カテゴリー「マスコミ時評」の記事

2023/10/28

■「本当に裁かれるべきは、冤罪を生み出した我が国の司法制度」

袴田事件再審の初公判が昨日行われました。
事件発生後60年近くが経過し、しかも冤罪の可能性が極めて高い裁判です。

 昨日の公判での弁護団事務局長の小川秀世弁護士の冒頭陳述に心底共感します。

 「被告人は袴田さんですが、本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、弁護人及び裁判官であり、ひいては冤罪を生み出した我が国の司法制度です」

警察や検察はどこを向いて仕事をしているのかに関しては、いささかの違和感をずっと持っています。
視座が基本的に間違っているようにしか思えません。

冤罪を生み出すのは警察や検察やマスコミの仕事であってほしくはありません。
袴田事件が「冤罪」かどうかは私自身は確証を持てませんが、そもそも冤罪が発生するという仕組みには、どこか欠点があるはずです。
警察や検察やマスコミが目指すべきは、犯人探しではなく、事実の解明であってほしいです。
ましてや、誰かのための「事実の構築」であってはならないでしょう。
でもそういうような方向に、何か動いているような気がしてなりません。

 「本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、弁護人及び裁判官であり、ひいては冤罪を生み出した我が国の司法制度」という小川さんの言葉に、検察やマスコミはしっかりと耳を傾けてほしいと思います。

 

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2023/10/05

■尽きることのない市場、尽きることのない争点

沖縄知事の玉城さんは、辺野古にまつわる政府の繰り返しの難題に、判断保留を打ち出しました。昨今、あまりにも安直に使われているご都合主義の「苦渋の決断」と違って、玉城さんの誠実さを感じます。
https://www.asahi.com/articles/ASRB4552RRB4TPOB002.html

それにしても、マスコミは、ジャニーズ問題よりも、こうした問題にもっと時間を割いて報道してほしいものです。そして関心を高め、世論を盛り上げていってほしいものです。賛否は問いませんが。

もちろんジャニーズ問題が小さな問題などとは思っていませんが、いまの取り組み方はあまりに瑣末なところしか取り上げられていない気がします。
2回にわたる記者会見も、まさに茶番でしかありません。いまのような報道ならばやらない方がましではないかと私は思います。
そもそもまともに考えたら、ことはもっと簡単に運べるはずであり、いまのようなやり方なら、この数十年と何も変わっていない気さえします。

辺野古問題は、資本主義の本質を象徴しています。
一部の識者が言っているように、地盤問題もふくめて、たぶん辺野古は決して実現することはないでしょう。だからこそ、いまの経済や政治を仕切っている人たちには、最高の材料です。

尽きることのない市場、尽きることのない争点。
近代西欧は、「未完のプロジェクト」を生み出すことで、経済を成長させ、政治を権力化してきています。
ドラッカーの「顧客の創造」が経営の基本などと言っている、経営学者もいますが、そういう発想の人にとっては、辺野古は永遠に続く顧客創造装置とも言えます。
そろそろ「顧客の創造」が経営だなどという成長主義、金銭主義から抜け出せないものか。
未完を求める経済成長主義は、未来永劫続けられるわけでもありません。

最近、玉城知事に毎朝、エールを送っています。
沖縄がどうなっていくのかで、日本の未来が決まるような気がします。
岸田さんに、玉城さんの半分でも国民(住民)の声を聞く力、いや気持ちがあればいいのですが。

 

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2023/09/13

■ジャニーズ問題への私見

連日、ジャニーズ問題がテレビをにぎわしています。
私には、解決に向けて何も動き出しておらず、またいつものように、マスコミが新しい金儲け素材として取り上げているようにしか思えません。
ですからこの関係の報道には辟易しています。

そもそも問題は簡単で、当たり前の当然の話を、もったいぶって解説しているような話ではない。統一教会の話題と同じように思えてなりません。
もっと取り上げてほしい材料はたくさんある。
あまりに乱暴で粗雑な語り方ですみませんが。

