくない自分がいるのかもしれません。

たぶんいまの国際政治も国際経済も、現実とは違った別の世界を生み出しているのです。
そのいずれの世界でも「同じ言葉」が使われていますので、違う世界に住んでいることに気づきにくい。
その典型が、アベノミクスの経済成長論です。
「世界」9月号の「時間かせぎの政治」という論文を友人が教えてくれました。
そこで、吉田徹さんが、安倍政権の政治手法は「期待値の操作」で、アベノミクスが成功しないのは、それがまだ不足しているからだ、と言い続ける。すると、景気回復の実感がない人ほど、いつかは自分にも恩恵が及ぶはずと思ってしまう。その結果、「マイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」。そこにこそ安倍内閣が支持されてしまう逆説がある、と書いています。
しかし、生活現場から遊離した金融経済での景気回復は、いつになっても現場には届きません。
世界が違うからです。
「時間かせぎ」と書かれていますが、「時間軸」の問題ではなく、「空間軸」の問題ではないかと私は思います。

ちなみに、吉田さんの論文は、ヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」を参照していますが、シュトレークはもしかしたらトランプ勝利を予想していたかもしれません。
違った世界が見えていた人ですから。
「時間かせぎの資本主義」はとても示唆に富む本ですので、お勧めします。
http://cws.c.ooco.jp/book2.htm#009

他にもいろいろと思うことがあります。
たとえば、私の思考パターンがすでに情報空間型に馴致させられているのではないかという不安です。
少しずつブログで書いていこうと思います。

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2016/07/29

■措置入院への不安

その後の相模原障害者施設事件の報道に接していて、世間は何も変わっていない、と思います。
自らの生き方を問い質した人は、どれほどいるでしょうか。
自分は今回の加害者とは別だとみんな思っているのでしょうか。
自らもまた、「障害者」だという認識を持った人はどれほどいるでしょうか。
相変わらず、「障害者」は特殊な存在だという報道ばかりです。
とてもさびしい気がします。
さらに不安を感じるのは、措置入院が問題になってきたところです。
問題が違った方向を向いているのではないのか。
私が、その対象になったらと思うと、恐ろしくなります。

この事件は、いまの社会の本質を示唆しているように思えてなりません。
加害者の考えは、許されないとか、異常だとか、みんなそう語ります。
もちろん私もそう思います。
しかし、だからといって、彼はいまの時代風潮と無縁なのか。
彼は、本当に、私とは別の世界の特殊な存在なのか。
そして、許されないと語っている人の中には、人を差別する意識はないのか。

いまの時代風潮をよく見れば、同じような風景はいたるところにみられます。
ヘイトスピーチは、そのわかりやすい例ですが、それだけではありません。
学校にも企業にも、程度の差こそあれ、それにつながる発想や言動はないのか。

私は、彼のような行動を支えている、時代の風潮を感じます。
それは、個人の尊厳をおろそかにする風潮です。
正規社員と非正規社員の構造の中にも、それを感じます。
出産前診断に見られるような、優生学的な発想の動きも少なくありません。
強いものが勝っていく競争を是とする社会そのものの中にも、今回の加害者の言動につながるものを感じます。
自分は加害者の言動と全く無縁だと断言できる人が、どのくらいいるでしょうか。
時代が、彼のような存在を生み出してしまったのではないか。
そんな気がしてならないのです。

障害を持っている人が、加害者に怒りを持つことは、当然です。
私も怒りを持ちますし、怒りをぶつけたい。
しかし、それで怒りを解消したくはありません。
もっと怒りを向けるべき相手があるのではないか。
障害者を障害者として扱う社会にこそ、怒りを持つべきではないのか。
彼に怒りをぶつけるのではなく、彼を生み出した社会に対して怒りをぶつけていかなければ、事態は変わらない。
私が、世間は何も変わっていないと思うのは、そうした報道ばかりが流れていることです。
みんな他人事としてしか語らない。
加害者を非難する前に、まずは自らの生き方を問い質すことが大事なような気がします。
私としては、自分の中にある差別意識にしっかりと対峙する機会にさせてもらいました。

前に書いたことがありますが、精神病院の脱施設化を実現したイタリアの話を思い出します。
どうやら日本は、それとは真逆の方向に向かっているようです。
障害者施設もまた、私は脱施設化を目指すべきだと思いますが、それが実現するには、多くの人たちが、障害者などという発想を捨てて、多様な人たちと、人として付き合う余裕を持つようにしなければならないでしょう。
すぐにはそれは難しいでしょうが、せめてそれを目指す生き方をしたいものです。

今回の事件ほどひどくはないとしても、同じような事件は決して少なくないでしょう。
私たちは、そうしたことへの関心をもっと高めていきたいものです。
もしかしたら、自分も加害者的な言動をしていないかの反省も含めてです。

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2016/06/15

■大きなものが見えない恐ろしさ

都知事の政治資金の私的流用問題でテレビニュースは連日にぎわっています。
都知事の答弁のように、どこもかしこも、そして連日、同じことの繰り返しに近いですが。
しかし、どうしてこんな瑣末なことを根掘り葉掘り話題にするのか。
情ない状況です。

その陰に隠れていることの方に、私は関心があります。
たとえば、甘利さんの不起訴問題です。
舛添さんの話は日常的な話なので、私のような人間にもわかります。
金額もたかだか数百万円ですから、まあ想像はつきます。
しかし、甘利さんの話になると、多くの人は想像さえつかないのでしょう。
記者たちにも、理解できないのかもしれません。
最近の報道陣には、基本的な知識さえないような気がします。
ですからみんな舛添さん問題に目が行くのでしょう。
いじましく生活している舛添さんを、まるで自分と同じように感ずるのでしょう。
コメンテーターの発言を聴いていると、そんな気がしてきます。

自らが想像できない大きな問題には、関心さえ持てませんし、世界の狭い記者たちには想像さえできない。
そこで、いつも見逃されてしまいます。
いやだれかによって隠されているのかもしれません。
いままた陰謀論が広がりだしているようですが、それさえも誰かの意図の結果かもしれません。
実に退屈な陰謀論が多く、私の周辺でも何人かがそれにはまっています。

見逃されないような事件もありました。
たとえばロッキード事件です。
しかしそれもまた所詮は、その一部を理解できる部分だけ切り取って問題にしただけの話かもしれません。
だから結局は大きな問題はむしろ見えにくくなってしまったような気もします。
単に見えない世界の権力争いに利用されただけかもしれません。

舛添さんが涙を出してまで懇願している一方で、甘利さんは笑顔でほくそえんでいるでしょう。
甘利さんの後ろにいる人たちは、もっと喜んでいるでしょう。
多くの報道陣の目が、だれでもわかる舛添問題に行けばいくほど、ますます好き勝手なことができるひとがいるわけで、相変わらず政治は市場にできるからです。

舛添問題が都政を停滞させているという声もありますが、停滞どころか、その陰に隠れて、何かが着々と進んでいる。
そう思うと、舛添さんの茶番のような報道にジャーナリストの無責任さを感じます。
攻めて甘利問題をもう少し報道してほしいです。
もちろん沖縄の問題も、です。
何が大切かを忘れた社会は、壊れていくしかありません。
それもティッピングポイントを超えたら、一気にです。
もう超えてしまったとは思いたくはないのですが。

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2016/03/11

■3・11報道には大きな違和感があります

東日本大震災から、今日は5年目です。
新聞もテレビも、3・11の特集ばかりです。
被害者や遺族の物語も多いのですが、そういう番組はどうも見る気がおきません。
誠実に描かれているのでしょうが、どうしてもそこに「作為」を感ずるようになってしまっています。
死を題材にしてほしくないという気持ちが強くなってきています。

それにしても最近のマスコミ報道は「死」を取り上げすぎではないかと思います。
子どもの自殺から高齢者の孤独死、あるいは悲惨な殺人事件や事故死。
テレビドラモも、死が安直に題材にされているような気がします。
あまりに安直としか言いようがありません。
「死」を題材に取り上げなくても、生死や人間をもっと語れるのではないかと思うのですが、死の刺激が求められているのでしょうか。
しかし、一度でも身近に死を体験した人であれば、そうは安直には扱えないはずです。