そもそも問題の会社の社名存続に、会社側の姿勢は明確に出ています。
問題を全く恥じていないのです。悪いと思っていない。
名前は体を表す重要な存在です。それを存続させるということは、これまでも同じ理念で行くということです。体質はたぶん全く変わらないでしょう。新社長の東山さんは、なぜ自分の考えを通せなかったのか。要するに彼は変わっていないのです。悪い意味での忖度しているだけの話でしょう。
私には東山さんは、もう同罪の加害者側に加担した存在にしか見えません。鬼畜に加担したらダメでしょう。鬼畜に見えてしまっても仕方がない。
そもそもここまでずっと放置してきたジャニーズ関係者は、みんな同罪でしょう。
ビッグモーターの社員と、どこが違うのか。

おかしな組織は、経営者だけで成り立っているわけではありません。
社員がみんなで作っているのが会社です。
いまだに社員の中から、なぜ経営者への異議申し立てが起きないのか、そこにも問題の本質を感じます。ジャニーズ所属のタレントは、全員、加害者です。ジャニーズの恩恵を受けてきているのですから。
そもそも自分が所属している組織がどんな組織なのかに無関心でその恩恵を受けていること自体が、私にはありえない話です。

人は間違いを犯します。
でも間違いに気づいたらしっかりと向き合って、自らを正さないといけない。
私には、事態は解決ではなく、さらなる悪化に向かっての次のステップへと進んでいるようにしか見えないのです。

 

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2023/01/25

■You tubeを金儲けの手段にしてほしくありません

回転寿司の店舗での横取りやワサビ乗せの動画が話題になっています。

You tubeでの閲覧者を増やすために、こうした動画づくりに取り組むyou tuberが増えているようです。
こういう事件がなぜなくならないのか、どうしたら減らせるのか、は簡単です。でもだれもとめようとしませんし、むしろ増やそうという動きの方が多いような気もします。その根底にあるのは、こうした行為の深刻さへの認識が足りないからだと思います。

犯罪と言われる行為の評価基準に関しては、私と日本の司法界とでは全く違うようなのですが、私自身は時には「ある種の殺人」(例えば介護疲れややむにやまれずの結果)よりもこうした行為の方が社会を壊す意味では重罪だと思っています。
ですから、たとえば今回の横取りやワサビ乗せ行為者は、少なくとも1年以上の実刑としての懲役刑と罰金刑を重複で課すべきかと思っています。無期懲役刑もあってもいいと思うくらいです。なぜなら、被害は社会そのものを壊すことであり、特定の人たちに留まらないからです。
まあ、あまり賛成は得られないでしょうが。

幸いに今回は、被害を受けた会社(はま寿司)側が、当事者からの謝罪で許すことなく、訴えると言っています。そう決断したはま寿司に拍手したいです。
テレビでも映像が出ていますが、顔が隠されています。これもいつも不満で、本人がyou tubeで顔を出しているのであれば、テレビでも顔を出すべきです。無人販売所からお金も払わずに商品を持ち出す映像も時々テレビで流れますが、この場合も顔を出しません。そうしたマスコミの「過剰な気づかい」にもいつも違和感を持ちます。
まあそれはそれとして、みんななぜ「加害者」にこんなに気を遣うのか、私には理解できません。もしかして加害者の仲間なのでしょうか。

話がずれました。戻します。

こうした行為を過熱させる原因の一つは、you tubeへのアクセス数が多ければお金が入るからです。たしかにネットのおかげで、すべての人が情報発信者になれる時代です。それはとてもいいことだと思いますが、それを金儲けの手段にするのは問題が多すぎます。

近代社会の産業は「問題解決」型であるがゆえに、市場を拡大するためには問題を創り出せばいいという構造になっていますが、私はそれを「産業のジレンマ」と呼んでいます。ドラッカーがいったように、顧客を創造すれば、つまり必要もない人に必要性を感じさせれば、経済はいくらでも成長するのです。私はそんなことは「経営」だなどとはどうしても思えないのですが、you tubeは顧客創造の手段としては実に好都合なツールのような気がします。でもそれでいいのか。そろそろドラッカーの弊害に気づくべきではないのか。

また書きすぎました。
しかし、今回の横取り・ワサビ乗せ動画の投稿者のような人は、社会を壊す存在です。千丈の堤も蟻の一穴より崩れることを忘れてはいけません。そういう人が生まれる素地を広げているYou tubeの課金システムにはどうしても批判的になってしまいます。

もちろんYou tubeそのものを批判しているのではありません。社会を豊かにし、安心したものにしていくために活動しているYou tuberも決して少なくありませんから。
私が批判的なのは、安直にお金を稼ぐ仕組みと生き方です。

 

 

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2022/12/09

■「宗教2世」?