先日、この5年間、東北の被災地に住む人たちへの支援活動をしている人と話しました。
5年で被災地は変わってきましたかと質問したら、遠慮しがちに「変わっていないです」とつぶやきました。
復興が進んでいないという意味です。
無駄な復興事業は盛んに報道されますが、被災者にとっての復興は進んでいないのかもしれません。
復興を印象づけるような報道も多いですが、そうした番組も見たくはありません。
報道は、それが事実であったとしても、報道の仕方では全体を見えなくしてしまいます。
特に福島に関しては、復興などできるはずもありません。
政府に本気で復興する気があれば、原発再稼働などするはずもありません。

こんな思いを持ちながら、今日は3.11のことをいろいろと思いだしています。
重くて哀しい1日です。

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2015/07/24

■新国立競技場のような些末な問題に騙されたくありません

新国立競技場の話は、知れば知るほど、すごい話です。
設計に数十億円かかるという話もすごいですが、契約価格は数倍になるのもよくある話というのも、すごいです。
関係者が、信じがたいほどに無責任というか、責任逃ればかりしているのも、すごいです。
安藤忠雄さんにはもう全くあきれました。
安藤さんに限らず、テレビに出てくる人たちが、みんな他人ごとに語っているのがすごいです。
財政がどんどん膨張していくのは当たり前ですね。
アスリートたちの発言も、私には非常に白々しく感じます。
お金にどっぷりつかった世界にいるとみんなおかしくなるのでしょうか。

まあたかだか2500億円ほどの話なので、私にはどうでもいい話ですが、こうした「瑣末な話題」のおかげで、原発とかTPPとか再軍備とか、憲法無視とかいう大事な話が、軽く扱われてしまうのが、恐ろしいです。
アスリートたちも、そうした大きな謀略に利用されているのか、荷担しているのか、わかりませんが、いい加減にしてほしいと思います。

そもそも私はオリンピックには大反対です。
あれはもう完全に商業化していますから、ローマ時代のサーカスでしかありません。
私にはアスリートへの敬意は全くありません。
ローマ時代の剣闘士ほどにも、私には評価できません。
非難されそうですが、そもそも彼らのスポーツ観と私のそれとはまったく違います。
お金まみれの世界から、なんで抜け出ないのか、私には不思議です。

問題を取り違いたくはないものです。
新国立競技場の問題など、どうでもいい話です。
だから安倍首相は、白紙に戻し、国民の声に耳を傾けているのです。
耳を傾けるべきは、そんな些末な問題に関してではないでしょう。
勘違いしてはいけません。
新国立競技場の問題が、連日テレビで報道されていますが、そうした陰で、大きなものが動いているのが恐ろしいです。
問題の質の違いを、私たちはしっかりと認識すべきではないかと思います。

やはり私たちが一番考えなければいけないのは、原発のもんだだろうと思います。
原発は、軍隊よりも巨大な暴力です。

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2015/04/11

■改めて鳩山元首相を尊敬します

昨日のBS日テレの「深層ニュース」は「鳩山元首相の行動の謎」と出して、ゲストの一人に私が尊敬する鳩山由紀夫さんが出演していました。
先日、紹介した「プライムニュース」とは違って、私はこの番組はいつも途中で見るのをやめることが多いのですが、昨日は最後まで見ました。
しかし、そのおかげで、極めて不愉快な夜になってしまいましたが。

「プライムニュース」と違って、この番組は、キャスターがあまりテーマに関する勉強や準備をあまりしていないように思えて、掘り下げが全く「深層」ではないので見ていて退屈どころか嫌になってくるのです。
昨日はとりわけひどかったです。
女性のキャスター(名前は避けますが)が、鳩山さんを「告発」するようなぶしつけな発言が多く、見るに堪えなかったのですが、鳩山さんはほぼ最後まで、それにも誠実に対応していました。
このキャスターは、鳩山さんに「反省していますか」「(これから)うまくやれますか」などという発言をしていたのです。
しかも鳩山さんの発言を遮るような、それこそ「やじ」のような発言まで何回かしていました。
それをたしなめない、メインキャスターもどうかと思いますが。

まあそれはそれとして、鳩山さんのウクライナ訪問の意味がよくわかりました。
沖縄の基地への取り組みも改めて納得しました。
やはり鳩山由紀夫さんは、私が尊敬する政治家でした。

同時に、マスコミを通して、私たちがどういう情報に接しているのかが、キャスターのおかげでよくわかりました。

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