言葉が現実を創り出していくと言われるように、言葉はとても大切です。

マスコミや権力者、あるいは権威筋が使う言葉に、私は時々大きな違和感を持つことがあります。
たとえば、いまマスコミで使われている「宗教2世」にはどうしてもなじめません。
そもそも旧統一教会が「宗教団体」ということ自体にも違和感がありますが、その信者の元で育てられ自らも信者体験をした人たちを「宗教2世」というのでしょうか。

家族の役割のひとつが、子育てだとしたら、子どもは必ず親の影響を受けます。
生物的に育てるだけではなく、考えや生き方も、親から大きな影響を受けることは避けがたいでしょう。
湯島のサロンでも時々話題になりますが、親の影響を受けて生きにくくなってしまった人は少なくありません。もちろんその逆もあるのですが、私自身の反省も含めて、親は自らの生き方は自分だけでの問題ではないことをもっと意識するべきでしょう。

「宗教」をどう捉えるかにもよりますが、宗教はそもそも個人単位というよりも人のつながりの中で生まれてくるようにも思います。
そう考えると「宗教2世」という表現にはどうしても違和感があります。
問題は、「宗教」にあるのでしょうか。
私にはむしろ、そうした問題を起こす親たちが宗教をもたなかったことにこそ問題があるような気がします。また誤解されそうな表現ですが。

というわけで、私は「宗教2世」という言葉に大きな差別意識を感じます。というよりも、否定的なイメージを持ってしまうのです。これが新しい差別感を生み出さなければいいのですが。
「宗教2世」という言葉を使う人に問いたいのは、「宗教」って何ですか、ということです。

それにしても、問題が起こるといとも簡単にカテゴライズして、命名してしまう風潮には恐ろしさを感じます。言葉を生み出すのは、慎重でなければいけません。
先日発表された流行語大賞などというバカげた、というか俗悪で危険な風潮にもいつも極めて不快感を持ってしまいます。
言葉遊びには大切な意味がありますが、言葉を無責任におもちゃにしてはいけません。

 

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2022/09/11

■数字が事実を覆い隠す社会

最近いろいろと発表される数字は、私には全く信頼できないものばかりですが、その傾向は最近極度に広がっています。
率先して数字を改ざんし、それがわかっても調査もしない政府によって統治されている社会ですから、まあ当然と言えば、当然ですが。

最近の数字で言えば、国葬の費用ですが、おそらく少し事実を調べたことがある人ならば、16億数千万円などでおさまるはずがないことはすぐわかるでしょう。しかし、マスコミは16億数千万円が高いことを問題としています。私には白々しさ極まれりとしか思えません。

自民党議員で統一教会に関与した議員は179人という数字も、「そんなに多かったのか」という論調で報道されていますが、私にはそんなに少ししか自己申告しなかったのかとしか思えません。

いずれも数字で「ある事実」が捏造されているとしか思えません。

嘘を言い事実を隠すことは政治家にとっては何のマイナスにはならないようですが、せめて数字だけは嘘を言わない状況であってほしいと思っていました。しかし、いまではむしろ、数字は事実を覆い隠すための、あるいは都合のいい事実を創出するための道具になってきているように思います。

しかし、数字が信頼できないとなると社会をどう判断していいかわからなくなります。
自分が生きている小さな社会を相対化できなくなる。
何を拠り所にして世界を見ればいいのか、とても悩ましい時代になってしまいました。

 

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2022/09/01

■国葬に関して思うこと

昨日も安倍元首相の国葬反対の集会が各地で行われていました。
国会前の集会に参加していた友人が写真を送ってきてくれました。
それでフェイスブックに写真とともに下記投稿をしました。

国民の半数以上が反対しているにもかかわらず、国葬が行われる国家とは、どういう国家でしょうか。
国民半数以上が反対していて行動を起こしているのに、それをほとんど報道しない国営的放送(NHK)とは、どういうメディアでしょうか。
友人たちが国会前などで意思表示してくれています。
6時現在で国会前は5000人くらい集まっているそうです。

そうしたらいろんな人がコメントしてきてくれました。
それで今朝、また次の投稿をしました。

国葬に関して昨日投稿したらいろんな方からコメントをもらいました。
ありがとうございました。
国葬に関しては、賛否それぞれです。
ただ私の関心は、国家とは何か、報道とは何かにあります。

先日投稿しましたが、数年前に出版された「世界を変えた14の密約」をまた読み直しました。昨年、文春から文庫化されて再出版されています。
国家がどう変わってきたかが示唆されています。改めてお薦めします。

今湯島でやっている生活事業研究会でのテーマのひとつでもありますが、ポリティカルエコノミーからエコノミックポリティクスへと政治や経済が大きく変わってしまったなかで、改めて生活を回復させたいと思っています。分断されつつある二項を取りちがえないようにしたいものです。

私の視点は、1968年ころから始まった「システムもしくはアルゴリズム対人間」です。それが明確になってきたような気がします。私はもちろん今なお「人間」でいつづけているつもりです。

それに人の死は、静かに悼むもので、手段にすべきではありません。
国民の多くが、自然と悼んでこその国葬ではないかと私は思います。ですから日本で行われようとしているのは、私には醜いマネーゲームにしか見えません。オリンピックと同じように。
ちなみに、私は国葬反対ですが、国葬騒動で、いまの日本の政治の実相もまた見えてきたように思います。

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2022/08/09

■「裏切られた自由」とベリングキャット

「ベリングキャット」は、イギリスに本拠を置く、調査報道機関です。ウェブサイトでいろんなことを公開していますが、そこで報告されていることは、すべて公開されている情報を収集・分析することで導かれだされた「事実」だそうです。
蛇足的に言えば、公開情報をうのみにするのではなく、「解析」し「編集」しているところがポイントです。

友人が、地元の行政活動を、この方式でウォッチしてきています。時々、その結果判明したことを教えてもらうのですが、彼はただ解析するだけではなく、しかるべきところにその事実を報告して、建設的な活動を目指していますので、とても共感できます。但し、私の感じでは、あまり報われることはないようですが。

先日の安倍元首相狙撃事件に関するサロンでも、北川さんと中島さんが、まさにベリングキャット的な報告をしてくれました。
個々の「事実」や「報道」だけでは見えてこないものが見えてきます。
そうした個々の情報から、その意味を解こうとする姿勢を「陰謀論」という言葉で揶揄する人もいますが、事実を読むとは、そうした「隠された意図」を読み解くことと言えるかもしれません。

新聞やテレビのマスコミ情報は信用できないという人がいますが、報道されている情報から何を読み取るかは、受け手次第です。受け手がしっかりしていれば、マスコミ報道にはたくさんの事実が含意されています。

この1週間、一時話題になったハーバート・フーバーの「裏切られた自由」の上巻を読んでいました。上巻だけでもB5版700頁の大部なので、てこずりましたが、ようやく上巻を読み終わりました。
関係者の私信も含まれていますが、この本も「ベリングキャット」手法ですので、読み手のリテラシーが試されます。私には難しくて読み解けないことも多いのですが、とても面白かったです。少なくとも、ベリングキャットの効用は実感しました。

私が先の日米戦争に関するイメージを変えたのは、ジョン・トーランドの「大日本帝国の興亡」全5巻を読んだ時でした。学校で学んだ歴史知識は、まさにプロパガンダそのものだと思い知らされました。

「裏切られた自由」も、私の「知識」を揺るがせてくれました。知識としてはほとんど知っていたつもりですが、ここまで細かく資料に基づいて説明されると、自分の「知っていたつもり」が揺らいできます。「知識」を自分のものにしていくのは、やはり時間がかかりそうです。

明日から、引き続き、下巻に挑戦しますが、上巻で心に残った文章を一つだけ紹介します。同書の第1部第7篇「アメリカ国民の洗脳」に出てくる文章です。

国民に真実を知らせない技術がますます蓄積されている。そのための手段にあらたにラジオ放送という武器(手段)ができた。

ラジオやテレビは、事実を広く広げていくための手段だと私は思っていましたが、どうも当初から統治者たちはそうは思っていなかったようです。
私も根本から「洗脳」されていたのかもしれません。
しかし「ベリングキャット」によって、事実を垣間見るためには、ラジオやテレビは有効なメディアです。

フーバーの努力を無駄にはしたくありません。

 

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2022/05/08

■戦争を止めるのは人の友好関係を広げていくことでしかありません

今日の朝日新聞のトップ記事の見出しは「友好 崩れ去った」とあります。
キーウ市民がロシアの親族との付き合いをブロックしたという話も出ています。
とても寂しい話ですが、トップ記事にしてほしくはありませんでした。
たしかにそういう話はあるでしょう。しかし、おそらくその反対の話もあるでしょう。
ウクライナの惨状にも拘わらず、ロシア人とウクライナ人が信頼し合い、支え合っている話が、です。

異常な事態の中ではさまざまなことが起こります。
不信も起これば、信頼も生まれる。
友好が失われることもあれば、友好が高まることもある。
そのいずれかに焦点を合わせるかで、事態の見え方は変わってくる。
そしておそらく、それによって未来も変わってくるのではないかと思います。

マスコミは、往々にして、「不幸」で「悲惨」なことを取り上げる。
それによって事態は、ますます「不幸」で「悲惨」になることも少なくないような気がします。
私は、権力や権威は信頼しませんが、人間は信頼しています。
どんなことを起こしている人も、信頼したい。
そう思って毎日を過ごしています。

人の仲を裂くような記事には触れたくありませんし、そんな記事を信じたくない。
人の友好は、そんなに簡単に崩れるはずはない、と思いたい。
親族とのSNSをブロックしたという朝日新聞の記事に出てくるユーリーさんも、本当は親族を信頼し愛しているに違いない。この記事を書いた記者の気持ちもわからないわけではありませんが、もっといい面を伝えてほしいと思います。惨状の中にこそ、人を信頼したくなることはたくさん生まれているはずですから。
そして、それこそがウクライナの現状を変える力になるはずだからです。

戦争を止めるのは核抑止力でも正義の追求でもない。
人の友好関係を育てていくことでしか、戦争はなくならない。
私はそう思っています。

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2022/03/21

■報道への対抗力を高めたいと思います

クラウゼヴィッツは「戦争論」で、戦争とは暴力によって自分の意思を相手に押しつけることと定義しているようですが、今回のウクライナ戦争はまさにその意味でのわかりやすい戦争のように思います。しかし、発生している状況は、それほどわかりやすくはありません。

さすがに最近は、一方的な報道だけではなく、さまざまな視点からの報道に接することができるようになっていますが、同じ映像さえもが全く真反対に解釈する人がいるのに、改めて映像情報の持つ多義性を思い知らされています。

クラウゼヴィッツに倣って、「報道とは 映像(言語・文字)によって 自分の意思を 相手に押しつけること」と言いたい気分です。
大切なのは、その「報道」を受けて、自らとしてどう解釈し、自らの生活につなげていくかだろうと思います。

ちなみに、今回のウクライナ戦争の報道に接して、私のテレビ報道への信頼感が大きく回復しました。テレビをあまり見ない人が私のまわりにも少なくありませんが、そういう人たちが生きている世界とテレビをよく見ている私の生きている世界との差があまりに大きくなっているのが、いささか心配ですが。おそらく新聞を毎日読んでいるかどうかも大きな違いを生み出しているのでしょうね。どの新聞を読んでいるかの違いよりも、そのほうがむしろ気になります。

 

 

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